ヴァンプ・スレイ・ヴァンプ |
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序:4月1日 「緊急ニュースです。 今日、2025年4月1日午前9時ごろ、ジョーカー元大統領が何者かに銃撃されました」 リベラルで知られるニュースキャスターの横に動画が開く。 たまたま居合わせた一般市民の撮影だろう。手ブレが酷いが、体格の良い老人が自分の胸に手を当てるのははっきりと見える。その手の下から、抑えきれないほどの血が溢れはじめたのも。 誰かの――あるいは撮影者か?――の悲鳴。 崩れ落ちる老人を駆け付けた男が抱きとめる。 おそらくはSPか。老人よりもなお体格がいい。 SPが口を開くと、彼らの周りに赤い靄がかかった。 しかし、老人が閉じかけていた目を見開いて何かを告げる。 何を言ったのかは悲鳴に(既に悲鳴を上げているのは一人ではない)かき消されて聞こえない。 「ジョーカー元大統領はフロリダ州立病院に搬送され、現在措置を受けていますが、病院到着時には既に心肺停止していたとの情報も入っています。これはエイプリルフールではありません。 繰り返します。今日、2025年4月1日午前9時ごろ、ジョーカー前大統領が何者かに銃撃されました……」 ニュースキャスターの隠し切れていない「ざまぁみろ」感と、どう見ても必要ないエイプリルフールへの言及がネットでちょっと炎上したが、世界のほとんどの人間にとってはそれだけだった。 ここから先は、「それだけ」で済まなかった者たちの物語だ。 つまり、ごく一部の人間と――――吸血鬼の。 1:ヴァンパイア・ザ・マスクド 男は運命のように扉を叩いた。つまり、4連打の余韻が消えるのを待ってからわずかにテンポを落としてもう4連打。 もう4連打必要かと男が拳を固めたところで、入室許可のホログラムが扉の前に浮かぶ。 なぜ言葉で「入っていい」と言わなかったのかは開いた扉を見ればわかるだろう。ダブルパッキンの防音扉が2枚重ね。先ほどのノックも、室内までは響いていなかったのは間違いない。 「こんな時間に俺を呼び出すなんて、常識をどこに置き忘れた?」 マスク越しで少しくぐもった声でそうこぼしながら、男は帽子とコートをコート掛けに引っ掛ける。 5月の昼日中に真っ黒なロングコートを着ている者に常識を語る資格があるだろうか? 黒いコートとは対照的に、男の肌は白かった。明らかに東アジア系の顔つきと、細身であっても決して華奢ではない体つきには似合っていない。どこか病的な肌色に、真紅のサージカルマスクが良く映える。 Vウィルス禍も概ね落ち着いた昨今であるが、未だ日常的にマスクをつけ続ける者たちはいる。ある者は健康のため、ある者は単にメイクや髭剃りをさぼるため、ある者はファッションとして。 「平日の午後3時に上司が部下を呼びつけるのは、人間社会じゃ常識的なふるまいだ」 男のボヤキに応えたのは、スーツをまとった初老の男性。しっかりとノリの利いたワイシャツにセミウィンザーで締められた薄いグレーのネクタイ。角ばった黒縁眼鏡、グレーがかった髪はキッチリ七三に撫でつけられている。ガラスケースに入れれば、『ジャパニーズサラリーマン』の札をつけてスミソニアンに展示できるだろう。 「それは部下が人間の時だ。俺と侯爵夫人の逢瀬を邪魔する権利はあんたにゃないはずだぜ、左門」 男がサングラスを外すと、その瞳が真紅であることが分かる。サングラスを胸ポケットにしまいながら、男は左門の横でノートPCを開いている女秘書に笑いかけた、のだろう。赤いサージカルマスクを、裏から二本の牙が押し上げる。 賢明な読者の皆様にはもうお分かりだろう。男は吸血鬼だ。マスクはファッションだけではなく、うっかり牙を見られないための物でもある。 「あのメスブタを侯爵夫人なんて呼ぶのはあなたぐらいよ」 若い秘書が拗ねたように口をとがらせる。若干色黒の肌とハッキリした目鼻立ちが、南国の雰囲気を醸し出す。タイトスカートのスーツに包まれた肉体だけみればそれなりに成熟しているのだが、ティーンじみた態度が色気を打ち消している。 吸血鬼はまたかと言わんばかりに肩をすくめて、子供にするように言い聞かせた。 「彼女への侮辱は止めてくれ、千草。俺が日本国民をやっていられるのは侯爵夫人のおかげなんだから」 その口調が、ますます千草を拗ねさせる。一人の女として扱ってほしい相手から子ども扱いされては拗ねるのも当然ではある。そんな反応しかできないあたりが子供っぽいのだが。 「いつものじゃれ合いはそれぐらいにしてくれ。VIPがお待ちだ」 左門が指を鳴らすと、秘書とは逆の側にホログラムが浮かぶ。浅黒い肌をした女性。決して若くは無いが、活力を失うほど老いてもいない。むしろ、老いは彼女に知恵と威厳を与えていた。 『お久しぶりね、英武』 声にいささか疲れが混じったのは、時間のせいだろう。日本は昼下がりだが一万㎞向こうの彼女にとっては深夜のはずだ。 名前を呼ばれた英武はさすがに居住まいをただして座りなおす。それでも、彼女の肩書を考えればラフに過ぎる態度ではあったが。 「そうだな、パドマ。いや、今はマダム・プレジデントか。就任祝いも送らなくて済まないね」 『これまで通りパドマでいいわよ。あなたから何か届くと意味深すぎるわ』 男から女へのプレゼントなら、その意味の深さなどたかが知れている。しかし、日本国保有の吸血鬼から、米国初の女性大統領へのプレゼントとなると、どういう意味があるのかシンクタンクでも議論が百出するだろう。 「違いない。では、あなたの頼みを聞くことでプレゼントの代わりとしようか」 『あら、聞く前からそんなこと言うと後悔するわよ』 「かもね。でも、どうせ俺に拒否権なんて無いんだろう?」 正しい推測と言わざるを得ない。形式上はともかく、実質的には。 それを知っているから、パドマは空しい慰めの言葉などは言わず、動画を再生させる。ジョーカー元大統領が撃たれた時の動画だ。 「ああ、これなら何度も見たよ。気の毒だったな」 『誰に言ってる?』 わずかに笑みを含んだ大統領の問いに、英武は撃たれた大統領を支える男を指さす。 「このSPに。護衛対象をみすみす暗殺されたんじゃ、解雇確定だろう」 『彼が解雇されることはないわ。貴重なエルダー・ヴァンパイアだもの』 そう言われて、英武は改めて画面を注視する。Vウィルス禍で掃いて捨てるほど生まれたニオファイトらならともかく、エルダー同士は基本的に全員顔見知りだ。 『顔を変えてるから分からないかもしれないけど、プルフラスよ』 「ワラキア戦争以降会ってなかったけど、ずいぶんイケメンになっちゃって」 「エルダー・ヴァンパイアを、元大統領の護衛につけるとはずいぶんと、その、豪勢ですな」 左門の言葉を選んだコメントに、パドマは苦笑した。