中二病の間に! |
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今日はクリスマス・イヴ。いつもはサービス残業が当たり前の職場も、今夜ばかりは皆こぞって定時退社だ。 誰も彼も、これからの予定に向けて頭を切り替えている。ある者は家族のもとへ帰り、またある者は恋人の待つ場所へ。期待に満ちた顔で退社していく人々を見る度に、自分がシングルかつフリーであることを後悔したくなる。 一人、また一人と同僚が減っていく中で、俺は僅かな逡巡を覚えながらもノートパソコンを閉じた。せっかくの機会だ、定時退社の波に乗って俺も早く帰ろうか。誰もいない自宅で寝るまでの自由時間が、自分へのクリスマスプレゼントということにして。 そうして俺がやってきたのは、繁華街の片隅にあるショットバー。雑居ビルの地下に設けられた、テーブル席二つとカウンター席しかない小さな店だ。自慢じゃないが、俺はここの常連客。今の会社に新卒で就職して間もない頃にふらりと一人で入り、それ以来通い詰めてもう七年になる。今やマスターとは顔なじみの仲だ。 「おや、久しぶりですね」 「ええ。最近はちょっと忙しくて。ご無沙汰してました」 髪を整髪料で綺麗に撫でつけた初老のマスターが、温かい笑顔で迎えてくれた。半年ぶりの来店だったが、顔を覚えてくれていたのは嬉しい。 「席、空いてますよ」 言われてカウンターに目を移す。 入口から見て一番奥の席、ここが俺の特等席だ。といっても、初めて来店した時にたまたま空いていた席に座ったのが、なんとなく定着してしまっただけなのだが。 席につくと、体のこわばりが解けていく気がした。やはりここは安らぐ場所。他人とのしがらみから解放されるには、一人で過ごせる場所が必要なのだと改めて実感した。 「ご注文は」 「いつものやつでお願いします」 マスターとのやりとりはこれだけ。目の前にスコッチウイスキーのロックとドライフルーツを置いてくれる。あとはこちらから切り出さない限り、マスターから関わってくることはない。 正直、ありがたいと思う。 人間、生きていると一人になりたい時間がある。ここのマスターはそれを解っているから、絶妙な距離感を保ってくれる。愚痴を言えば聞き役に徹してくれるし、物思いに耽りたい時はそっとしておいてくれる。日頃から人付き合いを苦手としている人間にとって、マスターはありがたい存在だった。 ……いや何も、俺は孤独を愛しているわけじゃない。人並みに、人肌の温もりが欲しくなる時もある。 結局は独りでいることを選んでしまうくせに、心の片隅では人恋しいと思っている。自分がこうした矛盾を抱えるようになったのは、きっと思春期の頃に『痛い勘違い』をしたからだろう。 孤独ではない、孤高なのだ――そんな風に強がっていたのは、中学二年生の頃。 当時、俺は自分が周りとは違う、特別な存在だと思っていた。 俗に言う〈中二病〉というやつだ。さすがにネットでしばしばネタにされるような、片目に眼帯をするとか、左腕に包帯を巻いたりとかはしなかったけども、自分には秘められた力があり、いつか必ず覚醒するものだと信じていた。 俺は特別だ、お前たちのような凡人とは違う、だから馴れ合いは必要ないのだ―― こうして、教室で一人ぼっちの中二男子が出来あがったのだった。 価値観を共有してくれる友達はいなかった。俺は俺で、自分を曲げてまで同級生と親しくするのが何となく恥ずかしかった。 だから昼休みは眠くもないのに机に突っ伏して寝たふりをしてみたり、一人教室を抜け出して校内をうろついたりもした。いつか自分にも、小説や漫画で見るような転機が訪れるに違いないと言い聞かせながら。 寂しくなかった、と言えば嘘になる。 楽しそうに友達と話す生徒達を見る度、ああ自分は何をやっているのだろう、もしかしたら自分もあちら側に行けたかもしれなかったのに……などと思った。 でも、引き返すことはできなかった。 今までの自分を変えることが、敗北になるような気がしたからだ。 高校に進学しても、大学へ行っても、そして社会人になっても。染み付いた生き方からはなかなか抜け出せなかった。結局、俺は中二病をこじらせたまま、この歳になってしまった。 時の経過は残酷なもので、俺は自分が凡人に過ぎないことを思い知らされ、その割には人の輪に溶け込めないという最悪の状態に陥った。 社会人となった今では、仕事上のことでは社交的に振る舞えるが、内心ではストレスを抱えている。そして相手が離れた途端、ほっと胸をなでおろすのだ。 こんなアラサー男子に恋人ができるはずもなく、温かい家庭を持つなんて夢のまた夢。こうして一人で席につき、酒を飲みながら物思いに耽るのがささやかな楽しみだ。 自分は特別な存在じゃない。小説や漫画で見るような異性との出会いもない。これが現実なのだとようやく理解した。 からん、とグラスの氷が鳴った。 我に返った俺は、自分の黒歴史を呑み込むようにして酒を流し込む。