愚者にピストル、少女に魔法 |
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〇 Aパート 〇 わたしは一人、川で裸に剥かれていた。 着ていた服は、橋の上から放り投げられ、川の中州に落ちている。泳いで川を渡ることもできない金槌のわたしは、川原の石の上で途方に暮れるしかない。 わたしを裸に剥いた級友たちは既にそれぞれの家へと帰ってしまっている。今は春とは言え、そろそろ身体も冷えて来た。思わず、ため息が出る。 そもそも、どうしてこんな事態に陥る羽目になったのか? わたしは回想を開始する。 昼休みに教室に戻ると、クラスの女ボスである長嶋広美とその手下達が、わたしランドセルの中を勝手に漁っていた。怒って制止し、その場でランドセルの中を改めてみたところ、やはりというか、非常用に母親から持たされている千円札が失くなっていた。 長嶋を強く問い詰めたわたしだったが、奴は『ノートの落書きを見てからかおうと思った』などという言い訳を述べるばかりで、お金を返そうとしない。納得できるはずもないわたしは、次の体育の授業中仮病を使って抜け出して教室に戻り、長嶋がいつも持ち歩いている赤い長財布からお金を返してもらい、自分の懐に入れた。 で、放課後友達と一緒に校舎を出る時、長嶋に声をかけられて、わたしは一人この山中の川原へと連れていかれた。 長嶋と手下に取り囲まれて、胸倉を掴まれながら、わたしはこう凄まれた。 『人の金、盗るんじゃねぇよ、この泥棒』 わたしはその場でビンタやキック、石の上に突き飛ばされるなどの暴行による取り調べを受け、それでも黙秘権を行使した為に裸に剥かれ、お金も見付かって取られてしまった。 で、さらなるリンチにあったわたしは全身を痣と擦り傷だらけにされた上、服は中州に捨てられて取りに行くこともできずに、こうして川原で途方にくれている。 財布にあった六枚の千円を全部盗ったのがいけなかったかもしれない。 盗られた一枚だけを盗り返したのなら、見付かったとしても『失くしていた千円が見付かったのがそれだよ』とでも、太々しく言えただろう。だっていうのに、つい調子に乗って欲を出した所為で、酷い目にあった。 回想終了。 とにかく命懸けで川を泳ぐか恥を捨てて裸で山を降りるか決めるしかない。覚悟を決めようとしていたわたしの背後で、誰かの足音と共に草むらが揺れる音がした。 人が来た。 裸んぼのわたしは思わず身構える。しかしやって来たのはわたしと同じ十歳くらいの女の子で、しかもそいつはびっくりするくらい綺麗な容姿をしていた。 何せ、金髪碧眼だし。 肌も日本人離れして白い。目はぱっちりとしてまるまると大きくて、ぷるぷるの唇は赤ちゃんみたいに柔らかそうで、戦闘美少女アニメで言うと主人公のピンクみたいに、元気そうでちょっとバカっぽい、でもすごく可愛い顔立ちだ。 恰好の方もちょっとバカっぽい。何故か黒い鍔長帽子と黒いローブを身に着けているし。なんつうか、魔女みたいだ。それだけならまだコスプレで済むけど、そこに合わせるのが箒や杖でなく首から下げたプラスチックの虫篭と手に持った虫取り網っていうのは、ミスマッチを指摘せざるを得ない。 「裸で川遊びしてんのー? 水着着た方が良いんじゃないー?」 バカっぽい魔女っ娘はバカっぽい声でわたしにそう言った。 「違うよ。川遊びなんてしてないし」 わたしは答える。 「じゃあなんで裸で川なんていんのー?」 「クラスの奴にいじめられて裸に剥かれたんだよ」 「えぇ~何それ酷いぃ~。つか早く服着ようよやばい人来るよ」 「着たいけど無理なんだよ。服取りに行けないところに捨てられちゃって」 「取りに行けないところってどこ?」 「あっこ」 そう言って、わたしは無惨にもくしゃくしゃに丸められた服の転がる中州を指し示した。すると魔女っ娘は言う。 「取ってあげよっかー?」 「本当?」 「うん。でもそん代わり目ぇ閉じといて。あたしのやってること見えないように」 「なんで?」 「見せちゃダメってことはないんだけどー、でも見せない方が良いからー」 なんてふわふわした意味不明なことを言う魔女っ娘の言葉を、わたしは素直に聞き入れて目を閉じた。ただし薄目は開けた。これは目を閉じろと言われた時の癖みたいなもんで、小学生社会において当然身に着けるべき自己防衛である。こうするようにしないと目を閉じている隙に何か盗られるとか、くっ付き虫付けられるとかあるし。 でも魔女っ娘はわたしにその手の悪戯をしてくることはなかった。どころかきちんとわたしの為に中州にある服を回収しにかかってくれた。 ただ、そのやり方が問題だった。 魔女っ娘はその小さな細く白い腕を中州の方へと向けた。そして口元で小さな声で何やらつぶやくように言う。 「ざなとりああみやくすやんやむ。にべらじそふらばらぞえいぐすあんやむ。あらやんなざみにとらじゃぶにぐらす」 ふわりと、中州に転がっていたわたしの衣類が宙に浮いた。 わたしは驚いて声を出そうとしたが、目を閉じているという体裁になっていることを思い出して、とっさに口を噤んだ。 わたしの衣類は宙に浮いたまま川の上を飛行し、徐々に少女の手の方へ引き寄せられる。風に飛ばされているのではないなめらかな、糸で釣られているのではない自然な動き。 それはまるで念動力……いや、魔法! ふわふわと川の上を飛行する衣類はおもむろに魔女っ娘の手に吸い寄せられて、キャッチされる。 驚愕するわたしに、「良いよ」の声がかかる。その声によって目を開けたわたしに、満面の笑みを浮かべた魔女っ娘が衣類を差し出して来た。 「ブラジャーあるじゃん。けっこー、胸、おっきいし。えっちだね」 なんて言い出す魔女っ娘に、わたしは様々な感情をこらえて、何も見なかった体裁でこう答えた。 「オヤジかよ」 〇 「トカゲを集めてるの。薬を作るのに使うの」 飴村魔耶(あめむらまや)と名乗ったその少女は、虫取り網を闇雲に振り回しながら、山を訪れた理由について説明した。 「何十匹からいるの。だから毎日ここに通ってるんだけど、まだ一匹も捕まってなくってさ」 「トカゲなんていくらでもそこらにあるじゃない?」 「あるよ。でもすばしっこいじゃん。捕まんないの」 林の中に分け入った飴村は、岩の上を這っているトカゲを発見すると、「えいや」とわざわざ発声してから大降りに網を振り下ろす。 振り下ろされた網はトカゲの上に覆いかぶさる。しかし中にいるトカゲを捕まえることが飴村にはできなかった。指先が触れた瞬間に弾かれたように逃げ出すトカゲに怯えて、すぐにその手を引っ込めてしまうのだ。 そうこうしている内にトカゲは網の付いている金具と岩の隙間を這って逃げ出し、茂みの中へと消えて行ってしまった。 「やあーん。また逃げられたぁ~」 などと両目にバッテンマークを浮かべる飴村。こりゃダメだ。 「貸して」 そう言って、わたしは飴村に手を伸ばそうとして、すぐに引っ込める。 「いや、網なんていらないや。邪魔になるだけだし。ちょっと待っててね」 わたしは茂みを漁る。五月の山林の茂みを漁ればトカゲなんぞいくらでも見付かる。湿った土の上を這うそいつにわたしは衒いなく手を伸ばし、そしてあっさり捕まえてしまった。 持ち上げたトカゲを捧げて見せるわたしに、飴村は興奮した様子で。 「すごい! なんでそんな簡単に捕まえれるの?」 「さあ。技術的に難易度の高いもんじゃないから、成功体験の有無かなぁ?」 「田中はさ、トカゲ触るの平気なん?」 「うん平気。昔良く男子と一緒に捕まえて遊んでたし」 わたしには爬虫類だの虫だのに触れないという他の女子の気持ちが分からない。こんなに小さくて非力で臆病なトカゲに、何を怯える必要があるというのか? 「捕まえて、どうするの?」 飴村がそう問いかけると、わたしは 「すぐ殺しちゃう」 と答える。 「え? 殺しちゃうの?」 「うん。男子は飼ったりとかして遊ぶけど、わたしはそういうの興味ないから」 「じゃあ逃がせば良いじゃん」 「なんもしないのってつまんなくね? つか、動物でも虫でも人でも、何かが何かを追いかけて捕まえるのって、普通は殺す為じゃん?」 「どんな風に殺すの?」 「こうやって」 わたしは持ち歩いている折り畳みナイフを取り出して、トカゲの頭にあてがう。 「首を落とすの。面白いよ? 血ぃドロドロ出るし。切った後もしばらく体動くんだよ。脳が肉体から断絶しても神経や筋肉は生きてるってこったね。見せたげよっか?」 「やだやだ。気持ちわるーい」 飴村はいやいやするように首を横に振った。 「で、飴村はこれ何匹必要なん?」 「多ければ多い程良いけど、とりあえずこの虫かごいっぱいにしたら目標達成」 「そっか。代わりに集めたげよっか?」 「え? 良いの?」 「良いよ。服取り返してくれたお礼。わたし得意だしさ」 そういうと、飴村はその大きな瞳に喜色をたっぷりと浮かべて、わたしの両手を取ると 「やったーっ。ありがとう田中!」 と屈託なく笑った。 わたしはひさしぶりにA級のトカゲハンターぶりを発揮した。一匹捕まえる度に飴村は「すごいすごい」と新鮮な反応を返した。何匹も何匹も捕まえてこっちに作業感が芽生えて来ても、飴村は飽きる様子もなく虫かごのトカゲが増えることを喜び、わたしの技術を賞賛した。その屈託のなさが心地良かった。 やがて日が傾く頃になると、飴村の虫かごの中は満杯になった。もぞもぞ動くトカゲを山盛りにした虫かごは、飴村が両手で抱えていなければならない程重たい。そんなんだから下の方にいるトカゲは上にいる奴らの重みでぺしゃんこに潰れ、染み出した体液でプラスチックの箱の底面は真っ赤に汚れていた。 「ありがとありがと田中~! これで宿題間に合う~」 「宿題って、トカゲを集めることが?」 「集めることそのものが宿題じゃなくて、このトカゲ使って薬品開発すんの。飲ませた生き物の大きさとか重さとか変えられる奴作んなきゃダメなの。人を東京タワーくらいにできる奴。間に合わなかったらお姉ちゃんにバチクソ怒らえる」 「えそんなん作るの? 作れんの?」 「作れるよ~。出来たら田中にも分けよっか?」 そう言われ、わたしは少し考える。 人間の尺度から考えれば、生物を巨大化するというその薬品の科学的価値は計り知れない。それはなんとなく分かる。 でも貰った後でどうすりゃ良いんだろう? 自分で飲んで元に戻れなくなったら、その後の人生が悲惨極まりないことは容易に想像できる。ちょっと歩いたらそこらの建物はぺしゃんこだし、ウンコしたらどかすのに数人がかりで数日かかりそうだ。嫌いな奴に飲ませてやろうという発想も、多分危険。いらない。 かと言って、せっかく出会った魔女っ娘から何か貰えるチャンスをふいにするのも惜しい。そこでわたしは次のように言った。 「他になんかない?」 「あるよー。例えばねぇ~」 そう言って、飴村はローブの中をごぞごぞと漁り、透明な液体の入った瓶を差し出した。 「はいこれ」 掌に収まるくらいの小さな瓶だ。ざらざらとした素材の茶色い蓋がはめ込まれた、素朴でどこにでも見るデザインだった。 「これを生き物に飲ませたら、心とか知性はそのままに別の生き物に変身すんの」 「別の生き物って? 何になるの?」 「カエルっぽいのとかネズミっぽいのとか色々。心とか知性はそのままだから、人間に飲ませて賢くて何でも言うこと聞く眷属作るの」 「眷属って? 奴隷とか召使とか?」 「それもあるし、あと戦わせたりとかする。男の子の遊びの定番。大人がグリフォンとかトロール作って戦争に使ってたことも大昔はあったって」 「今は違うの?」 「違うよ~。お互い自分の国にいて、遠くにある相手の国に魔法を打ち合って、先に降参した方が負けみたいのが普通みたい。……あ、魔法って言っちゃった。ダメなのに」 照れ笑いをする飴村に、わたしは慎重に考えてから 「もうバレてるから大丈夫だよ。飴村、魔女なんでしょ~」 と笑い返して見せる。 どう切り返してくるかと思ったが、飴村は「そっかー。