我、泉の水を求める鹿のように |
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〔1〕 ホワイトアウト。 外気温はマイナス八十二・七。氷結し降り積もった大気中の水分が、強い風に巻き上げられ白壁となって視界を遮る。 「少尉、ステイシー少尉! DVE(操縦者視界補助装置)がオフになってるぜ!」 「あぁ……わかっているよ、グレイグ」 キーラ・ステイシーは、不自由な重歩兵スーツを装備した身体を狭いコクピット内で捻り、コンソールパネルを操作した。すると白壁だったモニターは、一気にクリアな景観を映し出す。 およそ三十メートル先には、氷原を切り裂く巨大な地獄の入り口。 キーラに与えられた任務は深さ六千メートルの巨大クレバス底にあると思われる、敵の兵器工場調査だ。 心強い相棒は『二足歩行型重機兵・フロッグ』。 氷原迷彩の平たい車体両サイドに機銃が装備され、蛙に似た二本の脚に雪原滑走用エッジがついた装甲車だ。脚部のエッジを交換することで、あらゆる環境に適応する事が出来る。 作戦に参加する小隊は、『フロッグ』五機、輸送用カーゴ一機、後方支援爆撃機一機。 「降下」 キーラの合図とともに、部下であるグレイグ・ダート軍曹をはじめとする横並びになった五機の『フロッグ』は垂直離着陸用リフトファンを作動させ、ゆっくりとクレバスへ降下しながら南北に展開する。 クレバスの入り口はおよそ東西に千五百メートル、南北に二千メートル。 岩床がある最深部周辺氷壁を広く溶かした水と地熱を利用し稼働する敵の活動拠点を五機の『フロッグ』で探し当て、調査する任務……。 しかし彼らを敵と認定するのは、はたして正しい事なのか? 深くクレバスを降下していると、遙か遠い空の向こうにある宇宙に吸い込まれていくような感覚に囚われ一瞬、任務を離れた考えが浮かぶ。 キーラが生きる世界は千四百年前、衝突は免れたものの危うい距離で最接近した巨大隕石により恒星を回る公転周期から外れてしまった。そのため地上の気温は徐々に下がり、ついには氷河期に突入。人々が極寒の世界を生きることになって三百年ほど経つ。 大きく楕円を描く軌道が本来の位置に戻るのは、これよりまだ四千年ほどかかるそうだ。 人々は四千年先の未来に希望を託し、変わりゆく環境に医療や科学力で身体を適応させながら生きてきたが、あるとき絶望的な研究結果が発表された。 『遺伝子終末期』。 あらゆる生命体は環境の変化に適応することにより遺伝子が進化し、適応できない種は滅んでいる。人類の遺伝子も環境に適応し進化していくはずが、医療の発達や環境の改変で進化のチャンスを逃してきたため種としての限界を迎えてしまったのだ。 生き残れない遺伝子が淘汰され一時は人口が激減しても、進化により生き残った遺伝子が再び種を繁栄させる。しかし、そのチャンスを失った人類は四千年先を待たず絶滅するという……。 では、どうすれば種を保存できるのか? 「少尉、北側のクレバスは岩床まで届いて無いから『蟻の巣』は予想通り南側じゃねぇか? 合流して南側を捜索した方が良い」 部下を一機伴い北側を捜索しているグレイグから通信が入り、キーラは我に返った。 「そうだな……こちらは南に進むにつれ底辺の岩床が広くなっている。三機での捜索は厳しいから合流して……っ!」 「少尉?」 キーラの異変を感じ取ったグレイグの声に緊張が走った。 クレバス最深部。剥き出しになった黒い岩床に、小さな町一つ入るくらいの空間が広がっていた。その中央部、立体に連なり鈍い光を発する二十ほどの鉄色の球体。 「『蟻の巣』確認。合流は待たない、直ちに作戦行動に移る」 敵の活動拠点、通称『蟻の巣』。 蟻の形状に似たナノサイズのマシン、正式名『アント』の製造工場だ。 種の保存が絶望的と考えた人類は、自らの身体をマシン化する道を選んだのである。 『アント』は『核』と呼ばれる集積回路を中心に結合し、プログラムされた人間の姿形を忠実に再現する。出来上がったボディに人格と記憶を移植し、偽りの生で四千年を生き抜きながら人類の再生を目指すという計画だ。 しかし、当然ように「自然のまま滅ぶべき」と主張する反対派が現れ、賛成派政策の地域と反対派政策の地域に世界は二分化され戦争になった。 戦争は長きにわたり、現時点の世界人口は八千万人に満たない。 キーラは反対派勢力軍に所属しているが、確固たる反対派思想を持っているわけではなかった。 戦争が始まってから反対派の国に生まれ、反対派の思想を持つ人々に囲まれて育ち、生きるために軍に入った。 それだけだ。 「ノイズ・パイル発射」 『フロッグ』一機に装備された四本の杭『ノイズ・パイル』。三機合計で十二本が、『蟻の巣』を取り囲むように打ち込まれる。 ノイズ・パイルは『アント』の活動を停止させる特殊な電磁波を発生させる装置だ。 『蟻の巣』の外壁は、あらゆる探知方法を駆使しても装置を寄せ付けないため『アント』の活動停止を確かめるには直接乗り込むしかない。 直接乗り込み、膠着状態にある両勢力の戦力バランスを崩す可能性がある兵器を開発しているかどうか確かめるのが今回の任務だが……。 「こんな回りくどいことしねぇで見つけ次第、片っ端から潰しちまうわけにゃいかねぇんですかい?」 『フロッグ』コクピットから岩床に降り立ったキーラに、先に降りて周囲を警戒していた年配のレイ一等兵が不満を漏らす。 