若宮公園のヒーロー |
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1.ヒーロー推参 塾に行ったら休みだった。 休みなら休みって誰か教えてくれればいいのにって思ったけど、教えてくれるような「誰か」なんて居ないことに思い至り苦笑いをする。 何しろ、この春、中学生になったお祝いに買ってもらった僕のスマホには、父さんと母さんの番号とメアドとラインぐらいしか登録されてないのだから。 しょうがない、帰って明日の予習でもするか、なんて思いつつ家路へと足を進めるうち、そういえばこの先を曲がると、小学校のころによく遊びに行った『若宮公園(わかみやこうえん)』って公園があったことを思い出す。 その公園で、よくヒーローごっこをしたものだった。 日曜の朝にやってるテレビ番組のヒーローの仮面を画用紙に描き、水彩絵の具でキレイに色を塗って厚紙に貼りつけて作ったお手製の仮面をつけて、すべり台の上から「とう!」なんて叫んで砂場へとよく飛び降りたっけ。 僕の名前が、鈴木雷太(すずき らいた)だから、自分のことを「仮面ライタ」なんて呼んじゃって。 「雷(いかずち)の戦士・仮面ライタ見参!」って叫んでは悦に入っていたんだった。 中学生になった今、思い出すと、恥ずかしい黒歴史でしかないけれど、ふと、あの公園がまだ変わってないのかななんて思って、行ってみたくなった。 家に帰るにはちょっとばかり遠回りになるけど、ほんの五、六分といったところだ。勉強には差しさわりはないだろう。 そう考えて僕は『若宮公園』へと踵を返した。 いつも曲がるのとは一本手前の道を曲がり、二区画ほど行ったところに、若宮公園はあった。 すべり台も、砂場も、ちょっと傾いたブランコも、小学生のときのそのままだった。 この公園に来るのはあの事故があって以来だから一年ぶりぐらいだろうか。 そこはかとなく懐かしいななんて思って眺めていると、砂場で遊んでいた小学校低学年ぐらいの男の子と女の子が、なにやら言い争いを始めた。 どうやら二人で棒倒しをしていて、男の子がズルをしたらしい。それを女の子が咎めているという、どこの公園でも見かけるような子供らしい小さないさかいだった。 こういうとき『仮面ライタ』になって、よく仲裁に入ったっけな。お手製の仮面をつけて、すべり台の上に現れて。 「シャキーン!」 そうそう、自分で効果音なんかつけてって――え”? 僕は両眼とも2.0のわが目を疑って、すべり台の上を二度見した。 小学校のころ、僕がヒーローの恰好をして飛び降りたすべり台。 その上に、仮面をつけた女子がいた。 ピンク色したピッチピチの長袖Tシャツに体操着の短パン。そして、Tシャツと同じピンクのタイツを履いた女子がビシっとポーズを決める。 「天に星、地に花、人に(ここでタメて)愛!」 ピンク色の仮面女子が、台詞に合わせて両手で星、花、そしてハート(愛のつもり)を素早く形作る。続いて、ぽかんとした顔で見上げる子供たちに決めの台詞。 「愛の戦士・仮面アイダーここに推参!」 決まったとばかりのドヤ顔の女子に、僕は頭を抱える。 中一にもなって、なにやってんだあいつ。 「トウッ!」 掛け声とは裏腹に、仮面の女子はお尻をついてすべり台を滑り降りると、自分で「スタッ!」と効果音をつけて砂場に立ち上がった。 高いとこが苦手なのは知ってるけど、どんくさいことこの上ないな。うん。 すると、ぽかんと口を開けたままの子供たちに向かって、仮面の女子が言った。 「これこれ、ケンカをしてはいけません」 「なんだ、コイツ。ヘンなかっこうして」 「けんちゃん。このひと、きっと、へんしつしゃだよ」 うん。まっとうな判断だ。親御さんはよい教育をしてらっしゃる。 「え? ちょっと、私は変質者ではなくて、愛の戦士・仮面アイダーで」 「へんしつしゃめ! これでもくらえ!」 「わ、やめ! 砂かけないで!」 砂場の砂をつかんでは、子供たちが投げつける。 「違うってば! 変質者じゃないってば!」 「うそだ! そのへんしつしゃのかめんがしょーこだ!」 「違うもん! 変質者の仮面じゃないもん! 女王様の仮面だもん!」 女王様の仮面? 「おばあちゃんの部屋の押し入れの奥にあった『女王様・衣装』って書いてある箱の中にあったんだもん!」 あぁ、そんな話、前に聞きましたね。 「他にもムチとかもあって」 えぇ! それってやっぱり!? 「おばあちゃんが大事にしまっておいた、由緒正しい『女王様の仮面』なんだから!」 その話、おばあちゃんの名誉のためには、吹聴しない方がいいぞ! 「うるさいやい! このへんしつしゃ!」 「こうしてやる! えい! えい!」 「ね、ねぇ、ちょっとやめて! 砂かけないでってば!」 なにやってんだか、あいつは。まぁ、助けてやるか。知らない仲じゃないし。 「えーと、君たち」 僕は、仮面の少女に砂をかけまくっている子供たちに声をかけた。 すると、 「やべ、なかまがきた!」 いや、仲間じゃないけど。そんな僕の心のつぶやきを仮面の女の子が知るはずもなく、 「あ、雷の戦士・仮面ライタ!」 人の黒歴史をほじくり返すのだった。 頼むからその名で呼ぶのをやめて欲しい。