まあそうだよね~」とこともなげに言い、「誰にも言わないでね」としなを作った。 「言わないよ絶対言わない。これはもらって良い?」 「いいよいいよ。で、この後何して遊ぶ?」 「ああごめん。もうそろそろお母さんが怒るから帰らなきゃ。また今度一緒に遊ぼう」 「うん分かった。じゃ、またね」 「うん。また」 そう言って一緒に山を降りて、テキトウなところで改めて挨拶をしてまた別れた。 友達になった証として、互いの住所と番号は伝え合った。魔女の子供の家は普通に学区内の普通のマンションの一室で、電話番号はわたしと同じ市内局番から始まる普通の十桁だった。 〇 翌日の朝。母親に起こされたわたしは、何度断っても押し込まれる朝食をどうにか食べ終えてから、歯磨きと洗顔だけの簡単な身支度をして自室に引っ込み、ランドセルを手に取った。 自宅を出て、通学路を歩く。 途中からは、友達と一緒だ。 いつもの待ち合わせ場所で、百目木魔琴(どめきまこと)は先に着いてわたしを待っていた。そしてわたしが来たのを認めると、道路に突っ立って俯けていた顔を綻ばせてこちらに歩み寄る。 「おはようございます。田中さん」 同級生にも敬語を使う百目木はわたしの唯一の学友である。日本人離れして白い肌と、人よりやや薄いが十分な膨らみを持った唇、小ぶりながらつんと尖がった鼻梁を持つ。黒目の目立つ大きな瞳は垂れ目がちで、どこか弱気そうな印象を人に与える。髪型はややボリュームのある黒髪のロングヘア。 昨日で出会った飴村魔耶にも匹敵するくらい、百目木魔琴は人間離れして可愛らしい女の子だった。戦闘美少女アニメで言うと、内気だが健気で心優しい黄色担当と言ったところ。 「あの、昨日は本当にごめんなさい」 いきなりそう切り出されて、何か謝られるようなことがあったかなと小首を傾げる。 「なんのこと?」 「長嶋さん達とのことです。田中さん、リンチの為に連れて行かれてたのに、私何にもできなくて……。見捨てたみたいな形になっちゃって。その……」 そう言いながら、五センチほど低い慎重からわたしを見上げるその表情には媚びを孕んでいる。嫌われたくないっぽい空気をひしひし感じながら、わたしは百目木の釈明に耳を傾けた。 「長嶋さん怖いから私何も言えなくて。いや止めたかったんですよ? でもどうせ私みたいなトロいのがあの長嶋さんに何言ったって通じないって思っちゃって。それでも友達なら無駄を覚悟で言わなくちゃって、心の中ではちゃんと分かってたんですけど、でも迷ってる間に田中さん達どっか行っちゃって。一応先生を呼んで来るとかも考えたんですけどでも田中さんも悪いことしてるっぽかったから大人を巻き込んで良いのかどうかとか考えちゃってそれででもだから私は何も」 「分かってるよ」 百目木の言葉を遮るようにして、私は言った。 「百目木の言ってるとおりだよ。悪いのは長嶋とかで百目木はそんなに悪くない。それは言われなくたって分かるからさ。ぐちゃぐちゃ言い訳とかしなくて良いと思うよ?」 百目木は臆病な性格で、いつだって自分が可愛いのか、どうでも良いことで謝ってばかりいる。その上薄っぺらい言い訳をぐちゃぐちゃと述べることが人を苛立たせ、周囲からはあまり好かれず被虐者に近い立場にいた。 「あ、ありがとうございます。あの、嫌いになったり、してないですよね……」 「ないない。別にあんたのこと聖人君主とは思ってないし、これくらいで嫌わんから安心して。わたし、百目木のこと良く知ってるけど、その上で割と好きだよ。良いとこもあるしさ」 優しい口調でそう言ってやる。すると百目木はあっさり相好を崩して、「え、えへ」と頬を紅潮させて微笑んだ。 「ありがとうございます。それで、昨日は大丈夫でしたか?」 ようやくとは言えわたしを心配する言葉を聞けたのが嬉しくて、わたしは「何とかなったよ」と微笑みを返す。そして小さく肩を竦めて。 「とは言え今日も絡んで来るんだろうなああいつら。ああ、憂鬱だわ。学校無くならないかな、本当に」 「それは私も思いますけど……。でも今日は金曜日ですから、後一日の我慢ですし」 「後一日だからウザいんじゃん。今日さえなけりゃすぐ週末にいけるのにって」 「それはちょっとあるかもしれないですね」 「どうやったら今日の学校潰れるか大喜利やらない?」 「な、何ですかそれ?」 「学校が一日休みになる方法を順番に言いあうの。わたしから行くね。……『台風が来る』!」 「え……あの……。と、『トラックが校舎に突っ込む』っ」 「『隕石が落ちる!』 「『誰かが校舎に放火する』っ」 「『インフルエンザが流行して学級閉鎖!』 「『シンプルに、誰か生徒が死ぬ』っ」 「『テロリストが』……」言いかけて、わたしは百目木の方を向き直って問う。「え? ちょっと待って誰か生徒死んだら学校って潰れるの?」 「え……は、はい。そうだと思いますよ? ほら、去年の夏ごろ、放課後にクラスの男子が一人熱中症で亡くなったの覚えてません? その次の日は臨時朝会で体育館で校長先生の話だけ聞いて終わりだったじゃないですか? 生徒の動揺を考えて、とかなんとか……」 「……あーっ。あったねーそんなこと!」わたしは柏手を打つ。「あれは最高だったわ。朝会だけとか実質休みだったじゃんね。ラッキーって感じ」 「そういうことは、思ってもあんまり言わない方が……」 苦笑する百目木に、わたしは唇を尖らせて見せて。 「そりゃそうだけど本音はそうじゃん。百目木だってその後わたしの家でゲームしながら、嬉しそうにしてたじゃんフツーに」 「そ、そんなことないですって!」 「でもそりゃそうだよね。誰か死んだらその日は休みか。そうか」 それから百目木が昨日のテレビ番組のことを話題に出したので、テキトウに相手をしながらそのまま一緒に学校に向かった。 〇 「泥棒が来たわね」 学校に着くなり、長嶋がわたしの顔を見て開口一番そう言った。 「良く言うよ」わたしは早速言い返す。「先にわたしのランドセルから千円盗んだの誰なんだか」 「あ? だからそれ、盗んでないっての。そもそもウチ、あんたのランドセルに千円あったこと自体知らないし」 「確かにそれ言ったことあるのは百目木だけだね。でも、最初は悪戯目的で漁ってたランドセルから千円見つけたから盗みました、っていうんで全然説明付くんですけど。地獄に落ちろこの泥棒!」 「言ってなよ泥棒! つかさあ」 言って、長嶋は取り巻き達と共に百目木の方を向く。 「百目木あんたさ、なんでこんな盗人と一緒に行動してるわけ?」 「え? あ……ええと」 直前まで顔を俯けていた百目木は、突然自分がまきこまれたことに混乱したような表情を浮かべながら、あわあわした様子で言った。 「お、お友達、だ、だから?」 「盗人と友達てことはぁ、あんたも盗人ってことで良いの?」 「え? い、いや。そんなことは。あの、すいません」 「盗人じゃないならそいつと友達でいるのやめなよ。ね? 今日から私達と一緒にいようじゃん。そいつと縁を切るんなら、仲間に入れてあげるよ?」 そう言いながら嘲るような表情でわたしの方を見つめる長嶋。 言うまでもなく、ここできっぱりと長嶋の誘いを断る度胸は百目木にはない。わたしと長嶋の顔を交互に見ながら、目をぐるぐると回すばかりだ。 「はっきりしろよ百目木! そいつと一緒にいて泥棒になるか、ウチらと一緒にいてまともな人間になるか、選べよ!」 無茶苦茶である。百目木は泣きそうに下を向いて固まってしまう。 こいつはそれが選べる性格をしていない。わたしは友達に情けを掛けるつもりで「もう良いよ別に」と口にしてその場に背を向ける。 「あ、あの……田中さん。あの……」 うろたえた様子の百目木に、わたしは振り向いて、優しくも冷たくもない声で言った。 「別に裏切ったなんて思わないから。しばらく話しかけなくて良いよ。じゃあね」 そう言って教室を出た。 〇 屋上は閉鎖されているが三階の窓からよじ登れば行ける。一時間目の授業をサボったわたしは、青空を流れる雲を眺めながら仰向けに転がっていた。 一時間目は体育で、運動場からはクラスメイト達が体操着を着て跳ね回る様子が見て取れる。男女混合で行われるキックベース。隣のクラスの男子が地面に転がしただけのボールの何が怖いのか、立ち止まってしまって蹴ることのできなかった百目木を長嶋がどやしつけている。 チャイムが鳴るまでわたしは屋上で身を潜め……休み時間が来ると同時に教室に戻った。 体育の後の教室には酸っぱい汗のにおいが漂っている。運動を終えた小学生たちは教室のロッカーの前で、水筒を傾けて喉の渇きを潤していた。 「どこ行ってたんだよ? 泥棒」 教室に戻ったわたしに、早速とばかりに長嶋がちょっかいを出してくる。 「授業サボるなんていけないんだ。先生カンカンに怒ってたから、後でみんなの前で怒られるよ。楽しみだなぁ」 わたしは長嶋の言葉を無視して、自分の鼻を摘みながらこう言った。 「近寄らないでくれる? 体育の後のあんたって、豚や牛みたいに汗臭いからさ。あんまり近づかれると、鼻が曲がる」 「はあ? 泥棒のおまえの方がよっぽどくせーし」 「喋んないでくれない? 息まで臭いから。普段何食ってる訳? 何が胃の中に詰まってたらそんな公害レベルの口臭を放てるの? 腐った豚の餌? おっさんのゲロ? 人間の食べるものじゃないのは確かだね」 「黙れ負け犬が! 調子に乗んな!」 長嶋がわたしの頬をビンタして来た。沸点の低い奴だ。悪口言われたからちょっと言い返してみただけなのに、すぐこれだ。 わたしは長嶋を睨み返す。長嶋は興奮して鼻を大きくしている。わたし達の周囲を重たい沈黙が取り囲み、一発触発の空気感を形成している。喧嘩するしかないっぽかった。 号令かけられて一対多にされる前に、わたしは近くにある学習椅子を持ち上げて、長嶋に飛び掛かろうとした。その時。 「きゃぁああああっ!」 隣の教室から、つんざくような悲鳴が聞こえて来た。 「誰か先生呼んでっ! 先生っ! 大変なの!」 わたしは椅子を放り投げて隣の教室に向かった。始まりかけていた喧嘩を放棄された長嶋が、「おいっ」と怒声を上げながらわたしの背後を追いかける。 隣の教室には、床に落ちたいくつかの水筒と、それを遠巻きに眺める何人かの生徒があった。そしてその足元を、ネズミやトカゲやナメクジと言った小さな生き物達が這い回っている。 「工藤と土尾とたっちゃんが……水を飲んでたら突然消えて、そこの生き物が現れたの!」 悲鳴を上げていたらしい女子が、床に散らばったものを指さしながらそう言った。 わたしは頬に笑みを浮かべながら足元を観察した。 落ちている水筒は、皆が運動場にいる隙に、わたしが飴村からもらった薬を無差別に混入したものだ。となると、這いまわる小さな生き物達は、工藤と土尾とたっちゃんとやらの、なれの果てであるに違いなかった。 それらは一見してわたし達の身近にいるネズミやトカゲと同じだが、よく見ると小さな違いがある。ネズミの尻尾が異様に長くてしかも三本生えてるとか、トカゲの顎の下にもう一つ口が付いているとか、ナメクジが大人の拳くらいのサイズ感で動きが幼児の操るミニカーレベルで速いとか、そういうことだ。 「お、おい田中! なんなんだよ、これは!」 言いながら立ち尽くしているのは長嶋だった。わたしは床に落ちている水筒の一つを拾うと、長嶋のぽっかりと空いた大きな口に、残った中身を思うさまぶちまけた。 「おえっ」 口の中に、そして顔中に水筒の中身をぶちまけられた長嶋は、何度か咳き込んでから「何すんだよ!」とわたしに怒りを向けようとする。 しかし次の瞬間には、長嶋は忽然とその場から消えた。身に着けていた衣類ごとだ。 騒然とする教室の中で、わたしは己の足元に視線をやる。一匹のカエルが、訳も分からぬ様子で、せわしなくあたりを見回しているのを発見する。 三つの青い目と、真っ赤な体色を持つ不思議なカエルは、わたしの足の親指くらいのサイズしかなかった。簡単に踏み潰してしまえそうだが、わたしはそれをしないことにした。