青の水鹿(あおのすいろく) |
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辰岡農協前駐車場では、走り屋たちがたむろしていた。そこに入ってくる二台の車。今日のメインイベントの主役たちであった。 一台、後ろから入ってきたのはポルシェ・911。それの2017年に発表されたモデル、通称992であった。エンジン音からノンターボの最安価グレード『カレラS』であることがわかるが、それでも350馬力もの大出力は1.5トンもの重量の車を一気に時速300キロの世界にいざなう。 問題は先に入ってきた車であった。スバル・サンバー。軽トラックである。ただし自動車マニアならばあまりにも有名な車である。 2022年現在販売されているダイハツ・ハイゼットのOEM品などをマニアはサンバーと呼んだりはしない。2011年に製造終了した、スバルこと富士重工業が自ら製造していたもののみをサンバーと呼ぶ。奇しくもポルシェ911と同じくリアエンジンリアドライブ。高性能モデルはスーパーチャージャーで武装し四輪ストラット独立サスペンションというスポーツカー真っ青の足回りを備え、峠の下りならば絶対に相手にするなと言わしめた峠の暗殺者である。 入ってきたのはその最終製造年に限定発売された、ワールドラリー三連覇を達成した同じスバルのインプレッサ・WRXと同じ色、通称『WRブルー』のサンバーであった。 「ひゃっはー! 美水が峠の女帝陛下、参上だ!」 「後ろのポルシェはなんだ?」 ギャラリーらしい人間が一気に二台を取り囲む。 「あー、今日はどこの仕切り?」 サンバーのオーナー、那賀島すばるは運転席からギャラリーに声をかける。 「うちだぜ?」 すぐに特攻服の男が現れる。ここら辺を縄張りにしている暴走族『伽羅苦死威(きゃらくしぃ)』の総長であった。 「メガネ、このいけすかねぇポルシェはなんだ?」 「ボクと隼を抱きたいから勝負しろ、だって」 すばるは簡単に説明する。 「で? おまえウケたの? ウケる―!!」 ぎゃははは。実はすばるより総長は背をかがめて笑い出す。すばるは現在の峠道の状況を総長に問いただす。 「下りでこいつと競りたいんだけど、今誰が走ってる?」 「下り、うちの特攻隊長(ケツもち)と拓海くん気取りのハチロク。それが終わったら行くか?」 「お願い」 「おう」 そう言ってヤンキーはスマホを手にとる。 「トンネル前! 次はサンバーとポルシェがダウンヒルだ! おう、そうだ、詫間側マーケットのクソメガネ、青の水鹿様だ! 動画班スタンバっとけ!」 「「「「「ひゃっほー!!」」」」」 その言葉にギャラリーが大喜びする。 「うわ、生で見れるぜ、『青の水鹿』の走り! ひっさしぶりじゃね?」 「先々月の魔術師とのタイマン以来だぜ!」 「すばるちゃんに挑むバカは久しぶりだな!」 「……くっ!!」 ポルシェのオーナー、剣はいくら敵地(アウェイ)とはいえ、ここまで悪しざまに言われるとは思わなかった。 「おい、彩、降りろ。一人でいい」 「うん。アンタ本気で走ると気分悪くなるから降りるわ」 ポルシェから彩というらしい同乗者は降り、先に出たサンバーを追いかけていった。サンバーに手を振っているのは同乗していたすばるの幼馴染、一色準(いっしき・じゅん)。 「あんたも居残り?」 「うん」 「まあお嬢さんがた、これに座りな」 ヤンキーがどこから持ってきたかわからない折りたたみいすを二脚広げて隼と彩に勧める。 「いやー、姐さん美人だねぇ」 ヤンキーが男装の麗人である彩を褒める。 「褒めても何も出ないぜ?」 「うわかっこいい」 隼は素直に感想を述べる。 「ちょっと聞きたいんだけどさ」 「なんです?」 「あんたはあのすばるの……、幼なじみ?」 「そうですね。本当はすばるが一歳年上です」 「ふ~ん」 彩は隼が恥ずかしがるような言い方にニヤニヤする。 「あ~、今からホテルが、た、の、し、み♪」 「絶対に、すばるは、負けません」 彩の言葉に、毅然と反論する隼。 「姐さん。あのサンバー、何か気が付きませんでしたか?」 「なに?」 ヤンキーが彩に問いただす。 「例えばあのビートをご覧ください」 ヤンキーは黄色のホンダ・ビートを指さす。ミッドシップエンジンというかなり尖った機構を持つ往年の名車である。 「ナンバープレートの色は?」 