猫ごころアチアチ |
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「にゃんこ にゃんにゃん スミだらけ~♪ でもでも にゃんにゃん がんばっちゃう♪」 着物にエプロンを重ねた猫ちゃんの陽気な歌声が、手狭な店内からこぼれ出しています。 その声とは裏腹に、熱い鉄板を前にした額には汗が浮かんでいます。それでも猫ちゃんは笑顔を崩そうとしません。 不器用ながらも懸命に錐(きり)を動かして、だし汁で溶いた小麦の生地を少しずつ丸めていきます。 鉄板に作られた無数の凹みでは、ぶつ切りにされたタコが熱せられ、とびっきりの旨味を生地へと流し込みます。 道行く人々は、懸命な猫ちゃんの姿を微笑ましく思い、ときに写真を撮りつつその前を通りすぎていくのでした。 ▼ ▼ ▼ ▼ ▼ 猫ちゃんの一番古い記憶は、ニャーニャーと繰り返す自分の鳴き声でした。 どこかもわからぬ暗闇に置かれた段ボールに放置されてしまい、添えられたタオルケットの温もりだけが心の支えです。 お腹を満たしてくれるミルクはなく、守護してくれる母猫もいません。 ただただ心細く、いくら鳴いても救いの手が伸ばされることはありませんでした。 黒雲に覆われた空から無数の細線が引かれ出すと、声はどこにも届かなくなり、体温までもが奪われていきます。 やがて目を開けていることもできなくなった猫ちゃんは、冷たい暗闇に飲み込まれてしまうのでした。 次に目を開けたとき、猫ちゃんは温かい場所にいました。 それまでいた暗くて寒い場所とはちがい、ヌクヌクと心地のよい場所です。 愛着のあるタオルケットは失われていましたが、代わりに新品のものがあてがわれていました。 馴染みの匂いがなくなったことに不安を覚えたますが、自らの体臭が染みこんでいくと、しだいにそれも薄らいでいきます。 暖かな空気が、再び猫ちゃんの眠気を誘い出しますが、頭上からの声がそれを妨げました。 「目覚めたようだね」 猫は突然の声に驚いて身を固くします。 ですが声の主は鈍感で、そんな相手の様子に気づかないまま小さな身体を持ちあげました。 「キミ、うちの店裏で寝てたんだよ。声をかけても動かないからビックリしちゃった。もと居た場所とか覚えてる?」 「わっ、わひゃりゃ、にゃい、うぇす」 丸いレンズ越しに問う若い男に、猫ちゃんはたどたどしく答えました。 それを聞いた男は、「そっかー、それは困ったなー、キミをおウチに帰してあげられないよ」とたいして困った風もなく呟くも、名案があるとばかりに改めて問いかけます。 「キミさえよかったらなんだけど、しばらくウチにいるかい?」と。 その時、なんと答えたか猫ちゃんの記憶は定かではありません。ですがまだ小さかった猫ちゃんは、その男を主人とし、たこ焼き屋に住み着くことにしたのでした。 別段、外出を禁止されたわけではありませんでしたが、猫ちゃんが店の外に出ることはほとんどありませんでした。 汗水を流しながらたこ焼きを焼く主人をながめ、寄り添うだけの日々が続きます。 猫ちゃんはそんな日常を心地よく感じ、それを退屈に思うことは決してありません。 ただ問題なのは、主人の頑張りに客足が比例することはなく、閑古鳥が鳴いていることした。 招き猫の役目とともに、綺麗な着物を与えられた猫ちゃんは、浮かない主人のために小さな脳みそを必死に働かせます。 そしてその理由がたこ焼きにこそあると推測すると、自分も食べてみたいとねだるのでした。 主人は「猫にタコってダメなんだよな……」と渋りながらも、確認のためスマホで真偽を検索します。すると意外にも加熱してあれば問題がないことが判明しました。 タコに含まれるチアミナーゼは、ビタミンを破壊し欠乏症を引き起こすため、猫には毒です。ですが熱に弱いので、加熱すれば毒性が失われるとも記されていたのでした。 ビタミンの欠乏症といえば壊血病です。いくら大丈夫と書かれているとはいえ、歴史上、多くの船乗りや軍人を苦しめたというソレに、もし猫ちゃんが冒されたらと思うと与える気にはなれませんでした。 ですが好奇心は猫を殺すとも言います。 繰り返しねだる猫ちゃんの様子に『自分の見ていないところで食べられるよりは』と考え、焼き上がったばかりのたこ焼きをひとつだけ与えることにしました。 「熱いから気をつけるんだよ。あとタコは消化によくないから良く噛んでね。ダメだったらペッするんだよ」 懸念を並べる主人を余所に、猫ちゃんは与えられたたこ焼きを嬉々として頬張ります。 するとその内側に封じられた熱に、舌を火傷し転げ回ります。 ――こんな熱いものが喜ばれるわけがない。 猫ちゃんはそう思ったものの、それでも必死に吐き出すのを堪えます。 