死に急ぐ僕を横暴な魔族娘が許してくれない |
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「……一体何だそれは。自殺行為か?」 僕の戦いを一通り見た彼女は、いっそ呆れた様な顔で言った。 「良く言われるよ」 口内に溜まった血をぺっと吐いてから、視線を返す。 「ふん……お前が勝手に死ぬのは構わないが、余計な真似をして私の邪魔をするなよ?」 そう言い残すと座っていた岩から飛び降り、そのまま何事も無かったかの如き足取りで歩き出す。隣に鎮座していた、白い毛並みの狼が颯爽とそれに付き従った。 「合格って事で良いんだよな?」 容赦無く去って行く娘の背中に言葉を投げる。 「のろまは要らないぞ?」 振り向きもせず、吐き捨てる様なその言葉には流石に少し腹も立ったが―― 「ま、慣れ合う事も無いか。行こう、チョロ」 足元の相棒に声を掛け、遠ざかる小さな背中を追う。 僕に声を掛けられた火蜥蜴は、返事変わりにボッとちいさな炎を吐いて付き従った。 1 僕が魔族娘と組んだ理由 毒竜という魔物がいる。 その名の示す通り、毒を持った竜。 牙に猛毒を持ち、爪に猛毒を持ち、更には猛毒のブレスまで吐く。 火竜や水竜といった純然たる竜では無い亜竜とは言え、只でさえ強力な竜種が猛毒まで使ってくるのだから、それはもう始末に負えない。余程の理由でも無い限り、そんな厄介な魔物を相手にしようなんて者は居ないだろう。 そう。余程の理由でもない限り。 なので、毒竜の噂を集めながら幾つもの街を点々とした挙句、ついに場末の冒険者ギルドで『毒竜討伐』の依頼を見つけた僕は―― 「それは私の獲物だ」 まさか横槍を入れられるとは思ってもいなかった。 冒険者ギルドの壁に張り出されている、数々の依頼。 その中から遂に目当ての物を見つけ、羊皮紙をまさに手に取らんとした矢先、横から引っ手繰る様に奪われた。明らかに礼儀に反した行為だ。 ……まあ、それも仕方無い話かもしれない。 その娘は、そもそも人間では無かったのだから。 青い髪に青い瞳。肉付きの薄い身体は病的なまでに白く、また細い。 年の頃は、人間で言えば十三~四歳くらいだろうか。その短い髪と相まって、少年の様にも見える、いかにも勝気そうな少女。 「魔族の子供が何故人間の街に居るんだ?」 大人げないと思いつつも、つい相手に合せて不躾な態度で返してしまう。 「人間(おまえたち)との戦が終わってから何年経ったと思っている? 今更私達の何が珍しいのだ。田舎者なのか?」 娘は小生意気な表情で僕を下から睨みつけてくる。その小さな身体から滲み出る強者のオーラは流石に魔族。小娘と言えども決して侮れない雰囲気を、彼女は纏っていた。 しかし、僕もその依頼を譲る訳にはいかない。 「田舎者は否定しないけどね。そいつは僕が先に手を付けたものだ。返してくれ」 羊皮紙を引っ手繰り返そうと手を伸ばす。しかし娘は野獣の如き俊敏さでヒラリと躱し、 「それはできない。これは私がずっと探し続けていた獲物だ。それに見た所、お前が毒竜に勝てるとも思えん。あたら無理して死ぬ事もあるまい、諦めよ」 そう、澄ました顔のまま娘は言い放つ。 「人を馬鹿にするのは勝手だけど、僕はこれでも銀章持ちだ。そしてそいつは無理しても死んでも倒すと決めている。いいから返せよ」 中級冒険者の証である銀の記章を見せ、返す刀で今度は本気で引っ手繰る。よし取れた。 「あっ!? こら! 銀章なら私だって持っている! 魔族なら子供でも取れる様な資格如きで威張るな!」 再び取り返される。 「ああもう、とにかくそれを返せ。僕はお前と遊んでる暇なんて無いんだよ」 なんて不毛な争いをしながら依頼書を奪い合う僕達の背後から―― 「あのー。その依頼、そもそもお一人では受ける事できませんよ?」 「えっ!?」 「なに!?」 ギルド職員のお姉さんに声を掛けられ、改めて依頼の書かれた羊皮紙を読み込む。 「本当だ。条件に『銀章以上 単身不可』って書いてある」 「なんと……ではこの者を屠っても、私一人では受ける事すら叶わぬというのか?」 こいつ僕の事殺してでも奪うつもりだったのかよ。悪どいさすが魔族悪どい。 ……とは言え、条件は僕も同じ。こいつから依頼を奪い取ったとしても、結局僕だけじゃあ受ける事ができない。 「ううむ……」 「ぐぬぬ……」 何となく互いに睨み合いながら、思案に暮れる。 「ええと……おふたりで一緒に、という訳にはいかないのでしょうか?」 おそらくはこの厄介な依頼をとっとと消化したいのだろう。職員のお姉さんは僕達を交互に見つめてそう提案してきた。 暫く睨み合った結果、僕達は渋々臨時のパーティを組んで依頼を受ける事とした。 改めて受付に紙を持って行き、手続きをする。 「僕はアルク。アルク・フォン・リンツ。階級は銀で職業は魔獣使いです」 「私はクロケル。氏はまだ無い。階級は銀で、私も魔獣使い……って、お前今魔獣使いって言ったのか!? 人間なのに?」 クロケルと名乗った娘は、大げさな程に目を丸くして僕を見上げた。 「ああ」 「『ああ』では無い! どうしてお前の如き人間が魔獣を使役できる? 嘘なのか? 見栄張っているのか?」 「見栄なんか張ってないよ。ちゃんと冒険者証にも書いてあるだろ」 「なんと……この魔族にのみ許された高貴な職業を人間ごときが……世も末なのか?」 いちいち失礼なガキだが、まあ彼女の言い分も判らない訳では無い。余程特殊な条件が揃わない限り、人間が魔獣を使役する事なんて出来ないのだから。実際、僕以外の魔獣使いになんて会った事も無い。 「……はい。確かに受理致しました。では御二方、よろしくお願いしますね」 職員のお姉さんは、『うるさいからとっとと出て行け』書いてある様な顔で僕達を見て、お帰りはあちらですと云わんばかりに扉を指す。 その妙な迫力に負ける様に、僕達はギルドを後にした。 ● 「全く以て不本意だが、こうなったからには仕方無い。取りあえず、お前の使役している魔獣を見せてもらおうか」 街を出てすぐに、クロケルは僕を値踏みする瞳で見て、そう言った。 「そうだな。不本意ながらもパーティを組む以上、互いの戦力くらいは知っておかないとな」 「全く。本来ならそこらの森で屠ってから一人で行くべきなのだろうが、魔獣使いとは聞き捨てならない。事と次第によっては、あるいは……」 「お前本当に悪どいな! 僕の相棒はあっちの岩場に居てもらってるから、付いて来て」 さらっと僕を亡き者にしようと画策していた魔族に冷めたい汗を流しつつ、瓦礫が転がるばかりの岩場に向かう。そう、街に魔獣を入れる事はご法度なんだ。 しばらく歩いて大きな岩に近づいて、口笛を鳴らす。 すると、程無くして大岩の影から大きな蜥蜴がぬっと現れた。 全長は大体1mくらい。身体は鮮やかなオレンジ色の鱗に覆われ、その瞳はルビーの様に紅く輝いている。 蜥蜴は僕の姿を見ると素早く歩み寄り、足元にちょこんと佇んだ。 「ええっ!? な、まさか……これがお前の使役獣……だと?」」 「ああ。僕の相棒、火蜥蜴のチョロだ」 しゃがんで頭を撫でると、チョロは嬉しそうに目を細めてボッとちいさく火を吐く。 「お前、一体どうして……これは、魔族でも簡単に使役できるものではないぞ……」 きっと想像以上のものが出て来たのだろう。彼女は再び目をまんまるにしてチョロと僕を交互に見やる。 「まあ色々あってね。それより僕の相棒を見せたんだ。