誰が何と言おうとドラゴン |
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それはとても暑い七月中旬の昼下がり。両親が休日出勤なのをいいことに、クーラーの効いたリビングでガッツリ昼寝を決め込んでたら、枕元に誰かが舞い降りた。 ――起きてください、今市仲男(いまいちなかお)さん。あなたに重要なお知らせがあります―― 何だそれ。セールスならお断りだぜーとか思いながら、俺はうっすらと目を開ける。 誰かが顔を覗き込んでいた。髪をショートに切り揃えた、とびきりの美人だ。眼鏡の向こうにある澄んだ蒼い瞳が、不安げな光を宿していた。 まさか俺の人生の中で、こんな美人から声をかけられることがあるなんて。しかも向こうは何故か俺の名前を知り、自宅に押しかけてきている。 ああそうか。きっとこれは夢なんだ。だったらこの人と、楽しく話をしたってバチは当たらない。 「ふぁい……」 あくび混じりに返事して、ソファの上で身を起こす。その時、むにっという何か柔らかいものが顔に当たった。 「はぁぁっ! これがこの世界で言う『ラッキースケベ』というものなんですねっ⁉」 羞恥というよりは、新たな発見をしたというような感じの女の声。 俺は豊満な胸に顔を埋めていたのだった。 女は自分のことを『女神のメガちゃん』と名乗った。メガと眼鏡をかけているわけね、なるほど了解だ。でもなお姉さん、俺はあんたのメガ盛りおっぱいのほうが気になるんだ。一体何カップなんだい? 「はい、Kカップです」 「え、今の聞こえてた? てか、サイズ教えてくれるの⁉」 「はい、女神ですから」 俺の心の声が聞こえているというのと、慈悲深いというのと、二重の意味でそう答えたらしい。 「……で、その女神が俺なんかに何の用?」 思春期真っ只中、えっちなことに興味津々な高校一年生らしい心の声がダダ漏れだったことが恥ずかしくて、ついそっぽを向いてしまう。 メガちゃんはクスッと苦笑して、話し始めた。 「私、〈ナントナクティア〉という世界で女神をやってます」 やけにおざなりな名前の異世界だな、オイ。 「他世界からの転移者を導くのが私の仕事でして」 あー、それ知ってる。トラックに撥ねられたら異世界に飛ばされて、チートな能力貰って無双しちゃうやつ。強いし、女にはモテモテだし、いいことづくめだ。もしかして、俺を転移させに来たとか? 「いえ、違うんです」 メガちゃんは眉を八の字にする。 「異世界転生や転移が流行したせいで、近頃はトラックに自分から撥ねられようとする人が急増してしまいまして……」 それは迷惑な話だな。 「この件についてトラック業界は、かなりご立腹のようです。とうとう耐えかねたのか、天界のサポートセンターに抗議が殺到するようになってしまいました」 どういうルートで抗議が入るのか分からんが、面倒なことになってるみたいだ。てか、天界は何も悪くないんじゃね? きっと市役所と同じで、何かにつけてクレームをつけてくる連中がいるんだろう。 「そういうわけでして、天界は対策を考えました。異世界転生や転移を希望している方、もしくは希望しそうな人生を歩んでいる方に、人生がより良くなるチャンスを差し上げることにしたんです」 へぇ。異世界行きを希望する人はいいとして、『希望しそうな人生を歩んでいる方』ってのはどうなんだろう。聞きようによっては凄く失礼なんじゃ? 「そして今市さん、この度はあなたにもチャンスが巡ってきたわけです」 ……はぁ、そういうことか。俺の人生がろくなもんじゃないのは否定しないけど。 「私、事前に資料を見てきたんですけど……相当苦労されてますね。ちょっとご紹介します」 え、待って。誰に紹介するの? 俺の人生における汚点を赤裸々に語らなくてもよくね? 「生まれてすぐ。親戚のおじさんから『えっらいブサイクに生まれたな〜』とネタにされる」 ああ、その話なら母ちゃんから聞いた。後でおじさん、母ちゃんにフルボッコにされたらしいけど。 「保育園の頃。友達と手を繋ぐお遊戯で、誰も手を繋いでくれなかった」 う、うん。あれは俺が人間不信になるきっかけだったな。 「小学三年生。女の子から隣の席に座ることを拒否される」 そんなこともあったな。俺、本気で顔を整形しようと思ったもん。 「小学六年生。修学旅行の自由行動で、どのグループにも入れなかった」 ……なかなかエグいやつ掘り返したな。どこのグループに頼んでも、定員オーバーだから無理って言われたんだよな。仕方ないから、一人でアニメイト行ったけど。 「中学一年生。中学デビューしようとハイテンションな陽キャを演じていたが、同じ小学校出身の子に実は陰キャだとバラされる」 ……あの頃は俺も必死だったんだよ。女子から冷たい目で見られて「もういいよ、それ」って言われたのは今でもトラウマだ。 「中学二年生。中二病到来と共に、ネットで有名なネタの邪気眼と左手の疼きを真に受け、ガチでやってしまう。なお、左手に包帯を巻いて学校へ行くのが日課だった」 ……何だよ! 誰だってあるだろ、そういう時期がさぁ!! 解ってるよ、自分でも恥ずかしいことしてたって。破れ目を沢山の安全ピンで留めた黒いコートはもう捨てたよ。そう、背中に〈DARKNESS〉ってロゴが入ったアレのことだよ! 「中学三年生。卒業間近、好きな女の子に勇気を出して告白するが泣かれ、付き添いで来た別の女子に『やめなよ、嫌がってんじゃん!』と言われてしまう」 ……あーもう、いっそ殺して。これで負った心の傷は、まだ全然癒えてないのに。傷に塩を擦り込まれるどころか、全力ドロップキックですわ、そりゃ。 「まだありますけど、続けます?」 うん、もうやめて下さい。心が持たないので。 「承知しました」 と、微笑むメガちゃん。その女神の笑顔で悪魔のような所業をしたとは欠片も思ってないようだ。 「このように、様々な苦労を重ねてこられたあなたにピッタリのご提案があるんです」 ほう、それはどんな? 「その名も〈人生ワンチャン☆プログラム〉。弊社がご用意したイベントをクリアすることで、人生がバラ色になるというものです」 すげぇ嘘くさいんだけど! ていうか、営業っぽいのは何で? 弊社って言ってるけど、あなたが来たのは天界からだったよね、確か! 「どうです、参加してみませんか?」 