そして涙目で訴える主人の要望も無視し、気合いでそれを飲み下しました。 傍目からすれば大変ひどい目にあったのですが、それでも猫ちゃんは主人を励ますための言葉を口にします。 「ネズミより、ずっと美味い、です」と。 たこ焼きを体験した猫ちゃんは、店の繁盛をあっさりと諦めてしまいました。 そもそも暇をもてあますことで、主人の膝を占領できるのですから、そう悪いことでもありません。 若干顔色の優れない主人だが、自分を存分にかわいがれるのだから、きっと幸せにちがいないと、そう思いこんでいました。 しかしそんな日々も、とある不運をきっかけに崩れてしまいます。 愛猫から自慢のたこ焼きを『ネズミより美味い』と評された主人が、その味を改善するため、レシピを素材から見直すことにしたのです。 店に氷と一緒に詰められた活きのよいタコが届けられました。 初めて目にする生きたままの異形は、猫ちゃんの好奇心をくすぐります。主人の忠告も無視して、箱の中をジッとみつめる猫ちゃん。 するとタコは、なにを思ったのか、その太い触腕を猫ちゃんの首に回すのでした。 呼吸を封じられた猫ちゃんはドタバタと暴れますが、巻き付いた触腕は簡単には外れません。 後れながらも、愛猫の窮地に気づいた主人は、慌てて救いの手を伸ばしますが、悲劇はそのときに起きました。 混乱した猫ちゃんの爪が、主人のなまっちょろい腕をひっかいたのです。 最終的に猫ちゃんは救われ、主人の傷も浅くすんだのですが、傷口から入り込んだバイ菌のせいで、主人は熱を出して寝込むこととなりました。 恩人を傷つけたことに深く反省した猫ちゃんは、自らの爪を切ると、涙を流しながら看病に努めます。 その甲斐あってか、主人は翌日には起きられるように回復したました。ですが傷ついた腕はまだ痛むようです。 そんな主人に猫ちゃんは、営業を諦めるように言いました。そうすれば、その日も主人を独占できるという下心をもちながら。 すると主人は、「そうだね、それもいいかもしれない」と提案を受け入れてくれるのでした。 そのことを喜ぶ猫ちゃんでしたが、主人の顔色が優れないのが気にかかります。 傷が痛むのかとたずねますが、主人は「そうではない」と首を振ります。 ではなにが理由かと問い詰めると、店の経営が思わしくないため、そのまま閉業してしまおうということでした。 その話に猫ちゃんは途方もないショックを受けます。 たこ焼き屋は、主人との思い出がいっぱい詰まった場所です。それを失うのは、これまでの猫生すべてを失うのに等しい。 故に猫ちゃんは考え直すよう、主人に訴えかけます。ですが、店の継続にはお金が必要で、それにはたくさんのたこ焼きを売らなければなりません。 そのことを教えられた猫ちゃんは、ロクに考えもしないまま提案を口にします。 「だっ、だったら猫がする!」 「するってなにをだい?」 「たこ焼き焼く! 主人が焼けないなら猫が焼く! 焼いて、焼いて、売るの!」 毎日、主人の様子を見ていたので、それが簡単なことでは猫ちゃんにもわかっていました。 それでもたこ焼き屋がなくなると聞いて、黙ってはいられなかったのです。 懸命な猫ちゃんの願いを主人は熟考します。 そして「わかった、猫がたくさんたこ焼きを売ってくれたら、お店を潰すのはやめよう」と優しく答えてくれるのでした。 主人の快諾を得た猫ちゃんでしたが、たこ焼き屋の運営は楽な道のりではありません。 やる気の炎が燃えさかっていても、それでたこ焼きに火が通るわけではないのですから。 自分が店を任され、他に店員もいない以上、たこ焼きは猫ちゃんが焼かなければなりません。 ですが猫ちゃんには、熱い鉄板の前に立ち続けていることすら困難です。 何故なら人間よりも汗腺の少ない猫は、汗をかいて熱を逃がすことが苦手なのです。それに身体が毛皮で覆われているのですから、暑さを苦手とするのも無理はありません。 それでも猫ちゃんは頑張ります。 次第に暑さを我慢できるようになりますが、また新たな問題が発生しました。鉄板の上に生地を流し込むと、その水分と触れあった油が飛び跳ねてくるのです。 「これはたいへん」 たこ焼きの奥深さを改めて実感した猫は、三角の耳がついた頭を抱えました。 主人に相談しようとする猫ちゃんでしたが、当の主人はどこかへ出かけていて相談できません。 このままひとりで悩んでいても、埒が明かないと判断すると、友達であるハクビシンを店に呼び、その知恵を借りることにしました。 ハクビシンは額から鼻にかけての白い線のような毛色があるのが特徴です。身体の毛色はタヌキに似ていますが、体つきは猫に似ていないこともありません。一応、ジャコウネコ科と猫の名を含んではいるのですが別種です。ですが難しいことは猫ちゃんにはわからないので関係ありません。 