彼の者はなにを燃やす |
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――あんな村もうごめんだ! 蓄積された鬱憤は、ボードルスィに初夏の森を走らせた。 しかし若者の逃走に終演は訪れず、どれほど進もうとも森を抜け出せない。 白雪に覆われる冬よりマシとはいえ、このあたりの日照時間は短い。斜陽が暗闇に塗り替えられるまで、もういくばくも残されてはいないだろう。 息を切らし、己が道を間違えたことを悟ったボードルスィではあったが、それでも来た道を引き返すことは考えなかった。 時間的な問題もあったし、無事に村まで戻れたとしても、待っているのは古い慣習に縛られた息苦しい生活だけだ。 ――だったらいいさ。証明してやるよ。 己が強運の持ち主であり、こんな森で朽ちるような男ではないと信じて進んでいく。 だがしかし、そんな決意もむなしく、あたりは人の身では見通せぬ闇に覆われてしまう。 そして|暗闇《げんじつ》は彼の足をもつれさせ、無様に大地へと転がすのだった。 「畜生!」 毒づきながら立ち上がるも、眼前の|帳《とばり》は行く手を遮ったままだ。さすがに灯りもなしに前進するのは困難がすぎる。だがそれは、準備もなく野宿するのも同じこと。 どちらがより無茶かなど、闇に囚われた人間に判断などできない。 そんなとき、ボードルスィの目に不自然な光が飛び込んできた。陽光の反射ではない。ゆらぎのある不均一な光は炎のものだ。 ――誰かいるのか? 何者かの存在を感じ取った彼は、夢中で光源を目指す。 だがそこで遭遇した相手は人間ではなかった。それでいて彼を獲物と見立てる獣でもない。 ソレの身体は村では見たことのないような、蠱惑のラインを描いていた。 それでいて身体を隠そうとするものは布きれ一枚身につけてはいない。 ゴクリ。 喉が大きく鳴るが、そんなことは意識にのぼらなかった。 それほどまでの光景だ。 目の前に現れたのが、|ただの女《・・・・》だったのであれば、ボードルスィは魅了されていただろう。 だがそうはならなかった。 何故ならば、女の身体には赤い炎が所々に宿っており、その正体が精霊だからだ。 「炎の精霊、だと?」 「あら、こんにちは。いえ、もうこんばんはと言ったほうが正しいのかしら?」 倒木に腰掛けた仕草は、休憩中の旅人のようだが、荷も服もなく旅する者などいようはずがない。 それでも彼女はボードルスィもひと休みするよう、正面にある別の倒木を勧める。 ボードルスィは代々続いた精霊使いの家系の生まれだ。 精霊の声に耳を傾け、ときにその力を借り受けて村の難事を解決する。 そのための教育を彼は父親より受けていた。 しかし、ボードルスィはこれまで精霊と遭遇したことがなかった。その声を聞いたことも、気配を感じとったことすらない。 故に成長するにつれその存在を疑い、いまでは時代遅れと化した家業を嫌悪すらするようになっていた。 それを決定的なものにしたのは、幼なじみの少女である。 精霊使いなど時代遅れで、周囲から詐欺師同然に思われている。だから家業は継がないほうが良いと、安物のヘアトニックで身体を温めながら教えてくれたのだ。 聞かされた当初はショックを受けたが、彼女の評価が正しいことは、周囲の反応からも察することができた。 誰も精霊も、その言葉を聞いて命令することができるという父親のことも信じてはいなかった。それに気づくとボードルスィも、周囲とおなじように父親を軽蔑しだすようになっていた。 にもにも関わらず、こんなところで精霊と遭遇するなど皮肉なことこの上ない。あまりの事態に彼の口からはかすれた笑いが漏れ出すが、精霊にそれを気にした様子はなかった。 「どうしたの、そんなところに立ちっぱなしで。こっちへいらっしゃい、あたしの側は温かいわよ」 初夏とは言え、|緯度《いど》の高いこの地方の夜は冷えこむ。毛布の一枚もなしに一晩すごせば風邪を引くのはまちがいない。それに精霊の近くにいれば、炎を恐れ獣が寄ってくる心配もないだろう。 ――だが、こいつを信用していいのか? 例え人語を口にしようとも、精霊の倫理は人間の論理とはまるで異なる。迂闊に従えば、取り返しのつかない罠にはめられかねない。 だが獣の遠吠えが森に響けば、ひとりで夜を明かす選択などないに等しい。 