パンティハンタージョージ |
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※ちょっとエッチです。 俺の名前はジョージ。 狙った獲物は逃さない、孤高のパンティハンターである。 今日の獲物は三組所属のAランク美少女、三村茜のパンティだ。 長身でしなやかな肉体を誇る三村は陸上部のエースである。鍛えられてしなやかなその太ももやふくらはぎ、二の腕は抜群の肉体美を誇る。少々大雑把だがおおらかで気さくな性格をしており、その笑顔は大変に魅力的だ。 三村はスカートの下に常に体操着を身に付けている為、普段、彼女の下着の色を拝むことはままならない。その隠されたパンティの正体を暴き出し、わが手に収めてやるのだ。 三村の住居はマンションの九階にある。一流のパンティハンターにとって、並の一軒屋なら最早相手にならないと言っても良い。しかしマンションの高層にターゲットがあるとあっては、いくらこの俺でも簡単にはいかない。 マンションは階層ごとの天井が高めであり、ベランダの柵をよじ登って九階に到達することは困難を伴う。防犯用ネットでもあれば、よじ登るのに利用し、後から破壊して進入すれば良いのだが、しかしこのマンションにはそのようなものはない。 並の下着泥棒ならここでミッションインポッシブル。尻尾を巻いて逃げ帰り、センズリでもコイて就寝するところだろうが……しかしそこで諦めるジョージではない。 十階立てのマンションとあっては、エレベーターが備え付けられているのは当然だ。各階層の中央にはエレベーター・ホールが存在しており、廊下とは反対側の壁に窓が備えられている。 その窓から大きく身を乗り出すと……見えた! 隣のベランダの柵だ! 柵までの距離は目測三メートル程度。俺はリュックサックから商売道具のロープを取り出した。先端にフックとしてU字金具が取り付けられたそれを、正確無比なコントロールで隣のベランダの柵へと投げつけ、引っ掛ける。 ロープをベルトに固定した俺は、最後に顔に付けた覆面の位置を調整してから、窓を飛び立った。 ロープをよじ登ってベランダの柵に到達する。命綱としてフックは付けたままにしておき、柵を伝って隣のベランダへと移動して行く。ターゲットがある二つ隣の三号室に、すぐに到達した。 三村宅のベランダへとたどり着いた俺は、その光景にまず目を奪われる。ピンチに吊るされた色とりどりの下着の数々、鮮やかで煽情的な美しさに全身が高揚した。生乾きの下着特有の臭気があたりに充満するのを感じる。俺は高鳴る胸の鼓動を抑える為、深呼吸をした。 さあ物色だ。女性用の下着はいくつか種類があるが、ここで誤って三村の母親の下着を持ち帰るようなヘマがあってはならない。 俺にはあらゆる女性のスリーサイズを一目で計測・記憶するジョージ・アイがある。これで得たデータに従い、ターゲットと同じサイズの下着を見極める。 俺は三村の物と確信できる下着を全て確保すると、リュックサックにしまってベランダを出る。そして素早くエレベーター・ホールへと移動しようとして……俺は気配を感じた。 ……エレベーター・ホールに人がいる! 僅かに話し声が耳朶を打つ。接近してみるとそれはより明瞭に聞こえ、会話の内容まで理解できるようになる。「あれ、窓開いてんじゃん」という言葉が聞こえ、俺の全身に緊張が走った。 どの道監視カメラで撮影されている俺の姿だが、しかし今この瞬間見付かって警察を呼ばれるのはまずい。 どこかのベランダへ侵入し身を隠すか? しかしベランダにいる時間が増える程住人に発見されるリスクは大きくなる。ならばこのまま柵に張り付いて奴らが窓からこちらを除かないことに縋るか? どうする? どうするのが最善だ? ……決断せよ、ジョージ! 判断に要した時間は僅かに二秒。俺はリュックサックからロープの予備を取り出すと、自分の身体を吊り上げるロープに括り付ける。そしてベルトに巻いたロープを解くと、さっき追加したロープをしっかりと握りしめ、柵から脚を離した。 追加した分のロープの長さを足し合わせると、地面まで必ず足りるはずだ。俺は壁に脚を付き、ロープをしっかりと握りしめながら壁面を下っていく。そして二階付近まで到達すると、軽やかに壁から脚を離し、ふわりと地面に着地した。 商売道具を失うのは痛いがロープを回収する時間はない。俺は覆面を付けたままマンションに背を向けると、素早い走りで夜の闇の中へと紛れ、逃走した。 ミッション・コンプリート。 〇 夏の日差しを受けてきらきらと光り輝く清涼な河川に面した、街一番の高級住宅街。一部の成功者しか住むことを許されない立派な家々の傍に、まるで日除けか何かのようにそびえ立つ築三十年の四階建てオンボロアパートがある。 その薄っぺらい壁や天井の合間には中流下流の家庭群がすし詰めになっており、一度窓を覗けば住み心地の良さそうな高級住宅の数々が嫌でも目に入る。そして世にはびこった貧富の格差を思い知らされるのだ。 そんなアパートの一室に、この俺、不破錠治ことパンティハンタージョージが住んでいる。 パソコンやスマホを子供に与えられない経済状況の家庭に産まれ、性的なコンテンツを見聞きする機会に限られる中、しかし思春期は情け容赦なく訪れる。中学二年生となり精通を迎えた俺が、自らの性的欲求を仮初にでも満たそうとするならば、最早下着泥棒でもするより他はなかった。 昨日入手した三村茜のパンティをアタマに被りながら、朝のオナニーを堪能し終えた俺は、今度はモーニングコーヒーを楽しんでいた。両親はいない。父親は単身赴任、共働きの母親は深夜の警備の仕事をしており、家に戻るのは午前九時を回る。 窓を眺める。窓の外に広がる高級住宅街の中でも、アパートに最も近い場所に、嫌味のように豪奢な一つの家がある。周囲の家々の平均より二倍以上は大きなその家は、周囲を高い石垣が取り囲んでおり、正門にはなんと警備員が詰めている。 近所で一番の金持ち、有村家の屋敷だった。 モーニングコーヒーを飲み終えた俺は、身支度をしてから家を出て、通学路を歩き始めた。 有村屋敷の傍を通る時、使用人たちに見送られて正門を出て来る有村綾乃の姿を認める。家の前には取り巻きである同級生達が既に待機しており、登校を共にしてポイントを稼ぐべく金魚の糞の如く有村家の令嬢に群がって行った。 有村家の令嬢、有村綾乃はトリプルAランクの超美少女である。 驚く程小さな丸っこい顔に、不釣り合いに大きく潤んだ瞳を湛え、ぱっちりと開いたそれは邪気の無い輝きを宿している。薄い唇は瑞々しい桜色で、いつも上品さと明朗さを兼ね備えた笑みを浮かべていた。髪形は肩口までのショートボブ。 何よりも素晴らしいのがそのボディであり、人よりやや小柄、かつ華奢な体躯ながらそのバストはたいへん豊満であった。きゅっとしまった腹部と突っ張った乳と尻がアンバランスであり、それらの一つ一つが男性中学生の湿った情欲を激しくノックするのだ。 同級生たちと談笑する有村の背後を、その形の良い尻や白い太ももを拝みながら付け歩く。いつ見ても素晴らしい顔とボディだ。たまらない。 家の近い有村とは小学生時代からの知人同士であり、小学校の低学年くらいまでは一緒に遊ぶことも良くあった。 今では考えられないことだ。幼い頃は男女差や身分差など子供同士で意識しない。彼女は当初からとても愛らしい子供であったが、そんなこと少しも気にせず、共に街を駆け回って遊んでいた。昔から大人しく寡黙な性質で上手く友達を作れない俺にとって、その明朗さで俺を弟のように連れ回してくれる有村は好ましい存在だった。 しかし、それも今では…… 「うわキッショぉ。さっきからどこ見てんの。バレてるよこのスケベしょーねん」 この調子である。 有村は唐突に後ろを振り向いて俺に嘲笑をくれた。そしてずんずん無遠慮な歩調でこちらに歩いて来ると、俺の胸倉を丁寧に握りしめて自分の方へと手繰り寄せた。 「お尻とか太ももとか見てたんじゃない? 性犯罪者みたいな目をしてたから丸わかりだよー」 ニコニコ笑いながら言う有村に追従するように、取り巻き達が俺に一斉に寄ってたかる。「うっわ不破だキッショぉ」「ストーカーみたいだよねぇ」などと心無い言葉を投げかける。 「あんたの視界に入るだなんて、ものすごい精神的外傷を受けたんですけど。ほら、慰謝料、慰謝料ちょうだい」 「い、慰謝料って……」俺は冷や汗をだらだら流しながら明後日の方向を向く。「そんな、今、お金持ってないし……」 「あっそう」有村は胸倉から手を離してじっと俺の目を見詰めながら明るく言う。「じゃあほらさ、ジャンプしてみ、ジャンプ」 「え? ちょ……」 「言うこと聞けよストーカぁあ。ほら、じゃーんぷ」 「へ、へい」訳も分からず俺はその場を飛び跳ねる。鳴る小銭の音。 「はいはーいお財布の音したぁ。嘘吐いてたなばーかぁ金出せ。かーねぇ」 両手をぱちぱち鳴らす有村。嘲笑う取り巻き達。 クラスでも孤立している俺を、こいつはことあるごとに詰って嘲り、執拗にからかって弄ぶのだ。つまりいじめだ。クラスの女ボスである有村の攻撃は陰湿でしつこい。 朝から災難だ。それもカツアゲに合うとは。本気でやってるのかは分からないが、ここは薄ら笑いを浮かべ続けてどうにか乗り切るしかない。憂鬱だ。 俺が溜息を吐いた時だった。 「あれ、芽衣子ちゃんじゃん」 そう言って、有村は俺を放り出し、駆けて行った。 