広げた手をそいつに被せて潰さないように優しく持ち上げる。 「あんたの水筒が分かってりゃ、それに薬を混ぜてやれば済んだんだけどね」 わたしは手の中にカエルにそう言いながら、くすくすと笑う。 「でも分かんなかった。テキトウに入れようかとも思ったけど、良く考えりゃわたし百目木の水筒がどれかも分かんなかったんだよね。一応友達だし、巻き込みたくなかったから、しゃーなし隣のクラスのにしたよ」 だがまあ結局こうして長嶋のこともカエルにできたんだから良かった。それでなければ、目的の半分しか達成できないところだった。 騒ぎを聞きつけて、わたしのクラスの子たちも大勢がこちらの教室に駆けつけていた。 その中に青い顔をして立ち尽くす百目木の姿を見つけて、わたしは微笑みかける。 「四人も生徒が消えたんだから間違いなく今日学校休みになるよ。やったね」 百目木はおろおろとしながら散らばっているネズミとトカゲとナメクジを一瞥した後、一瞬だけ胡乱な顔をこちらに向けて、それから引きつったような表情で微笑みを返した。 〇 休み時間中に四人もの生徒が忽然と姿を消したとなれば、それは極めつけの非常事態だ。 狙い通り、無事に学校は休みになった。しかし、わたしを含むその場にいた全員が話を聞くために残らされる羽目になったのは、面倒なことだった。 だがどれだけ生徒が熱心に証言をしたところで、『お茶を飲んでいた生徒が突如としてネズミやトカゲに変身した』なんて話を、大人たちが信じる訳もない。精神が未成熟な子供たちが見た集団幻覚の類と考えるのが、どう考えても妥当なはずだった。故に、客観的にその事件は、『生徒の内数人が忽然と姿を消した』という以上のものには成り得なかった。 外見の異常なネズミやトカゲやナメクジも、どさくさの中でわたしが堂々と捕まえて殺し、トイレに流してしまっていた。わたしが長嶋の顔にお茶をぶちまけてカエルするところを目撃した生徒がそれを訴えても、取り合う大人は一人もいない。 それでも何か知っているんじゃないかと色々と面倒くさい話を聞かれたものの、わたしは上手く誤魔化すことができた。結局は昼前には家に帰ることができた。 早く学校が終わる日は、百目木を誘って家でゲームと決めている。百目木はこんな時でも誘えば結局付いて来るので、問題なく一緒に遊べる。 おまけに今日は金曜日なので明日の憂いもない。楽しすぎる。 百目木の良いところはわたしよりゲームが下手な数少ない相手という点だ。わたしはリビングルームにある『ぷよぷよテトリス』『大乱闘』『マリオカート』『マリオパーティ』と言ったソフトで、百目木のことをボコボコにした。 それでも多少は勝ったり負けたりを演出して楽しませてやる気遣いもしつつ、夢中で遊んでいると午後四時。家の鍵が回されて、帰って来た同居人のうるさい足音がリビング近づいてきた。 「おう田中。そこどけよ」 無造作な声。振り返ると、頬に吹き出物を浮かべた坊主刈りの少年……わたしの兄……が、わたしのことを見下ろしながらそう言って来ていた。 「今日バイトあるんじゃないの?」 「明日の早番の奴と交換した。早くどけ」 「やだよ今盛り上がってるもん」 「でも田中。おまえ今までやってたんだろ?」 「そんな長くやってないし」 「嘘吐け」 言いながら兄はわたしのケツにほどほどに手加減した蹴りをくれる。ほどほどに手加減したというのは、ある程度痛くされたという意味でもある。わたしは「ぐえ」と声を上げて眉をひそめて睨みつけた。 「いった。ちょっと。蹴らないでよ」 「うっせ。どうしてもやりたいなら、一緒にやるか? 友達も一緒に」 「やだよお兄ちゃんとやっても楽しくない」 この兄は手加減せずわたしをボコボコにするので遊び相手としてよろしくない。 「あっそ。じゃあ部屋引っ込んでろよ。田中がなんと言おうと俺は今ゲームするから」言って、そいつは容赦なくわたしの腕を掴んでゲーム機から引きはがした。「ほら、行った行った」 雑に追い払われたわたしは憤懣やるかたない表情で、百目木と共に自室へと引っ込むしかなかった。 「田中さん。まだお兄さんから名字で呼ばれてるんですか?」 心配した表情で、百目木はわたしの顔を覗き込む。 「まあね。家族の中でわたし一人名字違うからって、ふざけてそう呼んで来やがる」別にそんなことは気にしたことはない。だがそれよりも「ゲーム機取られた! いつも良いところでぶん取って来やがって! 糞ぅ!」 「……ま、まあ。今まで五時間以上ぶっ通しでやってたのは、事実ですから」 兄のことは別に嫌いではない。客観的に見ても、血縁のないわたしに親しく接してくれていると思う。名字で呼んで来るのだって、ただのキツめの冗談だ。 とは言え気安すぎて兄妹らしい喧嘩をしなければならないこともある。ゲーム機がそれぞれの部屋に一台ずつあったら、もっと仲良くできる相手なんだけど、そんなの買ってくれっこないしなあ。 まあしょうがない。わたしは百目木と共に自室に引っ込んで、オセロとかトランプとかやって過ごした。 〇 その日の夜。風呂を出て、さっぱりした気持ちでベッドで漫画読んでると、母親が部屋をノックした。 「学校から聞いたんだけど……お友達が突然いなくなったんだって?」 わたしは漫画から目を離さず「うん」とそっけなく答える。 「あなた、すぐ傍にいたのよね? 何か知ってることは?」 「別にないよ」 「本当に?」 「娘を信じてよ」 こういう言い方をすりゃ一発だ。母親は「そう……」と目を伏せて引き下がる。 母親がいなくなって、わたしはふと思い出してランドセルを開ける。そして缶ペンケースを取り出して蓋を開けると、中からぴょんと一匹のカエルが飛び出して来た。 赤い肌に青い目が三つ。長嶋カエルだ。 こいつのことを忘れてずっとペンケースに入れっぱなしにしていたのだ。わたしはぴょんぴょん飛び跳ねて逃げようとするそいつにトランプのケースの蓋をかぶせると、プラスチックの虫かごと沸かしたお湯を用意する。 「熱湯地獄だーっ」 言いながら、虫かごに放り込んだ長嶋カエルに、計量カップに入れて来たお湯を注いで遊ぶ。 直接かけると死ぬ気がしたので、遠くの方にかけてじわじわ長嶋カエルに迫っていく演出にした。しばらくは逃げようとして飛び跳ねていた長嶋カエルも、次第にぐったりとした様子で、その場で腹を晒すようになる。 虫かごは煙だらけだ。これ以上熱したら多分死ぬ。そう思い、冷やしてやろうと冷水を取りに行こうとした時だった。 「田中ーっ。いるー?」 開いていた窓の方から声がした。 振り返る。見ると、魔女っ娘らしく箒に乗って空中浮遊する金髪碧眼の少女が、わたしの覗く窓の前で微笑みを投げかけていた。飴村だった。 「やあやあ田中。昨日ぶりだね」 「うん昨日ぶり飴村。その箒すごいね。つか、どうしたの?」 「どうして山に来なかったの? あたし待ってたのに」 「え約束したっけ?」 「しなかったけど来るかなって」 「そうなんだ」 ごめんね、と言おうとして、別にわたし悪くないってこと思い出してやめた。ここで謝るのはなんか百目木っぽくて嫌だ。なので謝る代わりに 「じゃあ明日は遊ぼうね」 とわたしは言った。 「うん遊ぼう」と飴村。 「どっかで待ち合わせする?」 「出会った川にしよう。時間は昼の一時で良い?」 「いいよ。その約束しに来たんだよね? じゃ、今お父さんとお母さんとお兄ちゃんもいるから、また明日」 「待って。それともう一つ」飴村は言って、手を差し出した。「昨日あげた瓶入りの薬、返してくんない?」 「え? 何で?」わたしは首を傾げる。 「いやなんか、お姉ちゃんに怒らえて。魔女の道具人間にあげるのは良いけど相手は選べ、とかなんとか」 「わたしじゃダメなの?」 「ダメなんだって。良い子なのにね、田中」飴村は唇を尖らせる。「ちゃんと契約とかしなかったのも悪かったっぽい。友達だから別に良いと思うんだけど。とにかく、今夜中に返してもらって瓶をお姉ちゃんに見せなきゃダメなの。だからごめん。今返してくれる?」 薬のことは心底惜しい。だが、『お姉ちゃん』とか保護者出されたら、小学生のわたしは何も言えない。「分かった」と素直に言って、わたしはランドセルから瓶を取り出して飴村に渡した。 「けっこー減ってるね。使ったんだ」 飴村は残り四分の三程に量を減じた瓶を見ながら言った。 「うん。もう使っちゃった分はしょうがないよね?」 「ああうん。しょうがないよそれは。今更返せとか言えないし」 「そこの虫かごのカエルも、わたしのものにして良い?」 言いながら、わたしは長嶋カエルのいる虫かごを指さす。 「いいよそれも今更返せとか言えないし。でもそんなちっこいので良いの? 一滴を無茶苦茶に薄めた奴を、ちょっとだけ飲ませたとかでしょ? そいつ」 隣のクラスの奴らの水筒に混ぜた薬の量は、指先一掬い程だ。それでも効果があるんだから、扱いには最新の注意が必要だろう。薬で汚れた指先をちょっと舐めたらアウトだ。 「これはこれで良いんだよ。つか飲ませる薬の量がなんか関係あんの?」 「え? うん。関係あるよ。気付かなかったの?」 「うん。気付かなかった」 「そっか。じゃ、また明日ね」 「うん。また明日」 飴村は楽しみそうに微笑んだ後、ばいばいと手を振って、空飛ぶ箒を自在に操って矢のような速さで窓から遠ざかっていく。空が飛べるということに対し、わたしは無邪気な憧れを覚えて、ため息を吐いた。 魔女ってすごい。 羨ましい気分のわたしだったが、しかし自分にも今は楽しいおもちゃがあることを思い直す。 わたしは死にかけているカエルのいる虫かごに冷たい水をかけてやる。そして中の温度が十分に下がるのを待ってから、蓋を開けた。 コンパスの先端で、裏返っているカエルの腹をつつく遊びをやる。 腹を裂かない程度に恐怖を味合わせてやっていると、カエルは突如として口を開け、長い舌をなんと数十センチも伸ばしてコンパスに絡みつかせる。そして驚くわたしからコンパスを奪い、わたしの眼球を狙って突き出して来た。 間一髪で手の平で受ける。わたしは血塗れの手で舌に絡まったコンパスを奪い返すと、怒りに任せてカエルの肉体を貫いた。 〇 土曜日の朝寝坊程甘美なものはない。 だいたいいつも十一時くらいまで寝汚く布団にくるまっている。それでようやく起きだしてから、お父さんとお母さんと一緒にお昼ご飯食べて遊びに出かける。 ……っていう感じがいつものなんだけど、その日はそうもいかなかった。 九時頃に目を覚ました後、二度寝しようと再び目を閉じたくらいだった。外から大きな獣のうなり声みたいなのを聞いて、わたしは思わず体を起こす。 テレビとかでたまに聞くトラやライオンの鳴き声よりも、太くて低い音だった。しかもそれは、鼓膜が裂けそうな程大きく荒々しい。 再びうなり声。わたしはベッドからするりと降りて、玄関から外に出てマンションの七階から外の様子を見た。 龍がいた。 蛇みたいに長く蒼い身体に、遠目には雲みたいにも見える白い体毛が身体のあちこちから伸びている、巨大な生き物が体をくねらせながら飛行している。頭部には豊かな髭を生やした精悍な獣のような顔が付いていて、首より少し下のあたりに鋭い爪を帯びた二対の腕が伸びている。 その龍は巨大で、体長でいうと百数十メートルくらいはありそうだ。そして、龍の飛ぶ場所の真下には、西側の壁の一部を残してほぼ完全にただの瓦礫と化した建物があった。 確かあそこは、兄が普段バイトをしているスーパーだったはずだ。 「おはよ田中」 気が付くとすぐ隣に飴村がいた。飴村はわたしが気付いたことに気付くと、にっこりとした笑みをこちらに向けた。 「なんでいるの?」 「聞きたいことあるから飛んで来た。そしたら田中、ちょうどここにいた」 「そうなんだ。聞きたいことって?」 「あれ田中が何かに薬飲ませて作った龍?」 言いながら、飴村は龍の方を指さして言う。 「まあそう」 「何に飲ませた?」 「お兄ちゃん」わたしは龍の方を見ながら言った。