復讐のミラーズホロウ

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 小学生六年生のある日、手塚が空から降って来た。
 意味もなくただ漠然とボールを投げ合って遊んでいたわたし達の真ん中に、意外な程激しい音を立ててそれは降り注いだ。頭から体育館の床に落下した手塚の敗れた頭皮から、脳裏にべったりと張り付くような色濃さの、赤い血液が流れ出る。
 正確に言うと、彼が飛び降りたのは小学校の体育館のギャラリーからであって、空という程の高所ではなかった。しかし玉遊びで夢中だったわたしがそこに立っていた手塚に気付くことはなく、何の前触れもなく降り注いで来たクラスの劣等生に、わたしは腰を抜かして尻餅をつくよりどうしようもなかった。
 鈴木が泣き出した。七峰と天野は遠くからそれを見て呆然としている。長谷川と碇本がいつものように調子こいて手塚の身体に近づいて行き、体のあちこちを足やボールで突いたりし始めた。それを見た楡と檜は面白がり、手を叩いて二人の行いをはやし立てている。
 「やめとけよ」
 そう言ったのは獅山誠一郎だった。
 「こいつを殺したのはおれ達だ。なんか余計なことをしたら、大人になって今の自分のことが胸糞悪くなる」
 誠一郎は頭の良い奴ではなかったが、時々ならそうした小学生離れした冷静さを発揮することもあった。
 「先生呼んでくる」
 手塚の身体は救急車で運ばれて行き、二度とわたしの前に姿を現すことはなかった。
 しかし彼の残した赤い血の記憶は、わたしの脳にべったりとこびりつき、何をやっても洗い落とせないまま錆びた臭いを放ち続けている。

 〇

 一日目:昼時間

 赤川真実 (あかがわ まみ)
 亀永楡 (かめなが にれ)
 亀永檜 (かめなが ひのき)
 鈴木万智子 (すずき まちこ)
 七峰ナナ (ななみね なな)
 獅山誠一郎 (ししやま せいいちろう)
 碇本唯人 (いかりもと ただひと)
 長谷川翔太 (はせがわ しょうた)
 天野令 (あまの れい)
 手塚元則 (てづか もとのり)

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り10人
 配役はまだ決定されていません。

 〇

 肌寒い冬の教室の、己の体格と比べてかなり小さな席に、わたしは座っていた。
 「……あれ?」
 混乱し、首を傾げる。
 そこは小学六年生の頃、毎日通ったわたしの教室の、わたしの席だった。ちょうどこのくらいの肌寒さを感じる季節にわたしは転校していったけれど、それでもこの学年の時のことはよく覚えている。
 だがら、ここがどこかは分かる。けれど、じゃあわたしはどうして今ここにいるんだっけ? わたしは今まで何をしていたんだっけ? そもそもわたしはいったい誰で、どういう存在で、何のためにここに存在していて……。
 「いやいや」
 首を横に振る。
 冷静になれ。自分が何者かなんて、簡単に分からなくなれることじゃない。どんな時にも、どんな場所にいても、それは必ず付いて回る。
 わたしの名前は赤川真実。シンジツ、と描いてマミ。
 身分は浪人生。目標にしていた国立大学に落っこちて、一浪して予備校に通いながら勉強し直すことを選択した。挫折感や焦りや不安に追い回されため息がちな日々を送る、多分ごく普通の十九歳。
 勉強に身が入らず、机から逃げるようにして潜り込んだ布団の中で、過去へ過去へと記憶を遡らせて遊んでいた……ところまでは覚えている。多分寝た、あのまま寝た。
 夢を見ているという感じはしない。だからと言って、寝ている途中に現実の小学校の校舎にワープするなんてことが起こりうるのか? だいたい、現実世界の季節は春で、こんなに肌寒いのはおかしな話で……。
 「なあ、ちょっと」
 背後から声がかかった。
 振り向く。わたしと同じ歳くらいで、軽薄そうな三白眼とこれまた軽薄そうな薄い唇が特徴の茶髪の男が、腕を組んでこちらをじっと見詰めていた。
 「間違ってたら悪いんだけど、ひょっとして……真実?」
 「……誠一郎?」わたしは男の顔を見詰める。間違いない。「誠一郎じゃん!」
 誠一郎はわたしの幼馴染で、家が近所で幼い頃は毎日のように一緒に遊んでいた。小学校に上がってからも、異性としてはもっとも親しい相手という位置に互いにい続け、かと言ってジャリンコ同士何が起こるということもなく、わたしの転校と共に関係の絶えた……そんな男。
 「すげーなおまえそのド金髪。つか背ぇムッチャ伸びてるじゃん。俺とほとんど変わんない。ヤバ」
 「うっせチビ。あんただって茶髪じゃんか」
 「あ? チビじゃねーよ。身長は百七十三だから平均だよ。つかさ」誠一郎は眉を顰める。「ここ、どこ? てか何?」
 「知らん。寝てたらここ」
 十九歳にもなって小学校の教室でこいつと会うとは思わなかった。もちろん誠一郎も小学生当時と比べたら背も伸びていて(でも173センチ。180以下の男はわたしにとって皆チビ)、声は低く体はやや筋肉質なものとなっているが、軽薄そうな雰囲気と話し方は当時と何ら変わるものではなかった。
 「おれも一緒。なあ、どうしたら良いと思う?」
 「分かんないけど、とりま教室の外に出てみるしかないんじゃない? ここにいたって、しょうがないしさ」
 「あー……。じゃあ、そーしてみっか?」
 誠一郎は落ち着いた様子で言った。こういう不可解な場面でパニックに陥るような繊細な神経は、相変わらず持ち合わせてはいないらしい。冷静なのはわたしもだけれど、それはこいつと違って肝が据わっているからだ。
 ともかく、教室を出る。
 「廊下、ちゃんとあるのな」と誠一郎。
 それがどうした?「つかさ誠一郎、聞いて良い?」
 「何よ?」
 「あんた、今何してんの?」
 「どういう意味?」
 ……? ああ、『廊下を歩いてる』って答えられても困るのか。
 「いやさ、わたし実は大学滑っちゃって。自分が挫折して上手く行ってないと、かえって他人が今どういう生活送ってんのかとか、そういうの気になっちゃって。聞いて良い?」
 「あー、なる。そういうことか。……コンビニのバイトだよ。毎日しんどい。つか、退屈」
 こいつの将来の夢は確かサッカー選手かなんかだった気がするが、四年生になった時もサッカー部に入ったりはしなかったし、真面目にコツコツ勉強やら仕事やらを頑張る気質でもない。
 だらだらバイトでもやってるのが、なるほど、小学生の頃のこいつの姿から直線で結びつけることが出来る、自然な姿であるようにも思えた。
 「安心した?」
 「……微妙」
 分かりきっていたことではあるけれど。そういう問題じゃあないのだ、きっと。

 〇

 下駄箱を見てみよう、と言い出した誠一郎の提案に従い(靴があるか見るのが定石、なんだそうだ)、校舎の玄関に向けて歩く。
 靴と言えば、今私達が履いているのは来客用のスリッパで、それがまた今の自分達が当時の思い出の一部ではなく、そこに招かれた外なるものであることを感じさせた。服装も思いっきり自分の持っている普段着。冬着になっていることは幸いだ。
 「真実やんけ!」長谷川は大袈裟にこちらを指さして叫んだ。「ムッチャ背ぇ伸びとるやんけ!」
 「あんたは相変わらず声がでかい」
 つか身長のことは言うなし。コンプだから。
 長谷川と碇本は誠一郎の友人(小学生時代の記憶では。それ以降のことは知らん)で、良く三人でつるんでいたから覚えている。
 野球部に所属していて色黒の坊主だった長谷川は、当時と同じ髪型と肌の色のまま巨大化(まさに巨大化! どう見ても二メートル近くある)していて、カエルを彷彿とさせる大きな口と瞳も比例して存在感を増している。
 「真美ちゃん? ……うん、確かに真美ちゃんだね、これは」碇本はそう言って苦笑した。「ひさしぶり、会えて嬉しいよ。綺麗になったね」
 医者の息子の碇本はお坊ちゃん風だった当時とはイメージを変え、甘いマスクと長身痩躯を持つ正統派のイケメンに成長していた。
 「あ、ありがとう」
 こういうこと自然に言って来て、それを少しもキモく感じさせないあたりは実にイケメン的なイケメンだ。微笑み一つとっても儚げで優しげで文句の付け所がない。
 「ええと……二人は今、何をしてるの?」
 「僕は医大生だよ。父親の病院の跡を継ぐんだ」と碇本。
 「へぇ。やっぱすごいなぁ。……長谷川は?」
 「彼の方がずっとすごい」碇本はそう言って、友人を誇るように長谷川の方に視線をやる。「プロ野球選手だ」
 は? マジ? すごくね?
 「せやで。ちなオリ。五位指名や」そう言って右手を前に出し、バットを眺めるかのような動作……イチローの真似……をして見せて、ちょっと黄ばんだ歯をむき出しにして得意げに笑った。「……五十メートル五秒台の俊足と思い切りの良いバッティングが武器の期待のルーキー。一年目の今期はプロの走塁を学び、自慢の健脚を武器に一軍での出場機会を獲得する……。尚、二軍の試合にもまだ出たことがない模様」
 よく分かんないけど、プロに入ってまずは二軍から頑張っているっていう状態らしい。昔から野球だけは天才的に上手い奴だったらしいけど、まさかプロにまでなるとは驚きだ。
 「おまえらの他に、校舎に誰かいた?」と誠一郎。
 「いや、会ったのは長谷川だけだよ。でも、他に誰が校舎にいるのかは分かる」と碇本。「これを見て欲しい」
 下駄箱を指さす。覚えているもので、わたしはすぐに自分の下駄箱に視線をやった。……靴がある。それも、小学生当時履いていた、砂まみれの運動靴が。
 「えっと……何これ?」
 「女子の上履きや! 嗅いだろ!」そう言って長谷川はわたしの運動靴を掴み取る。
 「やめろ! 死ね!」わたしは長谷川の股間を蹴り上げる。悶絶する長谷川から、わたしは小さな運動靴を取り返した。
 「僕と長谷川の分の靴もあった。おそらく、校舎にいる人物の下駄箱には運動靴があって、いない人物の下駄箱には上履きが入っているんだろうね」と碇本。
 「その割には、わたし達来客用のスリッパ履いてるけれど」
 「流石に当時の上履きは履けないだろ? 思うに」誠一郎は腕を組んで言った。こいつはアタマが悪い癖に、考え込むように腕を組んで見せる習慣がある。「この世界は小学校当時の過去のもので、そこには昔の俺達も存在していたんじゃないか? だからここに当時の運動靴が置いてある。でもそこに今の……当時から見れば未来の……おれ達が代わりにやって来たもんだから、当時の上履きは昔のおれらごとどこかに消えてしまったと」
 「なんそれ? 意味わかんない」
 「おれも良く分からん。でも、ここはどう考えても常識の通じない不思議空間だ。考えたってしょうがないし、全てに辻褄が合う訳でもないだろう。とにかく、ここ下駄箱に運動靴がある奴が、校舎のどこかにいるっていうのは、確かだと思うぞ」
 わたし達は下駄箱から運動靴を探した。ここにいる四人を除き、運動靴は合計で五つあり、それが天野、鈴木、七峰、それに楡と檜のものであることが分かった。
 「楡と檜もいるんだ」わたしは感慨深くなる。
 「おまえの子分だもんな」誠一郎がはやし立てるように言う。
 「子分って……いや、普通に友達だったし」
 「何いうとるねん! 女王様やった癖によう言うわ!」長谷川がこちらを指さして歯茎をむき出しにしてゲラゲラ笑う。「男子にも喧嘩に負けんと上級生すら泣かした癖に」
 「まあ、久しぶりに会ってあげなよ」碇本がとりなすように言う。「校舎を探せばきっと見付かるよ。そうしたら、また何か分かるかもしれない。今できることをするべきだ、こういう時にこそ、ね」
 言われなくとも分かっている。わたし達は再び校舎を歩き始めた。

