幸せの壺

Rev.01 枚数: 25 枚( 9,754 文字)

<<一覧に戻る | 作者コメント | 感想・批評 | ページ最下部
◆0 夜野幸(よるのさち)
 夜野幸の不幸は中途半端だった。
 少なくとも本人はそう思っている。
 所得の低い家庭で生まれ育ち、
 父親は母親との離婚を契機に縁遠くなり、
 それを理由に生活が困窮した母親は暴力を振るうようになった。
 それどころか“幸せ教団”なる宗教にドはまりし、ただでさえ低い所得を貢ぎ、
 あげくに彼女がバイトで稼いだ大学の授業料すら使い込んだ。
 それにより大学は中退。
 なんとかそれなりの企業への就職を果たしたが、そこでの所得は彼女が望むにはほど遠かった。

 故に彼女は考えた。
“どうせならもっと不幸ならよかった”と。
 そうすればきっと、誰かが自分を助けてくれたにちがいないと考えたのだった……。

◆1 幸せの笑顔
「ようやく自由になれた」
 唯一の肉親である母親の葬儀を行ったにも関わらず、夜野幸は晴れ晴れしい気分でいた。
 これで母親にも、母親の入信していた“幸せ教団”なる宗教団体にわずらわされることはなくなる。
 苦労を重ねた彼女が、そこに開放感を覚えるのも無理はない話だ。
 あとは母親の遺品を処分するだけである。
 そんな中、ひとつの壺が目についた。
 それは幸せ教団から高額で買わされたものだ。
 こんなもののために、彼女は大学を中退する羽目になり、一流企業へ就職し幸福になるという道も閉ざされた。
 幸はこれまでの恨みを晴らすべく、壺を両手で掴むと頭上にかかげる。
 そして思い切り床にたたきつけようとしたその瞬間、声をかけられた。
『ちょいとまちなよ嬢ちゃん』
 誰もいないハズの部屋で、いったい誰が?
 そう思い確認するが、やはり部屋には彼女以外誰もいない。
 しかし声はまちがいなくした。
 幸に声をかけたのは、彼女が手にし頭上にかかげた壺だった。
 それまで不可解と思っていたガラの中に、薄気味悪い笑顔を浮かびあがってくる。
『ははっ、ようやく気づいてくれたか』
「壺がしゃべった?」
 フレンドリーに話しかける壺に驚く。
 すぐにトリックを疑った幸は中を確認するがスピーカーの類はみつからない。かといって、部屋に彼女以外の誰かがいる気配もなかった。
『無駄だよ。おまえの心に直接話かけてるからな』
 胡散臭いことこのうえない。
 だが話声はしっかりと彼女の耳に届いている。
 思えば、生前母親が壺に話しかけているのを見かけたことがあった。
 当時は頭までおかしくなったのかと思っていたが、まさか本当に聞こえていたのだろうか。
『俺様は幸せの壺だ。わかってるよな?』
「ええ、誰ひとり幸せにしなかった幸せの壺よね」
 辛辣な言葉に壺は『ひでぇな』と笑う。
 だがひどいのは不幸を振りまいた壺のほうである。
 正確には、それを売りつけた教団の問題だが、その区別に意味は無いだろう。
 彼女の母親は、必要以上に宗教に傾倒したことで不幸になったし、娘である幸もとばっちりを受ける羽目となった。
 なにか語られたところで、許す気には到底なれない。
 割ってしまえば耳障りな声もとまるだろうと、あらためて壺を掲げる。
『まったまったまったまった。
 俺様を恨む気持ちも、割りたいと思う気持ちもわからなくはない。
 だが、ちょっとだけ試してみないか?』
「試さない」
『俺を割ったって、別に良いことなんかありゃしない。むしろ片付けが面倒なだけだろ』
「でも、スッキリできそうじゃない」
『そんなことよりもなってみないか? 幸せってヤツによ』
 壺の言葉を信じる気は幸にはなかった。
 しかし続く壺の言葉を無視することもまたできなかった。
『そもそもおまえ、なんで母親が教団に高額献金……じゃなかった、お布施をしてたと思ってるんだ?』
 昔の母は宗教に傾倒するような性格ではなかった。
 穏やかだった。しかし離婚の影響もあってか、幸が小学校にあがる頃から“躾”と称した暴力をたびたび振るうようになった。
 そういえば、幸せ教団に入信してから――娘の金を奪うような素行はともかく――暴力自体は振るわれなくなったように思う。
「まさか効果があったとでも言いたいの?」
 その結果、娘を不幸にした母親が、実は幸せを掴んでいたと本気で言いたいのだろうか。
『それを判断するのは俺様の仕事じゃねーな』
 幸はしばし壺をみつめる。
「そうね、割るのはあとでもかまわないわね」
『オーケー、とびっきりの幸運に溺れさせてやんぜ』
 大口を叩く壺の口車に、幸は少しだけ付き合ってやることとした。