「昨日の夜、お兄ちゃんがいつも飲んでて、バイト先にも持っていく五百ミリリットルのアクエリのペットボトルの中に、薬を入れた」 一滴だけで十分なのは知っていた。だが、隣のクラスの生徒の水筒に滴を混入した時のように、指先で掬ったのを垂らすってやり方をするのは怖かった。 だからって瓶から直接注ごうとして……つい入れすぎてしまったのだ。 「それは、あたしが昨日、瓶を取りに来る前のこと?」と飴村。 「そうだよ」 「『もう使っちゃった分はしょうがないよね』、って、田中あたしに聞いて来たけど、それってそのペットボトルに入れた分も含めてのことだったの?」 「そのつもり。ひょっとして、それも返さなきゃダメだった?」 「ダメだった。でも、田中に悪気がなかったんなら別に怒んないよ」 「聞きたいことってそれ?」 「ううん。あの龍殺して良いかどうか」 飴村はにっこり笑ってわたしに問うた。 龍が唸り声をあげながらあたりを飛び回る度に、吹き飛ばされそうになるほどの暴風があたりを駆け巡る。さらには、あちこちから湧いて来た分厚く巨大な雨雲達が、従者のように龍の周囲へと集まって行く。 雨雲が龍を纏い、龍と共に空を舞った。たちまち、街には信じられない程の量の雨が降り注ぎ始めた。 「なんでそんなこと聞くの?」 大雨の中で、わたしは魔女に向かって問うた。 「いや多分殺しといた方が良いんだけど、田中があれ眷属にするつもりで作ったんなら、勝手に殺したら悲しむかなって」 龍が呼び寄せた雨雲の力は凄まじかった。見たこともないような勢いで雨が降り注ぎ、街には今すぐにでも洪水が起きそうだ。実際、この事態を放っておけば背の低い建物から順に水の中に沈み、たくさんの人々が死ぬだろう。 「いや、眷属にするつもりはなかったけど」わたしは言う。 「そうなの? じゃあ何で作ったの?」 「いや、お兄ちゃん殺したかっただけ。ゲーム機独り占めしたかったから。あんなでかくてやばいのになるなんて知らなくて」 「瓶の中身どのくらい使った?」 「四分の一くらい?」 「それ五百ミリに薄めたのを、田中のお兄ちゃんが一口飲んだんだよね? もし薄めず原液でそれだけ飲んだら、星一つ壊れるくらいのができてたかも」 「マジで? あれより強いのとかあるの? あの龍、完全に雨雲操って洪水起こそうとしてるけど? 絶対、ボス級じゃん」 「わざとやってんじゃないっぽいけどね。龍になりたてで力を制御できてないだけで。……じゃ、殺して良い?」 「あ、えと。うん」わたしは頷く。「いいよ。やっちゃって」 「分かった。じゃあ、見てて」言って、飴村はわたしの方を見て可愛らしくウィンクをした。「カッコいいから」 飴村はマンションの廊下に立てかけてあった箒を取ると、それにまたがってマンションを飛び上がった。そして空を翔ける龍へと矢のように接近すると、物理法則を無視した動きで一切の予兆なく急停止した。 龍から百メートル程距離を取った地点で滞空した飴村は、片腕を大きく振りまわし始めた。すると、くるくると回される腕の先に、真っ赤な炎でできた大きな球体が出現する。最初は並の建物一つ分くらいのサイズだったそれは、飴村が腕を回すごとに加速的に大きくなっていき……やがて龍の巨体を上回る程になる。 「ぼるごおぞやんやむざなとりあやんやむ。ろぞじらそぼるごおぞやんやむざなどりあ。ぼるごおぞやんやむぎらぞばらじらぞやんやむざなとりあ。やんやむぼるごうぞ。ばらじらぞざなどりあじゅぶにぐらず!」 地上に現れた太陽のようなそれを、飴村は指先一つで操るかのように、自らの頭上へ移動させる。そしてその手を龍の方へと叩きつけながら、可愛らしい声でこう叫んだ。 「……マジカル・バーニング・エクスプレス!」 爆炎が龍を襲った。凄まじい勢いで龍の全身へと叩きつけられた火球は、その場で大爆発を起こして周囲に熱風を吹き荒れさせる。 雨雲を薙ぎ払う熱風が、悲鳴を上げる龍の全身を跡形も無く焼き尽くすと、一瞬にして晴れ渡った青空の真ん中に、箒に跨る魔女の姿が顕現する。 飴村は満面の笑みを浮かべながら、わたしのいるマンションの方へと飛んで来る。そしてわたしの前に着地すると、得意げな顔をして胸を張った。 「どう? あたし、強いでしょ?」 「強い」 わたしは素直にそう称えた。 「でも、『Express(速い)』は特急列車のことでしょ? 言いたいのは『Explosion(爆発)』の方じゃない?」 たった今焼け死んだ兄から齧った英語知識でそう指摘すると、魔女は林檎みたいに赤面して、頬を覆った。 〇 後日談。 洪水を起こす龍の出現と、その龍を焼き尽くす程の威力を持った火球の爆発により、街にはパニックに陥った。 とは言え、火球が爆発したのが街の遥か上空だったことから、兄が龍に変身した際に崩落したスーパーの中の人を除いて、幸いにも死者はなかった。洪水も深刻化する前に未然に防がれてしまったので建物等に被害はなく、学校も月曜日には普通にあった。 それでも土日の間は、行方不明の息子を探して奔走する両親を尻目に、独り占めしたゲーム機で遊びまくることができた。飴村のことも家に誘って、魔女の癖に普通にゲームができる彼女と一緒に遊んで楽しかった。 しかし月曜日は容赦なく訪れる。憂鬱な気分で起床したわたしは、だらだらと通学路を歩き始めた。 「おはようございます。田中さん」 いつもの待ち合わせ場所で、いつものように先に百目木が待っていた。わたしは目をこすりながら「おいっす」と声をかける。 そのまま二人で並んで学校へと向かう。その日の百目木は少し様子がおかしかった。いつにも増して挙動不審で、わたしの顔を見ては俯き、何か言いかけては下を向く。打ち明けたいことがあるのに言えないでいる、という風なのは明らかだった。 「どうしたの?」 向こうから何か言い出すまで待ってやる、ということができる程成熟していない。わたしの方から問いかけると、百目木は覚悟を決めたというよりは追い詰められてやむを得ずと言った様子で、懐から千円札を取り出して差し出して来た。 「あの……実はこれ、田中さんのランドセルに入ってた千円札なんです」 「は? え? 長嶋に盗まれてたやつ?」 「長嶋さんに盗まれたと、田中さんが思ってた奴です。本当は……その、私が盗ったんです」 盗った、という言葉を使った後、百目木ははっとした様子で「違うんです違うんです!」と、いつものように饒舌に言い訳を始める。 「実は授業で使う分度器家に忘れてたのに気づいて。忘れ物バレたらすごく怒られるけど、でももう昼休みだし取りに帰りようもないし、焦って焦って。昼休みは購買部やってるから買いに行けば良いって気付いて、でもお金持ってなくて、それで田中さんから借りようと思ったんですけどいなくて。購買部混むから早くいかないと間に合わなくなるから困って。田中さんランドセルの中に非常用の千円入れてるの思い出して、それを盗って分度器買ったんです。後で事情説明してお金返せば良いやって。でも購買から戻ったら田中さん、なんか長嶋さんとすごく揉めてたじゃないですか……」 何たる偶然。このやたらと自分に甘い友人が無断で人の金を借りて行った直後、ただの悪戯目的で長嶋は人のランドセルを漁っていたのだ。それを、わたしが金を盗っているのだと勘違いした。 「何が起きていたのかはだいたい分かったんですけど、でも私言い出せなかったんですよぅ。でもこのまま握り潰すなんて酷いこと友達の田中さんにできないし、でも打ち明けたら絶対嫌われるから、怖くて。今まで言えなくて。本当に……本当にごめんなさい!」 言って、百目木は千円を差し出しながら深く頭を下げた。 「その……嫌わないでください。何でも、何でもしますからどうか。どうか……」 わたしはため息を吐いて、百目木の手から千円をひったくった。 「嫌わないよ」 そう言うと、百目木は顔を上げてぱっと顔を明るくさせる。 「許さないけどね」 百目木は今にも死にそうな顔になってその場で崩れ落ちそうになる。 「え、あ。ウソウソ。ウソだよ」 嫌いはしないし接し方も変えないけど、でもやられたことは忘れないからね反省はしなよ? みたいなところに落とそうかなと思ってたけど、でも地獄に落ちたみたいな表情を浮かべている百目木を見ると、それも可哀そうに思えて来た。 「わたしがあんたの立場なら握り潰すと思うし。まあちゃんと打ち明けてくれたんなら普通に許すよ。気にしないで」 「た、田中さん……。本当に、本当にありがとうございます!」 感激したような表情で、両手を握り合わせて百目木は叫んだ。 「では許してくれたお礼に、私のとっておきの秘密を教えちゃいます」 「何それ?」 「前々から打ち明けたいとは思ってたんですが。実は」百目木は覚悟を決めるように唇を結んで少し沈黙し、そして厳かに口を開いた。「私、魔女なんです」 〇 Bパート 〇 わたしが住んでいるのは、薄っぺらい板切れみたいな形をした茶色のマンションである。血縁上の父の服役が決まり、今の両親に引き取られることが決まった際、初めてこれを目の当たりにした時は、その姿に板チョコのような可愛らしさを見出したものだ。 しかし数年が経った今では、中流家庭をすし詰めにした落書きだらけのその建物は、不自由な子供である自分を縛り付ける檻のようにも感じられる。 朝マンションを出たわたしは、菓子の袋やひしゃげた傘などの多様なゴミの散らばる駐車場を歩き、同じくらいゴミだらけでほとんどの遊具が撤去された公園を尻目に、通学路を進む。 いつもの待ち合わせ場所では、百目木の可憐な姿がわたしのことを待っていた。 百目木はわたしが歩いて来るのを認めると、学校ではわたしの前でしか見せない嬉しそうな笑みを浮かべて、こちらに手を振って来る。 「おはようございます。田中さん」 「う、うん。おはよう」 そのまま何事もなく一緒に学校に行こうと通学路に足を向けようとする百目木に、わたしは意を決して声をかける。 「あのさ百目木。昨日の話って……」 「あなたが田中か? ……と主が申しております」 百目木へのわたしの言葉を、唐突に背後から声がかかった。 振り返る。裸の赤ん坊を抱いた女が虚ろな表情で立ち尽くしていた。 中学生くらいの華奢な女性だ。肌は青白く、感情のない瞳は虚ろであり、視線はどこへ向くともなしに空を漂っている。顔立ち自体は作り物みたいに整っているが、しかし生気を感じないその様子はまさに人形のようで、見ていると気味が悪い心地にさせられる。 女が抱いている赤ん坊も妙だ。何せ裸というのが気にかかる。すっぽんぽんでオムツすら穿いていない所為で、可愛らしいおちんちんが女の腕の間でぷらぷら揺れている。 わたしが恐る恐るその女に近づいていくと、女が抱いている裸の赤ん坊が「だぁ」と鳴いた。 「あなたが田中か? と主が申しております」 赤ん坊の言葉を代弁するかのように、女が無感情な声を発する。 「は……え?」その異様な雰囲気に飲まれ、わたしは何も言えなくなる。「なに? あんた」 「あ、お姉ちゃん」 百目木が言った。そしてぺこんと、小学生らしく不格好に、女に向けて可愛らしく頭を下げる。 「おはようございます」 赤ん坊は百目木の方を見て、「だぁ。あうらうだう」と何か声をかけてから、次に改めてわたしの方を見て再び声を発した。 「だぁ」「あなたが田中か? と主が申しております」 「田中だけど?」わたしは百目木の方に引き攣った顔を向けた。「ねぇ、何なのこいつ?」 百目木は答える。「この人は私のお姉ちゃんです」 「あんた一人っ子だったくない?」 「人間でいう血縁上の姉妹とは違って……その、先生とか教官みたいな人なんです。このあたりの魔女の子供は、皆この人に師事してますよ」 「飴村も?」 「飴村魔耶ですか?」百目木は少し顔を顰めて言う。「ええ。まあそうです。……皆のお姉ちゃんです」 「……ということは、こいつはやっぱり」わたしは眉をひそめた。「魔女?」 「だぁあ。だぁああ」 裸の赤ん坊が声を発すると、それを受けて、彼を抱いている女が声を発する。 