蒼界のドラ

Rev.02 枚数: 25 枚( 9,993 文字)

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※過激

 乃火(のび)ノンは男子中学生である。
 小柄で色白、肉付きも悪く、声に男っぽさもない。
 そのせいで「まるで女みたいだ」とからかわれることもあった。
 それが止まったのは皮肉にも嶽石(たけいし)ゴウに目を付けられたせいだ。
 嶽石はガキ大将を卒業できないまま歳を重ねた不良学生である。座学の成績は悪いが身体が大きく、中学二年にして180cmを超えている。身体能力が抜群に高いがスポーツに興じる性格ではなく、その能力は粗暴な行為にばかり発揮されていた。
 悪ふざけの延長だったふたり乃火と嶽石の交流は徐々に悪質さが増し、やがて周囲が距離を置くほどのイジメへと発展した。
 その現場を担任に目撃されもしたのだが「じゃれ合うのもほどほどにな」と軽い注意だけで、嶽石が咎められることはなかった。
 ふたりのやりとりを本気でじゃれ合いと思ったのか、はたまた気づきながらも面倒事が嫌で知らんぷりをしたのかは不明だが、関与する気がないことは明らかだ。
 結果、イジメの限度は取り払われ、乃火の苦渋は神の不在を確信させた。
 そして薄暗い炎を心に灯した乃火は、この状況から脱却のためにある物を入手するのだった。

 乃火は通学路を離れ公園に寄り水道で顔を洗い、制服に残った汚れをはたき落とす。
 彼は自分が学校でイジメられていることを母親に告げていない。
 そんなことをしても解決になるとは思えないし、下手をすれば「なんでそんなことになっているの!」と母親までもが彼を加害しかねない。
 なによりも自分が惨めな立場にいるということを、これ以上、誰にも知られたくはなかった。

 だがそんな日々も明日には終わりを迎える。その確信が鞄の中にあった。
 乃火は周囲に誰もいないことを確認するとソレを取り出す。
 ナイフだ。
 人を刺すために設計された金属の塊は中学生の手には重く、妙な現実感を与えてくれる。
 嶽石がどれほど強くても、背後から刃物で狙われれば敵うハズがない。彼の下剋上は絶対的成功を収めることだろう。勢い余って殺してしまうかもしれないが、それはそれで仕方のないことと割り切れた。
 今日刺さなかったのは、改心するための猶予を与えてやったにすぎない。温情が無視された以上、もはや躊躇する理由はなかった。
――明日だ。
 乃火は明日自分が起こす惨劇を思い浮かべると陰鬱な笑みを浮かべるのだった。

 翌日、乃火は嶽石を待ち伏せるため家を早く出た。
 彼らの通う中学は自転車通学を禁じている。だが遠方に済む嶽石は学校近くまで自転車で登校し、近くの団地にある駐輪場に隠し停めていた。
 襲撃には打ってつけの場所である。
――早すぎたかな。
 コンクリの階段の下に物置場と化した空間を見つけた乃火は、小柄な身体を詰め込み待ち構えていた。
 だが嶽石は遅刻寸前に登校することが多い。窮屈な場所に居続けては身体が固まって俊敏な動きを妨げかねない。
 一度、身体を出してから身体をほぐす。それと鞄に潜ませたナイフも確認した。
 これは彼の世界を変える鍵となるだろう。未成年でも重い刑に服すことになるかもしれない。
 それでも『これは必要な儀式なんだ』と興奮気味に繰り返し、己に正義ありと暗示する。
 だが事態は彼の妄想した通りに展開しなかった。
 真新しい自転車にまたがった嶽石が、乃火が想定したよりもずっと早く現れたのだ。
「よう、乃火じゃねーか」
 ナイフを見つめていた乃火は、声をかけれてから相手の登場に気づいた。
 こうなっては闇討ちは失敗だ。
 だが計画を見抜かれたわけではない。タイミングを計れば不意を狙うチャンスは十分にあると己に言い聞かせる。
「こんなところでどした? オマエもチャリか?」
 嶽石は自転車を駐輪場に入れると、固定式とチェーンのふたつの鍵をかける。
 スポーツタイプの自転車は乃火の目からみても高価そうだ。それと同時に、嶽石の機嫌が良いことも察せられた。
「それ、どうしたの?」
 シンプルな疑問が口から溢れた。 すると嶽石は楽しげにその理由を語った。
 仕事で好成績を収めた嶽石の父親に臨時ボーナスが出たという。そのおこぼれで新車を購入してもらったのだ。
 新しい自転車がよほど嬉しかったのだろう。嶽石は聞かれてもいない、自転車の機能を自慢気に語りつつ、学校へと足を向ける。
 機先を制された乃火は、ナイフを取り出せないまま相づちを打ちつつ、嶽石とともに登校するのだった。

