氷の魔女 |
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※本作品はフィクションです。 十二世紀中盤のヨーロッパを舞台としてはおりますが、作品の都合上、改変している場所が多々ございます。ご了承ください。 * * * * * 0◆プロローグ 周囲を高い石壁で囲まれた中にはでは黒髪の少年とまだら髪の老人が戦っていた。 一方はまだ幼さを残した十五歳の少年。手にした長剣を真剣に握ってはいるが、その面持ちはどこか遊びを楽しんでいるかのようにみえる。 身体にまとう筋肉が薄く、鉄で作られた鎧がいかにも不釣り合いだ。 頼りなさを残しているが、彼こそがこの城の主であり、このあたり一帯を領土とする領主でもある。 もう一方は顔に深い皺を刻んだ老騎士だ。 少年領主とは真逆に、いかつい身体に見合った強固な鎧を着込んでいる。その視線に弱さはなく、一分の隙も見いだせない。 傷だらけの金属鎧も、肉体の一部のように似合っている。 少年と老騎士は、強い陽光が降り注ぐ中、互いの剣をかわし、打ち合っている。 正面からの打ち合いは身体のしっかりした老騎士の方が有利。だが少年は素早い身のこなしを巧みに利用し、自らに有利な状況を作り上げようと立ち回る。 太陽の光を蓄えた瞳で常に相手を見据え、その時がくるのを丁寧にうかがっている。 その時、暑さにしびれをきらしたかのように老騎士が大ぶりな一撃を放つ。 少年はまっていましたと言わんがばかりにそれを回避。振り終えたばかりの剣の内側に滑り込む。 ――ここなら届かねーだろ! 少年は相手の刃の届かない安全地帯に入ったと確信したが、それは間違いだった。 老騎士は己の戦歴から少年の行動パターンを予測し、老獪な罠を張っていたのである。 老騎士は剣ではなく、鎧を着込んだ身体を少年に叩きつけた。 体格で劣る少年は、とっさに飛び下がることでダメージを相殺したが、体勢が崩れるのは避けられなかった。 そこに渾身の一撃が振り下ろされる。 大気を割り、大地すら両断しかねない勢いだ。 だが少年は、それすらも回避してみせた。 長剣を捨て身軽になると相手の背後に回り込む。 そして、腰から抜いた短剣が首へと突きつけられたところで勝敗が決した。 稽古とはいえ白熱した戦いに、周囲で観戦していた兵士たちも盛り上がる。 「あっぶねー、熱くなりすぎだろ」 「なに、このくらいしなければヌシの稽古になるまい。まったく強くなったものだ」 一歩間違えば少年は殺されていた。 そのことを非難したのだが、老齢な騎士は悪びれようともしない。 少年はそのことを咎めようとはしなかったが、それでも短剣を離そうとはしない。 密かに呼吸を整えつつも、刃の先に問いかける。 「いちおー聞いとくけど、俺を亡き者にして領地を乗っ取ろうなんて企んでないよな?」 老騎士は母親の義理の父にあたる。親族には数えられてはいるが、血筋的に領地を相続する資格はない。 だが、他に有力な親族も居ないのだから、ドサクサに紛れて……という可能性は十分にある。 「生憎と儂では城はまわせんな」 領主は有事の際には、自ら剣をとり、民を兵として戦いにでなければならない。 その反面、平時では集めた税金を活用し、領地を豊かにすることに腐心しなければならないのだ。 数多の戦場を渡り歩いた老騎士は、そんな面倒なことはできないと白状する。 「俺の足でも折って、書類仕事だけやらせる気は?」 「そんなまどろっこしいことをするくらいなら、孫を傀儡(かいらい)にするほうが確実じゃ」 「なるほどその手があったか。たしかにアイツならそれもアリかもな」 少年はその言葉に納得すると短剣を鞘にもどし、老騎士の蛮行を不問とした。 もともと少年には老いた騎士よりも『自分のほうが強い』というおごりがあった。その隙を上手く突かれたのである。 二度おなじことを許す気はないが、気を引き締められたのは確かだ。 それにここで老騎士を処断しては、有事に兵隊をまとめる人材を失うことになる。 少なくとも後任が育つまでは、老人の悪戯には目をつぶらなければならない。 勝負が終わり、鎧の隙間から布をつっこみ汗をぬぐう。 このまま鎧を外してしまいたい気分だったが、外せば持ち運びが不便だ。それに戦場では迂闊に鎧を外せないのだから、慣れておくのも訓練の一環だろう。 休憩する少年の側らに、彼を慕った犬たちが集まってくる。 この城では何匹もの犬が放し飼いになっている。訓練された犬は狩りの手伝いをするし、糧食を食い荒らし疫病を流行らせる鼠を獲る番兵でもある。 少年はそんな犬の頭をなでてやりながら「誰かなんかもってない?」と周囲に問いかける。 兵士から食べ物を別けてもらうと、犬に与え「また従者殿に『犬が鼠を獲らなくなるから、やめてください!』って怒られますよ」と、周囲から笑われる。 少年はそんな事態に陥らぬよう人差し指を立て、シーっと兵士たちに箝口令を敷くのだった。 「主(あるじ)~」 少年が訓練を再開しようとすると、彼を呼ぶ声が響いた。 みれば息と栗色の髪を弾ませた従者が、兵たちの間をかき分けやってくるところだ。 「どうした?」 「王都からの召喚状です」 従者は愛嬌のある顔立ちを厳めしく締め上げると、手にした書状を手渡す。 少年領主は羊皮紙に書かれた文面を確認しつつも「ふむ」と考える。 彼が領地を引き継いでまだ一年ほどしか経過していない。 正直、まだ片付かない案件が多く、領地を離れている余裕などない。 だが、さした力も持たぬ地方領主が、王の命令を拒否するのはリスクが大きい。 それを理由に難癖をつけ、侵攻を図る領主が現れてもおかしくないほどに。 「メンドクセ~」 黒いクセのある髪の頭をかきながら、しばし領地を離れることを決めざるを得なかった。 1◆王都へ 「それじゃ、しばらく頼むよ」 少年領主は、領地のことを老騎士らの臣下に任せることにし、王からの召喚に応じることにした。 正直、まだ不安の残る領内を離れるには時期尚早と思える。 召喚理由も、王が自らの威光を示したいがためのくだらないものだ。 現在の王は西方の領地をまとめ、一大国家を作り上げた前王から、その地位を受け継いだだけの凡人にしかすぎない。 戦場にも出向いたこともなく、こうやって国の力を示さねば、威厳を保つことすらできぬのだ。そんな自己満足に付き合っていられるような余裕は少年にない。 だが、考えようによってはこれはチャンスでもある。 王に召喚されている間は、他領地から攻め込まれることはまずない。 あれば、王の顔に泥を塗ったと国からの制裁を受けることとなるのだ。よほど愚かな者でないかぎり、国に逆らおうなどとは思わない。 つまり、領地の安全を確保したまま、王都の情勢を確認できる好機なのである。 「でもやっぱなぁ……」 少年は不安の原因に視線をおろす。 そこには王都へ向かうにあたっての同行に決まった栗毛の従者の姿がある。 従者は少年領主よりも小柄で、歳もまだ十三歳だ。目端が利き、足も速いので重宝することが多いが、今回の同行者にするには不安がある。 当初、従者の祖父である老騎士に同行を頼むつもりだったのだが断られた。 「すでに老いた儂を連れていくよりも、孫とともに経験を積んでくるといい。いずれは二人で領地をもりあげていくのだろう?」 その言葉の裏も知らずに従者は乗り気だ。 まだ、船で海を渡ったことも王都へも行ったこのないと、はしゃいでいるのを隠せていない。 少年は自分の権限をもって、同行者を変えようかとも考えたが……老騎士の言っていることも一理あるのだ。 いつまでも老齢な彼にばかりは頼っていられない。人材の少ない領地において、後継者の育成は重要な課題である。 とすれば、今回の比較的安全が約束された旅に従者が同行するというのは決して悪いことではない。 少年領主は、老騎士が裏で企んでいることを察しながらも、結局その提案を退けることはしなかった。 「主、王都行き楽しみですね」 「おまえ、気楽で良いよなぁ」 「こちらのことは任せてゆっくりしてくるといい」 そういう老騎士に、少年はなにか言ってやろうかと思ったが、結局、良い言葉は思い浮かばなかった。 ◆ 王都中心にある王城で開かれたパーティーには大勢の貴族たちが集まっていた。 テーブルには豪華な料理が多く、貴重な肉料理もふんだんにふるまわれている。 会場内の飾り付けも品が良く整えられている。 だが、そこに集まる貴族たちの名を少年はまだ覚えきれてはいない。 そもそも海を渡ってきた少年には、大陸西方部の地名はまだ覚えきれていないのだ。自らの無知をさらさぬためにも、交流相手は選ばなければならない。 少年が攻めあぐねる中、猛威をふるっているのは彼の従者でだった。 いかつい老騎士と血縁を怪しむほど似ていないのだが、こうしてみるとひとつだけソックリなところがあるのに気づく。 食べっぷりだ。 少年よりもさらに小柄な従者が、成長期の胃袋の暴威をいかんなく発揮している様はいっそすがすがしいくらい。 ――こいつも、老騎士みたいになるのかな? あまりに噛み合わない姿を想像し、苦笑いする。 ――さて、撤収はいつにするかな。 これ以上いても、あまり意味はないだろう。 旅費と土産代くらいの飯は食わせてもらうが、これといって交流を持ちたい相手もいない。 王への挨拶も済ませたことだし、トラブルに巻き込まれるまえに撤収するのが賢いやりかただろう。 ――王は普通だったな。 あえてそう演じているわけでもなく、ただただ普通だった。 王冠をかぶり王座に座っていなければ、王だと認識できないかもしれない。 実際、王は凡人なのである。 力自慢の領主が集まる中、物腰の柔らかさはある種の個性だが、それ以上の評価はない。 そもそも有能だったのは、彼の父親である前王だ。 前王はバラバラだった西方諸国を掌握し、ひとつの国としてまとめあげた英傑である。 その偉業には少年も敬意をはらっているが、その地位を継承しただけの男に敬意を向けるのは難しい。 戦場に立ったこともない。 それは少年もおなじだが、彼には勇名を馳した老騎士に勝てるほどの使い手だ。おそらく国内でも十指に入るだろうと自負している。 そんな彼からみて、現王の立場と能力は酷く歪だ。 ――たんなる友人なら悪くないんだろうけどな。 王から視線を離し、従者へと視線をもどす。 いまだ衰えを知らぬ若い胃袋は、新たな皿を求め移動していた。 いい加減、注目も集めてきたところだし、撤収を呼びかけてもよいだろう。 そんな時、少年の目に一輪の花が目にとまった。 花瓶に活けられた花に鼻をちかづけ、その香りを楽しむ。 ――センスいいよな。 会場のあちらこちらにこういう気遣いが感じられる。 王の手腕ではないだろう。だがその臣下の手腕なら、王の手腕と評価するべきだろうか。 そんなことを考えていると、不意に、ひとりの少女が彼から思考を奪い去った。 クセのないまっすぐな髪と傷のない肌。そこに宿った月明かりにも似た輝きが幻想感を醸している。まるで水銀で作られた薔薇のようだ。 『氷の魔女』 誰かの呟きが少年を正気に引きもどした。 反射的に発言主を探す。女の声だったが、女はみな口元を隠して話していてわからない。 位の高い低いはあれど、ここにいるのはみな貴族だ。あまり不躾な視線を向けて、関係を悪くするわけにもいかない。早々に探索をあきらめる。 そもそも改めて聞くまでもない。氷の魔女とは、現王の妻である王妃につけられた蔑称である。 常に冷たい微笑をたたずませ、本心をその奥に隠した冷血漢。 夜ごとに連れ込む男を変えるという恋多き女。 そして、吸い取った精で若さを保っている文字通りの魔女である。そう王都の者たちは噂している。 ――でも、確か彼女って…… 少年よりも十は年上のハズだ。 しかし、彼の瞳を釘付けにする姿は同年代の少女でしかない。 ――確かに魔女かも。 あまりに長く見つめていたせいだろう。 いつの間にか魔女は、月光に似た淡い光を宿した瞳を少年の方へと向けていた。 ◆ ――綺麗だ…… 自らに歩み寄る氷の魔女に、少年は改めて見惚れていた。 女性としては高い背は、わずかに見上げなければならない。 品の良い闇色のドレス。扇情的にカットされた胸元は、流麗な双山の裾(すそ)を開示している。 控えめな装飾品はそれそのものよりも、巧みに王妃の輝きを引き立てている。 その輝きは存分に少年を惑わせた。 「結婚してください」 不意打ちの言葉は魔女に意外な表情をさらさせた。 ――ばっか、いきなり求婚とかありえないだろ。 失言した少年は、自らの言葉の間違いに気づけていない。 とっさにリカバリーを試みようとするが、相手の言葉が先にでる。 「どうやら、そなたは私が誰か知っておらぬようだな」 「知ってます!」 とっさに声が出た。 しかし、本人をまえに『氷の魔女』とは言えない。似合ってはいてもそれは蔑称だ。 だが、彼女の指摘したいのはそうでないと気づく。 「その、王妃様でいらっしゃいます……」 そう、相手は王――領地をまとめ上げる国の代表の妃(きさき)なのだ。それに結婚を申し込むなど王に対する宣戦布告に等しい。 それだけではない。彼女自身、広大な土地を所有する大領主でもあり、馬に乗り十字軍の遠征に参加したこともあるという女傑だ。戦場に出たことのない、少年よりもよっぽど騎士らしい。 そもそも、すでに配偶者のいる相手に、それを忘れて求婚するとはなにごとか。 少年は熱心なキリスト教徒というわけでもないが、それでも他人の妻と不貞を働くほど不道徳でもない。 「失礼しました!」 慌てて頭をさげ謝罪する。 「ふっ、本当になにも考えていなかったようだな。 今後はこのようなことがないよう気をつけるように」 少女の姿をした王族は威厳をもって少年をつきはなす。 だが、わずかに上がった口の両端がどうにも心をざわつかせた。 「まってくれ。いや、まってください」 「なんだ?」 足がとまり、もう一度王妃の視線が少年に向けられる。 「その、なにをすればいい?」 「どういう意味だ?」 「俺が、あんたの心に住むにはどうしたらいいんだ?」 少年は自分が魔女の魔法にかかったのだと自覚した。 それでも、それを口に出したことを後悔はない。 「馬鹿な子どもだ」 王妃はクスリと笑うと、勇敢な少年を自らの部屋に誘い招くのだった。 2◆魔女の技巧 少年が招かれたのは、王妃に与えられた私室のひとつだった。 派手さはないが、センスのよい家具でまとめられている内装。パーティーの飾り付けで采配を振るったのは彼女なのだろうと察する。 そんな少年の感心と関係なく、王妃は動いていた。 慣れた手つきで少年からズボンを剥ぐと、股の間に生えたソレを躊躇うことなくくわえこむ。 まるで冬の水につけたかのような感覚だった。 だが、凍えるような感触に包まれてなお、少年のソレは縮こまることはない。それどころか彼史上最大の拡張を示してみせた。 「ちょっ」 ソレをくわえられるという未知から少年は逃げだそうとする。無垢な少女の姿とは裏腹に、その舌技は洗練されており彼を逃そうとはしない。 ソレはそう長くは続かなかった。 少年は己の制御を失い、衝動を爆ぜさせてしまう。 「すっ、すまない」 混乱に陥ったままの少年は、それでも王女の口内から己を引き抜く。 ソレと口を繋いだ白線はすぐに途切れ、その残滓が王妃の口元を飾る。 それは少年の犯行の物証として、彼を責め立てる。 だが、当の王妃はそれを気にする素振りをみせなかった。 それどころか、口内に残った大量のソレを味わうように転がしている。 「なに、気にすることはない。私が確認したかっただけのことだ」 王妃はそう口にするが、少年にはなにを確認しようとしたのか、まるでわからない。 ただ、清楚な少女の口の端に、自分の放ったものの一端がわずかに残っている様子が、異様なほど扇情的に思えた。 「ふふっ、いま本当に魔女だと思ったろう?」 「いや、そんな……でもちょっとだけ」 作り笑いしかしないと思われていた王妃の、それまでとはちがう笑みに少年は魅入る。 「気にすることはない。本当のことだ」 「え?」 ひと仕事終えたとばかりに、王妃はシワのないベッドシーツの上に身体を転がす。 「少年、私は魔女なのだよ。国を守るためなら、いかなる手段も使う」 そう言うと、おもむろに手をかかげる。するとその手の内に小さな火が灯った。それは王妃の手を離れると、周囲をわずかに照らして漂い消えてしまう。 「鬼火(ウィルオーウィスプ)?」 暗闇にもどった空間を呆然と見つめる少年だが、王妃がどんな手段を用いてそれを呼び出したのかわからない。まるでおとぎ話の一節のような光景だ。 「怖くなったろう?」 そう彼に問う王妃の横顔は、この世のものとは思えないほど美麗だった。 ただボンヤリと見つめる少年に、王妃は告げる。 「今夜のことは忘れろ一夜の夢として忘れるがいい。これは命令だ」 王妃であり、大領地を持つ領主がその権力を示しての命令だ。簡単に断ることはできない。 されど少年は「やだ」と命令に反抗した。 「子どものような……いや、まだ子どものようなものか。 だが、貴様は領主なのであろう? 領地を焼かれたくなければ強く賢くなれ。私も無駄に国土を焼く真似はしたくない」 王が彼の行為を問題視すればそうなることとなる。 あの場にいた誰かが告げ口をすれば、例え物証がでなくともそうなる恐れは十分にあった。 領地と領民を盾にとられれば、少年とて躊躇せざるを得ない。 だが、ドレス内側で揺れる乳房は、彼の理性の鎖を溶かしてしまう。 解き放たれた少年は自らを抑えきれず王妃の上へと覆い被さる。 そして硬度をとりもどしたソレで彼女を突き刺そうとした。 王妃はそれを拒もうとはしなかった。 それどころか姿勢を変え手を伸ばすと、少年を己の入口へと誘導する。 その仕草はわずかに少年を喜ばせた。 自分が相手に受け入れられたと思ったのだ。 だが、それは勘違いだとすぐに思い知らされる。 微笑を崩さぬ王妃から愛も熱意も感じられない。 彼に向けられた視線は、子どもの悪戯をあえて受け入れる母のものだ。 少年はそれを否定しようと懸命に動くが、魔女の氷が溶けることはなかった。 それが悔しく、少年は限界に達してもなお終わりを認めようとはしない。 「ふふっ、若さだな。 