その暗殺者は鳩を嫌う

Rev.03 枚数: 27 枚( 10,660 文字)

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 ※ハードではないですが、暴力描写があります。ご注意ください。


 ■

 少女は絶望した。床に散らばる破片を見つめ、手遅れだと悟り、顔を覆う。
「ああ、神よ……」
 ご主人様の大切にしていた壺を壊してしまったのだ。棚の掃除中だった。背後から声を掛けられ、驚き、振り返った拍子に壺を落してしまった。
「おれは悪くねえ」
 庭師は言った。ご主人様に雇われたばかりの、でっぷりとした体形の男だ。ハンカチで額の汗を拭い、視線を彷徨わせている。
 彼が焦る気持ちは少女にも理解できた。以前、屋敷内のものを盗んだ使用人がいた。彼女は手首を切り落とされた。誤ってご主人様の情報を外部に漏らした秘書は、舌を抜かれている。
「お、お前がミスして割ったんだ! おれは声を掛けただけだ! そうだろ!」
 距離を詰められ、少女は恐怖に震えた。
 庭師は改めて辺りを見回した。誰にも見られてないことを確認してから、部屋を飛び出していく。
 数分後、銃声が聞こえた。
 ――ああ、神よ。
 少女は首にさげている緑の石のペンダントを握りしめた。今は亡き父に貰ったものだ。
 ご主人様が室内に入ってくる。スーツを着こなした三十代後半くらいの男性だ。金髪のオールバックで、清潔感のある装いをしている。床を見つめてから、冷めた視線を少女に向けた。
 ご主人様は優しいお方だ。母親に奴隷として売られた自分を、人身売買業者から、いくらかの金を払い、引き取ってくれた。ご主人様は神からの遣いだと、少女は本気で信じていた。だから、きっと許してくれるだろうと、希望的観測に縋りつく。
「もうしわけございませんでした!」
 ご主人様は右手を上げた。謝るな、と命じる。
「わざとではないんだろ」
「は、はい……」
「ほかの使用人が状況を見ていたそうだ。私に話してくれたよ。庭師は私を見て逃げ出したので足を撃った。まだ床に転がっているだろうな」
 ご主人様が近づいてくる。目の前で立ち止まると、少女の顎に手をやり、持ち上げた。
 見つめ合う形になる。
「美しい顔をしているな」
「あ、ありがとうございます……」
「そういえば君は、よく神に祈っているね」
 ご主人様は笑みを浮かべた。
「その壺――いや、壺だったものは、二万ドルで購入した。奴隷の君を購入したときより高い額だ。壺には、君より価値があったということだな」
「す、すみませんでした……」
「謝るなと言っただろ」
 眉を顰める。不快にさせてしまったらしい。
 ご主人様は、少女から離れると、テーブルの方に足を運んだ。置かれていたナイフを手に取る。
「仮に神がいるとするなら、これから私のおこなう悪行を、きっと止めるはずだ。止めないということは、神が不在であるということ。そうだな?」
「ご、ご主人様……」
「安心しろ。殺しはしない。綺麗なものに少し傷をつけるだけだ」
 ああ、神よ……。
 少女はペンダントを握りしめた。