 結局その日、乃火が嶽石を刺すことはなかった。
 チャンスがなかった訳ではない。
 いくとどなく無防備な背中が乃火に晒されたが、決断に踏み切れなかったのだ。
 機嫌の良い嶽石は、相づちを打つ乃火を加害することはなかった。
 それは幸運だ。だが殺す覚悟すら決めた相手と談笑を強いられるのは、イジメとはちがった形で乃火の自尊心を削り減らした。

 帰宅後、枕に顔をうずめた乃火は言い訳を始める。
 日本の医療レベルは高い。仮に嶽石を刺したところですぐに完治させてしまうだろう。
 警察も犯人が乃火であることを突きとめてしまうにちがいない。
 となれば罪人として囚われるのは彼の方だ。
――被害者のほうが罪が重いなんて絶対おかしい。
――あんなヤツ、刺したくらいで人生を台無しにしたら馬鹿みたいじゃないか。
――そもそも僕が手を下さなくたって、なにかやらかすに決まってる。
 心中でそう繰り返す。
 しかしどれほど言葉を並べようとも彼が本心から癒やされることはなかった。

 乃火の言い訳を中断させたのは、壁越しに呼ぶ母親の声だった。
――夕食かな?
 それにしてはいささか時間が早い。
 疑問に思ったが、壁越しに理由を問うても相手は聞こうともしない。無駄なやりとりを省くためにも乃火は無言で自室を出た。
 ダイニングに顔を出すと、そこには白のポシェットを斜めがけにした、青髪の少女が立っていた。
「よっす。俺、衣紋(えもん)ドラ。ドラって呼んでいいぜ」