だが、私はそれを受け入れるわけにはいかないんだ。おまえに器がない以上、どれほど熱意を見せられても応えることはない」 「王にはソレがあるのか?」 器がなにを示すものかはわからなかった。 それでもあのうだつのあがらぬ王に自分が劣るとは思えなかった。 権力を親から引き継いだのは彼とて同じだ。 だが、彼には若くして国内有数の剣士としてなりあがった自負がある。それだけ自分にはちゃんと誇れるものがあるのだ。 王妃は少年に答えないまま問い返す。 「それを教えれば、おまえは諦めてくれるか?」 「あきらめない」 「だとすれば、意味のない問いだな」 優しい人だと思った。 その場しのぎの嘘ではなく、ちゃんと少年の疑問に向き合ってくれている。 隠し事はあっても、それを正直に伝えてくれる様は信じられる。 確かに王妃は魔女なのかも知れない。 彼の知らない秘術を扱うこともできるのだろう。 彼以外の多くの男とも関係をもっているのも本当のことだろう。 それでも構わなかった。 少年の王妃を手に入れたいと願う気持ちは、色あせようとはしない。 だが、こうして肌を重ね、間近で見つめ合っていても、彼女の心は手にはいらないままだ。 ――いっそ反乱でも企てるか だが、脳の冷静な部分が、瞬時に不可能だと解答をだす。 王から力づくで王妃を奪うには、兵も資金も足りなすぎる。 それでも彼には、このまま関係を終わらせることも選択できない。 ――せめて彼女に覚えていてもらいたい……。 少年は手の中にある美しい顔からわずかに視線をおろし、そのその細い首へと手をかけた。 王妃はそのことに気づきながらも無言だ。 そして目があう。 王妃の観る者を写す水鏡のような瞳に少年は我に返った。 ――これじゃダメだ。 涙とともに謝罪すると、ズボンを履きなおし逃げるように部屋を出ていく。 王妃はそんな少年の背を見つめたまま、それを咎めようとはしなかった……。 3◆魔獣の脅威 「また、手がとまっておいでですよ」 執務室で書類仕事を進める十五歳の少年領主を、十三歳の従者が注意する。 領地に帰ってからの少年はボーッとすることが増えた。 それまでの勤勉な姿勢は鳴りを潜め、ため息交じりの従者に繰り返し指摘される。 少年の魂を焼いた、恋という名の火傷はいまだ治癒していない。醜態をさらし、想い人の前から逃げ帰ったそのあとでも変わらぬままだ。 「主(あるじ)は王都でタチの悪い風邪を移されたてきた」 そう言って従者は、人妻と不倫をした主人に、汚物でも見るかのような視線を向けるが、それも少年にはどうでもいいことだった。 いまは王妃に逢いたいという願いだけが彼の心を占めている。逢ってあの時のことを謝罪したいと。 そして願わくば……。 「恋文でも書こうか」 「本気ですか!?」 ポツリとこぼした言葉を従者が本気にする。 もちろん本気ではない。彼の身分で王妃に直接手紙を送るなどできるハズもない。 それどころか、ふたりの関係が表沙汰になれば王とて黙ってはいないだろう。 王個人は怖くはない。 確かに先王は、この国をまとめあげた偉大な人物だ。 だが、現王はそれを継承しただけの凡人。 人あたりがよく、人の話によく耳を傾けるのは美徳ではあるが、王として国を統べる資質に欠ける。 かろうじて国の平和を維持してはいるが、それだけでは尊敬の対象にはならない。 もし、剣で戦うことがあれば、勝つのは自分で間違いないだろう。 それでも反乱は起こせない。 王の持つ兵と少年の持つ兵の差は隔絶しており、どれだけ上手く采配しても勝利の目はない。 それに反乱を起こせば、それを理由に近隣の領主たちが彼から土地を奪うべく殺到するハズだ。 どう策をめぐらしても敗北は必死。 さすがにそんな未来がわかっていて謀反など起こせるハズもない。 結局、彼にできるのはため息をつきつつも、周囲の領地と軋轢を生まないよう静かに暮らすことくらいしかないのだった。 ――でも、もっかいくらい会いたいよなぁ。 ◆ ある日、領民から食物を食い荒らす獣が現れたと少年のもとに相談が寄せられた。 すでに無視できないほど損害がでているらしい。 化け物のように大きな鹿で、領民たちの手には負えないということだった。 「何人か連れてって、対処に向かってくれ。それと被害によっては援助も忘れるなよ」 やる気はなくとも能力がないわけではない。少年はそう従者に指示をだす。 だが、職務に忠実なハズの従者がすぐに動こうとはしなかった。 疑問に思った少年が口を開く前に提案する。 「今回は主もご同行なさってはいかがですか? いつまで書類仕事ばかりでは鈍ってしまいますよ」 机に積まれた書類は少なくない。 息抜きなど取る余裕などないが、このペースで進めても、進展が見込めないのは指摘どおりだろう。 だとすれば、提案に乗るのも悪くはない。 ――こいつにこんな顔させっぱなしなのもなんだしな。 そして少年は、従者の栗毛頭をポンポンと叩くと、ふたりで被害のあった村へと出向くことにした。 少年は村を訪れると、さっそく村長に挨拶し、状況の把握に務める。 この村は、森林を切り開いてつくられた比較的新しい村だ。 まだ収穫は安定していないが、土地が肥えている分だけ将来性は高い。 未来の収穫を期待して、少年は村に投資をする。 「これで他の村から食料を別けてもらって。子ども、飢えさせちゃダメだよ」 と銀貨の入った小袋を手渡す。それと税も今年は免除で良いと告げる。 少年の采配に、村長は涙をうかべ深々と頭をさげるのだった。 「犬でも連れてくりゃよかったな」 後悔する。山に詳しい者をつけるという村長の気遣いも遠慮してしまった。草を食む動物相手に神経質になることもないだろうという、誤算というか油断である。 「にしても、熊よりも大きな鹿ねぇ。どう思う?」 森に入ると少年は従者に話しかける。 移動時間を短縮するためふたりっきりである。その方が気軽だという理由もあるが……。 「まぁ、熊と言ってもいろいろいますから。 ただ。目撃者のおびえようと、荒らされた畑の状況をみると、あながち大げさじゃないのかもしれません」 従者は額にかいた汗を拭いながら私見をのべる。 逃げた大鹿を追うため、装備は軽装にしているが、それでも山を歩くのだ。道なき道をゆくのは簡単ではない。 年下の従者が山歩きに苦戦しているのをみると、少年は「荷物持つか?」と救いの手をさしのべる。 だが、従者は「これは自分の仕事です」と、主の情けを受け入れようとはしない。 従者がそれを望むのならと、少年もその選択を受け入れる。 ただ、あまりに従者の体調が悪そうだったので心配する。 すると、従者は愛嬌のある顔立ちを困り顔にすると、その場に荷物を置いて、すこしの間だけ待っていて欲しいと頼む。 「……なんだクソか」 「デリカシー!」 親の敵でも観るような視線を向けられる。 少年は「わかった、俺が悪かったよ」と、謝罪すると、荷物を置いた従者が離れるのを見送った。 目端が利き、足も速いとはいえ、従者の身体はまだ小さく、体力に乏しい。 幼い弟分に無理を課している自覚はあったが、従者は少年の腹心でもある。 少年の手足として活躍してもらうためにも、経験は積まさなければならない。 ――あれからもう一年か。 当時、少年が領主の座を引き継いでからそれほどの時間が経過した。 勇猛だった前領主(少年の父)が、戦場で怪我を負い、それが切っ掛けで病になり死するまでの時間はそう長くはなかった。 結局、ロクな引き継ぎもできないまま彼は新領主として領地をまとめなければならなかったのだ。 彼は自分の双肩に領地全体の運命がかかったことに尻込みをした。 だが、そんな時に少年を後押ししたのが従者なのだ。自分が一番の臣下となり、彼を支えていくことを約束したのである。 その約束は一年経ったいまでも守られている。もちろん少々頼りないところもあるが……。 「うぎゃぁ!」 少年が過去に浸っていると、従者の声が響いた。 少年は剣を抜き、従者が向かった方角に踏み込む。 するとそこには、なんとかズボンをあげた従者と、それを見下す巨大な鹿がいた。 ◆ そこには従者を見下ろす巨大な鹿がいた。 重厚な毛皮に包まれた重厚な筋肉。頭部からは広く枝分かれした立派な角が生えている。その角は黒光りして禍々しく思えた。 たしかにこれほどの大物であるならば、領民の手には負えないというのも納得だ。 だが、その姿は少年に恐れよりも感動を与えた。 「すっげー」 聞いていたよりも壮観な姿に感嘆の声がわく。 それでも、手に握った長剣を相手に向けるのは忘れない。 少年と大鹿はお互いを敵と認識し対峙する。 あたりは木々が生えていて、そう広くはない。 場所が狭い分、相手の動きは制限されるが、意識しなければ少年の振るう剣も邪魔されるだろう。 ――突きか? いや…… 剣を自在に振るには空間が確保できない。 だが、どんな動物であっても、一番強固な骨で守られているのは頭である。正面からの突きで狙える箇所が制限される以上、別の手を考えなければならない。 大鹿は頭を下げ、武器(ツノ)を向け、攻撃の隙をうかがう。 