かぐわしい嘘と甘い毒薬

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SIDE-R(1)


 校庭の隅に植えられた銀杏が、西日を浴びて黄金色に輝いている。校門から校舎に沿って植えられた桜の葉は赤茶色になって全て落ち、寂しく見える枝の間から茜色に染まった冬空が見えた。
「ふぁあぁああ……暇だっつーの! 今年は新人戦も記事にするほどじゃ無かったモンなぁ……学園祭も体育祭も終わっちまったら、新聞部に仕事は無い!」
 部室で気持ちよく小春日和を堪能していた俺はアクビと共に大きく背を伸ばし、吹き込む風が肌寒くなってきた窓を閉めた。
 すると中央に置かれたスチール製事務机でノートPCのキーを叩いていたリリ子さんが、銀縁眼鏡をクイッと上げる。
「暇だなんて、余裕ですねルイくん。来週には期末テストが控えているのに?」
 成宮凛々子(なるみや りりこ)。大学受験のため三年生が引退し写真部の新部長となった彼女は、長い黒髪を二つに束ね前に垂らし、銀縁眼鏡を掛けている一見すると地味な女子高校生だ。
 しかし俺は、彼女の魅力を熟知している。
 公立高校としては自由な校風の我がK高校でノーメイク! 平凡なブレザー制服もアレンジなし! スカート膝丈! で、ありながら校内一番の清楚系美人なのだ!
 密かにリリ子さんに想いを寄せて新聞部に入ろうとした男子生徒は数多いたが全員あの手この手で追い払い、作戦通り現在の部員は二年生のリリ子さんと俺の二人だけ。
 学年違いでアプローチするには、これくらいしなくては。
 俺は必ず、リリ子さんの恋人になるんだからな。
「もちろん部活停止中の部室に通っているのはテスト勉強のため……というのは建前で、実のところリリ子先輩に会いたいからに決まってるじゃないですか! 先輩も、そんな難しい顔でパソコン弄ってないで晩秋の美しい夕焼けを俺と眺めましょ? ほら、銀杏がすごく綺麗ですよー!」
「あのねぇ、ルイくん。我が部は現在、部員が二人しかいないの。だから来年五月発行予定の紙面レイアウトや記事内容を、今から考えておかないと編集が間に合わないのよ? 幸いなことに写真はルイくんが自前のカメラで撮ってくれるから助かってるけど、卒業式インタビューする先生や三年生も決めなきゃならないし……」
 リリ子さんは小さく溜息をついてノートPCをシャットダウンした。帰り仕度を始めた彼女にあわせ、俺も急いで形だけ広げていた教科書やノートを鞄に突っ込む。
「じゃあさ、その事相談しながら駅まで一緒に帰ろうよ? 俺も少し企画考えてるから、聞いて欲しいんだ」
「……そうね、いいわ」
「やった!」
 今日は忙しそうなリリ子さんを邪魔して心証悪くしたらマズいので、あまり話せなかった。帰り道では綺麗な銀杏を眺めて、駅前に出来た流行のタピオカ店に寄って、距離感を縮める作戦だ。最近はホットメニューもあるから、きっと気に入ってくれるはず!
 そして期末テストのあとは球技大会。得意のバスケで格好いい所を見せて、点数を稼いだらクリスマスにデートに誘おう。
 初詣は二人で行けるくらいに親密になって、二月のバレンタインにチョコをゲットできたら……。
 成宮凛々子。恋人になった君を俺は、たくさん苦しめよう。
 苦しめて苦しめて、それから……。
 殺す。
 これが俺の、本当の目的。



SIDE-L(1)


 学校やお寺に銀杏を植えるのは、燃えにくいからだと聞いたことがある。
 昔、京都の有名な寺で大きな火災が起きたとき銀杏の木だけが燃え残り、その後も何度か火の手を浴びたが四百年間枯れること無く美しい枝振りを残しているそうだ。
 でも私は、その銀杏に聞いてみたい。焼け野に一本、燃え残ることは辛く無いのかと。
「入学式の時、大きな木だなって思ったけど……あまり近くで見たこと無かったな。本当に立派な銀杏ね」
 銀杏の大木を見上げると、濃い藍色と茜色が混じり合った空に星が瞬いていた。
「ねっ、綺麗でしょ? 俺、リリ子先輩と一緒に見ることが出来て嬉しいですよ!」
 末村瑠依(まつむら るい)。三年生が引退した我が校の新聞部、唯一の部員。茶色がかった癖っ毛、緩めたネクタイに弛んだ着方の制服。チャラくて冗談ばかり言うし、授業中は寝ていて不真面目だと噂されていた。
 でも私は知っている。意図的に隠しているけれど、彼はかなり頭がキレるのだ。
 私物の一眼レフカメラで撮る写真はテーマも明確でアングルも完璧。たまにしか書かない記事は簡潔明瞭で的確。紙面レイアウトを任せれば秀逸なデザイン。
 同学年女子より上級生女子の人気が高く入学以来アプローチが途切れないようだが、上手く立ち回って適当に遊んでいるらしい。
「ルイくんと二人で下校してる所をファンクラブの子に見られたら、わたし虐められるかも知れない」
 銀杏の木から校門に続くケヤキ並木を歩きながら少し意地悪っぽく呟いた私の言葉に、ルイくんは顔を顰める。
「は? リリ子さんのファンクラブ、抜け駆け禁止なんですか?」
「違うよ、ルイくんファンに虐められそうだなーって。知らないの? 二年生と三年生メインの末村瑠依ファンクラブあるんだよ?」
「あぁ……そっちか。でも関係ないですよ、俺の本命はリリ子さんなんで」
 入学式後、ルイくんは上級生対面式や部活動紹介が行われる前に入部希望で新聞部にやってきた。そして開口一番「オレこの高校に合格したら絶対、リリ子さんと同じ部活に入るつもりだったんです」と、言い放ったのだ。
 部室に現れた彼を見た私は……心臓が止まるかと思った。
「そうだ、リリ子さん。奢りますんで駅前に出来たタピオカ屋に行きませんか? 温タピって新メニューがオレ、めちゃ気になってるんですよね。知ってます? タピオカって原材料、芋だって?」
「知ってるわよ、そのくらい」
 さくりさくりと、ローファーが積もる落ち葉を踏む。
「芋と言えばオレが通ってた幼稚園、毎年秋に全園児一緒の芋掘りイベントがあったんですよ。契約してる農家さんで芋掘って、園の隣にある神社で落ち葉の片付けを手伝ってから焼いて貰うんですけどね……」
 ルイくんの話も続きが気になって私は足を止めた。
「ふぅん……いいね、そういうのって」
 心臓の鼓動が、どんどん早くなる。
「その神社にも銀杏があって、俺が年中の時に年長さんのカワイイ女の子が綺麗な銀杏の葉ばかり集めてたんですよ。たぶんオレ、年上の彼女にイイトコ見せたかったんだろうなぁ……一所懸命手伝ったんですけどね、先生に銀杏はダメだって怒られちゃったんです。銀杏って燃えにくくて煙も多いから焚き火に向かないって。もう名前も顔も覚えてないけど、あの子元気かなぁ……」
 ルイくんはそう言って、無邪気な笑顔を私に向けた。私は動揺を悟られないように必死で平静を装う。
 小刻みに震える両手を誤魔化すため、寒そうに擦り合わせた。
「ルイくん、小さい頃から女の子に優しかったんだね」
「ええっ? それじゃあまるで、幼稚園児からナンパ男みたいじゃないですか?」
 ふざけて口を尖らせる真似をしてからルイくんは、また笑った。
 だけど、その笑顔は作り物だ。
 本当は、その女の子を覚えているんでしょう? 覚えているのに、わざと忘れたふりをしているんでしょう?
 彼は、私があの事件の原因だと知っている。
 そして私は、彼が殺したいほど憎んでいる事に気付かない振りをする。



SIDE-R(2)


