とある転生者の望み |
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「また例の勇者様が来ているぞ」 羊の放牧が終わり、家へ帰っている途中、そう言ってきたのは警備の兵隊だった。 まあ、声をかけられる前にそう言われるのは察していたけど。 道の向かい側から歩いてくる兵隊の姿を認めたときには、その顔に、にやにや笑いが貼り付いているのが見えたからだ。勇者様の訪問が始まってからこっち、この兵隊は彼が来る度にこうして私をからかってくるのだ。 いい加減、応じるのも面倒なので顔を背けてそのまま横を通り過ぎようとしたものの、兵隊はわざわざきびすを返して私の横をついてくる。 「本当にあれが救世の勇者様なのか?」 「あたしに聞かないでよ」 「お前とあいつはいい仲なんだろ?」 「違う、向こうが勝手に通ってるだけ」 「わざわざこんな田舎に?」 「あたしにも訳が分かんないんだって」 「確かに、お前さんは美人だけどわざわざ片田舎に来て口説くほどのもんじゃないからな」 あん? と睨むと、兵隊は大げさな身振りで震えてみせる。そして槍を肩にかけ直すと、急ぎ足で村境の警備小屋に向かって歩いて行った。 「魔物に食われちゃえば良いんだ」 そう、兵隊の背中に向かって言うと、横にいた妹がぽつり、と尋ねてきた。 「くどく、ってなに?」 「マリにはまだ早いよ、さ、行こ」 勇者様と会うのは正直、気が引けたけど、家に帰らない訳にもいかず、私は羊のお尻をぺしぺし叩きながら道を歩いていく。曲がり角を一つ越えると、私の家の垣根と、その傍らに立つ勇者様が見えてきた。 勇者トウマ。 魔術、剣術ともに並ぶ者がいないと言われる最強の騎士。 魔物を斬るだけでなく、人々を苦しめる野盗や、不正を働く貴族や商人までも罰するその活躍は多くの吟遊詩人が謡い、私たち庶民にも旅人の噂話によって届けられている。 そんな勇者様は、私を見ると小さく微笑んできた。 垣根のてっぺんに届くくらいに高い身長、鎧に包まれた鍛え抜かれた体の上に乗っかった顔は、呆れるくらいに整っている。何も知らない女の子ならきゃーきゃーするところだろうけど、そんな彼から何を言われるか、分かりきっていた私は顔をしかめないようにするので精一杯である。 「良い、天気だね」 「そうですね」 一雨来そうなどんよりした雲の下、私は勇者様に社交辞令としてにっこりと笑う。勇者様はこれでもかと整った顔で笑い、そして右手に持った籠を上げた。 「旅先で珍しいチーズとワインが手に入ってね。良かったら」 「あ、いけない。雨が降る前にこの子達を入れないと」 私は迫真の演技で空を見、そして羊達のお尻を叩いて納屋へと急かし、呆気にとられたマリの手を引く。さらに何事か私に話しかけてきた勇者様には気付かないふりをして、メェーと鳴く羊達を容赦なく納屋に入れ、閂をかけ、家に向かう、が、私の動きを読んでいた勇者様はその前に立ちはだかった。 「ちょっと、時間をくれないか?」 「ごめんなさい、他にも仕事がありますので」 「……分かった、本題を話そう」 そして、ここ二週間くらいの間、繰り返してきたことを告げた。 「一緒に、来てくれないか?」 思わずため息をつきそうになるけど、相手は不世出の英雄。なんとかこらえて私は「行けません」と言う。 「どうして……」 「私は魔術の素養もない村娘ですよ?」 「いや、君はそうじゃない」 ここから続く言葉が分かっていた私は、ため息を堪えるので精一杯だ。 「君は僕と同じなんだ」 妄言を告げるトウマの顔にあったのは、必死さと、誠実さ、そして少々の不安。 英雄には似つかわしくない、どこか不安げな口調で、勇者様は続けた。 「君は、あの世界からこの世界に生まれ変わった、転生者なんだ」 堪えきれずにため息が半分ほど交じった息を吐いてから、私は返す言葉を慎重に選ぶ。 「勇者様と同じ、というのは嬉しいですけど、私にはその……カガクとかいうものが発達した世界の記憶も、転生者が持つ強力な力もないんですよ?」 