告白くらいさせてくれ |
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虚ろな目をした女の子が、膝を抱えてうずくまっている。 女の子といってももう大学生だ。大学二年生、あと数ヶ月でお酒が飲めるようになる。 彼女の名前は鳴海みなも。大学入学と同時に実家を出て一人暮らしをしている。ゆえに、こうして落ち込んでいても慰めてくれる同居人はいない。 ぴこん、と床に投げ出したスマートフォンが通知音を発した。 メッセージ受信の合図だ。相手が誰かは大体見当がつく。みなもは無視することにした。電気を消してカーテンも閉め切った部屋は、まだ昼下がりだというのに薄暗い。一人孤独に落ち込むのにはぴったりだ。 それでも。 ぴこん、ぴこんと、メッセージ通知はその後も数回続いた。さすがにここまでくると放置するのも気分が悪い。 スマートフォンの画面を見ると、メッセージは数人の「友人」から一通ずつ。同じタイミングで示し合わせたのかと思うくらいに、内容も一緒だった。要約するとこうだ。 『みなも、大丈夫? 仲いいお祖父ちゃんが亡くなるのってショックだよね。無理しないでね』 みなもは最愛の祖父を亡くしていた。父方の祖父で、一人暮らしを始める前は両親共々同居していた。 ――祖父を亡くした。 ――親よりも大好きだった、祖父を亡くした。 大切な人を亡くす経験は初めてだった。小中学校時代、何度かクラスメイトが肉親を喪うのは見ていたが。自分事として経験しなければ、喪失の意味はなかなか理解できない。 もう葬式も終えた。別れも済ませた。数日実家に帰っていたが、こうして一人暮らし用のアパートにも戻ってきた。 明日からは大学に戻らなくてはならない。実家にいる間、授業は休んでいた。大学指定の忌引の日数を多少こえてしまったが、正直出席日数なんてどうでもいいと思っている。ほんとはどうでもよくないのに。 ――もう、あの家に帰ってもお祖父ちゃんはいないんだ。 ――一緒に花火を見たことも、うなぎを食べに行くことも、もうできないんだ。 祖父の死なんて、誰もが通る道。だからといってその悲しみに耐えられるかと言われれば、耐えられない人間も多い。 大切な人が死んでも、みなもは生きていかなくてはならない。みなもがいくら落ち込み、悲しみ叫んだところで大学が休校になることはないし、社会はいつも通りに機能している。 それに、友人たち。 正直、気を遣われるのは面倒だった。どうせみなもの悲しみを真に理解できるのはみなも自身だけだ。誰の慰めも励ましも、今はひとつも心に響かない。 ぐう、とお腹が鳴る音が間抜けに響いた。大切な人がいなくなっても、お腹は減る。栄養を欲する。 「はあー。もはや食べるという行為そのものがめんどくさ……」 わざとらしくため息をつき、よろよろとみなもは立ち上がる。ついでに床の上のスマートフォンをテーブルの上に置き直した。 とりあえずレトルトカレーとパック入りの米飯を取り出し、レンジでチンする。料理の仕方なんて忘れた。 レンジの前で、ふとつぶやく。 「そういえば、あの人からは連絡来てないなー」 ぴこん。また友人からのメッセージ通知音が、遠くから聞こえてきた。 「おはよーみなも」 「学食行く? 今日の日替わり定食、みなもが好きな麻婆豆腐らしいし」 「はいっ! みなもが休んでたぶんのノート」 数日ぶりに大学に行けば、友人たちが何かと気を回してくれた。至れり尽くせり。みなもはみんなに対して笑顔で応える。 もう心配させないように、元気になったと思われるように。 いつまでも祖父のことに気を取られてばかりでいられない。 学食で麻婆豆腐定食を食べた後は空きコマだった。だいぶ暇だ。 そこに。一人の男子学生が顔を出した。友人たちが授業へと立ち去りみなも一人のテーブルに。 「みなもちゃん、久しぶり」 「お久しぶりです、海先輩」 川村海、下の名前は「海」と書いて「かい」と読む。みなも一年上の先輩だ。 その名の通り海風のように爽やかな印象の彼は、笑顔で悲しみを誤魔化している今のみなもにはとてつもなくまぶしいものに見えた。 