えびふりゃー・ごーすと |
Rev.01 枚数: 25 枚( 10,000 文字) |
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1 限りなく透明に近い人 「今日は幽霊について考えたいと思うの」 と、いつものように。 果てなく広がる空に最も近いその場所で――要するに学校の屋上で――昼食を囲んでいたぼくたちは、鳴花の宣言に箸を止めた。 ぼくは抗議の声を上げる。 「……昼くらいは静かに食べさせてよ」 「ほうでふよ、部長。お昼は大事でふよ」 続いて、後輩の佐奈ちゃんがソースで汚れた口元で同意してくれる。今日のお弁当は特大のエビフライみたいだ。えびふりゃー。 それを「ごくん」と尻尾まで飲み込んで、佐奈ちゃんは不満そうに続ける。 「幽霊なんて、そんな」 「何よ佐奈。文句でもあるの?」 「だって怖いじゃないですか。食欲なくなっちゃいます」 そうなのだ。佐奈ちゃんは「食べる」ということに対して並々ならぬ拘りを持っているのだ。 屋上でご飯を食べる、という不文律も彼女の拘りによるところが大きい。食事の献立だけではなく状況にも拘る――佐奈ちゃんが佐奈ちゃんたる所以である。 「そう、一般的に幽霊は怖いわね。でも、どうしてそう考えてしまうのかしら。……ねぇ」 しかし、鳴花はぶれなかった。長い髪を揺らめかせ、大きな瞳を見開いて、猫みたいに四つん這いで身を乗り出してくる。近っ、ちょっ、近い。 「こ、怖いから怖いんですよ!」 「それだと佐奈、あなたが考えている『幽霊』にはあらかじめ『怖い』って性質が含まれていることになるわよね。あるいは幽霊が怖いのではなくて、怖いものだから幽霊だと思う――」 「え、いや、その」 へどもどする佐奈ちゃんを尻目に、ぼくは頭を抱える。 一度こうなると、鳴花は譲るということを知らない。その証拠に、そろそろ着いていけなくなっている佐奈ちゃんを相手に、我らが部長はオーバーキル気味の論理を広げ始めていた。 食事への拘りが佐奈ちゃんの所以だとすれば。 哲学への拘りこそ、鳴花が鳴花たる所以である。 「じゃあ、ここで話を戻しましょう」 「……ハイ ワタシ モドシマス」 頭から煙を上げている佐奈ちゃんから身を退くと、鳴花はその場に立ち上がった。何だか佐奈ちゃんが可哀想だったので、ぼくはその口へエビフライを運んでやる……おぉ、こんな状態でも食べる食べる。 「一般的に幽霊は怖いもの。どうしてあたしたちはそう思ってしまうのか――」 鳴花は明後日の方向へ視線を向けて、そうのたまう。 そして何でもなさそうな様子で手を伸ばすと、 「あそこの幽霊を実例に、ちょっと考えてみましょう?」 ――フェンスの傍に漂う、なんか透けてる人を指さした。 2 オーバーソウル! サナ・オベントゥ 「とりあえず、あの人に協力を取り付け……もがっ」 躊躇わず歩み寄ろうとした鳴花を、佐奈ちゃんと二人でがっちり引き留める。 「やめろやめろ! なんでそう躊躇なく行くの!」 「そそそそうですよ先輩! ゆゆ、ゆーれいですよ!?」 口元を覆う掌を払うと、鳴花は「?」な表情で向き直った。……不思議なのはこっちだ! 彼女はあろうことか、幽霊を指しながら言う。 「協力してもらった方がスムーズでしょう?」 「めっ! 指さしたらめっ! 呪われても知らないぞ!」 「呪われる? それはつまり、熱いものに触れたら火傷する的な関係かしら」 「何淡々としてるの! ほら、すごい形相でこっちを見て――」 おっかなびっくり幽霊に顔を向けると、彼(彼女?)はこちらを凝視しながら、 『呪ッテヤル』 と。 「ほら呪う気満々だよ! 逃げようって、な?」 