仮面すらしてないし。 「やっぱり、なかまだ! へんしつしゃのなかまだ!」 うん、そうなるよね。 「にげろー!」 「あ、まって! けんちゃん!」 すたこら逃げていく二人の背中を見送りながら、小学校のメーリングリストに変質者出現情報が載らないことを祈るのだった。 ほとぼりが覚めるまでこの辺には来ないようにしよう。そう心に難く誓っていると。 「若宮公園(ここ)で会うの久しぶりだね、仮面ライタ」 「塾に行ったら休みだったんだよ。相田(あいだ)」 僕は仮面の女の子、同級生の相田圭子(あいだ けいこ)に答えた。 「あんなことがあったし、もう来てくれないかと思ったよ。大丈夫なの?」 「ああ、へーきへーき。大丈夫だよ」 答えて、僕は右の手をぐーぱーして見せた。 しかし、中学生にもなってヒーローごっことは。 「おまえ、まだそんな恰好してんのかよ」 「しょうがないでしょ。私にかっこいいヒーローの仮面描いてくれるって約束したのに、いつまでたっても雷太君が描いてくれないんだもん」 ああ、そんな約束したっけ。 「だから、おばあちゃんの『女王様の仮面』してるんだから」 「いや、僕が言ってるのは仮面のことじゃなくて、まだ『仮面アイダー』なんてやってるのかよってことで」 「なんで? 私が『相田』で『仮面アイダー』なんだから、いいでしょ!」 なんで半ギレなんだよ。 「だいたい『愛の戦士・仮面アイダー』ってつけたの、雷太君じゃない」 そうじゃなくてだな。 「もう中学生なんだぜ? 小学生じゃあるまいし。それに――」 僕は相田のピチピチのTシャツにちらりと視線をやってから慌てて目を逸らし、そして、あさっての方へ顔を向けて視線だけを戻した。 小学生のときにピッタリだったピンクのTシャツ。そのTシャツを控えめな胸のふくらみが押し上げていた。 「そんな恰好で恥ずかしくないのかよ」 「別に、恥ずかしくないよ。小学生のときに雷太君がヒーローっぽい服、選んでくれたんだもん。なんで?」 「いや、その――」 視線の先には、ピチピチのTシャツを押し上げるふくらみの上に、二つの突起があった。 「相田は、下着つけないのかよ」 「下着?」 「それとも持ってないの?」 「?」 「ブ、ブラジャー……とか」 そこまで言って、ようやく相田は自分の恰好と、僕の視線に気がついたようだ。両腕を寄せて慌てて胸を隠し、見る間に顔を赤らめると、 「雷太君の、エッチ! スケッチ!! ワンタッチ!!!」 そう言って、一目散に逃げて行った。 なんだよ、「エッチ、スケッチ、ワンタッチ」って。 2.ヒーロー封印 その日、家に帰ってから、僕は机の引き出しの奥から引っ張り出した、お手製の仮面を手に取って眺めていた。 小学校のころ流行っていたテレビのヒーローを、見よう見まねで画用紙に描き、水彩絵の具で色を塗って厚紙に貼りつけただけの粗末な仮面。頭から被るための輪っかの部分を何度もテープで補修した跡がある。 小学生のころ、この仮面を被って、よくあの公園で遊んだ。 自分の名前をもじって『雷の戦士・仮面ライタ』なんて名乗って、公園で子供同士のもめごとが起きる度、すべり台の上からさっそうと現れてはヒーローを気取って仲裁に入った。 仲裁はうまくいったときばかりではなかったけれど、成功したときは気分がよかった。自分が本当のヒーローになった気がしてうれしかった。 そんな僕を、公園のすみっこから見ていたのが相田だった。 相田はいつもひとりだった。 ひとりぼっちで羨ましそうに、そして、淋しそうに、見ていた。 僕のことを、いつも。 僕は相田もヒーローが好きなんだろうと思った。それである日、声をかけた。 「君もヒーローになる?」 僕が聞くと、相田は戸惑ったような顔をしたあと、満面の笑顔で答えた。 「うん!」 その笑顔に、僕は怒涛のように話しかけた。 先週の放送分のあの場面がかっこよかったとか、歴代のヒーローのうち誰が好きかとか、ヒーローのことをあれこれ並べ立てた。 相田はうんうんと相槌を打ちながら聞いてくれた。 僕の話を聞くとき、相田はいつも笑顔だった。 最初に約束した通り、僕は相田をヒーローに仕立てた。 相田だから『愛の戦士・仮面アイダー』ってつけ、持っている服からヒーローっぽい服装をコーディネートし、『天に星、地に花、人に(ここでタメて)愛!』っていう決め台詞とポーズを考えた。 初めのころは小さな声しか出せなかった相田も、練習を重ねるうちに大きな声が出せるようになって、ノリノリでポーズを決めるようになった。 あの頃、僕らは公園のヒーローだった。 若宮公園に来る小学生の中で、『仮面ライタ』と『仮面アイダー』の名前を知らないものはいなかった。 相田には僕と同じ仮面を作ってやる約束をしたけれど、仮面ができるまでのつなぎで相田は例の『女王様の仮面』を家から持ってきて着けていた。 何枚か描いてやったけど、相田はその度に口ではスゴイ、カッコイイと褒める割に、もう一枚描いてとせがんだ。 そのうち、他の物も描いてと言うので、ヒーローが乗ってるバイクを描いてやった。 テレビで観たバイクを思い出し思い出し描くのは楽しかった。 相田がスゴイと褒めてくれたバイクの絵は、自分でもうまく描けたと思う。 