 夏の間、いつ見ても行列が途切れなかった人気のタピオカミルクティー専門店も、こう寒くなってきては閑散としたものだ。
 俺の誘いにリリ子さんが乗り気じゃ無いのも解る。やっぱりタピオカドリンクは冷たい方が美味しいけれど、今日の気温じゃ凍えそうだった。
 二人で店の前に置かれた立て看板のメニューを眺めながら、浮かない顔のリリ子さんが「やっぱりやめておく」と言い出すのを覚悟して次の作戦を考える。男友達ならラーメン屋か牛丼屋に誘うところだが、女子には引かれそうだ。ドーナツか……そうだ、鯛焼き屋なら……。
「あれっ?」
 突然、リリ子さんが声を上げたので俺はメニューから目を離し店内を覗き込んだ。
 店内のイートインスペースには、リリ子さんと同じ制服姿の女子が三人。その一人に見覚えあるなと思ったら、リリ子さんは俺を置いて店内に入ってしまった。俺も急いで後を追いかける。
「セナ、こんな時間に珍しいね!」
 羽鳥世奈(はとり せな)……あぁ、リリ子さんのクラスメイトだ。ひどく痩せているうえに、いつも俯き加減で暗い雰囲気だから好きなタイプでは無いな。誰にでも優しく親切で面倒見の良いリリ子さんが気に掛けているらしく、学校で一緒にいるのを見掛けるから俺も顔と名前を覚えてしまった。たしか美術部副部長で、夏休み明け全校朝礼のときに何か賞を取った事で表彰されていたっけ。
 リリ子さんはカウンターでタピオカミルクティーのホットを頼み、セナさんの正面に腰掛けた。二人用の小さなカフェテーブルなので、しかたなく俺はアイスのタピオカミルクティーを頼んだあと少し離れたスタンドにカップを置いて会話に耳を傾ける。
「あの……いいの? ルイくんと一緒なのに……」
 気を遣うようにこちらを伺うセナさんに、俺は軽く会釈した。
「うん、大丈夫だよ。部活停止期間だけど用があって部室に行ったらルイくんが来て、一緒に帰る流れになっただけ。この店もルイくんが寄るって言うから、たまたま立ち寄ったんだけどセナがいてビックリしちゃったよ」
「そうなんだ。でも私、リリ子に会えて助かった」
「え? 何かあったの?」
「……お願いがあるの。うちのお母さん時間にうるさくて、帰宅時間守らないと怒られるんだ。だけど、この店が前からすごく気になってて今日は空いてるから待ち時間なしで買えるし歩きながら飲めばいつもの時間に帰れると思ってたのに寒くてつい……それで、リリ子が一緒だったことにして欲しいの」
「あぁ、歩きながら飲むの寒いもんね。タピオカは全部飲みきるまで時間掛かるし。よっし、じゃあ私と図書館で勉強してたって言えば怒られないんじゃない? 家まで一緒に行ってあげるよ!」
「ホント? ありがと!」
 いつも俯いているから顔をよく見たこと無かったセナさんは、笑うと少し可愛かった。思っていたより暗くないし、話し方もハッキリしている。
 それにしてもリリ子さん、お人好しだな。これで俺は、お役御免……と簡単に引き下がるつもりはない。
「あっ、じゃあさ、オレも一緒に行っていいかな? もう外は暗いし、酔っ払いとか多い時期だから女子二人で帰るの危ないと思うんだよね」
 迷惑そうに顔を顰めたリリ子さんとは反対にセナさんは、少し考えてから大きく頷いた。「リリ子、帰りは一人になっちゃうから確かにルイくんが一緒の方が良いかもね? 私の家、駅通りから外れた住宅街で人通りも少ないし痴漢注意の看板もあるから」
 ナイスフォロー、ありがとうセナさん。
 リリ子さんは微妙な顔で俺を見つめてから、微笑んだ。
「ルイくんが良ければ、ボディガードお願いしようかな」
「お任せあれ」
 格好良く返事をしてから俺は、リリ子さんの表情に違和感を感じた。
 何だろう……いまの微笑み。信用されていない? とかじゃなく、ちょっと気になる表情だ。
 なぜリリ子さんの笑顔が、泣いているように見えたのだろう?



SIDE-L(2)


 私はルイくんと二人きりになるのが怖い。
 学校や部室は、いつでも誰かが間に入る可能性があるから耐えられる。下校時も、今日のように知り合いに会うこともある。だけど人通りの少ない住宅街を二人で歩くとなれば、誰にも邪魔はされないだろう。
 近すぎる距離感と閉塞感に、耐える事が出来るだろうか?
 街灯の少ない住宅街、有料駐輪場の管理人室に灯る仄暗い明かり、誰もいない公園の雑木林。いまは少し離れて歩いているルイくんと、帰りは二人きり。
いっそ自分から告白して、犯した罪を懺悔したい。許されるのか、責められるのか。はっきりさせて楽になりたいと願いながら、半年以上も一緒にいる。
 もしかしたら、お互いの気持ちを表に出すこと無く何も起こらず、卒業して再び離れるかもしれない。そうなったとき私は、安心する? 後悔する? 
「……で、リリ子はどうするの?」
 学校や最近のアニメや音楽など、とりとめない話をしていたセナが急に私の名を呼んだ。
 話を聞きながら頭の片隅で考え事をしていた私は、タイミングの良い問いかけに驚いて足を止める。
「えっ、なに? 何の話だっけ?」
「だから進路の話。リリ子、大学決めたの?」
「大学……大学かぁ。一応、第一志望はW大学の経済なんだけど……」
「リリ子、報道関係の仕事したいって言ってたもんね。女子アナとか似合いそう」
「ええっ? ムリムリッ! どっちかと言えば、新聞や経済誌の編集部に行けたら良いなぁ。セナは?」
「お母さんは美大を目指せって言うけど、ハードル高いからデザイン系の専門学校行きたいんだよね。でも、美大に行くつもり無ければ医療系専門学校しか許さないって言われて」
 悲しい顔で俯いたセナに、私の胸は締め付けられた。
 中学から何度も絵画コンクールで表彰されているセナが、母親の望む画家では無く本当は絵本作家になりたいことを私は知っている。セナの母親によると、絵本作家は漫画家と同じで趣味の延長、芸術でも仕事でもない幼稚なものだそうだ。
 夢を否定されてもセナは、母親に逆らわない。逆らえないと言っていた。
 父親は仕事が忙しく、ほとんど自宅に帰ってこない家庭で母親は、過剰なほどの愛情を注いで一人娘のセナを育てた。二歳から英会話にピアノ、バレエ、絵画、スイミング、スキーにテニス……。いまでも続けているのは絵画とテニスだけで、あとは合わないからと母親が辞めさせたらしい。
 セナが母親に逆らえない理由を私は、精神的支配だと思っていた。過保護、過干渉、過剰な制約で子供を縛り付ける親を……私自身がよく知っているから。
 だけど高校二年の修学旅行先、沖縄の海辺で初めてお互いの水着を見たとき気が付いてしまったのだ。
 腕の内側、太ももの内側に点在する直径二センチほどの内出血。
 私の視線に気付いてセナは、慌てて隠そうとしたよね?
「虫に刺されちゃったよ」と言って笑ったね?
 誤魔化しても無駄。私はそれが何の痕か、知っている。
 それは爪の伸びた指先で、強く、強く、抓られた痕に間違いない。
 精神的にも、肉体的にも母親に支配されている友人を助けてあげたいと思った。でも私に何が出来るだろう?
 私に、そんな資格は無い……。
 タピオカ店を出てから二十分ほど歩き、同じような造りの戸建てが並んだ住宅街に入ると一軒の明かりの無い家の前でセナが立ち止まった。
「あれっ? 外玄関の電気が点いてない? それに窓も真っ暗……お母さん、出掛けてるのかな?」
 いままで一度もセナの家に来たことは無いけれど、近隣住宅の明るい玄関とリビングから漏れる生活感のある光に囲まれながら、この家だけが寒い空気を纏っている。なんだか嫌な雰囲気だ。セナはドアノブを回してみて鍵が掛かっていることを確かめ、鞄のサイドポケットを開く。
 家に入るのを見届けてから帰ろうと思い、鍵を出すのを待っていると家を囲む低いコンクリート塀の向こう、花の落ちたアベリアの植え込みがガサガサと動いた。
「ひゃっ!」
 私が小さく悲鳴を上げた瞬間、ルイくんが素早く駆け付ける。
「……っ、なんだ。ネコですよ、リリ子さん」 
 そういえばルイくんもいたんだ。セナのことを考えている間、すっかり忘れていたな。
 植え込みの中から小さな猫の頭が一瞬突き出し、すぐに引っ込んだ。
「あはは、その子うちの庭によく遊びに来ていて、オヤツあげたら懐いちゃったんだ。お母さんも最初、可愛がってたんだけど……あ、鍵あった。普段使わないから、探すの手間取っちゃった」
 あれ? いま何か言いかけて誤魔化した気がしたけど、気のせいかな? まぁいいや、明日聞いてみよう……。
「あっあのっ、セナさん! すいません、トイレかしてくれませんか? いやぁ、タピオカをアイスで頼んだもんだから、ちょっと……その……」
 鍵を開けてセナがドアを開けようとしたとき、突然ルイくんが私の前に出た。
「えっ? 初めて来る女子の家でトイレ貸してくれって……」
 呆れる私に笑いながら、セナはドアを開ける。
「全然、構わないよ。ちょっと待ってね、いま廊下の電気を付け……」
 一歩、玄関に入ろうとしたセナを、いきなりルイくんが突き飛ばしドアを閉めた。
「家の中、入らない方が良いです、先輩。なんか、ヤバイ感じがします」
 意味が解らずセナと私が顔を見合わせていると、ルイくんは自分の鞄からハンドタオルを取り出し顔を覆う。
 それからゆっくりと、玄関のドアを開けた。