そっちの魔獣も見せてくれよ」 「う、うむ……良いだろう。おいで、ジルベ」 クロケルは特に大声を上げるでも無く、その辺に話しかける様な声で呼ぶ。 刹那――背後から急に気配を感じ、慌てて振り向くとそこには巨大な白狼が僕をじっと見つめているではないか。 「い、いつの間に……」 気付かぬ内に背後を取られた。 それはつまり、この狼は僕を簡単に殺す事が出来たという事。 「この子が私のジルベ。氷狼だ」 まるでイタズラが成功した子供の様に悪辣な笑みを浮かべるクロケルと、凍てつく息を吐きながら彼女の足元に歩み寄る氷狼。 「この程度の気配も察知できぬとは、やはり思った通り大した腕では無さそうだ。予想以上の魔獣を使役しているからあるいはとも思ったが、これでは腕を見るまでも無いな。うむ、見逃してやるから帰っていいぞ」 そして馬鹿にし切った瞳で容赦無く罵ってくる。 「……油断した事は認めるけど、僕だってチョロの力だけでここまで来た訳じゃ無い。腕が見たいって言うなら見せてやるよ」 踵を返して岩場を抜け、その更に奥地にある森を目指す。ここいらはちょっと人里を離れればすぐに魔物の縄張り。腕を見せる相手ならいくらでも居るだろう。 ……最初から判っていた事だけれど。 あんな成りでも、クロケルは僕なんかよりはずっと強い。 元々が魔族なんて人間の上位種みたいな連中だ。体力も魔力も我々より遥かに強く、更には魔獣を操る事まで出来るという、存在自体が反則みたいな種族だ。 ただ、その魔族も絶対数が少ないお蔭でかつての戦争も痛み分けで済み、エルフやドワーフ達の仲介もあって矛を納める事ができたのだ。今は互いに様子見をしながら、どうにか共存の道を模索している最中の、厄介な隣人。 そんな魔族のクロケルが人間の僕を見下すのは、むしろ当然の事だろう。僕を刺してでも依頼を奪おうとか、あれ絶対本音に違いない。 でも。 僕だって、この依頼は絶対に諦められない。僕のこの命に代えても、毒竜を倒さなければいけないんだ。 でないと―― 「ふむ。ではあれを倒してもらおうか。お前と組むかどうかはそれで判断させてもらう」 物思いに耽っていたその時、突然クロケルが前方を指差して言った。見れば、少し離れた所に二体のオーク。 「ふん。じゃあそこで見ててくれ」 「言っておくが手は貸さないからな。無論、あの程度に手こずる様では話にならぬし、なんならここで死んでくれても構わないが。まあお手並み拝見といこうか」 言いたいだけ言ってクロケルはぴょんと跳ぶと、手近な岩の上に乗ってすっかり見物気分。色々と気にくわないけれど、取りあえず今はあいつ等を仕留めるのが先決。 「ふう。じゃあ、行くぞ相棒――うらぁっ!」 剣を抜いて、おもむろに駆け寄る。僕の発した声に気付いたオーク共は、手にした棍棒を構えて迎え撃とうと構えた。 「チョロ!」 僕の号令に、自分の役割をちゃんと分っている相棒は大口を開くと、オークに向かって巨大な火焔を吐く。それは一瞬の事だけど、それでも全身を焼かれたオーク達は突然の炎熱に思わず顔を押さえる。 そうやって出来た相手の隙に、僕はそのまま懐に飛び込んで腰だめに構えた剣を腹に突き刺した。 「ぶぎぃっ!?」 刺されたオークは濁った悲鳴を上げて棍棒を振り下ろす。至近距離故にそれを避け切る事は出来ないけれど、間合いが近すぎる為に大したダメージは負わない。この距離の棍棒なんて、素手で打たれるのと大差無い事を僕は知っている。 それでも頭を殴りつけられたのは流石に効いたので、一瞬飛びそうになった意識を無理矢理繋ぎ止めてオークを蹴飛ばし刺さった剣を抜き、返す刀で首元に一撃。これで一匹目のオークは仕留める事ができた。 剣を構え直し、二匹目のオークに向かい合う。流石にもう奇襲は通用しない。仲間を殺されたオークは、生意気にも殺気走った目付きで僕を睨みつつ、ぐるると低い唸り声を上げて棍棒を大きく振りかざす。うん、だから駄目だよ、僕みたいな小さい相手にそんな大振りで掛かって来たら。 棍棒が振り下ろされるよりも速く、またしても内懐に入り込みつつ下から剣を掬い上げる。太腿あたりからお腹までを斬り付けられたオークは、しかし一匹目よりは戦い慣れていたらしい。なんと棍棒を潔く捨てると、素手で殴り掛かって来た。退けない僕も剣を捨て、腰のダガーを抜いて手当たり次第に腹を刺す。互いに零距離で殴ったり刺したりしている内に、背後に回り込んだチョロが頭を齧り取り、ようやくオークが崩れ堕ちた。 「ふう……一丁上がり」 息を整え、見下ろしているクロケルに視線を向ける。 彼女は「はあぁ~」と大きな溜息を吐くと、なんだかげんなりとした声で言った。 「……一体何だそれは。自殺行為か?」 2 僕が毒竜を狙う理由 「見ていたか? 劣等種。これが真っ当な戦いというものだ」 僕に「見本を見せてやる」とか言って、クロケルはあの後現れたコボルドの群れを襲撃した。 結果、十体程居たコボルドは半数がジルベに凍らされて氷像となり、残りの半数は彼女になます斬りにされた。その体格から推測した通り、彼女はスピードを生かして戦うスタイル。まあ、いくら魔族と言えどもまだ子供であるからして、当然と言えば当然だ。 しかしそれでも彼女はコボルドを、すれ違いざまにまるでバターみたいにサクサクと斬り付け、バラバラにする。きっと剣も業物なのだろうし、僕よりは力もあるのだろう。 「うん、見事なもんだ」 思わず感心してそう言うと、しかしクロケルはギロリとなんだかこわい目付きになって俺を睨み上げる。 「何を他人事の様に言っている。私の戦いを参考にせよと言っているのだ」 「参考て……そもそも僕とお前とじゃあ戦術も戦法も全然違うだろ」 「私が言いたいのはそんな小手先の話では無い。もっと根本的な所が駄目なのだお前は」 「じゃあ何なんだよ」 「ここまで言っても理解し得ぬとは、やはり所詮は劣等種か……もう良い、行くぞ。まったくお前のせいで余計な汗を掻いてしまったではないか」 例によって散々僕を罵った挙句、クロケルは何も無かったかの如き気軽さでジルベと共に僕等を置いて歩み去る。 「なんだありゃ?」 思わずチョロに語り掛けるも、相棒は赤い瞳で僕を見つめ返すだけだった。 ● そんなこんなで歩く事、暫く。 ギルドから貰った地図を手に歩くクロケルに付いて獣道めいた林道を進んでいると、不意に小さな泉が目に入った。 森の奥から湧き出している綺麗な水が湛えられたそれは木漏れ日にキラキラと、魔物の跋扈する森の中に尚美しく輝いている。 「む。よし、ここで小休止だ」 その泉を見たクロケルは、言うや身に纏っている衣服を次々と脱ぎ去り、あっという間に全裸となった。 「お、おい! お前一体何やってるんだ!?」 「何って、水浴びに決まっているだろう? お前達人間は汗を掻いても水浴びしないのか? この不潔者め、臭いから近づくなよ?」 「臭くないよ!? いや人間だって水浴びくらいはするよ! じゃなくって、年頃の女の子がそんな簡単に肌を晒すなよ!」 僕の言葉に、しかしクロケルは一瞬きょとんとした顔になった後、鼻で笑う。 「お前、まさかこの私と対等の存在であるとでも思っているのか?」 「は? 何だよそれ?」 「まったく、これだから劣等種は。そうだな……例えばお前は、その子に裸を見られて恥ずかしいと感じるのか?」 真っ裸で堂々と僕に向き合うクロケルは、チョロ助を指さしてそう言った。 「そりゃあ、別にこいつに見られても特には……って、お前そういう事!?」 「うむ。我々魔族は己の認めた者しか対等に扱わぬ。