星空のクールガイ |
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プロローグ 2032年 8月11日 沖縄 米軍嘉手納基地 特設発射台前 「……こんな時までクールなのね」 重ねた唇をそっと離して、エヴァは囁いた。 瞼に大粒の涙を湛えた彼女の表情は、悲しんでいる様にも怒っている様にも見えた。 「時間だ」 男はそう呟いて、彼女に背を向ける。ヘルメットを対Gスーツに固定する音が、やけに大きく響いた。 「ロバート!」 エヴァは男の背中にすがり、顔を埋める。様々な機器の作動音に隠れる様に、小さく嗚咽を漏らした。 「とっておきのワインがあるの。ラ・ターシュよ。必ず……戻ってきて。二人で……祝杯を、あげ……ましょう……」 「努力する」 ヘルメット越しに答えてその男、ロバート・ツヴァイシュタイン少佐は振り向く事無く静かに、発射台へと続く連絡路に消えていった。その態度は、とてもこれから世界の命運を背負う者とは思えない。普段と全く変らない、まるで日曜日の朝に教会へ赴くかの如き、静かな足取りである。濃いグリーンのスモークが掛かったバイザー。その奥に潜んだ彼の表情を読み取る事は、最後まで出来なかった。 (すげえ……こんな状況で、ここまでクールに居られるなんて) (彼なら、彼ならやってくれるに違いない!) 周りで事の次第を見守っていたスタッフ達は、この人類未曾有の危機を乗り越える唯一の光明を彼と、彼の駆る機体に見出していた。 一方、世界の命運を一手に引き受けていた当のロバートは。 (キ、キキキスしてしまった……生まれて初めて……しかもあんな美人と……それに、それにあんな大勢の前で……) 人類の危機から遠く懸け離れた、物凄く小さい事象で冷や汗を掻いていた。 良く見ると手は小さく震え、普段は滅多に感情を映さない顔にも僅かに赤味が射している。これから世界を救おうという時に、いまどきジャパンの中学生でも有り得ない位に見事な純情っぷりを見せていた。その様相はとても、仮に成功したとしても生還率が二十%を切ると云われている過酷な作戦に臨む勇者とは思えない、ある意味ものすごくリラックスした姿とも言える。 確かに彼は今作戦における唯一の適格者、正真正銘のライトスタッフだった。 1 ファーストコンタクト 2031年 12月8日 フィンランド ヘルシンキ郊外 最初に『それ』を見つけたのは大学生のアマチュア天文家クロイツフェル・ヤコブセンだった。 (誰も見つけていない、自分だけの星を探すんだ) ピュアな心で毎晩テレスコープを覗いていた、まだ幼さの残る痘痕面の青年。その日、彼は以前より『当たり』をつけていた宙域に、ふと不自然な影を発見した。 「これは……小惑星?」 素早く手元のパソコンで関係サイトを開き、該当する物が無いか検索する。どうやらまだ誰も『それ』の発見を発表していない。 「すごいぞ!」 興奮に頬を染めたクロイツフェルは震える手に苦労しながらも、すぐさまそのサイトに自分の見つけた小惑星の詳細をUPした。 たとえ、それが天文学的に見れば塵にもならない小さな星だとしても。 そこに自分の名前を付ける事が出来るというのは、彼ら天文家にとってこの上無い名誉である。彼は自分が見つけた小惑星『ヤコブセン』を再びテレスコープで眺め、恍惚の表情を浮かべた。 心の奥底で、 (それにしても、どうしてこの距離の小惑星を誰も発見していなかったのだろう? こんな旧式のテレスコープで見えるんだから、国立天文台クラスの望遠鏡なら苦も無く見つける事ができるだろうに……) と、疑問を抱きながら。 彼の意に反して―― その小惑星は後に正式名称では無く、仇名である『ダンベル』と呼ばれる事となる。そして世界中から魔王の如く恐れられる存在になるのだが、神ならぬヤコブセン青年は知る由も無かった。 2032年 2月21日 太平洋 クリスマス島沖 米海軍空母『エンタープライズ』 一機のF35戦闘機が完璧なファイナルアプローチを経て、滑り込む様に着艦した。甲板上のクルーや指示を出している着艦統制官すらも感嘆の為息を零す程の、それは完璧な着艦だった。 平常時でさえ「統制された墜落」と揶揄される空母への着艦は、数ある航空操縦術の中でも最難関の一つとされている。その着艦を易々とこなして甲板上へ降り立ったロバートは、それでも着艦時に付いたタイヤ跡を一瞥すると不機嫌そうに呟いた。 「右に二インチずれた」 「!?」 彼のコメントに呆然としている甲板員達を尻目に、ロバートは飛行甲板を睨んでいる。 (もしもここが断崖絶壁だったなら、二インチのずれは致命的だ。そう、たとえば作戦行動中に被弾、あるいはエンジントラブルで不時着せざるを得ない状況に陥ったとする。しかしそこは内陸の山岳地帯、艦載型のF35Cでは垂直離着陸は出来ない。散々周囲を確認した挙句にようやく見つけたのは断崖上に辛うじて存在している幅三十フィート、長さ一マイル程の空き地。ここに着陸出来なければ生存確率は大幅に低下する。やるしか無い……などと言う状況で、もしも二インチもずれたとしたならば俺は確実に死んでいただろう) 良く見ると手がわなわなと震えている。これは怒りでは無く、純粋に恐怖心からだ。 無論、そんな事態は滅多に起こり得ない。 ちなみに、もしもそういった事態に陥ったら最終的にはパラシュートで脱出(ベイルアウト)すれば良いのだが、彼の思考にそれは無い。昔、とあるジャパニメーションで脱出したパイロットが敵の戦闘機に撃ち殺されるシーンを見たのがトラウマになっているからである。 もちろん、彼がそんな事を考えているとは思いもよらない甲板のクルー達は、 (流石は海軍最高のパイロット『クールガイ』だ。彼は全てにおいて完璧でなければ気がすまないのだ……) と、畏敬の眼差しを送っていた。 「彼が例のパイロットですか?」 艦橋からロバートの見事な着艦を視察していた彼女は、まるで品定めする商人の様な口調で傍らの人物に尋ねた。 腰まで伸びた金髪を面倒臭そうに束ね、ろくに化粧もせず、皺だらけの白衣のポケットに手を突っ込んでいるという極めてだらしの無い格好。しかし、そんな姿にも関わらず彼女の美貌は微塵も損なわれてはいない。