嗚呼、文芸愛好会よ何処へ往く |
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プロローグ 「涼子先輩……俺、もう我慢できないんだッ!」 「な、何? どうしたの山下く、きゃあっ!?」 言うや、彼は突然私を足払いで倒して上から伸し掛かってきました。 突然の事に混乱していた私は、彼にされるがまま体を押さえ付けられます。 ようやく押し倒された事に気付き、抵抗してみるも所詮は男女の体格差。しかも長年柔道で鍛えてきた山下君の巨体を押し退ける事など、か弱い私にできる筈もありません。 「じ……柔道の技を、こんな事に使うなんて。あなたは恥ずかしくないの?」 せめてもの抵抗に、彼を正面から睨んで言い捨てます。 でも…… 「先輩がいけないんだ……先輩が、綺麗過ぎるから……俺に優しくしてくれるから……だから、俺は……俺は、先輩を俺だけのものにするッ!」 一瞬だけ悲しそうな顔をした彼は、しかし次の瞬間にはケダモノの目になって私の唇を奪いました。 ああ……私の、初めてのキッスはこんな形で…… でも、もちろんそれだけでは終わりません。 彼は私の唇を貪りながら、両手で体を弄り始めます。きっと今日、私は全ての『初めて』を彼に奪われてしまうのでしょう。 それなのに…… 私は、お腹の奥がポッと熱くなるのを感じているのです。 まるで、私の『雌』の部分が強い雄を求めているかのごとく―― 「涼子先輩……これ、一体何ですか?」 差し出されたタブレットに連なる文章。その最初のいちページを読んだだけで、俺はもう色々と耐えられなくなった。 「何って、もちろん新作よ。タイトルは『愛欲の袈裟固め』が良いかしら」 タブレットの持ち主である涼子先輩は、おそらく会心の笑みを浮かべているつもりでいるのだろう。まるでシイタケの断面図みたいな嫌らしい目つきで、にぃっと口元を歪める。 「一体何が悲しくて自分がレイプ犯にされている話を読まされなきゃいけないんですか。て言うかあんた、よくもまあ自分をエロ小説の主人公にできますね。しかも何か弱くて清純で儚げな雰囲気とか醸し出してんですか。まるっきり正反対じゃないですか恥ずかしく無いんですか人として」 「恥ずかしいわよ、もちろん……でも、止められないの。私の、あなたに対する情熱とリビドーを」 はふぅん、と気持ち悪い溜息を吐きながら。 先輩は何やら身体をくねくねさせながら俺に向かってにじり寄って来る。 「キモいからこっち来ないでください。それとね先輩、あんたまだ反省していないんですか? 俺達がこんな情けない事になってるのも、全部あんたのせいなんですよ? その辺判ってるんですか?」 急に胸の奥に湧いたドス黒い感情のまま、思わずテーブルを引っ叩いて彼女を睨みつける。大した力を籠めていなかったにも関わらず、テーブルはパァンと思いの外大きな音を発した。 「あ、あの、その……ええと、図書室は……もっと、静かに利用して頂かないと……その、他の人の、め、迷惑に……」 いつの間にか背後に居た図書委員長の静先輩が、泣きそうな顔になってごにょごにょと呟いている。 嗚呼……一体どうしてこんな事になってしまったのだろうか。 ☆ 時は放課後。場所は図書室。その片隅のテーブルを、今日も占拠している俺達ふたり。 何を隠そう、この一角のみが俺達に残された最後の居場所だった。 「そもそも俺が文芸部を追い出され、文芸愛好会という吹けば飛ぶような弱小サークルの一員に落ちぶれたのは全部目の前に居る変態女のせいだった。名を君塚 涼子という、本校の二年生だ。以前は文芸部の副部長を務めていた。綺麗に手入れされたストレートの黒髪を胸の辺りまで伸ばし、ややキツめながらも目鼻立ちの整った端正な顔立ちと、スリムでありながらも出る所はしっかり出ている理想的な身体の、一見誰もが認める模範的な大和なでしこ。でも正体は壊滅的な清楚ビッチだ」 「山下君? 一体誰に向かって語り掛けているの? そしてビッチはさすがに聞き捨てならないわね。私のオンナノコの部分はまだ未使用。お天道様に恥じる事無き、立派なおぼこ娘よ」 「自分の心境をラノベの文章的に描写してなんとか怒りを納めようとしているだけです気にしないでください。あと立派なおぼこ娘は文化祭で配布する部の短編集にゴリっゴリのハードエロ小説なんて載せません。あんたはどこに出しても恥ずかしい変態おぼこ娘です」 諦めまじりの溜息を吐く。 そう。俺が文芸部を除名処分にされたのは、全部この変態女のせいだ。 毎年、文芸部が文化祭で無料配布している部員オリジナルの短編集。そのコピーと製本を任されたのが新入部員の俺。 「そしてこの変態女は自作のエロ小説を『たった今渾身の傑作ができたから差し替えて欲しい』と言って文化祭前日追い込み作業中の俺にゴリ押ししてきて、時間の無い中焦っていた俺はその中身を確かめる事無く差し替えて製本して、その結果連帯責任として彼女と共に部を追い出されたのだった」 「あ、それまだ続けるんだ? なら言わせて貰うわよ。ラノベ的な文章を目指すなら、一文はなるべく短くした方が良いわ。もっと句点を多用して短いリズムを心がけなさい」 先輩は名前通りの涼しげな瞳で、俺の諳んじた文章の問題点を指摘する。それはきっと正しい指摘なのだろう。悔しい事に、文章力において彼女は素晴らしい技術を持っている。単純に『上手いか下手か』という事だったら現文芸部長よりも彼女の方が上だろう。確かに、彼女は才能がある。そして悔しい事に見た目も良い。 ああ、そうさ。俺もかつては、この人の上っ面だけを見て『素敵な先輩だな』なんて淡い憧れを抱いた事すらあった。 もちろんそれが本当に上っ面だけで、一皮剥いたらとんでもない変態女だったと気付いたのは二人仲良く除名された後だったのだが。 「だから俺は心に誓ったんだ。もうこの変態女とは手を切ろうと。一人で切磋琢磨し、人気ラノベ作家を目指そうと。書籍化アニメ化で印税がっぽがっぽを目指そうと。人気声優と結婚しようと!」 「そうそう、その調子よ。まあ君は基本的な文章作法が全然駄目だし、ぶっちゃけ発想も貧困だからプロになるとか無理だと思うけど。大人しく柔道続けてれば全国も目指せたでしょうに」 「だまらっしゃい! 確かに文章力はまだまだかも知れないけど、俺の脳内世界をちゃんとアウトプットする事ができれば! 既存のラノベなんかみんな霞む超傑作ができるから! できるから!」 「はいはい凄いねできると良いわね。大丈夫よ、例え君が『夢を追いかけるんだ!』とか言ってロクに働きもせず脳内妄想を垂れ流し続けるだけの最低野郎に成り下がっても、私が養ってあげるから。もちろんその対価は体で払ってもらうけど。あ、私子供は三人欲しいわ。一姫二太郎三なすびって言うでしょ? がんばってねパパ」 「誰がパパだよあんたの世話になんかならねえよ三なすびって一体なんだよ!」 再びテーブルを引っ叩く。なんかミシって音がして天板が少し歪んだ様な気がするけどきっと気のせい。 「だ、だから! 図書室で騒ぐのはやめてくださいっ」 「あら、静さんまだ居たの?」 「さっきからずっと居ますっ」 すっかり存在を忘れられていた図書委員長の静先輩は、その影の薄さに負けまいと必死になって両の拳を握りしめ、もっさい黒縁眼鏡の向こうから俺達を睨みつけていた。 「こ、この際言わせてもらいますけどっ、いい加減、図書室(ここ)から出ていってくださいっ! ほ、ほ、他の人に迷惑ですからっ!」 なけなしの勇気を振り絞っているのだろう。 儚げな細いちいさい身体を震わせながら、静先輩は俺達にそう言い下す。 だけど―― 「静さん……私にそんな事言っても良いの?」 静先輩の言葉を聞くや、涼子先輩は再びニチャァっと嫌らしい笑みを浮かべた。 「ひっ!?」 変態の笑みを目の当たりにした静先輩は、先程までの剣幕を一瞬で霧散させる。 「そもそも図書室(ここ)、あなたと私達以外は殆ど利用してないじゃない。このコロナ禍にも関わらず、本を借りに来る人もロクに居ないわよ?」 「だ、だだだからと言ってっ!」 「私知ってるわよ。あなたは私達を追い出して、再び自分だけの空間を手に入れたいだけ。違うかしら?」 「た、例え誰も利用していなくても、図書室で騒がないというのは……当たり前の事ですしっ、だ、だいいち図書室の一角を不法占拠して活動するのはやめてくださいって、私何度もっ」 再びキッと睨み返し、反撃に出る静先輩に変態は耳元でそっと語り掛けた。 「ふふ、あなたに私達の事が言えて? ええ私もびっくりしたわ。こんなに可愛らしくて儚げな合法ロリのあなたが、誰も居ない図書室でまさかあんな事をしているなんて――」 「なっ!? な、なななにを一体」 「意外よねえ。大人しそうな顔して、まさか学校にあんなモノまで持って来ているなんて」 「そ、それは……なにを言って……」 「普段からあんなので遊んでるの?」 「やっ! ややややめてくださいっ!」 「ねえ、『ぶぶぶぶぶっ』ってのと『うぃ~んうぃ~ん』っての、どっちがお気に入り?」 「いやぁあああああああああっ」 静先輩は泣きながら、脱兎の如く走り去ると司書のカウンターの下に隠れて出て来なくなった。中から小声で「見られてた見られてたどうしようどうしようああもう死にたい死にたい死にたい死にたい」と呪文の様な呟きが聞こえて来る。 「……静先輩、何してたんです? ていうかあんた一体何見たんですか?」 「ふふ、淑女には色々と秘密があるものよ」 冷ややかな瞳で問いかけてみるも、変態は飄々とした顔でそっぽを向く。 そんな無益な事をしている内に、チャイムが鳴って下校の時間を告げる。俺達の貴重な青春の一ページは、今日も無駄に費やされた。 そして俺達が帰り支度を終わらせても、カウンターの中の泣き声は治まらなかった。 ☆ 物心が付いてから中学三年まで、俺はただ柔道に明け暮れていた。 実家が道場だからというのもあるし、また恵まれた体格だったというのも理由のひとつ。だけど最大の理由は、単に『押し付けられた』からだった。 ゴリッゴリの体育会系である親父は、幼い頃から俺に有無を言わさず柔道を叩き込み、嫌がる俺に対して、 『もしも柔道を辞めたいというのなら、この俺を倒してみろ』 なんて事をずっと言っていた。 なので、中学三年の時に倒した。 その時俺は既に身長190㎝オーバー、体重も100㎏に迫り身体能力的には既に親父を超えていた。