オモロくなりたい! |
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※犯罪の描写があります。法律についての話は、素人がネットで調べながら書いたので鵜呑みにしないでください。強い偏見によって書かれた部分もありますが、差別の意図はありません。 「えー、新興宗教にハマらないかどうかを、一回入ってみて検証してきました」 〈なんで?〉〈ハマらんって分かってても行かんわ〉〈草〉〈行動力のヤベーやつじゃん〉〈アカン〉〈もう逃げられないねぇ〉 ユーチューブのチャット欄をコメントが流れていく。携帯の画面の右下で、少女のイラストが口をぱくぱくさせながら微振動する。 「建物に着くなり署名させられて、で、このとき大喜利とかに使うフリップを渡されます」 ろ過機の低くうなる音が、うっすらとプールサイドの機械室を満たしている。そこに彼女の雑談配信を添えれば、バーチャルユーチューバーと一緒に授業をサボる体験ができる。喋っている内容はどうでもよかった。ただ音がして、それが心地よかった。 「なんでも、笑いを信仰するような宗教だそうで。私の、適正? を見る儀式をするために、大広間みたいなところに通されるんです」 実際に授業をサボるわけではく、昼食の時間ここに来ている。機械室の扉は金具がへこんでおり、女のあたしでも蹴り開けて侵入できる。授業にはできる限り参加するようにしている。いつか誰かが、サボる奴よりも皆勤賞の奴とかの方がヤバい、と言っていた。「ヤバい」が決して良い意味ではないことは知っている。それでも、あたしは彼女と違って何者にもなれないから、せめてヤバさを纏おうとして律儀に授業に出るほかなかった。とても恥ずかしいことだと思う。 「これ実質、芸人のネタ見せをやらされてるんですよ。えー、皆さんご存知の通り私、アドリブがそこまで得意ではないので」 〈開幕からハードル高すぎ〉〈よく生還したな〉〈草〉〈普通に怖い〉〈案外平和な宗教?〉〈共感性羞恥で既に痒みがきてる〉 袋から、けさスーパーの惣菜コーナーで買った「こんにゃく麺のレモンクリームパスタ」を取り出す。こんにゃくとレモンとクリームが秩序を保ったまま一堂に会する様子は不思議だった。 こんにゃく麺は、パスタに似せて黄色く染めてある。けれども中途半端に似せたためにかえって粗が目立つケースはままある。不揃いな太さの麺はかすかに透き通り、たたえた光沢がぬらぬらしておぞましい。人間に擬態していても、極端に表情が冷たいせいで不気味な仕上がりになっているエイリアンのような趣が、そこにはあった。 「やぶれかぶれに、慣れないモノマネをしたんですよ。それが、思ったよりも滅茶苦茶ウケて」 〈すごい〉〈とっても気持ちいいやつ〉〈草〉〈俺ならここでチビって帰ってた〉〈嘘つけアナタアドリブにめっぽう強いでしょ〉〈そのモノマネやって〉 イラスト状の姿をした彼女は、可動域が首と目と口しかない。派手な動きが無いから、音声を聴いてさえいれば事足りると思う。にもかかわらず、彼女がこの後モノマネをしようという場面に差し掛かればいつも、不思議と体が携帯の方に向いた。 「それがどういうモノマネだったかというと……」 「えー、夏目漱石『こころ』より、娘との結婚を申し込まれ、試すように冷静な言葉を投げかける奥さんと、自分の熱意が相手に伝わっていないように見えるあまり、焦って必死感のある、食い気味な返事をしてしまった、先生。……」 「上げてもいいが、あんまり急じゃありませ──」 「急に貰いたいのだ」 〈そのチョイス何?〉〈これ答え合わせ絶対無理で草〉〈う〜ん、微妙〉〈これわかる、若い頃の先生のキャラ可愛いんだよな〉〈元ネタが映像じゃないんよ〉〈この程度でウケるなら俺もいける〉〈元ネタ知らないけど似てる気がする〉〈既読だとめちゃめちゃ面白い〉〈スベってるよ〉〈「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」の方じゃないのか……〉〈勢いに笑っちゃった〉〈細かすぎて伝わらないモノマネ選手権が好きなのは理解できた〉 チャット欄は加速し、賛否両論入り乱れている。信じられるただ一つの笑いがなかった。楽しめた人々と楽しめなかった人々のどちらが正しいかについて、迷いが横たわっていた。称賛するコメントもどことなく緊張感を帯びている。速さと重苦しさの同居するチャット欄には感動すら覚えた。あたしはこのモノマネは好きだった。彼女のモノマネには、誰かの正しさを壊すことで心を盛んに揺さぶる、生命力のようなものが宿っていた。 「……はぁい。皆さん色々と言いたいことはあると思いますが」 「でもまあ私がこれを、即興で、やれたのは凄くないですか?」 〈それはそう〉〈それはそう〉〈えらい〉〈それはそう〉〈言い訳するな〉〈コメント欄甘々で草ァ!〉 彼女のひとことでチャット欄は落ち着きを取り戻した。