ただ知恵が回るので、何度か主人との暮らしについて相談したことがありました。 ハクビシンはこれまでとおなじように、猫ちゃんから缶詰めの報酬をもらうと、その知恵を貸します。 「馬鹿だなぁ猫は、そんなの簡単だよ」 「そうかな?」 ハクビシンの言葉に、猫ちゃんは小首をかしげ聞き返します。 すると必要なのは発想の転換だと告げられました。 「鉄板が熱いのは、火を使っているからだろ?」 「そうだね」 「だったら、火を使わずに料理すればいいだけの話じゃないか」 「なるほど!」 猫はハクビシンの助言を褒め称えると、すぐさま実行に移りました。 火を点けないまま鉄板に油を塗ると、だし汁で溶いた小麦を流し込みます。そして窪みのひとつひとつに、切り分けたタコを落としました。 作業はこれまでにないほど順調に進んでいます。となりに立つハクビシンもどこか自慢げに様子を見守っていました。 ですが問題が起こったのはその先ででした。 主人がしているのを真似、つまんだ錐(きり)でシャカシャカと鉄板をひっかいても、たこ焼きは丸くならず、それどころか固まりもしません。 それでもなんとかしようと、必死に錐を動かす猫ちゃんでしたが、一日中やっていてもたこ焼きが丸く固まることはありませんでした。 やはり火を使わずにたこ焼きを焼くことはできないのです。 固まらなかった生地は、そのままの売るわけにもいかないので、スタッフ(ハクビシン)が美味しく頂くことになりました。 ハクビシンは猫ではないものの、それでもタコは消化に悪かったらしく、そのまま病院へと運ばれることとなってしまいます。 頼れる仲間を失った猫ちゃんでしたが、それでも店を、たこ焼きを焼くことを諦めたりはしなません。 足りない背丈を椅子で補い、油が跳ねるのも我慢して、たこ焼きを焼こうと必死に我慢を繰り返します。 熱気に慣れることはなかったものの、それでも堪えるくらいはできるようになりました。 そうするうちに、だいぶ丸っぽい形を作れるようになります。 それを舟に並べ、カツオ節と青のり、そしてソースで隠せば、ほとんど主人の作ったたこ焼きと同じにみえました。 「これならきっと売れる!」 猫ちゃんの瞳は輝きに満ちます。 そしてそこから彼女のたこ焼き販売が始まったのでした。 ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ 「にゃんこ にゃんにゃん スミだらけ~♪ でもでも にゃんにゃん がんばっちゃう♪」 たこ焼きを焼きながら、少しでもたくさんのお客を集めようと、猫ちゃんは自作の癒やしソングを披露します。 その姿が評判となり、見物人が集まるようになり、いまでは大勢の人が店の前に集まるようになりました。 「ご主人様、褒めて褒めて~」 その日は、9舟(たくさん)のタコヤキが売れたことを自慢気に報告します。 猫ちゃんが、たこ焼きを売り出してから最高記録でした。 明日にはきっと10舟売れるにちがいないと希望に胸を膨らませます。 ですが、大勢の見物人が集まっても、歪なたこ焼きを食べようという酔狂な客は少なく、見物人の割に売り上げは少なく赤字の日々は続いていたのでした。 それでも猫ちゃんが喜んでいるのだからと、そのことを主人は指摘しません。 日雇いの仕事で稼いだお金を使って、なんとか店を維持する生活を続けます。 主人の体調が優れず、消費者金融で借金を作って猫を怖がらせたこともありました。でもそれは腎臓を売り払うことで完済でき、それ以上のトラブルに発展することはありませんでした。 そして楽しげな猫の寿命が尽きるまで、主人はたこ焼き屋を続けたのでした。 おしまい。 ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ※作中で主人が『ビタミン欠乏症=壊血病』と連想しておりますが、壊血病はビタミンCの不足から起こる症状で、チアノーゼによるビタミンB1の欠乏とは関連性はありません。 また、加熱したことで毒性がなくなっても、喉に詰まらせる、主人に隠れて摂取するようになるなどのトラブルが発生するということで、猫にタコは与えることは推奨されていません。ご注意ください。 |
Hiro 2020年08月07日 02時27分55秒 公開 ■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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合計 | 10人 | 130点 |
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