それどころか、その絶妙な緩さが逆に不思議な魅力すら与えていた。 年の頃はまだ二十代半ば位だろうか。どちらかと言えば大学院の研究室で教授にこき使われている方が似合いそうな、まだあどけなさすら残る顔立ち。 そんな彼女に、しかし付き添いの男は主君に仕える騎士の様な態度と表情で返答した。 「はい、ブラウン博士。彼こそが米海軍、いや恐らく世界最高の飛行士であるロバート・『クールガイ』・ツヴァイシュタイン少佐です。年齢は二十八歳。アナポリスを首席で卒業後、艦載機パイロットに就任。後に派遣されたトップガンでも極めて優秀な成績を収め、先の台湾紛争では四機を撃墜。今計画において、彼を凌ぐ逸材は居ないと小官は言い切れます」 米海軍中佐の階級章を付けたその人物は、まるで自分の手柄の様に彼を褒め湛える。 「ふうん……彼の双肩に、全世界の命運が掛かるのね」 感情を殺した眼差しで飛行甲板を見詰めているその男を見下ろしながら、今プロジェクトの実質的責任者であるエヴァ・ブラウン博士は小さく呟く。 しかしその眼差しとは裏腹に、零した言葉にはまるで懺悔の言葉の様に切なげな響きが含まれていた。 2032年初頭。 小惑星ヤコブセンの発見は、まず世界中の天文学者に驚愕の嵐を巻き起こした。 アマチュア天文家が古い光学望遠鏡で捉えたそれを、世界各国の天文機関が持つ最新鋭の機材が捕らえる事ができなかったのである。 その事に彼らは当初痛くプライドを傷つけられたのだが、やがてとてつもない事実が判明し、もはやその様な事を言える状態では無くなった。 驚愕と混乱は、程無くして様々な形となり瞬時に全世界に飛び火した。 「つまり、こういう事かね? 『件の小惑星は、完璧なステルス機能を備えている』と」 NORAD――北米航空宇宙防衛司令部の本拠地。コロラド州ピーターソン空軍基地に設置された緊急対策本部にて、トム・クルーズ大統領は重たい口を開いた。 「端的に言うと、そうなります。かの小惑星は全ての電波を撹乱、あるいは吸収するという我々にとって未知の物質で構成されております。各種の観測結果から推測しますと、そう答えざるを得ません。発見がここまで遅れた理由も、そこにあります。一部の学者は『ついにダークマターを発見した』と息巻いていましたが、その喜びも長くは続きませんでした。何故なら……」 NORAD司令官であるスミス大将の返答に被せる様に、大統領は、 「その未知の物体は、地球に向かって一直線で飛んで来ているから、という訳だね。まったく、私が昔出演した映画にもそんな荒唐無稽な話は無かったよ」 苦虫を噛み潰した様な形相で言い放つ。 「残念ながら、現実です。軌道計算の結果、かの小惑星はあと八ヶ月程で地球の引力圏に到達します」 「で。このデススターが地球に落下したら、損害は?」 「対象物の直径は約一万五千四百m。これだけの質量が予測落下地点である東南アジア近辺に落下した場合、直撃を受けた国は確実に消滅します。ブルネイでもフィリピンでもインドネシアでも、その点においては変わりありません。そして直撃を間逃れた他の地域も、大気中に巻き上がった粉塵にて世界規模で太陽光が遮られて核の冬ならぬ『隕石の冬』が到来。人類は恐らく恐竜達と同じ運命を辿ります」 スミス大将は努めて冷静に、予測される世界規模の損害を淡々と語った。それは、実務にしがみ付く事により、現実の恐怖から目を逸らそうとしている様に大統領には見えた。 「すなわち。君の進言と言うのは……」 大統領の判り切った質問に、感情を押し殺した声でスミスは答える。 「はい。これは我が合衆国のみで扱える問題ではありません。全世界が一丸となって対策に望む他、乗り越える道はありません」 「モスクワと北京の対応は?」 大統領は傍らに待機している補佐官に向き直り、問い掛ける。 「まだ非公式ではありますが、概ね司令長官の仰られた事と同様の提案がありました。更にはEUやインド、オーストラリア、ブラジル、そして日本からも」 「ああ。判った。では直ちに関係各国……いや、世界中のあらゆる国や機関に連絡を取ってくれ。どうやら我々人類に残された時間と選択肢は、そう多くは無いらしいからな」 空調が効いている筈の会議室で額から大量の汗を流しながら、クルーズ大統領は各員に指示を飛ばす。室内のスタッフが弾ける様に飛び出し、基地内は瞬時に蜂の巣を突いた様な騒ぎに包まれた。 (……おいおい、全く勘弁してくれよ。突如世界を襲った未曾有の危機。そこに一丸となって立ち向かう人類。まるで、あの懐かしいハリウッド映画の世界そのままじゃないか。こんな仕事はブルース・ウィリスにでも任せておけば良いんだ) クルーズ大統領は一瞬だけ他人事の様にそう考えた後、腰を上げてその喧騒の一員となった。 2 宇宙英雄爆誕 2032年 2月27日 米海軍サンディエゴ基地 艦載機パイロットが洋上勤務中に召還されるというのは、余程の事である。 とてつもない失敗を犯したか、あるいはとてつもない任務を押し付けられるか。 (きっと後者なんだろうな……) 過去数回の経験からそう覚悟して基地に帰還したロバートであったが、それでも事態の詳細を聞いた時には我が耳を疑った。 「あなたに、世界を救ってほしいの」 自己紹介を済ませるや否や、そう話を切り出した相手。エヴァ・ブラウン博士と名乗った美しいドイツ人女性をロバートは無言で、感情を微塵も表に出さない彼独自の表情で見詰め返した。 その態度を見て、 (へえ。報告通り、相当に胆の据わった男なのね。それでこそライトスタッフだわ) エヴァは、自分の荒唐無稽な発言に眉一つ動かさない相手に好意的な眼差しを送った。 ――しかし。 当の本人であるロバートの脳内では、かつて無い規模の混乱が渦を巻いていた。 好きで無言でいる訳では無い。実際の所はびっくりしすぎて声が出ないだけなのである。 彼は内心では、 (せ、世界を救う……だと? この俺が!? そ、そそそんな大それた事できる訳無いだろう! でも、こんな美人にそんな事言われたら、俺は、俺は……) と、見苦しい程に狼狽している。 ところが。 幸か不幸か。実は、彼は生まれつき感情を表に出すという事ができないという特異な体質なのだった。 