 ■

「俺を殺したら国の損失になるぞ! わかってるのか!」
 政治家の男が唾を飛ばして言う。銃口を向けられると、人は皆等しく、焦りの色を浮かべる。目の前の男も例外ではないらしい。
 マルボは黙って男を見つめ続けた。彼の横では女が横たわっている。さきほどマルボが撃ち殺した彼の愛人だ。ここは彼女の借りているアパートの一室だった。趣味のいいインテリアで彩られている。
 彼は共和党の政治家で、穏健派として国民からそれなりに支持されていた。しかし、家族には恨まれていたようだ。家庭を持ちながら、外に何人もの愛人を抱え、家に帰ると、妻や子供を躾と称して、殴りつけていたらしい。国民がそのことを知ったらどう思うだろうか。マルボは一瞬、考える。
 知ったことではないな――。肩を竦めた。
「誰の差し金だがわからんが脅しには屈しないぞ。もちろん金も払わん」
 さきほどから訊いてもいないことをペラペラと喋る。マルボは時計を見た。依頼主である妻から、十分間は殺さずにいてほしいと頼まれている。その十分間に、家族への謝罪があったら、それを報告する約束だ。
 時間が経過した。
「おい、さっきからなぜ黙っている。いい加減、なにか喋ったらどうなんだ。おい、訊いて――」
 引き金を引いた。男の頭に穴があいた。サイレンサーをつけているので音は抑えられている。
 マルボは部屋を出て廊下を進み、エレベーターのボタンを押した。老婆が近くの部屋から出てくる。マルボに近づき、「ん? あんた、見たことがある気がするねえ」と言う。
「気のせいだろ」
「いや、やっぱり見たことある気がするよ。どこだったかな?」
「平凡な顔をしているから、既視感があっても不思議ではない」
「そうさねえ……」
 頭を悩ませているらしい。マルボは素知らぬ顔で立ち続けた。
「そうだ、知ってるかい?」
 老婆はほくそ笑んだ。あっさりと話を変え、馴れ馴れしく言う。
「あっちの部屋に有名な政治家の先生がよく遊びに来るんだよ。変装しているようだけど、わたしの目は誤魔化せない。こう見えて、二十年前までは探偵をしていたからね。政治家、弁護士、公務員、警察、花屋、ギャング、パパラッチ――どういう職種か、直感と推理で、わかっちまうんだ」
 ほう、と唸る。
「なら、俺はどういう職種に見えてるんだ?」
「そうさね――。わかった、小学校の先生だろ」
 マルボは肩を竦めた。
「名推理だな」
 二人でエレベーターに乗り、一階に降りる。建物の外で別れた。歩道を進んでいくと、左手側に公園を見つけた。たくさんの鳩が、原っぱの上を歩いている。何羽かは、こちらに顔を向けていた。嫌悪感を覚える。
 昔から鳩が嫌いだった。自由や幸せの象徴のような扱いを受けているからかもしれない。マルボに自由や幸せはなかった。物心ついた頃から、ボスの下で働き、十三歳で初めて人殺しをするよう命じられた。十代のうちに二十三人もの人間を殺している。殺人の回数をカウントする習慣は十代で途絶えているので、現在に至るまでに、何人の人間に手を掛けたのか、具体的な数字は出せなかった。
 政治家の愛人を殺した時のことが思い出される。彼女はターゲットに含まれていなかった。帰ってくるのが想定より三時間早かったのだ。だから死んでもらった。
 目撃者は殺せ――。マルボが長年、闇社会で生きてこれたのは、そういう業界の常識を守ってきたからだ。情けを掛けていたら、とっくに死んでいただろう。
 仕事から足を洗いたい。ふと、そう考えることが増えてきている。別に自由になったところで、したいことは何一つなかった。ただ、単調な殺しの仕事に飽き飽きとしているのだろう。
 とはいえ、マルボがどう考えようと、仕事は続けるほかなかった。辞めると言ったら、ボスを怒らせることになるからだ。ボスの下から去ろうとした者で、生き残れた者は一人もいない。皆、豚の餌になっている。例外はなかった。ボスは冷酷で、「昔よしみ」「親友」という言葉を嫌っている。子供のころからの友人だろうが、身内だろうが、殺すときはあっさりと殺す。闇社会で最も恐れられている人物らしいエピソードだった。
「絶対に、ボスだけは怒らせるなよ。絶対だぞ」
 会計の男が言っていたことを思い出す。彼はボスの話を三度遮り、結果として豚の餌になった。この世に絶対はないと言うが、それは嘘だとマルボは思う。ボスを怒らせないこと。それは、自分にとって絶対に守らなければならいルールだった。
 鳩から視線を逸らす。マルボは帰路についた。

