空っぽ高校生たちの愛(オムニバス) |
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シナリオ1 瀬戸良太(せとりょうた) 『持つ者と持たざる者』 ステータス 喜4 怒5 哀5 楽4 僕、瀬戸良太はクラスの女子に恋をした。高校二年生にして初めての恋である。 その子の名前は愛原(あいはら)さん。彼女の事をクラスメイトに聞けば、恐らく揃って『地味な子』と評されるだろう。 確かに愛原さんの目元はいつも髪で隠れていて、性格はお世辞にも活発とは言えない。クラスでは目立たないタイプだ。 でも、僕だけが発見した彼女の魅力がある。 ある日、愛原さんがふと顔を上げた瞬間、いつもは隠れているその瞳が見えた。 それはあまりに綺麗な瞳だった。光をよく反射して、誰よりも輝いている。そんな彼女の目を見た瞬間、僕は完全に恋に落ちてしまったのだ。 それからは、いつでも愛原さんを目で追っている。そんな事をしているうちに、どんどん好きになってしまった。止められないほどの愛というやつだ。 そこまで好きならば告白すればいいのでは? と、思われるかもしれない。 確かに地味と評される彼女は、ある意味では競争率が低い。ならば、僕にもチャンスはある。 でも、告白はできない。二つの大きな理由があった。 理由の一つは、僕が『持たない人間』だからだ。 世の中には『持つ人間』と『持たない人間』の二つに分けられる。 僕は後者だ。勉強もできない。運動もできない。かといって、トークスキルがあるかといえば、それも無い。当然、友達もいない。将来の夢すら無い。 そう、何も無い。僕は『空っぽ』の人間なのだ。 愛原さんが地味だというが、それなら僕の方がよほど地味だ。 そんな僕が愛原さんと釣り合うわけがない。それが踏み出せない理由の一つだ。 ちなみに『持つ人間』の代表例はクラスで『女王』と呼ばれる女、黒崎瑠美(くろさきるみ)だ。 黒崎は全てを持っていた。クラスでトップの成績。運動神経も女子だけではなく、男子にすら負けていない。そして誰もが叶わないと膝を折るほどの美貌。 更にとどめと言わんばかりの、親が大企業の社長という恵まれた環境。 人を支配するために生まれて来たと言われても納得してしまうほどの存在感とオーラを黒崎は放っていた。実際、このクラスの支配者だと言ってもいい。 だが、僕はこの女を好きになれない。 常に威圧感のある態度だし、自然と人を下に見るような言動も鼻につく。 美人とよく言われているが、これも単にメイク技術が高いだけだと僕は思う。つまりは金にものを言わせた嘘のテクニックだ。 やたらと派手なアクセサリーやピアスをつけているし、金色に染められたその長い髪は、ある意味では下品と例えてもいい。 そもそも校則違反だ。でも、教師は誰も彼女を注意しない。それどころか、逆に立てるような言動すら窺える。 それだけ黒崎の『権力』が怖いのだ。この学校の人間は、教師を含めて全員が保身の事しか考えていない人間ばかりだから仕方ない。 実際、黒崎を『実はブスだよね』と言っている声もある。本当はクラス全員が黒崎の事を嫌っているのではないだろうか? どうして僕が黒崎に対してここまで辛辣なのか? それについてはきちんと訳がある。 そしてそれがもう一つの愛原さんに告白できない理由にも繋がっていた。 「ねーねー。愛原ちゃ~ん」 黒崎の不快な声が教室に響く。無駄によく通る声だ。 その声を聞いた愛原さんがビクリと身を震わせた。 「一緒にトイレ、行こーよ。あたし達、友達だもんね~?」 馴れ馴れしく肩に手を回す黒崎。周りにはまるで手下のように取り巻きを引き連れている。 顔は笑っているが、蛇みたいな縛り付けるような目であいつは愛原さんを見つめていた。 半ば無理やりに近い形で教室から連れ出される愛原さん。 そして程なくして戻ってきた黒崎グループ。愛原さんは一人フラフラと自分の席へと戻っていく。 それを見た黒崎たちは、楽しそうにクスクスと笑っていた。 よく観察すると、愛原さんの頬は小さく腫れていた。『殴られた痕』だ。 そう、愛原さんは黒崎から『いじめ』を受けていたのだ。 ××× 昼休み、学食へやって来た僕は一人でテーブルに着く。 「はあ~」 そこで大きなため息。このままでは、いつまでたっても告白などできない。 少し話を戻すと『持つ』と『持たない』で言えば、愛原さんは圧倒的に前者。つまり『持つ』側の人間だ。 僕だけが分かる。愛原さんは絶対に『超人』レベルのスペックを持っている。ただの勘だが、これは確実に当たっている自信があった。 それでも、愛原さんはやり返さない。優しい性格だからだ。それがあまりにもどかしい。 もどかしいのは愛原さんを助ける事ができない自分に対しても……だ。僕に力があれば、何か一つでも『持つ』ものがあれば、踏み出す勇気が出るのに。 誰かが何とかしてくれる。そう思いたいが、現状で黒崎を止められる人間はいない。教師を含む誰もが自己保身の事しか頭にないのだ。 「よお、しけた顔してんな」 その時、一人の男子が正面の席に座った。 「飯、一緒にいい?」 考える前に僕は頷いた。急に話しかけられて、驚いてしまったのだ。 えっと。この人、誰だっけ? 確か名前は…… 「赤川(あかがわ)……君」 「ああ、お前は瀬戸だっけか? よろしくな」 いきなりよろしくされてしまった。友達が一人もいない僕の心は今、戸惑いという感情で支配されている。 なんでいきなり一緒にご飯を? 友達いないからよく分からないけど、これって普通なの? でも、赤川君だって友達が多いイメージではない。むしろ、一匹狼のイメージだ。 そんな彼がどうして僕と相席する気になったのだろう。席は……まあ、すいているとは言わないけど、別にどうしようもないほど混雑もしていない。 二人して無言でご飯を食べている。……なんだろう。この人、ちょっと怖い。 なにか話した方がいいのかな? なんて事を思っていると…… 「なあ、瀬戸。黒崎瑠美についてどう思う?」 今度は突然質問してきた。しかも、僕にとってはタイムリーな話題だ。 「えっと。成績もトップだし、美人だし、みんなの憧れの……」 「本音で言え」 赤川君は真剣な目で顔を近づけて来る。周りに聞こえない配慮だ。 「……………………黒崎瑠美は、最低だと思う」 「だよな」 その答えに満足したのか、赤川君は両手を頭の後ろに組んで椅子へもたれかかる。 「愛原については、どう思う?」 今度は愛原さんについて聞いてきた。それに対する僕の答えは一つ。 「可愛いよね!」「可哀そうだよな」 互いの声が重なった。 「え?」「は?」 そして二人して眉を顰める。 しまった。余計な事を言った。 「お前。まさか、愛原が好きなのか?」 「う、うん」 ここまで来たらもう誤魔化せない。認めた方が話は早い。 「そうか。でもお前、その割に何もしていないよな。助けようとしたのを見た事も無い」 「くっ!」 あまりの正論。僕は悔しさから、拳を深く握りしめた。 「あー落ち着け。悪かった。別にお前を責めに来たわけじゃない」 「いや、君の言う通りだ。僕は好きな人を助ける勇気すらない」 「そう自分を卑下するな。もう一度言うが、お前を悪く言うつもりは無い。むしろ、いい判断じゃないか。お前が一人で突っ走った所で、黒崎はどうにもならんさ」 確かに。あの黒崎を相手にして、一人で立ち向かえるとは到底思えない。 「でも、二人ならどうだ?」 「え?」 その時、赤川君から意外な言葉が出た。 「俺たちが二人で黒崎を止めるんだ。愛原を助けてやるんだよ」 「ど、どうやって?」 「簡単だ。動画を撮るんだ。愛原がいじめられている証拠を撮影して、それを拡散すれば黒崎グループも止まる。二人いれば、それが可能だ」 赤川君の話によれば、黒崎は決まった場所でいじめを行うタイミングがあるらしい。 場所は体育倉庫。そこには目立たない所に窓がある。 その窓を予め開けておいて、外からこっそり動画を撮影する。 一人だと確実に気付かれてしまうが、もう一人がうまく注意を引き付ければ、実現は可能だとか。 「安心しろ。愛原に害が無いようにうまく編集する。そこは俺の腕を信じろ」 黒崎のいじめを拡散するだけで、愛原さんがいじめられている部分は上手に隠すとの事だ。 とにかく、僕が求められているのは…… 「注意を引き付ける役……か」 「そうだ。これはお前にしかできない。お前が目立つ役だから、ちょうどいいだろ。成功したら愛原に告白でもしてやれよ。きっとうまくいく」 僕にしかできない。空っぽで何も持たない僕でもやれる事がある。だったら…… 「分かった。やるよ」 「よし、決まりだ」 赤川君は満足そうに頷いた。 「ねえ、どうして赤川君は僕に協力してくれるの?」 「俺にも目的がある。黒崎を止めたいんだ」 「止めたい?」 「ああ」 その時、赤川君は何とも言えない複雑な表情をしていた。 彼と黒崎がどういう関係なのかは分からない。ただ、普通じゃない特別な感情があるのは、なんとなく想像がついた。 とはいえ、僕たちはただの協力関係だ。込み入った話を聞くのは、全てが終わってからでいいだろう。 言えるのは一つだけ。僕は一世一代の大勝負に出る。 それはある意味、場をわきまえない無謀とも言える戦いだ。 果たして持たざる人間の僕が……空っぽの僕が、全てを持つ黒崎に勝てるのだろうか。 ××× 作戦決行の日が来た。たった今、愛原さんが体育倉庫へと連れていかれた。 「いいか。くれぐれも黒崎を侮るなよ。あの女は勘が鋭い。できるだけ目立つように引き付けてくれ」 「うん。頑張るよ」 そうして僕たちは二手に分かれた。赤坂君は窓の外から動画を撮影する役。僕は黒崎グループを引き付ける役だ。 僕は体育倉庫の前に立って、一度だけ深呼吸をする。 そうして頭が冷えたのをしっかりと感じ取った僕は、意を決し体育倉庫の扉を開けた。 バンッ! と音が鳴り、扉が開く。 中にいる全員が目を見開いて僕に注目した。そう、『全員』だ。 つまり、初手は成功だ。すかさず赤川君が窓の外の死角から動画を撮り始めた。 たくさんの取り巻きに囲まれている黒崎。僕よりも背が高い彼女は、その中でも特に目立っている。 愛原さんは壁に押し付けられていた。やっているのは黒崎本人だ。 その冷たい氷のような目が僕を捉える。……なんて恐ろしい目だろう。 「あれ~? キミ、誰? こんな所に、何か用かな?」 相変わらず不快な、それでいてよく通る声で黒崎が僕に話しかけてきた。 黒崎との初めての会話。それだけで逃げたい衝動に駆られる。 「ねえ、瑠美ちゃん。こいつ、同じクラスの瀬戸だよ」 「あ、そうなの? クラスメイトだったんだ。ごめんね。あたし、人の名前とか覚えるの苦手だからさ」 まったく悪びれない表情で話を続ける黒崎。謝っているつもりだろうが、悪意しか感じられない。 「ああ、『これ』なら気にしないでね? なんて言うのかな。教育ってヤツ? だよね? 愛原ちゃん♪」 次の瞬間、黒崎が愛原さんに平手打ちをした。 この時、僕は確信した。この女は『何か』がおかしい。人間として重大なものが欠落している。 きっと黒崎瑠美は、人の痛みが分からないのだ。救いようのない邪悪な生物だ。 「ねえねえ、愛原ちゃん。嫌なら正直に言っていいんだよ?」 顔は笑っているくせに、威圧的で脅すような口調で尋ねる黒崎。そんな言い方をされたら断れるわけがない。 「ほら。この子、何も言わないでしょ? つまり、あたしのやっている事は何の問題も無い。オーケー?」 なんて腐った理屈だ。自分で言わせないようにしているくせに。 「というわけでさ。瀬田君だっけ? 黙って出て行ってもらえるかな?」 瀬戸だよ。名前、間違えんな。 「あ、なに? もしかして、口止め料とか欲しい系? じゃあさ。キミが望むなら、気持ちいい事とか、してあげよっか?」 「ええっ!? 瑠美ちゃん、マジで言ってるの?」 「マジマジ。だってこれ見られたのはまずいでしょ? だったら、同じレベルのヤバい事をして、共犯にしておいた方がいいよ」 「へ、へえ。瑠美ちゃん、凄いね。モノ好きだわ~」 「ラッキーだね、ボク?」 普通の男子なら骨抜きされるだろうあまりに妖艶で魅力的な提案。 それを僕は…… 「ごめんね。僕、ブスに興味は無いんだ」 ぶった切ってやった。 