専門の医者が診察したのなら、それは一種の顔面神経失調症である事を見抜く事が出来たろう。しかし、残念ながら彼にはそういった機会は訪れなかった。そして、もとより彼自身もそんな疾患を抱えているとは、微塵も思ってはいなかったのである。 幼少期より、今現在に至るまで―― 彼は、その『持病』により様々な誤解の中での生活を余儀なくされていた。 名前で判る様に、彼はドイツ系米国人である。 もしもヒトラーが彼を目にしたら「模範的アーリア人」と賞賛したであろう、見事な金髪碧眼。肉付きの良い恵まれた体躯。そしてシャープで彫りの深い顔立ちは、幼い頃よりある種の貫禄すら彼に与えていた。 本来のロバートはシャイで無口、そして控えめな性格である。しかし、その表情を表に出さない体質と、生まれ持った素晴しい体つき、優れた運動神経。そしてそれらの相乗効果がもたらす誤解に依ってハイスクールに入る頃には、彼は既に括弧たるイメージを周囲に植え付けてしまっていた。 曰く、クールなタフガイ。 曰く、冷酷な男。 曰く、何だか良く判らないが、おっかない奴。 彼に『クールガイ』なる仇名が付いたのも、この頃だった。 そして実は根っからの小心者である彼は、小心者ゆえに周りから要求されるイメージに合わせる事が出来る様、必死に努力して来たのである。 元より素質はあった。でなければ、いくら努力した所で『はいそうですか』と結果が出るものではない。確かに彼は天才なのだろう。 しかし、ロバートの本当の凄さはそこでは無い。 彼の、真の恐ろしさ。それは本来持っている『超』が付く程の臆病さゆえに、身の回りの事全てを完璧にしようとする所なのだった。 そう。 『クールガイ』ロバートの最大の才能とは、実を言ってしまえば「臆病さ」なのである。 苛められたくないから、体を鍛えた。 落ちこぼれたくないから、勉学に励んだ。 国をテロリストに攻撃されたくないから、軍に入った。 事故を起こしたくないから、操縦術を極めた。 撃ち落とされたくないから、空戦術を極めた。 一時が万事この調子で生きて来た結果、気がつけば彼は栄光ある米海軍№1のパイロットにまで登り詰めていた。 臆病も、ここまで極めれば見上げたものである。 当然、そんな事に気付く余地も無いエヴァは期待を胸に抱きつつ、彼に地球が置かれている現状と、その打開策を説明し始めた。 「……と、言うわけで。世界中の英知を結集した『迎撃機』が、今急ピッチで建造されています。貴方には、そのパイロットを務めて頂きたいのです」 「迎撃機? 飛行コースの判明している隕石なら、長距離ミサイルで事足りるのでは?」 当然と言えば当然なロバートの質問に、エヴァはばつの悪そうな表情を隠そうともせず答えた。 「残念ながら、それは技術的に不可能です。目標の小惑星ヤコブセン。我々のコードネームで言う所の『ダンベル』は――」 そこまで言うと、彼女はA4サイズのタブレット型携帯端末に一枚の画像を映し出した。あまり解像度の良くない、件の小惑星の写真だった。 『ダンベル』というコードネームが表す様に、二つの巨大な岩塊が中央の細い岩を挟んで連なっている。 「先程説明した通り、周囲の電波を全て吸収、及び撹乱してしまうという、我々に取って未知の物質で出来ています。誘導電波の照射はおろか、周囲の通信機器にすら影響を与えるので通常の誘導兵器は使用できません」 「では、無誘導の核ミサイルを多数撃ち込んで破壊するというのは?」 「目標の直径は約一万五千四百m。地球上のいかなる兵器でも完全破壊は無理な上、下手に攻撃したら幾つもの岩塊に分かれて逆に取り返しの付かない結果になります。直径百m程の隕石ですら、都市一つを消し飛ばす威力があります。そんなものが何百何千も落ちてきたら、どの道人類は滅亡です。我々人類が生き残る為の唯一の手段は――」 エヴァは再び『ダンベル』の画像に視線を移すと、 「所定の宙域にてこの『ダンベル』の、二つの岩の接合部分をピンポイントで核攻撃するという一点のみ、なのです」 ダンベルに例える所の、ウェイトとウェイトを繋ぐグリップの部分を指差して、言った。 「所定の宙域、とは?」 「軌道計算の結果、ある宙域で『ダンベル』の接合点を攻撃して切り崩せば、衝撃と月の引力との作用で地球から離れるコースを取る事が判明しました。その地点以降で攻撃したら、幾らバラバラにしても全部地球に落ちてしまうし、そもそもそれ以前の超長距離で攻撃できるロケット兵器は地球上に存在しません」 エヴァから一連の説明を聞いたロバートは脳内で素早く事象のピースを組み上げ、解析した。 つまり。 かの小惑星から地球を守るには、特定の地点でピンポイントの攻撃を加えなければならない。 しかし。それを行おうにも電波誘導ができない為、迎撃機とやらで接近して目視攻撃をしなければならない。 ……待てよ。迎撃機? 「その、迎撃機とは一体? 自分が知る限り、我が合衆国はおろかどの国も未だ宇宙戦闘機の開発など成功していない筈だが」 怪訝な口調でそう語りかけるロバートに、エヴァは一瞬複雑な表情を見せた。 それは新しい玩具を見せびらかす子供の様にも見えたし、教会の懺悔室で自分の罪を告白する信徒の様にも見えた。 携帯端末に別の、今度はCGの完成予想図を映し出し、何かを振り切る様な口調で言った。 「これが、貴方に乗ってもらう迎撃機。『SDF‐1 アマテラス』です」 「……これは!?」 画像を見たロバートは表情こそ普段と変わらないものの、驚愕の声を漏らさずにはいられなかった。 複雑な思いでそれを見ていたエヴァは、ふと (ああ。さすがにこの人でも驚く事はあるのね) と、少しばかり場違いな事を考えていた。 (これが、迎撃機……だと?) 彼女の差し出したCG画像。そこに描かれていた機体は、ロバートが今まで搭乗して来たどんな機体とも異なる形をしていた。 「ミサイルの間違い、では?」 彼がそう思うのも、無理はない。 画像に描かれている機影は、巨大なブースターを四方に配置した、有り得ないサイズのロケット。いや、その全体から醸し出される禍々しさはどう見ても巨大なミサイルとしか、彼の瞳には映らなかった。 「少佐のご指摘は半分正解で、半分不正解です」 まるで開き直った様な態度で、エヴァは嬉々としてロバートに説明を始めた。 