鬼娘ちゃんは夜伽がしたい

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 〔序〕

 むかし、むかし。
 ヤマトの群(くに)の、あるところにヒト衆とオニ衆が共に暮らす海近い里があった。
 ヒト衆は、身の丈・五尺(約一五〇センチ)。薄橙の肌で身体は脆弱。しかしながら優れた知恵と手先の器用さで豊かな暮らしを手に入れていた。
 オニ衆は、惨鬼(ザンキ)と獄鬼(ギョクキ)の二種族あり。
 惨鬼は身の丈・八尺(二四〇センチ)。青い肌で、屈強な肉体を持ち怪力。しかしながら愚鈍で温和な性格なため、雄体はヒト衆の下働き人足、雌体は下女や遊女をして暮らしていた。
 そして、ヒト衆と惨鬼が共に恐るるは、獄鬼。
 獄鬼は身の丈・四尺五寸(百三十五センチ)。赤銅色の肌で小柄。猿のように機敏に野山を駆け、ヒト衆には劣るものの賢く夜目が利いた。
 しかしながら、残忍で狡猾。
 ヒト衆や惨鬼を襲い、喰らった。

〔壱〕

 桜が散り、木々の枝先が瑞々しい若葉に彩られる頃。田畑を潤す細く長い雨が続いていたが、今日は珍しく乾いた気持ちの良い風が吹く五月晴れとなった。
 里の外れで薬屋を営みながら医者の真似事をして暮らすトウヤは、庭先の盛りを終えた山吹の枝を整える手を止め、澄み切った青空に輪を描くトンビを見上げた。どうやら風が、少し強くなってきたようだ。
 乱れた総髪を手ぐしで直し、着物の裾に付いた枯れ葉や土埃を払って母屋に戻ろうとしたとき。
「トウヤせんせぇ~! どこ~? 足、挫いちゃった診て欲しいのぉ~!」
「ぐっ、むぅっ! げほけほっ!」
 母屋の玄関口から甘ったるい声で呼ばれ、トウヤはうっかり吸い込んだ土埃にむせ、咳き込んだ。
「あ、いたいた! ねぇ早く診てぇ!」
 玄関口から庭まで座敷越しに見通せるため、咳き込む音で早々にトウヤの姿を見つけた声の主は草履を脱ぎ捨て母屋を突っ切ってきた。
 大柄の浜昼顔が描かれた薄緑の着物から、溢れ出さんばかりに豊満な乳房。着物の裾を捲り上げ、縁側から突き出された長い足は雨上がりに煌めく露草の色。一つに束ねた薄桃色の豊かな髪。大きな薄茶の瞳と厚い唇、小さな鼻。
 そして額には、小さな白い角が二つ。
 サキは十八の歳ながら、ヒト衆の少女の幼さが垣間見える惨鬼の雌体だ。
「サキさん、あなたは一昨日も足を捻ったと言いましたね? 診たところ腫れも無く筋も痛んでいないようでしたが、痛みがあるなら引くまでなるべく動かないように言ったはずです。無理して同じところを痛めたのですか?」
「あっ、えぇっと。そうだ! 違うの、今日は山で薪を集めてる時に木の枝が太腿に刺さってぇ……ほらぁココ診て!」
 言いながらサキはトウヤの手を掴むと着物の裾をさらに捲り上げ、その手を太腿の間に挟み込んだ。
「んっ、んんっ……っはぁ……っ。ココっ、ココがっ、イタイのっ……っ」
 熱を帯び、じんわり湿った柔らかな太腿から逃れようとしてトウヤは掌を引っ張った。「あぁっ、んふぅ……っ。そんなに動かしたら、もううっ、我慢できっ……きゃん!」
「いい加減にしなさい、あなたは! 怒りますよ!」
 太物の内側を強く抓られてサキは、悲鳴を上げ足を開いた。
「いったぁ~い! センセぇ、ホントに傷が出来ちゃったらどうするのよぅ……今夜お客がとれなかったら、責任とってくれる?」
 幼い面を紅潮させ、サキはふくれっ面になった。惨鬼であれど、怒れば顔色も変わる。
 トウヤは笑いながら自分が抓った太腿の痕を確かめ、サキの着物の裾を直した。
「この程度の内出血、一時(二時間)もすれば跡形も無く消えますよ。もし気になるなら、手ぬぐいを濡らして冷やすと良い。さぁ、もう帰りなさい。あなたが私を誘惑しようとしても無駄です。余りしつこいと、出入り禁止にしますからね?」
「うぅ、出入り禁止は嫌ぁ。わかった今日は帰るけど、あたし必ずセンセぇに抱いて貰うから!」
 惨鬼は角に感情が現れる。白い角が桜色になっているところを見ると、本気なのだろう。
 とはいえ、里の遊女茶屋に身を置く惨鬼の雌体を憐れと思うトウヤが、サキを相手にすることはない。
「やれやれ、あの時は見過ごせず助けましたが、困ったことになりました」
 気付けば日は西に傾き、潮の香りを含んだ風が冷たく襟元を冷やす。
 トウヤは初夏の夕暮れを楽しむように遠くの空を眺めてから、腕を組んで大きな溜息を吐いた。