「当然黄色……だよ……ね……」 彩はようやくその意味に気が付き、ヤンキーを見るとヤンキーは隼と一緒にニヤニヤしていた。 一方。 「きたきたきた!!」 美水ヶ峠トンネル前退避場。美水が峠の公道レース、下りはここからスタートする。 「我らが女帝、青の水鹿、那賀島すばる! 対するは金持ちの象徴、ポルシェ911だぁ!」 ヤンキーと同じ特攻服姿の若い男がシャウトして、ギャラリーが盛り上がる。 「『走り屋・伽羅苦死威チャンネル』! 今日は久しぶりな『蒼の水鹿』との一戦をお届けするぜぇ!」 よく見ると特攻服を着たヤンキーは何人もいて、一人は高級そうな一眼レフを覗き込んでおり、おそらくは動画配信をしているようであった。残りはジュースを売ったり連絡したり。 「ポルシェの兄さん! どうせすばるちゃんか隼ちゃんナンパして引きずり出されたんだろうが、挑戦者の名前が欲しいんだ。ハンネ(※ハンドルネーム)でいいんで頼むぜ!」 こんこんとヤンキーの一人にドアガラスをノックされたポルシェはパワーウィンドウを下げ、剣が顔を出す。 「……、ツルギ、でいいな」 「いいともさぁ! さぁ、下から通行良しの指示が出たら出発だ!」 ヤンキーたちは二台をスタート位置に誘導する。シャウトしていたヤンキーはスマホを耳に当てる。 「トンネル入り口、グリーン」 「農協前。車が通ろうとしたが好意で見学していくと言って車を止めてくれた。グリーン」 「よし、出発だ!」 シャウト男が宣言し、二台が退避場に並ぶ。 「兄さん、あんたが先行だ。ここでは排気量がでかい方が先行のルールになってる。ゴールまでに逃げ切れば兄さんの勝ち、ゴールまでに抜かれたら兄さんの負けだ」 「いいのか? 俺、結構ここは走ってるつもりだが」 「青の水鹿は問題ない」 剣がサンバーの方を向くと、運転席のすばるは剣を見てこくんと頷いた。 「いい度胸だ。絶対にベッドでひぃひぃ言わしてやるぜ!」 「その意気だ兄さん! 出発10秒前!」 どぉん! どぉん! ポルシェが水平6気筒の爆音を響かせ。 ばぁぁぁぁぁぁぁぁ! サンバーも四気筒の絶叫を響かせる。 「5・4・3・2、ブリンギ・バック・ヘイ、ロックンロォッ!」 チェッカーフラッグが振られ、二台が道路に飛び出した。 「なによ、これ?!」 隼が彩に渡したのは、すばるが乗るサンバーの諸元表であった。 「排気量748cc? 何この中途半端なのは? EN08型改って、聞いたことないわよ、こんなエンジン」 「よく姐さんご存じですね」 ヤンキーが感心して彩に言う。 「なんなの、このエンジン。サンバーやヴィヴィオのEN07型なら知ってるけど」 EN07型エンジン。日本の自動車の歴史の中で唯一『スーパーチャージャー』を装備としてラインアップした軽規格エンジンである。スーパーチャージャー。いわゆるターボことターボチャージャーが排気の勢いで風車をまわして強引に空気を取り込むのに対し、スーパーチャージャーはエンジンの回転をそのまま使って空気を取り込む。その特性上、中低速域では有利だが高速ではターボに負ける。 「EN08型。1983年からたった二年だけ作られた輸出向けエンジンで、当時のヨーロッパ向け『スバル・ミニジャンボ』、もしくはオーストラリア向け『スバル・フィオリ』のみに搭載されたそうです」 「へー!!」 隼の説明に素直に驚く彩。 「あのマシンはワンオフ品の塊ですぜ。クランクシャフトはチタン合金の特注品、コンロッドとピストンはチタン合金の削り出し。カムカバーはアルミより軽いマグネシウムの鋳造、もちろん特注だ!」 「何そのレーサー!」 ヤンキーの説明に驚く彩。 というか、レーシング仕様チューンドカー、それもチューンドショップのデモカーですらそこまではしないだろうというレベルの改造。いったいどれぐらいの金をあのサンバーに注がれてるのか? 彩は心の底から呆れた。 「さらにカム周りはRX-RのEN07Xのを移植してるDOHC化! EN07Xのカム周りとEN08のシリンダーブロックのニコイチ、だからEN08改」 RX-Rとはスバルの往年の名車、ヴィヴィオ・RX-Rのことで、ぶっちゃけると『市販された公道を走れる軽規格レーシングマシン』である。現在も多数のマニアが大切に乗っており、20年以上も前の車のはずなのに道路では偶に見かける。 「もちろんピストンヘッドはハイコンプレッション! 