 〇

 「アハハハハハハ!」
 なんて言うやけに楽しそうな嬌声が響いて、廊下を歩いていたわたし達は足を止めた。
 「楡! 楡! そっち行ったよ」
 「はいはい檜。そーれ、えいや!」
 「アハハハっ。次は強いの返すよ。食らえぇ!」
 摺りガラスを突き破り、ガラス片をまき散らしながらこちらに飛んで来たバスケットボール(体育館、と書いてある)が、避け切れなかった誠一郎の顔面に激しくぶつかった。
 「ぎゃあ!」
 パンパンに膨らんだバスケットボールを顔面に浴びて、誠一郎は思わずうずくまる。それに気付かず、「ああヤバっ。ガラス割れた?」「良いって良いって。どうせウチら以外誰もいないんだし」などと言いながら、割れた摺りガラスの方に向かって来る同じ顔の少女が二人いた。
 「真実ちゃん?」「え、真実ちゃん? 嘘でしょー!」
 などと言いながら、わたしの方を一瞥して喜色満面の顔を突き合わせる楡と檜。昔と違わなければ、一緒にいる時だけテンションが高く調子に乗るのがこの双子である。
 姉が楡で妹が檜だが、それを意識して接する必要性は薄い。何故ならこいつらは同じ顔、同じ体格、同じ性格をしていつも一緒に行動している上、セット扱いしても嫌がるどころか、そういうのが自分たちのキャラクターだと心得ているからだ。肩にかかる程度の黒髪と生意気そうな丸い目を持っていて、いつも人を面白がるように唇を歪めている。
 「ひさしぶり、楡、檜。えっと……何してんの?」
 わたしが尋ねると、楡と檜は息の合った様子で
 「昔装具用具入れにボール隠してたじゃん?」「それあるかどうか気になって」「探しに来たらやっぱりあって」「なんかして遊ぶべ、ってなったからバレーしてて」「檜が打ったアタックが強烈すぎたから、そいつの顔にぶち当たった的な?」
 と語った。
 「謝れ!」誠一郎が立ち上がる。「口の中切ったじゃねぇか。謝れ!」
 「謝れだって」「どうする楡?」「でもさぁ檜、そんなとこ歩いてる方が悪くね?」「あ言えてる。ウチら廊下に人いるなんて知らんしさ」「じゃあ謝るのやめよっか」「うんやめよう」
 「謝んなさい」わたしは言った。「教室の窓ガラス割って廊下にボール飛ばしたらダメだから。ちゃんと謝んなさい」
 「「獅山、ごめーん」」楡と檜は声を合わせた。「「わざとじゃないからさ、許して?」」
 誠一郎は釈然としない表情を浮かべつつ、しかし無暗に険悪である必要もないと感じたのか、「……分かったよ」と呟いた。
 それを聞いて、楡と檜が出入り口から教室の外へ出て来る。そしてわたしの方へと群がると、言った。
 「ねぇねぇ真実ちゃん」「今どうしてんの?」
 「え……? ああ、実は浪人してる。そっちは?」
 「ウチら?」「一緒の大学行ってる」「大したとこじゃないけど」「シュノーケリングのサークル入ってさぁ」「ナマコ突っついてどっちが先に内蔵飛び散らせられるか楡と競った」「ウチが勝った」「負けた」
 「良いなあ楽しそうで」
 本当に羨ましくてわたしはちょっとため息。でも、今はそんな話ばかりをしてはいられない。
 「随分とお気楽にやってるみたいだけど……二人とも、誰か他に見なかった?」
 「見てない見てない」「つかウチらずっとバレーしてただけだし」「どうせ夢かなんかでしょ、ここ」「でしょでしょ」
 相変わらず緊張感ない奴ら……と思っていると、廊下の角からこちらをじっと覗いている髪の長いのが目に入った。
 やけに大きなとろんとした瞳を持っている、一見して分かる程の美少女だ。ほっそりした頼りない体格で色白黒髪のそいつは、わたしと目が合うと桜色の唇を捻じ曲げて恐れを表現し、そそくさと逃げ出そうとして盛大にこけた。
 「楡、檜、そいつ確保」
 「「了解真実ちゃん」」
 そう言って楡と檜がずっこけたそいつの方へと群がる。「やめて、やめて。いじめないでっ。わー。わー! わぁー!」と無暗にじたばたと大騒ぎした挙句、あっけなく捕まったそいつは両腕を楡と檜に拘束されて、わたし達の前まで引っ張って来られた。
 被害者の表情で涙に濡れた上目遣いをする、ムカつくほど綺麗な顔をしたその元クラスメイトに、わたしは声をかけた。
 「なんで逃げるのよ? 鈴木」
 「鈴木じゃない!」成長してはいるが鈴木にしか見えないそいつは妙なことを言った。「あたしは夢之島・マチコ・アビエニア」
 「はあ?」
 「魔法少女・夢之島・マチコ・アビエニア!」そう言って鈴木は立ち上がる。百六十センチ前後の楡と檜と比べて五センチ程小さい。
 「アタマ大丈夫?」
 「本当だもん。あのね、あらゆる理不尽が看過されている腐りきった世界に蓄積された弱者の怨念が、魔力と実態を持って顕現したのがグランベリニアと呼ばれる悪魔。悪魔の持つ魔法の力は邪なものだけれど、虐げられる弱者にとっては希望でもあった。そんな恐ろしい悪魔の力を制御できるのが魔法少女と呼ばれる選ばれた人間で、魔力の一部分を与えられて哀れな魂を救済する為に活用する使命を持っている。その一人が……」
 「ねぇ鈴木。あんた、来年二十歳でしょ?」
 「鈴木じゃない。夢之島・マチコ・アビエニア!」
 普段おとなしくて良くいじめられていた癖に、ちょっとまともに構ってもらえそうになると大喜びで自分勝手な空想話を繰り広げる。昔のままだ。
 「ねぇ鈴木。あんた今何やってんの?」
 「え……? こ、工場の派遣とか……。あ、でも、実はユーチューバーとか目指しててっ。世界の裏側を渦巻く悪の意思とそれに立ち向かう方法について啓蒙する動画とか上げててっ。再生数は十二回くらいなんだけど……」
 ……見てくれは良いんだから普通のことすれば普通に見てもらえるだろうに。とか思っていると、楡と檜がニヤニヤしながら鈴木の方をちょいちょいと突いた。
 「な、なぁに?」と鈴木。
 「ねぇねぇ鈴木」「これなんだと思う?」
 そう言って、楡が手にしたスマートホンを見せつける。
 「あ……それ、あたしの」
 「さっき落としたみたいだね」「返して欲しい?」
 「返して返して!」鈴木は強く訴える。
 「じゃあ自分で撮り返したら?」そう言って、楡がスマートホンを持ったままちょこまか逃げ始める。
 鈴木がそれを追いかけると、楡は嬉々としてスマホを檜に投げ渡す。鈴木がそちらを追いかけると、今度は檜が楡にスマホを投げた。相手が取り返そうとしている持ち物を投げまわして弄ぶいじめだ。
 「ちょっと。やめてよぉ……」鈴木が涙ぐみ始める。「返してよぉ。落としたら壊れてママに怒られるじゃない……」
 ……昔こういうこと良くやったなぁ。わたしは思い出す。こんな性格の鈴木はもちろん、いじめられっ子だったのだ。
 昔の苦い思い出を噛み締めて憂鬱な気持ちになりながら、わたしは楡と檜に「やめなさい」と告げてそれをやめさせた。
 「ねぇ鈴木。あんた、誰か他の人には会った?」
 「ナナちゃんと天野くんには会ったよ」取り戻したスマートホンを大事そうにポケットに片付ける鈴木「保健室にいると思う。二人で将棋やってる。あたし、将棋わかんないし見ててもつまんないから、外出てたの」
 ナナちゃん……七峰ナナは鈴木のただ一人の友人で、確かチビでデブで不細工の三拍子そろった救いようのない日陰者だったはずだ。それでどうして美少女の鈴木と並んでいられるのだろかと感じそうになるが、その訳は単純で、七峰にとっても電波娘の鈴木くらいしか友達になれる相手がいないという理屈なのだった。
 それは覚えている。しかし、もう一人の顔がどうにも出てこない。
 「天野……って誰だっけ?」
 「え? 覚えてないの?」鈴木は目をぱちくりとさせる。「ほらあの子だよ。遊戯王カードがすごい強かった子!」
 やらねぇよ遊戯王カードとか。「ごめん、それじゃ分からないなぁ」
 「おまえはしゃあねぇよ。何せ、あいつが学校に来たのってほんの数回で、その数回もおまえが転校した後に偏ってたし。会ったの正味二、三回じゃねぇの?」と誠一郎。「クラスに一人、不登校気味の奴がいたの覚えてるか?」
 「……? うん、ああ。あの来てもほとんど机でじっとしてた奴ね。そいつが天野なんだ」
 「そういうこと。じゃ、保健室行こうや」

 ○

 保健室の扉を開け、七人の同級生がそこに入って来ても、中にいた二人の男女はこちらに目をくれもしなかった。
 黒髪でショートボブの小柄な少女と、異様なまでに華奢でやけに目付きの悪い少年が、将棋盤を囲んでじっと駒を動かし合っている。盤面に夢中で気付かない、というより、わたし達のことを意図して無視しているように感じられて、わたしは大声を出した。
 「ねぇ! ちょっとあんた達、シカトしないでよ」
 それでも少年の方は将棋盤に視線を向け続けていたが、少女の方が振り向いた。
 思わず息を飲む。
 澄み切った黒目がちの瞳と小さく丸っこい頭を持つそいつは、良く見れば整った顔立ちをしていた。鈴木のような一目できらめきを感じるアニメ顔の美少女とはまた異なる、ひたすら丁寧に造形された彫刻のような美しさ。
 「無視をした訳ではありません。そもそも」その声は澄み渡っていた。「対局中に話しかける方が非常識なのです。そうは思いませんか?」
 「今そんなことしてる場合? つかあんた、誰?」
 「誰とは? ……いいえ、そんなことは言うべきではないでしょう。私の人相も変わりましたし、そもそも人の記憶は時間の経過とともに劣化するものです」
 淡々と話し終えたそいつは、わたしの目をじっと見つめながら、そっけなくこう告げた。
 「七峰です」
 「あんたがぁ?」
 わたしはぎょっとした。七峰と言えば、絵に書いたようなチビデブ不細工だったはずだろ?
 「痩せたんだよなぁ。七峰」誠一郎が腕を組んでうんうんと繰り返し頷いた。「おれも驚いたよ。私立の中学行って音沙汰なくなったこいつが、ネットの動画投稿サイトに顔出しててさ。そしたらさ、すげー美人になってたんだもん」
 「ネットの動画投稿サイトって何? こいつもユーチューバーなの?」
 「女流棋士です」七峰はそう言って欠伸をかました。「対局がネットで公開されたことがあるので、そのことを仰っているんでしょう」
 「は? あんた、女流棋士って、何? 棋士って将棋の棋士だよね? プロなの?」
 「将棋の腕でお金をもらっているという意味では広義のプロです」
 すごいな。わたしが浪人している間に、同級生が野球やら将棋やらのプロになっている。同じ歳だというのに、人生の歩みにこれほどまでに差があることを思い知らされ、わたしは胸の奥にもやもやとしたものが広がるのを感じた。
 「じゃあ、そっちの彼は?」わたしは七峰の向かいに座る少年を手でさす。「天野なの? あの、学校に……あんまり……来なかった」
 おそらく天野であろう少年は、わたしの言葉に一切の反応を寄越すことなく、じっと将棋盤の方を見つめ続けている。それを催促と捉えたのか、七峰が将棋盤に向き直り、二人は再び将棋を初めてしまった。
 聞こえていないはずがない。完全に、無視の構えだ。わたしは腹を立て、非礼を詫びさせるつもりで天野の方へ歩み寄り、その肩を掴んで強引にこちらを振り向かせた。
 「ちょっと。何とか言ったらどう?」
 そう言ったわたしは、次の瞬間にはすくみ上って身動き一つ取れなくなっていた。
 こちらを睨む少年の瞳には、血も凍るような激しい敵意が秘められていた。元々目付きが悪いからそう感じるのではない。はっきりと方向性の定まった悪意がわたしの方をじっと見つめているのだ
 「やめろ天野」
 低い声が響いた。
 気が付けば、わたしと少年の間に誠一郎が割って入っていた。少年の肩を掴んだわたしの手を離させ、庇うようにしてわたしの前に立つ。
 「喋らねぇのはいつものことだからしょうがない。ただ、人をそうやって睨み付けるのはやめろ」
 そういうと、少年は誠一郎のことを軽く一瞥した上で、将棋盤に視線を戻した。
 「こいつが天野だ。人相も変わっていないし間違いない」と誠一郎。「たまに学校に来ても、ほとんど何も喋りやしない。中学からは七峰と一緒に私立に行ったから、音沙汰なくなってたな」
 「いじめられたりしなかったの?」
 「ちょっかいかけられたら睨むし、一回、キレて暴れまわったことがある。ありゃちょっと思い出したくない」
 そんな危険な奴だったのか……等と思っていると
 『モラトリアムは終わりました。モラトリアムは終わりました』
 なんて、意味深な校内放送が流れ始めた。
 『体育館に向かいましょう。体育館に向かいましょう。今こそ罪を清算する時です。あなた達はその為に集められました。裁きを待ちましょう。裁きを受けましょう』
 「何を言ってるの?」わたしは誠一郎の顔を見る。
 「分からん」と誠一郎。「だが、ここにいるおれらに言っていることは、分かる」
 『時は来ます。どんな物事も、それが因果に沿ったことなら必ず訪れます。
 あなた達は報いを受けます。あなた達が虐げて殺した者に、あなた達の血と臓物を捧げましょう。繰り返します。モラトリアムは終わりました。モラトリアムは終わりました……』
 「行こう」わたしは言った。「何が起こるか分からないけど、それでも行くしかないと思う」
 かつてのクラスメイト達の表情を伺う。
 思い思いの顔色の彼らはしかし、それぞれはっきりした意思を持って頷いたのだった。

