盛夏の王 |
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※本作品はフィクションです。 土台となる物語や歴史背景はございますが、それらを変更・脚色して掲載しております。ご不快な点もございますかもしれませんが、どうぞご了承ください。 * * * * * ◆プロローグ その塔には美しい少女が囚われていた。 月の光を宿したような肌をもつ汚れを知らぬ少女。 だが、彼女を少女というにはいささか語弊がある。 何故なら『氷の魔女』と呼ばれる彼女は御年六十一になる老婆なのだから。 魔女はすでに十年もの間、塔に幽閉されている。 不自由の多い生活を強いられてはいるが、犯した罪に罰は必要だと受け入れている。 冬の寒空を一羽の白鳩が飛んでくる。 白鳩は窓にはめられた格子の隙間を抜けるとテーブルに着地し、そして一通の手紙へと姿を変えた。 魔女はそれを手にとり一読する。 読み終わった手紙に火が点くと、そのまま手の中で灰となった。 魔女はチリーンと涼しげな音を響かせると、侍女を呼び寄せ、出かける準備をするよう指示をだした。 だが、魔女は幽閉の身である。 王の許可がおりねば、いかなる場合においても外出は許されない。 そのことは本人も重々承知であるが、彼女はなんでもないように言う。 「大丈夫だ、すぐに王からの召喚状が届く」 そして、ほどなくして魔女の予言は現実のものとなるのだった。 1◆集合 王はまたひとつ土地を手に入れた。 彼が西方に作り上げた巨大な帝国がまた成長したこととなる。 王は齢五十にして、いまだ衰えを知らない。 その姿は若々しい十八の少年だ。 太陽を想わせる人なつっこい笑顔と、クセのある黒髪がトレードマーク。 気さくで民からの支持も強い。 その名声は他国にまで響き、彼による支配を望む声すらあがっている。 いずれ彼が西方全土を統一するだろうことを疑う者はこの場にはいない。 王は栗毛の従者とともに城に凱旋すると、出迎えにきた桃髪の兎のように愛くるしい王子と抱擁を交わす。 兎王子は十六歳となるが、血のなせる技か、苦労しらず故か大分幼くみえる。 「勝利おめでとう。さすがだね父さん」 「まだまだ、老いるには早いからな」 その姿は親子ではなく、兄弟そのものであるが、誰も疑問を挟まない。 長くその姿を見慣れているせいで、王とはそういうものだと認識が固まっているのだ。その認識には、彼の妻の存在も大きく影響している。 「でも、次の戦いは僕も連れてっておくれよ」 「はははっ、まだおまえに戦場は早い。 だが、いずれ俺のすべてはおまえにゆずることになる。それまで鍛錬を怠るなよ」 「ほんと?」 「いずれだがな」 王は兎王子にそう言い含めると、よってきた犬に餌を与え頭をなでてやる。 それが済むと、土産を片手に愛妾の待つ自室へともどるのだった。 ◆ 王には妻がいるが、長く別居が続いている。 ひとり身同然となった王を支えているのが二十三歳になる愛妾である。 愛妾は王の帰還をねぎらうと、熱い口づけを求める。 美しい見た目をした女だが、王とならぶと年上にみえてしまうことをいささか気にしている。 王は愛妾に今回の戦いも大勝利だったと子どもの笑顔で告げるが、愛妾の顔色はすぐれなかった。 「なにかあったのか?」 「手紙が届きました」 それはかつて西方で隆盛を誇った西国の王からの手紙だった。 愛妾はもともとは西国の王女である。七歳の頃から、ある約定(やくじょう)の下、王に保護(・・)されている。 それは『いずれ愛妾を王の妃にする』というものだ。それができないのならば愛妾を返せというものだ。 だが、それにはいくつもの問題があり、現状では実現が難しい。 それでも、愛妾は王に身を寄せ懇願する。 「王と離れたくありません」 その気持ちは王もおなじだった。 故に王は、愛妾と肌を重ねながらも一計を案じていた。 王は愛妾と喜びを分かちあったあと、軽い身のこなしで従者のもとを訪れる。 帰国直後でも、従者の仕事は多い。 多くは王の担当すべき仕事だが、従者は勤勉にそれをこなしている。 そんな従者だが、王の機嫌が優れないことを察知すると、「どうなさいました?」と声をかける。 「息子たちを集めろ」 「獅子王子と熊王子ですね?」 領地を任せている各々の王子たちの名を確認すると、王は無言でうなずく。 生存している男子は三人だけで、兎王子は城にいるのだから呼び寄せる必要はない。 「それと王妃もだ」 「……断られたら?」 従者はわずかに逡巡し、おそるおそる確認した。 「来るさ。あいつにもここに来るのはチャンスだからな」 王の顔色から従者は嵐の到来を予感した。 彼に仕えて長いが、その予感がハズレたことはあまりない。 そしてそれは、今回も当たることになる。 ただしそれは、従者が想像した以上にすさまじい結末を迎えることになるのだが……。 「家族そろってのクリスマスは、今回が最後だろうな」 王は抜けるような寒空を見上げ、老人のような声で呟いた。 ◆ 獅子王子が護衛の兵とともに城を訪れる。 豪奢金髪をたずさえた、ガッシリとした肉体の持ち主だ。 王の第三子にあたるが、第一子だった王子は早世し、第二子は女である。 現在、二十六歳で順当にいけば、彼こそが帝国の次期王であると目されている。 武勇に優れた男で、王から領地を与えられてから、独力でそれを拡張している。 もっとも、硬軟を使い分ける王とはちがい、力押しな面が目立つ武闘派だ。 流した血の量は、西方の地図に新たな海を書き加えねばならぬと言われるほどだ。 「やあ、兄さん、いらっしゃい」 金髪の獅子王子を桃髪の兎王子が出迎える。周囲にはたくさんの犬が従っている。この城には多くの犬が飼われている。 「元気にしてたか?」 「うん、みんなよくしてくれるから」 笑顔で交流する。 「熊王子はどうした?」 「来ないらしいよ」 兎王子はなんでもないように答えるが、獅子王子はわずかに眉を動かした。 熊王子は王の第四子で二十五歳になる。だが理由があって王との仲を危険視されている。 それが召喚に応じないのは、なにか企んでいるのではないかと邪推してしまう。 「それより、戦場の話を聞かせてよ」 第八子であり、末の子でもある兎王子が人なつっこく願う。 こうして獅子王子と比べると、幼さが引き立つ。 王はすでに十六で西方に一大帝国を築き上げていたが、兎王子はただの甘ったれた子どもにしかすぎない。 王子のなかで、彼だけが領地の割譲を受けていない。 その反面、常に身近にいることで愛され、哀れみをかけられ、寵愛を一身に受けているとも言える。 王が兎王子に王座を譲ると言っていることを聞いた者は何人もいるが、それが真実かどうか確信できている者は皆無である。腹心とされる従者でも知りはしない。 そんなことにも気づかず、兎王子は自慢気にかたる。 「僕だって強くなったんだ。言葉だって三カ国しゃべれる」 「そいつは王の技能じゃないな。しゃべれる部下に任せればいい」 と言いつつも、獅子王子もこの程度はたしなみであると母親(・・)から五カ国語を仕込まれている。 「剣だって上手いんだ。もうちょっとで父さんから一本とれるんだから」 「戦場にも出たことがないクセによくいう」 獅子王子は苦笑いで末の子の自慢話をいなす。 そんなとき、不意に風向きがかわった。 それとともに、城に詰めた兵と使用人たちが騒ぎだす。 そのうちのひとりが王の執務室へ向かうのが見えた。 「どうやら、親愛なる母上のご到着なさったようだな」 「みたいだね」 ふたりは神妙な顔になると、出迎えには行こうとせず、城壁の上からふたりの再会を見学することとした。 ◆ 多くの荷物を載せた船が河を滑る。 クリスマス間近の河の水は冷たく、その上を風がなぐと、櫂(かい)をこぐ船乗りたちが凍える。 だが、王の髪とおなじ色のドレスに薄いカーディガンを羽織っただけの王妃は寒さを感じているようには見えなかった。 「十年ぶりだな」 「氷の魔女の面目躍如だな」 たっぷりと冬服を着込んだ王が、薄着をものともしない妻を出迎える。 その姿は夜会に参加する姫のようだが、その実体は『氷の魔女』と揶揄される六十一歳の老婆である。 王の若々しさには、彼女の秘術が絡んでいるともっぱらの噂だが、彼女は『知らん』の一点張りである。 「愛しい旦那との久方ぶりの再会だ。めかし込むのは当然のことだろう?」 王妃は温度のない笑顔で応じる。 美麗でありながら、人間味のない表情と言葉は見る者を戸惑わせるが、王はそんな様子を微塵にも感じさせない。 「ずいぶんと早かったようだが、風でも操ったのか?」 「そんなことはしない。船乗りたちを急かしただけだ」 その程度は普通のやり方だと主張するが、氷の魔女と恐れられる相手の要求を、受け手側が普通と解釈するかは不明である。 「それで家督を譲ることを決めたのか?」 王妃は王にたずねるが、「さてな」と明瞭な答えは得られなかった。 「なぜ、ここまできて答えをぼかさねばならない? 歳でみても、実績でみても獅子王子で決まりだろう」 次点で熊王子となるが、彼はその資格を剥奪されたも同然である。故にこの会合にも出席していない。 「だが、後継者に任命すればどうなる?」 「……なにか問題でも?」 「図にのるだろうさ。ヤツには今こそが盛夏だろうからな」 「……裏切りが怖いか」 「十年前に手痛い目にあったからな」 十年前、王は家族に裏切られ窮地に立たされた。 その裏切った家族とは、この場に来ていない熊王子と、目の前にいる氷の魔女である。 最終的に王の勝利で終わったとはいえ、そのとき彼が負った傷は、完全には癒えてはいない。 「でも、西王からは回答を急かされているのだろう?」 王妃の確認に王は「そうだな」と曖昧に答えた。 まだ、西王からの要求にどう返答するかは決めかねている。 だが、さわやかな外見に反して貪欲なる王は、手に入れた土地も女も手放そうという気はなかった。 ◆ 「おまえたち久しいな」 王妃は女性らしからぬ硬質な口調で息子らと会話する。 もともと彼女には大領地を有する公爵としての地位もある。 剣をもって戦場に立ったことも一度や二度ではなく、この口調と態度は部下たちを従えるためのものだ。 周囲もそれに慣れているが、十年も表舞台から姿を消していたため、王妃と初対面の者もいる。 初対面にしろそうでないにしろ、関わり合いたくないという感想には代わりがないのだが。 その感想はその場にやってきたふたりの息子も同じである。 彼ら彼女らは、普通の親子関係とはいささか離れている。 王と王妃はいままでに八人の息子と娘を作った。だが誰ひとりとして、親に似た容姿の子はいない。 そのことは時折話題にのぼるが、それでも王妃の不義を疑う者はいなかった。 それは信頼されているからではなく、好んで魔女に関わろうとする男が王だけだったからである。 もっとも、その王とも十年も交流を断たれていたのだが……。 「獅子王子、王にはおまえがなれ」 王妃は部下にするように命じる。 だが、母親の命令とはいえ、獅子王子はそれを素直に受けることはできなかった。 王になるのに不満があるのではない。その地位が自分に継承されるかが疑問なのだ。 「父上は兎王子を推しているらしいぞ」 「何故だ? 