「機体中央のコンテナ筒に、かつて米軍が開発し実戦配備していた最大の核兵器『B41水素爆弾』を二発搭載。破壊力は実に五十メガトン。現在地球上で最も破壊力のある兵器です。四機のロケットモーターは、現状では世界一信頼性の高いロケットである日本のH‐3改を使用。そして、機体最上部にはロシアのソユーズ宇宙船を流用した操縦室兼脱出ポッドが装着されています。少佐にはこれに乗って『ダンベル』の接合部分に目視にて、電波障害の影響を受けないレーザー誘導装置の照準をセットした後、脱出して頂きます。その後、機は超大型核ミサイルとして目標へ飛翔。ダンベルの接合点を破壊します。これが、今計画の概要です!」 まるで『どうだ!』と言わんばかりの剣幕で要目を説明している彼女に、搾り出すような声でロバートは、この際一番聞いておきたい事を質問した。 「い、一体だれがこんな無茶な計画を?」 「…………私」 何とも言えない、重たい空気が二人の間を流れる。暫しの沈黙。 「し、仕方が無かったんです!」 やがて、良心の呵責に堪えきれなくなったエヴァは堰を切った様に話し出した。 「でたらめな計画だって事は私自身重々承知してます! でも時間が無いんです! 正味八ヶ月しか使えないんですよ!? 有り合わせの材料かき集めて無理繰り作るしか、方法無かったんです! 世界中駆けずり回って! 各国の無能な役人達に邪魔されて! 研究所に何週間も缶詰めにされて! それでも私頑張ったんです! 人類の為に!」 少女の様に顔を真っ赤にして、言い訳とも逆ギレともつかない事を口走る。 そんな彼女に圧倒されたロバートはどうしたら良いのか判らなかったので、例によって感情の面に出ない顔で、 「そうだったのか。済まない。その点については謝罪する」 と、何だか良く判らないがとりあえず謝っておく事にした。 その、彼の真摯な(風に見えた)態度に、瞬時に冷静さを取り戻したエヴァは、 (自分が危険に晒されるというのに、この人は怒るどころか謝罪の言葉すら、口にするとは……何と言う豪胆! 何と言う気高さ!) と、取り乱した自分を恥じると共に、彼に対する勘違いを更に高める。自分の耳が、有り得ない程に熱を持っている事を自覚したエヴァは、それを誤魔化すかの様に仕切り直した。 「と、とにかく。残念ながら時間的、そして技術的な制約上、現時点ではこれが人類を救える唯一の手段です。この未曾有の危機に対しての人類からの回答。全世界の技術と英知の結晶と言えるのが、この『SDF‐1 アマテラス』なのです」 そして、改めてロバートを正面から見据えると、そこで彼女は信じられない行動に出た。 「この機体を操れそうな人は、世界中で貴方しか居ないのです。どうかお願いします!」 そう言い切った彼女は、履いていたヒールを脱ぐとその場に座り込み、自分の額を床に擦り付ける様に深く深く、頭を下げたのだ。 (こ、これは話に聞く日本の!?) 遥か昔にハラキリを禁じられた日本人が、最大級の謝罪としておこなう行為と云われているジャパニーズDOGEZAを、どこで覚えてきたのかドイツ人である筈のエヴァは完璧なスタイルで行っていた。 ロバートは、相変わらず何も考えられない程混乱している。 が、それでもこんな美人にDOGEZAまでをもさせた事に何故かとてつもない罪悪感を覚えてしまったので、つい、 「……わかった。やってみよう」 と、答えてしまっていた。 宇宙英雄ロバート ツヴァイシュタインは、こうして今ここに誕生したのである。 3 迎撃準備 2032年 6月4日 沖縄 米軍嘉手納基地 東南アジア近辺に落下する事が判明している『ダンベル』を迎撃する拠点として、米軍嘉手納基地が選択されたのは当然と言えば当然の結果だった。 該当宙域に一番近い巨大軍事施設である事。そしてロケットモーターを始めとする主要パーツを作成する日本国内である事を考えると、この地以外での選択肢は事実上無かったのである。 その嘉手納基地に設けられた臨時官制施設内のシミュレーションルームで、ロバートは今日も訓練に励んでいた。 「状況開始――目標確認。レーザー誘導装置起動」 ターゲットを目視できる距離まで接近し、レーザー誘導システムを起動しロックオン。しかる後に、速やかに脱出して危険空域より離脱。 この間に使える時間は、僅か四十八秒。これ以上時間が過ぎたら、脱出しても核爆発の影響を受けて生存確率は限りなくゼロになる。 「有効射程内まで五秒。四、三、二」 『ダンベル』を照準レクチルに視認。(四・六三秒経過) 「一。目標補足――照射」 照準を『グリップ』にセットし、レーザー照射。(十・五七秒経過) 「誘導装置作動確認。機体操作を誘導装置に連動」 誘導システムの作動を確認して、以後の機体操作を誘導装置に切り替える。(十九・七七秒経過) 「連動確認――離脱用意」 機体の操縦を誘導装置に委ねた事を確認した後に、操縦室兼脱出ポッドであるソユーズを切り離し、空域を離脱。 「離脱――状況終了。タイムは?」 一連の操作を終えたロバートは、擬似操縦室の外で機器を操作しているエヴァに声を掛けた。 「所要時間は二十六秒四一。昨日のベストタイムよりコンマ六四短縮。さすがです、ロバート」 マイク越しに聞こえるエヴァの声は、恋する乙女の様に弾んでいた。彼女が設計した古代日本の神名を冠した機体を、彼は完璧と言えるレベルで操っているのである。 「了解。手順を洗練すれば、あと一秒は縮められる筈だ。もう一度頼む」 「ロバート。少し休憩を取った方が」 「続けてくれ」 彼がこうなってしまったら、もう何を言っても聞かない。その事をここ三ヵ月で嫌という程思い知らされたエヴァは、 「……判ったわ。それじゃあ、始めます。状況、レーザー誘導射程直前。速度マッハ二十五。開始」 溜め息交じりにパネルを操作して、訓練を再開した。 (それにしても凄い集中力と精神力。これが出来るから、この人はここまで登り詰める事が出来たのね) エヴァは心中でそう呟き、小さく微笑んだ。 一流は、一流を知ると云う。 彼女自身、『ロケットの父』と呼ばれた偉大なる先祖を持ち、『若き天才科学者』と持てはやされ、そしてその肩書きに押し潰されぬ様、必死に努力してきた。