消失したもの |
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◆シーン1(日常) 「腹切ってわびろ、この無能!」 広告会社を経営する高居一色(たかいいっしき)は、目標を達成できなかった営業陣を罵倒した。 会社としての利潤は、そう悪いものではなかったが、彼が開拓した新規事業が予想したほど利益を伸ばさなかったのだ。 新規事業の担当者たちは力を合わせ、その売り込みに全力をかけたのだが、社会的需要は一色が想像したほど大きくはなかった。 だが一色は、利益が伸びなかった原因を、担当社たちの怠惰のせいと決めつけ、感情のまま怒鳴り散らす。 そしてこのまま低いレベルの仕事を続けるつもりなら、容赦なく解雇すると脅しつけ、担当者たちを震え上がらせるのだった。 そんな高居一色の様子を見かねた人物がいた。専務である四宝円満(しほうえんまん)である。 円満は一色の幼なじみであり、起業した際に力を貸した腹心でもある。 円満は、一色の行き過ぎた言動を警告するが、歳を重ね歪んだ自信に凝り固まった相手には聞き入れてもらえなかった。 それどころか『俺のやり方に不満があれば辞めさせるぞ』と脅される始末だ。 会社の最高責任者は高居一色であり、株式の過半数も彼が握っている。円満も株式の一部を持ってはいるが、発言権の強さで言えば遠く及ばない。 彼のやり方についていけないのであれば、辞めるのはやはり円満の方だ。 だがしかし、辞表を提出するタイミングを見計らっている最中、うかつにも部下のまえで退職を考えていることをこぼしてしまった。 すると部下は、その決断を撤回するようにと猛反発した。 円満はかつてみたことのない部下の姿に、戸惑いながらも理由をたずねる。 そこで部下たちは力説した。 会社がかろうじて組織としての体裁を保っているのは、円満がいるからであると。円満がいなくなれば遠くないうちに会社はなんらかのトラブルを起こし、その経営は傾くにちがいない。そうなれば社長である一色の態度は悪化するにちがいなく、あとは社員を道連れに自爆するだろう。それを予期しながら退職するというのであれば、社員全員を見殺しにするのに等しいと指摘される。 その言葉の信憑性は高かった。 かつて、不況の波をのりきった一色ではあったが、感情的に暴走し、会社を危機に陥らせたことがあったのだ。そのときは円満が方々へ奔走することで難を逃れることができた。 今後の経営も厳しい状況が続くのは想像に難くない。おなじような自体に遭遇すれば、高い確率で一色は暴走するだろう。そうなったときに、意見することもフォローすることもできる人材がいなければ、会社の行く末は潰えることとなる。 当人にとっては自業自得でも、巻き込まれる社員はたまったものではない。 不承不承、退職を先延ばしにすることを決める円満ではあったが、その判断は彼の心に薄暗い炎を灯すこととなった。 ◆シーン2(遭遇) 「世の中とは無能ばかりだ」 高居一色は、オフィス街の隙間でひっそり営業するバーで酒をあおりっていた。 誰もが一色の描いた理想の仕事を達成することができない。そのクセあーだこーだと文句ばかりを口にする。どうせ会社に骨をうずめる気もない、金だけがめあてのクズどもが、給料を支払っている自分に好き放題に言いやがる。しかも社内情報を裏でかってにネットにリークまでしやがって、本来なら裁判沙汰だ。こっちが大人しくしてやってるからっていい気になりやがって。 しかも、長年腹心として目をかけてやった四宝円満までもが彼に盾突いた。そのことがまた腹立たしかった。 大した能力もないくせに、周囲の顔色をうかがうしかできない無能が。 役員だから、幼なじみだから首を斬られないとでも思っているのだろうか。 怒りは一色のグラスを進ませ、その意識を酩酊させるに至るのだった。 やがて閉店時間のバーを追い出される。 深夜のオフィス街をうろつくタクシーの姿などなく、乗り場のある駅を目指す。 そんなとき、一色の前に死神が現れた。 カボチャの頭に、黒のハーフコート。手には大きな鎌を持っている。 だが死神(それ)は酔いの見せた錯覚だった。 よく見れば、相手は小柄な少女で、後頭部にカボチャ頭のお面を点けているだけだ。ミニのスカートからは白く細い足が伸びている。 