〔弐〕

 里の者はヒト衆もオニ衆も皆、口を揃えて言い放つ。
「トウヤ先生は堅物、変人だ」と。
 歳は、おそらく三十前後。ヒト衆にしては身の丈が六尺ほどある美丈夫で、学もあり、土地と家と財を持っている。
 多くの美しく若い娘や妖艶な後家さん、衆道の色男などが言い寄ってきたが、興味があるのは薬草の採集と研究だけ。色恋には関心が無いらしい。
 当然、遊女であるサキなど歯牙にも掛けてもらえないだろう。
 だがサキは、なんとしてもトウヤの子種が欲しかった。
 尻を犬に噛まれた、乳に汗かぶれが出来た、客に背中を引っかかれた。
 様々な理由をつけてはトウヤの薬屋に通い、色香を振りまいて誘惑したが、患部を診たあと軟膏や熱冷ましや湿布を処方され早々に追い出されるだけ。
 こうなればもう、最終手段。
 遊女仲間から反対された上に慣れないことで恥ずかしさはあるが、ドジョウとウナギを使うときが来た。
 値は張るが精の付くドジョウとウナギ、鶏肉を手に入れ手料理と酒で酔い潰し、夜這いするしか無い。
「はぁ、惚れた男に手料理を振る舞うなんて、生娘みたいな真似があたしに出来るかなぁ。考えると恥ずかしくて角が熱くなるよぅ!」
 海近くの市場で、ウナギ売りが担いだ桶を前に照れ臭さからサキは身悶えする。
「よぅ、昼中からウナギ売りの前で興奮してる淫乱女がいると思ったら。なんでぇ、サキじゃねぇか?」
 身を乗り出し、真剣に桶中のウナギを選別していたサキに突然、聞き覚えのあるざらついた声が掛かった。
「げっ、アグリ! よりによって、一番嫌なやつに見つかった」
「おいおい、てめぇが世話になってる遊女茶屋、一番の上客に向かって、なんて言い草だ?」
 アグリは里の有力者である商家の七男坊で、身形は良いが素行が悪くヒト衆にもオニ衆にも嫌われている遊び人だ。
 サキが身を置く遊女茶屋に三日も空けず通い詰め、飲んで騒いで見境なしに女を買った。
 金払いは良いが乱暴で、アグリに殴られ蹴られ怪我をした遊女は多い。
 しかも暴力を振るわれるのは決まって惨鬼の雌体だ。
 ヒト衆の遊女と違い惨鬼の遊女は、乱暴に扱っても怪我をさせても咎められないからだ。
 アグリは背後からサキの胸に手を差し入れた。
「ヒヒッ、ウナギかぁ良いねぇ。一番太いのを買ってやるから今夜、おまえがオレの相手をしろよ。一緒にウナギを食ってなぁ……っ、て、何しやがる!」
 サキの踵に脛を強打され、アグリは勢いよく後ろに引っくり返った。
「ふん、冗談じゃ無い! アンタに抱かれるくらいなら、獄鬼の餌になる方がましだね!」
