おとなしくトラックに轢かれなさい! |
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ツバメは一度子育てが成功すると、同じところで巣を作り、また子育てをするという。人間らしい弱さを持ったツバメの習性が、私はどうにも嫌いになれない。 伝統を変えるというのは勇気のいることで、明確な根拠もないのに前に上手くいったことを踏襲してしまう、前とは条件が異なるのだから、また上手くいくとは限らないのに。 人間と言うのは性根の弱いもので、何かにすがりたくなるというのは本能のようなものであるらしい。私、サーシャ・ド・エムワースもそれは同じで、出来る限り前の時代に成功した先駆者を見習いたいと思うものだ。 私にだって千年の歴史を持つ由緒正しい貴族であるエムワース家に連なる者として、貴族の矜持と言うものがある。先駆者の真似などかっこが悪いという、一種のプライドのようなものも抱えている。しかし、事がことだ。自分のちっぽけなプライドなどかなぐり捨てて、より確実なほうを選ばなくてはならない。私の背には、何万という人の運命がかかっているのだから。 「それにしても暑いですね……」 この日本という国は暑い。魔法で冷気を纏っているのでまだ居られないこともないが、それでも暑いものは暑いのだ。 故郷はあまり暑いところではないので、伝統的に羊毛で作られた暖かい服を着る。日本はそれで過ごすわけにはいかないので、故郷から持ってきた貴金属を換金して、当地風の装いに着替えている。太陽の輝きと称された金糸のような髪も切ろうと思ったが、それは気が引けたのでやめた。 いま私が来ているのは日本と言う国だ。私が生まれた国ではない。と言うか、私の生まれた世界ですらない。私の住む世界の名はクオンと言って、自然と人々の営みが見事に調和された、美しい世界だ。争いはなく、まさしく平和という言葉を体現していると言っていい。 ただしそれも仮初のものでしかなく、平和なクオンに攻めてくる「魔王」の軍勢が、数十年に一度攻めてくるというのが、ここ五百年ほど繰り返されてきた歴史である。ただ強いだけなら何とでもなるが、一度倒しても同じくらいのスパンで復活するというのが、この「魔王」の厄介な所だ。 クオンに住む人間たちは元来魔法が使える。それこそ、「魔王」に充分対抗しうるほどに。魔法と言うのは火や水といった自然現象をその手に操ることができるもので、それらを用いて炊事や洗濯、料理に仕事と、人々は豊かに暮らしている。反面、戦える力を持つ者となると、その数はかなり限られる。特に肉弾戦となると、その数は皆無に等しい。 私たちが使う魔法の行使には少しばかりの時間が必要で、魔法の力が強ければ強いほど、その時間は比例して長くなっていく。魔法で戦う際にはこのスキができる時間に攻撃から守ってもらうための従者が必要であり、扱える魔法の力もさることながら、従者の力量も勝敗を分ける重要な要素となる。 先ほども述べたが、クオンではそもそも戦える力を持つ者に乏しい。魔法以外で戦える者で腕の立つ者というと、世界の中でもそうは居ない。ではどこからそういった人材を獲得してくるかと言うと、それが私が日本にいる理由になるのである。 「いましたね……」 視線の先には、日本の伝統的な戦闘衣装、ドウギと言ったか、無垢の白い衣に身を包んだ男が、広場の真ん中で何やら座って呪文を唱えているようだった。メイソウ、と言うらしい。 大柄で筋骨隆々、短髪に刈り上げているためにその目の鋭さが否応なく分かる。私が木の陰で彼を盗み見ていても、彼の背中から殺気が沸き立っているのが分かる。 彼の名は内 達磨(うち たつま)。年のころは三十よりも少し下と言ったところか。私たちの世界で言う所の護身術指南所をもっと戦闘的にしたような、ドージョーとか言う施設の師範であるらしい。そのドージョーとやら、日本における形骸化したブドーではなく、実際の戦闘を重視したものであり、彼はその中でも抜きんでた強さを持っているという。彼をリサーチする過程で、裏社会の人間ですら彼を恐れていると聞いたことがある。 座った姿勢から立ち上がった彼は、カラテと言うらしい、伝統的なブドウの練習を行っている。腕を前に突き出したり、足を振り上げたり、相手がいる想定をした体の動きをしているようだが、その手足の動きが全く見えない。手足が動作をしていることは分かるのだが、気が付いた時には元の位置に戻っている。 しかし、私が求めたのはそんな「力」ではない。そんな「力」があってもなくても、「彼に決めた」のだ。それは即決だった。