この緩急に、じわりと笑いが込み上げる。どこまでが彼女の思惑通りかは分からない。 「それに今重要なのは、コメント欄はともかく、これが現場ではやたらウケたことなんですよ。ひとしきり笑った後に、審査員の人は笑いすぎて出た涙を拭いながら、奥の部屋に引っ込んでいきました」 「しばらくしたら審査員の人が、黒いスーツにサングラスの人とかと一緒にゾロゾロ出てきて。私に、『本日の主役』と書かれたタスキを手渡して言うんですよ」 「『今日から君が教祖だ』って」 〈なんで?〉〈良いのか悪いのか分からん〉〈草〉〈今すぐその宗教を解散させろ〉〈なろう系の展開〉〈え、断ったんだよね?〉 スターウォーズエピソード6じゃん、と呟く。後から〈スターウォーズエピソード6じゃん〉というコメントがチャット欄を駆け上り、画面外に消えた。それは彼女の目にも、視聴者たちの目にも留まらなかった。 スター・ウォーズは宇宙が舞台の作品群である。主人公たちが森の多い星を訪れた際、素朴な感じの先住民たちに捕らえられてしまう。しかし主人公が連れている金色のロボットだけは、先住民たちに神様だと勘違いされ崇められた。「エピソード6じゃん」とはこのシーンを指している。 口角が醜く吊りあがるのを感じる。何者かから発せられたコメントは、たんなる感想にも見えたし、彼女の知識がどれだけ深いか試そうとしているようにも見えた。いずれにせよ、コメントは彼女に届く前にあたしに届き、あたしだけがその意味を理解した。この瞬間だけは、彼女を超えた気でいられた。 いきなり銅鑼を力いっぱい叩いたような音がして首がすくむ。機械室の扉を蹴り開ける音は、蹴り開ける側からは気にならないけれども、部屋にいると反響をもろに受ける。何度やられても慣れない。 「いたいた。うわ、今アンタの顔ちょーキモいよ。トランプに描いてあるジョーカーのニヤつきぐらい」 「それトランプのメーカーに依らない? あたしのはそもそも顔が描いてなくてシルエットだけだし」 アコはあたしの聖域を、悪びれもせず侵した。あたしも拒まなかった。 「それよりアンタ、株式会社アベル工業がアンタのこと本気で探してるんだけど」 「あたしに商品の紹介動画撮れって?」 「言ってないから。クリエイター面やば」 アコが眠たげな目を細めると、ちょっとした茂みくらい濃いまつ毛が妖艶に揺れた。ぽってりとして赤い下唇に心を持っていかれそうになる。あたしは画面の一時停止ボタンに手を伸ばす。 「そうじゃなくて。このへんのタンクとかをメンテする人が、ここになぜか入り浸ってるアンタを指名手配してるって言ってんの。半年間アンタのこと誤魔化してきたけど、そろそろ私じゃ止められない」 へぇ、と気の抜けた相槌を打つのに合わせて、口から白い息が上がる。アコは、タータンチェックのマフラーに両手をくるんで温めている。 制服の上に紺のPコートを着込んだ姿はさながら優等生だった。いっぽう下半身は、無防備な腿、近ごろ復権の兆しを見せるルーズソックス、おそらく韓国ブランドの厚底スニーカー、というありさまだった。教室中を巻き込んで姦しくするアコの姿には、なんの面白味もなかった。しかし、こうしてまじまじと見れば、清楚とギャルの狭間で儚げに笑うアコがどんなに異質か分かる。 「あたしのやる事は変わらない。メンテ業者が乗り込んできてから考えようかな」 「メンテの人が困ってるのは、アンタの目的が全然分からないからだと思うわけ。いろいろ交渉すれば堂々とここを使えるかもしれないし、さっさとメンテの人に会っといたほうがいいって」 メンテナンス業者からすれば、あたしの行動が不気味すぎるという視点。アコにあって、あたしには足りない。 あたしには、自分が不気味だと思うような事をあえてやるきらいがある。でもそれは自分自身に対する興味だった。アコはきっと、人一般に興味があるのだろう。アコはあたしの場所に懲りずにやって来るけれど、そこに特別な感情はないのだと思う。 「あたしは機械室に秘匿されていて、能動的なメンテ業者に発掘されるから。ツイッターで、過去にアップロードした作品の再掲を頻繁にしてるイラストレーターと一緒にしないで」 「分からなくはないけど極端なんだよね、アンタは」 まー考えといて、とアコは手を気だるげに振りながら去っていく。 葉桜の頃、プールの機械室に潜むあたしを、アコは発掘した。あたしはあたしで、水泳の授業がない季節でも稼働し続けていたろ過機を、発掘していた。携帯を片手に、ヘアキャッチャーとかポンプとか、各部位の名称を指差し確認した。何かの気まぐれで機械室に入ってきたアコは、部位の名称をあたしに続いて復唱した。 発掘されて初めて、完成に至る気がする。バーチャルユーチューバーの彼女も、チャット欄のニッチなコメントも、ろ過機も、どこかのイラストレーターも、あたしも。 どうしてあたしだけ、扉が蹴破られるのを姫のように待ちわびるイタい奴になってしまうのだろう。