◆2 希望の星
 夜野幸が壺の主人(オーナー)となり数日が経過した。
 大言を聞かされたわりに、それからの日々はいたって普通だった。
 不幸というほどではないが、幸福とは言い難い微妙な状況。
 強いていえば、長年わずらっていた頭痛と肩こりが今朝から若干軽くなたっという程度か。
(やっぱり割ってしまおうかしら?)

 幸が考えを変えたのは、その日出社してからのことだった。
 職場の上司である農名士(のうなし)が、昨日の帰宅時に暴漢に襲われて大怪我をしたという。
 急な欠勤により職場がザワついた。
 無理もない、少人数で業務を回す中小企業にとって、たったひとりの欠員でも周囲への負担は大きくなる。
 だが、そのことは夜野幸に幸運をもたらした。
 割り振られた作業量こそ増えたものの、愚痴ばかりで周囲の手を止めていた農名士がいなくなったことでペースが想像以上にアップしたのだ。
 仕事がスムーズに運ぶことで周囲の評価は爆上がり。
 社長から金一封が出るほどに好評だ。
 ストレスが晴れた分、肌の調子も良くなっていった。

   ◇

 幸せの壺の効果を信じはじめた幸の前にふたりの刑事が現れる。
 ひとりはずんぐりとした体型の中年刑事。
 もうひとりはグレイのスーツを着こなした若手の女刑事だった。
 なんでも職場近くに不審人物がたびたび目撃されており、農名士もそいつに襲われたという話だった。
「この顔に見覚えないですかね?」
 中年刑事が一枚の写真を差し出す。
 それは被害者の証言をもとに作られたモンタージュだという。
(まさか……?)
 幸は緊張した面持ちで写真をみつめる。そこに写っているのは怒り顔の気味の悪い男だった。
 そのことに少しだけ安心する。
 ひょっとしたら幸の幸福のため、幸せの壺がなにかしたのではないかと疑ったのだ。
 だが壺には手足がないのだから、暴漢などできるわけがない。
 ただ、ひっかかるものがないでもなかった。その正体をつきとめられず考えていると、刑事から「なにか気になる点でも?」とたずねられる。
 幸は疑惑を表に出さず「いえ、なにも」と静かに口にした。
 そんな幸の姿をもう同行していた女刑事が鋭利な瞳で観察していた。

   ◇

「最近、綺麗になったね」
 そんな言葉で夜野幸を喜ばせたのは営業部の星(ほし)だった。
 星は営業部の稼ぎ頭であり、いくつもの大口契約をとってきている。
 そのうちのひとつを幸のいる部署が担当し、成功の原動力として働いた彼女への興味がわいたようだった。
 社内では若手に分類されるが、彼女よりも年上で、頼りがいのある先輩という立場もある。
 周囲からの星の評価は高く、女性社員の中には露骨なアピールを繰り返す者もいるほどだ。
 そんな相手から褒められるのは、少なくみつもっても悪くない気分だった。
 そういえば長年悩まされていた頭痛と肩こりもいつの間にか解消している。
 なにもかもが順調に思えた。

『どうだい、幸せになれたろ?』
「ええ、そうね。認めてあげなくもないわ」
 言いながら、乾いた手ぬぐいでその表面を磨いてやる。
 不意に思いついたように壺をひっくりかえし、その模様を見つめた。
(ちがうわね)
 刑事が見せたモンタージュに、壺の顔に共通点があるように思えたのだが杞憂だったらしい。
 ひっくり返したことで、いくらか近づいた気もしたが、それでも幸は壺とモンタージュの顔は別物であると判断した。
 そもそも、壺が犯人と言うことはありえない。
 壺には手も足もない。手足がない以上、自力で動くこともない。それでどう人を襲うというのか。
『どうした?』
「いいえ、なんでも」
『まっ、幸せが実感できたんなら、そろそろ用意しといたほうがいいぜ』
「用意ってなにを?」
『もちろん金だよ』
「……どういうこと?」
『決まってんだろ。お布施だよお布施。幸せ教団へのな』

