とわにうつろう |
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第一幕 とわなる虚無よりうかぶ 「たしか、本名はアーテル・コーガルト伯爵」 名前を呼ばれたのをきっかけに、彼の意識は久々に浮上した。 若干の間違いを訂正したかったが、その言葉が空気を振るわせることは無い。 だから、鎧の戦士は彼の意志には全く気付かず、仲間に向かってコメントする。 「“死の大嵐“ってあだ名と比べると、ずいぶん可愛らしい本名だな。髑髏の見た目にも合ってねぇ」 声が出ないのもむべなるかな。戦士の言う通り、彼は今や埃にまみれた古い頭蓋骨であった。 下顎骨は辛うじて残ってはいるが、舌も喉も肺も無くては物語ることなど出来ようはずもない。 戸惑う彼を気にも留めず、車座に座った男女は仲間内で話を続ける。 「よく知ってたねー、ノイン」 そう言って頭をなでるのは、大柄な女性。戦士とは対照的な軽装で、丈夫そうな服の上から要所要所を革鎧で守っている。武闘家か盗賊のたぐいであろう。 なでられた方は対照的に小柄な女性だった。首に巻いたマフラーに顎をうずめ、ちょっと照れたように答える。 「教会には『アファナシウスによる書簡』って退魔法の教科書があって、それに載ってるんです」 教会と口にするだけあって、このノインが僧侶なのは間違いあるまい。胸当てに刻まれた八芒星は裁きの神の聖印だ。鮮やかな金髪と幼い顔つきのせいで若く見えるが、僧侶としてはそれなりの地位にあるようだ。 「で、あの髑髏が本当に“死の大嵐”本人なのか? 国を半分ぶっ壊した大吸血鬼がなんでこんなダンジョンにいるんだよ」 戦士が彼を指して問う。その疑問に、羊皮紙に何か書きつけていた男が顔を上げた。ローブと肩に担いだ杖からして、魔術師。 戦士、武闘家、僧侶、魔術師の四人組となると、それなりにバランスはとれている。 「ここにいること自体はおかしくないと思いますけどね。当時の王城なんだし」 言われてみてば、確かに。 (ひどく荒れているが、東棟二階の書庫管理人室か) 在りし日に我が物顔で使い倒したお気に入りの場所の一つだ。かつては本がギチギチに詰まっていた棚は空になっているし、彼自身が乗っている机には分厚く埃が積もってしまっているが。 「頭だけになってるのは?」 「断頭台で首をはねられたらしいですよ。まあ、そもそも“死の大嵐”の頭蓋骨だって確定してるわけじゃないんです。アンデッドである事は感知魔術で確認済みらしいですが」 魔術師はそう言って視線を僧侶に向ける。僧侶が小首をかしげると、魔術師はゆっくりと首を左右に振った。 ジェスチャーだけで通じ合う二人に嫉妬したのか、武闘家は僧侶を抱き寄せる。 「潰しとかなくていいのかなぁ」 「何故かこの部屋にだけ他のモンスターが入ってこないのは、あの頭に気圧されてるからだって話もあるので」 ちょうどいい休憩場所が無くなっても困るでしょ、と魔術師が諭す。 「ノインはどう思う?」 「うーん……教会的には不死者は排除なんですけど」 抱き寄せられて斜めになったまま、僧侶は唇に人差し指を当てて、少し考えた。 「……優先順位はあるかなと。襲ってこないなら、亡霊王討伐が終わってから改めて浄化すればいいと思います」 「では、未来の大神官様の仰せの通りに」 戦士がわざとらしい仕草で両手を合わせ、僧侶を拝む。 「またもぉ!」 頬を膨らませてからかいに抗議する僧侶、小さく笑う魔術師。 武闘家は軽く僧侶の頬をつついてから、彼女を放して立ち上がった。 戦士も鎖帷子を鳴らしながら立ち上がり、壁に立てかけていた大剣を担ぐ。 