丁度、絵画コンクールに出す絵の宿題が出てたので、相田の勧めもあって、ならばと出してみると、思いがけず金賞を貰った。 うれしかった。 好きで描いた絵が評価されて賞を貰ったのだ。うれしくないはずがない。 相田も一緒になって喜んでくれた。 それもまたうれしかった。 僕は明るいうちは若宮公園で相田と二人でヒーローごっこに興じ、暗くなって家に帰ると晩ご飯もそこそこにヒーローの絵を描くことに没頭した。 大好きなヒーローや、ヒーローが乗っているバイクや、武器や、ヒーローが守る人々や街並みを、テレビで観た映像を思い出しては手当たり次第に描いた。 出来上がった絵をコンクールに出すと、その度に賞を貰えたことが自信になり、ますます僕を絵に熱中させた。 ヒーローの絵を描くのが好きだった。 勉強なんかまるでせず、描いて描いて描きまくった。 絵画コンクールの賞状が増えるのと反比例して、わりと良かった僕の成績はだんだんと下がっていった。 ちょうど二年前、五年生の冬のことだった。成績が振るわないのを心配してか、あるいは元々そう決めていたのかわからないけれど、お父さんとお母さんは、僕に中学受験することを勧めた。お父さんとお母さんが出会った大学の付属中学だ。 入ってしまえばあとはよほどのことがない限りエスカレーター式に大学まで行くことができる。めでたくお父さんとお母さんの後輩となるわけだ。 よほどに有意義なキャンパスライフを送ったらしく、お父さんとお母さんはいかに自分たちの出身大学が素晴らしいかを得々と語った。 でも、僕が心を動かされたのは、付属の中学に入ったら、高校受験も大学受験も気にせずに好きなことが出来る。大好きなヒーローの絵が思う存分描けるという事実だった。 僕は受験することを決めた。 僕がその気になったことを喜んで、お父さんとお母さんは僕を進学塾に入れた。 毎日、学校が終わると塾に通い、家に帰るころにはとっぷりと陽が暮れていた。夕飯をとってお風呂に入り、そのあと学校と塾の宿題を済ませると、もう寝る時間だった。 ときどき勉強するのがイヤになって、塾をサボって若宮公園で相田とヒーローごっこしたり、宿題をほっぽってヒーローの絵を描いたりすることもあったけど、僕はなんとか塾通いを続けた。 そのおかげで僕の成績は持ち直し、六年生の夏休みが終わったころには希望中学の合格圏内に入っていた。 それで、調子に乗っていたんだと思う。 例のごとく勉強に飽きて塾をサボり、若宮公園で相田と二人してヒーローごっこをしているときのことだった。すべり台の上から「トウ!」と掛け声をかけて飛び降りた際、僕はバランスを崩して手をついてしまった。 さして高くもない、何度も飛び降りたことのあるすべり台だったけれど、ポキっと音がして、ついた右手はあっけなく折れた。 そのときの相田の取り乱しようと言ったらなかった。 僕の耳元で、わあわあわめいて、泣いて、泣き叫んで、その声を聞きつけた近所の人が救急車を呼んでくれて。 骨が繋がるまでの約一カ月、僕の右手はギプスで固められた。 ギブスが外れてからも、右手が元通りに動くまで更に一カ月かかった。 都合二カ月の間、僕は利き腕の使えない不自由な生活を送る羽目になった。不自由な手では勉強ははかどらず、僕の成績は伸び悩んで、合格圏内を行ったり来たりした。 ようやく右手が自由になったのは、受験のわずか一カ月前のことだった。 僕は焦って、いくら勉強しても空回りして、何も頭に入らなかった。 そして、僕は受験に失敗した。 お父さんとお母さんは、雷太はよくがんばった、アクシデントさえ無ければ合格できたはずだと慰めてくれたけど、僕以上に落胆しているのがわかった。僕はそれが辛かった。 あの日、塾をサボらなければ、若宮公園でヒーローごっこなんかしなければ、すべり台の上から飛び降りなければ、受験に失敗することなんてなかったのに。 付属中学に落ちた僕は、春から公立の中学に通うことになった。 中学に上がったとき、僕は書き溜めたヒーローの絵を捨てた。 おこづかいで買ったヒーローグッズも、絵画コンテストでもらった賞状も、全部捨てた。そして、高校でもう一度受験するから塾に通わせて欲しいとお願いした。 お父さんとお母さんは、喜んで僕を塾に通わせてくれた。 高校受験は、絶対に失敗しないと心に誓った。 それ以来、僕は公園に行かなかった。 相田とヒーローごっこをすることもなかった。 でも、 このお手製の仮面だけは、なぜか捨てられなかった。 3.ヒーロー困惑 相田が『家庭の事情』なんてわけのわからない理由で学校を休んだ。 なんだよ、家庭の事情って。 本当の理由が、僕が「ブラジャー持ってないのか?」なんてデリカシーのない質問をしたせいだとは思っていない。 もし、そうであっても、そもそも中学生にもなって、ブラジャーもしないでピチピチのTシャツを着て、ヒーローごっこなんてしている方が悪いんで、僕は悪くない。 心の中で思いつく限りの言い訳を並び立てていると、心の声が聞こえたのか、先生が罪滅ぼしの機会を与えてくれた。 「鈴木、おまえ帰り道だろ。相田にプリント持ってってくれ」 「先生、僕、塾があるんですけど」 「お前が通ってる塾、しばらく休みだぞ。