どうして同じ雑談配信を繰り返し見て、そのたびにスター・ウォーズについて言及するコメントを探してしまうのだろう。本当は分かっている。スター・ウォーズが好きなあたしを、そのコメントだけが認めてくれた。自分に似たものにしがみついて一向に離れられないあたしは、絶望的にオモロくなかった。 バーチャルユーチューバーの彼女は、インターネットの中心でギラギラ輝いている。 面白い物事に、かつてないほど価値が付けられる時代だと思う。あたしは彼女の輝きが少しでも強く感じられる方角に、歩いていくしかない。 予鈴が鳴る。「こんにゃく麺のレモンクリームパスタ」の残りを啜りながら教室に戻る。正面から横並びで談笑しながら歩いてくる男子二人が、それぞれ廊下の左右に分かれてあたしを避けた。 * 森あるあるを百個言おう。 毎日同じことを繰り返し、つまらない日々を送ってしまった。足りないユーモアを渇望する姿勢がブレているように感じる。そういう不安から抜け出したくなったら、あたしはどこかの場所を訪れ、そこで起こったり感じたりしがちな事柄を百個考えつくまで帰らないようにしている。 あるあるネタは、ありふれた風景を抽象化し共感を誘うオモロだと思う。少し前にも、郊外のショッピングモールあるあるを探した。「ヨギボーの体験、ちょっとやりたいけどやらながち」と「シンプルすぎる品揃えのCDショップ『HMV』があるけど、客が居たこと無がち」の二点は印象深い。追い込まれて苦しくなった時にこそ、傑作が生まれた。 森あるあるを百個言おう。 学校がない日の朝、空は白み、あたしは原付を走らせた。バレエ教室とコンビニくらいしか見所のないメインストリートを北上すると、周りには家と田畑しかなくなった。 ツーリングに来た人向けの土産物屋を過ぎると、家すら減っていった。夥しい数の板材がトタン造りの倉庫からあぶれ、道沿いに打ち捨てられたようになっている。少し行くと、景色が森に遮られる。波うった木の枝が伸び広がり、ガードレールを飲み込んでいた。原付で三十分走っただけで、遠くに来た感じがした。 なるべく迷惑にならなさそうな場所を探して原付を停める。あるある探しはすでに始まっている。「入山する時、乗ってきた車両の置き場所わからんがち」。駐輪場があればそこに停めていたけど、こんな人も車も通らない場所に駐輪場があるはずもなかった。 ここが公道扱いなら、もし市の職員に見つかったとしても警告札を貼られるだけで撤去はされない。私有地であれば警察は介入しないし、管理者が原付を撤去するには何らかの法的な手続きを踏まなければならず、すぐには撤去されない。あたしは自分に言い聞かせた。 初めは駅の駐輪場に停め、目的地には歩いて行く予定だった。無断駐輪や放置自転車について、布団の中で下調べしているときまでは、ある程度疲れる覚悟をしていた。しかし地図アプリを見ると徒歩一時間半と書かれていて、やっぱり嫌だなあとも思った。結局あたしは、実行に移さない理由を探しているだけのような気がして、駐輪場云々を忘れることにした。 林道をさらに横にそれ、なだらかな斜面を上る。一歩踏み出すたび、落ち葉と枯れ枝がぱりぱり音を立てた。「外からだと鬱蒼と茂っているように見えても、森の中から見たとき、意外と木と木の間隔に余裕ありがち」。風通しは良かった。 木々は太すぎず細すぎず、まっすぐお上品に育っていた。青白い幹を見上げていくと、首が少し痛む辺りでようやく枝分かれしている。「冬だけど、普通に葉っぱ緑がち」。寒くなると葉が落ちるイメージがあったけれど、思えば山はいつも緑色だった。確か常緑樹と落葉樹があるのだと教わった。詳しく調べようとして、反射的に携帯を取り出す。圏外かと思いきやインターネットにしっかり接続していた。もし繋がらなければ「圏外がち」を加えられたのに。 立ち止まると、鳥のさえずりが柔らかくきこえてくる。ユーチューブにあった環境音の動画よりも控えめに鳴いているのは、きっとあたしの気配が伝わってしまっているからだろう。さっさと森を出て鳥たちを安心させたい。鳴き声の主はどこかと樹上を探すと、さえずりとはまるで縁のなさそうな、大きなカラスが一羽だけ見つかった。「鳥の気配がして、見たらカラスだった時残念がち」。カラスはコンビニの一番くじで言うとI賞程度だと、あたしは思う。 それから一時間はさまよった。「イチョウの葉、思ってたよりはるかにデカいし、目の近くに落ちてきたらそこそこ痛がち」、「山の蟻、デカがち」、「木の側とかじゃなくて、平らな場所のど真ん中にキノコが群生してるやつ、謎がち」、「自分の足音にビビりがち」、「特に、音が変な反射をして自分の足音が後ろから聞こえたときにビビりがち」、「時々ある赤い実、旨そうがち」……。 ペットボトルの水を飲む。「景色が単調で、だんだん暇になって来がち」。サハラ砂漠の観光ツアーもそんな感じに違いない。