SIDE-R(3)


 刺激臭が、鼻の奥を刺した。間違いない、塩素ガスのにおいだ。
 廊下は害になるほどの濃度ではないけど、発生源と思われる玄関すぐ右手ドアの奧、洗面所か浴室はヤバイかもしれない。
 もしも誰か、倒れていたら? 警察か、消防署か、救急車か……。
 すぐに逃げられる態勢で俺は、洗面所のドアを開けた。大丈夫そうだ、それほど酷い刺激臭では無い。手探りで、大抵ドア近くの壁にある照明と換気扇のスイッチを見つけてオンにしてから注意深く中に入り、あまり大きくない窓を全開にした。
 浴室のドアは閉まっている。
 曇りガラス越しに見えたのは……。
「リリ子さん、救急車呼んで! 早く!」
 俺の様子に緊急性を感じ取ったリリ子さんは、問い返さず急いでスマホを開いた。
「何があったの? お母さん……お母さんがどうかしたの?」
 顔色を変え、玄関に飛び込んできたセナさんが俺を押しのけ浴室ドアを開けようとしたが、全力で抑え込む。
「危ないから! オレ達じゃ、どうしようも無いんだ! すぐ、救急車が来てくれるから!」
「うそ! なんで? いやっ、いやだっ! おかぁさんっ! ぐっ、げえっ……が、はっ!」
 激しく咳き込むセナさんを引き摺るようにして俺は、玄関から外に連れ出した。真っ暗な玄関前で、リリ子さんは呆然としている。
 普段と違う騒音に窓から様子を伺い見た近所の人達が一人、二人と集まり始め、サイレンを鳴らし赤色灯を回した救急車が到着したときには人だかりが出来始めていた。
 俺はリリ子さんにセナさんを頼んで、救急隊員に状況を説明した。救急隊員の話では、浴室で発見されたセナさんのお母さんは、蘇生不可能な状態だったそうだ。警察が現場検証に来るから、待つようにと言われた。
 セナさんはもう泣き止んで、魂が抜けたように道端に座り込んでいる。塩素ガスに気付いたリリ子さんが通報時に伝えてくれたおかげで救急車と一緒に来たレスキュー隊員が、心配して毛布を貸してくれた。
 救急車が来て数分後には所轄の警察署からパトカーが三台到着し、数人の警察官が家に入っていった。その中で一人、スーツ姿の若い男性がリリ子さんとセナさんに近づくのを見た俺は、遮るように前に立った。
「あの、第一発見者は俺です。先輩を……羽鳥世奈さんを家まで送って帰ろうとしたらトイレに行きたくなって、貸してもらうために家に入ったら変なニオイがしたから気になって洗面所のぞいたんです。そしたら……」
 ああ、と笑って若い男性は頷いた。
「怖かっただろう? もう大丈夫だからね。あとは警察の仕事だから、少し話を聞いたら帰れるよ。ご両親に連絡は?」
「大丈夫です」
「私はT市警察署刑事生活安全課の風間です。じゃあ、最初に君から話を聞かせて貰おうかな。名前は?」
「末村瑠依、K高校の一年生です」
「末村……瑠依?」
 風間刑事がわずかに顔を強ばらせ、リリ子さんに視線を移したのを俺は見逃さない。
「えっと……俺の名前、何処かの指名手配犯と同じでしたか?」
「いや、私の好きな野球選手と似た名だなって思っただけなんだ」
「そういえば、似た名前の選手いましたね……西村……奥村……?」
「G球団の、里村塁だよ」
 若い刑事はそう言ってまた笑った。
 刑事さんは誤魔化すのが上手いな。だけど動揺を隠せないようじゃ有能とは言えない。
 あの事件以降、俺はリリ子さんの身辺を調べ尽くした。家族、親戚、進学先……そして同じ高校に入学した。だから風間さんがリリ子さんの母親の弟で、所轄署の刑事課にいることも知っている。
 この様子だと風間さんは、俺がリリ子さんと同じ高校に入って同じ部で活動していることを知らなかったようだ。
 俺の名を聞いて、驚いただろう?
 そりゃ、そうだ……ちょっと楽しくなってきたな。
 風間刑事に、タピオカ屋からセナさんの家まで一緒に来た経緯と浴室の異変に気が付いた理由を話していると、現場検証が済んだらしくセナさんのお母さんが救急車に乗せられるところが見えた。
 全身を包むように毛布が掛けられていたけれど、真っ白な足先とダークブラウンのロングスカートの裾が担架からはみ出している。
 ……色の濃い、ロングスカート?
 何かが、頭の隅に引っかかる。
「ルイくん、大丈夫?」
 風間刑事がセナさんの方に行くと、リリ子さんが俺の近くまで来て心配そうに顔を覗き込む。
「俺は大丈夫ですよ、リリ子さんこそ……大丈夫ですか?」
「うん、私は何とか……」
「セナさんは?」
「セナは、お母さんと一緒に救急車で病院に行って、そこでお父さんを待つんだって。お父さん、九州に単身赴任中だから、来られるのが今夜遅くなるみたい」
「こんな時に、お父さんがいないなんて可哀想ですね……」
「うん……」
 憔悴しきったリリ子さんを見て俺は、複雑な感情に胸がムカついていた。なぜなら、彼女がガス中毒にならなくて本当に良かったと思ったからだ。
 異臭を感じたとき、リリ子さんが近くに来ないようにセナさんを突き飛ばした……。
 なぜだ? 俺は……リリ子さんを殺したいほど憎んでいるはずなのに? 苦しめばいいと、願っているはずなのに?
 レスキュー隊員から毛布を借りてリリ子さんの肩に掛ける。
 そうだ、俺は俺の手でリリ子さんを殺すと決めたんだ。他の要素でリリ子さんを傷つけるわけにはいかない。
 そのために……。
「ありがとう、ルイくん」
 リリ子さんが毛布を掛けた俺の手を、そっと握った。



SIDE-L(3)