しかもこっちは柔道を辞めたい一心で、毎日血を吐く様な練習を重ねて来たのだ。結果は自ずと知れるいうもの。 あまりにもしつこく食い下がるので、散々床に叩き付けて二週間くらい起き上がれない体にしてしまったけれど、そこで俺はようやく柔道の呪縛から逃れる事ができたのである。 親を病院送りにしてまで柔道から逃れたかった理由。それこそがラノベだった。 幼い頃から嫌々柔道をやらされていた俺の心を、ラノベだけが癒してくれていたのだ。 特に『小説家になれる』というサイトで発表されている、異世界転生モノというジャンルの作品は素晴らしかった。 『Re 1から始める異世界転生』 『この素敵すぎる世界に福音を』 『転生したらぷよぷよだった件』 等々―― 俗に『なれる系』と呼ばれているそれらの作品は、人気のあるものは書籍化され、アニメ化されるものも少なくない。現に俺が連載開始から追い駆けていた幾つもの作品が本屋の棚に並び、テレビの画面に映った。 そして、そういうキラ星の如き作品を何作も読んでいる内に、いつしか自分もラノベ作家を目指そうと考えるに至ったのだ。 なので、高校入学と共に柔道と綺麗サッパリおさらばし、文芸部の門戸を叩いた訳なのだけれど―― 「何が悲しくってこんな所で燻ってなきゃいけないんだ……」 こんな所とは、もちろん図書室の一角。 今日も今日とて、俺は放課後をこの何となくジメっとした陰鬱な部屋で過ごしていた。 「文句があるなら来なきゃいいじゃない。君も常々、私みたいな変態と関わりたくないって言ってるんだし」 「他に居場所があったらこんな所に居ません」 悲しい事に。文化祭での一件以来、俺も涼子先輩と同類の変態として扱われて校内では肩身の狭い思いをしている。なまじ体格が良いだけに苛めの対象などにはなっていないけれど、それでもあからさまに避けられているのはやはりメンタル的に厳しい物がある。 それに―― 「で、先輩。俺の新作……どうですか?」 全く以て悔しい事に、涼子先輩は俺の小説を読んでくれて、感想をくれる。 文芸部を追い出された俺に取って、ネットとかでは無い『生』の感想をくれる存在というのは彼女以外に居ないのだ。 「うーん」 先輩は、読み終わったタブレットを俺に付き返すと。 「つまんない」 一言で切り捨てた。 「え!? つまらない? これが、ですか?」 「うん。つまんない。はっきり言ってダメダメ。まだ小学校高学年の書く作文の方が読み応えがあるわ」 「どこが!」 「そうねえ……指摘したい事はたくさんあるけど、例えば冒頭。一体何なのこれ。いきなり四千字以上も使って世界観の説明されたって、読む人は『はーそうですかすごいなあ』とは思ってくれないわよ。退屈な説明をつらつらと続けられたら、殆どの人はそこで切るわ」 「そ、そんな! 世界観の説明は最初にするべきじゃあ」 「んなもんは後からいくらでもできるわよ。冒頭はしっかりと読者の興味を掴まないとだめなの。ミステリ小説界隈では『冒頭に死体を転がせ』って言葉もあるくらいよ。ちなみに私なら冒頭からおっぱいを出すわね」 「そんなんただのエロ小説じゃねーか……で、でもまあ冒頭に問題があるのは判りました。だけど話自体はそこまで言われる程では」 「話? 話ねえ。トラックに轢かれた主人公が異世界に飛ばされて無敵のチート能力手に入れてハーレム作ってうっはうは。百本以上は似た様な話読んだわよ? 正直言って何を今さらって感想しか出ないわね」 「ぐぬ……で、でも! 既存のラノベに無かった新しいバトルの表現とかは!」 「新しいバトルの表現って、もしかしてこの 『「私の剣を受け切れるかな、小僧!」 そう叫ぶと、オッサンはいきなり剣で斬り付けてきた! キンッ! キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンッ! ふうっ。あっぶねえ。 でも全部防ぐ事ができたぞ。 今度はこっちの番だ! 「行くぞ!」 キンッ! キンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンキンッ! 「なっ!? 私よりも一太刀多く?!」 「まだまだ!」 バッキィイィィイイイン! 「折れた!? 先祖伝来の宝剣が!?」 私は驚愕に目を剥いた。この小僧・・・只者ではない!』 ……という所の事を言ってるのかしら?」 「そうです! どうですか? 我ながら斬新かつ読みやすく、それでいてスピード感と臨場感のあるシーンにできたと思っているのですが」 俺の書いたバトルシーンを音読した先輩は、しかし次の瞬間フッと悲しそうに微笑むとまるで俺を慈しむ様な瞳になって囁いた。 「いいよ、山下君はそのままで……これからも大好きな小説をいっぱい書こうね。私、たくさん勉強して弁護士になろうと思うの。そして悪徳企業とかからがっぽり顧問料頂いて大儲けして、君を何不自由無く養ってあげる。君はただ、鍛え上げたその身体で私の事を毎晩めちゃくちゃにしてくれればそれでいいからね?」 「駄目なら駄目ってちゃんと言えよ! なに優しい目になって俺を甘やかそうとしてんだよ! 酷評されるよりずっと傷つくよ!」 取りあえず自信作を全否定されたという事だけは分った俺は、何処に向けたら良いのか判らない怒りを拳に籠めて壁を殴る。そう言えば『壁ドン』って言葉は元々こういう風な時に使うものだった筈だよなあと割とどうでも良い事が一瞬頭を過った。 「駄目よ山下君、モノに当たっては。どうしても何かに当たりたいというのなら私の身体を使いなさい。私のおなかの奥で全部、キミの怒りも欲望も受け止めてあげるから」 「うるせえですよ! 俺はあんたみたいな変態とは付き合わないって何度も言ってんでしょ! 俺はもっと清楚で純真な子とギャルゲーみたいな恋がしたいんだよ! そして感動系エロゲーみたいな初体験を迎えて、幸せな人生をふたりで歩んでいきたいんだよ! あんたみたいな抜きゲーキャラはお呼びじゃ無いんだよ!」 「抜きゲーキャラとは酷いわね。大体、そんな事を言ったら君なんか見た目だけで完全に凌辱要員じゃない。言うなればリアルオークね。趣味はエルフの村を焼く事かしら? そもそも身長2m体重百キロ以上のギャルゲー主人公なんて、さすがの私も寡聞にして聞かないわよ?」 などと、いつもの様に簡単に創作活動から脱線して無益な舌戦を広げる俺達に―― 「いっ! いい加減にしてくださいっ!」 昨日に引き続き、またしても背後から怒鳴りつけてきたのはもちろん図書委員長の静先輩。 見れば彼女は既にボロボロと涙を零しながら、まるで親の仇でも見る様な目で俺達、特に涼子先輩の事を睨んでいる。 「もう嫌です! 今日こそ出て行ってもらいますっ! い、言いふらせば良いじゃないですかっ! 私の痴態をっ! 言いふらしたいんだったら! 好きなだけ言えばいいじゃないですかあっ!」 それは明らかに、自分もろとも相手を殺らんとする追い詰められた者特有の、恐ろしいまでの気迫。 「……ねえ涼子先輩、マズくないですか? 何だか知らないけど、あんた静先輩の事追い詰めすぎたんじゃあないですか?」 横目で先輩に促すと、流石に彼女も「あちゃあ」と眉をひそめて困り顔。 「う~ん、もうちょっとマイルドに責めた方が良かったのかも知れないわね」 静先輩は「ふーっ、ふーっ、ふーっ」と過呼吸気味に息を吐きながら扉を指さして、 「出てってください! 今すぐ出てってくださいっ! げらう!」 と涙でボロボロになりながら叫んでいる。 もちろんこの状況を作り出したのは隣の変態女だ。 まあ、さすがにこの件に関しては俺達には非しか無いのだけれど、この最後の地を追い出されてしまうのも愛好会的には問題だ。 うん。ここは俺がしっかりしないと。 「まったく、これだから変態女はダメだっていうんですよ。見ててください先輩。ここは紳士な俺が穏便に解決してみせますから」 そう。古来より伝わる北風と太陽の寓話を例に出すまでも無く、相手の弱みに付け込む様なやり方では根本的な解決にはならない。ここはもっとギャルゲーのイベントみたいにフレンドリーに接して上手い事解決できれば、俺達の居場所も確保できるだろうしなんなら静先輩とイイ感じの関係になる事も夢では無い。隣の清楚ビッチと違って、この人って何かこう純真で儚げで汚れを知らなそうで、守ってあげたい感じもするし。よし俺がんばろう。 「ま、まあまあ静先輩。落ち着いて話しましょう? ね?」 まずは取り乱している彼女をなだめるべく、俺は今自分にできる一番のサワヤカスマイルで彼女に語り掛けた。もちろん椅子に座ったままだと失礼なので腰を上げて、正面から視線を合わせる。 しかし。 「ひっ!? な、ななななんですか? ぼ、暴力には屈しませんよ……ど、どうせあんな事まで知られた女ですっ。こここ、こわいものなんて、私にはもう、無いんですからねっ!」 俺を見上げた静先輩は、何故か更に涙を流してガクガクと震えながら、訳の分からない事を口走る。 うーむ、これは一体どうすれば良いのだろう? 思うに、涼子変態は彼女のよっぽど凄い秘密を手にしているのだろうけれど……しかしいったいこの純真無垢を絵にした様な人に、何をそんな恐れる秘密があるのだろうか? とにかく、ここは太陽政策を続けるべきだ。さりげなくウィットに富んだ会話で彼女の心を落ち着けつつ、冷静な話ができる様に持っていかなければ。 その為にはどうしよう? まさか今更『良いお天気ですね』みたいにベタな話の振り方なんかできないし……そうだ。確かアメリカ人なんかは初対面の人には家族の話なんかを振るのが一般的だって、どこかで聞いた事があるな。うん、我ながら中々なアイデアだ。家族の話とかをすれば、きっと和やかな方向に話しを持って行く事ができるだろう。 再び静先輩に微笑みかけて。 「先輩……確か、妹さんが居ましたよね?」 「ひぎぃっ!? ど、どどどどうしてそれを……」 「今、中学生でしたっけ? きっと先輩に似て可愛らしい子なんでしょうねえ」 できる限りのイケメソスマイルで話を続ける。 ……なのに、静先輩は急に何やら心折れたみたいに空虚な目になって、 「お、お願いです……妹だけは……妹だけは勘弁してください……何でもします……あ、あなた様の言う事は何でも聞きますから、どうか家族は……家族にだけはぁぁぁぁ」 ハイライトの消えた瞳から涙を零し続けながら、静先輩は壊れたロボットみたいに「妹だけは、妹だけは……」と呟き続けてロクに俺の話を聞いてくれない。 