| 因果の狭間で |
Rev.05 枚数： 14 枚（ 5,288 文字） |
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佐々木ダイから久しぶりに連絡をもらったのは、十二月中旬の、肌寒い金曜の夜だった。いつもは自信に満ち溢れていて、上から目線を崩さない男だ。しかしその日は、媚びるような声で「言わなきゃいけないことがある、明日ウチに来てくれ」と懇願された。私は興味をそそられ、彼の誘いに乗ることにした。 通話を切り、リビングに足を運ぶ。家を空けることを家族に話した。子供達とテレビゲームをする予定があったので、怪訝な顔をされる。佐々木の名を出したら、「家族よりあんな男を優先するのか、正気なのか、それほどテレビゲームで負けるのが嫌なのか、ダサすぎる、佐々木とはもう連絡を断て」くらいのことは言われそうだったので、仕事があるんだ、と嘘をついた。 佐々木との会話は一時間程度で済むだろう。残りの時間は、一人で羽を伸ばすために使おうと考える。独身時代のように、いまやっているSF映画をはしごして観るのだ。むしろそっちが本命と言えた。 佐々木もたまには良いことをする。私は友人に感謝したくなった。 ××× 一戸建ての小さな家だ。表札に「佐々木」とある。 たぶん、ここだった。私は地図アプリを閉じた。足を止め、門の外から中を覗き込む。庭の手入れはされていないようだった。草が生い茂っている。 佐々木は未婚で、研究職に人生のすべてを捧げている男だった。唯一の趣味はマジックくらいか。ここ数年で、催眠術にまで手を出すようになったと聞いている。もともと催眠術への関心は強く、一緒の研究所に勤めていたころ、その手の話を熱弁されたことを思い出す。苦い記憶だった。同僚全員で、お喋りな彼の口を塞ごうと、コーヒーに下剤を入れ、トイレに向かわせようとしたことまで思い出される。懐かしい。 「すみません」 チャイムを鳴らそうとしたところで、声を掛けられた。振り返って、ぎょっとする。 四十代くらいの男性、中学生くらいの少女、険しい顔つきの老婆が立っていた。全員、黒いスーツを着ている。男性は遺影を持っていた。柴犬が写っている。中学生らしき少女は、黒い眼帯をつけていて、老婆は顔以外のすべての肌を包帯で覆っていた。 異様な雰囲気に後ずさる。触れてはいけない人達なのは、火を見るよりも明らかだった。 「ここにチャンネルを合わせます！ どうぞ！」 少女が言い、男性が「了解！」と敬礼した。こちらに近づき、「どうぞ！」と声を掛けてくる。私の反応を持っているらしい。 私は黙って、彼らから距離を置いた。場合によっては、恥をかなぐり捨て、叫びながら逃げることを考えた。 「ど、どういうことだ！」 男性が目を剥く。 「チャンネルが合わない！ 彼じゃなかったのか！」 「畜生、騙されたぜ！」 三人で密談する。私はそれを見ていて、ようやく彼らのことを思い出した。 彼らは、数年前にできた新興宗教の信者だ。犬の遺影を掲げている姿を、数年前に何度か見たことがある。とっくに潰れているものだと思っていた。教祖が中二病を拗らせていると一部ネット界隈で話題になり、未だにネタにされていると聞く。 彼らは遠ざかっていった。ほっと息をつく。以前付き合っていた彼女の実家に行ったら、怪しげな壺を買わされそうになったことを思い出す。壺を買うか買わないかで彼女と喧嘩して、そのまま別れた。それ以来、私は女性と付き合うのに慎重になった。いまの彼女と結婚して、家庭を築けたのは奇跡的なことだったと思う。運が悪ければ、自分は一生独身で、仕事だけの人生を送っていただろう。 気を取り直して、佐々木家のチャイムを鳴らす。五十代半ばの男が姿を現した。佐々木だ。挨拶するが、無視される。彼はきょろきょろと辺りを見回していた。 私は言った。 「おい、早く入れてくれよ。外は寒いんだ」 「追われてないか」 「なに？」 「尾行だよ。されてないか」 「ひょっとして、家の前にいた連中のことを言っているのか？ それなら大丈夫だ。チャンネルは合わなかったみたいだぞ」 「は？ チャンネル？ なにを言っているんだ。頭大丈夫か」 「……何でもない。別につけられてはいないと思うよ」 「そうか。さっき、スパイっぽい連中が、この家を見ていたからな。用心に越したことはない」 「スパイ？」 「ああ。俺の家によく来るんだ。アメリカ、イギリス、中国、ロシアが、俺の研究の成果を、盗もうとしている。いつ盗まれるか、わかったものではないからな。