 ルイくんは、自宅まで送ってくれると言った警察を固辞して一人で帰ってしまった。
 いつものような軽い口調と明るい態度だったけど、さすがに無理をしている気がした。
 なんだか私を励ましているみたい。
 そんなはず、ないよね……。
 私は風間刑事が自宅に送ってくれることになったので、ルイくんと別れたあと緊張しながらパトカーの後部座席に座った。シートベルトを付けていると、風間刑事が運転席から振り返った。
「リリちゃんと、こんな形で会うなんて思わなかったなぁ……えっと、最近どう? 元気にしてる? って、なんか親戚のおじさんみたいだね?」
「実際、親戚のオジさんだし。私だって……幸介おじさんに会うの、久しぶり」
「その、おじさんって言うの、やめてくれよ。前みたいに、コウちゃんで良いから」
 風間幸介(かざま こうすけ)おじさんは、お母さんと十歳違いの弟で警察官。S県警勤務のはずだけど、いまは出向で地域警察署に来ているそうだ。
「リリちゃん、姉さんに……お母さんに面会は行ってるの?」
「うん、月に一回は行ってる」
「そっか……俺は仕事もあって、なかなか会いにいけなくてね」
 仕事の忙しさより立場上、犯罪者の身内に会いには行きにくいのかな……そんなことをボンヤリ考えるうちに車は住宅街を抜け、駅前大通りの信号で停止した。
「しかし驚いたな。ルイくん……末村瑠依と君が一緒にいるとは思わなかったよ。いったい、どういう事なんだ? なぜ教えてくれなかったんだい?」
 隠すつもりは無くても、言いにくかったのは確かだ。私は渋々、ルイくんが入学式後すぐ新聞部に入部したこと、いまは部員二人で活動していること、ルイくんが普段どんな男子か幸介おじさんに説明する。
 ところが話しているうちに、私の声は少しずつ震え始めた。
 ハンドルを握り黙って話を聞いていた幸介おじさんは、私が話せなくなって黙り込むと車をコンビニの駐車場に入れて店に入り、温かな紅茶を買ってきてくれた。
「話したくないだろうけど、僕は知っておかなきゃならない。ルイくんは、君のことを知ってるのかな?」
 紅茶を一口飲んだ私は意を決し、口を開いた。
「知ってる……と思う、たぶん。でも何も、言われたこと無い。それどころか優しくて、親切で、部活動にも熱心で……私のことが好きだって言うの」
「えっ? 好き……って、そんな、ハッキリ言われたのかい?」
 頷いた私に幸介おじさんは、戸惑う表情で考え込んでから大きく溜息をつく。
「うーん……彼が何を考えているか解らないな。でも、もし何か困るようなことがあれば、すぐ僕に相談してくれ」
「困るような事って?」
「あの事件を持ち出して君を脅迫したり、何かを要求したり……とかね」
 ルイくんが脅迫してくる? なんだか実感が湧かない。
 再び黙り込んだ私にもう、幸介おじさんは何も言わなかった。重苦しい沈黙が流れるまま車が私の家に到着すると、エンジン音を聞きつけた成宮お母さんが玄関から迎えに出てきた。
 お母さんは幸介おじさんを家に招き入れようとしたけど、仕事があると断り帰ってしまったので、「御飯食べていけば良いのに」と残念そうに呟いてから「大変だったわね」と私を抱きしめた。
 成宮のお母さんは私の本当の母方親戚で、祖母の妹に当たる人だ。望んでいた子供に恵まれず、私の母と私を実の娘と孫のように可愛がってくれた。だから母が事件を犯した後、私の将来を考え姓を変えた方が良いと言い、養女として引き取ることを申し出てくれたのだ。
 あの日の出来事は、いまでも鮮明に覚えている。
 母の犯した罪。
 それはあまりにも残酷な事件。
 当時、私は幼稚園の年長さんで六歳。卒園前に行われる『お遊戯会』の卒園児演目『白雪姫と妖精さんたち』で、『花の妖精さん』をやることになった。『花の妖精さん』の衣装は薄く透けた綺麗なピンクで、ふわふわとしていて可愛くて、背中には羽もついていて、私は本当にそれが着たかった。
 だけど、気難しくて毎日機嫌の良し悪しが激しく変わる母は、私が『白雪姫』に選ばれなかったことが不満で『お遊戯会』前日まで園長にクレームの電話入れていたらしい。
 公明正大を信条とする教育に熱心な年配の女性園長は、お母さんからのクレーム電話を一蹴し、最初に決められた役のまま『お遊戯会』が始まった。
 お遊戯は一人の『白雪姫』と十人の妖精さんを三組作り、先生のピアノ演奏に合わせて順番に歌と踊りを披露するものだ。一組目の演技が終わり、二組目の『白雪姫』を先頭に『妖精さん』が舞台に登場したとき。
 パイプ椅子に座り観劇している保護者の中から一人、女の人が立ち上がった。
『白雪姫』の後ろにいた私は、その女の人がお母さんだとすぐに解った。父方の祖母は来てくれたけど、お母さんは私が『白雪姫』になれなかった『お遊戯会』に来てくれないと思っていたから、すごく嬉しかった。
 周りの人や先生達が困った顔で「座ってください」と言うのが聞こえて、私も変なことが起きていると気が付いたとき。
 舞台に上がってきたお母さんが恐い顔で手を上げた。私は、いつもみたいに怒られると思ってギュッと目を瞑った。
 来るはずの痛みがなくて、怖々と目を開けたとき。
 私の目の前で『白雪姫』の真っ白なドレスが、真っ赤に染まっていた……。



SIDE-R(4)


 気持ちが悪い……胃がムカムカする。
 最悪な気分だ。
 少し塩素ガスを吸ってしまったせいもあるが、俺は何より自分の行動にムカついていた。タピオカミルクティーなんて飲むんじゃ無かった。そうすれば、セナさんの家でトイレを借りたくならなかった。あんな場面に遭遇することも無かった。
 駅のトイレで用を足して吐いた。自販機で水を買い大量に飲んでまた吐いた。風間刑事に「必ず病院に行け」と言われたけど、死んでもオマエの言うことなど聞くものか……。
 高校の最寄り駅から私鉄下り線で三駅、俺が住んでいるマンションまで十五分をようやく歩いて三階の自宅玄関に倒れ込んだ。
 あの事件のあと、体も心も壊してしまった母さんは北海道にある実家で療養生活をしている。小学校まで北海道で暮らしていた俺は、母との暮らしに耐えられなくなって父と暮らすことを選んだ。といってもテレビ局務めの父さんは、ほとんど帰ってくることは無いから実質一人暮らしだ。
 それにしても皮肉だな……立場は違えどまた、二人揃って事件現場に居合わせるなんて。
 制服のままベッドに横たわり、天井を見つめながら俺は思い出す。
 姉ちゃんが殺された、あの日のことを……。
 俺は、俺の知る世界で一番可愛くて一番優しい一つ上の姉ちゃんが大好きだった。姉ちゃんには仲の良いリコちゃんという友達がいて、その子もとても俺に優しくて可愛くて、二人と遊べる幼稚園に行くのがいつも楽しみだった。
 ただ、リコちゃんが家に遊びに来るとき一緒だったリコママが、俺は苦手だった。俺の母さんと話しているときはニコニコしているのに、時々恐い顔で俺を睨んだからだ。睨むくせに、「男の子がいて羨ましい」と言っていた。
 姉ちゃん達が卒園する前の『お遊戯会』の日。年中さんだった俺は合唱を披露した後、一番華々しい最後の卒園児演技を観るため保護者席左側に座っていた。『お遊戯会』本番では保護者席が真ん中で、在園児は両脇に席が設けられるからだ。
 前日に行われた在園児のための発表会で俺は、姉ちゃんの『白雪姫』に目を奪われた。
 フリルが付いた白いドレス。花飾りがついた綺麗な髪。キラキラ光る宝石も、たくさんちりばめられていて本当に夢の国のお姫様だった。
 俺は誇らしくて、自慢で、翌日の本番では誰もが姉ちゃんを一番綺麗で可愛いと言うに違いないと夜眠れないくらいワクワクしていたのを覚えている。
 それがまさか惨劇に変わるなんて、誰が想像できただろう?
 姉ちゃんが舞台に出てきたとき、急に後ろの席が騒がしくなった。でも俺は、舞台に立つ姉ちゃんから目を離したくなかったから無視して前だけを見ていたんだ。そしたら突然、一人の女の人が舞台に上がってきたから驚いて、すぐにリコママだと気がついた。
 リコママは、姉ちゃんの前に立って大きく両手を上げた。
 何か、長くて光るモノを持っている。
 悲鳴。舞台に駆け上がる先生。男の人の怒鳴り声。
「何してるんだ、やめろ!」「逃げて!」「誰か! 助けて!」「警察を!」
 何が起きたのか解らなかった。
 舞台をみると姉ちゃんは倒れていて、真っ白なドレスが赤い色になっていて、父さんと他の男の人がリコママに抱きついて……母さんが呆然としている俺をすごい顔で抱きあげて園庭に飛び出した。
 園庭には他の友達や、お母さん達が集まっていて泣いてる人もいた。俺は外履きが無いからどうしようと思って母さんを見た。すると急に母さんは、大きな声で叫んだんだ。
 聞いたことも無い、心臓が破れるかと思うほど大きな声。何と言ったのか解らないけれど、あの恐怖と絶望と悲しみに満ちた悲鳴はいまでも耳にこびりついて離れない……。
 なぜ、姉ちゃんは殺されてしまったんだろう? 何も悪くないのに。
 なぜ、リコママは死んでしまわないんだろう? 姉ちゃんを殺したのに。
 心神耗弱、育児ノイローゼ、精神疾患、、同情の余地?
 知ったことか。
 リコちゃん……当時の名は進藤凛々子。
 名前を変えても無駄だ。ようやくおまえを見つけ出したんだからな。
 成宮凛々子とその母親を、俺は絶対に許さない。