ううむ? これは一体…… でも、何だか知らんけど言う事聞いてくれるっていうのなら話は速い。 「ええと、じゃあ……これからも図書室(ここ)、使わせて貰っても良いですかね?」 「どっ、どどどうぞっ、図書室でも私の身体でも、どうぞお好きにお使いくださいっ、でも妹だけは、妹だけはぁぁぁ……」 静先輩は快諾をくれた。 何故か妹さんの話をすると泣き出してしまうのだけど、一体どういう事なんだろう? ――もしや、今妹さんは何か大変な事になっているのかも知れないな。 よし、俺に何ができるかは判らないけど、もしも力になれる事があるならなんとかしてあげよう。そしてついでに好感度も上げよう。 「静先輩は、妹さんの事がさぞかし大事なんですね。もし良かったら今度会わせてくださいよ」 ニッコリ。 今日一番と言っても過言ではない素敵スマイルを先輩に送る。 きっと彼女に俺の真心が通じたのだろう。 「あ……あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……」 静先輩は先程とは違う、さめざめとした小さな嗚咽を漏らしながら、司書のカウンターに戻って中に潜り込んだ。うむ、きっと感動の涙を流しているに違いない。 遣り切った感を覚えつつ、隣の変態に向かって、 「どうです? 涼子先輩。ジェントルメンな俺が見事に円満解決しましたよ」 思わずドヤ顔。 すると彼女は感極まった顔になり、俺の腕に抱きついてきた。 「凄かった……凄かったわ山下君。今の、巨体で威圧しつつ礼儀正しい強面スマイルからの家族を脅迫するという、まさに即死コンボ……しかも一切淀みの無い。プロの暴力団構成員顔負けね……この私ですら見ているだけで漏らしそうになったのだもの、きっと静さんは再起不能ね」 ガクガクと震えながら、まるで熱でもあるみたいな顔でそんな事を言いやがりました。 うむ、きっとこの変態女は嫉妬しているのだろう。俺の卓越したネゴシエーション能力とか人望とか包容力的なヤツとかに。 ☆ とまあ、そんな感じでどうにか図書室を追い出される危機は去った訳だけれど。 相変わらず今日も俺は変態女とふたり、図書室の片隅で青春を無駄遣いしている。 今までゴミでも見る様な視線を送り続けていた静先輩も、あの一件以来俺の姿を見ると「ひぃっ」と小さく呟いてカウンターの下に潜ってしまう様になった。 恐らくは先日、取り乱して泣いてしまった事を恥じているのだろう。涼子変態と違って実に可愛らしい。できればもっとお近づきになりたいものだ。 それはともかく。 「追い出される心配は無くなりましたけど、このままじゃ俺達どうにもなりませんよねえ。何かできる事って、無いもんですかね」 いよいよ自分の学園生活に不安を覚え始めた俺は、先輩にそう切り出してみる。 いつもなら「そうね」とか適当な相槌を打つだけでエロ小説の執筆をするか俺にセクハラ発言をするくらいしかしない涼子先輩も、この日は違った。 「私も、何も考えていない訳ではないわ。山下君、これを見てくれる?」 彼女が差し出したタブレット。 その画面には、とあるサイトの画像が映し出されていた。 「何です? ええと、『ミツル企画』?」 「ええ。いわゆる小説投稿サイトよ」 「ほう。要は『なれる』みたいなヤツですか?」 先輩は何やら複雑な笑みを浮かべて続けた。 「これはね、元々は『ライトノベル作成探究所』、通称ラ探というサイトから派生した企画なの」 「はあ」 「ラ探もかつては『プロ作家になる為の登竜門』みたいな事を自称していて、実際そこからプロデビューしたひとが何人も居たのだけれど、今はすっかり衰退してしまったわ」 何故か遠い目をする涼子先輩。もしかしたらこの人はそのラ探とやらのヘビーユーザーだったのかも知れない。 「一体どうして? 『なれる』なんかはあんな巨大サイトになったのに」 「そうね。問題は色々あったけど、一番駄目だったのはサイトの管理人が定めた『作者は貰った感想に一切反論してはいけない』というルールじゃないかしら」 「ええ? 反論が許されなかったんですか?」 「そうよ。そんな事したらどうなるか、判る?」 「それって、要は『サンドバックになれ』って事ですよね?」 「御名答。作者はどんなに理不尽で読解力に欠けて、ついでに人格も破たんしている様な感想者のクソ批評にも黙って耐えなくてはいけないという、地獄みたいな所だったのよ」 「何ですかそれ……」 「もちろん大部分の利用者は良識ある人達で、問題のある利用者はほんの一握りだったのだけれど、その一握りが酷かったわ」 「で、でもそんな奴は管理人が排除……」 「しなかったわ。それどころか……そういった問題ある利用者達を善しとしない、とある良識的な古参利用者が投稿や感想のマナーについての提言をした時……あろう事か、サイトの管理人本人がその動きを潰したの。『サイトの管理は管理人がやるからすっこんでろ』みたいな事を言って。でも、結局殆ど何もしなかった」 苦虫を噛み潰した様な顔になって、先輩が言う。きっとその時の事を思い出しているのだろう。 「その辺りからかしらね。古参の実力者達がどんどん離れていったのは。まあ当たり前よね。口では大層な事を言いながらロクに管理もしないで、オフ会ばっかりやっている管理人の運営するサイトですもの……でも、そのサイトのコンテンツに光るものがあったのは事実。このミツル企画の元になった四大企画なんていうのは、まさにそれよ」 「あ、じゃあこれはそのラ探とやらとは別物なんですか」 「今でも繋がりはあるけど、まあ別物と言っても良いんじゃないかしら。ここにはラ探から離れた人達も、たまさかに訪れて作品を発表しているもの」 「ふうん」 タブレットを覗き込み、企画の概要を読み込んでみる。 なるほど、要するに匿名で競う企画……んで、毎回違うお題が出て、参加者はそのお題に沿って小説を書いて、競い合うと。 「ミツル企画とやらが何なのかは判りました。で、これが一体?」 「実はね、文芸部のメンバーの多くがこの企画の常連なのよ」 「え? そうなんです?」 「ええ。これをご覧なさい」 先輩は過去に行われた企画のページを開く。 「ほら、ここに『雀小次郎』という人がいるでしょ? これは現部長の鍔目君よ」 「うわ、凄い。優勝もしてるし大抵上位に居ますね。さすが部長」 「あと、この『加賀』という人は二年生の天城君」 「あ、あの重度のミリヲタの」 「他にもこのHideという人とか、粘液大王三世という人も文芸部員ね。それと本当かどうかは判らないけど、この『栞(しおり)』という人は生徒会長らしいわ」 「へえ、そんな人まで参加しているんですね」 「他に文芸部のOBも何人か居るわ。この『わさお』って人は駅前にある食堂の店主さんだし、『枡多亜米紫苑』という人は近所のガス屋さんよ」 「年齢層も広いんだ……で、アレですか。先輩はこう言いたいんですね? この、文芸部の面子がたくさん参加している企画に……」 彼女の言いたい事を察知した俺は視線を合わせる。涼子先輩はニチャァッと微笑んで、頷いた。 「もちろん、二人で殴り込むわよ」 ――殴り込み! この、あまりにも男の子が大好き過ぎるパワーワードに、当然俺の闘志は熱く燃える。 「やりましょう!」 「ええ」 同時に立ち上がり、硬い握手を交わす俺達。 そうだ。この企画で、並み居る文芸部員達を薙ぎ払って俺達が優秀するなりすれば、俺達を追い出した文芸部を見返す事ができる。 そこで改めて俺は涼子先輩を捨てて文芸部に返り咲きする事ができれば万々歳じゃないか。 「よし! そうと決まれば早速ネタを考えましょう。確かこれはお題に沿った話を書くルールなんですよね? どんなお題なんですか?」 勇んで先輩に問うと、彼女は視線で画面を見るよう促した。 再びタブレットを覗き込んでみる。 すると画面には―― 天に星 地に花 人に愛 企画 というタイトルがドンと記されていた。 「ええと……これが、お題?」 「どうやらそうらしいわね。『天に星 地に花 人に愛 のうち、1つ以上3つまでのテーマを作品に使用してください。文字列の使用も可能です』だそうよ」 ……これは……なんという。 「何なんですか、このお題。企画の主催者は参加者集める気があるんですかね?」 正直言って、何の魅力も感じないお題だった。 「もっとこう、ラノベらしいキャッチーでパワフルなお題とか出せなかったんですかねえ? これじゃあ何だか純文学みたいじゃないですか」 いきなり気勢を削がれた俺に、しかし先輩は涼しい顔で答えた。 「まあ、確かにあまりそそられるお題では無いけれど。でも、はっきり言ってこの企画、お題はさほど重要視されないわ」 「ええ!? そうなんですか?」 「もちろん、上手く使うに越した事は無いけれど。でもこれはラ探の頃からの伝統で、最悪文字列に加えるだけでお題の使用はクリアされるという、言わば救済措置でもあるの。そして、そんなやっつけな使い方でも話が面白かったら充分優勝も狙えるわ。実際、過去には通りすがりの通行人に意味も無くお題のワードを叫ばせただけのものが高順位を取った事もあるし」 「……お題って」 「それにね、山下君。もしもあなたがプロを目指すのであったら、どんな要望にも書ける柔軟さを持ちなさい。はっきり言って自分の書きたいものだけ書けているプロ作家なんて居ないわよ。いくら自分的に興味の無い題材でも、担当が『書け』と言ったら書かなければいけないのがプロ作家。それが嫌なら、ずっとアマチュアで『なれる』辺りに投稿している方がよっぽど幸せでいられるでしょうね」 「は、はあ。で、先輩だったらこのお題、どう使います?」 「そうね。この言葉、元を正せば武者小路実篤の言葉らしいけれど、私はこれはずばり男女の営みを現すものだと解釈したの」 親指を人差し指と中指に挟んだグーの手をびしっと突き出して変態が断言した。 「おいこら」 「いいから最後まで聞きなさい」 「……じゃあ一応聞いてみますけど。まずこの『天に星』は?」 「天に星……天とはなにも天空の事だけでは無いわ。建物とかの天井でも成立するじゃない?」 「そりゃまあ」 「で、星。これもスターでは無く何かの比喩として使っても良い。だから私は考えたの。天井に、あたかも無限の星の様にひしめく粒々。つまりカズノコ天井ね」 「あー、うん。きっとそんな風に来ると思いましたよ。で、『地に花』は?」 「もちろんこれも比喩。