もちろん彼女は、左門が何を言おうとして言葉を飲み込んだのか理解している。 『プルフラス本人からの強い希望だったから仕方なく、ね。もちろん、専属と言うわけでもなかったのだけれど』 ニオファイトはせいぜい人間に毛が生えた程度だが、エルダー・ヴァンパイアは核兵器よりも厄介だというのが国際戦略的な評価である。それを退任した大統領の護衛に使うというのは明らかにコストと釣り合わない。 「で、これがどうしたんだい? ジョーカーが殺されたのは、あんたにとっちゃ願ったりかなったりだろう?」 『とジョーカー派は思ってるわね』 もううんざり、とパドマが肩をすくめる。 ネット上の陰謀論サイトでは、彼女がこの暗殺の糸を引いたことになっているのだ。 「そうでもない、と?」 『2024年の共和党候補に選ばれなかった時点で、彼の政治的価値は終わってる。今更私が、スキャンダルのリスクを冒して彼を殺す理由なんてないの』 熱狂的ファンたちがどう思おうと、現実は素っ気ない。いや、ファンたちですら今回は議事堂を占拠すべきだとは思わなかったのだから、やはり熱は冷めているのだ。 「じゃあ、犯人を捕まえたい?」 『それはFBIにやらせてあげなきゃ』 「じゃあ何なの、ですか」 ギリギリで敬語を思い出した千草に視線をやった後、パドマは長く沈黙した。 マグカップからコーヒーを一口すすってから、パドマはようやく口を開く。 『プルフラスは今、米国の管理下に無いわ』 カフェインの助力が無ければ言えなかった、そう言い訳するに足る内容だ。 『米国管理下の吸血鬼が何人か心臓に杭を打たれて滅ぼされているのが確認されたのが一昨日、その中にプルフラスが居なくて、彼の行方が分からなくなっていることが分かったのが昨日』 「彼の居場所が分かったのが?」 『3時間前よ。どこだと思う?』 「見当もつかんね。自由の女神のスカートの陰にでも隠れてたのかい?」 英武の下手なジョークに、それでもパドマはクスリと笑った。彼女がこれから告げる事実に比べれば、はるかにユーモアにあふれていたからだ。 『ノースコリアよ』 たっぷり3呼吸は場が凍り付いた。パドマはもう一口コーヒーをすする。 「酷いジョークだ。ラジー賞ものだよ。プルフラスってのはワラキア戦争の壮行会で、ロシア代表も中国代表もいるのに星条旗よ永遠なれをアカペラでやった奴だぜ」 『ジョークだと嬉しいわね。私も情報長官を叱りつけるだけで済むし』 「人権が安い国の方が吸血鬼を飼うコストは安い。ノースコリアの方にはプルフラスを抱え込む動機はある。吸血鬼不拡散条約も、彼らは気にせんだろうしな」 輸血パックで我慢できるニオファイトと違い、エルダーは定期的に生き血を直接人間から吸わねばならない。人命が高くなった欧州では保有吸血鬼数の削減も検討対象だ。逆に、人命さえ供給できるなら吸血鬼は核より簡単に運用できる。 「核の次は吸血鬼って理屈は分かるけど……あいつの愛国心はどうなったんだ?」 「ジョーカー元大統領への個人崇拝にすり替えられたんだろう。どちらにしろ、ノースコリアがこれ以上カードを得るのは日本としても容認できない」 『理解が早くて助かるわ。米国大統領として、日本国保有吸血鬼・赤戸英武によるプルフラスの排除を提案します』 対等の同盟国として提案の形をとってはいるが、拒否できるような内容ではない。最初に英武が見抜いた通りだ。 「バルバトスとフラウロスは?」 英武の問いに、パドマは答えないことで答える。 本来なら沖縄駐在の米国ヴァンパイアがこの件の担当だったはずだ。同盟国とはいえ他国任せにする意味など無い。 この作戦に参加しないということは、バルバトスとフラウロスはおそらく本国に呼び戻されている。つまり呼び戻さなければならない事情がある。 そこまで想像を巡らせて、英武は顔をしかめた。 「そんなにか!」 呼び戻さねば本国の防衛網を維持できないほどの数のヴァンパイアがプルフラスによって滅ぼされた。そんなことは、決してパドマは認めないだろう。 『侵入の助けとして中国の国家主席に話はつけておいたわ。必要書類は、今日中にそちらに届くはず。プルフラスの個人データもね』 罪滅ぼしの意をこめてか、バックアップだけは十分なことを認めて、左門は決断する。 「提案を受け入れます。高くつきますよ」 『そこは、あなた方の上と話をさせてもらうわ。じゃあね、英武。あなたの侯爵夫人にもよろしく』 パドマのホログラムが消える。事態を解決できる人物に預け、彼女はようやく休むことができる。 預けられた方の吸血鬼は、大きく息をついて天井を仰いだ。紫外線を含まない人工の光は、彼の白すぎる肌にも優しい。 「やれやれ、良い事が1つしかない会談だったな」 「1つ?」 問う千草に、英武はマスクの下でニヤリと笑って見せた。 「侯爵夫人と呼ぶのは俺だけじゃない」 2:北に向かって撃て! 画面に映し出された千草は、シャツ1枚の姿だった。 シャワーを終えたばかりなのだろう。ベッドに座って、ボブカットの髪をドライヤーで乾かしている。 少年は英武に向かって唇の前に人差し指を立てて見せた。黙っていろ、のジェスチャーだ。 英武が肩をすくめて承諾すると、少年は千草に話しかける。 「どうだい、ピョンヤンのホテルは」 『思ってたよりは悪くないわ。VIP待遇だからかしら』 ドライヤーを止め、胸のあたりを掻く千草。シャツの下の小ぶりな胸が指の動きに逆らうように揺れた。 中国政府が用意した偽身分は共産党幹部の子女のものだった。何も知らない素人でも怪しまれにくく、それなりにいい待遇が保証される。その代わり、ある程度若くないと難しいという事で千草が抜擢されたのだ。 「行って良かったじゃん。普段はVIP待遇なんて到底ありえないだろ?」 『逆に気持ち悪い。お父様に宜しくとか言われても、ね』 「そっか、パパに伝えとく」 『面倒にしかならないから止めろ、バカルル』 ルルと呼ばれた少年は、頭の後ろに(笑)とホログラムを表示する。もっとも、英武からはその文字も頭も透けてその向こうの画面が見えているのだが。 そう、少年の姿自体がホログラムなのだ。 『絶対言っちゃダメだからね』 「うん、言わない。でも、僕らのパパは僕のメモリの完全な閲覧権限があるけど」 千草の父は情報工学研究者であり、人工知能R.U.R――つまりルルの本体の開発者である。それを知った時から、ルルは千草と姉弟だと称している。もちろん、母と離婚した父の事を千草が大っ嫌いなことまで知ったうえで。 「で、ナチのサイボーグの話は聞き出せた?」 『……なんでナチ? 吸血鬼でしょ?』 「いやー、もらったデータ見てたら『プルフラスのサイボーグ化の基本技術は、スターリングラードでソ連軍が鹵獲したナチスのサイボーグをベースにしている』って書いてあってさ。