俺が有村の駆け寄った先に目を向けると、クラスメイトの高科芽衣子の姿があった。 背は高い方なのに肩幅がやたら狭くひょろりと痩せていて、如何にも頼りなさそうな印象を与える少女だった。面長で顎の形が綺麗で顔のパーツも悪くない。頬の吹き出物も愛嬌だと言って良いのだが、しかしファッション性皆無の瓶底眼鏡はいただけない。髪の毛もあちこち跳ねていて、服もよれよれ。見てくれを整えるという意思を何一つ感じさせない容貌をしているので、美少女ランクはせいぜいB+と言ったところだろう。下着泥棒のターゲットからは外れる。 「あ、え、その」高科は緊張した様子で有村を見詰める。「お、おはよう」 「おはよう芽衣子ちゃん。相変わらずその眼鏡ダサいね」 「え、そ、そうかな……」 「超ダサい。サイテー。ちょっと貸して」 「え……きゃぁ」 有村は高科のアタマからひょいと眼鏡を取り上げてしまう。そして不躾に見分したり、自分で身に付けて顔をしかめて見せたりする。 「なにこれアタマガンガンするんですけど。芽衣子ちゃん視力いくつー?」 「ほ、ほとんど見えないの……。返して」 「ただでは返せないよ。返して欲しいんだったら代わりになんかちょうだい。例えば……」そう言って有村は高科の鞄を強引に引っ手繰る。「これとか」 そう言って引っ手繰った鞄の代わりに有村に眼鏡を押し付ける。そして有村は無遠慮に鞄の口を全て開け、取り巻き達と束になって中身を勝手に検め始めた。 「ちょっと、やめてよぉ。もう」高科はほとんど泣きそうな口調で言う。 「やだよ楽しいもん。自分で取り返したら?」言いながら有村は口を開いたままの鞄を振り回し、中身を路上に遠慮なくぶちまけ始めた。「ほぉら、ほぉら」 飛び散った教科書や文房具を目に涙を浮かべながら拾い集める高科。面白がる有村。 ご覧のとおり二人の関係はいじめの加害者と被害者である。有村が俺をからかうよりも優先する数少ないことが高科をいじめることであり、根っからのサディストである有村の攻撃はこの通りなかなかえげつない。 鞄の中身を路上に振りまいて高科に拾い集めさせるという遊びを十分ほど楽しんだ有村は、最後に鞄を放り出すと、「遅刻しちゃダメだよー」と楽しそうに笑いながら取り巻きと共にその場を後にした。 すんすん泣きながら鞄に物を集めている高科に、俺は声をかけた。「大丈夫か?」 高科は真っ赤にした顔をこちらに向ける。「う、うん。……大丈夫」 どう見ても大丈夫じゃないその顔は妙に憐れみを誘う。何一つ怒りもせず不快そうな表情すら見せず、浮かべるとしたら緊張か涙か精々媚びた笑みというのが高科だった。 からかうと楽しい、楽しませてしまうというのは傍目にも良く分かるのだが、それを自分でどうにかできるならこんな状況に陥らないだろう。俺に言えたことではないが。助けてやることはもちろんできないが、せめてもの行動として、俺は教科書を拾い集めるのを手伝ってやることにした。 音符のキーホルダーが付いた鍵束、ハンカチ、教科書や筆記道具などを拾い集め、もうあらかた済んだかなと思ったその時だった。 「お財布が無い」 と、いうことを高科が言いだした。 「本当にどこにもないのか?」 「うん。お財布意外は全部あるのに……」 間違いなく有村の奴がくすねたのだろう。金持ちの娘である有村は小遣いに困ることもないはずなのだが、嫌がらせ目的ということであれば財布を盗み出すくらいのことはするかもしれない。 顔を青くして固まっている高科に、とにかく何か言って慰めないといけないと俺は感じた。しかし気の利いた言葉は思いつかず、根拠のない無責任なことを言うしかなかった。 「もう少し探そう。きっと見付かるって」 「でも、もう行かないと不破くん遅刻しちゃう……」 「気にするなよ。途中まで一緒に探したんだから、付き合うよ」 「ありがとう。でも、本当に大丈夫。それに」高科はどこか後ろ向きな覚悟を感じさせる表情で、悲しそうに言った。「多分、どんなに探したって見付からないし……」 そうなのだ。どんなに探したってここには見付からない。俺はそれを分かっていて、その場しのぎの気休めで『もう少し探そう』と言っていたに過ぎないのだ。 とぼとぼと暗い足取りで歩きだす高科のやせっぱちな背中を見て、俺はたまらない気持ちになった。 どうにかしなければ。 〇 俺は孤高のパンティハンター。狙った獲物は逃さない。どんなものでも盗み出す狩人だ。 そしてその技術は、時にパンティ以外の物に対しても発揮される。 体育の授業は男女別に行われる。夏の盛り、男子がプールで、女子が運動場で球技だ。 体操服を着ている間、女子は財布等の貴重品は持ち歩くことができなくなり、鍵付きのロッカーのような気の利いた設備もこの中学校には存在しない。よって授業前に体育教師が貴重品を集めることになっているのだが、まさか盗品の財布を預ける奴はいないだろう。 水着を忘れたと虚偽報告を行い、体育を休んだ俺は、教師の目を盗んでプールを抜け出して、鍵のかかった教室へと向かった。 一流のパンティハンターである俺は住居侵入に必要な様々な技術を有している。教室の窓を外す程度のことは最早朝飯前と言って良い。 無人の教室に忍び込むなり、有村の机に向かう。そしてロッカーの脇にかけられた鞄の中を漁ると、高科から聞いた通りの特徴を持つ白い財布を発見した。案の定だ。 最後に有村が残して行った制服の匂いを嗅ぐことも忘れない。清潔にしている衣類の絹の匂いに、ほのかに少女の甘い体臭が混じり合うこの感覚は至福の限りである。 このままブレザーに顔を埋めながらオナニータイムとしゃれこみたいところではあったが……それはやめておく。 形跡を残さぬよう制服を元に戻して、財布を持って教室を出る。 ひっそりとプールに戻るが、俺の不在に気付いていた者はいない様子だ。一人だけ「不破どこ行ってたの?」と尋ねる者がいたが、「トイレだよ」の一言で誤魔化すことができた。そいつはほんの数秒でそのやり取りを忘れたように、興味のない顔で他の男子との雑談に戻った。 影が薄い落伍者である俺を気にする者など誰もいない。 体育の授業中も授業後も、俺に話しかける者は一人もいない。中学に上がってから友達と言える存在が教室にいた試しはない。むろん、孤高のパンティハンターである俺がそんなことを気にしたことは一度もなく、むしろ人から注目されないという利点を享受することが出来ていた。 休み時間となり、体育を終えてくたびれた表情を見せる高科にそっと声をかけ、廊下に呼び出す。 「どうしたの不破くん」 「これ」そう言って高科に財布を渡す。「落ちてたよ。見付かったんだ」 ちらりと教室の窓に目をやり、中にいる有村の方を見る。俺達のやり取りを気にした様子もなく、友人達と談笑にふけっている。こうして輪の中心で笑っている姿だけは、明朗で健全な美少女のものでしかないというのに。 「え……本当に?」高科は目を丸くする。「ありがとう……大事なものだったんだ」 「いくら入ってたの?」 「お金は……最低限なんだけど。でも、このお財布が大事なの」 「そうなの?」 「うん。お父さんが誕生日にくれたんだ。だから……」 大事なものだった訳だ。それは取り戻せて涙ぐんでいる高科の様子を見ても分かる。大切そうに財布を両手で握りしめ、安堵と幸福感に溢れた表情を浮かべつつも、どういう風に俺に感謝を伝えて良いのか戸惑うようにもじもじとつま先を擦り合わせている。 可愛いじゃないか。女子と話す機会自体が限られる俺からすると、こんな野暮ったい子相手でも、至近距離でこういう仕草をされるとそう感じさせられる。B+ランクというのは考えなおしても良いかもしれないとすら錯覚した。 「それじゃあ。俺はこれで」 「え、あ……うん。……ありがとう」 高科と離れ、教室に戻る。 有村が焦った表情を浮かべ、取り巻き達に当たり散らすような言葉を吐きながら、自分の机の中や鞄の中を漁っていた。どうやら財布の紛失に気付いたらしいが……問題ない。 盗品をさらに盗まれたなどということを教師に言い出せるはずもないのだ。 〇 休み時間の度に、有村達は財布を探してせわしなかった。 「ねぇまさかとは思うけど、あんた達の誰かが盗んだんじゃないよね?」 などと当たり散らしては、取り巻き達を怯えあがらせている。そんな様子をちらちらと見つめているのが、俺にとっては酷く愉快だった。 俺がプールを抜け出したことを指摘する者もいなかった。影の薄い存在である俺が、常に何人かいるプールをサボる者の中から十数分抜け出していたところで、注目する者はほとんどいない。 「最後に見たのいつ?」と取り巻きの一人が訊く。 「運動場出る前。うちらより長く教室に残ってた奴の誰かが盗んだのかも。ってことは、盗んだ奴がいたとしたら、女子だよね」 腹を抱えて笑いたくなるが、我慢だ。 高科の財布を盗み出す作戦は面白いように上手く行っていた。自分で言うのもなんだが俺には泥棒の才能がある。まず身体が小さく足が速いし、運動神経はかなり良い方で身体も柔らかい。クライミングが得意で高いところも狭いところも自在に移動できるし、手先も器用で簡単なピッキングならできる。大胆な犯行を緻密に成功させる経験や精神力もある、 そして何よりも天性なのは、普通に行動していてもどういう訳か人目に付きにくい隠密性……地味力だ。 教室内でもその能力はいかんなく発揮される。友達はいないが、それでいて浮き上がって孤立している訳でもなく男子同士なら最低限度必要なやり取りもする。