◆3 不幸の使者
「このくそ壺! ふざけるんじゃないわよ!!」
 怒髪が天をつき、額に無数の青筋が浮かぶ。
 壺を怒鳴り散らす幸の姿はまるで羅刹だった。
『そんなこと俺様に言われてもなぁ』
「金のことなんて聞いてないわよ!」
『いま言ったろ。そもそも俺の管轄じゃねーし』
「だいたい私はまだ幸福になんてなってない!」
 先ほどまでの言葉をアッという間に撤回する。
 確かにいまの彼女の姿は幸せではなさそうだ。
「もっとジャンジャン儲けさせなさいよ。色恋だってチヤホヤされる程度じゃない。こんなんで幸福なんてちゃんちゃらおかしいわ!」
『いやでも、さっきはよ……』
「社交辞令を真に受けてんじゃないわよ!」
『そっか、まぁおまえがそう言うんならそうなんだろうさ(おまえの中ではな)』
 どこかなげやりの反応は幸をイラつかせた。
「だいたい、私みたいな貧乏人からお布施集めようなんてやり方が汚ねーんだ!」
『昼に千円のランチ食っててビンボーか?』
「自分へのちょっとしたご褒美じゃない。毎日働いてるんだからこの程度あたりまえよ!」
『週休二日と有給はあるけどな』
「それがなに!?」
『いや、さっきも言ったが金は俺の管轄じゃねーからな。とりあえず言っておいたぞ』
「聞いてないわ!」
 幸はわがままな子どものように耳を塞いだ。

   ◇

 一週間後、壺の予言は成就した。
 葬儀屋のように真っ黒なスーツで固めた使者が幸の前に現れる。
 黒曜の髪と瞳を持つ美麗ながらもどこか不吉な容貌。着ているスーツは黒一色で葬式帰りと言われても信じただろう。顔立ちは中性的で体つきにも目立ったところはない。性差の薄い人物だったが、幸は自らの敵を❝女❞と判断する。
 いかつい大男が来るだろうと警戒していたところに、細身の麗人が現れたのは肩すかしな気分だった。
(女だと思って舐めてるのかしら?)
 それでも幸は油断せず、疑り深くソイツをにらみつける。
 にらみつけられた当人は、それを気にした様子もなく淡々と自己紹介を始める。
「初めまして、幸せ教団より派遣されました喪不苦木(もふくき)テルと申します」
 そう言って丁寧に頭を下げる。
「あっ、私は伝言係(メッセンジャー)としてお話をもってきただけで、幸せ教団の関係者というわけではありません。なんというか……外注業者とでもお思いください。先方もなかなか難儀な状態らしく、夜野様には代役でご容赦してほしいとのことです」
 他人事のような口ぶりは、確かに宗教関係者には見えない。
「まずは、幸せ教団の意向を伝えさせてもらいますね」
 海野幸は信者の娘であり、本人は入信していないため教団側から喜捨を求めることはない。
 勿論本人に入信の意思があったり、喜捨をしたいと願ったりするのなら相談に乗る。
 彼女の所有する幸せの壺は、母親が購入したものなのでそれに対して追加料金を求めるようなことはない。
 一通りの説明を終え、テルは幸に入信の意図があるかを確認する。
 幸が聞いた限り、教団からの話はまっとうだった。
 それでも彼女の回答が変わることはない。“No”である。
(本当にまっとうなら、うちの母親はどうしてあんな無理をしてたのよ)
 幸の回答を受けたテルは「そうですか」とそっけなく受け入れた。
 警戒していた強引な勧誘もないまま話は終わろうとしている。
「入信なさらない場合、夜野様は幸せ教団からの援助を受けられなくなりますが、大丈夫ですか?」
「ええ、必要ありませんから」
「わかりました。では、念のため名刺をお預けするので、なにかありましたらソチラへご連絡ください」
 それだけ告げると、用は済んだとばかりに背を向ける。
 幸は「はいはい」と適当な返事をすると、受け取った名刺にライターで火を点け消し炭とするのだった。