「おれ、連絡しなかったけど良かったかな? こういう時って、そっとしてもらいたいんじゃないかと思って」 「いえ、ありがとうございます。忙しくて連絡されても返せなかったと思うので」 他の友人たちがそっとしてくれなかったことは伏せてお礼を言う。 淡い微笑を作って、みなもは海に「もう大丈夫です」とも告げた。 「それ、ほんとう?」 「え?」 「大丈夫じゃない時ほど、きみは大丈夫と言いたがるからな。中学高校からみなもちゃんはそうだった」 海とは中学時代に同じ委員会になってからの関係だ。高校大学まで一緒になるとは思わなかったと、互いに苦笑しながらも喜ぶくらいには仲が良い。 顔なじみの海がいてくれた安心感のおかげで、高校でもこの大学でも生活がうまくいっているところがあった。 なので、互いに知っていることも多い。 「友達と喧嘩した時も、失恋したての時もきみは大丈夫と言いながら裏で苦しみ泣いていた。だから、心配だ」 「…………」 ひとつ年上のこの先輩は、やたらと後輩の面倒を見たがる。もちろんみなもも例外ではない。 世話を焼かれたのをきっかけに、海に好意を寄せるようになった女子もそれなりにいると聞いている。 そしてみなもも、海に憧れのような、恋のような気持ちを寄せていた。高校時代は別に好きな男の子がいたのだが、大学生になってからはぐっと大人びた海によく目を奪われている。 これだけ優しくしてくれるのなら、わたしを好きなのだろうと思いたくなる。思うだけだけど。 「いえ、今回は本当に大丈夫です。わたしも、もう子どもではありませんから。このくらい平気でいないと」 好きな人の前だと、つい自分を強く見せたくなってしまう。 「大事な人を亡くして平気なら、いつ平気じゃなくなるんだい? 人間なんだから、気分の浮き沈みなんてあって当然だよ」 「平気ですって」 「みなもちゃん」 明らかに作った微笑のみなもに、海はどこか焦った声音で話す。 「もう初夏なのにそんなに体を震わせて、無理をしているのがみえみえだよ」 「え」 言われてようやくみなもは自分の体の異変に気づく。かたかたと小刻みに、でも周りからもわかる程度に全身が震えていた。 ――なんで。 もしかして、他の友人たちと話していた時もこうだったのだろうか。だとしたら相当ヤバい。何がとははっきりとわからないが、とりあえずヤバいなとみなもはその場で凍り付いた。 極寒の地にいるかのような寒気がする。急な体の変化に、心まで寒くなる。 心は我慢していたけれど、結局体に出てしまっていた。友人たちが気を回してくれていたのもこれが原因だったのか。 「みなもちゃん、顔が真っ青だ。どう見ても大丈夫じゃないよ」 「……せんぱい」 海に向けた瞳は、涙の膜が張っていた。 「医務室に行こう。おれがついていく」 きっぱりと言う海に、みなもは何も言わずにこくこくと頷いた。 その日は医務室で空きコマの間休んで、そのまま帰宅してしまった。ただでさえ祖父の葬儀で休んでいたのにこれ以上休むなんてとは思ったが、体調が悪いのだから仕方ない。 鏡に映る自分の顔は青白く、生気が抜けてしまったようだった。 何もする気になれず、ベッドに倒れ込む。 ――こんなことしていても、祖父は帰ってこない。 ――それどころか、わたしが死人のようになってしまっている。 みなもの両目から、だらだらと生温かな涙があふれ出る。 思えば。 中学で友人と喧嘩したときも、高校で失恋したときも。 自分を気にかけてくれた海に対して、「大丈夫」と言っていた。 大丈夫といいながら、こうして家では潰れたように泣いていた。 あの頃喧嘩した友人も、失恋相手もどこかで生きている。でも祖父は。もういない、会えない。その事実がさらにみなもを蝕んでいく。 気づけば、つぶやいていた。 「たすけて」 唇から飛び出た言葉は、誰にも届かず空気に溶けていく。 なにが大丈夫だ、なにが平気だ。大好きな優しい先輩に、あんなに心配かけて。 自己嫌悪に陥ったみなもは、無意識にスマートフォンをタップしていた。 祖父にはもう会えない。一緒に散歩したこと、ご飯を食べて他愛もない話をしていた頃には戻れない。