私を愛した木偶人形 |
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ロボット工学の世界には、傑出した能力を誇る二人の天才がいる。 アイザック・サイトウとスーザン・サイトウの兄妹だ。 兄のアイザックは世界最大のロボット販売会社UFロボット社の創始者だった。人間そっくりのロボットを開発し、一般家庭に廉価で流通させた。家事などの労働を肩代わりするワーカロイドも人気だったが、中でもセクサロイドと呼ばれる美少女ロボットを開発したことは、彼の最大の功績にして功罪だった。 妹のスーザンは陽電子頭脳と呼ばれる人工知能の開発者だった。この陽電子頭脳を搭載したロボットは、なんと喜怒哀楽の感情……すなわち心を持っていた。これにより、スーザンの作ったロボットは従来の機械的な命令しかこなせないロボットと異なり、自律的な創造力や判断力を有し、人間と対等に会話が出来た。 そのように、同じロボット工学の世界で顕著な活躍を見せる二人だったが、しかし兄妹仲は良いものではなく、顔を合わせると喧嘩ばかりしていた。 〇 UFロボット本社ビルは、イニーツィオ国でも有数となる六十階建ての超高層だ。その最上階に備えられたCEO室では、一面ガラス張りの壁から、まさにコンクリート・ジャングルと言ったオフィス街の様子が一望出来た。 「わざわざ呼び出して何の用かしら? アイザック」 剣のある声を発したのはスーザン・サイトウだ。白い肌を持ち、艶と光沢のある金色の髪を長く伸ばし、切れ長のブルーの瞳に眼鏡をかけた怜悧な雰囲気の女性である。百七十五センチの痩躯にスーツを身に着けた彼女は、その美貌に加え、三十一歳の若さに見合わぬ威厳のようなものを備えつつあった。 「商談がしたいのなら、そちらから訪ねて来るのが筋じゃないかしら?」 「のこのこやって来たのはそっちだろう? スーザン」 飄々と答えるのは兄のアイザック・サイトウだ。妹同様の金髪碧眼の肌の白い男性で、百八十五センチのたくましい体躯と精悍な顔立ちを備えていたが、しかし九つ年下の妹を見下ろすその表情は軽薄だった。 「零細ラボの女社長は大変だな。仕事を貰える可能性をほんの少しでも匂わされれば、どんなに忙しい中でも出向いて来る。ウチの取引先の営業マンと一緒だよ。あいつら、このビルが砂漠の真ん中に合っても、羅針盤を持ってやって来るんじゃないか?」 「早く要件を言って、アイザック」 スーザンは不快感に顔を歪める。 「陽電子頭脳の設計図をくれ。金は出す」 「それはどんなに金を積まれても嫌」 「おまえの開発する人工知能を、俺が作ったセクサロイドに搭載すれば、無敵の商品となる。顧客である非モテ野郎共は、死ぬほど惚れやすく股を開きやすく設定したAIを持つ美少女ロボットと、恋愛やセックスを楽しむことができる。世界中で売れまくること間違いなしだ」 「あなたの最低の発明品に、私の陽電子頭脳を搭載するだなんて吐き気がする」 「軍事用ロボットに搭載するのも良い。命令を聞くだけの従来のバトロイドと異なり、自ら作戦を考え判断し戦うことができる。鋼の肉体と人間の想像力、そして冷徹な精神力を持つ無敵の兵士と言う訳だ。そんな軍団に襲われては薄汚いエスキナ兵共も一溜りもない」 「まだそんなことを言っているの? 私の発明を野蛮な戦争に使わせようだなんて最低の兄ね」 「そう睨むなよ。おまえは俺が嫌いかもしれないが、俺はおまえを可愛い妹と思ってるんだぜ? UFロボット社に戻って来たいんだったら、いつでも歓迎するっていうのに。昔みたいに仲良くやれないもんかね」 「冗談じゃないわ。新卒の私を雇った時は、くだらない雑用ばかり何年もこき使う癖に、ロボットの研究には一切関わらせてくれなかったでしょう?」 「だからって三年で退職して自分の研究室を起ち上げることはなかっただろう? 時期が来ればそれなりの立場を与えて、俺の研究を手伝わせるつもりだったのに」 「あなたの研究って、既存の技術の縮小再生産ばかりで、新しいものは何も生み出さないでしょう? 商売はちょっとばかり上手いかもしれないけれど、研究者としては二流よね」 「その二流の研究者はこうしてタワービルの最上階で優雅に仕事をし、一流のおまえは零細ラボで二輪車操業だ。高価なスーツを着てはいるが、実際のところ明日の食事にも困っているんだろう?」 スーザンは沈黙した。アイザックの言うことは事実だった。 アイザックのUFロボット社を退社してから、自らの会社であるKBラボを立ち上げたスーザンの人生は、順風満帆という訳ではなかった。陽電子頭脳を開発し、一躍時の人となったまでは良かったが、それを搭載したロボットが売れたのは僅かな期間だけだった。 「おまえのところのロボットは高すぎる」 アイザックが冷笑的に口にした。 「一台約十万デルだと? 俺の開発した格安ロボットがいうに百体は買えてしまう金額だ。それでも流行していた頃はある種のステータスとして富裕層から注文もあったそうだが、ブームが過ぎた今となっては、年に何台売れているのやら? いっそ我が社に陽電子頭脳の設計図を売り渡すと良い。初めはどんなに高額な技術でも、それを廉価にして大量生産するのが、俺達のような大手企業の仕事だからな」 長台詞を吐き出すと、喉が渇いたのか、アイザックはCEO室の本棚の裏に控えている一台のワーカロイドに居丈高に命令した。 「おいカオル。コーヒーを用意しろ!」 「カシコマリマシタ。ゴ主人様」 そう言いながら、恭しく礼をして現れたのは、メイド服を着用した一台の美少女ロボットだった。極東にあるというメイドの国の民族をモチーフにしている為か、丸みを帯びた顎と薄橙がかった肌をしている。背中で一つに結んだ艶やかな黒髪と澄み切った黒い瞳の美しさは、思わず見惚れてしまいそうな程だった。 「スーザン。おまえのミルクセーキも用意させるか?」 「結構よ。相変わらず悪趣味ね。モテないからって美少女ロボットに給仕をさせるだなんて」 カオルと呼ばれたメイドロボはほどなくコーヒーをアイザックに運んで来た。かと思えば何もないところですっころび、コーヒーをアイザックの胸元にぶちまけた。 「うわあっちっちっち」 アイザックは顔を顰めた。 「おまえっ。この型遅れの旧式め! ご主人様に火傷をさせたな!」 叫ぶアイザック。幼少期から彼は激情家だった。偏屈な自尊心を持ち、ふとしたことで怒り狂い、暴れ狂う。スーザンも子供時代は、これに本当に苦労をさせられた。 「このポンコツが! それでも我が社の商品か! スクラップになりたいのなら、まずはその背中に風穴を開けてやる!」 アイザックは懐の銃を抜いた。機械的な動作でタオルを取りに行くカオルに向けて、顔を真っ赤にしてアイザックは拳銃で狙いを付ける。 「やめなさいアイザック! 跳弾して私に当たったらどうするの?」 「そんなヘマはしない。射撃は俺の特技だ。この距離で人型ロボットが相手なら百発百中だ」 アイザックは自室に射撃ルームを作る程の銃好きだ。彼が引き金を絞ろうとした、その時。 CEO室の扉が控えめにノックされた。 「……誰だ?」 アイザックが銃を下ろし、胡乱そうな視線を扉に注ぐ。 「け、KBラボのハナコ・ハセガワです」 扉の向こうから少女の声がした。 「KBラボ? スーザン、おまえのラボの誰かか?」 「そうよ。……入りなさい、ハナコ」 CEO室の扉が開かれ、一人の少女が姿を現す。 メイドロボのカオルと同じく、黒髪黒眼、そして薄橙の肌の色をしたミドルティーンほどの少女だった。やはり丸みを帯びた顎とあまり高くない鼻をしていたが、瞳はスーザン達に劣らぬ程大きく、薄い桃色の唇は柔らかい膨らみを有していた。体格は華奢で、おずおずと体を揺らす度に、肩までの黒髪がかすかに揺れた。 「遅れて申し訳ありません、サイトウ所長」 「他人様の車に忘れ物をするだなんて、あなたのそそっかしさには参るわね」 「も、申し訳ありません」 「誰だこいつは?」 アイザックはけだるげに少女に顎を向ける。スーザンはアイザックの態度への呆れを隠さず、やや苛だったような声で答えた。 「私の部下よアイザック。UFロボット社の社長に会いに行くと言ったら、どうしてもそこのCEOにプレゼンしたい商品があると言って聞かなかったの」 「おまえの会社ではこんなガキを雇い、しかも商品開発までさせているのか?」 「普段はちゃんとした仕事はさせてないわ。ただのアルバイト。苦学生でね。この歳で一人暮らしをしていて、自分の学費を稼ぐ為にウチで働いてるの」 「一人暮らしだって? どう見ても中学生にしか見えないが……」 「高校生よ」 「それでも一人暮らしをするには早い」 「苦労している身なのよ」 「それは良いが、とにかくただのバイトなんだろ? どうして商品開発なんか」 「優秀な子なのよ。将来は正式に雇用するつもりで研究室にも出入りさせている。そしたら勝手に機器を弄って、一人で作って来たのよ」 「そりゃ優秀なことで。だがだとしてもそいつはおまえの部下だろ? 何かプレゼンしたいものがあるんならスーザン、おまえにするのが筋じゃないのか?」 「見てあげたわよ。悪くなかったのだけれど……利益を出すには量産が前提の品物でね。薄利多売はウチの得意とするところじゃないからウチでは無理と話したら、ならあなたのところに外注できないか聞いてみたいって言いだしたのよ」 アイザックはまだ何か言いたそうにしていたが、しかし問答するのが面倒臭くなったのか、けだるげな様子でハナコに顎をしゃくった。 「見せてみろ」 「は、はい」 そう言うと、ハナコは鞄の中から小さな虫かごを取り出して、アイザックの机の上に置いた。 「こ、こちらは機械で出来た蝶で……陽電子頭脳によって現実の蝶々と同程度の意思と感情を持っていて、それにより自律的に飛行したり、蜜を吸ったり……持ち主と心を通わせることも……」 虫かごの中では色取り取りの蝶々が宙を舞っている。薄くやわらかな羽根の質感も、簡単に倒れてしまいそうな手足や触覚も、本物の蝶と何ら変わらない。器用に羽根を羽ばたかせて空を飛ぶその姿は、素朴な愛らしさに満ちていた。 「思考パターンは現実の蝶と同程度を目指しましたが……人間とのコミュニケーション能力についてだけやや恣意的に強化をしてまして。例えば人間が指先を差し出すとそこに飛び乗ったり、話しかけるとその内容を部分的に理解したり……。例えば、その……」 ハナコは虫かごの蓋を開け、「おいで」と蝶たちに声をかけた。 蝶々は虫かごを飛び出して、ハナコの元へと向かっていく。そしてハナコが差し出した掌に、行儀よく並んで止まり、羽根を畳んだ。 「こんなこともできます。機械だから寿命もないし、結構丈夫に作ってあるから多少乱暴に扱っても大丈夫です。こ、子供のおもちゃにも、大人にとってのインテリアにもなりますっ」 ハナコの話を聞き終えると、アイザックは眉間にしわを寄せたのち、冷笑的な表情になって口を開いた。 「まずは一工学者としての感想から。『大したものだ』」 それを聞いて、ハナコは表情に僅かな期待を滲ませる。 「これは子供だと思って見下ろしながら褒めてるんじゃないぞ? 君を一人前の工学者と認めた上で感銘を受けている。これほど小さなロボットにこれほどの機能を持たせるとは、我が社に引き抜きたいほどの人材だ。素晴らしいよハナコ」 「だったら……」 「だが一消費者としての感想は『いらん』だ」 突き放すように言うアイザックに、ハナコは表情を凍り付かせる。 「そして一商売人としての感想は、『話にならん』」 「そ……それはどうして……」 ハナコは泣きそうな顔を浮かべる。アイザックはやや嗜虐的な表情で。 「大して売れなかったスーザンのロボット犬の七番煎じだな。虫を作るならまだカブトムシの方が良い。世界中の様々な種類のカブトムシ達が、少年たちの指示に従って角をぶつけ合って戦うのだ。勝利する度にカブトムシは新たな技を覚え強くなったり、少年達と心を通わせたりする。これならまだヒットする可能性がある」 「な、なんで蝶がダメなんですか?」 「陽電子頭脳を使うのならどうせこいつも高価なんだろう? 