彼以外にいないと、まさしく天啓だったのだ。 私が彼に決めたもの、それは「魔王討伐のための従者」だ。自慢するわけではないが、私は強力な魔法を使うことができる。火であれ水であれ、簡単な精神操作でさえ、何でもござれといったところだ。魔王を倒せるだけの力量は、主観的にも客観的にも備わっていると思っている。そして、これらの魔法を行使する際のスキを、彼に埋めてもらいたかった。 先ほどの説明に戻れば、どこからそういった人材を獲得してくるかというと、それは「異世界」だ。詳しい原理はいまだに解明されていないのだが、この日本からクオンにやってきた人間には、何の能力を持たない人間でも何かしらの能力が付与されることがわかっており、今ではクオンからのスカウトマンがここ日本の各地でリクルート活動を行っている。 ではそういったスカウトマンに私のパートナーを任せればいいかと言うと、私はそうは思わなかった。さらに言えば、クオンに赴いた際の発現する能力の種類や強さについて、研究によってある程度わかるようになっているのだが、そういったことは抜きにして、私の背中を預ける人間は私が決めたかった。 一緒に戦い、一緒に栄光をつかむ人間を、どこの誰とも知らない人物が、私の与り知らないところで選んできた人間と「さぁ戦いなさい」と言われても、ちょっと遠慮したいと思うのは自然な感情だろう。 そこで私が選んだのが彼だった。私の相棒になるにふさわしい人間の第一条件として、「クオンに来なくとも腕の立つ人間」というものがある。クオンにやってくると自動的に能力が付与されるということは、努力せずに強力な力が手に入るということだ。私の魔法も、代々大きな魔法を扱える血筋であるということも勿論あるのだが、それ以上に私は努力してこの力を手に入れたのだ。唐突に異世界にやってきて、何の努力もせずに力を手に入れた人間など、信用に値しない。 第二条件に、強くて優しい心を持っているということ。私の戦いのスキを埋めてくれることになる存在だ。何かの拍子に逃げ出されてはこちらが困る。無論、生死をを賭けての戦いであるので報酬は弾むが、その上で精神的に成熟していてもらいたい。 第三条件に…………いや、これはごく私的なものなので、言及は避けておこう。一つ付け加えるならば、内 達磨氏はこれら全てを兼ね備えた人物であるということだ。 さて、私がこんなに彼を求めているのに、実はまだ声を掛けていない。恐れるなよ、サーシャ・ド・エムワース。せっかく見つけた逸材なのだ、ここで逃げては女が廃る。 「もしもし、そこのお嬢さん? 日本語は通じますか?」 「きゃぁっ!」 背中からの声に、思わず私は黄色い声を上げてしまった。考え事をずっとしていたためか、誰かに声をかけられるまで背後を取られたことに気づかないとは、何という不覚。 こちらの言葉はスカウトマンの友人に習ったので、ある程度は理解することができる。どうやらこの見た目は、彼ら日本人からすると同じ世界の外国人に見えるらしい。 「は、はい。言葉は分かります。なんで……」 そこまで言って、言葉が詰まった。目の前に達磨氏本人がいたからだ。驚いて思わず尻もちをついてしまう。 「お手をどうぞ、お嬢さん」 達磨氏の岩のような太い腕と、傷だらけの手が私に向かって差し出される。たったそれだけで、私の心臓は高鳴ってしまうのだった。 「……もしもし?」 「はっ」 彼の大きな手に触れた私の手が熱い。まるで手に心臓があるかのように、ドクドク言っているのが自分でもわかる。 少し時間が経ったので、少しだけ冷静になった。手を差し伸べている彼の優しそうな瞳が私の瞳にも写ったと思う。 「大丈夫! ……大丈夫です」 私は思わず、手を振り払っていた。自分の手を胸に当てると、彼の温度がまだ残っているような気がした。 「ああ、すみません。嫌な思いをさせてしまいましたか」 「い、いえ、そんなことはありません! そ、それでは失礼しますっ!」 私は恥ずかしくなって、思わず駆け出してしまった。齢十九にもなろうというエムワース家の淑女が、なんという失態か。 少し離れたところで先ほどの場所をもう一度振り返る。困ったような表情をしているドウギ姿の達磨が見え、仕方がないとばかりにこちらに背を向けて歩いていく。 「……やはり、あの方しかいません」 私は確信した。彼しかいないのだと。 あの盛り上がった筋肉! 特に前腕筋と三角筋の盛り上がりと言ったらッ! 自分でも強引に揉まなかったなと思う。大胸筋で身体を押さえつけられて、前腕屈筋で組み敷いてほしいッ! 私の手を握られた瞬間、私の華奢な手が握りつぶされてしまうのではないかという妄想にとらわれてしまったのも、いたし方のないことなのです! 