瞬間、ゲラゲラと笑っていた取り巻きの表情が一気に険しくなる。 「こ、こいつ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」 更に詰め寄って来た。完全に僕だけしか目に見えていない状態だ。 よし、成功だ。これは僕の『挑発』である。女どもは撮られているとも気付かず頭に血が上っている。 特に黒崎は顔を真っ赤にして…… 「あははは! キミ、面白いじゃん」 え? 笑ってる? なんだこの女。頭がおかしいのか? まるで『怒り』の感情が存在しないような、そんな異質さを感じる。 黒崎はその冷たい目で僕を真っ直ぐに見ていた。全身が凍るような恐ろしい目だ。 でも、目を逸らしたら負けだ。正面から睨み返してやる。 「へえ? キミ、ひょっとして、何か企んでる?」 う、嘘だろ? なんで分かった!? この女、相手の心が読めるのか? くそ! 何とかしてこの女の注意を引かなければ……そうだ! 「おい、黒崎。知ってるか? 愛原さんは、本気を出したら凄いんだぞ。本当はお前なんか、相手にもならない超スペックの持ち主なんだ」 「はあ?」 笑顔のまま首を傾げる黒崎。これは挑発でもあるが、事実でもある。 「それ、本気で言ってる? いやいや、それはないでしょ」 そうして、またしても愛原さんに平手打ちをする黒崎。 「ほら。この子、なにもできないじゃん。もっと試してみようか?」 何度も殴る。 愛原さん、本当にごめん! でも、こうする事で早く終わらせられるんだ。 そうだろ、赤川君。これだけ殴っている場面を撮影できたんだ。完璧な証拠になるはずだ。 僕の祈りが通じるように、赤坂君が窓から離れようとするのが見えた。撮影が終了したんだ。 よし、これで役目も終わり。僕たちの勝利だ! しかし次の瞬間、黒崎の蛇みたいな目がギョロリと窓の方へ向いた。 ま、まさか……撮影が気付かれた!? 「……………………ふ~ん」 だが、黒崎は意味ありげな言葉を発しただけだ。ギリギリ見られてなかった? とにかく、これ以上ここにいる理由は無い。さっさと逃げてしまおう。 僕は愛原さんの手を引いて、体育倉庫から飛び出した。 「あれ? 瀬古君? 急にどうしたの? 怖くなっちゃった?」 瀬戸だよ。いいかげん、名前くらい覚えろ。バカ女。 ××× 数日後、黒崎グループは崩壊していた。嫌な予感はしたが、杞憂だったようだ。 赤川君がうまくやってくれたのかもしれない。 「ねえねえ、黒崎さ~ん。トイレ、行こっか。私たち、友達だもんね♪」 そして『新しい女王』となった元取り巻きに、トイレに連れていかれる黒崎。 今度は黒崎瑠美がいじめの標的となっていたのである。 きっかけは黒崎が親から『虐待』を受けているという噂が出回った事だ。 それを知った皆は、黒崎に対して同情するのでもなく、憐れむのでもなく、『チャンス』と思ったらしい。 黒崎瑠美は親から大切にされていない。ならば、その権力に怯える必要も無い。 つまり、傷つけてもお咎めは無いのでは? と。 そしてこの学校は教師を中心に見て見ぬふりをする人間ばかりだ。 だから、試しに誰かが黒崎を攻撃した。 結果、全く問題にならなかった。 それで皆のタガが外れた。日頃の恨みでも晴らすように、黒崎に対する強烈ないじめが始まったのだ。 それはもう、酷い内容だ。 「ねえねえ、こいつって実はブスだよね」 「だよね~。きゃははは! ブ~ス」 トイレに連れ込んで、そんな声と共に水をかけられる。モップを顔に押し付けるような事までしているらしい。 でも、僕は同情しない。だって、この結末は黒崎の因果応報なのだから。 これまで散々愛原さんをいじめたんだ。自分がいじめられるのは当然だ。 確かに黒崎は勉強ができた。運動もできた。でも、『愛』が無かった。 愛が存在しない女に、救いなど無いのだ。 対して僕は空っぽだった。だが、愛という最後の武器はあった。 それが僕たちの命運を分けた。だから、黒崎。お前の負けだ。 「愛原さん。大丈夫だよ。もう君は誰からもいじめられることは無いんだ」 「それは、本当?」 「本当だよ。もう怖がらなくて、いいんだよ」 「あ、ああ。うわああああああああ!」 あの日、愛原さんは初めて声を上げて泣いた。今まで溜まっていたものが吐き出されたのだろう。本当によかった。 全ては終わった。あの黒崎を僕たちがやっつけたのだ。 ただ、気になる部分も残っている。 『赤川君はこの結末に満足だったのか?』『彼と黒崎の関係は?』 『愛原さんは本当に超スペックだったのか? 僕の気のせい?』 まだ終わってはいない。そんな気もするが、僕には関係ない事だ。 もう黒崎の脅威は去った。悪は滅んだのだ。ここからの時間はたっぷりある。 今や僕は持たない人間ではない。『持つ側』の人間だ。 『資格』は得た。もう誰にも文句は言わせない。思いを伝えよう。 そう、『持つ人間』となった僕は誰よりも偉いんだ。そして『邪魔者』も消えた。これで……愛原さんは僕の『モノ』だ。 ああ、楽しみだ。待ちきれない。 今日の放課後、すぐにでも愛原さんに告白をする。彼女は確実に受け入れてくれるだろう。 だがもし、愛原さんが僕の思いを拒絶したなら、その時は…… ××× 一年後。 『本日のニュースをお伝えします。○×高校に通う愛原――さんの行方が分からなくなって、今日で一年となりますが、警察は捜査の打ち切りを発表しました』 『愛原さんは行方が分からなくなる直前、特定の男子生徒に執拗に迫られていたとの情報もあり、警察がその男子生徒に事情を聞いたところ、本人は関与を否定。事件との関連は無しと結論付けられました』 『また、同じ日に行方が分からなくなった黒崎瑠美さんについては――』 シナリオ1 終わり シナリオ2 赤川大地(あかがわだいち) 『経験値』 ステータス 喜5 怒10 哀10 楽1 「世の中はクソだ」 割と現代人の多くが耳にしているだろうその言葉を、俺こと赤川大地もあえて口にさせてもらう。 どこがクソなのかって? その理由はたった一つ。この世界は『努力が報われない』。 俺がプレイしているゲームを使って説明しよう。 ゲームは敵を倒せば『経験値』が手に入る。敵をたくさん倒せば、それだけ成長できる。 これは『頑張った分だけ成果が得られる』と言い換えてもいい。素晴らしい。 では、現実で同じ事をしたら、どうなるのか? 例えば俺は今、屋上からグラウンドを見下ろしている。そこには陸上部の女子が練習に励んでいた。 俺がその女を殺したとしよう。その場合、ゲームと同じように経験値が入るか? そんなはずない。経験値どころか警察に捕まって、その後はろくでもない人生を歩むだけだ。 ほら、理不尽だ。せっかく敵を倒したのに、経験値も貰えない。努力が報われない。これが現実。 だから、俺みたいな『空っぽ』の人間は、どれだけ努力しても無意味だ。ある程度ならそれなりに効果はあるだろうが、本物の『才能』には勝てない。 やはり、現実も人生も、くだらないクソだな。 「あれ~。こんな所に人がいる。意外じゃん」 その時、綺麗でよく通る声が聞こえてきた。 「く、黒崎瑠美!?」 声の主を見て、思わず息を飲んでしまった。なんでこの女がこんな所に? この屋上は別に立ち入り禁止ではないが、人の出入りは少なく、俺の憩いの場だった。 それがよりにもよって、この女に見つかるとか、最悪だ。 黒崎瑠美。この女こそ全てにおいて才能の塊だった。俺が最も許せない人間だ。 どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても、成績でこいつには勝てなかった。いや、勉強だけならまだ許せる。スポーツにおいてもこいつは俺より上だったのだ。 「へえ。ここ、いい場所だね。大発見だよ」 そうして俺の隣に座る黒崎。心地よい香りが鼻腔をくすぐる。 この女は、容姿を含めた美的センスでさえ、誰にも負けない才能を与えられていた。 一部でこいつの事をブスと言う奴もいるが、それは間違いなく嫉妬か、またはこいつが嫌いだからそう思いたいだけの妄言だろう。 こいつは許せん女だが、俺は馬鹿じゃない。評価だけは正当に、かつ公平に行うつもりだ。感情だけで判断する愚かな人間になるつもりはない。 まあ、満場一致で間違いないのは、こいつの性格は最悪って部分だ。 天才がゆえに、才能が無くて苦しんでいる人の気持ちがまるで分かっていない。 「というか、なに居座ってんだよ。早く帰れよ」 「え~。あたし、家に帰りたくない系だし~」 「どういう系統だよ。絶対に家の方が居心地いいだろ。お嬢様はちやほやされるだろうしな」 「逆だよ。家なんて息苦しいだけ。あたし、養女だし。常に一番じゃないと、酷い事されるし」 「お前、養女だったのか。酷い事って、何されるんだよ」 「服を脱がされて、冷水ぶっかけられたりする」 「おまっ……それって」 虐待ってやつじゃないのか!? こいつ、家だとそんな扱いを受けていたのか。 「というわけで、ここがあたしの安寧の地。これ、決定事項ね!」 「ここは『俺』の安寧の地だ。てめえのじゃねえ。勝手に奪うな」 「別にいいじゃん。じゃあ、共有でいいよ」 「よくねえよ。帰れ!」 「あ、それなに? ゲーム? こんなの学校に持ってきちゃって、いけないんだ~♪」 「聞けよ!」 手に持っていたゲームを奪われてしまった。くそ、俺の恋人が…… 「なんだ。RPGか。でも、これも面白いよね」 「お前、ゲームなんてやるのか?」 「へへへ~。これな~んだ?」 黒崎がどこからともなく、同じゲーム機をもう一つ取り出した。 おいおい。人にゲームの事を注意しておきながら、自分も持ってきてんのかよ。 「お前な。…………こんなの学校に持ってきちゃって、いけないんだ~♪」 「え? なにそれ。キモいんだけど」 「お前の真似だよっっ!」 こいつ、本当に暴虐無人だな。なんつー我儘女だ。 でも、なんだろう。実際に喋ってみると、意外と不快感はそこまで無い。 本当は悪い女じゃないのかも? いや、友達も彼女もいない俺に免疫が無いだけか。女子とこんな話をするのは初めてだし。 気にくわない。俺に話しかけていいのは、天使みたいな美少女だけなのだ。 だから、俺はここで意地の悪い事を思いついた。 「なあ、ちょうどゲーム機が二つあるんだ。対戦しようぜ」 「ん、いいよ。やろうか」 かかった。実は俺、このゲームは死ぬほどやり込んでいる。絶対に負けない。 ボコボコにしてやる。勉強でも運動でもこの女には敵わないが、ゲームなら話は別だ。 こいつが悔しがって地団太を踏む姿を拝んでやる。 初勝利に胸を躍らせながら、黒崎との対戦を始めた俺だが…… 「ざけんな。クソが!」 結果は俺の惨敗だった。地団太を踏んだのは俺の方だ。 この女は俺以上にこのゲームをやり込んでいたのだ。 「あはは。残念だったね♪」 ケラケラと笑う黒崎。だから、天才は嫌いなんだよ。 「悔しい?」 そうして黒崎が俺の顔を覗きこんできた。 近くで見ると、本当に美人だ。 「近い。あんまそういう事すんな。お前は……その、なんだ。綺麗な顔をしているから、喋りにくくなる」 「え?」 動揺したような表情の黒崎。いつも余裕ぶっているこいつが初めて見せた顔であり、それは俺がどうしても見たかった表情でもあった。 「……それは、どうも。でも、あたしの事をブスって言ってる子も多いよ?」 「そんなもん、嫉妬に決まってんだろ。つーか、お前。分かって言ってるだろ」 「うん。知ってる。それでも……へへ、ありがと。ちょっと嬉しかったかも」 「…………」 なんだろう。こいつとの会話は悪くない。 波長が合うというやつだ。何気に俺たちはお似合いかもしれない。 ………………でも、だから、なんだ? 例えばこれが漫画やアニメなら、幸せなラブコメが始まっただろう。底辺男子と、クラスでトップである美少女とのニヤニヤストーリーだ。 だが、俺と黒崎瑠美がそんな関係になれるはずがない。きっとこの女は、どこぞの金持ちの権力者とでも結婚するのだろう。 そして、凡人で『空っぽ』の俺は、恋人すらできないまま人生を終える。 これが現実。女なんて結局、金と権力しか見ない生物だ。この世に本当の『愛』なんて存在しない。 だからこそ、あえてもう一度言ってやるが、世の中は『クソ』なのだ。 