「このクソアマッ! 調子に乗るんじゃねぇよ! てめぇ最近、どこぞの薬屋に御執心だってなぁ。てめぇみたいな売女、しかも惨鬼のメスなんざ相手にされるわけねぇだろうが! オレに逆らったら、世話になってる遊女茶屋にいられなくなるぞ? そしたら望み通り、獄鬼相手に股開いて、コトが済んだら喰われりゃいい! 知ってるぜ? 獄鬼はオスしかいねぇんで、惨鬼のメスを孕ませるんだってなぁ? ヒトの児は産めねぇから遊ばれて、獄鬼の児は産めるから苗床にされ。なんとも便利な腹じゃねぇか?」
 嘲りながら下品に口元を歪ませて笑うアグリに、サキの中で抑えきれない怒りが湧き上がる。
「獄鬼は、あたしが皆殺しにする……あいつらを、ぜんぶ殺して敵を討つんだ」
「はぁ?」
 一瞬、呆けた声を漏らしたアグリは、次の瞬間大声で笑い出した。
「ハッハハハッ! なに、寝ぼけたこと言ってやがる? 身体ばかりでかいウスノロ惨鬼のメスが、どうやって極悪残忍な獄鬼を殺せるって言うんだ?」
 アグリに煽られ、サキは鼻を鳴らす。
「ふふん! あたしら仲間内の噂だけど、あるところで遊女の惨鬼がヒト衆の児を産んだって話があるのさ。その混ざり児は、獄鬼を一捻りで殺せるヒト衆の知恵と惨鬼の力を持つそうだ。だからあたしもヒト衆の児をたくさん産み育て、いつか獄鬼を……」
「なるほど、それで薬屋の先生のところに通ってるのかい? しかしなぁ、そもそも惨鬼とヒト衆じゃあ、児は出来ねぇ。万が一、出来たとしてもヒョロッと頼りない奴の子種が強い児になるかねぇ? どうでぇ? その混ざり児とやら、いますぐオレが仕込んでやろうじゃねぇか。オレの子種なら、よほど強い児が出来るだろうよ。惨鬼のメスが裸に剥かれようと、誰も助けちゃくれねえからなぁ!」
 アグリはサキを土の上に押し倒すと、腹にのし掛かる。サキは力尽くで押し退けようとしたが、ここでアグリに恥をかかせると世話になっている遊女茶屋の女主人や仲間が酷い目に遭うに違いなかった。
 騒ぎを聞きつけ市場の通りに人が集まりだしていた。しかし誰も、サキを助けようとする者はいない。
 ヒト衆に比べ頭は鈍いが、惨鬼であろうと自尊心も羞恥心もある。そして思いやりも、自己犠牲の心も。
 着物の胸元が開けられ、目の前にアグリの顔が近付く。
 なんでも無い、いつものことだ。仲間に迷惑を掛けるくらいなら、ここは我慢しよう。
 サキは覚悟を決め、唇を強く噛み目をつぶった。
 ところが突然、ふっと腹の上に乗っていた石のような重さが取り除かれた。
「オニ衆だからといって、侮辱や乱暴が許されるわけが無い。おまえのように性根が腐った下劣な男は、獄鬼以下だな」
 恐る恐るサキは目を開け、声のした方を見た。
 そこには大きな荷物を左手に抱えながら、右手で軽々とアグリを持ち上げるトウヤの姿があった。