「我々の任務は調査が目的だ」 マシンボディ過激反対派だった我が国の首脳陣は三年前、静かに滅びを受け入れる考えの穏健派に取って代わった。対立を激化させる派手な破壊活動は禁じられているのだ。 「はぁ……両勢力で監視しあってるうちに、オレみたいな下っ端はジジイになって死ぬわけだ」 「そういうことだな」 年配の一等兵を揶揄するように若いパーカー二等兵が叩いた軽口に、複雑な思いでキーラは苦笑する。 噂だが賛成派の国籍がある者は、希望すれば誰でもマシンボディを手に入れられるという。しかし反対派に国籍を持つ者がマシンボディを欲する場合、違法な手段を使って賛成派の国に渡り大金を払い国籍を手に入れるしかないらしい。 『蟻の巣』の根元、巨大なドーム状建造物に近付き入り口を探す。見つけたゲートは破壊ではなく工作で開いた。警報も鳴らず、敵兵が出てくる様子もない。 『アント』の活動停止に成功したようだ。 「おまえ達二人は手分けして上の階層を調べろ、私は地下を調べる。人間の管理者がいたら拘束して連れてくるように。くれぐれも、傷つけるんじゃないぞ!」 エントランスフロアの各所に出来た黒い砂山を足で蹴散らしていた二等兵が慌てて身をただす。 黒い砂山は、制御を失った『アント』だ。『核』の無い作業用個体だろう。 システムダウンしているため、非常用階段を使いキーラは地下施設に向かった。 キーラに与えられた真の目的、新型『アント』サンプルを探すためだ。 新型とは、どのような性能を持つ個体なのだろう? 戦局を大きく変えるような破壊力を持つ個体だろうか? 『ノイズ・パイル』で無力化出来ないシステムなら、戦闘もあり得る。生きてサンプルを持ち帰ることが出来るだろうか……。 地下・第一階層を調査し、第二階層に降りたとき。レイ一等兵からの緊迫した通信が入った。 「地上部二階層南西のカプセルから小型飛行艇が一機、離脱。フロッグに戻って追いかけますか?」 「いや、戦意のない研究者だ放っておけ」 研究者が離脱したなら、すでにサンプルは持ち出されているだろう。そう、判断したキーラが撤退を命じようとした時。 ヘルメット越しでも鼓膜が裂けるほどの爆発音が頭上に響いた。 立っていることが出来ない振動。断続的に縦に揺れ、大きく沈む。 金属が軋む音の方向を見ると、巨大な氷塊が通路前方の天井を突き破り雪崩れ込んでいる。 「少尉! 氷壁が爆破され……っ、うあぁあああっ!」 パーカー二等兵の叫び。 「レイ! パーカー! 応答しろ!」 通信機は沈黙したままだ。 二度目の衝撃がキーラのいるフロアを揺るがした。通路全体に亀裂が走る。 「……っ!」 急いでキーラは手近な部屋に飛び込んだ。 断続する揺れと建造物が崩れ落ちる音、軋む金属音。部屋の壁際にあった窪みに姿勢を低くする。 どれほどの時間が経っただろう。 永遠とも思われる時間をしのいで突然、訪れた静寂にキーラは身を起こした。 すると、目の前を薄い水色の布で塞がれ手で払う。 「……これは?」 裾が緩いドレープ状になった、女性用のドレス。 改めて自分がいる場所を見回すと、どうやら衣装クロゼットのようだった。この部屋は女性研究員の私室だろうか? しかしどう見ても、ドレスのサイズが小さい。五歳~六歳くらいの子供サイズに見えるが、研究施設に子供……? クロゼットから身を乗り出し部屋を観察する。あれほどの衝撃にも崩れていない天井。倒れたテーブルと椅子。クラシカルなデザインのドレッサー。床に散乱する動物のぬいぐるみ、人形。 そして奥の壁際にあった小さなベッドを見て、キーラは我が目を疑った。 ベッドに腰掛けていたのは、白いドレスを着た幼い少女だった。 〔2〕 まず警戒心が働き生体反応を見た。 人間ではない、『アント』のマシンボディ。 映像で見たことはあるが、実物を見るのは初めてだった。白い肌、ほんのり赤い頬と唇。澄んだ青の瞳、長いまつげ。肩に掛かった銀の髪。肌も髪も、生きている幼い少女そのものではないか。 だが、『アント』ならば『ノイズ・パイル』の作用効果で活動停止しているはずだ。地下二階の深さに効果が及ばなかったか? いや、部屋の中に黒い砂山がある。作業用個体がいた証拠だ。 では、『これ』は何だ? 『アント』対戦銃を構え、ゆっくりとベッドに近付くキーラを少女は身動きせず、まっすぐ見つめている。敵対心も攻撃の意思も無いようだが外見に騙されてはいけない、相手はマシンなのだ。 とは言え、頭で理解していても幼い少女の手足を拘束するのは良い気分ではなかった。 「悪いな、窮屈だろうがしばらく我慢してくれ」 つい、人間に対するように話しかけてしまった。 「ワルイナ、キュウクツダロウガシバラクガマンスル」 少女の発した抑揚のない言葉にキーラは驚いた。ただのオウム返しではない、返答の形になっている。 『核』移植の済んだ個体は人間として扱う条約があるため、『核』が無いことは確認済みだ。高度な人工知能が搭載されているのかもしれない。 「まさかこれが新兵器と言うんじゃないだろうな?」 新兵器のサンプルとなれば、本部基地に持ち帰らねばならない。脱出の手段を探すため、キーラは部屋の外に出た。 しかし部屋の前のわずかな空間を除いて通路は完全に瓦礫と氷塊で塞がれている。 氷壁を爆破したのは研究施設を埋め、サンプルを渡さないためと考えればクレバスの半分以上は崩れた氷壁に埋まっていると考えられた。