経営者が脱税したとかで」 それで昨日も休みだったのか。塾を選ぶときは受験の合格率だけじゃなくて、経営面でもしっかりしたところを選ばないとだな。なんてことを考えながら先生からプリントを受け取ってカバンにしまうとき、中に仮面が入っているのに気がついた。 ヒーローごっこをするときに被っていた例のお手製の仮面だ。 どうやら昨日眺めたあと、無意識のうちにカバンに入れてしまったらしい。 まあ、いいか。別にカバンから出さなきゃ咎められたりしないだろ。 取りあえず相田に渡すプリントをカバンにしまって、僕は下校した。 若宮公園を起点にして、小学生のときに一度だけ家の前まで送って行ったときの記憶を頼りに探すと、あっけなく相田の家は見つかった。 僕の記憶力って優秀! コホンとひとつ咳払いをしてから門扉のインターホンを押すと、年配の女の人の声がした。 『はーい。どなた』 「あの、相田さんと同じクラスの鈴木といいます」 『鈴木って、鈴木雷太君?』 「はい」 まあ、小学校のときはしょっちゅう一緒に遊んでいたからな。お家の人が僕の名前を聞いていても不思議はないだろう。 『あなたが、エッチ、スケッチ、ワンタッチの雷太君ね』 相田のヤツ、お家の人になんてこと言ってるんだ! なんて、ちょっぴり憤慨していると、ガラリと玄関の引き戸が開いて、シルバーグレーの上品なおばあさんが現れた。 「雷太君、圭子は朝から出かけているのよ。母親がデパート勤めでね。平日しか休みが取れないもんだから学校を休ませて二人で出かけてるの」 ああ、それが休み理由の『家庭の事情』ってヤツか。 「もう時期帰ってくると思うから、上がって」 「いえ、僕はプリントを届けに来ただけですから」 「まあまあ、それはわざわざありがとう。上がってお茶でも飲んでってくださいな」 「いえ、あの」 「子供が遠慮するもんじゃないの。さあ、上がって上がって」 有無を言わせぬ押しに負け、僕は進められるままに家の中へと上がった。 庭に面した日当たりのいい和室に通されてふかふかの座布団に座ると、お茶を勧められる。 蓋つきの湯呑み茶碗なんてはじめてだ。 「いつも孫がお世話になってます」 孫というからには、このおばあさんが、相田のおばあちゃんなんだろう。 「いえ、こちらこそ」 するってーと、相田が押し入れの奥から引っ張り出した『女王様の仮面』は、この見るからに上品なおばあさんの所有物だったわけだ。隠された他人の秘密を盗み見したみたいで、なんだか後ろめたくて、苦し紛れに出されたお茶を一口すすった。 あ、このお茶美味しい。 お茶の良し悪しなんてわからないけど、おばあさんの入れてくれたお茶が美味しいことだけはわかった。 「圭子は引っ込み思案で、人見知りするところがあってね。あんなんでお友達ができるのかしらって心配していたんだけど、公園で友達ができたっていうんで、聞いたら雷太君って男の子だって聞いて喜んでたんですよ。いつも圭子と遊んでくれて、ありがとうね、雷太君」 「あ、はい」 「でも、気をつけてね。最近、若宮公園の近くに不審者がうろついてるんですってよ」 不審者? それって、ピッチピチのピンクの長Tを着た仮面の変質者とか? 「なんでも、毛むくじゃらの熊みたいな大きな男の人が、女の子に声をかけているらしいのよ」 あ、違った。ひょっとして昨日の小学生が通報したんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、そうじゃなくてよかった。 ほっとして、もう一口お茶を飲む。 ああ、美味しぃー。 お茶を味わいつつ、ふと、床の間に目を転じると、写真立てに入れられたいく枚もの写真が飾られているのが目に入る。 その中に、ドレスを纏った美しい女性の写真があった。 「これ、おばあさんですか?」 「あら、わかっちゃった?」 やっぱり! 「実はね、昔、一本だけ映画に出たことがあるの」 美人ですよね。 「若くして王位に就いた王女様の役でね。意中の人と一度だけ踊りたくて、身分を隠して仮面舞踏会に参加するの。そのときの写真よ」 仮面舞踏会? 「ほら、仮面を持ってるでしょ?」 見ると、写真の手に見覚えのある仮面があった。 「他にも乗馬のシーンとかあったわ。馬に乗るのに苦労してね。何回もNGを出して、やっとOKが出たときはうれしかったわ」 そうなんですか。 「撮影が終わったとき、記念にいくつか小道具をいただいたの。舞踏会で使った仮面とか、乗馬のムチとか」 あー、それで! 「箱に入れて押し入れにしまっておいたはずだけど、どこに行っちゃったかしらね」 仮面がどこにあるのかは知ってるけど、余計なことは言わないことにしよう。 「でも、なんで一本だけなんですか?」 美人さんなのに、もったいない。 「もともと、女優でもなんでもなかったのよ。監督さんが女王様役の女優さんを探してたんだけどなかなか見つからなくて、たまたま銀座にお買い物に行ったら監督さんの目に止まって、イメージにピッタリだからって口説かれて。あんまり熱心にお願いされたもんだから、一本だけならって約束で出たのよ」 そうなんですか。 「でも、人の運命ってわからないものね。