「なんだか、なよっちー兄ちゃんだな。チンチンついてんの?」
 衣紋ドラと名乗った少女は、生意気そうな瞳で乃火ノンを見あげた。
 まだ小学生くらいで身体つきは乃火以上に細く小さい。鮮やかな青髪は見慣れないが、不思議と馴染んでみえる。
 美少女と呼んでも差し支えがない程に整った顔立ちだが、相手を小馬鹿にしたような目つきが乃火には受け入れ難かった。
「この子は?」
 ドラの隣に立つ自身の母親にたずねる。
 ドラは母親の弟の子であり乃火のイトコだという。父親が事故に遭い、急遽預かることになったとのことだった。
 いきなりイトコなどと言われても実感などわかない。そもそも青髪の美少女など非現実じみている。一緒に住むなどと言われてもどうすればいいのか。
 そこで現実的な問題が思い浮かぶ。
「預かるってどこで?」
 狭い安アパートだ。当然部屋など余っているわけがない。まさか乃火とおなじ部屋に押し込めようというのか。
 すると母親は「仕方ないでしょ」と彼の推測を肯定した。
「女の子だよ?」
 小学生だとしても高学年ともなれば、初対面の男子とおなじ部屋で暮らすのは抵抗があるだろう。援護を求めて視線を向けるが、その主張は意外な言葉で否定された。
「大丈夫、こうみえて俺、男だから」
 その発言をわずか以上の驚きをえた乃火だったが、同時に「なるほど」とも思った。
 母親は仕事に忙しく、家にいる時間が少ない。その間、男女を人目の届かない場所に同居させては、不埒な懸念がわかざるをえない。だが男同士ならばその懸念は解消される。
 しかしながら目の前のドラが男だとすると、別の疑問がもちあがる。
「なんでキミ、スカートはいてるの?」
「似合ってるだろ」
 真面目に答える気はないのだと、早々に見切りをつけた。
 発言の信憑性は低いが、行き先がないというのは本当だろう。ならばどれだけ異論を口にしたところで同居は避けられない。だとすれば相手の言葉を信じ、男同士として生活した方がいくらかマシである。
 不満はあったが、行き先のない相手を追い出せるほど非情にもなれなかった。
 だが乃火は相手に情けをかけたことをすぐに後悔する。
 部屋に踏み込んだドラは、許可もなく押し入れを開けると、そこに仕舞われた物を雑に出し始めたのだ。
「なにしてるんだよ!」
「俺、ここもらうわ」
 叱咤の声を気にもとめず、ドラは押し入れを自分の個室にすると宣言する。
 荷物が出された分、部屋は狭くなる。だがフスマで仕切られた分だけ、薄くてもプライベートは守れるだろう。そう考えれば押し入れを明け渡すのは、それほど悪い提案ではなかった。
 だがこうも好き勝手をされてはトラブルが頻発するのは目に見えている。
 それを少しでも避けようと、乃火はドラの閉めたフスマを開けた。
 押し入れでは青髪の少女が服を脱いでいた。
「ななな、なんで脱いでるんだよ!?」
「別に自分の部屋でどんな格好でいたって良いじゃねーか」
 スポーツブラとショーツのみで、なめらかな白肌の大半が露出している。それを見られたことに対する反応はなんらない。
「キミの部屋じゃない! 困ってるっていうから、一時的に間貸ししてるだけだ!」
「はいはい、わかったよ。でも勘弁してくれ。俺、暑がりだから服って苦手なんだよ」
 湿り気を帯びた肌を見せながらドラは語る。
 乃火は「でも」と反論しつつも、視線でか細い身体をなぞった。
 年のせいもあるだろうがドラの身体に男らしいところはない。かといって女であると確信ができるわけでもなかった。
 それならばと、視線がさらにさがっていく。
「そんなに気になる? 俺のオ・チ・ン・チ・ン」
「ならないよ!」
 そこを確認するよりも前に否定し、視線を逸らす。
「な~んだ、せっかくだから見せてあげようと思ったのに」
 ショーツに手をかけ楽しげに笑うドラ。
 乃火は自分を悩ますやっかいごとが大増量したと感じずにはいられなかった。

 翌日の登校は憂鬱だった。
 突如現れた自称イトコは奔放で乃火を大きく消耗させた。
 転校の手続きが済んでないということで、部屋にひとり残っているが、なにをしでかすかと気が気ではない。
 そんな不安を抱えたまま教室に入ると、厳めしい顔の嶽石に呼びかけられた。
「おい乃火。おまえ俺に言うことがあるだろ」
「なんの話?」
 嶽石が怒っているのわかるが、心当たりはない。
 頬が腫れているからそれが原因だろうが、今あったばかりの自分がそれに関わっているハズがない。
 しかし嶽石の彼の目を見る目は、犯人を見つけた刑事そのものだ。
「しらばっくれんじゃねぇ!」
 嶽石の自転車登校が学校に露見したという。
 そのせいで家に連絡が入り、運悪く居合わせた父親から厳しい制裁を受けたのだった。
「ちがうよ。僕、誰にも言ってないよ」
「嘘つけ、おまえ以外、誰も知らねーんだよ」
 確かに嶽石の駐輪に居合わせたのは乃火だけだったろう。
 だが普段から彼が自転車登校をしているのは周知の事である。昨日自慢したことで新車を手に入れたことも知られたハズだ。
 そのことを指摘する乃火だったが嶽石は納得しない。
 それならばと乃火は級友に同意を求めようとするが、誰も彼を援護しようとはしなかった。
――自分を巻き込むな。
――生贄はひとり居ればいい。
 彼に向けられる視線がそう語っていた。