地上階層を調査していた部下二人の生存も、『フロッグ』機体の状態も絶望的だ。 発見してもらえる可能性は低いと覚悟しながらもビーコンを作動させた。 重歩兵スーツ・生態維持機能のエネルギーパックが枯渇するまで約十日。氷塊で水分を確保できるが、身体が冷えるため多くはとれない。 体力温存とエネルギーパック節約のため、壊れた人形のように動かない少女から距離を置いてキーラは床に身体を丸めた。 一日、二日……四日、六日……十日。 日が経つにつれ少女の姿をしたマシンへの警戒は薄れ、ほとんどの時間を眠って過ごすようになったキーラは、自らの体温の低下と生命の危機を感じ始めていた。 「こんな死に方をしたら、姉さんに申し訳ないなぁ……」 キーラは十歳の時、戦争に巻き込まれて両親を失った。その後、五歳上の姉に育てられ、十六歳で軍に志願した。姉は反対しなかった、ただ悲しそうな顔をしただけだった。 姉に頼らず、一人で生きるためにした選択だ。だが十八歳の時、戦闘で大怪我を負ったキーラを助けたのは姉だった。 その結果、命を落とすことになるとは……。 「……泉の水を求める鹿のように、わが魂は神なる御身を慕い求め……ごめん……姉さん」 朦朧とする意識の中、キーラは昔姉とよく歌った歌を口ずさむ。 「ゴメン、ネエサン。謝罪対象、ネエサン」 「えっ?」 ヘルメット内の通信機から聞こえるはずのない声が聞こえ、キーラは意識を取り戻した。 救助隊……ではない、この声は? 気がつくと背中に温かな何かが密着している。ヘルメット越しでは見えにくかったのでバイザーを上げ首を回した。 背後から抱きつき身体を密着させていたのは、ベッドの上で拘束されて動けないはずの少女だった。 「暖かい……」 少女の身体が発熱し、キーラの身体を温めているのだ。 「生命活動安全域マデ体温上昇確認」 ベッドの上を見ると、拘束具は跡形もなく粉々になっている。 「まさか私の生命危機を察知したから拘束具を外し、救助行為を行ったのか?」 この少女は兵器ではないのか? そもそも兵器を幼い少女にする必要性とは? では医療救助用? それも幼い少女の姿形である必要は無い。 頭が混乱する。 「極度ノ脱水症状確認」 呆然とするキーラから離れた少女は倒れたテーブル横に転がっていた金属のマグカップを拾い上げ、しばらく考えるような仕草をした後に部屋から出るとカップに氷のかけらを入れて戻ってきた。そしてまた、小首をかしげ考える仕草をし、カップを両手で包み込む。 すると数分も経たないうちにカップから湯気が立ち始めた。 キーラの前に、白湯で満たされたカップが差し出される。 「……ありがとう」 少女の姿をしたマシンに命を救われたキーラは、複雑な思いで感謝の言葉を口にした。 体温維持ができて水分があれば、あと十日は生きられる。拘束が無駄でも危険性がないなら、このマシンと一緒に救助の可能性を信じ少し頑張ってみようとキーラは思った。 「私が生きているうちは一緒にいることになるからな、名前がないと不便だ。うん……子供の頃、絵本で似た子供を見たことがあるよ。そう、確か名前はアリス。おまえのことは、アリスと呼ぶことにしよう」 「アリス……個体名アリス、認識」 その日からキーラは、アリスの性能を確かめるため……と、言うよりは起きている時間の気を紛らわすために様々な試みを行った。 覚えている童話を語り、歌を教え、絵を描き、手遊びをした。初めに子供の遊びを選んだのは、何かがキーワードとなり攻撃性を呼び起こす可能性を案じたからだが、数日を過ごすうち単に子供と遊ぶ楽しさの方が勝ってきた。 アリスは特に、歌を好んだ。 キーラが姉と歌った思い出の聖歌、『泉の水を求める鹿のように』を何度も聞きたがった。 この曲は歌詞といえるものは短く、同じメロディを繰り返す曲だ。キーラは幼い頃から姉と一緒に、高低の旋律を重ね合わせたりアレンジしたりして遊んでいた。 高い学習性能でアレンジの仕方をすぐに覚えてしまったアリスと一緒に、キーラは一日の大半を歌って過ごした。 歌は、今は亡き姉と過ごしているような穏やかな気持ちにさせてくれた。 氷の下に閉じ込められて、もう何日経つのかわからなくなっていた。体力も限界だ。 救助は来ないだろう……だが、こんな気持ちで死ぬのは悪くない。 私が死んだ後、アリスはどうなるのだろう? エネルギーがつきるまで、この氷の下で歌い続けるのだろうか? 「寂しいな……あぁ、でもマシンに感情はないか」 「体温低下。キーラ、死んではダメよ。通信可能、救助部隊到着まで十二分五十秒、四十秒……十一分三十秒……」 突然カウントダウンを始めたアリスに驚いたキーラは最後の気力を振り絞り、通信機のスイッチを入れた。エネルギー切れで繋がらないはずの通信機からノイズが聞こえる。 アリスの手首から伸びたケーブルがヘルメットに何かしらの工作をしたようだ。 「キーラ! キーラ・ステイシー少尉! 生きているなら返事をしてくれ!」 グレイグ・ダート軍曹の声だ。 「こちらキーラ・ステイシー。なんとか生きてるよ、救援を頼む」 通信機の向こうに歓声が聞こえた。どうやら大人数で捜索に当たっていたらしい。 大きく安堵の息をついたキーラの顔を、アリスがのぞき込んだ。 「キーラ、死なないね。アリス、嬉しい」 嬉しい……? キーラはアリスを見つめ返した。 