魔王アーデルハイト

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 注意:ちょっとエッチです。

 超能力を使うDQNが念力で鍵を回して、玄関から家に上がり込んだかと思ったら、俺の姉ちゃんをレイプし始めた。
 姉ちゃんは十五歳で長身痩躯で色白で、特に整った部類の顔をして綺麗だった。だから、サイコキネシスを駆使するそのDQNには、前々から姉ちゃんは狙われていた。
 前に食料調達に行ったドラッグストアで出くわした時は、警察署からくすねておいた拳銃で脅して追い払ったが、だからってまさかこんな強硬策を取って来るとは思わなかった。今、DQNは引きつれていた手下二人に押さえつけさせた姉ちゃんの上に跨ろうとしている。
 「やめろ! おまえら!」
 なんて叫んで、俺が棚に置いてあった拳銃を手に取ろうとすると、DQNは念力を用いて拳銃を部屋の隅へと弾き飛ばした。
 「てめぇ。死にたいか」とDQN。  
 「弟には手を出さないで」姉ちゃんは落ち着いた声で言った。「わたしが言うことを聞きます。だから、早めに済ませて出て行ってください。弟に暴力を振るわないなら、そこにおいてある食料も持って行って構いません」
 いたたまれなかった。しかし、異能を使う相手にできることなど限られていた。下手な動きをすれば俺も姉ちゃんもどうなるか分からない。闇雲な反抗をするのは得策ではない。
 試しに俺は土下座をしてみた。頼むから乱暴をするのはやめてくれと。しかし、せせら笑われるだけで無駄だった。
 ダメ元で俺は自分の眼球を抉り出して脅しつけてみた。所詮相手も中坊なんだから、ビビって逃げて行くかと思ったのだ。しかし「こいつ、キメぇよ」とドン退きされただけで、何の効果も得られなかった。
 そうこうしている内に行為が始まり、俺にとって地獄のような時間が目の前で展開される。吐き気を堪えている内に、DQNは律儀に「イクぞ!」と宣言して、血で真っ赤に濡れた姉ちゃんの股に一層激しく自分の股間を打ち付け始めた。
 自分以外の人間が射精するところを始めて見た。
 汚いものを注ぎ込まれて、姉ちゃんは薄く微笑む。
 そしてDQNの首が百八十度回転して、DQNのケツの後ろで這いつくばっていた俺の方を向いた。
 何か見えない力がDQNの首に対して使われていた。DQNの首はそのまま何度も捻子回されて引きちぎられると、シャンパンのコルクか何かのように飛び上がる。そして天井にぶつかってから床を転がった。
 DQNの肉体がどさりと姉ちゃんに向けて倒れ、下っ端が二人が悲鳴を上げて逃げ出そうとする。姉ちゃんはDQNのちんこを股から引き抜いて立ち上がると、逃げる下っ端の背中に向けて手を伸ばした。
 「死んでください」
 念力を浴びたかのように下っ端共が宙に浮きあがる。そのまま空中で百八十度回転させられ、床に激しく頭を打ち付けられると、下っ端二人は首の骨を折って死亡した。
 「姉ちゃん。今のって」
 俺は自分で目を抉り出した眼窩を覆いながら、姉ちゃんの方に近づいた。
 姉ちゃんは落ち着いた様子で笑った。「はい。今の念力はこの人の能力です。わたしの力で奪い取りました」
 「姉ちゃん能力者じゃなかったろ?」
 「たった今目覚めたようです」
 姉ちゃんは自分の瞼を細い指先で持ち上げて見せた。黒目がちだったはずの姉ちゃんの瞳が、血のように濃密な赤色に変化している。
 赤い目は『能力者』の証だ。
 「わたしは『自分の中で射精した男性の能力を奪い取る能力』を手にしたようです。力が備わった瞬間、誰に教わるでもなくそういうことだと理解しました。これがあれば何でもできます。だから、わたし達はもう大丈夫。みっともなく物乞いをしたり、命懸けで盗みに入ったりせずとも、いくらでも豊かに生活できます」
 そして、姉ちゃんは俺を抱きしめて頭を撫でた。
 「もう大丈夫。これからは、お姉ちゃんがあなたを守ってあげるからね」
 立ち込める血の臭いに包まれながら、その時俺は、姉の胸の中で確かな安心を手にしていたのだった。

 ○

 世界中の子供に妙な超能力染みた力が発現するようになったのが三か月程前。
 その内の、十六歳以上の人間にのみ作用するウィルスを作り出す能力者が、世界から大人を消し去ったのが、二か月月前。
 発現する子供は数百人に一人。一人に一種類ずつ備わるその異能は、例えば自由に炎を生み出せるものだったり、翼が生えて自由に空を飛べるものだったりした。
 ことの発端である最初の異能力者の出現から一か月の間、世界中で行われたのは子供の持つ異能力と大人の持つ軍事力との果てしの無いいたちごっこだった。発現した子供達の内、ある一定の割合の者達は漫画の世界から来たような能力に酔いしれ、その全能感から自らの力を乱用し、世界に大きな混沌を齎した。
 天候を操る能力者が起こす嵐が反乱させたダムの水が多くの人を溺死させ。
 毒ガスを作る能力者によって多くの人々が胸を掻きむしり死んでいき。
 武器を作り出す能力者が配った強力な銃が人々の頭を打ちぬいた。
 能力を使って暴れまわっている間中、若者達はそれぞれが抱える生活への不満や鬱屈から解放され、神のように振舞うことが出来る。能力を得た子供達の一部はその誘惑に抗えず、絶えず暴発を繰り返し破壊と混沌を振りまき続けた。
 そんな状態でも今と比べればまだマシだった言える。曲がりなりにも大人がいて、水道やガスや電気があって、俺達はそれらに庇護されていたのだから。
 二か月前、能力者が現れ始めてから一か月程経った頃、世界中から大人達が死んだ。
 それは衝撃的な出来事だった。ある日学校から家に戻ると母親が床に倒れていて、どうやら息をしていないようで、救急車に電話をしても誰も出ず、たまらず外に飛び出すと、あちこちに大人の死体が寝転んでいる。
 冷静さを失いつつある俺に、ちょうど帰宅して来た二つ上の姉が、優しく肩を叩いた。
 「大人達は皆死んでいるようです。この事態がどのくらいの規模で起きているかは分かりませんが、しかし、わたし達は備えなければなりません。
 良いですか。もしそんなものがいればの話ですが、どこかで生きている大人達がわたし達を救いにやって来るまで、わたし達は自らの力で生き抜いていかなければなりません。
 想像を絶するほど過酷な生存競争となるでしょう。食料や物資は限られています。迅速な行動を起こせなければ、ただちに手遅れとなってわたし達は食べ物にあぶれ、力にあぶれ、みじめに助けを乞いながら飢え乾いて死んでいくことになることでしょう。
 今すぐに行動を開始するべきです。分かりますか、直人くん?」
 俺は頷いた。いつもながら落ち着いている姉が頼もしかった。姉は俺の顔を見詰めて優しく微笑むと、次の指示を出した。
 「直人くんは近くのコンビニやスーパーを回って、出来る限りの水と食べ物を家の中に集めてください。もちろん、保存の効くものが優先です。直人くんは賢いので、どう立ち回るべきかは基本的に一任します。良いですか?」
 「分かったけど、姉ちゃんはその間どうするの?」
 「わたしは、武器を集めておきます。近所の警察署に行って、警官の死体から銃を奪います。これは本当に競争率が激しいですが、手に入れられれば後が相当楽になりますよ」
 それからの日々は地獄そのものだった。
 水道や電気などもしばらくは持つものと思われていたが、しかし貯蔵電力などが機能したのはたったの三日ほどで、そこから先は世紀末のような暮らしを余儀なくされた。
 散らばった死体達は腐った臭いを放ち始め。
 食べ物は奪い合い。
 暴力は常に隣りあわせ。幼い者や弱い者から順に、子供の死体を目にする機会も増えていた。
 規律を持って、限られた食料を分け合っていれば、死者を出すのをもう少し遠ざけられた可能性はあった。しかし、食料の豊富に存在する商業施設や食品工場などを縄張りとするギャング団が発生したことから、食いっぱぐれる弱者の存在は増えるばかりだった。
 ギャング団の先頭に居たのは決まって何らかの能力者であり、彼らは手下たちを従えて支配者の地位を欲しいままにしていた。施設一つに付き一人か二人くらいの能力者がいて、そこにある食料品を独占し、彼らや彼らに取り入った者たちだけがそれにありつくことが出来た。
 そうでない人間達は物乞いをしたり、ゴミを漁ったり、動物や虫、或いは、落ちている人間の死体を食べたりしながら暮らしていた。
 能力を持たない俺達姉弟は毎日飢えながら、死体の臭いに包まれて生きて来た。地獄のような二か月間。そんな毎日の中で、自分や姉にも何か強力な能力が備わっていたらと願わない日はなかった。
 そう。姉に強力な能力が備わる、今日この時までは。

 ○

 「まずは使える能力を増やそうと思います」
 俺が血まみれの床を掃除し終えた頃、死体置き場にされている街の公園まで三人の死体を運び終えた姉ちゃんが戻って来た。
 「マジ?」俺は顔を引き攣らせた。「それってつまり能力者の男とヤるってことな訳? せっかく今日まで体売らずにやって来たのにさ、嫌じゃないの?」
 「幸せな初体験という夢は既に潰えてしまいました。毒を食らわば皿までという言葉はご存知でしょう?」
 セミの鳴く夏の夕方に、田舎町の大きな家の縁側で、年下の男の子を相手に処女を失うのが夢だと姉ちゃんは前に語っていた。今思えば生々しい程に具体的な願望ではあった。でも弟にそんな話するか普通? なんて話は今はともかく、俺は言った。
 「そういう問題なの?」
 「そういう問題です。一度汚れてしまえば後はどうなろうと同じことです」
 その考えに陥ることこそが、すなわち高潔さを失うということなんじゃないかと俺は思ったが、それを言ったら姉を傷付けてしまう気がして口に出すのはやめる。
 「念力だけじゃ不十分なの?」
 「不十分です。良いですか? わたしの得た力は無限の成長性を持つラーニング能力なのですよ? 上手く使えば世界を支配できる程の絶大な力です。とことん鍛え上げない理由はないでしょう。それに」
 「それに?」
 「わたしと慰み者にしようとする赤目の男達からその能力を取り上げることが、赤目の男に純潔を奪われたことへの復讐になるのではないかと思うのです」
 当たり前だけれど、姉ちゃんはさっきの一件で深く傷ついているらしかった。とは言えそりゃそうだ。弟の前で羽交い絞めにされ、服を脱がされ、泣きじゃくる顔を見せるまいと覆った両手を無理矢理剥がされ、その方が興奮するからもっと泣けと嘲笑われながら犯されたのだ。
 その憎しみが深くないはずもなかった。実行犯の男を殺しても飽き足らず、『赤目の男』そのものに対する復讐心を募らせるのも、理解できない心理ではなかった。
 「という訳で、わたしはこれから男達に抱かれる日々を送りますが、それはわたしの意思なので心配は無用です。気持ちを切り替えて立ち直った結果のことですので、どうか深く考えないようにしてください」
 「尊重するよ」どうせ言っても聞かないんだこの人は。
 「それはそうと直人くん。その……抉り出した右目なんですが」
 俺の右目には貴重な眼帯が巻かれていた。棚に残っていた鎮痛剤と抗生物質を飲んでしばらく休んだら、死体の片づけを手伝えるくらいには立ち直っていた。
 「大丈夫ではないですよね? 残っているかは分かりませんが、病院に行って良い薬なりガーゼなり確保して来ます。義眼も用意しなくてはいけませんね」
 「なら俺も行くよ。どうせ病院に行くなら他にも色々入手したいし、荷物を持つ手は少しでも多い方が良いだろう」
 そんな訳で、俺達姉弟は住居である一軒家を出た。