「きゅう」 それと同時に、佐奈ちゃんが気を失って倒れ込んだ。そろそろ限界だったのだろう。佐奈ちゃーん! ……とりあえず口にエビフライを突っ込んでおく。 そんなぼくたちを余所に、鳴花は細い顎に指を当てて唸っていた。どうして幽霊が怖いかはさておいて、ぼくにはこの期に及んでもぶれない鳴花の方が怖い。 「そもそも幽霊ってどんな仕組みなのかしら……『怖さ』に規定されているんだとすれば、あたしの頭の中にしか存在し得ないってことよね。でも悠たちにも見えているようだし……あぁ、駄目ね。ねぇ、ちょっとそこの人」 話しかけた! この子、幽霊に話しかけた! 「見えている以上、あなたの存在は認めてあげる。けれど、人間の意識が独立して現れているだなんて馬鹿な話は信じないわ。で、あなたは何?」 「幽霊に喧嘩を売るんじゃない!『うらめしや』って来るぞ――」 再びおそるおそる幽霊に顔を向けると、彼女(彼?)は輪郭を揺らめかせ、 『恨ミハラサデオクベキカ』 と。 「ほら恨んでる! 思ってたより恨んでる、……ってうわ!?」 不意に、暴力的な風が吹き抜けていった。 制服の袖がなびき、髪が煽られ、思わず身構える。ゲーム開始直後にボス敵とエンカウントした気分だった。 これでぼくたちが勇者御一行だったなら話は別だけど、ぼくは村人Aだし鳴花の呪文は不発だし佐奈ちゃんに至っては遭遇直後に棺に入ってる始末だ。駄目だ、敵いっこない――諦めてぼくは目を瞑る。 やがて、風は止んだ。 びくつきながら目蓋を開くと、目の前にはいつもの屋上が広がっている。 「……?」 消えた? あんなに殺る気満々だったのに。 静寂が辺りを覆っている。 聞こえるのは、校舎から響いてくる昼休みの喧噪くらいだ。 「逃げたのかしら」 そんな束の間の沈黙を破ったのは、鳴花の一言だった。 「惜しいわね。……折角興味をそそられる議題だったのに」 「…………」 で。 ぼくが今の言葉に突っ込まなかったのは、幽霊が消えてくれたという安堵以上に、不穏な気配を感じていたからだ 何と言えばいいのか。 これじゃまるで、嵐の前の静けさみたいな。 「なぁ、鳴花」 「どうかしたの、悠? まさか、恐れを成したわけじゃないわよね」 「そうじゃなくて。いや、そうだけどさ」 冷や汗を流すぼくを、鳴花が怪訝そうに眺める。 「こう、生温くないかな。その、……空気が」 言った瞬間だった。 ――ぞっとするような悪寒に、ぼくと鳴花は同時に振り向く。 『ふふふ』 声が、聞こえた。 唖然とする。 自分が見ているものが何なのか、瞬時には理解できなかったからだ。……まぁ、理解できないも何も、ただの佐奈ちゃんだったのだけど。 「……佐奈?」 頼りない声音で鳴花が訊ねる。無理もなかった。 纏っている空気が全く違う。それはいつもの食い気ではなく、瘴気とも毒気ともつかない、禍々しい気配へと変貌していたのである。 中身が、違った。 やがて地の底から響き渡るような声が上がり、ぼくは勿論、鳴花すらも一瞬気圧される。 『ふふふ、はーはっはっ! 我、ついに肉体を得たり! むしゃあ! ……そこの女、妾を愚弄した罪は重いぞ!』 ぼくが突っ込んだエビフライを噛み切りながら。 取り憑かれた佐奈ちゃんが、そこに立っていた。 3 愛と欲望のエビ 「……馬鹿な真似は止めなさい、佐奈」 そんな鳴花の言葉を、幽霊は鼻で笑う。 『ははは――女。妾が憑依すると何か都合の悪いことでもあるのか? 存在を否定したいのだろう? さぁ、やってみるがいい!』 「くっ……」 鳴花はたじろぐ。そりゃそうだ。 幽霊なんて「実在しない」という前提があってこそ議論できる性質のものだ。実際に目の当たりにしてしまい、憑依合体なんて芸当まで見せられた後では太刀打ちできるはずもない。 