私達女という大地は、みんなココに一輪の花をたずさえているのよ」 そう言ってスカートの、足の付け根辺りに手を置いて人差し指と中指をくぱぁっと開く。 「正直もう聞きたくも無いけど、『人に愛』」 「これはもう字のまんまね。人は愛し合うものよ。それにはちゃんと具体的な行為が存在するの!」 腰をへこへこと動かしながら。 やたらとイイ顔で涼子変態は言い切りやがりました。 「ええとね先輩。規約に『過度な性表現・過度な暴力表現・差別表現・誹謗中傷・荒らし行為はやめてください』って書いてあるよ?」 「過度でなけれぼ良いのでしょう? 大丈夫、私もバカじゃ無いわ。ちゃんとギリギリエロスなラインをくっちゅりと責めて、イイ感じに仕上げてみせるわよ」 無駄に凛々しいキメ顔で前科者が言う。 「それより問題は君の方ね。ぶっちゃけこのサイトは修羅の国みたいな戦闘狂の集まりだから、下手なものを投稿すると酷い目に遭うわよ。あの『キンキンキンキン』とか」 「何言ってるんですか先輩。あなたが酷評したあれ、『なれる』で連載始めたら凄い反響があったんですよ! まあ『こんな笑えるのは久しぶり』みたいなちょっとズレた感想ばっかりだけど、二週間で三人も感想貰えたし『早く続きを読みたい』って言ってくれてる人も居るんですからね!」 「うわぁ、あれ連載したんだ。まあ、あの作風は妙にクセになる部分が無い事も無いから、もしかしたらニッチな層をくすぐって良い勝負ができる可能性がワンチャンで微レ存だけど」 「うんまあ酷い事言われてるんだろうなって事は判りますけどね。でも先輩、俺も日々成長しているんですよ? 今脳内にあるアイデアをちゃんと使いこなせれば、こんなローカル企画なんてお茶の子さいさいですよ、いやマジで」 「へえ、ずいぶんな自信ね。お茶の子さいさいなんて言葉を実際に使う人初めて見たわ」 そう。この企画を見た時に俺は閃いたんだ。素晴らしいアイデアを! 「まあ見ていてください。俺を追い出した文芸部の連中をぎゃふんと言わせてやりますよ」 ☆ ――遥か昔。まだ天に星々の煌めきがあった頃。 一頭の邪龍が目覚めた。 邪龍はこの地の生命を司る世界樹に巣を作り、その花を奪った。 人々の悪意や負の感情を糧にする邪龍に対抗するには、純粋な愛の力が必要。 その純粋な『愛の力』手に入れる為、この世界に転生した俺は旅立つ。 とまあ、こんな感じのストーリー。うん、最高じゃないか。 あのクソつまらなくも難解なお題を見事、三つ全部盛り込んでやったぜ。こんな芸当ができる奴はそうそう居ないだろう。 後は得意のバトルシーンで盛り上げたり、『愛の力』を手にする為に色んなタイプのヒロインと恋愛させてハーレム展開にしたりと読者サービスを盛り込めば絶対人気作になる筈。ふふふ、小説なんてチョロいもんだぜ。 問題は執筆期間があと二週間しか無いという事と、上限四万字、つまり原稿用紙にして百枚換算しか使えないという所だけど、これも既に対策は考えてある。 そう。何も全部書く必要など無いのだ! この超大作、たったの四万字で書き切る事などできまい。それに、ミツル企画だかなんだか知らないけど、俺の代表作になるかもしれない傑作をこんなローカル企画に埋もれさせるには余りに惜しい。 それで考えたのが、題して『プロローグだけ投稿しちゃえ作戦』だ。 この激烈傑作ストーリーの、序章だけを敢えてミツル企画に出す。 もちろん読んだ人は続きが気になって仕方が無くなるだろうから、最後に「この続きは『なれる』の僕のページで読む事ができます」と書いてURLを乗せておけば、新規の読者もゲットできるし俺には良い事ずくめじゃないか。一体俺は何て素晴らしいアイデアを思いついてしまったのか。ああ、天才では無かろうか。 ふっふっふ。 ロクに俺の弁明も聞かずに追い出した文芸部の連中も、そもそもこんな目に遭っている原因を作った涼子変態も、俺のアイデアと才能にひれ伏すがいい。 ――なんて事をしている内に時は過ぎ、遂に年内最後の登校日。 「いよいよ明日から冬休みになる訳だけど、明日から愛好会の活動は山下君のお部屋で行うという事で構わないわね?」 「いや構いますよ。何であんた俺んち来る気満々なんですか」 「あら、じゃあ私の家に来るつもりだったの? ……良いわよ。今日、うち誰も居ないから」 「だからあんたんちも行かないから。新学期まで合う事も無いから」 「ああ、さては焦らしプレイね? そうやって私の身も心も焦らして焦らして熟れ切った頃に美味しく頂こうって魂胆ね?」 「ほんっとポジティブですよねあんたって人は」 「まあアメリカンジョークはこの位にしておくとして。山下君、企画の方はどう? ちゃんと投稿できそうかしら?」 「それはもう、完璧です。投稿期間が始まったら真っ先に突っ込んでやりますよ」 「ふふふ、甘いわね。あの企画は早い内に投稿するよりも、投稿期間終了間際に出した方が目立つのよ。だから私はなるべく時間ギリギリに投稿する事にしているわ」 「へえ、そうなんですか。じゃあ今回は先輩に倣って俺もそうしてみます」 「投稿も大事だけれど、ちゃんと感想も書くのよ。最低一つは他の作品に感想を投下するのがルールだけれど、できればなるべく多くの作品に感想を書いた方が良いわ。そうすれば企画が終わった後に、律儀な人は感想返しをしてくれたりするから。ひとつでも多く感想を貰いたいと思うのであれば、まず自分が多くの感想を書く事ね」 「なるほど」 「それとね山下君、感想を貰ったのならその日の内に返事を書いておく事をお勧めするわ」 「え? でも感想に返事をして良いのは結果が出てからってサイトに」 「何もすぐに出せという話では無いわ。書き溜めておいて、出せる様になったらすぐに返しなさいという事なの。なぜなら感想に返事を書くというのは、とても神経を使う作業なのよ。もしかしたら読んだ作品に感想を書くよりも難しいかも知れないわ。だから、感想を貰ったらなるべく早い内に返事を書いてストックしておかないと、結果発表の後にとても酷い目に遭うのよ」 「そ、そうなんですね」 「そうよ。そして感想の返信は時間が経てば経つほど書くのが億劫になっていくの。その気持ちは私も判らないでは無いけれど……悲しい事に、感想の返信をしない人は少なくないわ。それはせっかく時間を割いて感想を書いてくれた方に対して、とても失礼な行為だと思うの」 淀み無く色々な事を教えてくれる涼子先輩。やはり彼女はかなりのヘビーユーザーなのだろう。 「確かにまあ、俺の作品はきっと大反響を巻き起こすでしょうからきっと感想もたくさん貰えると思います。おそらくはその返事というのも大変な作業になるんでしょうけど、まあこれも強者の宿命というものでしょうね。柔道やってた時も似た様な経験ありますよ」 うんうん、と頷きながら先輩に視線を返す。彼女は何故か少し泣きそうな顔になって俺の顔を見詰めた後、 「何を書かれても、決して短気を起こしてはダメよ。もしも耐えられなくなったら私を呼びなさい。この身体全てを使って慰めてあげるから」 今までに見た事も無い真剣な表情になって、そう言った。 一体この変態は何を言っているのだろう? そんなこんなで迎えた、ミツル企画投稿期間最終日。 俺は今、パソコンの画面を睨みながら横目で時計を見つめている。 時間は23時58分52秒。53秒。54秒…… お察しの通り、涼子先輩のアドバイスに倣ってギリギリを攻めている。その為に俺はパソコンの前で待機しているのだ。 時計が23時59分を表示。 「よし。ここまで粘れば良いだろう」 あらかじめ準備しておいた画面の、『投稿する』をクリック。 程なくして俺の傑作小説は投稿画面の最上部にその名を現した。 俺の作品の真下に一作、別の作品が新たに表示されている。『夜の三角締め』というタイトルから察するに、きっとこれは涼子先輩のものだろう。 「よし」 謎の遣り切った感を覚えつつ、あえて俺はパソコンの電源を落とす。 ふふふ、きっと明日の朝にはもの凄い数の感想が書かれているに違いない。この作品を足掛かりに、俺はプロのラノベ作家としての華々しい一歩を踏み出すのだ。 当初の目論み通り、作品の最後には『なれる』のURLも載せたので明日はそっちも大盛況だろう。規約に『作者が誰であるか容易に推察できてしまう、もしくは推察させる材料になるたぐいの迷惑行為は禁止』とあったので、今まで使っていた「山下」のページとは別に「マウンテンアンダー」という名で別アカのページを作ったりと、余計な手間も掛けてしまったが。 さあ見ていろ文芸部の連中よ、そして涼子先輩よ。 ラノベ王に、俺はなる! ☆ 「で、どうだった? 初めてのミツル企画は」 新学期開始早々。 我々のアジトである図書室の一角で、二週間ぶりに会った涼子先輩は複雑な表情で俺にそう問いかけてきた。 「……………………聞きますか、それ」 俺は光彩を失った目で彼女を一瞥する。 「あらあら見事なレイプ目ね。まあ、きっとこうなるんだろうと思っていたけど」 「うるせえですよ……」 結果は散々なものだった。 俺の書いた超傑作小説は、参加作品二十八作中二十八位という見事なドベ。しかも獲得点数が-280点という、目を覆いたくなるものだった。 書かれた感想も、 Hide -20点 ええと、この作品は一体何を伝えたかったのでしょうか? 作者の自己満足だけで、それを読者に伝えようという気持ちがまったく感じられませんでした。 あと、未完成の作品は投稿するべきでは無いと思います。 とか、 雀小次郎 点数評価無し 執筆お疲れ様です。雀小次郎と申します。 読ませて頂いたので、感想を残したいと思います。 ・一読した印象 作者コメントを見ますと、どうやら『なれる』で連載している長編のプロローグの様ですね。 それが掌編として成立していればまだ批評の対象となりますが、御作はそういった体を成しているとはとても思えませんでした。 ・良かった所 作者様はこのジャンルがとても好きなのだろうという熱意は伝わりました。 ただ、その熱意が空回りしている様に見受けられます。 設定が造り込まれているとは感じますので、後はそれをどう読者に伝えられるかを考えると成長のヒントになるのではと感じます。 ・気になった所 先程も書かせて頂きましたが、御作は掌編としての体を成しておりません。 内容に関しても、ほぼ全てが世界観の説明。それも聞き慣れない造語を多用している為、イメージができません。もし世界観の説明だけで掌編を一作書こうというのなら、その設定自体を作品として発表できるくらい徹底的に作り込むか、あるいは一種の話芸として講談口調で押し切るとか。