 ○

 町は荒廃の限りを尽くしていた。道路にはぶつかり合ってボコボコになった自動車がそのまま放置されていて、中には運転中に死亡した大人がハンドルを握った状態で腐敗していた。回収するもののいなくなった大量のゴミと共に、トイレで水洗できなくなった弊害として、無数の糞尿がバケツ等から捨てられて死体とは別の悪臭を放っていた。
 食べ物を探してか、大人の死骸を引きずり出して自動車の中を漁っている十歳程の少女を尻目に、俺達は病院の方へと向かっていた。
 「あら?」
 そう言って、姉ちゃんが何かに気付いて道端で立ち止まった。
 「どうしたの?」
 「いえ……こっちから悲鳴が……」
 そう言うと、近くの路地裏を覗き込む。そこでは、何やら肥満体系の男が、裸の女の上に圧し掛かかろうとしていた。
 「普通の和姦なら、こんなところでしないでしょうし、悲鳴を上げたりもしないはずです。こんな時代では、女は無理矢理に慰み者にされてしまうものなんですね」
 そう言って、姉ちゃんはずんずんその路地裏に入っていく。そして、ズボンを脱いで今汚いケツを丸出しにしたところのデブに、背後からにこやかに声をかけた。
 「あのぅ。その方ではなく、わたしとセックスをしていただけませんか?」
 直球すぎて俺は鼻水を吹いた。「なんだぁ?」と言いながら、太った男は体脂肪でパンパンに膨らんだ顔をこちらに向ける。分厚い瓶底メガネの裏には、比較的色合いの薄い緋色の瞳が覗いていた。『能力者』だ。
 「この薮内(やぶうち)様にお恵みをしてもらいたいのか?」
 「そういうことですよぅ」姉ちゃんは可愛らしく合わせた両手をすり合わせた。
 「……そういうおまえも『赤目』じゃねぇか? どうして身を売る必要がある?」
 「大して使えない能力なんですよ。それに、わたし、あなたのようなふくよかな男性って、タイプです」そう言って姉ちゃんは唇を軽く尖らせる。「ダメですか? わたし、そんなに魅力ないですかねぇ?」
 姉ちゃんは美少女だ。百七十センチに届く痩身と色白の肌と、穏やかそうな大きな瞳と良く通った鼻筋、柔らかな長髪を持っている。太っているだけならともかく性格も最悪そうなこの男では、こんな時代でもなければまずヤレる機会はないような上玉である。
 「……まあ。こいつにも飽きてたしな」デブはそう言って、目の前で組み伏せていた女から手を離した。「良いぞ。ところで、後ろの男はなんだ?」
 「弟です。直人くん、ちょっとあっち行っててください」
 言われたとおり路地裏から出ていくと、さっきまで押し倒されていた女が服を拾いながら付いて来た。
 「あの。ちょっと良い?」
 そう言って声をかけて来た女を改めて見て、俺は驚いた。赤い目をしていたからだ。
 脱色されて金色になった髪を頭の上で束ね、額を丸出しにした少女である。良く日に焼けた明るい、派手な顔立ちで、平和な頃は多分遊んでいたタイプだったんじゃないだろうか? 見かけで判断してしまうなら。
 「あんたの姉ちゃん、薮内のこと殺すつもりなんだよね?」
 「それが分かるのが、あんたの能力なのか?」
 「まあそうだけど……」女は何かを考え込むように下を向いた。「ウチの名前は島村。島村万智子(しまむらまちこ)。東中学の三年だったの。あんたは? オナチュー?」
 俺のことは知らない? ということは、読心能力の類ではない。「有栖川直人(ありすがわなおと)。海星の中等部二年」
 「海星? すごっ。むっちゃアタマ良いんだね直人」
 「俺なんかただの内部生。でも姉ちゃん方はすごいよ。同じ海星の高等部の学年一位で、海外の名門医学部を目指してたんだ。今じゃもう、意味なくなっちゃったけど」
 「意味なくないよ。むしろこんな時代程ちゃんとアタマ回んないと生きてけないよ。ウチバカだからさ、せっかく『赤目』なのにあんな男に良いようにされてたの。もう最悪。あのね」
 島村は語る。島村は千里眼のような視覚を遠隔化する能力を有していて、それ自体は間違いなく強力な能力である証拠に瞳の色は深い紅色だった。だが如何せん、それを食料調達に応用するアイディアが島村には備わっていなかった。
 何せ直接的な攻撃力を持つ類の能力ではない。食べ物のある場所を探すのには向いていたが、それで有利になったのは争奪戦の起こる前までの話で、腕力のない島村は次第に腹を空かせるようになる。それで仕方がなく体を売るなどして生計を立てている内に、上客だった先ほどのデブ、薮内と行動を共にするようになった。島村の千里眼で食料を探し、攻撃的な能力を持つ薮内がそれを奪取するのだ。
 それだけなら良好な共生関係とも言えたが、しかし薮内にはひっきりなしに島村の肉体を求めるという悪癖があった。それも、何の予告もなしに自身の気が向いた時に島村に襲い掛かり、悲鳴を上げる程乱暴な手つきで組み伏せ頻繁に暴力も振るうという悪辣ぶりで、さらにはその頻度も日に一度や二度では済まないというのだから、これはもう唾棄すべき性獣であるというのが島村の見解だった。
 「あんたの姉ちゃん、自分とヤった男の能力を奪えるんだよね? 千里眼で見てたよ? それで、これから薮内から力を奪って殺すんだ」
 「多分そうだろうな。それで?」
 「ウチをあんたの姉ちゃんの舎弟にして欲しいの!」島村は頭を下げた。「ウチ、バカだけど、多分能力は役に立つしっ! あんたからもお願いしてくんない?」
 舎弟ってか。つまりこの女は、あのデブから俺の姉ちゃんにパトロンの乗り換えをしたいのだ。同じ女なら少なくとも性搾取はされないし、何よりあのデブはもうこれから死ぬんだから。
 しかし姉ちゃんはああ見えて独特な気難しさがあって、天衣無縫なマイペースさが祟って、相助グループの類に入っても長持ちした試しはない。はたして、この人を姉ちゃんが気に入るかどうか。
 「終わりましたよー」
 言いながら、何事もなかったように服も着直した姉ちゃんが戻って来る。
 「いやあ。あんな白豚のような人に抱かれるなんてまるで悪夢のようでした。大した能力でもありませんでしたが、まあ今後の為に一つ予行練習ができたとでも思うしかないですね。人助けにもなりましたし……あれ? この人、さっきの」
 「姉さん!」そう言って島村が姉ちゃんに向けて土下座をかました。「舎弟にしてください! オナシャッス!」
 「あは。元気の良い方ですね」姉ちゃんは両手を握り合わせて上品に笑う。「舎弟なんて言わず、お友達で良いですよ。ただし、わたしと弟にはちゃんと服従して役に立って下さいね」

 ○

 それから数日、姉ちゃんの能力者狩りが続いた。
 島村の力は役に立った。島村自身を中心とした半径一キロメートルの射程内を、建物の中まで自由に俯瞰して見ることが出来た。それを使って、姉ちゃんが能力を奪うべき赤目の男を探し出すのが島村の主な仕事だった。
 「また一人赤目の男を見付けたよ。なんかバリアみたいなの張ってる」
 「強そうですね。それで、目の色は?」
 「カーマイン級。かなり便利そうな能力なのに、クリムゾンじゃないんだね」
 俺達は能力者の目の色の濃さを三種類に分けて呼称していた。色の薄い順に、スカーレット、カーマイン、クリムゾンだ。今は亡き薮内以上に色が濃ければカーマイン、島村以上ならクリムゾンだ。
 正直その言語センスには首を傾げる部分もあった。だが考案した島村を姉ちゃんが目を輝かせて絶賛したのもあって、それらは俺達の間で良く使われていた。
 「ありがとうございます島村さん。では、早速その人を誘惑して来ますね」
 なんて風に島村が能力者を見付けては、姉ちゃんはそこに出向いて能力を一つ身に付けて返って来る。
 「もうそれ何個目? 持ってる能力の数がそのまま経験人数ってことだよねぇ。進んでるぅ」
 「能力であそこの膜を修復してるので実質ゼロ人ですよ」
 なんて言って笑い合う二人は結構打ち解けているように見えた。島村の性格の人懐っこさが良い方に作用したのだろう。能力が役立つこともあり、姉ちゃんは割合島村を気に入っていた。
 「とは言っても……そろそろここらで赤目の男を探すのにも、限界があるんだよな」
 俺は言う。ただでさえ赤目自体希少な存在で人数は限られるし、姉ちゃんの存在も噂になり始めていた。ただでさえ姉ちゃんの目の赤色は他とは比べ物にならない程鮮やかに色濃いのだ。濃度は能力の強さを表す。それだけでも警戒されるというのに、かなりの美人なのだからとにかく目立つ。
 「『ヤった男を殺す力』……くらいに思われてるみたいだけどねぇ。ま、どっちにしろ、もう憩ちゃん前程モテてないんじゃない?」
 憩(いこい)ちゃんというのは姉の本名で、より正確には『有住川・アーデルハイト・憩』と言った。真ん中のアーデルハイトはドイツ人の父親に付けられたミドルネームだ。
 このドイツ人の血のお陰で、姉ちゃんは百七十センチに届く長身と彫の深い整った顔立ちを持っていた。姉ちゃんはドイツ人の血と同様にアーデルハイトの名を好んでいたが、エーミールの俺は国語の授業の度にからかわれるという十字架を背負っていた為、己のミドルネームをあまり好きではなかった。
 「その辺は考えています」姉ちゃんは気持ち胸を張って答える。「そろそろ、わたし達も自分の城を持ちますよ?」
 「おおっ、と、いうことは?」
 「ええ。昨日直人くんと話し合いました。ここを出て行って、別のグループが支配している商業施設を一つ、奪います。そして大量の食糧や日用品を手に入れ、わたしは女王、直人くんと島村さんは幹部となります」
 「すごい! すごいよ!」島村は興奮しているようだった。「それで、どこを奪うの?」
 「ここです」
 と言って、姉ちゃんは地図を広げてある一点を指さした。
 そこはこのあたりでもっとも大きな商業施設、大型デパート『一級建築』だった。

 ○

 ギャング団が支配した商業施設をそのまま拠点にしてしまうことが多い。そこにある食料品を家まで運び込むよりは、家にある家具や布団を施設に運び込んだ方が手っ取り早いからだ。大型デパート『一級建築』もその例に漏れず、数多くの能力者達の住処となっていた。
 「ああ~。疲れました。脚が棒ですよぅ。お風呂入りたいですぅ」
 一級建築までは家から五駅分の距離があり、徒歩のみで踏破するのはなかなか長い道のりだった。姉ちゃんは理性的な人間だが、案外愚痴は言う方だ。
 「汗かいたよなぁ。川で水浴びでもしていくか?」
 「わたしへの気遣いであれば、お気持ちだけ受け取っておきます」姉ちゃんは真剣にグロッキーな様子で青色の息を吐いた。「わたしは清潔なお水を全身に浴びたいのであって、死体の浮いたような川で水浴びがしたいのではありません」
 「憩ちゃんって、結構体力ないよねぇ」島村が余力を残した調子で姉ちゃんに問う。「お嬢様暮らしだったんでしょ? お箸より重いもの持ったことないとか?」
 「六歳で既に直人くんをおんぶしてましたよ。もっとも、お勉強ばかりでお外を駆け回るみたいなことはあんまりしませんでしたから、基礎体力が養われる機会はあまりなかったと言えます」
 「でも弟くんは結構動けるじゃん? 日頃の力仕事とか、流石男の子って感じにしっかりこなすし」
 「直人くんは小学校の頃拳法習わされてたんです。わたしはピアノでしたけど」
 「上手なの?」
 「猫ふんじゃった弾けます。猫ふんじゃった!」
 なんて話していた頃だった。
 「あれ? 野菜あるじゃん」
 気付いたのは俺だった。道路の傍らの田畑に何となく目をやっていて、そこにミニトマトが成っているのを発見したのだ。
 トマトだけではない。あちこちに様々な野菜が栽培されていた。野菜なんて植わっていてもただちに狩りつくされてしまうことを想えば、こうして生き残っているのは不自然としか言いようがなかった。
 「わっ! トマトだ」島村は興奮した様子だった。「ねぇ、最近野菜とか食べてないよね? 缶詰とかばっかでさぁ……。やったじゃん」
 「いやぁ。食べたいんですけどねぇ」姉ちゃんは悩まし気に頬に手をやった。「でもですねぇ、これは多分、わたしが思うに……」
 畑の奥にあった小屋から、一人の女を先頭に数人が飛び出して来た。リーダー格らしい先頭の女は鮮やかな赤い目をしている。カーマイン級の能力者だ。
 「ちょっとあなた達。ここの野菜に手を出さないでくれる?」
 カーマインの女が言った。漆のような黒いショートカットと、切れ長の目を持つ美人だった。背は低く体格が華奢な為、どこか日本人形めいた雰囲気を持っている。 
 「そっちは赤目二人? こっちの赤目は私一人だけれど、雑兵の数だけはいるわ」
 「手は出さないよ。野菜一つに命を賭ける程には飢えていない」俺は尋ねる。「それより、ここはあんたのテリトリーか? この野菜はどうしたんだ?」
 「私のというか、黒川帝王様の農場ね。私はただの現場監督兼用心棒、後ろの下っ端は雇われの農夫ね」
 「黒川帝王って誰ですかぁ?」と姉ちゃん。
 「あなた達、モグり? 黒川帝王様も知らないの?」
 「知らないです。モグりというか、わたしたちはただの観光客です」
 観光は通じないだろう。おれは思う。赤目の女は明らかに怪訝そうな目を姉ちゃんに向けながら、「あの人」と言って顎をしゃくった。
 畑の傍らに、大きな看板が設置されている。と言っても木の板に写真を一枚張り付けビニールで覆っただけの粗末な代物ではあったが、とにかくそこに『黒川帝王』の顔があった。
 いかついパンチパーマの強面の男だった。潰れた鼻や分厚い唇、ボロボロの歯等、顔立ちは不細工そのものだったが、瞳だけは嫌に精悍で目力もあった。痩身だが筋肉質で、能力者らしく赤色の目をしている。クリムゾン級。生命力に満ちた深く濃い色合いは、帝王という肩書と相まって、彼の持つ異能の強力さを予感させた。
 看板の上半分は『黒川帝王』の写真、下半分は『みんな笑顔の黒川農場。不法侵入、つまみ食いは半殺し』というフォントが書かれている。さらには、『農民は日給缶詰一個! またはカップラーメン一つ。働きたい方は以下の住所まで』という案内まで添えられていた。
 「こういう農場があちこちにいくつかあってね。未来の為に野菜作りをしているらしいわ」と赤目の女。「戦闘向けの能力がある赤目は現場監督にしてもらえて、労働者の監視と野菜泥棒の退治の仕事をするの。山の方だと、ここの数十倍の規模の大農場を開墾する計画まで行われてるみたいね。既存の農場だけだと将来的に不足するからって……」
 「なんて尊い事業なんだ。すごいぞ」俺は本気で感心した。「帝王を頂点に現場監督とかの役職もあって、食糧を提供して雇用までして、れっきとした会社組織だ。大人達が死んでからたったの二か月でもうそこまで築き上げるとは。この黒川帝王って奴は、世紀末における一人の英雄なのかもしれないぞ」
 「この住所は繁華街の方ですね。ひょっとして、デパート『一級建築』の支配者が、この黒川帝王なんですか?」と姉ちゃん。
 「そうね。繁華街は『黒川帝国』って呼ばれてる。中心のデパートは『黒川城』よ。幹部になればそこで住める。日用品も食べ物も山ほどあるこの世の楽園なんだって」
 「良いですねぇ」姉ちゃんは頬に手をやった。「原始人のような暮らしにはもう耐えられません。早くその黒川城に向かいましょう」
 「行ってどうするの? 取り入る気? それとも……」赤目の女はそう言って、姉ちゃんの顔を見る。「まあ、能力次第でしょうね。あなた、相当色の濃い目をしてるわ。私の見て来た中ではダントツよ」
 「もしわたしが帝国の女王となったら、あなたの顔を思い出すかもしれませんよ」
 そういう姉ちゃんの顔を、赤目の女は値踏みするようにじっと見詰めて、「ふうん」と呟いたかと思ったら、畑の方からトマトを一つ取って来て姉ちゃんに渡した。
 「私、塚本っていうの。塚本明日香」
 「勝手にそんなことして良いのか?」俺は言った。
 「現場監督の野菜のつまみ食いくらい、幹部も知ってるわよ。目の前でやると流石に半殺しだけどね」
 「ありがとうございます塚本さん」そう言って姉ちゃんはトマトを一口齧る。見て分かる程新鮮で、それでいてたくさんの水分を含んでいて、とても美味そうだ。「失礼します」