ただ、腰のあたりに漂う青い光をどう点けているのかまでは判断できない。 「ミチをたずねてもいいデスか?」 「ああん?」 少女の言葉を一色は無視しようとした。 それでも少女はかまわず話しかけ続ける。 「アナタはなんのためにどこへいこうとしてるデスか? たくさんのものをギセイにしてデス」 その言葉はひどく一色の気に障った。 まるでがこれまで自分のやっていることが、悪であると罵しられているようだ。 「わけわかんねーこと、言ってんじゃねー!」 横暴に拳を振り上げると、いたいけな少女へと振り下ろす。 だが顔面を捕らえたハズの拳は虚空をすり抜ける。 「ヤレヤレ、タンキなヒトデス」 「テメー殺し屋か」 自らの暴力が通じないとみると、一色は少女を最大級の敵対者とみなしてにらみつける。 「ホントにソウゾウリョクのユタカデスネ。イマドキ、そんなのモウかりませんヨ。ベツにヒトのゼンセイがマしたわけじゃないデス。タンにリスクとリエキがつりあわなくなっただけデスけど」 一色はその言葉を信じようとはしなかった。 でもお面の少女はそんなことを気にしない。一色に人差し指を向け「Lasair(ラセール)」と命じる。 するとそれまで腰のあたりを漂っていた青白い人魂が一色を強襲した。 身体が炎に包まれたことにより、火傷を覚悟するが、不思議と痛くも苦しくなかった。 それどころか彼を包んだ青い炎は一分と立たずと消え、火傷どころか怪我ひとつ残していない。 「これはいったい?」 己の身に起きた異変に戸惑う。 体調にかぎっていえば、淀んでいた感覚がなくなり、スッキリしたくらいだ。 疑問を解消しようと、視線を走らせる一色だが、あたりに少女の姿は残ってはいなかった。 「なんだったんだ?」 酒を飲み過ぎて悪い夢でもみたかと疑う。 たしかに奇妙で現実感のない体験ではあったが、本当に夢だったのかと自問すれば自信がなくなる。 それでも少女の実在を証明するものはないのだと、それ以上考えることを辞めた。 一色が異常に気づいたのは、ようやく捕まえたタクシーに乗り込んでからだった。 行き先を告げようとしても、言葉がでないのだ。正確には帰るべき自宅の住所が思い出せない。 とっさに免許証を取り出そうとするが、そもそも財布がみつからない。それでも運転手にウチまで送れと強要するが、場所もわからず、ましては財布もないのでは進みようがない。 結局、彼(・)はタクシーから降ろされ、公園で一晩を明かすことになった。 そこで巡回の警官に呼び止められ、自分が異常な事態にあることを告げる。 自分の帰る場所がわからない。 それどころか、自分に関する記憶がないのだ。 さらには身分を証明できるものもなく八方ふさがりであると。 最初、警官たちは彼が酔っ払っているのだろうと、本気で話を信じてはいなかった。 だが時間が経過するうちに、彼に酒の気配がないことが確認され、異常な事態であることを察する。 薬物の使用を疑われ、検査キットを使われるが当然陽性は出ない。 失踪者リストも確認されるが、こちらも該当するものはない。 ならば不法入国した外国人ではないのかと疑われ激怒する。 そして振り上げた拳を警官に向けたところで、不本意な寝床を得ることとなった。 ◆シーン3(変化) 四宝円満がその少女に出会ったのは偶然だった。 黒のハーフコートにカボチャのお面。そして大きな鎌という姿は彼を驚かせる。 人の良い円満には、娘ほどの年頃の少女が、足取りもおぼつかないままフラついているのを見て落ち着かなかった。 その原因が空腹であることを知ると、コンビニでおにぎりとパンを買ってきて与える。 それは純然たる善意だった。 淡い瞳の洋風少女は、あんパンをくわえつつもジッと円満の瞳をのぞき込む。 円満は警戒されているのだと思ったが、その視線が自分とは少し離れたところに向けられていることに気づく。 こんどは彼が少女を不審に思う番だ。いったい彼女はなにをみているのかと。 それを問うより先に少女が淡いピンクの唇を振るわせる。 「おレイデス。ちょっとだけイイコトしてあげるデス」 それはなにかと尋ねる円満だが、少女はその詳細を応えようとはしなかった。 ただ「これからは、つきあうアイテはエラんだほうがいいデス」とだけ告げると、まるで煙のように姿を消してしまうのであった。 