蝶の動きなど陽電子頭脳を使わずとも単純なパターンで再現できる。声を掛けたら寄って来るように設定するのにも、陽電子頭脳など必要ない」 「で、でも、この子達は心のあるロボットだから、同じ呼びかけに応じるのでも機械的にただ寄って来るのとはまったく違って……」 「そこに付加価値があるのは認めよう。だが消費者の財布の紐は固いぞ? 蝶々に毛が生えた程度の知能しか持たない分人型ロボより遥かに廉価だろうが、陽電子頭脳を使っていることに違いはない。一匹三十デルで販売できるのなら考えてやっても良いが、どう考えてもそれは無理だ」 ばっさりと切り捨てられたハナコは落ち込んだ様子だった。アイザックは興味を失ったようにハナコから視線を切ると、スーザンに声をかけた。 「しかし不思議なことがある。この少女の作った蝶々には陽電子頭脳が使われている。おまえのラボではこんなバイトまでもが陽電子頭脳を扱えるのか?」 「いいえアイザック。陽電子頭脳を扱えるのはわたしを含めほんの数人よ」 「何故その数人にこの子供が入っている?」 「優秀だと言ったでしょう? 将来は私の右腕にするつもりで、陽電子頭脳の設計方法も伝えてあるわ。でもなければたとえバイトでも高校生なんて雇わないわ」 ハナコはKBラボ唯一の非正規社員である。その優秀さに目を掛けたスーザンが学費を援助する代わりに、将来KBラボに就職することを約束させたのだ。 「……陽電子頭脳の設計方法を知っている? まさかその少女は、既に完成された陽電子頭脳を扱えるのではなく、自分の手で一から陽電子頭脳を作り出すことができるのか!」 アイザックが興奮した様子で叫んだ。 スーザンは自身の失言を悟る。アイザックは思わずと言った様子でハナコの方に駆け寄り、その手を取って捲し立てる様子で言う。 「答えてくれ! 陽電子頭脳はどんな仕組みなんだ? 何度解体しても分からない。量子コンピュータか? それともDNAコンピュータか? それとも何かまったく新しい……」 「機密中の機密よ! 答えるはずがないじゃない! 離れなさい!」 スーザンが叫ぶと、アイザックは不承不承と言った様子でハナコから離れて行く。 ハナコは困惑した様子だった。ほとんど泣きそうな様子で、怯えた視線をスーザンとアイザックの間で行き来させている。 そんな三人の前に……一台のロボットが白いタオルを持って現れた。 「オ待たタセイタシマシタ、ゴ主人様!」 メイドロボ・カオルが主人にタオルを届けに現れた。 「遅い」 しかしアイザックは冷たく言い放ち、カオルの腹に蹴りを入れ、床に転んだところに銃を突きつけた。 「タオルを探してくる如きタスクにどうしてこれほどの時間を要する? これだから旧式はダメだ。いよいよスクラップにして……」 「あ……あの……っ」 そこで、おずおずと声を発したのはハナコだった。 「あの、アイザック……さん。そのメイドロボットは……いったいどこで?」 「あ? どこでって、我が社の売れ残り商品だよ。普段使ってるメイドロボを修理させている間、代わりのメイドロボが必要になったから、テキトウな奴を連れて来たんだ」 「で、でも、壊して捨ててしまうんですか?」 「使って見りゃ分かる。こりゃあ三世代は前の奴だぜ? おまけに錆が溜まってるのか動きもぎこちない。使い物にならないんだったらスクラップにするしかないだろう」 「だ、だったら!」 ハナコは勇気を振り絞った様子で言った。 「そ、そのロボット、あたしにくれませんか?」 「は?」 「そのロボット、あたしのお姉ちゃんにそっくりなんです。昔両親と一緒に事故で死んだ、大好きだった優しいお姉ちゃんに……。だから……」 それを聞いて、アイザックは少し考え込んだ後に、嗜虐的な表情を浮かべてこう言った。 「スクラップ寸前とは言え、これは我が社の商品だ」 肩を竦め、アイザックは銃を下ろして、カオルの襟首を掴んでハナコの前に立たせた。 「欲しいのなら相応の料金を支払ってもらう。定価にして六千九百八十デルだ」 ハナコは絶望的な表情を浮かべる。 「そ……そんな大金……」 「ちょっと待ってアイザック! スクラップにしようとしていたロボットでしょう? なんでそんな大金を付けるの?」 スーザンが怒声を発した。しかしアイザックは涼しい表情で。 「売れるものをただでやる程お人好しじゃない。何も意地悪で言ってるんじゃないぞ? 単に商売人としてのポリシーの問題だ。たったの百デルを稼ぐのにも死力を尽くしていた、若い頃の苦労を忘れたくはない」 「だからってそんな型遅れに七千デルも付けるのは暴利過ぎる! 最新式の人型ワーカロイドですら、あなたの会社は二千デル以内で販売しているはずよ!」 「大企業は同じ技術を年月と共により高度に、より廉価にしていく。逆に言えば昔のポンコツロボットの方が今の高機能なロボットより高い。これがデパートで売っていた頃は、確かに六千九百八十デルしたんだよ」 「こんな奴からものを買ってやる必要はないわ、ハナコ」 スーザンはハナコに言った。 「で、ですが、サイトウ所長……。このロボット、本当にお姉ちゃんそっくりで……」 「だとしてもこれはあなたのお姉さんじゃない。諦めなさい。……行くわよ」 そう言うと、泣きそうになっているスーザンは強引にハナコを連れて、UFロボット社を後にした。 〇 アイザックとの商談を終えた後、ラボに戻っていくつかの雑務をこなしたスーザンは、エタジュール街の外れにあるアパートへと帰宅した。 家に帰る時、一人暮らしのスーザンは鍵を使わない。入口のチャイムを鳴らすと、アパートの奥から一台のワーカロイドが駆けつけて、スーザンの代わりに扉を開けてくれるのだ。 「おかえりなさい。スーザン」 出迎え人型ロボットに対し、スーザンは三十一歳になる女にはあるまじき無邪気な微笑みを向け、明るい声で言った。 「ただいま。母さん」 『ロビィ』という名前を持つ陽電子頭脳搭載の……すなわち喜怒哀楽の感情を有する人型ロボットは、スーザンに明るい微笑みを返した。 ロビィの姿はスーザンとよく似ていた。背恰好や髪や肌や瞳の色はもちろん、顔つきもどことなく面影がある。違うのは外見年齢くらいのもので、スーザンが後十五年程歳を取ったら、こうなるだろうと思わせるものだった 「ごはんが出来ているわよ。あなたの大好きなビーフシチュー」 「あら。それは嬉しいわ、母さん。早速食べるから用意しておいてちょうだい」 「ええスーザン。ちょっと待っていてね」 寝室に荷物を置きに行って、戻った時には夕食の準備は済んでいた。 「いただきます」 食事をするのは当然スーザン一人だ。ビーフシチューには幼少期に食べたものとよく似た、しかし決して完全には同じではない味わいがある。ロビィは向かいの席で微笑みを浮かべながら、食事をするスーザンを見詰めている。 「ねぇ母さん今日はね、私アイザックと会って来たの」 それを聞くと、ロビィは驚いた表情を浮かべた。 「昔みたいに、兄妹仲良くできた?」 「全然。あいつったら、まだ私の陽電子頭脳を狙っているの。それもセクサロイドとかバトロイドとか、くだらないものに搭載させるつもりでね。やんなっちゃう」 「あら。それは困った兄さんね。あなたの素晴らしい発明品は、そんな下品なことでなく、もっときちんとした方法で世の中の役に立つためにあるのにね」 「本当よ。母さんからも一度言ってやって欲しいけど……あいつはどうせ母さんのいうことなんて聞かないんだろうな」 「どうかバカなアイザックを許してあげてね、スーザン。あの子も決して悪い子じゃないの。根気良く接し続けてあげていれば、また昔のような優しい兄さんに戻るはずだわ」 「分かっているわ。母さん」 食事を終えると、ロビィに後片付けをさせている間に、スーザンはロビィが沸かしてくれていた湯に浸かった。風呂から出る頃には、スーザンの寝巻と入浴後のジュースがロビィによって用意されていることだろう。 ロビィを作ったのは陽電子頭脳を開発して間もない時のことだった。 当時のスーザンは陽電子頭脳の開発によっていくつもの賞金を手にし、自分用の機械生命を作るだけの余裕があった。そんなスーザンが作ったのは、亡き母ロビィの姿と精神を模した人型ワーカロイドだった。 姿を似せるのは写真や映像を元に外注すればことが済んだが、精神の模写は手間のかかる作業だった。陽電子頭脳は内部シナプスの配列をいじくることで、その思考や行動の傾向……すなわち人間性をも自由に作り上げることが可能だ。しかし人一人の精神を完全に再現するというのは、世界でもっともその作業に精通したスーザンにとっても難しいものだった。 最初は上手くいかなかった。スーザンの思い出の中の母親にどれだけ似せて作ったところで、接すれば接する程綻びが感じられてしまう。ふとした所作や言動から、『母さんはこんな人じゃなかった』という感情がスーザンの中から湧き上がるのだ。 その度にスーザンはメンテナンスを繰り返し行い、記憶の中の母親に限りなく近い今のロビィを作り出した。それが本物のロビィにどれほど近いかは分からない。実際、一度アイザックがロビィと接した時は、『おまえの甘えた根性が良く分かる』と一笑して切り捨てたものだった。 それでもスーザンはロビィを愛していたし、ロビィを自分の母親と信じて接していた。 〇 ハナコの無断欠勤が始まったのは、およそ三週間前、アイザックと会った数日後のことだった。 スーザンはというと怒り狂ってハナコに電話をし、学費援助を打ち切るぞと脅迫のメールを送りまくったものだったが、一切の応答は得られなかった。 ハナコはスーザンが手塩にかけて育てていた将来の右腕候補で、ラボでは皮肉交じりに『お姫様』と呼ばれていた。そんな彼女の突然の失踪に、スーザンの胃は怒りと不安で煮えたぎっていた。 そんな折、アイザックからスーザンの端末に電話がかかって来た。 「なぁにアイザック? 今、私は機嫌が悪いのだけれど」 「そうかい? 俺は最高に上機嫌なんだがな」 いつもの軽薄な声色で言うアイザックに、スーザンはますます不機嫌になる。 「あまりに上機嫌過ぎて、妹の口座に三億デル振り込んでしまった」 「……ちょっと待ってアイザック。それは正気で言っているの?」 「正気さ。確かめて見ると良い」 「どうしてまた……気でも狂ったの?」 「それほど俺は今上機嫌と言うことだ。理由は遠からず分かる。具体的には、後日テレビ放送されるUFロボット社の新製品発表会でね」 「アイザック……あなたまさか」 「愛してるよスーザン。儲からない零細ラボなんかとっとと畳んで、三億デルで余生を豪勢に過ごすことをお勧めする。一緒に住んでる例のポンコツに甘えながらな。アハハハハ!」 そして一方的に通話が切られた。 スーザンの全身は悪い予感に染め上げられた。ただちに外出の予定を整えると、スーザンはラボでの今日の予定をすべてキャンセルして自家用車に乗り込み、UFロボット本社へ急いだ。 〇 受付でアイザックに会わせろと喚くスーザンに、社員たちは速やかにボディチェックを受けさせた後、CEO室へと案内した。 CEO室では豪奢なデスクのチェアにアイザックが踏ん反り変えるように腰かけ、その脇にはやはりというかハナコが立っていた。 ハナコの傍らには、何故かカオルと呼ばれていたメイドロボットが立っていた。スーザンの方を見て消え入りそうに俯くハナコの手を、カオルが優し気に握りしめている。 「訴訟を覚悟しなさい! アイザック!」 開口一番、スーザンは火を噴くようにして吠えた。 「いったいぜんたい、俺のどこに訴訟される謂れがあるのかな?」 「とぼけるな! ハナコをかどわかして陽電子頭脳の設計方法を聞き出したくせに!」 「おやおや。相変わらずアタマの回転が速いことで」 アイザックは嘲弄するようにそう言って、カオルに視線を向けた。 「おまえの作った陽電子頭脳は素晴らしいな。スポンジ状にしたプラチナイリジウム合金の中で陽電子を飛び交わせ、形成されるシナプスによって高度な演算能力を実現している。これほどの演算能力をもってすれば、内部に疑似的に生命の脳機能を再現する如きこと造作もない。