「そういえば、さっき面白い事を言ってたよね。世の中はクソだっけ?」 ち、聞かれていたのか。 なら、ちょうどいい。こいつに俺の持論を聞かせてやる。 俺はさっきの『経験値』の話を説明した。人を殺しても、経験値は得られない。 つまり、努力は報われない。この天才にそれを分からせてやるつもりで、思い切り熱弁した。 「その考え方、間違っているよ」 「……ち」 そりゃそうだ。どう考えても、百歩譲っても、俺の考えはまともじゃない。 ああ、そんなのは知ってたんだよ! それなのに、どうして俺はこの女にこんな話をした? ひょっとして、分かってもらえるとでも思っていたのか? 馬鹿馬鹿しい! 俺の『怒り』なんてどうせ『気持ち悪い』とか『努力の方向性が』とか言われて終わり…… 「人を殺せば、現実でも経験値は手に入る」 「え?」 だが、返ってきたのは、俺が思う斜め上のものだった。 「だって、そうでしょ? 最初に人を殺す時と、二回目に人を殺す時なら、絶対に二回目の方がうまくやれる。きちんと成長はできるんだ。ゲームと同じだよ」 「でも、それだと、俺は警察に捕まって……」 「それは『ペナルティ』の話でしょ。ゲームでも間違ったやり方なら、ぺナルティを食らう。キミは『経験値』と『ペナルティ』を同じに考えている」 そんな考え方で来るなんて、思わなかった。 「逆に言うなら……」 黒崎がほほ笑む。 「ペナルティさえ避けられたら……つまり、人を殺しても、それがバレなければ、キミは大量の経験値だけを得ることができる」 その笑みは、さっきまでなら天使に見えたかもしれないが、今は悪魔のようだと思ってしまった。 俺の予感が的中するかのように、黒崎は続ける。 「ねえ、一緒にやってみない?」 「やるって、本気で人を殺すのかよ」 「それは無理。残念だけど、高校生のあたし達の能力では、殺人を隠蔽するなんて不可能だ。もちろん、失敗のぺナルティが大きすぎるってのもある」 「そうだよ、な」 「だけど、似たような事ならできる」 「似たような事?」 「はい、じゃあここで問題。学生のあたしたちができる、殺人じゃないけど、それと類似しているくらい相手を徹底的に打ち負かす手段はなんでしょう? ちなみに、多くの学校で『それ』をやっている人間は、少なくない。そして、本当に人が死ぬ時もある」 こいつが言いたい事に、気付きたくなかった。でも、気付いてしまった。 人として最低最悪の行為。俺が思い浮かぶ、ひらがな三文字の言葉。 「……………………いじめ」 「正解。これなら、学生であるあたし達でも成功率は高い。うまく出来たら、大量の『経験値』が得られる」 「いや、そんな事をしても経験値になんねーだろ」 「そうでもない。いじめは経験値になる。あたしの親が言ってたけど、学生時代にいじめをして、それを見つからずにやりきった人間って、社会に出たら成功するらしいよ」 「いじめをした人間が社会で成功? なんでだよ?」 「社会は競争だ。だから、学生のうちに相手を上手に蹴落とす手段を勉強すれば、それが後に武器となる。要領の良さを得られるって言えば、分かりやすいかな?」 明らかにおかしなことを言っている。でも、説得力もある……そう思ってしまう。 「実行するのはあたし。クラスの『地位』で考えたら、あたしが適任だ。悪いけど、今のキミの地位だと、不利だと言わざるを得ないね」 言われなくても分かっている。俺のクラスの地位なんて、下から数えた方が早い。 そんな俺が、どうして最上位であるこいつと、こんな話をしているのだろう。 「経験値は共有だ。成功したら、キミもきっと成長できる」 「それはさすがにおかしいだろ。俺は何もしてないぞ」 「最近のゲームは戦いに参加しない仲間にも経験値が入るよ。まあつまり、見ているだけで勉強になる事もある」 「どうしてお前が、そこまでしてくれるんだよ」 「キミが気に入ったから。って言ったら、信じる?」 あの黒崎瑠美が、俺を気に入った? そんな馬鹿な。 「もちろん、リスクも高い。失敗したら、あたしたちは仲良く終わりだ。どうする? 嫌なら、この話は無かった事にするけど」 断った方がいい。こんな話に乗る方が異常だ。 でも、俺はもう少しだけこいつと一緒にいたかった。だから…… 「いいぜ。やってやる」 ××× 翌日の放課後、俺は再び屋上に来ていた。 暇つぶしを兼ねてラノベを読んでいると、黒崎が入り口から入ってきた。 正直、昨日の出来事は夢かと思ったのだが、違ったらしい。 「ん~? なに読んでんの~」 黒崎が俺の持っているラノベを奪う。この女、当たり前のように他人の物を取るよな。 それから彼女はパラパラとページをめくり始めた。 ちなに内容はラブコメ。俗に言うハーレム系である。 正直、作者の妄想を垂れ流されているようで気持ち悪いが、暇つぶしとして読む分にはありだと思っている。 「返す」 「あ、ああ。まあ、お前はこんなの読まないよな」 「ん? 全部読んだよ。思ったより面白いじゃん」 は? あの一瞬で全部読んだのか? この女、どういう脳の構造をしているんだ? しかも、面白いとか。別の意味でこいつの脳を疑ってしまう。 「特に主人公君が鈍感すぎて笑えるでしょ。あれだけ告白されて、聞こえてないとか、めっちゃ面白いよね。あははは!」 ちょっと方向性のおかしい感想だが、本当にきちんと内容は把握していた。もはや天才とかそんなレベルじゃない。 本当に、なんでそんな奴と俺が一緒にいるんだか。 「でも、ヒロインの子はいいね。美人で勉強も運動もできて、完璧なのに、ちょっと性格は悪い。それでクラスの冴えない男子に恋をしてしまう。でも、少し幸せそう。あたしも自分を変えたら、そうなれるのかな」 それはこいつが初めて見せた憧れの表情だった。 「なんてね。現実はそうはならない。キミの言葉を借りると、だから『クソ』なんだよね。ま、自分が創作物の人物になれるとか思いだしたら、終わりだよね」 「……そうだな」 「んじゃ、『いじめ』についての話を始めようか」 そうして俺たちの『クソ』みたいな現実が始まる。『いじめ』という手段でしか何も満たせない腐りきった俺たち。 黒崎瑠美は、勉強も運動もできる完璧な美少女なのに、虐待によって歪められたその性格は、権力でしか誰にも受け入れてもらえず、嫉妬や悪意で汚れてしまった。 天使みたいな美少女に惚れられる事を夢見ていた俺の前に現れたのは、そんな悪魔みたいな女だったわけだ。 「いじめにおいて最も重要なのは『ターゲット』だ。ここを間違えると、いじめは高確率で失敗する」 「ま、気の弱い奴を狙うのは基本だよな」 「うん。でも、一番大事なのは『純粋で真面目な子』を狙う事だよ」 「真面目? 弱そうな奴じゃないのか?」 「ここで言う真面目は、酷い事をされた時『自分が悪い』と思うタイプ。真面目で頭が良い子ほど、自分で責任を感じるからハメやすい」 確かに。いじめってのは、相手に責任を押し付けるから成立する行為だ。 本来なら褒められるべき責任感の強さを悪意に利用する。まさにクズの手法だな。 「なんつーか。意外だな」 「なにが?」 「こんなにきっちり作戦を立てるって部分がだ。天才のお前は、全部感覚で決めるタイプだと思っていた」 人をいじめるという行為でここまで緻密な作戦を立てるのは俺たちくらいだろう。 「はっきり言うけど、あたしもキミもいじめに関しては『才能が無い』と言っていい。才能ある人が見たら、あたしたちのやっている事はおままごとだよ」 そうだな。黒崎はともかく、俺はいじめなんて一人で出来る自信は無い。 『才能』が……無いから。 「でも、才能が無くても、気持ちと理論があれば成功する。それをキミにも知ってほしい。ま、あたしが理詰め好きってのもあるけどね。その方が楽しいじゃん?」 『楽しい?』……違う。それはお前が天才だからだ。凡人にとって、努力はただ『辛い』だけだ。 凡人の俺には『喜怒哀楽』で言う『楽』なんて存在しない。努力なんて楽しめない。 それでも、ようやく本気でやりたい事ができた。どんなに辛くても、俺はこの『努力』を続けようと思う。 これを『なんでいじめなの?』とか『その努力を別方面に向ければいいのに』とか思う奴は『空っぽ』の恐怖など知らない恵まれた人間なのだろう。 そんな奴に俺の気持ちなど分からない。どんな事をしても『掴めるもの』を発見したのなら、それを全力で手に入れなければならない。 そうしないと、俺は永遠に負け犬だ。 『才能』を持つ黒崎がなんで俺の味方をしてくれるのかは、本当に分からない。 まあでも、今は捨て置く。化けの皮は、後でゆっくり剥いでやればいい。 「で、ターゲットに選んだのが、この子ね」 選ばれてしまった憐れな生贄は、クラスメイトの愛原だった。 「確かに、こいつならいけそうだな」 「うん。それになんかこの子『いじめて欲しそうな顔』をしてるし」 「なんだそりゃ。急にいじめっ子ぽい理屈になってきたな」 とりあえず、ターゲットは決まった。いよいよ本格的に俺の罪が動き出す。 「そうだ。目標を決めよう。これも重要だ」 「目標? いじめにそんなの必要か?」 「どんな事でも目標は大事。まずは簡単なものから……そうだね。土下座でもさせようか。それで勘弁してやればいい」 「勘弁? なんだ、土下座でいじめは止めてやるのか」 「とりあえずね。『経験値を稼ぐ』としては、最初はそれで終わるくらいが妥当でしょ」 土下座をすればいじめは終わる。それなら難しくないし、大事にならない可能性も高い。ちょうどいい塩梅なのかもしれない。 「でも、愛原はこちらが思う以上に傷つくかもな。……なあ」 俺は唾をゴクリと飲んで、聞いてみた。 「もし、愛原が自殺でもしたら、どうする?」 「そうなったら、それを大きな『自信』とすればいい。正真正銘『人を殺して経験値を得る』の達成だ。キミの努力は初めて報われる。もっとも、隠し通せたらの話だけどね」 「罪悪感とかは、無いのかよ」 「ん……あたし、そういうの分からないんだ。これで自殺ってのも本当に理解できない。ごめんね」 何故か『俺』に対して謝罪する黒崎。言っている意味が伝わっていない? 「殺人の隠蔽は難しいけど、自殺ならなんとかできる。安心しなよ。あたしは最後までキミの味方をする」 そして黒崎は今日一番の『笑顔』となった。 「大丈夫、きっとうまく隠し通せるさ」 「…………はは」 こいつ、きっと『人の痛み』が理解できないんだろうな。 ××× そうしてついに決行の日がやってきた。 黒崎は取り巻きの女子を引き連れて愛原の元へ向かう。彼女たちは『黒崎グループ』と言われている連中だ。 黒崎曰く、この取り巻きは黒崎家の権力に従っているだけで、友達とは言えないらしい。 確かに彼女らが見えない所で黒崎をブスと言っていたのを聞いた事がある。黒崎もそれを知って利用しているわけだ。 それでも黒崎グループが教室でトップなのは間違いない。取り巻きもその座に居座りたいのだろう。 少なくとも表向きでは彼女らも黒崎を立てている。歪んでいるが、利害の一致する関係なのだ。 トップってのも大変だな。まあ、これを勉強するのもまた『経験値』か。 そう考えたら、あいつにも本当の友達なんて、一人もいないんだな。 「ねえ、愛原ちゃん」 誰もが心を奪われるような綺麗な笑みで、黒崎は愛原に話しかけた。 「え? く、黒崎さん?」 当然、愛原は困惑している。今まで全く接点も無かったし、普通ならこの先も関わるはずの無い地位の二人だからだ。 「愛原ちゃんって可愛いよね。あたし、前から愛原ちゃんと仲良くしたいと思っていたんだ。よかったら、あたし達のグループに入らない? 一緒にご飯、食べようよ」 「わ、私が……黒崎さんと?」 俺は今、黒崎瑠美の本当の恐ろしさを知った。一見すると、全く悪意など無いように見えたからだ。 話しかけられた子はこう思う。『黒崎さん。怖そうだけど、いい人だ』と。 だが、これは全て黒崎の罠。彼女の中では初めから『どうやって相手を屈服させるか』しかない。そのあまりの手際に恐怖すら覚えた。 今の黒崎が蜘蛛のように見えた。完全な捕食者。そして愛原は蜘蛛の糸に絡められた獲物。 愛原の顔は髪で隠れてよく見えないが、雰囲気から嬉しそうにしているのは分かる。 自分みたいな人間も誘ってくれた。仲良くしてくれる。