◆4 失楽の時
 喪不苦木テルを無事追い払った夜野幸は上機嫌で壺を磨く。
「あたしの幸福はあんたがいれば十分」
 上機嫌で話しかけるが返事はない。
 ただの壺のようだ。
「どうしたの、ヘソでも曲げた? 壺にヘソなんてないけど」
 冗談にも反応はなかった。
 しばらくは悪ふざけをしているのだろうと思った幸だったが、とたんに不安になる。
「冗談ならいい加減にして。返事をしなかったら本気で割るわよ」
 壺を頭上にかかげ脅しつける。
 されどそれでも返事は返されなかった。
「ウソっ」
 狼狽しながらも確認すると、いつもの気味の悪い笑顔のような模様がなくなっている。
 そのことで幸は確信した。
「あいつだ、あいつがすり替えたにちがいない」
 最後に幸せの壺と会話したのは、喪不苦木テルと出会う前だ。
 テルは自分との会話で気を逸らし、こっそりと偽物とすり替えたにちがいない。
「あたしの幸せを脅かすものは絶対許さない」
 拳を強く握り、幸せの壺の奪還を心に決める幸であった。

   ◇

「いったいどうすれば……」
 壺の奪還を誓った幸であったが、具体的な方策はなかった。
 渡された名刺は焼失しているし、当然他の連絡方法など思いつきもしない
(いっそ幸せ教団の本部へと乗り込む?)
 しかしテルは自らを外注業者だと言っていた。
 無策のまま乗り込んでもシラを切られるだけだろう。
 あるいは教団はそこまで考え、テルを派遣したのかもしれない。
(だったら、もう一度壺を買う?)
 それは出来ない。
 母親がいくら貢いだか定かではないが、再購入を希望すれば多額の寄付を強いられるにちがいない。
 それでは壺を取り戻しても幸せになることなどできるハズもない。
「くそっ! なんで、こんなことになるのよ。
 どいつもこいつも、あたしの邪魔ばかりして!
 そんなにうらやましいなら、自分で幸福になってみなさいよ!」
 いくらわめき散らそうとも、彼女を救おうとする者はその場にはひとりとしていなかった。

◆5 暴漢出現
「やばいやばいやばい……」
 一晩中、壺を取り戻す方法を考えていた幸だったが、ついぞ良策をみいだせないまま朝を迎えた。
 このような状況で出社などありえない。
 だが壺がなくなったという理由で出社拒否できるわけがないということは、かろうじて判断できている。
(これならビンボー生活は嫌なのよ!)
 夜野幸は苛立ちながらも出社せざるを得なかった。

   ◇

 幸が出社するまでの道のりは苦難の連続だった。
 電車は遅れスシ詰め状態となり、足まで踏まれる。
 遅延を連絡しようにも、回線がパンクしているのか電話はまるで通じない。
 それでもなんとかたどり着いた会社に、社員証をスキャンし入り込む。
 その時声をかけられた。
「貴様、何者だ!?」
 振り返れば、怪我で欠勤を続けていた農名士がそこにいた。痛々しく包帯を巻いているものの、本日より現場復帰したらしい。
(もっとゆっくりしてればいいのに)
 これも幸せの壺を失った影響かと舌打ちをする。
(でも、なにこの反応? 入院中にボケた?)
 農名士が彼女に向ける視線は、上司が部下に向けるものとは到底おもえなかった。
 例えるならそれは、不審者をにらみつけるもの。
 わけのわからぬ展開に呆然とする幸であったが、いつまでもそのままでは居られなかった。
 農名士は近くにあった棒を手にとると、それを振り上げたのだ。
 狙いは夜野幸である。
 とても正気とは思えない行動に、幸は悲鳴をあげ逃げ出した。
「いっ、いったいなに!?」
 混乱しながらも女子トイレへと駆け込む。
 そこには怒り顔の不審者がいた。
 間違いない。以前刑事から見せてもらったモンタージュ写真と良く似ている。
 あまりのことに大きな悲鳴をあげた。
 颯爽と駆けつけてくれたのは若手営業の星だった。
 だが、ほのかな好意を彼女に向けていたハズの彼は、彼女を救おうとはしなかった。
 農名士とおなじように厳しい目を幸に向けて叫ぶ。
「こんなところでなにをしている!?」
「ちがうっ、不審者はそいつよ!」
 夜野幸が指さすように、不審者もおなじように彼女を指さしていた。
 幸はようやく気づく。
 自分がみていたのがトイレに設置された鏡であると。
 その場にいる三人の人物のうち、自分だけが鏡に写っていない。
 つまり、みなが不審者だと思い込んでいる人物こそが夜野幸であると。
「うそうそうそうそ……」
 つきつけられた真実に目が回る思いだ。
 もし仮に、自分が不審者だったとするならば、それに襲われた上司が殴りかかってくるのは当然だ。
 いま星が彼女を拘束しようと手を伸ばしてくる理由にも説明がつく。
 それでも夜野幸はそのことを認めなかった。
(俺様がそんなことするハズねぇ!)
 その証明を果たすためにも、裏拳を星の整った顔面にたたき込む。
 そして彼が鼻を押さえている隙に社外へと逃げ出すのだった。