「ただの気分転換のつもりが、面白いことになったな」 意外な窮地に少年は笑みを浮かべる。 相手はただの獣ではない。 彼を見据える赤みを帯びた視線には、獰猛さの中にも敵の様子を観察する知性が感じられる。 獣でありながら十分に強者と呼べる存在である。 不意に大鹿が動いた。 黒光りする大角を少年に向け突進する。 少年はそれをたたき折ってやろうと、重力を味方にした長剣を振り下ろす。 だが、それは達成できなかった。 逆に想像以上に固い角に、長剣を絡められてしまう。 そこで少年は逡巡した。 武器を手放すべきかどうか。 予備の短剣は持っているが、ここで長剣を失えば間合い的な不利を強いられることとなる。 だが、無理に握ったままでいれば……。 思考するよりも先に、身体は空を舞っていた。 角に長剣を絡めた大鹿は、軽量とはいえ首の力だけで少年をすくい投げたのだ。 とっさに受け身を取り体勢を立て直すが、落下中木に激突したせいで身体のあちこちが痛む。 それでも予備の短剣を抜くが、相手に油断も少年を見逃す気もないようだ。 「すでに、自分の縄張りのつもりか? だったらいいぜ、最後までつきあってやる」 獣とはいえ、領地を踏み荒らす相手に容赦する気はないと少年も覚悟を決める。 鹿の心臓は前足の付け根の内側にある。大角の一撃をなんとかかわして、それを突くしかない。 身軽さには自信がある。相手の攻撃をかわすのはなんとかなるだろう。 問題は彼の腕力で、短剣の刃を心臓まで届かせることができるかだ。 大鹿が地を蹴り、ふたたび少年へと襲いかかる。 少年は前面いっぱいに広がる角を回避し、なんとか相手の首にしがみついた。 ここならば相手の武器である角は届かない。 そのまま心臓めがけ、短剣を振り下ろすが、分厚い毛皮と筋肉にはばまれ深くは刺さらない。 「くそっ」 己の非力さを悔やみながらも、必死にしがみつく。 それで戦況が好転するとは思えなかったが、やらねば死だ。 体力が持つ間に打開策をみつけねばならない。あるいは、このまま持久戦に持ち込むか。 そんなとき、両者の戦いに割り込む者がいた。 従者だ。 従者は少年を振り払うことに全力を尽くしていた大鹿の隙を突いて駆けよる。 そして、突進の勢いを利用し、手にした長剣を深々と突き刺した。 心臓を貫かれてなお暴れる大鹿だったが、それも長くは続かない。 やがて、力尽きると大地に崩れた。 「すっごい鹿でしたね」 「ああ」 相手の奮戦を従者が賞賛するが、少年は別のことを考えていた。 「さっ、肉が傷む前に処理しましょう。これだけあればたくさん食べられますね」 上機嫌な従者を少年はとめる。 「そのまえに、村にもどって人をよんで来てくれ」 「そうですね、これだけ大きいのですから、パーティーにしましょう。肉パーティー。僕、いまとても幸せです」 「いい加減、食うことから離れろ」 従者の額に手刀を落とす。 「食べるんじゃないんですか?」 「いや、食べるけどさ」 「だったら……」 「こいつは剥製にする」 「なんのために?」 「王への献上品にするんだ」 従者は嫌そうな顔をしたが、主命ならば従うと反論は控えた。 「それとな、もうひとつあるんだが……」 それを聞いた従者は、今度こそ「本気ですか?」と相手の正気を疑うのだった。 4◆試練 少年は完成させた剥製を手土産に王都に来ていた。これを王に献上しようというのだ。 今回は従者ではなく老騎士を供にしている。 大きな荷物を運ばすには、非力な従者よりも老騎士の方が都合が良い。 もともと領地運営の代行としては従者のほうが向いているのだから問題はない。 多忙とのことで王と直接面会することはなかったが、素晴らしいデキの剥製は王の威光を強めるものとなるだろうと、大臣から労いの言葉をもらうこととなった。 少年としては王に敬意などもってはいないので問題はなかった。 ただ、同行した老騎士はなにやら不満げだったが、少年はその理由を深くは考えなかった。 少年は大臣に「実は献上品はもうひとつある」と、あるものの入った小箱をこっそりと渡す。 それは王妃へのプレゼントであった。 ◆ 「久しいな少年」 「俺……あのときは、そのすまなかった」 王妃の私室に通される少年。 脇には侍女がいるので、言葉は選ばなければならない。入室が許されたのは少年だけなので、老騎士は外で待機だ。 氷の魔女の私室は質素ながらも、品の良い調度品が飾られていた。 来客を通すための部屋は、寝室とはやはり趣がちがう。 ただし、ちょっと嫌な臭いがする。 それは少年の献上した品のせいなのだが……。 「気にすることはない。だが香嚢(こうのう)など、よく知っていたな」 ソレが収められた小箱を手に王妃が苦笑する。 少年が王妃に献上したものは、香嚢から分泌された液体を乾燥させたものだ。 それ自体の香りは不快なものでしかないが、わずかに香水にくわえることで、香りに豊かさと広がり、持続性を与える効果がある。 「以前、本で読んだことがあったんだ」 「南方大陸の絶世の美女か?」 紀元前の女傑の名を王妃は口にする。人を逸らさない魅力的な話術と小鳥のような美しい声と伝えられる人物だ。 その美女の魅力を支えた道具として香水の存在が知られる。 その材料に鹿の香嚢の分泌液を乾かしたものが含まれているのだ。 他の者ならともかく、王妃になら通じるだろうという確信して贈ったのだ。それは正しく、こうして部屋に招かれることとなった。 少年は従者とともに大鹿を討伐したときの話を吟遊詩人のように歌い聞かせる。若干の脚色はあったが、それは許容される範囲だろう。 王妃と侍女も楽しげに聞き入っている。 だが、歌を聞き終わった王妃は、その功績を称え「あとでなにか届けよう」と言っただけで、少年を退室させようとした。 少年も王妃の顔を拝めるだけでも満足だと思っていた。 会話できたことで望外ともいえる。 しかし、こうして本人を前にしてはまだ収まりがつかない。 このまま退室したくないという思いが少年の頭を回転させる。だが良い作戦は思いつかない。 それでもなにかを繋ごうと言葉をひねり出す。 「あの、贈り物があとひとつだけ!」 そう言って、懐に忍ばせておいたソレを取り出す。 それは巨大な鹿の陰茎(ペニス)だった。 ◆ 「まったくおまえはなにを考えている」 寝室に通された少年は、王妃よりお叱りの言葉を受ける。 「いや、ソレも薬になるって聞いたから」 「確かに動物の陰茎は精力剤の材料として使われることもあるな。 だがな、そのまま持ってくるヤツがあるか。どうして香嚢はちゃんと処理したクセに、こっちは乾燥させただけなんだ。ちゃんと煎じておけ」 「いや、王妃ならそのままのほうが喜ぶかなって」 「それはどういう意味だ?」 王妃は献上された陰茎を少年の頬にグリグリとしながら問うが、少年はアハハと笑い言葉を濁す。 「おまえは私が獣の陰茎を口にして喜ぶ癖(へき)でもあると思っているのか?」 「そんなことは……」 「それともなにか、コレを私の股間に生やして、おまえの菊の花びらを散らして欲しかったのか?」 王妃のその姿を想像して、少年は若干錯乱する。 王妃もそれに気づいたのだろう、ふたりの間にわずかな沈黙がながれる。 「……私はおまえにあの晩のことを忘れたと命じたハズだぞ」 「従うと言った覚えはない」 それを聞いた王妃はため息をつく。 「なら、次は忘却の薬でも用意しておこう」 あきれ顔だが、少年をベッドへと誘う。 少年はそれに従いつつも、問いかける。 「あのさ」 「なんだ?」 「陰茎(ソレ)、使わないよね?」 少年の問いに王妃は「さてな」と笑みを浮かべて答えた。 ◆ 「おまえは夏の樹木のようだな」 「伸び盛りって意味?」 少年の顔に触れ、確認するようにのぞき込む王妃に質問する。 確かに彼は大きくなっていたが、背は王妃のほうがまだわずかに高い。だが次に会ったときにはわからない。 愛しそうな瞳でみつめる。 しかし、それは親が子に向けるものだ。 それが少年には我慢ならぬものだった。 少年はその関係を覆すべく言葉を絞る。 「俺のものになってくれ」 「断る」 わずかな間もおかずに返された。 「俺、あんたのためなら、なんでもする。アレを倒したのだって、あんたのためだ。あんたのためなら俺は……」 コレまで考えはしたが口にしたことすらない暗殺という言葉が溢れそうになる。だがいち早くソレに気づいた王妃は、指を当てて封じられる。 「私をあきらめられないと?」 「ああ」 「どうしても?」 「どうしてもだ」 王妃の問いに少年は間髪入れず答える。 王妃は虚空に目をやり、なにかを考える 「そうだな……では私の願いを叶えてはくれないか?」 「なんだ?」 少年は様は主命をよろこぶ犬のようで、その様に王妃は微笑む。 「国の平和と安定のため、私をあきらめろ」 「!?」 「わたしは王妃にして広大な領地を持つ公爵でもある。いまは亡き父より引き継いだものではあるが、現在国内で私より土地を持つ者はいない」 そのことは知識としては知っていた。 だが改めて告げられると、思った以上に彼女を手にいれるのは難関であることを思い知らされる。 