 ■

「ちょっと、なんで音楽止めるんですか。嫌がらせはやめてください」
 ダンスが眉尻を上げ、再生ボタンを押す。再び車内に音楽が流れた。
「アニソンはやはり素晴らしいですね」
 ギターやドラムの音に身をゆだねるようにしながら言う。
「心が洗われます。この曲が、クライマックスに流れた時はテンションが上がりましたよ。大変にクールな演出でしたね。兄である主人公が、妹の裸体を守るため、シスターコンプレックスを抱えた四天王相手に、たった一人で戦いを挑む、あの感涙シーン! 痺れましたよマジで……。ああ、脳内にシーンが流れて――」
 マルボは音楽を止めた。
「あっ! いま良いところだったのに!」
 ダンスは目を剥いた。上半身を突き出してくる。大きな胸が強調され、マルボは鬱陶しく思った。
「運転中は音楽を聴かない主義なんだ」
「嘘をつかないでください! この間、一緒に仕事をした時は変なバンドの曲を流していたじゃないですか!」
「変じゃない。あれはロックだ。偉大な音楽だよ」
「ロックですか。そういえば、いまロックを題材にしたアニメにはまっているんですよ。キャラクターが皆可愛くて魅力的、そのうえ演出がよくて、夢中で見ています。もちろん演奏もいいですよ。私の推しは、ベースの子です」
「次に何か喋ったら殺す」
 ダンスは、しらっとした目をマルボに向けた。
「マルボさんってちょっと中二病入ってますよね。言い方をわざとぶっきらぼうにして、クールな俺かっけー、みたいな演出してません? ちょっと痛いです。あ、あと、一切笑いませんよね。無表情なキャラってしんどくないですか?」
 ダンスは肩を竦め、それから「あっ」と目を見開いた。マルボの方に顔を突き出す。
「そんな中二病を抜け出せないマルボさんにお勧めのアニメがあったんです! すっかり忘れてました。トランクにBlu-rayボックスを積んできてあるんですが、仕事終わり、私の部屋で鑑賞会しませんか?」
 マルボはハンドルを切りながら言った。
「そうだな、それはいい。嬉しくて涙が出そうだ」
 ダンスは「決まりですね!」と笑みを浮かべる。皮肉という概念を知らないのだろう。
 マルボは再生ボタンを押した。音楽が流れる。音量を最大にした。異国の曲なので、何を言っているのか、さっぱりわからなかったが、ダンスの話を聞いているよりは遥かにマシだった。ダンスが体を揺らしている。マルボも音楽に集中した。
 目指しているのは二ューメキシコ州の田舎だ。ギャングのボスを殺すのが今回の任務だった。依頼主は敵対しているギャングだと聞いている。詳細は知らないが、できるだけ早く片をつけてほしいとのことだ。タイムリミットが設定されている。
 助手席の女を見る。
 金髪でスリムな体型をしていた。顔の造形は整っている。学生時代にチアリーディング部に所属、女王として学園に君臨していそうな見た目だ。
 しかし実際のところは、重度のアニメオタクのサイコパス。フリーで殺し屋のみをターゲットとする殺し屋をしていたところを、ボスが口説き落として仲間にした。
 なぜ殺し屋専門の殺ししかしてこなかったのかと、初対面の時に訊いた。すると、ダンスは笑って答えた。
「その方が面白いからですよ。やはり強い敵と戦うイズムは貫きたいと思いましてね。日本の漫画雑誌に、キックというものがあるのですが――こっちでいうマーベラスですね。ナルオ、ブリークを見て、『私も彼らのように強い敵と戦いたい』と思ったんです」
 この業界は狭い。同業者を狙う殺し屋は、当然ながら危険視され、排除の対象となる。ダンスは凄腕から命を狙われていたはずだ。しかし、誰も彼女を始末することはできなかった。それだけ腕が立ったということだ。ボスが仲間にしたくなる気持ちもわかる。
 とはいえ、だ――。マルボは舌打ちした。いくら腕が立つとはいえ、この女は狂っている。殺し屋だからこそ、殺し屋の厄介さはわかっていたはずだ。にも関わらず、自ら危険な道を選択している。一緒に仕事をするのは危険だった。さらにいえば、マルボはお喋りな奴が嫌いだ。長時間、この女の相手をするくらいなら、苦手な鳩に全身をついばまれる方がましに思えた。