圧縮比12、電動ターボと組み合わせでグロス表記で131馬力!」 「はぁ?!」 あまりに非常識なそのスペックに彩は呆然となった。 「まって、剣の992はドノーマルだから……」 「ちなみにあのサンバーは車重520キロですぜ?」 「……冗談でしょう……」 スマホの電卓アプリで計算していた彩が呻いた。 「あいつのポルシェとサンバーの、パワーウエイトレシオがほぼ一緒?!」 じゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 「なんなんだ、あいつはぁ!」 剣は叫びながらハンドルを右に、左に切ってカーブをさばいていく。 地面をつかむ。蹴る。地面をつかむ。蹴る。それを繰り返し、車は進んでいく。なのにあのサンバーは。 「地面滑ってんじゃねーのか!」 そう言わしめる気味が悪い動きをサンバーはしていた。 チャラそうな外見と裏腹に、剣の操縦は基本に忠実であった。外から侵入し、カーブの中心点で内側につき、再び外側に出るアウト・イン・アウト。カーブ入り口で減速、加速しながらカーブを抜けるスローイン・ファストアウト。 ところがサンバーはそんなことをしない。ノーブレーキでカーブに突っ込み、ドリフトしながら減速。タイヤが再び地面をつかんだらかっ跳ぶというまるでゲームの車のような挙動で走っていたのである。 「おまけになんだ、直線で引き離せないとか、何馬力あるんだ?!」 先ほども出てきたが、剣の乗っているポルシェは992でも一番の安いモデル、カレラSである。ターボチャージャーはないが、それでも出力382馬力。並みの日本車ではとてもかなわない。すばるが剣に語った、『大重量を大出力で強引に走らせる』という言葉は間違っていない。 ところがサンバーは排気量アップやその他チューンナップによって馬力上昇が行われ、さらに軽量化が行われている。 車の性能の指標に『パワーウエイトレシオ』というものがある。簡単に言えば『一馬力あたりに割り当てられた車体重量』のことで、この数字が低いほど加速がよく性能がいいことになる。剣のポルシェは1520キロのボディーに382馬力(PS)、パワーウエイトレシオは3.97kg/PSになる。一方すばるのサンバーは520キロのボディーに131馬力ものエンジン。パワーウエイトレシオは3.96kg/PS。二人の体重を考えると……? 「畜生、化け物めぇ!!」 絶対に抜かさない。そう決意した剣はかなり荒っぽい運転をし出す。 「意外だったな、基礎をきちんとできてるやつとは思わなかった」 指でトントンとハンドルを叩きながらすばるがつぶやく。 「まぁ、いつでも抜けるけど」 余裕の表情でポルシェの後ろをぴったりとマークするサンバー。ところが。 「え、ええ?!」 がががががが! 今までドリフトしなかったポルシェが、いきなりドリフトを始めた。 路面を滑りながら走るドリフト走行はかっこいい反面、コーナリング速度が落ちるのでレースでは実際は不利になる。また、タイヤを滑らせるのでタイヤと地面の食いつきが悪くなり、立ち上がりも悪くなる。サンバーはこの点RRという駆動方法の利点、エンジンが駆動輪の重石になり接地力を稼げるので『ドリフトした方が有利になる』。ところが車重がそもそも重いポルシェではあまり意味をなさない、というか普通に運転すれば勝てるのである。だから剣も普通に運転していたのであったが、もはやそれどころではなくなった。彼は力任せにドリフトを行う、いわゆるパワードリフトで進路を塞いできたのである。 「パワーウエイトレシオがほぼ一緒なら、追いつかれはしても直線じゃ抜けまい! 勝たせてもらう!」 「やるねぇ! きちんと勝負がわかってるとは、面白!」 眼鏡をくいっと直し、サンバーはポルシェの後ろにぴたりとつけた。 「総長! 根子神社前コーナー、ポルシェ先行! サンバーが珍しく苦戦しています!!」 おおおお!! 農協前駐車場が熱く盛り上がる。駐車場には二台のプロジェクターが設けられ、一つはドローンからの映像、もう一つはカーブに設置されたカメラからの映像である。 「ポルシェ、頑張るねぇ」 ヤンキーこと総長がうなる。 「今で距離、どれくらい?」 「根子神社ですので、全体の三分の二ってところです」 土地勘がない彩に教える隼。 「隼よ、勝負の展開は?」 「前回の魔術師と同じです、そこで」 総長に隼は答え、指をピッと指す。