営業スマイルでそんなこと言われてもなぁ……。イベントがどんなものか分からないし。クリアすれば人生がバラ色になるってのは興味深いけど。 「お気に召さなければ、途中でやめてもかまいません。対価もありませんし、悪い話ではないと思うんですが……」 んー、そうか。だったら試しにやってみてもいいかな。 「では、参加を希望されるということで」 そういうことになったらしい。何となく営業トークに騙されてる気もするけど、クーリングオフが効くなら問題無さそうだ。 「続きまして、パートナーを決めましょう」 パートナー? 「〈ナントナクティア〉では、一人につき一体のドラゴンがパートナーとしてその方の人生をサポートします」 へぇ、ドラゴン貰えるのか。さすがは異世界、なかなかいいじゃん。 「ドラゴンは知能が高く、適応力が優れています。きっとあなたのお役に立つでしょう」 そうなんだ。ドラゴンっていや、色んな種類がいると思うんだけど、どんなのが貰えるんだろう。 メガちゃんは頷いて説明を続ける。 「ご紹介します。まずは火の属性を持つ〈火竜〉ことファイア・ドラゴン。かの竜は口から灼熱の炎を吐き、あらゆるものを焼き尽くします」 ドラゴンといえばファイア・ブレスみたいなところがあるから、イメージ通りだ。こいつは格好いい。何といっても少年魂が刺激される。 「続きまして、風の属性を持つ〈風竜〉ことウィンド・ドラゴン。かの竜は天高く羽ばたき、疾風の速さで大空を駆けます」 飛竜(ワイバーン)みたいなものか。ドラゴンの背中に乗って世界を旅するのも悪くない。そこには男のロマンがある。 「次が、水の属性を持つ〈水竜〉ことウォーター・ドラゴン。かの竜は大海をしなやかに泳ぎ、荒波をものともしません」 リヴァイアサンか、それともシー・サーペント? ドラゴンの力で七つの海を渡り歩くもなかなかいい。海賊なんか目じゃない、なんてな。 「そして最後が、土の属性を持つ〈土竜〉ことアース・ドラゴン。かの竜は大地を揺るがし、強固な岩をも容易く砕きます」 何となく、重量感のあるドラゴンを想像した。四聖獣でいうところの玄武か。これも結構、格好いいんじゃないだろうか。重戦車みたいで。 「以上のうち、あなたと相性のいい属性を持つドラゴンがパートナーになるわけですが……」 なんだ、選べないのか。でもまあ、貰えるだけでも有り難いと思うことにしよう。どのドラゴンも良さそうだし、楽しみだ。 「あなたの場合は、土の属性と相性良さそうですね」 そりゃそうさ。何せ、俺の人生は泥まみれだからな! 「というわけで召喚します。――女神の名において命ずる。いでよ、汝、アース・ドラゴン!」 メガちゃんが頭上に手を掲げ、何かそれっぽいことを言う。その時に露出度高めの衣装から、綺麗な脇と通好みな脇パイが拝めたのは幸運だった。 俺たちの頭上にゲートが開く。そこから光に包まれた、仔猫ほどの塊が降りてくる。 反射的に両手を差し出すと、手のひらにその塊が乗っかった。ほのかに温かい。受け取ったのが生き物なんだと実感する。 やがて光が消え、そこにいる生物が姿を現した。 長い鼻、鋭い爪のある大きな前足。鱗ではなく、黒っぽいふさふさした体毛が生えている。 目の前の生物には見覚えがあった。というか、これはどう見ても『アレ』としか思えない。 「これ――モグラじゃねぇか!」 【土竜 ―もぐら―】 モグラ科の哺乳類。体長約15センチで尾は短い。毛は黒褐色のビロード状。地中にすみ、目は退化している。前足は大きくシャベル状で、地表近くをトンネルを掘って進み、ミミズなどを食べる。 (※コトバンクから一部コピペしました) ■ あー学校行きたくねぇ……。月曜日なんか来なきゃいいのに。 とか思うけど、それを言ったら母ちゃんにボコられるので、俺は学校に来た。まあ、あと数日行けば夏休みに入るので、それまでの辛抱だ。 学校が憂鬱なのは今に始まったことじゃない。勉強は面白くないし、スポーツも文化的興味もないから部活はやってないし、楽しく話せる友達もいない。決していじめられているわけじゃないけど、俺はこの学校で一人ぼっちだった。 原因は顔だと思う。生まれてすぐ親戚からネタにされたように、俺はブサイクな顔で生まれた。どうやら母ちゃんと父ちゃんの悪いところばっかり寄せ集めて、この顔ができたらしかった。母ちゃんは「顔のことなんか気にするな。男ならハートで勝負しな!」なんて言うけど、顔のいい奴が色々と得してるのは事実なわけで。 たとえば、顔のいい奴はそれだけで周りからチヤホヤされる。みんなに好かれるから自分に自信を持てるし、自信があるから何でも前向きに取り組める。そうすると勉強やスポーツの分野でメキメキ実力を伸ばし、結果を出せばまたチヤホヤされる。 これに対してブサイクは損してばかり。容姿が悪いだけで他人から敬遠されるし、そっけない態度を取られたら自分は嫌われ者だと思ってしまう。嫌われ者の自分を自分が好きになることはないし、自信が身に付くこともない。そうなると何でもネガティブな気持ちになってしまって、挑戦するのが億劫になる。挑まない奴が結果を出せるはずもなく、結果の出せない奴が高く評価されることもない。これってもう、悪循環のループに嵌っちまってると思うんだ。 だから高望みはしない。自分は何をやっても駄目だろうから。一人でいれば誰も失望させずに済む。 ――なんて、悩む時期はもう通り越したけどな! 一人でいることに慣れてしまえば、逆にその気楽さが心地いい。学校の屋上を独り占めして、自由気ままなランチと洒落込もうぜ。 というわけで俺はコンビニで買ってきたパン三個とコーヒー牛乳、鞄に隠しておいたスナック菓子を屋上に広げるのだった。ちなみに弁当持参じゃないのには訳がある。うちは両親とも朝が早い仕事なので弁当を作って貰えない、自分で作るのは面倒、つまりそういうことだ。 早速コロッケパンにかぶりつく。安っぽいソースの味とふやけた衣が、パン生地と残念なハーモニーを奏でる。俺はこの残念さが大好きだ。 「仲男、それは何だ?」 俺に話しかけてくる声。屋上には誰もいないし、そもそも俺と話したい奴なんてこの学校にはいない。 声は鞄の中から聞こえた。 のそのそと這い出してくるのは、ふさふさした毛並みのモグラ――じゃなくてアース・ドラゴン。