それ以下の者などに身体を見られたとて、一体何を恥じようものか」 薄い胸を偉そうに反らして、きっぱりとそう言い放つ。くそ、生えてもいないくせに。 「だからお前も遠慮無く水浴びせよ。むしろ汚いままで付いて来る事は許さん。使えぬまでも、せめて清潔を保っていろよ?」 きわめてナチュラルに僕を罵ると、彼女は一切の躊躇無く飛び込んだ。 「ああ、つめたくて気持ち良いな。ほらジルベも来い。洗ってやろう」 彼女の呼び掛けに応じて、氷狼が泉に飛び込む。それに抱きついてわしゃわしゃと毛を洗うクロケル。ジルベも気持ち良さそうに目を細めて、主に甘えている。確かに彼女達はしっかりとした絆を結んでいるのだろう。 「ああそうかよ!」 僕もヤケクソ気味に服を脱ぎ散らかす。いいよ、そこまで言うんだったら遠慮無く入ってやる。そして裸も徹底的に見まくってやる。十代の漲る劣情を舐めるなよ小娘、お前なんかのちっぱいでも、僕に取っては大御馳走なんだからな! 勇んで泉に向かう僕に、チョロはまるで溜息の様にちいさな火を吐いていた。うん、お前は水に入っちゃだめだからね。 「おい」 ジルベと戯れる裸体を遠慮無くガン見していたら、クロケルに声を掛けられる。 「なんだよ?」 今更「見るな」って言っても遅いぞ。 そう心に強く思いつつ視線を彼女の顔に移すと、クロケルは本当に見られている事を一切気にせず、改めて僕の目を見詰めて言った。 「今更聞くが、お前はどうして毒竜を狙うのだ? あれはそう簡単に倒せる相手では無いぞ?」 「狙う理由か? 僕は、毒竜の角が欲しいんだよ」 「角? ああ、なるほど。お前、毒竜の毒に犯されてるのか? 死ぬのか?」 「死なないよ! ……死にそうなのは、僕の兄さんだ」 「兄? お前の、兄弟?」 僕の返答の、いったい何が不思議なんだろうか。彼女はきょとんとした顔になって続ける。 「では、その兄の為に、お前が毒竜の角を取りに行くというのか?」 「ああ。僕はこれでも貴族なんだ。まあ、田舎貴族だけど一応、領地もある。その領地に現れた毒竜と兄さんが戦い、毒を浴びてしまったんだ。取り逃がしてしまった為、角も手に入らず兄さんは苦しみ続けている。薬師からも『このままでは持ってあと半月』と言われてしまった」 「一体どうして兄を助ける?」 「どうしてって、そりゃあ助けるだろ。大事な身内なんだから!」 さすがにムッとした僕は、彼女を睨む。 ところが、彼女は感心した様な、それでいてバカにした様な、複雑な表情で答えた。 「なるほど、人間とはそういうものなのか……魔族とは根本的に違うのだな」 「どう違うんだ?」 「どうもこうも無い。察するに、お前の兄が死ねば家督を継ぐのはお前であろう? 我々ならそんな相手を助ける事など絶対に無い。そもそも私達に取って兄弟など、家督を争う相手でしかないのだからな」 「そうなの!?」 「そうだ。私が毒竜を狙う理由も、他の兄弟達よりも力を示して氏を継ぐ為。まだ兄弟に毒竜程の魔物を倒した者はいないから、きっとこれで勝てる筈だ」 「…………魔族って、壮絶なんだな」 人族とはあまりにもかけ離れた、魔族の生き方に戦慄を覚えつつ。 彼女に、僕が一瞬でも抱いてしまった、 『兄さんが死ねば 兄さんが居なければ』 という醜い想いをまるで見透かされた様にも思えて、言い様の無い不快感と自己嫌悪感を覚えてしまう。 もちろんクロケルはそんな事など知る筈も無いので、「人間とは不思議なものだ」なんて、呑気に呟いていた。 3 僕が冒険者をしている理由 生前の僕は、実に何の変哲も無い普通の高校生だった。 運動も、成績も、ルックスも、見事な程に平々凡々。背格好だけが平均より小さくて、性格も引っ込み思案な為に誰の印象にも残りづらい。きっと卒業後、アルバムの写真を見て「こんなの居たっけ?」って思われてしまう様な、極めて無個性な存在。 そんな僕はある日、横断歩道を渡っていた時にトラックに撥ねられて死んだ。もしかしたら運転手も僕が地味過ぎて気付かなかったのかも知れない。 で、気が付いたらこの世界で赤ん坊だった。 そう、僕は異世界転生者。それも散々に使い古された、今時誰も読んでくれない程にテンプレな、それはもう陳腐なチープな異世界転生物語。 産まれた家は、貴族と言っても最下級の騎士階級。それも王都から遠く離れた辺境の、地図に載っているのかも怪しい片田舎の守護騎士だった。 一応、貴族であるからには領地が有って領民も居るものの、その規模は哀しい程に小さく、実質は田舎村の村長みたいなもの。そんな家の次男である僕には、継ぐべき家督も無ければ分け与えられる禄も無い。せいぜいが次期当主である兄の元で、細々と働かせて貰うのが関の山という所だろう。 うん。極めて残念な事に、僕は転生する際女神様にも会ってなければチートな能力も貰っていない。生前と全く同じ、とても平凡な能力と貧相な肉体しか与えられなかったのだ。 そして思い知らされた。 よくある『異世界知識チート』なんてものは、実際にはほとんど無理だという事を。 大体、ちょっと考えてみれば判るだろう。例えば現代農業を伝えようとしても、都会で育った僕には農業の経験なんか一切無い。インフラを整えようにも、それを行う術も資金も無い。もちろん財政や税制、政務なんかの改革を行う能力も無い。 この様に、単なる高校生が学校で習っただけの薄っぺらい知識が、このエセ中世みたいな世界で役立つ事など殆ど無かった。もしもチートなスキルとか絶大な魔力とかを与えられていれば話も別なのだろうけれど、この異世界でも僕は哀しいくらいに凡庸だ。事実、両親にも領民達にも『万一の時の為の、次期当主のスペア』くらいにしか扱われていなかった。 対して、こんな僕と違って兄さんはとても優秀だ。 文武に優れ、情にも篤く、誠実な人柄は領民にとても愛されている、まさに完璧超人な好人物。きっと家督を継いだら素晴らしい領主になるだろう。 そして、こんな僕にも優しく接してくれる大切な家族。いつしかこの世を恨み、ひねくれて育った僕を見捨てる事無く、真摯に接してくれた数少ない身内。僕には不相応な程の、自慢の兄。 ――そんな兄さんが毒竜にやられたと知ったのは、僕が故郷を出奔してから数年経った頃だった。 突然領地に現れた毒竜を討伐する為、自ら私兵を率いて戦いに臨んだ彼は、領地より追い出す事には成功したものの毒竜のブレスを浴びてしまった。どうやら逃げ遅れた兵達を庇っての事らしい。 全身を蝕み、衰弱した挙句命を奪うというその毒を消す薬となるのは、毒竜の角のみと云われている。 それを手に入れる為、僕は領地から逃げ去った毒竜の噂を追い求め、ここに至ったのだ。 互いに肌を晒すというのは、心を近付ける効果があるのだろうか? 気が付けば、僕は彼女に毒竜を狙う理由と、自分の身の上まで話していた……もちろん、異世界転生の事は言っても信じないだろうから端折ったけれど。 「だから、身の程知らずにも毒竜に挑むというのか。ははっ、人間とは、かくも愚かなものか」 焚火を挟んで干し肉を齧りながら、クロケルは鼻で笑う。 結局あのまま夕刻まで水浴びを続け、「今日はここで野営とする」とか言い出した彼女に引きずられるまま、僕達は火を焚いて夜を迎えていた。 「……お前達の思考からすれば、きっと笑い話なんだろうけどさ」 僕も干し肉に手を伸ばしつつ、溜息を吐いて手慰みに隣の相棒を撫でる。チョロは焚火に頭を突っ込んで炎を食べていた。 「これが笑わずにいられるか。