この映画の音声をやっていた人と結婚するなんてね」 おばあさんは、床の間にいくつかならんだ写真のうち、若い頃のおばあさんと男の人が二人で並んで映っているスナップショットを手に取り、愛おしそうに眺めた。 「優しい人でね。この人と暮らした六年間は、本当に幸せだったわ」 六年って、それじゃぁ 「亡くなったのよ。癌で。息子がまだ小学校に上がる前だったわ」 僕はなんて言っていいかわからず黙ってしまって。 「それから一人で息子を育てたのよ。幸いこの家を残してくれたから住むところには困らなかったけど、学費や生活費は稼がなくちゃいけなくてね。息子を置いて仕事に出たのよ。あの子には寂しい思いをさせたわ」 でも、おばあさんの話には続きがあって。 「まさか、あの子まで父親と同じ病気で逝くなんてね」 おばあさんの息子さん、相田のお父さんは、相田が小学校に上がる前に、若くして癌で亡くなったのだそうだ。相田のおじいさんと同じように。 それ以来、相田の面倒はおばあさんがみて、おかあさんが働きに出ているそうだ。 「翔子さん(相田のお母さんのこと)には、まだ若いんだから、いい人がいたら幸せになってもいいのよって言ってるんだけど、圭子が私になついてるからって言ってね。息子が亡くなってもこの家に住んで相田姓のままでいてくれて。どうやら最近いい人ができたらしいんだけど、その人と一緒になって圭子を連れてこの家を出て行ったら、私が一人になっちゃうのが心配みたいでね。姑のことまで考えてくれるだなんて、息子はなんていい子を嫁にしたんだろうって思うんだけど、私にはそれがどうにも不憫で。もっと自分の幸せを考えてもいいのに」 知らなかった。 相田のことは小学校のころから知ってるけれど、ヒーローの話ばかりして、そんな話なんていっさいしたことがなかった。 「圭子も翔子さんの気持ちを汲んで、ずっとおばあちゃんと一緒がいい。苗字が変わるのなんてイヤだなんて言ってね。新しいお父さんがいた方が圭子にとってもいいだろうに。本当に母娘そろって優しい子だよ」 相田と、相田のお母さんが、おばあちゃんのことを想う気持ちが痛いほどに伝わった。 おばあちゃんが目頭を押さえ、つられて僕の目が潤んだそのとき、玄関の引き戸がガラガラと音を立てた。 「おばあちゃん!」 おばあさんを呼ぶ相田の声がして、続いて足音が近づいてきた。 「見て見て! おばあちゃん! ママにかわいいブラジャー買ってもらっちゃった!」 和室の障子戸をガラリと開けた向こうに、相田の姿があった。 「見て! フリルがついたピンクのかわいいヤツ!」 そこまで言って、相田はフリーズした。 「よ、よお、相田」 買ってもらったばかりのピンクのブラジャーを、服の上から胸に当てた形で。 「なんで雷太君が家に……」 「プリント持って来たんだ。先生が持ってけって言うから」 すると、相田の顔が見る間に真っ赤になって、そして、 「雷太君の、エッチ! スケッチ!! ワンタッチ!!!」 叫んで、ぴしゃりと障子戸を閉めた。 えーと、僕、悪くないよね? 4.ヒーロー復活 若宮公園は、住宅街にある小さな公園だ。 すべり台があって、砂場があって、鉄棒があって、ブランコがあって、遊具といったらそれだけで、あとは公衆トイレとベンチがあるだけだった。 僕は、若宮公園のベンチに腰掛けて、ほおづえをついていた。 ほおづえをついたまま、地面をぼうっと眺めて考える。 相田と相田のおかあさんに幸せになって欲しいと思う、おばあさんの気持ち。 あばあさんを一人にして淋しい想いをさせたくないと思う、相田と相田のかあさんの気持ち。 お互いがお互いのことを想っているのに、どうしてうまくいかないんだろう。 いくら考えても、ただの中学生の僕にはできることなんて見つからなくて、じゃあ、ヒーローだったらどうなんだろう? って思っても、やっぱり答えは見つからなくて、頭の中でぐるぐる考えて、考えて、考えて。 そのとき、ぼうっと眺めていた地面を二つの影が横切った。 大きな影と、小さな影。 顔を上げて影の先を目で追うと、大きな影は大人の男の人で、もう一つの小さな影は相田だった。 相田のヤツ、誰と一緒なんだろう? 目を凝らして見ても、あんなひげ面の男の人なんて見覚えがなくて――ひげ面? そう言えば、相田のおばあさんが、最近この公園の辺りを毛むくじゃらの熊みたいな大男の不審者がうろついてるって言ってたけど、ピッタリじゃないか! まさかと思って見ると、相田とひげ面の熊男は、路上駐車している自動車へと向かっていた。 これって、ヤバイんじゃない? 車なんかに乗ったら、誘拐とかせーてきぼーこーとか、とにかく警察に連絡しなきゃ! 慌ててスマホを探したけれど、見つからなくて、そこでやっと学校の机の中に置き忘れてきたことに思い当たった。 じゃあ、他に何か役に立つものがないかと思考を転換したとき、熊男の手が自動車に向けられピッという電子音の後に、ガチャッとドアが解錠される音がした。 ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ! 何かないかとカバンの中を探すと、お手製の仮面を見つける。 小学校のころヒーローごっこをしたときにつけていた仮面。 あのとき、僕は確かに公園のヒーローだった。 