とにかくそれなりの力技に頼らなければ難しいでしょう。そういう意味においても御作は一個の掌編として成立していないと言わざるを得ません。 ・より良くする為のアドバイス ライトノベル以外の、もっと多くの小説を読んでみてはいかがでしょうか? そうしてもっと読者目線でものを見る事ができる様になると、自ずと書き方も変わってくるかと思います。 ・最後に 異世界転生ものが好きという気持ちだけは痛い程に伝わりました。 長編のプロローグとして見れば興味を引かれなくもないのですが、しかし設定自体に色々と既視感を覚えてしまうのもまた事実です。もう少し作者様ならではの武器があればと感じました。 雑な感想ですが、少しでも参考になれば嬉しいです。 とか、 わさお -30点 わさおと申します。拝読しましたので、感想など書かせてもらいます。 ……と、いつもなら書き出す所ですが、ごめんなさい。御作に感想を書く気はありません。 何故なら御作は規約にある『未完成の小説は投稿禁止』に明らかに違反していると見受けられるからです。 もしかしたら、作者様は 「これはプロローグだけど、一編の小説として完成している」 と主張するのかも知れませんが、残念ながら僕にはそうは見えません。起承転結の起すらも終わっていないというのが率直な感想です。 しかも、あなたはこの場を単に、自作の宣伝をする場としてしか見ていない。 作者コメントに「続きはこちらから読めます」などとURLを載せている事からも、それは容易に推測できます。 ここは鍛錬の場だと僕は思っています。 僕は執筆が上手くなりたくて、ここで勝負をさせて頂いています。 僕のそういった思いを汲んで、全力で殴り合ってくれる同志達が居ます。 そんな場を、あなたの宣伝の場として汚されるのは不愉快極まりないと断言します。 あなたみたいな人は、正直二度と見たくないです。 乱文ご容赦を。 とか。 「そりゃもう散々に叩かれましたよ……」 「まあ、そうでしょうね」 「で、でもでも! 一人だけ褒めてくれた人が居たんですよ! きっとあそこで一番まともな感性を持った人なんでしょうね、この人」 枡多亜米紫苑 評価なし しびれました。 ねえ、どうすればこんな話書けるんですか? クオリティの高さにびっくりしました。 ソードファイトオンライン以来でしょうか、この衝撃。 がんばってこれからも書いてください。 「これ、縦読みよ」 「……………………………………あっ!?」 「前も言ったけど、あそこはガチで小説勝負するのが大好きなバトルジャンキーの巣窟なの。そこにあんなあからさまな事したら、こうなるのはむしろ当然よ」 「あんたの小説だって、起きたら無くなってたじゃないか」 「ええ、BANされちゃったわね。ギリギリを攻めるつもで書いたのだけど、ちょっとやり過ぎちゃったみたい。てへ」 やはりと言うか、涼子先輩の作品は本格的にダメなやつだったのだろう。 結局俺達の、文芸部に一矢報いるという目標は何一つ達成されないまま企画は終わった。 残ったのは癒し様の無い心の傷と、罵詈雑言の書かれまくった幾つもの感想。そして『なれる』に作ったマウンテンアンダーのマイページだけだった。 すぐに消したけど。 ☆ 「やっぱりね、もっとこう地道に活動するべきだったんですよ」 「あら、まだ続けるつもりなの? 意外とタフね」 「実はメンタル的に結構ギリギリですけどね。でも俺昔っから諦め悪いんです」 今日も今日とて俺達文芸愛好会は、アジトである図書室の一角で蠢いている。 先日のミツル企画で惨敗した俺達。しかもあの作品が何故か俺のものだと文芸部の連中にバレたらしく、もはや文芸部復帰は不可能と言えるだろう。 「なので、この際地盤を固める所から始めようと思います。まずは愛好会から同好会へのクラスチェンジを目指しましょう」 「はあ。でもね、山下君。勝手に名乗るだけの愛好会と違って、同好会を立ち上げるには生徒会の承認が必要よ。同好会になれば雀の涙とは言え活動予算が貰えるのだから、当然の話ではあるのだけれど」 「そうです。同好会として学校に認められれば、俺達の存在は盤石なものになるんですよ。部室が無くて図書室を不法占拠するなんて事も無くなるんです」 「とは言ってもねえ。只でさえ私達は評判が悪いのに、同好会結成に必要な『最低四人の部員』をどうやって揃えるつもりなの?」 専ら評判を悪くした張本人が賢しげに言う。一体誰のせいで俺がこんな目に遭っているのか、この変態は判っているのだろうか。 「そんなもん頑張って集めるしかないです。さし当たっては……静先輩!」 司書カウンターに向かって声を掛けると、中から「ひゃ!ひゃいっ!」と返事が聞こえ、程無くして巣穴から出て来たプレーリードッグみたいに静先輩が顔を出す。 「な、なにかご用でしょうか、山下様……」 「そういう事ですんで、静先輩文芸同好会に入会してください」 「ひっ……で、でも……私、図書委員長で……その……」 「大丈夫。名前だけ貸してくれれば良いですから。そんで、出来たら来年ここに入って来るであろう妹さん『にも』お願いできれば」 俺の提案に、静先輩は何故か泣き顔になって。 「わ……わかりました山下様……名前はお貸ししますので……妹だけは……妹だけには……」 再びひぐひぐとえづきながらカウンターの中に隠れてしまった。 ううむ、妹さんはラノベ派じゃなくて漫画派なのだろうか? まあそこは今考える事じゃ無いな。来年度になったらまた提案してみよう。 ともかく。 「見ましたか先輩。これで三人目ゲットです。この調子で四人目もとっ捕まえて同好会を目指しましょう」 「……あなた、行動力だけはやたらとあるから質が悪いわね」 翌日。 いつもの様に図書室に顔を出すと、変態の姿が無い。カウンターの中に生き物の気配がするから、どうやら静先輩は居るみたいだけど。 「珍しいな。いつもはもうここに住んでるんじゃないかって頻度で居るのに」 まあ居なければ居ないで平和に過ごせるから、別に問題は無いのだが。 ――なんて事を考えていると、まるで示し合わせたみたいに扉が開く。 「今日は遅かったんですね先輩……って、髪どうしたんです? 失恋でもしました?」 現れた涼子先輩の、なんと胸くらいまであった黒髪がバッサリと切られているではないか。ちょうど顎のラインに切り揃えられていて、その見た目(だけ)の良さも相まってまるで日本人形の様だった。 先輩は、俺の軽口に怪訝そうな顔を向けると、 「……誰かしら?」 と冷たい口調で返して来る。何だよ今更クールビューティー気取りですか? 「誰かしらとはご挨拶じゃないですか涼子変態。僕ですよ、あなたの永遠のライバルにして不倶戴天の敵、山下きゅんじゃないですか」 うん一体何言ってんだろう俺。 我ながら自分の返しに疑問を抱いていると、先輩は何故か納得が行った様な顔になって「なるほどね」などと呟いている。 「一体何が『なるほど』なんですか。ていうか何急にイメチェンなんかしてんですか。男ですか? ついに先輩にも男の影が?」 更なる追撃を掛けた、しかしその時。 「今日はずいぶん賑やかね……あら?」 見慣れた、いつも通りの涼子先輩がヌルッと現れる。 「えっ?」 「……」 あまりの事に俺は言葉を失い、短髪の涼子先輩は冷ややかな目で長髪の方を睨みつける。 「最近見かけないと思っていたら、こんな所にたむろしていたのね」 「敦子……その『こんな所』に、一体あなたが何をしに来たの?」 「たまには本でも借りようと思って来ただけよ。姉さんが居ると知っていたら、足を運ばなかったわ」 …………姉さん、ですと? 見れば確かにクリソツ。毎日顔を合わせている俺ですら間違える程の、ふたりはきっと一卵性双生児なのだろう。 「先輩、双子の妹さん居たんですね。知らなかった」 「そうでしょうね。言っていないもの」 普段なら「私のヒミツ、何でも教えてあ・げ・る(はぁと)」とか平気で言ってくる筈の涼子先輩が冷たい声で返して来た。敦子と呼ばれた妹さんも、何やらトゲトゲとした態度で涼子先輩に接している。 ううむ。この姉妹、どうやら仲が悪そうだけど…… 「ええと、妹さんは敦子先輩と仰るんですか?」 俺は秒で変態から視線をずらし、妹さんに話し掛けた。 「ええ、そうよ。あなたは山下きゅんね?」 「はいごめんなさい山下君です。ええと、敦子先輩は小説に興味はありませんか?」 「は?」 「ちょっと! 山下君!?」 突然の問いに、敦子先輩は戸惑い涼子先輩は声を荒げる。 「もしも良かったら、俺達の文芸愛好会に入ってもらえませんか? 先輩が入ってくれると、会員が四人になって同好会に格上げできるんです!」 間髪入れずにグイグイと勧誘。こういう時は迷ったら駄目だ。小さい頃から判断が遅いとビンタされて育った俺には良く判るのだ。 「無駄よ山下君」 予想通り、涼子先輩は鋭い声で俺の話を遮ろうとする。 対する敦子先輩も、やはりクールな瞳で俺を一瞥して、言った。 「そうね。姉さんみたいな淫乱と一緒に活動するのは遠慮願うわ」 「姉に向かってずいぶんな言い草ね」 「エロ小説ばかり書いているのは事実でしょう?」 一瞬だけ火花でも散りそうな視線を交わした後、姉妹は示し合わせたような背中を向ける。敦子先輩はそのまま扉へ。涼子先輩は俺の居るテーブルへ。互いに相手など居なかったかの如き振舞いで。そして敦子先輩は図書室を出て、ぴしゃんと扉が閉められた。 「ねえ先輩、水臭いじゃないですか。どうして妹さんが居るの黙ってたんです?」 「言う必要あったのかしら?」 「まあいいですけど。ねえ先輩、どうにかして妹さんを会に入れる事ってできませんか?」 涼子先輩は、今までに見た事もない位に面倒臭そうな顔になって溜息を吐く。 「今の見てたでしょ。私とあの子は言わば水と油。光と影。パリピと陰キャ。互いに相容れない存在なの。いくらあなたの頼みと言っても、こればかりは無理ね。それに」 一端言葉を切って、真剣な顔になって俺の目を見つめて。 「もしもあなたがこれ以上の混乱を招きたくないと願うなら、あの子に関わるのは止めなさい。これは警告よ」 「はあ。でも、妹さんって涼子先輩と違ってまともなんですよね? 先輩の事淫乱とか言ってたし。ていう事は言ってみれば妹さんは涼子先輩の上位互換って事じゃないですか。見た目もクリソツだし、それでいて常識人なんて最高じゃん。