どうやら、休憩時間は終わりのようだ。 (さてはて随分様変わりしたようだが) 冒険者らの足音が遠ざかるのを確認し、彼は改めて室内を確認した。 視線を巡らせはするが、見える範囲はさほど広くない。髑髏一つになって机の上に置かれた状態では、首を回して後ろを見ることすら…… (よっ、っと) 出来た。魔力で少し髑髏を浮かせて回すだけのことだ。髑髏の表面に積もった埃が、遠心力で舞い散る。 もっとも、後ろを振り向いてみたところでかつての王城の姿が戻ってくるわけでは無い。あるのはやはり、廃墟の眺めだけだ。 (数十年、あるいは百年以上か?) 誰もこの城に居なくなってから――彼がそうしてから。 (“死の大嵐”か……) どうやら彼の事を指すらしいあだ名。 まるで間違っている、とは言えない。少なくとも『死』の方には心当たりがある。 不死者となって王城の者たちを殺した。 作り上げた不死者に隊伍を組ませ、王都を死の都に変えた。 吸血鬼らを従え、昼を夜に変えて進軍し、主君の仇を討った。 そんなことをしても、失われたものは何も戻っては来なかったが。 妹、友、自らの夢と命、そして全てを捧げたかった王子。 そこまで考えて、ふと気づく。 (あの冒険者ら、亡霊王討伐に来たと言っていたか) まさか王子の事ではあるまい。 王子は彼のようにはならなかった。それはほぼ間違いない。 (だが、『ほぼ』だ。俺が活動を止めてから不死者として目覚めたかもしれぬ。不敬なことだが、どこかの死霊術師があの方を不死者にしたかもしれぬ) 懸念しているのか、渇望しているのか。肯定の推測を続ける彼を、否定的な彼が諫める。 (そんな可能性がどれだけある? 俺は見たはずだ。当たり前に死んでいたあの方の首を) それを思い出しかけ、止める。虚ろなはずの髑髏の奥に、まだ煮えたままの憎悪の塊を見つけたから。 憎悪が少し冷めるまで待ち、彼は肯否の思考を統合した。 (可能性は万が一より低く、仮にそうであったとしても、もはや何の意味もない) 否定そのものである結論を出し、彼は考えることを止めた。 彼の意識がまた永遠なる虚無へと落ちかけた時、扉が開く音がした。 第二幕 うつろうものの哀れなるかな 彼は反射的に扉に向き直り、机の上に着地する。 開ききらない扉の隙間、転がり込んだのは金髪の少女。先ほどの冒険者一行の僧侶であった。 床に倒れ込みながら、僧侶は足で扉を蹴る。 僧侶らしからぬ行儀の悪さに、扉は抗議の軋みを上げる。 それでも一応閉まった扉を、僧侶はしばらく睨み続ける。 見れば、さきほど部屋を出て行った時の姿からずいぶん様変わりしている。 結い上げていた髪は解けて乱れ、左側だけ妙に短い。その代わり、というわけでもあるまいが、赤黒い汚れは左側の方がやや多めについている。 (本人の血ではなさそうだな) 頭部からあれだけ出血しては、とても動いていられまい。では誰の血かと言えば、4人組だったのが1人だけになっているのがその答えであろう。 そして、血は頭部だけではない。僧侶の左の肩は爪でえぐられ、背には数本の矢が刺さっている。 「公正なる……神よ」 荒れた息を整えながら、僧侶はまだ幼さを残した声で祈り始める。 「貴方の下僕の傷を癒して、くださいま、すよう」 不死者の住まう廃城の一室でも、途切れ途切れの聖句でも、癒しの魔法は効果を発揮する。 生み出された淡い光が僧侶の身体に吸い込まれると、肩の肉が盛り上がり、白い皮膚がそれを覆う。 背に刺さっていた矢も、押し出されて床に落ちた。 (ゴブリンの矢だな、あれは) 矢の作り全体はゴブリンの体格に合わせて小ぶりだが、矢尻だけは人が使う物より大きい。