「それは君が転生者であることを忘れているせいなんだと思う。忘れているせいで、前世の記憶も、能力も封じられているんだと思う」 「でも、私が転生者だと勇者様はどうして分かるんです?」 「あの日、魔物の討伐でこの村を訪れた日、君を一目見たときから、そうだと分かったんだ……どうしてなのか、自分でも分からないけど」 「仮にそうだったとしても、私なんかの力はたかが知れてると思いますよ」 「いや、転生者なら、強力じゃないはずがない」 ふふ、やっぱり手強いな。 好青年でいい男な勇者様に、それとなく自分の言っていることが妄想だと悟らせようと試みて、早いことで二週間にもなる。勇者様の抱く妄想の固さをあらためて思い知った私が、いい加減ばっさり切り捨ててしまおうか、と考えていると、勇者様はいきなり、頭を下げてきた。 誰かに見られてないか、慌てて周りを見まわす私にはお構いなしに、勇者様はよく響く声で告げた。 「僕の言ってることは妄言にしか聞こえないかもしれないし、実際そうかもしれない。でも今の僕にとっては間違いのないことなんだ。 だから頼む、一緒に来てくれ。君がどうすれば転生者であることを思い出せるかは分からない。でも環境が変わればそうなるかもしれないんだ」 「ですから私は」 「僕は、この世界が、皆が好きだ」 勇者様の声が帯びた切実さに、つい、息を呑んでしまう。 「この世界を魔物達の脅威から守りたい、救いたい。そのためには、力ある仲間が一人でも多く必要なんだ。そのために、出来ることは何でもしておきたいんだ……だから、どうか」 彼の誠実さと想いにあらためて心打たれてしまった私の脳裏に、ふと、何日か前の友達の声が蘇る。 しつこいねー勇者様。まあそれくらい辛抱強くないと勇者様なんてやってらんないのかもしれないけどねー。 てかさ、とりあえず一緒に行っちゃえば? あの人の言うように環境変えて、それであんたが何も思い出さなきゃ彼も自分の勘違いだっていい加減気付くでしょ? 相手は勇者だし、ついでにぜいたく出来るんじゃない? 聞いたときは、人ごとじゃないからって気軽に言ってくれて、と思ったけど、確かにそのとおりでもあった。 友達の言うとおりにしてみようか、と私は思う。彼の言ってることは妄想の産物でしかないけれど、彼の誠実さには答えたい、とも思ったからだ。 分かりました、 と動こうとした口を、私は止める。 「申し訳ないですけど、あたしは一緒に行くつもりはありません」 勇者様は顔を上げ、私を見てくる。そんな彼に、私は微笑みを繕い、答える。 「あたし、ここでの生活が好きなんです。妹や村の人と働いたり、羊のお尻叩いたり、っていう生活が過ごせれば、それで良いんです。 ……自分勝手、って思われるかもしれないけど、あたしに勇者様を手伝えるような力があるとは思えないし、この生活を止めたくもないんです」 ごめんなさい、と頭を下げる。 命をかけて世界のために戦う彼に、世界よりも自分の生活が大事だ、と言った私を、勇者様は静かに見てきた。 彼は怒っても、憤ってもいない。短くも、長くも感じられる沈黙のあと、勇者様は微笑んだ。 「今まで、しつこくして悪かった」 胸を小さく抉られるような錯覚を覚える私に、勇者様は背を向けた。 そして、魔術らしい何ごとかを呟くと、その長身はふわりと宙に浮かび、そして、あっという間にどこかへと飛んでいってしまった。 わー、と感心したようにマリが呟く横で、私はため息をついた。 とうとう勇者様からのつきまといがなくなった、という安心感も確かにあったけど、罪悪感も大きかった。 客観的に見れば、よく分からないことで付きまとわれ、結構な時間を取られた私が本音を告げて彼を諦めさせたことは、特段悪いことではないだろう。 それでも、ああも愚直に人々を想う彼を幻滅させたかもしれないことを、気にしないのは難しそうだった。 そして、心につかえているものはそれだけではない。 私は、彼と一緒に行かずに済んだことに、心底安心していた。付きまとわれなくなったことへの安心よりも、そちらの方が遙かに大きい。 ……彼の言うように、環境が変わることで自分が転生者であることを思い出す、なんてことは今でも思っていない。 しかし、彼と一緒に行くことで、自分という存在が崩れてしまう、豊かと言えなくても十分に幸せな今の生活が壊れてしまう、そんな予感が、彼と一緒に行くことを拒む、一番大きな理由になっていた。 「姉ちゃん、痛い」 気付かない内に、力が入っていたのか、私に手を握られたマリがそう言う。 慌てて手の力を緩め、そして私は笑顔を繕った。 そんなやりとりをした後も、勇者様は時々、村にやってきたみたいだった。 「勇者様がやってきたみたいだが、会ったか?」 例の兵隊がにやにや笑いながらそう言うが、勇者様はあの時以来、私の前に姿を見せていない。 ううん、と顔を横に振ると、兵隊は愉快そうに笑う。 「フラれたっていうのにしつこいもんだな?」 同意を求めるように彼は言うけど、私は笑うことは出来なかった。 この世界を救うための仲間が諦めきれない、という勇者様の気持ちは分かっていたし、そして、彼の気持ちに背いてしまったことへの罪悪感は未だ強くあったからだ。 それでも、勇者様と一緒に行く気にはなれなかったけど。 そんなある日のことだった。いつものように休閑地に羊を放していると、 メ゛ 苦痛と恐怖が煮詰まったそんな羊の鳴き声が聞こえてきた。 声のした方を見た時には、羊は既に事切れていた。 その喉笛に噛みついた、魔物と目が合う。 熊の体に狐の頭を取り付けたような魔物は、殺したての羊を二口、三口と、その巨大な口と牙でむさぼると、血で濡れた羊の体を無造作に草地に放り、どこかゆっくりとした足取りで私たちの方へ向かってきた。 マリの手を取り、私は魔物に背を向けて駆け出す。 三歩も進まないところで、マリの体が力を失った。振り向いた時には肩から腰まで斜めに背中を裂く傷がマリに刻まれていて、笑みを浮かべた魔物の顔はすぐ背後にあった。 その笑顔は、獣のくせに人間のように陰惨だった。力を失ったマリを抱きしめる私に向かって、巨大な口が開かれた直後、魔物の顔は地面に落ちる。 呆気に取られた私と、ぐったりとしたマリを、魔物の首から迸った血が赤く汚す。 「ケガはないか!?」 何が起こったのか分からず、茫然とする私に、叫ぶように言ってきたのはトウマだった。 ああ言ったけど、諦めきれずに来てしまっていた。魔物の気配がして、慌てて来たら。 抜き身の剣を握ったまま、そう言うトウマから、私は妹へ視線を移す。 マリ、と私が名前を言う前に、彼は気付いていて、彼女の小さな体をひったくるように私から奪った。そして傷に手を当て、何かぶつぶつと唱え始める。するとマリの背中から流れ続けていた血は見る見る間に止まった。しかし、トウマが汗を浮かべながらいくら言葉を唱えても、血に濡れた彼女は動かなかった。私がいくら声をかけても、揺すっても、マリの目は何もない空間をぼんやりと見るだけだった。 私がマリの体の思いがけない冷たさに気付いたとき、トウマが不意に、言葉を唱えることを止めた。 魔術でも、一度死んでしまった人間を生き返らせることは出来ない。 それは勇者でもどうしようもなく、マリと、彼女よりも一足先に殺された警備の兵隊達は棺に収められるしかなかった。 「すまない」 トウマは、マリの小さな棺の前で私たちにそう言った。 父さんはかぶりを振り、私を助けてくれたことを彼に感謝し、母さんは家の隅で泣きじゃくり、近所のおばさん達からたしなめるように手を寄せられていた。私は彼に、なるだけ優しく微笑んだ。 「あなたのせいじゃないよ、ありがとう」 と、口では言えたものの、その言葉は何の感情も帯びていなかった。 私に手を握られたまま、死んだマリと一緒に、私の中の何かもまた、葬られてしまったようだった。泣きわめきたかったけど、それもできず、私はただ、清められたマリの小さな体が花と一緒に棺に収められ、死者を示す青い布が白木で出来たそれに丁寧に敷かれていくのを見ることしかできなかった。 私が、転生者だというのなら、どうしてマリを守る力がなかったんだろう。 せめて、彼女を蘇らせる力くらいは、ないのだろうか。 