よしここは何としても敦子先輩を引きずり込んで、同好会を立ち上げよう。その後にやんわりと涼子先輩を切れば、全て丸く納まる。よしそうしよう」 「うん、あなたのそういうナチュラルガチクズな所、決して嫌いじゃないけれど。でも、もう一度だけ言うわ。あの子と関わるのは止めなさい……今のぬるま湯みたいな生活を続けて居たいのなら、ね」 なんだかえらくシリアスな顔をして言う先輩。って言うかぬるま湯って何だよ俺はいつでも本気だよ。 ……とまあ、それはさておき。 ふっふっふ、俺には判りますよ涼子先輩。 これはきっと恐れを伴った嫉妬なのだろう。妹さんに俺が取られるという事への。 しかし。 「HAHAHA見ていて下さい涼子先輩。俺はやりますよ。妹さんの事は幸せにしてみせますから、あんたはその辺で見守っていてください。アデュー」 俺は強い心で背を向けて、図書室を去った。 きっと急げばまだ間に合う筈だ。まずは敦子先輩を捕まえないと。 『あの変態とは手を切ります、俺と文芸同好会を立ち上げてください』と頼み込めば、姉に反感を抱いていると思われる彼女が乗って来る公算はきっと大きい。 「よし!」 再び見えて来た明るいスクールライフ目指し、俺は廊下を走り抜けた。 ☆ 校内を散々走り回った挙句、敦子先輩を見つけたのは職員室の手前だった。 「敦子先輩! 待ってください!」 俺の掛けた声に、びっくりした様に彼女が振り向く。 すかさず詰め寄って、彼女の正面に立って頭を下げる。 「お願いです! 俺と文芸同好会を立ち上げて下さい!」 「山下きゅん……さっきも言ったけど、私は姉さんと一緒に活動なんてしたくないの」 「それです。涼子先輩の魔の手から逃れる為に、どうか俺に協力してください。そもそも俺が今悲惨な状態に陥っているのも、全部あの変態のせいなんですから」 それから俺は堰を切った様に、今まで涼子変態から食らった仕打ちを全てぶちまけた。そして再び頭を下げて、 「お願いします! 今や頼れるのは敦子先輩だけなんです!」 恥も外聞も無く拝み倒す。 「うぅん……」 敦子先輩は困った様な顔で俺を見ているが、しかし明確に拒否もしてこない。 これは脈があるのではなかろうか? 何か、もうひと押しできる材料があれば―― そう、頭を下げつつ灰色の脳細胞をフル回転させて思案を巡らせていたその時。 「山下貴様かあ! さっきから学校中を走り回っていたのは!」 背後からガッシリと身体をホールドされた。 「!?」 2mを超える身長の俺をここまで固める事ができる人物など、この学校には一人しか居ない。 「さ、佐藤先生かっ!?」 「そうだ、俺だ!」 背後からのホールドから一瞬の隙をついて右腕を取り、片羽締めに持って行こうとしながら柔道部顧問である佐藤先生は耳元で叫ぶ。 「山下あ! 貴様、いつまでも文芸愛好会なんぞで遊んでないで柔道部に入れ! 貴様の親父さんからも頼まれてるんだッ! いいかげん柔道に戻って来い!」 「いやだ! 俺はもう柔道なんかやらない! 俺はラノベ作家になるんだ!」 頭を後ろに反らして気道を確保しつつ、取られた右腕を相手の後頭部に無理矢理回して襟を掴む。 「いつまでもガキみたいな事言ってるんじゃねえ! いいか、お前はオリンピックを目指せる器なんだぞ! もっと自分の才能を大事にしろ!」 「俺はラノベ作家としての才能を信じるんだっ!」 「そんなもんお前にある訳無いだろう! 大人しく柔道に戻れ!」 ギリギリ、ジリジリとむさ苦しい締め技の応酬。この暑苦しさも絵図の悪さも俺が柔道を辞めたい理由のひとつだったのに。 ――それを、選りによって敦子先輩の前で晒させやがって! 「いい加減にしろっての!」 胸の奥に湧き上がった怒りに任せ、掴んだ襟と共に相手の右腕をすかさず巻き込んで腰を落とし、同時に左足で相手の脚を蹴っ飛ばす様に弾みを付けて投げ飛ばす。 すると俺以上の巨体を誇る佐藤先生ですらも、面白い様にくるんと俺の背中の上を廻ってビターンと廊下に叩き付けられる。 「や、山嵐……だと……きさま、本当に……てんさ……」 佐藤先生はそのまま漫画みたいにガクッと気を失った。怒りに任せて思いっきり硬い廊下に投げ付けちゃったけど、まあ柔道家は総じて頑丈にできてるからきっと大丈夫だろう。 それよりも、問題は敦子先輩に見苦しい所を見せてしまった事だ。 目の前で、あんな暑苦しい姿を晒した挙句教員を廊下で投げ飛ばす様な奴の言う事なんか、果たして聞いてくれるものだろうか? 「あの、えーと、先輩。これはですねぇ」 どうやってごまかしつつ話を持って行こう? そう考えながら彼女に向き直すと、意外な事無に先輩はぽーっとした表情になって俺を見つめているではないか。 「あれ? 敦子先輩?」 「イイ……」 「へ?」 敦子先輩は、まるで恋する乙女の様に熱っぽい瞳で俺を凝視しながら、歌う様に言った。 「いいわ、山下きゅん。入ってあげる」 「ほ、本当ですか!?」 「ええ。姉さんと一緒なのは気に入らないけど、あなたには創作意欲を掻き立てられたわ」 「ありがとうございます! 一緒に執筆活動しましょう! そしてあの変態をどうにかしましょう!」 「ええ」 俺達は力強く頷き合い、伸びている佐藤先生もそのままに職員室前を後にした。 さあこれで会員4人という問題はクリアした。 後は生徒会に承認させる事ができれば、文芸愛好会は晴れて文芸同好会とクラスチェンジし、文芸部の向こうを張れる団体にする事ができる。 俺達の闘いは、まだまだ始まったばかりだッ! 翌日。 生徒会に交渉した結果―― 『愛好会の活動として何か発表できるものを提出せよ。それを以て同好会として相応しいか精査する事とする』 との言質を得る事に成功した。 「という事なので、何か発表できるものを作らなければいけないのですが」 例によって図書室の片隅。そこで俺達4人は会議を行っていた。 そう。4人である。 俺の隣には泣きそうな顔の静先輩が並び、反対側には涼子先輩と敦子先輩の双子が鎮座している。 姉妹は互いに相手を無視するかの如く、腕を組んで俺に視線を送っていた。 「え、ええと……文芸愛好会が発表できるものと言えば、や、やはり文集、でしょうか、山下様……」 意外な事に、最初に発言したのは静先輩だった。なぜか彼女は俺の事を『山下様』と呼ぶ様になってしまったけれど、まあそこはあまり深く考えない様にしている。 「そうですね、静先輩。ただ……俺が文芸部を追い出された切っ掛けがその文集でもありますから、涼子先輩には手を出して欲しく無いんですよね」 絶対零度の眼差しで、対面に座る変態を刺す。しかし彼女は全く感情を現さない瞳で、 「じゃあ私は何もしないわ。好きになさい」 とだけ呟き、我関せずとばかりに目を伏せた。 ふふん、やはり彼女は嫉妬しているのだろう。 そんな姉とは裏腹に、妹の方は爛々とした目つきで、 「大丈夫よ、山下きゅん。こんな淫乱女の手を借りる必要なんて無いの。私に任せて。文集なんか作らなくても、私が情熱を籠めた渾身の一作をしたためて生徒会に提出するわ」 「おお!」 敦子先輩のやる気に満ちた発言に、俺は大きな感動を覚える。やはりこの人は変態の姉とは違って頼りになりそうだ。 「よろしくお願いします」 まるで後光が差しているかの如き敦子先輩のご尊顔に、拝む気持ちで頭を下げる。 聖女の隣の悪女は小さな溜息と共に、「知らないわよ」とだけ言い捨てて、席を立つと図書室を出て行った。 「……………………」 隣で静先輩が難しい顔をしながら、敦子先輩と閉ざされた扉を交互に見やっていた。 ☆ 「う……うっぐ、ひぐ、えっぐ……うぇえええ…………」 俺は放課後、一人図書室で泣いていた。 先程、生徒会室に呼び出されて会長の伊織先輩から渡された、一束のコピー用紙を握りしめながら。 それはもちろん、敦子先輩が生徒会に提出した『渾身の一作』である。 「山下……俺、もう我慢できないんだッ!」 「な、何です? どうしたんですかせんせ、うおっ!?」 言うや、先生は突然俺を足払いで倒して上から伸し掛かってきた。 突然の事に混乱していた俺は、彼にされるがまま体を押さえ付けられている。 ようやく押し倒された事に気付き、抵抗してみるも所詮は教員と生徒の体格差。しかも長年柔道で鍛えてきた佐藤先生の巨体を押し退ける事など、未だ若輩のこの身にできる筈も無い。 「じ……柔道の技を、こんな事に使うなんて。あなたは恥ずかしくないんですか?」 せめてもの抵抗に、先生を正面から睨んで言い捨てる。 でも…… 「山下がいけないんだ……山下が、良い身体してるから……俺にあんなにも慕ってくれるから……だから、俺は……俺は、先輩を俺だけのものにするッ!」 一瞬だけ悲しそうな顔をした彼は、しかし次の瞬間にはケダモノの目になって俺の唇を奪ってきた。 ああ……俺の、初めてのキッスはこんな形で…… でも、もちろんそれだけでは終わらない。 先生は俺の唇を貪りながら、両手で体を弄り始める。きっと今日、俺は色んな『初めて』を先生に奪われてしまうのだろう。 それなのに…… 俺は、自分の中の『開いてはいけない扉』がこじ開けられていくのを感じる。 まるで、俺の本能が、俺より強い雄を求めているかのごとく―― 「よくもまあこんなものを提出できたものですね。部活動を馬鹿にしているんですか?」 完全に汚物を見る目付きで、伊織会長は俺達を見下して。 「不可です。絶対に不可です。この様に破廉恥な小説を書く活動など、当生徒会は絶対に認めません」 そう言い切った。 一緒に呼び出された敦子先輩は、 「これは破廉恥小説などではありません。純粋なる愛を表現した文学です」 と声高に言い張っていたけれど、もちろんそんな虚言が通用する筈も無く、結局俺達は散々に説教を食らった後生徒会室を追い出された。 ――嗚呼、なんで俺は気が付かなかったのか。変態の妹はやっぱり変態じゃないか。あのふたりが反目していたのは、単に性癖が違ってたからじゃねえか…… そして、そんな変態姉妹に頼ったばかりに、文芸同好会への道は完全に断たれた。 更には俺の創作意欲も、今や風前の灯だ。 そう……こんな思いをしてまで、小説を書く必要なんかあるのだろうか…… 「ひっぐ、ひっぐ、ひっぐ……」 余りの悲しさに。空しさに。悔しさに。只々涙が零れる。 俺のやって来た事は、一体何だったのだろうか…… 柔道をやっていた時も感じた事の無かった挫折と無力感に、只々打ちひしがれる。 俺はこれから、一体どうすれば良いのだろうか…… 何も考える事ができず、ただ幼子の様に涙を流し続ける事しかできない。 