それでも鳴花は言葉を絞り出す。 「ゆ、幽霊はあたしたち人間が作り出した、幻覚や見間違いの類が形を成したもの……それが実際に存在するなんて、ドラゴンが存在するって言うようなものだわ。だから幽霊、いや、佐奈! あなたは『取り憑かれている』って自己暗示に掛かっているだけで――」 『ほう、これでもか?』 幽霊は佐奈ちゃんの体で、右腕を宙にかざす。 するとどうだろう。地面に転がったエビフライの尻尾が浮かび上がり、まるで誰かに操られているかのように右へ左へ、普通なら有り得ない動きを始めたのである。 ぼくは固まる。 鳴花も固まる。 『これでも信じられないなら、これならどうだ?』 ひゅん、っと。 その言葉に合わせて、(丁寧にも気絶する前に閉められていた)佐奈ちゃんの弁当箱が勝手に開き、中から一本の立派なエビフライが飛び出してきた。 ……それだけじゃない。その弁当箱のどこに隠されていたのか、他に入っていたポテトサラダも、ハンバーグもウィンナーも、柴漬けも焼き鳥もビーフカツも浮かび上がって空中で楽しげな円舞曲《ワルツ》を踊り始める。 戦慄が背筋を駆け抜ける。 なんてことだ。佐奈ちゃん、この量を一人で食べ尽くすつもりだったのか……? 「きゅう」 と、あまりにもな食欲……じゃない、あまりにもな光景を見せつけられ、ついに鳴花まで気を失ってしまう。 地面に崩れ落ちる寸前で、何とかその体を抱き留める。 「鳴花!? しっかりしろ、鳴花!」 「もうやぁ……。えびふらい、やぁ……」 「寝るな! 今ここで眠ったら、エビフライの悪夢に魘されるぞ!」 「うふふ……えびふらいが一本、二本……ふらいが二本で八千円……」 「なんだって……ふらいが二本で八千円……!?」 すごく高級そうな夢だった。 これはこれで捨て置いても幸せなのかも知れない。 『――はーはっはっは! これで妾の邪魔をする者はいなくなった! 自由に動かせる体も得た! くくく……これで我が悲願であった、全国海産物巡りを実行に移せるのだ……!』 佐奈ちゃんに取り憑いた幽霊は悪鬼の如く高笑いを上げた。……いや、「如く」じゃなくて悪鬼そのものなのか。 ぼくが憎々しげな視線を向けると、悪鬼は『んん?』と邪悪に笑う。 『なんだ、小童。まだ妾を否定できるつもりでいるのか? そんな無益なことをするより、妾の配下に下らぬか? 無論、褒美は与えよう。たとえば……ふむ』 そこで幽霊は、あろうことか。 佐奈ちゃんの胸におわす二つの膨らみを、両手で持ち上げるようにする。 「――――ッ!?」 『なかなか豊満な肉体じゃの? この体を使って、お主にあんなことこんなこと奉仕するというのはどうであろう?』 幽霊は片手を離し、スカートの裾をギリギリのところまで引き上げる。 『お主にとっても悪い話ではないと思うがの……?』 「是非」 『くはは、この期に及んで強情――えっ、いいの? 後輩、たぶんお主のこと見損なうよ?』 おっと間違えた、つい本音が漏れてしまった。 だって男の子だもん。仕方ないよね。 そっと鳴花を地面に降ろして立ち上がると、彼女がそうしたように幽霊へ指を突きつける。 「許さないぞ幽霊! 佐奈ちゃんのおっぱいを勝手に使って、ぼくにあんなことこんなことそんなことするなんて、天が許してもぼくが許さない!」 『「そんなこと」までは言ってない』 「とにかく!」 ――ぼくは宣戦布告する。 「お前を倒して合意の上でぱふぱふ……じゃない、佐奈ちゃんを取り戻させてもらうからな!」 こうして。 昼休みの屋上で、ぼくと幽霊の一騎打ちが幕を開けた。 4 存在の耐えられへん痛み 「はーはっはっは! しかしどうする? そこの女に否定できなかった妾を、お主ごときが否定できるのか?」 