地面から飛び出た岩の角で土踏まずをほぐしながら、「土湿りがち」とか「草生えがち」とか、あるある未満のことを呟いて個数を稼ぐ。なにしろ、百個言わなければならない。 あたしは重めの枝を拾い、左腰に持ってから中段の構えを作る。「いい感じの枝、武器として装備しがち」。もはや小学生あるあるだった。そして、それを地面に勢いよく突き刺す。「森に刺さっている剣、勇者のみに抜く資格ありがち」。ついに全然あるあるじゃない行動を起こし、自分であるあるを捏造するフェーズが始まった。矢継ぎ早に、細長い枝を二本使い、倒木を叩いてボサノバのリズムを奏でる。「奏でがち」。これに関しては、何がしたいのかよくわからない。 あまりの過酷さにおかしくなってしまう。あるあるを探している最中ならしばしば起きることだった。理性に反して動く体を自分では止められず、変な夢を見ている気分になった。こうなるともう気の済むまで体を暴れさせ、正気に戻れるタイミングを測るしかない。ドラムスティックを捨て、次はどうしてやろうかなと草を抜いたり石を拾ったりする。長くなりそうだなと思った。 あたしを現実に引き戻したのは一発の銃声だった。不良が商店街のシャッターを蹴ったような音がして、散弾が、頭上の枝を掠めた。 下調べのとき、入山者と狩猟者への注意事項を読んだ。だから音が銃声だとすぐに分かって、腰が抜けてその場に倒れ伏した。斜面を下ったところに一瞬だけ、オレンジ色でおなじみ、猟友会の正装が見えた。心臓は早鐘を打つ。なのに、静かな美術館を訪れた人のようなテンションで、はあ、これがあの、猟友会の、はああ、などと口走ってしまう。怖れるままに「ストップ! 人間です!」と叫べば終わることだけど、体は不思議と、その怖れを表に出すまいとして動くみたいだった。 仰向けになり、体のどこかに風穴を開けられていないか確かめる。幸いにも無傷らしかった。白状すると、あたしが誤射されて死んだりしたらオモロいかもしれないと思っていた。ところが撃たれてみると、ただの痛ましい事故じゃん、という感想しか出てこない。 とにかく移動しようとして地面を這う。やっとの思いで立ち上がり、左手の斜面を降りようとすると、想定よりもはるかに傾斜がきつい。鹿さえ通らなさそうな、急峻な坂だった。ほとんど崖と言ってもいい。一歩踏み出したが最後、柔らかい腐葉土に足をとられて歩けないし、元の体勢にすら戻れない。せっかく立ち上がったのに、またもや四つん這いを余儀なくされる。 こうならないようにあたしはオレンジのキャップとニットを着てきたし、ポケットに鈴を忍ばせてもいた。でも撃たれた。やっぱり、デニムジャケットを羽織ってオレンジ色の面積を狭めたのがいけなかったのだろうか。地味なリュックサックを選んでしまったのも悔やまれる。もしかしたら鈴よりも、ポータブルスピーカーからご機嫌な音楽を流しっぱなしにした方がよかったのかもしれない。 ……休みの日、ハンターの多い日を選んでしまったのは、百歩譲ってこちらが悪いとしよう。しかし、ハンター以外を顧みずに引き金を引くのはいかがなものか。山はあたしのものじゃないけど、ハンターのものでもない。 それから長いこと斜面にいた。四肢のどれかを浮かせれば立ち所に体が滑り始め、転げ落ちそうになった。側頭部も地面につけて、慎重に、下を目指す。気分は、ビルの壁を登っている途中、何らかの理由で突然能力を失ったスパイダーマンだった。 明らかに立てそうなところまで降りてきて、あたしは無事で居られるのが信じられなかった。しばらく、平坦な地面にうつ伏せのまま手足をばたつかせた。ニットの中はじっとり汗ばみ、しんしんと冷えていく。 川の流れる音がする。あたしはフラワーロックみたいに音に反応して、よろよろ歩いた。それが、気の抜けた体でこなせる最大限だった。足下の落ち葉は徐々に、苔むした岩に置き換わった。歩くたび大小の石が、ざり、と鳴るようになって顔を上げると、ちょうど空を覆う木々が途絶え、光があふれた。 確かに川があった。翡翠色の水は飛沫ひとつ上げずに流れている。両岸からさざなみが幾つも跳ね返され、交差しながら広がる。往来する波紋の隙間から、揺れる川底のかたちが覗いている。 風光明媚、山紫水明、花鳥風月の三銃士を連れてきても太刀打ちできない。あまりの美しさに息を呑み、立ち尽くしてしまう。こんなにいい場所に釣り人ひとり居らず、貸切状態だった。 貸切状態? あたしは何を貸し切るつもりなのだろう。「川を全裸で泳ぎがち」。ここでようやく、森あるあるを探す目的を思い出した。 公然わいせつ罪という法律がある。「公然」とは、「不特定又は多数人が認識できる状態」を言う。つまり周囲に人がいなくても、人が通りかかる可能性があるなら罪は成立する。原付を駐輪場でない場所に停めたのと合わせて、二度目の犯罪に手を染めようとしている。 だが。何かが起こるのは、目撃者に通報され、警察が捜査し始めてからである。