美しいということをのぞいても、彼女は強力な権力者であり、王が彼女を手放すことは国力の低下にもつながる。それはありえないことだと、少年にも理解できた。 それと同時に、王妃は王を愛してはいないだろうことも気づいた。 おそらくは、噂になるほどの火遊びを黙認している王も、彼女を愛してはいない。 これほどまでに素晴らしい女を相手にしているのに……。 それは少年のうちに燻る不満をより大きなものとした。 「なあ、どうして王を選んだんだ?」 「以前にも聞いたな。私の役割は国に平和をもたらすことだ。貴族とは略奪者ではない。土地を管理するための義務を背負っている。私はそのために生を受けたのだ」 その考えは彼とおなじものだ。 彼はさして裕福ではない土地のために、領民とともに土にまぎれてクワを振るうことすらいとわない。 「あんたが王になれればよかったのにな」 「それは無理だな。女であるという時点で多くの領主は従おうとはしない。国の結束が緩めば他国から攻められる原因となる」 他人事のように語る。 自分もそうなのではないかとわずかな不安。 だが、こうして本心を聞けるのはきっと彼だけであると、根拠のない確信があった。 「なぁ、どうして俺と逢ってくれたんだ?」 「あのまま放置したら、次はなにをしでかすかわからん。だから諦めさせるために、こうして時間をつくったのだ。 いいか、もう一度言う。私にはおまえの領地を焼き払うだけの軍事力がある。滅ぼされたくなければ、素直に命令に従え」 「従えば、また逢ってくれるか」 「これで最後だ、こんどこそ」 「だったら従えない。 領地もろとも滅ぼされて、あんたの心に残ることを選ぶ」 王妃はまぶしいものを見る瞳を少年に向け、「不心得者」とその額を中指で弾く。 その一撃は存外、強力な痛みとなったが、それで彼の心が折れることはない。 「なぁ、どうしてもダメなのか?」 「これだけ、拒まれてまだあきらめないか」 「そうだな、あんたが本当に氷の魔女だったら、とっくにあきらめていたかもしれない」 「わたしは魔女だよ。人の情を持たぬ氷のな」 世間の評価は正しいと自分から認める。 「本当に氷だったら、触れあった俺の心だって凍てついているハズさ。 なのに、初めて会ったときよりもこの想いは強くなっている。それに国だけを思うのなら、最初から俺に逢うことだってなかったハズだ」 「勘違いだ」 「なら拒否してみせてよ」 もう一度をベッドに押し倒す。 深い口づけをするが、王妃はそれを拒もうとはしなかった。 ◆ 「……岩を割ってこい」 情事後、王妃は少年にそう使命をくだした。 「岩?」 「王都の南の森に泉がある。そのほとりに大人が見上げる程度の岩がある。 それを割れたら、おまえとの今後を考えてやろう」 最後に『できはしないだろうがな』と付け加える前に、少年は「わかった」と了承した。 「どんな手段で割ってもいいのか?」 「構わない。割れずとも、砕いてもいい。それができるのならな」 少年は、「まっててくれ、すぐ行ってくる」と服もロクに着ぬうちに部屋を飛び出していった。 少年は深い森にひとり踏み入ると、霧の煙る静かな湖畔で、教えられたとおりの大岩をみつけた。 「これか」 確かに個人の力で、これを破壊するのは大仕事だ。 それでも少年のやる気は減退しない。 途中で入手した戦槌(せんつい)を構えると、遠心力をくわえた一撃を叩きつける。 まだ小柄だが、身体の使い方は心得ている。単純な力比べでも大人に遜色ない。 それでも大岩はビクともしなかった。 「ははっ、一筋縄じゃいかなってか」 少年は繰り返し戦槌を振るう。 湖のほとりとはいえ、風はほとんどない。 照り仕切る太陽の光は容赦なく体力を奪っていく。 戦槌でだめならばと、ノミをあて木槌で叩くが成果はない。 枯れ枝を集めて火を焚き、水をかけて急冷しても影響はなかった。 やがて万策尽き、大地に寝転ぶ。 それを褒めるように、いまごろになって清涼な風が彼を癒やした。 「こりゃ、攻城戦用の破砕槌でも持ってこなきゃ無理なんじゃねーか?」 無論、領主とはいえ、城の扉を破壊するための道具を用意するのは難しい。 そもそもとして、この場は海を挟んだ彼の領地から遠く離れている。使える資金も手持ちのものだけだ。 もっとも、どんな手段を用いればこの大岩を割ることができるかなど思いもよらないのだが……。 「ようやく見つけましたぞ」 土の上に直接寝転がる少年のもとに、王都で置いてけぼりを食った老騎士が現れる。 あまりに急いでいたため、彼に声をかけるのを失念していた。 「『竜の卵』ですか。難儀なものに挑まれておりますな」 「なぁ、これ割る方法知らないか?」 少年は多くの戦場を渡り歩いた老騎士の知識を頼ろうとする。だが返事は芳しくなかった。 「存じませんな。過去多くの者がこれにいどみ失敗したと聞きます」 「ふ~ん、そもそも『竜の卵』って?」 「かつて女賢者がこの地に現れ、ひとつ予言をしたそうです。 『この大岩を割った者は、いずれこの地を平定する王になるであろう』と。それ以来、数多の勇者が挑めども岩には傷ひとつつかなかった。 かくいう儂も一度だけ挑戦したことがあったのじゃが、剣をダメにしただけじゃった」 懐かしそうに大岩を見ている。 ――やっぱりダメなのか? 歯ぎしりをする少年のわきで、老騎士が「もしかしたら……」と呟く。 「どうした?」 「いえ、あの方ならできるのではと思っただけです」 「それは誰だ?」 そいつに師事すれば、自分にも割れるかもしれない。 いや、手段を問われなかったのだから、その者に割ってもらうのもアリなハズだ。 だが、老騎士からの解答を聞いて断念する。 「大勢の者があらゆる手段をもってして割れなかった岩です。割れるとしたら人ならざる方でしょう」 「……氷の魔女、か」 確かに不思議な力を使う彼女になら、なんらかの手段でこの大岩も割れるかもしれない。 だが、その当人から与えられた試練である。頼むわけにもいくまい。 「……畜生っ」 少年は強く奥歯を噛みしめると、自らの敗北を認めるのだった。 5◆手紙 「主(あるじ)、大丈夫ですか?」 執務をこなす少年領主に、従者が問いかける。 「ん、なんだ?」 「いや、なんでもありません」 王都からもどった少年にはあきらかに力がなかった。 だが、以前の無気力さとはちがい、それを隠そうとする意思がみられる。 ――あるいはご自身の異変に気づいていないのか……。 王都に同行した老騎士はなにも教えてはくれない。 だが、なにがそうさせたのかの察しはつく。 ――だとしたら、僕はなにをしてあげられるのかな。 その問いに答えは出ない。 「なんか用があったんじゃないのか?」 少年から指摘され、従者は本来の用事を思い出すと、真っ白な便せんを手渡した。 少年はその紙を不思議に思いながらも送り主を確認する。 だが、封書には宛名も送り主の名も書かれてはいなかった。蝋で封はされていたが、そこに印章は押されていない。 「これは?」 「わかりません。犬がくえておりました。ここに届けられた以上、送り先は主かと思いまして。ただ……」 「どうした?」 「いえ、見覚えのない犬だったので、うちの犬ではなかったのかもしれません」 従者はその点についても不審に思っているようだ。 そもそも、宛名も差出人もない時点で怪しいことこの上ない。 だがそれ以上に、期待があった。 この高価そうな紙を自分に使うような相手などひとりしか思いつかない。 「わかった。ありがとうな」 少年は一度休憩することを告げると、自室へともどった。 ◆ 蝋を外し、中身を確認すると微かな香りが部屋を漂う。 涼やかで軽く、それでいて記憶に残る匂いだ。 差出人のことを思いながら、中身を確認するが、紙が二枚入っていただけで、誰の名も記されていない。 ひとつは数式の書かれた紙だった。 数字が見慣れぬ形で書かれているからそうだろうと判断したが、意味はさっぱりわからない。 もう一方の紙に解答を書いて送り返せと書かれているが、どこに送れとまでは書かれていない。 ――てっきり、あの日のことを責められるかと思ったんだけれどな。 そう思うと肩すかしだった。 それでも少年は問題を解こうと、本棚から専門書をとりだし、参考になりそうな問題がないかと調べてみる。 だが、そこに書かれたどの数式を当てはめようとも問題を解くヒントにすらならない。 ――さて、どうしたものかな。 自力で解けないとなれば、誰かを頼るしかない。 黒いクセッ毛頭をボリボリとかきながらも、老騎士のもとを訪れる。 訳は話さず、数式を解けそうな者がいないか相談したものの、領地内では難しいのではないかと言われて終わった。 なんのためのものかもわからぬ数式を解くのに、わざわざ領地外に出るのは難しい。 ――そもそもこれ、どんな意図で送られたんだろうな? 考えてみても、やはり答えにはたどり着かない。 それならばと従者のもとを訪れる。 従者が少年よりも知識豊富ということはないだろうが、意見交換で気づけることもあるかもしれない。 「入るぞー」 そう言って従者の部屋に入る。 すると従者の驚いた顔がみえた。 どうやら、胸の布をまき直している最中のようだ。 