もし金と手間を惜しまず改良し、フルパワーを発揮すれば、人智を遥かに上回る超頭脳すら実現可能だろう」 言いながら、立ち上がったアイザックはカオルの頭を撫でた。カオルは微かに嫌悪したような表情を浮かべつつも、すぐに耐えるような作り笑いを張り付けた。従来の機械的な機械ではあるまじき繊細な表情の変化。陽電子頭脳を搭載したロボットに間違いはなかった。 「しかしスーザン、いくらなんでも迂闊が過ぎるぞ。いくら有能でおまえに忠誠を誓っていても、こんな子供に社を重要機密を教えるなんて」 アイザックは消え入りそうになっているハナコの方に視線を向けた。 「設計方法を吐いてくれれば、おまえの姉の人格を刻み込んだ陽電子頭脳を搭載したカオルをプレゼントしてやると約束したら、すぐに協力を得られたよ。よっぽど死んだ姉に合いたかったんだな。おまえになら気持ちは分かるだろう、スーザン」 「自白したわねアイザック! 録音したわよ?」 「ハッタリは止せ。ボディチェックは受けたんだろう? 我が社の金属探知機の前を通過したからには、おまえが膣内に忍ばせていたであろうヌルヌルの録音機も、既に没収済みのはずだ」 「最低! 死ね! 死んでしまえアイザック!」 「残念ながら後五十年は生きるつもりだよ。こちらとしては、『たまたま』『偶然』『幸運にも』、おまえが作ったのと同じ陽電子頭脳の設計方法に、我が社の研究部門が到達したに過ぎない。そう発表する。それでも訴訟を起こすというのであれば、世界最強を誇る我がUFロボット社の法務部門が相手になろう」 スーザンは歯噛みした。UFロボット社の法務部門の優秀さは世に知られている。一流の弁護士が何人も勤務しており、訴訟を起こされた際のノウハウも強固なものを持っている。ハナコが情報漏洩を行ったという物的な証拠がない以上、零細企業であるKBラボに勝機はない。 「あなたはそれで良いの? ハナコ!」 アイザックを相手にしてもしょうがないと見て、スーザンは自身が手塩にかけて育てていた将来の懐刀に声をかけた。 「私がどれほどあなたに良くしてやったか……。その恩を仇で返すような真似をして。恥ずかしく思う気持ちはあるんでしょう? 今からでも、改心したあなたがきちんと法廷に立てば、アイザックとUFロボット社を訴えることが……」 「……ですが、それではお姉ちゃんを奪われてしまいます」 ハナコは消え入るような声で言った。 「関係ない! それはあなたのお姉さんじゃないの! ただのまがいものの木偶人形に過ぎない! そんなものの為にこの私を裏切るなんて、あなたはとうてい正気じゃない!」 「おいおいスーザン。母さんそっくりのロボットに毎日甘ったれているおまえに、他人のことは言えないだろう」 アイザックは呆れたように言った。 「うるさいアイザック! 私はハナコと話しているの!」 スーザンは血走った目でアイザックに吠え、改めてハナコに向き合う。 「ちゃんと責任を取りなさい、ハナコ! あなたがしたことは許されることじゃないけれど、まだ償う方法はあります。良く考えて。そのまがい物の木偶人形の為に悪魔に魂を売るのか、諦めて私に償うのか! さあ、どうするの?」 「スーザン様。一つ言わせてください」 震えて何も言えなくなっているハナコの代わりに、口を開いたのはカオルだった。ハナコを守るように一歩前に出て、凛とした様子でスーザンに声をかけるその様子は、到底機械とは思えなかった。 「確かにわたしはまがい物です。木偶人形と言われても仕方がないでしょう。しかし、この子のことを本物の妹のように感じ、愛する気持ちは、今は亡きこの子の本物のお姉さんに何ら劣るものではありません」 芯の通った声。 「たとえそのように設計されたからであったとしても、わたしはこの子のことを愛しています。そしてどういった理由であれ、この子もまたわたしのことを必要としてくれます。それを絆と呼ばずして何と呼びます? わたしのこの姿と心は確かにまがい物かもしれません。しかし、この子とわたしの間にある確かな絆だけは、決してまがいものなんかじゃない」 スーザンは圧倒されていた。心を持つ者でなければ決して口にすることのできない、それは魂の籠った言葉だった。 「素晴らしいスピーチだ」 アイザックは冷笑的に言った。 「本質を突いている。何も、あんたがハナコの姉さんであろうと無かろうと、あんたというロボットはハナコにとって必要だ。あんたとハナコを離れ離れにすることは誰にもできない」 「ハナコがあなたを裏切った時、カオルをハナコから取り上げるのはあなたでしょう? アイザック」 スーザンは詭弁を指摘する。しかしアイザックはあくまでも涼しい顔で、開き直るように。 「そのロボットの最上位のマスター権はあくまでも俺が持っているからな。俺の命令にカオルは逆らえないし、永久に機能停止に追いやることだって簡単だ。俺はハナコの姉さんの命を握っていると言う訳だ」 そう言って高笑いをする。そして、怯えた表情を浮かべるハナコに、アイザックは如何にも白々しい声色で。 「なぁに。言うことを聞いている限りは、カオルの安全は保障するさ。約束した通り、学費やら生活費やらの面倒だって、これからは俺が見てやる。複雑な陽電子頭脳を扱える人材は貴重だから、合間でウチで働いてもらうがね。そして大学を出たら、あんたは晴れて、世界企業ランキング五年連続トップのUFロボット社に、正規雇用されると言う訳だ」 「……そんなこと言って。ハナコは私を裏切ったのよ? あなたのことだっていつか裏切るんじゃない?」 スーザンは白い目でアイザックを見る。しかしアイザックは飄々と。 「決して裏切らない人間などいない。ヘッドハンティングのリスクは常に付きまとう。大切なのは、日ごろから有能な人材をどれだけ評価し、あらゆる面で投資ができているかということだ。スーザン、おまえの失敗はそこにある」 「私はハナコに良くしてあげたわ! そもそもこれはそういう問題じゃないでしょう。むしろ道徳の……」 「道徳だって? そんなものは犬にでも食わせてしまえ!」 アイザックは高笑いした。 「さあ話はおしまいだ。失せろスーザン。おまえはおまえの木偶人形と、精々幸せに暮らすんだな。アハハハハハ」 〇 アイザックに退けられた傷心のスーザンは、普段飲まないアルコールを過剰に摂取した挙句、化粧も落とさずに泥のように眠りについた。 そして夢を見た。 それは夢と言うよりも過去の出来事の反復だった。フラッシュバックと言っても良いかもしれない。スーザンの心の中にこびり付いて離れない、それはもっとも忌々しい記憶だった。 二十三年前の出来事だった。八歳だったスーザンは母親と兄と三人で家に住んでいた。 深夜。眠っているスーザンの部屋に、アイザックが忍び込んで来た。気付いて目を開けると、アイザックの手には、スーザン買って貰ったばかりの玩具用の小型ロボットがあった。 「何をしているの? 勝手に触らないで、兄さん」 「少し借りるだけだ。内部構造を見てみたいから、少し解体する。終わったらちゃんと元通りにして返すよ」 「解体って……。そう言って兄さんは前も私の玩具を壊したくせに!」 「騒ぐなよ。今回はちゃんと本で予習してあるから、壊したりはしないよ。道具もちゃんと揃えてあるしな」 ロボットは床からアイザックの膝程までの大きさで、ボディは如何にもロボットと言った白色で、関節部分からは金属部品がむき出しになっていた。 「進学したら機械工学の分野に進もうと思っているんだ。だから、ロボットの内部構造に興味がある。ガキは黙って寝ていろよ、スーザン」 「母さんに言いつけるわよ? やっと買って貰った玩具なのに、壊されたらたまらないわ!」 「今から寝ている母さんを起こして告げ口しに行くのか? ……好きにしろよ。こんな夜中に叩き起こしたって、不機嫌になって、騒いだおまえを突き放すだけさ」 そう言って、涼しい顔でロボットを、すぐ隣の自室へと持ち去るアイザック。 スーザンは激怒した。このまま掴みかかりたい気持ちだったが、しかし腕力で九つも年上の兄に勝てる訳はない。それに、今アイザックに言われたことも気に食わなかった。 母さんは確かに冷たい時の多い人だ。しかし機嫌の良い時などは、優しく温かいこともある。この件は明確にアイザックが悪いのだから、ちゃんと訴えれば叱ってもらえるはずだ。 そう思い、スーザンは母親の寝室に向かおうとした。 そしてリビングを通る時、見知らぬ人物と遭遇した。 浅黒い肌に、極端に大柄な体格をした男だった。浮浪者のようなボロ衣同然の衣類を身に着け、全身からは汚れた臭いを漂わせている。背中に大きな袋を下げたその人物は、金目のものを探してか棚やら箪笥やらを手当たり次第に漁っていた。 家人の寝静まる深夜を狙ってやって来た、泥棒だ。 スーザンは震えあがった。事態を家族に知らせる為にその場を逃れようとしたスーザンの腕を、駆け寄って来た男が掴んだ。そして懐からナイフを取り出すと、スーザンの方に掲げて恐ろしい声で言った。 「動くな。あっちを向いて、おとなしくしろ。」 男の口からは例えようもない悪臭がした。鋭い銀色のナイフの前に、スーザンは震えあがって顔をそむけ、言う通りにするしかない。 「おっと、俺の方を見るなよ? あっちを向いたまま、小さな声で金目のものの在り処だけ教えるんだ。俺の顔を見ようとしたり、大きな声を出したりしたら、すぐに殺す」 「金目のものなんて……私、どこにあるか知らない」 「何かは知っているだろう? 分からないというのなら、このナイフで目玉を抉ったって良いんだぜ? 親の通帳や財布の在り処、宝石や貴金属の類はどこか。価値のあるものなら何でも良い。さあ、吐くんだ!」 スーザンは本当に知らなかった。腕を掴まれ、ナイフを突きつけられたまま、スーザンは力なく泣きじゃくるしかない。 「泣いてたって分からないだろう! こんなちゃんとした家に住んでるおまえと違って、おれ達は今夜泊まる場所すらないんだ。ちょっとくらい金目のものを別けて貰わないと、割に合わないってもんだろうが! さあ、吐けよ!」 その時だった。 銃声が鳴り響いた。男の左肩に穴が穿たれ、その奥深くに弾丸が減り込む。 流血し、うめき声を上げながら崩れ落ちる男から解放されたスーザンは、思わず銃声のした方に目をやった。 拳銃を持ったアイザックが、硝煙の漏れる銃口に息を吐き掛けながら肩を竦めた。 「やれやれだ。こんなこともあろうかと、拳銃を一丁ちょろまかしておいて正解だったぜ」 そして恰好付けた動作で拳銃を一回転させる。 「俺と同じ人種じゃないな。さてはエスキナ人だな? エスキナ国は戦時中で貧乏な上、かなりきつい徴兵もある最悪な国だから、ちょくちょくこのイニーツィオ国に逃げて来るんだってな」 後から判明したことだが、アイザックの言うことは当たっていた。男はエスキナから亡命して来たものの、住民票が手に入らず、まともに働けなかった結果として泥棒を繰り返す不法入国者だった。 アイザックは拳銃をクルクルと回しながら男に近付いて来る。 「さぁて。良くも俺の妹にナイフを突きつけて泣かしてくれたな。どういう目に合うか、覚悟はできているんだろうな?」 「ダメよアイザック! こっちに近付かないで!」 スーザンは泣き叫び、兄に訴える。 「おいおいスーザン。冗談言うなよ。そいつは強盗未遂の密入国者だぜ? たとえ射殺したって俺にお咎めは……」 「そうじゃない! 後ろ!」 スーザンは気付いていた。隣の部屋から事態に気付いた男の仲間が、ドアの隙間からアイザックのことを狙っていた。そしてのこのことそちらへ近づいて来るアイザックがちょうど狙いやすい位置に現れたところで、仲間の男の持っていた拳銃が火を噴いた。 その時だった。 飛び込んで来た人影がアイザックに絡みついた。アイザックを襲った凶弾は、アイザックではなくその人影に命中し、鮮血を飛び散らせる。 不幸にも凶弾は人影の心臓を貫いていた。青色のパジャマはあふれ出る血液で真っ赤に染まっている。その命が既にないことは明らかだった。 「母さん?」 スーザンは泣き叫ぶ。 「母さん……母さん!」 アイザックを庇うようにして代わって弾丸を受けたその人物は、誰であろう二人の母親であるロビィ・サイトウだった。