 ○

 皆で分け合ったトマトの味に励まされ、黒川帝国までの道のりを俺たちは無事に歩き切ることが出来ていた。
 繁華街の入り口にはやはり大きな看板が立っていて、大きくサムズアップする笑顔の黒川帝王の写真が飾られていた。『ここから黒川帝国。不法入国者は半殺し』と記載されている。
 「良くこんな写真撮ったよな。電力はどうしてるんだ?」と俺。
 「充電じゃないですかね。或いはアナログで撮ったのかもしれませんよ。写真術は本来電力を使うものではありませんから」と姉ちゃん。
 「いや姉ちゃん。明らかに印刷物だぞ、これ」
 「なんでも良いけど……」島村は怯えた様子だった。「ウチら、この黒川帝国っていうのを、これから乗っ取るんだよね?」
 「そのつもりです」と姉ちゃん。
 「性急すぎない? ただのギャング団かと思ったら、この辺一帯を支配する大組織じゃん! いくら憩ちゃんでも、それは無茶じゃない?」
 そう思う気持ちも分かる。だいたいにおいて俺達のしていることは無計画に過ぎるのだ。何かを乗っ取ろうとするなら、最低でも相手の主要人物の顔くらいは抑えておくのが当然なのに、俺達は黒川帝国の名前すら知らなかったのだ。
 「でももう耐えられないんですよぅ」姉ちゃんはそう言って両拳を握りしめ、訴えた。「ドブ川で体を洗うのは嫌ですし、石鹸の備蓄ももう切れます。食べ物だってほとんどない。郊外の自宅周辺で生活レベルを維持するのはもう限界なんですよぅ」
 「だからって……勝ち目がなくっちゃ」島村は俺の方に視線をやる。「ねえ、直人もなんか言いなよ? あんたはいつも冷静でしょ? 参謀みたいなもんじゃん? ねぇ」
 「姉ちゃんとはもう二人で何度も話し合った。その上でこれしかないっていうんだから」俺は溜息を吐く。
 「はあ? 何言い負かされてんの? もっとしっかりしなよ」
 「別に勝ち目がない訳じゃない。と言うか、この黒川とかいう奴を殺すだけなら、十中八九成功すると思う」
 作戦という程のものでもないが、俺は説明をした。
 最早姉ちゃんは一対一ならどんな能力者にでも必勝の実力がある。だから黒川が一人の時を狙う。奴も広いデパートの中で常に仲間を引き攣れている訳ではないだろう。島村の能力でタイミングを見計らい、奇襲をかけるのだ。
 「あとは黒川の首級を掲げて、幹部たちに降伏を呼びかける。黒川という奴に人望があるならともかくとして、力に従っているだけなのなら、ボスの首がすげ変わることにも納得するかもしれないだろ?」
 「簡単に言わないでよ。まずその油断しているところを襲撃っていうのが、上手く行かないと思う。この大組織でしょ? デパートの入り口から黒川の居場所まで、警備してる奴が何人かいるはずだもん」
 「ああ。それは本当に大丈夫です」と姉ちゃん。「作戦がありますので」
 「何? その作戦って」
 姉ちゃんはにっこり笑い、親指と人差し指で『C』を作る。「うるとらしー」

 ○

 「いたよ黒川。二階のバックヤードの、事務所みたいなところで一人で煙草吸ってる」
 島村は言う。「二階ですかあ」と言って、姉ちゃんは高度を下げた。
 「この辺ですか?」
 「もっと左。もっともっと左。あ、通り過ぎた。ここ、この辺。この壁の向こう!」
 「了解です。でーはぁ」言って、姉ちゃんはデパートの外壁に手を突いた。「行きます!」
 姉ちゃんの持つ一つ目の異能力、念力によって、俺達三人は宙に浮きながら黒川のいる事務所の壁の外側に到達していた。そして、姉ちゃんの持つ二つ目の異能力、『触れた物体の輪郭を自在にする』力によって、壁に大きな穴を開けて中に侵入する。大したウルトラCである。
 「うおおお!」
 驚愕する黒川。唐突に自分のいた部屋の壁に穴が開いたのだから驚くのは当たり前ではあった。本当に強力な能力で、デパートへの襲撃を決めたのも、これほどの力が手に入ったからというのもあった。
 「何のつもりだてめえ! この黒川様に勝てると思うなよ!」
 流石は帝王というべきだろうか。素早く状況に順応した黒川は、鼻の穴からレーザー光線を発射するという非常に見栄えの悪い能力で姉ちゃんを迎撃した。しかし姉ちゃんは能力による飛び道具なら何でも無効化する強力な結界……バリアーのようなもの……を目の前に設置する第三の能力を用いてそれを防いだ。
 「凄まじい威力です。わたしが防いでなければ向こう数百メートル、いや数キロメートルに及ぶ範囲と破壊力があるようです。強力な大砲ですね。室内で使うようなものじゃないですけど」
 姉ちゃんはとんでもないことを言っていた。その大威力を防がれたことなどないのだろう、黒川はほとんどパニック陥ったような表情を浮かべている。
 「とは言え欲しくはありませんね。その力も、あなたも、ビジュアルがちょっと悪すぎますからね」
 疲弊したらしい黒川がレーザー光線の発射をやめる。文字通り息を切らしているのを見るに、鼻息と同じ感覚なのかもしれない。そこへ姉ちゃんの念力が炸裂する。姉ちゃんは黒川の首に念動力を加え、あっけなくボキリとへし折って殺してしまった。
 「この念力ちょっと便利すぎますね。軽自動車くらいなら持ち上げられちゃうんですから強力すぎます」
 「元々俺らの生活してた区域を支配してた奴の力だしな。強いに越したことはないだろ」
 「そうですね。とにかく、これでボスの首級が手に入りました」
 そう言って、姉ちゃんは黒川帝王に近づいていく。確かに絶命するのを確認すると、悩まし気な様子でふと首を傾げた。
 「どうした?」
 「……この人は少し弱すぎる気がします」
 「は?」
 「確かにこの人の能力は広大な破壊規模を誇る強力なものでした。ですが、鼻からビームを出せるだけで、ここまでの広い地域の支配者になれるものなのでしょうか?」
 「良い参謀が付いてたんじゃないか? それか、本人が意外と頭が回るのか」
 「わたしのようにこの人を殺して成り代わろうとする能力者は後を絶たないはずです。それを退けて来たことを考えれば、もっと近接戦闘に特化した能力だと予想していました。しかしこんな大ぶりな大砲では、奇襲に対してあまりにも脆弱です」
 「そんなこと言ってる間に誰か来てるよ!」
 目を閉じて額に手を当て、千里眼を発動していた島村がそう警告した。
 「結構な人数! 目が赤いのも三人いる。ヤバいって!」
 「迎え撃ちましょう、お二人は下がっていてください」
 そう言って姉ちゃんが前に出た。事務所の扉が開かれ、襲撃者達の姿が露わになる。次の瞬間。
 姉ちゃんが膝を折ってその場で崩れ、前向きに突っ伏して倒れた。
 「……は?」
 島村が信じがたいと言った様子で姉ちゃんの傍に座り込み、肩を揺する。俺は現れた襲撃者達の方を見た。
 先頭にいるのは坊ちゃん狩りをした十歳くらいの少年で、白皙の美少年とも呼ぶべき整った顔立ちをしていた。黒川のものを遥かに凌ぐ濃度のクリムゾンの瞳をしている。背後にまるで付き従えるように二人の能力者を連れ、さらにその背後には拳銃やナイフなどで武装した非能力者達が控えていた。
 「降参だ」俺は両手を挙げた。「俺はあんたらにとって有用な情報を持っている。殺すのはやめてくれ」
 「ああ。こちらとしても、安全な無能力者を殺すつもりはないんだ」先頭にいる十歳程の少年がそう言って微笑んだ。「こんな時代だからこそ、品性は重んじられなければならない。眼帯の君は助けてあげる。ただし、赤目の彼女は駄目だ」
 そう言って、少年は島村の方を見る。
 「やめて! あたし、この女に脅されてただけなの! 従わされていただけなのよ! 攻撃的な能力もない。殺さな……っ」
 言い終える前に、島村は姉ちゃんに折り重なるようにその場で倒れ伏した。
 「ごめんね。どんな能力か分からないし、赤目は生かしておくと何をしでかすか分からないから」
 少年は心から謝罪しているかのようだった。悲し気な様子で倒れた二人を見詰めている。
 「二人を殺したのか?」
 俺は尋ねる。何もしていないかのように見えるが、しかしこの少年が何か能力を使ったことは間違いないだろう。
 「気の毒だがその通りだ。君にとってはお仲間だけれど、僕達だって黒川くんを殺されているんだ。納得してもらうしかないだろう」
 「それはそのとおりだ。あんたが本当のボスなのか?」
 少年はおかしそうに笑う。
 「こんな小さな僕がボスだって? どうしてそう思う?」
 「目の色を見るにあんたは黒川を凌ぐ能力者だ。そしてあんたは黒川をくん付けで呼んだ。部下なら黒川のことを『黒川帝王様』と呼んでいるはずだ」
 「死体にまで敬意を払わせる程の人望が彼にないという視点は?」
 「なら呼び捨てにするはずだ」
 「単に仲が良かっただけだという可能性は?」
 「それにしてはあんたの表情はフラットだ。黒川の死に対して怒りも悲しみもない」
 「そう見えるかい? 確かに特別仲が良かった訳ではないが、死を悼む気持ちはあるつもりだよ」少年はやり取りを楽しむかのようだった。「でもそうだね。黒川くんは表向きの指導者なんだ。本当のリーダーが僕だというのは正解だよ」
 そう言って、少年は黒川の方に歩み寄り、首の骨が折れているのを改めて確認した後に、優し気な手つきで瞼を降ろしてやった。
 「僕は郡山(こおりやま)という。こんな子供には従えないという輩も多くてね。幹部にした仲間の内、一番声が大きくて、顔に迫力のあった黒川くんを表向きの指導者にしたんだ」
 「下っ端を雇って農業をさせているのはあんたか? 山に大農場を作ると言う事業を押し進めていたのも」
 「缶詰なんていつか食いつぶしてしまうからね。将来を考えるなら、食料を自ら生産することは必須と思ったんだ。食料供給が安定したらもっとたくさんの人を雇用できるようになるし、そしたら畜産や漁業などの新たな事業にも着手できる。弱者を守る為、秩序ある国を作るのが僕の目標なんだよ」
 郡山は英雄的な目標を語る。言うだけなら簡単だが、実際にこれだけの組織を作って実現に向けて努力しているのは大したものだ。稀に見る天才児という奴なのかもしれない。荒廃した世界に現れて、リーダーとなり秩序をもたらす駿傑という類。
 「姉ちゃんと島村を殺したのはあんただな? どんな能力だ?」
 「それは教えない。君はあくまでも捕虜だ。黒川の死は償わせるし、知っていることは洗いざらい吐いてもらう。手を挙げたままこっちへ来い」
 「待ってくれ」俺は懇願するように言った。「死んだ一人は俺の姉ちゃんなんだ。俺をどこかに連れて行く前に、せめて最後のお別れをさせてくれないか?」
 そう言うと、郡山はふむと小首を傾げ、一瞬だけ悩む素振りを見せてから、小さく頷いた。
 「無能力者の君に何が出来る訳でもない。そのくらいの情けはかけるよ。遺体の方もちゃんと人間の遺体として扱うから安心して欲しい。早めに別れを済ませることだ」
 「分かった」
 そう言って、俺は両手を降ろして姉ちゃんの方へ向かう。
 うつ伏せに倒れた身体を抱き起こす。姉ちゃんの身体は暖かく、安らかな表情で目を閉じていた。
 俺は慌てて目を覆い、瞼を降ろすように手を動かした後、耳元で嘆くような口調でこう叫んだ。
 「姉ちゃん!」
 そして身体を揺すりながらさらに大きな声で叫ぶ。
 「姉ちゃん! 姉ちゃん!」
 ぴくり、姉ちゃんの身体が動いた。
 郡山の反応は早かった。何かに気付いたように眉を大きく動かす。
 しかし、判断はほんの僅かに遅れていた。郡山が姉ちゃんを改めて殺し直すより一瞬早く、姉ちゃんの持つ念動力が郡山の眼球を顔から引き抜いた。
 「ぐぁああっ!」
 郡山はその場で顔を抑えて悲鳴をあげた。背後にいた二人の能力者が焦った様子で姉ちゃんに向けて踏み込むが、しかし姉ちゃんはその場で立ち上がって能力を行使する。
 「はい」
 闇そのものを切り出したかのような大きな球体が、姉ちゃんの目の前に無数に出現した。それらは郡山の手下に向けて一斉に射出される。
 闇色の球体に貫かれた手下達の肉体は、球体が通過したのと同じ大きさの穴が空いて出血し、その場で倒れ伏した。触れたものすべてをこの世から消滅させる黒球を放つ姉ちゃんの四つ目の能力だ。全員が死亡するまで、大した時間はかからない。
 郡山を覗く全員を始末した姉ちゃんに、俺は尋ねた。
 「そこのガキ、殺さなくて大丈夫なのか?」
 「はい。目を潰せば大丈夫です。そういう能力なので」姉ちゃんはそう言って微笑む。「目が合った相手の心臓を一瞬で停止させる……だなんて、いくらなんでもでたらめですよね。広範囲、即時発動、一撃必殺、まさしくズルです」
 姉ちゃんの第五の能力は相手の持つ異能力のアナライズ。視界に入る赤目の持つ異能力の詳細を、本人と同等レベルまで分析、理解する。
 「油断した。僕の負けだ。だが、いったいどういうことだ?」郡山が顔中から出血しながらパニックに陥ったように言う。「停止した心臓を蘇生させるのが君の能力だとして、能力は一人に一つが大原則のはずだ。君はここまでにいくつ力を使った?」
 「あなたの優しさが仇となりましたね。心臓を停止させるだけじゃなく、もっときちんとトドメを刺して置くべきでした。無暗に遺体を傷付けようとしなかったあなたの品性には敬意を表しますが、この無法の時代で勝利者となる器ではないですね」
 姉ちゃんの第六の能力、破損した自らの肉体を再生することが出来る。
 この力で姉ちゃんは自分の処女膜を再生している為実質処女だ。損傷の程度によって回復にかかる時間は異なるし、脳を破壊されれば発動不能という欠点もある。しかし死亡した場合オート発動するという強力な性質も持ち合わせていた。この為に俺は降参した振りをして、姉ちゃんが復活するまで時間を稼いでいたのである。
 「つか姉ちゃん。心臓止まった程度だし、もっと早く蘇生してたはずだよね。ぶっちゃけさ、寝てたんじゃないの?」
 「寝てました。蘇生するイコール意識が戻るという訳じゃないのが、この能力のもっとも不便な点です。それを察して大声で名前を呼んで起こしてくれたのは、直人くんのファインプレイでしょう」
 そう言って、姉ちゃんはあたりに散らばっている敵味方の死体を見やり、現状の確認をして息を一つ付いた。
 「直人くんが生きていたのは本当に何よりなんですが……島村さんはやられていましたか。残念なことです」
 「一応友達だったし、落ち込むよなぁ」
 「そうですねぇ」頬に手をやる姉ちゃん。悲しんでるんだかどうなんだか。「せめて仇は取っておきましょう。ですが、その前に……」
 そう言って、姉ちゃんは目玉を潰されて悶え苦しんでいる郡山の方へと歩み寄り、膝を降ろして言った。
 「確認します。あなたはもう精通を迎えているのでしょうか?」
 「……セイツウ? 迎えるなんて言葉にかかる表現なのか、それは?」
 「セックスって分かります?」
 「聞いたことのある言葉だが、意味は良く知らない。良いから早く人思いに殺してくれないか」
 姉ちゃんは溜息を吐く。「能力も極めて強力でなかなかの美少年ですのに。こんなところだけ年相応でなくても良いんですけどねぇ。残念です」
 そう言って立ち上がると、手から黒い球体を発生させ、郡山の方に向けて発射した。