天国か黄泉の国か極楽浄土かは知らないが、少なくともここではない場所に祖父は逝ってしまった。 だから今は、生きている者同士でやり取りするしかなくて。 『くるしいです。たすけて』 昔なじみの男の先輩宛てにメッセージを送信すると、みなもは枕につっぷした。 気づくと長いあいだ、眠っていたらしい。 夕方近くに帰宅して、もう翌日の朝七時だ。慌てて飛び起きようとして、今日が週末であることを思いだす。 「…………」 スマートフォンを見ると、海からメッセージの返信があった。 『土曜はバイト休みだし、会ってゆっくり話そうか。かわいい後輩の世話くらいさせてくれ』 海の指定したカフェは、誰もがよく知るチェーン店だった。特に気後れすることもなく店内に入ると、窓際のテーブル席から海が手を振っていた。 カフェラテを手に席へ向かうと、海がほっとした表情を浮かべた。 しばらく共通の話題を話していたら、みなもの孤独もやわらいできた。 「今日は来てくれて良かった」 「いえ、わたしの『助けて』に応えてくれて、ありがとうございます」 「いや、頼ってくれて嬉しかった。みなもちゃんは妹みたいな存在だから」 不意打ちでどきっとすることを海は言う。 「妹、ですか」 「あ、嫌だった?」 「そんなことはありませんけれど……」 自分は海をどう思っているだろうかと、みなもはふと考える。祖父のこともあってぐちゃぐちゃに冷え切った心が少し温度を取り戻した。 好きだ。どちらかといえば兄のようにとか先輩としてというより、ひとりの男性として。 「いつも優しくしてくれるから、つい……先輩はわたしのことが好きなんじゃないかと、誤解してしまうんです」 「みなもちゃん?」 大胆な発言がみなもから出た。はっとした顔になる海から目をそらさずに、言葉をなんとか続ける。 「すみません。祖父を亡くして、少しテンションがおかしくて」 「人間気持ちの浮き沈みはあって当然と言ったろう。それに全然おかしいことじゃない」 「そうですか?」 困ったように頭をかいて、海は口を開いた。 「おれは謝らなきゃならない。きみのことが好きなのに、伝えるのを先延ばしにしていたことを」 しんと、二人の周りだけが静まりかえった。遠くから近くにあるはずのカフェの喧噪が聞こえる。 「先輩?」 驚き目を見開くみなもに、海は観念したように話す。 「前から妹分としても好きだったけど、最近になって女の子としてもきみが好きになった。だから、おれに助けを求めてくれて本当に嬉しかった。だけど仲の良い先輩と後輩という関係を壊したくなくてさ。ひどい話だけど、きみのお祖父さんが亡くなって目が覚めた」 すう、とみなもは息を深く吸った。 海の話は続く。 「おれ、人って死んじゃうんだって改めて気がついた。亡くなった人だけじゃなく、周りの人のそれまでの日常が変わってしまうっていうことも、みなもちゃんが落ち込んでいるのを見てやっときみの支えになりたいと気づけたんだ。こんなおれで良ければ、そばにいてくれないだろうか」 「先輩……」 「悪い。急にこんなこと。でもせめて告白くらいは、させてくれないか……?」 一瞬の沈黙。 ――そんなこと。 ――告白くらいだなんて、そんなこと。 祖父を亡くして、落ち込んで。顔を青くして。 でも生きている人同士で好きになりあえるなら、そうしていきたいとみなもは思った。もちろん、祖父のこともずっと好きだけど。 「わたしも、好きですよ。先輩のこと。だから告白以上のことも、これから教えてください」 ようやくみなもは心からの笑顔を浮かべることができた。 「ああ、みなもちゃん。もちろん」 二人は真っ赤な顔で笑い合った。 テーブルの上で、二人のスマートフォンが寄り添うように並んでおかれていた。 |
七草かなえ 2022年04月30日 21時42分17秒 公開 ■この作品の著作権は 七草かなえ さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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