「如何にも我は魔女。名を恐神魔太郎(おそがみまたろう)と言う。と主は申しております」 どうも本体は抱かれている赤ん坊の方らしい。しかし、魔女で、しかも『お姉ちゃん』なのに、男で赤ん坊とはこれ如何に。 「だぁあああ」「今日はおまえ達に警告を授けに来た、と主は申しております」 「あうらうだう」「街に魔術師が現れた。強力な、厄介な魔術師だ。そいつは魔女を見付けると殺そうとする。と主は申しております」 「あぁああ。あだ。あだぁああ」「我がそいつを始末するまで、おまえ達は魔力を使わず、人間の子供の振りを徹底して過ごせ。無論、魔女の修行も休止とする。と主は申しています」 「え? 休みになるんですか?」 休みと聞いて、百目木は子供らしく目を輝かせた。 「……って。あ。え、えへへ。すいません。喜んだとかじゃなくってですね」 そして照れ笑い。こういうところは普通の子供と変わらない……が。 「百目木、あんた、本当に魔女なんだね」 昨日、百目木から魔女だと打ち明けられた段階では、それが嘘か本当かの判断は付かなかった。だが、こんな訳の分からない赤ん坊とそれを抱く女と知り合いだというのなら、多分本当に魔女なのだろうと思えて来る。 「え、ええ。魔女だと言ったじゃないですか?」百目木はやや不服そうに言う。 「魔女と証明するために魔法を使って見せて欲しい、って言ったけど、断ったじゃん」 「私達、人の世で魔法を使う時は、私利私欲じゃないことを説明できなきゃダメなので」 「私利私欲だったらどうなんの?」 「怒られます」 「怒られたらどうなんの?」 「嫌じゃないですか」 百目木は顔を顰める。つまり具体的な罰則とかはないようだ。そこまで厳密な禁忌って程でもないらしい。とは言え、目上から怒られるのが嫌なのは、人間も魔女も変わらないようだ。 「だぁ」「田中、人の子よ。おまえにも忠告だ、と主は申しております」 赤ん坊……恐神魔太郎の声を、抱いている女が翻訳する。 「あうらうだう」「もしもおまえが魔耶や魔琴から魔女の道具を受け取っているなら、ただちに返却せよ。そして、二度と彼女らに魔法を使わせたり、魔法の道具を借りたりすることはやめよ。魔術師は魔女だけでなく、魔女と仲の良い人間のことも憎んでいる。今言ったことを破れば、おまえも殺されるかもしれない。……と主は申しています」 そう言うと、女は恐神魔太郎を抱えたまま、唐突にわたしに背を向けて立ち去って行った。 一方的に捲し立てられて、挨拶もなく立ち去って行くその様子に、わたしは思わず顔を顰めて百目木に言う。 「あんたのお姉ちゃん、変わってんね」 「別に普通ですよ?」 「人間基準だとおかしいんだよ」 「それはそうかもしれません」 「アイツの言ってた、魔術師って何なの? 魔女の仲間?」 「魔術師とは、人間社会に知られていない、魔法を使える一部の人間のことです。そもそも人間ではない魔女とは、まったく異なります」 「魔女って人間じゃないんだ?」 「違います。まったく別の存在です。詳しく正確に説明しようとすると人間の言葉じゃ難しいですが。強いて言うなら、まあ……おばけですかね」 おばけって。随分と可愛らしい表現をしたな。 ちょっと言葉を選んだ感じだけれど、実際には『怪物』とか『悪魔』とか、そういう表現も当て嵌められるのかもしれない。そんな気がした。 「そして、魔術師は魔女を憎んでいます。人間の世に害を成す存在だと見做しているんですね。だから、彼らは修行のために人間の世界に現れた魔女を探し出し、殺害することを使命の一つにしているんです」 「疑問なんだけど、どうして魔術師は人の身で魔法を使えるの?」 「大昔に魔女から教わったそうです。その頃は、魔女と魔術師は仲が良かったんですって」 そんな会話をしながら、わたしと百目木はやがて学校にたどり着いた。 百目木が魔女だったという衝撃の事実にはそれ以上触れず、学校の朝の時間は普通に友達同士の会話をした。 やがてホームルームが始まる。そこで驚くべきことが起きた。 転校生がやって来たのだ。しかも、その転校生はわたしの知っている人物だった。 「飴村魔耶です。よろしくお願いします」 屈託のない笑みと共に自身の名前を黒板に書き綴り、わたしの方を見ながら手を振ったのは、わたしの知るもう一人の魔女の子供だった。 〇 金髪碧眼の美少女で、屈託のない明るい性格をした飴村は、クラスメイトから歓迎された。 転校生として取り囲まれる飴村は、人間の少女たちに明るい笑顔ではきはきとした受け答えを交わす。その一つ一つが周囲には好印象を与えるようで、その日の間中飴村の周囲には常に多くの子供がいた。 対するわたしは、いつものように百目木と二人きりで、日陰者として過ごしていた。 そして昼休み。いつもの屋上で時間を潰していたわたしと百目木に、飴村がどこからともなく表れて言った。 「ちょっと。声かけて来てよ田中―」 飴村は少し怒った表情を浮かべている。「ごめんごめん」とわたし。 「あんた、いつも周り取り囲まれてるから声かけられなくて」 「そうだよーだから抜け出すの苦労したんだよー。そっちから声かけてよ田中ー」 「ごめんって。つか、なんで転校なんてして来たの?」 「転校っつか、学校通うの初めてだったりして」 「は? まじ?」 「はまじ」 「なんで学校通ってなかったの?」 「まだ第二段階だったから。人間の学校に入って社会性身に付けるとかは第三段階」 魔女の修行にも段階というのがあるらしい。しかも社交性という項目もあるとのこと。面倒くさそうな話である。 「こないだやっと試験合格してさー。これでやっと魔琴に追いついたよー。ねぇ」そう言って、飴村は百目木の肩を持つ。「ひさしぶり魔琴。元気してた?」 「……今朝、魔耶と会うまでは」百目木は拗ねたような顔をして言った。「受かったんですね、第二段階の卒業試験」 「そだよそだよー。お姉ちゃんに付いてる中では魔琴の次。すごいでしょっ」 「何でわざわざ一緒のクラスに?」 「田中いるから」 「田中さんは私の友達なんですけど」 「あたしの友達でもあるもん。独り占めしないでよ。三人で一緒に仲良くできん?」 「…………」 拗ねたように体育座りで俯く百目木に、わたしは声をかける。 「何? 飴村苦手なの?」 「苦手です」 「なんで?」 「陽キャリア充死ねってとこです」 こいつ死ねとかいう言葉使うんだ……。「それ別に飴村悪くなくね?」 「ないですよ。でも一緒にいたくないってのは自由じゃないですか?」 「いやまあそうだけど……」 わたしも日陰者だが、でもそれは自分から人を避けてそうなる訳じゃない。可能なら、できるだけ多くの楽しい奴とつるんでいたい気持ちはある。だがしかし、自覚できるくらいには性格が悪いので、わたしからは自然と人が離れて行ってしまうのだ。 ところが、百目木はわたしと違い、自分から飴村のような明るい人間を避けているらしかった。飴村の方は百目木に手を差し伸べているにも関わらず、だ。 「別に、魔耶のこと嫌いじゃないんですよ。むしろ良い子だと思うんです」百目木は俯いて言う。「昔は仲良かったですし……。でも魔耶って周りに人いっぱいいるし、そいつらの中に私のこといじめて来る子が絶対いるし、でも魔耶はそんなのお構いなしにその子達とも仲良くて、それが嫌なんです。だから魔耶と一緒にいたら傷つくし、だったらもう、一人でいた方が良いやってなって」 「魔琴っていじめられっ子だもんね。良く持ち物全部麦の粒に変えられたりとか、食べ物全部ネズミの糞に変えられてたりしたし。誰よりも先に第三段階に進んだ時は、流石に一目置かれてたけどさー」 そう言ってけらけら笑う飴村。人間社会でもわたしが守ってやるようになるまではそうだったけど、魔女の世界でもいじめられっ子だったんだな、こいつ。 「魔琴がそれ選ぶのは勝手だけど、あたしは勝手に田中と仲良くするよ?」 「それ困るんですよ~。ええ、ちょっと……田中さんはどうするんですか?」 「いやわたしはどっちとも普通に仲良くしたいけど」とわたし。 「だってさ魔琴。どうすんの?」 そう言う飴村に、百目木は都合の悪い問答を避けるようにじっと俯いて、しかしその沈黙が何も解決してくれないことを悟ったように、漏らすように言った。 「……なるようになるんじゃないですか?」 〇 その後の一か月ほどで、二人の魔女の小学校生活はくっきりと明暗が分かれた。 飴村はたちまちクラスの人気者となった。それはまあ最初から予想ができたことだ。飴村は良い奴である。感情とその表現力が豊かでいつもだいたい笑っていて、他人に親切で気前も良かった。そのことは以前からの知り合いであるわたしも良く知っていた。 自然と、飴村はクラス内カーストを上り詰めて行った。とは言え本人に権力を持ちたがる傾向が強い訳でもない。むしろクラス内の政治には疎いところがあり、クラスで浮いているわたしのことをカースト上位との遊びに連れて行こうとするような、空気の読めなさもあった。 対する百目木の状況は悲惨そのものだ。 元から、暗い性格とドン臭さで元々周囲からは侮られ、バカにされ、相手にされないことの多かった百目木だ。しかしそれでも迷惑な存在ではなかった為、直接的な悪口や嫌がらせこそ受けることもなかったものの、最近ではそうもいかない状況に陥り始めていたのである。 理由は主に二つ。一つは、あからさまに飴村を避けているという点。 基本的には誰に対しても及び腰で、軋轢を起こせばただちに白旗を上げて逃げてしまう百目木だったが、飴村に対してだけは妙に横柄なところがあった。 百目木は飴村が無邪気に声をかけたり遊びに誘ったりしても、どこか鬱陶しそうに突き放してしまう。そんな光景を目の当たりにした他のクラスメイト達は、『百目木の癖に偉そうに』と感じ、彼女に悪印象を持つことになる訳だ。 そしてもう一つの理由。こちらの方がより深刻だ。 百目木の苦手な大縄跳びの大会の時期が始まったのである。 〇 我が南小学校では一年に一度、クラス対抗での大縄跳び大会が実施される。 参加するのは四年生以上のすべての学級。クラス全員(二十人ちょうど)が縄に入った時点から回数を数え始め、飛ぶことのできた回数を記録するというのを二回やる。その内、良かった方の記録を競い合って優勝を決める。 大会の開催日時は七月の初旬。練習は六月の中旬当たりから開始され、体育の時間や総合学習の時間が練習に費やされることになる。クソ暑いじめじめしたこの時期に、子供たちを効果的に苦しめる素晴らしい行事であると言える。 大縄跳びという競技の凶悪なところは、終わる時には必ず誰かが失敗をするということである。言い換えると、誰か一人戦犯を出すまでは終わらない。 どのクラスでも、戦犯になる奴っていうのはだいたい決まっている。縄を飛ぶ能力には個人差があり、一クラス二十人もいれば一人くらい飛びぬけてトロい奴がいる。そいつ一人がいる所為で、他がどれだけ優秀であろうとも、記録はその戦犯野郎が失敗をしたところまでになってしまう。 自然とヘイトを集めるものなのである。 もちろん五年生にもなってそんな学校行事にマジになる奴はいない。優勝目指してガンバローなんて気配を出したら、そいつの方が笑われる。のだが。 記録がショボすぎるということも、それはそれで好まれないのだ。 何せその大縄跳び大会は衆人環視の元、数クラスごとに順番に競技に挑むことになっている。あまりにもみっともない記録を出すクラスは当然、他のクラスの生徒達の笑いものにされてしまうのだ。 そんな訳で、大縄跳びの大会の期間というのは、運動音痴の風当たりがとにかく強い時期なのである。 「ねぇ百目木! あんたさ! もっと真面目にやんなよ!」 と、半泣きになっている百目木を怒鳴りつけるのは、長嶋亡き後次のクラスのボスに就任した、室井という肥満気味の女子だった。 「あんたがそうやって突っ立ってる間さぁ、縄の中にいる子達はずっと飛んでなきゃいけないんだよ? 分かってる?」 