〔参〕

 その日、トウヤが海沿いの市場を訪れたのは薬の調合に必要な干海鼠(ナマコ)や鹿尾菜(ヒジキ)、鯨の油などを仕入れるためだ。大風呂敷に仕入れ材料を包み帰路につこうとした時、通りの先で男と女が諍う声が聞こえた。
 よくある痴話喧嘩だろうと気にも留めず通り過ぎようとしたが、女の声に聞き覚えがあった。人垣の隙間から覗き見れば、里で無法者扱いされている男とサキが言い争っている。
 仲裁に入るかどうか。少しの間、トウヤは迷った。
 ただの痴話喧嘩なら、余計な世話だ。それに仲裁に入ればサキが、ますますトウヤに付き纏う事になるかもしれない。
 他に人もいる、危険な事にはならないだろうとトウヤが踵を返したとき。
「獄鬼を皆殺しにする」
 聞こえてきた意外な言葉に足を止め振り返ると、サキが男に乱暴な扱いを受けている。
 考える間もなくトウヤは男の首根っこを掴み、高々と持ち上げていた。
「くそっ、なんだぁ、てめえ! 放しやがれ!」
「往来で人目も憚らず下劣な行為をするのは獄鬼くらいと思っていましたが……これは失礼、アグリの旦那でしたか。今日は仕入れに来たところですが、丁度あなたの御父上に頼まれていた薬が手元にあるので、あなたと一緒に届けに行きましょう」
 そう言ってトウヤはアグリを肩に担いだ。
「やめろ! 頼む! 親父は勘弁してくれよぅ!」
「そうですか? ではまた、日を改めて」
 肩の上で必死に暴れていたアグリは、いきなりトウヤから手を放され地に転がり落ちる。
「くそう! 覚えていやがれ!」
 捨て台詞を吐いてアグリは、転がるようにその場から逃げ去った。
 アグリが遠ざかり、人々が体裁悪そうに散り散りになるのを見てトウヤは深く溜息を吐く。
 惨鬼を憐れと思う良心は、誰の心にもある。しかし、庇う勇気も力も無いだけだ。
 凶悪な獄鬼。その存在が無くなれば、オニ衆として一括りにされている関係も変わってくるかもしれないが……。
「あっ、あのぅ……ありがとう。トウヤ先生に助けて貰うの、これで二度目だね。やっぱり、先生は強いんだ! 一度目に助けてくれたときも、浜に落ちていた流木で獄鬼を追い返してくれた。だから、あたしどうしても先生の児が欲しいんだ! そしたらきっと!」
「……」
 一ヶ月ほど前の事だ。
 月が明るく海は凪いでいた夜。トウヤが散歩がてら浜辺で薬になりそうな海草や生き物が流れ着いていないか探していたところ偶然、獄鬼から逃げているサキに出会ったのだ。
 獄鬼は里から十三里(約五十キロメートル)ほど海向こうにある孤島に群れ成して住んでいる。その数、およそ三百体。全てが雄体であった。
 雄体しか産まれない獄鬼が種族を増やすためには、惨鬼の雌体が必要だ。そのため島の地下洞窟で採取される金銀、瑪瑙(めのう)や水晶をヒト衆と取引し、肉や魚と同じように遊女屋から惨鬼の雌体を買っていた。
 しかし、たまに若い獄鬼が欲を抑えきれず海を渡り、里の女や雌体を襲う事があった。
 サキは浜で貝を拾っていたところを獄鬼に見つかったらしい。
「あの時の獄鬼は、たまたま遠路を泳ぎ切って疲れていたから追い払えたのです。私は剣客でも武人でもありません。力の無い、ただの薬屋。先ほど、あの男に獄鬼は敵だと言っていましたが、敵討ちのために嘘か誠か解らない噂話を信じ、叶わない復讐心に囚われても虚しいだけです。遊女屋が辛ければ、私が主人に話をつけて湯屋か小料理屋で働けるようにしてあげましょう。ヒト衆との間に児を成すなど諦めて、良き伴侶をみつけ児を成し幸せに生きた方が、あなたのためですよ?」
 地に座り込んだままのサキに、トウヤは手を差し伸べる。だがサキは、その手を取らず顔を上げるとトウヤを睨み付けた。
「なんで? 酷いよ、せんせぇ。せんせぇは知らないんだ。獄鬼の島に売られた仲間が、どんな目に遭うか!」
「えっ? 獄鬼の雄体と夫婦になって児を育てるのでは? 違うのですか?」
 トウヤの言葉を聞いたサキの目から、大粒の涙が零れ落ちる。
「獄鬼の児を孕んだ雌体は一年半、腹の中でその児を育てる。そして産まれるときは、ほぼ成体に近い姿の獄鬼が母体の腹を食い破って出てくるんだ。母親は、その児の最初の餌になるのさ。あたしは幼体の時に母ちゃん姉ちゃんと一緒に島に売られた。最初に母ちゃんが死んで、次に姉ちゃんが……まだ児を成せる身体じゃ無いあたしは、二人の子供の世話をさせられてたけど、十三の時、島に取引に来ている船に潜り込んで逃げ出した。あたしは獄鬼が憎い。一体残らず殺してやりたい! そのためには、強い混ざり児を産まなきゃならないんだ! 叶わない願いかもしれない、夢物語かも。だけど……! 先生には、わかんないよっ! 馬鹿ぁ!」
 サキは足下の砂を鷲掴みにしてトウヤに投げつけ、泣きながら走り去った。
 真実を知り衝撃を受けたトウヤは、ただ呆然と立ち尽くすしか無かった。