 ■

 ウィラー・ギャング団のアジトが見える。マルボは双眼鏡を使い、観察を始めた。広い敷地の中央に白塗りの建物がある。門の前には手下を一人立たせていた。監視カメラは二つ。裏口にもおそらく設置されているだろう。マルボは、頭の中でさまざまなシミュレートを行った。
 ある程度の方針を固めてから、車を降りる。後部座席に置かれた鞄を引っ張り出した。地面に置いて広げる。銃、弾薬、刃物。準備は整っている。
 ギャングのボスであるウィラーは疑い深く、グレーなものが許せない性格らしい。疑わしき者には死を、ということをよく口走っているそうだ。サディストとしても有名で、周囲の人間のちょっとしたミスを責め立て、拷問して、楽しんでいるという。典型的なサイコパスだった。
「資料を読みましたが、ウィラーは、少し精神を病んでいるようですね」
 ダンスが言う。後部座席に積み込んでいた枕を抱きしめていた。よく見ると、黒髪で目の大きい少女が描かれている。
「なんだそれは」
「あ、これですか」
 よくぞ聞いてくれた、という顔で口を開く。
「日本の秋葉原で購入した抱き枕です。このカバー、とても可愛いでしょう? 寝る時、仕事を始める前、必ず抱きしめることにしているんです。最近では彼女と二人でデートに出かけるようになりました。昨日もレストランでディナーを楽しみましたよ。二人で自撮り写真を撮りましたが、見たいですか?」
「やめておく」
 精神を病んでいるのはウィラーだけではないらしい。
「このキャラクターは、有名なSFアニメのヒロインなんです。彼女は元殺し屋でしたが、男の子に恋をして、殺し屋家業から足を洗ったんです。でも、男の子が目の前で殺されてしまい、彼女はタイムマシンで何度も過去に戻り、男の子を助けようとして――というのが基本プロットですね」
 マルボは武器から視線を上げた。ダンスを見つめる。
「そいつは足を洗えたのか」
「え?」
「殺し屋の女だ」
「ああ……」
 ダンスは目を細めた。マルボから距離を置く。
「えと、私が言っているのはアニメの話ですよ。現実ではありませんからね。マルボさん、大丈夫ですか……?」
 不審者を見るような目を向けられた。マルボは眉を顰めた。
「言われなくてもわかってる」
「ヒロインは足を洗いました。でも、洗いきれていなかったんです。殺し屋仲間が男の子を殺しにやってきていた、というのが真相です。でも、安心してください。最後はハッピーエンドで、ちゃんと殺し屋を完全引退しますから」
 嬉々としてネタバレする。SNSで嫌われるタイプだ。
 現実はアニメのように甘くなく、そう単純にはいかない。マルボが同じことをすれば、あっさり豚の餌になるだろう。
「仕事を嫌だと思ったことはないか?」
 ダンスは小首を傾げた。
「さきほどから質問が多いですね。私は特に不満はありませんよ。天職だと思ってますからね。きっと神様は、私に人殺しの才能をあたえてくれたんでしょう。感謝ですね」
「神を信じているのか」
「教会に週一で通ってますよ。敬虔なカトリックの家に生まれたので」
「俺は五年前、神父を殺したぞ」
 お、とダンスが目を光らせる。
「奇遇ですね。わたしも三カ月前、司教を殺ってますよ。階級的には、わたしの方が上ですね」
 胸を張って言う。彼女の宗教観に疑問を抱いたが、訊かなかったことにしてマルボは話を続けた。
「別に俺は、神を信じていないわけじゃない。いるかもしれないとは思っている」
「へえ、意外ですね。神様なんているもんか、ファッキュー、ってキャラかと思ってました」
「ただ、仮に神がいたとしてだ。神は、最低のくそったれだと思っている。なぜそう思うかの理由はいろいろあるが、まず第一に、俺達の存在がその証明になっている。俺達みたいな存在を生み出している時点で、神の性格がいいはずがない。相当に性格が悪いだろうな。貧困、戦争、差別を取り上げる必要なんてないくらい明らかだ。そうは思わないか?」
 ダンスは、抱き枕を後部座席にしまっているところだった。皺を伸ばしている。
「あ、すみません。退屈なので聞き流していました。もう一度お願いします」
「……仕事をしよう」
 二人で計画を立てる。シンプルなものとなった。ダンスが最初に暴れ、敵をかき乱して、マルボがウィラーを始末するという流れだ。大雑把すぎて作戦とは言えないかもしれない。しかし綿密な計画を立てるには、時間が足りな過ぎたのだ。タイムリミットのある仕事の面倒なところだった。