そして、その矢尻には稲妻を模したような溝が刻まれている。毒をたっぷり塗り込めるための溝だ。 僧侶の方も、矢を拾い上げてそれに気づいたらしい。慌てて腰のポーチをひっくり返すが、毒消しは見つからないようだ。 転がった雑貨を片付けもせず、僧侶は壁を背に座り込んだ。 マフラーに顎をうずめようとし、そのマフラーも血に汚れていることに気づいたらしい。 わずかな逡巡の後、僧侶は結局顎をうずめる。 (解毒の魔法も使えぬほど消耗しきったか) どんな毒が矢に塗られていたかは分からないが、もうじきこの僧侶が死ぬだろうことは彼にも分かった。 だが、僧侶の眼は諦めていない。顔を上げはせずとも、きちんと焦点のあった眼で部屋の中を見回している。 そのとび色の眼が彼の頭蓋骨を捕らえた。 「アーテル・コーガルト伯爵様」 かすれた呼びかけ。 身体があったころなら、まだ息をしていた頃なら、大きくため息をついただろう。 それだけの間をおいて、彼は魔力で風を鳴らして答えを紡ぐ。 「何のご用だ、神官殿」 「え、嘘ッ」 マフラーから顔を上げる僧侶。慌てて居住まいを正しつつ、言い訳を口にする。 「埃が無くなってるから、動いたのは分かってたんですけど、返事してもらえるとは思わなかったので」 「騎士に叙任されている以上、聖職者からの呼びかけを無視は出来ぬ。ただ、コーガルト伯爵ではなくコーガルト魔法伯だと訂正させていただく」 「何が違うんです?」 魔法伯は能力ある魔法使いを要職につけるための一代称号。家の格としては数段低いため、同格扱いすると世襲の伯爵家の者たちは露骨にへそを曲げる……のだが今更説明しても意味のある情報ではない。 それを気にした貴族らはとっくの昔に死んでいる。 「それより用件を聞こう、神官殿。そなたに残された時間、長くはあるまい」 「コーガルト魔法伯、私の血を吸い、貴方の眷属に加えていただけないでしょうか」 いくつもの間違いを含んだ願いに、どう答えたものか少し迷う。 ふと思い出したのは、まだ少年だったころに聞いた歌だった。 「『永遠は地獄。うつろいこそ救い』とぞいう」 後を続けようとしたところで、止める。僧侶が声もなく笑っていたからだ。 何も面白い事を言ったつもりはないのだが。 「失礼。吸血鬼に、聖典を引いて説教されるとは思わなかったので」 「聖典? 色街の戯れ歌だぞ」 「へ?」 今度は、僧侶が困惑する番だった。 「……『アファナシウスによる書簡』の序言にある名文句ですよね。不死者となって永遠を生きようとする者は自ら地獄に入る。神の定められた通りに限りある命を全うすることで魂が救われるのだ、と」 「男に振られて泣く美女に、遊び人がいつまでも去った男を思っていても辛いだけだから私と楽しく過ごしましょうと口説く歌だぞ。そもそも『アファナシウスによる書簡』など聞いたこともない」 「そんな。二百年以上も冒険に出る僧侶の必修書として……あ、そうか。ちょうど“死の大嵐”事件の頃に書かれてるんだ」 「えらく生臭な坊主が書いたらしいな、その書簡は」 「イメージ狂うなぁ」 そうつぶやいて咳き込む僧侶。 マフラーに赤い染みが増えたのを見て、彼は話を戻すことにした。 「大方、神官殿は吸血鬼となって仲間の仇を取りたいとでもいうのだろう。愚かな話だ。その書簡の言う通り、『神の定められた通りに限りある命を全うすることで魂が救われるのだ』。人として死ねば、神の御前で仲間との再会も叶おう」 「本当に、司教様のようですね。ですが、前提が間違っています」 苦笑しながら、僧侶はマフラーを解く。 「我が友は神の御前に行くでしょう。でも、私は行きません。