そんな様子をみて、少年はぽつりとこぼす。 「良い腕してんな」 普段、長袖で隠れていたが、こうしてみると少年のものとさほどかわらないかもしれない。鍛えているのだなと感心する。 「女の子の着替えのぞいて、感想がソレっすか!?」 言われて、なるほどと納得する。 「安心しろ、俺は気にしてない」 「僕が気にするんです!」 そうは言われても、弟分として日頃から一緒にいる相手だ。そういう意識はとんとわかない。 そもそも洗練された王妃の美貌に魅せられた少年に、田舎娘の寸胴ボディなどそこらの石ころにも等しい。 それで興奮しろとは無理な話であった。 無論、その説明で見られた側の怒りが静まることはなかったが……。 ◆ 「それでなにをしに来たんですか?」 いまだ怒りを収めない従者。 だが、少年には怒りの原因がいまひとつ理解できていない。 着替え中に部屋に入ったことはすでに謝罪した。 女であることを隠し、従者として彼に仕えることを決めたのは彼女自身である。 それをそのように扱って、なんで怒られなければならないのか。理不尽である。 さりとて、それをグチグチ言ってもはじまらない。 手紙の差出人はおそらく王妃であろうことを告げ、その内容について話しあう。 数式は解けないだろうとすぐに諦めた。 おそらくは、大岩を割るのとおなじ程度の難易度があるだろう。 だとすれば、解答を導き出すのは容易ではない。 「だとしたら試練の類か?」 それに確信があったわけではない。だが少年のこぼした言葉を従者が疑問を挟む。 「試練って、なんで王妃がそんなものを主に?」 「えっ、そりゃ勿論……なんでだろうな?」 わからなかった。自分に王にでもなって欲しいのだろうか。 そのための資格があるのか確認している? 試練を与えられたことだけを考えれば、それもあり得るように思えた。 だが、王妃は国が乱れるのをよしとしないとも言っていた。 試練を突破したからといって、それで王が玉座を譲るとも思えない。 だとしたら、まるっきり彼の行為は無駄ということになる。 ――なにがしたいんだろうな? 自分のしたいことは決まっている。 王妃を手に入れることだ。 ――では、王妃の望みは? それについては考えても出てはこなかった。 男好きと噂され、事実多くの男をくわえこみ、その若さを保っていると噂される魔女。 氷のように冷たい笑顔には、人間味がなく周囲から忌避されている。 その反面で、少年には優しい面を見せてくれた。 どうしてそうなったのかは、分からないが……。 「ああ、もうわかんね!」 少年は考えることを諦め、従者の部屋を出る。 「どうするおつもりですか?」 「とりあえず返事を書く」 そう答えると自室へともどる。 そして、彼女への思いをありったけ白紙にしたためた。 普段使っている紙とちがうため、インクが滲んだが読めないということはなさそうだ。 「さて、これをどうやって届けるかな」 一地方領主でしかない彼が、王妃のもとに手紙を届けるのは難しい。できたとしても中身を閲覧されるのは困る。 そんなことを考えていると、鳥が羽ばたく音が聞こえた。 急いで振り返れば、窓から飛び立つ白鳩の姿が様子が見えた。 インクを乾かしていた紙が消えている。 その姿を負う少年は、最初の晩、王妃が見せてくれた鬼火のことを思い出していた。 6◆至高の騎士 もうすぐ収穫の時期となる。 その後、王妃からのアプローチはない。 確認のためにも少年自ら王都に向かうべきか考える。 だが、私事で大事な収穫をないがしろにすることはできない。 王都に向かうにしても、収穫を済ませてからだ。 そう決意を新たにした矢先、老騎士が彼の執務室を訪れる。 「主(あるじ)よ、耳に入れておきたい情報(はなし)がある」 老騎士の話によると、近隣で不穏な空気があるという。 彼の見立てでは、秘密裏に戦の準備を始めているのではというだ。 「マジか?」 「裏はとれていない。五分五分といったところだが、警戒をして損はないだろう」 「どこの領地だ?」 確定できていないようだ。ただひとつではないらしい。 あるいは、どこかの領主が戦の準備を進めていることに気づいた他の領主が、それに対応すべく警戒しているだけなのかもしれない。 「今年は不作のところ、なかったよな?」 少年は確認するが、老騎士は首を振るだけで答えない。 飢えで領民を殺すくらいならば、命がけで他領から奪うのもしかたないと考える領主は少なくない。あるいはそれ自体が口減らしということもありえる。 だが、少年は近隣で不作の土地があったという情報を入手してはいない。 彼のもとに情報が入っていないだけなのか、それとも別の理由があって戦の準備をしているのか不明だ。 そもそも戦の準備自体が勘違いということもありえるが、少年の勘はそうではないと警笛を鳴らしている。 「やっぱり、みんな仲良くってわけにはいかないよな。命がかかってるんだ」 彼とて飢えれば近隣の領地への略奪を考えねばならぬだろう。略奪者に身を落とさねばならぬことには同情する。それでも、自領を守るため、略奪は容赦はできない。 一度でも略奪(ソレ)を許せば、強欲な狼たちから、エサ場としかみられなくなってしまい、それはさらなる狼を呼び込むこととなるだろう。 「戦になるとすれば、収穫が終わってからか?」 「おそらくは」 収穫前に戦争をやりたがる領主はいない。農民を兵として駆り出せば単純に収穫に影響が出る。 食料がなければ戦争どころ領地運営もままならない。 それに相手の狙いが食料ならば、収穫が終わってから奪うのが理に適っている。 だが、どこが攻めてくるのかわからなければ、後手に回ることになる。それは被害の容認に等しい。 となれば情報収集をしなければならない。 周囲が疑心暗鬼になっているなか、直接相手の領地に乗り込んでは、要らぬ藪をつつくことになりかねない。 それに周囲のどこを警戒すべきかもわかっていないのだ。すべてを調べるには手が足りなすぎる。 となれば、噂の集まる場所に一度出向く必要があるだろう。 決断すると、老騎士に告げる。 「王都へいく。準備をしてくれ」 「了解しました。それで供は私が?」 「いや、従者を呼んでくれ。あんたにゃ、万が一の時に兵を動かしてもらわにゃ困るしな」 老騎士は領主の言葉を了承する。 「それと、収穫も急がせておいてくれ」 少年は秋の嵐の訪れを予感していた。 ◆ 少年は義理の祖父に領地を任せると、義理の従兄妹である従者を連れ、王都へと向かう。 欲しているのは情報だ。 王妃に逢いたいという想いはあるが、いまはそんな時ではない。 少年は目立たぬよう、商人のような格好で、王都の様子を観察する。 その結果、彼は戦が起こりうると判断した。 街に活気はあるが、食料――とくに小麦の在庫が少ないことが気になった。 昨年は大きな戦がなかった。 となれば、この時期はあまった小麦が流出されるハズなのだが、それがない。 誰かが買い占めていると考えるのが打倒だろう。 つまり、戦の準備を始めているのだ。 ――まったく迷惑な話だ。 だが、同時に疑問も生じている。 王都で小麦の買い占めが起こっているのならば、食料は満たされているハズである。不作が戦を仕掛ける理由にはならない。 少年の知らないところで、大規模な不作が起こっている可能性もなくはない。 あるいは、他領地ではなく、他国からの買い占めの可能性もある。 それを確認するためには、誰が小麦を買い占めているのか確認する必要がある。 そのことを従者に相談しようとするが、彼らを呼び止める声があった。 「これはこれは、少年領主殿ではありませんか。どうしましたそんな格好で」 振り返れば、軍を指揮する中隊長がいた。 顔見知り程度で、仲が良いわけでも悪いわけでもない。 だが、領主が変装して王都の様子を探っているという状況は、相手に快く思われないハズだ。 少年は挨拶を返すと「ちょっと買い物に。老騎士殿に日頃のお礼をかねてなにかプレゼントをしたいのですが、良い物はありませんかね」 「残念ながら、私にはわかりかねますな」 愛想笑いを浮かべてたずねたが、相手はキッパリと断った。 「そうですか。では、私はもう少し探してみますので」 頭をさげ、そのまま別れようとする。 だが、相手はそれを認めようとはしなかった。 「少年領主殿、最近、不穏な噂があるのをご存じかな?」 「不穏な噂?」 その確認のために王都にやってきたのである。知らぬハズがない。 だが、その確認のために王都に来たと言えば、まるで王を疑っているようである。正直にはなれない。 「なにやら、王に不満を持ち反乱を企てている輩がいるというのですよ」 「迷惑なヤツもいたもんですね」 少年はそう答えつつも、中隊長の言葉に安心していた。 反乱ならば、対象になるのは王都とその周辺になるだろう。 王都に小麦が少ないのも王の軍隊が買い占めたからだ。 となれば、彼の領地が戦にまきこまれる心配はないと言える。 王は所領に兵を出すよう要求するかもしれないが、領地の遠さを理由にそれを拒むこともできる。 反乱を企てている領地の場所にもよるが、少年の気はすっかりぬけていた。 