喉が熱くなり、ピートのスモーキーな香りが口から鼻へ抜けていく。 少し量が多かった。そうと分かるなり、激しくむせる。目に涙が浮かび、鼻水も垂れてきた。まったく、俺は何をやっているんだろう。格好悪いったらありゃしない。 その時、目の前に布を差し出された。マスターの気遣いだと思って手に取り、お礼もそこそこに顔を拭う。 ようやく咳が収まり、布を差し出してくれた相手に視線を移した。 途端、俺は固まる。 若い女が、微笑を浮かべていたのだった。 「あっ……すっ、すみません」 差し出されたのは花柄のハンカチだった。手触りのいい質感からして、安物ではないだろう。 「いいのよ。それより、もう大丈夫?」 「ええ……まぁ」 「そう、よかったわ。隣、いい?」 「えっ⁉」 「……あら、お邪魔かしら?」 女は上目遣いになる。ブラウンに染めた長い髪と胸が大きく開いた服、腕に掛けた毛皮のコートとブランドもののバッグからして、水商売でもしていそうな雰囲気だ。男馴れしているらしく、誘うような表情には有無を言わせない魅力がある。 こうした人種には苦手意識があったものの、ハンカチを汚してしまった手前、無下に断ることもできない。仕方なく、俺は女の申し出を受け入れることにしたのだった。 「ありがとう。嬉しいわ」 女が座ると、仄かにバラの香りがした。 「お詫びに、何か奢ります」 「あら、いいのよそんなの」 「いえ、それじゃあこちらの気が収まりませんから」 借りを作ったままにしたくない、というのが本音だ。 「お金なら心配しないで下さい。今日は少し、懐に余裕がありますので」 と言って、俺はジャケットの左胸をポンポン叩く。今年は年末のボーナスを貰えたので、内ポケットの財布には少なくない額が入っている。 「そう? じゃあ一杯だけ。あなたと同じものを」 女は花のような笑みを浮かべる。派手な身なりからは予想もできない、百合の淑やかさを持った笑顔だった。 女はレイナと名乗った。彼女は人をおだてるのが上手く、こちらから情報を引き出す話術が巧みだ。酒の勢いもあったろうが、いつの間にか俺は自分の事をべらべらと喋らされてしまっていた。それでも悪い気がしないのは、彼女が聞き上手なのと、とびきりの美貌の持ち主だからだろう。 初めは派手な水商売女だと思っていたが、ちょっとした仕草にたおやかさがあり、下品な感じがしない。言葉選びも適切で、話していても不快にならなかった。何より、こちらの言うことをよく肯定してくれる。自己肯定感を高めてくれる相手には、自然と好意が芽生えるものだ。 「そう、部署の事務をあなた一人で? 大変だったでしょう」 「そうなんですよ。会社の連中ときたら、俺が文句を言わないのをいいことに、どんどん仕事を振ってくるんです」 「まあ!」 「でもね、仕方ないんです。職場で一番仕事が早いの、俺ですから。実際、誰よりも先に終わらせましたし」 「優秀なのね」 「いえ、それほどでもありませんよ」 と言って、俺は男っぷりを見せつける為にグラスをあおる。これでもう三杯目だ。体が火照ってきて、頭がぼんやりする。 「素敵。あなたって、今の会社に必要とされてるんでしょうね」 「うーん、どうなんでしょう」 と口では言うものの、内心では喜色満面だ。かつてこれほどまでに、俺の自尊心をくすぐってくれる女がいただろうか。 「あなたはきっと特別な人。他の人より優れた能力を持ってるのよ」 レイナがキラキラした瞳で俺を見る。尊敬の眼差しというやつだろうか。俺の話を疑いもしない彼女に、少し罪悪感を覚えた。 ――『特別な人』、か。 いや、違うんだ、俺は。 「どうしたの?」 レイナが俺の変化に気付いたらしい。心配そうな目を向けられて、これまでの自分を反省したくなった。 「……すみません。話、盛りました。実は俺、全然大したことないんです」 自分は凡人だ。他人より秀でた能力なんて何もない。自分は特別なんだという幻想に踊らされて、そこから抜け出せなくなった憐れな中二病患者でしかない。 「幻滅したでしょう? 相手の気を引きたくて、嘘の話をする男なんて」 後悔が押し寄せてくる。いい気になって、ありもしないことまで喋ってしまった。 きっとレイナは俺を軽蔑するだろう。楽しい時間はこれで終わりだ。夜は零時を回り、シンデレラの魔法が解けたのと同じように、寂しい独身男の孤独な時間が再開される。 しかしうなだれる俺に、彼女は予想外のことを口にした。 「いいえ、どうってことないわ。むしろやっと本当の貴方を見せてくれたわね」 まさに聖母の微笑みだった。 「人間誰しも、『自分は特別なんだ』って思いたくなる時があるものよ。私だってそう」 「誰でも、ですか」 「ええ。私の場合は十四歳の頃。というか、大抵の人はこの頃にそんな時期を迎えるんじゃないかしら」 十四歳といえば――中学二年生の頃だ。俺が中二病を発症した歳。 「この年頃になるとね、自分と周りの差異を強く意識するようになるの。