実のところ、正規の神官ではありませんので」 あらわになった細く白い首。それを一回りするように黒い鎖の刺青があった。 二百年意味が変わっていないとすれば、それは奴隷を意味する印だ。 第三幕 うつつはつたなき喜劇のごとく 「理解した。それをしまわれよ、神官殿」 「私にはそう呼ばれる資格が無いのです。ノインと呼んでください」 僧侶ノインはマフラーを巻きなおすと、身の上話を始めた。 彼女はこの旧ルピノス王城付近の村で生まれたそうだ。王城近辺が不死者の巣窟になっていることもあり、経済状況は劣悪。不作の年に、娘を売りに出す羽目に陥った。 人買いの手を経て、彼女を買ったのはある街の司教であった。 これはさほどおかしなことではない。ある程度以上の地位のある者の間では、こうした子供を買い上げて成人までの間下働きなどさせるのが美徳とされている。 「だから、その司教が複数の人買いと付き合いがあっても、誰もおかしいとは思わなかったんですね。司教も、外面には気を使って、無料で神聖魔法での治療を施したりしてましたし。ご存じですか? 神聖魔法の力量と」 「信仰心は比例しない。決定的に神に背いていない限りは、な」 教団は隠したがるが、神聖魔法も魔法の一種。どれだけ上手く扱えるかは、どれだけ神を信じ善行を積んでいるかではなく、魔法使いとしての素質や技術研鑽による。要は、神聖魔法の達人である司教が、高徳の善人であるとは限らない。 「司教は複数の人買いから子供を買い、そのほとんどを『消費』していました。私はたまたま『消費』されずに長生きした一部です。司教の好みよりは育ちすぎていたそうで」 『消費』とはいささか持って回った言い方だが、おおよその見当はついた。 彼自身も、かつて友と協力して子供を『消費』していた貴族を倒したことがある。おおよそ方向性は同じであろうし、細部まで知りたいとは思わない。 「見様見真似で神聖魔法まで使えるようになった私に、司教は子供たちを『消費』するまでの管理までやらせてたんですよ。おかげで私は証拠をあつめて、冒険者に依頼できたんですけどね」 ノインは咳き込むために言葉を一度切る。 マフラーを汚すことを避けたため、床に赤い染みが出来た。 「司教亡き後、教団からは神聖魔法が使えるからと、神官としての身分も頂きました。でも最終的には裏切ったとはいえ、司教の手助けをしていたことは事実。心から神を信じる気にもなれません」 「それで、冒険者か」 「そういうことです。みんなはこんな私を仲間に迎え入れてくれました。このマフラーも、刺青を消せるまで隠していなさいってプレゼントしてくれたんです。私がドジをして死にかけた時も、命がけで助けに来てくれました」 ノインのとび色の瞳が再び彼を穿つ。うつろな眼窩の奥の、まだ完全には消えていないものを見つめている。 「そんな彼らがあんな風に殺されたら、仇を討たないと死ぬに死ねません。どうせ、神の御前で彼らの魂と再会することも叶いませんし」 「愚かな選択だ」 「あなたも賢く生きたりなんてしなかったくせに」 その通りだ。仇を討ちたくて不死者になる事を選んだわけでは無いが、不死者になった時に仇を討つ以外の何も思い浮かばなかった。 「だが、俺はそもそも吸血鬼ではないから血を吸うことなど出来ぬぞ」 「嘘っ! 王子を手籠めにして断頭台で処刑された“死の大嵐”は、よみがえった後に無数の吸血鬼を使役して王都を蹂躙し、」 ノインがそこで言葉を切ったので、彼は冷静に間違いを正しておく。 「…………王子はその生涯において誰からも不本意に性的関係を結ばされることはなかった、いいね?」 「あっ、ハイ」 さらに顔色が悪くなるノイン。