キュア

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 炎ってあったかくて綺麗だけど、近づきすぎると怖いじゃない?
 きみとはきっと、そういう関係なんだろうな――。

 遠い目をして彼女はいう。

「わたしは――」

 だからこう言い返してやったんだ。

「わたしは焼け死ぬ覚悟であなたを好きになった」

 もともと大きな瞳を落っことしそうになるくらい見開いて。
 彼女はわたしの告白に目を丸くした。

「離れないで」

 わたしは彼女の細い肩をぎゅっと抱きしめる。
 長い髪と耳のすき間から、淡いシャンプーの香りがした――。



 はじめに声を掛けてきたのは彼女のほうだった。

 新学期、市外の女子高に入学したわたしはクラスメートにも馴染めず、よくひとりで本を読んでいた。
 席決めで運よく獲得した窓際の列。
 カーテンを揺らす柔らかな風に頬を撫でられながら、静かに文字を追う。

 そこに颯爽と彼女は現れた。

「それハインライン?」

 授業の間の休憩時間。
 空いていたわたしの前の席にいつの間にか座っていた彼女が、物珍しそうに声を掛けてきたのだ。びっくりしたわたしは声も出せなかった。

 それもそのはず。
 彼女は学年でもずば抜けた成績と美しい容姿で有名なひとだった。

 わたしとの共有点などクラスメートということと、性別がおなじ女ということくらい。
 もちろん入学してから会話などしたこともない。
 ずっと遠くから見つめるだけ存在だった。

「あ、ごめんね、読書中に」

「い、いえっ」

 やっとのことで絞り出した一言も、緊張してうわずるばかり。
 恥ずかしいったらない。

「海外のSFを、それも原書で読んでる女の子なんて会ったことないからさ」

 おっしゃる通り。
 わたしは勉強は苦手だが、海外SFを読むために数年前から英語だけは自主的に学んでいる。
 いまでは相当難しい単語でもない限り、辞書を引かずに読めるまでになった。