遠足の班決めでもなんとなく地味なグループに組み込まれ余り者になることもない。最低限度の繋がりだけを残した適切なポジションだ。そんな俺を構う人間がいるとすれば、何故かちょっかいをかけて来る有村くらいだ。 そしてその有村は高科の財布を探してどういう訳か大騒ぎしていて俺に構う様子はなさそうだ。平和である。 しかしながら……盗品の財布を失くしたくらいで、あの金持ちの有村がどうしてここまで動揺するというのか? 全ての授業が終わり、帰路に着こうとしていると、有村の声がした。 「ちょっと芽衣子ちゃん。顔貸してくんない?」 取り巻きはいない。一人で高科に声をかけている。俺は訝しんだ。高科も怯えた表情を浮かべてはいるが、有村に逆らうことは出来ず、連れて行かれる。 俺にはあらゆる女子の背後を気付かれずに追跡する、ジョージ・ウォークという技がある。ターゲットの女子を付け回しその住所を特定するのが普段の使い方だが、今日は有村が高科をどこに連行するのかを見届ける為に用いられた。 死刑台に向かわされる罪人のような表情の高科が連れて行かれたのは、教室の傍にあるトイレである。女子というのはどういう訳かトイレを良くたまり場にする。そしてそこは、いじめが行われる絶好のスポットであるように思われた。 ……中に取り巻きが待ち構えていて、財布を紛失した腹いせを兼ねた壮絶ないじめが行われるに違いない。 そう思った俺は、意を決して有村に声をかけた。 「ちょ、ちょっと待てあや……有村! なな、中で高科をどうする気だ?」 我ながら裏返った情けない声が出たが、仕方ない。 その声で俺の存在に気付いた有村は、俺の啖呵を何一つ気に留めていないことが理解できる感情の無い瞳でこちらを見上げ、こちらに向けてずいと踏み込んで言った。 「すっこんでなよジョージ。何も知らない癖に偽善者ぶんな」 そう言って俺の肩をひょいと突く。大した力じゃなかったが、度胸のある人間特有のしっかりと据わった瞳に臆されて、俺はふらふらと身を退くしかない。 「ナナナカデタカシナヲドウスルキダァ? だってぇ。きしょいよー。帰んなよー。これ以上邪魔すんだったら、マジで」有村は壮絶な笑みを浮かべて俺の顎を撫でた。「殺すよ?」 綺麗に伸びた爪が俺の喉仏をちくちくやるので、俺は「ひゃい……」と情けない声を出してその場を下がるしかない。 こいつはやると言ったらマジでやるし、そのことを俺は人生の様々な局面で骨身に染みている。逆らう気は完全に失せた。公に逆らったのは蛮勇で、財布を盗むのが成功して気が大きくなっていたが故の出来心だったのだ。それを思い知った。 「あ、あの。不破くんは……」俺を庇うように声を出す高科。 「分かってるってあんなのに構う気ないし。とにかくさ、ちょっと着てくんない。何もしないから」 何もしないというのがどのくらい信用できるというのか。そう思いつつも、女子トイレに連れて行かれる高科を見ていて……俺は恥ずかしいことに何もすることはできなかった。 有村が、怖かったのだ。 〇 有村にビビらされて、俺は情けないやら悔しいやら、という気持ちで帰路についていた。 「ちくしょうちくしょう……。あの女、許せねぇ」 臆病な俺が尻尾を巻いて逃げている今この瞬間も、高科は有村によって酷いいじめを受けているのだろう。日頃の行いと言い、有村の暴挙は断じて許せるものではない。誰かが天罰を与えるべきだと言う気持ちが、ふつふつと心の奥底から湧いて出た。 高科の敵を討つのだ。天罰を与えるのだ。 自宅であるアパートの一室から、有村の住む屋敷の庭は良く見える。ここから有村家を取り囲む石垣までは横幅にして五メートルを切っている。そして四階にあるこの部屋の高さは、石垣よりも数メートルは低い。俺の走り幅跳びの記録は五メートルを余裕で超えているので、この作戦は十分に成り立つはずだ。 俺はあらかじめ自作しておいた着地用マットを折りたたみ、窓から有村家の敷地内に向けて体を一杯使って投擲する。マットは折りたたまれた状態で石垣の向こう側に放り込まれ、庭に着地した瞬間に開いて面積を広げた。……設計通り! 有村家の敷地は広い。だから、家の裏側にマットを落として音を立てても、警備員はもちろん誰も気に留めないはずだ。そしてそれは、俺がそこに飛び降りても同じことだ。 俺は部屋の中で助走を付けて窓を飛び立ち、石垣を乗り越えて有村家の敷地内に侵入する。そして放り込んでおいた着地用マットの上に鮮やかに着地した。 ……上手く行った! 心臓がバクバクと鳴っている。正門には警備員が詰めており、石垣もよじ登れる作りになっていないことから、こうでもしないと侵入はままならなかった。 監視カメラは正門にしか付いていないので、アパートの窓から飛び立つところを撮影されそこから犯人がバレる心配もない。だがあまりにも成功率が不安定でかつ、ケガのリスクのある作戦の為今日まで実行せずにいたが……無傷で侵入成功! 我ながら悪運が強い。 だがしかしミッションは始まったばかりだ。一流のパンティハンターは如何なる時も慢心をしない。俺は作戦通り屋敷の裏側へ回り、二階にある大きなベランダを確認すると、その柵に向けてフック付きのロープを投擲する。無事に引っ掛けることができた。 屋敷の壁は手がかりが多く、よじ登る難易度は低い。あっけなく柵まで手が届き、ベランダへ侵入する。 そこは桃源郷だった。 有村の下着がベランダのあちこちに干されている。風に吹かれて鮮やかにたなびくブルーやピンクの下着達は、まるで楽園の果実にように淫靡で瑞々しい。俺は思わず一枚のパンティに駆け寄ると、夢中で頬ずりをし、匂いを嗅いだ。……甘くまろやかで淫靡だ。素晴らしい! ここでリュックサックの中にパンティを詰め込んで逃げれば、普段なら作戦完了。しかし今夜の仕事は高科の敵討ちも兼ねている。俺はリュックから一枚の瓶を取り出すと、ベランダの真ん中へと置いた。 その瓶の中には俺のザーメンがしこたま詰め込まれている。 瓶の正面には『ぼくのあなたへの想いです』というメッセージと、読んでいて寒気がするような変態ポエムが記載されている。下着泥棒が侵入して自分のパンツを奪って行った挙句に、このような物まで家に残されたとあっては、有村が受ける精神的ダメージは計り知れないだろう。 ……当然の報いだ。 これで奴も少しは応えるだろう。天罰を受ければ良いのだ。高科のような罪のない弱者をいじめて、何の報いも受けずに済むだなんて間違っている。 財布を盗み、女子トイレに連れ込んで痛めつけ、そんなことが許されて良いはずがないのだ。誰かが代わって報復をしてやらなければ、あまりにも理不尽ではないか。 「……そうだ。だから、これは正しいんだ。でも……」 昔の有村はあんな女じゃなかった。ワガママで頑固で口が悪いところもあったけれども、でも弱い者いじめをするような奴じゃなかったのだ。明朗で活発で優しくて、正義感が強くて……。 というか今の有村だって、俺や高科以外にはあんな接し方はしていないように思える。たまに気難しい程度で、普通に優しくて親切で、俺の知っている幼馴染のままでいるように見える。それがどうして、高科に対してだけあんな風につらく当たるんだ? 分からなかった。 まあ良い。今はそんなことを考えるより、とっととここを離脱せねばならない……。そう思い、俺がベランダから背を向けようとした時だった。 ベランダのガラス戸が音を立てて開かれ、薄手のシャツを一枚着て口に歯ブラシを突っ込んだ有村が姿を現した。 「……はあ?」 有村は素っ頓狂な声を出して口から歯ブラシをポロリと落とす。見られた。まずい。だがしかしやることは変わらない。 俺は覆面をしている。一目見られただけで正体が完全にバレることはない。このまま窓を飛び降りて正門を突っ切って逃げれば良い。そう思い、有村から背中を向けた、その時だった。 「……ジョージ? ジョージだよね!?」 有村が何故か俺の名前を言い当てた……そのことに驚愕し、俺の脚が一瞬止まってしまう。 その一瞬で十分だった。有村が素早く俺に駆け寄り、肩を掴み上げ、覆面を強引に引っ張って脱がせてしまった。 万事休す。 〇 「で?」 ベランダに正座させられた俺の前で、ベンチに腰掛けた有村がぷりっぷりの太ももを組み替えてながら、高圧的に言った。 「最近クラスの女子を中心に被害者が出ている下着泥棒の犯人があんたで、とうとうあたしの家にも盗みに来たと?」 「そうです……」俺は俯いて言った。 「へーんーたーいっ!」 言いながら有村はふと気づいたようにベランダの中央に置かれた瓶に歩み寄ると、目を凝らして書かれた文字を読んでから言った。 「つかこれなに? あんたが持って来たの?」 「そうです……」 「なにこの白いの? これの何が『ぼくのあなたへの想い』なの?」 「蓋を開けて見てください……」 「へ? ……どういうことよ……」言いながら蓋を開ける有村。 「臭いを嗅いでみてください」 「なんかイカ臭いんだけど……」臭いを嗅いでみる有村。 「ぼくの精子です……」 「せーし? せーしって……最悪! なんてもん嗅がせんのもう!」顔を真っ赤にして地面に瓶を叩きつける有村。充満するザーメンの匂い。「心象! 被害者に対する心象は無視か! あたしはこれからあんたをどうとでも出来る立場だっていうのに、あたしへの心象は無視か?」 