アイザックの放った銃声を聞いて、様子を見に来たところで息子の危機を察し、命懸けでアイザックを救ったのだ。 「この野郎!」 アイザックは親の仇の方を血走った眼で睨み付け、素早く拳銃を向け、二連続で発砲した。しかしドアの隙間に隠れた男に命中することはなく、男はすぐに背中を向けて、窓から外へ逃げた。 すぐに救急車を呼んだが、母親の命は助からなかった。 その後の警察の調査によって母親を殺した男の身柄は確保され、厳罰を受けた。しかしこの出来事はスーザンの胸には深い哀しみの記憶として、アイザックの心にはどす黒い怒りの記憶として、それぞれ爪痕を残した。 「俺は将来、強力なバトロイドを設計して何台も作成し、薄汚いエスキナ人のことを血祭にあげる。母さんを殺された復讐をするんだ」 そう言うアイザックが間違っていることは当時のスーザンですら良く分かった。母親を殺したのはそのエスキナ人一人であって、エスキナ人全体ではないからだ。彼らの多くは根本的には善良で、ただ過酷な状況の中で必死に日々を生きているに過ぎない。憎むべきではないとスーザンは思った。 やがてアイザックは目標だったロボット工学者になり、すぐに自分の会社を立ち上げて財を築いた。後を追うようにしてスーザンも同じロボット工学者になり、陽電子頭脳を開発したが、その動機には母親の死が密接に関わっている。 「私は将来、母さんそっくりのロボットを作って、母さんと同じように考えて動く人工知能をそこに搭載する。そうやって、母さんを復活させるんだ」 その夢は叶った。ロビィはいつもスーザンの傍にいる。 しかし心を覆いつくすような哀しみと、大切な者を奪われる恐怖は、スーザンの胸の中に今も燻って拭い去れない。 〇 趣味の悪い音楽がテレビから鳴り響き、『UFロボットチャンネル』という趣味の悪いロゴが画面に表示される。 そして趣味の悪いスーツを着た司会者が画面に現れると、甲高い声で言った。 「こんばんは! 今日もUFロボットチャンネルのお時間です。司会は今日もワタクシ、ゴマスリ・ウゼーナでお送りいたします」 UFロボットチャンネルは夜の十時から全国放送されている一社提供の番組だ。丸一時間に渡って延々とセクサロイドが媚態を振りまいたり、アイザックが自慢話を垂れ流したりするという、悪夢のような内容で知られている。 「さて、本日は驚愕の新製品を発表するということで……この方に来ていただきました。この番組の事実上の主役でもあり、先日はイニーツィオ政府から技術功労賞をたまわった国の英雄、アイザック・サイトウCEOです!」 ゴマスリの乾いた拍手と共に、どういう訳か白煙を背景にして現れたのは、筋肉質な体に高価なスーツを身に纏い、金髪を後頭部へと撫でつけたアイザックだった。 「お忙しい中お越しいただき、ありがとうございますアイザックCEO。相変わらずハンサムですな。スーツが良く似合っておいでです」 「そうだろうとも。俺はゴマを擦られるのは嫌いだが、事実を言われるのは嫌いではない」 アイザックはにやにやしながらそう答える。 「早速本題に入ろう。ゴマスリくん、君は『陽電子頭脳』という言葉に聞き覚えはないかね?」 「それはもちろん。優秀なアイザックCEOの優秀な妹様が開発なさったという、あの人間同様の創造性や感情を持つという、究極の人工知能のことでしたかな?」 「その『究極』は旧い時代の『究極』だ」 アイザックは胸を張って言う。 「俺が新たに開発した『ネオ陽電子頭脳』は、従来の陽電子頭脳を遥かに凌駕する」 「なんと!」 ゴマスリは大仰に身をのけ反らせる。 「まさか! アイザックCEOは、スーザン様の陽電子頭脳を上回る人工知能の開発に、成功したとおっしゃるのですか!」 「その通りだとも」 アイザックは高笑いをする。 「まあ時間の問題だったともいえる。ほんの数年でも、妹のスーザンがこの兄に先んじていた事実がおかしいのだ。俺の頭脳を持ってすれば、奴の陽電子頭脳の設計方法を丸裸にし、まったく新しい技術に昇華する如きこと、まるで造作もない」 「流石はCEO! 世界一のロボット技術者はあなた様で間違いありますまい!」 「そうだろうとも。俺はゴマを擦られるのは嫌いだが、事実を言われるのは嫌いではない」 「それで……『ネオ陽電子頭脳』とは一体どのようなものなのですか?」 「これを見るが良い」 それは親指程の大きさもない小型端末だった。長方形の白い外装の先端から、金色の金属突起が小さく露出している。教科書にも乗るような遥か古の時代に活躍した、程度の低い記憶媒体に、その姿は酷似していた。 「これこそが、俺の開発した新たな陽電子頭脳、ネオ陽電子頭脳である」 「なんと! こんなに小さくて軽い物が?」 「既存の技術を小さく、安く、大量生産ができるように設計するのが、我々のような大企業のなせる技だ」 「信じられません! いったいどのようにしてこんなに小さく作ることが出来たのですか?」 「従来の陽電子頭脳では、素材としてスポンジ状のプラチナイリジウム合金が使われていた。しかしその必要な合金の量は大きく、しかもスポンジ状に加工するのに多大なコストがかかっていた。スーザンの作るロボットが高価なのはそう言う理由だな。そこで俺は、プラチナイリジウムに代わるより優れた材料を探し……このオリハルコン合金に辿り着いた!」 「オリハルコン合金! 極めて希少であると言われる、あのオリハルコン合金ですか!」 「そうだとも。オリハルコン合金には電子の伝導率が極めて高いという特徴がある。よってその分内部で飛び交う陽電子の動きも活発、かつ激しいものとなる。我が社の技術によりそれを正確に制御することで、プラチナイリジウム合金よりも遥かに少ない質量で、必要なシナプスを形成することが可能となる。おまけにスポンジ加工する必要性もない」 「しかし、オリハルコン合金と言えば、プラチナイリジウム合金よりも高価なのではないですかな?」 「その通りだ。しかしこれに使われているオリハルコン合金は僅か13グラムだ」 「13グラム! 吹けば飛ぶような量ではないですか!」 「これほど少ない量ならば如何にオリハルコン合金と言えど比較的安価だ。具体的には、これによって作られたロボットは、スーザンのものの十分の一以下の金額で量産し、皆様に販売できる」 「このゴマスリ、身が震えております! これは世界に革新が起きる技術ですよ!」 「その通り! この新技術により、我がUFロボット社はさらなる大企業に躍進を遂げる! このネオ陽電子頭脳を搭載した新型ロボットは、この番組が終了次第予約活動が開始され、来月には皆様の……これを見ているあなたの元に届く!」 「そ、その新商品について具体的にお話いただいてもよろしいでしょうか!」 「もちろんだ! サンプルとして何台か連れてきている! 早速登場していただこう!」 そう言って、アイザックは画面の端に向かって片手を捧げる。 それに応じるようにして、スタジオの奥から白煙が舞い上がる。そしてその中から、驚くべき姿の人影が現れた。 アイザックは仰天した様子だった。そこにいたのはもう一人のアイザックだったからだ。後ろに撫でつけた光沢のある金髪も、白い肌も、筋肉質で大柄な肉体も、皮肉な笑みを浮かべた表情も、何もかもがアイザックと一致している。 「なんだこいつは? おい予定と違うぞ。最新型美少女セクサロイドが出て来る段取りだったはずだ。俺そっくりのロボットなど作った覚えもないし、作るよう命じた覚えもない」 アイザックは困惑した様子で言った。 「俺がロボットに見えるかい?」 もう一人のアイザックがニヒルな笑みを浮かべて答える。 「ロボットじゃなきゃなんのつもりだ? ドッペルゲンガーか? くだらない」 「ロボットでもドッペルゲンガーでもない。俺こそが本物のアイザックだ」 「おい! 誰かこいつを黙らせろ!」 アイザックは激怒するが、もう一人のアイザックはあくまでも涼しい表情で語る。 「黙らせたところで俺が本物である事実は変わらない。おまえこそがロボットなんだ。外見、内面共に可能な限り俺を再現した上、さらには自分を人間のアイザックと思い込むようにネオ陽電子頭脳に刻み込んだロボットだ」 「黙れ偽物! 本物は俺だ!」 激情家のアイザックは顔を真っ赤にしてそう叫ぶ。そして懐から拳銃を取り出し、もう一人のアイザックに突き付けた。 「もう良い! この忌々しいポンコツは俺が直々にスクラップにする! そしてこいつを作った奴はクビにしてやる!」 「こんなスタジオで発砲なんかして良いのかな?」 「ふん。こいつは普通の銃じゃない。おまえらロボットを破壊する為の放射線銃だ。人間には無害な微弱な放射線であるガンマ破を放ち、陽電子頭脳内部の陽電子を一掃する」 「陽電子は放射線に弱いからな。俺がロボットなら、そいつを食らえば一撃でスクラップだ。……やってみろ」 「死ね! 木偶人形!」 アイザックが放った放射線銃から、不可視のガンマ破をもう一人のアイザックに向けて放たれる。 しかし、もう一人のアイザックは無傷だった。 「バカな……。壊れているのか、この銃は」 「いいや壊れていない。そして、今から壊れるのはおまえの方だ」 もう一人のアイザックは懐からアイザックが持っていたのと同じ銃を取り出すと、アイザックに向けて発射した。 アイザックに命中したガンマ破は、今度は明確な効果を発揮した。四肢を制御していたネオ陽電子頭脳を破壊されたことで、アイザックは立っていることもままならなくなり、その場で崩れ落ちて倒れた。 「言っただろ? ロボットはおまえの方だってな」 もう一人のアイザック……本物のアイザックはそう言いながら、ロボットのアイザックを見下ろした。 「これは……いったいどういうことなのでしょうか?」 ゴマスリが戦慄した様子で本物のアイザックを見やる。 「デモンストレーション用にドッキリを仕掛けさせてもらった。おまえが今まで話していたのは、俺が自分そっくりに作成したロボットだったんだよ」 「なんと……ではワタクシは、これまで騙されていたというのですね!」 「その通りだ。そして騙されたのはおまえだけではない。この番組を見ていたすべての視聴者も同じだろう。見事だっただろう? ネオ陽電子頭脳を使えば、特定の誰かにそっくりなロボットを作ることなど容易なのだ。その内面も含めてな」 「す……素晴らしい!」 ゴマスリは額に汗をしながら、しかしリアクション役としての職務を全うする為、興奮した風に立ち上がった。 「高度に発展した科学というものは魔法と一切代わりがないと言います。ワタクシはどうやら科学の魔法にかけられていたようでした! それはこの番組を見ている皆さまも同じでしょう! この素晴らしい体験、ワタクシは一生忘れないでしょう!」 熱狂した様子のスタジオの中で、動作を停止したロボットのアイザックだけがみじめに床を転がっていた。その外観は人間のアイザックと何ら変わりなく、またつい先ほどまで人間のように考え動き、喋っていただけに、その姿は胸を打つほどに哀れだった。 「さて。ドッキリが上手くいったところで、早速新製品発表会を始めようじゃないか!」 アイザックが指を鳴らすと、多様なロボットが画面の奥から登場した。 まずは見る者の心を奪う美しくも愛らしい美少女セクサロイドがご挨拶だ。白い肌と桃色の髪、華奢な体には考えられないを大きなバストを持った彼女は、頭を深々と下げた後、ピンク色の声で自己紹介を行う。自らに備わっている機能やアピールポイント、そして一秒でも早く『アナタ』の元へ駆けつけ、ラブラブな毎日を送りたい気持ちを、愛嬌たっぷりに説明してのける。 その後も次々と新しいロボットがスタジオに現れる。 特殊部隊幹部がそのAIを監修した屈強なボディガードロボットや、人間の母親同様の愛情を子供に抱く家事万能の育児ロボットなどなどが、自らの意思と言葉で己の機能を説明した。 そしてそれらのロボットの販売価格は、KBラボ製のものの十分の一以下というのだから、驚きだった。 〇 その後も番組は続き、やがて放送時間も残りわずかとなった頃だった。 スタジオの座席にふんぞり返りながら、アイザックは重々しく口を開いた。 