◆6 喪服の賢者
 星を殴り逃亡した夜野幸は、気づけば寂れた商店街を歩いていた。
 追っ手は撒けたが、すっかり土地勘のない場所に出てしまった。
 シャッター街と化した商店街は人通りがなく、同時に彼女に注視する者もいない。
 そこでひと息つくことにした。
(いったいなにが起きてやがる?)
 このままいけば、彼女が犯罪者と勘違いされ逮捕される恐れが強い。
 そのまえになんとかしなければならないのだが、そのための方策はなにも思いつかない。
 そんな時、彼女に声をかける者があった。
「もしそこの方、なにかお困りですか?」
 シャッターの下ろされた店の前で、小さな机を並べた占い師が座っていた。
 だがその服装は占い師とは到底思えない、喪服を思わすまっくろなスーツだった。

   ◇

「おまえだおまえ、おまえ、こんなとこでなにやってんだ!」
 夜野幸は思いがけない再会を果たし、相手の襟首を掴む。
 その相手とは、幸せ教団の代理人として彼女の前に現れた喪不苦木テルその人であった。
 だがテルは幸に気づいておらず、突如襟首を掴まれたことに動揺している。
「わわわっ、いったいなんですか!?」
 とぼけた言葉に、このまま首をへし折ってやろうかと思う幸だったが、かろうじてそれは自制できた。
 このまま息の根を止めては壺が取り返せない。
 だがどれほど問い詰めようとも知らぬ存ぜぬで壺の所在を明かそうとはしなかった。
「しらばっくれても無駄だ、俺様にはちゃんとわかってるんだ!」
「そんなことを言われても、知らないものは知らないとしか答えようがありません」
 困り顔で答える。
「だったらもういい。テメーのせいで壺がなくなったんだ。弁償しやがれ! おまえが俺様の壺を用意すんだよ!」
 無茶苦茶な要求にテルが音をあげる。
「いい加減にしやがれ! やらねぇんだったら警察に訴えてやる!」
 そうなった際、まず罪に問われるのは暴行犯である彼女なのだが、誰もそのことを指摘しなかった。
 テルにも後ろ暗いところがあるのか、警察という単語にオドオドとしている。
(こうなったら、わからせてやるしかねえようだな)
 テルが「仕方ないですね」とため息を吐いたのは、幸が拳を握りしめた瞬間だった。
「さぁ壺を用意しやがれ」
「それはできません」
 堪忍したかにみえたテルだったが、それでも幸の要望を断った。
 だったらなにが出来るのかと問いただすと、彼女は机に置かれた“見料二千円”の文字を指さすのであった。

◆7 哀しみの人
 喪不苦木テルの本業は、占い師ではなく“失せ物探し”であるという。
 夜野幸から二千円を受け取ると、彼女が失ったものを見つけると言ってみせた。
 ソレを幸は幸せの壺であると思ったが、テルは別の物を探し始めていた。

 光を反射しない黒曜の瞳が虚空をみつめる。
 そして黒い袖からのびた腕をのばすと、空気を拡販させるようにゆっくりとまわしていく。
(なにをしているのかしら?)
 テルの行動を不審に思った幸は、なにも見落とさないようその仕草を目で追っていた。
 するとテルの指先に、虹色の糸のようなものが少しずつ絡まっていくのがみえた。
 光の加減なのか、それは消えたり現れたりしながら、割り箸に巻き付けられた綿飴のように大きくなっていく。
(こんなのトリックに決まってる)
 そう決めつけるが、その種は彼女には見破ることができない。
 テルはソレをソフトボールくらいの大きさまで育てると幸の方へと放った。
 突然のことで幸は反応できなかった。
 時折虹色の輝きをみせる球体は、吸い込まれるように幸の額にあたり、そのまま彼女の内側へと入り込む。
 それと同時に彼女の脳裏に無数の映像が流れた。