 〇

 体育館の真ん中で、手塚が車椅子に座ってこちらを見ていた。
 生きた人間とは思えない程青白い顔と、同年齢だとは思えない程の痩せて小さな身体をしているそいつは、表情と言えるものを何も発さずにこちらに顔を向けていた。口は半分開いた状態で固まっていて、視線は定まらず、どころか、呼吸しているかどうかも怪しい。
 「手塚……?」
 人相は変わっているが、間違いない。こいつは手塚だ。小六の冬に、この体育館のギャラリーから落下して、それっきりわたしの前からいなくなった手塚元則。
 「植物状態だったはずでしょう? それが、どうしてこんなところに。誰が運んだの?」
 「分かりません。しかし、わたし達がここに集められたことと、手塚くんがここにいることが、無関係だとは思えません」
 七峰はそう言って首を捻る。
 「『あなた達は報いを受けます。あなた達が虐げて殺した者に、あなた達の血と臓物を捧げましょう』……なるほど、そういう意味ですか」
 「意味って、どういうこと?」
 わたしは七峰に尋ねる。七峰はこちらを振り向いて、答えた。
 「明らかではないですか? ここにいるメンバーの共通点を考えてみれば、すぐに分かります」
 「クラスメイトってことか?」と誠一郎。「それにしちゃ、随分と面子が足りないように思えるけどな」
 その通りなのだ。小学校時代のクラスメイト……当時は一学年一クラスしかなくてずっとこいつらと一緒だった……というだけなら、他に十数人程なくてはならない面子がいる。その中で、今ここにいる九人が選ばれたことに何か理由があるのだとすれば。
 「……そうか。分かったよ」
 わたしは言う。
 「なんだ、それは?」
 「手塚の飛び降り自殺に立ち会った面子だよ」
 思い出す。ボール遊びをしていたわたし達の真ん中に、自殺を図った手塚が頭から飛び降りて来たあの事件を。
 今思い出したのだが、天野はその日珍しく学校に来ていたのだ。確か誠一郎と一緒にいたようなおぼろげな記憶がある。誠一郎はいじめられている奴や、上手く自己主張できない奴を構ってやるような優しさがある。そこは友人である碇本や長谷川と違っていた。
 「……遊んでたわたし達の真ん中に、手塚が飛び降りて来たんだよね? それで重体になって、植物状態が続いてたんだよね。……酷くいじめられてたのは知ってるけど……だからって自殺を試みるだなんて」
 「他人事みたいな言い方ですね」七峰が呟くように言う。「あなただって立派ないじめっ子だったでしょう、赤川さん」
 「……否定はしないよ」
 当時のわたしは男勝りで、女子一人で男子と混ざって遊ぶことも多かった。自然と手塚にちょっかいを出す機会も多くなる。悪口や悪戯に付き合ったり、暴力を振るわれる手塚を笑いながら囃し立てたりもした。飛び降りて頭から血を流す手塚の姿と共に、ずっと忘れたくて忘れられなくなっている暗い思い出だ。それは自業自得であるが故に、逃げ場がなく、引き起こされた結果は一笑背負い続けるのにはあまりにも重すぎる。
 「ウチらいじめっ子だったけどさぁ、あんたも人のこと言えなくない?」と楡が七峰に言った。
 「そうそう。ずっと見て見ぬ振りしてたじゃんね。同罪じゃんさこの弱虫糞陰キャ」と檜が引き継ぐ。
 「ナナちゃん何も悪くないよ!」鈴木が声を張り上げて友人を擁護する。「赤川さんたちが怖くて止めに入ったりは出来なかっただけで、ナナちゃんずっと手塚くんのこと心配して気遣ってたし!」
 「それでも先生に言いつけるくらい出来たはずちゃうんか? クラス全体の問題やろ、それ。ワイらだけが悪いみたいな言い方やめてくれへん?」開き直るように、長谷川が言う。
 「……やめておけ長谷川。主犯だった僕らに言えることじゃない」
 そう言って碇本が肩を竦め、溜息を吐く。
 そうなのだ。当時のクラスのボスはこの碇本で、頭の回転の速く、権力者の親を持っていた彼に逆らえるものはいなかった。当時から体格に優れ腕っ節の強い長谷川を側近に、彼は手塚をサンドバックのように暴行し、服を脱がせ晒し物にし、汚物や虫を食べさせ、最期には自殺に追い込んだ。
 「本当に心から反省をしたし、病院の院長である父に頼んで手塚くんの為の病室を無償で用意したりと手を回した。年に何度かは見舞いに行っていた。あの日々を後悔しない日は一日足りともありはしない。植物状態にある彼を手ずから救おうと、医者を志しているくらいなんだよ」
 「立派なことを言ってもいじめっ子には変わりありませんがねぇ」七峰は小ばかにしたように碇本を見やる。「医者になるっていうのもようするにお父さんが用意した進路なんでしょう? あなた一度でも手塚くんのご両親に謝りましたか? 泣き暮らすご両親に本当のことを一言も打ち明けないで、医者の息子の自分は毎日良い暮らしをして良い教育を受けて、何食わぬ顔で手塚くんが眠り続ける病院を継いでやろうってんですよね?」
 「…………やめよう。わたし達は酷いいじめっ子だったけれど、その話をするのは今じゃないと思う」わたしは言った。「今は、どうしてわたし達がこんなところに集められたのか、これからどうするかを考えるべきだよ」
 ここはおそらく日常の世界の外側だ。寝ている最中にいきなりここに運ばれたことも、他に人が誰もいないことも、季節が変わっていることも、何もかも異常尽くしだ。ここはどこで、わたし達はいったい何のために集められたのか……?
 『手塚元則の肉体は人狼に捧げられました。契約に基づき、皆様の中に紛れ込んだ人狼が、あなた達を順番に食い殺します』
 その時、体育館中に、そんなアナウンスが鳴り響いた。
 『それは報いです。あなた達の血と臓物は、あなた達が虐げて来た者に捧げられます。己に肉体を生贄に、手塚元則が人狼にそれを望みました。『第一犠牲者』となった手塚元則の発見と共に、これからゲームが開始されます』
 「何……?」わたしは目を見開いて、震え上がる。「ゲームって、何? 人狼って? わたし達の中に……紛れ込んだ、人狼?」
 『人狼は合わせて二人。あなた達の中に紛れ込んでいます。あなた達の友人の皮を被り、人間に成りすましているのです。そしてそれらは間もなくあなた達を一人ずつ襲撃し、やがて全員を食い殺してしまうことでしょう』
 なんだそれは? 手塚の呪いか? 報いだって? わたし達の中に偽物が紛れ込んでいる? それは手塚が呼び出した『人狼』とかいう化け物で、やがてわたし達を一人ずつ襲って食い殺す……?
 植物状態であっても意思がある者はいるという。手塚がそうだったのだ。身動きの取れない地獄の中で、自らを飛び降り自殺に追い込んだわたし達のことを、手塚は憎み続けていた。その暗い意志は人狼という悪魔を呼び出し、わたし達に復讐を計ったのだ。
 『しかし、皆さまに生き残るチャンスがない訳ではありません。皆さまの中に紛れ込んだ人狼を見つけ出し、あなた方自身の手で処刑するのです』
 「……処刑って?」わたしは頭を抱える。「殺し合うの? わたし達……その、人狼というのを探して」
 『ゲームが開始されます』アナウンスは続けられる。冷徹な声で。『ルールを説明いたします。皆様を個室へ案内致しますので、一時、お休みくださいませ』
 そしてアナウンスが切れる。
 同時に、わたしの目の前が白み、仲間の顔も分からなくなり、自分が膝を着く感触を覚えたかと思ったら、すぐに意識がほどけて言った。

 〇

 一日目:夜時間

 赤川真実 (あかがわ まみ)
 亀永楡 (かめなが にれ)
 亀永檜 (かめなが ひのき)
 鈴木万智子 (すずき まちこ)
 七峰ナナ (ななみね なな)
 獅山誠一郎 (ししやま せいいちろう)
 碇本唯人 (いかりもと ただひと)
 長谷川翔太 (はせがわ しょうた)
 天野令 (あまの れい)
 手塚元則 (てづか もとのり)

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り10人
 配役が決定されました。

 〇

 深い水の中を漂うような感触の中で、わたしは目を覚ます。
 四方八方真っ暗な何もない空間で、わたしは一人中を浮いていた。何も見えず、聞こえず、感じられない。胎児に戻ったかのような心地よさはしかし、長続きはせず混乱と恐怖に姿を変える。
 上も下もない。わたしは完全な闇の中にいた。
 「ルールを説明いたします。あなたの役職は『村人』です」
 絶叫を上げそうになった瞬間、頭の中に直接響くかのような声を感じた。
 「十人の人間が住む村に、二人の『人狼』が紛れ込みました。村人に成りすました『人狼』は、毎晩村人を一人ずつ襲っては、食い殺すのです。
 それに対抗するために、村人たちは誰が人間に成りすました人狼なのかを議論し、疑わしき者を処刑することを決意しました。無実の犠牲者が出ても仕方がありません。村が全滅するよりは……」
 何もない暗闇の中で、ただその声だけが脳内に直接響いている。
 「村人達は、日の登っている昼間に議論と投票、そして処刑を行います。『昼時間』に行われた議論を元に参加者同士で『投票』を行い、最も得票数の多かった者が『処刑』されます。
 夜は人狼たちの時間です。『夜時間』です。寝静まった村人の内の一人に、人の皮を剥ぎ棄てた人狼達が襲い掛かります。そして新たな犠牲者が一人生まれ、また日がのぼり、また次の『昼時間』……。
 これを繰り返し、あなた達村人陣営は、人狼を全滅させることを目指します。それを果たす前に、人狼と村人の数が同数になった場合、正体を現した人狼達によって村人達は皆殺しになってしまいます」
 そうなれば、村人陣営の負けという訳だ。四人が残った状況で人狼が二人生存している場合、或いは二人が残った状態で人狼が一人生存している場合。
 「村人が勝利した場合、あなた達は皆それぞれ生きて日常に戻ることが出来ます。それは、ゲーム中に死亡した参加者も同様に、生きた姿に戻された上で元の世界に帰されます」
 勝てば日常に戻れる。では、負けたら?
 皆まで言う必要はないということか。このゲームは手塚の復讐だ。手塚が命を犠牲にしてそれを成そうというのなら、わたし達が賭けることになるのもやはり命なのだろう。
 「今回のゲームでは、『村人』と『人狼』の他に『占い師』『霊能者』『狩人』『狂人』の、合わせて六つの役職が存在しています。あなたはこのうちの『村人』です。
 『村人』『占い師』『霊能者』『狩人』は村人陣営、『人狼』『狂人』は人狼陣営に所属します。
 『村人』と『狂人』は特殊な能力を持ちません。尚、『狂人』は、ゲーム開始前から素質ある者が志願して決定しています。
 『占い師』は毎晩一人参加者を占って人狼かどうかを知ることができます。
 『霊能者』は毎晩その日処刑された人物が人狼かどうかを知ることができます。
 『狩人』は毎晩一人参加者を護衛して、人狼の襲撃から守ることが出来ます。狩人が襲撃を阻んだ翌朝は、犠牲者を出さずに迎えることが出来ます。ただし、護衛が出来るのは二日目の夜以降です。
 あなた方の村には二人の人狼、一人の狂人、一人の占い師、一人の霊能者、一人の狩人、そして四人の村人が存在しています。
 今は『一日目:夜時間』です。このタイミングで『最初の犠牲者』が襲撃され、翌日の『二日目:昼時間』からゲームは始まります。ルールの説明は以上です。目が覚め次第、議論を開始してください」
 その言葉と共に、わたしの意識は霧散した。