気のせいだろうか、アリスは少し、微笑んでいるように見えた。 〔3〕 キーラが目覚めたのは、所属するマシンボディ反対派活動拠点『エンド・ルート』本部の病室だった。 生きている……。 意識が戻った途端、医師や看護師に囲まれ様々な精密検査を行われ、数時間。 ようやくベッドに戻ったキーラは、真っ白な天井を見つめながら自分が助けられた状況を思い出そうと朧気な記憶を逆に辿った。 身体を抱え上げた逞しい腕、部屋の入り口に現れた黒い影、爆発音と衝撃、誰かが読み上げるカウントダウン……。 「アリス! アリスはどこに!」 焦燥感に襲われ身体を起こそうとした。だが身体は微動だにせず、全身に激痛が走る。 「おっと、無理に起きようとしないで下さいよ? 救出から五日、意識不明で寝たきりだったのに急に動いたら身体が悲鳴を上げますからねぇ」 病室のドア方向から聞き覚えのある声がしてキーラが顔を向けると、そこに信頼する部下であるグレイグ・ダート軍曹の姿があった。 「グレッグ……私は助かったんだな」 「えぇ、助けることが出来て本当に良かったです。捜索を打ち切ろうとした上層部に、喧嘩を売った甲斐がありますよ……」 親しみのある通称で話しかけられ、ダート軍曹は涙ぐむ。戦場では頼もしい屈強の軍曹だが、キーラの生還を喜ぶ姿は大きな熊のぬいぐるみのようだ。 グレイグから聞いたところでは、キーラの捜索は十日ほどで打ち切られるはずだった。しかしグレイグやキーラ直属の部下、本部指令補佐官のルドルフ・スピナー少佐の進言で期間が延長したという。 「捜索隊は諦めムードでしたがね、根気よく氷を取り除いて少尉の通信をキャッチしたときは、みんなで歓声を上げました」 「あぁ、私にも聞こえたよ……ところで、私と一緒にいた少女はいま、どこにいる? あの子は命の恩人なんだ」 キーラの質問に、グレイグの表情が曇った。 「少尉、わかってるでしょう? あれは、マシンですぜ? 人間みたいな言い方、しない方がいいんじゃないですか?」 「……」 グレイグの言い分は、もっともだった。極限状態で情が移ったとはいえ、相手は『核』の移植が無い、ただのマシンボディなのだ。 しかし、マシンである『アリス』に命を救われたことは変わり無い。 「誤解させたなら悪かった。私は単に、あのマシンがなぜ私を助けたのか知りたいんだよ」 キーラは『アリス』と過ごした数日間をグレイグに説明した。 グレイグは半信半疑の様相で聞いていたが、キーラの話し終わると大きくため息を吐く。 「正直オレも、あの状況で少尉が生きている可能性は低いと思っていました。そうですか、例のマシン野郎……っと、マシンの女の子がいなけりゃ少尉は……」 上官の前でも口の悪さが出てしまうグレイグにキーラは苦笑する。無理も無い、グレイグはマシンボディ賛成派が戦闘用に改良した『アント』に家族全員殺されている。 「少尉の言う個体『アリス』は多分、この病院がある本部研究棟で隔離されていると思います。手に入ったマシンボディは重要な研究対象ですから……」 何かを言いかけたグレイグは、急に口を噤みキーラの表情を伺った。意図を察したキーラは首を横に振った。 「気を遣わなくて良い、私も研究対象であることに違いないからな」 キーラは十八歳の時、戦闘で右腕と右足を失う大怪我を負った。何度も生死の境をさまよい、容態が落ち着くまで半年。だが命を取り留めたとはいえ、自分の状態を知り未来に希望を持つことは出来なかった。 ある日、鬱々たる精神状態のキーラは介護する姉の目を盗み、自由に動く手で自らの心臓を突いた。 だが死に至ることは叶わず、病院のベッドで目覚めたとき。 キーラは失ったはずの右腕と右足を取り戻していたのだ。 その後、キーラの姉が自らの臓器を高額で売り、当時違法であったナノマシンボディをキーラに移植した事を知った。 臓器を失い身体の弱った姉は政府に拘束され、そのまま帰らぬ人となった。 半身がマシンボディとなり政府監視下の元、軍に復帰したキーラはマシンボディ賛成派を殺す。 皮肉にも残された道は、それしかなかった。 姉がくれた、この身体を粗末には出来ない。 「あっ、あのぉ少尉……何があろうと少尉は少尉です。それにオレは、そのっ……」 「キーラ・ステイシー少尉! 意識が戻ったそうだね、待ちかねていたよ! 早速きみに頼みたいことがあるんだが! おや、ダート軍曹はまたステイシー少尉の病室にいるのかい? 彼女の意識が無い間、毎日様子を見に来ていたそうだね!」 突然、明るい口調で呼びかけながら病室に入ってきたのは本部指令補佐官のルドルフ・スピナー少佐だった。言葉を遮られたグレッグは、赤い顔で黙り込む。 上官の登場に起き上がろうとしたキーラを、スピナーは手で制した。 「あぁ、そのままで良い。今回の任務はお手柄だった。ステイシー少尉の無事を心から喜んでいるよ」 長い銀髪を後ろに結んだ痩せて背の高い上官は、心底嬉しそうに笑う。 「ダート軍曹から、私の救出に口添えしていただけたと聞きました。ありがとうございます。それで、頼みたいこととは?」 スピナーは居心地悪そうなグレイグに一瞬目線を飛ばした。 「救出の継続については、巨大熊の噛み付きそうな勢いに勝てなかったんだよ。礼なら、そこにいる熊に言ってくれたまえ。私としても貴重なサンプルを二体、失わずに済んだわけだ。さて、頼みの件は他でもない。きみが回収してきた個体『アリス』のことでね。