「はっ」 おっと、取り乱しました。ともかく、彼の人間としての「強さ」そのものに惹かれたのだ。うむ。 早く彼の筋肉をこの手に――ではなく、彼とともにクオンを救う旅がしたいと、私は強く思ったのだった。 □ この世界にはトラックと言うものがあり、直近四回のスカウトマンたちが、これをターゲットにぶつけることで意識の混濁とともに異世界転移を引き起こし、高次元な能力の発現が認められているのだ。この現象に関して今も研究が続けられているが、確たる理由は分からない。 いわゆるところの「再現性」というやつだ。何が上手くいっているのかは分からないが、とにかく現状で上手くいっているのだから、以前に成功したことを踏襲しようという、安易な策だ。 貴族の私が行うにはあまり上品とは言えないものだが、私だって国家と言う組織と、失敗できないというプレッシャーの前には、所詮一人の人間でしかないのだった。 リサーチ――ストーキング行為などではない。決して――をしたところによると、彼は日課である朝のランニングの際、ある時間に国道の横断歩道を通り、そこで出会うある老婆と声をかける間柄であるようだった。そして今、私はその横断歩道が見渡せるビルの屋上にいる。 この老婆は週に一度、水曜日に病院に行くためにこの道路を通るのだが、その際に達磨とよく会話をし、談笑しながら横断歩道を渡っていることに私は着目した。 私の魔法のレパートリーの中には、その道の専門家には及ばないまでも、精神に作用する魔法が存在する。それを使って異世界転移を引き起こそうという魂胆だ。 横断歩道を渡ろうとしているこの日の達磨は、何かバッグのような荷物を持っていた。魔法で遠目からでも中が見えるので遠視してみると、その中身はダンゴとオハギと言ったか、日本の伝統の菓子と、センコウやロウソクと言った、死者を悼むためのものである。その内容から察するに、老婆の買い物を持ってあげているらしい。 なんて素晴らしい、高潔な人物であることでしょう。この日本と言う国はどこか他人行儀な所があり、人助けに積極的になれない人間も多い中で、彼のそれはまさしく、世界を救うメンタリティとして理想的なものと言える。 やはり彼しかいないのですねと、心の中で私はまた納得した。そのためにもさぁ、今こそトラックで轢き殺す時がやってきたのです! 「これは、正しい手順なのです。悪く思わないでくださいね」 私は彼と、もしかすると亡くなってしまうやもしれない老婆に思いを馳せた。老婆を殺してしまうことは本意ではない。誰だって人が死に行くところは見たいものではない。しかし、しかしだ。これは必要なことなのだ。他に方法はないのだ。そう言い聞かせて私は、魔法の詠唱を始めるべく集中する。 「さぁ、おとなしくトラックに轢かれなさい……!」 そう、これであの筋肉が私のものに……ではなく、魔王からクオンが救われるのです。私は走ってきたトラックの一台に狙いをつけ、彼と老婆が横断歩道を渡るタイミングに合わせて、運転手に魔法をかけた。 かけたのはごく軽度の催眠魔法である。これはあまり詠唱時間を必要としない代わりに、効果が十秒ほどしか持続しないため、戦闘ではあまり使い物にならないという代物だ。 私としても使いあぐねていた魔法だが、こうやって役に立つ日が来ようとは、分からないものだ。私がしみじみしていると、交差点にノーブレーキで入っていき、達磨と老婆を目掛けて突進していくトラックの姿が見えた。 達磨だけなら、彼の動体視力をもってすれば、避けることなど造作もないことだろう。しかし、そこには老婆がいる。彼の高潔な性格から察するに、老婆を見捨てて自分だけが助かるように逃げる、ということはしないだろう。私の狙いはまさしくそこだ。老婆ごと事故に巻き込むことで、異世界転移を成功させようというものだ。 誰もあんな大きなトラックにぶつかりたくはない。今までも数多のスカウトマンが様々な方法でターゲットをトラックにぶつけてきた。動体視力のいい者はそれだけトラックで轢きづらいということで、クオンで発現する能力に期待して、トラックでぶつけやすい人物をターゲットにするということもあるようだ。 それで言うと達磨のあの身のこなしからするに、単にトラックをぶつけることはとても難しいだろう。しかし、私の作戦の前では、いくら達磨が身軽であろうとも無意味だ。私の才能が恐ろしいな。 これで私もあの筋肉に抱きしめられて……ではなく、これでクオンも救われることだろう。そう思ったその時だった。 「危ない!」 