 ■
 
 ダンスが見張りの首をナイフで裂いた。鮮血が舞う。殺すまでに要した時間は三秒。素早い動きだった。唸らされる。やはり敵にしたくはない女だとマルボは思った。
 アジトの扉が開かれ、銃を構えた男たちが現れた。動きが早い。ダンスが逃げ出す。男達の一部が彼女を追った。
 残ったのは三人だ。
 マルボは草むらから一人を射殺した。残った二人がこちらに銃口を向ける。しかし、それより早くマルボは引き金を引いた。全員が倒れる。三つの死体をまたぎ、内部に足を踏み入れた。広い庭があり、その中央には三階建ての白塗りの建物がそびえている。使用人らしき女がこちらを見ていたので、すぐさま撃ち殺した。
 マルボは足を進めた。大きな柱の陰から男が出てくる。殴りかかってきたので、それを交わして、カウンターを喰らわせた。男が床に崩れ落ちる。頭を撃った。
 装填する。何万回と繰り返してきた動きなので、数秒で済む。
 緊張はなかった。ニューメキシコの乾いた風と熱気のせいで汗ばむ感覚はあるが、体調は良好だ。
 敷地内から出てきた人間を、ダンスが外で片っ端から殺す手筈となっている。あとは追い込むだけだった。
 幼い顔の使用人がキッチンに隠れていたので、銃を突きつけ、ウィラーの居場所を訊いた。二階の廊下突き当りにいるという。殺さないでくれと懇願されたが、頭を撃ち、その場を離れた。
 容赦はできなかった。油断すると殺される世界だからだ。そもそも、目撃者を生かしておくというのは、プロにあるまじき行為だと教わっている。出会った人間は、すべて殺すつもりだった。
 二階に上がると、死角から銃撃された。足をかすめる。音のした方に銃口を向け、二発撃ち込んだ。男が倒れる。
 大した傷ではないことを確認してから廊下を進む。突き当りの扉は施錠されていた。蹴り破る。
 ウィラーがこちらに顔を向けた。
 全開の窓の近くにデスクと椅子があり、ゆったりと腰掛けている。
 高そうなスーツを着ていた。歳は三十後半くらいか。写真で見た顔と一緒だ。
「待っていたよ」
 ウィラーは言った。落ち着いた声音だった。自分が死ぬ運命にあるとは、微塵も思っていないのだろう。この程度の窮地は何度も経験していると言いたげな表情だった。
 銃口を向けられ、まったく焦りの色を浮かべない人間は初めてだった。
「君はボスに雇われてる殺し屋だろ。知ってるよ。彼とは昔からの仲なんだ」
 ウィラーは遠い目をして言った。口元に笑みが浮かんでいる。
「親友と言っていいな。だから、これは何かの間違いだ。いま、君のところのボスに電話をかけようとしていたところだ。ま、君もそこの椅子に腰がけ」
 引き金を引く。ウィラーは机の上に頭を打ち付け、動かなくなった。机の上に血だまりができる。
 マルボは銃を下ろした。何の波乱もなかった。冷めた気持ちになる。予想通りの退屈な仕事だった。
 踵を返そうとしたところで、がた、と物音がした。横を見ると、本棚がゆっくりと動き出すところだった。隠し扉になっていたらしい。
 少女が姿を現す。やせ細っていた。少女は小首を傾げながら「ご主人様?」と問いかけた。黒い目を、ウィラーの死体に向ける。
 マルボは溜息をついた。なぜ隠れていなかったのか。自ら死地に赴いたようなものだ。
 少女に銃口を向ける。
「ご、ご主人様……? ご主人様!」
 すでに死んでいるが、認めたくないのだろう。少女は何度も呼びかけた。緑色の石のペンダントを握りしめている。
「ああ、神よ……」
 そんな呟きを漏らした。
 ――仮に神がいたとしてだ。神は、最低のくそったれだと思っている。
 さきほどの言葉が思い出された。マルボの本心だった。
 引き金に掛けた指に力を込める。
 次の瞬間、マルボの想定していなかったことが次々と発生した。
 窓から何かが飛び込んできたのだ。攻撃か、と身構え、目を凝らす。
 鳩だった。
 開かれた窓から鳩が入ってきたのだ。翼を広げ、部屋の中を、ばたばたと飛び回る。マルボは銃口を鳩に向け、それから口の中で「くそったれ」と呟いた。鳩ごときに何を動揺しているのか。自分に言い聞かせ、改めて少女に銃口を向ける。
 少女は、鳩が部屋中で鳴らしている音に対して、せわしなく首を動かしていた。
 再び指に力を込める。そこでふと、マルボは違和感を覚えた。そこで気づく。
 はっ、と大きく口を開けた。こんなことがあるのか、と感銘を受けた。腹の底から、なぜか熱いものがこみ上げてくる。
 しかし、果たしてこれは、どうするのが正解なのか。遭遇したことのない事態だった。
 考え、マルボは結論を下した。