〔肆〕


『馬鹿』とは、少し言い過ぎたかもしれない。
 日が暮れ、賑やかになってきた遊女茶屋の控え間でサキは、いままで経験した事の無い暗い気持ちを持て余していた。
 惨鬼の雌体が獄鬼の住処で、どのように扱われるか知るのは一部の売人だけだった。真実が公になれば、雌体の売り買いを躊躇う者が出るからだろう。
 サキにはよく解らないが、身分が上の人にも真実を知る人がいる気がする。なぜなら時折、島に取引にくる船に不相応の身なりをした武人が同行していたからだ。
 トウヤは売人でも身分上位者でも無い。真実を知らなくて当然だ。
 自分を助けてくれたトウヤにサキは一目惚れしていた。力ある混ざり児はサキの悲願であったが、その児がトウヤの児なら、どれだけ幸せであろうと夢見た。
 トウヤは優しい。それに、柔らかく脆いヒト衆の身体に比べ、逞しく筋肉質で背も高い。低く通る声は耳に心地よく、何しろ一番に顔が良い。風になびく髪はさらさらと……。
 トウヤの面影にうっとり浸っていたサキは、我に返ると大きく溜息を吐いた。
「馬鹿は、あたしかぁ。そうだよね、敵討ちなんか出来るはず無いないよね。あたし達はヒト衆に使われるおかげで綺麗な着物を着て、雨風をしのげる家の暖かい布団で寝られて、腹一杯のご飯が食べられて……」
 サキの頭の中に、アグリの言葉が蘇る。
「ヒト衆には遊ばれ、獄鬼には苗床にさせられ……か。いままで考えた事無かったけど、なんか、嫌な気持ちだなぁ」
 再びサキの頬に、大粒の涙が流れた。
「あぁ、ダメダメ。こんな辛気くさい顔じゃ、お客が驚いちゃうよ。お化粧直さないとね」
 気を取り直しサキが鏡台の前に座ると、誰かの影が行燈の明かりを遮った。
「ちょっと、明かりが無きゃ化粧が直せないよ。誰……っ?」
 振り向こうとしたサキは、いきなり口を手拭いで塞がれ、抗う間もなく何人かの男に荒縄で手早く縛り上げられた。耳に生暖かく煙草臭い息が掛かり、ざらざらとした声がささやく。
「へへっ、もうおまえに化粧はいらねぇよ。なんせ、お相手は獄鬼だからなぁ!」
 その声は、紛れもないアグリの声だった。