その先には最終コーナーがあった。 「このコース、大重量車が不利なんです。思い知りますよ」 「大重量車が不利?」 隼の言葉に、彩は首をかしげた。 「次で終わりだな! 俺の勝ちだ!」 剣は勝利を確信していた。先ほどの鋭角ヘアピンも抑えた。あとは緩いカーブが二か所あるだけである。そして、最終カーブ、右への緩いカーブにハンドルを切った時。 「よっしゃ、おれのか、あああああああ!」 ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 車が横に吹っ飛んだ。 「な、なにをぉ!」 すぐにカウンターを当てて姿勢を立て直す。しかしカーブで一車線分、丸々開けてしまった。さらにドリフトの結果、タイヤ迄グリップ力を失っていた。加速ができない。 「サンバーは、ええ?!」 その車線の空いたところに、するっと入ってきたのである。 「何で吹っ飛ばねぇんだよぉぉぉぉぉぉ!」 そうして、サンバーはそのまま農協前を通過。勝負あった。 「勝者! 青の水鹿WRサンバー!!」 総長が絶叫した。 「ぎゃ、逆バンクだとぉ?!」 農協前で剣はうめいた。 逆バンク。普通カーブでは遠心力で車が吹っ飛ばないようにカーブの外側に向かって上向きの傾斜がつけられている。これをバンクというのであるが、一般道はついてない場合が多い。そして最終カーブ、例のポルシェがサンバーに抜かれた場所はなんとアウトからイン向けに上り坂になっていたのである。 「というか、よく吹っ飛ばずにいたな……」 実はバンクが効果を発揮するのは時速100㎞を超えたあたりから。急カーブでパワードリフト後―基本的にドリフト後はスピードが落ちる、加速中なので普通はこのコース、最終コーナーらへんでは100㎞越えはしない。ところが下手に 馬力があり一気に加速できてしまうポルシェはその馬力に足を救われたのであった。 「そしててめぇのサンバーは……」 「切り札は最後まで取っておくもの♪」 サンバーの5速ミッションのノブには赤い『4WD』というボタンが。セレクティブ4WD。富士重工業の変態技術の結晶である。サンバーは一応パートタイム4WD―後輪のみのRRと悪路用4WDを切り替えることができるのであるが、サンバーは電子制御で『運転中に』4WDと2WDを切り替えることができるというそんなアホなと突っ込みたくなる装備を持っていた。つまりすばるのサンバーは最終コーナー入り口で4WDボタンをオンにし、前にもトルクを配分することで速度が落ちていたこともありグリップ走行で走り抜けたのである。車体の軽さとサンバーの能力を生かし切ったすばるの完勝である。 「あ~あ、負け、負けだぁ」 両手を上げ、お手上げのポーズをとる剣。 「あんた、金持ちなんでしょ? ターボS持ち込んだら勝てるかもよ?」 ポルシェ911にはターボモデルがあり、それは600馬力近い文字通りの化け物である。が。 「いくらなんでも、馬力で勝ったと言われるだけさ」 苦笑いする剣。 「いつでも勝負は受けてあげるわよ」 「当分やめとく、同じ相手に何回も負けるのは恥ずかしい」 「……兄さん、潔いな」 あとからやってきた総長が剣の肩をポンポンと叩く。 「よっしゃ! サツが来るまでに撤収! みんな、お疲れー!」 「お疲れ様でしたー!!」 そして、あっという間に農協前のギャラリーらは三々五々と散っていった。 「そろそろ警察来るし、あんたも逃げな」 「じゃあな!」 遠くにサイレンが聞こえる。そうしてポルシェも山を越えるように去っていった。 「隼、帰るよ」 「あーい」 二人も農協からサンバーに乗って帰る。横をサイレンを鳴らしたパトカーが通り過ぎて行った。 <了> |
桝多部とある 2022年05月01日 19時38分26秒 公開 ■この作品の著作権は 桝多部とある さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2022年05月15日 17時12分47秒 | |||
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Re: | 2022年05月15日 17時10分56秒 | |||
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