ナチでソ連で吸血鬼でサイボーグだよ。20世紀のハリウッド映画みたい!」 無駄にはしゃぐAIのホログラムに対して、21世紀生まれの女スパイは眉をしかめる。 『えらくアナクロな……。なんでソ連が入手した技術でアメリカ保有の吸血鬼が改造されてるのよ』 「さー? ペレストロイカの時にでもパチったんじゃない?」 『いつの話よ……』 英武にとってはごく最近の事だったので、古い話扱いされたことにショックを受ける。これがジェネレーションギャップというものだ。 『どっちにしろ、情報らしい情報なんて聞けてないわよ』 英武のショックなど知らない千草は、ベッドの上で四つん這いになり背中をそらす。伸びをする猫のように、背骨が緩やかな弧を描く。 「まあ、アメリカからの亡命吸血鬼受け入れてますなんて、たとえ知っててもガキんちょに話すことじゃないよね」 『そういう事。そもそも、私のメインの仕事は情報収集じゃないでしょ? 早く英武につないでよ』 さっきから聞いてるぞ、と言おうとした英武の目の前にW1Mの3文字が浮かぶ。Wait 1 minutes、つまり『もうちょっと待て』だ。 そうして稼いだ一瞬で 「ところでさ、その体操はおっぱい大きくするやつ? ウェブで検索したけど、効果イマイチみたいだよ」 『……見えてるの?』 「うん、英武もさっきから見てるよ」 次の瞬間の千草の動きは、本物の猫よりも素早かった。ベッドから飛び降りながらシーツを引っぺがして身体を隠し、首を振って周囲を確認する。 『なっ、ちょっ! 映像はついてないって言ってたくせに』 「俺もそう聞いていたな」 1分は経っていないがもう喋ってよかろう、と英武も会話に加わる。 「嘘じゃないよ。千草に渡した通信機には映像送受信機能はついてない」 「じゃあ、なんで見えるんだ?」 「それはね、千草の部屋に仕掛けられてる隠しカメラの映像を引っ張ってきてるから」 『嘘っ! ホテル着いてすぐマニュアル通りに探したのに』 中国からの紹介状があっても、ノースコリア側が一定の警戒を止めるはずはない。盗聴器も隠しカメラもあるのが前提であり、通信機をONにする前にそれらを停止させるよう教え込んではいたのだ。 教わったからと言って、最初から完璧にできる人間など存在しないが。 「視点から推測すると、鏡がマジックミラーでその奥に仕込んであるんだと思うよ。マニュアルにも書いといた手口だけど」 『うう……いつから見てたのよ』 「千草が通信機のスイッチ入れてからしか、英武には見せてないよ」 『あんたはそれ以上見てるって事ね。スケベ!』 顔を赤くして、隠しカメラを睨みつける千草。ちょっと視線が下にずれているのはご愛敬か。 非難されたルルの方は、悪戯が上手くハマったことに満足してニヤニヤ笑うのみだ。 「アーカイブから拾えたからねー。で、そういう状態だからさ、さっさと要件済ませた方がいいと思うよ」 冗談めかしてはいるが、今の千草はいつ憲兵に踏み込まれてもおかしくない状態だ。ノースコリアの隠しカメラの前で、日本のスパイであることをバッチリ暴露してしまったのだから。 『あうぅぅ』 シーツにくるまったまま千草は一つ深呼吸をすると立ち上がり、鏡の前まで来るとちょっと上目遣いにカメラを見る。 『英武、聞いてる?』 「ああ」 『ちゃんと、助けに来てよね』 「任せろ」 要件とはこれだ。これが、英武ではなく千草が潜入工作員に選ばれた理由だ。 吸血鬼は招待なしに他者のテリトリーに踏み込めない。誰かが先にノースコリア領土内に入り、英武を招く必要があった。 きちんと己の仕事を果たした千草に、英武は娘にするように――もちろん英武は娘も息子も持ったことはなかったが――優しく声をかける。 「そして、早く服を着ろ。風邪ひくぞ」 『バカッ』 鏡にシーツがかけられ、通信が切れる。 千草のこれからの待遇を思うと、英武の死したる心臓が動きを早める。 ルルがサッと手を振ると、照明が付く。 照らし出されたのは、狭い部屋といくつものコンピュータ、そして床に半ば埋まるようにして伸びる大きな円筒。 轟々と唸る風と揺れる床が、彼らが地上にいないことを教えていた。 「さて、こんなこともあろうかと僕らは既に日本海上空で待機していたわけですが」 「どれぐらい予想していた?」 「82%でこうなるだろうなーって思ってた。訓練時間10時間程度の素人スパイで上手く行くわけないよね」 専門家を借りられれば良かったのだが、事態の機密性と縦割り行政がそれを阻んだ。その時出来るベストを尽くしたなら、結果が出た後に悔やんでも仕方がない。 「じゃあ、さっさと行くぞ」 「うん、行ってらっしゃい」 他人事のように言うルルを、英武はホログラムに過ぎないと知りつつ睨みつける。 「あのさ、無人機とはいえ日本から飛んだ飛行機が堂々と領空侵犯するのはマズいんだよ。今も200海里キープ中なんだよ」 「無人機扱いか……」 AIにも吸血鬼にも人権は無い。法的な人が乗っていないなら、法的には無人機である。酷い話だと思われるかもしれないが。 「なので、こんなこともあろうかと開発しておいた汎用吸血鬼輸送システムを今こそ使うときだと思うわけ」 ルルの言葉に応えるように、床に埋め込まれた円柱の一部が開く。その中にはもう一回り細い円柱が入っており、さらにそれが開く。 さらにその中にも……とはならず、たっぷりのクッションが顔を見せた。 また、英武の目の前にホログラムのディスプレイが浮かび、いくつもの枝分かれを持った筒が表示される。 「直径800mm、長さ2500mmのカプセルに吸血鬼を入れ、チューブ内で燃焼ガス圧を複数回かけることにより毎秒3.6㎞まで加速。空気抵抗を考えても、この高度があれば英武を300㎞向こうのノースコリア本土まで届けられる。名付けてブルズレガシー!」 無意味に斜め上を見つめ、幻の拳を握りしめるルルに、英武は冷たい視線を送った。 ホログラムディスプレイ上では、アニメーションが繰り返し動作機構を説明している。 「人生経験の足りないAIに教えてやるが、これは『人間大砲』というんだ」 火薬の爆発が複数回あるので、正確には『人間ムカデ砲』とでも呼ぶべきだろうか。 「そんな、人間をこれに乗せて打ち出したら、中でミンチになって着弾時には上手に焼けましたーになるだけだよ。そんな非人道的なこと、ボクできないっ」 雄々しく握りしめていた拳を口元にあて、ぷるぷる首をふるルル。 「吸血鬼相手ならいいのか」 「だって、死なないでしょ」 吸血鬼を真の意味で殺すには、誰かが殺害の意図をもって白木の杭を吸血鬼の心臓に刺し込まなければならない。 「白木の杭は英武が持ってるやつしかないし。英武を殺したくて仕方ない奴が入り込む物理的隙間もない。