室井がそう言っているように、百目木はそもそも縄に入ることもできずに、回されている縄の外でべそをかきながら棒立ちしているのである。入るタイミングが掴めないでいるのだ。 「ごご、ごめんなさい。本当にごめんなさい」 「ごめんなさいじゃないでしょ! さっさと縄に入りなよ……早く!」 「は……はいぃ。ただいまぁっ!」 と言って、火の中にでも飛び込むような表情で縄に向かって突っ込んで、そしてあっけなく蹴躓いた。顔面から思いっきり運動場の砂の上に突っ込む。 百目木の脚で縄が止まって、中で飛んでいたわたしはようやく跳躍から解放され、その場で膝を下した。『た』から始まるわたしは『ど』から始まる百目木の一つ前の出席番号で、常に百目木の一つ前に縄に入ることになる立ち位置だった。 「トロい! 本っ当トロい!」室井がそう言って地団駄を踏む。足が太く上半身もがっしりしてるので、そうやると微弱な地震くらいなら起きそうに感じる。「マジ、あんた、ないわ。死ねば良いのに!」 「ごめんなさいごめんなさい。蹴躓いちゃってごめんなさい。いや飛ぼうとはしてるんですよ? 本当に飛ぼうと思ってるんですその意思はあるんです。ふざけてるとかそういうんじゃなくってやる気もあってだからえっとそのたまたまタイミングが合わなくて。私こういうの苦手で」 「うるっさいな! 言い訳すんな!」室井は吠えた。「もういいしこれからあんた一人だけ練習ね? ウチら回しててあげるから、飛べるようになるまであんた一人だけが縄に入る練習するの! 分かった?」 酷ではあるが一理あるその提案に、百目木は絶望的な表情を浮かべた。 「え? ええぇ。そ、そんなあからさまに味噌っかす扱いするなんて……。一人だけでずっと練習なんて、嫌ですよぅ」 これを嫌がるから余計嫌われるって分からないかなぁ。どうせ抵抗しても無駄なんだから、せめて殊勝な態度を見せておくくらいの損得計算ができないのが、こいつが被虐者の地位にいる所以の一つである。 ちなみに百目木を回し係りにするという作戦は使えない。練習中は生徒の誰かが回すことになるが、本番でそれをするのは二人の教員であるからだ。 「あんたがトロいのが悪いんでしょ! クラスのみんなにメーワクかけてるって自覚あるの? 練習をしろっつ、練習をっ!」 なんで顔を赤くして吠える室井。取り巻き達の「そーよそーよ」の声。 くっだらねぇなあと思ったので、わたしはうんざりした表情でそれを口に出した。 「くっだらねぇなあ」 それを聞いて、室井は引き釣った表情を浮かべてわたしの方を睨みつけた。 「は? なんか言いたいことあんの田中?」 「あんたさ。何こんな大縄跳びなんて大会にマジになってんの?」 「こいつがあんまりトロくてムカつくからだし」 「そいつがトロくて縄を飛べなかったとしてさ、あんたにメーワクかかってる訳じゃないよね? 大縄跳びの大会なんてどんな結果になっても得も損もしないんだから。それをムカつくっていうんだったら、それはあんたがくだらないことにムキになってる証拠だよ」 「くだらないくだらないって……。何あんた、チューニみたいなこと言ってんの?」 「わたしらチューニですらないけどね。でも別に斜に構えてんじゃなくって、本当はあんただって本気で優勝したいとか思ってないんでしょ? つか、このクラスの全員が多分それ思ってない。それなのにそんな顔真っ赤にして百目木いじめる必要がどこにあるんすか?」 「え~でもあたしは優勝したいなぁ」 と、空気を読んでくれないことを屈託のない声で言ったのは、飴村だった。 「何だって一番は偉いよ。飛ぶの楽しいしさ。そりゃ魔琴が飛ぶのヘタなのは可哀そうだし、責めるのは良くないけど、でも学校行事だし練習はちゃんとした方が良いと思う」 その正論今言わないでくれよなぁ。案の定、室井とその取り巻き達は「そーよ、そーよ」と声を揃える。別に飴村あんたらの味方ってんじゃないのに、それ分からないもんなのかね。 わたしは溜息を吐いて飴村に言う。「そうだけど、室井の言い方は度が過ぎてない?」 「過ぎてるね。死ねとか言って怒鳴りつけたらダメだと思う」 「じゃあとりあえず室井黙らせて、百目木をどうするかは、冷静な人間だけで話し合った方が良いんじゃね?」 「話し合うとかじゃなくて、魔琴は練習しなきゃだと思う。やればできないことじゃないし、できないままにしとくのがダメなの自体は合ってると思う」 屈託のない声で正論を口にする飴村に、わたしは心が折れるのを感じる。 相手が声のでかさを頼りに無茶を通そうとしているのならば、テキトウにいちゃもんつけて口喧嘩でもして、場をグダグダにすればことが済む。 だが、正しいことを正しい人間が口にしているのでは、どうにもならない。 「でもあんまキツい言い方するのは可愛そうだよね」そう言って、窘めるような顔で飴村は室井の方を見る。「魔琴にはあたしが飛び方教えてあげるからさ。室井は見守ってて欲しいな」 澄んだ瞳でそう言われ、室井は唇を結んで引き下がる。クラス内の地位的にはクラスのボスである室井の方が上なんだろうが、そんな力関係を気にしないのも飴村の力だ。 「じゃあ魔琴。ガンバロー。あたしがお手本見せたげるから、その通りやって」 大縄跳びにお手本も何もあるのかは知らないが、とにかくそういうことに決まったようだ。 飴村を好いていない百目木にとって、彼女から飛び方を教わるのは屈辱だろう。可哀そうな友人を、わたしは近くで体育座りしながらぼんやり見守っていた。 〇 可哀そうな百目木は、それからしばしば居残りで大縄跳びの練習をさせられるようになった。 室井を中心とした鬼教官達による熱烈な指導は、最早シゴキというより単純なイジメの様相を呈している。帰りたがり泣きじゃくる百目木は、時に暴力を伴う恫喝によって縄を飛ぶことを強要され、蹴躓いて土に伏せる度、情け容赦ない罵声を砂まみれの全身に浴びせかけられた。 もっとも、その練習は百目木をシゴいたりイジメたりすることのみを目的としている訳ではない。その居残り練習は担任教師も交えた学級会により可決されたある種公的なもので、授業が五時間で終わる木曜の放課後に毎回実施されており、常にクラスの半分以上が参加していた。 そんな訳で、わたしは百目木が練習から解放されるまでの三十分間を、校門の傍でぼんやりと待って過ごしていた。先に帰ることをしないのはイビられて半べそになってやって来る百目木を慰めてやりたいという友情からで、共に練習に参加しないのは弱者をイビってまで大縄跳びなんぞに熱心になる連中と一緒にやるのが、バカらしいからだった。 「こんにちは」 梅雨もそろそろ開けようかという七月の初旬。蒸し暑さに陽光の刺すような痛みの加わった気候の中、うんざりとした気分で突っ立っているわたしに、真横から声が掛けられた。 「今日も良い天気だね。こんな日は、あまーいお菓子はいかがかな?」 極端な長身痩躯の青年だった。黒い半そでのシャツとジーンズという出で立ち。切れ長の瞳と怜悧さを思わせる薄い唇の持ち主だった。 「…………何? あんた」わたしは汗をぬぐいながら返事をする。「お菓子くれんの? なんで? 不審者? 誘拐犯? 知らない人に付いて行かないよわたし」 「別について来てもらう必要はないさ」青年はおかしそうにくすくすと笑う。「今度この町でお菓子屋さんを開く者だよ。だから街の皆に……特に子供達には顔を売っておきたくてね。タダでお菓子を配ってるんだ」 そう言って、青年は懐から色の付いた小さなビニールで包まれた球形のものを取り出した。丸っこいチョコや飴なんかを包んで両端をクルクル捻ってあるアレである。 「さあ。どうぞ。召し上がれ」 差し出されたお菓子はとりあえず受け取ってしまうのが子供のサガである。わたしは受け取った包みをまじまじと見つめる。中にあるのは果たして飴だかチョコだか。 「感想を聞きたいから、この場で食べてみてくれないか? ちょっと変わった見た目をしているから、びっくりしないでね」 わたしは言われたとおりにする。捻ってあるビニールを解いて中身を取り出すと……そこには人の眼球が包まれていた。 「はあ?」 わたしは思わずその眼球に見入る。いや、本当に眼球であるはずもないが、大きさと言い見た目と言い質感と言い、それは抉り出した人間の目ん玉にしか見えなかった。 「目玉チョコ。すごいでしょ」 青年は驚く私を見て嬉しそうに言う。 「こんなナリでも見た目はおいしいよ。さあ、召し上がってごらん」 本当に良くできている。黒目の透き通り具合や白目の生々しい色感や、浮き上がるような血管に至るまでリアルに再現されている。こんな精巧なものをしかもチョコレートで作るだなんて、魔法染みた技術にしか思えなかった。 「…………や、これは今すぐ食べるのは惜しいわ」わたしはそう言ってチョコを包みに戻す。「後で友達に見せるわ。味の感想は今言えないけど……でもすごいと思った」 「そうかい。褒められて嬉しいなあ。ありがとう」青年は満足そうに微笑む。「それじゃあお店が開店したらいつでも来てよ。待ってるからさ」 言いながら、菓子を配っていた青年は立ち去って行く。 すごいものを作る奴がいるもんだと感心しながら、手の中で目玉チョコを弄んでいると……三十分経って百目木が飴村を伴ってやって来る。 「お待たせしましたぁ……」とげんなりした声で百目木。「うう……。今日もすっごく嫌なこと言われました。あんなに言われたってできないものはできないのに、酷いですよね」 「できないじゃなくてやろうとしてないんだよ。できるようになることに興味がないんだ。もっときちんと練習したら、ちょっとはマシになんのに」と飴村。 「あんなの練習して将来何の役に立つんですか!」 「でもいじめられなくはなるよね? まあ流石に今日のは酷かったからあたしも止めたけど。……ねえ、いっそ魔法使ったら? それで脚力か度胸かどっちか増やせば良いじゃん」 飴村のその提案に、百目木は目を丸くして首を横に振った。 「ダメですよ! そんなの完全に私利私欲ですって。バレたらお姉ちゃんに怒られちゃいます。ただでさえ、魔術師が街に来てるから、魔女なことバレないように魔法使うなって言われてるのに」 「バレなきゃ良いと思うんだけどな~。あたしちょくちょく隠れて使ってるけど、一度も怒らえたことないよ?」 「魔耶のそういうところは私、本当にどうかと思います!」そう言って、百目木はわたしの方を見た。「田中さんもそう思いますよね? しちゃダメって言われてることはしちゃダメですよね?」 「や、バレなきゃ良いんでない?」わたしはそっち派の人間である。しかし。「まあ一回や二回ならバレずにやり過ごせることでも、何度もやってりゃいつか火傷するから、そのここぞという時の見極めが大切なんだけどさ」 「まあそうかもね~。それはそうとさ田中。その手に持ってるの何?」 そう言ってチョコの包みを指さす飴村。ころころと興味の移ろう奴である。 わたしは「ああ……」と口にして、目玉チョコの包みを解いて中身を見せる。人間の眼球そっくりのそれに、百目木と飴村は驚いて。 「おおおっ」 「ほええっ」 とそれぞれ感嘆の声を上げる。 「さっきお菓子屋さんのお兄さんからもらったの。すごいでしょ」 「すごいすごい。そのお兄さんどこいんの? あたしも欲しい!」 目を輝かせる飴村に、わたしは首を横に振る。 「いや、会ったの大分前だから多分無理だよ。三十分くらい前のことだしさ」 「そっかー。残念~」 悔しがる飴村。百目木が「あれ?」と小首を傾げて声を発した。 「そのチョコレート、貰ったの三十分前なんですか?」 「そうだけど、どうしたの?」とわたし。 「おかしくないですか?」 「何が?」 「だって、この暑さですよね?」 「それが」 「いや、だから。そんな前にもらったチョコが、なんで少しも溶けずにいるんですか? もうちょっと柔らかく、へにゃ~ってなってないと、おかしいと思うんですけど」 そう言われ、わたしははっとして手の中の目玉チョコを見詰める。作り立てのように形がしっかりしていて、少しも溶けた様子がない。 