用心が必要だ」 催眠術で世界を統治したいという話を三十分に渡って聞かされた時から思っていたことだが、彼は世間からズレていた。独自の世界観を持っているのだ。 部屋の中に通される。本だらけで足の踏み場がなかった。部屋の隅に、ごみのタワーができていて、いまにも倒れそうだった。暖房が効いていて、寒さは凌げそうではある。 私はなんとか座れる場所を見つけて腰を落とした。佐々木はテーブルの上に座った。 「で、なんで私を呼んだんだ」 「ああ。いろいろとあってな……」 佐々木はやつれていた。目の下に隈ができ、頬がげっそりと削げている。 机の上には、なぜかメトロノームが置かれていた。これはなんだ、と訊こうとしたところで、佐々木は、メトロノームを動かした。カチカチカチカチカチ、と音が鳴る。 私の微妙な顔を見て察したのか、佐々木は説明した。 「ああ、これか。盗聴している連中への嫌がらせだよ。いつも持ち歩いて鳴らしているんだ」 「いつも？ 家でもか？」 「ああ」 「ちなみに訊くが、盗聴器が仕掛けられていたことは、これまでに一度でもあったのか？」 「わからん」 彼は言った。あまりに堂々とした物言いだった。 「だが、あるかもしれないだろ。あるという前提で、俺は嫌がらせをしているんだ」 「なるほどな……」 何も言うまい。干渉するのは面倒だった。 佐々木は、ゴミ山の中からみかんを取り出した。食うか、と訊かれ、いや、と断る。彼は皮ごとみかんを頬張った。果汁を口の端から垂らす。喉を鳴らしてから、「本題なんだが……」と言った。 「重要な話があるそうだな」 「ああ、笑わないで聞いてくれよ」 佐々木は服の袖で口元を拭うと、真剣な表情を浮かべた。 「絶対に笑うなよ」 「わかった。約束する」 実は、と佐々木は唇を舐めた。重々しく言う。 「タイムマシンを発明したんだ」 「……」 「タイムマシンを、発明したんだ」 「なるほど……」 タイムマシンか、と私は確認のために繰り返した。佐々木は真剣な表情で頷いた。 「過去に行ってきたんだ」 「過去に」 「うん」 「へえ、そりゃまた……」 佐々木は泣き出しそうな、いやむしろ、笑い出しそうな顔を浮かべた。こちらを向き、媚びた表情をする。私は笑いをこらえるのに苦労した。頬がぴくぴくと痙攣する。いまにも決壊しそうだった。 「つまり、お前は、過去を見てきたということか」 「ああ、見てきた。未来だって見てきたさ」 「なるほどな」 「うむ……」 私は沈黙した。 ふざけるなと激高しながら家を出ることもできた。しかし、しばらく奴のホラ話に乗ってやろうと思った。せっかく来て、すぐに帰るのはあまりに空しい。同僚たちへの土産話くらいは作りたかった。 「信じてくれるか？」 佐々木が上目遣いで言う。メトロノームの、カチカチという音が神経に障る。私は顔を顰めて言った。 「それは、何とも言えないな……」 言葉を選びながら口を動かす。 「SF作品だとこういうシュチュエーションのとき、タイムスリップした者が未来の出来事を言い当ててくれるもんだ。たとえば、一分後に事故が起こるとか、テレビをつける前に放送中のシーンを正確に言い当ててくれるとか。そうすれば、信じやすいんだけどな」 「あ！」 佐々木は自分の頬を叩いた。 「その手があったか！」 私はため息をついた。頭痛を覚える。 佐々木は視線を彷徨わせた。体を縮め、私から顔を背ける。何事だ、と思っていると、呟くように言った。 「お前に謝らなきゃいけないことがある」 「どのことだ」 心当たりが多すぎて困った。前職で、泥酔して私の机に放尿したことや、パソコンを叩いて壊したことを誤魔化すためにスプリンクラーを起動させ、職場の全員に迷惑を掛けたことを言っているのだろうか。 佐々木は私を凝視した。 「お前の人生を台無しにしてしまったんだ！」 床に額を擦りつける。 「本当に申し訳ない！」 唖然とする。私は眉を顰めて言った。 「ちょっと待て。あんたとは、もう二年は会っていないぞ。人生を壊された覚えはない」 「七時間前に会っているんだよ。お前の小学校時代に、ついさっきタイムスリップして戻ってきたところなんだ」 佐々木は顔を上げた。どういうわけか、目には涙が滲んでいた。 「お前は留美子と結婚していた。でも、戻ってきてみたら結婚していなかったんだ」 「は？」 私は目の前の男が何を言っているのか、理解できなかった。気が変になっているのだろうか。 「私は留美子なんて女知らないぞ。妻の名前は沙知絵だ。