しかしその時、不意に―― 「や、山下様……」 背後から声を掛けられた。 「静先輩……居たんですか」 振り返ると、司書カウンターからやはりプレーリードッグみたいに顔だけ出している静先輩。 「こ、ここ、こちらに、いらしてください」 彼女はちょいちょいと手招きしてきた。 若干訝しがりつつも、心の弱った俺は手招きに応じてカウンターに向かい、内側に入る。意外な程に広かったそこは、どうにか俺の巨体を潜り込ませる事ができた。 「ど、どうですか? く、暗くて、狭い所は、お、落ち着くと思いませんか?」 「はあ」 涙に濡れる顔を袖でゴシゴシと拭い、先輩に向くと彼女は恥ずかしそうにしながらも、真っ直ぐに俺を見つめ返している。 すぐ隣の、見た目だけなら小学生と言われても気付かないちっさな先輩が、今はとても頼もしく感じられた。 その静先輩は、俺の目を真っ直ぐに見つめながら言った。 「お、お話を……したいと、思いまして」 「話、ですか」 「は、はい。山下様……いい、今まで、おかしいとは思いませんでしたか?」 「おかしい? 一体、何をです?」 俺の問いに、彼女は今までに聞いた事の無い、硬い声で。 「きっ、君塚さんの、事です」 ☆ 「わた、私は以前から、何かと言っては、ここに潜り込んでいるのです。た、楽しい時も、苦しい時も。只でさえ人の居ない図書室の、し、しかも、こんな所。普通は、誰にも気付かれないですから」 「は、はあ」 「あ、あの時も、そうでした。知っての通り、私は、きみっ、君塚さんに、とても大きなひひ秘密を、知られてしまったのですが……あああ後になって考えてみると、色々おかしいんです。端的に言うとっ、あっ、有り得ないんです」 「それは、一体?」 何故か彼女は耳まで真っ赤になって泣きそうになりながら、それでも言葉を続けた。 「わ、私が、そのぉ……『それ』をしていた時、と、扉にはしっかりと鍵を掛け、ももももちろん、部屋の中に、誰も居ない事をちゃんと確認していました……にも、関わらず、君塚さんは、全てを知っていたのです。それも、それもっ、目の前で見ていないと判らない様な事までっ」 「ふむ……」 「お、おかしい点は他にもあります。山下様が、わ、私を最初に脅迫した日、あなたは私にちゅ、中学生の妹が居る事を、知っていましたね。い、一体何故ですか?」 「そう言えば、俺は一体どうして静先輩に妹が居るなんて知ってたんだろう?」 因みに俺は脅迫したつもりなど微塵も無いのだけど、まあそれは今は置いておくとして。 「ま、まだあります。例の『ミツル企画』……ど、どうして彼女は、他の人達のハンドルネームまで、ぜ、全部知ってたんでしょうか? そそそれも、文芸部の人達だけじゃなくって、食堂のご主人とか、が、ガス屋さんの事まで」 「た、確かに」 「そ、そして、これが一番のぎ、疑問なんですが」 静先輩はひとつトーンを落とした声で、少し震えながら。 「き、君塚さんに、ふふ、双子の妹なんて……聞いた事、無いです……」 「え!?」 「わ、私はここに入学した時から、彼女を知ってますが……妹が居るなんて、は、初めて知りました……おかしくないですか? ににに2年以上も一緒の学校で、ふ、双子が居ると、知らなかったなんて」 考えてみれば、それは確かにおかしい話だ。 あれだけ美人でしかも色んな意味で目立つ彼女に双子の妹なんかが居たら、本来ならもっと目立った存在じゃなくてはおかしい。 「言われて見れば、確かにあの変態はおかしい事ばかりですね。でも、一体どうして……」 頭を捻る俺に、静先輩はごきゅりと大きく唾を飲み込んでから、改めて視線を合わせて言った。 「ど、どうしてかは、わかりませんが……」 「わかりませんが?」 「たたた、たぶん……あなたに、深く、関係しているのでは……と……」 「…………なんですと?」 彼女の言っている意味が分からない。。 「ごめん静先輩、ちょっと理解できない。確かにあの変態の様子が色々と謎で、得体の知れない事は理解したけど。それと俺と、一体何の関係があるの? って言うかもしそうだったとしてもやる事が一々大げさすぎない? 何だよあの謎の妹とか」 「そ、それは、わ、私にも、わかりませんが……で、でも、そう考えると、し、しっくりくるん……きゃあっ!?」 「うおおっ!?」 密談していた俺達の、籠っていたカウンターが突然持ち上げられて急に明かりに照らされた。 「なっ…………」 あまりの衝撃に、俺は言葉も出せないでいた。それは静先輩も同様なのだろう、彼女は俺にしがみ付いたまま、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせている。 そして―― 悠に100㎏はあるだろう司書カウンターを、片手で高々と持ち上げた涼子先輩が俺達を見下ろしながら、冷たい声で言った。 「これだから勘の良い合法ロリは嫌いだよ」 ☆ 「な~んちゃって。驚いた?」 驚愕に声も出せない俺達に、涼子先輩は瞬時にあのシイタケの断面図みたいに嫌らしい笑みを浮かべた。 「りょ、涼子先輩……それ、それ……」 俺の目は、彼女が持ち上げているカウンターに釘付けだ。あんな巨大な物、片手で持ち上げるなんて俺でも無理だ。一体何が起きて…… 「ああ、これね。簡単な重力操作よ」 そう言うと先輩は事も無げにぽんぽんと、まるで風船で遊んでるみたいにカウンターを空中に飛ばしてはキャッチしている。 「き、君塚さん……あ、あああなた、な、何者なんですか?」 俺にしがみ付いて怯えた小動物みたいにプルプル震えている静先輩は、それでも黒縁眼鏡の奥から涙に濡れた瞳で睨みつけている。 「ふう……たまに居るのよね、あなたみたいに認識阻害に引っかからない人が。いいわ、全部話しましょう。まあ、どの道そろそろ話さなくちゃいけないと思っていた頃だしね」 涼子先輩はそう言うとカウンターを下ろし、手招きして俺達をいつものテーブルに座らせた。 「結論から言うとね、私はあなた達の言う所の宇宙人。そして昔は神と呼ばれていたわ」 変態は事も無げに、とんでもない事を言い出した。 「いやいやいやいや涼子変態、いくらなんでもそういう冗談はちょっとどうかと思いますよ? ねえ静先輩」 ため息交じりに隣を見ると、意外な事無に静先輩は黙ってじぃっと涼子先輩を見つめている。 「……信じたの?」 俺の問いに、静先輩は否定も肯定もせず、 「ま、まだ何とも、言えません。で、でででも、そう考えると、な、納得はできます」 「ふふ、山下君ひとりだけなら簡単に丸め込む事もできたでしょうけれど。あなたまで巻き込んでしまったのは誤算だったわね」 涼子先輩は例の涼しい瞳で静先輩に視線を返しながら、続ける。 「取りあえず、話を続けさせてもらうわ。先程言った様に私は宇宙人。これを見てもらいましょうか」 言うや、先輩はサッと片手を薙ぎ払う様に振り抜く。するとテーブルの上に、まるでSF映画みたいにホログラムが浮き上がって天体図みたいなものが映し出された。 「ここがあなた達の星、地球。そして私達はここ……地球人の言うところの、アルファ・ケンタウリからやって来たの。目的は、あなた達の進化を測る為」 「進化を……測る?」 俺の声が訝しげに聞こえたのだろう。涼子先輩は大きく頷いて、答えた。 「ええ。かつて私達の先祖が創り上げた人類が、どの程度進化しているのかを我々は定期的に観察しているの」 「な、なななななな……」 「先輩……今、何て?」 涼子先輩の話は、俄かには信じがたいものだった。 「およそ今から二十万年前。私達の祖先は、この星に生息していた猿人に遺伝子操作を行ったわ。そこから膨大な時間を掛けて、私達に似せた人類を作り上げたの。それが、あなた達」 「いいい、一体、何故、そんな事を」 「私達は進化の頂点に達した結果、緩やかな滅亡への道を歩んでいるわ。それをどうにか打破する為に、あなた達を使って壮大な『実験』をしているという訳ね」 「じゃあ……涼子先輩も、俺達に何かの実験をする為に、そのアルファなんとかから来たって事?」 「ええ。私が担当しているのは、この星で約百年ごとに行っている実験よ」 「百年ごとに? 一体何を?」 「そうね……まず、百年ぶりに始めた実験が去年、2019年。その前は1918年。その前は1855年。その前は――」 涼子先輩が年号を並べる内に、静先輩の顔色が真っ青になっていく。 「ま、まさか……まさか、そんな……まさか……」 「静先輩!? 一体どうしたんです? 今の年号に何があるってんですか?」 「ぱ、ぱぱぱ……パンデミック……」 「え?」 「御名答。1855年はインドと中国でのペスト大流行。1918年はスペイン風邪。そして2019年は」 「……新型コロナ?」 「そう。私達は凡そ百年ごとに、地球人類がどこまでの進化を遂げたか実験する為に特定の病原菌を撒いてきたの。その脅威に、どう対応し克服するか、観察する為に」 ☆ 「……何て、こった」 まるで三流のSF小説みたいな事を涼子先輩は淡々と語る。 俺はそれを妙にぼんやりとした気持ちで聞いていた。心境的には、自分達人類が実験動物だったなんて信じたくもない。でも……心の奥底では、静先輩の言う通りに『それが本当なら納得できる』という想いもある。 「という事で。私達はこの星で実験をしていて、私は現地調査員として働くために、地球人に紛れて暮らす事になったの。それが数年前の話。そして……私は地球(ここ)で、我々が決してやってはいけない罪をふたつ、犯してしまった」 「やってはいけない、罪?」 「ええ」 涼子先輩は悲しそうな、それでいてどこか吹っ切れた爽やかさすら感じる複雑な視線で俺を見つめて、言った。 「ひとつめの罪は、被験体を……あなたを愛してしまった事」 「お、おう……」 以前から露骨なアプローチを散々に掛けられていたけど、こうやって改まって言われると流石に色々と来るものがある。こんな状況にも関わらず、思わず赤面してしまった。 「元々は、あなたは只の観察対象だったの。地球人の中でも、特に身体能力の高いあなたを観察する事は後のソースとして有用だと判断したから。それはまあ……良かったのだけれど」 「けれど?」 「あなたに接している内に、私は……私はあなたのその肉体美に、取り付かれてしまったわ」 「結局それかよ!」 今更ながら頬を桜色に染めつつ、宇宙人涼子先輩は極めて涼子先輩らしい事を言いやがりました。 「聞いて。