「いやマジで嗅ぐとは思わなかったし……」元々何でも大胆に確かめてみる性格ではあるとはいえ、メッセージと中の白色で察しないもんかね。中二の女子じゃ精液なんて見たことがある方が少ないとは言え、意外とそういうのに疎いのかもしれない。 「いや……ないわ。あんた、マジでないわ。キモいじゃなくて気持ち悪い……。他の子にはこんな瓶仕込んでなかったでしょ? なんであたしに対してだけ……」 「変な意味はねぇよ」俺は溜息を吐いた。「これはおまえへの天罰だ」 「天罰って何?」 「高科のことだよ」 「は?」 「財布盗んだり、その上トイレに連れ込んでいじめたり、やりたい放題やってるだろ? だから、高科に代わって報復をしてやろうと思ったんだ。まあこのとおり失敗した訳だがな」 「…………」有村は眉間に皺を寄せる。 「俺はまだ十三歳だから刑事罰を受けることはないが……それでももうこの街でまともな学生生活は送れないだろうな。でもいつかバレることは十分覚悟していたし、観念するよ。卑劣なことをしている自覚はあるんだ。煮るなり焼くなり、おまえの気が済むように好きにしてくれ。土下座しろって言われたら、やるよ」 「……なんか勘違いしてない?」 「は?」 「あたしさ、芽衣子ちゃんの財布、別に盗む気とかなかったし」 そう言われ、俺は訝しむ。「いやおかしいだろ。おまえの鞄の中から見付けたぞ?」 「あれ盗んだのあんただったの?」有村は目を大きくする。「どっかに忍び込んだり、何かを盗んだり、本っ当昔っからそーゆーことばっか得意だよね? それで下着泥棒か……もっとマシなことに使えないもんなの、その才能?」 「財布取り返したのは正しい行動だろうが。このいじめっ子」 「うっせぇ。あたしは財布失くなって探し回って泣く芽衣子ちゃんを見て楽しみたかっただけで、放課後あたりでちゃんと本人に返すつもりだったの!」 「それだって十分悪いし、それにトイレでいじめてたのは事実だろうが」 「別にいじめた訳じゃない。……謝ってたの」 「は?」俺は目を丸くする。 「返すつもりだった財布が失くなって、あたしはすごく困った。探し回ったけどどこにもなくて……しょうがないから本人に謝罪して、中身と財布の金額を弁償するつもりだったの。その為にトイレに呼んだの」 ……なるほど。 こいつは邪悪ないじめっ子だが、しかし骨の髄まで鬼という訳ではない訳だ。ほんの僅かに良心や情も残している。だからと言ってこいつのすることが僅かでも許される訳ではないだろうが。 「そしたら芽衣子ちゃん、財布は親切な人が拾ってくれたっていうからさ。……でもあの子やっぱ良い子だよ。あんたのこと庇ってた。『誰が拾ったの?』って聞いてもさ、はぐらかすんだ。きっとあんたが財布を拾ったんじゃなくて盗んだんだってこと、察してたんだろうね」 「そんな良い子をいじめてんのがおまえだろ?」 「変態の説教なんて聞かないし」もっともな言い分だ。「あんた、なんで下着泥棒なんてしてんの?」 有村に尋ねられて、俺は返答に窮する。しかし向こうは答えるまで許すつもりはなさそうに黙しているので、俺は漏らすようにしてこう答えた。 「……他になかったからだよ」 本当のことを言えば、下着泥棒なんてものは俺にとって単なる代替行為に過ぎなかった。女子に話しかける度胸もなく、交際は愚か指先一つ触れる機会もなく、そんな俺が慰みの為に始めたのが、下着泥棒だったのだ。 誰しもが非難するような卑劣な行いだったけれども、それがまた俺の背徳感を刺激し、愉しませた。淡泊で空虚だった日々に目標と張り合いが産まれ、毎日が楽しくなった。自分が下着泥棒という『何者か』になれたことが幸せだった。 だがどこかで物足りなさを感じ続けていた。それも当然のことだった。 「……ふうん」俺の答えに納得したのかしないのか、有村はそう言って首を捻った。「まあいいや。ねぇジョージ。ちょっと相談があるんだけど」 「なんだ? その相談ってのは」 「……相談って言うのも違うか。あんたには拒否権ないもんね」 「脅すつもりか? 碌な内容じゃなさそうだな。……俺はこれでも腹をくくってるんだから、別に何でも言うことを訊くって訳じゃ」 「高科芽衣子のパンツを盗んで来てほしいの」 俺は耳を疑った。「は?」 「だから……」 有村は息を呑みこみ、僅かに高揚した表情で言った。 「高科芽衣子のパンツを盗んで来て、あたしにちょうだい。あたしは、それが欲しいの」 〇 「なんで……」俺は目を丸くする。「なんでそんなことを言いだすんだ?」 「……欲しいのよ。悪い?」 「いや待った。なんでそんなもん欲しがるんだよ」 「あんたと一緒よ」有村は羞恥したように赤面し、表情を俯かせながら言った。「あたしは芽衣子ちゃんのことが好きで、だから芽衣子ちゃんのパンツに興味があるの。手に入れたい。そしてあんたがしているようなことをしてみたい。……それだけよ」 何言ってんのか分からない。こいつは女で、高科も女だ。本来、性的興味を抱くような対象ではない。 「なんでおまえ高科が好きなんだ?」 「はあ? 芽衣子ちゃんの良さが分からないっていうの?」 「いやまあ……」高科芽衣子。B+ランク。顔立ち自体は悪くないが、あまりにしゃれっ気がなく、漫画みたいな瓶底眼鏡が致命的にダサい。「そういう意味じゃなくって、こう、おまえ女だろ? レズか? レズなのか、おまえは?」 「そうよ。好きになった人がたまたま同性だった。悪い?」 はっきり認めやがったこいつ。衝撃だ……。あまりの驚愕に一瞬言葉が出ない。いや、しかし……それは自由だとしても。 「悪くはないけど……でもおまえ、高科のこと好きなんだよな?」 「だから?」 「なのになんで日頃あんなつらく当たるんだ? あんなことして高科がおまえを好いてくれるはずがないだろう? 矛盾してるぞ?」 「あんたに何が分かるのよ」有村は拳を握りしめて言った。「正直に気持ちを打ち明けろっていうの? あたしはレズであなたのことが好きですなんて言ったら、全力で軽蔑されて、二度とまともに話なんてしてくれなくなるでしょう?」 「いじめる方がまずい結果になるだろう。つか、何が楽しくて好きな相手いじめてんだよ?」 「好きな子っていじめたくなるじゃん!」 有村は力説するかのようにそう叫んだ。 「芽衣子ちゃんがさ、泣いちゃってたり、困ってたり、打ちひしがれているのを見ると……こう、胸がキュンっ! ってなるの。分かんないかなぁこの感じ? 涙浮かべながらこっちに怯えた目ぇしてさ、これ以上いじめられないようになんとか不器用に媚びて来るあの感じが、本当、もう、可愛くって。やめらんなくて……」 ドン退きだ。倒錯的この上ない。 もちろんそういう性癖があるのは知っている。それはいわゆるサディズムという奴なのだろう。好きな相手に意地悪をしたい……多かれ少なかれ、人はそう言う願望を持っている。少なくとも、女子の下着に執着するのと比べたら、まだしも良くある嗜好と言える。 「だからっていじめて良い訳じゃないだろう」 「そうね。あたしだって別に元からいじめっ子って訳じゃない」言い訳するように有村は言う。「でもさ、好きになった芽衣子ちゃんをついからかうようになっちゃってから……あたしってそういうので興奮するようになっちゃってるんだよ。やめらんなくってさ。あたしが人いじめるのって、基本それが理由だしね」 「……そんなこと言っておまえ、俺にもちょっかいかけて来るじゃねえか」 「あ、あ、え……。そ、その、ちょっと、勘違いしないでよ」有村は取り繕うように、小ばかにしたような表情を浮かべ、鼻を鳴らした。「あたしが好きなのは芽衣子ちゃんだし、そもそもいくら幼馴染だからって、下着泥棒のことなんてぜーったいに好きになったりしませーん。残念でしたー! ばーかばーか! ハーゲ!」 「……そうかよ」 まあそんなことは分かっていたことだ。俺が変わったようにこいつも変わった。人間性だけでなく、関係も。それだけのことだ。 「分かったよ」俺は決断した。「高科のパンツを盗んで来ておまえにやれば、俺は下着泥棒をバラされずに済むんだな?」 悪い取り引きじゃない。無論、何か要求されるのがその一度で済むとは思わない方が良いだろうが、こいつだって犯罪教唆の咎を追うと言う意味ではリスクを負うことに変わりはない。こいつに高科のパンツを渡す時、会話を録音するなりなんなりすれば、俺も少しは安全になる。 それに、女子のパンツを盗み出すことなど、俺にとっては造作もないことだ。今回は運悪く失敗したが、たった一回の犯行を失敗する確率は限りなく低い。 「そうよジョージ。あんたは今日からあたしの犬だ。犬は主人の望む物を持って来なきゃいけない。芽衣子ちゃんの下着を盗んであたしにプレゼントして。分かった?」 言いながら、正座する俺の顎を自分のつま先で撫でる。完全にベランダを直接踏んだ素足は少しだけ砂の匂いがする。 ニコニコとする有村の表情は優越感に満ちている。幼い頃、こいつに下僕扱いされていた頃には良く見た表情だ。思春期を迎え、顔立ち自体は昔からいくらか変わったが、しかし表情の作り方は幼少期と然程変わらないようにも思える。 「……了解」俺は答える。「それじゃあ、俺は今から予定通り、このベランダを飛び降りて正門から逃げるから。今日ここに俺が侵入したことは、家族には黙っておいてくれよな」 「いいよ。そういう約束だしね」 「助かる。じゃあ、俺はこれで……」 そう言って、俺が正座から立ち上がり、リュックを背負ったままベランダを去ろうとした、その時だった。 