そんなエヴァにとって、彼の姿勢は己の生き様を肯定してくれているとすら思えたのである。 文句も泣き言も言わず、黙々と訓練を繰り返すロバートの姿を、彼女は尊敬を超えた眼差しでモニタ越しに見詰めていた。 その瞳には、明らかに『仲間意識』を超えた熱量が篭っている。 彼の事を見る度に、彼の名を思い出す度に、心の中に小さな痛みとより大きな暖かさを感じる様になっている事を、今はしっかり自覚出来ている。 そう。 どんな過酷な状況においても決して弱音を吐かず、自己を律し、確実に結果を残しているロバートに、彼女はいつしか恋心すら抱く様になっていた。 ……しかし。 勿論、ロバートは彼女の考える様に鋼の意志で訓練に望んでいる訳ではない。 彼が文句も言わず黙々と訓練する理由は、ただ一つ。 『自分が生き残る為には、自分の精度を上げるしか無い』から。 そう。彼は『地球が滅ぶ』云々以前に『死にたくないから』という、実にシンプルな想いで訓練に精を出しているのである。 天才である彼の技量を持ってしても、今回のミッションは容易な事では無かった。 最大時速は、実にマッハ二十五。その超高速で飛翔する機体を的確に操作し、四十八秒以内に照準を定め、そして離脱。 並大抵の技術で出来るものでは無い。 第二次世界大戦時、日本軍のとあるエースパイロットは空戦の難しさを、 「平均台の上を全力疾走しながら、縫い針の穴に糸を通す様なもの」 と評していたが、それを遥かに凌ぐ超高難易度だ。 だが彼は驚異的な才能と、それを支える『恐怖心』で平均タイム二十七秒という凡そ一般人では辿り着けないレベルの操作を自分の物にしていた。 こんな事は、彼以外の誰にも出来ないだろう。極めたヘタレは勇者と同じなのである。 計画当初―― 作戦の成功率六十四%、搭乗員の生存率十九・二%との試算をエヴァは出していた。 但し、それはあくまでも『平均的な技量の』パイロットを想定しての試算である。 流れる汗もそのままに、精密機器の如く操作を続けるロバートを見詰めて、エヴァは (彼ならあるいは……いいえ。絶対に戻って来てくれる筈) 作戦の成功はもとより、彼の無事を願わずには、いられなかった。 そこには彼を失いたく無いという恋情と、いかに人類の命運が掛かっているとは言え、カミカゼアタックに等しい作戦を立案した事による自責の念が複雑に絡み合っていた。 その後も作戦直前までロバートの訓練は続き、彼は最終的には平均作業時間二十五秒という驚異的なタイムを叩き出すまでになっていた。 人類最後の希望は、(本人の自覚はともかく)与えられた仕事を最大限にこなしていた。 2032年 7月8日 愛知県 三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所 「やあ。これがアマテラスですか。人類最後の希望の光、正に壮観ですねえ!」 その日、建造工事の視察に訪れた内閣総理大臣、河野太郎は開口一番そう声を上げた。まるで成功する事を確信しているが如き、陽気な態度だった。 「しかし、建造には若干の遅れが出ています。事が事だけに延期は絶対に許されません。政府には、より一層のご理解とご支援を頂きたい」 上機嫌な総理の隣で、そう棘々しい言葉を発したのは自ら陣頭指揮を執っているJAXA――宇宙航空研究開発機構の若田局長である。言外に、 (邪魔だから、とっとと帰ってくれ) という空気を隠そうともしない。 そんな彼の気持ちを知ってか知らずか、河野総理は例に拠って朗らかに言った。 「これだけ各国の最新技術を得る事が出来たら、『事後』の国際情勢にも大いに影響するでしょうねえ。我が国の発言力も、上がる事になるでしょう」 その言葉を聞いた若田局長は内心、 (これだから政治屋という連中は!) と唾を吐きたい気持ちに襲われたのだが、さすがにそこまで表情に出す様な真似はしない。未だに宇宙開発に理解を示さない無能な政治家が多い中で、彼は数少ない宇宙開発支持者の一人だったからである。 (それに、少しでも目端の利く政治屋だったら既に『事後』を見据えた行動くらいは起こしているんだろうな) そう考えた彼は、それでも技術屋としてのプライドがそうさせるのか、 「そうあって欲しいものです」 と答えるに留めた。 (……エヴァ ブラウンは、一体どんな思いでこれを設計したのだろう?) 総理に倣って機体を見上げつつ、若田はあの『ロケットの父』の血を受け継ぐ若き天才科学者に思いを馳せた。 (人類の未来の為に、世界中の英知を結集させて、か……確かに、技術者冥利に尽きるというものだが) 彼らが見上げている、未だ建造途中の『SDF‐1 アマテラス』は、確かに総理の言う通り各国が持つ技術の集大成と言える代物である。 惑星探査機『はやぶさ』の快挙を皮切りに、当時の無能政権による理不尽な事業仕分けを乗り越え、今や世界最先端レベルと言われるまでに発展した日本のロケット技術。 冷戦終了後も嫌らしく研究を続け、もはやこの分野では他の追随を許さないアメリカの核兵器技術。 宇宙開発黎明期以来数多くの無茶な運用実績に培われ、今や円熟の域に達したロシアの宇宙船運用技術。 新たな発想や斬新な着眼点、そしてシステマティックな分野では未だに世界をリードする、EUの精密制御技術。 その他、世界中のあらゆる国が。 あらゆる人種が。 あらゆる分野の技術者達が。 人類の未来の為に、国境を越えて参加していた。 軌道計算や最適迎撃地点、その他諸々の複雑な計算は大勢のインド人数学者達が引き受けた。 北欧一帯の工業国は、精密機械の取り扱いに長けた熟練技術者を多数派遣した。 オーストラリア政府は特に協力できそうな事が無かったので、とりあえず『日本の捕鯨を認める』という特別声明を発表した。 政権が変わってようやく泥沼と化したウクライナ戦争を終結させたものの、国家的に疲弊しまた国際的な信用を失ったロシアなどは痛々しい程積極的にプロジェクトに邁進していたし、『台湾紛争』以来日米とは犬猿の仲であった中国ですら、大量の人材や資材、特に各種レアメタルの提供を申し出た。 そしてその運営は、各国のあらゆる報道機関や各種団体の集めた義援金により行われた。 