〔伍〕

 サキの話は本当だった。
 海辺の市場から戻ったトウヤは、使える金と手段を全て使い、売人の元締めに会って話を聞いてきたのだ。
 相応の金を払うと言っても口渋り語りたがらなかった元締めの口を開かせたのは、トウヤが身分上位者と薬の取引がある事を匂わせたからだ。その身分上位者の娘は胸の病で、トウヤの処方する薬に絶対の信頼を置いている。元締めを脅すに都合の良い存在で助かった。
 サキに、謝らなくてはならない。
 里の料理屋で酒の杯を傾けながらトウヤは肩を落とす。真実を知らなかったとは言え、酷な事を言ってしまった。
 あまりにも残酷で悲惨な真実を知ったいまなら、サキの願いにも共感できる。だが、それは簡単に叶えられるものでは無かった。
 杯を重ね、酔いが回るにつれてサキの姿が頭に浮かんだ。
 惨鬼の雌体は青い肌に白髪だ。サキの薄桃色の髪は、染料で染めているのだろうか? 紅花か? それとも松の実か? 
 いつも緑色の着物を着ているのは、緑が好きだからだろうか? たいてい花柄だが、一度だけ毬の図柄を着てきた事があった。あの時、毬の柄はどうかと聞かれたが、似合うと言ってあげたら良かった。
 露草色の肌はすべらかで、正直言えば誘惑されて自制するのはかなり苦労していた。
 なにより、笑った顔が可愛い。少女のようでいて、ときに艶っぽく……。
 サキを助けてやりたい。そう思った。
 もしや自分なら、サキの願いを叶えられるのでは無いか?
「おや、先生? こんなところで会えるとは、今夜はツイてるねぇ!」
 声がした方にトウヤが顔を向けると、暖簾をくぐって入ってきたのはアグリだった。
「わたしはツイていませんね。あなたの顔など、見たくもないですから」
「まぁ、そう言いなさんな。昼間の詫びに一杯奢らせて下さいよ。ちょうど、たっぷり元手が出来たところでしてね」
「あなたの金で飲みたくなどありません。失礼する」
「堅物先生は、つれないねぇ。ところで、この金をオレがどうやって手に入れたか興味はないですかい?」
「……?」
 顔を歪ませアグリは、下卑た笑いを浮かべた。
「上玉のメスを売ったのさ! 惨鬼の雌体、ほどよく肉の乗った小娘をね!」
「なん、だとっ!」
 アグリの言う小娘が、サキであろう事は間違いない。
 トウヤはアグリの胸ぐらを掴み、締め上げた。
「げぇっ、ぐふっ! オレを締めるより先に、船着き場に行った方が良いんじゃねぇか? がっげふっ……間に合うかどうか、知らねぇけどなぁ!」
 勢いよくアグリを投げ飛ばし、トウヤは近くの席にいた剣客らしき男に財布を押しつけた。
「頼む! その太刀を売って欲しい。金が足らなくば、里の外れの薬屋まで来てくれ。必ず、足らない分を返す」
 目刺しの炙りを肴に酒を飲みながら、アグリとトウヤの争いを黙ってみていた髭面の武人は胡散臭そうにトウヤを眺めた。
「金さえ出せば、武人が魂である太刀を易々と売ると思うのか? 訳を言え、事によっては貴様を無礼打ちにしてくれる」
 トウヤは逡巡の後、意を決すると武人の前で膝を突き頭を下げる。
「惚れた女を助けに行かねばならん!」
 事情を知った上で覚悟に感じ入ったのか、武人は破顔しトウヤに太刀を押しつけた。
「話はわかった。金はいらん持っていけ!」
「かたじけない!」
 両手で太刀を受け取り恭しく頭を下げてからトウヤは、月の無い夜に飛び出した。