考えてる暇なんてない。 僕は、仮面を被ると、熊男に向かって駆け出した。 「待てぇぇぇい!」 僕が叫ぶと、後部座席のドアを開いて中に相田を押し込めようとする熊男の手が止まった。 「そのコを放せ!」 熊男のひげ面が、ゆっくりとこちらを向く。 「なんだい? 君は」 「雷(いかづち)の戦士・仮面ライタだ!」 ありったけの勇気を振り絞って叫ぶ。 すると、 「雷太君!」 車に乗り込もうとしていた相田が、僕の名を呼んだ。 「ああ、君がお友達の鈴木雷太君か」 「雷太君ではない! 雷の戦士・仮面ライタだ!」 相田のヤツ、この仮面をしているときは『仮面ライタ』だって何べんも言ったのに、久しぶりで忘れたのかよ! 「もう一度言う! 相田を開放しろ! 不審者!」 「不審者? 誰が?」 「お前のことだ! 不審者・熊男め!」 ひげ面の大男にビシっと言ってから、僕はポーズを決めて身構える。 「来い! 不審者!」 「雷太君、違うの! 小池さんは不審者じゃないの!」 「相田、お前も手伝え! 仮面アイダーに変身して、一緒に不審者・小池さんを……って、小池さん?」 「そうよ! ママの彼氏の小池さんよ!」 あ、れえええぇぇぇ??? 「初めまして、雷太君。小池です」 「あ、初めまして。鈴木雷太です」 にこやかな笑顔で右手を差し出すひげ面の熊男に、僕はぺこりと頭を下げた。 つまりは、こうだ。 小池さんは相田のおかあさんが勤めるデパートの取引先の人で、仕事上のつきあいから恋人関係へと発展した、嘘偽りのない相田のおかあさんの彼氏なのだ。 相田は今までも何度かおかあさんと小池さんと三人で会って、食事やドライブやショッピングに行っていて、今日も、小池さんの車でショッピングに出かけたのはいいけれど、帰りに送ってもらってから車の中に忘れ物をしたのに気がついて、電話して戻ってきてもらって相田が忘れ物を取りに来たところに出くわしたというわけだ。 では、おばあさんが言っていた公園付近に不審者は誰かというと、これは小池さんが犯人だった。 曰く、相田ともっと仲良くなりたくて、公園で遊んでいる同い年ぐらいの子に声をかけて、聞き込みをしていたんだとか。 「いやー、面目ない」 そう言って頭を掻くひげ面の熊男を目の当たりにすると、不審者と思われても仕方がない気がする。(失礼!) 「どうしても圭子ちゃんに、おかあさんとの結婚を賛成してもらいたくてね」 なるほど、そういうことか。 相田は小池さんとおかあさんとの結婚に反対していて、小池さんはなんとか賛成して欲しいんだけど、その理由を知らないんだ。 「小池さん、相田がなんで結婚に賛成しないか教えましょうか」 「雷太君、どうして?」 「おばあさんに聞いたんだよ。いろいろと」 「でも」 「いいじゃないか、相田。この際、思いのたけを洗いざらい吐き出した方がいいよ」 びっくりした顔の相田に本音をさらけ出した方がいいと進めると、相田も心を決めて話し始めた。 「私、ママと小池さんの結婚には賛成なの。小池さんはいい人だし、優しいし、頼りがいがあるし。小池さんのこと『パパ』って呼んでもいいなって思ってる。でも――」 そこまで言っておいて、でも口をつぐむ。 おばあさんのことがよほどに言いにくいのだろう。ヒーローとしては、ここはひとつ助け舟を出してやらないと。 「相田はおばあさんのことが心配なんです。もし相田のおかあさんが結婚したら、相田はおかあさんと一緒に今の家を出ていくことになる。そしたら、おばあさんは一人になっちゃうじゃないですか」 「そのことなら考えているよ。圭子ちゃんがいつでもおばあさんに会えるように、近くに住もうと思って探しているんだ。圭子ちゃんにとっては実のおばあさんだからね」 そっか。近くに住んでるならいつでも会える。例えば、おかあさんが仕事から帰るまで、おばあさんの家にいて、帰って来たらそっちに帰るなんてことも可能になる。 そう言えば、おばあさんが、相田のおかあさんがおばあさんのことを気にかけてるって言ってたっけ。ちゃんと考えているんだな。 って思ったんだけど。 「それだけじゃないの」 え? それだけじゃないの? 「私がひっかかってるのは、おばあちゃんのことだけじゃないの」 えーと、他に何にひっかかってるんでしょ? それが知りたくて、僕と小池さんは、相田の話を聞いた。 「ママと小池さんが結婚するとするじゃない」 うん。 「そしたら、ママは『小池』になるわけじゃない」 そだね。 「そしたら、私も『相田』から『小池』になるでしょ」 まあ、そかな。 「そしたら、私『小池圭子』になっちゃうじゃない!」 えーと、それに何か問題でも? 「上から読んでも『こいけけいこ』、下から読んでも『こいけけいこ』なんてネタみたいじゃない!」 あっけにとられた。 なんだよ、そのオモシロ名前問題は。 僕と小池さんはそろってぽかんと口を開けて、リアルに開いた口がふさがらなかった。 「私、『相田』のままがいい。今までどおり『相田圭子』の方がいい!」 冗談みたいな話だけど、でも、相田にとってはおかあさんの結婚に躊躇するほど切実な問題らしい。潤んだ瞳がそれを物語っていた。 すると、 「そうか。上から読んでも『こいけけいこ』、下から読んでも『こいけけいこ』か。