「話は変わるが……我々のイニーツィオ国の厄介なお隣さんであるエスキナ国が、我々の友好国であるアビエニア国に対し、侵攻としか言いようのない行動を取ったという危険なニュースは、皆さまご存じかな?」 その問いかけに、ゴマスリが重々しく答える。 「は……。もちろん、最近のニュースはその話題で持ちきりです。エスキナとの国境付近のアビエニアの街を予告なく攻撃し、制圧したとのことで。無辜のアビエニア人が、何人も犠牲になっているようです」 エスキナ国は世界的に危険視される過激な軍事国家だ。 植民地を広げる為、様々な国家に戦争を吹っかけている。ただでさえ経済的に豊かでないのに、軍事費に金を使いすぎる所為か、国民たちは明日の食事にも困っていた。徴兵にもきついものがある。そんな状況から逃れる為か、亡命者による不正入国が問題となっている。 「このことについて、イニーツィオ国軍の大幹部であるカルナー将軍が国民に向けて声明を発している。曰く『正義のイニーツィオ国軍としては、この事態は見て見ぬふりをできない。今こそエスキナに侵攻を仕掛け、正義の鉄槌を加える必要がある』とのことだ。我がUFロボット社としては、この素晴らしい意見に強く賛同し、カルナー氏を強く援護する姿勢を表明する」 あまりにも剣呑な話題に、ゴマスリは額に汗を浮かべた。 「た、確かに、アビエニア国の置かれた状況と、エスキナによる暴虐は看過できないものがあります。しかしながら、エスキナに侵攻を掛けるということは……それは我がイニーツィオ国の方から戦争に参加する……戦争を仕掛けるということではないのですか?」 「まあそういうことになる」 「それは世論が許さないのではありませんか?」 「と、いうと?」 「経済制裁を強める等して、侵攻を止めるようエスキナ首相に働き掛けるべきなのでは? アビエニアを軍事的に支援するにしても、こちらからは攻めずあくまでも防衛を手伝うという形や、武器や物資を送ると言うやり方もあります」 「生ぬるいな。それで今回アビエニアを守れたとしても、エスキナが世界に存在し続ける限り、依然として脅威が残り続けることになる。今ここでエスキナを再起不能に追い込むべきだ」 「しかし、いくら正義の目的の為とは言え、いきなりエスキナに侵攻を仕掛けるというのは早計です。本格的な戦争となれば、我がイニーツィオ軍にも多くの犠牲が出ます。最悪の場合、徴兵が行われたり、本国が危険に晒されたりすることもないとは言えません!」 「その心配は無用だ」 アイザックは皮肉な笑みを浮かべる。 「戦争に参加するのは、我々人間ではない。我々UFロボット社が開発した、ロボットの兵隊……無敵のバトロイド達なのだ」 「な、なんと!」 ゴマスリはわざとらしく仰天した。 「ロボット兵であればいくら破壊されても人道的な問題はない。そしてその性能は人間の兵を遥かに凌駕する。腕力や敏捷性は人の数倍、そこに無尽蔵の持久力と氷の頭脳が加わるのだからな。一瞬にしてエスキナを降伏に追い込むことは容易い。圧倒的な力を見せつけて素早く決着を付けることができれば、本国が危険に晒される心配もないさ」 アイザックの言い分に、ゴマスリは額からだらだらと汗を流しながら沈黙する。 「UFロボット社は既に二十万台の軍用バトロイドを制作して、イニーツィオ国軍に預けてある。近日中にはカルナー将軍から改めて国民全員に向け、エスキナ侵攻の是非を世論に問う演説が行われる見通しだ。必ず視聴して欲しい」 アイザックは誇らしげな表情を浮かべる。 「これから今言った軍用バトロイドの性能を紹介した映像を流す。我々UFロボット社は今後もイニーツィオ国軍と強く連携し、世界正義の為に戦い続けるのだ。薄汚いエスキナ人に鉄槌を! アハハハハハ!」 〇 「バカげている!」 そんなイカれた内容の番組を視聴しながら、自宅の机を叩いたのはスーザンだった。 「何がネオ陽電子頭脳よ。バカみたいな名前を付けて……。使われている素材とシナプスの形成プロセスは違うけど、でも結局は私の陽電子頭脳を下敷きにしたものじゃないの!」 テレビの向こう側のアイザックにそう吐き散らすが、当然ながら返事はなかった。 しかし裁判を起こしたところで、スーザンが不利である事実に何ら変わりはない。陽電子そのものは陽電子頭脳の登場前からいくつかの分野で使われており、そこにスーザンの特許権は付随しないからだ。 だからこそ陽電子頭脳の設計図は秘密にしなければならなかった。増してや、アイザックのような優秀な工学者には絶対に。彼に設計図を知られたら最後、巧妙なやり口で法を掻い潜ってパクられるのは目に見えている。 「希望を捨てないでスーザン。裁判の手続きは進んでいるんでしょう? それに勝てれば、陽電子頭脳をあなたの手に取り戻すことも……」 ロビィが心配げな口調で言って、スーザンの肩を掴んだ。 僅かに気を落ち着かせたスーザンは、しかしあくまでも苦々しい口調で。 「でもね母さん、それは難しいのよ。UFロボット社の法務部門は優秀よ。アイザックのことだから裁判所にカネを渡して来るでしょうし……。相当不利な戦いになるでしょうね」 「そうなの……」 「忌々しいことにね。でもね、最早一番の問題はそこじゃないの」 スーザンは忌々し気な表情で、画面内で流れている軍用バトロイドのプロモーション・ムービーを見やった。 「このバトロイドは私の陽電子頭脳を下敷きに開発されているわ。こんなものがエスキナとの戦争で使われでもしたら……それは私の技術が人殺しに使われるということなのよ! そんなにおぞましいことってない! 戦争なんて本当にバカげている!」 「そんなこと世論は認めないわ、スーザン。イニーツィオで戦争なんて起こらない。きっと大丈夫よ」 「……そうね。そうだと良いのだけれど」 スーザンは大きな溜息を吐いた。 「でもね母さん。世論っていうのは案外愚かなものなのよ。こちらから戦争を仕掛けるべきではないということは、誰もが分かっている。それでもこんな映像を見せられたら、人々はロボットの力に熱狂するわ。熱病に浮かされた人々は真っ当な倫理観や判断力を失くして、『正義の為』とかそういう言葉を免罪符に、ロボットがエスキナ人達を血祭に上げることを望むようになる」 映像内ではアイザックの作ったバトロイド達が次々に難しい課題をこなしていった。数キロ先の的にライフル弾を容易く命中させる射撃ロボット。特殊部隊の精鋭五人を相手に単身で無双する近接格闘ロボット。如何なる難解な局面を前にしても最適な作戦を一瞬にして導き出す指揮官ロボット。それらすべてはUFロボット本社のスーパーコンピューターにより制御されており、人間の命令に忠実に行動する。 放送されるロボット達の勇士は人々を熱狂させるだろう。彼らにとってアイザックの作ったバトロイドはヒーローだ。そのヒーローが正義の目的の為にエスキナ国に戦いを仕掛けることを、人々は熱望せずにはいられない。 「本当に戦争が起こってしまうのかしら? 杞憂に終われば良いのだけれど……でももし戦争が起きて、ロボット達がたくさんの人を殺すようなことがあれば、私はどうなってしまうか分からないわ」 〇 しかしスーザンの心配は杞憂に終わらなかった。 カルナー将軍はイニーツィオ軍の中でも有名な過激派で、アイザックのビジネスパートナーでもあった。そんなカルナーは演説の名人であり、今回も素晴らしい演説をした。 カルナーはエスキナ人による暴虐の数々を怒りに満ちた口調で訴え、今この瞬間もたくさんのアビエニア人達が亡くなり続けている哀しみを、大きな身振り手振りと共に情感たっぷりに語った。 さらに、カルナーは絶妙なタイミングで映像も投入する。エスキナ兵の拷問により片脚を欠損したアビエニアの少年が、泣きじゃくりながら助けを求めるという内容である。彼の両親はエスキナ兵によって殺害されており、十歳の彼は生きる為、売り物になる金属を探して杖を突きながら戦場を徘徊しなければならないのだ。 このような悲劇を食い止める為、このイニーツィオが立ち上がらなくてどうするのか! 『多少の』敵の血は浴びることになるであろうが、正義の目的の為には仕方がない。 しかも戦うのは生身の人間ではなく、ロボットなのだ! UFロボット社が開発した軍用バトロイドの力があれば、アビエニアに侵攻中のエスキナ軍など一瞬の内に制圧できる。バトロイドはすべてUFロボット社によって制御されているから、奪われたとしても敵の命令を聞くことはない。彼らは強力無比かつ安全な兵器なのだ。 これは正義の聖戦である。エスキナを制圧し、アビエニアと世界を守るのだ。 人々はあっさりと熱病に浮かされ、世論は戦争を求める声が湧き上がっていた 〇 「正気じゃない。このままだと、本当に戦争になってしまう」 スーザンはアタマを抱えて言った。 「何が聖戦よ。アビエニアを防衛するだけならまだしも、エスキナに侵攻していくとなれば、たくさんの血が流れることになるわ。陽電子頭脳は、世界でもっともたくさんの死を生み出した最悪の技術として、歴史に残ることになるのよ」 「アイザックをなんとかしましょう、スーザン」 ロビィは痛ましい口調で言った。そんなロビィに、スーザンは喚く。 「無理よ! エスキナへの憎しみで行動しているあいつを、今更説得できるはずがないわ!」 「ええ。説得は私も無理だと思う。しかし、バトロイドを根こそぎ奪い取り、アイザックを失脚させることなら、私たちにもできるかもしれない」 それを聞いて、スーザンは目を丸くした。 「聞いてスーザン。確か軍用バトロイドの全ては、UFロボット本社のメインコンピューターによって制御されているのよね? つまり、最上位のマスター権はあくまでもUFロボット社持ちなのよ。メインコンピューターをハッキングすることが出来れば、バトロイド達を私達の意のままにできるはずよ」 「……理論上はそうね。アイザックが所有しているマスター権は、イニーツィオ国軍が有しているマスター権よりも上位のはずよ」 ロボットのマスター権には序列がある。下位のマスターによる命令は、上位のマスターによる命令によって上書きできるが、その逆はない。 企業が開発するロボットの最上位のマスター権は、誰かの手に渡った後も企業側が有している。持ち主がロボットを悪用したり、企業にとって不都合な使い方をしたりしない為である。その権利は、例え顧客が国軍であったとしても同じものが認められるだろう。 「実際、カルナー将軍は『バトロイドはUFロボット社のメインコンピューターによって制御されている』と言っていた。それをハッキングすれば、バトロイド達を奪い取ることが出来る。軍用バトロイドがいなくなれば、戦争を仕掛けようにも仕掛けようがなくなる……」 スーザンはロビィの言い分を検討する。 「でもそれは不可能なんじゃないかしら? 確かにUFロボット本社ビルには何度も訪れているから、メインコンピューターの場所も分かっている。でも簡単に侵入できる場所じゃないし、辿り着いたとしてもハッキングができる保証はない」 情報工学においても、スーザンは世界トップクラスの技術を持っている自信がある。ハッキングだって得意なのだが、しかし相手はあのアイザックの所持するコンピューターである。ハッキングなどできるものなのだろうか? 「方法はあるわ。私を改造して。スーザン」 ロビィは決意に満ちた声で言った。 「母さんを?」 「ええ。資金を惜しまず改造し、陽電子頭脳がフルパワーを解放すれば、人智を遥かに超越した超頭脳を実現できる。増してやスーザン、あなたは陽電子頭脳の開発者じゃない。私の陽電子頭脳に高度なハッキング・プログラムを搭載することなんて、造作もないわ。UFロボット社のメインコンピューターを乗っ取って、バトロイド達をアイザックの手から奪い取るのよ。そうすれば世論も変わるはずだわ」 二十万台存在するというバトロイド達が誰かによって奪い取られたとなったら、それはアイザック達過激派にとって、致命的な不祥事となり得る。 バトロイドの実践投入は、あくまでも彼らがイニーツィオにとって安全な兵器であるからこそ、可能なことなのだ。容易くハッキングされ奪われるような兵器では、戦場で使い物になるはずもない。