見得を切ってみたけれど、鳴花のことを言われると痛かった。 部長だけあって、鳴花の舌鋒はぼくが知っている誰よりも鋭い。いくらイレギュラーだとは言え、その彼女が一敗地に塗れるほどの難敵。……真正面から立ち向かえば、打ち負かされるのはぼくの方だろう。 だから――ぼくも笑う。 狙ったわけではないのだけれど、幽霊は機嫌を損ねたようだった。 『……小童。何が可笑しい?』 「いや、こんな機会はなかなかないなー、って」 鳴花は。 積み立ててきた理論の数々で考えを組み立てるタイプだ。だから前提を崩されると呆気ないほどに脆い。 だけどぼくは違う。理論もへったくれもないのだから、崩されるべき前提がそもそも存在しないのだ。 「鳴花と違って、ぼくは柔らかいんだよ……佐奈ちゃんのおっぱいのようにね」 そう。 崩されないから、柔軟に対応することができる。 それは鳴花にはない、ぼくの強みだ。 『お主、まさかやらしいだけの男子学生じゃなかろうな……』 「男子はみんなやらしいんだよ」 『それを言う輩は大体やらしいが』 ともかく。 鳴花によれば、幽霊なんて存在しない――ぼくたちの頭の中にだけ存在する幻影というわけだ。それはたとえば、見間違えた電柱の影であったり、怪談を聞いて想像した『怖さ』の顕現であったり。 問題は、幽霊が実際に「いる」ことである。 ぼくたちの目の前に。……だから鳴花は、同じ状況であればおそらく誰にだって、存在は否定できないだろう。 けれど。 「ところで、幽霊」 『何だ、小童』 ――ぼくはニヤリと、再び笑う。 「きみの存在を否定するだなんて、ぼくは言ったかな?」 『なに……?』 幽霊は佐奈ちゃんの顔を怪訝そうに歪ませた。 さて、正念場だ。 ――判断停止《エポケー》。 「ぼくにはきみが見えている。鳴花にもきみが見えていた」 ――ぼくが持つ武器は、ありのままを受け入れることだ。 「どうやってきみが存在しているのか、佐奈ちゃんに憑依したのかは分からないけれど、きみが存在していること自体は疑わない。……意味がないからね」 ――あるものはあり、否定してもないことにはならない。 「だけどぼくはきみを否定する。許されない存在として『弾劾』する。だってきみは、それだけのことをしているんだから」 『はっ……意味が分からんな! 何が言いたいのかはっきりさせたらどうだ!』 ぼくのは場当たり的なんだって。 でも、言いたいことはシンプルだ。 「きみは喋っている」 『は――?』 「きみは佐奈ちゃんの体を動かしている」 『……小童、ついにおかしくなったか?』 「きみは、人間であることに慣れている」 そこでぼくは、言葉を切る。 ――還元《リダクション》。 「きみは――人間だ」 5 冷静と情熱のありか エトムント・フッサール。 現象学と言われる学問の開祖である。 鳴花じゃないのでしっかりとした説明はできないけれど――現象学とはつまり、「どういったメカニズムで『それ』が存在しているのか」を明らかにしようという学問だ。 その手法の段階は大きく分けて二つ。 一つ目は「判断停止」――目の前に「それ」が本当にあるのかどうか、安易な判断を下さずに一旦留保する。今回ならば、幽霊が本当にいるのかどうか、判断を下さずに留保するということになる。 二つ目は「還元」――どういった理由で「それ」がそこにあると思うのか、「それ」があるという確信はどのように構成されているのか、そのメカニズムを洗い出す。今回ならば、どうして幽霊がいると思うのかを洗い出すということだ。 幽霊は喋った。 佐奈ちゃんの体で。 そして、そのことに慣れている。 でなけりゃ普通、スムーズに言葉を発することはできないだろう。