「あ、そうだ」有村が何かを思い出したような声を出す。「ちょっと待てこら」 有村は容赦なく俺の股間を背後から一撃する。有村の素足が俺の身体の致命的急所を蹴り上げると、ベチャっと音がして睾丸が激しく圧迫される。 「アグゥ!」その場で蹲る俺。 「まだそのリュックにあたしの下着は入ってんじゃん。何しれっと持って帰ろうとしてんだこの変態! それと……」有村は床に転がった瓶の破片と、その周囲の白い粘性の液体を指さす。「これは綺麗に掃除して帰って。……跡形もなくね」 〇 昔の思い出を夢に見る。 家の近所の川の土手のあたりで、七歳の俺は蹲って泣いていた。 回りには俺の物であるぬいぐるみを持った上級生が二人いて、彼らは持っている棒でぬいぐるみを叩いたり、ぬいぐるみを放り投げたりして遊んでいた。オモチャを奪われ、いじめられていたのだ。 返して欲しいといくら懇願しても、それが彼らを余計に浸けあがらせることになるのは、今となってははっきりとしている。実際、俺がそう言いながら彼らに歩み寄ったところで、彼らは面白がるようにぬいぐるみを二人で投げ回し、俺を振り回して楽しそうにしていた。 そこへ有村がやって来た。 「こらっ。それを返しなさい」 有村はあたりに落ちていた岩を両手で掴み上げると、次々に上級生たちに向けて投擲した。上級生たちは眉を顰めて有村に向かって行ったが、しかしわんぱくさで彼女に敵う相手は学年を一つや二つ上げたところでいやしなかった。たちまち返り討ちにしてしまう。 あっさり泣かされて逃げ帰っていく上級生を鼻息と共に見下ろしてから、有村はニコニコと得意げな顔で俺に手を差し伸べた。 「追っ払ったよ?」 そして取り返したぬいぐるみを持たせる。 その頼もしく優しい笑みを見て、今と比べてはるかに感情を秘めておくことが苦手だった俺は、こういうのを堪えきれなかった。 「綾乃ちゃん。俺、綾乃ちゃんのこと、好きだ」 有村は目を大きくして、小首を傾げる。 「好きなの?」 「うん。付き合って」 「えー。どうしようかなー……」 そう言って、有村は悪戯っぽくそっぽを向いたかと思ったら、さっきよりも二倍の笑顔を浮かべて俺を見た。 「今はまだダメ」 「え……」 「今はまだ、あたし、付き合うとかそういうの、良く分かんないし。分かるようになった時、ジョージが恰好良かったら、付き合う。それで良い?」 そして、有村は俺の手を引いて、これから二人で遊びに行くことを決定事項としたように歩き始める。 「だから、ジョージはこれからたくさん恰好良くなってね。約束だよ」 〇 憂鬱な朝だった。 眠りが浅かった証拠に夢を見ていた感覚がある。内容は良く覚えていないが、なんとなく有村が出て来ていたような記憶がある。それは夢というよりも、昔の思い出の反復と言ったものだったかもしれない。 身支度を終え、学校に行く前に、窓の外に見える有村屋敷に視線をやる。 昨日は人生で初めて下着泥棒に失敗した。下着泥棒兼、高科へのいじめに対する報復だ。オナニーして射精した精液を瓶に詰め、気色の悪いメッセージと共にベランダに設置するという嫌がらせ。 我ながら浅はかな正義感で行動したものだ。そんなことをしてもすっきりするのはおそらく俺一人だろう。高科を本当に助けようと思うのなら、教師を巻き込むなり他のやり方があっただろうに。 だがそれも、遅くまで起きていた後で歯磨きついでに外の景色を見に来た有村に発見され、頓挫した。そして弱味を握られ、高科のパンツを盗み出すことを強要されている。これからあいつに脅されて言いように使われるのだと思うと、気分は暗くなるばかりだった。 学校へ向かう途中で、高科の背中を見付けた。 背が高い方で痩せた体つきの高科の背中は、どこかひょろりとした印象を与える。絵に描いたような撫で肩をしているのと、着ているブレザーが少しよれよれなのもその印象を加速させるようなのだ。 俺はこいつの下着を盗み出さなければならないし、その為にこいつの住所を割り出さなければならない。 「高科、おはよう」 声が裏返った。その所為で、高科はその声を俺の物だと判別できなかったようだ。高科は一瞬だけぴくりと身体を跳ねさせると、それから恐る恐ると言う風に振り返る。そして声をかけたのが俺だと理解するなり、ほっとした表情を浮かべた。 「お、おはよう不破くん」 そう言って瓶底眼鏡の位置を直す。その奥にある瞳は大きくて、黒目がちで、澄み渡っている。 有村はこの女が好きだという。その容姿も含めて。 間違いなくブスではないのだ。CランクやDランクに属する女とは違い、どこを見ても不細工と言えるような箇所は存在しない。むしろその顔立ち自体は整っている部類に入るだろう。しかしあちこち跳ねた髪の毛だとか、いつも伏し目がちにしているその表情の作り方だとか、その綺麗な瞳を覆い隠す分厚い眼鏡だとかが、その顔立ちを台無しにしている。 有村が『綺麗だ』と評するのに違和感を覚える訳ではない。しかし、下着泥棒に入るかどうかの基準であるAランクの境界を超えては来ない。 顔は整っているけれど、それだけだ。どこかそそられない。そう言う意味で、高科はB+ランクが妥当な女だと言えた。 「あの……不破くん、そんなにわたしの顔をまじまじ見て、どうしたの?」 そう言われ、俺はどきりとする。まずい。真正面からジョージ・アイによる解析をおこなってしまった。 「いや……高科って、本当は、すごく綺麗な顔をしてるよね」 『本当は』は余計だろうかと思い直すが、しかしお世辞が言いたい訳ではないことを思えば、特に間違ったことを言った訳でもない。高科は気分を害した風でもなく 「う、うん。そ、そうかな。ありがとう」 と少し弾んだ声で答えた。 「でも、容姿には自信がないんだ。頬の吹き出物が、ちょっと、ね」 「いや、それはむしろチャームポイントだと思う」 顔立ちに似合っていて、妙にしっくり来るのだ。マイナスにはなっていない。 「そ、そうかな。昔から……これで良くからかわれたから。そんな風に言ってくれる人、初めてだな」 沈んだ声の中にも、少し幸せそうな響きがあった。おそらく本当に嬉しいのだろう。 「昨日は、その、ありがとうね」 改めて礼を言われてしまった。 「お財布のことなら、昨日もお礼は聞いたよ。でも、どういたしまして」 「ううん。そうじゃなくて、トイレに連れて行かれる時のこと」 ……そっちか。 「助けようとしてくれたんだよね? でも、大丈夫だったの。有村さん、ただ、わたしの財布を失くしたことを謝りに来てくれただけみたい」 「ああ、それなら昨日、有村から聞いたよ」 「え……?」高科は訝しむような顔をする。「そ、そうなんだ。いつ、そんな時間があったの?」 言われてみればそうだ。高科からすると俺と有村に接点などないし、学校が終わってしまえば会う機会などないと考えるのが普通だ。 まさか下着泥棒に入って見付かりましたなどと言えず、俺はこう誤魔化した。 「いや、家がものすごく近所なんだ。本当に目と鼻の先で。それで、偶然出くわしてね」 「そ、そうなんだ」 「ほら、あの辺の」俺は自分達の背後、北東の方向を指さす。「川の近くに住宅街があるじゃない? あそこの一番大きな屋敷が有村の家で、俺はその近くにあるアパートに住んでる。昔は良く遊んだりしたんだよな」 「そうなんだぁ」 高科は意外そうな目で俺を見た。信じられないのだろう。だがしかし、これは自然な会話で彼女の住所を聞きだす良いチャンスだ。物にしない手はない。 「高科は、どこに住んでるの?」 「うん? わたしは、その……もっと上流の方の、橋の傍のパチンコ屋の近くの、アパートだよ」 あっさり答えてくれた。俺は内心でガッツポーズをしつつ、答える。 「何号室?」 「二階の二号室」 これはちょっと不自然な質問だったかなと思ったが、しかしこれも驚く程あっさりだった。性根が善良極まりないのだろう。隙だらけだ。 「そうなんだ。じゃあ、結構近いんだね」 「そうだね。あ……もう、学校付いちゃうから、わたし先行くね」 そう言って足早に道を別とうとする高科。どうしてそうするのか腑に落ちない俺が「え、あ、ああ」と煮え切らない声を出すと、高科は 「わたしといると、迷惑がかかるから」 と言った。 高科が俺から離れたところで、たまたま有村が取り巻きを連れて現れた。案の定、高科は肉食獣に見付かったリスのように身を震わせる。そこに、驚喜の表情を浮かべた有村がにじり寄り、声をかけた。 「おっはよー芽衣子ちゃん。今日もダサいね」 などと強引に肩を組んでちょっかいを出す有村。その内心を聞いたばかりで有村のしていることの愚かさを知っている俺は、哀れな高科の為に一つ溜息を吐いた。 〇 「いつ頃決行できそう?」 放課後、学校を出る途中で、有村に声をかけられた。 「……高科のことか?」 「それ以外ある?」 「もう高科から住所は聞きだしてある。これからそこに下見に行くところ。早ければ、もう今晩には結構可能だよ」 「わぁすごい。有能!」有村は上機嫌に言った。「つかさ。芽衣子ちゃんの住所は本人から聞き出したっていうけれど、他の女子だと当然教えてくれない場合もある訳だよね? そう言う時ってさ、どうしてんの?」 「普通に探偵するだけだよ。その女子の知り合いにさりげなく聞きこんだり、連絡網手に入れて電話番号から辿ったり。