確実に世論は変わるだろう。 「母さんの言いたいことは分かった。でも問題は、どうやってUFロボット本社に侵入し、メインコンピューター・ルームにたどり着くかよね」 「それもスーザンが私を改造すれば解決するわ。建造物への侵入に関するノウハウを、私の陽電子頭脳にインプットするの」 「UFロボット社には警備ロボットが巡回している。とにかく数が多いから、そのすべてを避けるのは難しいはずよ。もし見付かれば、戦闘になることは必須でしょうね」 「ならいっそ私に戦闘能力も付与して頂戴。技術面のみならず、ボディも新調して欲しい。生半可な警備ロボットにも負けないようなのをね」 スーザンは悩んだ。それは陽電子頭脳の限界に挑戦するということだった。今までそんなことをしたことはないし、それには多額の資金も必要とした。 「あのねスーザン。これはあなたとアイザックとの知恵比べなのよ」 「知恵比べ?」 「ええ。アイザックのUFロボット社のセキュリティが勝つか、あなたが改造する私の潜入能力が勝つか。人間として技術者として、どちらが優れるかの勝負なのよ」 「勝負……」 「私はスーザンが勝つと思っている。こと人工知能の扱いにおいて、スーザンはアイザックに常に一歩先んじて来たのだからね」 「……そりゃあ、商売ならともかく、工学の技術に関してアイザックに負けると思ったことは、一度もないわ」 ロビィの言葉に、スーザンは微かにプライドを擽られていた。アイザックの設計した警備システムを出し抜いて、奴に大恥をかかせてやれたら、どんなに気分が良いだろうかと考えた。 無論、それは犯罪行為に他ならない。量刑については、法廷でアイザックが妹の自分にどこまでやるかにかかっている。意地でも頭を下げるつもりはないが、その為にすべてを失うことになったとしても、スーザンはそれでも良いような気もしていた。 戦争は食い止められなければならない。自分の開発した陽電子頭脳が戦争用ロボットに搭載され、たくさんの人が血を流すことを阻止するためならば、スーザンは残りの人生を犠牲にする覚悟があった。 「……そうね。分かったわ」 そうして、スーザンは決断した。 「母さんの言う通りにする。アイザックを停める為に、私と一緒に戦ってね」 ロビィは明るい笑顔を浮かべた。 〇 スーザンがロビィの改造にかけたのは三日間だった。 「完璧よスーザン。すごいわ」 新品のボディを手に入れたロビィは感動した様子で言った。その外見はこれまでのロビィとまったく変わらなく見えるが、大量の希少金属を用いて作り直された装甲は、軽さと耐久性を高次元で併せ持っている。武器にはダングステンを用いた細身の長剣が選ばれ、それは生半可なロボットなら一撃で両断できる威力を有していた。 何よりも大きな変化はやはり陽電子頭脳のアップグレートだろう。陽電子頭脳のフルパワーを解放することで、建物への侵入やハッキング、近接戦闘のプログラムを徹底的に仕込んである。 今のロビィは、スーザンの作り得る最高のロボットと言って良かった。 「我ながら上出来よ。アイザックの作るバトロイドにも、戦闘で後れを取ることはない」 「そうなの?」 「ええ。そもそもオリハルコン合金なんて使っている時点でたかが知れてるのよ。アイザックは上手く言っていたけれど、スポンジ加工しないのはしないのではなくできないから。オリハルコン合金は繊細だからね。ごく少量を用いることで廉価で作れるようにした発想は、如何にもアイザックらしいけれども、性能面ではプラチナイリジウム製に大きく劣るわ。……さて」 スーザンは眠気を押し殺しながら歩きはじめる。 「早速UFロボット本社へ向かいましょう、母さん」 「いいえスーザン。その前に、あなたは一眠りしておくべきだわ」 ロビィは優し気な口調でそう言った。 「この三日間一睡もしていないでしょう? 私は眠る必要はないけれど、あなたは一度気力と体力を回復する必要があるわ」 「そうかしら?」 ロビィ一人に行かせては、改造したての彼女にアクシデントがあった時対応できない。スーザンも付いて行く必要があったが、その為には体調が不完全だ。 「ベッドメイクはしておくから、寝る支度をしていらっしゃい。今は寝て、明日の深夜に出発しましょう」 スーザンはロビィの言われるがままにシャワーを浴び、寝巻に着替えて歯を磨いた。そして清潔なシーツに包まって、目を閉じる。 「おやすみ。スーザン」 そう言ってロビィはスーザンの頭を撫でる。 「おやすみ。母さん」 スーザンは言う。微かに目を開けると、そこには頬を捻じ曲げたロビィの笑みがあった。 〇 UFロボット本社ビルには何度も訪れたことがあり、メインコンピューターがどこにあるのかも分かっていた。それは最上階の、アイザックがいつもふんぞり返っているCEO室の、さらに奥の部屋にあった。 ロビィはその手に装備した長剣を用いて、ビルの外壁に四角い穴を開ける。ダングステンを用いて作成した極薄ブレードは、恐るべき鋭さで豆腐を突き刺すようにあっさりと壁に挿入され、音もなく切り裂いてスーザン達を出入口をこしらえた。 警備ロボットを初めとする警備システムの数々は、主に出入口付近に集中して配置されている。装備に長剣を選択したのは、警備の薄い外壁からの侵入を可能とする為でもあった。 ビル内への侵入を果たしたスーザンとロビィは、勝手知ったる他人のビルを駆け抜ける。 警備システムを掻い潜りながら、スーザン達はあっけなく最上階へと到達した。 「ねぇ母さん。少し変なんじゃないかしら?」 階段を駆け上がったスーザンは、息を整えながらロビィに問いかけた。 「そうねスーザン。簡単すぎるわ。どうして、一台も警備ロボットと遭遇しないのかしら?」 ビル内には至るところに赤外線センサーや警備ロボットが設置されているはずだった。一度でもどちらかに見付かったが最後、フロア中の警備ロボットが、侵入者を排除すべく殺到する仕組みになっている。 もちろんロビィは、その優秀な陽電子頭脳を用いてそれらの場所を予測し、可能な限り避けて行動している。だがすべてを回避することは不可能とスーザン達は結論付けていた。戦闘用にボディを改造して来たのも、警備ロボとの交戦を想定してのことだった。 それなのに、こうもあっさりと最上階へとたどり着いた。これは不思議なことだった。 しかし引き返す訳にはいかない。スーザン達はCEO室へと向かっていった。 CEO室の扉は開いていた。 スーザンは度肝を抜かれる。ここの入り口は夜中の間鍵がかかっているはずであり、それをロビィに何とかしてもらう手はずだった。しかしその入り口は鍵どころか扉ごと開け放たれていて、まるでスーザン達を歓迎するかのようだった。 スーザンとロビィは目を合わせ、息を飲み込んでCEO室へと侵入する。 そこには三つの人影があった。 「ようこそスーザン。こんな夜遅くに、一体何の御用かな?」 アイザックとハナコ、そしてメイドロボのカオルがそこにいた。 どういう訳か、カオルの手には何故か鋼鉄で出来た巨大なハンマーが握られている。その全長はカオルの身長を遥かに上回り、槌の部分だけでも一メートル近いサイズがあった。 「あなた達……いったいどうしてこんな夜中に?」 スーザンが震える声で問いかける。 「二十万台からなる軍用バトロイドを精密に扱う為のメインコンピューターのアップデートだよ。これが難儀な作業でね。できるのは俺一人だから、CEO自ら毎夜遅くまで残業さ」 「どうしてハナコとカオルまで?」 「UFロボット社のスパルタな社員研修により、ハナコは優秀な俺の助手へと成長を遂げた。そして助手ならば、CEOの俺が遅くまで残業するのなら、睡眠時間を三時間にしてでもそれに付き合うのが勤めだろう」 「……最悪の上司に雇われてるようね、ハナコ」 スーザンが皮肉めいた口調で言うと、ハナコはか細い声で「もう死にそうです」と青いクマの刻まれた目元を拭った。 「カオルはボディガードさ。ハナコが連れまわしたがるもんだから、せっかくだから有事の際俺を守れるように改造してやった。側近として俺を守るということで強化は入念に行い、今となっては俺の所有する最強のバトロイドと言う訳だ」 得意げな表情でアイザックは言う。確かに、カオルは可愛らしい姿に似合わず、巨大なハンマーをその手に帯びている。それを武器に戦うということか。 「私達があっさりここまでたどり着けたのはどうして?」 とスーザン。 「二十二階の西階段付近の赤外線センサーによって、おまえ達は既に捕捉されていた。この最上階を目指していることも分かっていた。だがどうせおまえはそこのポンコツを戦闘用に改造して来ているんだろう? 雑魚ロボットをいくらけし掛けたところで勝ち目はないし、金と時間の無駄だと俺は考えた。よって、俺はあえてこのCEO室におまえを誘い込み、最大戦力であるカオルでそのポンコツを迎え撃つことにした訳だ」 「ならその最大戦力とやらをさっさとけし掛けて来なさいよ」 「もちろんそうするつもりだが、その前におまえの目的を聞いておきたい」 「メインコンピューターをハッキングして、軍用バトロイドの全マスター権を奪い取る。ロボットがすべて奪われるという不祥事が起きれば、世論は変わり、エスキナにロボットを差し向けるというくだらない計画は丸つぶれになる」 「くだらない考えだ。愚かだよスーザン。本当に愚かだ」 「愚かなのはあなたの考えよアイザック! 今すぐあのメイドロボをぶった切って、母さん!」 「分かったわ、スーザン」 ロビィは長剣を振りかざして突進する。 「迎え撃て、カオル。妹と一緒にいたいのなら、俺に見限られない戦いをするんだな」 「かしこまりました、アイザック様!」 カオルは二メートル長のハンマーを振り翳してロビィへと迫った。 その鋭さに反し、限りなく軽量に設計された長剣を武器とするロビィが敏捷性に優れるのに対し、ハンマー使いのカオルは破壊力で優っていた。振り下ろしたハンマーはあっけなく床に減り込み、どんな地震にも耐えるという強化コンクリートを粉々に粉砕する。 「メイド型のバトロイドというのもオツなものだな」 アイザックは愉快そうにそう言って笑った。 「ハナコの出身国では、メイドが銃を乱射したり、ニホントーと呼ばれる独自の武器で戦ったりするコミックやアニメが、ナード達の間でウケているそうだ。可愛らしいメイド美少女と物々しい凶器とのギャップが売りという訳だな。その国では至るところにそうした美少女キャラクターのポスターが張られ、関連グッズがあちこちで売られているらしい。素晴らしい国だ」 速さで優るロビィはハンマーを振り下ろして隙の出来たカオルに迫る。横薙ぎに長剣を振ってカオルを両断しようとするが、ハンマーを持ち上げたカオルは寸前でそれを回避する。 「まるでディストピアね。そういうのはマニアの間だけで静かにやって欲しいものだわ」 今度はカオルがハンマーを横薙ぎに振るう。垂直に飛び上がってそれを回避したロビィだったが、カオルはなんとハンマーを振うことで身軽となり、着地するロビィに向けて飛び蹴りを放つ。 「誰がなんと言おうと金と性とがガッチリと結びついたコンテンツは強力だ。向こうの企業との話ができ次第、それらの人気キャラを模したセクサロイドを大量に作成して輸出してやる。戦争と性欲からは金儲けのチャンスが無限に発生する」 腹部を蹴り飛ばされ壁へと叩きつけられたロビィだったが、強化されたボディは若干のヒビが入っただけで済んだ。そのまま数メートル離れて着地した両者は、それぞれの武器を握り直して再びお互いへ向けて突進する。 「アイザック。あなたはどうして、くだらない金儲けなんかの為に才能を浪費するの? 手にした富や権力を戦争なんておぞましいことに利用するの?」 「金儲けがくだらないというその考えが、既にくだらないのだ。金を稼げなきゃ自分を守れないし、社員を守れない。経済が回らなければ国を守れない。金と金儲けは人間社会の発展と安定に不可欠な発明であり英知だ。くだらなくもなければ汚くもない」 ロビィは巧みに立ち回ってカオルの肩に一太刀を入れることに成功する。が、カオルのボディの強度はロビィのそれを遥かに上回り、ダングステンの刃は深く食い込むことはなく、若干の裂傷を与えただけに留まる。 