で、平均化された人々の群れに自分が居ることに耐えられなくなるわけ」 つまり、凡人であることを忌み嫌い、自分は特別だという幻想を作り出す。 「けどね、それって悪いことじゃないの」 「そうなんですか?」 黒歴史ばかりの自分には、悪いことのようにしか思えない。 「そうよ。だって『自分は特別だ』って思い込むことは、それだけ『自分が好きだ』ってことだもの」 すとん、と胸の中で何かが落ちた。 要するにこういうことだ。 中二病は、自己愛の現れ。自分で自分を愛しているからこそ、自分は特別なのだと思いたくなる。 「だからね、あなたは自分で自分が好きだった頃を忘れちゃいけないと思う。今の自分をどうか嫌いにならないで」 ぐうの音も出なかった。まさか今日出会ったばかりの女に、人生の指針を示されるとは思わなかった。 「私はね、今の自分が好き。だから笑っていられるの」 屈託のない笑み。きっと本心なんだろう。 「でね、今は『誰よりも特別な人』じゃなくて『誰かにとって特別な人』になりたいの」 レイナの顔が近付いた。 頬が紅潮している。 艷やかな唇から漏れる甘い吐息。 「やっと見つけたわ。あなたのこと、ずっと待ってたの」 心臓が高鳴った。 拍動の音がうるさいぐらいに。 「それってどういう」 続きは言えなかった。 レイナが唇を重ねてきたからだ。 スツールに座ったまま上半身を俺に近付け、両手で胸元をまさぐるようにする。彼女の手で体を撫でられる度に、くすぐったさとゾクゾクするような快感が体内を駆け抜ける。 周りが静寂に包まれ、カチ、カチという時計の秒針が動く音だけが聞こえるようになった――気がした。 時間にして僅かなものだろうに、俺には永遠に続くものに感じられた。 これはもしや、小説や漫画でいう『特別な出会い』ってやつなのか? さえない主人公を、何故か美女が好きになって、キスやらアレやらコレやらをしてしまうといったような。 だとしたら俺は、この物語の主人公? そしてレイナはヒロインだ。二人が紡ぐ物語は、これからどう展開していくのか。そう考えたら気持ちが高揚してきた。 俺の妄想を余所に、彼女が唇を離して言った。 「あはっ、私達チューしちゃった」 小悪魔的に言うレイナに、俺は硬直して何も返せない。 「今晩は楽しかったわ。ありがとう」 くるりと身を翻し、彼女は出口に向かう。さっきのような大胆さからは予想もできない、少女のような振る舞いだった。 「あのっ……これ、洗って返します」 借りたハンカチを掲げて見せた。正直に言えば、今晩限りというのは惜しい。ハンカチはまた会う約束を取りつける為の口実だ。 「いいわ。あなたにあげる」 そう言われて少し凹んだけれど、彼女は期待を裏切らなかった。 「また縁があれば会いましょ」 「はいっ!」 もうすっかり、俺はレイナの虜だった。 「それじゃあバイバイ。素敵なプレゼントをありがとう。そんな貴方にメリークリスマス!」 彼女はバーから出ていった。 興奮が冷めるまでに、それから一時間はかかった。客は一人また一人と減っていき、俺が最後に残った。 さて、そろそろ帰るか。今晩はいい夢を見られそうだ。 「マスター。チェックお願いします」 「かしこまりました」 マスターが丁寧にお辞儀する。頭を下げたいのはこちらのほうだ。マスターの店に来たおかげで、素敵な体験ができたのだから。 目の前にステンレス製の皿が置かれた。ここに代金を載せるのが支払いのやり方だ。 マスターから言われた金額を出そうと、ジャケットの内ポケットに手を入れる。 …………おや? 「どうかされましたか?」 マスターは怪訝顔だ。 いっぽう俺は顔面蒼白。 「財布が、無いんです!」 これは一体どういうことだ。このバーに来た時には確かにあったはず。何処かで落としたなんて有り得ない。 だったら誰かに盗まれた? そんな馬鹿な。俺はジャケットを脱いでいない。財布を出して何処かに置いた覚えもない。だったらポケットから直接―― 「あっ⁉」 心当たりがあった。 レイナだ。 彼女は財布が内ポケットに入っていることを知っていた。俺がジャケットの左胸を叩いて教えたから。 なら、盗んだタイミングは。 キスの瞬間に違いない。 唇を奪った隙に手を内ポケットに入れて、財布を抜き取った。 何ことだ。彼女はスリだったのか! あんな僅かな間に財布を盗むとは、何たる早業だ! 秒針が二つ動く間に! キスをした、たった二秒の間に! 「ははっ……はははははっ!」 そうか。 そういうことか。 笑わずにはいられない。 俺はレイナにしてやられたのだ。 『ちゅー・にびょう』の間に! [終] |
庵(いおり) 2022年12月25日 08時11分33秒 公開 ■この作品の著作権は 庵(いおり) さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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