 〇

 二日目:昼時間

 手塚元則は無惨な姿で発見された。

 赤川真実 
 亀永楡 
 亀永檜 
 鈴木万智子 
 七峰ナナ 
 獅山誠一郎 
 碇本唯人 
 長谷川翔太 
 天野令 
 手塚元則× 一日目夜:襲撃死

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り9/10人

 〇

 『手塚元則さんは人狼に襲撃され、無惨な姿で発見されました。今は二日目:昼時間です。議論を開始してください』
 アナウンスが響き渡る。
 体育館の冷たい床の上で、わたし達は目を覚ました。
 悲鳴。
 楡と檜、それに鈴木が手塚の方を見て悲鳴を上げている。何かと思い、わたしはその場を立ち上がって彼女達が見詰める方を向いた。
 車椅子に乗っていたはずの手塚が、血塗れになって体育館の床に転がっていた。
 「きゃぁああっ!」
 手塚の全身のあちこちは獣に齧られたようにえぐり取られ、その隙間から血と臓物が流れ出していた。全身から流れ出る血液と、食い破られた腹から流れ出る内臓と汚物から、凄まじいまでの臭気が周囲に溢れ出ている。人間の内側の臭い。それは強い生命力を感じさせると共に、生きた人間が決して発さないものでもあった。
 「……むごい」誠一郎が腕を組んで言った。「いったい、いったい何のためにこんな」
 「最初の夜の犠牲者が彼なのでしょう」七峰が冷静な口調で言う。「『夜時間』ごとに村人が一人、人狼に襲撃されて死亡するというルールでしたよね? 手塚くんもまた、このゲームの参加者としてカウントされていたということです。……最初に襲われて死ぬだけの役割のようですがね」
 七峰は隣で顔を赤くして涙を流している鈴木の方に歩み寄ると、その体を支えてやりながら言った。
 「……大丈夫ですか?」
 「……うん。うん」気の弱い鈴木は今にも気を失いそうだ。「手塚くん、死んじゃった。手塚くん……手塚くん……」
 「……泣いている場合じゃないかもしれないね」碇本が冷静な口調で言う。「夜時間ごとに村人が一人襲われて死亡する……つまり、明日は我が身ということだ。次の夜時間には、僕達の中の誰かが襲撃されて死亡する……。ゲーム中に死んだとしても、陣営が勝利すれば生きて日常に戻れるとは言っていたが、しかし、これは……」
 「こんなん嫌やわ!」長谷川が喚いた。「ワイは殺されへんぞ……逃げ出したる!」
 「落ち着け長谷川。こんな魔法めいた空間を作れる奴から、逃げ出せる訳なんかないだろう。ゲームに乗るしかないんだよ」
 碇本が静かな声で告げる。確かにそうだ。ここから生きて出ようと思えば、この中にいる人狼を見つけ出して処刑するしか方法がない。
 「……ねぇ楡。その、手塚を襲った『人狼』って、ここにいる誰かに化けているんだよね?」と檜。
 「……そうだね檜。どうしたの?」
 「それが楡ってことはない?」
 そういうと、楡は信じがたいと言った表情で妹の顔色をじっと窺う。檜はそれを受け止めつつ、額から冷や汗を流した。
 「冷静になろう」わたしは言った。「例え楡が人狼に化けているのだとしても、それは楡じゃない。手塚が楡を殺した訳じゃない。もちろん、楡が本物だっていう可能性だってある」
 「でもどうやって確認すれば良いの!?」
 「落ち着いて。わたし達『村人陣営』には、人狼と戦う為の役職者が存在しているよね? まずは、それに出てきてもらおう? 『占い師』とか『霊能者』とかさ?」 
 そうなのだ。これは村人側と人狼側が互いの勝利を目指して戦う、公平なゲームだ。どちらにも勝利の可能性はあるし、当然こちらに有利なギミックも存在している。『占い師』は夜時間の間に一人選んで占って人狼か否かを知ることが出来、『霊能者』は処刑された人物が人狼であるかを知ることが出来る。それらを利用して……。
 「んだな。真実の言うとおりだ。狩人はともかく、占い師と霊能者は自分の判断で出て来て良い」
 誠一郎がそう言って皆を見回した。すると
 「はい」
 と、言って手を挙げた者がいた。
 「実は、ウチが『占い師』なんだ」と楡。「昨日の夜時間、ルール説明を受けた後、一人占った。『天野』は『人狼』だって」
 「楡が『占い師』? それで人狼の一人は天野なのね。分かった。後はじゃあ、『霊能者』にも……」
 そう言ったわたしの言葉は、鼓膜を引き裂くような激しい声によって遮られた。
 「占いも霊能も出るな!」
 ほとんど初めて聞いたと言っても良い、天野の声だった。ダミ声という域を越している、黒板を引っ掻くかの如き不快感を聞く者に齎す、明らかに異常な声質だ。ひょっとして、この為に普段喋らないのか……?
 周囲の視線が天野に集中する。占い師楡が人狼であると告発しているその少年は、皆の視線を全身で受け止めながら、しかしその鉄のような無表情を変えずに淡々とした口調でこう告げた。
 「占い師も霊能も今日は名乗るな。そして……今日は俺を処刑しろ」

 〇

 『二日目:昼の議論時間は残り十五分です』
 無機質なアナウンスの声が告げた。どうやら、ゲーム中の一日には、時間制限があるらしい。無限に議論を続けている訳にはいかないので、当然と言えば当然か。ここまでにおそらく五分ほど経過しているから、それは二十分ということになる。
 議論時間は有効に使わねばならない。
 今重要なのは、占い師の楡に告発された天野の言った言葉だ。そう思い、わたしは無表情で立っている天野の方を見た。
 「どういうこと?」
 怪訝そうな表情で、楡が言った。
 「占い師は出るなっていうけど、楡がもう出てるでしょ? それに霊能者に出るなっていうのはどうして?」
 「……俺が出るなと言ったのは、『本物の』占い師のことだ。今日の処刑が俺であるなら、霊能者共々露出するメリットが小さい」
 「『本物の』? ……どういうこと? 楡が嘘ついてるってんの?」
 「俺視点だとそうなる。亀永楡は人狼陣営に所属する占い師の偽物だ」
 「確かに、そういう可能性もあるね」冷静な声で碇本が言った。「『占い師』と名乗るだけなら誰にでも出来る。嘘の結果を言うことも可能だ。そしてそれをすることにメリットがあるのは、人狼陣営に所属する『人狼』か『狂人』のはずだ。村人陣営が嘘を吐くことはないだろう」
 「ウチは偽物じゃない。ウチを偽物だと主張するなら、『本物』はじゃあ今どこにいるっていうの?」
 楡のその主張に返答したのは七峰だった。
 「あなたと天野くん以外の誰かですよ」
 「それはなんで出てこないの?」
 「天野くんが説明したとおりです。どの道今日は天野くんを処刑するのであれば、潜伏中の『占い師』が誤って処刑されてしまう心配はない。『人狼』に本物の占い師が誰かを教えてやることになるよりは、潜らせたまま天野くんを処刑した方が良い。露呈した『占い師』は、人狼の『襲撃』の恰好のターゲットとなりますから」
 確かにその通りだ。『占い師』はおそらく村人陣営でもっとも重要度の高い役職だろう。無暗にそれを露出させることは、必ずしもわたし達の利益になるとは言い難い。
 「ウチが偽物前程みたいな言い方してない?」楡が不服そうに言う。
 「天野くんの視点での話をしました。しかし、彼の言い分は正しいと思います。他に占い師を名乗る者がいるとしても、それはまだ出させるべきではない。霊能者も同様です。今日はこのまま天野くんを処刑しましょう。……それで良いですね?」
 そう言って七峰は天野に水を向ける。言いたいことは代弁してもらったとばかりに、天野は無表情のまま静かにうなずいた。
 「なんで今日は天野を処刑するって決まっとるんや? 他の占い師とかが出てきたら、また状況が変わって来るんとちゃうんか?」と長谷川。
 「他に『クロ』の結果を持っている占い師がいる場合のみ、それは出るべきだね。でもそうでないなら、例え出たところで天野を処刑すべき状況は変わらない。最初からいきなり『占い師』を処刑するのは思い切りが過ぎるし、占い師以外から処刑するなら、『クロ』判定を出されている天野より優先すべき者はいない」
 碇本が説明した。納得のできる理屈……のように見える。しかし、わたしは一つ疑問を呈した。
 「ちょっと思ったんだけど、これ、流石に楡が本物じゃない? 他に占い師がいたとして、普通はもう出てるような気がするんだよね」
 「……どういうことです?」
 七峰が鋭い視線をこちらに向ける。わたしは自分の考えを話した。
 「楡以外の占い師がいたとして、今話したような理屈を分かっていたとは限らないと思うんだよね。他に本物の占い師がもしいたら、楡が出た直後ぐらいに、『自分も自分も』って、思わず出てきちゃうような気もしない?」
 そんなわたしの疑問に答えたのは鈴木だった。
 「そんな訳ないじゃんっ。本物の占い師がそんな簡単に出る訳ないじゃんっ。迂闊に出てきたらそこの手塚くんみたいに人狼に襲われて死んじゃうんだよ? どうしても出た方が良さそうな時以外は出来るだけ黙ってるって! 簡単に出て来た亀永姉の方がよっぽど怪しい!」
 「亀永姉ってウチのことぉ?」楡は肩を竦める。「ウチは人狼を一人見付けてたんだよ? それを知らせに出て来るのは当たり前じゃん? そんなことも分からないなんて、やっぱ、鈴木ってバカだよねー」
 「あたしバカじゃない!」
 「鈴木はバカやと思うけど、でも占い師が他におって潜っとる可能性は十分にあるんとちゃうんか? 占い師なんて一番狙われそうな役職、なるべく隠すやろ? 村人陣営が勝てば生き返らせてもらえて日常に戻れるとは言え、手塚みたいに殺されるんは確かに嫌やで?」
 手塚の死体にビビっていた長谷川らしい主張だ。そこに、「いいや」と碇本が意見する。
 「確かに占い師は迂闊に出て来られても困るけれど、かと言って楡のカミングアウトのタイミングが早すぎる訳でもない……というより、遅すぎるくらいに僕は感じたね」
 「どういうこと?」と楡。
 「『占い師』がカミングアウトをする最適なタイミングについて考えてみよう。まず最初の夜の占い結果が『シロ』……村人判定だった場合。これは難しいけれど、まあ少し様子を見て、他に『クロ』判定を出す偽物がいなかった場合というのが適切に思える。つまり、今のような状態に陥るかどうかを確認するんだね」
 「そうかもね。で、何が言いたいの?」
 「しかし君の持ってきた占い結果は『人狼判定』。『クロ』だ。さっき君も言っていたけれど、この場合は様子見無しに、議論時間開始と共に出て来て良いんだよ。しかし君は促されてようやく出て来られた。この余計な様子見が気になったということさ」
 そう言われ、楡はわずかにたじろいだ様子でその場で沈黙する。何か反論を探している様子だが、効果的なものは思いつかないようだ。
 「お姉ちゃんだから庇うってんじゃないけどさぁ」と檜。「今碇本が言ったことって、ここまで話し合った結果『それが最善であろう』ってなっただけの内容であって、最初からそういうルールや不文律がある訳ではないんだよね? 楡のアタマってウチと一緒くらいなんだけど、いきなりそんな綿密な立ち回り方、思いつけなかっただけだと思うよ」
 「楡の性格だと、例え『クロ』の結果を持っていても、出て良いもんか迷って回りに促されるまで何も出来なかったってのは、確かにありそうな話だな」と誠一郎。「これについては、七峰とか碇本のアタマの回転が速いってだけで、楡に落ち度がある訳でもないような気がする」
 「落ち度があると言えば、赤川さんと獅山くん(誠一郎)、あなた達の方じゃないですかね?」
 そう言って七峰はわたしと誠一郎に水を向けた。
 「……どういうこと?」
 「議論の序盤、あなた達は『占い師と霊能者は両方出て来い』と皆に言いましたよね? 特にあなたは、亀永楡さんが占い師を宣言した直後に、『霊能者は出て来い』と主張してさえいます。これは村人陣営の利益になる行動とは言えません」
 「……どうして?」
 「出るかどうかは役職者に任せてこちらから促すべきではありませんでした。そんな言動をすればあなた達が占い師や霊能者でないことが人狼にバレてしまいますよね? あなた達が単なる村人であるのなら、役職者に変わって襲撃されることが、村の利益になる行動のはず。その言動は、明確に村の脚を引っ張っています」
 ……嫌なこと言う。しかし、無実のわたしが疑われることはそれこそ村の利益にならないので、わたしは反論した。
 「落ち度は認めるよ? 迂闊だった。けどね、あなたの今の発言そのものが、人狼にわたし達が占い師や霊能者でないことを教える結果になってしまっていない?」
 「最初からバレバレなので問題ないと考え、あなた達を追求することを優先しました。あなた達が本当に村人であるのなら、そこまで考えて喋れたと思います。無暗に役職者を炙り出そうとする、人狼陣営の言動とさえ捉えられかねません」
 「わたしは村人陣営だよ。誠一郎がどうかは、分からないけど」
 そう。分からない。
 信頼できる幼馴染である誠一郎だって、一皮剥けばそこには醜く恐ろしい人狼の素顔があるかもしれない。植物状態の手塚が己が身を捧げることで呼び出したという、悪魔の捕食者の姿が。
 もっとも、よしんば誠一郎が人狼だったとしても、それは本物の誠一郎ではない。本物は今も平和に自宅のベッドで寝ているのであって、ここにいるのは誠一郎の皮を被った化け物だ。……人狼ならば。
 ならば……『狂人』はどうか?
 『狂人』は人間でありながら人狼陣営に所属する、言わば裏切り者だ。ならばこれは、悪魔や化け物等でなく、わたし達と同じ人間……わたし達の元クラスメイトなのではないだろうか? 『狂人は素質のある者が志願してゲーム開始前から決定している』と、ルール説明の時にアナウンスされていた。
 「考えはまとまりそうか?」
 目を閉じて考え込んでいたわたしに、背後から声がかかる。
 わたしははっとして振り向いた。誠一郎だ。
 「今日は天野に投票して処刑すれば良いからな。本人も納得している」
 「う、うん。……それは分かってる」わたしは頷いた。
 『議論時間はあと一分です』
 五分毎にアナウンスされていたその警告が、法則を初めて破った。後一分。
 『残り三十秒、二十秒、十、九、八、七……』
 やがてその秒読みはゼロになる。わたしの意識は遠いのいて、先ほどの闇の中の空間で目を覚ます。
 最初の議論は終わった。わたし達は自ら仲間を犠牲者に選ばなければならない。
 『二日目:投票時間になりました。投票する人物を思い浮かべてください』
 わたしは天野の顔を強く思い浮かべた。