俺のパートナーに選ばれた以上、放ったらかしにするわけにはいかないので、学校まで連れてきたのだった。 ドラゴンの名前はバリモア。見た目は完全にモグラだが、人間の言葉が解るし、話すこともできるらしい。 「コロッケパンだよ」 答えてやると、バリモアが顔をこちらに向けた。せわしなく鼻先を動かし、匂いを嗅いでいるようだ。そんな動きがますますモグラっぽい。 「興味深い。少し分けてくれ」 ちぎって地面に置いてやると、バリモアはパンの欠片に飛びついた。ふもふも鼻を鳴らしながらパクついている。これがドラゴンだと言われて、誰が信じるだろう。 あっという間に平らげてしまったようだ。バリモアはまたしても俺に顔を向ける。ちょこんと座って両の前足をバイバイするように振り、おかわりを要求している。 『ブサ可愛い』って、こういうのを言うんだろうか。思わず笑みが漏れてしまった。 「何だよ、気に入ったのか?」 「美味かった。吾輩の世界にはない味だ」 表情は判らないものの、あまりにも嬉しそうな声で言うので、食べかけだったのを全部やることにした。 「感謝する」 律儀に礼を言ってから食べ始めるバリモア。高い知能を持つというのは本当らしい。 「ドラゴンって、普段は何食べてるんだ?」 ふと疑問が湧いたので聞いてみた。 「基本的には食べない。己が属性とするものからエネルギーを得て、蓄積させている。吾輩の場合は大地からだな」 そう言うバリモアは、今は一心不乱にコロッケパンを食している。モグラみたいに動きがせわしないので、喉に詰まらせるんじゃないかと心配になる。 「じゃあ、何で食べるんだ?」 食べる必要がないなら食べなくてもいいのに。単純にそう考えてしまう。 「嗜好としてだ。人間もタバコや酒を嗜むだろう?」 「へぇ、そうなんだ」 ドラゴンの生態が一つ明らかになった。バリモアに段々興味が湧いてくる。 「沢山食べたら、その分だけ成長するってわけでもないのか」 「そうだ」 「今は成長度合いで言うとどれくらい?」 「現在は幼生体だ。成体になるにはもう少し『心の栄養』が必要だな」 「心の栄養?」 聞き慣れない単語だ。 「人間とパートナーシップを結んだ場合、相手の成長が自身の成長に深く関係する。相棒が精神的に成長すれば、己も成長できるというわけだ」 精神的成長……俺には有り得ないものだ。となるとバリモアは、一生このまま、モグラみたいな姿でいることになる。少し、申し訳ない気持ちになった。 パンを食べ終わったバリモアは、満足そうに寝転がる。腹を上に向けて無防備な姿を晒していた。それは俺をパートナーとして信用してくれているからだろうか。 「もし成長できなかったら、ずっとモグラのままなのか?」 この姿が幼生体なら、成体になった時はどんな姿になるんだろう。見てみたい気もする。 「モグラではない、ドラゴンだ」 そこは譲らないらしい。やけに頑固なのが可笑しかった。 「いや、どう見てもモグラだろ」 「違う、ドラゴンだ」 「モグラだって」 「ドラゴンだ」 「モグラ」 「ドラゴン」 「モグラ」 「ドラゴン」 「土に竜と書いて?」 「モグラと読むが吾輩はドラゴンだ」 笑った。 学校でこんなに笑ったのは久しぶりだった。 「いやー、面白ぇわ」 「結構なことだ」 バリモアはさらりと受け流す。この余裕がドラゴンらしさと思うことにした。 「む? 何だあれは」 長い鼻をヒクヒクさせている。その先を見ると、茶色の物体がカサカサと地面を這っていた。 「ゴキブリだよ。虫の一種」 「ふむ……」 バリモアは何か考えているようだ。 かと思えば、素早い動きでゴキブリを捕獲する。大きな前足で地面に押さえ付けていた。 ゴキブリ退治とは、なかなか役に立つじゃないか。 と思っていたけど、バリモアの目的は違っていたらしい。 バリバリバリッ! ゴキブリが噛み砕かれる。胴体から乳白色の液体が漏れてきて―― それだけで俺の食欲はゼロになった。 「やっぱりモグラじゃねぇか」 午後イチの授業は古文だ。俺は雅(みやび)な世界に興味がないので、眠気を堪えるので大変だった。ありをりはべりいまそかり、何それ美味しいの? 露骨に居眠りするのも何なので、〈人生ワンチャン☆プログラム〉について考えることにした。 メガちゃんは、用意したイベントをクリアすれば人生バラ色になると言っていた。 イベントって、具体的にどんなことをするんだろう? パートナーのドラゴンを受け取った後で、詳しい説明があったような気がするけど、いかんせんバリモアのビジュアルが衝撃的過ぎて、ほとんど聞いていなかった。 覚えてるのは、メガちゃんが去り際に「最初のイベントは男の子なら誰でも妄想することだから、楽しみにしてて下さいねー」と言ってたことと、上下左右に揺れる彼女の巨乳ぐらいだ。いやマジでデカすぎるだろ、あれ。Kカップって、何カップだ? ABCDEFGHIJKのKだろ? くそっ、半端ねぇ。 なんて風にデカい乳を思い浮かべてたら、いきなりデカい音がした。 見れば、教室のドアが吹き飛んでいた。誰かが外から中へ蹴り込んだ拍子に外れたらしい。 教室に四人組が入ってきた。いずれも黒いボディスーツを着て、頭から目出し帽をかぶっている。手には自動小銃を持っていた。 「我々はー、〈放課後解放戦線〉だー。この教室は我々が占拠した、みんなおとなしくしなさーい」 リーダー格っぽい男が、教師を押しのけて、黒板前にいまそかり。 ――おいおい、これって。男として生まれたからには誰もが一生のうち一度は夢見る『教室が突然テロリストに占拠されるシチュエーション』じゃないか。 黒ずくめの四人組は、二人がそれぞれ教室前後の出入口に立ちはだかり、残りの二人は黒板前に立っている。リーダー格っぽい男はいいとして、もう一人の姿を見て吹き出しそうになった。 細い体に不似合な巨乳、目出し帽の上から律儀に眼鏡を掛けている。どう見てもメガちゃんだった。どうやら女神みずから体を張らないといけないぐらい、天界は人手不足らしかった。 女テロリストに扮したメガちゃんは、俺に気付くとウィンクして見せた。「予定通り来ちゃったよ、私」とか思ってんじゃないだろうな、このクソ女神は。 同じクラスのみんなが、一斉に俺を見る。俺たちの関係に疑いを持ったようだ。 「我々はー、〈放課後解放戦線〉だー。