 〇

 無敵と思われていたらしい郡山を殺害せしめた姉ちゃんに、逆らえる者は一人もいなかった。
 死体の散らばった部屋に幹部たちを集めた姉ちゃんは、怯える彼らに向けて笑顔でこう説いた。
 「わたしは快楽殺人鬼でもなければ、あなた達に何の恨みがある訳でもありません。あなた達がわたしのお友達になり、服従を誓ってくださるというのでしたら、あなた達にはこれまで以上の豊かな生活を保障します。あなた達に変化があるとすれば、ボスがこの子供からわたしに変わるだけのことです」
 多くは表向き納得した。内心では戸惑っていたり姉ちゃんを憎んでいたりした者もいないではなかっただろうが、その場で挑みかかって来るような者はとりあえずいなかった。もちろん少数だが郡山に心酔していた者もいて、彼らは姉ちゃんに背を向けてデパートを後にした。去る者は追わず。
 そうやって占領したデパートの中は刺激的だった。
 何と言っても物が豊富だった。聞けば、デパートに元々あったものだけではなく、周囲の繁華街の施設から集めて来たものも含まれるらしい。そんな中、王権を獲得した姉ちゃんが最初にしたことは全身に貴重なミネラルウォーターを浴びることだった。
 「うふふふふ。本当にさっぱりしますねぇ。ああちょっと島村さん、これ、持っててくれませんか?」
 「え、ああ。うん」
 そう言って島村はミネラルウォーターの水を姉ちゃんの頭からドバドバかける。もちろん大量のシャンプーやボディソープを使用することも忘れない。飲料水の段ボールが積まれていたバックヤードはそれで泡塗れになった。あまりの贅沢ぶりに島村は若干退いていた。
 そうだ島村だ。死んでいたはずの彼女だが、ある能力によって生き返ったのだ。
 俺を含めないなら記念すべき最初の部下であり、有用な能力者でもあった島村を、姉ちゃんは結局のところ気に入っていたらしい。幹部達の中に人体を蘇生出来る能力者がいないかを確認し、日岡というカーマインにそれが可能だと把握すると、島村を生き返らせた。
 「この能力、結構代償大きいんスけどね。具体的には、あたしの寿命十年分くらい必要になるっていうか……」
 「今死ぬより良くないですか?」姉ちゃんはにっこりと微笑んで日岡に告げた。「その分あなたの今後の待遇は保証しますよ。わたしにも死んでほしくない人はいますからね。惜しまずその力を使ってくれるのならあなたは有用です」
 そして姉ちゃんは郡山や黒川を蘇生されることを警戒し、触れたものを消し去る黒球で郡山と黒川の死体を無き物にした。ちゃんと埋葬させてくれと食って掛かった女(黒川の恋人、らしい)は、同じ黒球で腹に穴を開けられて死亡した。
 この程度の些細な悶着もなかった訳ではない。
 生き返った島村は俺と共に最高幹部格として扱われた。古株は大事にする方針らしい。島村はすっかり気を良くして、姉ちゃんに感謝しつつ豊かな暮らしを謳歌していた。
 「ねぇ直人。暇だったらゲームとかしない? 昔欲しかったソフトがおもちゃ屋にあったの。付き合ってよ」
 等と言う島村の台詞から察するように、フロアでは平和な時のように電力を使うことができた。聞けば、須貝というスカーレットが発電能力を持っていて、驚くべきことに郡山はその電力をデパート内の機器に使用する技術を開発していたのだった。
 「あの子、本当に賢かったんですね」姉ちゃんはくすくすと笑う。「赤ちゃんがどこから来るのかは知らなかったですけど」
 王権を郡山から奪った姉ちゃんが、最初に行った改革は枝葉末節を切り捨てることだった。強力な能力者達からなる少人精鋭で組織を再構築し、そこに物資や食料を集中するというのだ。一口に赤目と言ってもその能力の有用性には大きな格差があり、増して何の役にも立たない非能力者にまで食料を分配する必要性は皆無である、というのが新女王の方針だった。
 「農業はどうするんだ? あれは未来の為に本当に尊い事業だぞ?」俺は意見する。
 「山を開墾して未来を見据えた大農場を作る? でしたっけ? ……そんな大事業、莫大な人件費がかかって現実的ではありません。お野菜は食べたいので、わたし達が食べる分は最低限の人員に作らせますが、それなら平和な時に大人達が残した既存の農場で十分でしょう」
 日本の食料自給率を思えば、今ある農場だけで生かすことの出来る人間には限りがある。だがそこは自分達が生き残れれば良いというスタンスの姉ちゃんのこと。或いは実現できたかもしれないその計画を、姉ちゃんはあっさりと捨ててしまった。
 その代わりに姉ちゃんが行ったのは、広大な地域に及ぶ生活拠点の襲撃、食料の略奪行為だった。