念のため、ちゃんと故郷の土も敷いておいたし」 死ななくても、損傷が大きければ活動不能にはなる。そんなときでも、故郷の土の上でしばらく眠れば回復できる。 流石AIの立案だけあって、論理的には穴は無い。打ち出される方の心理はあまり、というか全く考慮されていないが。 「死なないのは死なないが、痛いのは痛いんだぞ」 「大丈夫だよ。ちゃんとカプセル表面に『私はヘルメスの鳥』って書いてあるから」 「それで何が大丈夫になるんだっ」 「文句があるなら、イルカの血でも吸ってヴァンパイアイルカにして背中に乗っていけば?」 「人間以外は血を吸ってもヴァンパイアにはならないんだよっ!」 駄々をこねている――とルルには思える――英武を黙らせるため、話を逸らす、いや、戻す。 「早くしないと、千草がノースコリアの兵隊につかまって色々されちゃうよ?」 「それは無い、ようにわざと色々話したろ」 「お、流石にわかる?」 分かっていなかったのは、千草ぐらいだろう。盗み聞きをされているとわかった時点で、ルルは作戦を変更した。聞いているノースコリアの兵隊に、自分では判断しきれないと思う程度の情報をわざと聞かせることで、現場判断で千草に暴行を働くのを止めさせたのだ。 上司の判断待ちの間は変に手を出したりはするまい。後で機関銃で銃殺刑にはされたくないだろうから。 「だが……」 「73.4%の確率で何もしないままプルフラスに引き渡されるけど、そっから先の保証はないね」 人間の、特に組織人の動きはたっぷりデータがあるのでシミュレートできるのだが、吸血鬼となると途端にデータが不足する。 限界を露呈するAIを、同族と接した経験豊かな吸血鬼がフォローする。 「すぐに血を吸うことはない、と思うが」 「そうなの?」 「吸血鬼と言うのは、美学という非効率にこだわるやつが多くてね」 せっかく得た、敵と個人的な繋がりがある美女だ。単に捕まえてすぐに血を吸ってポイ、とはせず、もっとドラマチックな場面を待ちたい。吸血鬼とはそういう思考をするものなのだ。 「英武もその一員の癖に」 「俺は、他の吸血鬼からは変態扱いだからなぁ」 「ボクは可愛いと思うけどね、侯爵夫人」 同時に変態扱いする吸血鬼の気持ちの方もわかるが、それは友情に免じて口には出さない。 「やらんぞ」 「英武が帰ってこなかったらもらうよ」 独占欲をむき出しにする400歳の吸血鬼に、3歳のAIは遠回しなエールを送った。 3:ヤンク・ガール・ウィズ・パイル 夜のピョンヤンは暗い。 旧世紀末から指摘されてきた事実ではあるが、2020年のVウィルス禍以降はますますひどくなった。 夜道を照らす灯りに回すリソースを、核ミサイルにつぎ込むのがこの国のやり方なのだから仕方がない。逆に「星が見える首都」とでも言ってやれば少しはイメージアップになるかもしれない。 まだ空の低いところでグズグズしている少し欠けた月を眺めながら英武は歩く。人間大砲で受けたダメージはもうすっかり回復しているが、少しばかり血を飲み貯めておきたいところだった。 もちろん砲弾の中には輸血パックも入っていたのだが、あんなマズいもので我慢できるのはニオファイトどもぐらいだ。 しかし、そこらの市民を襲って血を吸うのは3重の意味でマズい。 つまり、下手な騒ぎを起こして後の行動をやりにくくするのは良くないし、侯爵夫人以外の血を飲むのも気が咎める。そして、多分ろくなものを食べていないノースコリアの血は英武の舌には合わない。 食欲と倫理感の狭間に悩みうつむきながら歩いていた英武だったが、ふと聞こえた音に顔を上げた。ピンヒールがアスファルトを叩く足音だ。 そこにいたのは、アメリカンな美女だった。 へそ出しのTシャツの胸にはI♡USAの文字が歪んで鎮座している。 なぜ歪んでいるかって? 裏側から胸で押し上げられているからさ。皮のジャケットも着ているが、ボタンが閉まらないことは確実である。 下半身は股下0センチのデニムのホットパンツ。元々の長身を、ピンヒールのブーツがさらにかさ上げしている。 ブロンドの長髪をかき上げてウィンクを一つ。 「はぁい、お兄さん。いい男ね。ちょっと一緒にの……」 「貴様のような一般人がいるか!」 ツッコミと一緒に、英武は近くの石を蹴り飛ばす。 顔面直撃間違いなしのコースだったが、女は素早く横に避けた。 赤い霧だけがその場に残る。 「ブラガイズで人間のふりしてターゲットに近づくって考え方自体は間違いじゃないんだけどな」 昼間も普通に活動したいというニオファイトの要求にこたえて開発されたのがコンシーリング・コスメのブラガイズだ。つけている間は身体能力も人間並みに落ちる代わりに日光の下で問題なく活動できる。吸血鬼としての力を発揮しようとすると、赤い霧になって剥がれ落ちてしまうが。 つまり、女は吸血鬼だ。 「ホットパンツのブロンドがピョンヤンの夜を独り歩きとか不自然極まりないだろ。真昼間のテキサスじゃないんだぞ」 もっとも、東アジア系とはいえ黒いスーツに紅いマスクの英武がピョンヤンにふさわしいかと言うと微妙なところである。昼間ならバッチリ目立って憲兵につかまっていただろう。 「フロリダよ」 問われたわけでもない出身地を言い返し、女吸血鬼は頬を膨らませる。 「あーあ、せっかくセリフ考えてきたんだから、最後まで言わせてよ」 「言いたきゃ言えよ。自由の国の出身だろ」 「一緒に飲まない――あなたの血をね!って噛みつくの。どう? どう?」 牙をむき出しにして笑う女吸血鬼。化粧で派手に見えるが、意外と幼いのかもしれない。 あるいは単に、胸に栄養を取られて脳みそに回らなかったかだ。 「最悪なセンスだな。せめて香水を変えてこい」 「Sangシリーズはお嫌い?」 フランスのブランドでからヴァンパイア向けとして発売されている、血の匂いを売りにした香水だ。ニオファイトにはなかなか受けがいいのだが、 「マスク越しですらケミカル臭がする。ブラガイズの臭いと混ざって最悪だ。吸血鬼の調香師ってのはいないのか?」 「居ても、メスブタの香りは作ってくれないわよ、お爺ちゃん」 女吸血鬼の挑発にあえて乗り、英武は5mはあった距離を一瞬で詰める。首を鷲掴みにするのを狙ったのだが、爪は完全に空を切った。 「ふん、足は悪くないな」 「老眼で動きが見えなかったって素直に言ったら?」 右側1.5m、間合いと言うには少し遠いところに女吸血鬼はいた。 「吸血鬼の中じゃ俺ぐらいは若い方……とはもう言えないのか」 「むしろ、現存最年長グループでしょ。プルフラス様から聞いてるわ。『サムライ・ヴァンプ』『ワラキアの英雄』『ベイン・オブ・ドラクラ』『トーキョーハウンド』『吸血鬼殺しの吸血鬼』アカド・エイブ」 最近はめったに呼ばれない懐かしのあだ名に、英武はマスクの下で口角を緩ませた。 まだ女吸血鬼が何か言いたそうにしているのを察して、先を促してやる。 