年齢、能力ともにおまえの方が上であろう」 「なんでも、領地も与えられなかったのが不憫なんだとか」 「……相変わらず優しい男だ」 王を優しい呼ばわりするのは、民と王妃だけである。 王は交渉術で国土を増やした辣腕の政治家だ。剣と軍事の天才でもあり、どちらも不敗を保ったままであるが。 「だが、兎王子では無理だ。他国に侵略されるか、臣下に反逆されるか、あるいはその両方かだ」 そうなれば、土地は荒れ、人心は惑うことになるだろうと魔女は予言する。 しかし、彼の帝国において次期王を決める権限を持つのは王だけである。 王が本気で王子を後継者にするのなら、止める手立てはない。 「まさか、また(・・)反乱を企てているわけではありませんよね?」 周囲に人がいないことを確認してから、獅子王は自らの母親に問いかける。 彼女は十年前に一度、熊王子を味方につけ、王へ反乱をしたことがある。 そのときは、王の辛勝であったが、あれから多くのものが変わっている。 次も類似した結果になるとは限らない。 それでも、王妃はキッパリと言い切る。 「必要とあらば、私はもう一度剣をとる。 だが、必要ないハズだ。王は無駄な血は好まん」 「でも、必要となら、躊躇わぬでしょう? 王も、あなたも」 「たしかにその通りではあるが……」 拡張された土地は、無血で傘下に加わった国もあれば、大量の血を必要とした土地もある。 いまさら、そこに少々の血が加わったところで、気にするのは馬鹿らしい。重要なのは流れた血にふさわしいだけの実績が残せるかだ。 「結局のところ、王次第というわけか。ではそろそろ本題に移ろうか」 王妃はそう結論づけると、話題を変えようとする。 だが、獅子王子にとっては後継者問題こそが本題である。 母親の言葉に驚きを隠せない。 すると魔女は駄目な子に教えるように告げる。 「わからないのか? 『クリスマス』についてだ」 獅子王子はそれをなにかの暗号であると勘違いした。 2◆前哨戦 かつて西方に一大勢力を築いた西国。その王である西王が護衛の兵団とともに入場した。 現在の西国は、前王の時代に領地を切り取られ、すっかり弱体化が進んでいる。 だが、西王という若く才能に満ちた新たな王が台頭したことで、虎視眈々と反撃の準備を整え出している。 今回の要求と城への訪問もその一環であるのはまちがいない。 「久しぶりだな小僧」 王は自らも小僧のような姿でありながら、相手を挑発するように話しかける。 西王の年齢は十九歳と、実年齢はともかく、見た目だけならば王と同年代である。 「小僧はやめてください。私はすでに王なのですから」 西王はそう言うが、王にしてみれば、産まれた頃から知っている親戚の子に等しい。 それに、いままで相手をしてきた老練な魑魅魍魎どもよりも若いのは間違いない。 そんな彼のもとに、犬がなにか食べ物はないかと寄ってくる。 「すまんね、鼠対策に置いているんだがね。客に媚びることを覚えてからは、そっちばかりに精をだす」 「なるほど、気をつけなければなりませんね」 犬の頭をなでながら答えると、王自らの手で城内へと案内された。 客室にくると王は西王に酒を勧める。 西王はそれを受けつつも、早くも本題に入ろうとする。 「単刀直入に言おう。約束を果たしてもらいにきた」 西国は、愛妾を王妃にするという約定の下、彼女を帝国にさしだしている。 だが、その約定はいつまで経っても果たされないままだ。 十六年前、愛妾が七歳、西王が三歳のとき、国によって結ばれた約定である。 すでに愛妾は二十三歳になった。すでに結婚には遅いくらいである。 それを西王が自ら出向くことで、交渉を進めようと言うのだ。 西王の要求は、愛妾を王妃にすること。異母姉である愛妾がその座に着けば、西王の帝国への影響力が増す。ひいてはそれは西国の利益へとつながる。 西国は愛妾を差し出す際に、持参金として多少なりとも領土を献上している。 王妃となれないのであれば、それらを返せというのだ。 だが、交渉を急ぐ西王に対し、王は狡猾に話をそらす。 「まぁ、そう急ぐ必要もないだろう」 「そうは言われましても、そのためにきたのですから。私も暇ではない」 苦笑いで交渉の進展を求める。 「待たせる相手がいるわけでもないのにか?」 「姉より先に片付いては申し訳なくてね。それよりも約定を忘れたわけではありませんよね?」 「当然だ。だが、こちらの状況も難しい。 実はおまえの姉が俺の息子と結婚を拒んでいるんだ」 「なんと、では土地を返却すると?」 「残念だが、それも惜しい」 「それでは子どもの言い訳だ」 そんなものは認められないと、西王の声が鋭くなる。 だが、叱咤するような声は王の機嫌を損ねた。 「小僧、貴様、誰に口を利いている。俺は諸国をまとめる帝王だぞ」 本気で怒っているわけではない。相手の動揺を誘おうとしているのだ。その証拠に言い方が芝居がかっている。 だが、西王が気にしたのは、彼への呼び名だった。 「私を小僧などと呼ぶな」 自尊心を著しく傷つけられ、声が大きくなる。 だが、王の発言に嘘はない。周辺の国土の大半は彼が帝国と称する連合国の傘下にある。それに本気で賛同する者は少ない。だが王の力を恐れた面々は表だって反抗しようとはしない。いまのところはまだ……。 かつて西国だったいくつもの土地も帝国の傘下に収まっている。 だが、それでも一方的に頭を下げ続けるほど西国は弱くはない。西王はそう計算している。 だからこそ交渉の余地があり、そこから国の利益へと繋げなければならないのだ。 西王は王の言論の隙を突こうと指摘する。 「約束を違えた王を、近隣の領主たちは信用するかな?」 「そりゃそうだ。吹聴されると困ったことになるな」 さして困った風ではなさそうだ。 「だがな、小僧……」 「小僧と呼ぶなと言ったハズだ!」 三度目のまちがいに、西王は声をあらげる。 王はその様子をみて席を立った。 「どこへいく。会談中だぞ!」 「なにもう用はすんだ」 侮辱され、ヒートアップする西王に素っ気ない言葉を返す。 「どういう意味だ?」 「おまえのやり方はもうわかったよ。駆け引きができぬうちは俺の敵ではじゃないね」 「…………」 確かに冷静さを欠いたのは、失策だった。だが、それは敗北を確定するほどのミスではないハズだ。 それでも王は、自らの優位を信じて疑わない。 「おまえは、ひとりで戦争をする気かね?」 自分の感情で、国に損失を強いるのかと暗に聞いている。 確かに戦争は交渉のカードとして準備してある。 だが、それが利益に結びつかないのであれば、そのカードを切ることはできない。 つまり答えはNoだ。 若くとも、彼もまた王であり政治家なのだから……。 「ご忠告痛み入る。このクソじじい」 西王はその場での敗北を認め、王の退席を認めた。 交渉は不利な流れとなったが、まだ結果が出たわけではない。 王がやったことは、単に心理的なプレッシャーを与えただけで、実質的な損益はまだ発生していない。まだまだ巻き返しが効くハズだ。 実際問題として、王が強引に約束をやぶることはないだろうと西王は予測している。なんらかの妥協案をもってくるだろう。 悠々と退出しようとする王が、不意に足を止め振り返る。 「西王よ」 「なんですか?」 ようやく名を呼んだ王に、西王はそう聞き返す。 「おまえ、意外と手強いよ」 強力なライバルから贈られた言葉は存外に彼を喜ばせ、それ故に彼を敗北感で包んだ。 ◆ 翌朝、王が寝室で目覚めると心配顔の愛妾が問いかける。 「会談はどうなりましたか?」 「保留にしてきた」 王はそう答えると、部屋に置かれた水瓶のところへと移動する。 冬の朝の水瓶は氷が張っていて、それをたたき割ってから顔を洗う。 「どうなさるつもりですか?」 それで自分の未来が決定されるのだ。運命に翻弄されることに慣れているとはいえ、気が気ではない。 そんな彼女に一代で西方に帝国を築いた王は命じる。 「おまえは兎王子の妻となるのだ。いずれ王となるのはあいつだ。それでおまえを王妃となる約定は果たされる」 だが、愛妾にはそれは到底受け入れられる選択ではなかった。 「そんなの嫌」 「なんで? 王妃ってのは、そこまで嫌われる職業?」 そうではないと愛妾は否定する。 「兎王子は甘ったれで、女癖も悪い。それにニキビも嫌」 女癖の悪さは王も相当なものなのだが、その場に指摘する者はいなかった。若い頃ほど盛んでもない故に気づかれていないということでもあるが。 「十六の男にニキビが嫌はむずかしいな」 口ではそう言うが、自分の頃はどうだったかと思い返してみると、そんなこともなかった気がする。 「みんな言ってるわ。彼では王様は無理だって」 「大丈夫。王位に就くまでに、しっかり俺が指導しとくからさ」 それでも愛妾は納得しない。 「お願い、あなたのもとを離れたくはないの……」 王にすがりつき、己の願望を叶えて欲しいと涙を浮かべ訴えかける。 「王妃になるなら、あなたの王妃がいい」 それはさすがの王にも簡単に叶えられるものではなかった。 王と氷の魔女こと現王妃との関係は、十年前の反乱を切っ掛けに冷め切っている。 だが、王妃がいまだ国の有力者であることは変わらない。 王の築き上げた帝国の、実に三分の一は彼女個人が所有するものだ。 つまり、彼女との離婚は国力の三分の一を失い、帝国と敵対する勢力がそれだけの力を持つことになる。 まず帝国の崩壊の第一歩となることまちがいない。 かつて反乱された際には、あと一歩のところまで追い詰められたのだ。 王に王妃と別れる選択肢は選べない。 そして、王妃との戦いで傷ついた王をいやしたのが、当時十三歳だった愛妾である。 彼女は精力的にひとり身となった王の暮らしをサポートし、妻同然の地位を獲得したのだ。 そんな彼女を王が無碍にできるわけもない。 また、法王(教会最高権力者)の許可を得ての結婚だったため、それを解消しないうちに結婚をすることも教会との仲を険悪なものにするため実行を妨げていた。 「兎王子でなければ本当にダメなの?」 愛妾は彼だけは嫌だと確認する。 王の愛妾の座に納まってはいるが、もともと彼女は獅子王子の婚約者としてこの国にやってきたのだ。 王妃が指示したよう、本来ならば、そちらとの結婚話がもちあがるハズである。 だが、王はそれを認めようとはしなかった。 「……ダメだな」 「どうして?」 「獅子王子は野望と力が強すぎる。 ここ数年でヤツが流した血は、俺が帝国を作り上げる時に流させた量より多い」 獅子王子の武勇は各国に響き渡っている。血と暴力を愛する恐るべき武人であると。 「だったら……」 「熊王子もダメだ。 あいつは王妃と手を組んで俺に刃向かった。とてもじゃないが、力を点けさせられない。 優秀なヤツではあるが、王妃に似て人の心が分からないんだよ」 「だったら……」 「おまえの結婚相手は兎王子だ。それ以外にない」 王はそう宣言して話を切り上げる。 だが、涙する愛妾の姿に、その心を揺り動かしていた。 ◆ 食堂では、陽気な民たちが商事の準備をしている。そこに王も混ざり込んでいた。 本来、王が手伝うようなことではないが、若い頃は人手が足りなかった。 いまでこそ大国の王ではあるが、若い頃はなんでもしたものである。 古株の料理人たちもそれに慣れていて、楽しげに会話をおりまぜながら料理をする。 クリスマスであることも影響し、食堂は大賑わいだ。 