SIDE-L(4)


 塩素ガス事件から一週間経っても、セナは学校に来なかった。学期末テストの勉強もあったから、ルイくんとも会っていない。
 結果はまだ出ていないけど、惨憺たる点数であろう事は火を見るよりも明らかだった。
 テストが終われば終業式まで校内球技大会。三年生は受験のため学校に来ないから、体育館以外は静かな校内で誰に会うこともなく部室のドアを開けた。
「あ、おはようルイくん……今日、試合は?」
 部室中央の作業机でカメラを手入れしていたルイくんが、明るい笑顔を返す。
「おはようございます、リリ子先輩。オレのクラス、午前は女子がバレーボールで男子は午後にラグビーなんで、これから体育館に写真撮りに行く所です」
 見ると学校指定ジャージの腕には『新聞部』の腕章がついている。
 いつも通りの笑顔と態度に少しホッとしながら私は机の向かいに座りノートPCを開いた。球技大会の速報を各学年の昇降口に貼るのも新聞部の仕事だ。結果と写真を差し込めば印刷できるように、過去のレイアウトを参考にしてアレンジを加える。
「そういえば……セナさん、学校に来てるんですか?」
 作業に集中していると、いきなりルイくんが少し心配するような口調で話しかけてきた。
 現場に居合わせたのだから気になるのは当然だ。興味本位で話題にするような事件ではないが、ルイくんなりにセナが心配なのだろう。
「SNSで様子聞いたら、冬休み前に一度は学校に顔を出すと言ってたよ。しばらく親戚の家にお世話になるらしいけど……もしかしたら、お父さんの赴任先に行くことになるかもって」
「お父さんの仕事先、九州だって言ってましたね。むこうに引っ越したら、もう簡単には会えないなぁ……リリ子先輩、寂しくなっちゃいますね」
「そうねぇ……でもまぁ、いまはSNSでライブ通話できるし友達訪ねて旅行するのも楽しいかも。何よりセナが元気になるためには、新しい環境が必要かもしれないな」
「新しい環境ですか……そうですね、噂から逃れるために名前を変えるって訳にもいきませんしね」
 ルイくんの言葉に、私の全身が凍り付いた。
 とうとう、この日が来た。いま、このタイミングで私は裁かれるのだ。
 心臓が早鐘を打つ。私は両手を机の下に隠し震える膝を抑えた。
「リリ子先輩は……どう思います? アレは本当に、事故なんですかね?」
「は?」
 意想外の言葉に私は一瞬、頭が真っ白になった。
「えっ、ええっと? どういう……意味?」
 混乱しつつ、ようやく返事を返すとルイくんが意味深に笑う。
「いやぁ……オレね、なんか変だなって思ったんです。塩素ガスって、いわゆる『混ぜるな危険』表示がある洗剤を両方使うことで発生するヤツですよね? 塩素系漂白剤と酸性タイプ洗浄剤。オレ調べてみたら市販の洗浄剤じゃあまり危険性無いみたいだけど、浴槽の壁や鏡についた水垢取るのに強力な酸性洗浄剤がネットで買えるんです。そういうのと混ぜたら、風呂用のカビ取り塩素系漂白剤でもかなり危ないらしくて……だけど、ボトルに注意書きあるから気をつけるもんでしょ?」
「セナのお母さん、かなり潔癖症だって聞いてたから強力な洗浄剤使ってたかも。でも一緒に使用したら危険な洗剤くらい、解ってるはず……」
 考えている間、ルイくんは黙って私を見つめていた。何かを期待しているように感じたので、ちょっと推理してみる。
「うーん、最初に水垢取りを壁や鏡に吹き付けて、シャワーで流してからカビ取りを吹き付けるつもりが浴槽でウッカリ滑って転んで偶然、塩素系漂白剤がこぼれちゃったとか?」
「イイ線だと思いますけど、もう一つ引っかかってることがあるんですよ」
「何が?」
 ルイくんが神妙な顔で身を乗り出したので、近付いた顔に狼狽えながらも平静を装い問い返す。するとルイくんは再び椅子に座りなおして、名探偵さながら腕組みのポーズを取った。
「服装です。お風呂掃除で漂白剤を使うつもりの人が、濃い色のロングスカート履いてるの変だなって思ったんですよ。担架で運ばれるセナさんのお母さんがチラッと見えたけど、濃い茶色のロングスカートだったんですよね」
「じゃぁ……事故では無いかも知れないって思うの?」
「可能性はあります。そもそもオレでも変だと思うんだから、よほど無能じゃない限り警察も気が付くと思いますよ? 事故だとしても変死扱いだから司法解剖されるのかな? 事件性があれば、あの風間刑事とかいう人にまた何か聞かれたりするかも……」
「やめてよ! そんなこと、有り得ないから!」
 思わず私は叫んだ。
 事故じゃ無く、殺人かも知れないと言われて耐えられない気持ちになったからだ。
「うわっ、すっ、すみません! リリ子先輩の友達なのに、無神経でした!」
 突然叫んだ私に驚いたルイくんが、焦って謝る。
 違う、そうじゃない……私が叫んだのは、セナを思い遣ってじゃない。私は、私の事が心配で不安で、いても立ってもいられなかったから……。
「私こそ、いきなり大声出してゴメン。ルイくんの考えは解ったけど、どちらにせよ私たちが何か出来ることじゃないよ。それにしてもルイくん、刑事ドラマ観すぎじゃない? 普通の高校生は推理したりしないよ?」
「あ、オレ、高校生探偵の漫画が大好きなんですよ。それでつい……リリ子先輩に嫌な思いさせるつもりなかったんですけどホント、すみませんでした」
「うん、もういいよ」
 無理して笑う私をルイくんは覗き込んだ。だから、顔が近い。
「怒ってますよね?」
「怒ってないよ」
「ヤッパ、申し訳なかったんで昼休みに肉まん奢ります!」
 普段は一度登校したら下校するまで郊外で買い食いできないが、球技大会中は例外で見逃されている。ルイくんは近くのコンビニまで肉まんを買いに行くつもりだ。
「まったく、もう……」
 目の前でニコニコしているルイくんに、私は泣きそうになる。
 どうしてそんなに優しくするの? いったい何を、考えているの?
 私をどうするつもりなの? 
 このままじゃ私、ルイくんを好きになっちゃうよ……。
 言葉に詰まって私は、取り繕うように時計を見た。
「そんなのいいから、もう体育館行かないと試合が始まるよ?」
「マジか! じゃあ、いってきますね!」
 慌ててカメラを掴みルイくんが部室から出ようとしたとき。突然ドアが自動的に開いた。
「成宮凛々子さんはいますか? ああ、きみ、ちょっと職員室まで来てくれる?」
 ドア向こうに立っていたのは、教頭先生と風間刑事だった。



SIDE-R(5)