この教室は我々が占拠した、みんなおとなしくしなさーい」 すかさずリーダー格の男が気を逸らそうとする。てか、この台詞しかないんかい。 メガちゃんにこっそり耳打ちされて、リーダー格の男は別の台詞を口にした。 「そこのお前ー、来い。人質だー」 人質も何も、教室を占拠した時点でこのクラス全員が既に人質なのでは? そうツッコミを入れようかどうしようか悩んでいたら、メガちゃんがぶんぶん手招きしていた。どうやら段取りが決まっているらしい。 仕方なく、俺はリーダー格の男とメガちゃんに近付く。二人のまん前に着いたところで、リーダー格の男に羽交い締めにされた。耳元で、何故か「すんません」と小声で謝られる。 (今市さん、私です。メガちゃんです) こそっと耳打ちされた。耳に吐息がかかって、ちょっとえっちな気分になりかけたけど、頭をブンブン振って持ち直した。 (これは何の茶番だよ?) (違います。これが最初のイベントなんですっ) 少しムッとしたような感じで言い返された。彼女なりに一生懸命らしい。 (今市さん、あなたはテロリストの人質にされてしまいました。しかし機転を利かせて脱出し、クラスのみんなを助けるのです) 現在のシチュエーションと、これからどうすればいいのかについての説明。メガちゃんがシナリオを書いてるのは分かるが、無茶ぶり感があるのは否めない。 (みんなを救えば、あなたは英雄です。さあ、頑張って!) 小声で言った後、俺を励ますように控えめなガッツポーズ。ここまでされたら、付き合わなきゃならない気にさせられてしまう。 「や、やめろー。俺はどうなってもいいから、みんなを助けてくれー」 リアリティを持たせる為に思いつきの台詞を言ってはみたものの、後からすっごい恥ずかしさが込み上げてきた。クラスのみんなは恐怖を感じているというよりは、困惑している様子だ。もうこれ、失敗なんじゃないか? (ナイスアドリブです! さあ、ここでドラゴンの力を使いましょう) メガちゃんはすっかりノリノリだ。 (何でもいいですから、テロリストの気を逸らして下さい。その隙を利用して、ドラゴンに必殺技を指示して下さい。必殺技の名前は――) 何だよ、ポケ○ン形式か。ピカ○ュウ、十万ボルトだ! 的な。 (ほら、恥ずかしがらずに!) ああもう、解ったよ。やりゃいいんだろ! 古今東西、人の気を逸らす方法として最も有効なのは、これだ。 「あーっ、あれはなんだぁぁぁー⁉」 窓の外を指して言った瞬間、背中に嫌な汗をかいた。 でも、こうかはばつぐんだ。 テロリストだけじゃなく、クラスのみんなが一斉に窓の外を見る。 「バリモア!」 「応!」 威勢のいい返事と共に、鞄の中からパートナーのモグラ……じゃなくてドラゴンが飛び出す。 「必殺〈ドリュー・ドリル〉だ!」 説明しよう。〈ドリュー・ドリル〉とは、ネーミングがほとんどダジャレだ。あとは知らん! 「任せろ!」 バリモアが空中で体をひねる。加速し、きりもみ回転の状態へ。そのまま――床に突っ込んだのだった。 ドドドドドドドッ! と床の表面が割れていく。その割れ目は、俺たちがいる黒板前に迫ってきた。バリモアが、床の下を突き進んでいるのだ。 到達。俺たち三人の足元に大穴が開く。なるほど、落とし穴を作ってテロリストを無力化するわけか。 しかしこの作戦には、致命的な欠陥があった。 ――ここは、二階なのだ。 『うわぁぁあぁぁぁぁぁっ!』 教室の床全体がバックリ割れた。教室にいた全員が、下の階に自由落下する。 この後、めちゃくちゃ怒られた。 ■ 学校でこってり絞られた後に帰宅したら、俺の部屋にメガちゃんがいた。 「あっ、どもー。お邪魔してます」 優雅に紅茶を飲んでいる。こんな時でも彼女の胸はバインバインだった。 てめぇ、その乳揉ませろ! と言いたいのはヤマヤマだけど、今日の出来事について文句を言うのが先だった。 「昼間のアレは何だったんだよ!」 「あ、あはは……」 ザ・苦笑い。お前、失敗を自覚しとるやないかい。 「ま、まあでも。人的被害はなかったことですし」 あの大惨事で怪我人ゼロは奇跡だった。この世に神はいるのかもしれない。いま目の前にいるのは、でっけぇおっぱいのポンコツ女神だけど。 「それに、夏休みが前倒しになったじゃないですか。よかったですね」 教室の修理が必要になったので、それならいっそ夏休みにしてしまえーとなったらしい。うちの学校も案外いい加減だ。 「その分、二学期の開始も十日ぐらい前倒しになったけどな」 「う……」 メガちゃんの笑顔が凍りつく。結局、何も得したことにはなってないわけだ。 ……ったく、訳のわからんプログラムに参加するんじゃなかった。もうやめようかな。 「そ、それは待ってください!」 そういえば心の声が聞こえるんだった。メガちゃんが悲痛な声を上げる。 「今ここで止めたら、このプログラムに協力してくれた先輩に怒られます!」 「先輩って誰だよ?」 「テロリスト役をやってくれた方々です」 「え、あれ先輩にやらせてたの!?」 やべぇ、野球部とかだったら後でシメられるやつじゃん。てか、天界の人手不足ヤバくね? 女神どころか先輩の神々まで駆り出されるとか。しかも神様四人揃ってあのクオリティは駄目過ぎるだろ。人材不足も併発されてるみたいだ。 「天界って、色々とブラックなんですよぅ。皆さんからの要望が多すぎて、できるだけニーズに答えたいんですけど、なかなか手が回らなくて……」 ぐすっ、とメガちゃんが涙ぐむ。話を聞いてると、営業担当の新人みたいで同情してしまう。 「とにかくもう少し続けてみて下さい。次はもうちょっと考えてきますから」 「……しょうがねぇなぁ」 泣かれたらそう言うしかない。「その乳を揉ませてくれたら考えてやってもいいぜ! ぐえへへへへへへ!!」って言えば良かったのかもしれないけど、先に口から出ちまったもんは仕方ない。 「ありがとうございます。では、次の予定がありますので、失礼しますね」 そう言ってメガちゃんは窓から出ていった。その時に、腰巻きのスリットから張りのある太腿と形のいいお尻が見えたので、これに免じて許してやることにした。 「……ったく」 ベッドの上で仰向けになり、天井を眺める。明日から夏休みになったけど、何の予定もない。夏休みが前倒しになったこともあるけど、自分から行動を起こす気にならないのが根本的な原因だった。