そろそろ限界かと考え、彼は話を戻す。 「吸血鬼らと互いに利用し合ったことは事実だが、その一員ではない。ゆえに、お前の血を吸って眷属にするようなことは出来ぬ」 ここで終わっても良かった。最初はそのつもりであった。 (いったい、この小娘の何が琴線に触れたのか) 自身を冷笑しながら、彼は提案をする。 「だが、ノイン。俺が不死者へと転化した同じ魔術をお前に使ってやることはできる。苦しみ抜いて死ぬことになるが、覚悟はあるか」 マフラーに顎をうずめるように、しかしはっきりと、ノインはうなずいた。 第四幕 怒りははぜる炎のごとく 「居ました。多分あれです」 ノインが足を止めたのは、壁を失った廊下の一角であった。 彼女が指差した先に、灯りが揺れているのが分かる。 おそらく、焚火でもしているのだろうと検討がついて、彼はため息代わりに風を鳴らす。 「テラスで火を焚かれては困るのだが」 「テラスだったんですか、あそこ。二階の割には壁も無くて草ぼうぼうだなぁって思ってましたけど」 そんなことを言いながら、ノインはテラスに向かう橋を歩き始める。 「王家主催の舞踏会なども開かれる催事場だ。植木も彫刻も国内最高の物も整えている」 二百年の時を経て、見る影もなく荒れ果てているが。そもそもノインが歩く橋自体、元は飾り柱だったものだろう。それが倒れて廊下とテラスの間に引っかかっているのだ。 中央が膨らんだ飾り柱は、決して歩きやすいものではない。表面に厚く苔むしていれば猶更。夜中となれば、月が出ていても危険すぎる行為だ――人間にとっては。 しかしノインは、左手に頭蓋骨を乗せたまま、散歩のような気楽さで歩く。 彼も、ノインに足元の注意を促したりはしない。その意識は、前方の炎、その周囲にいる者たちに向けられていた。 「オーガだな」 一人はノインの二倍近い大男。よく鍛えられた肉体を見せびらかすかのように、上半身は前腕を守る腕当て以外何も着けていない。 露になっている肌はゴツゴツとした緑色、焚火に照らされた横顔は見るからに狂暴で、談笑して開かれる口には大きな牙が、額には短い角がみえる。間違いなくオーガだ。 あちらもノインに気づいたらしい。やおら立ち上がると指を突きつけ何事か叫ぶ。 語尾に混じる掠れるような音からゴブリン語であることは分かる。だが、その意味を思い出す気にはならなかった。 オーガの下卑た笑いを浮かべ、焚火のそばにあったものをノインの足元に投げる。 それは女性の生首であった。苦痛に歪んでいた。 「ベリラ……」 ノインは絞り出すように仲間の名を呼ぶ。 彼は思い出す。二百年前、彼も同じ場所で同じものを見た。 だから、ここから何が起こるか知っている。 彼の頭蓋骨を放り出し、ノインは前進する。 オーガは拳を握り、腰を落とす。堂に入った構えを見れば、このオーガが武闘家として並々ならぬ訓練を積んでいることが分かる。 それでもノインは前進する。怒りに任せ、ただ仇敵との距離を詰めるだけの無防備な動き。 熟練の格闘家が、それを見過ごすわけがない。オーガは右拳を振りかぶり、突き下ろす。 巨体の膂力に重力まで加えた一撃。 火の傍からは、オーガの勝利を確信したゴブリン語の快哉まで上がる。 だが、体勢を崩したのはオーガの方であった。 白く小さな腕が、オーガの腹筋に突き刺さっている。 衝突の瞬間、ノインはオーガの拳を上にそらしながら踏み込み、手刀で腹を突いたのだ。 手首まで埋まった手刀が引き抜かれると、鮮血がほとばしり、オーガが膝をつく。 その膝を、ノインは踏み砕く。 勢い余って履いているブーツがはじけ、細い素足があらわになった。 