かつて無い存亡の危機を目前にして、ついに人類は一つになる事ができたのである。 凡そ協力しなかったのは、空気を読まない事で有名な某半島に位置する南北の歴史ねつ造国家と、こんな未曾有の事態にも関わらず、 『例えいかなる事情が有ったとしても、核兵器の使用には断固反対する』 などと声高に主張して世界中から失笑を買った、日本の旭日マークの新聞社くらいなものであった。 「できるものなら、これだけの力は純粋に宇宙開発だけに使いたいものです」 若田の零した言葉に、河野総理は相変わらずの調子で「そうですねえ」と能天気に答えていた。 4 星空のクールガイ 2032年 8月11日 米軍嘉手納基地 搭乗員控え室 「私、小さい頃から日本のコミックやアニメが大好きだったの。特にSF作品が好きで、『大人になったら絶対にガンダムを作ってやる』って考えてたわ」 「俺も、ジャパニメーションやコミックは好きだった」 「ふふ。実は『アマテラス』も、本当は好きだったコミックの主人公から取ったの。表向きは『主要国である日本の歴史と文化に敬意を表して』って事になってるけど」 「……もしかして、『光皇アマテラス』?」 「まあ! ロバートもあれを読んでいたの!? あの作者が未完のまま急逝した時はショックだったわ」 「ああ。尤も、生きていたとしても完結はしなかっただろうけど」 作戦行動時間を間近に控えた、午前二時。 打ち上げ台の隣に用意された搭乗員控え室にて、ロバートとエヴァはコーヒーを片手に談笑していた。 ロバートは、例によって無表情で。 エヴァは、必死に泣き顔を堪えている様な笑顔で。 そんな二人を遠巻きに、他のスタッフ達は見守っていた。 アマテラスは、先程エヴァ自らが陣頭指揮を執って最後の調整を終えていた。人類の未来は、もはやロバートの双肩に委ねられている。 「そうそう。ロバート、これを」 そう言ってエヴァは、一通の手紙を取り出し、彼に渡した。 「これは?」 「招待状よ。成功祝賀会の。場所は私のフラットで、参加者は貴方と私の二人だけ……」 耳まで真っ赤に染め上げて、それでも真直ぐに彼の瞳を見詰めて手紙を差し出すエヴァ。ロバートは例によって内心真っ白になりながらも、どうにか 「判った」 と言葉を搾り出し、手紙を受け取った。 「これはお守りにしよう。この程度なら搭載重量にも問題は無いだろう」 恐らくは彼が言える最大の軽口を呟き、胸のポケットに納める。 次の瞬間、インターホンより呼び出しのコールが掛かった。 『少佐、お時間です』 「……では、行ってくる」 ロバートは一言発すると立ち上がり、傍らのヘルメットを手に取った。 プレハブの控え室から出て目の前に聳える巨大な発射台、その上に鎮座しているアマテラスを見上げる。その姿を見て、周りから無数のフラッシュが焚かれた。夜間にも関わらず、百台単位の様々なカメラが彼を捕らえている。世界中のマスメディアが『人類最後の希望』を報道しようと詰め寄せていた。 ロバートは勿論その光景を見て面食らっていたのだが、例によって例の如く無表情を貫いている。そのクールな外観は世界中の視聴者に大きな期待と希望を与えているのだが、当然本人はそんな事に気付いてはいない。 「ロバート!」 何となく間が保てなくてぼんやりと周囲を見回していたその時、不意に背後から呼び止める声。言うまでも無い。エヴァだ。 「?」 彼が振り返った瞬間。いつの間にか背後まで詰め寄っていたエヴァが、彼の頬に両手を回して情熱的なキスを交わしてきた。 周囲のフラッシュがことさら数を増し、辺りを昼間の様に映し出す。 (な! ここここれは一体!?) 驚愕の声を出そうとした彼の口は、エヴァの唇で塞がれていた。 やがて、名残惜しそうに唇を離した彼女は、相変わらずの表情で自分を見詰めるロバートに向かい、拗ねた様な口調で言った。 「……こんな時までクールなのね」 午前二時四五分。 世界中が固唾を飲んで見守る中。ついに予定時刻が到来した。 操縦席に収まったロバートは、まるでマシーンの様に正確な動きで素早く各種計器をチェック。彼にしてみれば、自分が機体の一部になりきる事で現実の様々な恐怖を忘れようとしている訳だが、結果的に自らを最高潮の状態に仕上げていた。何とも都合の良い男である。 「こちら管制室。ロバート、発射準備よろしくて?」 先程までの『女』の表情を消し去り、『技術者』の声になったエヴァが語り掛ける。 「問題無い」 「何度も言いますが、『ダンベル』による電波障害の影響で、ヴァン・アレン帯突破後の通信、及びレーダー追尾は出来なくなります。地上からの管制ができない以上、貴方の判断に委ねるより方法はありません……人類を、よろしくお願いします」 「……最善を尽くす」 「生きて帰って来て。ロバート」 必死に涙を堪えているのが、スピーカー越しにもありありと感じられる。ロバートはただ一言、 「了解」 と答えた。 「……システム、オールグリーン。アマテラス、リフトオフまで三十秒」 敢て感情を排した機械的な発声で、エヴァはカウントダウンを開始。 ロバートは、毎回出撃前にはどうしても抑えきれない手の震えを必死に押さえながら、彼女の声を聞いている。 「十秒前。ロケットモーター、点火」 足元から鈍く重たい音が響き、機体が武者震いの如く震え出す。その振動はあたかも彼の震えが機体に伝わったかの様だった。 「三、二、一。リフトオフ」 次の瞬間。 メインノズルから膨大な噴煙と炎、そして轟音を排出して、人類最後の希望であるアマテラスは重力に対する反抗を開始した。 四機のH3改ロケットに搭載されたLE9Aエンジンが、合計一万二千KNの推力で猛然と機体を押し上げる。 実に九Gにも及ぶ負荷がロバートを襲う。常人であれば即座に意識を失う過酷な状況の中、それでも彼は歯を食い縛りながら計器を睨んでいた。高度計が有り得ない速度で数字を叩き出し、彼を秒速数キロという単位の速度で地上から引き離す。 ゆるやかに横転しながら、光の矢と化したアマテラスは漆黒の空を切り裂いて飛翔する。瞬く間に高度は八万メートルを超え、大気圏を突破した。 その後も機体は順調に飛行し、予定通りの行程でヴァン・アレン帯を突破。 「……ロバー……現在……不能、これより……」 地上からの交信が、やはり予定通りに断たれた。