わたしの隣から生白い手が伸びて、目玉チョコが奪われる。飴村は目玉チョコを目の前に掲げてじっと注視すると、あっけらかんとした声で言った。 「なんこれ、魔法でできてるじゃん。そのお菓子屋さん、多分魔術師だ」 「は?」 「どんな魔法がかかってるかは食べてみないと分からんけど、どうなるか分かんないから、食べない方が良い」 絶句するわたし。飴村はひょいと目玉チョコを地面に放り捨てると、スニーカーのつま先でぐっと押しつぶす。 「でもちょっとまずいね。その魔術師、もうこの学校のことは、突き止められてるみたいだね。すごいなあ」 そう言ってけらけら笑う飴村。「笑いごとじゃないですよぅ」と、百目木はおろおろとした表情を浮かべた。 〇 大縄跳びの大会の日がやって来た。 クラスメイト達はどこかピリピリとした雰囲気を漂わせている。そして厳しい視線が百目木の方に向けられていた。あれだけ練習させたんだからちゃんと飛べるはずだよね? というプレッシャーが百目木に絶えず送られていた。 「あれだけ練習させたんだから、ちゃんと飛べるはずだよね?」 口に出す奴もいた。室井である。嘘でも『はい』っつっときゃ良いのに、百目木は歯切れ悪く「ど、努力します」と答えて下を向く。その所為で 「もし蹴躓いたりしたら、ぶっ飛ばすからね?」 とさらなる脅しをかけらる羽目になり、百目木は目に見えて青くなった。 そんな百目木を見ていると、わたしはどうにも胸糞の悪い気分になって来る。こんな奴でも一応友達だ。大事に思っている。大縄跳びなんてどうでも良いはずのことをイジメのネタにされ、低能な威圧に晒されているこの友人が、わたしはどうにも不憫でならなかった。 「大丈夫だよ」 しょんぼりしている百目木の肩を、わたしは小さく叩いてそう口にする。 「大丈夫だから。安心して。わたしが何とかしてあげる」 百目木は「……田中さん?」と言って大きな目をぱちくりさせてこちらを見る。わたしは小さく微笑んでから目を反らし、大会の会場である運動場の方へと歩いて行った。 わたし達五年生の二クラスの順番は、四年生の二クラスの直後である。四年一組も二組もそれなりに練習してきているのか、どちらも我がクラスの最高記録を大きく上回るスコアを記録していた。 三回に二回は縄に入れるようになったものの、高確率で途中で蹴躓く百目木を擁する我がクラスのアベレージは、彼らの記録に遠く及ばない。下級生に敗北することが濃厚となった我がクラスの空気は、早くも悲壮なものとなっていた。 そしてとうとう我々五年一組の番になる。出席番号順に並び、トップバッターの飴村から順に、子供達は縄の中へと入っていく。 順番が近づくにつれ、わたしの一つ後ろに立っていく百目木の手が震え始める。残り数人を数えるところになって百目木は爪を噛み始め、目前の一人が縄に向かっていく時には今にも倒れそうになっていた。 そしてその最後の一人……出席番号十一番のわたしは、無造作に縄に入っていくなり右足を引っ掛けた。 制止するクラスメイト達。足に縄を絡めて立ち尽くすわたし。 「おい田中何やってんだよ!」 室井が火でも吹くかのような声と顔で言う。顔も口もでかくて不細工な所為か、そうしていると本物の爬虫類のようだ。 「ごめ~ん。蹴躓いちゃったー」 わたしはそう言ってぺろりと舌を出す。 「マジでちゃんとやれよ、おまえ」 「りょうっかいでーす。すいませーん」 そう言って百目木の前に戻るわたし。縄を飛んでいた生徒達もそれぞれ列に戻り、教師の合図で仕切り直しとなる。 百目木が目を丸くしてわたしの方を見詰めている。その指先は先ほどまでのように震えていない。自分の順番が来る直前、わたしは百目木の方を振り返ってウィンクをした。 その時百目木の表情に刻まれたのが、確かな安心と喜びだったことは、印象に残った。 出席番号十番の園部が縄に入り飛び始めるなり、わたしは力一杯縄に向かって走り寄った。 そして回転する縄へ飛び込むと、わたしは子供らしく元気良く縄を飛……ばなかった! 回転する縄が足元に叩きつけられ、しかしわたしは微動だにしない。縄を回す教師の手が止まり、飛ぶのをやめたクラスメイト達がわたしの方を呆然と見つめる。 わたしは両手を晒し、肩を竦めてこう口にした。 「ばーか」 〇 「バカはおまえだよ!」 放課後、教室を出ようとしたわたしは、室井によって肩を掴まれ、壁に向かって叩きつけられてそう怒鳴りつけられた。 「わざと失敗しやがったなおまえ! どいうつもりだ?」 「わざとじゃないもーん」思いっきりバカにした声でわたしは言った。「一生懸命やったけど躓いちゃったんでーす。失敗した人を責めるのは、良くないと思いまーす」 そう言ったわたしに対する答えは強烈なビンタだった。太ましい腕の中にそこそこ筋肉を貯め込んでいる室井は、結構力も強かった。 「皆アレはわざとだって言ってるよ? お陰で大縄跳びの大会、ウチのクラスだけ記録ゼロになっちゃったじゃん。どうしてくれんの?」 「どうもこうも、生じてない損害に対して責任とかないよね?」 「は? 生じてるし? これまでの練習台無しにされたんだよ?」 「でも誰も何も失ってないじゃん。大縄跳びで最下位になってお小遣い減らされる? 成績が下がる? 将来の進学や就職に差し支えたり、年収や社会的地位に影響したりする? 胎児に悪影響? 子供の教育に良くない? 違う違う違う。なーんも変わんないし失わない。だからわたし、何も悪いことしてないもんね」 「ねぇ室井。そうやって叩いたりするのは良くないよ」 そう言って、ギャラリーの中から姿を現すのは飴村だった。額に汗しているギャラリー達の中で唯一冷静な表情をしたそいつは、こんこんと言い聞かせる口調でわたしに言う。 「それと田中。なんでわざと蹴躓いたの? 魔琴を守る為? あたしは大縄跳び楽しかったよ。そうじゃなく嫌々やっていただけの人にとっても、我慢して頑張って来た分の等身大の結果は欲しかったんじゃないの? それをわざと蹴躓くのは、やっぱダメじゃん?」 「……わたしに言わせりゃ、その『等身大の結果』っていうのが、ゼロ回なんだと思うけどね」 わたしは吐き捨てるように言う。 「大縄跳びってのはクラス全員の協力が必要な行事でしょ? だから、わたしというクラスの一員が協力を放棄した結果記録がゼロになったのなら、それはそのゼロ回っていうのがありのまま、このクラスの力ってことなんじゃないの?」 「じゃあなんで、田中は協力してくれなかったの?」 「嫌がってる百目木に無理やり練習させて、何度も泣かすようなクラスに、協力なんてできっかよ」 クラスが一つになりましょう。それが今回の大縄跳びのお題目だ。全員の力を合わせて難しいことに挑戦し、結果を出す。それによって結束力を高める、確かめる。結構なことだ。 だがその為に、脚を引っ張る者や意欲のない者を痛めつけるようなやり方をするのなら、その集団からはわたしのような者が必ず現れる。そして内側からズタズタに引き裂かれて、或いはズブズブに腐らされて、滅んでいく。そういうものだ。 ふと腹部に強い衝撃を覚える。室井の膝がわたしの腹に埋め込まれていた。 強烈な蹴りを食らったわたしは呼吸する力を失ってその場に蹲る。そして無抵抗になったわたしの身体に、室井のつま先が何度も叩きつけられる。 「協力してくれないんだったら、誰もあんたのことをクラスの仲間とみなさない」 そう言って、室井は激しくわたしに暴力をふるい続ける。 「おまえみたいな奴さえいなきゃクラスは上手くいくんだ。だったらこっちはおまえのような奴を排除するだけだよ。だからおまえみたいな奴は、誰からも見限られて遠ざけられて、一人ぼっちで朽ち果てるだけの人生なんだよ!」 「やめてくださいっ」 そう言って、百目木がわたしの前に立って、泣きながら室井に懇願する。 「わ、私が悪かったですから。私が飛ぶの下手なのがすべて悪いですから。だから田中さんのこと蹴るのはやめてください。お願いします!」 そう言って両手をすり合わせる百目木。あはは。良いとこあるじゃん。 でも多分無駄だよそれ? とわたしが思う間もなく、室井は百目木のことをあっけなく払いのけ、吠えた。 「うるせぇよ!」 そして室井は百目木のことを払いのけただけでなく、容赦なく蹴りをお見舞いする。 「おまえこんな奴の味方すんのかよ! もしかして最初っからおまえがこいつに頼んだんじゃねぇだろうな? あ? そうなんじゃねぇのか!」 言いながら、蹲る百目木の頭に蹴りを入れ続ける室井。興奮しまくる様はまるで猿だ。 「そうだよおまえの言う通りだよ! 最初っからおまえがいなかったら全部上手くいってたんだ。おまえみたいな奴は、最初っからこのクラスに……いらない! いらない! いらない! いらない! いらな……」 ふと、百目木のことを蹴りまくっていた室井の声がやみ、蹴りも止まった。 見れば、室井の右脚の膝から下が無くなっている。これでは蹴りができなくなるのも当然だ。切断面は綺麗とさえ言える程鮮やかで、しかし人体を切断した以上、そこからは吹き出て来るべきものがあふれ出る。 ぶしゃーっ、と激しい音と共にまき散らされる室井の鮮血が、おびただしく百目木に降り注いでその全身を真っ赤に染めている。そして出血とショックによって、室井はあっけなくその場に仰向けで倒れ、目を回しながら泡を吹いて気絶した。 「いやあああああっ!」 クラスの誰かが叫んだ。教室のあちこちから同じような悲鳴が次々と吹き上がる。教室はパニックとなった。 「……百目木」 その中で、わたしは血まみれの友人の元へ駆け寄って、声をかけた。 「あんたがやったの?」 「い、いえ」 力なく起き上がってから、百目木は首を横に振る。 「私はこんなことしません。決まりは守ります。だって、怒られるんだもの。だから……」 そう言って、百目木が視線を送ったその先で、飴村がニコニコ笑いながら室井の右脚を抱きしめていた。 「最近ぎこちないって言ってもさ。でもやっぱり魔琴は友達なんだよ」 そう言って、飴村は無造作に、室井の右脚を床に放り投げた。 「そんでね。いくらクラスメイトだっつってもさ。人間が魔女を襲ってたら、人間の方を止めるんだよ。殺してでも、脚を捥いででもさ。当たり前でしょ?」 野犬が人間を襲っていたら、野犬を撃ち殺してでも人間を助ける。 それと同じことだ。同じことを魔女である飴村はやったのだ。魔法を使って室井の脚を捥いだ。それは百目木と同じ魔女として、人間に対する当然の措置だった。 「思わず脚捥いだけど、そこまでしなくて良かったかな? でもまあ良いや。そんなことより……。ねぇ魔琴、大丈夫?」 〇 人間は人間だ。魔女は魔女だ。どれだけ仲良くなろうがどれだけ言葉を尽くそうが、その間には超えようのない種族の壁がある。 それはそうだろう。人間だって、自分とは異なる種族……例えば犬や猫や鳥や虫けらに、どれ程の慈愛や友情を覚えたとして、それらが人間に牙を向いたらやはり、殺してでも止めるしかない。確実に制止する為には、躊躇いや加減は禁物だ。ちょっとくらいやりすぎたとしても、人間を守る為には仕方がないのだ。 だから飴村の行為を、魔女の仲間を助ける為人を傷付けたその行動を、咎めることなどできるはずもない。それは倫理や常識に基づいた正しい行動だったが……しかしだとすれば同時に、人間側が同じ人間を守るために魔女を殺そうとすることも、また道理だと言えた。 突如として、どこかから射出された桃色の球体が飴村の胸を貫き、その矮躯を床に倒れ伏させた。胸から広がっていく鮮血の色は、人間のそれと変わらない赤色だった。 「魔女、見ぃつけた」 声がした方を振り向くと、教卓の上に長身痩躯の青年が腰かけている。掌には色とりどりのカラフルなキャンディをいくつも抱えていて、倒れ伏す飴村を見詰めている。 「あんたは……前に合ったお菓子屋の……」 わたしは青年に向けてそう言うと、青年はにこやかな表情で気さくに応じる。 「そ。また会ったね、お嬢ちゃん。