 〇

 二日目:投票結果

 (0)赤川真実→天野令
 (1)亀永楡→天野令
 (0)亀永檜→天野令
 (0)鈴木万智子→天野令
 (0)七峰ナナ→天野令
 (0)獅山誠一郎→天野令
 (0)碇本唯人→天野令
 (0)長谷川翔太→天野令
 (8)天野令→亀永楡

 『天野令』は投票の結果処刑されました。

 〇

 三日目:昼時間

 碇本唯人は無惨な姿で発見された。

 赤川真実 
 亀永楡 
 亀永檜 
 鈴木万智子 
 七峰ナナ 
 獅山誠一郎 
 碇本唯人× 二日目夜:襲撃死
 長谷川翔太 
 天野令× 二日目昼:処刑死
 手塚元則× 一日目夜:襲撃死

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り7/10人

 〇

 『碇本唯人さんは人狼に襲撃され、無惨な姿で発見されました。今は三日目:昼時間です。議論を開始してください』
 響き渡るアナウンスと共に、体育館の冷たい床の上から立ち上がったわたしは、新たに追加されている二つの死体を目の当たりにした。
 ギャラリーから首を吊られて死んでいる天野。そして、手塚の隣で全身を獣に齧られて死亡している碇本。どちらもゲームにおける無惨な犠牲者だ。そしてそれは他人事ではなく、この先いつだって、わたしがこのような姿に生り果てる可能性があるのだった。
 「『霊能者』を宣言するよ」
 声が響いた。檜だ。唇を結び、真剣な面持ちで周囲を見回してから、厳かに口を開く。
 「天野の『霊能結果』は『クロ』。『人狼』だった。楡の言う通りだった。これで楡のことを信用できる」
 そう言われ、妹から視線を向けられた楡は、どこか安心したように息を吐いた。
 「檜が霊能者? そっか。じゃあ敵じゃないんだね」
 「占い結果は? また一人占ったんでしょ?」檜が楡に問う。
 「占ったのは長谷川。うるさい奴のイメージがある割に、昨日はあんまり喋らなかったからね。何か隠してるのかなって感じたけど……結果は『シロ』、村人だったよ」
 「ワイに『シロ』か? 霊能者と結果が一致しとるし、なんか、楡が本物占い師でええって雲行きやな」と長谷川が言った。
 そうだ。自称占い師の楡は天野が人狼だと主張し、自傷霊能者の檜もまた、昨日処刑した天野が『人狼』だったことを伝えている。この二人の開示する情報は共通している……『ライン』があるのだ。
 「そうだな。そして檜は霊能者で、真実は村人だ。つまり、まだ情報のない『グレー』は、おれと、七峰と、鈴木。そして真実だ」誠一郎が言う。
 楡、檜、長谷川はそれぞれ判明している情報がある。占い師、霊能者、そして占い師に潔白を証明された『シロ』だ。人狼は残る『グレー』な参加者達の中に潜んでいる可能性が高い。わたし自身を除いて、誠一郎、七峰、鈴木のいずれかだ。
 「ちっがーう!」
 そこで、わたしの考えを遮るように、鈴木が声を張り上げた。
 「亀永姉は偽物だよ! 本物の『占い師』はあたしだもん!」
 ……そう来たか。わたしは息を飲みこむ。これで楡か鈴木のどちらかが偽物……『人狼陣営』で確定する。人狼陣営は、村を混乱させるために占い師を『騙り』に来たのだ。
 「占い結果を言うよ! 一日目夜に占ったのは『ナナちゃん(七峰)』、結果は『シロ』。占った理由は『お友達だから』。二日目夜に占ったのは赤川さんで、理由は『ナナちゃんが怪しんでたから』だよ! 結果は『シロ』だったけどね」
 「そうなるんですね。随分と大きく状況が動いたものです」七峰が落ち着いた声で言う。「今の状況をまとめましょう。役職宣言者とその結果、そして処刑と襲撃をまとめると……」
 そう言って、七峰は体育館の隅に置かれているホワイトボードに向けて歩き出す。どんな体育館にもまずあるような奴だ。そして良く整った文字で以下のように記述する。

 ・占い師候補
 亀永楡:天野●長谷川○
 鈴木:七峰○赤川○
 ・霊能者候補
 亀永檜:天野●
 ・ここまでの襲撃 手塚、碇本
 ・ここまでの処刑 天野
 ・現時点での生存者:赤川、亀永楡、亀永檜、鈴木、七峰、獅山、長谷川
 ●(人狼判定) ○(村人判定)

 「亀永楡さんがまだ占っていないのは、役職宣言者を除けば『長谷川、七峰、獅山』の三人。鈴木さんが占っていないのは『赤川、獅山』の二人。どちらの占い師にも占われていない『完全なグレー』は、獅山くんただ一人ですね」
 情報をそのように情報を取りまとめる。そして、一瞬の沈黙の後、考えをまとめた様子でこう主張した。
 「あの、今日は亀永檜さんを処刑しませんか?」
 「はあ?」わたしは目を剥いた。「ちょっと……『霊能者』だよ? 何考えてんの?」
 「偽物の可能性があるから今日の内にケアしとこうって話なんですけど」
 「いや……ないって。一人しか出てないのに偽物の可能性とかほとんどないし、そうでなくとも霊能者を処刑するなんて、そんな思い切ったこと今することじゃないでしょ」
 昨日まであんなに冷静な意見を述べていた七峰らしくない。いったい何を考えているんだ?
 「ねぇ檜。今の怪しくない?」と楡。
 「そうだね楡。ウチを処刑して得するのなんて『人狼』だけでしょ」と檜。
 「偽物占い師の鈴木に『シロ』出されてるしさ。良く喋るのも胡散臭い」
 「議論を誘導したい人狼っぽいよね。ヤバいよね」
 息の合った様子で囁き合い、七峰を攻撃する楡と檜。昨日は少しぎくしゃくした二人だったが、ラインの繋がった『占い師』と『霊能者』として、この双子の信頼関係も回復した状態にあるらしい。
 「……皆さんまともに考えていますか?」七峰は顔をしかめた。「万が一檜さんが偽物の場合、今日村人を処刑してしまうと、明日には敗北する可能性がありますよね? それは分かっています?」
 「意味分かんなーい。ウザーい」と楡。
 「だいたいウチ、偽物じゃないしね。もう黙んなよ根暗」と檜。
 「…………待て。いったん話だけちゃんと聞いた方が良い」誠一郎は腕を組んで言った。「その、今日村人を処刑すると、負ける可能性があるっていうのは、いったいどういうことなんだ? 詳しく説明してくれないか?」
 「まず大前提として、処刑に使える回数には限りがあって、その残りは三回です。これは良いですか?」七峰は滑らかに言う。
 「どういうことや?」長谷川がぽかんとした顔をする。
 「…………」七峰は白い目で長谷川を一瞥し、それから淡々とした口調で説明し始めた。「今七人残っていて、処刑と襲撃で二人ずつ人数が減っていきます。七人から五人、五人から三人、三人から一人というようにね。残りが一人になった時点でゲームは終了していますから、つまり議論と投票が行われるのは後三回だけなんです。したがって処刑できる人数も三人。これは良いですか?」
 「……うん。理解したよ」
 わたしは頷く。それは七峰の言う通りだ。言われて見れば当たり前の話だが、そういうことをしっかり考えて把握している七峰は立派と言える。しかしこいつにばかり喋らせて大丈夫なのだろうか? こいつが人狼だとすると、議論のイニシアチブを握らせるのは危険な気がする。
 何かおかしなことを言ったらすぐに反論しよう。わたしはそう決めた。
 「残る処刑の回数は『三回』。そして、もし仮に霊能者の亀永檜さんが偽物で、天野くんが村人だった場合、敵陣営の残りは『三人』なのです。村の状況が今言った通りだとすれば、もう『お手付き』が出来ない状況なのですよ」
 「質問して良い?」わたしは言った。「まず檜が偽物っていうのがないよね? 他に霊能者の候補がいないから。この状況で他に霊能者が潜っているケースなんてありえないよね?」
 「ありえません。しかし、手塚くんと碇本くんが霊能者である可能性は拭えません」
 「手塚が? ……ちょっと、碇本はともかく、手塚が『霊能者』なんてあるの?」
 「あるんじゃないか?」言ったのは誠一郎だった。「だってあいつは、『一日目に襲撃死した、参加者の一人』なんだろう? だったら、あいつだって何らかの『役』が当てられているはず。それが『村人』である可能性もあるし、『占い師』も『霊能者』もあるぞ。何なら『狂人』も」
 言われて見ればそういう理屈になるのか……? しかしゲーム開始時点から役職者が欠けている可能性まであるのなら、推理すべき要素はあまりにも膨大だ。
 「もっと言えば、昨日の昼時間の時点であなたと獅山くんが『霊能者』でないことは、人狼達にほぼ露呈していました」七峰は昨日のことを蒸し返すかのようだ。「よって、昨日の時点で人狼にとっての襲撃対象候補は、『碇本、長谷川、亀永檜、鈴木、七峰』の五人しかいなかったことになります。昨日の夜、人狼陣営はかなりの確率で何らかの役職者を落とせたのです。霊能者が死亡している確率は、当然考慮に値するべきものだと思いますよ?」
 「……檜に偽物の可能性があるのは分かった。でも、だからって今日処刑する必要はないはずでしょう?」わたしは反論を重ねる。
 「今日村人を処刑してしまえば、村人陣営が敗北する可能性があるという話はしたと思います」
 「『処刑回数の残りが三回で、敵陣営が三人残っている』だったっけ? それがまず間違い。わたし達が処刑しなくちゃいけないのは二人の『人狼』であって、狂人は処刑しなくても勝利条件に関わらないから、勝利に必要な処刑回数は二回のはず」
 「いやあ真実。それはちょっと違うと思うぞ」誠一郎が渋い顔をして言った。「もし今日村人を処刑しちまって、それで明日、五人の日を迎えるよな? そこで二人の人狼と一人の狂人の合計三人が生き残ったらどうなると思う?」
 「え? ええと……」
 わたしは思考する。五人中三人が敵。そしてこのゲームは投票で処刑先を選ぶから……。
 「人狼と狂人が結託しあって、村人を処刑しようと投票してくる? そんなバカな?」
 「あり得るんだよそれが」誠一郎は忌々し気な顔をする。「七峰の主張の意図が分かった。檜を処刑すれば少なくとも処刑回数が不足することはない」
 「檜が本物やったら、不足するんとちゃうんか?」
 長谷川が議論に付いて行けてなさそうな混乱した顔で尋ねた。両手で頭に当てて、爆発寸前の脳味噌を抱えている。
 「不足しないんだ。檜が本物なら、既に天野で人狼が一人処刑出来ているから、今日処刑回数を一つ減らしても『処刑残り二回敵の数二人』で処刑回数は足りているんだよ。檜を処刑するのは、だから、あらゆるケースに対応した安全策なんだ」
 わたしは息を飲みこんだ。今それを理解した誠一郎も大したものだが、しかし議論開始即座にここまで整理してのけた七峰、こいつの頭の回転の速さはなんだ? あのナメクジのようにどんくさくって、取り得は勉強だけだった七峰。綺麗に痩せて人相が変わったと同時に、全身に染み付いていた愚鈍さを悉くそぎ落としたかのようだ。
 こいつが村人ならこんなに頼りになる話はない。しかしもし人狼だったら? 不安でたまらない。バランサーが欲しい。頭が良く口が達者なクラスのボスだった碇本は、襲撃されていなくなってしまった。
 「そうだよ! ナナちゃんの言う通り、今日は檜さんを処刑して!」鈴木がそう言って友人に便乗した。「どうせその『霊能者』偽物だよ! だって、偽物占い師の楡さんと同じ結果出してるもん!」
 鈴木にはそう見えるのだろう。楡も檜も、それぞれの役職から得られる情報として、天野を人狼だと主張している。鈴木にしてみれば、楡と檜が協力して結果を合わせ、それによって鈴木の信用を落としているようにしか見えないはずだ。
 「その二人昔っからずーっとそうだった! いっつも二人でグルんなってあたしのこといじめるんだもの! 今回だってどうせそうでしょ!」
 「……一応、あなた視点でも霊能者の檜さんが本物という可能性は残るんですけどね」
 七峰は補足するようにそう言った。
 「……檜を処刑する? 納得いかないんだけど」楡がそう言って眉を顰めた。「ウチや檜を疑うのはまあ良いよ。けどさ、だからって霊能者候補を処刑するのは性急でしょう? 他から人狼っぽい人を探して処刑すれば良いじゃん」
 「……その場合、処刑されるのはおれになるんだ」
 誠一郎は肩を竦めて言った。……どういうことだ?
 「いや、なんでおまえが処刑されるって話になるん?」長谷川が困惑したように言った。
 「占い師候補と霊能者候補、それに、占い師が『シロ』と主張している連中を除いた『完全なグレー』はおれだけだ。檜を処刑しないなら今日の処刑はおれしかないんだよ。おれは村人だから処刑しても無駄だ」
 「……結構、理解力があるんですね」七峰は感心した様子もなくそんな口先を弄した。「そうです。獅山くんを疑うのでないなら、今日は役職者を一人落とすべき日なんですよ。どうします? 獅山くんを処刑しますか? 亀永檜さんを処刑しますか? それとも占い師のどちらかを落としますか? あなたはどれが最善だと思いますか、赤川さん?」
 七峰はそう言ってわたしを注視した。さっきまでこいつに論戦を仕掛けていたわたしに決断を強いている。この状況、わたしが折れればこいつの意見が通る。それをこいつは理解しているのだ。
 ……どうする? 確かに檜を処刑するのが一番安全だ。他のどの処刑先を選んでも敗北に直結するリスクが存在する。それは分かった。分からされた。しかし、だからと言って、こいつの言い分に乗ってしまうのは……。
 「……ウチを処刑して良いよ」
 逡巡するわたしの思考を遮るように、檜がそう言った。
 「ちょっと檜!」楡がそう言って妹の肩を掴む。「何言ってんの? あんた本物なんでしょう? どうしてそんなことを言うの?」
 「聞いて楡。このゲームにおいてウチの……っていうか『霊能者』の価値ってそんな高くないの。人狼が二人しかいない以上、『霊能者』は一回しか『クロ』の結果を出せない。それを出しちゃったウチはもう仕事終了なんだよ。『狩人』の可能性がある獅山の方がよっぽど残す価値がある」
 檜は覚悟を決めた様子だった。自分が置かれている立場を理解し、勝利の為に自らを生贄に捧げようと腹をくくっている。
 「その代わり。『狩人』は絶対に楡を護衛して。良いでしょ? ウチを処刑するのって、鈴木が本物である可能性に配慮した処刑だよね? だったら『護衛』の方はウチと楡の方に配慮してくれないと不公平じゃん」
 「そういう問題じゃないのですが……あの、狩人の護衛には口出ししない方が良いと思いますよ?」と七峰。「だいたい、あなた視点で万智子さんが本物占い師である可能性は残っていると思います」
 「どう考えても楡が本物でしょ? これってさ、楡が信頼されて生き残ったら勝てるゲームだよね? ウチが処刑されてあげる代わりに、狩人は絶対に楡を護衛して! お願いしたからね!」