ここから先は、何が起きようとロバート一人で解決しなければならない。 (だだだ大丈夫。おお落ち着けロバート。訓練の通りにやれば、ぜぜ絶対に生きて帰れる) 流石は希代のヘタレ、ロバート・ツヴァイシュタインである。事ここに至って尚、彼は『地球の為』では無く、『自分が助かる事』を念頭に考えていた。 腕の震えをどうにか堪え、操縦桿を握る。 (何度握っても、ロシアの操縦桿はしっくり来ないな) 各国の最新技術を寄せ集めて作られたアマテラス。その脱出ポッド兼操縦室はロシアのソユーズ宇宙船を流用している為、自ずと操縦系統もロシア製となっていた。 (だが、大丈夫。あれだけ訓練を積んだのだ。大丈夫に決まっている) ロバートが、そう自分に喝を入れていたその時、鋭いアラーム音が響いた。光学センサーが『ダンベル』を補足したのである。 「よよよ良し。いくぞ!」 ロバートは恐怖心を振り払う様に叫ぶと、今まで何百、何千繰り返したか判らない手順で作業を開始した。 「も、目標確認。レーザー照準装置、起動」 CGでは無い、リアルな光学映像の『ダンベル』が彼を待ち受ける。 「有効射程内まで五秒。四、三、二、一。目標補足――照射」 ロバートは、今まで培った技術全てを動員して作業に臨んでいた。ここまでのタイムは二十三秒〇二と、訓練時を大きく上回る数字を叩き出している。 しかし。 「連動確認――離脱用意……離脱!」 最後の作業である、脱出装置を作動させるレバーを引いた、次の瞬間。 「……あれ?」 脱出装置の系統を示すパネルの、電灯が全て消えていた。 恐らくは、発射時の振動でどこかが破損してしまったのだろう。 「ど、どどどどどどうしよう!?」 誰も居ない事もあり、ロバートはかつて無い程情けない声を張り上げていた。もっとも、この姿こそが本来の彼の姿なのだが。 しかし。彼がうろたえている間にも、機体はマッハ二十五で目標に向かっている。 「動け! 動け! 動け!」 泣きそうな声でロバートは、何度もレバーを引く。当然、配電の切れている脱出装置が反応する筈も無く、時間だけが無情に過ぎて行く。 カウンターに視線を送る。リミットの四十八秒まで、あと十秒を切っていた。 「まもなく予定時間です」 傍らのオペレーターが、携帯端末を睨みながらエヴァに語りかけた。 「ええ」 施設の屋上から、ロバートが飛び立って行った星空を見上げてエヴァは短く答える。 『ダンベル』のもたらす電波障害の為、もはや全く意味を無くした管制室を飛び出して、皆は一様に夜空を見上げていた。 「推定着弾時刻まで十、九、八……」 (ロバート、お願い。帰って来て) 刺す様な瞳で、彼の居る星空を見詰めるエヴァ。彼女は、彼が迎撃に失敗するとは微塵も考えてはいない。ただ、彼の生還だけを願っていた。 「五、四、三……」 「ロバート、お願い! ロバート!」 スタッフの誰かが神の名を叫び、その言葉が大きく周囲に広がって行く中。彼女は一人、彼の名を叫んでいた」 「二、一。インパクト、ナウ」 オペレーターの、この場に似合わない冷静な一言が過ぎ去った次の瞬間。 まるで新たな太陽が生まれたかの如く、夜空に眩い核融合の光が生じた。閃光が一瞬、エヴァ達の視界を奪う。 アマテラスはその名前が示す通りに、夜明け前の星空を煌々と照らした。 皆が呆然と空を見上げていたその時。 「光学観測班より連絡……分断された『ダンベル』は、共に突入軌道を外れた模様! ああ、神様!」 通信員が喜色満面の表情で叫ぶ。周囲は瞬時にして歓声に包まれた。 肩を抱き合い、人類の勝利を声高に叫ぶ者。 涙を流しながら神に祈りを捧げている者。 呆けた顔で黙って空を見上げている者。 密かに用意しておいたシャンパンを盛大に振り撒いている者。 歓喜のるつぼと化した中、しかしエヴァは一人焦燥を隠せずに居た。 「ロバートは、脱出艇の確認は!?」 通信員に、まるで掴み掛らんばかりの剣幕で問い詰める。 慌てて観測班に問い掛けた彼の返した言葉は、しかし彼女の望むものでは無かった。 「現段階では、確認は不可能との事です。光学追尾は核爆発の閃光により不可能となり、レーダー追尾は未だ『ダンベル』の影響下に有り、やはり不可能、だそうです」 さらに間の悪い事に。 核爆発により発生した、粒子状になった『ダンベル』の欠片が地球表面を被い、数日の間あらゆる電波を使用不能に追い込んだのである。 当然、世界中は大混乱となり、もはやロバートの捜索どころでは無くなっていた。 (後に、この粒子を元にロシアのミノフスキーという若い科学者が画期的な発明をして世界を驚愕させる事になるのだが、それはまた別の話である) 世界を救った宇宙英雄、ロバート・ツヴァイシュタイン。 その行方は、遥として知れなかった。 公式の記録では、彼の扱いは、 『作戦行動中、行方不明』 とされているのだが、実質生存は絶望視されていた。 混乱から回復した人類はあらためて彼の事を悼み、世界中で追憶行事が行われた。 エピローグ 2032年10月14日 ドイツ ペーネミュンデ 「ふう……」 膨大な残務をようやく終わらせて、数ヶ月ぶりに自分のフラットへ帰宅したエヴァ。しかし彼女は休む間もあればこそ、疲労をものともせずに部屋中を徹底的に清掃し始めた。 一通りを終えるとシャワーを浴びて普段はろくにしないメイクを入念に施し、やはり滅多に着ない他所行きのドレスを身に纏う。全ての準備を終える頃には、既に夜の帳が下りていた。 バルコニーに置かれたテーブルにグラスを二つ並べ、ワインセラーより取り出したラ・ターシュを注ぐ。 「一緒に飲みましょうって、言ったのに」 一つのワイングラスをフォトフレームの隣に置いて、エヴァはもう一つのグラスを手に取った。 表示されている画面には、例に拠って無愛想な表情の、彼の姿。 「うそつき……『判った』って、言ったのに」 エヴァは写真に向かって、非難する様な甘える様な、不思議な口振りで語り掛ける。 「うそつき。何が、宇宙英雄よ……約束も、守れない、くせ……に」 全世界の未来を守った英雄、ロバート・ツヴァイシュタイン。 しかし。そんな彼も、エヴァのささやかな幸せだけは守る事ができなかった。 