 その日の乃火への虐待は酷いものとなった。
 昨日の談笑が嘘だったかのようである。
 実際嘘なのだろう。嶽石ゴウにとって乃火ノンは都合のよい玩具でしかないのだ。
 気分が良ければ可愛がるし、腹が立てば殴りもする。相手に人格があることなどまるで想定していない。
 そのことを改めて思い知った乃火は、帰り道にもう一度ナイフの使用を決意した。
――こんどは情けなんかかけてやるもんか。絶対に! 絶対にだ!!
 足早にアパートに帰ると、机に仕舞ったナイフを求めて自室を目指す。
 しかし自室のフスマの向こうには下着姿の衣紋ドラが待ち構えていた。
 勉強机の椅子にだらしなく身体を預け、白雪の宿る繊細な肌を隠そうともしない。
 だが乃火の目を引いたのは右手にあるものだった。
 それは彼が嶽石に突き立てるために購入したナイフである。
 ドラは動揺する乃火を楽しげに眺め話しかける。
「おまえ、面白いものもってんじゃん」と。

 ドラに秘密を握られた乃火は青ざめる。
 罪を犯したわけではないが、凶器を発見されたことで全てが暴露されたかのようだ。
「ちっ、ちがうよ。それは自衛のために……」
 そう言ってナイフを取り返そうと手を伸ばすが、ドラは腕をさげ、容易に奪わせはしない。
「ふ~ん、自衛ねぇ。でも役に立たなかったろ?」
 なにかを見透かしたかのような視線に乃火は息を呑む。
「ノンの身に何があったのかなぁ~? 中学生がこんなの買うなんて。
 学校でなにかあった?
 それとも塾?
 塾に行ってるようには見えないから、やっぱり学校か」
 さぐりの言葉に反応し、嶽石の所業が脳裏ににじむ。
 乃火はそれを追い出すようにクビを振ると、笑みを宿したドラの視線に気づく。
――こいつも嶽石と同じだ。
 このまま放置しては、落ち着いて家にいることもできない。そうなれば彼に安らぎの時間は訪れることはない。
 華奢なドラ相手ならば乃火でも勝算はある。しかしそれをしては、嶽石と同類に成り下がることとなる。だがこのままではなにもせずに破滅だ。
――どうすれば……
 うつむき思い詰める乃火のもとにドラが音もなく近づく。
 そして彼の耳元に吹きかけるように囁く。
「助けてやってもいいぜ」と。
 顔をあげると、すぐ近くに美少女めいた顔が迫っていた。
 慌ててさがる乃火に、ドラは白いポシェットから取り出したものを握らせる。
「おまえの願い、叶えてやるぜ。みんなみんなみんなな」
 手のひらを開け確認すると、ビー玉よりも小さな青い球体があった。
「……アメ?」
「ブルーシード。勇気がもてるおクスリさ」