 ■

 邸宅内にある映像データをすべて破壊してから車に戻った。ダンスは助手席に座り、小さな電子端末で電子書籍を読んでいた。こちらに顔を向けず、口だけを動かす。
「随分遅かったですね」
「思いのほか手間取ったんだ」
 ターゲット殺害の成否については訊いてこなかった。失敗は想定していないだろう。
 マルボは言った。
「さっきの話だが――神は性格が悪いと俺は言ったな」
「え? ああ……。そういえば、言ってた気がしますね」
 ダンスは素っ気なく言う。ブロンドの髪の毛の尖端を弄っていた。
「少し意見を加えることにした。神は性格が悪い。そして、気まぐれだ」
「はぁ……」
 ぴんと来ていないのか、しらけた顔をする。
 マルボは少女を撃たなかった。困惑の表情を浮かべる少女に対して、「神に感謝するんだな」と声を掛け、部屋を後にした。
 撃ち殺さなかったのは、少女の目が見えていないことに気づいたからだった。
 違和感に気づけたのは、鳩のおかげだ。鳩は部屋の中を動き回った。しかし、少女は鳩を目で追えていなかった。音のした方に顔を向け、ひたすら怯えていたのだ。銃を向けられているのに、こちらに視線を向けることは一度もなかった。明らかに不自然だったので、もっと早く気づくべきだった。
 少女は義眼だったのだろう。どういう経緯で義眼になったのかはわからない。事故か、誰かに目を抉られたか。不幸があったことは間違いない。だが、その不幸が、彼女を生き永らえさせたのだ。
 鳩が来なければ、少女が義眼でなければ、マルボが義眼に気づいていなければ、少女は死んでいただろう。
 マルボはシートベルトを締め、エンジンキーを回した。
「警察が来るからそろそろ出るぞ」
「え? 通報されていたんですか?」
 ダンスが端末をバッグに入れながら訊いてくる。
「俺が呼んだんだ」
「は……? なにしてるんですか? 意味がわからないんですけど……」
「わからなくていい」
 車を発進させる。
 荒野の一本道を進んだ。ダンスが日本のアニメソングを流す。サビ部分で、日本語から英語に切り替わるところがあった。初めて歌詞を聞き取ることができた。
「変化を恐れるな、立ち向かえ、か」
 口に出してみる。陳腐な歌詞だった。だが、不思議と耳に馴染んだ。頭の中で歌詞をリピートさせる。
 変化は危険の兆候だとボスが言っていたことを思い出す。確かにそれはその通りだと思った。二十年、現場を経験して痛感したことだ。変化を見逃して命を落とした同業者を、何人も知っている。だが一方で、変化のない殺しに飽き飽きしている自分がいた。だから、今日の変化に何か、特別なものを感じているのかもしれない。
 そういえば、銃口を向けた相手を殺さなかったのは、生まれて初めてだったか。
 ダンスがこちらを見て、ぎょっとした顔をする。
「ど、どうしたんですか? 大丈夫です?」
「動揺しすぎだろ」
「だ、だって、マルボさんが笑うところ、レアすぎて……。たぶん、同僚に言っても信じてもらえませんよ。あの、写真撮らせてもらっていいですか?」
「撮ったら殺す」
 マルボは口角を釣り上げたまま言った。
「そういえば、お前は今の仕事に満足できていると言ったな」
「え、ええ……。言いましたけど」
「漫画みたいに強い敵とは戦えているのか?」