そんなことを、私は考えた。 それを望むのか、とその人は言った。 窓の木枠の隙間から入ってくる月明かりと、尽きかけた薪が微かに照らすだけの闇の中、その人の姿は不自然にくっきりと見えた。 その人は、どうやら男の人のようだった。 でも、短い黒髪に縁取られた顔は中性的、という言葉をそのまま形にしたようで、見れば見るほど、男なのか、女なのか、分からなくなる。 ふと、真夜中に目を覚ましたときには既に、その人は椅子に腰かけ、じっと私を見つめていた。私の横の寝台で、母さんはぐっすりと寝入っていて、寝ずの番をしていたお父さんとおじさんも、炉の前で、椅子に座ったまま眠っていた。 それを望むのか。 よく通る声でその人が再びそう言っても、皆は起きるそぶりも見せない。恐怖を感じ始める私には構わず、その人は言葉を続ける。 お前がそれを望むのなら、かつてお前が望み、得たものの代わりに、それを授けよう。 そう言うと、それ以上は何も言わず、その人は私をじっと見つめてきた。 死んでしまったマリを蘇らせること。 今、私が望んでいるのはそれだ。しかし口には出さずに頭の中で思っただけのことをこの人はどうして知ったのだろう。 そして、この人が言う、かつて私が望んだものとは、何なのだろう。 そんな疑問はあったものの、それでも私は、その人に小さく、頷いた。 * 次に気付いた時には朝になっていて、父さん達は既に目が醒めていた。 寝坊した私を咎めながら、父さんはおじさんと一緒にマリの棺を持ち上げて、教会に運ぼうとしていた。 「下ろして」 と私は彼に言う。 いつもなら怒られてもおかしくない言葉使いだったけど、父さんとおじさんは怪訝な、少し気味の悪そうな顔をしながら、何も言わずに棺を下ろした。 私はひざまずくと、棺を包む青い布を取り払った。やめなさい、と言う母さんには構わず、私は棺の蓋を取り払い、死に化粧が施されたマリの額に手を乗せた。 私には、それが出来ることが分かっていた。 何故なら、私は私を、取り戻してしまっていた。 すっかり冷たく、固くなったマリを感じながら、私は言う。 起きて、と。 変化は急激だった。 青かった彼女の肌に、見る見る間に、血の気が戻っていく。それと共に、手の平に感じる彼女の肌に柔らかさ、そして温かさが蘇る。 私以外で、最初にそれに気付いたのは母さんだった。どうやら私の後ろから様子をじっと見ていた彼女が小さく叫び、そして力を失って倒れる音を私は聞く。 不意に、マリの目が開く。 ぱちりと、眠りから覚めただけのように、彼女の目が開けられる。青い瞳は最初天井をぼんやりと見つめ、そして戸惑いがちに、手を伸ばした私に向けられる。 姉ちゃん? そうマリが言うと、父さんは悲鳴とも、歓声とも似つかない声を上げ、おじさんは家の外へ飛び出していった。 棺の中でむっくりと起き上がったマリに、私はぎこちなく微笑んだ。 私はゆっくりと立ち上がる。私の背後で膝をつき、神様に何かを祈っていた父さんは信じられないような顔で私を見て、そして言う。 「奇跡だ……」 父さんを見ながら、私は家に集まってくる人々のざわめきを聞いていた。 あの男の人は、マリだけでなくありとあらゆるものを蘇生する力を授けてくれていた。 死者蘇生の奇跡が果たされた。そう聞いて集まってきた人々の視線から顔を伏せ、その合間を縫って外に出た私は、昨日魔物に襲われて死んだ兵隊達のもとへ向かった。 悲しみに暮れた彼らの母親や妻に囲まれたその亡骸に、私はマリの時と同じようにする。 手を触れ、起きて、と告げると、彼らは何事もなかったかのように目覚め、人々はやはり、歓声とも、悲鳴とも似つかない声を上げた。 騒ぎの真ん中にいる私の服を、誰かが掴んできた。それは意地汚いことで有名な近所に住むおばさんで、彼女は私に、つい数日前に死んだ、家畜の羊を蘇らせて、と小声で頼んできた。彼女の家に言って私が羊を蘇生させ、またも人々の声に包まれたとき、騒ぎを聞きつけた司祭様がやってきた。 魔術でもなし得ない、死者蘇生の力。