 〇

 姉ちゃんは手足となる能力者を適正に応じていくつかの部隊に別け、食料や物資の調達などに当たらせた。
 戦闘に適した能力を持つ赤目達からなる精鋭部隊に、太刀打ちできる相手はいなかった。自動車まで使って広範囲を襲撃するその部隊に、周辺の地域を支配する能力者はことごとく敗北し、拠点にある物資を奪われた上で女王への隷属を誓わされるのだった。
 しかし上手く行かないこともいくつかあった。幹部達からの跳ねっ返りがあったのだ。
 その日は数日に一度行われる幹部会の日だった。デパート内の会議室で、七瀬という冷却能力者が言った。
 「こないだな、おれのいとこがこの辺りで見付かったんだ」
 「そうか。それは良かったな」俺は答えた。
 「いや、良かったなじゃなくってな。その子も幹部に入れて欲しいんだよ。能力はないが、頭の良い奴で……」
 「悪いがそれは出来ない」
 その頃俺は姉ちゃんから会議の進行役を頼まれていて、板書係の島村と共に皆の前に立って幹部達の質問や意見、不平不満に答えていた。
 「幹部になれるのはカーマイン以上の能力者、またはそれに準する実力の持ち主だけだ」
 「そういうあんたも無能力者だろ? 何の役にも立たない癖に、女王の弟ってだけで偉そうにするなよ」
 「直人くんの悪口は許しませんよ」姉ちゃんが言った。「直人くんは食料や物資、さらには人材の管理などの重要な仕事を務めています。一介の戦闘員に過ぎないあなたと比べて余程活躍していると言えますよ」
 そうなのだ。俺は中間管理職として、幹部達への指示伝達や食料の分配、彼らの報告や業績をまとめて姉ちゃんに伝えるなどの仕事をこなしていた。姉ちゃんの相談相手でもあり、事実上のナンバー2である。
 「あんたが弟を幹部にするんなら、おれにも同じ権利があるとは思わないか?」
 「思いません。あなたは優秀な能力を持つ組織の重要人物ですが、それでもわたしとの間には序列があります。不満があるなら今すぐ王国を出て行ってもらうしかありませんよ? どうします?」
 傍で聞いていた島村が途端におろおろとし出す。姉ちゃんは気に入った相手以外には直截な言い方しかできない嫌いもあって、しばしばそれが幹部達との間でトラブルを引き起こしていた。
 「何だよそれ……。黒川さんでさえ、そんな言い方はしなかったぞ」
 言いながら、七瀬はその場で座り込んで押し黙る。
 「では直人くん、明日の指示伝達を」
 「ああ、姉ちゃん」姉ちゃんに言われ、俺は幹部達を見舞わして告げる。「明日もまた物資の調達に向かって欲しい。これから俺の作った資料を配るから、書かれている作戦に従い、地図にて提示されている施設を襲撃して……」
 「また戦いに行かなきゃいけないの? ほとんど毎日じゃない。多すぎるわ」
 別の幹部……いつか姉ちゃんにトマトをくれた塚本が、不満の声を上げた。
 「いつも大変だと思う。だが食い物はその内無くなるんだからさ、他の奴に食われる前に出来るだけここに集めとかなきゃならないんだ。どうにか頑張ってくれないか?」
 「前線で戦わないあなたに何が分かるのかしら?」
 「町田がケガをした件ならもう二度と起こらないよう、安全に配慮して人員を増やすとか十分な対策を」
 「そうじゃない。人に向けて能力を打つのがどれほどの苦痛なのか、あなたは知らないはずでしょう?」
 「うるさい、うるさい! うるさいですよぅ」姉ちゃんは頭を掻きむしりながら癇癪を起したように言う。「ただでさえ奪った物品を過少報告して着服している癖に。法外に豊富な物品を回してるんですから黙って言うこと聞いてくださいよ。服従してくれないならあなた達なんてただの穀潰しじゃないですか」
 「い、憩ちゃん。その言い方は流石に……」
 などと、場が紛糾していた時だった。
 会議室の明かりが唐突に消えた。あたりは既に夜で、そうなると会議室は真っ暗でほとんど何も見えないようになる。
 「……今度は何ですか」度重なるトラブルで、姉ちゃんはいよいよ頭を抱え始めた。「まあ良いでしょう。ここにいたくもないですし、ちょっと須貝さんのところに行ってきます。直人くんも一緒に来て下さい」
 「もう休ませてあげた方が良いんじゃないすか?」幹部の一人、寿命十年と引き換えに死者を蘇生する日岡がおずおずと言った。「ボスが郡山さんだった時は、須貝さんに能力を使わせるのは一日二時間までって決められていて……」
 「日に二時間しか電気を使えない生活なんて、皆さん本当に耐えられるんですか? その気になれば一日中発電できるはずなんですから、怠慢を許すつもりはありません」
 ざわめく幹部達の声を背に、姉ちゃんは俺を連れて会議室を出た。

 〇

 「本当、嫌になりますね」姉ちゃんは愚痴を言う相手として俺を連れて来たようだ。「束になってもわたしに勝てない癖に。目の前で一人くらい血祭りにあげればもうちょっと素直に言うこと聞くんでしょうか?」
 「やめておけよ。致命的な分断を招きかねない」俺は言った。「衣食住は保証された幹部達だっつってもな、こんな時代には違いない。連中もストレスで気が立ってるんだ。あんまりしんどいなら俺がもっと間に入るから。姉ちゃんはどっしり構えておいてくれよ」
 この人に上手くまとめるなんて能力を期待してはいない。元々孤高の人で友達さえ一人もいなかった。力を前にして露骨に媚びへつらう島村のようなイエスマンとならまだ上手くやれるのだが、プライドのある強力な能力者である他の連中とは軋轢があった。
 俺達はバックヤードの扉を抜けると、フロア内に電気を供給している発電能力者、須貝のところへ向かった。
 ケーブルに繋がれた須貝は疲れ切った様子で目を閉じて眠っていた。一日中発電を続けていたのだから無理もないだろう。能力の行使にはそれぞれ体力や精神力を消耗する。重い荷物を持って山道を登るくらいの疲労はあるはずだ。
 「起きてください」
 そう言って、姉ちゃんが須貝に起床を促した。
 須貝は半眼を開いて弱々しい声で言う。「お願い。少し休ませて」
 「わたしは暗いところが嫌いです。せめて会議が終わるまでは明かりを付けていてください」
 「お願いだから。今日はもう限界。死にそう」
 姉ちゃんは念力で須貝の身体を持ち上げると、逆さまにして宙吊りにした。
 「ひ……ひぃ……っ」
 「あんまり聞き分けがないとこの状態で一晩ぶら下げますよ? それともこうでもしなければ分かりませんか?」
 言いながら、姉ちゃんは念力で須貝の左手の小指を無理な方向に強く捻じ曲げた。
 「やめ……折ら、ないで……」
 「いいえ。何本か折っておくことにします。そのくらいの傷ならわたしの力で治せますから、発電に支障はないでしょう」
 余程苛立っているのか、普段よりも苛烈な折檻を姉ちゃんは加えるつもりらしかった。流石に止めた方が良いと判断しつつも、どんな言い方をするべきか思い悩んでいた俺の元に、七瀬を先頭として数名の幹部が駆けつけて来た。
 「おい有栖川! おまえは何をやっているんだ?」と七瀬。
 「……自身への礼節をうるさく求めること程、みっともないこともないとは理解しているんですけどね」姉ちゃんはけだるげに小さく息を吐く。「ただ、序列を明らかにする意味でも、せめて呼び捨てはやめてくださいませんか?」
 「良いから須貝を早く降ろせ! そしてきちんと謝るんだ」
 「島村さん」姉ちゃんは七瀬の後ろでおろおろしている島村を睨んだ。「あなたがここに皆を集めたんですよね? 能力でわたしが彼女を懲らしめているのを見て、止めさせようと」
 「え、ええと……」島村は媚びへつらうような眼で姉ちゃんを見る。「う、ウチはただ、その人に言われてこの部屋の状況を伝えただけで……」
 「わたしの邪魔をしようとしたつもりはないと?」
 「そ、それは……。そう! そうなんだよ。言えって言われたから言っただけで、憩ちゃんに逆らおうとかは全然ないの!」
 こいつは本当に付和雷同な風見鶏だ。徹底して姉ちゃんに忠実という訳でもなく、その場凌ぎに大きな声に流され続けるだけなのだ。
 「女王への敬意は忘れないわ、有栖川さん。だから、その子のことはもう勘弁してもらえないかしら?」
 塚本がそう言って姉ちゃんに頭を下げた。
 「もうほとんど休みなく電力を供給してくれてるじゃない? そろそろ限界なんだと思う。今日はもう休ませてあげて欲しい」
 「会議はどうするんです? 真っ暗な部屋でやるんですか? わたしは苦痛です」
 「いつも通りなら、弟くんが作った資料に要点はだいたい書いてあるんでしょう? 今日はもうお開きにすれば良いわよ。ね?」
 「まあそうかもな」俺はここが口を出すべきタイミングと捉えた。「というか長々と議論の時間を取ること自体、郡山政権の名残であって、今の姉ちゃんの方針には反する気がする。会議はやめて、最低限度の伝達をこちらからするだけにしても良いんじゃないか?」
 「直人くんが言うならそれで良いでしょう」
 姉ちゃんは言った。
 「ですが、許可なく電力の供給を止めたことは許しません」
 パンと乾いた音と共に、須貝の悲鳴がフロア内に轟いた。姉ちゃんが念力で須貝の指を何本かへし折ったのだ。
 「ぎゃぁあああっ!」
 「須貝!」
 宙に浮かされた状態から地面に投げ出され、蹲る須貝に塚本が走り寄った。須貝は嗚咽を漏らしながらその場で丸まって震え上がっている。
 「おまえ……この」
 怒りの形相で姉ちゃんを睨んだ七瀬だったが、鮮血と同じ色をした姉ちゃんの眼光の前に目を反らした。
 邪知暴虐そのものの姉ちゃんを指導者たらしめているものは、幾百の異能を宿した瞳がもたらす無尽蔵の恐怖だ。どれだけ不満があろうとも、その力を前にしては服従以外の道はない。
 「……明日の朝、わたしの力で治療してあげます。それまでは痛い思いをしていてください。では」
 そう言って、姉ちゃんは豊富な整髪用品によって良く手入れされた黒髪を靡かせて去って行った。明かりが消えたので、二階に作った俺達の部屋で休むのだろう。
 「ちくしょう……」七瀬は苦虫を噛んだような表情で言った。「この辺の物資を全部ここに集められちまっていてなかったら、今すぐにでも出て行ってやるんだが。あの糞女め……」
 「気持ちは分かるわ。でもあの人だって、世の中に必要な人ではあると思うの」
 塚本は悩まし気な表情で言った。
 「巨木を植えるというのかしらね。誰か一人これという支配者がいなければ、人々に秩序をもたらすことは不可能よ。随分と縮小したけど農業だってやってくれてるし、既存の食糧を食いつぶした後のことも考えているみたいではある。今の私達に出来るのは、出来るだけ穏当な意見を聞かせていくくらいのことじゃないのかしら?」
 塚本は繰り返しこうしたことを他の幹部達に言い聞かせてくれている。
 姉ちゃんは人望とは無縁な人だったが、圧倒的に強いというその一点で、どうにか王様をやれていた。

 ○

 とは言え過激な侵略と富の独占を行った姉ちゃんに関する反発も大きく、デパートの周囲には連日抗議のデモ隊が押し寄せて大きな声で苦情を叫んだ。
 「悪の女王はこの街から出て行け!」
 「女王は敵だ!」
 「アーデルハイトは今すぐくたばれ!」
 アーデルハイトというのは姉ちゃんのミドルネームで、そのまま組織の名前としても使われていた。『女王の国アーデルハイト』。
 黒川帝国の崩壊を耳にした周辺の能力者達が、しばしばデパートを乗っ取りに来るのに対応し、新たな権威として姉ちゃんの存在を知らしめる必要性が生じて来た。そこで黒川帝国に変わる新たな国名を公募したところ、島村が提案した『女王の国アーデルハイト』を姉ちゃんが目を輝かせて絶賛した。語感良いし使いたくなるのは分かるそのミドルネーム。
 国名が知れ渡る内、女王アーデルハイトの名は恐怖と悪の代名詞として扱われ、飢え貧する無能力者達からは唾棄されていた。女王を批判するビラが撒かれたり、壁に落書きが描かれたりするくらいなら静観していた姉ちゃんだったが、デモ隊が投げつけた石がデパートの窓を叩き割るに至って腰を上げた。
 「今からぁ! アーデルハイト女王がぁ! 皆さんを皆殺しにしまぁす! 三分あげるのでぇ! もう反省したって人はぁっ! 出来るだけ遠くに逃げてくださぁいっ!」
 デパートの屋上……今は動かない遊園地風のアトラクションが設置されている……から身を乗り出して、使いっ走り筆頭である島村が拡声器を使ってデモ隊にそう告げた。
 強いルサンチマン的思想に浮かされ、ギリギリまで抗議活動を続けようとした者もいくらかはいたが、多くはそれを聞いてすぐにその場を逃げ出した。宣言から三十秒が立つ頃には、単に逃げ遅れただけの者も含めて二十人程度を残すのみとなっていた。
 デパートの下に虫のようにひしめく有象無象達を見下ろして、姉ちゃんは微笑みながらこう言った。
 「もう三分経ちました」
 「え? いや憩ちゃんまだ一分も経ってな……」
 「人間の脳は待つということにストレスを感じるように出来ています。なので今三分経ったということにしました。それでは」
 その言葉と共に姉ちゃんはデパートの屋上からふわりと飛び降りる。自由落下して豆のように小さくなった黒い旋毛が、デモ隊の真上で急停止したかと思ったら、怯え竦む人々に両手をかざした。
 コンクリートの地面から激しい炎が噴き出して、デモ隊の立つ一帯を火炎地獄に変えた。。残っていたデモ隊は瞬く間に炎に包まれる。
 吹き上がる炎で視界は歪み、人を焼いた黒煙は屋上まで高く立ち込めた。可哀想なことにその炎には即死できる程の熱量はないらしく、焼かれた人々は死に至るまでの苦痛の時を炎と共に踊っていた。
 「お、おい!」屋上に様子を見に来ていた七瀬が俺達の方に走って来てそう言った。「やり過ぎじゃないのかこれは!」
 「安心しろ。もしこっちに燃え移っても姉ちゃんなら秒で消せるから」
 「そういう問題じゃないだろう!」
 楽しそうに人を焼く姉ちゃんを見下ろして喚く七瀬に、俺は静かにこう告げる。
 「姉ちゃんとヤる羽目になりたくないなら、直接抗議するのはやめとけよ。あんた、最近煙たがられてるから、忠告しとく」
 なんて言っておいてやったのも、七瀬が実は小学生時代の同級生だからなのだが、しかし忠告というのは往々にして無駄になるものなのである。