「それだけ?」 「あと、『吸血鬼としての誇りを捨てた救いようのないド変態』」 せっかく取っておいた蔑称だったが、とっくに言われ慣れていた英武は鼻で笑って返す。 「『誇り』ね。首輪をはめられた犬同士で、比べる誇りなんてあるものか」 「プルフラス様は違うっ!!」 激昂した女吸血鬼が拳を固める。 「凶弾に倒れたジョーカー大統領の末期の血を飲み! その遺志を継ぎ! 吸血鬼が夜を! 人間が昼を支配する!」 顔を、顎を、胸を、腹を、滅多打ちに殴りつける。 「偉大なるアメリカを再実現される方だ!」 みぞおちへの一撃の反動を使い、女吸血鬼は半歩だけ下がる。 逃げるためではない。次の一撃に必要な間合いのために。 「今こそ、その時なんだ!」 前蹴りのつま先が、奇麗に英武の股間をとらえた。 誰でも悶絶するに違いない一撃。 ――ただし、人間の男ならば。 「パピーはジョーカー派かい。まだ居たんだねぇ」 苦笑すらはらむ呑気な物言い。古き吸血鬼には急所すら意味を持たないのか! 思わず息をのみ、動きを止めた女吸血鬼の足を、英武の右手がつかむ。 「しかし、プルフラスに習わなかったのかい。吸血鬼同士の戦いで、素手打撃なんて愛撫のようなもの。例えば仮にこんなことをしても」 英武は右手を握る。 大して力を込めているようには見えないが、その指があっさりとブーツに食い込む。 補強に入っている鉄板がひしゃげる。その下にある足ごと。 女吸血鬼の悲鳴と足指の骨が砕ける鈍い音が和音となる。 英武はマスクの奥で嗤う。 ブーツの皮が破け、血がほとばしった。 吸血鬼の血が、月を赤く反射する。 「大したダメージにはならない。痛いことは痛いがね」 女吸血鬼が後ろに下がろうとしたので、英武が素直に手を離してやる。 後ろに飛び退った女吸血鬼は、そのまま尻餅をついた。 「ほら、さっさと足を再生させろ。立ち上がれ。杭を構えろ。まさかそれすら持たせてもらえなかったなんてことはあるまいね、パピー?」 マスクの下で英武が大きく口を開き、真紅のマスクに牙が浮き出る。 威嚇か? あるいは、単に欠伸をしただけかもしれない。 「化け物めっ……」 そう言いながらも、女吸血鬼は言われたとおりにした。 壊れたブーツを引きちぎるように捨て、足を再生させる。 左足のブーツも脱ぎ、手に下げたまま立ち上がる。 右手にはどこに持っていたのか白木の杭を握っている。 「パピーももう化け物の一員だ」 人間は砕かれた足を数秒で再生出来たりはしない。そんなことができるのは化け物だけだ。 それでも、女吸血鬼は否定する。大きく振りかぶった杭で英武の胸を狙いながら叫ぶ。 「私は化け物じゃない! 新しいアメリカを作るための戦士だ。ジョーカー大統領の夢、人間と吸血鬼が対等に暮らせるアメリカを。プルフラス様はそう約束した!」 「できんよ」 英武は両の拳で杭を打つ。必殺の武器である白木の杭も、心臓にさららなければ何の意味もない。拳の間で砕けて木くずになるだけだ。 「化け物が人を食らう限り、人が化け物の殺し方を知っている限り、人と化け物に『対等』などありはしない。死か服従か」 「ならばっ!」 その声は、後ろから聞こえた。手に持った杭は最初から囮だったのだ。 女吸血鬼本人は英武の後ろに回って、脱いだブーツを構えている。 ブーツで何ができるか、と思われるかもしれない。しかし、ヒールに白木の杭が仕込まれていれば話は別だ。 「ならば、我らが支配する!」 女吸血鬼は英武の背中にブーツを振り下ろした。 4.深夜の決闘 満月から数日分欠けた月は、ようやく中天に上って荒野を見下ろしていた。 さほど大きくは無いが洋館が鎮座し、その周囲に枯草と枯れ木だけが侍る、生命というものを忘れてしまったかのような場所。 それも仕方がないのだろう。生きていると言えるのは洋館のバルコニーにて十字架に縛り付けられている千草だけだ。 枯れ木の陰から顔を出した者も、また生きてはいなかった。月明かりにブロンドをなびかせる女吸血鬼。 その顔を認め、バルコニーのロッキングチェアに座っていた男が立ち上がった。 鍛えられた肉体を包むのは、米国陸軍の礼装。その胸には、彼が捧げてきた忠誠の分だけ勲章が付けられている。 その両手は銀色をしていた。風変わりな手袋、ではない。自らの肉体すらも国にささげ、機械に改造されたサイボーグの証だ。 短く角刈りにされた髪の割には肌が白い。赤の瞳も、エルダー・ヴァンパイアにはよく見られる特徴だ。 プルフラスは精悍な顔に、我が意を得たりと笑みを浮かべた。 では、ピョンヤンの戦いを制したのは女吸血鬼だったのか? 我らが赤戸・英武はノースコリアに散り、千草は勝利の美酒となり果ててしまうのか!? 否。 女吸血鬼は確かに顔を出したが、顔だけだった。 その顔の下に、豊満であった体は無い。 うつろな表情をしたその顔を支えるのは、夜空より昏いスーツに身を包んだ男の腕であった。 「来たか、エイブ。道案内は役目を果たしたようだな」 遠来の友を迎えるかのように、プルフラスが声を弾ませる。 「お招き感謝するよ、プルフラス。戦友を迎えるなら、もうちょっと場所を選んだ方がいいと思うがね」 皮肉を言いながら、英武は役目を果たした頭を握りつぶす。 「Covfefe!」 奇妙な断末魔を遺し、女吸血鬼の首は赤い霧に変じた。それもすぐに風に吹かれてどこかへ消える。 「中々に惨いことをする」 「惨いのはお前の方だろう。故郷の土も持ってきてないそうじゃないか」 心臓に杭を打たれたわけでは無いので、女吸血鬼も完全に滅んだわけでは無い。しかし、肉体が完全に破壊されたからには故郷の土の上で時間をかけなければ再生はできない。霧の姿でフロリダに帰り着くまで、果たして何年かかるか。 もっとも、英武もプルフラスもそんなことに興味は持っていなかった。 「千草は無事か」 「拘束はしたが、それ以上の手は出していない。あらゆる意味で」 十字架に縛り付けられた千草は、英武に向かって何か言おうとしているが、猿轡に阻まれている。 ムームー唸っているようにしか聞こえないが、英武は分かったというように頷いた。どうせ、「早く助けなさい」とかそういう事を言ってるに違いないので、実際に聞く必要は無い。 「まあ、あんたの好みじゃないもんな」 「お前の好みでもないだろう? 侯爵夫人とは似ても似つかぬ」 唸るのをやめ、複雑な顔をする千草。 英武の好みでないのは嫌だが、侯爵夫人に似ているとも言われたくない。そんな乙女心のなせる所業である。 もっとも、エルダー・ヴァンパイアたちは見てもいないが。 「プルフラス、何故だ」 言葉少なに問う英武。 その答えとばかりに、プルフラスは一本の指で天を指した。 「アメリカは偉大でなければならない。ジョーカー元大統領にだけそれが出来たのに」 「”元”じゃ何もできない。