陽キャなパーリィピーポーなら海で女の子とキャッキャウフフする計画を立てるんだろうけど、ブサメンかつ陰キャな俺には夢のような話だ。 そんなものに興味はないと言えば嘘になる。けど、手に入れるには遠すぎた。だから手を伸ばすのはやめて、別のもので気を紛らわせるしかない。アニメとか、妄想とか。 メガちゃんの用意したイベントをクリアしていけば、いつか俺も可愛い彼女をゲットして、周りから認められるような成果を出せるようになるんだろうか? そうすれば自分に「これでいいんだ」と嘘をつかなくて済む。 「……?」 物音が俺の思考を中断させた。 誰かが階段を駆け上がってくる。俺は飛び起きて身構えた。この勢いで来るってことは、相当怒ってる。 ドパァン! と音を立ててドアが開いた。 「仲男! あんた明日から夏休みだってぇ⁉」 母ちゃんだ。髪を短く刈り込んでて気合い入ってるから、よく父ちゃんと間違われるんだけど、我が家で誰よりも男らしいんだから仕方ない。 「う、うん……」 鬼軍曹に睨まれた新兵のように、俺は直立不動になる。母ちゃんには逆らえないのだ。 「っかぁー! ママ友ラインで情報流れてたから確かめに来たけど、やっぱりそうだったかぁー!!」 一人でガシガシ頭を掻きむしる。母ちゃんは何かにつけてリアクションがデカイ。 「あんたみたいに昼間ゴロゴロしてるくせに大飯食らいな奴がずっと家にいるってぇ、どんだけ大変なことか解るよな⁉」 ……はい、解ってます。朝と晩だけ食事のメニュー考えてりゃよかったのに、昼も考えないといけないんですよね。小学生の頃は三日連続で素麺だったことに文句言ってすみませんでした。あと、無駄に図体デカい奴がずっと家にいたら邪魔ですもんね……。 「ってことで、実家のじいちゃんには連絡入れといたから。明日から農作業、手伝ってきな。夏休み終わるまで帰ってこなくてよし!」 ――え? 小学生までは、毎年夏休みになると泊まりに行ってたけど、しばらく行っていなかった。それがどうしてまた。 「うちの会社、人手不足でね。夏の間はしばらく休みなしになるんだわ。そんな状況であんたの面倒なんて、とても見てられない」 母ちゃんは運送会社でトラック運転手をやっている。元々忙しいみたいだけど、最近はより忙しくなったみたいだ。 「……ったく、トラックに轢かれようとすんの、流行ってんのかね。おかげで運転手いっぱい辞めちまったよ。何でこんなことになったんだか」 溜息混じりに母ちゃんが言うのを、俺は黙って聞いていることしかできなかった。 ……うん。やっぱり軽はずみに異世界転移をやっちゃいけないよね。 ■ 電車、新幹線、路線バスと乗り継いで五時間あまり。バス停から先は歩いて、ようやく辿り着くのが母ちゃんの実家だ。山をバックに、広大な畑と田んぼが広がる風景。まだガキだった頃に、セミやトンボを追いかけていた懐かしさが甦ってきた。 母ちゃんの実家は農家をやっている。我が家の家計が助かっているのは、実家からよく米や野菜を送ってきてくれるからだ。普段から世話になってるんだから、たまには恩返ししてこいというのが母ちゃんの方針らしい。 目的地に着くなり、じいちゃんに「ちょっと見んうちに大きくなったなぁ」と歓迎された。ばあちゃんはもう亡くなったけど、じいちゃんは白髪とシワが増えた以外、あんまり変わっていなかった。 母屋の座敷を自室として充てがわれたので、そこにスポーツバッグをどさりと下ろして荷物整理。 少し休憩して近況を話していたら、夕方近くになったところで、じいちゃんから「じゃあ、そろそろ始めようかの」と誘われた。 ――初日から畑仕事の手伝いとか。なかなかハードじゃねぇか。 「昼間は暑うて動けん。朝と夕方に作業せにゃあならんのよ」 作業着に麦わら帽子、長靴をはいたじいちゃんは鍬(くわ)を使って土を耕している。俺も同じ姿でじいちゃんに倣うが、中腰のまま鍬を振るのがまた辛い。一旦手を止めて、大きく伸びをした。 夕方といっても、気温はまだ高い。そんな中で厚着をしての作業は、なかなかにこたえた。てか、めちゃしんどいんだけど。じいちゃん、年寄りなのによくやるよ。尊敬するわ。 「ん?」 じいちゃんが何かに気付いたようだ。 「土が耕されとる。モグラかの」 そういえば、俺のモグラ――じゃなくてパートナーのバリモアも連れてきたんだった。荷物の中にいなかったから何処へ行ったのかと思いきや、一足先に畑へ出ていたらしい。 (仲男、凄いぞここは! どこまで行っても穴掘り放題だ!!) 姿は見えないけど、声は聞こえてくる。パートナーシップを結ぶと、互いの思考が伝わるようになっているらしい。 (こっちはどうだ? むっ、臭うぞ。こいつはミミズだな!) バリモアは大はしゃぎだ。少し離れたところで地中から顔を出したかと思えば、口にはミミズを咥えている。嫌な予感がしたので、とっさに目を逸した。 (美味いぞ! 吾輩の世界のミミズより甘味が強い) 異世界にもミミズっているんだ……なんて思ってたら、じいちゃんが話しかけてくる。 「仲男。モグラはなぁ、耕し名人なんだぁ」 「……はぁ」 「土ん中をどんどん掘ってな、土に溜まった栄養を混ぜてくれる」 モグラはモグラで、好き勝手に穴を掘ってるだけだろうけど。それをこんな風に褒めて貰ったら、さぞや嬉しいことだろう。 「悪い虫を食べてくれるし、雑草の根も食べてくれる。作物も時々食っちまうがぁ、休まず働いとるから、それぐらいは仕方ないわなぁ」 じいちゃんはまるで、孫の自慢をするように語るのだった。本当の孫は今にも音を上げそうなのに。 モグラと俺。どっちもブサイクな顔をしているけど、農作業に関しては俺よりもモグラのほうが役に立っている。 なんとなく悔しかった。 バリモアはじいちゃんの畑がすっかり気に入ったようで、夜になっても帰ってこなかった。姿は見えなくとも声は聞こえてくるので、何をしてるのかぐらいは分かる。 (三十匹目だ! ややっ、こっちにもいるぞ。イヤッホーイ!!) 野性の本能が解放されたのか、バリモアはミミズや虫の狩りに精を出しているらしい。この調子だと、裏の山まで行きそうな勢いだ。 ――お前は気楽でいいよな。 夕方の農作業を思い出したら、溜め息が出た。モグラなんかに負けてたまるかと少し頑張ってみたが、結果は思わしくなかった。