それが心から嬉しい……と。 それを見た俺は、何故か恐ろしいほどの『吐き気』に襲われた。それがあまりにも酷くて、見ていられなくて、目を逸らしてしまった。 ××× そうして愛原が黒崎グループに入ってから何日かが過ぎた。 黒崎の話によると、いじめはある程度仲良くなってからの方が圧倒的に成功しやすいとの事だ。 一見すると仲良しグループ。そう見えるからこそ、いじめがバレにくい。 黒崎の手腕は完璧だった。愛原に優しくしつつも、気の小さい彼女に少しずつ『いらだち』を見せ始める。時間をかけて、ゆっくりと愛原への態度を冷たくしていく。 あいつのいじめ理論ではターゲットが大事と言っていたが、もはやそれすら不要と思えた。黒崎の支配技術は既に相手を選ばず、誰にでも通用するのではないか? 黒崎瑠美。やっぱり、お前は何をさせても天才だよ。 そうして仕上げの日。愛原を人気の無い体育倉庫へ呼び出す。 俺は見張りも兼ねて入り口の扉前で待機していた。中は見えないが、声は聞こえてくるので様子は分かる。 少しでも経験値が欲しい。人を屈服させる瞬間と、その過程を勉強しなければならない。 「ねえ、愛原ちゃん。どうしていつもオドオドしているの? これじゃ、あたしたちのグループの空気が悪くなるんだけど、どう責任取ってくれる?」 「だよね~。正直、私も思ってた。愛原って空気読めないよね~」 「うん。キモいよね。きゃはは!」 「ご、ごめんなさい」 始まった。何も悪くない愛原に全ての責任を押し付けるような口調。 まるで本当に愛原に落ち度があるかのような演出。本当は、彼女に落ち度なんて一つも無いのに。 愛原は、ずっと頑張っていた。勇気を出して話しを広げようとしていた。 黒崎はそれを『空気を壊す』言動として、周りに誘導させていたのだ。 「キミのせいで、あたしたちのグループの『格』が落ちちゃったんだよ? グループの皆は凄く迷惑している。このままじゃ、キミを誘ったあたしが悪いって事になる。せっかくキミと友達になろうとしたのに、恩をあだで返すつもりなの?」 愛原の嗚咽が聞こえてくる。責任を感じているのだろう。 あいつの言っていた『真面目な人間』をターゲットにする優位性がようやく分かった。 悪い所なんて無くても無理やり『悪』とできる。普通なら理不尽だと思えるその仕打ちも、真面目な人間なら『自分が悪い』と認めてしまう。愛原は、そういう子だ。 だから、ターゲットが大事。そうやって相手を屈服させる。これがいじめの正しいやり方だ。 「ぐっ」 また吐き気だ。なんだよ、これ。いじめが始まった日からずっとこうだ。 「それじゃあ、愛原ちゃん。土下座しようか。それで今までの事は勘弁してあげる。キミにはもう何もしないし、関わらない。約束してあげる」 これで終わり。こんな事を言われたら、誰でも土下座するだろう。 俺は口元を抑えてその場から逃げるように去った。もう、吐き気が限界だった。 ××× 「はあ、はあ」 屋上に来ても吐き気が収まらない。くそ、うっとおしい。 その時、大きな音を立てて扉が開き、黒崎が入ってきた。 よく見ると、その顔は不快感に染まっている。 な、なんだ? まさか、逃げた俺を責めに来たのか? 「失敗した」 「は?」 「あの子、最後まで土下座しなかった」 「なっ!?」 嘘だろ。愛原の奴、なんで土下座しなかったんだ? 「殴っても、無駄だった。思った以上に強情だったみたいだ」 手まで出したのか。それでも土下座しないとか、愛原も頭がおかしいのか? 「なあ、もう終わりにしないか?」 俺は勇気を振り絞って、その言葉を口にした。 瞬間、黒崎の蛇みたいな目がギロリと俺の方へ向く。 「あ、いや……その」 全身から汗が噴き出す。でも、これは言わなければいけない。 「お、俺たちはターゲットを間違えた。このゲームは俺らの負けだよ」 黒崎の目を見ていられなかった。今になってこいつが恐ろしい女だと気付いた。 そんな黒崎は考えるように時間を置いた後、軽く息を吐く。 「そうだね。あたしたちは最も大事な部分でミスをした。このまま続けるのはリスクが大きい」 分かってくれたか。よかった。 元より無理がある話だったんだ。結局こんな方法で俺たちは幸せにはなれない。 だが、いじめなんてしなくても、俺たちはきっと…… 「でも、ごめん。あたし、もう少し続けてみるよ」 しかし、黒崎瑠美は『楽しそう』にそんな事を言う。 「お前、なに言ってんだよ! これ以上は無意味だろ!?」 「なんかさ。もっと愛原ちゃんをいじめたら、『何かが掴める』気がするんだ」 「は? なんだそりゃ。何かって、目的でもあるのか?」 「目的……ね。強いて言うなら『死にたくない』かな」 「はあ?」 意味が分からない。でも、こいつの顔は真剣だった。 「ねえ、キミはどうする? 一緒に続きを見届けてくれる?」 「ふ、ふざけんな! 誰が……」 断ろうとした瞬間、またしても縛り付けるような黒崎の視線。 目が……合わせられない。 「……お、俺も最後まで付き合うよ」 言いたくも無い言葉が、勝手に口から飛び出た。 「いい答えだ。やっぱりキミって最高だね! ふふふ」 心から嬉しそうな黒崎の声。その声で更に吐き気が強くなった。 ああ、そうか。『吐き気の正体』が分かった。 俺は愛原と自分を重ね合わせていたんだ。愛原は未来の俺の姿ではないのか? 黒崎が俺に優しくしていたのは、全て作戦。俺もいつか、愛原みたいに…… いや、余計な事は考えるな。今の俺はおかしいんだ。ぐっすり寝たら、いつもの俺に戻るはず。 そうだ。今日はもう早く帰って、寝よう。 ××× 「赤川君。キミさ、何か勘違いしてない?」 だが、恐れていた事が、現実となった。 「急に……なんだよ」 「あたしとキミが釣り合うと本気で思ってた? つーかさ。キミ、あたしのレベルに合わせる努力した? してませんよね? ひょっとしてあたしの事、舐めてた?」 「そんなつもりは……俺はただ……」 「じゃあさ、あたしをイラつかせた責任、取ってよ」 「……何をすればいいんだよ」 「お金。明日から毎日持ってきてね。足りなかったら親の財布から盗むこと。万引きとかもしてもらおうかな。断ったら、怖いお兄さん達がキミに酷い事するから、よろしく♪」 「っ! お前、最初からそのつもりで!」 「ウケる! 今、気付いたの!? 頭悪すぎでしょ! あはははは!」 笑いながら、黒崎が屋上を出て行く。 俺は、あまりの悔しさに、地面を殴りつけた。 ちくしょう! ……ちくしょうっっ! ××× そこで目が覚めた。全身が汗でびしょ濡れだった。 「夢かよ、くそ」 今のは夢。俺の不安が形となって表れてしまったらしい。 いや、本当にさっきのは、ただの夢か? これは予知夢じゃないのか? あいつは、ずっと心の中で俺をあざ笑っているのでは? それから数日、愛原に対するいじめは毎日続いていた。そろそろクラスの何人かは気付いているだろう。 そしてそれが……いつ俺に向くか分からない。 このままじゃ、取り返しの付かない事になる。そんな予感が頭をぐるぐると回っている。 放課後となり、屋上へ向かうと、あいつは先に来ていた。 「おっす。遅いじゃん」 俺は黒崎の挨拶も無視して、無言で隣に座る。怖くて、あいつの顔は見れない。 「ど、どうしたの? 顔色悪いよ? ……何かあった?」 心配そうな声で俺の顔を覗き込もうとする黒崎。俺にはそれが演技に見えて仕方なかった。 「そうだ。じゃあそんなキミに、とっておきのプレゼントをあげよう」 「プレゼント?」 「へへへ~。これな~んだ?」 初めて会った時と同じ屈託のない笑顔で、黒崎は『それ』を取り出した。 「………………注射器?」 「そう。いけない薬であり、危ない薬でもあり、気持ちよくなれる薬と言われる事もある。お金持ちのあたしは、こういった珍しい物も入手できるのだよ」 何を……何を言っているんだこいつ。本気で、シャレにならない。 「もちろん、こっそりだけどね。バレたら大目玉だ」 まるで子供が悪戯をするような表情。そんな彼女は躊躇なく自分に『それ』を打ち込んだ。 「あ~気持ち良くなってきた」 この瞬間、俺の中の決定的な何かが、ガラガラと音を立てて崩れていく。 「ねえ、もっと気持ちいい事、したくなってきちゃったかも」 とろけるような、誘うような表情で彼女が俺を見つめて来た。 体が……勝手に……手を伸ばしてしまう。 くそ! 無理だ! こんなの、逆らえる男なんていない! 「ただし、条件がある」 しかし俺が伸ばした手は、同じく彼女の手によって制された。 「キミもこれ、使ってよ。あたしと同じになってほしい」 渡されたのはケース。中には同じ注射器が三本も入っていた。 ――人間、やめますか? なんて聞いた事のあるフレーズが、頭を駆け巡る。 「ひ……お、俺は」 「あはは! な~んてね。冗談だよ」 そんな俺を見て、黒崎がからかうように笑う。 「でも、それはあげる。どう使うかはキミに任せる。その気になったら、相手もしてあげる。……ううん、キミがどうしても辛いなら、そんなの抜きで、いいよ」 そうして照れたような目をした黒崎は、屋上を出て行った。 ああ、ダメだ。限界だ。もう嫌だ。怖い。 このままだと、俺が壊されてしまう。 もう、終わりにしよう。俺は心の中で決心をした。 ××× まずは協力者を探す。一人で黒崎を止めるのは不可能だ。 そいつはすぐに見つかった。名前は瀬戸良太。いつも黒崎と愛原を目で追っていた奴だ。 正直、戦力としては不安だが、下手に頭が回ったりするタイプよりは御しやすい。 俺の勘は当たっていたみたいで、簡単な説得であっさり協力関係を結ぶ事ができた。しかも、危険な囮役を押し付ける事にも成功。 これで瀬戸が失敗しても、俺に危険は及ばない。単純な奴は扱いやすくて実に便利だ。 そこで気付く。俺、『そういう人間』を見つけるのが上手くなっていた。 それだけじゃない。今の俺は自分でも驚くほど冷静で冴えていた。少し前の自分と比べると別人かと思えるほど成長している。 ああ、そうか。俺、きちんと黒崎から学んでいたのか。『経験値』は得ていたんだな。 その技術であいつを終わらす事になるなんて、皮肉な話だ。 そして実行。瀬戸は思った以上にポテンシャルを発揮して、予想を超える成果を見せた。 俺もいじめ動画の撮影に成功した。後はこれを拡散するだけだ。 「……っ!」 だが、最後の最後、黒崎と目が合ってしまった。 俺は急いでその場から逃げた。だが、もう遅い。確実に俺の裏切りは知られた。 どうする? どう説明すればいい? いや、説明など無意味だ。きっとあいつは、俺の事を許さない。 「させるかよ」 その前にこっちからあいつを終わらせる。もう止めるなんて言っている場合じゃない。 徹底的に、黒崎を潰すんだ。 俺は先制攻撃を仕掛けた。あいつが終わるような一手だ。 『黒崎瑠美は虐待を受けている。あいつは親から溺愛はされていない。だから、反撃を恐れず、潰してしまえばいい』そんな情報もいじめ動画と一緒に拡散させる。 これが信じられないほどうまくいった。こうして黒崎グループは崩壊。彼女の周りは全てが敵となった。 そして黒崎瑠美は、かつての取り巻きからいじめを受ける事になった。 それはあまりに凄惨な内容だった。トイレに連れ込んで水をかけたり、顔にモップを押し付けるような事までしていた。 明らかに『度』を越えたいじめだ。 「…………」 なんだこれは。俺はいつの間にこんなに『できる人間』になった? あのいじめ事件と黒崎による恐怖が俺を覚醒させたのか? これがあいつの言った『経験値』の効果? 俺は既に黒崎を超えていた。俺があの女を破滅させたのだ。 黒崎がふらつきながらトイレから出てくる。体中がびしょ濡れで、見ているこちらが辛くなるほど酷いありさまだ。 周りの皆は憐れむような視線を向けている一方、『因果応報だろう』という視線も混じっていた。教師は全員が見て見ぬふりをしていた。 そして俺は、そんな黒崎と目が合った。 黒崎は周りの視線など見えていないかのように、俺だけを真っ直ぐ見つめて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。 亡霊のように、怨霊のように、濡れた体を引きずるように、ズルズルとこちらに迫ってきて、そして…… 「ね、ねえ…………どうして、なの? なんで、こんな……」 「うるせえ! このブスが! 