あんたも結婚式に来てくれたじゃないか」 料理の食べ過ぎで腹を壊し、ずっとトイレに籠っていたので、まともに顔を出していたのは最初の十分だけだが、確かにいたことは覚えている。 「俺は沙知絵なんて知らない。お前が結婚していたのは留美子くんとなんだよ。それを俺が変えてしまったんだ」 「よくわからんな」 「わかるはずだ」 こいつが過去で行動を起こしたせいで、現在が大きく変わってしまったということか。SF作品ではよくある展開だ。どんな因果関係か知らないが。私の結婚相手が、佐々木の行動で変化している……。しかし私には、自分の人生に間違いがあるとは思えなかった。 「俺はなんということをしてしまったんだ！」 佐々木は大粒の涙を流した。テーブルに額を打ち付ける。私は白けた気分になった。 「あんたは、なんで小学生の私に会いに行ったんだ」 「俺が愚かだったんだ。お前に嫉妬していた。お前は留美子という美しい女性と結婚した。もともと付き合っていたのは俺の方だったんだ。お前が横から奪っていったんだよ。お前に寝取られたんだ！」 私は留美子という女を知らない。知らない罪であれこれ言われても、まったくピンと来なかった。 「つまりだ」 私は、彼の要領を得ない話を頭の中で整理しながら言った。 「あんたは過去に行って、私とその留美子とやらの仲を引き裂こうとしたわけか」 「そうだ。お前と留美子は幼馴染だった。早いうちから仲を引き裂いておこうと思ったんだ」 「なら、あんたの目的は達成されたってことだろ。よかったじゃないか。おめでとう」 投げやりに言う。そろそろ帰りたかった。 「よくない！」 佐々木は立ち上がった。大声を上げる。 「現代に戻ってきたら、留美子は娼婦になっていた。小汚い豚に抱かれていたんだよ。俺が留美子の人生を台無しにしてしまった。お前と結婚していれば幸せな人生を送れていたはずなのに……。どうしてこうなったのかわからない。わからないんだ」 「いったいあんたは、過去で何をしたんだ？」 佐々木は、申し訳なさそうに目を伏せた。 「お前に催眠術をかけたんだ。ブス専になるように。ブス以外は眼中から消えてなくなるように……」 「お、おい、ちょっと待ってくれ。いまなんて言った？」 「すまない、留美子。本当にすまない！」 佐々木は遠い目をした。 「ブス専になる催眠術ってなんだ、おい、聞けよ！」 私の顔を見て、佐々木がふっと笑う。 「お前の結婚相手の写真、見たよ。とんでもなかったな。凄かったよ。よくあんなのと……ルッキズムのある現代なので濁して言うが、化物みたいだったな。本当に申し訳ないことをした」 「沙知絵がブスだって言いたいのか。おい。訂正しろ。確かに少しぽっちゃりしていて目がもぐらみたいで、アゴはびっくりするくらい伸びているが、あいつは愛嬌があってだな……」 「ああ、すまない！ お前と留美子の人生を台無しにして本当にすまない！」 佐々木は顔面をぐしゃぐしゃにした。床に伏せる。もう相手にしていられなかった。こいつは狂ってしまったのだ。初めから相手にするべきではなかった。早く家に帰り、妻と子供の顔を見て和もう。当初予定していた映画館巡りはやめだ。 私は立ち上がると、ふすまを開けようとした。そこでふと、思いついたことを呟いた。 「タイムマシンがあるなら、また過去に戻って改変してみればいいじゃないか」 「あ！」 佐々木は自分の頬を叩いた。 「その手があったか！」 ××× 金曜の夜。家族で団欒していると、久しぶりに佐々木から連絡をもらった。電話口で、「タイムマシンが」とか「お前の人生を台無しにしてしまった」とか、「戻って催眠術を解こうとしたんだが、手違いがあって……」とか「留美子くんとは結婚しているのか？ それとも沙知絵くんと式を？」とか、訳のわからないことを早口でまくし立て、うちに来てくれないかと懇願された。興味をそそられたので、私は彼の家に行くことにした。 「行ってくる」 妻にキスをする。 私はスーツに着替えると、黒い眼帯を装備して、犬の遺影を持ち、外に飛び出した。 |
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円藤飛鳥 2022年12月25日 21時45分35秒 公開 ■この作品の著作権は 円藤飛鳥 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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