彼の大きな声が、少し離れたところにいる私にも聞こえた。その瞬間だった。あともう少しで、というところで、老婆は達磨に抱えられて難を逃れていた。筋肉の鎧に身をまとった彼だが、身のこなしもとんでもなく軽い。そして、ああやって抱えられるのは老婆ではなく私なのにと、私は至極当然の感情を抱いた。 老婆は彼に抱えられたまま横断歩道を渡り切り、そして優しく降ろされた。離れたところからでも、老婆が達磨に礼を言っているのが見て取れる。作戦は完全に失敗だ。 「……次の手を考える必要がありますね」 私は爪を噛んで悔しく思いながら、次の算段を練り始めた。 □ 「さて、どうしましょうか……」 私は一人ごちていた。小学生と思しき子どもたちが遊びまわっている声を遠巻きに聞きながら、私は次の算段を練っていた。私はあの交差点を遠望できる公園にいた。 今日は視線の先には達磨はいない。なぜなら、この時間はドウジョーで後進たちに稽古をつけているからだ。少し前に後をつけてドウジョーの中を確認したので、そのあたりもすべからくリサーチ済みだ。 さて、どうしたものだろう。彼が欲しいという思いは変わることはない。あの太い腕で力強く押し倒されるのを想像すると……いや、そうではなく、魔王を倒す旅に出るためのパートナーとして、彼は適任であるということに変わりない。 すると、その彼が近づいてくるのが見えた。あまり見られたくない姿なので、できれば他の用事でこの公園にいるのだと思いたかったが、どうやら私が目的であるようだった。彼がさらにこちらに近づいてきて、優しい声音で話しかけてくる。 「何かに悩んでいるあなたが気になりまして」 ふむ、そうやって気遣ってくれるのは嬉しい。しかし、この悩みを彼に打ち明けることはできない。私は少し考えた後で言った。 「曖昧な物言いになってしまうのですが」 私は前置きをして、素直な思いを吐露する。 「何と言いますか、私の心と、私の立場に違いがありまして。組織のために私の心を犠牲にしなければならなくなりまして、私の弱い心では慣例や伝統などにとらわれないほうがと思ってはいるのですが、一方でそれに縋ってしまう自分もいるのです。そんな自分を、もうどうしたらいいものかと……」 一思いに言い切って、彼にこんな疑問をぶつけても仕方がないなと、思わず苦笑してしまった。 「……いえ、昨日今日知り合った方に相談するようなことではありませんね」 達磨はそんな私の様子に少し感挙げた後、こう言うのだった。 「私は、ですが」 そこで少しの間。 「社会の歯車として回り続けることができる貴方のような方を尊敬します。私は、歯車に成れずに武道の道に逃げた男ですから」 そのあたりもリサーチ済みだ。夜中に市役所と社会保険事務所なるところに出向き、警備員を少し精神操作して眠ってもらい、彼の記録をいろいろと漁った。曰く、一度は職を得た者の、潔くそれを辞し、以降は稼業であったドウジョーでの研鑽に励んでいるという。 坂の上で工事をしている人たちが休憩中らしく、こちらを見やる視線を感じる。公園から横断歩道、さらにはその坂まで距離はあるが、私の魔法を使えば一発だ。これで遠目から達磨のドウジョーのことも観察した。達磨と自分ではあまりに違う身なりに、違和感を抱いているのかもしれない。 自分が好奇の目にさらされるのはいいが、達磨に迷惑をかけるわけにはいかない。私はその場を離れることにした。 「慰めの言葉、ありがとうございます。少し気が楽になりました」 「それは、よかった」 「では」 私はそれきりその場を離れたが、背中からは私を気遣うような視線がひしひしと感じられた。つくづく優しい方だなと思う。 そんなことを考えながら公園を出るべく歩いていると、小学生の喧騒は離れていき、坂の上の工事現場の音は近づいてくる。それを感じて、ふと思いつくことがあった。 「これなら、行けるかもしれません……」 私はもう一度、策を練ることにした。やはり彼が欲しいことには変わりないのだ。 □ 一度は失敗したが、もう二度は失敗しない。私の姿は例の交差点を見下ろすビルの屋上にあった。 以前に老婆を巻き込もうとしたときは、巻き込む人間が一人だから避けられたのだ。今度は助けるべき人間が複数いる。さて、彼はどうするというのだろうか? 私の視線の先には小学生の集団がいた。夕方には少し早いという時間、子どもたちの賑やかな声が向こうから近づいてくる。 そして例の達磨氏は、横断歩道に黄色の旗を持って立っていた。あの旗は横断歩道を渡る際に子どもたちが渡っていることを分かりやすく示して、車に轢かれないようにするためのものであるらしい。