自業自得だよ! 人の痛みを知らない悪魔めっっ!」 俺は黒崎の声をかき消すように叫んだ。 周りに聞かせるように、同意を求めるように、そんな意図も込めて、俺は叫ぶ。 そうして、しばらく間があった後、俺の耳に入ってきたのは『拍手』だった。 「よく言った! 赤川君!」 「みんなが思っていた事を代弁してくれたよ!」 「赤川君って、よく見るとかっこいいよね!」 生まれて初めて、聞いたことも無いような『絶賛』の言葉をかけられた。 「赤川君の言う通り、この悪魔は地獄へ落としてあげよう♪」 そうして黒崎は、トイレという名の地獄へ、再び連れていかれた。 「…………はは、ははは」 そんな黒崎を見た瞬間、俺の中で恐ろしいほどの『快感』が生まれた。 ああ、そうだ。『経験値』だ。俺はこの感覚を求めていた。 なあ、黒崎。お前には言ってなかったけどな。経験値は『強い敵』を倒すほど多く貰えるんだよ。 愛原なんて小物じゃない。最上位にいたお前を潰すことで俺は最大の経験値を得たのだ。 これで俺のレベルは大きく上がった。もう誰も俺の敵じゃない。これで目標は達成だ。 だから、俺は知らない。最後にお前がすがるような、助けを求めるような目で俺を見ていたなんて、知らない。あんなのは気のせいだ。 本当は俺を恨んでなんかいなくて、最後の最後まで俺の味方でいようとしてくれていたとか、そんなのどうでもいい。 さようなら、黒崎瑠美。 俺はその日以降、もう二度と屋上へ行くことは無かった。 ××× あれから十年が過ぎた。二十七歳となった俺は、今では大企業に勤めるエリート社員だ。 昼間から高級マンションの最上階で、優雅にワインを飲みながら、テレビを見ている。 俗に言う勝ち組というやつだ。 テレビの内容は、外国の特集だった。 『は~い、皆様。ここは知る人ぞ知る外国の秘境なのですが、ここには『愛の石碑』と呼ばれるものがあります。この石碑には世界中から訪れた人たちの愛の言葉が刻んであるのです』 話によると、この島の石碑に愛の言葉を刻んだカップルは、永遠に結ばれるというジンクスがあるそうだ。 人気はそれなりのようで、様々な国の愛の言葉が石碑には刻まれている。 その中には…… 『おお! 日本語を発見しました! どれどれ? 『アキ&ルミ。ここに永遠の愛を誓う』ですって。これは妬けますな~。アキ君とルミちゃんに祝福を~』 『アキ』という男と『ルミ』という女が石碑に愛を刻んでいたらしい。 比較的新しく書かれた文字のようで、二人が現在も愛し合っている事が伺える。お盛んな事だ。 しかし、この『アキ』と『ルミ』という名前。俺の中で引っかかるものがあった。 『アキ』って男は思い出せそうにない。引っかかる名前ではあるが、俺的にはどうでもいい人物なのだろう。 だが『ルミ』は嫌でも思い出してしまう名前だ。そう、『黒崎瑠美』である。 十年前、残酷ないじめを受け続けた黒崎は、ある日を境に学校へ来なくなった。 いや、はっきり言う。『行方不明』となったのだ。 彼女をいじめていた連中は、その時になって今更のように青い顔でうろたえ始めた。 だが、俺は既に対策を練っていた。覚醒した俺ならいじめの隠蔽は可能だった。 特に教師陣の協力を得られたのが大きい。己の保身だけを考える大人は、時に恐ろしい力を発揮するものだ。 『いじめなんて無かった』。生徒を含めた全員で口裏を合わせた。 学校の全ての人間の意志が一致していたようだ。本当にあいつの味方なんて、一人もいなかったんだ。 結果、奇跡的に世間の目を欺く事に成功。本当にいじめは『無かった事』となった。 これで終わり。『悪』は滅びた。完全なるハッピーエンドだ。 ただ、うす気味悪い点も残っていた。 『黒崎がどこへ消えたのか?』その詳細が最後まで不明だ。 いじめで心が壊れた黒崎は、人知れず自殺をした。そんな説もあるが、違う。 あの女は自殺なんてしない。本当は皆が気付いている。 きっと黒崎は誰かに『殺された』んだ。 いったい誰が黒崎を殺ったのだろう。いじめていた連中が、やりすぎて殺してしまった? でも、死体が見つからないのは妙だ。黒崎も言っていたが、高校生が殺人を隠蔽するなんて不可能に近い。 青い顔をしてうろたえていた無能な連中に、そんな芸当ができるか? それとも、黒崎の予想をも超える『誰か』があの学校にいた? まあ、どうでもいいか。俺たちは誰も罪に問われなかった。それが全てだ。 それより、この話にはまだ重要な『余談』がある。 瀬戸と愛原だ。あいつらがどうなったのか? 瀬戸の奴、愛原に告白をしたのだが、なんとフラれちまったらしいのだ。 これは俺にとっても予想外だ。しかも、瀬戸はそれで『諦めた』。 本人曰く『目が覚めた』『あの時の自分はおかしかった』『愛原さんには感謝しかない』とか。 心を入れ替えて新しい恋を探す。あいつはそう言って去っていった。 馬鹿な男だ。それと同時に、強く思った。 愛原の奴、調子に乗りすぎじゃね? そういえば、黒崎の土下座にも従わなかった。お前みたいな雑魚が、一丁前にプライドでも持っていたのか? 俺と黒崎が果たせなかった目標。俺たちの仲が引き裂かれたそもそもの原因。 あんなちっぽけで、何もできないような女が、どうして一人だけ勝ち組みたいになっている? そんなのは許せない。これは俺たちがやり残した最初にして最後の目標だ。 愛原を壊す。それを実現してやった。 簡単だった。放課後、一人で教室に残っていたあの女を襲ってやった。 抵抗する気力を無くすように、散々暴行した後、好き放題してやった。 そして最後、黒崎からもらった注射を三本、全て愛原にぶち込んでやった。 精神が崩壊した愛原は、不気味に笑いながら、教室を出て行った。 そしてその日から、彼女を見た人物はいない。そう、愛原も『行方不明』となったのだ。 思い出しても浅はかすぎる行動だ。でも、あの時の俺は自分が『無敵』という謎の自信があった。何をしても成功する確信があったのだ。 事実、俺は罪に問われなかった。もう一度言うが、その結果が全てだ。 瀬戸と愛原についてフェイク情報を流して、瀬戸に罪を擦り付けるよう図ったのだが、これは残念ながら失敗した。この国の警察は優秀だったわけだ。 ちなみに奇しくも愛原と黒崎は『同じ日』に行方不明となった。 これは偶然? いや、違う。俺は一つの仮説を立てた。 黒崎を殺害した『本当の犯人』。それはきっと、薬で狂ったあの女が…… いや、やはりどうでもいい。全ては十年前に終わった事だ。 確かに謎はまだ残っている。 『十年前のあの日、黒崎に何があったのか?』『死体が見つからないのは何故?』 『愛原はどこへ消えたのか?』 『引っかかるが、思い出せない『アキ』という男は誰なのか?』 以前、黒崎は一度だけ『死にたくない』と言った。どういう意図でそれを口にしたのだろう。 結局その望みは叶えられなかったわけだが、そんな黒崎がどんな最後を迎えたのか。 気にはなるが、今更な話だ。男や愛原に関しては、全く興味も無い。 ちなみに黒崎の父親も半年ほど前に失踪した。おかげで世界的大企業だった黒崎カンパニーも先月に倒産。 ライバル会社だったので、消えてくれて助かった。これにて我が社がトップだ。 あの日から俺は何をやっても上手くいくようになった。あの出来事は俺にとって最高の『経験値』となったのだ。 今では五人もの美人と体の関係を持っている。 もちろん、その女たちもまとめて経験値にして捨ててやる。そうして俺は更に成長する。 謎は残るが、一つだけ確かな事がある。 このゲームの勝者。それは黒崎でも瀬戸でも愛原でもない。 口を歪めて宣言する。 「俺だけが、ただ一人の勝利者だ!」 シナリオ2 終わり シナリオ3 黒崎瑠美(くろさきるみ) 『愛と憎しみ』 ステータス 喜30 怒0 哀0 楽40 あたしは黒崎瑠美。成績はトップ。運動も完璧。容姿も整っている。 俗に言う『完璧美少女』ってやつです。 そんなあたしは今…… 「………………ぐ」 トイレにて顔面に『モップ』をぶちこまれております。 「ねえねえ、こいつって実はブスだよね」 「だよね~。きゃははは! ブ~ス」 周りの女子たちはそんなあたしを見て、ケラケラと楽しそうに笑っています。 この場面だけ見れば、いじめられているあたしは、とても可哀想な女の子。悲劇のヒロインと言えるかもしれない。 でも、そうはならない。誰もあたしを見て、同情すらしてくれない。 なぜなら…… 「人をいじめたのだから、こんな目にあうのは当然だよね」 あたしが先に『いじめ』をしたから。人として最低最悪のクズでした。 ヒロインなんてとんでもない。物語で言うなら、滅びるべき邪悪側の人間です。 だから、これは当然の報い。人をいじめるようなあたしに、救いなど存在しない。 でもさぁ、ちょっとばかり納得できない部分もあるんだよね~。 「ねえ。二つほど、質問してもいいかな?」 「なに? 言っておくけど、今ごろ謝っても、もう遅いからね」 「いや、それはいいけどさ」 モップを押し付けている女の子に聞いてみる。 「あたし、ここまで酷い事したっけ?」 『酷い事』とは、『モップを顔面に押し付ける』という行為である。 「確かに殴ったりはしたよ。でも、この報復は過剰じゃない?」 「はあ? あんたはいじめという許されない行為をしたんだ。これくらいされても、文句は言えないでしょうが!」 どうだろ。やっぱり納得できない。 ひょっとしてあれか。ドラマとかで流行っていた『やられたらやり返す。倍返しだ』ってやつ? あたし、あの言葉、嫌いなんだよね~。というか、おかしい。 『倍』で返しちゃダメでしょ。やり返すなら『同じ』であるべきだ。 『肩をぶつけられたからナイフで刺して殺しました』ってくらい、滅茶苦茶な論理と思う。殴られたのなら、刺すのではなくて、殴り返すべきでは? ちなみに『目には目を歯には歯を』はかなり好きな言葉。これは名言だ。 やっぱりさ、やられた事は、そのままやり返すのが筋だと思うんだ。 まあでも、それはいいや。それよりも、もう一つ明らかにおかしい部分がある。 「あたし、キミらに何かしたっけ?」 なんで被害者でも無いこの子たちが、あたしを攻撃するのでしょう。 「あんたは悪だ。だから天に代わって、私たちがあんたを成敗してやってんだよ!」 「ぷっ。悪? 天? なにそれ。キミ、自分の事を神様とか思ってるの?」 「うるせえ! ブスがっっ!」 さらに強くモップを押し付けられる。 「こいつ、本っっ当にムカつく! ずっと嫌いだったわ!」 「あんたがイカれているせいで、私たちまで悪いみたいに思われそうなんだよ! 全部あんたの暴走なのにさ!」 おいおい、もう完全に私的な理由になってんじゃん。あたしに全責任を押し付けて、自己保身に走りたいってのが透けて見えすぎているよ。『天に代わって成敗』の部分は何処へ行った。 その後もあたしに対する攻撃は続く。水をかけたり、より強くモップを押し付けたり。 「ね、そろそろ行こう。授業が始まるよ」 「そうだね。明日はもっと酷い事をしてやるから。覚悟しておけよ!」 そうしてあたしを散々いたぶった彼女たちは、トイレから出て行った。 一人でトイレに取り残されるあたし。そんなあたしが思った事は…… 『なにも感じない』 虚無とか、そういう感情だった。 「はあ~。ダメだ」 もっとこう、自分に『怒り』とか『悲しみ』という感情を期待したけど、全然その手の感情は沸いてこないや。 「やっぱりあたし、普通じゃないんだ」 あたしはきっと、人として重大な『二つの感情』が欠落していると思う。 それは『愛』と『憎しみ』と呼ばれる感情だ。 あたしには『愛』が分からない。人を好きになった事が無いんだ。 まあ、これは別に珍しくない。高校生なら尚更だ。なんならあたしの倍生きていても愛を知らない人もいる。 でも『憎しみ』が分からないのは異常だ。『今まで一度も人を憎んだ事が無い』なんてのはあり得ない。 憎しみの感情が欠落しているのは良い事だ。そう思われるかもしれないが、大きな間違いだ。 憎しみが無い人間は『人の痛み』も分からない。相手が傷つく理由が理解できないから『え? そんなに酷い事した?』となる。 だから、さっきみたいに会話が噛み合わない事など日常茶飯事だ。 