それが神の祝福によるものか、悪魔との契約によるものかの判断は、とても難しいことだろう。ただ、司祭の剣呑な目つきを見る感じ、彼は既に、後者だと決めつけていたらしかった。 そんな彼に、異端審問にかけると告げられなかったのは、トウマのおかげだった。 騒ぎを聞きつけ、慌ててやってきたトウマは、私を見て微笑み、司祭や人々の前でこう宣言した。 彼女の力は僕の力と同じもので、魔物のように悪しき力ではありません。僕には分かるんです……救世の勇者にそう言われては司祭様は何も言えず、村の皆は感嘆のような、ため息のような声を漏らす。 私に向かってひざまずいたり、何とも判断し難い顔で遠巻きに見てくる人々の間を通り、トウマは私に近付いてくる。 「僕の言うとおりだったろう?」 そう言った彼に、私は小さく頷く。今の私には、彼が転生者であることが一目見ただけで抗いようのない事実として認識できた。微笑みを満面の笑みに変え、トウマは私に手を差し出す。 「来てくれ、一緒に世界を救おう」 勇者の手を、私は取る。 それを見た人々からどよめきが起こるのが聞こえてきた。 彼と一緒に行くことを決めたのは、転生者の力を得たからでも、世界を救う使命感に目覚めたからでもない。 転生してきた私が得た、村の人や、この世界での両親との関係、それが崩れるのは分かりきっていた。そうなる前に、彼らと離れたかったからだ。 マリだけでなく、兵隊や、羊を蘇らせたのも、皆との関係性の崩壊を少しでも防ぎたかったから。せめて、明るく優しく、そして人々を救った者として、皆の記憶に留まる存在でありたいと思ったのだ。 結果から言えば、それは無駄なあがきに終わる。 色々と準備があるだろうから三日後にまた来る、とトウマは言い残して村を去り、その短い間に、皆と私の関係は決定的に変化した。 それは、死者蘇生という、超常の能力を、ごく平凡な村娘が得たことへの畏怖のためでもあったけど、最も大きかったのは、私自身の変化のためだった。 私は、あの醜悪な自分を取り戻してしまっていた。 何これ、自分でも引くわ、あはははー。 突然、超常の力を得たとしても、少し前の私ならそうして笑い飛ばせたのだろうけど、今の私は出来なかった。自分の力がいかに特異なものか、それを目の当たりにした人々がどんな感情を持って私を見るか、それが分かりすぎていた私は、人々の顔を見ることが出来なかった。 両親や友達は、私に前と変わらず声をかけてくれたものの、そんな彼らにも、私は怯えた。 あけすけな彼らの笑顔に、私は快く応じることが出来ない。相手がいくら優しく笑っても、自分がそれに応じたくても、私の顔に笑顔は宿ることなく、ただ見る者に嫌悪を起こさせる醜い歪みが生まれるだけだった。その歪みの持つ醜悪さへの自身の恐怖によって、歪みの醜さはより際立つ。それを目の当たりにした、両親も、友人だったはずの皆も、私に距離をおくようになった。 やはり、悪魔に憑かれたんだろうか。 雰囲気の全く変わった私を、人々はそう噂した。 違うよ。私はそう独り言ちた。 これが、本来の私だ。かつて生きていたあの世界で、私は今と同じように人から疎まれ、自己嫌悪に苛まれながら生きていた。この世界で得た仮初めの自分が葬られ、ここには醜悪極まりないかつてのコミュ障がいるだけなのだ。 楽しく人と話そうと思っても、話せない。笑顔になろうと思えば思うほど顔を強ばらせ、人から疎まれる。人の形をしながら、人と決して交われない人非人。それが私なのだ。 お前がそれを望むのなら、かつてお前が望み、得たものの代わりに、それを授けよう。 あの人のことを、ようやく思い出した。 そう、鬱屈とした日々を過ごしながら、自分を終わらせる度胸もなく、ただ惰性で生き延びていた私はある日、暴走した車と電信柱に挟まれた。 これで、終われる。骨と内臓が潰れる痛みを感じながらそう思った次の瞬間、私はこの世界へ転生し、そしてあの人は問うたのだ。何を望むのか。 突然の出来事に戸惑いつつも、それに私は、醜悪な自分を捨て、人から好かれ、認められる、朗らかな人格を求めたのだ。 