オーガの絶叫が響く中、ブーツの残骸を振り払うように跳躍。 背中に貼り付くと、右腕を首に巻き付ける。 ノインの赤色をした瞳が見開かれ、焚火の炎を照り返して緋色に煌めいた。 「あなたに、みんなと同じ死をあげるわ」 その宣言と同時に、ノインはオーガの首をしっかりと締め上げたままねじる。 オーガの悲鳴は不自然に途切れ、代わりに血の泡が口から洩れる。 オーガはノインを捕まえようと腕を振り回すが、その勢いもすぐに弱っていった。 このまま続ければ、首をちぎり取るまで二呼吸とかかるまい。 だが、 「ノイン、敵は一人ではない」 彼の警告は少し遅かった。 焚火の向こう側で、ゴブリンが弓を構えている。 小柄なノインより一回り小さいゴブリン、だが、構える弓は魔物の角を使ったとおぼしき複合弓で、矢尻からは黒い粘性の液体が滴っている。 引き絞られた弦からゴブリンの指が離れ、矢は焚火に焙られながらノインを狙って飛ぶ。 「神よ、貴方の下僕を守り給え!」 ノインが紡いだのは、魔力の防壁を張る神聖魔法。光が盾の形を取って攻撃の威力を軽減する、本来ならば。 「阿呆が!」 一欠片の光すら現れることは無く、矢はノインの脇腹に突き立った。 「神聖魔法はもう使えん。お前はもう徹底的に神に背を向けたのだ」 不信心者にも構わず魔法を与える神でも、裏切り者である不死者にまで優しくはない。 「そっか……そうですね」 溝付きの矢尻には、たっぷりと毒が塗られている。しかし、もはや不死者であるノインには意味がない。 大きい矢尻のため傷口は大きいが、血がそこから流れ出すこともない。 「だが、別の力を手に入れている。お前を殺したのはあのゴブリンだろう? 同じ死を、分け与えてやれ」 「どうやるんですか」 聞き返しながら、ノインはオーガの首をさらに捻る。千切るところまでは行っていないが、もう目覚めることは無いだろう。 彼は魔力で浮き上がり、ノインの耳元まで行って囁く。 「続いて唱えよ。我が死を汝に分け与える」 「我が死を汝に分け与える」 弦を引いていたゴブリンの動きが止まる。と、次の瞬間大きく咳き込んで吐血した。 吐き出された血が焚火にかかり、じゅうと音を立てて泡立つ。 引かれかけていた矢はゴブリンの指を離れ、夜闇の中へと力なく飛んで行った。 「効いたようだな。これで、このゴブリンは毒に苦しんで死ぬ。お前がそうであったように」 こちらの言葉を理解しているのか、ゴブリンは身を震わせて弓を取り落とした。 そのまま振り返って逃げ出すと、足をツタに引っ掛けて転ぶ。 何とか立ち上がってまた走るが、また転ぶ。 今度はツタのせいではない。激しい運動のせいで、毒の周りが良くなっているのだ。 それが分かっているから、ノインも慌てて追いはしない。 ヨタヨタと足をもつれさせながら逃げるゴブリン。その後ろを、ゆっくりと追うノイン。 焚火を踏み越え、矢を抜き取り、彼の頭蓋骨を左手に乗せ、追いつきもせず離されもせず。 時折こちらを振り返るゴブリンの顔に恐怖と絶望が刻まれているのを見て、彼女は笑う。 自分も同じであったことを思い出し、彼は久々に愉快な気分を味わった。 笑みを浮かべる皮膚は無いので、代わりに二度ほど歯を打ち鳴らす。 その音にさらに怯えたか、ゴブリンは段差につまづき、派手にすっ転ぶ。 それきりゴブリンは動かなくなった。口元から広がるどす黒い血が床の石材を汚していく。 草はもう生えていない。追っているうちに、テラスに面した室内まで入り込んでいたのだ。 「ここは……?」 「謁見の間だ」 二百年の時が壁を崩し、天井も半ば崩落している。装飾品のたぐいは大方持ち出されたらしく、がらんとした大広間になっている。 