「うそ……つ……き……」 溢れる涙を零すまいと、上を向いて夜空を眺める。 頭上にはロバートが守った星空が輝いていた。 同時刻 ニューギニア ソロモン諸島のとある島。 ――ツヴァイシュタイン大佐の物語『星空のクールガイ』ハリウッドで実写映画化!―― ――早くも『史上最大収益』の声―― ――トム・クルーズ米大統領、本人役で出演―― 今朝届いた二週間遅れの新聞。その一面に記された記事を絶望的な眼差しで彼は眺めていた。 「……ふう」 大きな溜め息を吐いて、立ち上がる。壁に掛けておいた銛を片手に高床式の住居を出て、目の前に広がる砂浜へと足を向けた。 燦々と輝く太陽が彼の金色の体毛を照らし、その無精髭すらも美しく輝かせる。健康的に焼けたマッチョバディと相まって、その姿はもはや神が作り上げた芸術品と言える様相であった。 現に。 砂浜で遊んでいた子供達は彼の姿を目にするや否や、手に持っていた果実や貝、得体の知れないぬめぬめした海の生き物などを笑顔で彼に渡し、何だか良く判らない現地の言葉でお祈りを捧げている。 未だに自分の待遇に慣れていない彼は、 「あ……ありがとう?」 と、多分伝わらないであろう感謝の言葉を、例によって表情の出ない顔で発していた。 この、現地で何故か神様扱いされている男。もちろん、我らが宇宙英雄ロバート・ツヴァイシュタインその人である。 作戦成功を目前にして、生還の望みを絶たれた、あの時―― 「……駄目か」 全てを諦めて目を閉じる。彼の脳裏に今までの思い出が、まるで昨日の出来事の様に広がっていった。 (嗚呼。これが日本のコミックに良く出てくるソウマトウか……) エヴァとの出会いを始め―― 海軍に入隊した時の事。 ハイスクールの頃の事。 もっと、もっと、幼かった頃の事。 記憶の奥底。最後に彼が思い出したのは、彼がまだ幼稚園にも入らない頃。大好きだった曽祖父、コンラッドの膝の上で、昔の戦争の話を聞いていた事だった。 『ロシアの機械ってのは、そりゃあ大雑把に作られていてなあ。動かなくなった戦車なんか、電装盤をこう、斜め四十五度からチョップすると普通に動き始めたりするんだ』 WW2をドイツ陸軍の整備兵として戦い抜いた彼は、いつもそう言ってロシアの兵器をバカにしていたのだった。 「そうか!」 唐突に曽祖父の言葉を思い出したロバートは、渾身の力を以て脱出装置の配置された電装盤にカラテチョップを放った。 次の瞬間。まるで安っぽいコントの様に、パネルに明かりが点る。 「コンラッドおじいちゃん! ありがとう!」 ロバートは再びレバーを引いた。 脊髄に響く衝撃と共に、脱出艇であるソユーズはアマテラスより分離し、回避機動を取る。 タイマーに表示された数字は、四十八秒ジャストだった。 アマテラスから奇跡的な脱出を果たした彼は、その後も何かと言う事を聞かないソユーズをどうにか宥めつつ大気圏に突入。しかしその一連の動作は、『ダンベル』破壊時の閃光と電波障害の為、地上の管制官が確認する事は出来なかったのである。 当初の予定より大幅にずれてソロモン諸島に降り立ったロバートを待ち受けていたのは、その名も無き島に住み着いていた小さな部族だった。 空を覆ったまばゆい閃光の直後に降り立った彼を、どうやら『神の使い』か何かと思ったらしい。以降、ロバートはこの地で中途半端に奉られながら暮らしていた。 もちろん、こんな辺ぴな島にも文明の波は押し寄せている。月に一度行商にやって来るニューギニア本島の商人に頼めば、然るべき所に送ってもらう事も可能なのだろうが、彼はそれをしようとは思わなかった。 否。思えなかった。 自らの命を投げ出して地球を救った(と言う事になっているらしい)英雄。悲劇のヒーロー、ツヴァイシュタイン大佐。何気に二階級特進していた。 気が付けば、今や彼の名前は世界中で知らぬ者を探す方が難しい位に(彼の周りにはいっぱい居るのだが)広まっているではないか。 彼が世界を救った日は『ロバート・ツヴァイシュタイン記念日』として、世界的祝日になる事が既に決まっているらしい。 そして世界各国で彼の肖像を使用した記念硬貨や記念切手が発行され、彼が飛び立った日本のカデナ周辺では「ツヴァイシュタイン饅頭」や、「小惑星を破壊してきました」なるお土産菓子までも販売されているという。 更には先程新聞で読んだ、ハリウッドでの映画化。 こんなにも、世界中が彼の死を悼んでいる状況で。 (今さら、のこのこと出て行ける訳無いじゃないか……) と、元来の小心っぷりを遺憾無く発揮させて、彼はそう考えていた。 「……だが、彼女にだけは連絡を取らなければいけないだろうな。このままでは、俺もさすがに心苦しい」 胸ポケットから彼女の手紙を取り出し、じっと見詰める。 いくら恋愛と無縁の生活を送って来たロバートとは言え、エヴァがこの手紙をくれた真意を彼は何となく理解できていた。 「でも……ママ以外の女性に手紙を書いた事なんて、一度も無いし……一体、なんて書けば良いんだろう……」 手紙をポケットにしまったロバートは、波打ち際から銛を片手に、再び海を見渡した。 一本線を引いた様な水平線が美しい。遥か遠くに、まるでコットンキャンディの様な積乱雲が雄大な姿を見せている。 しかし。 「やはり、書き出しは『親愛なるエヴァ・ブラウンへ』で良いだろうか? いやいや、変に馴れ馴れしい文章を書いてもしも彼女に嫌われてしまったら、俺は……俺は……」 眼前に広がるその絶景も目に入らぬ程に、真剣な表情で未だに決まらない冒頭を必死に考えるロバート。 そんな彼を、彼が守った青空はまるで抱きしめるように優しく包み込んでいた。 了 |
いさお 2022年12月25日 18時37分10秒 公開 ■この作品の著作権は いさお さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2023年01月18日 20時21分01秒 | |||
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Re: | 2023年01月18日 19時30分03秒 | |||
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