こいつは気がつかなかったよ!」 そう言って、小池さんは豪快に笑った。 「もう、笑わないでください! 私、真剣に悩んでるんだから!」 「悪い悪い。名前って大事だよね。こいつは大問題だ。笑ったりしてすまなかった。謝るよ」 そう言って、小池さんは頭を下げた。 中学生だからって馬鹿にしたり、ごまかしたりしないで、ちゃんと謝れるなんて、小池さんて信頼できる大人なんだなって思えた。 「もういいです。私も気がついたときはちょっと笑っちゃったし」 「ありがとう。圭子ちゃん」 ちょっとだけまだ口をとんがらせた相田に礼を言ってから、小池さんは続けた。 「圭子ちゃんが『相田』のままがいいっていうのなら、方法を考えるよ」 「本当に?」 「本当に」 「ママが小池さんと結婚しても、私、『相田圭子』のままでいの?」 「約束する」 二度念押ししてから、相田の表情がぱっと明るくなる。 「ありがとう! 小池さ……」 そこまで言ってからうつむき、蚊の鳴くような声で続けて。 「……パパ」 「え? 圭子ちゃん、今、なんて?」 「ありがとう……パパ」 耳を澄ませてようやく聞き取れるぐらいの声だけど、相田が『パパ』と言ったのが僕にも聞こえた。 すると、 「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーッ!」 小池さんが天を仰いで叫んだ。 「パパ、約束するぞ! 娘との初めての約束だ! 絶対守るって約束するぞッ! うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーッ!」 「もう、パパったら、近所迷惑なんだから」 そう言って、相田はちょっと恥ずかしそうに、そして、嬉しそうに笑った。 「うおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーッ!」 小池さんなら、きっと約束を守ってくれるだろう。 天に向かって雄叫びを上げるひげ面の熊男が、僕にはかっこいいヒーローに見えた。 5.ヒーロー再臨 雲一つない冬晴れの日、僕は若宮公園に向かっていた。 通っていた塾は脱税騒動が収まり、とうに授業が再開していたけれど、別にサボったわけじゃない。毎日通っていたのを減らして、休みの日を作ったのだ。 高校受験の本番までには、まだ二年ぐらいあるし。 それで、塾が休みの日に、公園に寄り道しようと思ったのだけれど、今日は掃除当番が長引いて遅くなってしまった。 公園へと向かう足が自然と速くなる。 ようやく目的地にたどり着くと、小さな公園には砂場で遊ぶ小学校低学年ぐらいの子が二人いるだけだった。 「もう! けんちゃんったら、またズルして!」 「ズルなんてしてないよ!」 「した!」 「してないってば!」 「しーたッ!」 「してない!」 何やらまたもめているらしい。 すると、 「シャキーン!」 おなじみの効果音(自分の口で言った)と共に、すべり台の上に仮面のヒーローが登場する。ピンク色したピッチピチの長袖Tシャツに体操着の短パン。そして、Tシャツと同じピンクのタイツを履いたヒーローがビシっとポーズを決める。 「天に星、地に花、人に(ここでタメて)愛!」 ピンクの衣装に身を包んだ仮面のヒーローが、台詞に合わせて両手で星、花、そしてハート(愛のつもり)を素早く形作り、続いて、決めの台詞を叫ぶ。 「愛の戦士・仮面アイダーここに推参!」 決まったとばかりのドヤ顔の仮面のヒーローを、二人の小学生はげんなりとした表情で見ていた。 「トウッ!」 掛け声をかけてから、よっこらせとお尻をついてすべり台を滑り降り、「スタッ!」と効果音を口で言って立ち上がる。 相変わらずだなぁ。 「これこれ、ケンカをしてはいけません」 「なんだよ。またおまえかよ。へんしつしゃ」 「変質者ではありません。愛の戦士・仮面アイダーです!」 げんなりとした表情の小学生にめげることもなくビシっと告げる。 ブレないなぁー。 「もういいよ。へんしつしゃがきたから、うちでゲームしようぜ」 「うん!」 「いこう、りかちゃん」 「あ、けんちゃん、まってー」 さっきまで言い争いをしていた小学生は仮面のヒーローの登場に興をそがれて、二人仲良く帰って行った。 それを満足げに見送る仮面アイダー。 とりあえず、若宮公園の平和は守られたってことでいいのだろうか? 「あ、仮面ライタ」 いや、中学生の鈴木雷太だよ。仮面してないから。 「来てたんだ」 今来たばっかりだけどな。 ところで 「おかあさんたちの結婚式って、いつだっけ?」 「家の改築が終わってからだから、GWが明けてからだよ」 「そっか」 あれから話し合いが進み、とんとん拍子に相田のおかあさんとひげ面熊男の小池さんとの結婚が決まった。 課題だったおばあさんの問題と、相田のオモシロ名前問題は、裏ワザチックな方法でいっぺんに解決した。 小池さんがおばあさんの養子になって、相田のおかあさんと結婚するのだ。 そうすれば小池さんはおばあさんの息子なわけで、苗字も相田になって、おかあさんと結婚しても、相田は『相田圭子』のままなわけだ。 