死人になっちゃあ、なおさらだ」 「そうだな。だから吾輩が継ぐ。新たな偉大なるアメリカを、ここから作り直す」 そう説くプルフラスの胸には勲章が所狭しと並んでいる。国から離れておきながら、その国への献身の証を捨てられない哀れな矛盾。 英武はそれとは違う矛盾をかぎ取っていた。だがまだ輪郭がつかめないので問いを続ける。 「アメリカ大陸から遠く離れたノースコリアで?」 「ジョンウンはジョーカー元大統領の友人でね。協力を約束してくれた。こんな風にな」 プルフラスが牙を見せて笑い、指を鳴らす。その残響が夜空に消えるより早く、異変が起こった。 洋館が震える。 バルコニーの左右に伸びる屋根にいくつもの切れ目が入り、轟音を立てて動き出す。 崩壊? 違う、上へだ! 洋館の両翼と見えていた建造物は、今や塔のように空に伸びていた。 いや、塔ではない。 塔ならば先端が5つに分かれたりはしない。 手だ。カリカチュアめいた無骨な手が、月を握りつぶすように拳を作る。 「な、なんだこりゃぁ!」 英武が驚きの声をあげる。これだけ素直に驚かされたのはワラキア戦争の最終盤でドラクラと一騎打ちをして以来だ。 その驚きをさらに倍化させようと、洋館がさらに変形する。 中央に残ったエントランスホール。その屋根が割れ、中から球体がせり出す。 それはおおむね人の顔のように見えた。 横長の切れ込みが目で、その下の中央にある穴が口。両横から張り出したアンテナが耳。 切れ込みの奥の輝く点が、巨人の瞳のように英武を見据える。 洋館は今や人型巨大ロボットであった。 その胸に位置するバルコニーで、狂信的愛国者は高らかに笑う。 「驚くことはないだろう、エイブ。お前の国の特産品だ」 「んなわけない、たぶん、違うんじゃないかな、うんまあそういう感じで」 反射的にツッコんだが、色々思い出すほどに勢いが薄れる英武。 そして、一つ違和感に気づいた。 「というか、上半身だけ? 未完成品か?」 「足など不要! イェン=グーはこの状態で、この状態でこそ100%の力が出せる!」 プルフラスの言葉に応えるように、洋館、いやイェン=グーは英武に向かって拳を突き出す。 直径1mを超える拳はまともに避けるには大きすぎる。だが、英武もまた拳を固めた。 イェン=グーの表面は決して丈夫ではないと見切ったのだ。 内部フレームはもう少し頑丈であろうが、古き吸血鬼の膂力ならば決して対抗できないものではない。 だがその読みは、拳と拳が合わさった瞬間に砕け散る。 英武の拳は、表面の漆喰にすら傷1つつけることなく弾かれる。 瞬時に後ろに飛んで勢いを殺さなければ、この一撃で勝負が決していたかもしれない。 「これは……まさか!」 驚愕する英武。拳の感触は、明らかに漆喰のものではなかった。 いや、物理的なものですらない。 精神的な――あるいは世界法則的な。 英武が吸血鬼であること自体がイェン=グーの拳を傷つけることを阻んでいた。 そういう感触を、英武は知っている! 「もし足があれば、自由に大地を歩けたならば、こうは言えなかっただろう。だが、動かぬ以上は、吾輩は胸を張って断言する」 英武が理解したことを理解して、プルフラスは勝ち誇る。 「これなるは対吸血鬼用人型決戦屋敷、イェン=グー! 我がテリトリーであり、お前の侵入を許すつもりは一切ない!」 テリトリー内の誰かの許しを得なければ、他者のテリトリーに踏み込むことはできない。 エルダー・ヴァンパイアの制約を逆手に取った完全防御。 「巨大ロボを、家だと? イカレたホワイトハウスだな」 嫌味のつもりだったが、勝利を確信したプルフラスは鷹揚に切り返す。 「いいアイディアだ。ワシントンに移設した時には、白く塗らせよう」 「青地に白星、赤のストライプか? テロリストが喜んで壊しに来そうだな」 言葉のついでに、白木の杭を投げる。パピーのヒールに仕込まれていたものを持ってきていたのだ。しかし、プルフラスからは大きく逸れ、十字架のそばに突き刺さって終わる。 「悪あがきだな、エイブ。投げた杭では滅びの意志が足りないから吸血鬼を殺せない。イェン=グーを破壊しつくすほどの杭の持ち合わせはあるまい?」 「それはそっちも同じだろ。その巨大ロボの拳に白木の杭が仕込んであるようには見えないぜ」 「そこは確かに欠点だな。だが、補う方法はある」 プルフラスは体の前で腕を交差させ、二本のダガーを同時に抜き放った。刀身下部に平行に伸びた二本の棒と、それを繋ぐような握りを持つ、奇妙な形状。ジャダマハル、あるいはパンチング・ダガーとも呼ばれる武器だ。拳を突き出す動きが、そのまま刀身での刺突になる。 そして、刀身を形作るのは鋼ではなく、木材。月の光を白く柔らかく照り返す。 「そういや、カタールのプルフラスってあだ名だっけ。ロボから降りて殴り合いをするかい?」 「カタールではない、ジャダマハルだ。そしてっ!」 プルフラスの上着の袖がはじけ飛ぶ。 かわし切れなかった英武の頬を、ジャダマハルの切っ先が軽くえぐる。紅いマスクの紐に、もっと赤い血の雫がしみ込んだ。 プルフラスの腕が伸びたのだ。バルコニーに立つプルフラスと、地に転がる英武の距離は、高さも含めて5mを超える。吸血鬼でもそんなことは出来はしない。しかし、 「私がサイボーグであることを大統領から聞かなかったか?」 「ずっけぇ!」 腕を打ち出すのではなく伸ばしている以上、ジャダマハルには十分に滅びの意志が乗る。 つまり、心臓に刺されば吸血鬼を滅ぼせる。 このまま英武はアウトレンジから一方的に嬲り殺されるのか? 近づこうとしても、イェン=グーに阻まれる。 建造物を破壊できるような大型兵器を使えば話は別だが、そんな持ち合わせがあるわけない。 絶望的状況! しかし、英武には先ほど感じた違和感の輪郭が見え始めていた。 「撃たれたジョーカー元大統領の末期の血を飲んだって本当かい?」 さりげなく『元』を強調しながら問う。 「真実だ。残念なことに元大統領を吸血鬼に転化させるには間に合わなかった。しかし、彼の理想は、その血と共に吾輩が受け継いだ」 パピーがそうだったように、熱心なジョーカー派はジョーカー大統領と呼ぶ。2020年の大統領選挙が不正なもので、正当な大統領はまだジョーカーだと信じているからだ。それが全くの幻想にすぎなくとも。 「嘘をつくなよ。感染力の弱いニオファイトならともかく、俺やあんたのようなエルダーがそのつもりで血を飲めば、あのタイミングで転化が間に合わないなんてことはない」 プルフラスの顔色がはっきりと変わる。 「黙れ!」 「当てて見せよう、プルフラス。元大統領はあの時あんたにこう言ったんだ」 「黙れ黙れ黙れ黙れ!」 プルフラスの叩きつけた拳が、バルコニーの柵に致命的なヒビを入れる。 