「王妃の好き嫌いは変わりませんか?」 「たぶんな」 「獅子王子好みはどうでしょう?」 「若いヤツには肉を与えておけばいいさ」 「王様だって、肉が好きじゃないですか」 ドッと笑いがわき上がる。 「とっておきの酒をだしても?」 「ほどほどにしてくれ。従者に文句言われちまう」 また笑い声がこぼれる。 だが、暖かい空気に包まれた食堂に冷たい空気が注ぎ込まれる。 氷の魔女たる王妃のお出ましである。 ◆ 「準備に滞りはないな」 夏から一気に冬になったように食堂の空気は冷え切った。 「今回は家族以外にも、西王もいる。不備はないように」 使用人たちは、王妃の言葉に緊張し、返事もうまく返せない有様だ。 みかねた王がフォローに入る。が、それはやぶ蛇となった。 「あまりきつく言ってやるな。楽しいクリスマスにしたいのはみんな一緒なんだしさ」 「楽しいのも良いですが、ミスはないようにしなければならない。あなたがたの対応しだいで、国の未来が変わることも十分にありえるのだから」 王妃は会場の隅々までチェックし、メニューの確認と花瓶に飾られた花まで入念にチェックする。 それが終わると、ようやく退出だ。 みなが胸をなでおろすが、不意にその足が止まる。 「私は甘い物を所望するので、用意を忘れないように。絶対だぞ?」 それだけ言い残すと、こんどこそ王妃はその場をあとにするのだった。 ◆ 王の自室に王妃が訪れ、それを愛妾が出迎える。 「王妃さま。お久しぶりでございます」 「おまえとも十年ぶりになるか」 息子の許嫁だった女との再開。 その立場は、夫の愛人へと変わっているが、王妃はそれを別段指摘しようとはしない。 だが、愛妾のほうはちがった。 氷の魔女として万人から恐れられる王妃に堂々と願い出る。 「お願いを聞いてはもらえませんでしょうか?」 「なんだ」 「王と別れてください」 「本気か? 私があいつと離れれば国が乱れるぞ」 言葉はいたって冷静だった。 だが、相手が怒っているのが愛妾にだけはわかる。氷の表情の下で、王妃の感情が煮えくりかえっている。 それでも愛妾はひるむことがなかった。 「構いません。私には王だけいてくれればいい」 「おまえに王はわたせん」 「お母様は、いまだ王に愛されているつもりですか?」 もともとふたりの関係は、獅子王子という許嫁を挟んだ、義理の親子だ。そう呼んでも、さほど不自然ではない。 だが、王妃は「その呼び方はやめろ」と拒む。 愛妾は王妃の要求を飲むと、改めて問い直す。 「王妃はまだ、王のことを愛されているのですね?」 それでも、王妃はその問いに答えなかった。 ただ、「さて、どうなのだろうな」と窓から冬空を見上げるだけだった。 ◆ 「母上、お久しぶりです」 王妃をみつけた西王は、そうフランクに話しかけた。 そのやり方は王に似ているなと想ったが、余計なことを彼女は口にしない。 「ふっ、私を母と呼ぶか」 「いささかフライングでしょうか?」 異母ではあっても姉である愛妾が、獅子王子か兎王子の妻となるのだ。 王妃は義理の母親ということになるので、そう間違った呼び方ではない。 また、その呼び方にはもうひとつの意味を孕んでいる。 「逆に遅かったのかもしれん」 西王は王妃の先夫が再婚してからできた子だ。 直接的な血のつながりはなく、彼が生まれたときには、王妃は王と結婚した後である。 しかし、タイミングによっては義理の母子になったかもしれない。そのことを言っているのだ。 「王との相談はお済みで?」 「なにを相談する必要があるというのだ。次期王は獅子王子以外あるまい。おまえもそう思うだろう?」 「しかし、人は必ずしも最善の選択を選べるとは限らない」 「…………」 「王はまた(・・)花嫁を奪っていくかもしれませんよ。手を打たなくてよいのですか? まぁ私としては損がないのでどちらでも。帝国の王の義理の弟という立場は変わりませんから」 悪びれもせずに下心を告げる。 「そこから帝国の王に成り上がろうと?」 彼は西国の王だが、国力を著しく削られている。無視できるほど弱くはないが、それでも格落ちであるのはいなめない。 だが、それでも義理とはいえ、弟の地位を得られれば、状況によっては継承することはありえる。 無論、その際には、彼女の息子たちが邪魔なのは言うまでもない。 だが、西王はそんな王妃の考えを否定する。 「残念ながら、私にはそれだけの才覚がない。兎王子よりはマシかもしれませんがね」 「獅子王子と熊王子を争わせることを考えているのだろう? 漁夫の利を得ようと」 「まさか。私は王妃様こそ勝者になると思っているのです。 あなたは王にこそ敗北したが、それでも土地も権力も、そしてその美貌すら失っておいでではない。 次こそ勝つのはあなたですよ」 「なるほど国力の低下が狙いか」 「いいえ、王妃が国を獲ったのなら、そのときに大臣にでも召し上げてもらえればと思いましてね。 私ごとき、国を治めるよりも金勘定をしているくらいが器なのですよ。利益の1割ほどを懐に入れさせていただきますが」 「ふっ、タヌキめ」 「生憎と泥の舟はつくりませんが」 「いいのか? 獅子王子と熊王子を共倒れさせたところで、今度は兎王子に刺されるさされることになるぞ?」 「はははっ、それはないでしょう」 西王はそれだけはないだろうと笑う。 「あの子も私の子なんだがな」 「あー、王妃。そのことですが、ひとつ質問をゆるしては頂けないでしょうか?」 「なんだ?」 「あなたの子は誰ひとりとして誰にも似ていない。その理由を聞いても?」 「私がどこからかさらってきた子を自分で産んだと偽っているとでも言いたいのか?」 「そうではありませんが……」 だが、同様のことをみなが思っているのは事実だ。そして彼も、王妃ならやりうるのではと考えている。 「それと、もうひとつあるのですが……」 「図々しい男だな」 「愛妾(うちの姉君)とあなたは似ているのは何故です?」 表情の豊かさにちがいはある。 だが、ところどころに二人からは血縁を感じさせる雰囲気があるのだ。近しい者がわずかに感じる程度のものでしかないが。 「それこそ気のせいであろう。 確かにおまえの父と私は元夫婦だ。 だがヤツとの間にできた子はいない」 「そうでしたね。父が隠し子が作っていたならまだしも、あなたが隠し子を作るのにはさすがに無理がある。 でも、そうなると逆のことも疑問になる。どうして他の多くの秘め事でも子ができたことはなかったのに、王とだけ子ができたのですが?」 「それはな……」 「それは?」 「愛だよ」 王妃の微笑みをみた西王は、誤魔化されたと思ったのだった。 3◆次期王 王妃は王のもとを訪れると、まるで自分が上位者のように彼に命令する。 「愛妾を獅子王子に譲れ。そしてそのことをここで宣誓しろ」 「理由は?」 「次期王としてヤツが一番適任だ」 王妃の選択はゆるがない。 「だが、あいつは野心を隠さない。隠さなすぎる」 「怖いのか? 息子が」 「ああ、怖いね。 力をつけることを許した連中が、何をしてきたかたくさん観てきたからな」 それは王妃もおなじだ。 彼のとなりにたち、多くの敵を暴力と謀略で討ち滅ぼしてきた。 その成れの果ての帝国である。 「獅子王子は私が抑えよう。だから心配することはない」 「だが、熊王子と兎王子はどうする?」 残るふたりの王子の処遇を問う。 「熊王子が獅子王子の王座を拒むというのなら私が説得しよう。 あの子には物事を冷静に判断する力が備わっている。嫌だとは言うまい。 だが、兎王子はそもそも選択肢にあげるべきではない。 王にふさわしい能力が不足している」 「おまえ母親だろ」 「国の行く末を憂う王妃でもある」 「…………」 ふたりの間に沈黙がながれる。 十年前もこうやって、意見の行き違いからふたりは争うこととなり、戦争を回避できないところまで行き着いてしまったのだ。 そして、その時に受けた傷は王だけでなく、王妃の側も癒えてはいない。 「おまえは変わってしまったな」 過去を懐かしむように王妃がつぶやく。 それに反発するように王は言う。 「だから王を降りろと? 変えたのはおまえだろ?」 毒のこもる王の言葉に、王妃はなにも返せなくなる。 ふたりの間にふたたび沈黙が挟まれる。 それを嫌ったかのように、王から折れることとなった 「わかった。愛妾は獅子王子の嫁とする」 「わかっていただけ幸いです」 王妃は慇懃に頭をさげる。 だが、王は「それには条件がある」と己の要求を王妃に突きつけるのであった。 それは王妃にとって至極受け入れがたいものだった。 ◆ 「こいつにサインをしてもらう。そうすれば獅子王子を王にしよう」 「なんの書類だ?」 王から手渡された書類に目を通すと、土地の譲渡に関するものだった。 「つまりは離婚届か?」 「このまま兎王子から次期王の座を奪うだけでは心苦しい。 だからおまえの土地をやつにやってくれ。無論、全部である必要はない」 「一番豊穣な土地だな」 王妃は誓約書にかかれた地名を確認する。 「王の座をあきらめさせるのだ。 そのくらい息子に譲渡してもかまわんだろう?」 「…………」 されど王妃はうなずかない。 ジッとなにかを考えている。 「わかったおまえの幽閉も解こう。 そうすれば、おまえが贔屓にしている獅子王子のもとへもいけるぞ。 土地がなくなったとしても、ヤツならおまえを無碍にはすまい」 「優しい言葉だな」 その言葉に熱はなかった。 「私の人生は波乱に満ちていた。 そういう星の下に生まれたのだからしかたないがな。十字軍に参加し敗北し逃げ帰ったこともあったか」 「あれは、国軍全体の敗北であって、補給部隊を指示していたおまえの負けたわけじゃないだろ」 「そうだな、私に正面からいどみ勝利したのはおまえだけだ」 「そして、いまは檻の中、出たくはないのか?」 「この十年は確かに地獄だったな。以前だったら、ものともしなかったろうが……」 「そこから解放してやる」 「そのために残された土地(ぶき)を手放せと?」 「おまえが望みを叶えるのに必要なことだ」 「「…………」」 言葉を尽くした王と王妃はたがいの瞳をのぞきあう。 決断したのは王妃だった。 「わかったサインをしよう」 王の顔に光がやどる。 だが、王妃もただで折れる気はない。彼女はすでに自らの夫がなにを考えているか見抜いている。 渡された羽ペンにインクをつけると、渡された羊皮紙に近づける。 しかし、サインするまえに確認した。 「挙式は、すぐにあげてやることにしよう」 王は土地を取り上げてから、有耶無耶にするつもりだった。それに対する王妃の牽制だ。 「なんだって?」 「そうだろう? もともとふたりは許嫁だ。それを十六年も待たせたのだ。結婚が確定したのなら、早い方がいい。ちがうか?」 「…………」 「ところで、王は私とあの者がいなくなるとひとりになる。トイレの介護は大丈夫か?」 「愛妾なしでも俺は生きていける」 「愛していたのではないのか?」 「ああ」 「…………」 「まるでおまえは魔物だな。人の弱いところをつくのが上手すぎる。 いいや、魔女だったか」 王の言葉は王妃を凍りつかせた。 だが、大きすぎる怒りは表には出てこない。 王妃はささやか以上の反撃に転じる。 「そういえば話したことはあったか?」 「なにをだ?」 「私がおまえの父と寝た時のことだ。