たしかに精霊は取引相手を破滅させかねない危険な存在ではあるが、いくつかの条件さえ守れば有用な取り引き相手ともなり得る。彼の父親がそうしていたように。 ――そうだ僕は精霊使いの末裔なんだ。こいつを恐れる必要なんてない。 このときばかりは、自分に教えを施した父親に感謝の言葉を言ってもいい気分になれた。 「どうしてあなたはこんなところへ? 道を間違えたのかしら?」 炎の精霊は木の枝に刺し、ほんのりと焦げ目のついたマシュマロを差し出しながらたずねる。 ボードルスィはそれを受け取ると、迷いながらも口へと運んだ。 精霊との契約には『本当の名』が必要となり、それさえ教えなければ決定的な破滅が訪れることはない。だからマシュマロ程度なら、口にしたところで問題はないだろう。そう考えたのだ。 口に広がる香ばしい甘みと、名画のごとき微笑みは、彼のささくれだった心をほのかに癒やしてくれる。 ボードルスィは厳戒の注意を払っていたが、緊張は極度なものほどちょっとしたことで緩みやすい。相手が聞き上手なのもあり、彼の口から吐き出る言葉は少しずつ増えていく。 やがてそれが、己を取り巻く環境への愚痴に変わるのに、そう時間はかからなかった。 古びた因習に囚われる村。 そこを支配する、長生きだけが取り柄の老人たち。 その目をかいくぐり、悪さをする子ども。 そいつらにさえ馬鹿にされる自分の家。 厳しいばかりで尊敬できぬ父親。 そのなにもかもに嫌気がさして、自分は走り出したのだと。 一度、吐き出し先を見つけた不満はなかなかとまらなかった。 精霊も相づちを打ちながらそれを聞き続ける。 やがてそれが途切れと、精霊はゆっくりと聞き返した。 「そう、それであなたはこれからどうするつもりなの?」 「街に行く」 「それから?」 「なんとか腕をみがいてアニメーターを目指す。いやなるんだ、絶対!」 辺鄙な村でも、いまどきはネットインフラは整えられている。 政府の流すニュースよりも頻繁に目にするのが、異国で作られたアニメ放送だった。異国の言葉を字幕で解読しながら、幼い少年は夢中になった。そして精霊使いの道を拒んだときに夢見たのが、その作り手になることだった。 時代遅れの精霊使いなどではなく、人を感動させるものを作れるアニメーターこそ自分にふさわしいと確信し、その想いはいまも揺らいではいない。 「なるほど。でも国を出てひと旗あげるのは、決して容易なことではないのではないかしら?」 精霊の疑惑はもっともだった。 英語の読み書きすら苦手な彼が、異国に出向けば苦労するのは火をみるよりも明らかだ。 それでも彼は、自分の覚悟と才覚があればそれは達成できると信じて疑わない。 精霊はかろうじて少年の域にとどまるボードルスィを見つめると、どこからともなくマッチを一本取り出した。 「それは?」 「道具よ、火を点けるためのね」 あたりまえのように言うが、彼とてその程度の判断はつく。だが精霊がソレでなにをさせたいのかまでは、見当がつかない。 ボードルスィは精霊と迂闊に取引はしてはならないと警戒し、それを拒もうと考えたが、それは完全なものではなかった。 初めて出会い、言葉を交わした精霊がどの程度の力を持っているのか、興味を抑え切れなかったのだ。あるいは、相手が美しい女の姿を模していたことで、油断が生じたのかもしれない。 無言でマッチを受け取ると、それを観察する。 細い木の棒に赤い|頭薬《とうやく》を塗布されたなんの変哲もないマッチだ。 「これを点けたらどうなる?」 「点ければわかるわ」 「対価は?」 「あたしからのサービスよ」 ボードルスィは若干の迷いをみせるが、女の姿をした精霊に侮られることを忌避し行動に移った。椅子にしていた倒木にマッチをこすりつける。摩擦で火が点くと、それはアッというまに大きくなり、ボードルスィの身体を包んだ。 瞬間、『欺された!?』と思い込むが、それは彼の勘違いであった。 いつの間にか炎の精霊は姿を失い、周囲の風景も変わっている。 つい数瞬前まで、夜の森だった場所が近代的なコンクリート……それも惜しむことなく装飾の施された街並みに変わっていたのだ。 色とりどりの電飾に飾られたビルには巨大なテレビが設置され、華やかな広告を垂れ流している。 