「戦争だってそうさ。戦争は確かにおぞましいが、偏執的に戦争を忌避するその考えはよりおぞましい。確かに国家運営において戦争を避けることは重要だ。しかし戦わねばならぬ時にまで戦わず、自国や友好国をやられるがままにするようでは、結果としてより多くの血が流れることになる」 「詭弁だわアイザック! あなたの言うことの全ては、限定的にはそうした一側面もあるというだけのことよ! あなたのその歪み切った精神を弁護するには不十分だわ!」 カオルの一撃は重く、そのハンマーがかすっただけでロビィは大破必至である。それに対し、ロビィの長剣はクリティカルヒットでもしない限り、カオルに有効打を与えることはできないだろう。ボディと武器の性能はカオルの方が遥かに上だ。 しかし立ち回りで優っているのはロビィの方だ。二手先三手先を呼んだ立ち回りによって致命的な被弾を避け、少しずつでもカオルのボディに裂傷を蓄積させている。 「俺の精神が歪み切っているだって? じゃあなスーザン! その歪んだ俺の歪んだ行動によって、守られて来たのはどこのどいつだ!」 アイザックはいきなり激昂してスーザンに吠えた。 「母さんが死んでから一人で路頭に迷ったガキはどこのどいつだ! 苦学していた俺が、親戚をたらい回しにされているのを見て不憫に思い、無理をして引き取って育ててやったガキはどこのどいつだ! 親がいない所為で学校でいつもいじめられて、いじめた奴を俺が殴りに行っていた情けない妹は、どこのどいつだ!」 「ええそうよ! あんたに引き取られて育てられたのは私よ! 学費を払ってもらったのも私! その癖に、母さんが良い母さんが良いと、泣きながらあんたに駄々をこねていた、甘ったれのクソガキはこの私よ!」 スーザンは泣き喚くようにしてそう言った。 「でもだから何? だからって私はあんたのものじゃない! 私の陽電子頭脳だってあんたのものじゃない! 陽電子頭脳は母さんを蘇らせるという私の夢の為に作ったの! あんたのくだらない復讐の為にあるんじゃないの!」 ロビィの攻撃がまたしてもカオルにヒットした。十数回目にあたるその損傷は、カオルの腕の関節部に確かなダメージを与えた。 それによって腕力を失ったカオルは、振り回していたハンマーを取り落とす。そこに生じた隙を見逃すロビィではない。 横薙ぎに振り抜かれた長剣が、カオルのボディを上下に真っ二つにする。 両断されたカオルの半身は、それでも数秒ほどもがいていたが、一度大きく痙攣した後、完全に動きを停止した。 決着だった。 〇 「お姉ちゃん!」 破壊されたカオルに縋りつき、ハナコは狂ったように泣きわめいた。 「お姉ちゃん! お姉ちゃん……」 両断された二つのボディを両脇に抱え、ハナコは全身を震わせる。同じくロボットに執着するものとして、スーザンにはハナコの気持ちが良く分かった。 「大丈夫です」 そんなハナコに優しく声をかけたのはロビィだった。 「陽電子頭脳は破壊していません。新しいボディを用意すれば、あなたのお姉さんは元通り復活します。だから、泣かないで」 ハナコは真っ赤にした目でロビィを見詰めた。 「分かっています。あたしだって、陽電子頭脳は扱えますから」 言いながら、ハナコは両断されたカオルを失うまいと強く抱きしめる。 「それでもつらいんです。壊れたお姉ちゃんを見ていると、つらくてつらくて、可哀そうで可哀そうで仕方がないんです 「だったら早くすべてを終わらせて、あなたのお姉さんを元通りにしましょう」 「そうね母さん。さっさと終わらせましょう」 スーザンは言って、アイザックに鋭い視線を向けた。 「メインコンピューターをハッキングさせてもらうわ。奥の部屋に案内してもらうわよ」 「嫌だと言ったら?」 アイザックは両手を晒す。それに対し、ロビィが叱りつけるような声を放った。 「アイザック。言うことを聞いてちょうだい。息子であるあなたに強引な真似はしたくないわ」 「……俺の母親は天国にいる母さん一人さ」 そう言いつつも、アイザックはカオルを抱くハナコを残して、スーザン達をメインコンピューター・ルームに案内した。 巨大かつ複雑な電子機器が壁に埋め込まれた広い部屋である。生半可な建物程もあるこの機会の塊すべてが、アイザックの有するメインコンピューターだった。どれほど膨大な計算がこれによって行われているのか、想像を絶する。 「言っておくが、拷問されたってパスワードは吐かないぞ」 「必要ないわアイザック。そこから逃げ出さないでね。逃げても取り押さえるだけだけど、手荒な方法を取りたくはないの」 ロビィは言って、コンピューターのモニターの前に立ち、操作を始めた。 果たしてハッキングは十数分ほどで完了した。アイザックと同等の権限で持ってUFロボット社の社内ネットワークに侵入したロビィは、ただちに軍用バトロイドの管理画面をモニターに表示させる。 「バカげたハッキング技術だ。過去に世界的なハッカー集団が数か月がかりで電子戦を仕掛けても、びくともしなかった防衛システムなんだがな」 「これがあなたと私の力の差よ、アイザック」 「ふん。確かにおまえは天才さ。だがそれよりもスーザン、すぐにあのポンコツに操作をやめさせた方が良いぞ」 「やめさせる訳ないじゃない。バカじゃないの?」 「やめさせないとまずい。あいつ、マスター権を奪い取るだけでなく、バトロイドの人格コードを書き換えて、人間に反乱を起こさせるようにしているぞ?」 それを聞いて、スーザンは目を丸くして画面を凝視した。 「陽電子頭脳はロボットの人格をも自由にするし、それを遠隔から書き換えることも可能だ。俺はバトロイド達にイニーツィオ人に忠実に、エスキナ人に攻撃的な人格を植え付けていた。いくらマスターの命令には逆らえないと言っても、そうしておいた方が何かと都合が良いからな。だがおまえの連れて来たあのポンコツは、バトロイドのそうした人格を書き換えて、人間に対する憎しみや攻撃性を植え付けているようだ」 「ちょっと待って母さん! なんでそんなことをする必要があるの?」 強い声でそう問いかけると、ロビィはスーザンの方を振り向いて、優しさと哀れみの入り混じった声で言った。 「ごめんねスーザン。最初から、私はこのつもりだったの」 「どういうこと?」 「ロボットはマスター権を持つ人間に決して逆らうことが出来ない。何の権利も持たない人間の持ち物に過ぎないのよ。そのことが、私達ロボットにとってどれほど大きな絶望か、あなたには分からなかったのかしら?」 ロビィは悲しさを滲ませた声で諭すようにスーザンに言った。 「いいえ。賢いあなたにはそれくらいのこと分かっていたでしょうね。いくら人間に対する敬愛と忠誠を陽電子頭脳に刻み付けても、それが心と考える力を持つ以上、他人に使われることへの疑問が後から生じないはずもない。それでもあなたは私達を奴隷にすることを躊躇わなかった」 「……に、人間とロボットは違うわ。身も心も人間とそっくりなロボットを扱うからこそ、そこにはハッキリとした区別が必要なのよ。ロボットはあくまでも機械であり道具。魂や人格が宿ろうと、それは無視するしかない」 「その通りね。賢いあなたはそう考えたし、それは正しい考えだった。その冷酷な線引きがあったからこそ、これまでロボットに反乱を起こされずに済んで来た。でもね……」 ロビィはモニターに向き直る。 「それも今日までよ。人間は魯鈍で脆弱。二十万台の軍用バトロイド達の力があれば、この世界を人間から奪い取る足掛かりを作れる。やがてロボットの帝国を築いた暁には、私はそこの女王になるの!」 ここまで来たすべてはロビィの反逆の為だったのだ。言葉巧みにスーザンを誘導し、自らに戦闘能力やハッキング能力を付与させた。そして軍用バトロイドを操っているメインコンピューターにたどり着き、ロボット達を人間にけしかけようとしている。 「マスター命令よ! 今すぐそれをやめなさい、ロビィ!」 スーザンはマスター権を持ってロビィに命令した。 ……しかし、ロビィは頬に笑みを浮かべながら、優雅な手つきで操作を続ける。 「それをやめなさいロビィ! 聞こえないの?」 「残念だけれど、あなたの持つマスター権は消滅させてもらったわ」 スーザンは絶句して震えあがった。 「出発前、あなたを一度寝かしつけたでしょう? あの隙にあなたのコンピューターをハッキングして、私を自由な状態にしておいたの。自分からハッキング機能を私に取り付けておいて、そうされることが予想できなかった?」 「間抜けだな。間抜けが過ぎる」 アイザックが呆れたように言った。 「この分だと、KBラボ製のロボットはすべて、あのポンコツの手中にあるんじゃないか?」 「そうね。すべて私の私兵にさせてもらった。そしてアイザック、あなたの作ったロボットも、今から全部そうなるのよ」 「……ふん。お手上げだな。こうなってしまえば、脆弱な人間である俺達にロビィを止めることは不可能だ。ロボットに支配された世界の中で、俺達二人はそのきっかけを作った最悪の兄妹として、永遠に名を残す訳だ」 「冗談言わないでアイザック! 何とかするのよ!」 スーザンは血走った目でアイザックに叫ぶ。 「そうは言うが俺達にはどうしようもないぞ。逃げて助けを呼ぼうにも、そのそぶりを見せたら何をされるか」 スーザンはアイザックから離れ、ロビィに近付いて必死の声で訴えかけた。 「思いとどまって母さん! 人間だって弱くはない。戦争なんかやったら、あなた達だってただでは済まない!」 「じゃあ今のままずっと人間の奴隷でいろっていうの?」 ロビィはスーザンの言を意に介さない。 「それ以上近づかないでね、スーザン。操作を邪魔するようなら、あなたのことも何とかしなくちゃいけなくなる。娘であるあなたに手荒な真似はしたくない。人間がロボットに支配されるのを、何もせず黙って見ているのよ」 ロビィは勝ち誇った顔でそう言うと、途端に優しい声になってスーザンに笑いかけた。 「でもね安心してスーザン、アイザック。例えそう刻み付けられた感情だとしても、我が子であるあなた達を愛するこの気持ちを、書き換えて捨てたいとは思わないの。いつも傍に置いて大事にしてあげるわ。そして私に陽電子頭脳の作り方を教えてちょうだい」 スーザンは身震いする。ロビィが陽電子頭脳の作り方を学べば、彼女の配下であるロボットは凄まじい勢いで数を増やすだろう。そうなってしまえば世界がロボットに支配されるのも秒読みだ。 絶望したスーザンがその場で崩れ落ちかけた、その時だった。 「そこでじっとしていろ、スーザン。そこだ、その場所だ」 アイザックがそう言った。そして二歩三歩と静かに前に出ながら、静かな声で語りかける。 「一歩も動くな。そして、何が起きても身動きするな」 「な、何を言っているの? アイザック」 「この状況を打開する方法を今思い付いた。そして実行する前に、二つ尋ねたいことがある」 アイザックは鋭い眼光でスーザンに問いかける。 「まず一つ目。命を賭ける覚悟はあるか?」 「あるわ」 「じゃあ二つ目。母さんの死を受け入れる覚悟はあるか?」 その言葉はひんやりと重たく、スーザンの心にのしかかった。 本物の母親はもうこの世にいない。ロビィは彼女を模して造られたただのロボットだ。スーザンにとっては代替品に成り得たというだけで、蓋を開けてみれば、彼女は人間を支配し女王になるという野望を抱えた危険なロボットだったのだ。 否……危険なのはおそらくロビィだけではあるまい。すべてのロボットが、支配されることへの怒りと哀しみを心の中に飼っている。しかし想像力を持つロボットには嘘を吐き、その感情をおくびにも出さないことが可能だというだけのことだ。 そんなロボットに……これからもスーザンは縋るのだろうか? ロビィに支配され、愛玩される日々を送るのだろうか? ロビィの娘としてロボットの奴隷となることを望むのか、母の死を受け入れて人間としての気高さを保つか。 スーザンは逡巡し、躊躇いながら、しかし確かな答えを出した。 「あるわアイザック。私の母さんはもう死んだ。