しかもだ、放逐したも同然の者に、今になって『兄を助けよ』とは、お前の親はどれだけ恥知らずなのだ? 人間の家長とは、その程度で務まるものなのか?」 「僕に兄さんの事を伝えてきたのは親じゃない。幼馴染のエーリカだ」 あの村で数少ない、心を許せる人物。 小さい頃から家族の如く一緒に育ってきた、僕と同い年の幼馴染で、僕がずっと恋焦がれていた相手で……兄さんの婚約者。 そのエーリカが、家を出て冒険者となっていた僕を見つけ出し、伝えてきたんだ。 あの時脳裏に浮かんだ、 『もしも兄さんが死んだら、次期当主の座もエーリカも僕のものになる』 そんな唾棄すべき醜い思考が、僕の心の奥底には確かに在る。実際、このまま毒竜を倒す事ができなければ、かなりの確率でそういう未来が待っているだろう。 でも。そんなのは、僕のなけなしのプライドが許さない。 僕の、せめて人たらんとする想いが許せない。 もっと言えば、僕とチョロが出奔せずに領地に居たら、兄さんと共に戦って毒竜を討ち取る事ができていたのかも知れない。 ああ、そうだよ。出来損ないの異世界転生人である僕は、とにかく何の役にも立っていないんだ。 そんな僕に取って兄さんは、この転生後の世界で僕を一番可愛がってくれた大切な家族。そしてエーリカも、心底兄さんを好いている。そして何より、あのふたりは領民達にとても愛されている。 この異世界でも無能で無価値な僕は、せめて自分の好きな人達の為に―― 「おい」 突然、クロケルに強く呼びかけられた。見れば、彼女は何故か僕を睨んでいる。 「な、なんだよ」 「……いや、何でも無い。つまらぬ話を聞かされて、お前のつまらぬ顔を見せられたから少し不快になっただけだ」 隣でなんかの肉に食らい付いているジルベにモフっと身体を預けつつ、クロケルは僕に視線を送り続ける。 「そもそもお前、人間にしても甘過ぎやしないか?」 何故か少し怒った様な表情で、僕を睨みながら。 「そうかな?」 「うむ。他人の為に自らの命を掛けるなど、私には正気の沙汰とは思えぬ。いかに魔族と考え方が違うとて、しかしお前の様な人間を私は見た事も無い。わたしから見れば、お前はまるで夢の世界の住人の様だ」 クロケルの指摘は、ある意味正解だ。 確かに、きっと僕の思考はこの世界のものとは少し違う。当たり前だ、僕はこことは違う価値観の世界で十数年を過ごして来たのだから。 そこは生きる為に剣を持つ必要も無く、戦に巻き込まれる事も飢えに苦しむ事も魔物に怯える事も無い、この世界から見れば確かに夢の様な、甘ちゃんの世界。 なので、その世界の住人だった僕は考えてしまう。 こんな僕の命なんかどうでも良いから、自分の好きな人を守りたい、と。 きっとそこには一瞬でも兄さんの死を願ってしまった自分に対する怒りや、恥じる気持ち。そして彼の役に立たなかったという後悔の念も多分に作用しているのだろうけれど、それを差し引いても僕はあのふたりの為に命を掛けたい。 ――それに、そもそも僕は絶望し切っているんだ。自分にも、この世界にも。 「ふあぁ……まあ、私には関係の無い事だな。もう寝るから見張りを頼むぞ。どうしてもと言うのなら途中で代わってやらない事も無いが、なんなら朝までずっと見張っていても構わないからな」 勝手極まりない事を呟きながら、おねむな小娘はジルベの体毛に埋もれて瞬時に眠りに就いた。ジルベも彼女を守る様に懐に納め、丸くなる。 「ふん……」 僕は彼女達から視線を外し、相棒に寄り掛かりながら辺りの様子に気を配りつつ、ゆらゆらと燃える炎を見つめる。 相棒は相変わらず焚火に頭を突っ込んだまま、美味しそうに炎を食べていた。 4 僕がチョロと組んでいる理由 「だからどうしてそんな戦い方しかできないのだ。バカなのか? うむ、きっとバカなのだな?」 あれから数日。 毒竜の巣への道すがら、襲い掛かって来る魔物と戦う度にクロケルからの駄目出しを僕は受け続けていた。 「いや、そうは言うけど僕達普通に戦って、ちゃんと勝ってるじゃん? 何怒ってんだよ」 一体何が気に入らないのか、彼女は僕の戦い方を全否定する。思えば初日、オークと戦った時もボロクソに罵られた。 「何が『ちゃんと勝ってるじゃん』だ。良いか、お前の戦い方は間違っている。お前のそれは戦法なんかでは無い。ただ無謀なだけだ」 容赦無くディスりつつ、この小娘は僕の戦い方を全否定する。これは一体どういう事なのだろう? 初めて会った時は普通に僕の事刺そうとしていたのに。 「そもそも無謀って言えば人間みたいに非力な存在が魔物と戦う事自体が無謀なんだよ。今更そんな根本的な事を言われても困る」 「そこまで判っているのなら、もっと戦い方を考え……ん? どうしたジルべ? 魔物か?」 僕らの言い合いをよそに周囲を警戒していた氷狼が、急に唸り声を上げて遠くを睨んだ。その視線を追ってみると、こちらを目指しやって来るゴブリンの群れ。 「よし、じゃあもう一度見ててみろ。僕が間違ってない事を証明してやる。行くぞ相棒!」 クロケルの返事を待つ事無く、僕達は走り出した。 程無くしてもゴブリン集団も僕達に襲い掛かって来る。数はいち、にい、さん……七匹。奴らは横一列になって僕達を半包囲する様に陣形を作った。 「行け! チョロ!」 号令に従い、チョロが一直線に炎を吐いた。収束されたその火焔は先頭を走る二匹のゴブリンを瞬時に焼き殺し、隊列に穴ができる。僕はその穴を通り抜け、背後に廻ると右側に位置する三匹のゴブリンに斬り付けた。一撃目で一匹、返す刀で二匹目を屠ったところで三匹目が弓を引くのが見えた。その鏃が狙っているのは――僕ではなくチョロ!? しまった。こいつ、火蜥蜴が炎を吐いた後一瞬硬直する事を知っているのか? ゴブリンのくせに! 「させるか!」 咄嗟に射線の前に立ち、放たれた矢を剣で叩き落とす。ふう、あっぶねえ。 「ぎいぃっ!」 ゴブリンは弓を捨て、棍棒で殴り掛かって来る。僕はそれを躱す事無く、敢えて肩当で受け止めた。 「くぅっ!」 鈍器特有の浸透する様な痛みが背骨を伝わり腰まで響く。 しかし殴ったゴブリンの、その胴体はまさにがら空き。剣を一閃すれば確実に仕留める事ができる。 そう。これが凡庸なる僕の編み出した必殺の戦法だ。 まず、相手に殴らせる。すると相手は殴った後に必ず隙ができる。その隙を付けば大抵の相手は殺す事ができる。 これぞ正に、死中に活あり。僕みたいな凡人が魔物に勝つ為の、名付けて『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり』戦法。 そして、僕が囮になって暴れている内に、残った二匹のゴブリンもチョロに背後から殺られている。はい、完全勝利。 「どうよ?」 「なにが『どうよ?』だ。そんな戦い方をしているから駄目だと言っているのだ。一体どうして相手の攻撃を受けた? 最後のあれは、絶対避ける事ができただろう」 なんだか心底バカにし切った目で、僕を見上げるクロケル。 「ああすれば絶対に勝てるからに決まっているだろ。実際勝てたし」 「それは相手が雑魚だったからだ。まさかお前、毒竜相手に同じ手を使う訳では無いだろうな?」 「う……」 さすがにドラゴンパワーで殴られるのは痛そうだな。それに猛毒持ってるし。 「それ見た事か。お前のその戦法は遠からず限界を迎える。だからこの私を手本に、戦い方を学べと言っているのだ……この様にな!」 言うや、クロケルはジルベと共に走り出して再び現れた魔物の群れに襲い掛かる。