――危険薬物(ドラッグ)。
 そう判断した乃火は、握らされたソレを反射的に返そうとするが、ドラは受け取ろうとはしない。
「へ~、飛びつくかと思ったけど、案外用心深いんだね。
 でもいいのか? ノンに選択の余地なんてないと思うんだけど」
「どういう意味?」
「このナイフ、刃に使われた形跡はないけどさ、柄はずいぶんと握り込まれてるよな。それってオマエが何度となく相手の殺害を妄想しながらも、一度として実行に踏み切れなかって証じゃね?」
「…………」
「まぁ、人間、殺したいほど憎い相手がいても、案外実行はできないもんだからな。おまえが特別臆病ってわけでもないさ。むしろ知恵が回る人間ほどあとの事を考えて動けなくなっちまう。
 だがコイツがあれば弱虫のノンだって勇気が持てるようになる」
 乃火の意識が手元の丸薬に惹きつけられる。とたん、それがとても甘い菓子のように思えた。
「これまでも何度となく仕返しを夢見たんだろ? それとも夢を夢のまま人生を終わらせるか?」
 嶽石を刺し、罪人扱いされる覚悟はしていた。それでもドラの口車に乗るのはイジメられっことして培われた感覚が忌避している。
「ノンっては実はマゾ?
 望んで底辺にしがみつくなんて、かなり高度な調教を受けてるね」
 ドラの言葉に「ちがう」と絞り出す。
「どうちがう? 解放のチャンスを前にして拒否るなんて……イジメられるのが気持ちよくって仕方ないんだろ?」
「ちがう!」
「どういう風にさ?」
 ドラは乃火の顔をのぞき詳細を求める。
「僕は……」
「僕は?」
「イジメられてなんかいない」
 乃火の返事を聞いたドラがポカンとする。それから一瞬遅れで笑い出した。
「なにが可笑しい!」
「いやいや、ノンは可笑しくない。
 可笑しいのは早とちりした俺の方だ。
 イジメられてないね。オマエが言うならその通りなんだろ。ホント変なこと言って悪かったな」
 言いながらポンポンと乃火の肩を叩き、彼の言い分を認めた。
 そして「だったら学校生活、楽しんでくるといいよ」と笑顔で彼を祝福するのだった。

 乃火ノンはその日、通常よりも早く自宅を出た。しかしその足取りは学校へは向かっていない。
 気づけば河原でひとり座り込んでいた。
 中学校の制服姿だ。警官にみつかれば補導されていただろう。ナイフの入った荷物を確認されていたら最悪だ。ヒステリックな母親の職場に連絡がいき、うんざりするような事態が展開するにちがいない。
 だが幸いにして警官に見つかることはなかった。
 もっとも本当に幸いならば、こんなところでたたずむことなどないのだが……。
 
 乃火は己の置かれた状況を整理する。
 学校では嶽石にイジメられ助けはない。
 自室もドラという異分子の襲来により落ち着ける環境ではなくなった。
 まるで味方のような口ぶりで話しかけるが、本当に味方であるのならドラッグなど勧めるハズがない。
 母親は頼れない。縁遠くなった父親も動揺だ。
 だからと言ってこのままでいい訳がない。
 嶽石の排除には失敗した。
 ドラが部屋にいては計画を立てるだけでも難しい。
 いっそのことナイフで自分を刺せば状況の改善につながるのではないだろうか。いかに担任が愚鈍といえど、マスコミの耳にとまれば、社会制裁が嶽石らの悪行を裁くハズだ。
 しかしなにも悪いことをしていない自分が、そんな手段に打って出なければならない理由などあるハズがない。そんなことまで選択肢に並ぶ現状に目がに涙が浮かぶ。
 目尻に浮かんだ涙に光線が指し込むと、彼の視界は赤く滲んだ。
 気づけば地平線に沈む夕陽が、赤く世界を染め上げている。
 そしていつの間に現れたのだろう。
 太陽を背おう巨体の中学生が、彼を血走った瞳で見つめていた。
「乃火、探したぞ」