 リリ子さんが呼び出されたのはセナさんの件だろう。風間刑事が一緒なので、ものすごく気になったけど俺には用がないらしい。
 仕方なく俺はリリ子さんの後ろ姿を見送り、体育館へ向かった。
 そういえば風間刑事が一度だけ振り向いて俺を見た。何か言いたそうな顔だったな……。
 セナさんの家で事情聴取された時も思ったけど、ポーカーフェイスが苦手だとしたら刑事には向いてないんじゃないか?
 昼休みになって俺は、リリ子さんが戻ってくる確信の無いまま約束通り学校近くのコンビニで肉まんを買って部室に戻った。
 リリ子さんは部室の作業机で、いつものようにノートPCのキーボードを叩き球技大会速報記事を制作していた。
「待ってたよ、ルイくん。午前の試合、写真もらえる?」
「あっ、はい。ところで肉まん買ってきたんで、一緒に食べましょうよ?」
 俺はカメラから取り出したメモリカードと一緒に、コンビニの袋を机に置いた。リリ子さんは笑いながらコンビニから肉まんを取り出す。
「じゃあ、お茶入れようか」
 そう言ってリリ子さんは、部室備え付けの電気ポットでティーバックの緑茶を入れてくれた。
 お茶を啜り肉まんを囓りながら俺は、なぜリリ子さんが職員室に呼ばれたのか気になって仕方なかった。だけど今朝、塩素事件の話題で怒らせた手前、聞きにくい……。
「ルイくんが静かなの、珍しいね?」
 普段より無口な様子を心配したのか、リリ子さんが自分から話しかけてくれた。
「はぁ……また余計なこと言って、リリ子さんに嫌われたくないんです」
「また、そんなこと言う……ホントは私がなぜ職員室に呼ばれたか、興味あるんでしょ?」
 図星だ。
「そりゃ、風間刑事が一緒だったし気になりますよ? でも……」
「今朝のことならもう、気にしてないよ。それどころか私もちょっと、思うところがあってルイくんに相談したいんだ」
「相談? 何ですか?」
 俺が真っ直ぐ顔を見て聞き返すとリリ子さんは、少し言いにくそうに目を逸らした。
「あのね、私……セナが心配なの。セナ、今朝は学校に行くと言って親戚の家を出たのに、学校に来てないんだって。おじ……じゃなくて、警察が詳しい話を聞くために家に電話して解ったらしい。今朝のルイくんの話や、いつも時間厳守で帰宅するセナがどうしてあの日だけ寄り道してたのかなって色々考えてたら不安がどんどん大きくなっちゃって……」
 友達を想い、不安でいまにも泣き出しそうなリリ子さんに俺の気持ちが乱れる。
 なん……だよ、それ。そんなことで、悲しい顔するなよ。助けてやるよ、でも俺自身のためだからな。おまえのためなんかじゃ無い。
「急いでセナさん探しましょう! 心当たり、ありますか? もしかして、いままで住んでいた家に戻ってるかもしれない」
 リリ子さんは意外そうな顔で俺を見つめてから、また泣きそうな顔になった。
「うん……うん……探そう。いまからすぐに探しに行きたいけど、ルイくんは午後の大会に出なきゃ……」
「あ、オレが選手で参加するのは明日のバスケなんで大丈夫です! 写真は写真部の友達に頼みますから、今すぐ探しに行きましょう!」
 携帯を取りだし写真部の友人にメールすると、友人は快く了解してくれた。ジャージを制服に着替え、それぞれの担任に早退届を出してから校門で待ち合わせ駅に向かう。
「こっちの家には戻れば解るから、他に心当たり無いかって聞かれたの」
 歩きながらリリ子さんは、風間刑事に聞かれたことを話してくれた。
「戻ったら解るって事は……見張られてるって事じゃないですか! なんか、ヤバいことになってますよセナさん。それで、どこか心当たり話したんですか?」
「ううん……私も何か嫌な予感がしたから、駅前の本屋くらいしか心当たりが無いって言ったの。だけどセナがよく行くのはT駅から少し離れたショッピングモールの画材屋と本屋さん。休日はお昼からずっとそこにいることが多いって言ってたな。私も何度か買い物に付き合ってる」
 スマホを見ると、十三時少し前。
「じゃあ、そこに行ってみましょう。リリ子さんは警察より先にセナさんに会って、力になってあげたいんでしょう?」
「……ありがとう、ルイくん」
 お礼なんか言われても嬉しくない。俺はただ、格好良くて信頼できる男を演じているだけ。すべてはリリ子さんの気持ちを手に入れるために……。
 T駅は、学校最寄り駅から私鉄上り線で二つ先だ。リリ子さんは定期があるから、俺だけ切符を買った。
 T駅のホームについて電車を降りると、数車両先でよく知っている制服の女子高生が降りてきた。
 間違いない、セナさんだ。偶然とはいえ、時間的にタイミングが良かったようだ。
 俺より先に気が付いたリリ子さんが走って改札に向かうセナさんの腕をつかまえた。
「セナ! どうして学校に来なかったの? 何かあったの?」
 ダメだ、リリ子さん。いきなり責めるように質問したらセナさんが警戒する。案の定セナさんは厳しい表情でリリ子さんの手を振り払った。
「リリ子こそ、なんでここにいるの?」
「セナのこと探してたんだよ!」
「探してたって……?」
 せなさんは俺を見て、何かを察した目になる。
「……放っといて! リリ子には関係ないんだから!」
「放っとけないよ! ねぇ、何があったの? 私、力になれるなら何でもするよ? だから話してよ? 親友でしょ?」
「話したってリリ子には解んないよ! 放っといてって、言ってるでしょ!」
「あっ!」
 すがりつくリリ子さんをセナさんが、乱暴に突き飛ばした。
 勢いついたリリ子さんはバランスを失い、そのままホームから転落した。



SIDE-L(5)