一番の問題は愛と憎しみが『連動した感情』という点。よく憎む人は、それだけよく愛する才能がある。 『好き』の反対は『嫌い』ではなく『無関心』というのを聞いた事はないだろうか。今のあたしはまさにその状態だ。 憎しみが無ければ、愛は永遠に理解できない。 これを『喜怒哀楽』で表すなら、『怒』と『哀』が死んでいる状態だ。『怒り』や『悲しみ』の類があたしには存在しない。 その反動なのか『喜』と『楽』は人より発達している気がする。 大抵の事は楽しめるし、ちょっとした事で喜べる。 『喜』や『楽』は理解できるのに、愛が分からないのはちょっと納得いかない。 だから、あたしは愛が知りたかった。 それでも、やはり愛は敷居が高い。だから、まずは憎しみを学ぼうとした。 憎しみを知れば、そこから連動して愛も理解できる可能性がある。 そしてあたしは人として最低の選択をした。『いじめ』である。 いじめならたくさんの憎しみ触れられる。ちょうど最近知り合った彼とそんな話になったし、これは『やれ』という神様の合図と思った。 結果として、あたしは今、たくさんの憎しみに触れているけど、あたし自身の憎しみは得られなかった。今回は失敗か。 あたしはこのまま、永久に愛も憎しみも理解できないのかな? ××× ちなみにあたしは『ある特技』を持っている。 それは『相手の目を見ると、考えている事がだいたい分かる』というものだ。 トイレから出たあたしに、皆の目が突き刺さる。 その目がこう言っていた。 『自業自得だよね』『そのまま自殺すればいい』『ざまぁみろっっ!』 なるほど。そんなにあたしが嫌いか。 でも、あたしはキミたちを嫌いになれない。『人を憎めない』んだ。 いいな。羨ましいな。あたしにもその『憎しみ』を教えてよ。 言葉は嫌いになれるのに、人は嫌いになれないとか、理不尽じゃない? 「……あ」 その時『彼』と目が合った。名前は……赤山君? 赤海君? ダメだ。名前を覚えるのだけは苦手なんだ。 彼はあたしを綺麗と言ってくれた。嬉しかった。これは愛に繋がる可能性もある。 愛が無くても『恋人ごっこ』みたいな事をすれば、何かが掴めると思った。 だから、利害の一致もあったけど、あたしのやり方で彼の望みを叶えてあげようと努力した。 でも、なぜか裏切られた。いじめ動画を撮られて拡散された。 何か理由があると思って、彼の口からその話が出るのを待っていたけど、そんな気配も無い。 直接理由を聞こうとした瞬間、待っていたのは完全な『拒絶』だった。 彼は『綺麗』と言ってくれたその口で、あたしを『ブス』と言った。 その言葉を聞いた瞬間、あたしは…… 『なにも感じない』 あーダメだ。ここまでされてもまるで『怒り』が沸かない。 なんてことない。結局あたしは彼に対して『無関心』だったのだ。 恋人ごっこすらできていなかった。あたしは理屈で恋をした気分になっていただけ。 だって、あたしにわずかでも愛があれば、こんなことを言われたら憎しみを感じるはずなのだから。 今回もまた、愛どころか憎しみも得られなかったか。 でも、なんで切られた? なんかやっちゃった? もしかして『注射器』の件かな。 ごめんね、あれは『ドッキリ』のつもりだったんだ。 つまり、あの注射器の中身は完全な『偽物』。危ない薬などではなく、ただの精神安定剤です。 彼が辛そうな顔をしていたから、あたしなりに元気づけようとしたんだ。やり方、間違えちゃったか。 友達いないから、そういう距離感が分からない。取り巻きの皆さんは、これで笑ってくれたけどな。……今思い出したら、苦笑いだったけど。 あの時の彼、あたしと目を合わせてくれなかったし。目が見えなければ、あたしの特技も役に立たない。 まあ、仕方ない。この件は反省して、次回から頑張ろう。 次回とか、あるか知らんけど。 ちなみに今の彼はあたしを真っ直ぐ見ているので、考えている事がよく分かる。 『あたしを潰して経験値を得る』か。なるほど。 ごめん。実は経験値の話、『適当』なんだ。全てキミと一緒にいるための方便だったけど、鵜呑みにしちゃったか。 このままだと彼は十年後も『俺だけが、ただ一人の勝利者だ(笑)』みたいな痛い事を言っている大人に育ってしまう。 しかも、そんな性格をプロの美人局さんに見抜かれて、五組くらいからカモにされる未来が見えた。まあ、そうはならんと思いたいけど。 でも、ごめんね。あたしの勘、めっちゃ当たるんだ。 もしそんな未来になっても、あたしと関わったせいでそんなキミになってしまったとしても、あたしを恨むんじゃないぞ。 それこそキミの『自業自得』なんだから……さ。 ××× それから、あたしに対するいじめは更にエスカレートしていった。 それでも、あたしは彼女らを憎いと思えなかった。いよいよ憎しみを知るのは不可能な気がしてきた。 「あー楽しい!」「次はどんな事してやろうか」「そろそろ殺しちゃう?(笑)」 そんな事を言いながら連中はトイレを出ていく。あたしも少し時間をおいて後に続く。 死んだような目で廊下を歩いていると、周りから『心が壊れた』って目で見られた。 ごめん。違うんだ。ただひたすら『退屈』なだけなんだ。 大抵の事を楽しめるあたしだけど、これは本当に退屈。だって『家でされている事』とそう変わらないから。 このいじめってのは確かにきついけど、あたしが受けた苦痛ランキングの中ではそこまで上位に来ない。こんなので自殺とか、やっぱり理解できない。 もっと酷い事はたくさんされてきた。特に苦痛ランキング最上位は、このあたしが勘弁してほしいと思ったくらい吐き気がする内容だ。 しかも、そのお相手が自分の『父』というのだから、余計に気色が悪い。 それでも父を憎めない。怒れないし、悲しくも無い。あたしにその感情は存在しない。 愛や憎しみどころか怒りも悲しみも無い。何が完璧美少女だか。 あたしこそがこの世界で最も『空っぽ』の人間だったのだ。 人の痛みすら理解できないあたしに、最初から救いなど無かった。 ××× 気付けば屋上へ来ていた。ここは彼の安寧の地だったらしいが、満たされた彼はもう二度とここへは来ないだろう。 図らずとも、ここはあたしだけの場所となったわけだ。 「はあ~。なんだかな~」 これからどうしよう。とりあえず、いじめに関してはそろそろ対策を考え始めなければならない。 物騒な発言も出てきたし、彼女たちの『処理』も考えようと思う。 空っぽのあたしだけど、一つだけ望む事がある。それは『死にたくない』だ。 死ぬのだけは嫌だ。せめて、愛か憎しみを知るまでは死ねない。 だから、悪いけど彼女たちに付き合うのもこれまでだ。 その後の事は……まあ、その時に考えよう。 結局あたしは何も変わらない。変われない。うん、こんなもんだ。 これからもあたしはこんな毎日を『楽しんで』生きていくのだろう。 「みぃ~つけた。あはっ♪」 「え?」 その時『聞いた事も無い声』が屋上の入り口から聞こえてきた。 「……………………愛原?」 あたしがなぜ彼女の声を聞いた事も無いと思ったのか? それは愛原が普段は決して出さないはずの声だったからだ。 声だけじゃない。歯をむき出して笑っている。こんな顔をした愛原を見るのも初めてだ。 一瞬、三日月みたいに避けたその口が、まるで耳まで届いているような、そんな錯覚すら覚えた。 愛原。あたしがいじめていた子。こいつは目が髪で隠れているので、ずっと何を考えているのか分からなかった。 それを知るのもいじめを続けていた目的だったけど…… 「っ!」 あたしの直感が告げる。『やばい』。今のこいつは……『何か』やばい! 同時に『落ち着け』ともう一人のあたしが告げている。こんな時、最も大事なのが落ち着く事だ。 冷静に対処して、切り抜けるのだ。 今、この場で少しでも焦って間違った選択をした瞬間、あたしは『終わる』。 「ねえ、黒崎さん。知ってる? 女の子が一人でこんな所にいるのは、とても危険なんだよ」 「ご忠告、ありがとう。これからは気を付けるね。で、そういう愛原ちゃんこそ、こんな所に一人で何の用かな?」 よし、冷静になってきた。ここで自分の言葉を復唱してみる。 『何の用か』……か。そんなのは聞くまでもない。馬鹿でも分かる。 『復讐』だろう。愛原はあたしにいじめられた恨みを晴らしに来たのだ。 いかに邪悪なあたしでも、愛原の復讐だけは論破できる自信はない。その復讐は、確実に正しい。 だから、復讐したいというのなら、それを甘んじて受け入れる所存ではある。 ただ、それはあくまで『目には目を歯には歯を』の範囲内での話だ。それ以上は、悪いけど受け入れるわけにはいかない。 あたしが今まで愛原を殴ったのはジャスト十回。だから、彼女が『今からあなたを十回だけ殴ります』と言えば、あたしは嬉々として受け入れるつもりだ。 右の頬を殴られたら、今度は笑顔で左の頬も差し出す。まるでどこぞの救世主が如く全てを受け入れよう。 でも、この手のタイプは絶対にそれで済まそうとしない。間違いなく『倍返し』をしてくる。繰り返すけど、あたしはこの言葉が嫌いなんだ。 まあ、倍くらいなら別にいいけど。確実に愛原は『その先』をやるつもりだ。 はっきり言ってしまえば、愛原はあたしを『殺す』つもりだろう。 相変わらず目は髪で隠れて考えをはっきり分からないけど、それくらい雰囲気で分かる。 不気味な笑みを続けている愛原は、そのまま静かに口を開いた。 「黒崎さん。私の名前、憶えているんだね」 「ん? 名前?」 「そう。愛原って、私をそう呼んでたよね? 名前を覚えるの、苦手じゃなかったっけ?」 「まあ、自分がいじめた子の名前くらいは憶えておかないと、相手に失礼でしょ?」 「なにそれ。いじめ自体が失礼とは思わないの? やっぱり、あなたってそんな人なんだ。でも『だからいい』。もう遠慮する必要も無い。うけけけけけけけけけけけ!」 …………あたしの目の前にいるのは誰だ? ひょっとして、人間じゃなくて『悪魔』ってやつじゃないのか? あたしは、触れてはいけない存在に、触れてしまった? いや、落ち着け。とにかく、落ち着くんだ。飲まれるな。相手を観察しろ。 よく見ると、愛原は手に『紙袋』を持っていた。 中身は……まあ、武器だろうな。包丁とかかな? ちなみにあたしは護身術の心得もある。習った話によれば、包丁などの凶器を持った相手に対して最も有効な対処法は『とにかく逃げる』だそうだ。 護身術を極めたとしても……いや、護身術を極めているからこそ、凶器を持った相手を確実に制圧できる方法など存在しない。それが分かる。 だから、逃走が最も生存率は高い。あたしが取るべき正解は『逃げ』だ。 でも、先生。せっかく教えてくれたのに、ごめん。ここ、屋上なんだ。逃げ場、無いんだ。 最良の手段は封じられた。ただ、それでも諦めるつもりは無い。 じっくり観察した結果、あたしにも希望がある事も発見した。 更によく見ると、愛原は『ボロボロ』だったのだ。衣服は激しく乱れており、まるで誰かに暴行でもされた後のようだった。 ひょっとしたら、あたし以外にもお礼参りをしようとして、結果、彼女は返り討ちにあったのではないか? だとしたら、これは朗報だ。愛原は武器を持っていたにも関わらず、もう誰かに負けている。 しかも、恐らく素人に……だ。 恐ろしい威圧感はあるけど、護身術を習得しているあたしなら、冷静に対処すれば勝てる可能性は十分にある。 希望はある。あたしは絶対に生き残って見せる。 まだ死にたくない。愛か憎しみを知るまでは、死ねない。 悪いね、愛原。キミにとってのあたしは、殺したいほど憎い存在かもしれない。でも、あたしは殺されるほど悪い事をしたとは思えない。 あたしの理論をキミに押し付けるつもりは無い。でも、キミの理論で殺されるのもごめんだ。 だから、戦わせてもらう。戦うしかない。戦争ってのは、そういうものだろ? 「あ、そうだ。私ったら『何の用か』を答えてなかったね。黒崎さん、私の用事を聞いてくれるかな?」 「……いいよ。言ってみなよ」 ここは相手の出方を見る。今の愛原の脅威は『何を考えているのか分からない』部分だ。 相手が何を思っているのか分かれば、こちらも動きやすくなる。 正直、何を言われるのか、楽しみまである。だって今日、あたしは本当の『憎しみ』を知れるかもしれないんだ。 