あぁ、『アリス』の呼び名は本人が自己紹介してくれたから便宜上、そう呼ぶことにしたんだ」 「本人……」 反対派幹部の意外な発言にキーラは戸惑った。しかしスピナーは、よほど『アリス』に興味があるのか気にする様子も無い。 「『核』移植が無い個体は人工知能により多少は人間らしい動きや受け答えが出来るが、基本的に命令された動作しか出来ない。ところが『アリス』には人格に似た感情が備わっているようなんだ」 「それは……どういうことですか?」 スピナーが「本人」と発言した理由は、人格があると考えたからか? 『アント』の集合体であるマシンボディに人格? 「ステイシー少尉、『アリス』はきみの身体を心配しているんだよ」 「えっ?」 驚くキーラに、スピナーは意味深な微笑みを浮かべた。 「きみには早急に『アリス』と会ってもらいたい。体調の回復を待つ時間は無くてね。『アリス』を解体する前に、きみが『アリス』と過ごした時間で与えた影響を検証したい」 スピナー少佐は軍人と言うより科学者に近い人物で、噂では、マシンボディをいかに効率的に破壊するか常に研究しているらしい。キーラを事あるごとに呼び出し、データ提供を求めるので辟易していた。 目の前のスピナーは、すぐにでも『アリス』を研究したくてたまらない様子だ。 解体の言葉にキーラの心は揺れる。 軍人という立場上、敵への感情移入などあってはならない。しかも、相手はマシンだ。 感情に、理性が追いつかなかった。 「今すぐ、『アリス』に会わせて下さい」 不安定な気持ちに答えを出すため、『アリス』に会わなくてはならない。 キーラは看護師とグレイグの手を借り用意された車椅子に移った。車椅子は電動だが、今の体調では少し操作に不安が残る。 「すまないがグレッグ、車椅子を押してくれないか?」 「は! 光栄であります!」 キーラが頼むと、グレッグは嬉しそうに敬礼した。 〔4〕 研究棟に繋がる渡り廊下は、天井が強化ガラスで出来たドームになっている。 外に見えるのは墓石に似た集合ハウスが立ち並ぶ、冷たく凍り付いた都市。 キーラが物心ついた頃から見慣れた景色だ。 人々の多くは、この世界で一番、温暖な地域に要塞のような集合ハウスを作り生活していた。外界の気温は暖かい日でも氷点下四十度を上回ることが無い。衣食住の全てを集合ハウスの中で完結させた人々は、外の世界に出ることも無くなった。 子供の頃キーラは、寒さをものともせず外で遊ぶのが好きだった。しかし年齢が上がるにつれ遊び仲間は外に出ることを拒むようになり、いつしか外の世界は忘れ去られていった。 キーラが軍人になったのは、外への憧れもあった。 「外の景色が好きかね?」 先を歩いていたスピナーが立ち止まり、キーラに声をかけた。 「窮屈な集合ハウスより、雪と氷と岩だけしかなくても外の世界が好きです。資料で観た、外にも緑の木々が繁り色とりどりの花が咲いていた世界が本当にあったとは思えないですね……」 「ふむ、きみは緑あふれる世界を実際に観てみたいと思うかい?」 「ええ、そんな世界があるなら……あっ、いいえ、思いません。自分はこの世界に満足しています」 キーラの返答に、スピナーは笑った。 「誘導尋問と思ったかね? 心配しなくていい。きみが半分マシンだからと言って、忠誠心を疑うつもりは無いよ。実は『アリス』が、ずっと歌を歌っていてね。何世紀も前から信仰の集会所で歌われている『聖歌』というもので『泉の水を求める鹿のように』と言う曲だ」 「えっ? それは私が『アリス』に教えた曲です」 驚くキーラに何かを確信したのか、スピナーは何度もうなずいた。 「この歌は、緑あふれる森の中、清らかな泉に水を求め集う鹿の光景にたとえて信仰の絶対的必要性を説いた歌だ。何か目的があって、この歌をプログラムしたのかと考えたのだが……そうか、きみが教えたのか」 「本当に、歌の意味は知りませんでした。亡くなった姉が、どこかで覚えてきて私に歌ってくれたのです」 「少女の姿で歌う機械か、興味深いね。この個体は一体、何のために創られたと思うかね?」 スピナーに問われ、キーラは困った。正直、何も予想できない。しかしキーラを見つめるスピナーの目は、何かしらの返答を求めていた。 「私にはよくわかりませんが……マシンボディを選んだ人間には子供が作れないから、子供を持ちたい人に代わりの個体を用意したのでしょうか?」 「ふむ、なるほど。『アント』はプログラムで姿形が自在になる。養育の疑似体験は、長く生きる時間の良い暇つぶしになるだろう。他に考えられるとすると、亡くした者の再現……」 スピナーの表情に、少し影が差した。 疑問に思いつつも問うことが出来ずにいるうちに研究棟に着き、キーラは『アリス』を監視するモニター室に案内された。 壁も天井も真っ白で、中央に椅子が一脚。『蟻の巣』で見た子供部屋とは違い、殺風景な部屋だ。 『アリス』は壁の一点を見つめ、小さな桜色の唇で何かを口ずさんでいた。スピナーの指示で監視員がモニターの音声を上げる。 「泉の水を求める鹿のように、わが魂は神なる御身を慕い求め……」 美しい声だった。しかも合唱のように、いくつものメロディが重なり合い完成された曲になっている。 肌が粟立ち、知らず目元が熱くなるのを感じた。 「心を揺るがす、美しい音楽だ。まぁ、何も役に立たないがね。