中隊長は「まったくその通りです」と同意する。 「戦の折りには、わたくしめも微力ながらお手伝いする所存ですので、なんなりとおっしゃってください。 そう陛下にお伝えください」 その気はないが、そう言わざるをえない。 迂闊な言質を与えるのは上手くはないが、不穏な情勢下にフラフラしているところをみつかった以上、少しでも印象を良くしておかなければならないのだ。 だが、中隊長は「それには及ばないでしょう」と彼の予測を外す。 「……どうして、です?」 「そりゃ、噂のご当人がこの場にいるからですよ」 いつの間にか、少年と従者の周囲には大勢の兵が集まっていた。 ◆ 「どういうことだ、俺に反旗の意思なんかないぞ!」 地下に作られた牢屋の中から少年は訴えるが、番兵は退屈そうにあくびをかくだけで取り合おうとはしない。 「畜生、まずは話のわかるヤツをよんでこい!」 懸命に訴えるが、喉を嗄らすだけで成果はなかった。 「話、わかってて無視されてるんじゃないですか?」 従者の言葉が少年の背に刺さる。 「王の妻に手を出した不埒な臣下。それが繰り返されるとなれば、反意を疑われても仕方ないんじゃないですかね」 あまりにも当然のように繰り返されていたので、捕まるまでそのことに気づけなかったと従者は言う。 それを聞いた少年の息が詰まる。 だが、それには不自然なところがあると反論する。 「だったら、俺ひとりを咎めれば良いだけの話だろ。わざわざデカい金かけて軍を動かす必要はないだろ」 「機会、うかがってたんじゃないですか?」 「どういうことだ?」 「いまの王様が王位を継承してから、戦争らしい戦争はなかったじゃないですか」 そこまで聞いて、少年が言葉を引き継ぐ。 「自分に偉業がないから、ここらで一発周囲にかましておきたいって?」 「あからさまに王のことを見下している自称臣下もいるようですしね」 その言葉にギクリとする。 「ここで適当な敵を討ち取っておけば、少しは周囲も王(じぶん)を見直すと考えているのと、ついでに妃の不倫相手も駆除できて一石二鳥ってヤツですよ」 ため息が深くなる。 「てめぇ領主にむかって」 「恋で領地を危険にさらしてなにが領主ですか。恥を知りなさい」 「ぐっ……すまん」 「まったく……。でも、いくら寝取られたから、出兵ってのはさすがに理由として無茶な気もしますね」 従者が疑問を呈すると、今度は少年が答えた。 「そうでもないだろ。 アイツは王妃と結婚する際に、法王(キリスト教の最高権力者)の許可を得ている。それを無視した上に、十戒(浮気NG)に背いた俺は不心得な教徒として十分な処罰対象じゃね?」 ちなみに、王は敬虔なキリスト教徒であり、十字軍が聖地奪還を建前に軍を派遣したのは数年前の話である。 「なんで、そこまでわかってて、やらかしちゃうんですか!」 「しかたねーだろ。惚ちゃったんだから!」 「はぁ。権力の継承を血筋で決める文化、マジ廃れたほうがいいんじゃないですかね」 「主に相手に言いたい放題だな。表へ出ろ」 「恋で自分の領地を危険にさらすような相手についていけますか!」 ◆ ふたりが仲良く喧嘩を行っていると、外から「出ろ」と指示される。 みれば、全身を甲冑で覆った輝かしい姿の騎士が立っていた。 戦場さながらに、フルフェイスで頭部を覆っている。騎士としては小柄な部類で、少年らと体格的に差はない。 騎士は、手首を縄で縛られているとはいえ、他に供も連れずに、ひとりで少年らを地上へと移送する。 相手はひとりで、少年らはふたり。 たとえ女といえど、従者は並の男に引けをとらない。縛られたハンデはあっても隙をつけば、逃げ出すことくらいはできる。そう判断したのだが、肝心の隙が見当たらない。 そこで相手が自分よりもはるかに格上であると思い知らされる。 これほどの相手が国内にいるとは想像もしていなかった。 少年もかなりの腕自慢ではあるが、それゆえに相手の力量につっかかることができない。となりを歩く従者もそれに気づいたようだ。 「主、あなた日頃、『自分は国で五指に入る剣豪だ』とか豪語してませんでした? こいつ絶対主より強いですよ」 「残る四本のうちの誰かなんだろうよ」 相手の名前までは知らない。 だが、そこにいる騎士が、縛られたハンデがなくとも、敵わぬ相手であろうことは納得せざるを得なかった。 ふたりが連れてこられたのは、城壁で囲われた広場だった。 てっきり王との謁見を経てからの処刑かと思ったが、いきなり……ということらしい。 だが、処刑にしては警備が手薄すぎる。それほどまでにこの騎士は逃亡を防ぐ自信があるというのか。 騎士は剣を抜くと一振りし、少年の手に巻かれた縄を切り裂く。 そして、驚く少年の前に、抜き身の短剣を放り投げた。 「……これは?」 「それで己の首をかけ」 少年の確認に、フルフェイス越しのくぐもった声が答えたのは、自決の勧めだった。 「それに従うとでも?」 「おまえが自決せねば戦争になる。領主として自らの責で、領地が焼かれるのを見逃せるのか?」 「…………」 「嫌なら自分で首をかけ。解釈は私が引き受けよう」 「俺が死ねば、王は出兵をとりやめるのか?」 「約束しよう。私が責任をもって止める」 その言葉に偽りを感じることはなかった。眼前の騎士の言葉は信用できるだろう。 死にたくはない。 だが、領地を焼かれるのもゴメンだ。 兵を集めて抵抗したところで、たかが知れている。 ――どうするのが最善だ? 反抗しても死ぬ。 反抗しなくても死ぬ。 だが、ここで自らの首を書き切れば、領民と従者の命が保証されるというならば……。 「……時間はないぞ」 タイムリミットであると告げると騎士が剣を構え直す。 掲げられた長剣が太陽の光を一身に浴び、輝いている。 だが、その場で最初に動いたのは従者だった。 自分の身が危うくなるのも顧みず、主を護るため体当たりを敢行する。 命を保証された従者が動くとは思わなかったのだろう。 騎士の反応はわずかに遅れた。 少年は落ちていた短剣を投げつけると、その隙を突いて従者の手をとる。 そして城外を目指して駆けだした。 騎士はにげるふたりを、無理に追おうとはしなかった。 そもそも重い鎧を身につけたままでは、身軽なふたりに追いつけはしないだろう。 少年らの技量であれば領地まで逃げおおすことができるだろう。 ――戦いは避けられんか。 騎士は兜の前面をあげると、逃げる少年たちの背を視線で追った。 7◆決戦 王は自ら兵を指揮し、少年の領地を奪うことを宣言した。 そのらしからぬ蛮勇は、臣下たちを戸惑わせた。 出兵の表向きの理由は、反乱の兆しをみせた領地を粛正し、王の威光を取りもどすことにある。 王が先陣に立つというのなら、それに越したことはない。 だが、自らそれを宣言するのはあまりにらしくない。 そこに私怨が含まれていることは、その場の誰もが気づいてはいたが、誰もそれを口にだして指摘しようとはしなかった。 王には王座を継ぐべく教育された兄がいた。 彼自身は、継承者争いを避けるため、幼いうちから修道院に入り、敬虔な信徒として育てられていた。 いずれ司祭になることを夢見ていた、誠実で物腰の柔らかな青年だった。 だが、その運命は兄が落馬事故で落命したことでねじ曲げられる。 いくら王の直系とはいえ、修道院で育てられた彼では、治世を任せるには心許ない。 結果、大領地の娘であることを理由に、好きでもない女と半ば強制的に結婚させられた。 その相手が『氷の魔女』とあだ名される女なのだ。敬虔なる信者には耐えがたい屈辱だったが、それも国のため、国民のためであると懸命に堪えた。 王にとって、王妃は人の形をした冒涜である。冷たい作り笑いを要る度にそう思った。 当然、夫婦仲は冷めたものとなる。 だがそれは、王だけの責任ではなく、王の拒絶をそのまま受け入れた王妃の責任でもあった。 だから、ふたりの間に発生したわだかまりは、周囲がいくらうながそうとも解消せず、むしろこじれていった。 また、運が悪いことに彼が継承権を得てから一年と経たぬうちに父が死去したのだ。 国を運営する臣下はそのままとはいえ、ロクな引き継ぎもできていない状況では混乱が起こるのもやむを得ない。 彼は周囲から凡才の陰口を受けつつも、それでも彼は国のため、民のため粉骨砕身した。例え評価が伴わなくとも。 そんな毎日の中、王は自らの妻に変化が訪れていたことに気づく。 ごく希にではあるが、自然な笑みを浮かべるようになったのだ。 神に祈りが通じ、妻が改心したのだと思った。 だが、現実はちがっていた。 彼の妻は新しい男を捕まえ、それに夢中になっていたのだ。 それが王よりも十三歳も年下の、まだ少年であることにも驚かされた。 最初は『王妃の不逞などいつものこと』とたいして気にしなかった。 だが、日に日に変わりつつ王妃の様子に、さすがの王も興味を覚えるようになった。 そして少年が、彼とおなじよう、不慮の死でその地位を引き継いだこと。周囲に問題を抱えつつも、独力でそれを解決していることを知った。 そこに芽生えたのは明確な黒さをもつ感情だった。 そして、少年が大鹿の首を剥製とし、王に献上したときに彼の心の歪は確かな形をつくりあげた。 