もちろんおまえと出会う前の話だがな」 百戦錬磨の王もその告白には同様した。自分の妻が、自分より先に父親と寝ていたということを。 「教えていなかったか。でも、噂くらいは聞いたことがあるんじゃないのか?」 怒りは彼を行動に導いた。 「司祭を呼べ、いますぐ挙式をあげるぞ!」 従者をしかりつけるように、そう命じるのだった。 王妃がいま、どんな顔でいるのか確認もしないままに。 ◆ 王が自室にもどると、愛妾はすでに結婚の話を知っていた。 「私が獅子王子の妃になるという話は本当ですか?」 「どこで聞いた」 「兎王子からです」 王は眉根をよせる。 「ああ、おまえは獅子王子の妻だ。そして晴れてあやつが王となる」 「考え直してください」 「おまえのことは愛している。だが、おまえを娶ることはできない」 彼女と添い遂げるには王妃と別れなければならない。そうなれば必然的に広大な領土が失われ、彼の築き上げた帝国は瓦解の憂き目にあう。それは絶対に避けたい 「やっぱりあなたは私を愛していてはくれないのね。あなたが私にもとめているのは顔だけ」 柔らかな笑みを浮かべるだけ彼女のほうが王妃よりも魅力的である。 だが、王妃を幽閉中、彼女に王妃の面影をみなかったと言えば嘘になる。若かったころの火は彼の内から完全に消え去ってはいない。 「おまえを愛している。これまでもよくしてやっただろう?」 「だったら、結婚なんてやめさせて」 そんなときノックがされる。 「邪魔してもかまわないか?」 王妃が現れる。 なにやら大きな荷物を抱えている。 「いったいなんだ?」 「取り込み中だったか?」 「いいや」 彼の不貞はすでに万人が知るところ。だが、当の妻の前で露骨にさらせるほど図太くはない。 「クリスマスプレゼントだ。受け取って欲しい」 ずっしりと重いそれを受け取ると、王は「墓石か?」と質の悪いジョークをいう。 だが王妃も「喜んでもらえたなら幸いだ」と相手の喜びこそが一番だと返す。どう考えても皮肉にしか聞こえないことを、発した当人だけがわかっていない。 「さて、どうやら私は邪魔らしい。とっとと退却するとしよう」 プレゼントを渡すと王妃は撤収する。 「王妃はなんのためにきたのかしら」 「敵情視察だ」 王はそのことを確信していた。 ◆ 獅子王子と愛妾の結婚式が始まる。 参列者は王と王妃、兎王子、ほかは栗毛の従者だけと寂しいものだ。 だが式は粛々と行われる。 そして、獅子王子と愛妾との結婚が司祭の前で認められた。 4◆謀略の果てに 獅子王子が西王の部屋を訪れる。 「やぁ、こうしてふたりきりであうのは久しぶりだね」 「帝国の王たる俺を呼びつけるとは良い度胸だ」 「お詫びに良い酒を開けよう。錬金術師がつくった蒸留酒(ブランデー)だ。こいつはなかなかのもんだぞ」 「錬金術師だと?」 「詐欺師の類ではないぞ。金を造り出すというのは誇張だがな。物事の原理を解明する学徒だ」 「それがなんの役に立つ?」 「まずは美味い酒をつくったな」 「なるほど」 他にもより良い鉄の精製方をみつけ、武器の品質をあげた。 ガラスは精製の際に大量の薪を必要とするが、そこに混ぜ物をするだけでその燃料を減らすことに成功している。 投資するに値するだけの成果は十分にあげている。 「それで次期王の俺に、なんのようだ?」 獅子王子は勝ち誇った様子だ。 無理もない、長年宙ぶらりんだった継承問題にようやく蹴りが突いたのだ。浮かれもしよう。 だが、それは早計であると西王は告げる。 「キミ、本当に王様になれると思っているのか?」 「父上は私を選んだ。勝者は私で揺るがない。例え母上が異を唱えたとしてもな」 「さ~て、それはどうかな? なんやかんや理由をつけて、王は王位の継承を引き延ばしにすると思うよ」 「…………」 「知っているだろう? 彼は老獪だ。いくら若くみえてもね。あるいはそう見えるからこそ、周囲も惑わされるのかも。 武力を背景にしながらもそれを行使することは希。常に最小と思える被害で土地を増やしてきた。だから兵も減らないし、国民からも親しまれている。おなじ王として賞賛に値するね。 人は王妃を『氷の魔女』と恐れるけれど、僕には彼こそが怪物だと思えるよ。 真夏の森林のごとく枝葉を伸ばすその様を『盛夏の王』とは良く言ったもんだ。 強欲な王が、素直にキミに権力を譲るとでも?」 その言葉を否定する言葉をすぐには思いつかなかった。味方として、すぐ近くで王をみてきた獅子王子には、それがすごく現実的なものに思えたのだ。 だが、すぐに凶悪な笑みを浮かべる。 「だったら、実力(ちから)をもって退位を迫るまでだ」 「王妃に勝てるのかい?」 西王の指摘にこんどこそ息がつまった。 剣術をはじめとするあらゆる武術を彼にたたき込んだのは王妃である。それだけではない、領主としての在り方や、算術や語学、礼法も彼女の仕込みだ。 王妃なしで、勇猛果敢たる騎士である彼はありえない。 そして、いまだ彼は自らの母に勝利したことがない。 「だが、母上と父上の関係は……」 ふたりが険悪な状況であることは、城に集まった皆が感じている。 王妃は十年前、王に土地を治める資格がないと反旗をひるがえしたのだ。 その結果、王は多くの兵を失い、王妃は十年も幽閉されることとなった。 そんな状況で手を取り合えるとはとうてい思えない。 ――だが、母上であれば…… 王妃は物事の判断に私を挟まない。国の危機となれば、王の側に再び立つことは十分にありえる。 つまり、彼が反逆したところで、それが成功する見込みはない。 何故なら彼は、いまだ母親を上回ったと確信できる域にはいないのだから。 「だから僕(・)が手を貸そうかって提案しようと思ったのさ。あの頃のようにさ……」 西王は苦悩する獅子王子の背後に回りこむと、耳元でそう囁いた。 西王の目的は王の排除である。 王妃がいかに強かろうと、それは過去のことだ。どれだけ若さを取り繕おうとも、老齢な上に十年も幽閉された彼女が、戦場でどれだけ戦えるというのか。 まちがいなく獅子王子の方が強いハズだ。 だが王はちがう。約束の隙をつき、恥知らずな行為をものともせず、曲解とおどしで土地をかすめ取ってきた。暴力ではなく謀略と婚姻によって。 それでいまは西方に一代で帝国を築き上げたのだ。 掛け値なしで尊敬する。 それ故に邪魔なのだ。 「僕が助力すれば、きっとキミは王になれるだろう。だが、そんなキミは僕になにをくれる?」 「王が奪った土地を返却しよう。 その代わり兵だけでなく武器もだしてもらう」 「わかった」 「兵糧もだ」 「もちろん」 そして、ふたりは手と手を絡ませようとする。 そんなとき、不意に獅子王子が声をあげた。 「誰だ!」 そして、壁にかけてある垂れ幕の内側に隠れていた金髪の少年を見つける。 それは兎王子だった。 ◆ 「おまえら父さんを裏切る気だな。全部聞いてたぞ」 「俺が父上を裏切るわけがない。おまえの勘違いさ」 獅子王子はブランデーの入った杯を手にしたまま、兎王子の言葉を一笑する。 兎王子が西王の部屋に来た理由は推測ができる。 王が獅子王子に王位を継承すると言ったからだ。だから、俺の足をひっぱろうとうろちょろしているときに、この部屋にくるのを見かけたのだろう。城の作りに関しては長年済んでいる兎王子の方が詳しいにちがいない。 ――案外、わかってるじゃないか。だが…… だが、西王との密談という弱味を握ったのだから、あとはそれを王に報告すれば良いだけだった。 それをせず、わざわざ相手に教えてしまうところが兎王子の甘さ(よわさ)だ。 ――やはりコイツでは荷が重すぎるな。 獅子王子は、蒸留酒を飲み干すと杯をテーブルに置く。そして己の腰に差した剣に手をかける。 「弟よ、どうやら俺はおまえを殺さなければならないようだな。残念だよ」 笑顔で告げると斬りかかった。 無論、本気ではない。 城内で王の最愛の息子を傷つけ、不興を買うわけにはいかない。 王への反乱は最終手段であり、最初から敵対しようという気はないのだ。 それでも、この世間知らずな弟を教育しておくのは兄である自分の役目だろうと判断した……が、 「なんだと!?」 本気でなかったとは言え、数多の騎士を屠った剣筋を、兎王子はその瞳でしっかりと捕らえ、かわしてみせた。 そして隠し持っていた剣を抜くと反撃する。 その一撃を獅子王子は防ぐが、想像以上にギリギリだった。 酔いは一気に覚め、本気で斬り合う。 だが戦いを有利に進めるのは、戦場に出たことすらない軟弱で世間知らずな弟の方だった。 そして、勢いの増した兎王子の剣は獅子王子の胸を貫こうとする。 だがしかし、それは死角から放たれた一撃により、跳ね上げられる。 そして、その場にいたもうひとりの男――西王の関節技に捕まり動きを封じられる。 「やれやれ、ただ軟弱なだけの王子ではなかったのだな」 「くそっ、卑怯だぞ」 「とても良い瞳をしている。が、そこに写らぬものを斬る鍛錬はしてこなかったようだ」 西王はそう評価するが、兎王子にはなにを言っているのかわからなかった。 「ところで、キミは王になりたいのかい? それとも愛妾が欲しい?」 関節を押さえ、動きを封じつつも相手の性格を知ろうとする。 王にならないとしても、彼は現王の息子であり、次期王の弟である。その人となりを知っておいて損はないだろう。 すでに軟弱王子と判断をくだしていたが、それ以外にも評価できる要素があるのかもしれない。 「あんな女、誰が好んで妃になんてするもんか。父さんが言うから仕方なくだ」 その話は反故にされ、獅子王子の妻ということになったのだが、彼の中では情報が整理されていないらしい。 「こう言っちゃなんだが、うちの姉は、けっこうな美人だと思うのだけれどね」 姉とは言っても母親ちがい。それも三歳の頃にわかれたっきりで、会話した記憶もほとんどないが。 「あの女、僕を子ども扱いする」 その場にいたふたりは『実際に子どもなのだから仕方ない』と、評価が間違っていないと判断する。 だが、次に発せられた言葉には驚かされた。 「それにあの女、母さんにソックリじゃないか!」 その見識にふたりは目をむいた。 確かに、ふたりの顔立ちに似た部分はある。だが、表情の明るい愛妾と、美麗な作り笑いしかできない王妃とでは印象がまるでちがう。 それを無視して兎王子はソックリと断言したのだ。彼の瞳には、ふたりがどう写っているのだろうか。 「母さんは信用できない。僕に手紙すら書いてくれなかった」 (それを不憫に思った王はおまえを溺愛したのだがな。力量がないからこその継承に疑問をもたぬとは) そのことは教えない。 教えたところで、彼らの役にはたたないからだ。 兎王子の意外な能力に、ふたりは目をつけたが、それをどう使えばいいのかまでは判断ができない。 そうこうするうちに、人なつっこい声が廊下から響いてくる。 「西王、まだ起きてるか?」 それは王の声だった。 ◆ ・こぼれたミルクはもどらない。 「西王、まだ起きてるか?」 「はい、もちろんです」 王の質問に西王が答えると、獅子王子は兎王子を連れ、壁に飾ってあった幕の内側に隠れる。 王の目を盗んで西王と会っていたことが発覚すれば、謀反を疑われかねない。ようやく愛妾との結婚が決まったというのに、そんなことで振り出しにもどるわけにはいかない。 王子らと入れ違うように、軽々と酒樽を抱えた陽気な王が入ってくる。 