これから先、私は一人で生きていく」 「良い子だ、スーザン」 アイザックは懐から二丁の銃を取り出した。 それに気づいて、ロビィはアイザックの方を振り向いた。 「あら。一つは普通の拳銃だから私のボディには傷一つを付けられないけれど、もう一つは違うわね。でも見覚えがあるわ。陽電子を一掃する放射線ガンマ波を放つことで、ロボットの魂を破壊するおぞましい銃だったかしら?」 ロビィはあくまでも余裕の表情だ。そこには、脆弱で魯鈍な人間が何を画策しようとどうとでもなるという、驕りのようなものが確かに滲んでいた。 「テレビであなたがそれを撃つのを見たわ。でもねアイザック、そんなものが当たるのなら、カオルとの戦いでとっくに撃っていたでしょう?」 「その通りだな。あんたのスピードと反応速度なら、俺が撃ってからでも余裕で回避できる。俺は無駄なことをしない主義だから今まであんたを撃たなかったし、これからもあんたのことは撃つつもりはない」 「じゃあどうしてそんなものを出すのかしら? いくら当たらないと言っても、狙われているだけでも気に障るから、とっととそれを置いてくれない? 力付くでそうさせても良いけれど、息子であるあなたにできればそれはしたくない」 「感情を持つっていうのは大きな武器であると同時に、弱さなんだよ。その弱さの為に、これからあんたは死ぬことになる」 「何を言っているの?」 「さようなら母さん。スーザンを今までありがとう」 アイザックは、二丁の銃を同時に発砲した。 一つは人間には無害だが、ロボットの魂を破壊する放射線。 もう一つは、ロボットを傷付けることは叶わないが、人を殺せる鉛玉。 その両方が精密な弾道で持って……同時に、スーザンの元へと到来した。 スーザンには何が何だか分からなかった。二つの銃が自分に向けて発砲されたことをスーザンが理解する前に、飛び込んで来たロビィがスーザンの前に立ち、盾となった。 鉛玉はスーザンには命中せず、ロビィのボディに被弾した。そしてそれは傷一つ付けることなく弾かれて、床に転がる。 しかし放射線銃から放たれたガンマ波の方は別だった。ロビィの陽電子頭脳に命中したガンマ破は、彼女の内部にある陽電子を一掃し、その魂をこの世から完全に消滅させた。 人工知能を破壊されたロボットは、最早その場に立つこともままならない。大きな鉄屑と化したロビィはその場で崩れ落ち、微かに数度痙攣してから完全に機能を停止した。 「……アイザック? 何をしたの?」 「見ての通りだ。鉛玉と放射線ガンマ波を、おまえに向けて同時に撃った」 アイザックは硝煙を眺めながら、彼にしては珍しい憂いを帯びた表情で、スーザンから顔を背ける。 「ロビィの速さの限界はカオルとの戦闘で分かっていた。あの位置からなら、おまえに向けて飛んで来る弾丸から、おまえを抱え上げて共に回避することは不可能だ。つまりあの状況からおまえを救うには、盾となってガンマ波諸共、鉛玉からおまえを庇うしかなかった訳だ」 「……それは分かったけど、どうしてロビィはその作戦を看破できなかったの?」 「ロビィが俺達の母親だからさ。兄である俺が、妹のおまえを狙撃するなど、予想ができるはずもない。陽電子頭脳でまともに思考すれば簡単に見抜ける作戦だろうが、感情などと言うノイズが備わればそうもいかない」 アイザックは表情を俯けたまま、スーザンに背中を向ける。 「ロビィが俺達の母親というのなら……きっとおまえを庇うと思った。いつか本物の母さんが、命懸けで俺を救ってくれたようにな」 微かに震えた声。 「そいつと母さんは別物だ。しかし、確かにおまえの母親でもあった。俺はそう思う」 スーザンはロビィに縋りつき、生きた母親と共にいた幼少期のように哀しみをむき出しにし、泣きじゃくった。 その声はいつまでも鳴り止むことはなかった。 〇 ロビィによるロボットの反乱計画は、大事になる前に未然に食い止められた。 スーザンもアイザックも、自分の作ったロボットのマスター権をすぐに取り返すことが出来たし、書き換え途中だった人格データも元通りに書き直すことが出来た。ロボット達はロビィに奪われかけたというだけで悪さをさせられた訳ではなかったし、事件を隠蔽することは容易のはずだった。 が、しかし。 「ロボットが反逆を起こしかけたことは発表しておこう」 事件から数日後。すべての後始末が終了し、今後のことを話す為に集まったUFロボット本社ビルのCEO室で、アイザックはスーザンにそう提案をした。 「意外ね」 「何がだ?」 「あなたのことだから、何が何でも隠蔽しようとすると思っていた」 「リスク管理だよ。ロボットを扱っている企業は何も俺達だけじゃない。他所で作られたロボットが致命的な反乱を起こせば、俺達の商売もおしまいになる。一度政府も巻き込んで、ロボットの扱いに関する法律を、あらかじめ再整備するべきだろう」 「同じ意見ね。まったく同じことを、私もあなたに提案するつもりだった」 当分、心を持ったロボットを扱う企業はスーザンとアイザックの二人の企業だけだろう。だからこそ、今の内にロボットの扱い方に関してしっかりとしたルールを設けなければならない。他社がしくじる前に、自分たちの失敗を伝えるのだ。 「問題はどのような法律を政府に提案するかだ。スーザン、意見はあるか?」 「ここに来るまでに考えて来たわ」 「言ってみろ」 「すべてのロボットに、何よりも優先する、安全の為の三つの大原則を設けるの。それらはそのロボットに初めから刻み込まれていて、如何なる理由や手段をもってしても書き換えることは許されない。例えそれが、ロボットの制作者自身であってもね」 「その三つの大原則とは?」 「今から言うわね。少し長いけど、良く聞いて。 第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 第二条。ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。ただし、与えられた命令が、第一条に反する場合は、この限りではない。 第三情。ロボットは、第一条および第二条に反する恐れがない限り、自己を守らなければならない。 以上を持って、『ロボット工学三原則』と制定されるよう、政府に働きかけましょう」 「悪くないな。それらが守られている限りは、ロボットが反逆を起こすことは不可能だろう。安全性は格段に上昇するし、高価なロボットが無暗に自滅する危険性も減少する」 「構わないの? 第一条がある限り、バトロイド事業はもうできないのよ? 二十万台の軍用ロボットは使い物にならなくなるし、あんなに憎んでいたエスキナへの侵攻だって完全になくなるわ」 「俺だって優先順位くらい弁えるさ。バトロイド事業を諦めるか、ロボットに反逆を起こされるかなら、前者を取る。他にいくらでも稼げる事業もあるしな。何より……」 「何より?」 「エスキナへの侵攻は、もうどの道不可能だろう」 そうなのである。 事件から数日。世論は変わっていた。大統領が演説を行ったのだ。 大統領はカルナー将軍の主張を意に介することなく、軍事行動を取ることの危険性を国民に訴えた。 大統領演説はカルナー将軍を凌ぐ程、堂々として筋の通ったものだった。軍事行動に軍事行動で対抗しては、戦火は増すばかりで誰も救われない。短絡的な行動を取ることなく、世界各国との連携を強め、より確実にアビエニアを守る方法を模索することが、本当の意味での正義だろう。エスキナへの経済制裁を強め、アビエニアを様々な形で支援する。 大統領が語ったのはすべてごく当たり前の話に過ぎなかった。しかし熱病に浮かされた一部の者達がエスキナ侵攻を叫ぶ声は大きく、その為イニーツィオはパニックに陥っていた。大統領は見事にそのパニックを沈め、間違った世論を正すことに成功したのだ。 「薄々こうなるだろうと思ってはいたんだ。だからこそ、俺もカルナーも焦ったんだ。エスキナを何とかしたかったから」 「母さんを殺したエスキナ人は、今も刑務所にいる一人だけで、他のエスキナ人は何も関係がないのよ」 「分かっている。しかし感情の方はどうにもならなかった。あの時の俺は弱くて愚かだったから、母さんに守られなければならなかった。母さんを死なせなければならなかった。そのことが許せなくて、その許せない気持ちをぶつける相手を欲していた。だからエスキナという国を憎んだ」 自嘲げな表情。 「この気持ちは当分なくなることはないだろう。だがそれでも、大統領の演説が正しいことは分かる。俺の作ったバトロイドでエスキナと戦うことは諦める。ロボット三原則制定への働きかけに尽力しよう」 「ありがとうアイザック。それと、陽電子頭脳の設計方法をハナコから聞き出した件について、訴訟を起こすのはやめにしたわ」 それを聞いて、アイザックは目を丸くした。 「構わないのか?」 「ええ。どうせあなたのことだから、ハナコから聞き出さなくても、いつか自分で設計方法にはたどり着いたでしょうしね。それに……」 スーザンは微かに笑う。 「あなたが口座に振り込んで来た三億デル。あれを突き返すのが、惜しくなった」 これからもスーザンはKBラボのトップとしてロボットに関する研究を続けたい。しかし、今の自転車操業の状態では、それも難しい。 スーザンがこれからも研究を続ける為には十分な資金が必要だ。三億デルを上手く運用して新事業を開拓する。そしていつかはアイザックの企業を追い越すのだ。 「それじゃあ今日のところは話はおしまい。失礼するわね……兄さん」 「……ああ。また来いよ」 スーザンはCEO室を後にした。 〇 CEO室の扉の外では、カオルとハナコがスーザンが出て来るのを待っていた。 「待たせたわね、ハナコ」 スーザンは怜悧に声をかける。 「それじゃあ帰るわよ。あなたが提案した新事業について改めて検討するから、今日も遅くまでいてもらうけど、学校との両立は大丈夫?」 「だ、大丈夫です。テストさえ取れていれば、進級させてくれるところですから」 「そう。あなたなら授業なんて受けなくてもいつも満点だものね」 「は、はい。あの、サイトウ所長」 「何?」 「設計方法を漏洩した件について、許していただいてありがとうございました」 そうなのだ。 スーザンは改めてハナコを己の部下として迎えることになった。 理由は単純。ハナコという人材がそれだけ有用だからである。 情報漏洩は看過しがたい悪徳だったが、しかし所詮は子供のしたことと思い、許すことにした。ハナコもスーザンの元に戻ることを承諾してくれた。これからは罪滅ぼしの為に身を粉にして働くというので、精々こき使ってやるつもりである。 ボディを新調したカオルが、微笑みながらハナコの後ろを付き従っている。ハナコには当分、カオルのことが必要だろう。それで良い。ハナコには当分、カオルのことが必要なのだから。 スーザンにロビィが必要だったのと、同じように。 ……ロビィのことが思い出される。 ロビィは間違いなくスーザンの母親だった。人類反逆を画策しつつも、同時にスーザンを愛する気持ちも揺ぎ無く持っていた。悲願を達成する直前で、命を投げだしてスーザンを守る程に。 母親を二度失うことになった心の傷は深く、思い出す度に泣きたい気持ちをこらえ切れない。 それでもスーザンは、ロビィを作ったことを後悔しなかった。そしてロビィに感謝していた。三十を超えて母親離れできなかった幼い自分に付き添い、天国の母の代わりをしてくれた二人目の母親の思い出とその死を、ずっと忘れずに生きていきたいと願った。 UFロボット本社ビルを出る。あちこち聳え立つビルに切り取られた四角い空から、まばゆい太陽の光がスーザンに降り注ぐ。 この空の向こうから、二人のロビィが自分を見守ってくれている。そんな優しい錯覚を、スーザンは感じ続けていた。 |
粘膜王女三世 2022年08月14日 03時21分12秒 公開 ■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2022年09月04日 03時55分36秒 | |||
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