作った畝(うね)はグニャグニャ、運んでいた種を転んでばら撒き、暑さと疲れでへたり込んでしまう。じいちゃんは俺に肩を貸しながら「初日からこんだけやれれば上出来だぁ」ってあからさまなフォローをしてくれたけど、大して役に立てていないのは自分でも解っているから、なおさら自分が情けなかった。 (どうした、仲男?) そうだった。こちらが考えていることもバリモアには伝わるんだった。俺がくよくよしているのが気になったらしい。 「お前、悩みってないのか?」 考えたことが伝わるなら、声に出しても同じことだ。じいちゃんは離れにいるから、俺たちの会話は聞こえないはず。 (悩みか……) そこで少し間があった。 (無いことはないな) 変な答え方をする。その意図を尋ねたら、こんな答えが帰ってきた。 (悩みはあるが、いつまで悩んでいても仕方ない。悩みを忘れるか、解決の為に動くか、どちらかだ) 何というポジティブシンキング。まるで自己肯定感の塊だ。モグラみたいな姿をしているくせに、心はイケメンみたいだ。 (そういう仲男はどうだ。吾輩でよければ聞くが) まさかモグラ――じゃなくて異世界から来たドラゴンが相談相手になってくれるとは。傍から見たら奇妙な光景だろう。 とは言っても、俺の悩みを聞いてくれる人なんていそうにないから、バリモアに話してみるのも悪くない気がした。 「じゃあ、聞いてくれるか?」 (聞こう) 俺は自分の顔がブサイクなせいで、これまで散々な目に遭ってきたことを話した。あと、そうした失敗体験が積み重なり、自分に自信が持てなくなったことも。 (……そうか。仲男から常にネガティブな感情が流れてくるのは、そういうわけだったのだな) やっぱりバリモアは感じていたみたいだ。俺が後ろ向きな考えの持ち主だってことに。 「まあ、そういうこった。だから俺は精神的に成長できそうにない。悪いな」 俺が精神的に成長しなければ、バリモアは成体になれない。俺なんかとパートナーシップを結んだばっかりに、不憫なドラゴンだ。 (ふむ……) バリモアが考えている。思考がまだ整理されていないけれど、不甲斐ない俺への非難をするつもりが無いのは伝わってきた。 (君は吾輩の姿を初めて見た時、どう思った?) 答えにくい質問だ。でも嘘を言ったところでバレてしまうので、正直に答えた。 「がっかりした」 (この世界でアース・ドラゴンを受け取った者は、概ねそのような反応だったそうだ。仲間から聞いた) あのとき俺が抱いた感情は、ありきたりなものだったみたいだ。 (種族が違うので、他のドラゴンと見た目の美醜を競っても仕方ないのだが……) 言いたいことは解る。人間でも同じだ。人種が違えば、美しさの基準も違う。プラス個人的な好みもある。 (君が我々アース・ドラゴンを醜い種族だと感じたのは事実として受け止めておこう) 「あ、いや、そういう意味じゃ……!」 俺が自分の価値観に基づいて、種族そのものを否定していたことに気付いて焦る。バリモアにしてみれば、相当失礼に感じたことだろう。 (しかしそれが何なのだ? 吾輩は自分がアース・ドラゴンであることに誇りを持っているし、他のドラゴンにはできないことができる。それで充分だ) 返す言葉が見つからなかった。 バリモアには圧倒的な自尊心がある。同じブサイクでも、俺とはそこが決定的に違う。こんなにも自分に自信が持てるなんて、純粋に羨ましいと思う。 「お前は、俺とは違うんだな……」 そんな台詞が、ぼそりと口から漏れる。 (そうか? 仲男も吾輩も、知能を持つ生物という共通点があるのだが) 思わず吹き出した。 何だそりゃ。カテゴリ分けの枠を拡げ過ぎじゃね? そんなら大抵の生物は同じって言えちゃうだろ。今のが俺を励ますつもりだったんなら、下手過ぎねぇか? (何がおかしい?) バリモアは俺のリアクションが意外だったらしい。 「お前と話してたら、悩んでんのが馬鹿馬鹿しくなってきたわ」 (それは結構なことだ。では吾輩は山へ行ってくる) 交信終了とばかりに、バリモアの声が途絶える。今ごろは地中を掘って、突き進んでいるんだろう。 ――まったく、モグラなんだかモグラじゃないんだか。わかんねぇや。 ■ それから数日は、農作業に精を出した。じいちゃんが丁寧に教えてくれたし、失敗を咎められることもなかった。無様な姿を嘲笑われるのが怖かった俺にとって、じいちゃんの優しさはありがたかった。おかげで、いくらか作業には慣れてきた。じいちゃんのサポートなしに畝が作れる程度には。 「おー、仲男は飲み込みが早いなぁ」 「じいちゃんの教え方がいいんだよ」 なんて返しながら、俺はニンジンの種を埋めていく。種蒔きは春でもできるけど、夏に蒔いたほうが虫に食われにくいんだそうだ。 八月になれば、ジャガイモやタマネギも植える。気をつけないといけないのは、害獣対策とのこと。山から降りてきたイノシシが畑を掘り返してしまうのだそうだ。 「あとは、イタズラするモグラもなぁ」 「え、モグラって害獣なのか?」 初日には耕し名人だと言われていたのに。 「穴掘りしとって野菜の根を切ってしまったり、根を食ったりするもんでなぁ」 「じゃあ……駆除すんのか?」 捕獲され、処分されるモグラを想像する。間違ってバリモアも処分されてしまうんじゃないかと心配になった。そう思えてしまうほどに、かのアース・ドラゴンはモグラとしての生活に馴染んでしまっている。 「わしゃ、そこまではせんよ。モグラも悪気があるわけじゃなかろうし、害が酷けりゃモグラ避けをすりゃいいんじゃしの」 今のを聞いてホッとした。 「それよりも、そろそろ引き上げようかの。風が強うなってきたわ」 確かに、今日は朝から強い風が吹いている。空を見上げると、山の向こうに黒い雲の塊が浮かんでいた。 「こら今夜は嵐になるかもしれん。雨戸と屋根の点検をしとこうか」 じいちゃんは不安そうに空を眺めるのだった。 じいちゃんが予想した通り、夜には激しい雨が降り出した。天気予報によれば、発達した低気圧がこの辺一帯を直撃するらしい。 「雨、強うなってきたの。自然には勝てん、今日はもう寝ようか」 じいちゃんが言うには、これぐらいの風雨なら家はびくともしないそうだ。屋根と雨戸の補修も済んでいるし、翌朝には嵐も去っているだろうから、寝て過ごそうとのことだった。 