それで、結婚したら小池さんは今の相田の家に住むことになったんだけど、今のままだと少し手狭になるんで、その前に二世代住宅に改装しているのだった。 「よかったな、相田。オモシロ名前にならなくて」 「ホント、よかったー」 それから相田は仮面の下でちょっとだけはにかんで、 「実はね、名前が変わるのがイヤだったのには、もう一つ理由があるんだ」 なんだよ、もう一つの理由って。 「私が『相田』じゃなくなったら、もう『仮面アイダー』じゃなくなっちゃうじゃない」 そんな理由かよ。『仮面アイダー』なんて僕が適当につけたのに。 「雷太君が、私のために考えてつけてくれたんだもん。それが無くなっちゃうなんて、イヤ……だよ」 そう言って相田は、顔を真っ赤にしてうつむいた。 なにに照れてんだ? こいつ。 でも、 「なあ、相田」 「え? あ、なに?」 「俺なんかが、おかあさんの結婚式に出ていいのかな?」 「何言ってるの! おばあちゃんも、ママも、パパも、雷太君が結婚式に出てくれるの楽しみにしてるんだよ!」 そうなのか。 「披露宴で、雷(いかずち)の戦士・仮面ライタの決めポーズが見たいって言ってたよ!」 いや、それはごめん被むりたい。 「ねえ、一緒にやろうよ! こうやってさ。『愛の戦士・仮面アイダー! あーんど、雷の戦士・仮面ライタ!』って」 嬉々としてポーズを決める相田を、しかし、僕は直視できず、でも、視線だけはしっかりとある一点を見ていた。 「どうしたの?」 その不自然な視線に気がついて相田が聞く。 「いや、なんちゅうかさ。その衣装、いい加減、他のに代えない?」 「やだよ、雷太君が選んでくれたんだもん。気に入ってるんだから」 「それは小学校のときの話でさ、今は、その、下着がさ」 「下着?」 キョトンとした顔をして相田が聞いた。 「下着ならつけてるけよ?」 うん。わかるよ。だって。 「ブラジャーが透けて丸見えだから、目のやり場に困るんだよ!」 そこまで言って、ようやく相田は自分がどう見えているか認識したらしい。両腕を寄せて慌てて胸を隠し、見る間に顔を赤らめて叫んだ。 「雷太君の、エッチ! スケッチ!! ワンタッチ!!!」 そう言って、一目散に逃げて行く。 やれやれ、なんて成長しないやつだ。胸の方はちょっとは成長したみたいだけどね。 それから僕はベンチに腰掛けて、スケッチブックを取り出した。 すべり台の上でポーズを決める、仮面アイダーの姿を思い出し、思い出し、スケッチブックに鉛筆を走らせる。 相田との一件以来、僕はヒーローの絵を描くことを再開した。 もちろん、勉強に差し障りのない範囲で。 よくよく考えたら、おとうさんとおかあさんが勧める大学の付属校を受験することに決めたのは、こうやって好きなヒーローの絵を描くためで、受験のためにそれを止めるなんて、本末転倒だ。 だから、僕は受験勉強の合間に、こうやってヒーローの絵を描くことにした。 塾に行く日を減らしたのも、そのためだ。 描いていくうち、いいのが出来たら、コンクールにも出してみようと思う。 さて、今描いている絵が完成したあとにでも『仮面アイダー』の仮面を作ってやるか。今の『女王様の仮面』は、おばあさんの思い出の品だからな。壊したりしたら大変だ。 どんな、デザインなら相田は気に入るかな。今度、ラインで聞いてみるか。 父さんと母さんの番号とメアドとラインしか登録されていなかった僕のスマホには、相田と相田のおかあさんとおとうさん(小池さん)のラインと、おばあちゃんのメアド(おばあちゃんはガラケーなのだ)が追加されていた。 僕はスケッチブックに走らせていた鉛筆の手を止めた。 うーんと背伸びをして空を仰ぐ。 冬晴れの雲一つない青い空が、どこまでもどこまでも続いていた。 おしまい |
へろりん 2020年12月27日 20時13分21秒 公開 ■この作品の著作権は へろりん さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2021年01月31日 18時56分38秒 | |||
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Re: | 2021年01月24日 20時47分42秒 | |||
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Re: | 2021年01月24日 16時25分54秒 | |||
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Re: | 2021年01月24日 16時10分32秒 | |||
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Re: | 2021年01月24日 15時47分52秒 | |||
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Re: | 2021年01月24日 15時38分12秒 | |||
合計 | 12人 | 200点 |
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