達磨は心優しく、そして社会貢献も積極的に行える良き青年なのである。 そこにつけ入る先がある。小学生の集団が横断歩道を渡っているとき、達磨は当然小学生たちとともに横断歩道にいる。ということは先の老婆の時とは違い、守るべき人間が複数いるということだ。 尊い犠牲と言うのは戦いにはいつもつきものだ。未来のための犠牲は、必要なものなのである。幼児たちには精いっぱいの弔いを行うことにしようと、私は早くも成功した先を見据えていた。 「ぐへへへ、あの筋肉がついに私のものに……首輪のリードを引いてもらいたい……」 思わず考えていることと違う言葉が出てしまったが、魔王を倒すその戦いを、すでに経験したことのように頭に浮かんでいた。 小学生の集団が手をあげて、横断歩道に差し掛かる。達磨はにこやかに挨拶をしながら、小学生の横断に合わせて旗を差し出す。さぁ今こそ、トラックの餌食になるのです! 私は兼ねてから考えていた計画を実行する。 横断歩道から見て坂の上にある工事現場に停めてあるトラック、正確に言うとトラックよりも大きな、土砂を運ぶダンプカーと言うものらしいが、そこにごく微小の雷撃魔法をかける。機械的な誤作動を引き起こしたトラックは、ブレーキの故障を引き起こし、坂の下まで転がり落ちていくという算段だ。 計画通り、微小の電撃を帯びたダンプカーは、少しずつ坂を下っていく。工事の人たちが勝手に下っていく車に焦っているのを尻目に、私はその光景にほくそ笑む。このことを生涯忘れることはないだろう。なにせ、約束された未来への始まりなのだから。 「危ない!」 その時だった。旗を放り投げると同時に達磨の叫びが聞こえたと思いきや、彼はダンプカーのほうに走り出していた。 「ぐっ」 彼の手とダンプカーがぶつかり合う。あの巨体、あの重量を己の体躯ひとつで停めようというのだ。くぐもった声が少し離れた場所にいるこちらにも聞こえてくるようだった。そして、咆哮。 「ぐおおおおおおおおおおおッッ!!」 戦いに慣れた私ですら聞いたことがないような、命を燃やす叫び声とともに、彼の履物からは火花が散る。無謀にすら思えたその行為だが、やがて坂を降り切って横断歩道までの直線区間を迎えると、急激にそのスピードは下がっていく。 「うおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!!!」 更に、咆哮。まさしく鬼神のごとき顔面に、私は鳥肌が立っていた。彼は生身の人間だ。何の能力もない。誰とも知れない人のために、自分の命さえかなぐり捨てられる。その精神に感服していた。 腰を抜かした複数の幼児が座り込んでいるところまで、あと靴の長さくらいというところで、暴走トラックの勢いは止まった。燃えかけた履物から煙を燻らせながら、彼は膝をついて子どもたちに手を伸ばした。 私はそれを、絵画のようだと思った。教会の礼拝堂の壁面に飾られるような、救済の絵画。眼前の出来事を、私の脳はもはや現実のものとして認識していなかった。 私は彼の力を前にして唖然とするとともに、やはりこの人しかいないという思いを新たにした。と同時に、どうやっても彼を異世界に連れていくことなどできないのではないかと言う思いに駆られた。 彼の周りには人だかりができ、口々に称賛の言葉が掛けられている。照れくさそうに応じる彼はこの世界の財産だ。異世界に連れていく方法が見つからないのもそうだが、この世界から彼を奪ってしまうことの罪深さを、初めて実感した。 私は憔悴と諦観に苛まれながら、黙ってその場を後にするしかなかった。 □ 「さて、どうしましょうか……」 私は公園のベンチに座って一人ごちていた。少し前にも同じことをつぶやいていたが、今度は性質が全く異なる。前回が難題に立ち向かうべく算段を練る良質な悩みだとすれば、今回のものはどうしたらいいのか途方に暮れるものだ。 クオンという世界の行く末を一人で背負ってこんな遠くまでやって来たが、これからどうすればいいのかわからない。まったく情けないことだと、自分でも思う。 一度クオンに帰ってやり直すか、または内 達磨という稀有な人物からは潔く身を引いて別の人物を新たに探すか、もしくは他のスカウトマンに投げてしまうか。そんな投げやりな気持ちになっている時だった。 「ああ、いらっしゃった」 ベンチに座っていた私に声をかけたのは、誰であろう内 達磨その人であった。微笑をたたえたその表情は、私を気遣っているのがありありと見て取れた。 「やはり、貴方の悩んでいる様子が気になりまして」 「どうしてそんなにも私を?」 「いつも不安げな貴方を見ていましたから」 私の心がすっと落ち着いた。