ジョーカー派のものとはまたと違う、プルフラスだけの幻想。 それを壊す最後のキーワードが、真紅のマスクを通して放たれる。 「『寄るな、化け物』ってね」 「U FXXKING PIG SUCKER!!!!」 激昂するサイボーグ吸血鬼。 バルコニーの柵が砕け、破片が雪のように舞い散る。 英武は屋敷の扉に向かって距離を詰める。 策と言えるほどのものはないが、それでも前に進まなければ何も出来はしない。 だが、その進路は巨拳で阻まれる。 「Make!」 イェン=グーの右拳が扉を守るように英武の前に落ちる。 「America!」 左拳は英武の後ろ。 「Special!」 プルフラスの礼服の、残った左の袖もはじけ飛ぶ。 「Agaaaaaaaiiiiiiiiiin!!!!」 右腕を伸ばして刺突、左腕を伸ばして刺突。 右刺突、左刺突、右、左、右左右左右左、RLRLRLRLRLR! イェン=グーの両拳の間に生じた連打による圧倒的槍衾はまさに白木の杭による破壊空間! 逃げることすらかなわない攻撃密度に、英武の鮮血がしぶく。 だが、次の瞬間驚きに目を見開くのはプルフラスの方であった。 自分の眼前、わずか1mほどの空中に真紅のマスクがあったのだ。 いったい何が起こったのか。読者の中にエルダー・ヴァンパイア級の動体視力の持ち主がおられればご覧になれただろう。 プルフラスのジャダマハルが英武の脇をえぐった瞬間、英武はプルフラスの腕にしがみついたのだ。 伸ばした腕は次の刺突のために引き戻さなければならない。伸びきったゴムが縮むように戻る力をそのまま利用し、英武は宙を舞った! その右手には、いつの間にか白木の杭が握られている。 しかし、それをプルフラスに突き立てることができるだろうか? イェン=グーのテリトリーによる防御はいまだ健在なのだ。 そら、バルコニーの柵があったところで、杭の先端が曲がり始めている! 勢いをつけて空を飛んだとて、吸血鬼の在り方を変えられるわけでは無い。 その時かすかに、だが間違いなく声がした。 「早く助けに来てよ、英武!」 曲がりかけていた杭がまっすぐに戻り、プルフラスの胸に叩きつけられる。 英武自身はまだバルコニーに残っている柵の残骸を掴み、プルフラスを飛び越えてバルコニーの奥に着地する。十字架にかけられた千草のそばに! 「まったく、もっと早く呼んでくれよ」 「普通の女の子は、顔のすぐそばを白木の杭がかすめていったら気絶していいことになってるの!」 千草の頬には浅く線状の擦過傷がある。英武が投げた白木の杭が、猿轡をちぎった時についたのだ。 「普通?」 普通の女の子は、ノースコリアにスパイに入って捕まったりしないし、助けに来た吸血鬼にため口で文句を言ったりしない。 からかいながらも、英武は千草の拘束を爪で切り裂いて外す。 「さ、その辺に隠れてな」 「え、もう終わったんじゃないの?」 「いいや」 心臓に杭を打たれた吸血鬼は、灰になって散る。 しかし、プルフラスにその様子はない。 ゆっくりと英武に向き直るその胸から、先の砕けた杭が落ちた。 「やれやれ、サイボーグでなければ即死だった。してやられたよエイブ。さすがはドラクラ殺しだ」 プルフラスは英武を賞賛しながら残った礼服をはぎ取る。 あらわになった両肩から金属の筒のようなものが伸び、胸をカバーする椀に繋がっている。 左の筒が少しへこんでいるのは、さっき杭に当たったからだろう。 「そんなパーツで心臓をガードしてたってわけか。用意周到だな」 英武は千草を物陰に突き押し、顔をしかめた。 さっきのプルフラスの攻撃で肋骨が数本折れているのだ。再生まで少し時間を稼ぎたい。 しかし、それを見越したプルフラスは両手のジャダマハルを構える。 「違う。これはガードのためのパーツではない!」 金属筒が椀ごと肩上に展開する。 椀の表面に張られているのはポリカーボネートの透明板。その奥には大きな電球! 「このプルフラスのサイボーグボディは、対吸血鬼戦闘を念頭に作られておるのだ! くらえぃ、太陽光照射装置ィィィ!」 電球が輝き、両肩の椀から光の帯が放たれる。 太陽光はそれだけで致命打にはならない。しかし、気軽に浴びられるものでもない。 事実、光を浴びせられた英武の左手はあっという間に真っ黒に焦げはじめた! 英武は袖口に手を入れると、引き抜いた刀で光を切り裂いた。 実際には、刀身で光を反射した隙に射線から外れたに過ぎない。 しかし、光を切り裂けると思わせるだけの冴えがある刀だ。 刀長二尺一寸、鍔元から中ほどまでは片刃で強めに反るが、その先はほぼ真っ直ぐな両刃となる鋒両刃造。 これだけでも珍しいというに足るが、この刀を唯一無二にしている特徴があった。 中ほどまでは鋼で出来ているが、切っ先部分は白木で出来た木刀なのだ。 「それが、ドラクラの心臓を貫いたというサムライソードか」 「祓魔刀”白鴉”。うちのエンジニアに無理言って作ってもらったお気に入りさ」 プルフラスは太陽光の照射を止めた。 おそらく、太陽光の連続照射はできないのだろう。 「あんたを討つよ、プルフラス。ドラクラと同じところまで堕ちたことが分かったから」 そう言いながらも、英武斬りかかるのではなく、白鴉を構えなおすに留めた。 焦げた左手の肌が元の白さに戻っていく。 「堕ちたのではない。理解したのだ。人間は、我々の餌でしかない」 「俺らが餌だと思う限り、彼らは俺らを殺しに来る。それが出来るようになった時点で、俺たちが絶対強者だった時代は終わってるんだよ」 さほど広くもないバルコニーで、互いに向かい合ったままジリジリと間合いを探る。 「だから、奴らの犬になるのか? 肉を投げられるのを伏して待ち望む生活に満足か?」 「服従じゃないさ。互いに理解し、利用し合う。それが共存ってものだ」 「それを拒んだのは人間だ! 奴らは結局、我々を理解しようなどとしない!」 信じた理想に裏切られたサイボーグ吸血鬼が牙をむきだす。 多くの人間が、その顔に恐れを感じるだろう。 「拒まれたのは、あんたが人食いの化け物だからだよ」 その表情を正しく読み解ける吸血鬼は視線に憐れみを込めた。 理解しないのはプルフラスも同じだ。プルフラスも英武も長く生きすぎている。食われる恐怖におびえる存在だった頃のことを忘れてしまう程度には。 「そう思うのは、お前が誇りを無くしたからだ!」 プルフラスの両肩の電球に灯がともる。 「Make America Special FOOOooooEVERRRRrrrrrrr!!!!」 左右に移動すれば照射装置の太陽光に焼かれ、下がっても伸びる腕に追いつかれる。そして、さっきよりはるかに短い間合いの分だけ連打速度が上がっている。 まさしく必殺の攻撃を、英武は自ら光の帯に飛び込むことで避けた。 