誰も居ないのは確かめたし、仮に居たとして、女の裸を通報する奴はどうかしている。仮に。通報されたとして。前科は無いし悪質でもないから起訴されないだろう。起訴されたとして! あって科料、罰金よりワンランク下、一万円未満のやつで終わる。ディズニーのチケットが一万円未満。美しい川を泳ぐ権利が一万円未満。何もおかしくはない。 だから、誰が何と言おうと「川を全裸で泳ぎがち」なのである。急いで服を脱いだ。冬の空気は冷たかったけれど、いきなり旅行先の露天風呂にワープしたような錯覚が面白くて、寒さどころではなかった。耐え難い水温の低さ、犯罪のこと、ハンターによる誤射、マダニやヒルや寄生虫の脅威。後ろ向きな考えが頭をよぎる。それでも、かならず翡翠の水に抱かれる喜びが勝つだろうと確信し、穏やかな川にざぶざぶ入っていく。予定だった。 あたしは「ざぶざぶ」の一度目の「ざぶ」で、これは駄目だと思った。意外にも、というか案の定、水があまりに冷たくて入れたものではない。ふくらはぎから下全体に、巨大なウニにじゃれつかれているような痛みが走る。体を縮め、岸に小走りで逃げ帰った。川から上ると、それはそれで濡れた足に風が容赦なく吹きつける。 このままでは終われない。挑み続けるだろう、あるあるがあたしを選んでくれるまで。だが水際へ向かう足取りは、もう最初のようには軽くない。迷っても仕方ないのにだいぶ躊躇ってしまう。 意を決して川に入るも、肩まで浸かる勇気は出ない。かわりに水を両手で掬い、幾度も体に浴びせると、血の巡りがよいのか割と平気だった。ただし足が全く平気じゃないのですぐに上がってしまう。浅瀬に寝そべり『犬神家の一族』みたいに水面から足だけ出す方法を思いついた。でも実行したくない。尻や背中に尖った岩が食い込んで痛そうだった。 少し前のあたしはどうして、あんなに迷いなく川に向かえたのだろう。勇気を出してやったことが今は、単に見通しが甘かっただけのように感じられる。入念に行った下調べを、自分で褒めてやりたくなる。だが、愚かなふるまいを冷笑する立場に甘んじるのは、オモロくなりきれなかった自分に対する言い訳になりはしないだろうか。 臆病なあたしは、何をするにも下調べを欠かさなかった。下調べは、重ねれば重ねるほど物事が面倒に思えてきた。やったことよりも、結局やらなかったことばかり増えた。自分と世界との接点は限りなく小さくなった。オモロいかオモロくないかで言えば、間違いなくオモロくない。自分には話の種が何もなかった。エンタメを生業とする人々のエピソードトーク全てが、奇跡のように見えた。 あたしは脱いだ服を着なおすことも、川に入っていくこともできずに、ただ裸体を寒空の下に晒した。あそこの毛を撫でる。指先はわずかながら、拭った水滴の重みを感じ取った。鳥よりも伸びやかな鳴き声がする。鹿だろうか。この声を聞いて、さっきのハンターはやってくるだろうか。誤射されて死ぬかと思ったけれど、誤射した側もスリリングな気分だったろうか。 私なら川寒中水泳あるあるだけで百個いけますよ。バーチャルユーチューバーの彼女が頭の中で囁く。川寒中水泳あるあるだけで百個に届くのは面白すぎる。 川は、ひたすらに美しかった。冷水があたしを拒んでも、その翡翠色を嫌いになんて絶対になれない。川底にある岩の、でこぼこした表面が水流に削られてつるんとするまでずっと、美しくあって欲しい。 あるあるの根元には共感がある。あるあるを探していたはずなのに、誤射されたり滑落したりして死にかけたり、その後懲りずに冬の川に入ろうとしたり、今日の出来事は共感とは程遠かった。しかし心は晴れやかだった。森の動植物、猟銃、渓流、風、光、ざわめきから静けさまで、五感いっぱい使って堪能した。森あるあるの範疇を超えたあたしだけの経験を、あたしは愛すことができる。人に好かれるより、自分自身を好きになる所から始めよう。 そう考えると、川に入るでも服を着るでもなく、裸のままどっちつかずの状態が急にしっくりきて、ここを離れるのが名残惜しくなった。寒さか空腹が耐え難いところまでこない限りは、動くつもりにならなかった。低体温症を起こすギリギリを攻めるチキンレースだった。 茂みから四つ足の何者かが飛び出してきて身構える。白くて柔らかそうな体毛に覆われ、くるりと巻かれた尻尾から愛嬌を感じさせるソイツは犬だった。SNS上で定期的にバズる生物でもある。つまりあたしより格上だった。首輪をしていないので、猟犬ではないらしい。最近は野良犬を見かけなくなってきた。これが野犬であれば、なかなか珍しい光景に立ち会えているのではないか。 名前をつけるとしたらどんなのが良いだろうと考えていると、犬は服のまとめて入った袋を咥え、走り去っていく。格上だからって何をしてもいいのか。低体温症になる前にチキンレースを止めてくれたのはやさしいと思う。しかし服がなければおそらく低体温症になるので差し引きゼロだった。 