 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
 身体が宙に浮き、体勢を立て直そうと伸ばした足先は何も捉えることが出来なかった。
 背中が硬いモノに叩き付けられ、気が遠くなる。誰かが私の名を叫んだ。
「リリ子さん! リリ子さんっ!」
 暗闇から、ふっと光が差す。その瞬間、凄まじい音が頭上に轟いた。音は、次第に遠ざかり意識を取り戻した私は線路の脇にうずくまっていた。
「大丈夫ですよ、リリ子さん。助かって良かった……!」
 あぁ、思い出した。私はセナに突き飛ばされて、線路に落ちたんだ。
 近付いてくる黒い塊に恐怖で動けずにいたら、ルイくんが線路に飛び降りて私の身体をホーム下避難帯に押し込んでくれた……。
 私、もしかして死んでた?
 急に全身が、冷や水を浴びたようにガタガタと震える。ルイくんがしっかりと私を抱きしめて、何度も「心配ないですよ、大丈夫。もう大丈夫です」と声を掛けてくれた。
 でも私は頭がぐちゃぐちゃに混乱していて、自分でもワケがわからない言葉が口から飛び出した。
「どうして? どうして私を助けたりしたの? 死ねば良かった! 死んだ方が、良かったのに!」
「どうしてって言われても……好きな人は助けたいに決まって……」
「嘘つきっ!」
 叫んだ途端、ルイくんは、すごく恐い顔で私を睨んだ。その表情にビクッと心臓が跳ね上がり、私は我に返る。すると次の瞬間には、ルイくんの表情が優しく穏やかなものに変わっていた。
「怪我、ないですか? 痛い所は? 歩けますか?」
 私は首を横に振り、よろよろ立ち上がった。駆け寄ってきた駅員さんにルイくんが何か話している。知らない大人の人が何人も手を差し伸べてくれたので、助けてもらいながらホームに上がった。あとから上がってきたルイくんは、埃だらけの制服を手で払う。私もならって制服の土埃をはらった。
「この時間帯はダイヤが立て込んでないから遅延の心配は無いけど、取り敢えず駅事務所に来て欲しいって言われました。でも、そこで時間取られたら警察が先にセナさんを見つけてしまうかも知れません。バックレましょう!」
「……って?」
 ルイくんが私の腕を掴んで改札に走った。
 何だろう、変な気分だ。
 セナを探さなきゃと思う焦り、死に直面した恐怖。線路の上でつい本音を叫んでしまったこと、大人の駅員を無視して逃げ出したこと。ルイくんに腕を掴まれ、一緒に走りながら息が苦しい。
 苦しいのに、楽しい。
 駅前の商店街を走り抜け、大型のショッピングモールに辿り着いた。駅で騒ぎになったからセナは、もっと遠くに行ってしまったかもしれない。わずかな可能性にすがるように私は、セナの行きつけの画材屋と書店を探し回った。
「いました、セナさんです」
 書店の児童書コーナーに佇むセナを先に見つけたルイくんが、書架を挟むように私にゼスチャーで伝える。駅で会ったとき、いきなり声を掛けて警戒されたから、こんどは用心してゆっくりセナに近づいた。
「セナ?」
 小さく声を掛けるとセナは驚いて私を見つめ、そのまま床に座り込んでしまった。
「リ……リリ子っ……良かった……私、リリ子まで死なせちゃったと思って……うっく、えぐっ……」
 セナの言葉を聞いた私は、一緒に座り込む。セナは「リリ子まで死なせた」と言った。つまり、セナのお母さんの件は事故じゃ無く故意……。そう思った途端、セナと一緒に私も泣き出してしまった。
「あの……ここで話す内容じゃないし、目立つと色々あるから場所、変えましょう」
 ルイくんの言う通りだ。まだ何も出来ていないのにセナに会えた安心感で、もう動くのが億劫になっていた。このまま泣いているだけじゃセナが警察に見つかってしまう。せめてセナに、何があろうと味方だよって伝えたい。
 ショッピングモールのフードコートやファミレスは警察に見つかりやすいからと、ルイくんは書店を出たあと大型立体駐車場に繋がる連絡通路を通り屋上駐車場に私たちを連れてきた。
 平日の昼なので、店舗から一番遠い屋上駐車場には数台の車しか駐まっていない。澄みきった青い冬空には、細い筋状の雲がゆっくりと流れていた。駐車場を囲むコンクリート塀の向こうに、遠く白い山影が見える。
 強く吹き付ける冷たい風に身震いすると、連絡通路の自販機で買ったのだろうルイくんが温かいお茶をセナと私に渡してくれた。
 震えるセナの手を、私はギュッと握りしめる。
「なにが、あったの?」
 セナは一呼吸すると、落ち着いた目で私を見つめる。話す気になったらしい。震えは止まっていた。
「家の庭によく遊びに来る猫がいて、ときどきオヤツやごはんをあげてたの。最初のうちは、お母さんも可愛がってた。でも最近は窓を開けてると家の中まで入ってくるようになって……床やカーペットが汚れるとお母さんが嫌がるから気をつけてたのに、あの日の朝は猫がリビングに入り込んでソファーを引っ掻いちゃったんだよ……。そしたらお母さん、すごく怒って猫の首を掴んでお風呂場に行くとバスタブの残り湯の中に猫を突っ込んで殺そうとした。慌てて止めようとしたら掴み合いになって、お母さんが足を滑らせて転んじゃって、動かなくなって……まさか死んじゃうなんて、思ってなかった。このまま具合悪くなって病院に入れば、お父さんが帰ってくる。お父さんなら私の味方になってくれるって、その時はそれしか考えられなかった……」
「塩素ガスが発生したのは、偶然? お母さんは、お湯を抜かないでお風呂掃除してたの?」
「それは……」
「聞いて、セナ。私のお母さんね、殺人罪でいま刑務所にいるの」
 私の言葉を聞いたセナは、大きく目を見開き口元を両手で覆った。驚きと言うより、意想外の告白に混乱している。ルイくんが渡したお茶が、足下に落ちて跳ねた。
 聞こえているであろうルイくんの方を見ると、なぜか彼は笑っていた。



SIDE-R(6)



 このタイミングで、いきなり何を言い出すんだ?
 おかしな人だな、リリ子さんは。
 セナさんは間違いなく、殺意があって塩素ガスを発生させた。理由は母親との確執か、余程根深い恨みがあるのか知らないけど、リリ子さんは自らの身上を語って自首を勧めるつもりだろう。
 苦しんでいるのは、アナタだけじゃ無い。母親のことでは私も苦しんでいるのよ。だからって殺したらダメ……って、傷を舐め合うような綺麗事を並べたらいい。
 リリ子さんが俺をチラリと見た。駅の出来事を思い出し、リリ子さんは俺が素性を知っていることに感付いている気がした。それならそれで、かまわない。
「開放されたいと思い詰めるくらい辛かったんだよね、セナ。高校に入ってからずっとセナのことを見てきた。話を聞いてきた。厳しくて威圧的なお母さんに支配されて苦しんでいるセナを私は、自分の事みたいに身近に感じてた。私のお母さんは、自分の思い通りにならないことがあると頭がおかしくなっちゃう人だったの。私はお母さんに嫌われないように頑張ってた。でも、いくら頑張ってもお母さんを満足させることが出来なかった。お母さんが本当に望んでいたのは娘じゃ無くて息子だったから」
 えっ? なんだ? 話が妙な方向に向かっている。息子って、どういうことだ?
 真意が掴めないまま俺は、リリ子さんの話に耳を傾けた。
「私の幼稚園時代、仲の良い友達がいたの。友達には弟くんがいて、私のお母さんは弟くんをすごく羨ましがってた。でもそれが、いつの間にか友達のお母さんに対する憎しみに変わってしまった。心が壊れたお母さんは友達のお母さんが苦しむ妄想に取り憑かれて、幼稚園の『お遊戯会』の日に、舞台に上がってお友達を……」
「えっ……まさか、あの事件……いまでもワイドショーや特番で取り上げられるから、誰でも知ってる……リリ子が、あの……」
 セナさんが、殺人犯と口にするのを躊躇った。言ってやればいいのにと思う。だけど、いまの話が本当だとしたら、姉ちゃんが殺された原因は俺って事になるんだろうか?
 そんな……嘘だ。それじゃあ、俺がいままで抱えてきた傷や恨みが行き場所を失う。信じるな、これはリリ子さんが俺から逃れるための嘘に違いない。
「私が知っているのはお爺ちゃんやお婆ちゃん、警察で働いているおじさんから聞いた話だから、自分でお母さんの本当の気持ちを知りたくて毎月、医療刑務所に面会に行ってる。でもね、お母さんの中ではもう、私はいない子になっているの。壊れた心が作り出した妄想世界に生きるお母さんは、産まれてすぐ誰かに奪われた息子を探す憐れな母親だった。娘なんかいないの。私が面会に行っても、知らない女でしかないの……」
「私……私だけが学校のみんなに比べて不幸で辛いんだって思ってた。リリ子が、もっと辛いのに知らなくて……私、お母さんに絵本作家の夢を馬鹿にされて、お父さんがプレゼントしてくれたイギリスの絵本を破かれて、大事にしていたコレクションも全部捨てられて……憎くて、死んでしまえばいいと思った。だから死ぬかもしれないと解っていたのに洗剤を撒いたの。でも怖くなって、あの日は一人で家に帰れなかった!」
 セナさんがまた、声を上げて泣き出した。リリ子さんの説得は成功したようだから、あとは風間刑事に連絡して自首して貰えば解決か? こんな時は110番より個人の刑事に連絡した方がセナさんやリリ子さんのためにもいいだろう。
 早速スマホを取りだし風間刑事から貰っておいた連絡先に電話しようとすると、リリ子さんが俺の手を押さえ首を横に振った。まだ話したいことがあるのだろうか?
 俺としては、いまの話の真偽を早く確かめたかったけれど、リリ子さんの真剣な表情に気圧され大人しくスマホをポケットに戻した。
「セナ……セナのしたことと結果はもう変えることは出来ないけど、私もセナも自分を変えることは出来るよ? 私はずっと、お母さんに自分を見て欲しかった。息子じゃなく、娘がいて良かったと言って欲しかった。でもね、結局お母さんは立場であって、一人の人間の個性じゃないんだって思うようになったの。一人一人、みんな考え方も価値観も生き方も違うんだから自分も自分の生き方を探して、親やまわりに振り回されないように、たくさん学んで選択していかなきゃならないって思ったの。もう、お母さんにお母さんを求めないって」
 リリ子さんはセナさんを抱きしめた。
「セナはさ、この先ずっとお母さんのことを恨みながら自分のしたこと後悔すると思う。でもそれじゃ、お母さんがいなくなっても永遠に解放されない。セナには辛くても生きて、いつか幸せになって欲しい。だからお母さんを一人の人として許して、死なせてしまったことだけを後悔して悲しんで欲しいの。憎しみと許せない気持ちと後悔を一緒に抱えていたら、何倍も何倍も苦しくなるから……。私、セナが戻ってくるのをずっと待ってる。戻ってきたら、一緒にお母さんに謝ろう」
「……うん」
 リリ子さんの話を聞きながら俺は、複雑な思いに囚われる。
 憎しみと許せない気持ちと後悔を、切り離せることなんて出来るのだろうか?
 再びスマホを取りだし電話を掛けた俺を、リリ子さんはもう止めなかった。