ただ一つ残っているのは、床を数段高くしたところに置かれた玉座だけだ。 そして、その玉座には黒い甲冑が座っていた。 「やれやれ、そこそこ使える駒だったのだがな」 闇の底から響くような低い声。だが、その出所はいささかおかしい。甲冑には、首から上が無いのだ。 「娘、余に仕えるつもりはないか。面白いことに、似たようないでたちであるしな」 切り離された首は、甲冑の膝に乗っていた。数条の傷が走る四角い顔と整えられた顎髭。生前は武勇に溢れた中年騎士だったに違いない。 だが、この玉座に座るにふさわしい者ではない。 「我が主の玉座に座るな、闖入者」 騎士の赤い眼が、彼の頭蓋骨を見据える。 「余は亡霊王で、ここは余の城だ。されこうべごときに大きな口を叩かれるいわれはない」 「ここはルピノス王国王都、アルバロサ城だ。我が主ジグムント・アルバロサ王子こそが正当な城主。貴様ではない」 騎士は吹き出した。甲冑をガチャつかせながら、彼を指さして嘲笑する。 「まさか、“死の大嵐”本人が今更出てくるとはな。生と死の淵で記憶もなくしたか? お前こそがその主たる王子を汚し、斬首されたのを逆恨みして国ごと滅ぼした張本人であろうが!」 「我が死を汝に分け与える」 呪文を唱えたのは彼では無かった。 ノインの魔術は確かに効果を発揮し、亡霊王の甲冑の中に致命的な毒を生じさせる。 だが、亡霊王は笑いを止めただけで小揺るぎもしない。 「自分と同じ死に方を他者にも強いる術か。中々面白いが、不死者に毒が効くと思うたか、小娘」 亡霊王は己の首を左手で抱え、右手は玉座に立てかけていた大剣を掴む。 「阿呆が」 ノインが先に暴発したせいで、彼は少し冷めていた。 ノインは不死者となったことで肉体能力が大幅に向上している。しかし、元々の戦士としての技量がない。亡霊王に勝たせるには不意打ちしかなかったのだが、その機会は失われた。 だが、ノインはそんな思惑を知ってか知らずか、あっけらかんと言い放つ。 「だって、あなたは怒るでしょう? 王子をあんな風に言われたら」 なんと返したものか。 言葉に迷ううちに、亡霊王は段差を降りて大剣を構えていた。 「いずれにせよ、あれにはお前の毒は効かぬ。仇を奪うようで悪いが、俺が潰すぞ」 「でも、あなただって断頭台で首をはねられたんだから」 元々首がつながっていない不死者相手では、毒の魔法も、首をはねる魔法も効かないだろう。 そう主張するノインを、彼は鼻で笑った。 わざわざ、鼻で笑うかのような音を魔法で作り出した。 「断頭台?」 亡霊王は雄たけびを上げながら突進し、大剣を振り下ろす。 「どうも伝説は歪んで伝わりがちだな」 ノインは右手で大剣を受け止める。 しかし、力が違いすぎる。剣はノインの右手を断ち、前腕を二つに割り、肘関節でようやく止まる。 「俺は吸血鬼と協力はしたが吸血鬼では無いし、王子を敬愛はしているが襲ったこともない」 亡霊王がもう一度剣を振り上げると、骨が引っ掛かったのかノインの身体が丸ごと持ち上げられる。 彼はノインに抱えられたまま、亡霊王を上から見下ろした。 「そして、殺されはしたが、断頭台などという人道的な方法では無かったな」 呪文が完成した瞬間、亡霊王は小さく呻いた。 その手から大剣が滑り落ち、ノインは床に投げ出される。 見れば、亡霊王の右親指、ちょうど爪のあるあたりに細い杭が突き立っている。 さらに新たな杭が現れ、亡霊王の左親指を突き刺した。 突き抜けた杭は亡霊王の顔にも新たな傷を加える。 「痛覚はあるらしいな。知っているか、指の先は神経が集中している場所だ。