「ちょ~っと、来るのが遅すぎたか?」 「そんなことはありません。歓迎します」 「交渉の途中だったからな。その続きをしに来たんだ」 そう告げる王から、西王はテーブルに残った杯を巧みに隠して、案内する。 「獅子王子か王妃が来ただろう? あるいは両方か?」 「いいえ」 確認する王に西王は平然と嘘をつく。 王はその言葉を信じなかったが、「まぁいいさ」と流した。 「それよりも、交渉を終わらせよう」 「そうですね。私も気になっていたところです」 ふたりは各々持ち寄った杯に酒を注ぐ。 まずは王が飲んで、西王もそれにならう。 「先に聞いとくけど、やっぱ俺のことが憎い?」 先代の西国の王は、眼前の王に王妃を奪われ、謀略により骨抜きにされ、土地を奪われ、見下され、不遇な暮らしを強いられ、最後には討たれている。 死の間際に呼んだのも王の名だった。 されど、西王は恨んでいないと答える。 「滅相もない。我が父は自分より、強き者を……」 「『愛せ』か」 かつての交渉相手の台詞を王が引き継ぐ。 西王はそれにうなずくと、「だから万人を愛するようにしました」と大人しく答える。 「よくできた王だ。うちの息子らにも見習わせたいものだ」 「教師が良かったのですよ」 眼前の男をみつめ答える。 もともと王は、中規模な領主しかもってはいなかった。それがいまや西方に帝国を築き上げるまでになっている。見習うところは多くあった。 「本当に良い王だ」 「では、私をあなたの後継者にどうです。あるいはその補佐にでも」 「…………」 「生憎と、武芸には疎いですが、金勘定ならちょっとしたものです。大臣にでもいかがです?」 そう言って自分を売り込むが、王はそれをとりあわなかった。 「なにが望みだ?」 「利益をほんの少し」 「それは悪くない提案だな」 杯を傾ける。 「だがダメだ」 「なぜ?」 「おまえは俺のことを的確に読み過ぎだ。あの男の息子とは思えないほどに」 「……」 「裏切る気だろう? あるいはすでに裏切っている」 「どうやって?」 「俺の息子たちに武器を与え、兵を与える。そうやって内輪もめで弱体化したところを漁夫の利だ」 「参考までにどう対処するか、聞いても良いですか?」 「さてな」 そう言って王はたちあがる。 「どちらへ?」 「面談は終わりだ。おまえは不採用」 「異母姉の件は?」 「こうして話してみてわかったよ。おまえというヤツがな。俺くらいになると、それがわかれば、対処なんてどうでもできる。手の内を晒しすぎたな」 その言葉は聞き捨てならなかった。 「私のことが分かっただと、知った風に」 「慎重に野心と計画を隠しつつも、恨みを消し切れていない。父親のことを恨んでいないというのは本当だろうが、俺に思うところがないわけじゃない。ちがうか?」 「本当にその程度で見切ったとでも?」 「ああ、おまえは父親にそっくりだ」 「では王よ、男色について、ひとつご教示くださいませんか?」 突然の質問は不可解だった。 さすがに、その意図までは読み切れない。 「昔、私が獅子王子のもとで鍛錬に励んでいたことをご存じですか?」 「ああ、そんなこともあったな」 「馬術の訓練中、馬から落ちたことがあるんです。そのとき私を助け起こした獅子王子に尋ねられました。瞳をまっすぐにみつめられてね」 「なんて?」 「『俺を愛しているか?』です。 僕(・)は考えて考えて考えたすえに『ハイ』と答えた。理由は、いつかこのことを暴露したときの、あんたの顔が見たかったからだ!」 さすがの王もそれには平静を装えない。 「さきほど、王は俺のことがわかったとおっしゃった。 では、男に股をひらく男の気持ちをご理解できると? なら、解説してくれはしませんかね」 どす黒い笑みを浮かべる西王。 そのやりとりに割り込む男がいた。 幕の内側に隠れていた獅子王子だ。 彼はそこから飛び出すと、西王の言葉を全力で否定する。 「俺から誘ったんじゃない。西王(おまえ)が俺を誘ったんだ!」 「いやだなぁ。まだ小さな騎士みならいがそんなことするわけないじゃないか」 「嘘をつくな! 貴様は! 俺を!!」 その場で喧嘩を始める二人に、王は震える声で告げる。 「出ていけ」と。 「父上(あんた)には知られたくなかった」 「さすが、王妃(あいつ)の子だよ」 獅子王子は叱られた子どものように立ち尽くす。 「さて、王の意向も考えず、浅慮な行動をとった愚者のことは忘れましょう。 それより次の王には私がなりますよ。西国の王であり、あなたの妻となる愛妾の異母弟。 少々問題にする輩が現れるかもしれませんが、あなたがバックについてくれれば問題ないでしょう」 「まだ、兎王子がいる。最初の予定どおり愛妾をあいつに与え、次の王とする」 「彼では王という役に、役者が不足してしまいます。自分の子だからという理由なら、おやめになったほうがよろしいかと」 「うるさい、あいつは優しい良い子だ」 「そもそも、彼らが本当にあなたの子であるのか疑わしい。それくらい、あなた方は似ていらっしゃらない」 「乳母が、あいつの手と俺の手がよく似ているといっていた。奴は王に最適ではなくとも、取り柄はある」 「それでも、俺が王になったほうがずっといい。反乱などいたしませんよ」 「そうかもな。いいやする。なにより兎王子は俺を愛している。ヤツだけは絶対に裏切らない」 「本当に?」 「まちがいない」 「ではここにいるのは誰でしょうね」 そういって幕をあげると、隠れていた兎王子の姿が晒される。 獅子王子から解放されていたにもかかわらず、どうしていいかわからないまま、そこに立ち尽くしていたのだ。 「兎王子、どうしてここに?」 王に内密に行動したということは、知られたくない相談をしにきたということだ。 王はそう判断した。確信はない。だが、悲鳴のような声が返って疑いを濃くする。 「裏切る気なんてない!」 「ああ、おまえは良い子だからな」 「もう行っていいかな? もう寝なきゃ」 そう言って立ち去ろうとする兎王子に、王は問いかける。 「何故待てなかった? すべてはおまえのために準備していたというのに……」 「……それっていつになるの? 父さんが死んでから?」 聞き返さねば、これまで通りを続けられただろう。だが彼ももう限界だったのだ。 「血も涙もない冷血漢のクセに親のフリなんかするなよ!」 逆上する兎王子の姿に、西王が腹を抱えてわらう。 「これでわかったでしょう? 王(あなた)の理解者は私だけだと」 だが、その言葉は王の耳に届いてはいなかった。 「父上……」「父さん……」 「おまえたちなんて、俺の子じゃない。ここから出ていけ!」 苛烈な言葉を吐きかける。 「よいのですか、追い出すだけで? 身の程知らずな彼らは王に刃向かいますよ」 「くるならこい、返り討ちにしてやる。 だが、貴様らはもう赤の他人だ、血を絶やしてくたばれ!」 そして彼の中で、息子たちは死んだ。 「呪うなら呪えばいい、呪い返してやる。 儂の息子たちは死んだ。 みんな、みんなみんな、いなくなった」 その時、王を支えられるものは、冷たい石の柱だけだった。 5◆王の決断 王はひとり城内を歩いていた。 手には酒瓶。 王はタフではあるが、それでもこの局面、酒抜きで平静はたもてない。 息子たちに勘当すると告げた。 そのことに後悔はない。 彼らは王を裏切ったのだ。 その罪悪はゆるされるべきではない。 だが、今後のことはどうするのか。西王が指摘したように、王にもいずれ寿命の制限が訪れる。絶対にだ。 だとすれば、後継者は早い内に用意せざるを得ない。 だが、誰もが彼を信じず、好き勝手にする。 最愛の息子である兎王子ですらも。 王のもとに、一匹の犬がやってくる。王はつまみにもってきた肉を食いちぎると、その一片を犬に与えてやる。 「なぁ俺はどうすればいい?」 犬は肉に夢中で、返事など返さない。 王はその頭を愛しそうになでる。 「誰もが俺を裏切った。神様ってやつは試練が好きすぎるだろ」 だが、はたと、己を裏切っていない人物のことを思い出す。 愛妾である。我が儘なことを言うこともあるが、彼女だけは王のことを裏切ってはいない。 「そうだ結婚しよう」 だが、この国の国教では重婚を許してはいない。そのため、王妃と別れる必要があるが、彼女は豊かで広大な土地を持つ領主でもある。 そのままでは別れることはできない。 だから、手を模索する。 そして王は、これまでの領地を増やしてきたときとおなじように、どうすれば王妃から土地を奪えるのか、考え始めるのだった。 ◆ 愛妾のもとに王妃があらわれる。 「香料入りのワインは王の好物だな」 部屋にただよう香りから、愛妾が温ワインを用意していることを指摘する。 急に部屋に来訪した王妃に、愛妾は敵意を向ける。 「いったいどのようなご用件で?」 「おまえの真意を確かめに来た」 王妃は鋭い眼光を向けるが、大の男でも震え上がる眼光に愛妾は気圧されつつも、引こうとはしない。 ふたりの関係は正妻と愛妾の関係でも、婚約者の母親と娘という関係でもない。 表向きな、関係上はそうだったのだが真実のところはそうではない。 「おまえには、国を混乱させぬよう、内密に舵をとるよう命じておいたハズだ。どうしてこんなことになっている」 「さぁ私にも」 「茶化すな」 「茶化してなどいません」 きっぱり告げる。 「それよりも王妃、あなたは王のことを『愛している』のですか?」 「……それは昔のことすぎる」 その問いに王妃はまっすぐに言葉を返せない。それは隙となり、相手の追撃を許した。 「だから、幽閉されたことが許せない?」 「いや、それは咎は私にある。許すもないだろう」 「そうよね。あなたはそういう方だわ『お母様』」 「それは口にするなと言ったハズだぞ」 眉をひそめ咎める。 「これは失礼しました。王妃」 「そうだ、おまえは西国の先王の忘れ形見であり、西王の義母姉だ。そのことを忘れるな」 「本当にうんざりするほど……」 王妃を見つめる愛妾の瞳には哀れみがあった。 「愛する男に愛していると言えず、子どものように己の感情に振り回されている。己の感情の根源に自信をもてないせいで」 「黙れ!」 「可愛そうな王妃さま、『ちゃんとした人間』に産まれられなかったせいで、周囲からは魔女と蔑まれ、王以外の方からは見向きもされない。 いえ、その権力に引かれた殿方は大勢よっていらしたのかしら?」 「黙れと言っている!」 激昂。いまにも殴りかかりそうだ。 「ここまで言っても自分を律せられるのですね。ほんとは掛け値なしに恨みたいのに、同情してしまいます」 「そんなものは必要ない」 「そういえば、クリスマスですね。私もなにか王におねだりしてみようかしら? 例えば……王妃の苦しむ姿とか」 「では、願いがかなったな」 「おまえは自分ひとりのために、周囲のすべてを焼き尽くそうというのか」 「王に私を選ばせたのはあなたでそう! あなたに裏切られ、傷ついた王を癒やすことは私にしかできなかった」 その言葉に王妃の表情が歪む。 「なんで誰も王を助けてあげようとしなかったの! なんで王を裏切ったの! なんでなんでなんで!!」 駄々をこねる少女のように繰り返す。 「だったらしょうがないじゃない。誰も王を助けてあげなかったんだもの。まだ、小さかった私にしてあげられることなんて、他になかったのよ!」 