うん、なんかこの辺魔物多いな。 ……まあ、確かに彼女の言う事は正しい。僕のこの戦法では毒竜を倒す事は難しいだろう。 でも、僕にはチョロが居る。こいつの力を十全に引き出してやる事ができれば、勝算はあるに違いない。 そう信じて戦う事しか僕にはできない。何故なら、とんでもないスピードでヒット&アウェイを繰り返しゴブリンを血祭りにしているクロケルの動きなんて、僕には絶対に真似できないのだから。 ● そうして道すがら戦い続け、水場があればクロケルが即座に服を脱いで飛び込み、日が暮れたら野営をする。 「この調子で行けば、明後日には着くな」 地図に視線を落としながら、クロケルが呟く。 「そうか……ようやくここまで来たんだな」 僕は拾ってきた石で竈を作り、やはり拾ってきた薪をくべて、 「はい、チョロよろしく」 相棒は細く長い炎をぼーっと吐く。それはまるでガストーチの如き丁度良い加減の火力で、生木の混じった燃えづらい薪をまたたく間に着火した。 「大したものだな」 珍しく、感心した口調でクロケルが言う。 「僕の相棒は優秀なんだ。戦闘から薪の着火、寒い時は暖房の代わりにもなってくれる」 鱗でざらざらした背中を撫でると、チョロは嬉しそうにぐるると鳴いた後、竈に頭を突っ込んで火を食べ始める。 「お前な……それ程に高貴な魔獣を暖房呼ばわりとは一体どういう了見だ」 瞬時にいつもの見下した視線に戻る彼女。っていうか火蜥蜴ってそんな高貴な魔物だったんだ? 「そもそもこれ程の魔獣がお前如きに使役されているのがおかしい。一体どうしてこんな事になっているのだ?」 水浴び中に捕ったらしい魚を炎で炙りながら、彼女はチョロに視線を落とす。 ああ、そう言えばこの話はまだしていなかったか。 「使役しているって言うか、こいつは僕が育てたんだ」 「人間が、魔獣を……育てた?」 「うん。あれはね――」 あれは、僕がまだ実家に居た頃。 こんな世界に転生して、しかも何のスキルもチートな恩恵も与えられなかった僕は、いつしか荒れた生活を送る様になっていた。 その日も僕は、「リンツ兄弟の無能な方」という陰口を叩いていた奴らに喧嘩を売って大暴れをしていた。 結果衛兵の厄介になり、怒った父親にぶん殴られた後、 「そこで一晩反省しろ」 と、納屋にぶち込まれた。 そこは、リンツ家に代々伝わる家宝にもならない得体の知れないモノが所狭しと置かれている、半分ゴミ置き場みたいな所だった。 かつて先祖が戦いの時に使っていた甲冑(の残骸)とか。先祖が国王から下賜された魔剣(の鞘だけ)とか。先祖が打ち取ったグリフォンの羽根(ボロボロで只のモサモサした毛玉にしか見えない)とか。 実質ガラクタとしか言い様の無いモノにまみれたそこは、幼い頃はまるで宝物庫の様に見えたものだけれど……思春期に入ってスレた僕にはただのゴミにしか見えなかった。 ただひとつを除いて。 それは、かつて先祖が秘境を冒険した際手に入れたと伝えられている、謎の卵。 一抱え程もある、大きなその卵は納屋の片隅に尚神々しく輝いていた。確かに尋常ではないオーラめいたものすら感じるそれは、しかし誰も孵化させる事が出来なかったらしい。いつしか忘れ去られ、こうして納屋の隅っこで転がっていたのだけど。 言い様の無い怒りとか、哀しみとか、あと空腹に苛まれていた当時の僕は、その時―― 「食べようとした!? 魔獣の卵を?」 「ああ。何十年も納屋に転がっていて尚、なんか輝いているからきっと腐ってないんだろうなって思って」 納屋の扉を蹴っ飛ばして壊し、それを薪にして卵を直火焼きしたら、暫くして内側から突っつく様に割れ始めて。 「この子が出てきた、と?」 「うん。そんで、生まれて初めて見た僕の事をどうやら親だと思ったらしくて。まあ、懐かれた?」 僕の話を聞いたクロケルは、なんだか頭を抱えて長い溜息を吐いている。 「かつてこんなにもバカバカしい使役があっただろうか……」 「いやまあ、さすがに自分でもちょっとどうかなって思わないでも無いけれど。でもこいつは僕以外には一切懐かないし、育ったらすげえ強くなったから……丁度良いかなって思って家を出て、冒険者になったって訳」 竈に頭を突っ込んでいるチョロを撫でる。いわゆるインプリンティングで僕の事を親だと感じているこの子だけど、僕も同様に自分の子供と思って可愛がっている。おかげで今では、言葉が無くても互いに以心伝心できる程に通じ合っているのだ。うん、もっと薪を寄こせ? 「……どうしてお前がそんなに慕われているのかは理解した。うむ、お前みたいな人間も居るのだな」 ふっ、と柔らかい笑顔になってクロケルが言った。 「な!? お前何言ってんだ? 僕にそんな優しい事言うなんて……熱でもあるのか? 川で調子に乗って遊び過ぎた? お腹冷やした? ほら生えてないし」 「お前私を何だと思っている!? それに我々魔族はお前達みたいに無駄な毛などもさもさ生えん! まったく、少しだけ見直してみれば」 彼女は一瞬だけ年相応の顔になって叫んだ後、再び仏頂面になってジルベに寄り掛かる。 「そう言えば、お前達魔族はみんな魔獣を使役できるもんなの?」 唐突に思い立った僕の質問に、クロケルは面倒臭そうに答える。 「誰でも、という訳では無い。やはり魔族にも得手不得手というものはあるし、魔獣もまた主を選ぶ。基本的にはその魔獣に対し力を示さなければ使役はできんのだ。簡単に言うと一度倒さなければならないな、普通は」 「ほお。じゃあお前もその氷狼を倒したと」 「いいや。この子は、言わばお前達と同じだな。死んだこの子の親から、私が取り出して育てた」 おそらくは他の魔物か何かに襲われて、死んでしまった母狼を見つけた彼女がその腹を裂き、取り出した子供。六匹いた子供で生きていたのはジルベだけだったらしい。 「だからこの子は私の事を親と思っているし、私もこの子が何よりも大切だ」 優しげな瞳で撫でつけながら。まあサイズ的にはどう見てもジルベの方が親に見えるのだけど。 「なるほど。聞けば僕達は似た者同士なんだな」 僕の放ったその言葉に、クロケルは心の底から嫌そうな顔をしていた。 5 僕が湖に浮いている理由 あれから更に旅を続け―― 僕達はようやく、毒竜の巣があるという山の麓まで来る事ができた。 毒竜が住まうその地は、丘に毛が生えたが如き小さな禿山。奴から放たれる毒の瘴気によって、草一本生えない不毛の地と化してしまったのだろう。 その、荒寥なる山肌に君臨するが如く佇む黒い影。 「あいつか……」 「ああ、あの姿こそまさに毒竜」 巨岩の影に隠れ、初めて目にする毒竜をつぶさに観察してみる。 それは聞いていた通りに、黒い鱗に黒い翼。大きさは3mくらいだろうか? 亜竜である為、それ程のサイズでは無いのがせめてもの救いだ。 見るも禍々しい顔つきは邪竜と呼ぶにふさわしく、その頭部にはやはり漆黒の角が二本生えている。 ――あれを手に入れる事ができれば。 剣の柄を握る手に、思わず力が籠る。 「まさかお前、このまま飛び出す訳では無かろうな?」 僕の逸る気持ちを察したか、クロケルが小さくも鋭い言葉を投げてきた。 「……いや、さすがに何も考えずに突っ込む程バカじゃ……何だよその目は。とにかく一端引いて戦略を考えよう」 「ふん。判っていれば良い」 忍び足でその場を離れ、一端山を下りる。 そして改めて協議すべく、向かった先は―― ● 「ふう。やはり冷静になるにはこれに限るな。ああ、水も綺麗で気持ち良い。水源まで毒に犯されていなくて本当に良かった」 山の麓に広がる湖。