 体格からして小学生だろうか。恐ろしい容姿の子どもが、他の子どもに殴りかかっていた。
 その乱暴な行動は鬼子とでもいうべきものだった。
 そのやり口に幸は思わず「ひどい」と漏らすが、そんな映像をいくつもみているうちに気づく。
 視点の主は暴れる子どもをとめているようだ。
 暴れる子どもを大人しくさせるため、暴力を振るうこともあった。
 最初こそ、更なる暴力に屈していた鬼面の子どもだったが、成長するにしたがい手に負えなくなってくる。
 そして途方にくれた視点の主がかけこんだ先は彼女も知る幸せ教団であった。
 教団幹部とおぼしき人物は、視点主に見覚えのある壺を与えた。
 視点主は対価として大金を払い、得た壺を子どもに与える。
 そうすることで憑きものがとれたかのように子どもは大人しくなった。
 鬼のようだった怒り顔も緩み少女の面持ちがあらわれる。
 それは幼い頃の夜野幸の姿であった。

「ウソだウソ! こんなの真実なわけがねえ!」
 自らの記憶と合致するものを認めながらも、必死に首をふって拒む。
 これまで恨み続けていた母親が宗教に走った原因が、自分にあるとは絶対に認められなかった。
「信じる信じないはあなたの自由です。
 実際記憶には主観が混ざり込むので必ず正しいとも限りませんし。ただ、ここまでくっきりとした記憶が獲れるのは珍しいので……」
 テルが語ったのはそこまでだった。
 何故ならば、彼女は幸のふりかぶった椅子で強引に沈黙させられたからである。

◆8 新しい喜捨
「ウソだウソ。そんなことあるハズねえ……」
 夜野幸はフラフラと当てもなく彷徨い歩く。
 そこを鼻を陥没させた星に発見された。
 怒り狂った星は手にしたバットで彼女に殴りかかる。
「やめてくれ、俺だ、俺は夜野幸なんだ!」
「下手なウソはやめろ! 彼女はそんな話し方じゃない!」
 絶対に許すものかとフルスイングで殴りかかる。運良くソレは幸の側頭部にクリーンヒットし、昏倒させることに成功する。
 そして鼻を潰された恨みを晴らすべく幸が完全に動かなくなるまでバットを叩きつけた。

   ◇

「あいたたた……」
 喪不苦木テルが目を覚ましたとき、夜野幸は倒れ、星はその隣で呆然と立ち尽くしていた。
 テルは状況を把握するべく、あたりに散らばった記憶をこっそりと集め、事態を把握した。
 夜野幸は、自分が悪と信じていた母親が、まちがいこそ起こしたが優しい人で、それを踏みにじっていた事実に耐えられなくなり暴走した。
 その直後に、彼女の被害者である星に反撃を受け撃沈したという状況らしい。
 星は幸が動かなくなったことで、正気を取り戻し途方にくれたといったところだろう。
 みたところ、まだ幸に息はあったが教団の庇護下から離れた以上、これまで隠してきたものが露見し、いずれかの罪に問われることになるだろう。
 そうなれば幸運が再び彼女に巡ってくる望みは薄い。
 それが彼女の選択の結果である以上、テルにできることはなかった。
 テルは散らかった荷物をまとめ直すと、その場を離れようとする。
 その前に、その場に立ち尽くす星へと声をかけた。
 このまま放置すれば、彼も加害者として警察の世話になるだろう。理由があるとはいえ、さすがにやりすぎである。
「もし望むなら、あなたを救ってくれる方々をご紹介できますよ」
 そしてその日、臨時収入を得たテルは、久々に美味い飯にありつけるのだった。



おわり
Hiro

2022年08月14日 22時19分06秒 公開
■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:『怒』
◆キャッチコピー:不幸な人にはそれなりの理由があったりなかったりする。
◆作者コメント:
 時に人は正当性のない“怒り”を解き放つもの。
 獣のごとく、がさつな怒りはみなさまの目に、どのように写るでしょうか?

2022年08月28日 00時22分22秒
+20点
2022年08月27日 22時48分14秒
2022年08月27日 17時43分06秒
0点
2022年08月26日 22時27分15秒
+10点
2022年08月24日 21時20分30秒
+10点
2022年08月24日 01時37分43秒
0点
2022年08月23日 21時59分35秒
+10点
2022年08月21日 20時35分47秒
+10点
2022年08月21日 11時55分27秒
+10点
2022年08月19日 21時23分45秒
+20点
合計 10人 90点

お名前(必須) 
E-Mail (必須) 
-- メッセージ --

作者レス
評価する
 PASSWORD(必須)   トリップ  

<<一覧に戻る || ページ最上部へ
作品の編集・削除
E-Mail pass