バリモアがまだ帰ってきていないのが気になったけど、あいつはあれでもドラゴンなので、まあ大丈夫だろう。 てなわけで俺とじいちゃんは母屋で寝ることにした。 普段は別々に寝ているけど、今日は万が一に備えてのことだとじいちゃんは言っていた。 ――その万が一が、現実のものになろうとは。 夜中のことだ。ドドドドドッという音で目が覚めた。大きな雨粒が屋根を叩くのとは違う。地面が揺れているような気がした。 「じいちゃん、起きて。何かおかしい」 「……ん」 身じろぎしただけで起きない。深い眠りに入ってしまっているようだ。 さてどうしたものかと考えていたら、もよおしてきた。外で何があったのか考えるのは一旦置いといて、ひとまず便所に行くことにした。 便所で用を足していたら、またドドドドドッという音が聞こえた。さっきよりも近い。地響きも段々近付いているようだ。 一体、何なんだろ? 寝ぼけた頭で便所の窓を開けたら――眠気が吹き飛んだ。 「じいちゃん、逃げろ! 山崩れだ!!」 ……いってぇ。俺、生きてんのか? 「起きたか」 目の前がポッと明るくなる。じいちゃんがライターで火を点けたからだ。 「俺たち、助かったのか?」 「運がよかったみたいじゃのぅ」 じいちゃんはライターの火で周りを照らす。柱や屋根の梁が間近にあった。じいちゃんの説明では、倒壊した母屋の屋根裏に運良く入り込んだおかげで、土石流に飲み込まれるのを免れたそうだった。 体が冷たい。見ると泥だらけだった。俺はここまで流されてきたらしい。ひとつ間違えば土砂の下に埋もれていた。 「こりゃ、どうしたもんかのぅ」 俺と同じく泥だらけのじいちゃんは難しい顔をする。確かに命は助かったが、俺たちはこの狭い空間に閉じ込められてしまった。残された空気は限られているし、泥を被った体の体温がどんどん奪われていくのが分かる。救助隊が来るのが先か、俺たちが力尽きるのが先か、微妙なところだ。 貴重な酸素を無駄遣いしないよう、じいちゃんがライターの火を消す。途端に空間が真っ暗になった。 「屋根を持ち上げられないかな」 「二人なら何とかなるかもしれんが、わしにはちと厳しい」 「何で?」 「足をやられた。梁と柱に挟まれての」 言葉が出なかった。てことは、ここから脱出しようと思ったら、俺が二人ぶん頑張らないといけないってことだ。何をやっても駄目な、この俺が。 ――いや、諦めるな。俺が諦めたら、じいちゃんと共倒れだ。せめて農作業を教えてくれた恩ぐらいは返さないと、母ちゃんに顔向けできない。 ここから出る方法を考えるんだ。土の下から、地上へ出る方法を。 土の下から地上へ……? そうだ! 「バリモア!」 (仲男だな。今、そちらへ向かっている) 少しして、俺の足元からモグラみたいな生き物がひょっこり顔を出す。 「よかった、無事だったんだな」 「君もな」 「仲男、誰か来たのかぁ?」 じいちゃんには事情を話してなかった。今更説明するのも面倒なので、こういうことにしておいた。 「じいちゃんがいつか助けたモグラが、恩返しに来たんだよ」 この時ばかりは、バリモアも空気を読んだらしい。自分はドラゴンだと訂正されることは無かった。 「ここから脱出したいんだ。地上までの通路を作れるか?」 俺の頭に浮かんだのは、〈ドリュー・ドリル〉で教室の床下を突き進んだバリモアの姿だった。硬いコンクリートですら余裕なんだから、堆積した土砂を掘り進んでトンネルを作るなんて造作もないことだろう。 「お安い御用だ。穴掘りはアース・ドラゴンの特技だからな」 こんな時でもやっぱりモグラっぽい。しかし今はツッコミを入れている場合じゃなかった。 「しかし、不安材料が二つある」 自信の塊みたいなバリモアが不安とは意外だった。 「一つは、君たちの体力がもつかどうか。堆積した土砂は柔らかいので、トンネルを作ってもすぐに崩れてしまう。故に硬い地盤を選んで掘り進めなければならないのだが……長距離になることが予想される」 「つまり、ゴールする前に俺たちが力尽きるかもしれないってことか?」 「そうだ」 ぐ、と奥歯を噛み締めた。 じいちゃんは歩けないだろうから、俺がおんぶしていくことになるだろう。二人ぶんの体重に耐えて、長距離を進まないといけないわけだ。俺にできるだろうか? 「やるしかないんだ、何とかするよ」 「結構だ。もう一つの不安材料は、吾輩が幼生体であることだ。それほど直径の大きなトンネルは掘れない。おそらく君たちは、腹ばいで進むのがやっとだろう」 さっきの決心が揺らぎそうになった。じいちゃんを引っ張りながら、延々とほふく前進するようなもんだ。レンジャー部隊の隊員でさえ過酷だろうに、普通の男子高校生がどこまで出来るか……。 「加えて、吾輩の体力の問題もある。成体であれば造作もないだろうが」 あ……そういうことか。俺が成長してないせいで、バリモアにもリスクを負わせてるんだ。 「我々はパートナーだ。君が何とかすると言うのであれば、吾輩もそれに応えよう。どうする?」 俺の心が挫けそうなのを知っているくせに、敢えて聞いてくる。バリモアはきっと、俺の答えを待っているんだ。 だから頷いた。相棒を信じて。 「やろう」 トンネルは思った以上に狭かった。バリモアの説明によれば、広い穴を掘るにはきりもみ回転させた体の軸を大きくブレさせなければならないらしく、それをやると体力の消耗が激しいのだそうだ。だから穴の直径を必要最小限にして、体力を温存する作戦をとるのだという。 腹ばいになって、頭を少し上げた姿勢で進むのがやっとのトンネル。ここを俺が先に行き、じいちゃんは俺の腰に結わえた縄に捕まり引き摺られていく感じに。屋根の木材を使って作った簡易式のソリに乗って貰ったが、やはり推進力は低い。なかなか前に進めない割には体力を消耗していくので、焦りが積もる一方だった。 「仲男、代わろうかぁ? 腹ばいなら、わしでも進める」 「いい。俺がやるって決めたから」 理由はもう一つあって、トンネル内の酸素の消費量を減らす為でもあった。狭い空間で二人が体を動かせば、消費量は二倍になってしまう。バリモアが時々空気穴を開けてくれるけど、それでもトンネル内の酸素量は心許なかった。 真っ暗なトンネルを、ひたすら前に進む。酸欠で頭が朦朧として、上ってるのか下ってるのかよく分からない。