ここを責めるのは古からの常道でな」 彼が静かに説明をする間にも、杭は増える。 一本ごとに、亡霊王の抱えた首から苦悶の声が響いた。 杭の数が十に達したところで、月のように淡い光が発生する。 「ふむ……不死者相手ではやはりこうなってしまうか」 神聖魔法のもっとも基本的な一つ、治癒の魔法だ。 生きている人間であれば、傷が癒え、流れた血も幾ばくか補われる。 だが、不死者にとっては存在そのものを無に還していく恐るべき攻撃になる。 亡霊王の傷ついた指先はその甲冑ごと消え去っていた。 そして、新たな杭が手の甲に突き刺さる。 「良かったな、亡霊王とやら。貴様は多分、俺より早く死ねる」 月が沈むよりも早く、亡霊王の悲鳴は途切れた。 終幕 とわにうつろうは楽しからずや 城の中庭、かつては噴水であった石材の上で、彼はノインの背を眺めていた。 亡霊王が完全に消失した後、ノインは中庭を掘り返して全ての亡骸を埋葬した。ご丁寧に、オーガとゴブリンまで。流石に仲間たちとは別の穴で墓標もなしであったが。 今は仲間の墓標の前で葬送の祈りを紡いでいる。 (これからどうするつもりやら) ノインは不死者となり、神に見放されたことを体感し、それでもなお死者のために神に祈っている。 信仰がまだ彼女の心を縛っているなら、神に許されない不死者としての自分の消滅を望みかねない。 (まあ、望んだからと言って叶えてやる義理も無いが) それを言えば、そもそも葬送に付き合う義理も無いのだが、そこは気にしないことにしておく。 祈りを終えたノインは、一旦薄曇りの太陽を振り仰いでから彼に向き直った。 「その、これからどうされるつもりですか?」 「これからもこれまでもない。俺はここにいるだけだ。お前はお前で好きなところに行くがよい。お前の見た目なら、人里に入り込むのもそう難しくはないだろう」 敢えて人里を話題にしたのは、消滅という選択肢から少しでも目をそらさせるため。 だが、少しの沈黙の後に出てきた言葉は、予想外のものだった。 「……その、『永遠は地獄。うつろいこそ救い』ですよね?」 「俺もお前も、もはや永遠を生きる不死者だぞ。神の救いなどあり得ない」 「そっちじゃなくて、その、いつまでも亡くなった方を思っていても辛いだけだから、私と楽しく過ごすのはどうかと」 頭蓋骨になっていてよかった、と初めて思う。顔が残っていれば、さぞ間抜けな表情をさらした事だろう。 「確かに、亡くなった方は戻らないし、悲しい気持ちもなくならないけど、それだけでいなくても良いと思うんですよ。私だって、オーガやゴブリンがあの時は憎くて仕方なかったけど、今となってはそこまででも無いですし」 雲が途切れた。金の髪が日の光を照り返す。 赤い瞳が彼の頭蓋骨を見据え、白く細い手が差し伸べられる。 「私たちは生きてるんだから、ずっとずっと悲しんだり怒ったりし続けなくても良いんじゃないかなと思うんです。私と一緒に、今の世をうつろってみませんか」 「阿呆が。俺たちは不死者だ。生きてはおらん」 なり立て不死者の誤謬を正しつつ、彼は浮かび上がってノインの左手に乗った。 「だが、試してみてもよかろう。うつろうにせようつろわぬにせよ、永遠は永遠なのだから」 |
ワルプルギス JL2b9/UVEM 2022年08月14日 23時59分18秒 公開 ■この作品の著作権は ワルプルギス JL2b9/UVEM さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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