やっぱりこいつ、目を付けてやがったか。 例によってクロケルは一切の躊躇無く全裸になると湖に入り、当然の様に俺を手招きする。 「これからあんなのと戦おうって時に、なんて呑気な……」 「何を言っている。先程のお前は頭に血が上って判断を誤りかけたではないか。どうだ、これで少しは頭が冷えただろう?」 腰に手を当て、悲しい程に薄い胸を反らして偉そうにのたまうちっぱい無毛娘。 「……まあ、冷静じゃ無かった事は認めるよ」 カッとなって飛び出しそうになったのは事実なので、そこは大人しく頭を下げる。すると、彼女は突然悪そうな笑みを浮かべて。 「ところでお前、泳げるのか?」 「唐突だな。まあ、それなりには泳げるけど?」 「では私と競争だ。あの島まで泳ぐぞ」 「なにをいきな……あ、ちょ、おま!」 俺の返事を聞かず、彼女は沖合にある小島を指差すとフライングで飛び出した。やはり薄いお尻を晒しながら平泳ぎともバタフライともつかない独特の泳ぎ方で、みるみる小島に向かって行く。 「ああもう、一体何なんだよ」 一瞬無視しようとも考えたのだけど、しかしそれはそれで、 「ふっ。泳げぬなら泳げぬと素直に言っていれば、この様な恥をかく事も無かったものを」 とか煽って来るのが目に見えたので仕方なく追いかける。ああ、凡庸な僕でも水泳くらいはできるんだ。もちろん、取り立てて上手い訳でも無いけれど。 卑怯にもフライングスタートしたクロケルを追い駆けると意外な事に、自分から勝負を挑んでおきながら彼女は遅かった。岸から百mくらい泳いだ所で隣に並ぶ。 ここで勝つ事ができたら、今まで散々罵ってくれたこの生意気な小娘に屈辱を与える事ができるのでは? 瞬時にそこまで考え、両手両足に更なる力を加えようとした、まさにその時。 「うわあ何だこれ冷たい冷たい冷たい! って凍ってるじゃん!?」 突然、僕の周りの水が凍り始めた。 「ちょ、これってまさかジルベの仕業か!?」 僕の声に応える様に、水中からジルベが突然ぬっと現れる。そして僕に更なる氷のブレスを吹きつけてきて、あっという間に僕の体は氷塊に包まれてしまった。 身動きを取る事すら出来ず、今や水に浮かぶがままとなってしまった僕に、クロケルがしれっと近づいてくる。 「おい! これは一体どういう事だよ!?」 さすがに怒鳴り付ける僕に、しかし彼女は澄ました顔でジルベの背中によじ登り。 「済まないがお前達とはここでお別れだ。毒竜(あいつ)は私達だけでやる」 首から下を完全に凍らされ、浮かんでいる僕を見下ろして言った。 「お前……まさか最初からこうするつもりで……」 「まあ、そうだな。当初は適当な所でお前を屠ろうとも思っていたのだが、『あの子』に免じて命は助けてやる。この陽気ならそうだな、一刻もあれば溶けるだろう。それまで風邪を引かないと良いな?」 岸からこっちを見ているチョロ助に視線を移し、一瞬だけ目を細める。 「お前ふざけんなよ! 僕が毒竜を倒さなきゃいけない理由は知ってるだろう!」 「ああ、角か? まったく仕方が無いな。私が欲しいのは奴の首だけだから、欠片のひとつくらいは残しといてやろう。この様な劣等種にこうも情けを掛けてしまうとは、私も中々に甘ちゃんだな。あまりお前の事も言えぬか」 「何でだよ!? お前達だけで戦うよりも、俺達と組んだ方が良いだろうが!」 僕の放ったその一言に、ところがクロケルは瞬時に冷たい眼差しになって―― 「お前達の力など借りずとも、毒竜如き私達だけで倒してみせる。そうでなければ氏を継ぐに足る武勲と言えぬ……それにな」 「何だよ」 「その目だ。その様な目をした者と、命を賭した場で共闘などできん」 言い放った。 「な、なんだよそりゃ……」 「判らぬとは言わせんぞ。お前の戦い方は実に不快だ。お前はそもそも生き残ろうとしていない。自分の命に執着が無い。違うか?」 まるで僕の心を全て見透かしたかの如き、青い瞳で。 「な……」 「我々魔族は武勇と誉れを貴ぶが、さりとて己が命を決して粗末にせぬ。それは自分にも、戦う相手に対しても礼を欠く最大の冒涜だからだ。なのにお前は違う。お前はまるでこの世に何の未練も無いかの如く、己を粗末に扱う。その様な者に、どうして背中を預ける事ができようか」 「え……あ……」 「ふん……そういう訳だ。再び会う事も無いだろう。会いたくも無い」 言いたいだけ言うと、彼女を乗せたジルベは水上に躍り出て足元を凍らせながら走り去って行く。 悔しい事に、何も言い返す事ができなかった。 そうだよ。僕はこんなクソ異世界に絶望し切っているんだ。だから自分の命なんか、どうでも良い。暴れるだけ暴れてとっとと死んでやろうと考えて、僕は冒険者になったんだ。 その考えが魔族として許せないというのなら、それは甘んじて受けとめよう。 でも―― 「今の僕は、ただいたずらに命を粗末にする訳じゃあ無い。今の僕には、明確な目的があるんだ」 うん。僕の命は、兄さんとエーリカの為に使う。そう決めたんだ。なので、あんな小娘に勝手な事をされる謂れは無いんだ。そもそもあいつ等だけで毒竜が倒せるとも限らない。 と、いう事で。 「チョロ―っ! これどうにかできないかーっ!?」 岸からこっちを見ている相棒に助けを求める。火蜥蜴が水に入れない事を見越して、クロケルは僕をここまでおびき出したのだろうけれど。うん、ちょっとうちの子を甘く見過ぎていると言わざるを得ない。 僕の懇願にチョロは応える様に大きく口を開けると、拳位の大きさの炎弾を僕に向かって次々と撃ちこんできた。 「ってうわあ熱い冷たい熱い冷たい熱い冷たいっ!?」 炎弾は氷塊を砕きながら弾け、その度に熱風が顔を襲う。氷の欠片と爆風を交互に浴びつつ何気に衝撃でダメージを食らいながら、僕はどうにか氷塊から逃れる事ができた。 「ううぅ……助かったけどさあ、もうちょっと穏便なやり方あったよね? 絶対にあったよねえ?」 恩知らずにも文句を言う僕に、しかしチョロは「自業自得だ」と言わんばかりの冷めた目で見上げながら、ボッとちいさく炎を吐いた。うん、熱いよ? 6 僕がここまでやる理由 チョロに怒られながら装備を整え、再び山に向かう。すると、程無くして何かが戦う気配と物音。 確認するまでも無い。クロケル達が毒竜に戦いを挑んでいるのだ。 見た感じ、善戦してはいるらしい。毒竜の翼は片方が根元から斬られ、もう片方もすたぼろになっている。あれでは暫く飛ぶ事もできないだろうから、逃げられる心配は無くなっていた。 しかし―― 「くっ! まさか、ここまでとは……ジルベ!」 毒竜の吐く猛毒のブレスをジルベの氷ブレスで相殺させつつ、素早いステップで敵の懐に潜り込み、斬り付けるその剣は――折れて半分くらいになっていた。 残った刃で斬り付けられた鱗が、かん高い金属音を発して弾き飛ばす。 そう、亜竜と言えども相手は竜種。その鱗は鋼の如き頑強さで、簡単に刃を通さない。おそらくは結構な業物であろう、彼女の剣すらも折れてしまう程の。これはさすがに予想外だった。 かと言って…… 「おのれぇっ! 食らえ!」 苦し紛れにクロケルが放った攻撃魔法も、レジストされてほとんどダメージを与える事ができていない。 唯一、攻撃が入りそうなのはジルベの爪撃だけど、竜と狼ではそのサイズ差故に間合いを詰められない。そして毒竜もクロケルよりジルベを強敵と認識している様で、彼女を半ば無視する様にジルベに正対し隙を見せなかった。 ああ、これは厳しいな。 