私達の星では、あなた達みたいな性交渉による個体繁殖は行われていないの。子孫の繁殖は全て化学的に行われるわ。あなた達の言う所の『試験管ベビー』というものね。だから当然性欲などというものは無くなり、もちろん性産業といったものも無ければポルノ媒体や大人のおもちゃなんてものも存在しない」 「ななななんですって!? そ、そそそ、そんな事がっ!?」 何故か静先輩が過剰反応した。 「ええ。だから当然私もその様な知識を一切持っていなかったのだけれど……この星に赴任して間もない頃、現地の文化や風俗を知ろうと思って様々な媒体を精査していた時、見つけてしまったの。そして知ってしまったの。男女の営みが、どれ程素晴らしいかを」 「……だからあんたはエロ小説ばっかり書いてたんですか?」 「そうよ。こんな素晴らしい文化を私達は捨て去っていたなんて! 特に凌辱という行為に私は強く興味を引かれたわ。あんな、パートナーをモノの様に扱って性処理の道具にするなんて……されたら一体どんな気持ちになれるのかしら? とても知りたいわ」 「わわ、わかりますっ」 「判るの!?」 「なのでいつしか、山下君をそういう対象として見る様になってしまったわ……これは現地調査員として、二番目にやってはいけない事」 「に、二番目なんだ。じゃあ、もうひとつの罪っていうのは」 「これも、同じ位にやってはいけない罪。私は……山下君、あなたの未来に干渉してしまったの」 「……はい?」 「私は日に日にラノベに嵌って行くあなたの事が心配になって、やってはいけない『未来予測』を行ってしまったわ」 「み……未来を、予測、できるん……ですか?」 「そうね。私達の使う演算機はあなた達のコンピューターとは規模が違うから、地球人の予測程度ならかなりの確率で出来るわ。それで、私は山下君の今後を予測したの……結果は酷いものだった」 「マジか」 「マジよ。あなたはあのまま文芸部に居たら、過信していた自分の実力を様々な形で思い知らされて……84%の確率で心を病んで引き籠りに、65%の割合で暴力行為による退学。どちらにしても転落人生を歩むわ。更にそこから72%の割合で何らかの犯罪者になり、最悪23%の確率で世界犯罪史上に残る程の凶行に走ると予測されていたの」 「……………………」 「……………………」 「それを防ぐために私は強引な手段であなたを文芸部から切り離し、その後も創作活動を続けるあなたの心を折ろうと色々画策したわ。その詳細は、先程静さんが語った通りね」 「じゃ、じゃあ敦子先輩も……双子の妹っていうのも」 「あれはレプリカントよ。ほら」 涼子先輩はおもむろに、鞄から敦子先輩の首を取り出す。首だけになった彼女は、虚ろな目をして『ホモォ……ホモォ……』と呟いている。 「いや怖ぇよ!」 「とまあ、こんな感じ。ご覧の通り私達の技術で造っているから、地球人にはまず見破る事などできないでしょうね」 淡々と話す涼子先輩の言葉に、俺は只々打ちのめされた。 彼女が宇宙人という事も、俺達が実験動物だった事もショックだったけれど、やはり自分に関わる事となると妙に生々しい。俺は告げられた未来予測に、正に背筋の凍る思いを味わっていた。 「そ、そそそ、それで……君塚さんは、や、やってはいけない罪を犯したって、言ってましたけど……そ、その、罰則とかは……」 「そうね。私が犯した罪は、到底許されるものでは無いの。だから私は本星に送還される事になったわ。だから、今日はあなた達にお別れを言いに来たの。そしてたった今、みっつ目の罪を犯しちゃった。きっとこれが一番大きな罪になるわね」 てへ、と舌を出しておどける涼子先輩。 「みっつ目の罪?」 「そう。私達の秘密を、あなた達にばらしてしまった事。ここまでやってしまったら、私はもう二度とこの星の地を踏む事はできないでしょうね」 己の秘密全てを告白した者特有の、いっそ眩しさすら覚える程に晴々としたスマイルを見せて涼子先輩が俺に向き直った。 「ねえ、山下君。あの『ミツル企画』のお題。覚えている?」 「うえ? ええと、確か……天に星 地に花 人に愛 でしたっけ」 「そう。これは武者小路実篤という昔の日本人が残した、『天地人それぞれに取って大切な、美しいもの』という話だけれど……これは私にはとても胸に刺さる言葉だったわ」 「と、言うと?」 「確かに私達は天の星々を手に入れはしたけれど……進み切った機械化文明によって母星に花など咲く地は残っていないし、我々は愛し合って子を成す事も忘れてしまったわ……」 恐らくは遥かな母星の事を思っているのだろう。遠い目をして涼子先輩が続けた。 「あなた達地球人は、私達が忘れ去ってしまったものを沢山持っている。生体実験なんかしていないで、もっとそういう事を学ぶべきだったのよ」 遂に涙を零しながら、それでも声高に涼子先輩は言う。 「私達はあなた達地球人を、まるで実験動物の様に扱っていたのだけれど、それは大きな間違いだという事に気付かされたわ。あなた達から学ぶのは、そんな方法じゃあ無い。私はこの星に来て、色々な事を教えられたわ。そして自分達の行いを深く悔いた。もう私はこの星に来る事はないでしょうけれど……私はあなた達から教わった事を母星で説こうと思っているの」 「涼子……先輩」 彼女は今まで見た事の無い、とても素敵な笑顔になって涙を流している。 ――その姿が、一瞬乱れたテレビ画面みたいにぶれた。 「あら、超空間転移? んもう、強制送還とは管理局もせっかちね」 先輩の姿が、どんどん歪んでいく。 「お別れの時が来たみたいね。ふたりとも、たまにで良いから……夜空を見上げた時、私の事を思い出してくれると、嬉しいな」 「先輩!?」 「き、君塚さん!」 「ふふふ。静さん……あのお遊びはもう止めなさい。演算によると、このまま続けたら76%の確率であなたは悪い男に見つかっておもちゃにされて、酷い人生を歩む事になるわ」 「ひっ!? は、はいぃ」 静先輩は何故か急に涙目になって涼子先輩に深々と頭を下げた。 「山下君……あなたに執筆の才能は微塵も無いから、ラノベは読むだけにしておきなさい。その代わり柔道を続ければ、あなたは世界の頂点に立てるわ。いい? ラノベ作家は諦めるのよ?」 笑い泣きでそう言う先輩に、俺もきっと似た様な表情になって答える。 「うるせえですよ……」 いよいよ姿が乱れた画像の様になり、今や人の形かどうかも判らなくなった涼子先輩。 でも、彼女はきっと笑顔でいると俺は確信している。 「さようなら、涼子先輩。俺……あんたの事は嫌いじゃなかったです。清楚ヒロイン系で攻められていたら簡単に落とされてましたよ」 「ふふふ……それは……残念ね」 ぶうんっ! とひと際大きくぶれて、一瞬激しく光る。 それが彼女を見た最後だった。 消える直前、涼子先輩は普段のクールさを捨てて、大きな声で叫んだ。 「ああもうっ! 一度でいいから種付けプレスってしてもらいたかったなあっ!」 涼子先輩は最後まで涼子先輩だった。 エピローグ ――趣味とか、最近ハマっているものってありますか? 「ラノベですね。昔から好きだったんです。一時は自分で書いてみた事もあるんですよ」 ――へえ、そうなんですか。意外ですね。 「ははは、うるせえですよ」 あれから三年が経った。 結局、俺はラノベ作家の道を断念して柔道に戻った。 先輩の予測通り、俺は高校柔道では負け知らずの快進撃を続けて大学にも推薦で進学し、結局2024年に先送りされた東京オリンピックに日本代表として選抜された。 今日もそのオリンピックに関連した、テレビの取材を受けている。 マイクを向けられている俺を、あの後なし崩し的に付き合う事になった静さんが隅っこからキラキラした瞳で見守ってくれている。清楚で可愛くてそれでも夜は非常に積極的な彼女は俺にはもったいない位の、最高の恋人だ。何故か妹さんには未だに紹介してもらえてないけど。 ――最後に。山下さんのスペシャルフレーズをお願いします。 「はい。これは僕の…………先輩が教えてくれた言葉なんですが」 インタビュアーに応じて、カメラの前に置かれたアクリル板にマジックで書き殴る。 天に星 地に花 人に愛 |
黒川いさお 2020年12月27日 05時01分59秒 公開 ■この作品の著作権は 黒川いさお さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2021年01月11日 02時27分30秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時26分24秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時25分36秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時24分46秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 03時03分33秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時10分08秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時07分43秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時05分21秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時04分18秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 02時01分42秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 01時59分25秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 01時58分20秒 | |||
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Re: | 2021年01月11日 01時57分28秒 | |||
合計 | 13人 | 320点 |
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