「おまえは……愛を得られたのか?」 その問いにうなずくと、王妃は衝撃を受ける。 「そうか、おまえは……得られたのか」 まぶしそうに瞳を逸らすと、窓の外をみる王妃。 そこへ愛妾が襲いかかった。 隠していたナイフを抜く。 王妃は相手の蛮行に即座に対応する。花瓶に飾られた花に手を伸ばすと、花(ソレ)で難なく受け止めた。 「どういうつもりだ」 「王を私にゆずって」 まるで金属同士がぶつかり合うような音がする。 異様な自体でありながら、愛妾に動揺はない。 「私が死んでも親族に権利が回るだけで、王の欲する土地は手にはいらんぞ?」 「本当にそうかしら?」 「でなければ、私のもとに暗殺者が送り込まれているハズだ」 「それはどうでしょう? まだ愛されているのかもしれませんよ? あるいはあなたの実力を考えれば無駄だと悟っていたのかも?」 短剣を一度引くと、全身のバネを弾けさせ突く。 尋常ならざる一撃に王妃が動揺する。 「なぜ、魔力もロクに扱えぬおまえが!?」 「人間だもの! あなたとちがって!」 愛妾の言葉は的確に王妃の弱手点を貫く。 するどい一撃以上に、言葉が王妃を鈍らせる。 「知ってる? 化け物は人間に殺されるものなのよ。お母様!」 「私を母と呼ぶことは禁じたハズだ」 「禁じればそれで大丈夫と思っているから、あなたは裏切られたのよ!」 言葉の刃は繰り返し王妃の魂を傷つけたが、それでも肉体への傷は一つもつけない。 次第に無理を重ねた愛妾の動きがにぶる。 そして足をもつれさせると、テーブルを巻き込み、盛大に倒れた。 だが、その場の勝利はすでに意味をもたないことを彼女は気づいていなかった。 そこに王が現れる。 ◆ 王が部屋にもどると王妃がいた。 愛妾と喧嘩している。 部屋の様子からして、ただ事ではない。 「おい、なにしてんだ!」 「お話を少々」 王妃は涼しい顔で答える。 「それでこのざまか」 それが嘘であると指摘する。 そして、自らの要求を押し出す。 「こんどこそ、こいつにサインをしてもらう」 それは王に所有する領地の一部を譲渡するという誓約書だ。一部とは方便でしかなく、実際は彼女のもつ一番大きく豊かな土地を明け渡せと言っているに等しい。 そしてそれは、王妃にとって決して手放せないものだ。 それでも譲らせなければ、前にすすめない。 「これを承認しろと?」 「代わりにおまえには自由を与える」 「生憎、私は自由など望んではいない」 「あのまま幽閉されたままで構わないと」 「それだけの罪は犯した。 本来ならば、クリスマスなど祝っている場合ではないだろう。 だが、それでも後継者問題に蹴りをつけるというのならば、来ないわけにはいかない」 「まじめだな」 「私の使命については、これまで何度となく語ったハズだが?」 「それで邪魔ばっかしてんだから、世話ねーよ」 「それで、兎王子のことは諦めたのか?」 「ああ、兎王子は次の王にしない。だが、それは獅子王子もだ」 「? どういう意味だ、熊王子か?」 城に訪れなかった王子の名をもち出されるが首を振って否定する。 「それでは適任者がいないではないか。 それとも他の愛妾との間にできた子が、私の知らない場所に存在するのか?」 「さてな」 「いや、まて、それなら、いま無理に土地を要求する理由にはならない。 まさか新たに愛妾と子を作ろうというのか? いまから」 わずかな情報から、現状を即座に推測する。 「それの何処が悪い」 「歳を考えろ」 「お互い様だ、俺はおまえよりも十も若い」 「十ではない十一だ」 「だったら、なお良いじゃないか」 「いまから仕込んだところで間に合わん。 そもそもこれまでだってできなかったのだ。そうそう都合良く孕むとも思えないし、それが女だったらどうするつもりだ?」 「それは、おまえの考えることじゃない」 「おまえがまともならば、そうだろうな。だが、いまのおまえはどう見ても錯乱している。いったいなにがあった?」 「なにがあった? 逆だよ、なにもなかったんだ。 俺が家族だと思っていたものは、すべて偽物の嘘っぱちの偽物だったんだよ」 王は感情をぶちまける。 「そもそも本当にあいつらは俺の子どもだったのか?」 それでも長年の疑問だ。 妊娠中も、腹が膨れた様子もなく、妊娠の現場にも彼は立ち会っていない。 それに、息子たちが誰ひとりとして、父親どころか母親にさえ似た部分がない。 どうしても自分の息子とは思えず、たくらんされた親鳥のような気分だ。 それでも哀れみから、兎王子を愛したが、それにも裏切られた。踏んだり蹴ったりだ。 ――ひょっとしたら、どこかから赤子をさらってきたんじゃ? 彼女ならそれくらいのことはやりかねないと思っている。 王の指摘は、は王妃を深く傷つけた。だが王妃は眉をひとつ動かしただけですませる。 「俺の帝国を存続させるには、おまえのサインが必要だ」 「…………」 「おまえの望みは争いのない世界だ。なら俺がそれを作ってやる。そのために署名しろ」 王妃が冷静であったならば、それにサインをすることはなかったろう。 だが、愛する夫に負の感情をぶつけられ、いかに氷の魔女といえど、冷静さを維持することができなかった。 それでも堪える。『間違っているのは彼だ』と己に言い聞かせ、気づかれぬように歯を食いしばる。 だが、そこに王のダメだしが入った。 「俺が愛しているのは彼女だけだ」 そう言って愛妾を抱き寄せると、彼女と深い口づけをした。 愛妾はそれを拒もうとしたが、それは強い力ではなかった。 「あそこにいるのは魔物だ。気にする必要はない」 そう告げると王はもう一度、深いキスを愛妾とかわす。 それを見せつけられた王妃は、無言でサインを残し、自室へと戻るのだった。 その目尻に浮かんだものに、王が気づくことはなかった。 ◆ ・従者に出兵の準備をさせる。 「おい、従者起きろ、兵の準備をさせろ!」 王は従者の部屋に押し入ると、栗色の毛を枕に沈めた彼女をたたき起こす。 「敵軍ですか?」 訓練された従者は深夜であるにも関わらず、冷静に状況把握に務める。 だが、王の言葉は意図したものとちがった。 「ちがう、法王のところいく」 「……なんのためです?」 「結婚式をあげる」 その言葉に、一瞬、ドキリとする従者だが、すぐに我に返る。 王からは酒の臭いがする。 夜中に突然自分の部屋に押し入り、『結婚しよう』などと言い出したかと思えば、どうやら酔っているようだ。 そもそも、この国の国教では重婚を禁じている。すでに王妃を持つ王がどうやって結婚しようというのか。 それでも、普段ぞんざいに扱われている身としては、悪い気はしない。 まぁ、ちょっとしたお遊びで結婚式ごっこくらいならしてあげてもいいんじゃないかなくらいには思った。 「でも、さすがにこの格好で結婚式はないんじゃ……」 「おまえの格好なんぞどうでもいい」 「は?」 結婚しようというのに、花嫁を着飾らせないというのはどういうことか。自分は二回目かもしれないが、こちとら初婚である。例え遊びでも、ちょっとくらいは夢を見させてほしい。 というか、『なんか変だな』という言葉がようやく従者の頭を過ぎる。 酔っているわりに言葉はハッキリしている。だが、言っていることのつじつまは合っていない。 こういうときは、たいてい意思の疎通に失敗しているのだ。 故にたずねてみた。 「主よ、いったいどなたと結婚するおつもりで?」 「愛妾以外に誰がいんだよ」 西国の先王の血を引いて、ふわっふわっな金髪の王女様の姿が脳裏を過ぎる。 どうして、彼女のことを失念していたのだろうと、従者は己の浅慮を恥じるのだった。 ◆ 従者に出兵準備をさせている間、王は兵を連れ、獅子王子の部屋へと向かった。 王への反逆を理由(たてまえ)に獅子王子を捕らえる。 彼は勇敢にも、兵士を投げ飛ばし抗ったが、さすがに多勢に無勢では分が悪かった。 次に西王のもとへやってくる。 すでに王が強引な手を使うことを予測していた西王は、罠をしかけ兵士を退けようとするが、相手が悪かった。 王は彼の用意した罠をなんなく踏破すると、その首元に剣を突きつける。 そして、死か束縛の二択を選ばせる自由を彼に与えた。 情けないのは兎王子だ。 警戒もなく、女とともに馬小屋のベッドで情事後の微睡みに浸っていた。 だが、後回しにされたことをさっぴいても、彼がの発見が王の手を一番手こずらせたことは皮肉なことだった。 王は三人を城の地下にある酒蔵へと監禁する。 これで彼が城を離れる間、反乱を起こされる心配はなくなった。 そして、王は愛妾にも準備を整えるよう告げに、部屋へと帰るのだった。 ◆ 王は自室にもどると、部屋で待つ愛妾に出かける準備をしろと伝える。 「出かける、準備をしてくれ」 「こんな時間にですか?」 愛妾は城内の騒がしさに気づき目覚めていた。 そして王の物々しい雰囲気に気づくと、息を飲んだ。 「法王のところへいく。おまえもだ」 「まだ暗いですわ」 「出発は日の出とともにだ。馬を飛ばせば、その日のうちに帰ってこられる」 焦っているのは、長期に城を開けられないからである。 監禁しているとはいえ、西王も獅子王子も油断できる相手ではない。 「そうだ告げる順番が逆になったな」 「なんでしょう?」 戸惑いながらも愛妾は王の言葉に耳を傾ける。 「俺の王妃となってくれ」 「……王妃様と別れてもらえるのですか?」 「ああ、もうあいつは必要ない。土地の譲渡書にもサインをさせた。あいつも晴れて自由の身だ」 その言葉に愛妾は疑問を持ったが、口には出さずにいた。 「でも、離婚には法王の許可が必要となんだ」 王と王妃の結婚は法王によって祝福されている。王も王妃も敬虔な教徒とは言い難いが、それでも莫大な数の信者を誇る教会を無碍にはできない。建前上とはいえ、別れることに許可を得る必要があるのだ。 「離婚を認めさせたら、そのまま結婚する。受けてくれるよな?」 「私に王妃になれと?」 「ああ、他の誰でもない、おまえに頼んでいる。 王の妃として俺の子を産んでくれ。そいつが新たな王だ」 それまでも戸惑っていた愛妾だったが、そこで完全な拒絶をする。 「それはダメです。次代の王には、王子のうちの誰かを選んでください」 「それこそダメだ。もうあいつらはもう息子じゃない。この場にこなかった熊王子も王妃の息がかかっている」 熊王子とは王妃とともに、王に反逆した息子の名だ。 継承問題に蹴りをつけるため、彼にも召喚状を送ったのだが『俺に帝王の器量はない』との返事を使いの者に持たせただけで、城に顔を出そうともしなかった。 当然、そんな男に王位を譲るつもりはない。 だから、彼には新たな息子が必要なのだ。彼に従順で、それでいて有能な子が。 だがしかし、愛妾は王の子を産むこと。それを次代の王にするという計画には賛同しなかった。 いや、できなかった。 兎王子はともかく、獅子王子の優秀さは誰もが認めるところ。帝王の座を辞退した熊王子とて、愛妾の子が王になると知ればどんな感情を持つか分からない。 彼女の子が王に着くと言われれば、己の牙を振るうことに容赦はないだろう。 故に彼女は王に願う。 「すべての王子を殺してください」と。 ◆ 「すべての王子を殺してください」「王妃じゃなくてか?」 王は意外そうな表情を浮かべ確認する。 「あの方は、決して国の混乱を望みません。 