僕の事を散々にディスってくれていたが、その実彼女も僕とそうそう変わらない。 つまり、逸っていたんだ。 僕にはあまりピンと来ないけれど、きっと彼女達魔族に取って「氏を継ぐ」というのは相当に意味のある事なのだろう。 まあ、だからと言ってさっきの事を許してやるつもりもないが、毒竜を倒さなければいけないのは僕も同じ。どうにか戦闘に加わって、奴を仕留めなければいけないのだけれど…… 幸い、毒竜は僕達に気付いていない様子。であるならばタイミングを見計らって奇襲を掛ければ、状況はこっちに傾く筈。 しかしそこまで考えた時、遂に戦いの均衡が崩れた。 剣も魔法も効かない事に焦れたクロケルが、より強力な魔法を放とうと足を止めて詠唱を始めた。もちろん毒竜がそれを見逃す筈が無い。尾を振り回してジルベを牽制しつつ、無防備な彼女にブレスを吐こうと口を開いて―― 「チョロ!」 僕の指示に、相棒はすぐさま炎を吐いて毒竜のブレスを焼き消す。ああもう、これで奇襲策はおじゃんになってしまったじゃないか。 「なっ!? お前、どうして!」 クロケルが、まるで幽霊でも見た様な顔になって僕に叫ぶ。きっとこんなに早く動けるようになるとは思ってもいなかったのだろう。 「さっきはよくもやってくれたな。でも話は後だ」 気休めだろうけど剣を抜き、毒竜に対峙する。 「余計な事をっ」 僕達を見てクロケルは毒づいたけれど、しかしその声には鋭さが無い。彼女も現状は理解している筈。そう。あのままでは勝ち筋が見えなかった事は、自分が一番判っているのだろう。 なので。 「どんな気持ち? ねえ、今どんな気持ち?」 取りあえず、今までの復讐を籠めて煽ってみる。 「うるさい。喋る暇があるなら戦え」 ギリギリと歯を食いしばりながら応えるクロケル。うん、効いてる効いてる。 でも、こいつの心にダメージを与えても勝てる訳では無い。本当の敵は目の前の、今も兄さんを苦しめている憎き魔物なのだ。 一端間合いを取って、チョロとジルベのブレスで牽制しながら戦略を練る。 さあ、どうしよう? 剣では鱗を貫けない。魔法も効かない。ジルベは警戒されて間合いに入れない。大魔法を掛ける事も難しい。 こっちの手札は剣の折れたクロケル、ジルベ、チョロ……そして僕。うん、きっと僕が一番戦力にならない。きっと折れた剣を持ったクロケルよりも役には立たないだろう。 更に、魔獣達のブレスもあまり効いている様には見えない。まあ、毒竜の吐くブレスを相殺してくれているだけでも役に立ってはいるのだけれど。 「攻め手に欠けるな。このままじゃあジリ貧だ」 「うむ……なんとかあの鱗を貫ければ良いのだが……」 自分の剣を悔しそうに見つめるクロケル。まさか己の剣技が通用しないとは思っていなかったのだろう。でも彼女のスピード重視の剣技とあの鱗は相性が最悪。大剣や重棍、戦斧といった重量兵器でなければあれは貫けない。一体どうすれば…… 「せめてブレスが効けば良いのだが……あの鱗は熱も冷気も身体の中まで通さぬ様だ」 二匹の魔獣の奮戦を、しかしクロケルが苦々しげに見つめる。確かにあいつらのブレスを浴びても、毒竜が苦しむ様子は無い。チョロのブレスを浴びた鱗なんか、真っ赤に焼けているのに…… ……ん? 待てよ? 「クロケル! ひとつ手を思い付いた。協力してくれるか?」 僕の剣幕に、彼女は一瞬驚いて目を見開いたが―― 「何か策があるのか?」 素直に聞いてきた。 「ああ。人間の……現代人の悪辣さをみせてやるよ」 口早に思い付いた戦法を耳打ちする。 「そんな事が……できるのか?」 「この世界が僕の世界と一緒なら、きっとできる」 「何を言ってるかは判らんが……こうなってはお前の策に掛けるより他は無い。だが、本当に大丈夫なのか?」 「どうもこうも、やるしかないだろう。これで無理なら僕達じゃ勝てない。そして少しでも勝算を上げるのは戦いの鉄則だろう?」 僕は自分の剣を彼女に渡す。そして短弓を手に取ると、クロケル、ジルベ、チョロの顔を順々に見つめて。 「頼んだよ」 頷いてから、毒竜の前に躍り出た。 「さあ来いよ。僕と遊ぼうぜ?」 ちょいちょいと手招きして挑発する。毒竜はそれを面倒臭そうに一瞥すると口を開け、毒のブレスを吐いてきた。 「頼む!」 「ああ。ジルベ!」 クロケルの号令でジルベが冷気を吐いて毒霧を打ち消す。その隙に、側面に回り込んだチョロが無防備な腹部に火焔を吹きつける。範囲はそう大きく無いものの、なるべく高火力で長時間。バーナーで鉄板を焼き切るイメージだ。 それが例え大したダメージで無くとも、やはり不快な事に変わりは無いらしい。毒竜は僕からチョロに視線を移し、そっちにブレスを吐こうとするので目を狙って弓で射る。 もちろんこんなしょぼい弓ではロクにダメージを与える事はできないけれど、顔ばっかり次々と撃たれるのは気分が悪いのだろう。毒竜は再び僕の方を向き、今度は飛び掛かって来た。 不快そうに唸り声を上げながら、丸太程もある腕を振りかぶる。さすがにこんなの相手に『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあり戦法』はまずいのでみっともなく逃げ回りながら、ちょいちょいと目を狙って弓を射る。これが他の動物には無い、人間の嫌がらせ能力だ。横目に見るとクロケルも少し引いた顔をしているが、今は強い心で乗り切る。 そうこうしている内に、息切れしたチョロが一端引く。相棒の、渾身の火焔を受け続けた毒竜の腹部は焼けた鉄の様に真っ赤になっている。よし、今だ! 「クロケル!」 合図をすると、すかさず今度は彼女達が側面に回り込んで。 「やれ! ジルベ!」 焼けた鱗に冷気のブレスを吹きつける。 すると―― ガラスが砕ける様なカン高い音が響き、腹部の鱗が粉々に砕けた。 「なんと!?」 クロケルが驚愕に目を見開く。おそらくは僕のこの戦法に半信半疑だったのだろう。実を言えば僕もここまで効くとは思わなかった。 熱膨張と冷収縮。 熱湯を入れたガラスのコップに冷水を掛けると割れる。僕の居た世界の住人なら誰もが知っている物理現象。それは粘度の低くて硬いもの程効果が高いから、あの鱗に効くんじゃないかと思ってはいたけど……なんか、こっちで生まれて初めて前世の知識が役に立ったかも知れない。 鱗を砕かれた毒竜は、初めて怯えた様に吠えながら半狂乱となって暴れはじめた。 そして、諸悪の根源が僕だときっと理解したのだろう。他には目もくれず、僕目がけて突っ込んで来る。 ああ、これで勝ったな。 僕は短弓を投げ捨て、腰からダガーを引き抜く。 横目に見れば、回復したチョロが僕に向かって凄い速さで走って来るのが見える。うん、そんなに急がなくても良いんだよ。 クロケルが剣を腰だめにして、無防備となった腹部に向けて突進。ジルベも彼女を守る様に並走し、手脚や尻尾の攻撃を警戒している。よし、これなら大丈夫だろう。 全てがコマ送りの様にゆっくりと見える。 大きな咢を見せながら迫り来る毒竜。 その顔目がけて火焔を吐くチョロ。 今まさに剣を突き立てんとしている魔族娘とそれに従う氷狼。 うん、僕の役割は終わった。 そう。これでやっと終われる。 「みんな、後はよろしく」 目の前に開かれた毒竜の咢にダガーを突き込んだ瞬間、凄まじい衝撃を受けて―― 終章 僕が異世界に来た理由 英雄になりたかった。 強くて正しくて、みんなに尊敬される立派な英雄に。 元の世界であまりにも矮小だった僕は、ゲームや物語の主人公みたいな英雄にずっと憧れていた。 