 〇

 三日目:投票結果

 (0)赤川真実→亀永檜
 (0)亀永楡→亀永檜
 (6)亀永檜→鈴木万智子
 (1)鈴木万智子→亀永檜
 (0)七峰ナナ→亀永檜
 (0)獅山誠一郎→亀永檜
 (0)長谷川翔太→亀永檜

 『亀永檜』は投票の結果処刑されました。

 〇

 四日目:昼時間

 鈴木万智子は無惨な姿で発見された。

 赤川真実 
 亀永楡 
 亀永檜× 三日目昼:処刑死
 鈴木万智子× 三日目夜:襲撃死
 七峰ナナ 
 獅山誠一郎 
 碇本唯人× 二日目夜:襲撃死
 長谷川翔太 
 天野令× 二日目昼:処刑死
 手塚元則× 一日目夜:襲撃死

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り5/10人

 ○

 『鈴木万智子さんは人狼に襲撃され、無惨な姿で発見されました。今は四日目:昼時間です。議論を開始してください』
 その声を聴きながら、わたしは体育館の冷たい床から立ち上がる。ぼやける目を凝らすと、そこには首を吊られて死んだ檜と、獣に齧られて死んでいる鈴木の姿があった。
 「……占い結果。『七峰』は『クロ』。『人狼』だよ」
 妹の死体を悲痛そうに眺めながら、楡は憎々し気な声でそう言った。
 「言動見ればこいつが人狼だってことは普通に丸分かりじゃんね。七峰は明らかに敵である鈴木に味方してたし、本物役職者のウチらに突っかかって来てた。最後の人狼はこいつ、処刑して終わりにしよ?」
 楡の視点では既に天野で『人狼』が一人処刑できているから、七峰が最後の一匹ということになる。楡が本物なら彼女を処刑すればゲームが終わり……生きて帰れるのだ。
 「……あなたが本物なら、どうして万智子さん(鈴木)は襲われたんですかね?」
 七峰は鈴木の無惨な亡骸を見下ろしながら言った。
 「万智子さんは『本物』だから襲撃された。これ以上の占い結果を出されないように。そしてそれを実行する為に、亀永檜さんは昨日『狩人』の護衛先をブラす発言をしていた。そういうことではないのでしょうか?」
 「違うし!」楡は怒声を上げる。「『人狼』の七峰が『狂人』の鈴木を襲撃したんだ! 『狂人』は人間だから、当然人狼に襲われる可能性もある! 七峰は仲間の鈴木を殺した! 自分が生き残る為に!」
 「『本物占い師』が襲撃されたと見るのが自然なはずです。どうして自分が生き残る為に仲間を襲う必要があるのです?」
 「あんたは鈴木に『シロ』判定を出されていた。襲われた鈴木が本物に見られれば、それだけあんた自身が『人狼』に見られづらくなる。そういう作戦なんだ!」
 「……回りくどい作戦ですね。もっとも、あなたはそうとでも主張するしかないでしょう」七峰は肩を竦める。「亀永楡さんはおそらく『狂人』なのでしょう。そして『人狼』に見捨てられた」
 「……これどういうことなん?」長谷川がちんぷんかんぷんと言った様子で、その大きな口を尖らせて首を捻っている。「鈴木が襲われたってことは、鈴木が本物ってことでええんか?」
 「……その場合、おまえ視点での人狼はおれってことになるぞ?」と誠一郎。「鈴木のグレーはおれとおまえの二人しかいないから、鈴木を信用する限りおれ達は互いを人狼とみなす関係にある。楡を信用するなら人狼はもちろん七峰だ。手塚や碇本が占い師ってケースは、鈴木が襲撃された以上ほぼないな」
 「はあ? 互いを人狼とみなす関係って、どういうことやねん?」
 「……ごめん、わたしも、なんとなく分かるけど、まとめてくれないとちょっとややこしいかも」
 情報が錯綜しすぎて頭がパンクしそうだ。一回きちんと整理しておきたい。
 「なら一度状況をまとめて整理してみよう。良いか、今はこういう状況だ」
 誠一郎はホワイトボードを持ってきて、昨日七峰が書いた内容に自分の文字を書き足していく。

 ・占い師候補
 亀永楡:天野●長谷川○七峰●
 鈴木:七峰○赤川○
 ・霊能者候補
 亀永檜:天野●
 ・ここまでの襲撃 手塚、碇本、鈴木
 ・ここまでの処刑 天野、亀永檜
 ・現時点での生存者:赤川、亀永楡、七峰、獅山、長谷川
 ●(人狼判定) ○(村人判定)

 「ここまでは把握できているな?」
 「う、うん」
 わたしは頷く。ちらりと長谷川の方を見ると、こちらは未だ分かっているのかどうか微妙な表情で白目を剥いていた。
 この脳筋を付いて行かせるのは難しいと判断し、わたしは誠一郎に続きを促す。
 「続けて?」
 「おう。状況的に楡か鈴木のどちらかはほぼ……というか『確実に』だわな……本物占い師な訳なんだが、それぞれ視点でどういう配役内訳になっているのかを考えてみよう」
 そう言って、誠一郎はホワイトボードを裏返し、乱雑だが読みにくくはない独特の筆跡で書き散らしていく。

 鈴木が本物のケース
 占い師:鈴木
 霊能者:手塚または碇本
 人狼:檜+長谷川または獅山
 狂人:楡

 「これが鈴木が本物の場合の内訳として、これがもっとも考えられる可能性だ」と誠一郎。
 「なんでワイか誠一郎のどっちかが人狼ってことになるんや?」と長谷川。
 「今残っているのは『真実、楡、七峰、おれ、長谷川』の五人だ。楡はおそらく狂人だろう。残る四人の内、七峰と真実は鈴木に『シロ』の結果を出されているから、人狼の候補はおれと長谷川しか残らないんだ」
 「ほぇえ……」理解しているのかいないのか、長谷川は呆けた顔で感嘆したような声を発した。考えるのが得意でないこいつのことだから、多分あんまり分かっていない。
 厳密にいうと、今誠一郎が挙げた以外にもいくつかのパターンは存在する。しかしいずれの場合でも長谷川か誠一郎のどちらかが人狼なのは、ほぼ確定と言って良い。
 「……次は、楡が本物の場合の話をしよう」

 楡が本物のケース
 占い師:楡
 霊能者:檜
 人狼:天野+七峰
 狂人:鈴木

 「楡が本物の場合、百パーセントこれで確定している。天野と七峰が人狼なのは楡自身が占って出した結果だし、襲撃された鈴木は狂人でしかありえないからな」
 人狼は人間しか襲えない。楡にとって鈴木が敵である以上、彼女の正体は狂人となる。
 「……よく分かったよ」
 わたしは言った。状況がかなり整理できた。鈴木が本物なら長谷川か誠一郎のどちらかが『人狼』で、楡が本物なら七峰が『人狼』だ。
 「どっちが本物占い師だとしても、わたしが『人狼』っていう可能性は存在しないんだね」
 「そうですね。赤川さんは村人陣営で確定しています」
 七峰は目を擦りながらそう言った。欠伸をしていたのか、目じりに涙が張り付いている。誠一郎の丁寧な説明も、あらかじめすべて理解済みだろうこいつには退屈だったのかもしれない。
 「では絶対に村人で確定している赤川さん。今日の処刑はあなたに従いましょう。誰を処刑すれば良いかは、分かりますね?」
 「……うん」わたしは頷いた。「ごめん楡。今日はあんたに処刑されてもらうしかないみたい」
 「……やっぱそうなっちゃう?」楡は不承不承と言った表情を浮かべた。「言っとくけど、ウチは本物だからね。襲撃されたからって鈴木が本物って訳じゃない。七峰は自分を白く見せる為にあえて狂人を襲撃したんだ」
 「うん。その可能性はもちろん考えてるよ。けどね、あんたが本物なら明日七峰さえ処刑すれば村陣営が勝てるはずでしょう? 処刑のチャンスはもう一回ある訳だから、今日はあんたは処刑されても問題ないはずなんだ」
 誰が本物占い師の場合でも、楡を処刑すれば『処刑数』が足りなくなることはない。そして、楡が万一偽物の場合、三人残りの明日、敵の数が味方を上回る危険が存在している。ここは楡しか処刑する位置がない。
 「……うん。そのくらいは分かってる。檜と一緒に、皆を信じて待ってるよ」
 楡は覚悟を決めた表情で頷いた。
 「でもね、最後の人狼は七峰だから。こいつは序盤からずっと多弁を弄してゲームを支配してた。自分の都合の良いように議論を誘導していたんだ。檜を処刑する羽目になったのも、こうしてウチが処刑される羽目になるのも、全部こいつが仕組んだこと。みんなで生きて帰る為にも、明日は必ず七峰を処刑して。お願いしたからね」
 念を押すように楡がそう言って、その日の議論は終わりを告げた。

 〇

 四日目:投票結果

 (0)赤川真実→亀永楡
 (4)亀永楡→七峰ナナ
 (1)七峰ナナ→亀永楡
 (0)獅山誠一郎→亀永楡
 (0)長谷川翔太→亀永楡

 『亀永楡』は投票の結果処刑されました。

 〇

 五日目:昼時間

 狩人が護衛に成功しました。今日の犠牲者はいません。

 赤川真実 
 亀永楡× 四日目昼:処刑死
 亀永檜× 三日目昼:処刑死
 鈴木万智子× 三日目夜:襲撃死
 七峰ナナ 
 獅山誠一郎 
 碇本唯人× 二日目夜:襲撃死
 長谷川翔太 
 天野令× 二日目昼:処刑死
 手塚元則× 一日目夜:襲撃死

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り4/10人

 ○

 『平和な朝を迎えました。本日の犠牲者はいません。今は五日目:昼時間です。議論を開始してください』
 アナウンスと共に起床したわたしの鼓膜を、耳を塞ぎたくなる程元気の良い大音量が激しく揺さぶった。
 「宣言する……ワイが『狩人』や!」
 長谷川だ。黄色い歯をむき出しにしてやたら満面の笑みを浮かべ、浅黒い大きな右手の親指を立てて突き出している。
 「護衛対象は真実や! どや、守ったったで? 大手柄やろ?」
 「……え、ああ。うん」こいつ狩人だったのか。……っていうか。「いや、これ本当に大手柄なんじゃない?」
 「そうですね。これで最後の人狼が確定しました」七峰がそう言って誠一郎の方を一瞥する。「他に狩人がカミングアウトしないなら、長谷川くんが『本物狩人』で確定。わたし視点で人狼があり得たのは獅山くんと長谷川くんの二人だけだったので、獅山くんが人狼だとはっきりしました」
 そう言って、七峰はホワイトボードに印刷物もかくやというような正確な文字で、自分視点での内訳を書き記した。