例え自分の息子が王位につけなかったとしても、それを理由に挙兵することはありえません」 きっぱりと言い切る。 互いの存在に想うところはあれど、そういうところは信用している。あるいは己に課したルールの鎖を解けないことを見破っているのかもしれない。 「ですが、王子たちは自身で権力を持ちたいと望んでいます。彼らは王以外の者の下につこうとは決してしないでしょう。それだけの能力もある。 だから、私と私の子は、王子のうちの誰かに殺されます。絶対に」 「心配するな。俺が全力で守る」 「あなたは、いつもそうやって物事を軽く見る。 いままではそれでなんとかなっていたかもしれませんが、いつまでも若いままではないのです。ご自覚ください」 『それに王妃という最強のカードを失う。そのことはあなたが想像している以上にずっと重い』 その言葉はかろうじて飲み込んだ。そしてなお言い返そうとする王に問いかける。 「しかしだな……」 「王はあと二十年、彼らの上に立ち続けられるのですか!?」 ヒステリックにあがった声は、王の心臓を縛るほどの力を持った。 確かにいまから子を作っては、そのくらいの時間がかかろう。 これまで子が成されなかったことを想えば、もっとかかるかもしれない。 そのあげく、出来た子が娘だったらどうするか。女では王位を継がせられない。 いくら若くみえようと、王はすでに五十歳だ。七十歳になってなお、野心高き王子たちを押さえつけられるわけがない。 現に兎王子との訓練でさえ、老獪さを発揮しなければ勝てぬようになってきている。 「だから、いま殺すしかないんです」 それが彼女の求める誓約書だった。 王のもとにいたい。ただそれだけでいい。むしろ他のものは平穏の邪魔だ。 西国の王の娘として産まれながらも、敗戦により戦場を迷った娘の唯一望むもの……それは男ただひとりだけ。 それ以外のものまで押しつけられるというのなら、相応の安心を対価にして欲しいと願い訴える。 「だから、王子たちを殺してください。式よりも前にです」 「……わかった。俺にはもう、おまえだけだ」 王は決断をくだすと、愛妾との最後の口づけをかわした。 6◆冷たい地下 王妃は闇にまぎれて地下への階段を下る。 さすがの王も息子たちを牢屋に閉じ込めることには躊躇したのだろう。彼らの監禁場所は城の地下にある酒蔵である。 扉の槍を手にした衛兵ふたりをみつけると、手にした箱を一度降ろし、懐から小袋を取り出す。 そこに詰められた蝶の羽を粉末にしたものを大気に漂わせると、小さく呪文を紡いだ。 〈精霊よ……彼の者に夜の安らぎを別け与えよ……〉 すると、衛兵はあくびをかき、目をこすりはじめる。 バランスを失ったことで、目を覚ましかけたが、魔女の操る夢魔の誘いには抗えきれず、そのまま眠りつくこととなる。 「すまぬな。私にやられたと知ればおまえらが責められることはない。安心するが良い」 意思のない衛兵にそう告げると、彼らの腰にある鍵に手を伸ばした。 ◆ 酒蔵内に監禁されていた西王、獅子王子、兎王子の三人は、暗闇からやってくる足音に気づいて警戒した。 灯りももたずに現れたのは氷の魔女と呼ばれる王妃であることに戦慄する。 「母上、まさか父上と手を組み直したのか?」 かつては諸国の王や領主を震えあがらせた女傑だ。すでに六十を超える高齢者とはいえ、その姿は若い娘子のままだ。その剣腕が衰えているとは思えない。 もし刺客として現れたのなら、これ以上絶望的な状況はないだろう。 だが、王妃はそれを否定する。手にした箱を酒樽の上に置くと、その内側を開示してみせる。 「そなたたちに武器を与えにきた」 箱の内側には三本の短剣が収められている。どれもつくりのしっかりとしたもので、確かな実用性がうかがえる。 「まさか、僕たちに殺しあえっていうの!?」 逆境に弱い兎王子が悲鳴じみた声をあげるが、王妃はそれも否定した。 「そうではない。身を守れという意味だ」 「母上、おっしゃる意味がわかりません」 獅子王子の疑問に、王妃はにがにがしく応える。 「王が……おまえたちを殺しにやってくる。いまからでは、城外まで逃げることはできんだろう」 「なんで、父さんが!?」 「邪魔になったのだよ。自らの思うままに動かぬおまえらが。まるで子どもだ」 王妃の言葉に納得した獅子王子は短剣を掴むと、鞘に収められた刃を確認する。 西王は短剣に手を伸ばさないまま、確認するよう王妃に問う。 「私が殺される理由はないと思いますが? 姉の結婚は国同士での約束。私個人を殺しても破棄はされない」 「そうだな、他国の王を殺せば周囲からの反発は確実だ。 西国からは猛烈な抗議が出るだろうし、それを理由に離反する連中も現れるだろう。 だが、おまえは沈黙を守れるか?」 「なにをです?」 「『子殺しをした王の悪評を周囲に広め、彼の権力を失墜させようと企むことはないのか?』と聞いているのだ」 「なるほど、口封じですか。私ならやると思われるでしょうな」 そう言って、彼も箱から短剣を手に取ると、残るひとりに声をかけた。 「それでキミはどうするんだい?」 「無理だ。父さんに勝てるわけなんかない! これまでだって、良いとこまで責められても、ギリギリのところでひっくり返されたんだ。 本気でやりあったら、絶対殺される!」 兎王子は短剣を畏怖し、手を伸ばそうともしない。 訓練で繰り返し王と戦っている彼が一番、その実力を知っている。 剣術だけならば、兎王子もそう劣るものではないのだが、戦場で培った老練さが、彼に決して勝利を譲らせないのだ。 「三対一でも勝てないと?」 柔らかな声で誘う西王だが、兎王子は疑いのまなざしを向けたまま、決意を翻そうとはしない。 「戦わねば殺されるぞ。あの男はやるべきときには迷わん」 王妃から指摘されても、「うるさい! 裏切り者の母さんの言葉なんか信じられるか!」と拒否する。 そもそも彼は王妃とは六歳の時から、十年も会っていない。 反乱により父を裏切り、いまさら母親面で助言をされても受け入れられるハズもなかった。 「それより、どうして王妃は我々の助力を?」 彼らに手を貸したことが王に知られれば、彼女の立場は確実に悪化する。それを隠し通すことは難しいことは、本人もよく理解していた。 「私が望んだものは手に入らなかった。自分で撒いた種だ。ソレは仕方ない。 だが、おまえたちまで死ぬことはないだろう。無駄に血が流れるのは私の本意ではない」 「無駄ということはないでしょう。反逆の芽が摘めるのですから」 「国の重鎮を失い、他国の王を殺し平和など維持できるものか。そこにおまえの血が加われば、西方は大混乱だ」 王妃の言葉に嘘はなかった。 それでも西王は、それが間違いであると忠告する。 「王妃よ、その答えは間違っておいでですよ」 「……?」 「そこは『彼らは私が腹を痛めて産んだ子だ』と答えるべきです。 普通の人間ならばね」 「そうだったな。いまさらだが、私は母親失格だ。許せ」 そう謝罪する王妃であったが、その言葉を受け入れるには兎王子の心は乱れすぎていた。 ◆ 酒蔵で彼らが話あっていると、石床を強く叩くような大きな足音が響く。 その場の誰もが、王がやってきたのだと察知した。それ以外にもひとり供をつけている。 西王と獅子王子は、反射的に短剣を箱にもどすと蓋を閉じる。 「よう、おまえら元気か?」 揚々とした王の言葉に緊張はない。 酒でも入っているのかと思ったが、酒精の臭いはただよっていない。 腕には催事用の太い蝋燭を何本も抱えている。それを適当な場所に置いては、松明を持つ愛妾に火を点けさせた。 「酒蔵(ここ)はちょいと暗いからな。礼拝堂から失敬してきた。 なに、元々俺の金で買ったもんだし、神もケチくさいことは言わんだろ」 蝋燭が増えるごとに周囲は明るくなっていく。 それと同時に王の顔に刺す疲労の影がくっきりと見えるようになった。 「だいぶ疲れているな」 「なんだ、おまえもいたのか」 王は王妃にいま気づいたという体をつくる。入口の衛兵がふたりとも眠らされていた時点で、気づいていたにも関わらずだ。 「従者は?」 「ああ、出兵の準備をさせてる。 ここが片付いたら法王のもとまでひとっ走りだ」 そこで王妃との離婚を認めさせ、愛妾と結婚する。そして彼女には次代の王を産んでもらうのだと陽気に話す。 若く見えても、王はすでに五十歳。 その子が即位するには最低でも十五年はいるだろう。愛妾がすぐに孕むとは限らないし、孕んだ子が男子であるという保証もない。 つまり、彼が語っているのは老人の夢物語である。 その場の誰もがそのことに思いあたっていたが、それでも表だってそれを指摘する者はいなかった。 「法王に認められるまで、我々は監禁されるのではなかったのですか?」 獅子王子が確認すると王は、本題を思いだしたと言わんばかりに顔色を改め「状況が変わった」と告げる。 「獅子王子、おまえは優秀だ。剣で強く槍で強く軍を率いても強い。 俺がいなきゃ、とっくに西方はおまえのものになってたろうな」 彼の肩を叩き、それまでの戦果を賞賛する。 相手が剣を帯びていないとはいえ、無防備に距離をつめてくる王の様子に獅子王子は混乱した。 ここは戦場だ。 油断すればすぐに命を落とす死地である。 勘当を言い渡され、敵愾心を剥き出しにする息子(テキ)たちを前に、どうして平然と距離を詰められるのかと恐れすら抱いた。 だが、王はそれに気づかないまま、あるいは無視し、西王を一瞥する。 そして、彼が距離をとったまま動向をうかがっているだけだと確認すると、兎王子のもとへと移動する。 若々しいふたりが並ぶと、仲の良い友人のようだ。 「兎王子、おまえを一番愛していた。本当だ。土地をやれなくてすまなかった」 王はそのことによる不遇も合わせて謝罪する。 「父さん……。僕はぜんぜん気にしてないよ。だから今からでも、」 和睦を申し入れようとする兎王子だったが、王は「だが俺も止まれない」とそれを禁じた。 「素直に死ねとはいわん。全力で抗うのだ。おまえの才ならばひょっとするかもしれんぞ」 ――王の決意は変わらない。 それを直感した獅子王子はすぐに動いた。 箱にもどした短剣をもう一度手にすると王に向ける。 だが、牽制するように構えるだけで、すぐに斬りかかろうとはしなかった。 「なんだ、準備万端じゃないか」 武器を向けられても王の余裕は崩れない。 それどころか、箱の中身を確認すると残った二本の短剣を西王と兎王子に放り渡す。 自らもジャケットの内に収納した短剣を引き抜くと、その柄を十字架に見立て掲げる。 「王である俺が宣告する。貴様らは死刑だ」 ◆ その場の誰もが動けなかった。 三対一。西王も王子たちも腕に覚えがある。それが三人いても、王相手に踏み込むことはできずにいた。 王と王妃の間には、松明を手にした愛妾が陣取っていり。王妃と似た光を放つ瞳は王妃の介入を強く拒む。 「さぁ、おまえらの力を見せてみろ。 もし神の寵愛があるのなら、それは結果となりおまえらを祝福するだろう」 王の挑発を受け、獅子王子が動く。 王と同様に戦場で培われた動きは洗練されていた。蝋燭の灯りが揺らぐ酒蔵でもそれは損なわれない。 されど、王はそれを易々と受け止める。西方を血の海に塗り替えた騎士を持ってしても、王は打ち破れない。 不意に獅子王子の体勢が崩れる。