ステイシー少尉が『アリス』の人工知能に与えた影響を検証するより、ボディの研究が先だと言ったのに本部司令官が解体を許してくれないのだよ。『アント』の弱点を発見し、今の体制を……」 微塵も心が動いていない様子のスピナーが不満そうに語り始めた途端、なぜか部屋の空気が凍った。 モニターではなく、入り口に注がれた研究員の視線を追ったキーラも身を固くする。 「スピナー少佐、きみの持論には賛成しかねるな」 入り口に立っていたのは二人の部下を伴った本部司令官、マイル・オーグリー大佐だった。 「これはこれは、本部司令官殿。自分としたことが、つい、珍しいサンプルが手に入り気が逸ってしまいました。決して本心ではありません」 「それが本当なら安心だがね」 オーグリー大佐は苦笑した。 短く刈り上げた白髪と屈強な体躯。幹部になるまでに多くの戦場を経験してきた生粋の軍人であるオーグリー大佐は、政府の主導権を穏健派に握られて以降、表だった戦争が減ったため一部過激派のテロ鎮圧が主な仕事になっている。 その迅速かつ人的にも物理的にも被害を最小限に抑える手腕は、本部内で多くの部下に信頼されていた。 「時間が出来たので私も『アリス』を見に来たところだが、丁度いいところでスピナー少佐に会えたな。実は、きみには残念な知らせがある。政府からの命令で、『アリス』をマシンボディ賛成派政府の活動本部に送り届けることになった。解体禁止は勿論、あらゆる検査も不許可だ。準備が整うまで指一本、触れてはならない」 「……は、了解しました」 オーグリー大佐の命令にスピナーは肩を落とし、キーラは安堵の息をついた。 キーラの中で、ある感情が抑えきれなくなっていく。 この国に生まれ、軍人として生きる上で許されない感情。 「気分が優れませんか、ステイシー少尉?」 様子がおかしいと察したグレイグが、心配して顔をのぞき込んだ。 「いや、大丈夫だ。私は用済みらしいから、病室まで連れて行ってくれるか?」 『アリス』の側にいると、心が掻き乱される。キーラは上官に許可を得てから、部屋を出る前にもう一度、モニターに目を向けた。 カメラは監視対象に解らないように設置されているはずだった。 しかし『アリス』はカメラ真正面に立ち、そこにいるキーラに向かって語りかけたのだ。 「キーラ、元気になったね。アリス、嬉しい」 スピーカーから聞こえた声に、キーラの感情は限界を超えそうになった。自ら車椅子を操作し、出し得る最大速度で部屋を離れる。 「少尉! ステイシー少尉!」 最大速度を出したとしても、車椅子だ。慌てて追いかけてきたグレイグが、すぐに追い付きブレーキをかけた。 「……なんだか、本当の子供みたいでしたね。攻撃してくるマシン野郎は容赦なくぶっ壊しますけど、ありゃあ、ダメだ。情が移る。二週間以上も一緒だった少尉の気持ちはわかります。まあ、スピナーのやつに解体されなくて良かったじゃ無いですか」 「あぁ……そうだな」 グレイグに車椅子を任せ、病室のベッドに戻ったキーラの脳裏に『アリス』の歌が蘇る。気がつくと、無意識のうちに自分も同じ歌を口ずさんでいた。 「姉さん……わたし、半分マシンになってまで生きなきゃいけないのかな? 反対派と賛成派、どちらが正しいかなんて解らないよ……」 あふれる涙を堪える事も出来ずキーラは、マシンボディも涙を流すのだろうかと、ぼんやり考えた。 〔5〕 『アリス』と再会してから十日後、退院の準備をしていたキーラの元にグレイグが現れた。 「荷物はそれだけですか、少尉。オレが運びます」 これまでも毎日のように病室を訪れ、甲斐甲斐しく世話を焼いてきたグレイグに感謝しながらもキーラは呆れ顔になる。 「このバッグ一つだ、自分で運ぶよ。私は暫く自宅待機になるが、本部の様子はどうだ?」 キーラの問いに、グレイグの顔が急に明るくなった。 「あっ! 一番に、お知らせするべきでした! 実は『アリス』の移送日が決まりましてね。オレがカーゴ(輸送機)のパイロットに指名されました。正確な日時は、まだ未定ですが多分……十日後くらいになると思われます!」 「そうか……良かった。少し、気になっていたからな。ところでその情報は機密事項では無いのか?」 慌ててグレイグは辺りを見回し、キーラに顔を寄せると一本のメモリーステックを差し出した。 「機密には機密なんですが……スピナー少佐が、ステイシー少尉に教えてやれと言ったんです。あと、これを渡してくれと頼まれました」 「スピナー少佐が?」 確かにキーラは、スピナーがオーグリー大佐の命令を無視して『アリス』を解体する可能性を危惧していた。キーラの不安を払拭するためグレイグに言伝を頼んだとしたら親切な上官だが、プライドの高さから虚勢を張っただけにも思える。 グレイグがスピナーから預かってきたメモリーステックを疑わしげに一通り調べてから、キーラはプライベート用タブレットに差し込み現れたファイルを開いた。何かの映像のようだ。 『泉の水を求める鹿のように、わが魂は神なる御身を慕い求め……』 映し出された映像と音楽に、キーラは戸惑った。 白や黒のキーを叩き音楽を演奏する男性の前に全員が同じ白い服を着た幼い少年が立ち、奏でる旋律。 メロディのリフレインの度に映像は変化する。 少年達の映像が緑豊かな森の遠景に変わり、ミルク色の朝靄につつまれた木立になり、霧が晴れて青く美しい湖が現れた。 湖の畔に集うのは、三頭の鹿。母鹿と二頭の子鹿だろう。 