なにこれ。自分が死ぬかもしれない状況でも楽しんでしまうとか、何でも楽しむあたしの性格は、長所などではなく、ただの欠点だったか。 まあ、今更自分の性格を嘆いても仕方ない。自分がおかしいなんて、とっくに分かっていた。ここは前向きに考えよう。 さあ、聞かせてよ。キミがどれほどあたしを恨んで、憎んでいるのか。 「あのね、私ね……」 「うん」 「ずっと前から、あなたが好きでしたっっ!」 「………………………………は?」 そうしてあたしが耳にしたのは『告白』らしき言葉だった。 「…………今、なんて言った?」 そういえばこの前、告白されても気付けない鈍感主人公を散々笑ったのだけど、それと全く同じ台詞を言ってしまった。 いや、でも! 流石にこれは誰でも聞き返すでしょ! 「好きです! 大好きです! 愛しています!」 しかも、聞き間違いじゃなかった!? え? ちょっと待って。なにこれ。頭が、追いつかない。本当にあたしが好きなの? なんで? どうして? どこが? 急に風向きが変わった。愛原、どういうつもりだ。 いや、待て。これは……ああ、分かった。そうか。そういう『作戦』か。なるほど。 そうやって油断させて、相手に好意があると見せかけて、裏切って殺す……と。 やるじゃん。ある意味では正しい復讐だ。そういうのは嫌いじゃない。あたしも同じような戦法でキミを傷つけたしね。 でも残念。相手が悪すぎた。 「ねえ、それなら……あたしが好きなら、キミの『目』をよく見せてよ」 あたしは相手の目を見ると、そいつが何を企んでいるのか、一発で分かるんだ。だから、その手は通用しない。 髪で目が隠れている愛原だが、その髪を強引にめくり上げてやった。 「…………あ」 さあ、キミの目をじっくりと拝見させて…… って、なにこいつ!? めっっっちゃ綺麗な目をしてるじゃん! なんだろう。『負けた』と思ってしまった。それくらい綺麗な瞳だ。 以前、愛原を助けに来たヒーロー君があたしらをブスと言ったが、愛原が基準だとそれを納得できてしまうほどの魅力だ。 あのヒーロー君。もしかして、女を見る目があった? 「く、黒崎さん。ダメだよ。そんな風に見つめられたら、私……」 「うっさい。ちょっと黙ってろ」 とにかく、集中。愛原が何を企んでいるのか見抜くのだ。 愛原が目を逸らそうとするけど、そうはさせない。両頬を掴んで無理やり目線を合わせる。 結果………………こいつ、本気だっっ! つまり、さっきの言葉は全て嘘偽りのない本音。彼女はあたしの事が本気で……好き! 「本当に、あたしが好きなの?」 「う、うん。うんうん!」 コクコク、と壊れた人形みたいに何度もうなずく愛原。 「……一つ、質問していいかな」 「いいよ! なんでも聞いて!」 「相手、間違ってない?」 「そんな事ないよ! 黒崎瑠美さんだよね。……え? あれ? 別人だった?」 「別人じゃねーし! いや、そうじゃなくて、あたしはキミをいじめた最低最悪のクズだよ。そんな相手を好きになるのは、間違いじゃないかって、そう言いたかったの!」 「うん、あの『お遊び』の事だよね! 楽しかったね!」 「…………お遊び」 なんだこいつ。こんなのを相手にするのは初めてだ。 そんなあたしを見て、愛原は深呼吸するように息を吐いた。 「そうだね。ごめんね。急にこんなこと言われて、驚いたよね。でも、本当にあなたが好きなの。初めて見た時からずっと好きだった。勉強もできて、運動もできて、とっても美人で、そんなあなたが大好き」 「そう……なんだ」 「ちょっと寂しそうにしている部分とか、蛇のような氷みたいなその目つきとか、そのせいで色々と誤解されやすい所とか、そういうのも含めて全てが愛らしい!」 それ、褒めてる? 微妙にディスってません? とにかく、一つ確定なのはこの子は嘘をついていない。仮に嘘でも、それならそれで殺されても満足なくらいの熱を感じた。 そうやって煌めく目(本当にキラキラ光っているくらい綺麗)で熱く語っていた愛原だが、ふと暗い表情となって肩を落とす。 「でもね。私が自分の気持ち……つまり『喜怒哀楽』の『喜』の感情を出すと、相手はいつも『気持ち悪い』って言うんだ。分かってる。だから本来、この気持ちは締まっておくべきだった」 なるほど。確かにちょっと怖かった。あたしでなければ、もうこの時点で逃げ出していたかもしれない。 あの不気味な笑顔は、なんのフェイクも無い彼女の素顔だったわけだ。 「だけど、あなたがいけないんだからね! 黒崎さん」 「あたし……ですか?」 つい敬語になってしまう。どうやら悪いのはあたしらしい。いや、実際に悪い事したけど。 「私はずっと我慢できるつもりだった。でも、あなたが私の『信号』に気付いてくれた。私に近づいてきてくれた。嬉しくて死んでもいいって思った」 そういえば、あたしは一度だけ『らしくない』事をした。 愛原をいじめのターゲットにした理由を『いじめて欲しそうな顔をしている』などと、理屈ではあり得ない判断で決めたのだ。 これは愛原の『信号』とやらをあたしが無意識でキャッチしていたから? 「最初は本当に私が黒崎さんのグループに迷惑をかけていると思って、自殺しようと思ったけど、すぐ分かった。黒崎さん、楽しんでいる。それが私、『嬉し』かった」 愛原は美談でも語るかのように空を見上げる。 「私はこの夢みたいな時間がずっと続けばいいと思った。でもあなたは言った。『土下座をすれば終わりにする』と。酷い! せっかくあなたと一緒にいられるようになったのに!」 ああ。だから愛原は意地でも土下座をしなかったのか。 「でも『終わり』は来た。本当は分かっていた。こんな歪な関係がいつまでも続くわけない。その日、私は生まれて初めて大声で泣いた。そして思い出を胸に、これからも生きていこうと思った」 『終わり』とはいじめの終焉の事なのだろう。 「でも、無理だった。無理だったんだよっっ!」 目に涙を溜めた愛原は、真っ直ぐにこちらを見つめてくる。 「知ってる? この世で最も残酷な事は、愛されない事じゃない。愛を与えておいて、それを奪う事だよ。あなたと触れ合った毎日が、どうしても忘れられない!」 そんなにあたしと一緒にいたかったのか。愛が無いあたしには分からない感覚だ。 「だからもう、我慢なんてできない。私はあなたに気持ちを伝えることにした」 これで話は終わりのようだった。色々と理解できない部分もあるが、言いたいことは分かった。 初めて本気でぶつけられた『好き』という気持ち。本物の……愛。 「あれ? 黒崎さん。顔、赤くなってる」 「…………ああ、初めて告白されたから、嬉しいのかもね」 こう見えて『喜』の表現は人並み以上に強いつもりである。非常に特殊な例であるけど、今度こそ愛を理解できる可能性がある。 「え? 待って。告白されたのが初めて? 嘘でしょ? 黒崎さん、美人だし、たくさん告白されているんじゃないの?」 「あーそれ、よく言われるけど、今日まで告白なんてされた事ないよ」 まったく、この学校の男どもは揃いも揃って女を見る目が『ある』。 見た目に惑わされず、きちんと女の中身を見抜いているのだろう。 本当に、大したものだ。偉い偉い。 「私が黒崎さんの『初めて』。嬉しい! それなら、私たち……」 「待った! ストップ。『彼』はどうするの」 「彼?」 「ほら、あのヒーローみたいな彼。キミを助けた子」 「瀬戸君のこと?」 「そう! そんな名前の! 彼、絶対にキミの事が好きだよ」 「うん。告白、されたよ? でも、お断りしちゃったんだ」 「………………ああ、そう。タイプじゃなかった?」 「違うよ。告白されたのは嬉しかった、だから、私の『喜』の感情を見せちゃった。すると彼は『気持ち悪い』という目となって、逃げた」 『喜』とは、さっきのあの笑い方の事だろうか。 「瀬戸君はとても真っ直ぐで純粋な人だから、きっと私を勘違いしていた。彼には私なんかじゃなくて、別の人がお似合いだよ」 「へえ。じゃあ、あたしは真っ直ぐでも純粋でもないから、キミにお似合いと?」 「うけけけけ! そう! あなたに『そんな感情』は無い。今だってこんな私を見ても、ほとんど何も感じないんでしょ?」 ……よく分かっている。確かに怒りや悲しみが無いあたしは『嫌悪感』も鈍い。 こんな笑い方をする女とは距離を取る。それが『普通』なのだ。 でも、あたしは面白いとさえ思い始めている。人並み以上に様々な事を『楽しめてしまう』完全な欠陥人間。 愛原はそんなあたしを世界で唯一好きになってくれた。 そして、あたしだけが世界で唯一、愛原を愛する事ができる体質だ。 でも…… 「ごめん。恐らくキミは大きな勘違いをしている」 「勘違い?」 「キミはただ『痛い事』をされるのが嬉しいだけだ」 そう、愛原はきっと『そういう体質』なだけだ。 「世の中にはその手のプロがやっているお店だってある。そこに行った方が満足できると思う。プロなら嫌な顔一つしないし、よかったら紹介しようか?」 彼女は『愛』と『体質』を勘違いしている。なら、あたしじゃなくてもいい。 男の中にはそういう女が好みって奴も珍しくない。あたしの父のように。 そういう相手と結ばれた方が、彼女にとっても幸せだろう。 「うん。私も最初はそう思った。私はただ痛い事をされて喜ぶだけの女なのかな……って」 「そうだね。だから、キミのためにも言うけど、あたしの事は忘れた方が……」 「でも、違ったんだ! もう一つ『奇跡』が起きたんだよ!」 「……奇跡?」 「私ね、クラスの男子に『襲われた』んだ」 「…………え?」 愛原の口からとんでもない言葉が飛び出る。 「これがただの体質なのか、本当の愛なのか、悩んでいた時、まるで神様が答えを出してくれたみたいに、あの人が私に『酷い事』したんだ」 「ひ、酷い事……」 そういえば、彼女の服装は激しく乱れていた。それってつまり…… 「……誰にやられたの?」 「忘れた。クラスの男子だけど、印象に残っていない」 いやいや。なにそれ。なんでクラスのよく知らない男子にいきなり襲われる?? 「その時、私ね……」 なぜか自慢げな表情となる愛原。 「とっっっても気色悪かった!」 そこにあったのは満面の『笑み』だった。 「それが逆に嬉しかった。私の愛は本物だと分かった。相手が絶望的なほど下手だった事もあるけど、それを差し引いても、私は黒崎さんじゃないとダメだった。あなただから、嬉しかったんだよ!」 この子、たったそれだけのために抵抗もしなかったのか? そこまでして、自分の愛を確かめたかったのか。 「あまりにも嬉しくて、そのまま笑いながら教室を飛び出して、ここまで来ちゃった。ま、ちょっと『寄り道』したけど」 相手は愛原が『壊れた』と思っただろう。彼女がただ『素』になっただけとも知らずに。 「そういえば、その時になんか知らないけど、変な注射を刺された。三本くらい」 「はああ!? …………え? 待って。注射? 三本? それって……」 『彼』じゃん! おいおい、あいつなにやってんだ! いくらなんでもハッスルしすぎだろ!? しかも絶望的なほど下手って……いや、まあ彼についてはもはや何も語るまい。 「ちなみにその注射は体には何の害も無いから、そこは安心していいよ」 「そうなんだ。よかったよ~。まあ、私にはそういうの効かないけど、それでもよく考えたら酷い事するよね~。さすがの私も、おこだからね!」 プンプン、と頬を膨らます愛原。…………ちょっと可愛い? いやいや! 待て待て! あたしが言うのもなんだけど、その反応はおかしいだろ! シャレにならないくらい酷い事されているんだぞ! そんなのでいいのか!? つーか、聞き逃しそうになったけど『そういうの効かない』ってなに? こいつ、超人か? まったく、本当にこの子は面白い。 「うん。やっぱり私はあなたが好き。…………ねえ。返事、聞かせてもらっていい?」 上目遣いだが、そこには自信のようなものもあった。 確かにあたしは彼女を気に入っている。それは相手にも伝わっているようだ。 しかし…… 「ごめん。やっぱり、キミの気持ちには答えられない。答えない方がいい」 瞬間、愛原の顔が能面のようになる。 「どうして? やっぱり私が、気持ち悪いから?」 「いや、そうじゃなくて……ほら、今のあたしって完全にみんなの『敵』じゃん。