首筋を狙う王の剣が走るが、それを防いだのは西王の手にする短剣だった。 事態を静観し、漁夫の利を得ようと考えていたが、最も厄介な相手は王に間違いない。 それを討つため、最大戦力である獅子王子を倒されるわけにはいかなかった。 だが、西王が王と打ち合えたのはわずかに二回だけだった。不意に放たれた蹴りで、あっさりと沈む。 追撃で彼を仕留めるのは簡単だったが、王は獅子王子の始末を優先した。 反撃に出た獅子王子の一撃を交わし、相手の腹に膝を入れる。 そして動きの鈍った相手にトドメの一撃を放つ。 蝋燭の灯りを反射させる凶刃が闇を走る。 だが、それは三度防がれることとなる。 それを成したのは、この場で最も臆病で、獅子王子との仲も険悪な兎王子だった。 なにが彼を動かしたのかは、王にもわからない。 王への恐怖か、それともいまになって兄弟愛に目覚めたのか……おそらくは、本人にもわかってはいないだろう。 兎王子は視界の外から忍び寄り、短剣による一撃を繰り出したのだ。 完全な不意打ち。それでも王の肌を浅く裂いただけで、傷と呼ぶには浅すぎる。 だが、王子の攻撃は繰り返される度に精度が増していく。 その瞳に鈍色の光を宿すようになると、太刀筋は鋭さを増していく。 ――見える。僕にも父さんの動きが見える! 次第に場の優劣が逆転する。 そして、兎王子の繰り出した一撃は、王の身体に深くに突き刺さるのだった。 ◆ 兎王子の繰り出した突きを回避できないと判断した王は、その一撃は王の手の平で受け止められる。 短剣は王の身体を貫いたが、自らの手を犠牲に攻撃を防いだ王の気迫に押され、それ以上は押し込めなかった。 「どうした? チャンスだぞ」 王は笑みを浮かべて問うが、兎王子は実の父親を傷つけたという事実に今更ながらに気づく。彼の手足は震え、それ以上の戦闘はできなくなった。 「そうか、おまえに討たれるのもアリかなって思ったんだけどな」 兎王子から短剣を奪うと、関節をとり動きを封じる。そして、彼の命を奪うべく短剣をのど元に突き出した。 だがそれが刺さることはなかった。 王の手から短剣が弾かれる。 どこから取り出したのか、王妃が手にした剣でそれを弾いたのだ。 間に立ちはだかっていた愛妾は、床に転がっている。 「そこまでにしておけ」 「なんだよ、言っただろ。もう止まれないって。止めたきゃ、おまえが落とせよ。俺の首」 親指を自らの首に向け挑発する。 覚悟を決めると、王妃は王に戦いを挑んだ。 ◆ 「やっぱり、おまえも邪魔するんだな」 王は兎王子を解放すると、血に汚れた王子の短剣を捨て、自らの短剣を拾いなおす。 彼女とは何度か戦ったことがあるが、勝利したのは一度しかない。 十年前の反乱を鎮圧したときだ。 それから王妃は幽閉されたままだ。 歳を考えても衰えていると考えるのが妥当だろう。 だが、王妃にはそんな普通を覆すなにかがある。 故に彼女は周囲から『魔女』と恐れられるのだ。 王に一片の油断はない。 乱暴に袖を破ると、それを掌に巻き付け止血する。 そしてまっすぐな瞳で王妃を捕らえ剣を向けた。 ふたりの最後の戦いが始まる。 二本の剣が蝋燭の火を反射し、闇を切り裂く。 だがどれほど剣をまじえようと、決着はつかなかった。 西王と王子たちはふたりの洗練された剣術に見入ってしまい、助けにはいれない。 ただ蝋燭の長さだけが短くなっていく。 不意に一本の蝋燭が消えた。 だが、熟達したふたりの戦士はそれをものともしない。互いに互いの姿を瞳に収めたままだ。 それでもまったく影響しないわけではなかった。 機を探していた愛妾が、血に濡れた短剣で斬りかかる。 それは互いに集中していたふたりの不意を完全につくことに成功した。 王妃の背に凶刃が迫る。 だが、その刃が貫いたのは、幾度となく愛した王の肉体だった。 ◆ 「なんで……?」 王妃をかばった王に問うが、王は笑みを浮かべるだけで答えない。 「俺の負けだな」 力なく床に崩れ落ちる。 「疲れた。もう仕舞いにしよう、ぜ」 王は自らにトドメを刺すよう要求するが、それを実行しようとする者はいなかった。 「おまえら、なにをしている! すぐに医者を呼んでくるんだ」 剣を捨てた王妃が王にすがる。懐からなにかの葉を取り出すと、それを咬み唾液と混ぜる。それをハンカチに吐き出すと傷口に当てる。 「さすがにこれは無理だろ」 「黙っていろ!」 愛妾の刺した短剣は王の内臓にまで達している。 この時代、内臓の傷を癒やす方法は存在しない。 仮にこの場を生きながらえたとしても、死が遠くないのは誰の目にも明らかだ。 それでも王妃は王の死(ソレ)を認めようとはしなかった。傷を抑え必死になにか念じている。 「おまえ、さんざん好き勝手やっておいて、簡単に死ねると思うなよ」 王妃のまわりに蝋燭のものではない光が現れては集まっていく。 それが傷口に集まると、少しずつ傷が塞がっていく。 それにつれ死相は薄れ、穏やかな寝顔になる。 その場の誰もが、その光景に目を奪われていた。 「聖女だ」 兎王子の口からぽつりと言葉が洩れる。 だが、王を癒やしたことで、王妃も力を使い果たす。 そして涙ながらに王を抱える、皺だらけの老婆がそこに現れるのだった……。 7◆エピローグ 怒濤のクリスマスを終えた城は、静かな新年を迎えていた。 豪勢に振る舞われた食事はなりを潜め、これから春まで自粛の日々がはじまる。 寝ていてはエサに困るようになった犬たちも、勤勉にネズミ狩りにはげむ生活へともどっていく。 城が静かになったのは、客人らが居なくなったことも影響していた。 西王は自国へと帰った。 異母姉である愛妾を王妃にすることは諦めたが、その分、土地の奪還には成功している。 なにより、今回の騒ぎで帝国の結束が揺るいでいるのを実感できた。 王の衰えは明白であり、それを継ぐであろう王子たちの人柄を知ることができたのも大きい。 今回の経験は、帝国に奪われた土地を奪い返すのに、大いに役立つこととなる。 獅子王子は新たな決意を胸に領地へと帰った。 愛妾を妻とすることのできなかった彼は、継承による王位を諦めると、簒奪のための力を貯えるため奔走する。 その動向は苛烈を極め、後の西方地図に広く深い血の海を描くこととなる。 兎王子は城から姿を消していた。 彼には継承された土地はなく、いける場所などないハズだ。 それでも、誰に相談することもなく、城を旅立っていた。 王子を心配する声は意外にもすくなく、それを寂しく思う者もいた。 ただ、数匹の犬といくつかの宝石、母親から賜った剣がなくなっていたので、案外したたかにやっているのかもしれない。 それを証明するよう後の歴史では、渇望した王座を手に入れることに成功する。 愛妾は城に残った。 されど、王との間にできた溝は深く、ふたたび彼に抱かれる日はやってはこなかった。 結局彼女は、王の血縁者の誰とも結ばれることはなく、彼の死後、異母弟の居る西国へと送り返されることとなる。 それでも彼女の血は、かつて愛した男の国に残ることとなるのだが……。 「ここも寂しくなっちまうな」 杖を手にした王が、寒空の下、しみじみと口にした。 結局、守ろうとした土地は返還することとなり、己も死の淵に落とされることとなった。 王妃が持つ広大な領地を己の直轄にできたので、外からみれば大勝利であるが失ったものも大きい。 今後、王子たちが彼に平伏することはないだろうし、彼自身の力も損なわれている。 彼が半生を費やし、大陸西方の大半を支配した帝国が衰退するのは確実だ。 これまでの負債を払っただけとも言えるが、その心内はやはり穏やかではない。 それでも、決して彼は太陽のような微笑みを崩そうとはしないが……。 「おまえの浮気が原因だ」 椅子に腰をかけた王妃が、ヴェールの下からキッパリと告げる。 周囲では、帰り支度を進める船乗りたちが奔走しているが、誰もふたりに視線を向けようとはしない。 時折、王妃から放たれる注意の言葉に頭をさげるくらいだ。 風が吹き、王妃の顔を覆うヴェールがわずかにめくれる。 半世紀以上続いていた輝きは失せており、いまはただの老婆だ。 だが、その内に秘めたものは確かにまだ残されている。 彼女はこれから河を下り、舟を乗り換えてから海を渡り本国へと帰る。 所有していた豊かで広大な領地を譲りはしたが、それでもすべてを失ったわけではない。 幽閉は解かれることになったのだから、残った領地のどこかで暮らしていくことになる。 あるいはそれすらも返上し、どこかの修道院で静かに暮らすのも悪くないかもしれない。 彼女は十分に国に尽くしたのだ。引退したところで文句を言う輩はいないだろう。 「なぁ」 「なんだ?」 王は人足たちを指示する従者に視線を向けたまま、となりにいる王妃にぼんやりと問う。 「まさかとは思うだけどさ……」 「はっきりと言え」 「あの時、反旗を翻したのって……まさか拗(す)ねたからじゃないよな?」 十年前に起きた反乱の真意をいまさらになって確認する。 公式の場では「王の治世は周囲に混乱をもたらす」と、しっかりとした回答を得ていたのだが……長く離れていたせいもあり本音を確認することはできていなかった。 ヴェールの下から憮然とした返答がなされる。 「夫に浮気されて、怒らない妻がどこにいる」 「そうか、おまえはそういうの気にしないと思っていたよ」 事実、彼と出会うまでの王妃は多くの男と情事を重ねていたのだ。 先夫と上手くいっていなかった理由のひとつを、自身の体験をもって確認することとなったのだが、いまだ彼女にその自覚は薄い。 「王妃よ、主(あるじ)は女心がわからないのです。諦めてやってください」 荷の積み込みが終わったと報告にやってきた男装の従者が、どこか疲れたような口調で告げる。 王妃は呼吸音だけで返答すると、舟に乗り込むため枯れ木のような細い身体を椅子から起こした。 王妃を乗せた舟は、帆を張ると冷たい風を受け海へと流されていく。 「呼びもどさなくて、良かったので?」 王は土地の譲渡を条件に王妃の罪を許したのだ。 帝国の土台を作り上げた彼女の助力を得られるなら心強いことこの上ない。 だが、それでも王は呼び戻そうとはしなかった。 例えひとりになろうと、自ら望んで作り上げた帝国だ。 途中、本意を見失うこともあったが、いまさらそれを手放すわけにもいかない。 それにまだひとりというわけでもない。 「さぁな、それより、これから忙しくなるぞぉ」 力一杯従者の背を叩くと、城内へ戻るべく門をくぐる。 やることは山積みだ。 だが、不思議と心は軽い。 考えようによっては、複雑な後継者問題が解決し、十年も不仲だった妻とも和解できたのだ。 新たに後継者は考え直さなければならないが、おそらく彼の考えた通りにはならないだろう。 それだけ、どうでもいいことなら、悩む必要もない。 王は、エサを求め寄ってきた犬の頭をなでると、なにも与えずに執務室へと向かった。 この後、王は息子たちの反乱により権力を失いうこととなるが、王妃と対立することだけはなかった。 【盛夏の王 了】 |
HiroSAMA 2021年08月08日 23時59分40秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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