湧き上がる感情を、キーラは必死に耐えた。部下の前で涙を流すなど無様な姿を見せるわけには……。 「うっ……ぐすっ、ひぃん……何ででしょうねぇ、少尉……オレぁもう、ナンか泣けてきちまって……すいません、こんな無様な顔で……でも我慢できませんで……」 「あっ、あぁ……何かに感動するのは悪いことじゃない」 グレイグの泣き顔で感情の波が引き、キーラは冷静さを取り戻す。 スピナーは何のつもりで、この映像を見せたのだろう? 嫌がらせか? 「グレイグ、最近のスピナー少佐は、どんな様子だ? 『アリス』の研究が禁じられて落ち込んでるだろう?」 キーラの問いにグレイグは、顎に手を当て記憶を探った。 「うーん、落ち込んではいないみたいですよ? 以前よりオーグリー指令にべったりでご機嫌取りしてます。過激派認定で更迭されたら困るからでしょうね。あぁ、そういえばオレにも何かくれましたよ。上司とはいえ、男からアクセサリーをもらう趣味は無いんですが……」 グレイグが見せてくれたのは、表面に文字が刻まれた銀のクロスだった。 「クロスだな。何人かの部下が御守りだといって、身につけているのを見たことがあるよ。何が書いてあるんだろう?」 手渡されたクロスに刻まれた、小さな文字にキーラは目を凝らす。 『神よ。願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵とをさずけたまえ』 「物事を変える勇気……か」 「なんて書いてあるんです?」 思案顔のキーラを心配して、グレイグが手元のクロスを覗き込んだ。刻まれた文字を説明するとグレイグは、神妙な顔になる。 「凍り付いた世界は受け入れるしか無いと解っちゃいますけど、変えられる事なんてあるんですかねぇ……まぁ、変えられるなら、いま観た緑の世界を生きて観られたら最高に幸せなんだろうな。あ、別にマシンになってまで叶えたいわけじゃ無いですよ?」 焦って弁解するグレイグにキーラは笑った。 宗教観はよくわからないが、スピナーが何かしらのメッセージをキーラに伝えようとしている気がした。 何を伝えようとしているのだろう? スピナー少佐に直接聞くわけにもいかず、意図の謎に頭を悩ませていたキーラに数日後、オーグリー大佐から呼び出しがあった。 本部司令官直の呼び出しに緊張しながら、キーラはクラシカルな木製ドアをノックした。 緋色の絨毯、今では貴重な木材で造られた重厚な執務デスク。壁には金色の額に納められた絵画が数点。大理石のチェスト。 オーグリー大佐の懐古趣味で贅沢に装飾された執務室だ。 「キーラ・ステイシー少尉、きみには『アリス』の護衛を頼みたい。きみの半身がマシン体なのは、私も知っている。だからこそ賛成派の本部に『アリス』を送り届け、両勢力の橋渡しに貢献できるのはきみしかいない。私はこのような無意味な戦いを早く終わらせ、生身の身体で終末を迎えたい人たちに穏やかな日常を過ごして欲しいのだよ。この国にも、表立って言うことが出来ずマシンボディを希望する人々は多い。今後は賛成派諸国と話し合い、マシンボディ希望者が『核』移植しやすいように改革したいと思っている。力を貸してくれるね?」 オーグリー大佐の言葉にキーラの胸は熱くなった。 「は! 微力ながら大佐のお力になれるなら光栄です。『アリス』の護衛任務、お任せ下さい!」 キーラの敬礼に穏やかな微笑みを浮かべ、オーグリー大佐は退室を促した。 その日の夜、移送の詳細が伝えられたキーラは出発前確認をするため輸送艇格納庫を訪れた。 格納庫では、戦闘用重歩兵『フロッグ』輸送用カーゴを『アリス』移送用旅客機に改装しているはずだった。 ところがキーラが目にした光景は……。 「なんだ、これは? どういうことだ?」 次々と搭載されていく『フロッグ』の列に言葉を失う。 手近にいた整備士を捕まえ問いただすと「オーグリー大佐の命令です」と答え、逃げるように離れていった。 パイロットを命じられたグレイグなら、事情を知っているに違いない。 急いでキーラはカーゴのコクピットに向かった。すると突然、目の前を巨体に遮られる。 「探しました、少尉。急いで逃げて下さい」 巨体の主は、グレイグだった。 「逃げる? 一体何が起きているのか説明しろ!」 グレイグは警戒するように辺りを見回し、キーラを格納庫の物陰に連れ込んだ。 「オーグリー大佐は反乱を起こすつもりです。『アリス』と半マシン体の少尉を囮に敵を安心させ、敵地拠点に攻め込む作戦です」 「まさか……そんな話、信じられるわけ無いだろう?」 「本当です、確実な情報なんです。信じて今すぐ逃げて下さい」 グレイグの様子は必死で、嘘や冗談を言っているようには見えなかった。現に『フロッグ』の列は何機もカーゴの中へと消えている。 「……情報の出所は?」 「それは……」 「私も是非、聞かせて欲しいね。マシンと手を組もうとする穏健派こそ獅子身中の虫。この作戦の前に始末しなくては」 聞き覚えのある声にキーラが振り向くと、銃を向けて立っていたのはオーグリー大佐、本人だった。 「大佐、グレイグの言ったことは本当ですか? 私に、賛成派との架け橋になって欲しいと言ったのは、嘘だったんですか!」 悲痛な問いに、オーグリー大佐が笑った。 執務室で見た、穏やかな笑みでは無い。残忍で冷たい、人殺しの笑み。 