慌てて残ったリュックサックと靴を裸の上に身につけると、ニッチな性癖、もしくはエロMODを入れたバトルロイヤルゲームの序盤のような格好になった。誤射されないように持ってきた鈴は、服のポケットに入ったままだった。反省を踏まえ、eill『ここで息をして』を熱唱しながら走りだす。 夢中になって犬を追ううちに、林道に出る。だんだんと人家の気配が近くなり、アスファルトで舗装された公道が見えた。公然わいせつ罪という法律がある。以下略。原付で走っていた時も含め、ここらの道はとにかく人通りがないし、自動車も通らない。だから裸でいるのに抵抗は感じなかった。むしろ風と運動と露出と歌と、別々の切り口からくる爽快感に満たされる。 ついに犬が観念した場所は、ツーリングにきた人を相手にしている土産物店の駐車場だった。往路で見かけた店と同じだった。取り返した服を着て、自販機で温かい飲み物を三本買った。全て飲み切るまで風を避け、体の震えが治るまで安静にした。 * 学校へ行くと校門にアコがいる。瞳を左右に揺らし、誰かを探しているように見える。眠たげな目はいつも通りだったけど、今日のアコはなにやら憂いを含んでいた。らしくないシリアスな流し目が面白くて、しばし様子を観察する。 アコの尋ね人はやって来なかった。ストーカーみたいになってしまうと嫌だったので観察を切り上げ、万が一尋ね人があたしだった時に、あからさまに喜ばない準備だけして教室へ向かう。なるべくアコの方は見ないようにした。それでもやはり気になって目線を送った時、ちょうどアコと目が合った。しまった、と思った。なぜそうする必要があるのか分からないけど、平静を装う。何事もなかったかのように校門を通ろうとした。しかしあたしが歩みを早めるより先に、アコはこちらに近づいてきた。 「あー……。アンタさ、もしかしたら今日は帰った方がいいかも」 アコはなぜか、朝、目が覚めたらペットが死んでいた事を告げにきた家族のような、申し訳なさそうな顔をしている。ただならぬ雰囲気に鼓動が早くなる。すごくよく考えて、気の利いた返しが思いつかず、なんで、とだけ返事する。 「ツイッターに、アンタの写った、その、動画があって。それをキャプチャしたやつがインスタにも」 アコはとても苦しそうに喋る。八の字に下がり切った眉は愛らしかった。 「インスタの方は、学校の、人たちの間で拡散されてる……」 通学してくる生徒たちは、こちらに一瞥もくれず校舎へと吸い寄せられていく。それは彼らのうちどれくらいの人が知る事情なのだろうか。知っていても、動画とやらに映った自分と、ここにいるあたしは、彼らの中では結び付いていないかもしれない。 「教室行ったら一生動画のこと言われるから、でも、何にも解決しない、学校サボったぐらいじゃ、なんにも」 アコは目に涙をためていた。ふたりの会話は、アコの方があたしに合わせてくれて進む場合が多い。とはいえ話がすごく合うわけじゃないし、共通点もほとんど無いし、アコがあたしのために泣くのはあまり納得いかなかった。あたしはアコが好きだった。けれど、向こうからの好意が信じられなかった。人情に厚そうなギャル基準なら、他人事でも泣けるのが普通か。制服の着こなしにこだわりが伺えるし、芸術家肌で感受性豊かな一面もあるだろうか。 「じゃあ同時視聴するか。あたし初見の反応やるから、隣で見てて」 「はぁ? アンタの動画なんだから初見も何も、ああもう」 嫌がるアコに動画のリンクをしつこく問いただすと、最終的には折れてくれた。あたしはプールの機械室を思い出していた。アコと一緒に、装置の名称を調べた日を。どれだけ性格が違っても、同じ空間にいて、同じことをやった思い出が、ふたりを繋げている。だから動画もふたりで観ようと思った。 寂れた田舎の道。今すぐに拐って、真っ新な世界で……。これはeill『ここで息をして』のサビである。冷たい空気の中、歌声は遅く進み、反響した分と合わせて二重に聞こえてくる。すぐさま、袋を咥えて走る犬が画面にカットインする。続いて「君に名を付けるなら『私のヒーロー』」と結構な声量で歌い、かつリュックサックと靴の他には何も身につけていない乙女のスプリントが、強烈なインパクトとともに画面を縦断する。 完全にあたしだった。アコは口を抑え、ぼろぼろ泣いている。正直あたしは、自分が写っているからか滅茶苦茶面白かった。だけどアコがこんなだから笑うに笑えなくて、何もかも噛み合わないシュールな場が出来上がった。 そして、公然わいせつ、盗撮、児童ポルノと、犯罪の三重奏だった。どう考えても自分の不注意である。こう話が大きくなると面倒極まりなく、目をつけられた場合どう言い訳しようかと考える。しかしそういった懸念は、ツイッターの表示により消し飛ばされてしまう。 1.5万件のいいね、3,374件のリツイート、1,185件の引用リツイート。 