どこへ向かっているのかさえ、忘れてしまいそうだった。 この暗く長い穴を、どれだけ行けばいいんだろう。まるで俺の今までの人生みたいだ。誰からも相手にされず、ずっと日陰を歩いてきた。出口も分からないまま。 ――いや。 出口は自分で探すことを諦めていた。暗い闇の中で歩き続けることを、自分で選んでしまっていたんだ。 俺は日陰者。分を弁えなければ、きっと痛い目を見るに違いない。だから怪我しないよう、暗くても傷つかない道を歩むんだ……こう考えていたのが今までの自分。 ――しかしそれが何なのだ?―― バリモアの言葉が甦る。 そうだ、俺はブサイクで陰キャ。でもそれが何だって言うんだ。自分がそうであることと、自分が何も出来ない奴であることとは何の関係もない。俺は自分の失敗や不出来を、顔のせいにしたかっただけなんだ。 光が見えた。 どこまでも続きそうだった長い長いトンネルが、間もなく終わろうとしている。 「じいちゃん、出られるぞ!」 トンネルから出ると、外は今まさに日の出を迎えたところだった。 「よぉぉぉかったぁぁぁぁぁっ!」 いきなり顔面に、柔らかいものが二つも押し当てられた。まるでKカップのおっぱいのような、それはそれは幸せな感触だった。 「ごめんなさい、今市さん。こちらの手違いで……」 俺に抱きついてきたのはメガちゃんだった。心底ほっとした顔で、目には涙を浮かべている。 「本当はもっと簡単にクリアできるイベントにするつもりだったんですけど……私が気付かないうちに難易度が爆上がりしちゃったみたいで」 メガちゃんが説明したのは以下の通り。 災害救助で活躍するシナリオを描いていたところ、難易度を設定する段になって居眠りしてしまったんだそうだ。 「パソコン画面に小さな『っ』がめちゃくちゃ沢山表示されることがあるじゃないですか。私、それと同じことをしてしまって」 つまり、難易度を調整するボタンを押しっぱなしにしたまま居眠りしてたってことか。少しでも起きるのが遅かったら、どうなってたんだろう。 「で、寝ぼけたまま難易度を確定しちゃったんです。気付いた時にはもう、私の手には負えなくなってて……とにかく、本当にごめんなさいっ!」 メガちゃんがマッハの速さで頭を下げる。今回ばかりは弁解の余地なしと思ったみたいだ。 「いいよ。どうせ連日の仕事で疲れてたんだろ? 幸い助かったし、今回はノークレームだ」 さっき、両乳に顔を挟んで貰ったしな。あと、頭を下げた勢いで揺れる乳も見せて貰ったし。これで手を打ってやるよ。 「本当ですか⁉ ありがとうございます!」 うん、揺れる乳をもう一度ありがとう。 「……仲男、こちらのお嬢さんは誰かいの?」 あ、やべ。じいちゃんのこと忘れてた。 「えーっと……福祉の人? 市役所の。困ってる人を助けるとかで世話になったっつーか」 我ながら遠からず近からずの説明だ。 「ああ、そうですか。大変ですなぁ」 「はい。もう、女神の仕事がこんなに大変だとは思いませんでした」 「ほぉほぉ。町おこしご苦労様なことで」 よくわからんけど、噛み合ってるような噛み合わないような会話をする二人なのだった。 「ところで、パートナーのアース・ドラゴンはどちらに?」 メガちゃんに聞かれて思い出した。そういえば、脱出してから姿を見ていない。 「バリモア、どこだ?」 互いに通じ合ってるはずなのに、まったく応答がない。どうしたんだろうか? じいちゃん、メガちゃんと手分けして探すこと数十分。脱出口から少し離れた岩の前で、横たわるバリモアを見つけた。 「なんだ、ここにいたのか」 傍らにしゃがみ込む。反応がないのが少し気になった。 「穴掘りお疲れさん。その他にも色々と……ありがとな」 礼を言うのが照れ臭くて、つい、あさっての方向を見てしまう。 「お安い御用だ」そんな台詞が返ってくると思ってたのに、それもなし。嫌な予感がした。 「……おい、嘘だろ?」 動かないバリモアを拾い上げ、両手に載せた。体が冷たくなっていた。 ――加えて、吾輩の体力の問題もある。成体であれば造作もないだろうが―― バリモアはそう言っていた。 もしかして、幼生体のまま無理をしたから死んじまったのか? 俺が無茶ぶりをしたばっかりに。 視界がぼやけていく。 くそっ、出会ってそんなに経ってないのに、もうお別れなんて早すぎだろ。起きてくれよ。「吾輩はドラゴンだ」って言ってくれよ……。 手のひらに載ったバリモアが、光に包まれていく。最初に現れた時の逆再生みたいに、光の塊が宙に浮かんだ。ドラゴンは死んだら、元の世界に還るのか? こんな形でお別れなんて、そんなのあるかよ……! 「バリモア、行くな!」 もう、格好つけるのはやめた。無様に、情けなく涙を流して、空へ昇っていく相棒を追いかけた。 すると―― 願いが通じた。光の塊は空中で停止したまま、何かを待っているようだった。 「あ、始まりましたね」 遅れて合流したメガちゃんが、そんなことを言う。 「何が?」 「体組織の変化です。つまり、今から成体になるんですよ」 バリモアが成体に? てことは。 (仲男、君は成長したのだ。心の栄養は充分に受け取ったぞ) 聞き覚えのある声が、直接頭の中に語りかけてくる。 (間もなくだ。新しく生まれ変わった吾輩を見てくれ) ……そうなんだ。よかったな。俺、どんな姿になるのか楽しみだよ。 光の塊は大きく膨らみ、マイクロバスほどのサイズになった。ただの塊だったのが、ところどころ出たり引っ込んだりして、ディテールが整っていく。 やがて新しい姿が完成した。光の粒子が散り、その全貌が明らかになる。 尖った鼻、鋭い爪のある大きな前足、そしてふさふさした体毛。 「……ははっ。お前、それ」 生まれ変わったバリモアの姿を見てたら、笑いが込み上げてきた。さっきまで泣いてたのに、今はおかしくて仕方ない。 だから俺は涙を流して笑いながら、万感の思いを込めてこう言ったのだった。 「やっぱりモグラじゃねぇか!」 [おしまい] |
庵(いおり) 2021年08月08日 23時04分26秒 公開 ■この作品の著作権は 庵(いおり) さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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