この世界には私を知っている人は一人もいなかった。誰にも頼れない中で一人奮闘していたわけだが、それは自分では気づいていなかったが、無理をしていたようであった。それを気遣ってくれる人がこの異世界でもいることに、私は安堵したのかもしれない。 私は全てを話すことにした。この世界の有名な童話でもあるように、自分の正体を明かしたところで、泡になって消えるわけでもあるまい。 「私はサーシャ・ド・エムワースと言います。クオンと言う、この世界から見ると違う世界から来ました」 私の世界のこと、私の使命、私が日本に来た理由、私がなぜあなたと接触したのか、そして、貴方の身になぜトラックが二度も突っ込んできたのかを。 達磨は黙って私の話を聞いていた。さながら懺悔である。異世界に連れていくために仕方ないとはいえ、主観的に見れば意図的に彼を殺害しようとしているように見えるだろう。 「これが私が申し上げられる全てのことです。」 全てを話し終えて、私はすっきりとした気持ちでいた。こんな荒唐無稽な話、信じてはもらえないだろう。だからこれは私の独りよがりだ。私が気持ちよくなるためだけの、ただの自己満足。とりあえず、クオンに戻ろう。私は率直にそう思った。 しかし、いくら待っても私の話に対する反応がない。心配になって彼の表情をうかがうと、彼は私を笑うでもなく、神妙な面持ちでいた。そして、何か考えるような素振りをした後、私に提案をした。 「私はそちらの世界のことは何もわからないので、見当はずれなことを言うかもしれませんが」 「はい」 「貴方が異世界から通ってきた道を、私が通って行くことはできないのですか?」 盲点だった。私も達磨をクオンに送った後、転送用の魔法でクオンへと戻るつもりだった。そこに二人入ってはいけないということはあるまい。私の魔法力も二人分程度であれば送ることはできる。 人二人をクオンに送ることは確かにできる。しかし、その時にどんなことが起きるのかは、先駆者がいないので誰にも分らない。ましてや能力の発現がきちんと起こってくれるのか、とても心配だった。私はとりあえず曖昧な返事をする。 「……可能です。しかし、慣習としてトラックを使用した異世界転移が、最も能力が発現しやすいと言われているんです」 「でもそれは、ただの慣習ですよね? 何か根拠があって、確かめられているわけではないのですよね?」 「それは、そうですけれど……」 私は怖かったのだ。私の魔王討伐の旅への不安もそうだが、何の能力も顕現しないまま異世界へと渡った達磨が、どのような扱いを受けるのか、それが想像できないわけではなかった。 私の不安な心は表情に出ていただろう。しかし、それを達磨は優しい表情で包んでくれた。 「自分の力を過信するわけではないですが、私の力は強くなりすぎた。秩序を重んじるこの世界では、戦う相手もいない。それはあまりに、寂しいことなのです」 確かに、あのダンプカーを腕っぷし一つで停めて見せるだけの剛腕と、老婆を抱えてトラックを避けるしなやかさがあれば、能力などなくと通用するだろう。何となくだが、そんな気がした。 「最悪、能力が顕現しなくとも、この腕なら何とかなるでしょう」 彼が腕を曲げると、上腕二頭筋と三頭筋が盛り上がる。三角筋もそれに連動した動きをする。私はそれに見入ってしまった。あの腕で抱きしめられて、それで締め上げられたい、と。 「あ、ああ、そうですね」 「お供しましょう。魔王討伐の戦いとやらに」 「え、ええ」 私はたぶん生返事だったろう。しかし、私の心は高ぶっていた。この筋肉――ではなく、彼そのものに賭けてみることにした。慣習なんて、伝統なんてクソ食らえだ。 ~~ 一年後 ~~ 私の身はクオンの王宮にいた。なんやかんやあって魔王は私と達磨で倒すことに成功し、その祝賀パーティーが開かれている。 こういったことにはあまり興味はないが、なにぶんクオン王もいらっしゃるので、出席するより他はない。昨日の夜も遅くまで起きていたので、あまり無理をしない程度に帰ろうと思う。 「トラックを使わずに勇者を喚ぶなどと、慣習を無視したその行いは当初こそ批判されど、結果的には我が世界に協力的かつ強き人物を選び取ることとなり、前例のない中で勇気ある行動であった」 「はい」 「そして、魔王は倒された。そなたらの奮戦のおかげじゃ」 王が私と達磨に向かって謝辞を述べる。私もそれなりに頑張ったが、真に傷つき奮戦したのは達磨のほうだ。達磨をもっと褒めてやってほしい。 結果的にだが、達磨にも能力は顕現した。