 ○

 「てめぇ! 今日という今日は許さねぇ、有栖川!」
 そう言って七瀬が姉ちゃんの胸倉を掴んだのは、デモ隊の本拠地を叩く為、幹部数人と共に出かけていた時だった。
 「殺してやる! 殺してやるぞ、有栖川!」
 発端は道中で物乞いの集団に出会った時まで遡る。施しをしようと気まぐれを起こした姉ちゃんが、物乞いの中にいた少しだけ栄養状態の良い女を見て立ち止まった。
 「そいつはおれのいとこだ」と言ったのは七瀬。
 「そうですね。良く見れば鼻の形が似ています」
 そう言って姉ちゃんは七瀬の不格好に大きくて鼻の穴が大きく露出した鼻と、それによく似た女の鼻を見比べた。
 「渡辺さん。お久しぶりです」
 「有栖川……。何、あんた? 食べ物くれるの?」渡辺と呼ばれた七瀬の親戚が、物乞い特有の落ちくぼんだ目を姉ちゃんに向けた。
 「そんな訳がないでしょう」
 姉ちゃんは手の平をかざして真っ赤な炎で渡辺を包んだ。
 「うぎゃぁああ! あぁあああっ! あああぁ……」
 声が消えたのは喉が焼けたからだろう。致命傷にならない程度の炎で全身を焼かれ、皮膚が剥がれ落ち血管や筋肉が露出した気持ち悪い姿で悶え苦しむ渡辺を見て、姉ちゃんは愉悦の表情で頬に手を当てた。
 「苦しんでもらいたかったので、即死しないようにレアで焼き上げました」
 「それは分かるけど、でもどうしたの? 別に姉ちゃん、こういうことして喜ぶようなサドではなくない?」
 「昔の知り合いなんです。クラスメイトだったんです」姉ちゃんは俺の方を向いて目に涙を滲ませ、拳を握って強い感情をこめて語り始めた。「すごくすごく、嫌な人だったんです。聞こえるように陰口を言われたり、教科書を隠されたり、脚をかけられて転ばされたりしたんです! わたし、この人の所為で学校行くのがもうつらくて……」
 いじめられてたんだなあ。この人協調性とかないし、空気とか絶対読まないから。才色兼備で良くも悪くも目立つから、出る杭は打たれる的に目を付けられたんだろう。内弁慶なところあるからいじめを跳ね返すとかは出来ないだろうし、ずっと貯め込んだ恨みを大事に抱えて来たんだろうな。分かる分かる。
 なんて俺が思ってた時だった。憤怒の形相で七瀬が姉ちゃんに詰め寄り、その胸倉を掴んで
 「てめぇ! 今日という今日は許さねぇ、有栖川!」
 と叫ぶところに繋がる。
 まあいとこの女の子をレアで焼き上げられたらそりゃそうなる。渡辺は今も全身ドロドロの生焼け状態で地面をのたうっている。周りの物乞いは全員逃げたし、島村に至っては「うおぇえええゲロゲロゲロゲロっ」って感じでその場で吐いていた。
 「冷静んなれよ七瀬。胸掴むのはやめろ。取り返しがつかないことになるぞ」
 俺は言った。そして懐から拳銃を取り出して、渡辺に向けた。
 「おい直人! おまえも何やってんだ!」
 「安楽死だよ。姉ちゃんがこの人の怪我を治す訳ないし、同じことをいとこのあんたがやるのは無理だろ?」
 他の誰がやっても姉ちゃんに対して角が立つので、これは俺がやるべきだ。俺は渡辺の眉間に拳銃を押し当てて発砲する。動きを止めなかったのでもう一発。のたうっていた渡辺は動きを止め、静かになった。
 「あの。胸掴むのはやめてください。苦しいので」
 姉ちゃんは聞いたこともないような冷たい声で七瀬に言う。
 「わたし、あなたの有用性は認めてますが、こんなにされて許す程じゃないんです」
 「黙れっ! くたばれ糞女!」
 そう言って七瀬が姉ちゃんに向けて掌をかざし、能力を発動しようとしたその時だった。
 隣から塚本がやって来て、その腕を強い力でひねり上げた。
 「ぎゃぁああ。いてててっ!」
 塚本は自身の筋力を人体の限界を超えて強化する能力を持っている。七瀬の能力発動を封じた塚本は、姉ちゃんに向けて頭を下げた。
 「こうして懲らしめておくから、どうかこいつを許してあげてくれない?」
 姉ちゃんは眉を顰めて呟くように言う。「どうしましょうか」
 「禍根を残したままそいつを生かすのも面倒だが」俺は言う。「かと言って幹部であるそいつを皆の前で殺したら、いくら何でも姉ちゃんから人が逃げていくだろ。姉ちゃんを殺そうと能力を使いかけたんだから無罪放免はまずいだろうが、一応命だけは助けた方が良いんじゃないか?」
 そう言って俺は、塚本から解放された七瀬の方を見る。
 「あんただって出来心なんだろ? 謝っとけよ」
 七瀬は額に青筋を浮かべて壮絶な表情を浮かべている。しかし静かな表情でじっと謝罪を待っている姉ちゃんを見て、流石に命の危険を覚えたのか、その場で頭を下げて絞り出すようにこう言った。
 「……すまん」
 それを聞いて姉ちゃんは微笑んだ。
 「良いですよ。誰にでも気の迷いはありますし」
 このプライドを投げ打った命懸けの謝罪が功を奏し、七瀬は命だけは助かった。表立って逆らった七瀬を殺さずにいたことで、寛容さを発揮したということで姉ちゃんの人望も幾ばくか低下を免れることが出来た。
 ……かのように思えた。しかし俺は気付いていなかった。姉ちゃんと幹部達にある溝が、致命的な深さに達していることに。

 ○

 部屋がノックされる。「入って良いよ」と伝えると、現れたのは島村だった。
 「島村さん? どうしたの」
 「お、おはよう直人。憩ちゃんいる?」
 「いいや。何の用?」
 「何って呼び出されてるんだけど……。この時間に部屋に来いって」
 自分で指定して呼び出して置いてその時間にいないとは、なんというか姉ちゃんらしい。
 「実は俺も、用があるからここでいるように言われてるんだ。とは言え、姉ちゃんのことだからどうせ遅刻してくるんだろうし、そこ座って待ってたら?」
 と言って姉ちゃんの机を指さす。椅子に座った島村は、机に散らかった電力や水道の資料を手に取った。
 「いつもこんなの勉強してんの、あんたの姉ちゃん」
 「ただでさえQOLにうるさい人だから。食料生産は俺に勉強させて、自分はそっち。三年計画でインフラ復旧させるんだって」
 「すごいね。つか本当に一緒の部屋で寝起きしてるんだ」
 「こんな時代だからな。一緒にいないとお互い心細いんだ。ほっとくと何するか分からない人でもあるし」
 俺にとっても、島村は他の幹部とは特別な相手だった。深い意味はなく、郡山からデパートを乗っ取る前から付き合いがある分、他より親しいという程度の意味合いだったが。一緒にいればとりとめのない会話がぼんやり弾んだりもする。
 「ねえ直人。眼帯変えた?」
 「変えたよ」
 「でもそれ変じゃない? コスプレ用の、小さな穴が開いてて向こう側が見える奴じゃん? 直人って片目見えてないんでしょ? 意味なくない?」
 「これが一番洗い易いんだよ」
 その時、扉が開いて姉ちゃんが入って来た。
 「どうもぉ」姉ちゃんはニコニコとしていた。「お二人とも、お待たせしました」
 「ああ憩ちゃん」言いながら、島村は立ち上がって、座っていた椅子を持ち主に譲る。「どうしたの、わざわざ呼び出して」
 「お二人にお願いがあるのです」
 そう言って、姉ちゃんは持っていた大きな……広げた両手にちょうど乗り切るくらいの……瓶を机に置いた。
 そこには脳味噌にしか見えない物質が入っていた。
 「え……何これ?」
 何やら粘性の液体の中に浮かんでいる、薄桃色のプルプルとしたそれは、見れば見る程脳味噌だった。そこに見入る俺達に、姉ちゃんは少しだけ得意げな顔で
 「これはわたしの脳味噌です」
 と凄まじいことを言った。
 「何の目的で自分の脳味噌を瓶詰にしたの?」
 俺は尋ねる。『おもしろいからです』と答えかねない人ではあったが、しかし姉ちゃんの答えは違っていた。
 「わたしはこれから、少し危険な戦いに出かけます。三日ほど留守にするでしょう」
 「なんだそれ。大丈夫なのか? どんな戦いだ?」
 「ご心配には及びません。わたしは安全です。その理由こそが、この脳味噌にあるのです」
 そう言って姉ちゃんは自分の脳味噌を指し示しながら、得意げに語る。
 「わたしは今、脳味噌さえ無事ならば他のすべてを再生可能な肉体を持っています。それはつまり、脳味噌だけを安全な場所に隠しておけば、事実上不死身であることも意味しています」
 だからって脳味噌を摘出して瓶詰にし、その状態で直立し会話しているというのは異常としか言いようがなかったが、それが通用するのがすなわち赤い目の子供という異形なのである。
 「わたしがあなた達に求めるものは、つまりこういうことです」姉ちゃんは人差し指を立てて解説する。「わたしが戦いに出向く三日の間、この脳味噌を安全なところで管理しておいて欲しいのです。もっとも信頼するお二人に……お願いできますか?」
 言っていることは理解した。しかしこうも思う。それはちょっと迂闊すぎやしないか? 何と言ってもそれは俺と島村に生殺与奪の権を握らせるということである。信頼されるのは悪い気分ではないが、しかし……。
 「なるほどね。分かったよ憩ちゃん」島村はそう言って脳味噌入りの瓶を持ち上げる。「ちゃんと安全な場所に置いとくね。ウチ千里眼持ちだから、良い隠し場所一杯知ってるし」
 「いや待て」俺は島村に手を差し出した。「それは俺が管理するべきだ。渡してくれ」
 「は? いや直人、別にウチだってちゃんと責任持って……」
 「ダメだ。言っておくがこれは譲らない。隠し場所は絶対に俺が決める」
 「そこまで言うのなら、直人君にお任せしましょうか」
 姉ちゃんが言う。島村は怪訝そうに俺を見ながらも、「まあ良いけど……」と言いながら引き下がった。
 「では信頼しますよ」姉ちゃんはそう言って窓に向かった。「直人くんならちゃんとお留守番できますよね? 自慢の弟ですから。お任せします」
 そう言って窓を開け放ち、背中から生やした半透明の大きな翼で姉ちゃんは飛び立った。姉ちゃんは空も飛べる。自転車には確か乗れなかったけど。
 「ねえ直人。その脳味噌、どこ隠すの?」
 島村が無邪気な風に訪ねて来る。俺は答えた。
 「秘密」 
 「わざわざ秘密にする? ウチが本気で探せばどうせ分かるのに」
 「どうだかな」俺は肩を竦める。「まあ、万一俺が殺された時に備えるくらいはしておきましょうかね」
 そう言って、俺はノートの切れ端を用意すると、大きく『若妻黙示録』と書いて姉ちゃんの机に張り付けた。
 島村は首を傾げていた。

 ○

 「弟くん」
 倉庫で食料の点検をして、在庫のずれからまた誰かが盗んだことに気付いて肩を竦めていると、塚本が背後から声をかけて来た。
 「あんだよ」俺は振り向く。「言っとくが、この食糧庫は一介の幹部は出入り禁止だぞ?」
 「知ってるわ。入って良いのはあなたと女王閣下だけ。整理作業は実質あなた一人でやってるようなものなのに、片付いたものね」
 「姉ちゃんにチクる気はないけど、何を思って入って来たのか教えてくれるか? 俺になんか用?」
 「ねえ弟くん。あなた、お姉さんのことどう思ってるの?」
 その言葉の響きに何やら深刻な……答え如何によって何かが大きく変わるかのような予感を覚え、俺は眉を顰めて塚本に向き直った。
 「質問の意図が分からんが、俺に対しては結構良い姉ちゃんだよ。あと美人だし」
 「指導者としてのあの人について聞いているの」
 「暴君だろうな」
 「そうね。私も……いいえ、皆そう思ってるわ」
 「だが、あの人にしかボスをやれないのも確かだ。俺達に必要な存在でもある。あんたならそれは分かるだろ?」
 「そう思うのね。じゃあ、仮にクーデターが起きるとして、参加する意思はない訳ね」
 俺は怪訝に思いつつ、答える。「ないな。たった一人の身内を裏切るっていうのは考えられん。そうでなくとも、あの人に背いて、無能力の俺にどんな未来があるっていうんだ?」
 「私個人があなたを気に入っていると言っても? 悪いようにはならないのだとしたら?」
 「あんたも割と美人だから光栄に思うべきなんだろうけど、俺はもっと背が高くて髪も長い女が良いな。喋り方が冷たいのも、どちらかというと好きじゃない」
 「真面目に答えて」
 「姉ちゃんの留守中になんかしようってんのなら、やめとけ。何をどうしようが、あの人に敵う訳が……」
 「残念だわ」
 言うなり、塚本はその超人的身体能力で床を蹴りつけ、一瞬で俺の背後に回ったかと思ったら、俺の後頭部に己の肘を叩きつけて来た。
 衝撃。意識が暗転する。