「ステイシー少尉、きみは反対派過激テロリストに攻撃された穏健派の死体を見たことがあるかね? 私は自ら現場に赴き、爆破された集合ハウスの瓦礫に押しつぶされ真っ赤な肉の塊になった死体をたくさん見てきた。美しい……これこそ、生ある者の死だと思ったよ。それに比べ『アント』とは何だ? 破壊しても黒い砂の山しかない。私は生粋の軍人だ、私の仕事は敵を屠ることだ。砂の山を造ることでは無い。私と同じ思想を持った部下を集め部隊をつくった。今こそ、敵の本拠地に乗り込むチャンスなのだよ!」 「あの人が言ったとおりだった、狂人め……!」 キーラより先に、怒りを込めた声で呟いたのはグレイグだった。 「少尉、大佐はオレに任せてアリスちゃんと亡命して下さい。格納庫、十二番ハンガーに小型艇を用意してあります」 言うなりグレイグはオーグリー大佐に飛びかかった。響き渡る、三発の銃声。 「グレーッグ!」 体格の良いオーグリー大佐でも、大熊のようなグレイグが覆い被されば容易に抜け出すことが出来ない。流れ出る大量の血をものともせず、グレイグはオーグリー大佐を締め付けた。腹に突きつけられている銃から、二発の銃声が続いた。それでもグレイグは微動だにしない。 「オレ、綺麗な湖に立つ少尉を見てみたかったなぁ……きっと、女神みたいに綺麗に違いねぇ……だから逃げて、必ず生き延びて……くださ……い」 「……っ!」 銃声を聞きつけたらしい。『フロッグ』と共にカーゴに乗り込んでいたオーグリー大佐の部下が次々と降りて来る。 キーラはグレイグに言われた十二番ハンガーを目指し走った。 「あっ! 『アリス』はどこだ?」 探しに戻るか、いったん亡命して救いに戻るか……? 利用価値のある『アリス』を、オーグリー大佐がすぐに処分することは無い。なんとしても亡命し、救出手段を得ることを考えよう。 覚悟を決めたキーラが小型機の見える場所まで来ると、そこに二つの人影があった。 「スピナー!」 小型艇の搭乗口下に、『アリス』を伴ったスピナー少佐が立っている。 キーラに武器は無い、絶望的状況だ。 「待っていましたよ、ステイシー少尉。おやダート軍曹の姿がありませんね?」 「……」 「あぁ、ダート軍曹に情報を流し、ステイシー少尉が『アリス』と亡命出来るように計らったのは私なんです」 驚いてキーラは、全身の力が抜けるのを感じた。 「なっ……何がどうなっているんだ? いったい、私は……」 床に座り込んだキーラに微笑み、スピナーが片手を上げた。すると武器を携えた三十人ほどの兵士がキーラの後ろに立ち、追っ手であるオーグリー大佐の部下に向かい一斉射撃を浴びせる。 「うん、まぁ、混乱させてしまいましたね。実は私、オーグリー大佐の動向調査のため、政府上層部穏健派に派遣された調査員なんですよ。大佐が貴女に語った両勢力の話し合いは実際、かなり進んでいるのですが過激派の動きを抑えるのが難しい状況でね。今回の件は過激派テロリスト壊滅に、とても有効でした」 「すべて……計画されていた?」 では、グレイグの犠牲もか? キーラの腹の奥で、怒りと悲しみの混ざり合った感情が煮えたぎる。 スピナーはキーラの様子を気にとめることも無く、オーグリー大佐の部隊制圧の報告を受け取っていた。 「いまほど報告を受けました、ダート軍曹は残念です。しかし人類の未来のため、犠牲になれたことは彼にとっても……」 「人類の! 未来なんか! どうだっていい! みんなが自由に、生きたい生き方を選びたいだけなのにっ!」 泣き崩れるキーラの頭に、『アリス』がそっと手を置いた。 「キーラ、悲しいの? キーラ悲しいと、アリスも悲しい」 『アリス』を抱きしめキーラは、声を上げて泣き続けた。 〔6〕 オーグリー大佐は拘束され、スピナーが大佐に昇進して反対派諸国活動拠点『エンド・ルート』本部司令官に就任した。 改めて『アリス』の移送任務を命じられたキーラは、旅客用に改装された客室でくつろぎながら『アリス』に新しい歌を教えていた。 『アリス』との別れが決まった日、スピナーはキーラの元を訪れた。 「私の一族は代々、敬虔なクリスチャンでね。人は人のあるべき姿で神の元に召されるべきと信じていた。だが幼い娘を病気で亡くしたとき、私は神の存在を否定するようになったんだよ。『アリス』は……亡くなった娘と、よく似ている。改めて『アリス』を助けてくれたきみに感謝する」 静かに語るスピナーに、掛ける言葉は見つからなかった。 スピナーの計らいで、希望すればキーラもマシンボディを手に入れられることになった。 姉やグレイグの望みを叶えるため生きるべきだろうか、それとも……。 キーラには、まだ答えは見つけられない。 だが隣の席で眠る『アリス』を見つめ、この少女と長い時を生きるのも悪くは無いと思った。 (終わり) |
来栖らいか 2021年12月29日 06時18分18秒 公開 ■この作品の著作権は 来栖らいか さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2022年01月16日 17時22分44秒 | |||
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Re: | 2022年01月16日 15時30分27秒 | |||
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