そして私は、この剣と魔法の世界に、平凡な村娘として転生した。 トウマにとっての、卓越した剣技と魔術の才能、そして整った風貌のように、人と親しく交われる力は、私にとっては超常の力と等しいものだった。同時に前世の記憶を葬ることを望んだ私は知る由もなかったが、私は、前の世界の私がいくら望んでも得られなかった力を得ていたのだ。 戻りたい、と私は思う。あの村の人から好かれ、多くの友達に囲まれたかつての私に戻りたい、と私は思った。 人から疎まれ、いじめられ、誰にも理解されることなく、自身からも嫌悪される、そんな自分は嫌だった。 死者を蘇らせる奇跡よりも、私はあの、平凡な明るい村娘を何よりも求めていた。こんな力は捨て、あの自分を取り戻したいと思った。 ただ、そうすれば。 醜悪さを取り戻した私に、マリはいつもと同じように接してくれた。それは私に命を救われ、恩を感じているから、ではなく、ただ彼女は、何か悩みごとを抱えたらしいお姉ちゃんが心配だったのだ。 彼女がまだ十分に物心もつかない子供だったせいもあるだろう。仮に彼女があと五歳も年を重ねていれば、他の皆と同じように奇異なものを見る目で私を見ただろう。でもどんな仮定も、マリが私なんかを思いやってくれている事実を変えることは出来ない。 それを望むのか。 あの夜と全く同じに、その人は私にそう問うた。 満月だったあの夜よりも、明かりは乏しい。でもその人の姿はやはり不自然なほどにくっきりと見えた。 どこまでも不気味なその人に、私ははっきりと頷いた。 瞬間、その人の顔が歪む。 笑ったのだ。 それまでの捉えどころのない表情とは打って変わった喜悦の中、その人は言う。 ふさわしい、と。 欲深く愚かなお前こそ、我が世界にふさわしい。 その言葉を聞き、私は確信する。 この人が悪魔であり、この世界は悪魔に弄ばれる世界なのだと。死んだ異世界人を転生させるのも、それに力を与えるのも、身の程に合わない望みに苦しみ、悶える様を見て悪魔が愉しむためなのだ。 そんな悪魔とまた取引をしようとする私には、早晩、破滅が訪れるだろう。 ただ、それでも。 私はそれを望むのだ。 * 母さんの悲鳴で、目が醒めた。 いや、正確には悲鳴と、鼻を突く臭いで、だ。 臭いのもとを見ると、そこにはマリがいた。 寝台の上で、彼女は死んでいた。死後、何日も経ったようになった彼女の肉は腐り、猛烈な腐臭を放っていた。 眼窩には濁った青い瞳があり、それは私に向けられているようだった。 どうして。 そうマリが問うてるような気がした。 私は、頭を抱える。魔物に彼女が殺された、でも何かの拍子に彼女が蘇った、そのことは分かる。でも、どうして彼女が蘇り、そしてまた死んだのか、全く分からなかった。 それだけじゃなく、ここ数日、私がどう過ごしていたのかも、全く思い出せなかった。 半狂乱になっていた母さんは、私にすがりついてきた。 蘇らせるんだよ。 悪魔の力でも何でも良いから、マリを蘇らせるんだ。 私は、訳の分からないことを言う母さんを、ただ見ることしか出来なかった。 しばらくすると、様々な人が、私の家にやってきた。 どうしてあの人の命をまた奪ったんだ。 そう言ってきたのは、警備の兵隊の母親や妻。 やはりお前は悪魔なんだ。 意地悪さで有名なおばさんは、そう言ってくる。 何も分からない私は、ただ途方に暮れるしかなかった。 怒りと、恐怖に顔を歪ませる皆の向こうに、トウマの姿が見えた。 戸惑う彼に、どうしてか私は、深く揺さぶられた。 |
赤木 2022年05月01日 09時56分24秒 公開 ■この作品の著作権は 赤木 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re:Re: | 2022年05月21日 23時36分49秒 | |||
Re:Re:Re: | 2022年05月22日 10時57分45秒 | |||
合計 | 10人 | 210点 |
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