 ○

 目を覚ます。
 そこは地下鉄のホームだった。両手をガムテープらしきもので縛られて、俺は地べたに転がされている。周囲には見知った顔……王国の幹部達の姿があり、仰向けに倒れる俺のことを見下ろしていた。
 「起きた?」
 そう言ったのは塚本だった。
 他に七瀬や日岡、発電能力者の須貝の姿もある。かつての郡山の部下で、姉ちゃんとの政権交代を機にデパートを去った面々も多い。
 ホームにはパイプ椅子やソファが並べられ、壁には落書きが施されている。『THE QUEEN DIES』。女王は死ね。
 「レジスタンス組織か」
 そうしたものの存在は嗅ぎつけていた。だがまさか幹部達とも通じていたとは。しかも姉ちゃんの留守に乗じて俺を拉致するなどという狂気をやらかす始末。そんなことをして、姉ちゃんに勝てると本気で思っているのだろうか?
 「こんなことして何になる?」俺は出来るだけ堂々と言った。「命が惜しいと思わないのか?」
 「惜しいわよ。でも、あなたを拉致した時点で退路はないでしょう? 本気でクーデターを成功させるつもりでなければ、こんなことはしないわ」
 その場にいた全員が、塚本のその言葉に頷いた。
 「あんたが首謀者って訳か?」
 塚本は能力こそカーマイン級でしかないが、冷静さとアタマの回転の速さで幹部達の中ではリーダー格だった。クーデターを主導するとしたらこいつだろう。
 「有栖川アーデルハイト憩を殺害した後のことはともかくとして、今の実質的なリーダーは私よ。協力的な態度を取ってくれるなら、あなたも仲間に加えて上げても良い。どうかしら?」
 ここは口先だけでも合わせておかなければならないだろう。俺は媚びた笑みを浮かべた。
 「もちろん構わない。ことこの状況に至ってはあんたに協調するしか道はない。良いよ。人質の振りでもなんでもする。だからこの戒めを……」
 解いてくれ、と言おうとした時、七瀬が俺の顔面を強い力で蹴りつけた。
 視界に火花が飛び散る。自分が鼻血を吹きだしたのが分かった。
 「……ってぇな」
 「何が協調するだ。口先ばかりムシの良いことを」七瀬は怒りの形相で俺を見下ろした。「今日子を殺したこと、俺は許す気はねぇからな」
 「渡辺今日子さんか? 殺されたあんたのいとこの。あん時は姉ちゃんが悪かったな」
 「謝って許されると思っているのか?」
 「姉ちゃんは謝ったあんたを殺さずに許しただろう? 国を追われはしたが、他の制裁は一切なし。それだけ容赦されたのも、この俺が姉ちゃんにとりなしてやったからなんだぜ? 小学生の時一度だけ同じクラスだっただけのあんたの為にさ」
 「黙れボケっ!」七瀬は俺の顔面を強く蹴り上げる。「協力するって? だったら最初に言うことがあるだろうが。それをまず言え」
 「……なんのことだよ」
 俺は傷付いた口内の血を吐き出してから言った。脳が揺さぶられて意識が朦朧とする。気を失ってしまおうかとも思ったが、どうせすぐ叩き起こされることを思って耐えた。
 「おまえの姉貴の脳味噌だ」七瀬は俺の顔を踏みにじりながら言う。「隠し場所、知ってるんだろう? それを壊せばあの糞女に命はないって話じゃねぇか。それをまず言え」
 「……なんでそんなもん知ってるんだ? おまえが」
 あの脳味噌のことは俺と島村しか知らないはずだ。姉ちゃんが盗み聞きを許すような迂闊な真似をするとは思えない。いったいどうして……。
 「直人」
 声がする。俺も本当は理解していたのだ。この事態を引き起こした元凶は誰なのか。誰が最初に裏切ったのか。その答えを。
 「……島村か」
 「うん」
 幹部達の群れをかき分けて、島村がやって来て俺の前に座り込み、頬を撫でた。
 「酷いことになってるね。七瀬も、こんな蹴ることないのに」
 「姉ちゃんが残してった脳味噌のこと、こいつらに言ったのか」
 「うん。……ごめんね」
 ごめんねじゃねぇよ。島村は目に涙を滲ませて申し訳なさそうに俺に手を合わせている。俺に対して気まずさを感じてはいるらしかった。
 「何考えてんだ? あんたは姉ちゃんにも重用されてたし、古株として待遇も良かった。他の連中ならともかく、あんたが裏切る気になったのはどうにも解せないんだけど」
 「そんなの決まってるじゃん。あんな人いつか周りに見限られるからだよ」島村はため息を吐いた。「ウチはぶっちゃけ自分さえ良ければそれで良いけどさ。でも誰もがそうな訳ないじゃんね。どんな状況でも、品性とか正義とか人道とかそういうのを、全ての人が忘れる訳じゃない。だから憩ちゃんみたいな人は、遠からず見放されて独りぼっちになる。あの人はウチから見ても沈み行く船だったんだよ」
 「それで脳味噌のことバラしたのか」
 「うん。最初はね、ウチの千里眼であの瓶の隠し場所を探そうって話になったの。けれど、デパート中を探してもどうしても見付からなくて。だから、直人がよっぽど上手な場所に隠したんだろうなって話になって……」
 「知ってるんだろ? 隠し場所」七瀬は俺の顔を覗き込む。「こっちにはおまえを拷問する準備もあるんだ。今すぐ吐けよ」
 「素直に話してくれるなら悪いようにはしないわ」塚本が諭すような口調で言った。「別に私達の全員があなたを憎んでいるって訳じゃない。あなたは暴君の弟だけれど、上手くお姉さんと私達との間に入ってくれていた。私達に協調するなら最低でも命は取ることはしない。それは約束する」
 「そうやって説得するより、拷問して聞き出した方が手っ取り早いだろ」七瀬は指を鳴らしながら言った。「こいつを傷めつけたくて、むずむずしてるんだ。早く始めよう」
 「本当におまえは品性がねぇな」俺はせせら笑った。「クラスのボスにいじめられてた鼻ったれの癖によ。身体ばっかりでかい泣き虫の木偶の坊。与えられただけの力を振りかざしてイキり散らして、みっともねぇ」
 そう言う俺の顔面に、七瀬はこれまででもっとも力のこもったキックをぶち込んで来た。
 顔の骨が折れたんじゃないかと思うような衝撃に、俺はその場で悶え苦しみ身体をくねらせる。衝撃で、俺の眼帯をしていない左目から、硬くて丸いものがころりと落ちた。
 「それはてめぇの姉貴のことだろうが。もう良い。拷問を始めさせてもらうぞ」
 「待って」
 塚本が気付いた。俺の左目からこぼれ落ちた義眼を拾い上げ、皆に示して見せる。
 「これ、目玉……っていうか義眼? だよね」
 「どういうこと?」島村は混乱したように言う。「直人の義眼って、眼帯の付いた右目に入ってたはずでしょう? 左目に義眼が入ってたら、じゃあ残ってた方の目はいったいどこに……」
 言い終える前に、島村はその場にうつ伏せに崩れ落ちた。
 島村の背中から赤い血液が滲み、洋服に染みを広げ、やがてそれは駅のホーム内に広がって行く。うつ伏せに倒れた島村は僅かに全身を痙攣させるだけで悲鳴をあげる余力もない。殺意を持って攻撃されたのは明らかだった。
 「何? どういうこと?」塚本は混乱した様子だった。「お腹に穴が開いてる……? どうして? 誰か能力を使った? まさか、女王が……」
 「違うよ。これは俺の能力だ」
 騒然とする元幹部達の頭上から、蝙蝠のような黒い翼を生やした俺の眼球が降りて来た。俺と視覚を共有する……というか俺の視覚そのものであるその眼球と、塚本の視線がぶつかり合う。
 「鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔しやがって」俺はせせら笑う。「『自分の眼球を化け物に変身させて使役する』。これが俺の力だ。実は結構強いんだぜ?」
 島村の腹を貫通し殺害した眼球は、塚本達を見下ろしながらメキメキと変化をし始める。翼はより大きくなり、さらには胴体や手足が出現し、三メートル程の赤い龍の姿を取る。頭部には一つだけ目が付いていて、それこそが本体である俺の眼球だ。俺自身が直接見ることは敵わないが、その色は鮮血と同じ濃密な赤色だ。
 「そんなっ!」島村が言う。「直人、あんた、非能力者だったはずじゃ……」
 「姉ちゃんが言うには、この力の一番良いところは、自分が能力者であることを隠していられることらしい。その為だけに今日まで右目を再生してもらわず、碧眼で我慢して来たんだ」
 俺は赤龍を使役してホームに転がった自分の肉体を拾い上げさせた。そして幹部達から距離を取らせ、さらには腕に巻き付いていたガムテープを鋭い爪で両断させる。
 「この眼球は俺の視力そのものだ。左目眼球を右目に移動させても視覚に問題は生じない。そして上から眼帯で覆っちまえば、俺が異能者だって誰にも分からなくなるって寸法だ」
 コスプレ用の細かい穴の開いた眼帯を使うことで、多少見えにくくはなるが視覚の問題も解決する。姉ちゃんに遅れること数日、能力が発現してから今日に至るまで、隠し続けて来た俺達姉弟の切り札だった。
 両手が自由になった俺は、懐から拳銃を取り出した。塚本が警戒したように叫ぶ。
 「妙な考えは起こさないで! あなたが能力者だということは分かった。だけれど、暴れてどうなるというの? この人数に勝てると思う?」
 「思わねぇ。島村を殺したのは、そいつにだけは姉ちゃんの脳味噌を見付けられる可能性があったからだ。これ以上おまえらと戦うつもりは毛頭ない」
 「ならその銃は何?」
 「自分の口を封じるだけだ」俺は自分の眉間に拳銃を押し当てる。「姉ちゃんの弱点の在処を吐く気はないし、拷問に耐えるのもごめんだ。死なせてもらう」
 「身内とは言え、あんな暴君の為にどうしてそこまでするの?」
 「あれで結構良いとこあるんだよ。宿題手伝ってくれたりとかな」あと美人だし。「ざまあみろバカ共め。じゃあな」
 俺は引き金を引いた。乾いた銃声。
 意識が暗転する。

 ○

 暗闇と静寂の世界の中で、俺の意識は少しずつ死に誘われていく。
 良い人生だったとも良い死に方だったとも思わない。とは言えじゃあどんな風に生きて死ねば満足して逝けるのかと言えば甚だ疑問ではある。何であれ死ぬということは冷たくて悲しくて孤独なことなのだから。
 ……死にたくねぇなぁ。
 最後の最後、魂が完全にこの世から掻き消えるその一瞬、感じたことはそんな当たり前の感情で……。
 次の瞬間には、俺は温かい膝の上で目を覚ましていた。