だから、あたしの味方をしたら、キミも『敵』として認識される」 あたしをいじめている彼女たちは、愛原のためと見せかけて、本当は『自分のため』に行動している。 せっかく『正義感』という大義名分を得たのに、愛原本人がそれを否定すれば、怒りは愛原自身の方へ向く可能性すらある。 『あなたの為にやってあげてたのに』とか『裏切者』とか『かばう方も悪』みたいな。 「だから、あたしと仲良くなったら、キミが危ないってこと。あたし一人ならなんとでもなるけど『人を守る』自信は無い」 まったく、自分の事しか考えない邪悪であるあたしが、他人の為にここまで気を遣ってやるとか、奇跡だぞ? あたしはそれだけキミが気に入ったんだよ。 「な~んだ! そんなことか。それなら大丈夫だよ!」 しかし、あたしの話を聞いた愛原は安心したよう胸を撫で下ろす。 「確かにあなたの言う通り、この学校で私たちは幸せになれない。誰も私たちの事なんて理解してくれない」 「ああ、そうだよ。だから……」 「それならさ、逃げちゃえばいいんだよ。こんな世界」 「え?」 「誰も知らない、私たちだけの世界へ、一緒に行こう?」 「そ、それって……まさか!」 「ん? 外国だよ」 「…………ああ、そう。外国ね」 てっきり『死の世界へ一緒に行こう!』とか言い出すと思ったけど、よかった。思ったより、常識的な答え…… 「って、ぜんぜん常識的じゃねーし! 簡単に外国になんて逃げられるわけないだろ!」 「大丈夫だよ! 私が全部なんとかしてあげる。私、こう見えて色々とできるんだ」 「いやいや、お金とかはどうするのさ」 「へへへ~。これな~んだ?」 まるであたしみたいな仕草をした愛原が、手に持っている紙袋をこちらに見せてきた。 そういえば、紙袋を持っていたな。中身は包丁じゃなかったみたいだけど、それならこの紙袋の中身は…… 「なっ!?」 そこにあったのは大量の『札束』だった。 「嘘……これ、どうしたの?」 「寄り道したって言ったよね? あなたのお父さんの会社から、こっそり頂いちゃった。あはっ♪」 「ど、どうやって!?」 「方法は企業秘密♪ でも、それはどうでもいい事。言いたいのは、私は二人の愛の為なら、なんでもできる。あなたは何も心配しなくていい」 「そ、そんな……そんな馬鹿な」 父の会社のセキュリティを突破した? こんな少女が一瞬で? いや、それはどうでもいい。そんな場合じゃない。 「な、なんて……ことを」 「黒崎さん?」 「終わりだ。あたしたち、もう終わったよ」 この子は決してやってはいけないことをやってしまった。 世の中には絶対に逆らってはいけない相手もいる。それがあたしの父だ。 父はどんな手段を使っても『敵』は潰す。これまでもそうやって様々な人間を秘密裏に『消去』してきた。 恐ろしいのは、それらの殺人が何故か公表されないという点だ。 消された人間はいつも『行方不明』として処理される。 どんな手段を使っているのか分からない。警察の弱みでも握っているのか、もっと上の人間と繋がっているのか。それは不明だ。 だが、真に恐ろしいのは、それは相手が誰でも変わらない点だ。 かつてあたしには兄がいた。兄は養子のあたしと違って、父と血の繋がりがある本当の家族だった。 だが、兄は死んだ。なぜか? 父の会社の金に手を出してしまったからだ。 あたしが言うのもなんだけど、兄はどうしようもない人だった。何もできない、何の能力も無い哀れな人間。 遊ぶ金が欲しくて会社の金を持ち出そうとした所、父に捕まって監禁されて殺された。その瞬間をあたしは見てしまった。 もちろん、それも『行方不明』として処理された。 間違いないのは、あたしの父はリスクも無く自由に人間を消せる。実の息子もその対象なのだから、養子のあたしなんて一切の容赦もなく殺されるだろう。 「愛原……最後の最後でミスをしたね。これであたしたちは、二人揃って消される」 「そんな事ないよ? 誰にも見つからないように逃げよう? 私、頑張るから」 頑張ってどうにかなる問題じゃないんだよ。相手が悪すぎた。愛原は父の恐ろしさを分かっていない。 あたしは結局、愛も憎しみも知らないまま死んでいくのか。 いや、待て。よく考えたら、現状のあたしは別に悪くないんじゃないか? 愛原が勝手に会社の金を盗んだだけで、あたしは無関係……というか、被害者だ。 むしろ今ここで犯人を父に報告すれば、会社に貢献できるのでは? お父さん。どれだけ頑張っても、どんな成果を出しても、全く褒めてくれなかった。 それどころか、いつも酷い事ばかりされていた。でもこの事を伝えたら、生まれて初めて褒めてもらえるかもしれない。 ポケットの携帯に手を伸ばそうとしたその瞬間…… 「待って!」 愛原に手を掴まれた。……一瞬で距離を詰められていた。 「お願い、よく考えて。あなたはそれでいいの?」 万力のような握力で手を押さえつけられて…… ん? いや、そこまで強くは無い? 思い切り振りほどけば、抜けられるような力加減だ。 「黒崎さんが本当にそれを望むのなら、私は受け入れるよ。でも、もう一度聞くけど、それでいいの? あんな最低な父親に従う人生で、あなたは満足?」 「それは……」 「ねえ、黒崎さん。あなたはいじめにのやり方についてやけに詳しかったけど、それってさ、自分が同じ事をされたからだよね」 「な、なにを……」 「酷い事をされてもそれを自分のせいにできる『まじめな子』がターゲットとして優秀なんだっけ? でも、それは満点じゃない。もっと適切な性格の子がいるよ」 なんで彼女がその話を……。でも、今はそれ以上にこの話から耳を離せない。 「例えば、どれだけ酷い事をされても『相手を憎めない』性格に無理やりしてしまえば、絶対に逆らわない人形の完成だ。やりたい放題だね♪ あれ? 『他人を憎めない』? どこかで聞いた事のある話だね」 「…………っ!」 そうだ。あたしは『そうなる』ように……育てられたんだ。便利な『道具』として。 「学校のみんなも、無意識でそれに気付いて暴走し始めている。もうあなたには、何をしてもいいと思っている。このままだと、取り返しの付かない事になるよ」 「そんな事ない。なんとか……してみせる。あたしなら、できる」 「今回はそうかもしれない。でも、この先はどうなるか分からない。あなたはそれを自分で分かっている。だから、無意識にずっと『救援信号』を送っている」 『死にたくない』……か。 「このままだと将来、あなたは好き放題されて、ボロ雑巾みたいに使い捨てられる。あなたはそれを憎いとも思わず、下手をすれば『楽しんで』受け入れる」 まるで預言者みたいに語る愛原。そしてあたしの直感がそれは真実だと述べている。 「そんなのは許せない。どうして大好きなあなたが、そんな終わり方をしなきゃいけないの?」 違う。『あたしだから』だ。空っぽで何もない人間に相応しすぎる最後。 「認めないよ。世界中の誰もが認めても、私だけは認めない。それに今のあなたはまだ空っぽじゃない。あなたは愛を知りたいんでしょ? きちんと意思がある」 あまりに綺麗な瞳が真っ直ぐあたしを見つめてくる。 「だからお願い! 本当の自分に気付いてよ! あなたが本当にやりたいことは、このままクズみたいな親に操られ続ける事なの!?」 熱い思いが伝わってくる。自分の中の何かが変わるような、そんな感覚。 そうだ! あたしが本当にやりたいこと。それは…… 「…………うっ!」 瞬間、いきなり恐ろしいほどの『頭痛』に襲われた。そして『声』が聞こえる。 『戯言に耳を貸すな』『拒絶しろ』『それが正しい選択だ』 「……………………はい、お父様」 「え? く、黒崎さん?」 そうだ。理論的に考えてもそれが正解だ。 だってそうだろ? こんなちっぽけな小娘がお父様を出し抜けるはずがない。 確かにこのままだと、永遠に虐待されるだけの人生。でも、あたしはそれも『楽しめる』よう既に調教されている。手遅れだったんだ。 この女の手を取った場合、その先に待っているのは確実な『死』。 『死』と『虐待』なら、後者が正しい選択。だから…… 「…………あ」 強引に愛原の手を振りほどいて、ポケットから携帯を取り出した。 ごめんね。あたし、死にたくないんだ。 キミは間違えた。あたしの『死にたくない』という気持ちを汲み取ることができなかった。 だから、さよならだ。あたしは死なない。死ぬのはキミだ。一人で、死んでね。 そうしてあたしは…… 「えっ?」 それは愛原の声だったのか。それとも『自分』の声だったのか。 あたしは手に持った携帯を、屋上から『投げ捨てた』のだ。 「……………………あたし、なんで」 頭の声が正しかったのに。愛原を切るのが正解だったのに。 あたしは間違った選択をしてしまった。 「ああ、そっか」 あたし、『死んでもいい』と思ってしまったんだ。 あたしたちはきっと逃げ切れない。生き残る可能性は一パーセントにも満たない。 下手をすれば、明日には捕まって、二人揃って『行方不明』とされる。 でも、思ってしまったんだ。彼女と二人の逃避行がなんて『楽しそう』なんだろう、と。 死の恐怖よりも、それが勝ってしまった。あたしが十七年間ずっと植え付けられたマインドコントロールよりも、本能よりも、その気持ちの方が上だった。 たった一日でもいい。あたしらしく生きたい。二人でどこまで行けるか、試してみたい。 なんという愚かな選択。なんという馬鹿。あたしらしくも無い。 でも、絶対に後悔はしない。殺されて『行方不明』となる未来だとしても、それでもあたしは最後の最後まで自分らしく生きる。愛原と一緒に、笑って死んでやる。 そう決意した。 ああ、そうか。分かった。きっとこれが、この気持ちが…… 「嬉しい……嬉しいよ! 黒崎さん!」 愛原があたしの胸に飛びついてきた。 「…………愛原」 「明希って呼んで」 「え?」 「愛原明希(アキ)。それが私の名前だよ」 「明希……」 「うん、『アキ』。いつか男の子と間違われたりして……ね。ふふ」 どうしてだろう。もうあたしに恐怖は無かった。それどころか逃げ切れる確信すらあった。 「大丈夫。私があなたを守ってあげる。ずっとずっと守ってあげる。それを邪魔する奴がいたら、消してあげる。知ってる? 私、本気を出したら凄いんだよ。恋する女の子は、いつだって無敵なんだ」 そうして彼女の宝石のような瞳が迫ってくる。 「ねえ、瑠美ちゃん。もし生き残る事ができて、敵も全て消したら、外国にある『愛の石碑』って所に行こう。そこで二人の『永遠の愛』を刻むんだ。どれだけかかるか分からない。十年くらいかかるかもしれない。それでも、きっと私たちは……」 気付けば唇が重なっていた。 父を始め、様々な人間から無理やりさせられてきた行為。あたしにとってただ男を喜ばせる有効な手段の一つというだけの無価値な作業工程。 でも、今回だけは違った。 体中から痺れるような感覚が溢れてくる。生まれて初めて知った言葉にもできない快感。 それこそあたしがずっと求めていた『愛』という感情だった。 シナリオ3 終わり おまけ 愛原明希(通常)のステータス 喜1 怒1 哀1 楽1 愛原明希(本気)のステータス 喜255 怒3 哀15 楽10 |
でんでんむし 2022年08月12日 10時49分52秒 公開 ■この作品の著作権は でんでんむし さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2022年08月28日 10時22分25秒 | |||
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Re: | 2022年08月28日 08時28分21秒 | |||
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Re: | 2022年08月28日 08時19分03秒 | |||
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Re: | 2022年08月28日 08時15分46秒 | |||
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