もしも狐や狸が佐奈ちゃんに取り憑いているのなら、こうはいかない。……そこから何が言えるのか。 「きみは人間だ。人間だからこそ、幽霊として存在している」 生きているか、死んでいるかの違いはあるにせよ。 彼/彼女が人間であることに、ぼくは疑いを挟まない。 『な、にを』 「『テセウスの船』って知ってる?」 たじろいだ幽霊に向かい、ぼくは畳みかける。 「――ある船のマストが壊れて、持ち主はそれを取り替えた。次には甲板が傷んで、持ち主はそれを張り直した。そんな調子で次から次へと部品を取り替えていくと、船にはいつの間にか一つも元の部品がなくなってしまった。これは最初の船と同じだと言えるかな? ……ぼくは言えると思うんだ」 だって、所有権は移り変わっていないのだから。 テセウスの船は、いつまで経ってもテセウスの船だ。 「同じ事は人間についても言えるよね――この腕はぼくの腕だけれど、この腕がぼく自身なわけじゃない。この髪も、この心臓も、ぼくだけれど決してぼく自身じゃない。ぼくがぼくであるという理由は、人間が人間である理由は、『ぼくはぼくだ』って考えるこの意識にある」 我思う、故に我在り。 だからどれだけ部品を取り替えても、意識がある限りぼくはぼくで――人間は、人間だ。 「だから、きみは人間だ」 断言すると、幽霊は凍り付く。 「そして、人間にはやってはいけないことがある」 『う』 「人間であるなら、理由もなく他人の自由を奪ってはいけないんだ。……誰もがそうしていたら、社会が成り立たなくなるからね。その意味できみの行為は、全人類に対して責任を負わなければならない――人間であるなら!」 『う、う』 ぼくには鳴花のように、積み立ててきた理論がない。素養がない。 だから理詰めで幽霊の存在は否定しないし、否定できない。 ぼくが否定するのは、彼/彼女の「行為」だ。 「きみは他人の自由を奪ってはならないっ! なぜなら存在こそが、自由こそが、人間であるための第一条件に他ならないからだっ!」 『――うわぁあああああん!』 あれ。 うそ。 泣いた……。 ん? 「…………げ」 サッと血の気がひく音を聞いた。 これ、やばくない? 鳴花はぼくの足元で気を失ってるし、幽霊は佐奈ちゃんの体で泣き声上げてるし、ぼくはそんな佐奈ちゃんを追い詰めてるし。 この状況。 ――誰かに見られたら、ぼくが鬼畜じゃあないか! 「ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだ! 非道いことを言ったなら謝るよ! ぼくが悪かった! 何だったらその胸に手を当てて誓ってもいい!」 『それはお主の欲望じゃろうがぁ……』 おっといけない、流れるように本音が漏れてしまった。 でも仕方ないよね、男の子だもん。 とにかく。 「悪かったよ、ぼくが悪かった。罪滅ぼしなら何でもする! だから泣き止んでく……?」 と、ぼくははたと気付く。 確かに泣いているけれど、本当にぼくの言葉で傷ついて泣いているんだろうか? と。 『違うのじゃ……』 嗚咽交じりに、幽霊は言葉を漏らす。 『こんな状態になっても、意識だけになっても、人間だと言ってもらえて。……妾は、妾は――嬉しかったのじゃ』 はっとする。 彼女は一体何回目撃されて、何回「幽霊だ!」と恐れられてきたのだろう。 そしてそんな対応が、鮮明な彼女の意識にどれだけの傷を与えたことだろう。自身の状態が、どれほど彼女を絶望の淵に叩き落としたことだろう。 そこにいるけど、そこにいない。 そこにいるけど、何もできない。 彼女の夢である全国海産物巡りも――できない。 『妾は、……死にたくなかった』 彼女はぽつり、ぽつりと。