あたりには多くの異邦人が行き来し、無数の商品を並べた店々を渡り歩いていた。 そこがアニメでしか観たことのない異邦の街であることに気づくのに、そう多くの時間は必要なかった。 当然のように『何故』という疑問が湧くが、眼前に広がった素晴らしい世界への誘惑は抗えなかった。 おそるおそる観察したのちに、可愛らしい女の子のイラストが描かれた本に手を伸ばす。 しかし哀しいかな、その幻想は長持ちせず、手にとった本を開くより先に消え、彼は元の森の中へと帰っていた。 「いまのはなんだ、なんなんだ!?」 マッチの正体をたずねるボードルスィに、精霊は使用者に|未来《かのうせい》を見せるものだと教えた。 その言葉は、いま見た光景はいずれボードルスィがその場に行き着くことを示唆しているのだと。 ――だったら、僕の成功はもう約束されたようなもんじゃないか。 有頂天になるボードルスィに、精霊は「もう一本あるけれどどうする?」と問いかける。 興奮冷めやらぬ彼は、奪うようにマッチを受け取るとすぐさま火を点けた。 すると、こんどはどこかの部屋の中にいた。先ほどとは場所が変わっていて、いたるところにアニメのポスターが貼られた部屋だ。狭くはないのだが、あたりには雑多に物が積まれている。 机を挟んだ対面には、気さくな眼鏡の男が座っていて、そこが面接会場であることを直感的に彼は悟った。 ボードルスィの口から異国の言葉が勝手にあふれ、自らの熱意を伝えようと必死になる。 最初は怪訝そうにしていた相手も、彼の熱意が本物であることを悟ると、次第に笑顔が増えていく。 そして相手が『採用』の言葉を紡ぎ出そうとしたその瞬間に、またもそこから引きずり出されてしまった。 「うぉっ、おおおっお――――!!」 針葉樹の森に帰っても、彼は雄叫びをあげた。それに驚いた鳥たちが、夜目が利かぬのもかまわずに逃げようとする。 だがいきりたったボードルスィにそんなことなど気にならなかった。 「どっ、どうなるんだ俺は、この先」 |幻《ゆめ》の続きを見せろと訴えかけると、精霊はうなずいて三本目のマッチを彼に与えた。 だが三本目のマッチは何度こすりつけても火が点かない。 どういうことかと問い詰めるボードルスィに炎の精霊は告げる。 「最後の一本は特別なものなの。それに火を点けるには代償が必要よ」 その代償は決して安いものではないと精霊は警告するが、彼の決意はゆるがなかった。 これまで抑えていた願望、その成就を見届けられるのなら、代償などいくら払っても惜しくはない。 ボードルスィはマッチに念を込めると、誰に教わるでもなく呪文を唱える。 「未来を灯す炎よ。我、ボードルスィ・カスターテに至福の一端を開示せよ!」 マッチはその詠唱に反応すると、こすりつけることなく火を点けた。 それはいままで以上に巨大な炎に育つと彼の身を包み込む。 すると今度は、ボロっちいアパートの一室へと移されていた。 まえの二回とはちがって、華々しさに欠ける風景だ。 だがそこには、設定画と見比べながら、原画を描く自分の姿があった。 歳を重ねたのか、古びた姿には覇気がない。無精ひげがのび、肌の色も土気色だ。ゼリー飲料を口にしながら、デキが良いとは言い難い原画を黙々と描き上げていく。 その姿は夢に描いたものとは、だいぶちがうものだった。 そして彼は、実際のアニメーターの仕事風景すらロクに知らないまま、それに憧れていたのだと思い至った……。 ボードルスィが夢から覚めた頃には、夜は明けていた。 炎の精霊に文句とお礼のどちらを言うべきか考えたが、すでに相手の姿はなく、どちらも言うことはできなかった。 彼は起き上がると、尻についた汚れを払い落とし、日の昇った森の中を歩き始める。 しばらくすると、人里の気配を見つけたが、それは行き先として選んだ街ではなく、彼が居住していた村だった。 結局、ボードルスィは長く森を彷徨ったものの、どこにも行き着かないまま帰ってきてしまったのだ。 徒労を背負ったまま、自宅への道を歩く。 帰りたいと願ったわけではないが、身体はベッドを求め、他に眠れる場所に宛てがない。 すると、まだ朝が早いにも関わらず、幼なじみの少女が彼をみつけ声をかけてきた。 大人を目指す最中の少女たちはみな線が細く妖精のごとき可憐さを宿している。