ツイートの主は、33万人ものフォロワーを抱えるインフルエンサーだった。つまり33万人のうち1.5万しか反応しなかったと考えれば、動画はバズったとは言えない。しかし、あたしのアカウントは情報収集のために作っただけなのでフォロワーはゼロだった。これを実質あたしのツイートとして数えるならば十分にバズっていた。さらに、露骨にエロい感じのツイートは、良くて7,000いいね程度のイメージがある。性癖が不特定多数に知られるのを恐れるユーザーがいいねを押さないからだと、あたしは分析している。ということは、1.5万いいねはその二倍であり、件の動画に含まれる要素がエロだけじゃない点を加味しても快挙であった。 泣くアコを置いて教室へ向かう道すがら、あたしは携帯にかじりつき、ツイートにぶら下がっている158件もの返信をひとつひとつ見ていく。 〈一回再生しただけじゃ全てを理解できないのめっちゃすき〉〈よく見たらドエロいw〉〈どういう状況だよ〉〈おもしろすぎるやろ、現行犯逮捕されればいいのに〉〈情報量の暴力〉〈@hozonV 保存して〉〈この犬癒し系だけど野良?〉〈楽しそう〉〈ほとんどの人が裸に気を取られて、ダッシュしながらでもあの声が出る彼女の歌唱力に気づかない〉〈これに居合わせた撮影者もすごい〉〈体きれい、かなりアリ〉〈NIKEのCMか何か?〉〈普通に可愛いのに…なんで…〉 賛否両論あったけど、面白がっているユーザーが多くを占めている。時折混じる、あたしの容姿を褒めるコメントが、こんなに嬉しいとは思わなかった。「可愛すぎるアスリート」のような売られ方をする人は、容姿よりも競技での実力を見てほしい、と愚痴をこぼしがちである。そういう人たちはよほどチヤホヤされて育ったのだろうと感じる。 主旨とズレたコメントにもニヤニヤしてしまう。しかし、例外もあった。特に「ロスでは日常茶飯事だぜ!」と言いながら親指を立てる男、鼻血を吹いて倒れるマンガのキャラクター、「エビです」と話すカニに「ウニ」というテロップが付いており字幕にはTakoと表示されている様子、など画像のみのリプライは、率直にいうと毒にも薬にもならない。人の作った画像を引用するだけで、自分の言葉を語らないなんて恥ずかしくないのか。 〈この人裏の山から出てきたように見えるんですけど、基本的に山は市有地か公有地で勝手に入ったら不法侵入ですよ。入林許可を必ず取ってください〉 で、こっちは大ホラ吹きだ。過激な言葉を使ってウケようとしているアホでもある。公有林の場合、散歩するだけなら入林手続はいらない。登山道を外れてはいけないみたいな法律もなくて、あくまで守りたいマナーとして曖昧に決まっている。私有林だとしても立ち入りを禁ずる看板はなかった。犯罪の意図もないし、塀で囲まれていないため不法侵入には当たらない。 気分が悪くなったら動画のリプライを漁る。音声が本家eill『ここで息をして』に差し替えられ、動画の下の方に、アニメ『東京卍リベンジャーズ』のタイトルロゴがつけられたMADムービーが届いている。映像にタイトルロゴと音楽を合わせた、よくあるネットミームだった。皆、それを見て思い出したように「連邦に反省を促すダンス」、「バジリスクタイム」、「Coffin Dance」、「新宝島 集団ダンスに合わしてみた」などを思い思いに貼り付けている。画像と同じで引用でしかないのだが、これはまあ許そう。 時折あらわれる嫌いな返信の後味を、好きな返信で上書きする。天国と地獄の交互浴。これぞインターネットという感じだった。あとは、どんなユーザーが反応しているのか知りたくなり、いいね欄から各々のプロフィールに飛んだりした。 廊下を歩くと、なんとなく見られている気がする。道ゆく人の談笑が、あたしについて話しているように聞こえる。あたしは、手応えバッチリの時の合格発表を待つような心持ちがした。 教室の引き戸を開けると、生徒たちが一斉にこちらを向く。記者会見に来ているカメラのフラッシュのように、カーテンコールに上がる歓声のように、視線が全身に降りそそぐ。 しかしそれは一瞬で終わる。皆おしゃべりを再開したり、二限の数学の課題を進めたり、机に突っ伏したり、すぐにめいめいの日常へと帰る。まるで、白くまばゆい閃光を放って急速に燃焼を済ませるマグネシウムリボンだった。 そわそわしながら、音を立てないように椅子を引く。自分の席についてからも、周囲が気になって仕方がなかった。 少し時間を置いて、男子生徒三人組があたしを囲んだ。よう有名人、などと囃し立ててくる。彼らは人を雑にイジって、イジる自分が面白いんだと勘違いしている。あたしは気にしなかった。自分の背後には1.5万ものいいねがあった。 「へへ、動画見たわ。有名人になった気分はどうよ」 「まあまあ。一発屋にならないように頑張るね」 嬲るような表情が急にぎこちなくなる。おー、と適当に相槌を返される。自分から絡んでおいてオチをつけられない可哀想な人たちだった。 