円満が少女と出会った翌日から、一色は会社に現れなかった。 理不尽の固まりのような男だが、仕事にかける熱意は本物で、無断で休むような性格ではない。 さすがに心配になったが、不意に少女の言葉が脳裏に浮かんだ。 『これからは、つきあうアイテはエラんだほうがいいデス』 まさかあの少女が一色になにかをしたのだろうか。 しかし彼は一色のことを話してはいないし、そもそも相談だってしていない。 なんらかの因果関係はあるように思えたが、そうだと言い切るには情報が不足している。 「四宝さん、朝礼どうしますか?」 社長不在に戸惑ったのは円満だけではない。他の重役たちも戸惑っている。 円満は重役たちに、いつもどおりの朝礼を行うことを宣言すると、彼が主体となり朝礼を進行させた。 一色の姿がないことを社員たちは怪訝に思いながらも、そういう日もあるかと深くは考えはしなかった。 それからも一色の現れない日々が続く。 彼が突然いなくなったことで、いくつかのトラブルは発生したものの、それでも残された者たちで対応できるものだった。 会社からギスギスした空気が浄化され、「このままであってほしい」と声に出す社員も少なくなかった。 そんな最中、自称記憶喪失の男が、取り調べ中の警官を殴ったことがニュースで流れる。 その身元不明の男の顔写真が公開され、縁者知人は名乗り出て欲しいと要望がテレビを通して告げられる。 写真の男は高居一色でまちがいなかった。 当然、その正体に気づいたのは円満だけではない。 ニュースをみた社員たちがザワつきはじめる。 顔の広い男ゆえに、取引先や関連会社の人間も、捜査されている男の正体が一色であることに気づいたハズだ。 そこで四宝円満は、己と会社、そして全社員の運命を選択しなければならなかった。 ◆シーン4(結末) 四宝円満は高居一色を迎えに警察署を訪れた。 そこには変わり果てた一色の姿があった。 数日合わなかっただけで、彼は疲れ果てていた。 その姿は以前の彼を知る者ならば、同情を禁じ得ないものだった。 覇気がなく、これならば社に連れて帰っても横暴はなくなるのではないだろうかと思えた。 だがそれは早計な判断だった。 「一色……」 円満からそう呼びかけられると、姿を一変させる。 ただ名前を聞いただけのことで、己を証明するものを取り戻し、それまで口にだせずにいた住所も言えるようになったのだ。 そして自信は、かつての横柄な高居一色の姿を取り戻させるのだった。 その様子をみて四宝円満は匙を投げた。 この男の性根が簡単に変わることはないだろうと思ってはいたが、ここまで簡単に我を取り戻すとは思ってはいなかった。 あのとき、お面の少女から言われた通りにしても事態は変わらなかったろう。 一色抜きの会社の雰囲気は、たしかに良いものとなってはいたが、厳しさを欠いた社内には緩みが出はじめていた。 それを放置すれば、やがて一色が引き起こすものとは別のトラブルが発生していたにちがいない。 なにより、いまは一色抜きでも問題なく動いているが、いつまでも最大の株主である社長を不在のままにして経営が成り立つわけがないのだ。 仮に円満が一色の代わりにその座に着くことを願っても、大株主不在では株主総会すら開けない。 緊急事態として、彼の親族から株式の譲渡を願うにしても、法的措置をとるには警察の届け出が必要となる。 そんなことをすれば、さすがに警察も一色の正体に気づくだろう。 そうでなくとも、関係者の誰かが善意、もしくは悪意で通達すれば彼の素性は明らかになる。 隠そうとすること自体が無駄なのだ。 そもそもとして事態はすでに、ひとつふたつの変化で救われる状況になかったのだ。 一色が出社しなくなってそのことを痛感した。 本気で会社のことを考えるのならば、もっと早い段階で動くべきだったのだ。いまから変革を願っても、浸透させるのにどれほど年月がかかるかわかったものではない。 そして円満は、部下には申し訳ないと思いつつも、用意しておいた辞表を一色に提出するのだった。 |
Hiro 2020年08月09日 22時18分49秒 公開 ■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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