炎の精霊が宿していた色香は微塵にもないが、かえってそれがボードルスィを安心させた。 「疲れてるみたいだけど、大丈夫?」 少女はひと晩、姿を消していた彼を心配してみせる。聞けば、彼の行方を案じた父親が『息子が精霊にさらわれたのかもしれない』と方々に聞いて回ったのだという。 精霊使いである父親は、息子の境遇を正確に読み当てていたのだが、弁護したところで誰も信じはしないだろう。 そんなことを考えていると、乾いた笑いが浮かんだ。 彼の様子をどう解釈したのか、少女は眉を曲げて警告する。 心配はされていたが、勝手な外泊をしたことを理由に彼は殴られるだろうと。 その予言は的中するだろうことをボードルスィも同意したが、その未来を回避するために努力しようという気にはなれなかった。 「なぁ、キミには夢があるかい?」 家への道すがら、理由もなくついてくる少女にたずねてみた。 「なによ、あたりまえじゃない」 ボードルスィはその内容にも興味を持ったが、少女は「ナイショ」と頬を赤らめ、教えてはくれなかった。 ――誰にでも夢はある、か。 マッチをするまでは、それが当然のことであると思っていた。にもかかわらず、今はそれが希薄になっている。 自分の未来が、予想したほど彩り豊かなものではなかったせいだろうか。だがマッチで見せられた未来は、それほど暗かったわけではない。 たしかに想像したものとはちがったが、それでも物資に不足し、楽しみも限られた|世界《むら》にいるよりはよっぽどマシだ。 それでも以前のように村から出たいと切望する感情は消え去っている。 それが一時的なものなのか、恒久的なものとなるのかは現段階では予想できない。どことなく後者のようにも思えたが、それとて確信があるわけではなかった。 話しかける少女に適当な言葉を返しながらも、ボードルスィは別のことを考える。 どうして精霊は彼にマッチを渡したのだろうと。 ――そもそも、あの出会いは偶然だったのか? 仮に偶然でないとするならば、精霊がどうして自分になど興味をもったのだろう。 考えても答えに思い至ることはなく、少女から虚ろな返事を叱られるだけだった。 やがて家が見えると少女に別れを告げる。ただしその別れは恒久的なものではなく、明日、いや、その日の午後には失われるものだ。 ボードルスィが帰宅すると、父親は彼を叱りとばしたが、それは彼が想像したよりも熱心なものではなかった。 説教が終わると、コンロの火で温めなおしたシチューが与えられる。それは彼の冷え切った身体を温めてはくれたが……それだけだった。 結局、ボードルスィがアニメーターを目指し村を出ることは生涯なかった。 父親が逝去したことで家業は廃業としたが、ときどき隣人からの相談を受け、父親とおなじようにそれを解決していた。 そして |Vtuber《ブイチューバー》になりたいと願う彼の息子が、あの晩の彼とおなじ年頃になると、自分が何故精霊と遭遇したのか、その理由に思い至るのだった。 〔注釈:vodorosliはロシア語でわかめ〕 |
Hiro 2020年08月07日 02時08分21秒 公開 ■この作品の著作権は Hiro さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2020年10月16日 20時03分15秒 | |||
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Re: | 2020年10月16日 20時02分30秒 | |||
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Re: | 2020年10月16日 19時58分40秒 | |||
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Re: | 2020年10月16日 19時57分57秒 | |||
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Re: | 2020年10月16日 19時57分05秒 | |||
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