『まだまだ生きて、仲間たちと過ごしていきたかった……なのに人間でなくなって、幽霊になって、長い時間をずっと孤独に過ごさねばならなかった……』 「…………」 『じゃから、じゃからお主に人間だと言ってもらえて、妾は嬉しかった……化け物ではなく人間だと、他ならぬ人間にそう言ってもらえて……』 「そっか……辛かったね」 ぼくは幽霊に歩み寄ると、その頭を撫でてやる。 「ぼくが保証するよ。きみは人間だ」 『う、うぁ』 堰が決壊するかのように、彼女の感情が溢れ出す。 彼女はぼくの胸に飛び込んでくると、ぐしゃぐしゃの顔で泣き続けた。その拍子に佐奈ちゃんのおっぱいがぼくの体に押しつけられたけれど、いくら健全な男子とは言え、この状況で邪念を持つのは人として如何なものだろう。 やがて、彼女は顔を上げる。 『ありがとう、小童……』 そう言って、くしゃくしゃの顔で微笑んで。 『妾は――満足じゃ』 ――佐奈ちゃんの体を借りた彼女は、まるで霧のように消えていった。 6 えびふりゃーと幽霊 「……部長として不甲斐ないわ。あれしきのことで気絶してしまうだなんて」 「いやいや、ぼくだって本当に幽霊がいるだなんて信じてなかったよ。仕方ないさ」 午後の授業も終わり、放課後の部室である。 日が落ちるのは少し早くなってきたけれど、まだまだ夕焼けが部室に差し込んでくるような時期じゃない。開け放した窓からは、サッカー部なんかの威勢の良い掛け声が入り込んでくる。 鳴花は物憂げな眼差しで足を組み替えた。 「幽霊の、……失礼、意識の独立を目にするまでは良かったのだけど、エビフライが空を飛んだらもう駄目ね。キャパオーバー」 「怖さの基準が分からない……」 まぁとにかく、と鳴花は椅子から立ち上がる。 「何にしても、勉強になったわ。……あたしもまだまだ未熟ってことね」 「いやあれは誰でも気絶するよ」 「でも、悠は違った」 鳴花はつかつかとこちらに歩み寄ってくると、座っているぼくの顔を覗き込むように屈み込む。……だから近いんだって。 「理解を超えた現象に立ち向かい、見事に佐奈を助け出したわ」 「…………」 ――何時かのチャイムが校舎中に響き渡る。 どこか甘やかで、ちょっと気怠い午後の空気。 鳴花は囁くように言う。 「何かご褒美、欲しい?」 「…………!!」 放課後の教室で、女の子からの「ご褒美」。 ……待て待て待て。相手は鳴花だぞ? 後々何を要求されるか分かったものじゃない。まぁでも、くれると言うなら仕方ないけれど。 おみ足で踏まれるも、 平手で打たれるも、 何でも御座れだ。 お願いします。 果たして鳴花はそのままゆっくり顔を近づけてくると、吐息まで感じられる距離で目を合わせてくる。――まさかチューか? チューなのか? いやいやいや、それは何かの一線を越えてしまいかねない空気があるけれど、まぁ、ご褒美ならもらわなければ損だろう。 早鐘を打つ心音が聞こえませんようにと願いながら、できるだけ冷静を装って見つめ返す。すると鳴花は視線を外し、耳元へ顔を寄せ始めた。――まさか「はむっ」か?「はむっ」なのか? それはぼくのエビフライにダイレクトアタックするけれど、果たしてぼくは理性を保つことができるのか? やがて鳴花は口を開くと、 「……そう言えば、佐奈の胸は柔らかかったかしら?」 と言った。 とてもドスの利いた声音だった。 どっと冷や汗が溢れ出す。 「なん、で。知ってる……?」 「途中から起きてたからかしら」 「具体的には、いつから……」 「『是非』のあたり」 ……一番まずいところを聞かれていた。 ていうか、ほとんど気絶してないじゃないか! 名残惜しげな様子など微塵も残さず、鳴花はすっと身を退く。 「今回は許すけど、次あんな風に佐奈を扱えば……分かってるわね」 「肝に銘じておきます」 サー、イエッサー。 