「俺に許可なくさぼるなんて良い身分じゃねーか」
「嶽石くん!?」
 臓腑をえぐる衝撃に呼吸が封じられる。気づけば拳が腹部にめり込んでいた。
「おまえ、こんなとこでなにやってんだ?」
 嶽石は闘牛場に放たれた牛のごとき眼で乃火をみつめる。
 乃火ひとりが居らずとも、彼がクラスの王であることは揺るがない。当然溜められたストレスは他の生徒たちで発散した。
 されどそれだけではまるで足りないと加虐の暴君は乃火に要求する。
 凶相に臆した乃火はナイフの入ったカバンに手を伸ばすが、嶽石は苦もなくそれを踏みにじった。
「俺はな、今日一日イライラしっぱなしだったんだよ。おまえの、おまえの、おまえのせいでなぁ!」
 嶽石は乃火の身体を引き起こすと、再び拳を突き立てる。
 これまでのイジメはあくまでも悪ふざけの延長。加減のない露骨な暴力が振るわれるのは初めてのことだった。
 純然たる暴力に、乃火の精神は崩壊の淵へと追いやられる。
――怖い、嫌だ、嫌だ!!
 イジメられる日々が続くなら、死んだほうがマシだと思っていた。しかし抜き身の暴力には、そんな考えなど微塵も残らない。
 必死に謝罪を口にするが、暴力に酔いしれる暴君に訴えは届かない。
 これまでの習性か、目立つ顔に傷はつくらない。だが容赦のない拳はおぞましい寄生虫の如く痛みの卵を無数に産みつける。
「畜生、駄目だ。こんなんじゃいくらやっても収まりゃしねぇ」
 嶽石は殴る手を止めると、落ちていたナイフを拾い上げる。
「なぁ、乃火。おまえ、けっこう可愛い顔してるよな……」
 実は女じゃないかとからかわれたことは何度もあった。だがいま彼に向けられる視線には狂信じみた血の赤が差している。
 嶽石は手にしたナイフで乃火の身体をなぞると、シャツを裂き、ズボンを裂き、あまつさえ下着までもを切り裂く。
 乃火の股間には、小さく縮こまったものが鎮座していた。だが嶽石はそれを意にもとめず、己の膨れあがった豪槍を解放する。
 それを見せつけられた瞬間、魂が消し飛びそうなほどの恐怖が乃火を包みこんだ。
――誰か助けて!
 狂乱に沈んだ感情は発声すら封じる。
 尻をがっちりと掴まれ、逃げることすら封じられる。そして嶽石の豪槍は目標をその中心へと定めた。
「やめてぇぇ!!」
「ダメだぁぁ!!」
 高熱を放つ槍が、いまにも解き放たれようという時、乃火は青い丸薬をみつけた。
 『ブルーシード』という名のクスリは確かにドラに返却した。にも関わらず、切り裂かれたズボンのポケットからこぼれ落ちたのはあの時のクスリである。
 冷静な判断などなかった。
 ワラにもすがる思いで手を伸ばすと躊躇いも無く飲み込む。
 そしてその瞬間、彼の左目に映る世界は輝かしい青の光を解き放つのだった。

『青き清浄なる世界にようこそ』
 そんな声が乃火の耳にとどいた。
 されど確認している暇などない。乃火は身体をひるがえすと、我が身を狙う豪槍を回避する。
「てめぇ、乃火のクセに生意気だぞ!」
 怒り狂う嶽石は彼の動きを封じようと、豪腕でその腕を掴もうとする。
 しかし青い輝きを得た乃火の瞳に、その動きは止まってみえた。軌道から身体を逸らすと、相手の顔面に容赦のない一撃を撃ち込む。
 鼻が陥没するほどの一撃だったが、それでも嶽石は倒れるのを堪えた。
 流れる血を拭おうとすらせず、本能的に殴り返す。だがソレすらも乃火の身体には届かない。
 ふたりの体重差は二倍。筋肉量ならば三倍はあろう。単純な腕力勝負なら戦いになどなるハズがない。しかし体育教師ですら舌をまく嶽石の身体能力を持ってしても、その拳は乃火に触れることすらない。
 逆に打ち返す乃火の拳は、カウンターとなり嶽石の身体深くへと突き刺さる。無数に放たれる拳は、風に舞う枯れ葉のように嶽石の巨体を翻弄した。
「ふっ」
 乃火は己の身体に満ちる力と、それを支える精神の変化を実感していた。
 原因はブルーシードにちがいない。
 どうしてドラが、こんなにも効果のあるクスリを持っていたかはわからないが、それはどうでもいいことだった。
 やがて嶽石の巨体から、体力のすべてが奪われると、無様に地面へと崩れ落ちる。
 乃火は遊び足りないとばかりに、その腹を蹴り飛ばした。
「これで勝ったと思うなよ」
 大地に身体を沈め、なおも嶽石の狂気は沈まない。
 このまま放置すれば、面倒なことをしでかすのは間違いない。
 そこで乃火は当初の予定にもどることにした。
「どこかに埋めときゃ大丈夫だろ」
 落ちたナイフを拾い上げると、憎悪に満ちた視線を向ける嶽石の首筋を確認する。
「は~い、そこまで」
 そこで制止の声をかけたのは乃火の部屋の押し入れを占拠した居候だった。