 占い師:鈴木
 霊能者:手塚または碇本
 狩人:長谷川
 人狼:亀永檜&獅山
 狂人:亀永楡

 「このゲームはまず『狂人』の亀永楡さんによる、天野くんへの『クロ』判定から始まりました。無実の村人を人狼として告発することで、限りある処刑回数を消費させようという作戦だったのでしょう。
 しかしそんな亀永楡さんも、翌日には『霊能者』により偽物と判明するはずだったのですが、ここでハプニングが起こりました。『本物霊能者』が死亡していたのです。
 人狼サイドは亀永檜さんに『霊能者』を騙らせ、狂人の亀永檜さんと同じ結果を出すことで、互いの信用を高めようと画策します。ですが、『本物占い師』である万智子さんの出現や私の説得もあり、無暗に偽物を信用してしまうことはありませんでした。三日目の最後、私達は亀永楡さんを処刑することに成功しました。
 しかし亀永檜さんの『護衛先誘導』によってか、『狩人』は本物の占い師である万智子さんから護衛を外してしまいました。本物占い師の万智子さんが襲撃されてしまいます。その後亀永檜さんを処刑しましたが、人狼の特定する要素が不足したまま四日目を終了してしまいます。
 ですが五日目の今日、『狩人』の長谷川くんが『護衛成功』を出すことに成功します。人狼の候補だった長谷川君が『狩人』と判明したことで、最後の人狼を獅山くんと特定することに成功。獅山くんを処刑すれば我々の勝利です」
 「騙されるな!」
 七峰の長口上の後、今度は自分のターンだとばかりに誠一郎が声を張り上げた。
 「最後の『人狼』は七峰だ! これが本当の内訳だ!」

 占い師:亀永楡
 霊能者:亀永檜
 狩人:長谷川
 人狼:天野&七峰
 狂人:鈴木

 「楡は本物の『占い師』だ。『人狼』の天野を占うことに成功し、早速処刑。村人陣営は幸先の良いスタートを切った。
 翌日には本物の『霊能者』も出現し、試合を有利に進めるかと思ったが、同時に『偽物占い師』の鈴木が出現。『人狼』の七峰の議論誘導もあり、『本物霊能者』のはずの檜を処刑することになってしまう。
 だが『霊能者』とのラインがある以上、占い師候補の信用勝負では依然として『本物』である楡が有利。そこで、『人狼』の七峰はある奇策を仕掛ける。
 その奇策とは、『狂人』の鈴木をあえて『襲撃』するというものだ。『襲撃された方が本物』というミスリードを村人達に仕掛けることで、鈴木に『シロ』を出されている七峰自身を安全圏に置こうと画策した。
 しかし楡は『人狼』である七峰を正確に占うことで、最後の人狼である七峰を村に告発。七峰の作戦を看破した上で、潔く処刑されていった。
 そして昨日の夜、七峰は『村人』で確定している赤川を襲いに行ったが、これは見え見え。あえなく『狩人』の長谷川に阻まれた。これにより、おれ視点での『人狼』もついに確定。七峰、今日はおまえを処刑する!」
 二人の『人狼』候補はそれぞれの視点での真実を主張した。どちらも筋が通っていて、どちらにも本当である可能性がある。
 『村人』であることが誰の目にも確定しているわたしは、この二人のどちらが『人狼』であるかを判断する必要がある。決断できなかったわたしは、同じ立場に置かれている長谷川に視線をやった。
 「ねぇ長谷川。この二人の話を比べて見てどう思う?」
 「……分からん」長谷川は遠い目をして小首を傾げた。「ほんでも、『襲撃』された鈴木が『本物』っちゅうことちゃうんかなぁ……? それなら『人狼』は誠一郎っちゅうことになるんか?」
 「その可能性もあるよ。けど同じくらいに、わたし達をその思考に誘導する為に、七峰が鈴木を襲ったっていう可能性もあると思うんだよね」
 「わたしが『人狼』なら、そんな奇策を仕掛けるまでもなく、発言で自分が本物であることを立証できます」
 七峰はそう言ってわたしの主張に反論する。
 「自分で言うのも難ですが、この中でゲームにおける戦略を最も理解していたのはわたしです。おそらく獅山くんはわたしと戦うことを避けたかったのでしょう。万智子さんさえ襲撃してしまえば、亀永楡さんが信用されずとも、終盤に残る人狼候補として自身と共に長谷川くんが挙げられることになる公算は高かった。あまり考えることが得意でない長谷川くんなら、『人狼』に仕立てることが容易だと獅山くんは判断したのでしょう。『狩人』である彼に『護衛成功』を出されたことで、その目論見は頓挫しましたけどね」
 「七峰は自身の発言力に自信があったのかもしれない。しかし、そんな七峰にも弱点となる存在があった。それは『狂人』の鈴木だ」
 誠一郎もまた、七峰を人狼と主張する為の訴えを開始する。
 「いくら七峰自身が高い発言力で議論を誘導できたところで、あの電波娘の鈴木がボロを出せば意味がない。生きていれば楡はいつか七峰に辿り着くんだから、占い師候補同士の信用勝負に負けた瞬間に人狼陣営は敗北する。それを避ける為、七峰は楡か鈴木のどちらかを襲撃する必要があった。だがしかし、檜が楡を護衛するように『狩人』に言っておいてくれたお陰で、七峰は楡を襲撃できず、狂人の鈴木を切り捨てることになった。しかしそれは、鈴木に『シロ』を出されていた自身の信用を高める効果もある、一挙両得の妙手だったんだ」
 「なぁ、これどっちの言いよることが本当なん?」
 困惑した表情で、長谷川が助けを求めるようにわたしを見る。
 「ええ……分かんないよう。っていうかさ、長谷川、あんたいったい今日まで誰のことを護衛して来たの?」
 「ファっ? それ聞く?」
 「うん。参考までに」
 「二日目の夜は当然楡や。三日目の夜も、檜の護衛誘導に従った訳やないけど、楡を守った。やっぱり『霊能者』とラインが繋がっとる分本物に見えたんやな。んで四日目はおまえ。……参考になった?」
 「……分かんない」わたしはため息を吐く。考えてみれば、『狩人』のこいつの動向は人狼が誰かを判断する直接証拠足り得ない。「もうちょっと二人の主張を聞こうか」
 「なら今度はこっちから仕掛けるぞ」と誠一郎。「まず七峰、おまえはどうして生きているんだ?」
 「どういう意味か聞こうではないですか」七峰は受けて立つ構えを見せる。
 「おまえが自分で言っていたように、おまえはこのゲームの戦略を誰よりも理解している。そんなおまえを『人狼』がこれまで生かした理由はなんだ?」 
 「それはあなたがどうして私を襲撃しなかったのかというお話ですかね? 二日目夜に襲われた碇本くんは十分に発言力のある人物でしたし、三日目夜に襲われた万智子さんは『占い師』です。四日目夜に私を襲えば亀永楡さんが偽物であることを白状してしまいます。私が襲われるタイミングが存在していません」
 「よしんば檜が人狼だとして、霊能者を騙って楡の信用を上げようとしておいて、鈴木を襲撃するのは戦術としてちぐはぐだろう。楡の信用を高める為に騙りに出たのなら、そのまま楡を信用勝ちさせる戦法を取るべきのはずだ」
 「狩人の護衛を奪い取れれば十分だと判断したのではないでしょうか? 或いは単に行き当たりばったりで行動していたか。人狼同士で作戦についての意見が割れていたという可能性もありますね」
 「おまえは二日目に霊能者に潜っているように指示をしたうえで、三日目に本物霊能者である檜に処刑誘導をかけたよな? 今思えばこれは間違った進行だ。おまえは死亡している『霊能者』候補が二人いることを根拠に檜を疑ったが、そうして三日目に出た霊能者を疑うくらいなら、霊能者は二日目に出すべきだったんだ。逆に言うと、潜らせる以上は三日目に出た霊能者は割り切って信用しないと筋が通らない」
 「無茶苦茶ですね。例え二日目に出した霊能者を信用出来たとしても、襲撃されては意味がありません。疑う羽目になることを承知で潜らせるのが正解でしょう。そもそも亀永檜さんを処刑した結果、こうして『最終日二択』の状況に辿り着けている訳ですから、ここまでの進行を間違いとするのには無理があります」
 「檜を処刑していなければおまえなんてとっくに処刑されてるはずなんだよ!」
 「このゲームはタイムアタックではありません。どれだけ時間がかかっても、最終的に人狼を処刑すれば良い。ギリギリまでどの占い師が本物でも問題のない処刑先を選択し、四人または三人が生存する最終日に王手をかける。……取るべき戦略は詰将棋のように明らかでしたよ」
 女流棋士である七峰にしてみれば、この程度の情報を処理して合理的な進行を立案することは、確かに簡単だっただろう。……その頭脳を持って村人陣営を敗北に誘導することも。
 「今度は私の方から攻めさせていただきます。まず二日目、亀永楡さんは、カミングアウトのタイミングが遅かったことを碇本くんに追求されていました。そんな亀永楡さんを、あなたと亀永檜さんは二人して庇いましたよね? そしての日の晩に襲撃されたのは碇本くんです。この三人が仲間同士であることはハッキリ見えているかと」
 「あれは碇本の疑い方が早計だったんだ。楡はこんなゲームに参加するのは初めてで、迅速な行動を取れないことも無理はない。碇本が襲撃されたことについては、それを言う為におまえが碇本を襲ったということで説明がつく」
 「三日目、亀永檜さんは狩人の護衛先を亀永楡さんに誘導しようとしました。これは本物占い師である万智子さんを襲撃する為に、人狼の檜さんが置き土産に残した発言だったのではないでしょうか? 事実万智子さんはこの直後に襲撃されています」
 「霊能者の檜と占い師の楡の間で、天野の判定は『クロ』で一致していた。檜には楡が本物に見えていたはずだ。本物に見える占い師に護衛誘導をかけるのは軽率な行動とは言えない」
 「獅山くんは他人の発言に同調したり、状況を整理することはしても、自分から何かしらの進行を提示したり推理を披露することはありませんでした。これは自分が人狼であることを悟られないよう、怪しまれない程度に発言して息を殺すという意図があったのではないでしょうか?」
 「それを言うなら、自分達の都合の良いように議論を誘導してきた、多弁なおまえの方が余程怪しい」
 「分からない」
 わたしはアタマを抱えた。
 「どっちの言ってることも分かる。両方とも人狼に見えるし、村人に見える。どちらを処刑すれば良いのか、分からない」
 「……少しアプローチを変えてみよう」誠一郎が腕を組んだ。「まず七峰、おまえ、どうしてこのゲームに参加しているんだ?」
 「……どういう意味です?」七峰は首を傾げた。
 「このゲームは植物状態だった手塚が、人狼という化け物に願ったことで行われている、復讐のゲームだ。そして復讐の対象は、手塚をいじめ、飛び降り自殺に追い込んだ加害者たちということになる」
 「……ゲームとは関係ない、言って見れば『メタ』な理由からのアプローチですね。私は加害者ではない。だから、人狼であると?」
 「そうだ。七峰、おまえは当時の教室で、どちらかというといじめられる立場にあった。他に、おれ視点での人狼陣営である、鈴木や天野だってそうだ。その三人は手塚をいじめたことがない」
 誠一郎は鋭い視線で七峰を射抜く。
 「おまえや天野は人狼であって、おれの知っているクラスエイトとは別人だ。いじめの加害者ではない本物の七峰と天野は今頃自室で平和に眠っている。そして鈴木は手塚の復讐に加担する裏切り者の『狂人』だ。そうなんだろう?」
 「……一つ昔話をしましょう」
 七峰はそう言って、小さく肩を竦めて首を振り、どこか偽悪的な口調で話し始めた。
 「万智子さん……鈴木万智子さんは可愛らしいですよね? 輝くような容姿を持っていて、天真爛漫で、人懐っこくて、頼りないところもありますが、そこがまた男の子には魅力的に映るのでしょう。また彼女は善良な気性の持ち主でもあり、碇本くんや長谷川くんにいじめられる手塚くんを気遣い、優しく慰めようとすることがありました」
 「……それはおれも良く見て来た。それがどうしたんだ?」
 「そんな万智子さんのことを、手塚くんが好きになるというのは、当然、考えられることですよね?」
 七峰は淡々とした口調で話す。わたしは眉を顰め、七峰の次の言葉を待った。
 「ある日の放課後です。手紙で呼び出された万智子さんは、私を付き添いにこの体育館の裏に向かいました。そこには手塚くんがいて、万智子さんに自分の気持ちを打ち明けました。……好きである、と」
 手塚だって男だ。他人を好きになることもあるだろう。いくら容姿が優れていても、スクールカースト最底辺の鈴木なんぞに手を出す男子は当時はいなかったが、同等の下層にいる手塚がそこを気にしたとは思えない。お似合いのカップルだ。
 「それでどうなったの?」わたしは尋ねる。「付き合ったの?」
 「いいえ」七峰は頬に酷薄な笑みを浮かべる。「手塚くんに告白された万智子さんは、その場で膝を着いて泣き出しました。『気持ち悪い』『怖い』……と、そう言ってね」
 その場面を思い浮かべ、わたしは思わず誠一郎を顔を見合わせる。
 「あなた達は知るはずもありませんが、万智子さんは実の父から性的な悪戯を受けた経験を抱えています。当時はもう母親と離婚して別居していましたが心的外傷は大きなもので、男の子からの好意とそこに伴うセクシャルな感情に対し、必要以上に過敏になっていたのです。そんな万智子さんの事情を察することができるような手塚くんではなく……泣き出した万智子さんに、手塚くんは怒りを露にしました」
 「……どうなったの?」
 「万智子さんに酷い言葉を投げかける手塚くんに、私は怒りを覚えました。当時の私は今では考えられない程気が弱かったのですが、しかし自分より弱い相手にはいくらでも残酷になれたものです。万智子さんに代わって、私は思いつく限り容赦のない言葉で言い返しました。彼の恋愛感情を気持ち悪いと断罪し、おまえのような奴が人を好きになるのは世の迷惑だ、とっととくたばってしまえと罵りました」
 「……それっていつのこと?」
 「小学六年生の十二月四日」七峰は息を吐きだす。「彼が飛び降り自殺を図った前日です」
 なんてことだ。
 「これが私と万智子さんが彼に復讐される理由です。天野くんは……分かりませんが、しかしあなた達が知っていることがその人の全てとは思わないことですね。誰にだって、他人に明かしていない裏の出来事がある。それによって壊れるほどに傷付いている人がいるかもしれない。逆に亀永姉妹が手塚くんを気遣っていた可能性もあるという訳です。自分に見えないというだけでそういうことを疑えないというのなら、それはその人の想像力が足りません」
 七峰は偽悪的に頬を捻じ曲げている。
 「だからと言って……私は彼の復讐を甘んじて受けようとは思いません。そもそも、例えどんな罪を抱えた人間だとしても、こんな風に無惨に殺しあわされて死ななければならない道理なんて、どこにもないじゃないですか? 私は生きて日常に帰ります。獅山君を処刑してください」
 「……真実」
 そう言って、誠一郎はわたしの目をじっと見つめる。
 「おれは村人だ。本物の獅山誠一郎なんだ。……この目を見てくれ。これが嘘を吐いている人間の目に見えるか」
 「…………誠一郎」
 「七峰の正体は人狼だ。人狼だから平気でどんな嘘も吐く。こいつはおれ達を殺そうとしているどころか、鈴木や本物の七峰のことまで貶めているんだ。騙されてはいけない。おれ達は必ず生きて帰る。その為に七峰を処刑して欲しい。頼んだぞ」
 『議論時間はあと一分です』
 わたしは何も言えず、沈黙している。
 『後三十秒』
 誠一郎か、七峰か。どちらかを処刑しなければならない。どちらが人狼なのかをわたしは自分の手で選ばなければならない。その成否は、自らの生死を左右するのだ。
 「なあ? どうするんや、真実」
 長谷川が無責任な様子でこちらに尋ねて来る。
 「どっちを処刑するんや。おまえが決めてくれや。なあ」
 言われなくとも、最後の決断をこの腑抜けに任せる理由はない。わたしが決断せねばならない。
 どちらが人狼なのだろう?
 『………十秒。九、八、七、六』
 さっき誠一郎が言ったような、メタな理由ではダメだ。七峰のいうとおり、わたしが見ていないところで、手塚の周りで何が起きていたかなんて分からないのだから。
 考えるべきはゲーム中での出来事。これまで誰がどんな風に犠牲になったか、誰がどんなことを言って来たのか、そこを考えて結論を下さねばならない。
 誠一郎と七峰。
 人狼はどちらなりや?
 「真実!」
 ……決めた。
 わたしは口を開いて、今日の処刑先の名前を告げた。