それでもダメなら、素直に下校中に後ろを付ける」 パンティハンターに求められる技能の半分がベランダへの侵入能力だとすれば、残りの半分が住所の特定能力だ。これがあるから、学校にいる間もパンティハンターは暇にならない。常に耳を澄ませ、全身の感覚を研ぎ澄ませ、美少女に関するあらゆる情報を集め続けねばならないのだ。 「完全ストーカーじゃん。きっしょぉ」 だが有村はそんな俺の日々の努力を理解せず、身を退いて大袈裟に身体を震わせるだけだった。 「まあいいや。でも下見すんなら今から二時間くらいがチャンスだよ」 「どういうことだ?」 「あの子、合唱部入ってるから。部活終わるまでは、家の前で出くわす危険とかなくて済むじゃん」 高科は合唱部に入っているのか。Aランク未満の女子の部活動になど興味がなかったから知らなかったが、少々意外だ。なんとなく帰宅部のイメージがあった。 「実力はかなりある方らしいよ。歌うとこ見たことあるけど、すごかった」有村は嬉しそうに語る。「歌う時のあの子ってさ、普段ちょっと猫背にしてるのが考えられないくらいすっと背筋が伸びて、凛とした雰囲気になるの。それで目を閉じて歌を歌うと、すごく自然で澄んだ声が出て、うっとりと聞き惚れちゃうんだ。あたし、背中に天使の羽根が生えてるみたいに錯覚したもん」 有村だって歌はかなり上手かったはずだが、それがこんなふうに手放しに褒める程なのか、高科は。 「合唱はかなり真剣にやってるみたい。歌手になる夢もあるんだって。すごいよねぇ」 「そりゃ立派なもんかもしれないが……」 俺にはそんな風に真剣に打ち込んでいることも、生来の夢も何もない。下着泥棒には情熱を向けているかもしれないが、それを高科の歌と比べるのはおこがましいだろう。 「あや……有村には、夢とかあるの?」 なんとなしに、俺は訊いた。すると有村は 「綾乃で良いよ別に。減るもんじゃないし」と言って、こう続けた。「あたしも夢とか別にない。親は勉強しろってうるさいけど、今は進路とかより芽衣子ちゃんのことに夢中って感じ」 「勉強しろってうるさいって……おまえ勉強ムッチャ出来るじゃん。いっつも学年一位とか二位だろ? それでも言われんの?」 「中学受験落ちたんだよ。それでこの公立に通ってんの。親からずっと小言言われてる。お陰で家でものすごくたくさん勉強しなくちゃいけない。こないだジョージが下着泥棒に入った時、ベランダで出くわしたでしょ? あれ、あの時間まで起きて勉強してたんだ。しょっちゅうだよ」 「……ふうん」 「高校とかさ、芽衣子ちゃんと一緒のところ行きたいけど、親は行かせてくれないだろうな」 高科の成績がどのくらいかは知らないが、しかしこいつがどれほどの難関校に行くのかを考えると、確かに進路を同じく出来る確率は低いと言わざるを得ないだろう。 もっともそれは有村の事情だ。俺は俺の保身の為、こいつに高科のパンツを献上せねばならない。 有村のアドバイスに従い、早めに下見を行っておくことにして、俺は高科から聞いた住所に急いだ。 〇 「すっげぇ貧乏アパートだな……」 高科の住むアパートを見て、思わずそんな言葉が漏れた。 木製の階段は脚を付けるなりギシギシという音を立てる。一室分の面積から想像するにおそらくワンルーム、それも四畳半か精々六畳しかないであろう狭さであり、何より困ったことに、ベランダがない。 これでは下着泥棒に入りようがない。 途方にくれ、この窓は外れるのだろうかと観察を続けている内に、追い打ちをかけるかのように雨が降り始めた。大粒の、激しいにわか雨だ。 ずぶ濡れになるのもバカらしい。俺はアパートの廊下で雨が降り止むのを待つ。 高科はもうしばらく帰って来ないということだし、万一帰って来て出くわしても俺は今変装道具で別人に成りすましている。パンティハンターの仕事道具の一つである。マスクとメガネとカツラを着用し、イメージを変えた俺を俺と見抜くのは難しいだろう。 しかしアパートの廊下の面積は小さく、比例して屋根も小さい。雨は風を受けて横薙ぎに俺の全身に迫り、最早雨宿りが出来ているとは言いがたい状態となっていた。これはもう、覚悟して走った方が良さそうだ。 そう思い、アパートの階段を降りた時だった。 高科の姿があった。 可哀そうに傘も持たずに雨に濡れ、絶えず眼鏡を拭いながらこちらに歩いて来ている。この土砂降りなら眼鏡なんて外した方が良いだろうに、あれがないと何も見えないと言うのは本当なのだろう。 部活が終わるには早すぎる時間だ。何かトラブルがあっての早い帰宅なのだろう。 やはり向こうは俺に気付いていないらしかった。自然にすれ違おうとして、雨の中で高科が目測を誤った為、軽く体同士がぶつかる。 「あ……すいません、すいません」 高科は妙に縮こまって言うが、俺は返事をすることが出来ず通り過ぎる。 ふと足先が何かに触れた。 足元を見る。一本の鍵が落ちていた。思わず拾い上げる。 音符の形をしたキーホルダーの付いたそれを持って、俺は後ろを振り返る。ふらふらと自宅のアパートへ向かっていく高科の姿が見える。 ……これはひょっとして高科のものなのではないか? 見覚えがあるのだ。いつか高科の鞄の中身が有村によってぶちまけられた時、こんな形の鍵を拾って高科に渡した記憶がある。この鍵が入っている小ポケットのチャックが開いていたものが、俺とぶつかった拍子に落下したのだとすれば辻褄が合うのだ。 もしそうなのだとすれば、これ程のチャンスはない。何せこの鍵があれば上手く行けば明日の日中にも高科の下着を入手できる。ベランダがなかったことで焦ったが、家族全員が出払っている時間帯にこの鍵を使って堂々と入り込めばミッションは遂行できるはずだ。 可哀そうだが高科には両親のどちらかが帰宅するまで家の前で待っていてもらおう。もう五時も回りそうな時間帯だし、良くある家庭ならどちらかはそろそろ戻るはずだ。 そう思い、アパートの階段を登る高科の姿を見送り、家に帰ろうと背を向けた時だった。 「あれ、ない」 高科の声がした。 「ない、ないない」 この世の終わりみたいな声を出す。そして自分の全身のポケットに手を入れた後、どたばたと階段を駆け下りようとして、転ぶ。 「あ……。痛ぁ……」 かなりの慌てようだった。家の鍵が無くなったのだから、当然と言えば当然だ。擦りむいた膝から血を流しながら、高科は歩いて来たルートを辿りながら、こちらに歩いて来る。 俺は慌てて歩き去り、身を隠した。 高科は地面を這うようにして鍵を探し続けている。水溜りの中にまで手を突っ込んでいるのは、目が悪くてあんな浅い水たまりの中さえ見通せないからだろうか? じゃぶじゃぶと水溜りの中をかきまわし、涙を拭う高科の姿が心配になり、俺は変装を解いて彼女の前に駆け寄った。 「高科」 「……不破くん?」 俺の方を見上げる高科に、俺は問いかけた。 「どうしたの? 何か探してるの?」 「家の鍵を……」 「でも風邪引くよ? どこかで雨宿りして、ご両親が帰った方がいいんじゃない?」 「お父さん、今日は仕事で遅くって……」 「お母さんは?」 「…………うち、片親だから」 しまった、と思うべきなのか。しかし謝罪するのも返って失礼なのか? ……分からない。どうすれば良いんだろう? 「一緒に探すよ」 「え? ……そんな」 「いいから」 俺はバカだ。なんて愚かなことをしたんだ。 自分を殴りたくなるとはこのことだ。鍵を盗むだなんて真似をしたら、高科を雨の外に締め出す形になることは分かっていたはずだ。いくらこちらが切羽詰まった状態とはいっても、ここまで哀れな思いを彼女にさせることは許されるはずがない。 俺は高科の視界の外に出ると、奪っておいた鍵をポケットから取り出す。そして高科の方を向いて、言った。 「あったよ!」 「え? 嘘! 本当?」 高科は驚喜の表情でこちらに歩み寄り、僕の手にある鍵を認めると、心からの感謝の声を出した。 「ありがとう不破くん! 本当に助かったよ」 「いや……目立つところにあったから、俺の助けがなくても……」 後ろめたさの所為で感謝されると胸が痛い。ついそんな言葉が口を吐く。 「ううん。わたし、目が悪いから、きっと一人じゃ見付けられなかった。本当にありが……」 その時、雷鳴が鳴り響いた。 俺はその場でアタマを抱えた。高科はきょとんとしている。全身が震え、吐き気がこみ上げ、目が回りそうになる。 驚きと恐怖のあまり立ち上がれなくなる。何を隠そう俺は幼少期から雷が大の苦手で、こればかりはあの有村も、からかったりせず心配していた。雷が鳴る時に外にいるという状態が本当にダメなのだ。 「あの……不破くん。もしかして」高科は俺の肩を掴み、察したように言う。「雷、苦手?」 こくこくと、俺は激しく頷いた。 「あー……。そっか。苦手な人いるよね」 高科は優しい声でそう言って、包むような柔らかな態度で俺と同じ目線に膝を折り、こんな提案をした。 「家の中だとちょっとましでしょ? 不破くん、うち、来る?」 〇 高科の家は六畳一間に小さなキッチン、それに風呂トイレという簡素な作りであり、ベランダの代わりに小さな窓が一つあるだけだった。洗濯物は中干しをしているらしいが、天井にぶら下がっているビニール紐には、今は何の衣類もぶら下がっていなかった。 高科の家でシャワーを浴びた俺は、高科の父親の衣類を纏い、さっきまで浴びていたお湯で温もった身体から幽かな湯気を放っていた。 シャワーまでいただいてしまった。