「何。それだけ?」 「えぇ……じゃあ今後の展望とかある?」 「うーん、アニメのタイトルからアナグラムを作ったメモ書きがいっぱいあって。何かに使えないかなあと思ってるところ」 あたしが携帯のメモを見せると、彼らは目をしばたたかせた。しばたたかせるのみで、眼球が左右に動く様子はない。まるで手応えがない。あたしの双肩には1.5万ものいいね。 あたしは『鋼の錬金術師』を並びかえて「レンきゅんが初音の指示」が作れる感動を力説する。アナグラムは、ちゃんとストーリーがあって、しかも並びかえる前の単語とほんのり関係あるものほど良い。メモにはこれのストックがあと二百個はある。アナグラムクイズをじっくりやりたければ、四人でカフェとかに集まってやろう。オール巨人師匠ぐらいの早口で「お好きなお席へどうぞ」と言う店員がいるエスニックカフェを知ってる。アナグラムが切れたら、フィクションに出てくる架空のSNSの名前をみんなで集めよう。例えば昔あったドラマ『BOSS』と『SPEC』にはどっちも「ツブヤイター」があるんだって。 ひたすら一人で喋りまくった。今ある手札を惜しまず切った。息が苦しくなった。M-1グランプリ2021年決勝、錦鯉・長谷川雅紀の如く、のりのりになって口を動かした。しかし彼らの表情は戻らない。ツッコミ担当の渡辺隆が不在だからだ。1.5万いいね。 ひさびさにパブリックな場所で昼食をとろうとして、食堂をうろついた。派手好きな女子二人が、あたしとの写真撮影を頼んできたので快く応じた。 「ねーこれインスタにあげていー?」 「どうぞうどうぞ、大いにやって」 「ヤバ! いいんだ! ウケる」 前屈みになりながら手を打ち、けらけら笑っている。ここだけ切り取れば、みずみずしい青春の一コマだった。 「ねー? 1万は堅いねー?」 「いや、1.5万ね」 「誤差ー! 鬼細かいんですケド!」 「三人で脱げば三倍、4.5万行くかもよ」 「はー? そんなに脱ぎたきゃフェミニズム団体のデモにでも行けばー?」 人目を憚らず甲高く笑うと、二人はあっさり食堂から出て行ってしまう。思わぬ相手から、エッジの効いた先手を打たれ呆気にとられた。ゆらゆらしながら歩く二人の背中を見送った。深呼吸して、チキンステーキでも頼もうと思い待機列に並ぼうとすると、食堂全体というか、景色がゆらゆらしていた。 光を、終わらせたくない。 バーチャルユーチューバーの彼女は今も、インターネットの中心でギラギラ輝いている。彼女はバズりの薪が燃え尽きるより早く、新たな薪を取ってきて焚べるのだ。あたしの光は、とうに消えている。それでも、燃えかすの中に、弱々しい輝きを探さずにはいられなかった。 あたりが暗くなってきた。あたしは、もうすぐ死ぬんじゃないかという気がしてきた。生存本能は、たっぷりの光、いいね、リツイートを求めた。そうだ。京都五山送り火のように、窓を割って、矢印のウロボロスみたいなリツイートの記号を校舎に描こう。何もかも燃え尽きて真っ暗に、空っぽになってしまう前に、二階の空き教室に辿り着かなければならなかった。何度も生徒にぶつかりそうになる。 結局オモロって何だったんだろうか。ツイッター上を漂流するあたしの動画は、あっというまにタイムラインの遥か下、画面外に流されていった。誰の目にも止まらずに画面外に消える、ユーチューブのチャット欄のコメントと同じだった。ツイートを探そうにも、添えられていた文面を忘れて検索しようがない。未成年の裸体が写っているので、もう削除されているかもしれない。 1.5万いいね。あたしのつぶやきは、カーテンが締め切られて薄暗い教室に、虚しく吸い込まれる。突如目の前に現れたはずの1.5万人は、机の中にも、ロッカーの中にも、椅子の下にも、カーテンの向こうにも、どこにもいない。 力任せに、椅子の足を窓ガラスに突き立てる。硬質な音を立て、ガラスは砕け散る。外気が勢いよく教室に流れてきて、薄黄色いカーテンがはためく。白くて弱々しい日光が射しこんでくる。光はガラス片を通ってキラキラした。たちまち破片は鈍い灰色になって、落ちていった。 破片の落ちた先を見下ろすと、アコがいた。顔を庇うように交差させた両腕から、血があかあかと滴っていた。 「普通に犯罪だしっ」 アコは叫ぶ。 「窓ガラスなんて80年代のヤンキーが割り尽くしてるから!」 言われてみれば、そんな鮮度の落ち切ったネタがバズる訳なかった。 |
ディスイズ春菊 2021年12月31日 23時22分29秒 公開 ■この作品の著作権は ディスイズ春菊 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re:Re: | 2022年01月16日 10時46分16秒 | |||
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