 ダンスはむすっとした。腕を組み、唇を尖らせる。窓の外に目を向けながら言った。
「ま、正直、歯ごたえはないですよね。今日も一瞬で片が付いちゃいました。私が強すぎるのがいけないんでしょうね。私くらい手ごわい人は、そうそういないでしょうからね」
「お前に匹敵する強い敵を俺は知ってるぞ」
 ダンスは、マルボの方に目を向けた。身を乗り出す。
「誰ですそれ?」
「近い」
「教えてください」
「うちのボスだ」
 ダンスは身を引き、背もたれに体をあずけた。腕を伸ばして音楽を止める。前を向き、頬を強張らせていた。聴かなかったことにするつもりらしい。
 マルボは続けた。
「ボスと敵対すれば、たくさんの人間を一斉に敵に回せる」
「それはそうですが……」
 ダンスは頬をぴくつかせながら言った。
「さっきから変ですよ、変過ぎます。らしくありません。ボスを敵に回すということは、闇社会そのものを敵に回すということです。そのことは、古株のマルボさんなら重々わかっていると思いますけど」
「ああ、わかってる」
 マルボは切り出した。
「ダンス、俺と手を組み、ボスを殺さないか」 
 沈黙が落ちる。
 ダンスは眉を顰めた。心底、馬鹿を見るような目をこちらに向け、口の端を歪める。
「マルボさんってもう少し、頭のいい人だと思ってました。イカレ野郎だったんですね」
「褒めてるのか?」
「もちろんです」
 ダンスは満面の笑みを浮かべた。目をぎらつかせ、ダッシュボードを殴りつける。
「もちろん、乗ってやりますよ。あはは、考えてみれば、それが一番たぎりますね! あはは! やったろうじゃないですか! あはは! あはは!」
 狂ったように笑う。子供のようなダンスのはしゃぎぶりを見て、マルボも笑った。
 無謀な挑戦は失敗に終わるだろう。二人共、明日には豚の餌になっているのがオチだ。しかし、神様が性格の悪さを存分に発揮して、気まぐれを起こすかもしれない。すべては運次第だ。どちらにしろ、退屈で苦痛な人生から、ようやく自分は解放される。
 視界の端で、鳩の集団が羽ばたいていくところを捉えた。青い空の、奥へ奥へと進んでいく。やがて鳩たちはマルボの視界から消失した。




円藤飛鳥

2022年12月25日 16時20分29秒 公開
■この作品の著作権は 円藤飛鳥 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:神は性格が悪い
◆作者コメント:中二病といったら「殺し屋」でしょう! たぶん中学生男子を経験した人なら、誰もが一度は、憧れを抱く職種だと思います。たぶん。僕は虫さえ殺せないので絶対になれませんけどね!

よろしくお願いします。

2023年01月15日 19時05分18秒
作者レス
2023年01月09日 19時58分44秒
+20点
2023年01月05日 04時56分25秒
+20点
2023年01月01日 09時36分04秒
+10点
2022年12月29日 19時33分51秒
+20点
2022年12月28日 13時22分27秒
+10点
合計 5人 80点

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