強き者を屠り、その首を見せつける行為が王には『次はおまえだ』という布告にしか思えなかったのである。 それ以来、王は密かに神に願うようになる。 ――少年の首が欲しい。 それは賢者ヨカナーンに恋したサロメの様な熱意だった……。 ◆ 少年と従者は領地に逃げ帰ると、老騎士に事情を話す。 「収穫を早めて正解だったという訳か」 「ハズレて欲しかったけどね」 そして戦の準備のため、各所を奔走する。 兵士は思ったよりも集められた。 普段から彼が領民たちのために努力した結果ともいえる。 だが、そんな彼らを私怨にも似た戦いに巻き込むことには罪悪感を覚えざるを得ない。 「やはり降伏すべきなんだろうか?」 そうこぼした瞬間、顔面を失うかと思うほど強力な一撃を受けた。 弱気を老騎士にたしなめられたのかと思った。 だが、ちがった。 殴ったのは彼の中心である男装の従者だった。 「迷うくらいなら、なんであの場で首をかかなかった!」 言うとおりだ。王都で自決していれば、甲冑の騎士が戦争になるのを防いでくれたのだ。 いまとなっては、完全なる反逆者だ。いまさら降伏したところで手遅れである。 「未練があったんだろ。だったら最後まで貫き通せ」 「でもみんなが」 「どうせ、王の腹は決まってたんだ。力の見せ場を欲しがってたなら、どのみち手遅れだったんですう」 あの騎士もわざと自分たちを逃がしたのではないかと口にする。 少年はそれはちがうと思ったが、否定するだけの根拠はなかった。 「まずは自分の民たちをみてください」 言われた通りにする。 誰もが領地を守るため鼻息を荒くしている。 「彼らになにも報わないで、ひとりで楽になるつもりですか?」 そこまで言われれば、彼も立たずにはいられない。 降伏するにしても、どうしようもなくなってからだ。 「まったく、怖い従者をもっちまったもんだ」 ◆ 「こちらの倍はいるな」 少年は、地図上に配置した、敵兵に見立てたコマを並べ確認する。 想定したより敵兵の数はずっと少ない。 だが、それでも自軍の倍だ。 領地を守ろうという兵たちの士気は高いが、練度はおそらく負けているだろう。 それと朗報がひとつあった。 王の出兵に合わせて侵略を開始するだろうと思われた周囲の領主たちが、まだ(・・)沈黙を維持しているのだ。 おそらくは、王が己の威光を確実なものとするため、手出し無用の連絡を回しているにちがいない。 いまは大人しくしていても、勝敗が決し、略奪の段階になれば話は変わってくるだろう。 被害を最小にするためにも決着は早急につける必要があった。 少年領主の願いもむなしく戦いは長期化する。 地の利を活かした少年側が、国軍を翻弄し善戦しているからである。 だが、それは数の差をひっくり返せるほどではなく、少しずつ形勢を逆転させはじめた。 「くそっ、ここまできて」 少年の顔に焦りが浮かぶ。 そんなとき、悲鳴のような声で伝令が届いた。 「領主様、伏兵です! 南側に敵兵が現れました!」 その言葉で一同が敗戦を認めた。 倍の数ですら苦戦していたのに、さらに手つかずの兵が予想もしていなかった場所から現れたのだ。 そして、それを指揮するのは、全身を輝かしい甲冑で覆った騎士だという。 反撃の手立てはなかった。 少年を叱咤激励した従者も歯を食いしばり沈黙している。 「すまないが介錯を頼む。 さすがに生きたまま王(あいつ)の前に出られる気分じゃないからな。その後はすぐ降伏してくれ」 そう老騎士に願いでるが、それを受けたのは従者だった。 「ははっ、じゃ頼んだぜ」 「……」 「いちおう言っておくが、死後の付き添いは要らないからな」 従者は言葉も出さず、小さく首を傾けるだけだ。 それ以上倒せば、堪えているものが溢れてしまうと言わんばかりに。 その時、一陣の風が吹いた。 心地よい風に心が和らぐ。 こんな状況で死ねるなら悪くはないさ。 そう思いかけていた。 だが、風が運んできたのは清涼な空気だけではなかった。 声が、歓声が聞こえる。 不思議に想い、一度とじたまぶたをもちあげる。 すると、新たに出現した伏兵は味方であるハズの国軍を討っていた。 その理由はわからない。 だが、いまが勝機であるのはまちがいない。 少年は急いで馬を持ってこさせると、その場を従者に任せ、老兵とともにたったふたつの騎馬で、混乱する敵軍の中へと突入した。 ◆ 少年は伝令兵のフリをして、混乱する敵陣の中を突っ切り、王のもとまでたどりついた。 そして、その剣をのど元に突きつけ気さくに声をかける。 「やっ、おひさしぶり」 少年と対比するように王の瞳は憎しみに燃えていた。 「おのれ悪魔め」 「悪魔? 俺が?」 どういうことかと、周囲にいた者に聞いてみるが、答えたのは王自身だった。 「白々しい、いったいどのような手段でアイツを寝返らせたのだ」 少年にとって王の言っていることは意味不明だった。 しばらく暴言を受けていてようやくその真意に気づく。 伏兵として現れた練度の高い兵たち。それを率いている甲冑の騎士こそが彼の想い人である氷の魔女なのだ。 それを知ったときはアゴが外れそうになるほど驚いた。 ――そういえば、自ら軍を率いるとか聞いてたっけ。 寝床での記憶ばかりで、すっかり失念していた。 「なるほど、魔女と交わって手込めにするっていったら、そりゃ悪魔の所行だわ」 苦笑しつつもそれを認める。 もっとも、支配権をにぎるのは魔女のほうであるが。 王は自らの処刑を求めた。 その罪により少年(アクマ)に神の雷が降り注ぐだろうと予言する。 だが、少年はそれを受け入れはしなかった。 もともと王の首に興味などないのだ。 王に手をかければ、それこそ周囲に自分を討たせる大義名分を与えることとなる。 そんな愚策は冒せない。 逆に、王ではなくその臣下を脅し、この度の出兵が王の勘違いにより始まったもので、少年らにはなんの非もないことを周囲に知らせることを約束させた。 他にこの戦で自分らが要求することはなにもないと。 王が拒否するのも無視し、臣下たちは大喜びでそれを受け入れた。 それにはこの場さえ乗り切ってしまえば、少年との約束などいくらでも反故にできるという腹づもりもあった。 彼ら全員が「欺された」と苦虫を噛むのは後日の話であるが……とにかく少年は、領地の平和を取り戻すことに無事成功したのだった。 8◆結婚 戦いが一段落すると、少年は甲冑の騎士の前にやってくる。 頭を覆う兜の前面をあけると、美麗な少女の顔がさらされた。 まちがいなく王妃である。 「どういうことなんだ?」 少年は何故、彼女が自分に寝返ったのかと問いかける。 「おまえは私からの試練(クエスト)をみごとに撃ち破った」 「試練?」 「誰にも斬ることができなかった大岩を斬り裂いてみせた」 「いや、傷ひとつつけらんなかったし」 「専門の学者でも頭を悩ませる、高度な問題を解き、知性の高さを証明してみせた」 「いや、王妃の可愛いところ書きまくっただけだし」 「そしてなにより、劣勢をみごとに覆し、見事な武勇を示してみせた」 「劣勢覆したのはあんたじゃないか!」 指摘(ツッコミ)の声が大きくなったのを自覚し、少年は務めて声のトーンをもどす。 「なんでそんなことしたんだ?」 まっすぐに問うと、王妃は視線をズラしポツリと答える。 「……別にいいじゃん、そんなの」 ――いや、よくないだろ。さすがに……。 そう思ったが、兜の内側で顔がまっかになっているのに気づく。 そして少年は「まぁ、そういうことでもいっか」と、国家を揺るがす一大事をそのまま受け入れることにした。 何故なら、王妃の反逆は、彼の想いがしっかりその胸のうちに届いたという証明なのだから。 少年は甲冑姿の王妃を抱き寄せると、強引にその唇を奪う。 だが、王妃が気にしたのは別のところだった。 視線がいつのまにか、少年のほうが高くなっている。 「貴様、短い間に伸びすぎじゃないか?」 「意外と負けず嫌いなんだな」 新たな面をみせた魔女の姿をとても愛おしかった。 その後、少年は王妃の兵を借り受け、ともに海をわたり、教会の総本山へと乗り込む。 そして、武力を盾にし、王と王妃の離婚を法王に認めさせ、続けて少年と王妃の結婚を成立させた。 これにより王と国は、国土と国力を著しく減退させることとなった。 逆に王妃を自分のものとした少年は、西方でも屈指の力を有し、自らを新たな王となることを宣言する。 そして、周辺の領地を傘下に統合すると新たな一大帝国を築き上げたのだった。 だがしかし、彼らの夏はいつまでもは続かない。 これから十二年後の夏。 少年は自らのものとなったハズの王妃と陣をわけ、大勢の人間を巻き込む戦いをすることになる。 【氷の魔女 了】 |
HiroSAMA 2021年08月08日 15時17分03秒 公開 ■この作品の著作権は HiroSAMA さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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