僕がプレゼントした目玉チョコは、食べてくれなかったみたいだけどね」 青年が指を鳴らすと、脚を捥がれて仰向けに倒れている室井が数回、咳をした。すると、その口の中から、小さな眼球がころりと床に転げ落ちる。 青年が指先を振り上げて合図をすると、眼球は念力か何かで操られたかのように宙を舞った。そして弧を描くようにして青年のところへと飛んでいく。 「この目玉チョコを食べさせた人の見るものを、僕も同じように見ることができるという魔法なんだ」青年はそう口にして、室井の口から出て来た眼球をキャッチする。「そうやって魔女を探していた。でも、もう必要なくなったから、取り返させてもらうよ」 「あんた、どっから湧いて来たの? いつの間にそこにいたの?」 「魔女を見付けたから、瞬間移動して来ただけだよ。それくらいはできるんだ。僕、実は魔術師だからね」 そう言って、魔術師は倒れ伏している飴村の方へ指を突き付ける。そしてその指先を壁の方へと上向かせると、飴村は操られたように宙を浮いた。胸を貫かれた飴村は、気を失ったようにぐったりと目を閉じており、念力を操る魔術師のされるがままになっている。 「魔女は人類の敵だ。そこで片脚を捥ぎ取られて倒れているお嬢さんの姿が、良い証拠だ」 魔術師は淡々とした口調で言って、手の中にあったキャンディをすべて宙へと放り投げる。投げられたキャンディは床へと落ちることなく浮遊して、宙に浮く飴村を取り囲む。 「魔女の子供がただ人間の世界で修行をしているというだけで、何人もの人間が不幸になり、死んでいく。同じ人類を守る為、僕達魔術師は見つけ次第魔女を殺さねばならない。君にとっては友達なのかもしれないが……どうか悪く思わないでおくれ」 キャンディの弾丸達に合図をするように、魔術師は指をぱちんと鳴らした。すると、キャンディ達は一斉に飴村に襲い掛かる。一つ一つが肉体を容易く貫く威力を秘めたそのキャンディを前に、飴村の身体は成す術なくズタズタにされる……! そう感じたわたしが思わず目を閉じた、その時。 「ほろこおそにぐむへらあらずちる。らなぞじるえでびずるんだるんだりじゃぶにぐらす!」 キャンディの砕け散る音が教室中に響き渡った。 見れば、飴村の前で両手を広げて立つ百目木が、氷でできた壁のようなものを展開して、キャンディの群れを砕き、弾き飛ばしている。氷壁のバリアーと言ったところ。それが飴村を守ったのだった。 「……薄氷(うすらい)」 百目木がそう呟くと同時に、周囲を取り囲んでいた透明な壁が砕け、床へと散らばる。そして指先を魔術師に突き付けて、口元で先ほどのような呪文を呟いた後、百目木は叫んだ。 「春霰(しゅんさん)!」 無数の氷の礫が出現し、魔術師に向けて飛び掛かって行く。それを見た魔術師は涼しい身のこなしでそれを躱し、教卓から近くの机へと飛び移った。 「ちょっと……百目木! 何やってんの!」 わたしはそう言って百目木を怒鳴りつけた。 「黙って見てりゃあんたは魔女だってバレないはずでしょ! なんでわざわざ魔法なんか使うの!?」 友達を心配しての言葉だった。百目木は一瞬だけ身を震わせて、恐怖で泣きそうになった表情を浮かべて、言う。 「魔耶はいけ好かない奴だし、嫌いだけど。でも友達には違いないから」 その震える声にはしかし、百目木の強い決意が込められていた。 「守らなきゃいけないから。戦わなきゃいけないから。怖くても、どんな敵が相手でも、でも今だけは絶対に逃げちゃダメだから!」 「やれやれだよ。まさか魔女の子供が二人いるなんてね。思ってもみなかった」 相も変わらず飄々とした様子で、しかしその切れ長の目には弛まぬ意思を湛えながら、魔術師は言った。 「真正面から戦うのは趣味じゃないが、仕方がない。どんな状況であったとしても、僕ら魔術師は、邪悪な魔女を滅殺するだけだ!」 魔術師は懐から数枚のビスケットを取り出すと、円形のそれを手裏剣か何かのように百目木に向けて投げつける。高速回転するそれをまともに食らえば、彼女の身体はたちまちズタズタになるだろう。 「薄氷!」 しかし百目木は冷静に氷の壁を出現させ、ビスケットで出来たカッターを受け止める。そして魔術師が次の手を放つ前に、目を充血させながら呪文を詠唱して大技を放った。 「寒雷(かんらい)!」 視界が真っ白に染まったかと思ったら、空高くから何かが割れるような音がわたしの頭上に降り注ぐ。突如として落ちて来た雷が教室の天井をぶち抜いて、魔術師の全身に降り注いだ。 落雷が通過するのは一瞬だった。いくつかの瓦礫が崩れ落ち、天井に空いた穴からは晴天の空がくっきりと見え、床に空いた穴の奥には雷の落ちた一階の床の様子が見て取れる。 その中央には、黒焦げになった魔術師の痩躯が、干からびたカエルか何かのように張り付いていた。 決着だった。 〇 突如として目の前で行われた戦闘行為に、狂乱の様相を呈する子供達をかき分けて、百目木は飴村の方へと駆け寄って行った。 「魔耶! 魔耶! 大丈夫ですか? 返事をしてください! 魔耶!」 魔術師が死んだことで床へと投げ出された飴村の華奢な体は、しかし返事をすることなくぐったりとしている。胸を貫かれて血塗れにいなっているのだから、それも当たり前のことだ。 「魔耶! 魔耶! ……魔耶? 死んじゃったの? ねぇ……ねぇ!」 「動かしてはいけない、……と、主は申しております」 背後から声がした。 赤ん坊を抱いた少女がそこに立っている。飴村と百目木の『お姉ちゃん』に当たる魔女、恐神魔太郎とその従者の少女だ。 「あうらうだう」「魔耶と魔琴のいる学校に突如雷が降り注いだから来てみれば……これはどういうことだ? と主は問うております」 最早この赤ん坊の姿をした魔女とその従者が、如何なる方法を用いていつの間にここに現れたかなどというのは、愚問と言った方が良いだろう。魔法を使ったに決まっている。 「それは……魔耶が不用意に魔法を使っちゃって魔術師に見付かって。それで魔耶がやられて、魔術師は私が頑張って倒して……」 「だぁあ」「そうか分かった。では魔耶を貸しなさい。と主は命じております」 恐神魔太郎がそう言ったので、百目木は飴村の肉体から手を離した。恐神がその小さな手を飴村の方へと掲げると……たちまち胸の傷がふさがって行った。 「う、うぅうん……」 飴村が目を覚ます。「魔耶!」と百目木が喜びの声を上げて、飴村の身体に抱き着いた。 「良かった生きてて! 良かった。良かったぁああ……」 しゃくり声をあげて泣き出す百目木。飴村はあたりを見回して、教室中に刻まれた戦闘の形跡を認めると、百目木の方に視線を向けた。 「もしかして魔琴……あたしの為に戦ってくれた?」 「戦いますよ! 当たり前じゃないですか!」百目木は涙に濡れた顔で口にする。「だって私達……友達じゃないですか!」 そういう百目木のことを、感激した様子の飴村が力強く抱きしめ返す。同じ熱さの涙を流す二人の間にあったわだかまりは、溶け落ちてしまっているようだった。 血塗れで抱き合う二人の魔女の友情から、わたしは一人、取り残されて立ち尽くしている。 そんなわたしに、恐神が、というより恐神を抱いた少女が声を発した。 「……魔女の戦いをその目に見て、あなたはどう思うか人の子よ? と、主はあなたに尋ねています」 わたしは緩慢に振り向いて、投げやりな声でこう言った。 「別に? こいつらがデタラメな力持ってることくらい、わたし、知ってるし」 「あうらうだう」「おまえは魔耶や魔琴を魔女と知りながら、友達でい続けてくれている。姉としてありがたいことである。しかし何故だ? と主は問うています」 「魔女と友達だったらなんかダメなの?」 「だああああ。だぁああああ」「魔女と人とでは、持っている力がまったく違う。だから、魔女は人間と魔女を明確に区別する。おまえ達が人間と虫けらを区別するのと、同じように」 ……虫けらと来たか。だが反論はできない。魔女の持つ無限の力と比べれば、わたし達人間は虫けらのごとく矮小で非力だ。 「あうらうだう! あう! あうらうだうあうだう!」「彼女らは確かにおまえのことを気に入っている。しかしそれは、人間が虫や動物を慈しみ愛することと変わらない。それでもおまえは、魔耶や魔琴と友達でい続けるのか? と主は申しています」 「当たり前じゃん。あんた、間違ってるよ」 わたしがきっぱり言うと、鳴いているだけだった赤ん坊は、僅かにその表情を満足そうな形に歪ませる。 それっきり、恐神は何も言わなくなった。 〇 多くは語らないしその意味もないが、あの騒ぎに付随するいくつかのゴタゴタをテキトウにやり過ごし、わたし達は日常へ回帰していた。 飴村は以前までとは打って変わって、百目木の方も以前に輪にかけて、周囲からは敬遠されるようになっていた。 大人の世界では、室井の脚がもげたことや教室内で氷壁や霰や落雷が発生したことを彼女らの仕業と信じる者はおらず、怪奇現象として未だに調査が続けられている段階だった。仮に子供たちの言い分を信じるものがいたとしても、裏で恐神がどうにでもしてしまうはずだ。しかし子供達はその目で真実を目の当たりにしている。魔女の子供の存在を、恐れずに済むはずがない。 唯一友達でい続けたのはわたし一人で……その日もわたしは二人の魔女が待つ合流地点に向かう為、眠たい眼を擦りながら通学路を歩いていた。 「おはよ田中ー」 「おはようございます。田中さん」 たどり着いた待ち合わせ場所には、いつものように二人の魔女が待っている。わたしは軽く手を上げて答える。 「おはよう、二人とも」そして笑顔を浮かべる。「行こっか。学校。今日もだるいね」 そうして三人、肩を並べて学校へと歩く。 どうでも良いようなおしゃべりを続けていると、ふと飴村がこういった。 「田中てさ。不思議な子だよね」 「何が?」とわたしは問い掛ける。飴村は「だってさー」と言って。 「あたしら魔女のことも、田中と同じ人間のことも、まったく同じように接するじゃん。田中がそうだから、あたしも田中が魔女じゃないとか気にならなくなって来て。もうフツーに友達って感じ」 「あ。それ分かります。私もそうで」と百目木。「変わってますよね。田中さん」 「そうかなぁ?」わたしは小首を傾げる。「あんたらとわたしの違いなんて、大したもんじゃないよ。命と命の間には、種族の隔たりなんかより、もっと大きな隔たりがあるんだから。それと比べりゃね」 「それって何?」「何ですか、それ?」 「自分と、それ以外、だよ」わたしは答える。「その二つの間にある隔たりに比べりゃ、魔女と人間の違いなんて、大したことじゃないよ」 命にとって、本当に大切なのは自分自身ただ一つだ。それ以外は全部一律に、どれだけ苦しもうが死のうが、どうだって良い。それは相手が虫でも人でも魔女でも、何も変わらない。わたしはそのように生きて来た。 でもそれは裏を返せば、相手が何者だろうと、自分さえ気に入るのなら愛せるということだ。わたしは飴村が好きで百目木が好きだ。重要なのはその主観だけで、それ以外のことはどうでも良いのだ。 「ふうん。なんか難しいね」飴村は唇を尖らせる。 「でも田中さんらしいとは思いますよ」百目木はくすくすと笑う。 それから、三人の会話は、元のどうでも良いようなくっちゃべりに戻った。 それを楽しんでいる内に、やがて学校が見えて来る。 面倒な授業があるとか、嫌な奴と顔を合わせなきゃいけないだとか、色々な憂鬱がたくさんある場所で、毎日だけど。それでも。 たまにこいつらが暴れて、色んなものを無茶苦茶にして、わたしの憂さを晴らしてくれるなら、ここに通うのも悪くないなと。そんな風にも考えている。 |
粘膜王女三世 2021年12月29日 00時00分19秒 公開 ■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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