 彼女は茶化すでもなく、純粋に驚いているらしい。
 丸い大きな瞳がキラキラとして、まるでわたしを吸い込んでしまうようだった。

 正直嬉しかった。
 クラスの人気者とこうして言葉を交わせたことが。
 ばかりか、彼女の妖精のような美しさには、陰ながらいつもため息をついていた。

 胸の鼓動が早くなる。
 こんなの――はじめてだった。

「すごいね。今度、ボクにも英語教えてよ」

 あ、ボクっ娘なんだ――。
 爽やかな笑顔が余計にまぶしく感じた。

 それと同時に感じるのは、周囲の妬みの視線。
 なんでこんなちんちくりんの田舎娘なんかが『クラスの王子さま』と親しげに会話をしているんだよ、と。

 わたしは彼女の言葉に遠慮がちにうなずく。
 するとこともあろうか、彼女はスマホを取り出してニコリと笑う。

「アドレス交換しよ」

 きっと殺される。
 わたしは教室に渦巻くドス黒い気配を感じ、地獄のような放課後を覚悟した。

 それからというもの、わたしの高校生活は変わった。
 ひとりで読書をしていた時間が減ったかわりに、彼女と過ごす時間が増えた。

 予想通り、彼女のファンから嫌がらせまがいのことも受けたけれど、それは彼女自身が盾となってくれることで次第に減っていった。

 王子さまって本当にいるんだな――。
 それがわたしの偽らざる気持ちであった。

 憧れのクラスメートが共通の趣味で繋がり、それがいつしか友人への気持ちを大きく逸脱するのにはさほど時間はかからなかった。

 あれは図書室での出来事。
 人目のなくなった書架の間で、彼女はわたしにキスをした。

 少しカサついた唇に、熱い舌先。
 はじめは一体なにが起きたのかと思ったが、すぐに息を止めた。
 だって、わたしの息が彼女の美しいお顔に当たったら失礼でしょ。

「……ごめん、ボク、どうかして……」

 離れていく彼女の身体を引き留めて、今度はわたしからのキス。
 ちょっと背伸びをして、書架から出した本は胸に抱えたまま。

 彼女はわたしの身体を抱きしめてくれた。
 きつく。
 熱く。

 でも――。

 その日から彼女は、わたしと距離を置くようになった。

 ふたりで過ごした時間をまた、わたしはひとりで埋める。
 死んだように息をして、誰にも迷惑をかけないように本を読む。

 彼女は廊下側の席でそっぽを向いて、わたしとは違う友人と、きのう見た動画の話などして談笑している。

 悔しかった。
 なぜなの?

 あの日のキスはなんだったの。

 急に腹が立ってきたわたしは読んでいた本を机のうえに叩きつけて、気が付いたら彼女のまえへと立っていた。

 なによ。
 彼女と一緒に談笑していた友人たちが威圧する。

 でもわたしはそんなことなど気にもとめない。
 もうつぎの授業もはじまるというのに、彼女の腕のつかんで走り出していた。

「ちょ、どうしたのっ」

 困惑する彼女を無視して、わたしは屋上へと向かった。
 とにかくふたりになりたい。
 ふたりっきりで話がしたい。

 屋上のドアを開けると、澄み切った青空が広がっていた。
 普段、運動などまるでダメなわたしは、全力疾走のツケがまわって息もたえだえだ。

 その点スポーツも万能な彼女は、紳士的にもわたしの呼吸が戻るまで、何も言わずに待ってくれている。

「ど、どうしてっ、あの、わたし」

「落ち着きなよ。だいたい言いたいことは分かるから」

「ならっ……なら、なんで?」

 やっと息が整ったわたしの問いに、彼女は難しそうな顔をして屋上フェンスにもたれかかる。
 スカートのポケットに片手を突っ込んで、口をとがらせた。

「きみと会うまで――ボクは自分がその……そういうのだとは思わなかった」

「そういうのって……こないだのキスのこと?」

「……たしかにずっと恋愛に違和感はあったんだ。でもうちの両親はそういうのに厳しくてね。病気とまで言うんだ」

 彼女は厳しい表情をする。
 こんな彼女はいままで見たことはない。

 悔しそうな。
 それでいて何かを後悔しているような。

「プロメテウス……」

「え?」

「ハインラインも殿堂入りしたことあるでしょ、プロメテウス賞。そのプロメテウス」

「ギリシャ神話で人類に神々の炎を分け与えた」

「炎ってあったかくて綺麗だけど、近づきすぎると怖いじゃない? きみとはきっと、そういう関係なんだろうな」

「わたしは焼け死ぬ覚悟であなたを好きになった」

 もともと大きな瞳を落っことしそうになるくらい見開いて。
 彼女はわたしの告白に目を丸くした。

「離れないで」

 わたしは彼女の細い肩をぎゅっと抱きしめる。
 長い髪と耳のすき間から、淡いシャンプーの香りがした。

「あなたがもし病気だというなら、わたしだって病気だわ」

 わたしの言葉に、彼女は涙を流していた。

「ちょっとひとと違うというだけであなたの気持ちを理解しないというのなら、そっちのほうが病気だと思う。この世界が病んでいるというのなら、わたしがあなたを救ってみせる!」

 わたしは一息にそういうと、彼女の唇を唇でふさいだ。

 誰もいない屋上に、爽やかな風が通り抜ける。
 わたしたちはお互いの身体を重ねたまま、しばらくそうしていた。

 世界が病んでいるのなら、わたしがあなたを救ってみせる――。

 わたしは彼女の腕のなかで、もう一度強くそう念じた。


(おしまい)
へべれけ

2020年08月09日 22時56分32秒 公開
■この作品の著作権は へべれけ さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:その気持ちは病気なんかじゃない!
◆作者コメント:枯れ木も山の賑わい。よろしくお願いいたします。微百合です。

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