それも高科より先に。お客さんを後回しにする訳にはいかないからと、高科が譲らなかったのだ。 しかし雨宿りさせてくれた上、シャワーまで浴びることが出来るとは僥倖に過ぎる。それも今高科はシャワーを浴びに浴室にいるから、この隙を付いてタンスにしまってある下着を頂戴することまで可能である。 しかし今盗んでしまえば俺が盗ったと言うようなものだろうか? いやぼんやりした高科なら失くしたものと思って疑わない可能性もあるかもしれない。リスクを冒して不法侵入を犯すよりは、今タンスを開けてしまった方が返って安全かもしれない。 よしそうしよう。俺は立ち上がり、タンスに向かって歩いて行く。 「不破くん」 声がかかる。俺は慌ててすくみ上る。高科がシャワーを浴び終えたようだ。作戦中止だ。 俺は高科の方へと振り向く。 「ああ高科。なんだか、迷惑かけてごめ……」 目を疑った。 眼鏡を外し、シャワーを浴び終えた高科は予想していたより綺麗だった。とろんと垂れた大きな瞳は驚く程澄み渡っていた。不格好なメガネを取り去ることで、良く通った鼻筋と高い鼻の形が露わになる。顎の形が綺麗だと思っていたが、こうしてみると顔の輪郭そのものが整っているのだ。普段はあちらこちらに跳ねている髪の毛は濡れてまっすぐになり、僅かに湯気を放っていて、儚げな中にも確かな色気を放っている。 俺はジョージ・アイを起動せざるを得なかった。A-……A……A+……美少女ランクがどんどん上昇していく……っ! AAランク+まで到達して、ジョージ・アイはようやく適正値と判断した。風呂上りでパジャマを着て、石鹸の匂いを漂わせているというそのシチュエーションの素晴らしさを差し引いても、凄まじい値……。B+というのが本人の身だしなみへの無頓着さに起因するところが大きいのは知っていたが、ここまでのランクを計測するとは。 「どうしたの?」 まじまじと見つめる俺に訝しんだように、高科が首を傾げた。圧倒された俺が何も言えないでいると、高科はちゃぶ台の前に座り、ケースに入れていた眼鏡をかけた。 「え……? かけちゃうの?」 「……? う、うん。なんで?」 「いや……。高科、眼鏡ない方が似合うよ」 「え? ……そ、そうかな?」 「びっくりした。すげー美少女だったから」 なんて素直な称賛を送ることも今後は上手くできないかもしれない。ガール・シャイな俺は一定以上の容姿を持つ女子の前では意識してしまい、緊張して上手く言葉が出なくなる。容姿を褒めるだなんて以ての外だ。これまで素直に胸の内を話せたのは、高科をB+ランクと侮っていたからだ。 「あ、ありがとう。お父さんにもたまに言われるんだ、眼鏡ない方が、って」 何故その通りにしない。 「でもコンタクトレンズって、ちょっと怖いよ。目の中に物を入れるんでしょう?」 そう言って、高科は台所に下がり、二人分の麦茶をコップに入れて持って来た。 「ありがとう」 眼鏡をかけることで美少女ランクはいくらか下がったが、しかし先ほどの衝撃が忘れられない。これまでは高科相手にならすらすらと言葉が出て来ていたのだが、意識して上手く話せなくなった。そして口下手なのは高科も同じなようで、俺達の間に降り注ぐ沈黙はおのずと重くなる。 何か話題はないか……思い、あちこちに視線をやると、ちゃぶ台の隅にある一枚のチラシが目に入った。 『如月音楽大学付属高校、入学案内』 誰もが知っている、音楽の道を志す学生にとっての名門中の名門高校のチラシだ。 「そのチラシ、どうしたの?」 俺が問うと、高科は「ここ、受けようかと思って」とこともなげに返事をした。 「は? マジで? すっげー倍率高いって言うけど……」 「そ、そうなんだけどね。でもね、合唱部の顧問の先生が、すごく勧めてくれるんだ。わたしなら、大丈夫だって……本当かどうかは分からないけど」 「いや……」 教師はその手のことで嘘は吐かない。中学校という職場において、生徒達の高校受験合格率というのは追及される数値のはずだ。下手に名門を勧めて落ちたりすれば、その教師にとっての汚点となる。 つまり、その顧問教師から見て、高科はその音楽の名門高校を受験するに相応しい生徒ということになる。勉学の成績も見られるだろうが、それ以上に音楽的才能が問われる試験になるはずだ。合唱部員として、高科はそれだけ優れた技能を発揮していたということか。 しかし……。 「でもここって全寮制じゃなかったか? 言っちゃなんだけど、高科の性格じゃ……」 ついそんな言葉が口を吐いた。純粋な心配からだ。如月大付属は授業や寮生活の厳しさでも有名だ。この大人しく、気も弱い女子が、やっていけるものなんだろうか? 「そうだねぇ。苦労しそうだって、お父さんも心配してる。学費も大変だし、お父さんと一緒に親戚の人とかにも頭を下げることになりそう。奨学金も、たくさん借りて……だから」 確かに茨の道だな、と俺は思った。こんな金のかかりそうな進路に、こんな貧乏アパートで慎ましく生活する父子家庭の少女が挑むというのは。 「受験は来年だし、じっくり考えれば良いじゃないか。でも大変そうなら、無理はしなくても良い。この高校に通う以外にも、音楽に関わる方法はたくさんあるはずだよ。専門的な勉強をして専門的な職業に付かなくたって、音楽を好きでいることは出来る。どちらかが正解ってことはないと思うよ」 「確かに、音楽や歌を楽しむ道は、自分が歌手を目指す以外にもたくさんあるよね。好きなミュージシャンの歌を聞いているだけでも楽しいし、合唱部で歌っているだけでも幸せだよ。でもね……時間は有限だから」 高科は、儚げな笑顔の中に、僅かに強い意思を込めた言葉を口にし始めた。 「そうしたことで少しの間幸せになっていても、本当に欲しいものは手に入らない。そして何も手に入れないまま大人になって、きっと後悔する。ここで勇気を出さなかったら、きっとそうなるよ。そのことに、わたしはとても……恐怖を感じるの」 その言葉を聞いて、俺は全身を槍で貫かれたような心地になった。 時間は有限。少しの間幸せになっても、本当に欲しいものは手に入らない。これは、俺がやっている下着泥棒にも当てはまるような気がした。 俺が本当に欲しいものはパンツなどではない。それは代償行為に過ぎない。俺だって女子と話がしたいし、深く付き合い、分かり合って、その柔らかそうな身体や皮膚の体温を感じたいし、その先にあるものも……手に入れたい。セックスがしたい。 けれど、一歩を踏み出すその勇気がないから……パンツを盗み出すなんて行いで自分を慰め、納得させる。その繰り返しで有限な時間をすり減らし、何も手に入れないまま大人になり、やがては死んでいく。 ……高科の言葉を聞いてそんな風に感じるのは大げさだろうか? いや、本当は心のどこかで分かっていたことだ。俺は友達も恋人もおらず女の子と手も触れられない寂しさを、下着泥棒によって埋めているだけだ。そしてそのことを、高科から、この意思の弱い少女だと思っていたいじめられっ子から突きつけられ、俺は強い胸の痛みを覚えたのだ。 「お父さんも学生時代に悔いが大きいみたいでさ。今の苦労はその所為だって、いつも言ってる。だから、わたしのことも、すごく応援してくれるんだ。頑張るよ」 高科はその儚げな振る舞いの奥に、自分自身と深く向き合う意思の強さを隠し持っていた。そんな様子に、俺は心から素直にこう思った。 「高科は……すごいな」 そう言うと、高科は不器用に笑みを作る。 「そんなことないよ。ずっと不安なんだもの。それにね、わたしがここに行くのは、夢とか希望とか、そういう良い物じゃなくて、将来に悔いを残すのが、ただ怖いだけなんだ」 高科は雨粒の降り注ぐ窓を見詰める。 「怖いよね。大人になるのって。時間が立つのって。何をしていても、何を選んでも、それだけは止まってくれないんだから」 恐怖。本当に欲しい物を手に入れないまま、チャチな慰みの為に愚かな行いに手を染め続け、有限な時間をすり減らすその恐怖。 「でも、そこに立ち向かう勇気をくれたのは……不破くんなんだよ」 そう言われ、俺ははっとした。何故だ? 何故そこに俺が出て来るのだ?」 「ほら、不破くんってわたしと同じで、有村さんに良くちょっかい出されてるじゃない」 「そ……そうだけど。それがどうしたの?」 「わたし、有村さんが怖くて仕方がないの。自分がどれだけ小さくて、弱くて、みじめなのかをすっごく思い知らされる。けれど、同じような目にあっている不破くんは……違った」 高科は僅かに指先を震わせながら、俯いて語る。 「わたしが有村さんにいじめられていると、不破くんは何度も、有村さんに立ち向かおうとしてくれた。困っている時は助けてくれて、いつも優しくて、そういう人がいてくれることが、毎日の救いだったの。……勇気をくれた」 何を言っているんだ? 俺が有村に立ち向かえるのは、大昔、彼女と共に過ごした時間があるからだ。有村は少し変わったけれど、でも根底にあるものは変わらなくて、それを知っているから、有村に訴えかけることが出来たのだ。……無暗に人を傷つけるのは、良くないと。 「わたしはそう思った。先生にこの高校を勧められた時、最初は怖かった。けど、不破くんのことを思い出したら、わたしもずっとこのままじゃいけないって……そう思えたんだ」 違う。俺は高科が思う様な人間じゃない。醜い性欲に突き動かされ、しかし本当に成すべきことは何も成さず、愚行に手を染め人に迷惑をかけ続ける、奸悪な変態だ。 