皮膚があちこち焦げることは構わず、目だけは白鴉でガードして光帯を抜ける。 プルフラスは左肩の照射装置を英武に向けた。向けようとした。 しかし、白木の杭を受けて歪んでいた金属筒が急な動きに耐えきれずもげる。 白鴉を平に構えて突きかかる英武。 プルフラスはとっさに左のジャダマハルを引き戻して心臓を守り、伸びきっていた右は無理やり横振りに変えて英武の心臓を狙う。 英武の左手が白鴉の柄を離れるのを見て、プルフラスは笑った。 左手を犠牲にして心臓を守るつもりだと見たのだ。片手かつ防御を考えた突きではプルフラスの心臓を貫くには足らない。 だが、違った。 さらに勢いを増した白鴉の切っ先はジャダマハルを砕いてなお勢いを失わず、肋骨の隙間をすり抜けてプルフラスの心臓を貫く。 英武が片手を離したのは、最後の最後でもう一歩踏み込み、体を回転させる力まで突きに乗せるため。 しかしそれは、横からくるもう一本のジャダマハルに対して自分の心臓をまともにさらけ出す動きでもある。プルフラスのジャダマハルは、確かに英武の胸に突き刺さっていた。 二人の動きが止まり、沈黙が場に落ちる。 ややあって沈黙を破ったのはプルフラスだった。 「相、討ちか。悪くは、ない」 貫かれた心臓から灰化が始まっており、言葉を紡ぐことすら辛い。 「良いわけないだろ」 対する英武の言葉は明瞭だった。 生身の部分から灰化の煙があがるプルフラスとは違い、英武は流血こそしているが灰化の兆候はない。 プルフラスはかすむ目を見開いて原因を探す。 それは、英武の左手に握られていた。 拳ほどの大きさで、無数の血管に覆われ、脈動するごとに鮮血を吹き出す肉塊。 間違いなく、心臓。 むろん、プルフラスのものではない。それはもう完全に灰になり果てた。 「自分、の、心臓を、だと!?」 こんなことをすれば、人間なら即死だろう。 だが、吸血鬼ならば。白木の杭で貫かれたわけでは無いのだから、死にはしない。 「ドラクラにやられた手でね。あんたが先にあばらを砕いてくれてたおかげで抜き取りやすかったよ」 理屈では理解できても、実行する者が居たことが信じられない。そんな顔でプルフラスは最後の言葉を放つ 「ばけ、もの……」 「そうだな。だが、」 プルフラスの吸血鬼の部分が完全に灰と化し、機械のパーツがバラバラと床に落ちる。 英武はジャダマハルを抜き取り、心臓を胸に押し込んだ。 血管はすぐに再生してつながるが、送り出すべき血が足りない。 そこに、物陰に隠れていた千草が顔を出した。 恐る恐るであった表情が、英武だけが残っているのを見て、屈託のない笑顔に変わる。 なんて魅力的な笑顔。 そして、なんて魅力的な首筋。 乙女の細い首に口づけをしたなら、どんなに香しいだろう。 張りのある肌に己の牙を食い込ませたなら、どんなに心躍るだろう。 あふれ出る鮮血をすすったなら、どんなに甘いだろう。 だが、 英武はマスクの下で歯を食いしばって笑みを作った。 「だが、人と生きる化け物だ」 千草が駆け寄ってくるのを見ながら、英武は薄れる意識を手放した。 終:トーキョーM〇●N 侯爵夫人はベッドの中で目を覚ました。 いつの間にか日はとっぷりと暮れていて、満月から半分細った月が彼女の顔を照らしたからだ。 ふと横を見れば、愛しい英武の寝顔がある。 マスクを外した英武の口から、長い牙がこぼれている。 侯爵夫人は、爪の先で英武の口を閉じさせた。寝ている間に口の中が乾くのはよろしくない。 常であればこの時間にはとっくに目を覚ましているのだが、よほど疲れているのだろうか、唇に触れられてなお英武が起きる気配はない。 起きる気になれないのは侯爵夫人も同じだった。帰ってきた彼にたっぷりと血を与えたからだ。 気だるさに身を任せようとした時、自分を起こした月明かりが英武の顔に忍び寄るのを見て、侯爵夫人はぷぎぃと鳴いた。 音声操作に反応してカーテンがひとりでに閉まるのを確認し、侯爵夫人は瞼を閉じる。 彼女は豚だ。遺伝子組み換えで人間の骨髄を持ち、人と同じ血が体を巡っていても。 だから、英武がどこで何をしてきたのかは知る由もない。 しかし、英武が彼女を必要としていることは知っていて、それに満足していた。 侯爵夫人の爪が英武のはだけた胸を撫でる。 そこにはもう、何の傷跡も残っていなかった。 |
ワルプルギス JL2b9/UVEM 2021年05月01日 22時25分58秒 公開 ■この作品の著作権は ワルプルギス JL2b9/UVEM さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2021年05月23日 12時15分54秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 11時36分42秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 09時25分10秒 | |||
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Re: | 2021年05月23日 08時47分43秒 | |||
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Re: | 2021年05月22日 11時57分12秒 | |||
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Re: | 2021年05月22日 11時30分36秒 | |||
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Re: | 2021年05月20日 20時19分43秒 | |||
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Re: | 2021年05月20日 20時08分55秒 | |||
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Re: | 2021年05月20日 20時03分49秒 | |||
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Re: | 2021年05月18日 20時17分01秒 | |||
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Re: | 2021年05月18日 19時57分29秒 | |||
合計 | 11人 | 190点 |
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