そして、もしかしたらこの世界でならなれるのかもと、異世界転生したと知った時愚かにも考えた。考えてしまった。 結果は知っての通り。この世界でも凡庸な僕は英雄どころか無能で無価値。いつしか僕はこの世を恨み、自分を恨み、自暴自棄となって荒んだ生活に堕ちていった。いつ死んでも良い。とっとと死んでやる。こんなクソみたいな世界からおさらばしてやる。そう考える様になった。 そんな時に起きた、兄さんの災厄。その時に知ってしまった醜い自分の本心。 僕の人生を終わらせるのは、ここだ。そう、強く感じた。 一瞬でも兄さんの死を願ってしまったこの醜い心を許す事ができない。 それでいて、兄さんと幸せに暮らすエーリカを見続ける事も、できそうに無い。 ここが僕の、人生の締め時だろう。 なので―― 「角を……リンツの領館まで……とどけて、くれ、ないかな……」 最後の命を振り絞って、僕を見下ろしているクロケルに頼む。 僕はどうにか致命傷で済んだ様だ。彼女にお願いをする体力が残っていて、本当に良かった。 「お前どういうつもりだ! あれ程そんな戦い方をするなと言ったろう!」 クロケルはずいぶんとお怒りの様だ。まあ魔族として許せないのかも知れないが、僕の最後の願いくらいは聞き届けて欲しいものだ。 視界の隅っこに見えるのは、ピクリとも動かない真っ黒な塊。うん、これで兄さんは助かる。立派な英雄にはなれなかったけれど、大切な人を助けるというささやかな英雄行為はできたから、僕にしてはまあ上出来だろう。この世界に転生した意義は有ったというものだ。 どんどん冷たくなっていく身体と、朦朧としていく意識。 死ぬのは二回目だけど、最初のは一瞬で覚えていないからなあ。なるほどこんな風に人は死んでいくのか…… ぼやけていく視界に、最後に見えたのはオレンジ色の蜥蜴の顔。ああ、君にだけは本当に謝らなくちゃいけないね。ごめん……これからは野に帰って強く生きていってくれ…… 僕を見下ろしているチョロは、おもむろに自分の前脚を口に運んで噛む。そして―― 「もごおっ!?」 僕の口にそれを容赦無く突っ込んで…… 妙に柔らかいその感覚を最後に、意識を失った。 ● 教会の鐘の音が聞こえる。 リンゴン、リンゴーンと鳴り続ける鐘の元では―― 神妙な顔で婚儀に臨む一組の男女と、それを祝福する大勢の人達。 「愚かな奴だ。余計な事をしないでいれば、あそこに立っていたのはお前の主だったのかも知れぬのにな」 せせら笑う様な溜息を吐き、肩をすくませながらクロケルがチョロに話し掛けている。チョロはその言葉に賛同する様に、ボッとちいさく火を吐いた。 「うるさいな……ああもう、こんなの見たく無かったからあそこで死ぬつもりだったのに……」 僕は少し離れた建物の影から、婚儀の様子を覗いている。うん、あの場に居るなんて到底耐えられない。 「まさかチョロの血にあんな力があったなんて……お前一体なんなの?」 まだ怒っているのか、僕に嫌がらせみたいに吐き続けるちいさな炎弾を避けながら、相棒に問いかける。 今まさに生涯を閉じようとしていた、あの時。口に突っ込まれたチョロの脚、そして滴る血を口にした瞬間、僕の体は冗談みたいに回復した。まるで魔法……いや、奇跡としか言い様の無いあれは一体何だったのだろう? 「ふん、これだから劣等種は。気付いていない様だったから黙っておいたが」 何時の間にかチョロと意気投合していたクロケルが、いつもの馬鹿にし切った顔で僕の顔を見上げて。 「この子、火蜥蜴なんかじゃ無いぞ。火竜の幼生だ」 事も無げにそう言い放った。 「……………………は?」 「だから、この子は火竜だと言っている。竜種最強のドラゴンだ。その血を与えられたのだから、お前の貧相な生命くらい簡単に回復できる事だろう」 「ど、どどどどドラゴン!? こいつが?」 得意げに火を吐く相棒。え? いや、その…………まじ? 「お前は図らずとも最強種たる火竜の主となっていたのだ。世が世なら英雄だぞ。我等魔族にもドラゴンライダーなど、長き歴史に数える程しか居らぬ」 そ、そうなのか……だからクロケルは初めてチョロを見た時に、あれ程驚いていたのか……そう言えばこの子の事を『こんな貴な魔獣が云々』とか言ってたもんな…… 「で、でもさ。こいつ、生まれてもう何年も経つのにこの大きさのままだよ? ドラゴンってもっとでかくなるんだよね?」 「それは我々で言うところの滋養が足りていないからだ。主たるお前の怠慢だぞ」 「滋養って……火は毎日食わせてるぞ?」 うん。卵を火にくべて生まれたこいつは、殻から出て来た途端に焚火の炎を食べ始めた。だからきっと火を食べて育つ魔獣だと思っていたし実際に火を食べ続けていたのに。 「あのな、火竜ともあろうものが、焚火の炎如きで育つ事ができると思っているのか? 火竜が育つ場所は火山と相場が決まっている。まったく劣等種はそんな事も知らんのか」 いや普通の人間は知らないよそんな事。 「お前如きの事なぞどうでも良いが、このままではさすがにこの子が可愛そうだ。行くぞ」 「え? どこへ?」 またしても僕を無視する様に歩んでいくクロケルが、背中越しに言う。 「お前の帰郷に付き合ってやったのだ。今度は私の帰郷に付き合え。幸い我が故郷にはそれは見事な火山がある。その子が成竜となるに足るだけのな」 「火山、か」 「どうせやる事など無いのだろう? せっかく拾った命だ。使い道が無いのなら、その子の為に使え。もしも見捨てられなかったらドラゴンライダーになれるかも知れんぞ?」 「ドラゴンライダー……僕が……」 「もちろん今のお前には到底無理な話だがな。良い機会だ、この際私がお前の性根を叩き直してやる。覚悟しろよ? 私もこの子も、お前を許していないのだからな?」 相変わらず言いたい放題に言ってくれるな、この小娘は。 あーあ、お兄さん気分を悪くしてしまいましたよ? 責任取ってもらいますよ? そう。気分を良くする為には美しいものを鑑賞するのが一番だ。例えば貧相ながらもロリっとした可愛らしいお胸とか、ぷにっと柔らかそうな生えてないお股とか。 なので―― 「それはともかく、まずは水浴でもしていかないか? 近くに綺麗な小川があるんだ」 僕の提案に、てっきりこの娘は飛び付いて来るかと思いきや。 「すすす水浴だと!? ば、ばかな事を言うな、この痴れ者め!」 なんか怒り出した。 「ええー? ばかな事って。お前今まで水場見つけたらいっつも躊躇無く飛び込んでたじゃん、裸になって」 「ううううるさい! そんな破廉恥な事などしない! しないったらしない! 二度とそんな嫌らしいことを言うなよこの劣等種!」 何故か急に、真っ赤な顔になって僕を罵るクロケル。一体これはどういう事だろう? 「と、とにかく行くぞ!」 耳まで赤く染めながら、早足になって歩く彼女を真っ白い狼が付き従う。 何だか良く判らないけど、もう裸は見せてくれないみたいだ。 「ま、しゃーない。行こうか相棒。でっかくなったら背中に乗っけてくれよ?」 足元のちっこいドラゴンは、まるで「まかせろ」と言わんばかりに景気良くボッと炎を吐いた。 |
いさお 2021年12月31日 14時22分25秒 公開 ■この作品の著作権は いさお さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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