SIDE-L(6)


 ルイくんが気を利かせて風間刑事に連絡してくれたから、セナは目立つことなく警察に行くことが出来た。
 本当に、やることすべてがスマートでそつがない。こんな男の子が彼氏なら、きっと楽しくて幸せな毎日が送れるんだろうな。
 とうとう吹きさらしの屋上駐車場で二人きりになった。もう、逃げられない。
「リリ子さん、さっきの話って本当ですか?」
 ルイくんが、とびきり優しい笑顔を浮かべながら私に聞いた。
「さっきの話って? 私がセナをずっと待ってると言ったこと?」
 私の答えにルイくんは大きく溜息を吐き、一変して恐い顔になる。
「は? ふざけるな、アンタの母親の話だよ。いつから俺に気付いてた?」
「新聞部の部室で初めて会ったとき。あの日から私は、末村瑠依を忘れたことなんかない」
「ははっ、お互い騙し合ってたわけだ?」
 自嘲気味にルイくんが笑った。
「ルイくんこそ、私が進藤凛々子だっていつから気付いていたの? どうして知っていて知らない振りをしていたの? 私をどうしたいの? お姉さんが殺された復讐に、殺したいの?」
 平静な態度でいようとしても、どうしても声が震える。逃げたい。でも覚悟してルイくんを見つめた。
「そう……殺してやりたいほど憎んでた。アンタを騙して恋人関係になってから、苦しめて殺そうと思っていた。ソレなのに何だよ? さっきの話が本当なら、姉ちゃんが死んだのはオレのせいだってことだろう? しかもアンタを殺したって、人殺しの母親は狂っているから痛くも痒くもないって? アンタの母親を一番苦しめる方法を、ずっと考えてきたんだ。名前を変えた進藤凛々子を探し出して、同じ高校を受けて同じ部に入って、好きになるように仕向けて……全部無駄じゃないか! オレはいったい……誰を憎めばいいんだよ!」
 悲痛な叫びに私の胸は締め付けられる。
 ルイくんが救われるなら、何でもしてあげたかった。私に出来ることは、何も無いのだろうか?
 あぁ……そうだ、一つだけあった。
 私は駐車場を見回してから近くに放水弁のある壁に行き、少し高くなった足場を頼りに壁をよじ登った。
 それから大きな声で、少し離れたルイくんに呼び掛けた。
「ルイくん! 私が死んでルイくんの気が晴れるなら殺して! ここから突き落としてくれれば、確実に死ぬと思う。あ、そうだ、スマホに遺書を書くよ! お母さんのしたことがルイくんにバレて、自責の念に堪えられなくなったって。ほら! コンクリート塀が自分で乗り越えないと跳び降りられない高さだから、ルイくんが疑われることは……」
 ルイくんは一瞬、呆然として私を見てから怒った顔で駆け寄る。
「アンタ、何言ってんだよ? いい加減にしろよな! それじゃぁ、セナさんはどうなるんだよ? セナさんを待つって、約束したんじゃないのかよ!」
 そうだ、私が死んだらセナは……? 
 突然、屋上駐車所を突風が吹き渡り、二十センチほどの幅しかない壁の上にで途方に暮れている私の身体が浮き上がる。
「あっ……!」
 落ちる。
 落ちて死ぬんだ、私。
 ルイくんにもセナにも、何も出来ないまま……。
 諦めと後悔、ルイくんへの気持ち、いろいろな感情が脳裏を駆け抜けた瞬間。
 ルイくんの手が抱えるように両足を掴んで引っ張った。私の身体は前のめりになって、ルイくんの身体を下敷きにドサリと床に転がる。
「……ってえな。何やってんだよ、リリ子さん。あれだけセナさんに偉そうなこと言っておいて、自分から逃げんじゃねぇよ……」
「……」
 のろのろと身体を起こして私は、寝転がったままのルイくんの横に膝を抱えて座った。
 ルイくんの言う通りだ。私は逃げようとしたんだ。
「リリ子さんが死んだって、嬉しくもナンモない。生きてても死んでても憎いと想う気持ちが消えるわけじゃないからな。オレはアンタやアンタの母親を憎むことだけが死んだ姉ちゃんのために出来ることだと思っていた。辛いこと悲しいことから逃げるために憎んだ……誰かに自分の不幸を擦り付けなきゃ生きられないと思ってた。リリ子さんや、そのまわりの人も苦しんでるかもしれないなんて、考えたこともなかった……セナさんと一緒だ」
 ルイくんは立ち上がり床に落ちていたペットボトルのお茶を拾うと、キャップをあけ一口飲んでから私に向き直る。
「すっかり、冷めちゃったな……。憎み続けるのって結構、難しいんだ。憎まなきゃならないと思うのに時々、楽しいとか嬉しいとか感じることがあってさ。そんな時オレはひどい自己嫌悪を感じて落ち込んで、また憎まなきゃ、姉ちゃんのためにって思うんだけどソレも辛くなってきて……」
 冷めたのはお茶なのか、ルイくんの感情なのか判断できないまま頬に涙が流れた。
「ごっ……ごめん……ごめんなさい……」
「許さない。リリ子さんも、リリ子さんの母親も。リリ子さんがセナさんに言ったように、リリ子さんもオレも生きてる限り苦しみから逃れられない。だけど……今日はいろんな事がありすぎて思ったんだ。これからは生き方を変えてみようかなって」
「生き方を変える?」
 聞き返した私にルイくんは、少し悲しそうに微笑む。
「あぁ、どうすれば良いか解んないけど……何しろいままで、憎むことしか考えられなかったからさ。いろいろ考えたいんだ。姉ちゃんや母さんや父さん。それにリリ子さんと、リリ子さんの周りの人のこととか」
 ルイくんが差し伸べた手を躊躇いながら握り、私は立ち上がった。
「一緒に苦しんで、一緒に前を向けるように頑張ってみる?」
「……うん」
「しっかし、リリ子さん……ひどい顔っすよ? 美人が台無しだ」
 いつもの笑顔。でも、いままでの私たちの関係は終わり、新しい関係が始まるんだ。
 これからどんな関係になっていくかは解らない。けれど一つ先の扉が開いたことに感謝しよう。
 いつか、この冬の澄み切った空のように私たちが、晴れ晴れとした気持ちになれる日が来るのだろうか?
 私が空を見上げると、ルイくんも一緒に空を見上げた。



(終)









来栖らいか

2019年12月30日 06時32分56秒 公開
■この作品の著作権は 来栖らいか さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:ラブラブハートフル学園恋愛コメディサスペンスホラーバトルです。(作者談)
◆作者コメント:ラ件住人は酷評という鞭に打たれ血反吐の中をのたうち回る夢を見るのでしょうか……よろしくお願い致します。

2020年01月16日 12時48分14秒
作者レス
2020年01月16日 12時08分52秒
作者レス
2020年01月12日 21時20分14秒
+20点
2020年01月12日 21時08分10秒
+30点
Re: 2020年03月22日 14時22分53秒
2020年01月10日 01時11分01秒
+40点
Re: 2020年03月20日 15時07分45秒
2020年01月05日 13時41分53秒
+30点
Re: 2020年03月12日 17時06分35秒
2020年01月04日 23時25分56秒
+20点
Re: 2020年03月12日 16時10分21秒
2020年01月04日 17時51分22秒
+30点
Re: 2020年03月12日 15時38分49秒
2020年01月04日 17時41分18秒
+20点
Re: 2020年02月13日 10時45分49秒
2020年01月02日 16時09分31秒
+30点
Re: 2020年02月13日 09時37分16秒
2020年01月02日 05時16分47秒
+20点
Re: 2020年01月30日 19時44分08秒
2019年12月31日 07時18分28秒
+20点
Re: 2020年01月30日 15時00分36秒
合計 10人 260点

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