 ○

 五日目:投票結果

 (0)赤川真実→七峰ナナ
 (3)七峰ナナ→獅山誠一郎
 (1)獅山誠一郎→七峰ナナ
 (0)長谷川翔太→七峰ナナ

 『七峰ナナ』は投票の結果処刑されました。

 ○

 六日目:昼時間

 長谷川翔太は無惨な姿で発見された。

 赤川真実 
 亀永楡× 四日目昼:処刑死
 亀永檜× 三日目昼:処刑死
 鈴木万智子× 三日目夜:襲撃死
 七峰ナナ× 五日目昼:処刑死
 獅山誠一郎 
 碇本唯人× 二日目夜:襲撃死
 長谷川翔太× 五日目夜:襲撃死
 天野令× 二日目昼:処刑死
 手塚元則× 一日目夜:襲撃死

 村人4/占い師1/霊能者1/狩人1/人狼2/狂人1
 残り2/10人

 ○

 「は?」
 体育館の冷たい床の上で、わたしは呆然とした気持ちで目を覚ました。
 六日目が来た。七峰を処刑して終わらなかった。残っているのはこのわたしと、誠一郎だけ。
 隣では、既に誠一郎が立ち上がってわたしを見下ろしていた。
 わたしは誠一郎を見上げながら、震える声で呼びかける。
 「……誠一郎? 誠一郎なの?」
 「いいや」誠一郎は首を横に振る。「おれは人狼だ」
 わたしは打ちひしがれた。間違えた。自分たちの味方の村人を……人間である七峰を処刑してしまったのだ。ショックは全身を打ちのめすように大きくて、しかしそれはそう長い時間をかけずに過ぎ去るものでもあった。
 そもそもわたしは、自分にいつかこのような裁きが下ることを、ずっと前から知っていたではないか。
 フェアな勝負だった。人狼にも村人にも勝利の可能性があり、そして実力が足りなかったこちら方が敗北した。村人陣営のわたしは最後、誤った。だから負ける。死ぬ。それだけのことだ。
 「……あんたが人狼で良かったよ」
 わたしは言う。自分でも信じられない程冷静だった。
 誠一郎らしき者は小首を傾げる。「何故?」
 「あんたは人狼だ。つまり、本物の誠一郎はここにはいなくて、ベッドの上で平和に寝ているっていうことだ。誠一郎は生きているべき人間なんだよ。わたし達とは違う」
 そうだ。わたしは思う。わたし達の中の誰かが生き残れるのだとしたら、それは誠一郎であるべきだ。
 誠一郎はいじめられる手塚に対しても優しかった。主犯格である碇本や長谷川とも仲が良かったが、裏では手塚のことを気遣い、時には庇い立てることもあった。その魂は高潔で、純粋で、罪のないものだ。
 「いつかこんな日が来るって、思ってた」わたしは言う。「他人を一人、飛び降り自殺をさせるまでに追い込んでおいて、何の裁きも無しに済むなんてことがあるはずもないんだ。必ず報いを受ける日が来るって知っていた。知っていて……怖かったんだ」
 その苦しみも終わる。あの日この場所で、手塚が飛び降りた時から続いていた長い長い苦しみが、ようやく終わりを告げるのだ。ここはわたしの苦しみの始まりの場所であり、終わりの場所だ。
 「でも一つ残念。本物の誠一郎を、一目見たかったよ」
 いくら植物状態にさせられて、身動きの取れない日々の中で憎しみを募らせていたのだとしても、他人を呪い死を願いさえした手塚は地獄に落ちるだろう。わたし達はその道連れになる。その覚悟はもう決まっていた。
 誠一郎の姿が変化していく。鼻をくすぐるような血と獣の臭いが漂い始めたかと思ったら、全身の筋肉が膨張し、目の前の誠一郎が巨大化していく。強まる獣の臭気と共に全身のあちこちから銀色の毛が生えそろい、突き出した大きな鼻の下には身も凍るような鋭い牙を備えた巨大な口が顕現する。
 正体を現した人狼の瞳は、血のように鮮烈で、生命力に満ちた紅色だった。
 「……綺麗だね」
 わたしは呟く。
 人狼は何も答えない。ただ大きく口を開けてわたしに迫る。
 わたしはこのままこの人狼に食べられて死ぬ。
 結局わたしは大人になれなかった。心はずっとこの体育館に繋ぎ止められたままだった。転校してからのわたしは小学生の頃に比べて冴えない奴で、当時程親しい友人も出来ず受験にも失敗し、あの日々のことを何度も思い返しては、苦悩や後悔と同時に懐かしさにも浸っていた。
 かつての日々が走馬灯のようにわたしの視界に流れ込む。
 楡と檜はどうしているのだろう? 彼女らの片方は人狼で片方は狂人であるはずだ。わたし達を惑わせる為、手塚があえてそういうキャスティングにしたのか? いいや、思えばあの双子は男子と混ざって遊ぶことはしなかったから、鈴木や七峰あたりはともかく手塚にはちょっかいを出さなかった気がする。 だから生き残るという訳か? それはなんだか、ズルい気もする。
 まあでもそれも良い。相応の対価を払った以上、誰を道連れにしたいのかは手塚が好きに選べば良いんだ。理不尽に違いはないにしろ、無条件に地獄へ連れていかれるのならともかく、生き残るチャンスとしてフェアな勝負をさせてもらえたのなら、七峰あたりは納得するんじゃないだろうか? 仮に彼女が文句を言うとすれば、それは手塚じゃなくて、最後の選択を外したわたしであるような気がする。
 その時は謝ろうか?
 いいや、わたしだって全力で考えて選んだのだから、それはナシにしておこう。
 そう決めてしまうと、少なくともゲームの中に悔いは残して来ていないような気がして、わたしは安堵した。それだけで気分良く逝ける訳ではないけれど、一抹の救いくらいにはなるはずだ。
 人狼の牙がわたしに迫る。
 異形の口の中に顔中を取り込まれ、視界が暗闇に飲み込まれる。
 そして、人狼の口が閉じられるくぐもった音が耳朶に響いた。

 ○

 ゲームは終了しました。

 赤川真実:村人
 亀永楡:狂人
 亀永檜:人狼
 鈴木万智子:占い師
 七峰ナナ:村人
 獅山誠一郎:人狼
 碇本唯人:霊能者
 長谷川翔太:狩人
 天野令:村人
 手塚元則:村人

 人狼達は残った村人を食い殺すと、次なる獲物を求めて旅立って行った。

 人狼陣営の勝利です。
粘膜王女三世

2019年12月29日 16時46分53秒 公開
■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:汝は人狼なりや?
◆作者コメント:ようはるる鯖の10Aです。

 一回企画に人狼ゲーム物を投稿してみたかったので執筆しました。

 しかし100枚で書くとなると構成難しいですね。枚数を圧迫しない為にも、なるべく速やかにゲーム開始までもっていきたかったのですが、9人分ちゃんとキャラを紹介すること考えたらどうしてもそこまでに一万文字くらいかかってしまいました。ゲームを進行させながらキャラ説明もこなせれば良い話ですけど、そんな筆力俺にある訳ないんだよなあ……。

 人狼を知らない人にも理解してもらえるように頑張りました。駆け引きの内容等伝わりましたでしょうか? 最低でも雰囲気くらい楽しんでもらえてたら嬉しいです。
 そこを意識するにあたって、登場人物が全員未経験者であることもあり、本人たちがその場でひねり出せそうな『シロ』『クロ』『ライン』くらいの言葉はともかく、『漂白』『ベグる』『CO』みたいな人狼用語を使わせるのは避けてます。それが経験者の読者にとって、説明を冗長に感じさせることになってたらすいません。

 タイトルは『ミラーズホロウの人狼』から拝借しました。響きがムッチャ格好良いですね。ちなみに町の名前らしいです。

 それでは感想よろしくお願いします。

2020年01月14日 07時07分49秒
作者レス
Re: 2020年01月14日 07時08分22秒
Re:Re: 2020年01月14日 07時08分51秒
Re:Re:Re: 2020年01月14日 07時09分23秒
2020年01月12日 21時04分17秒
+30点
Re: 2020年01月17日 01時41分09秒
2020年01月12日 09時21分02秒
+30点
Re: 2020年01月16日 04時29分33秒
2020年01月12日 02時16分21秒
+30点
Re: 2020年01月17日 01時33分17秒
2020年01月10日 23時08分02秒
Re: 2020年01月17日 01時33分00秒
2020年01月09日 21時35分36秒
+20点
Re: 2020年01月17日 01時22分37秒
2020年01月07日 23時22分06秒
+30点
Re: 2020年01月16日 03時58分16秒
2020年01月06日 21時30分02秒
Re: 2020年01月16日 03時27分48秒
2020年01月04日 14時55分43秒
+20点
Re: 2020年01月16日 03時23分02秒
2020年01月04日 08時10分50秒
+10点
Re: 2020年01月16日 03時15分17秒
2020年01月02日 10時06分50秒
+20点
Re: 2020年01月16日 03時02分22秒
2020年01月02日 09時38分43秒
+20点
Re: 2020年01月16日 02時56分23秒
合計 10人 180点

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