「覚醒おめでとう。ノン」
 振り返ると、白いポシェットを斜めがけにした衣紋ドラが、やる気のない拍手を奏でていた。
 乃火はそれを一瞥しただけで、再び嶽石の腹を蹴り上げる。
「そのへんにしとけって」
「こんなやつ死んだほうがいいんだ」
 乃火の言葉にドラは「そうだな」と同意する。
「でもな、死体を消すのは面倒だし、残すとさらに面倒になるぜ」
「だから?」
「だから面倒事を避ける方法を俺が提案する」
 そう言ってポシェットの中から青いキュウリに似たものを取り出す。
「ソレは?」
「去勢剤(クスリ)だ」
 ソレを投与すれば、これまでの嶽石の暴力的な振る舞いを修正でき、なおかつ身体能力の制限もできるという。
 だが乃火の目にはドラがクスリと主張するものを嚥下させるのは難しく思えた。
「問題ない。コイツは吸収性を高めるため、腸に直接投与するタイプだ」
「超デカい座薬かよ」
「腸だけにな」
 ウシシと笑うドラからクスリを手渡されると「俺がやるのかよ」と不平を漏らす。
「俺はまだやることがあるんだよ」
 嶽石を殺した際の面倒と、この場の面倒を計りにかけ、嫌々ズボンを下ろした。
 そのまま嶽石の制服を徴収すると、ブカブカな服に袖を通す。
「やっ、やめろ乃火、ぶっとばすぞ!」
 身体に力の入らぬ嶽石に、座薬の入れやすい体勢をとらせると、慈悲なくソレを投与した。
「うるせぇ黙れ」
「あっ、あっ、あ゛――――――っ!!」

「終わったぞ」
「ごくろーさん」
 報告するをぞんざいに労うと、ドラは乃火の首に手をまわし口をつけた。そしてなにかを彼に飲み込ませる。
「なにを飲ませた?」
 ドラを引き剥がし問う。
「祝福のキッス、だろ」
 イタズラっぽくドラが告げると、乃火の世界から色が失われ、彼はその場にへたりこんだ。
 先ほどまで満ちていた万能感は欠片も残っていない。
「な、に……?」
「ち~と効き過ぎてたみたいだからな。中和した。瞬間出力があがっても、元の肉体が頑健になったわけじゃねー。無理すんな」
 肉体的限界を迎え、クスリの補助も失った乃火の意識がかすれていく。
「目的は…なん……だ?」
「この赤く穢れた世界の青浄化だよ。そのために俺は未来からやってきたんだ」
 自分に協力しろというドラの要求を乃火は最後まで聞くことはできなかった……。
Hiro

2022年04月29日 06時46分46秒 公開
■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:血まみれ(やばん)な世界を清浄に
◆作者コメント:GW企画開催おめでとうございます。
 2021年の『いまこそ』企画用に用意しておいたお話ですが、このたび日の目を浴びさせるチャンスと判断し投稿させていただきました。
 中・長編用作品の冒頭部分ですが、続きが気になるかどうかなど聞かせていただければ幸いに存じます。
 タイトルに『爽快』とつけたわりに、爽快感が弱いのは反省点です。

2022年05月22日 01時19分35秒
作者レス
2022年05月14日 23時52分04秒
+10点
Re: 2022年05月22日 01時26分56秒
2022年05月13日 20時52分01秒
+30点
Re: 2022年05月22日 01時26分09秒
2022年05月09日 23時41分03秒
+20点
Re: 2022年05月22日 01時25分18秒
2022年05月07日 19時00分25秒
+30点
Re: 2022年05月22日 01時24分03秒
2022年05月06日 02時18分44秒
+30点
Re: 2022年05月22日 01時22分52秒
合計 5人 120点

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