〔陸〕

 島に渡る荷足船(にたりぶね)の底でサキは、猿ぐつわされたうえに両手両足を縛られ荷の間の狭い隙間に押し込まれていた。
 幼い頃のサキは、父と母、姉の三体で山に隠れ住んでいた。あの日、父は里に出稼ぎに出て家におらず、残された母と姉は乳飲み子のサキを抱え、大人数の売人に抗う事が出来なかった。
「せっかく逃げ出したのに、逆戻りかぁ……」
 獄鬼の島から逃げた後サキは、父を探してはみたが消息はわからず、生きるため遊女屋茶屋に身を寄せた。
 里に数件ある茶屋では、年に何度か遊女が行方不明になった。サキの働く茶屋でも、覚えている限り五体の雌体が行方知れずだ。
 やれ、駆け落ちだ。足抜けだと騒がれたが、おそらく自分のように売人に攫われたのだろう。
 サキを売人に売るときアグリは言った。
「おめぇが売られるって、愛しい先生に教えてやるから安心しな。助けにくりゃぁ、船人足の獄鬼が食い殺してくれるだろうよ。まぁ、見捨てられるに決まってるがなぁ!」
 サキを引き渡し金を受け取ったアグリは、慣れた段取りだった。いままで何体も雌体を売ってきたのが解る。
 獄鬼を全部殺すとイキがったはずが結局、このざまだ。
 もう自分の身など、どうなっても良かった。
 ただ願う。
 助けになど、来ないでくれと。
「さよなら、先生……」
「サキっ! どこだ、無事かっ!」
 目を閉じ諦めの涙を流したサキは、トウヤの声に目を見開いた。
 嬉しい、ここにいると声を上げたい。しかし、この船には売人二人と獄鬼の船人足が数体乗っている。
 トウヤに勝ち目は無いだろう。
 だがしかし、ここで一緒に殺されるくらいならトウヤだけでも助けたい。
「うぁああああっ!」
 そう思ったときサキは、渾身の力を込め腕を括る荒縄を引き千切っていた。
 もともと力だけは強い惨鬼である。遊女となってからは客に傷を付けないよう無意識に抑えているだけなのだ。盛りを過ぎると力も衰えるが、いまのサキは気力も体力も絶好調の年頃だった
 猿ぐつわと足の縄を解き立ち上がると、米や味噌が入った重い荷箱だろうと関係なく、軽々持ち上げ船の上から海に投げ込む。
 水音でサキの乗せられた船を見つけ、トウヤが駆け寄る。
「サキ! 助けに来たぞ!」
 桟橋に立つトウヤの背後に、赤銅色の肌を持つ醜悪な獄鬼が飛び掛かろうとしているのを見たサキは荷箱を投げた。汚い悲鳴を上げ足下に倒れた獄鬼をトウヤが斬り捨てる。
「せんせぇ~! ヒック、ぐすん、怖かったよぅ!」
 ベソをかくサキの身体を、荷の影から飛び出した売人が羽交い締めにした。サキは身を捻り、売人の鳩尾に肘鉄を入れ首を捻る。
 ごつり、と、鈍い音。
「無事で良かった、昼間の事は謝る! 何も知らず、酷い事を言った!」
 懐を狙い短刀を突き出した獄鬼を紙一重に交わし、振り返りざま一閃。トウヤの太刀は鮮やかに首を刎ねた。水音を立て、首は海中に沈む。
「ううん、あたしこそ、ごめんなさい。先生は何も悪くないよ。でもこれだけは信じて。子種とか、もうどうでもいい。あたし本気で先生の事が好き!」
 凶暴な野猿のごとき鋭い牙を剥いた獄鬼がサキの首に噛み付かんと肩に飛び乗った。サキはその身体を鷲掴みし、膝でへし折る。
「サキ、聞いてくれ! おまえが言った噂は本当だ。私こそ、その混ざり児。医師であった父が、一人の雌体を愛し出来た子だ。だが、素性を隠し生きるのは、両親も私も辛い事ばかりだった。だから、おまえにあんな事を言ってしまったのだ」
 最後に残った獄鬼が、トウヤの頭上に斧を振りかざす。その手首を斬り落とし、垂直に胴を寸断したトウヤは、急ぎ荷足船からサキを引き上げた。
「私も、おまえが好きだ。おまえの願い、混ざり児である私なら叶えられるかもしれない。私と一緒になってくれるか?」
「嬉しい!」
 累々と重なる獄鬼の屍の前で、二人は抱き合う。
 最後に残された売人が、血糊に足を滑らせ桟橋から落ちて大きな水音を上げた。


〔終〕

 むかし、むかし。
 ヤマトの群の、あるところにヒト衆とオニ衆が仲良く暮らす海近い里があった。
 里の外れには、桃矢という男が露草色の肌を持つ美しい妻、咲鬼と共に薬屋を営み暮らしていた。
 やがて二人の間には、玉のような男児が産まれた。
 その男児が、やがて強く逞しい青年となり海向こうの孤島に棲む悪鬼を全て退治したお話は、また別の物語。

来栖らいか

2022年05月01日 08時10分31秒 公開
■この作品の著作権は 来栖らいか さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:むかし、むかし。あるところに種族を超えた純愛物語があったとさ。
◆作者コメント:昔話には、差別やジェンダー問題が多く盛り込まれています。そこで現代の軋轢を生む問題を平和的に解決する方法を探るため昔話の体を使い……嘘です。単に色っぽい青鬼娘ちゃんのエロい話が書きたかっただけです。が、あれれぇ……おかしいなぁ? あまりエロくない……?!

2022年05月14日 21時11分38秒
+40点
2022年05月14日 20時30分35秒
+20点
2022年05月14日 03時15分34秒
+40点
2022年05月13日 20時53分59秒
+10点
2022年05月07日 08時41分16秒
+20点
2022年05月04日 23時26分32秒
+20点
Re: 2022年05月31日 18時18分37秒
2022年05月02日 03時02分18秒
+10点
Re: 2022年05月31日 17時27分02秒
合計 7人 160点

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