もう二度と邪念は持ちません。 ならよし、と鳴花は踵を返し、座っていた席に戻っていく。……許してくれたところを見るに、一応は評価してもらえてるってことでいいんだろうか。 「ところで悠」 「はい鳴花様」 「『彼女』への言葉、あれ論破と言うよりは説得よね」 「…………」 うぐぅ。 「社会がどうとか言っていたけれど、そもそも今の『彼女』が社会に属してない以上、あまり意味のない理屈だと言えるし」 あふん。 「大体、『彼女』が人間かどうかなんて、わざわざ考えなくても分かることじゃない」 ぎにゃあ。 「……結果オーライってことで評価はするけど、論理は甘いわよ、悠」 くそう。 自分は狸寝入りに徹していたくせに。 ……でも、鳴花の言う通り全ては結果オーライなのだ。終わりよければ全て良し、と言ってもいい。なんだかんだで、鳴花も佐奈ちゃんも『彼女』でさえも、きっと誰一人不幸にはなっていないのだから。 窓の外、抜けるような青空を見上げる。 今回の話は、こんなところでどうだろうか。 哲学――知を愛する学問。フィロソフィア。 おそらく人類最古の学問であるそれは、手を変え品を変え、今現在も続いている。 科学の発展によって時に否定され時に肯定され、新たな概念の発見によって膨れ上がったり萎んだり。何それおいしいの? と言われ続けて幾星霜、それでも懲りずに最先端を原初を益体もなくひた走る。 そう、哲学とは人類が生まれ持った性なのだ。だからこそ、意味がないと思っていても魅了される人間は後を絶たない。 これはそんなぼくたちの話。 哲学研究部、略してフィロ部のお話。 「……あ、そう言えばさ」 ふと思い出して、口にする。「佐奈ちゃんの食べてたエビフライって――」 「ひっ」 鳴花は座ったままびくりと跳び上がると、やたら俊敏な動きで椅子の後ろに体を隠す。そのまま背もたれを両手で掴みながら、おそるおそるこちらの様子を窺い始める始末である。 何その動き? 猫なのかな? 「『彼女』にも味がしたのかな、って思ったんだけど……」 「やぁ……えびふらい、やぁ……」 涙目だった。 そんなに怖かったのだろうか。 ※ ちなみに佐奈ちゃんは憑依合体のためか、一週間ほど全身の筋肉痛に悩まされたそうだ。 ……何もしていないのに、不憫な子である。 |
瀬海(せうみ) G3b0eLLP4o 2022年05月01日 16時03分56秒 公開 ■この作品の著作権は 瀬海(せうみ) G3b0eLLP4o さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2022年06月12日 19時26分18秒 | |||
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Re: | 2022年05月22日 20時13分55秒 | |||
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Re: | 2022年05月22日 19時46分35秒 | |||
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Re: | 2022年05月22日 10時32分31秒 | |||
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Re: | 2022年05月22日 10時00分16秒 | |||
合計 | 11人 | 280点 |
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