その腕力としなやかさにさらに波導――達磨の言葉を借りれば、自分の「気」を顕現させて打ち出すものらしい――が加わった。それがトラックを使っての能力顕現とどのような差異があったのかは分からないが、とにもかくにも魔王を倒すことには成功したので、比較をすることに意味はないだろう。 「よき臣下を持ってわしは幸せじゃ。たんと褒美をとらせるぞ」 褒美よりも、早く屋敷に帰って達磨と過ごしたいなと、私は素直に思った。まあこれだけ一緒にいれば、そういう関係にもなろうし、異世界からの勇者と優秀な魔法使いの婚姻と言うのは、優れた血を残すという世間的な意味合いでも、歓迎されることでもある。 だけど、彼と私の関係はそんな政略結婚じみたものでは決してない。彼と出会ったあの時からこうなる予感はしていたし、おそらく彼もそうだろう。出会うべくして私たちは出会ったのだ。 「しかし、高潔な人格や、ニホンと言ったか、かの地での力など、発現する能力と比すれば些事にすぎぬ。これで能力が顕現しなければ、そなたも針の筵であったことであろう。もしや、クオンに来ることによって優れた能力を発現するであろうという確信があったのかな?」 王が私に問う。そんな疑問ははるか以前に解消している。だから私は自信たっぷりに言うのだった。 「いいえ、どんな能力が顕現するかなど、微塵も考えていませんでした」 「ほう?」 そして私は続ける。 「そんなことよりも、私の正しい清らかな心と運命が、強き力を持ったこの方を選んだのです」 その瞬間、王宮は歓声に包まれた。私と達磨はお互いに見合って、そして微笑みあうのだった。 □ その後の晩餐会でのこと、ある知り合いの貴族の令嬢に尋ねられた。 「ところで、ときにサーシャ様、お聞きしたいことがあるのですが?」 「何ですか?」 「毎夜、サーシャ様の屋敷から犬のような鳴き声が聞こえるのですが、犬を飼いはじめられたのですか?」 「……犬、ですか?」 「ええ。こう、キャンキャンとか、アオンアオンとか。なぜだか虐められているような声がして、気になっているのですが……」 「…………あ、ああ、そ、そそそそそんなところなんです! ええ、そうなんです、犬を飼いまして! 決して、決して犬のような『何か』ではありませんことよ! お、おほほほほほほほほ」 「……変なサーシャ様」 私の正しく清らかな心は、微塵も疑われてはいないようだった。 了 |
すぎ ik2.dp2Hck 2021年05月02日 21時55分18秒 公開 ■この作品の著作権は すぎ ik2.dp2Hck さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2021年05月30日 23時06分19秒 | |||
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Re: | 2021年05月30日 23時05分28秒 | |||
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Re: | 2021年05月24日 00時26分32秒 | |||
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Re: | 2021年05月24日 00時25分59秒 | |||
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Re: | 2021年05月24日 00時25分44秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 13時19分56秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 13時19分26秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 13時18分51秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 12時22分05秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 12時21分48秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 12時21分08秒 | |||
合計 | 13人 | 180点 |
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