 ○

 「おはようございます」
 「は?」
 目を開けると見知った姉の顔がこちらを覗き込んでいる。俺は姉ちゃんに膝枕されていて、五体満足で全身に痛い箇所もなくて、つまりは生きていた。
 姉ちゃんは目を覚ました俺の頭を、そのしなやかな腕で強く抱きしめる。姉弟仲は良いけれどこんなに密着することはそうそうないのでなんか新鮮。小さい頃みたい。
 「……あなただけでも裏切らないでいてくれて良かったです。それだけでもわたしの心は救われました」
 「いやちょっと……なんで生きてるの、俺?」
 「直人くんが自殺しようとしたので、この駅のホームに乗り込んで治療しました。眉間を撃ったら即死できるっていうのはデマです。頭蓋骨って割と頑丈ですからね。死に至るまでには時間がかかります。わたしに膣内射精した男の中には治癒能力者がいましたから、治してあげるのは簡単なことです」
 「女王! あなた!」塚本が血走った眼で吠える。「どうしてあなたがここに? 遠くまで出かけているんじゃなかったの?」
 「それは嘘です」姉ちゃんは飄々と言った。「あなた達の内の何人かがレジスタンス組織のメンバーと交際していたことは知っていました。悲しいことです。ですが問題は裏切り者の心を持っているのが一体誰なのかということ。それを知るために、一芝居うたせてもらいました」
 「……どういうこと? すべて罠だったとでもいうの?」
 「つまりそういうことです」姉ちゃんは悲しそうに俯いた。「三日も留守にすれば、デパートを乗っ取ろうとする動きがあるだろうと思ったのです。それに参加した者は確実に裏切り者だと分かりますから。わたしの持つ能力の中には、『他人の五感をジャックしてその人のように物事を見聞きする』という物があります。主に直人くんの感覚を借りて皆さんのことを監視させていただいていました」
 「おいマジかよ姉ちゃん」膝枕されながら俺は言った。「俺は聞かされてねぇぞ、そんなの」
 「……ごめんなさい。直人くんのことは信用してあげたかったんですが」
 俺のことまで試したのかこの人。暴君の心っていうのは孤独なもんなんだね。身内のことまで信頼出来なくなるなんてな。哀れなもんだ。
 でもまあ仕方がない部分はある。事実として、あれだけ可愛がっていた島村を含め、幹部達全員が姉ちゃんを裏切っていたのだ。周囲の人間の放つ隠し切れない裏切りの臭いに、この人は一人苦しみ続けていたに違いない。本当なら、俺が気づいてやれれば良かったことなのだ。
 「おい! どうするんだよ塚本! 信じらんねぇ!」七瀬が恐怖した様子で塚本の方を見る。「殺されちまうぞ俺達!」
 「…………一か八かやるしかないでしょう」塚本は拳を握りしめる。「全員でかかれば、或いは勝てるという可能性も」
 「ああ。それはないです」姉ちゃんはにっこり笑って手をかざす。「例え百万匹で挑んでもアリンコは戦車に勝てません。それと同じに、あなた達がどう工夫してどれだけ束になってもわたしには敵わないのです」
 敵の能力者達が放った様々な攻撃……氷の槍や風の刃、電撃、石の礫等が姉ちゃんに向けて迫る。しかし、それらのすべては姉ちゃんに届く遥か手前で唐突に停止し、砂のように粉々に砕けて消滅した。姉ちゃんが能力を使ってそれらの攻撃を無力化したのだ。
 「……化け物め」塚本は額に汗してそう言った。
 「わたしに攻撃は届きませんよ。そういう結界を張っていますから」姉ちゃんは静かな声で言う。「量は質を兼ねます。千の能力を持っているということは、千人に一人が持つ強大な能力を有しているということです。精々十数人の能力者の集まりであるあなた達に敵うものですか」
 「バカげてる! あなたの経験人数はいったいどうなっているの?」
 最早完全に手合い違いと言って良かった。人の形をしてこそいるが、姉ちゃんの実態は邪神や悪魔のそれでしかなかった。この人は己の望みをなんでも叶えるし、誰もこの人に抗うことはできないのだ。
 「さて、すぐには殺しませんよ。楽しい追いかけっこの始まりです。あなた達はこれから裏切ったことを後悔しながら、追いかけて来るわたしから逃げまどうのです。まずは……」
 姉ちゃんは塚本の方に視線を合わせる。塚本は絶望の色を浮かべながらも、恐怖のあまりその場を動くことが出来ないでいる。姉ちゃんは残虐な表情で掌を差し出し、相手をいたぶる時に使う炎の能力で作り出した火の玉を塚本に向けて放ち……。
 「きゃあああっ!」
 悲鳴を上げる塚本に届く前に、彼女を庇うようにして前に出た赤龍に当たって消滅した。
 「……直人くん?」
 俺が左目から放った赤い龍が、姉ちゃんの攻撃を遮ったのだ。腰を抜かしてその場で泣いている塚本。龍の肉体を失って、戻って来る俺の眼球。俺は目を丸くする姉ちゃんに向けてこう言った。
 「なあ姉ちゃん。どうか、命だけは勘弁してやってくれないか? 頼むよ」
 姉ちゃんは眉を顰め、それから拗ねたようにしてその場で押し黙る。そしてしばらく下を向いていて、それから涙ぐんで赤くなった顔を上げて、俺にこう告げた。
 「わたし、この人達に信じた気持ちを裏切られました。とてもつらい思いをしました。それなのに、どうして直人君はそんなことを言うんですか?」
 「……なんでだろうなぁ」俺はため息を吐いた。「別に俺、だいたいの人間と一緒でさ、他人のこととかどうなろうと別に良いんだよ。そうでなくとも、姉ちゃんに人殺すななんて、今更過ぎるし」
 「だったらなんで」
 「分かんねぇ。でも人間の感情なんて、いちいち全部筋が通っていたりしないだろ? 日頃看過していても、なんとなく今だけは姉ちゃんに人を殺して欲しくないって時はある。それをどうしても譲りたくない時も。そういうもんだろ?」
 「…………」
 姉ちゃんはしばらく唇を尖らせていて、しょげたように言った。
 「わたしの為に死のうとすらしてくれた直人くんの願いです。叶えましょう」
 「じゃ……じゃあ」
 全身を震わせている塚本に向けて、俺は手を振りながら言った。
 「ああそうだ。この人の気が変わらねぇ内に、とっとと消えろ。二度とデパートには来るんじゃねぇぞ」
 その言葉と共に、塚本はよろよろと立ち上がって、ホームの出口に向かってよたよたと走り始める。その後ろに続くかのように、彼女に賭けてクーデターに参加した能力者達も、同じように姉ちゃんから逃げて行った。
 姉ちゃんは儚げな笑みを浮かべて言う。「二人だけになっちゃいましたねぇ」
 「そうさなぁ。あ、そうだ。忘れるところだった」
 芝居がかった口調でそう言って、俺は姉ちゃんの頭を小突いた。
 「い、痛いっ。なんで?」姉ちゃんは涙を浮かべて俺の方を見る。「痛いです。あ、あの、なんか怒ってます?」
 「人を試すような真似はすんなよ」
 「そ、そうですよね。あなたにだけはそれを責める権利があります。ごめんなさい、疑って本当にごめんなさい」
 「いやまあそれは正直良いんだけどさぁ。もっと深刻なのは、プライバシーの侵害の方」
 「え?」
 「俺の視界とかジャックして物を見てたんだろ? いくらなんでもそりゃあねぇだろ」
 こっち思春期の中二男子で、見られたくないことだってたくさんあるってのに。増してやこの姉ちゃんには絶対に。
 「あ、ああ。そそそれですか」姉ちゃんは顔を赤くしておどおどと縮こまる。「すいません……。その、本当に見られたくなさそうな時とかはちゃんと気を使ったつもりなので。あ、あの、ちょっとでも嫌いになりましたか?」
 「それはねぇよ」
 「本当ですかっ? ちょっとでも、ちょっとでも嫌いになってないですか? ねぇ?」
 そう言って肩を掴んでゆさゆさ身体を揺さぶって来るので、俺は溜息を吐いて答える。
 「姉ちゃん、色々と足りてない人だけど、俺は好きだよ」
 そう言ってやると、姉ちゃんは安心したように顔を明るくして。
 「え、えへっ。えへへ……良かったです。わたしも、直人くんのことは、大好きです」
 なんて言いながら、子供みたいな真っ赤な顔のまま泣き笑いをし始める。
 ハンカチでも出してやるべきかもしれないが、あいにく持ち合わせがない。どうするべきかと思案していると、向こうの方から胸に飛び込んで来た。
 柔らかな肌と体温、優しい髪の匂いを俺は感じた。

 ○

 俺達は駅のホームを出て、そのまま前に母親と住んでいた本来の自宅へと移動して、そこで姉ちゃんに脳味噌を返す。
 「確かに返していただきました」姉ちゃんは瓶を握りしめて言う。「確かにここなら、島村さんなら見付けちゃう可能性がありましたね。……千里眼とかは無関係に」
 そうなのだ。過去に島村は俺達と共にこの家で住まわせていたことがある。俺がこの家に脳味噌を隠したという発想も、いつ浮かぶかは時間の問題だったと言える。殺しといて良かったな。
 「『若妻黙示録』って何かと思ったら……なるほどこの鍵付きの引き出しってことなんですね」
 「まあな」
 小五の時俺がエロ本隠していた引き出しである。当時中一だった姉ちゃんはどういう手段でかそれを見破ると、『何これ直人くんこういうの興味あるの? お姉ちゃんに見して見してっ』とハイテンションでそれを掲げ持って俺に迫った。思わずビンタして泣かしちゃったんだよなあ。あれはどっちが悪かったんだろう。
 「つか姉ちゃん。これは本物だったんだな」
 「本物ですよ。これを破壊されたらわたしは死んでます。これを預けた人にそうされるくらいなら、死んでしまっても良いくらいの気持ちでした」
 この人の考えていることは、たまに良く分からなくなる。
 「なんでそんなことを? 俺のこと信頼してなかったんじゃなかったの?」
 「そうですね。試したいという気持ちを抑えきれないくらいには、疑ってしまっていたと思います」姉ちゃんはそう言って物憂げに笑った。「それでも……命を賭けてみたいと思うくらいには、信じたくもあったんです。これって何なんでしょうね」
 人間の感情なんてなそんなもんだ。どこかで屈折や倒錯を必ず抱えているものだし、何一つとして完全に割り切れるものなどありゃしない。
 だが意外なのは、俺はともかく島村に対してもこの脳味噌の存在を知らせたことだ。
 「姉ちゃん、島村のことそんな好きだったの?」
 「……数少ないお友達です。信じたかったんですよねぇ」
 そりゃあんたは昔から友達少なかったけどさ。だからってあんな付和雷同なだけの奴信用すんなよ。前のパトロン裏切って姉ちゃんのところに来たってだけでも、あれが生き残るのに必死なだけの風見鶏だってことは分かるだろうに。
 それが分からなかったのは、多分、この人の妙な純粋さというか、独善的な人の愛し方故なんだろう。
 「皆がわたしを嫌っているように思えて、不安でたまらなくなったんです。その不安をどうにかしたくて、皆を試すことを思いついたんです。そしたら……結局、こんな結果に。わたしなりに皆を守っていたつもりだったんです。何か嫌なことがあっても、命を取ることはありませんでした。それなのに、どうして裏切られてしまったのでしょうか?」
 被害者みたいな顔をしながら、本気でそう言っている姉ちゃん。
 俺ははっきりとこう告げた。
 「王様向いてないんだよ、姉ちゃんは」
 ありのままの自分でしか振舞えないのに、他人には無尽蔵の奉仕と愛を求めてしまう。自分勝手で、無茶苦茶で、しかしそれは確かに純粋な愛情なのだ。
 それはそれで、身内の俺にとっては、この人の愛しい点ではあるのだ。子供のように無垢な心に、不釣り合いに強大な力を持たされていたというだけで。
 「そうかもしれません。いくら強い力を持っているからと言って、ただそれだけでは、誰かを従えるには至らないんだと思います。わたしにはいろんなものが欠けていました。結局のところ、わたしは力に溺れたんでしょうね」
 姉ちゃんは儚げに笑った。
 「姉ちゃん程の力を持っちまったら、誰だって一度はそういう経験をするよ。良い勉強になったじゃないの」
 「そうですね。……ですが、わたしはまだ報いを受けてはいません。力に溺れた悪党が、善なる力で打ち滅ぼされるだなんて幻想に、わたしは絶対に負けません。何度でも立ち上がって、女王として君臨して見せるでしょう」
 「正気かよ」
 「正気です。欲しいものはたくさんありますからね。夜でも明るいお部屋とか清潔なお風呂とかおいしい食べ物とか本当に色々」
 これだけ巨大な力を持っていて、巨大な野望や高尚な理想に目覚める訳でも、悟りを開いて無欲になる訳でもなく、ひたすら俗な欲望に邁進するのが姉ちゃんという人だった。
 このまま行くと、いつか姉ちゃんに匹敵する力と姉ちゃんと真逆の正義の心を持った英雄に、打ち倒される日が来るような気がする。
 まあ良い。どうせこの人は、俺の言うことなんざ全然聞きやしないんだ。
 どうなろうとそれはこの人の選んだ道だけれど、でもそこには必ず俺がいて、何が起きてもこの姉ちゃんと心中しようと決めていた。
 「付いて来てくれますよね直人くん。たった一人の姉弟ですから」
 「しゃあねえな」
 やれやれみたいに肩を竦めて、呆れた風にして見せたけど、俺は結局、どこまでも愚かなこの人のことが好きなのだった。
粘膜王女三世

2020年05月01日 00時00分07秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:力に正邪はない。
◆作者コメント:注意:ちょっとエッチです。
 感想よろしくお願いします

2020年05月17日 22時44分11秒
作者レス
2020年05月16日 23時35分01秒
+20点
Re: 2020年06月10日 00時46分13秒
2020年05月16日 19時40分22秒
+20点
Re: 2020年06月10日 00時40分16秒
2020年05月16日 14時52分44秒
+10点
Re: 2020年06月10日 00時37分07秒
2020年05月16日 13時22分01秒
+20点
Re: 2020年06月10日 00時30分45秒
2020年05月16日 04時26分54秒
+20点
Re: 2020年06月10日 00時27分59秒
2020年05月15日 23時13分02秒
+30点
Re: 2020年06月08日 23時49分43秒
2020年05月13日 19時27分37秒
+10点
Re: 2020年06月08日 23時40分23秒
2020年05月07日 18時16分14秒
0点
Re: 2020年06月08日 23時36分03秒
2020年05月04日 10時26分04秒
+10点
Re: 2020年06月08日 23時32分35秒
2020年05月04日 07時45分31秒
+10点
Re: 2020年06月08日 23時30分10秒
2020年05月04日 00時01分10秒
Re: 2020年06月08日 23時29分50秒
合計 11人 150点

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