「すごいのは不破くんだよ。わたしは……わたしはだから、ずっと。……うん」 そして、話ながら顔を少しずつ赤らめていた高科は、意を決したように、俺の目を見た。 驚く程澄み切って深い、純粋で強い意思を宿した、眩しすぎる瞳だった。 「わたし達が一緒の学校にいられるのも、もうあと一年と半分くらい。時間は有限だから、だから、今この瞬間に言います」 雨音がやけに遠い。高科の瞳に飲み込まれ、俺の耳には雷鳴すら響かなくなっていた。 「わたし、不破くんのことが好きです。恋人になって欲しい」 〇 激しさを増す雨の中を、俺はずぶ濡れになりながら歩いていた。 夏だというのに冷たさを感じた。空は灰色を通り越してどす黒さを増していて、大粒の雨が降り注ぐ視界は虚ろで、雷が鳴り響き続けている。そんな悪天候の中で、身を守る者は一つもなく、俺は自然の成すがままにされていた。 「ジョージ?」 背後から声がかかった。 有村がこちらに駆け寄って来て、自分の入っている傘に俺を入れる。 「綾乃……? どうしたんだ? どうしてここに?」 「あんた芽衣子ちゃんの家下見に行ってたんでしょ? でも雷鳴りだしたからさぁ。そういう時あんた一人じゃダメじゃん? 芽衣子ちゃんの家の近くで雨宿りしながら震えてるだろうと思って、様子見に来たの」 と、かつてを思わせる優しい口調で言ったあと、とってつけたように「ものすごく暇だったから、たまたま気が向いて、一応ね」と言った。 「すまん」 「ん」 そのまま有村と二人で街を歩いた。家の方向はもちろん同じだ。一つの傘に入っているので、雨天の冷え込みに混じって、有村の体温を感じられた。 「なんかあったの?」と有村。 「え?」 「顔濡れてんの雨だけじゃないでしょ。何泣いてんの」 「それは……」 高科に告白された。 人から交際を申し込まれたのは人生で初めての経験だった。信じられず、混乱し、どうして良いのか分からなくなり……しかし、俺ははっきりと本心からの答えを告げることが出来た。 『ごめん。俺、他に好きな人がいるんだ』 高科は泣いていた。泣きながら、『ごめん、ごめん』と繰り返し口にした。自分の涙が俺にプレッシャーをかけることを分かっていて、なんとか抑えようと必死で、でも抑えられていなかった。 そんな高科に、俺は何もできなかった。何もできなかったのだ。何もできないまま、いたたまれなさに心臓が張り裂けそうになり、あんたに忌避していた雷の鳴る外へと飛び出した。 逃げるように走った。しかし驚く程早く息が切れ、後は己の態度の情けなさと、何もできなかった後悔に打ちひしがれ、涙しながら、下を向いて歩いていたのだ。 「……何があったか知らないし、言わないなら聞かないけどさ」有村は俺の顔を覗き込み、肩に手を触れ、言った。「大丈夫だよ、あんたなら」 「……どういうことだよ」 「あんた結構打たれ強いじゃん。結構? かなりかも。失敗したらすぐ塞ぐけど、でもちょっとしたら完璧ってくらいに立ち直る。そんで塞ぐ前より強くなってる。……そういう性格」 「俺が立ち直っても意味ねぇんだよ」 「……芽衣子ちゃんとなんかあった? 相談乗ろうか?」 「おまえに言ってどうなるんだよ、このいじめっ子」 俺が言うと、有村は心外そうに眉根を寄せ、しかしすぐに晒しかけた矛を収め直すように息を吐いた。 「いじめっ子で悪かったですね。あたしもう芽衣子ちゃんとそういうコミュニケーションしか取れなくなっちゃってんの、しょうがないじゃん…。…まあ、あんたが芽衣子ちゃんと何があったのか知らないけど、あたしが芽衣子ちゃんにしていることよりはマシなんじゃない? ……取り戻しなよ。あたしと違って、あんたには多分、そのチャンスがあるから」 「おまえにはチャンスがないのか?」 俺が言うと、有村は鬱陶しがるような表情で肩を竦め 「あんたには関係ない話」 拒絶するようにそう言った。 こいつは諦めているのだろう。いじめっ子といじめられっ子という関係を解消し、自身の持つ恋愛感情を正しく高科に表現する道を、こいつは諦めきってしまっているのだろう。 だから開き直って、自分の嗜虐的な欲望の赴くままに高科をいじめ、それで支配して自分の物にしたつもりになっている。でもそんなことで気持ちが満たされる訳がないから、それを埋めようと、俺をけしかけて下着を盗んでこさせようとする。 そんなことで何の満足も得られやしないのに。 本当に欲しい者は何も手に入らない、卑怯な愚か者。俺と同じだ。 こいつは恐怖を感じているのだろうか? 望む物を手に入れないまま、時間だけが過ぎて行く、その恐怖を。 有村は俺を自宅の前まで送ってくれた。家同士が目と鼻の先とは言え、親切な話だ。雷の苦手な俺の様子を見に来てくれたことと言い、表現の仕方を忘れただけで、昔の通りの優しさが彼女の中にもまだ幽かに残っているのだろう。 「あんたの家の前に来るの何年振りぃ?」 「さあな。……ところでさ、綾乃」 「なに?」 「分かった気がするよ」俺は有村に告げる。「おまえが高科に惚れた理由」 しばし沈黙があった。有村は俺の顔色をじっと見つめ、それから妙な勘違いをしたのか剣のある口調で言った。 「芽衣子ちゃんにちょっかい出したらあんたを殺す」 「しないよ」 それはしないし、しなかった。 あんな良い子に、俺は相応しくない。こんな醜い変態と一緒になって良いような女なんて、世界中のどこにもいないのだ。 〇 帰宅すると母親がいた。これもいつもどおりだ。 「どうしたの錠治? ずぶ濡れじゃない。それに、その服は何なの?」 「友達の家に雨宿りをして、服を借りて来たんだ。早いところ帰さなくちゃいけない」 「そうかい。じゃあすぐ洗濯機を回すわね。ほら、服脱いで」 そう言って俺から脱いだ服を受け取る。俺はシャワーに入り、水を浴びながら考え込んでいた。 ……時間は有限。 ……勇気を出さなければ、本当に欲しい物は何も手に入らない。 俺が本当に欲しい物はいったい何で、その為にはどういう勇気を出せば良いのか? 俺は何を間違えていて、どうすればそれがなくなるのか? 分かっているはずだった。 シャワー室を出て着替えると、俺は母親を自分の部屋に呼んだ。 「どうしたの?」 「母さん、本当にごめん。失望させると思う」俺は母親に頭を下げた。「話したいことがあるんだ。落ち着いて聞いて。まずは……これを見て欲しい」 そう言って、俺はベッドの下に隠してある物を母親に見せる。 息を呑む母親が目撃したのは、俺がこの一年少しで集めた、学校の女子達の大量の下着だった。 〇 「おい不破。ちょっと顔貸せよ」 登校した俺を待ち構えるようにして集まっていた三人の男子生徒が、俺の肩を掴んで言った。 逆らっても無駄のようだ。言うとおりにする。 体育館裏の中庭に連れて行かれる。そこは良く不良が煙草を吸っていたり、リンチの現場にしていることで有名な場所だった。 「おまえ、茜の下着を盗んでたんだってな」 茜……三村茜のことか。俺がパンツを盗んだ女子の一人。 「そうだけど」 「そうだけど、じゃねぇ。舐めてんのか」 「別に舐めてないよ。これから自分が何をされるのかも分かってる。君、三村の友達?」 「彼氏だ。……やっぱおまえ、舐めてるな」 舐めるとか舐めないとか、どうしてすぐにそんな発想になるんだろう。この手合いは相手が自分に屈従するかどうかだけで物事を考えていて、まともに対話をする意思など欠片も持ち合わせてはいないのだ。 「気に障ったんなら悪かった。君の交際相手を傷付けたことも含めて謝る。それで君達や三村の気が済むんなら、殴るのでも蹴るのでも好きにすれば良い。俺は抵抗しない」 「調子こいてんじゃねぇ!」 そう言って、男子生徒が俺の腹を膝で蹴り上げる。 痛みのあまり蹲る。別の男子生徒がスマートホンを取り出して、蹲る俺の姿の撮影を始める。さらに別の男子生徒が俺ににじり寄り、俺の背中を踏み抜こうと脚を上げた。 その時だった。 「やめなつまんないことすんの」 有村の声がした。男子生徒達が一斉にそちらを振り向く。そして言う。 「こいつのしたこと分かってんのか?」 「聞いてるよ下着泥棒だってね。でもさ、そりゃこいつはこれから少なからず痛い目見て行くんだろうけど、だからって越えちゃいけない一線ってあるでしょ? こいつをどうするかはあたしら女子の方で話し合うからさ、あんたらは手ぇ出すのやめてくんない?」 そう言うと、男子生徒達は顔を見合わせる。堂々とした有村の態度に、どう応答して良いか分からないのだろう。 「茜の為なんだ。黙って見ててくれ」 「嫌だよ。あんたらはすっこんでな」有村は一歩も退かない。「どんだけ大義名分あったって私刑でケガさせたらあんたらの将来に差し支えるよ? どうせ手加減とかできない癖にさ、手出しすんなって。茜のことはあたしが納得させとくから、ここは退いてくんない?」 ぴりぴりとした空気が、有村と三人の男子生徒との間で流れた。 だが烏合の衆が睨み合いで敵うような有村綾乃ではない。その瞳に宿した気の強さは本物だ。しばらく沈黙があって、男子生徒の内の一人、最初に俺に声をかけた男が、どこか納得のいかなさそうな表情で、ふてくされたように言った。 「……分かったよ。でも、そいつのことはいつか絞めるからな」 そう言って、三人は並んでその場を立ち去って行った。 「つまんない奴。群れてないと何もできやしない」有村は溜息を吐いて、俺に手を差し伸べる。「大丈夫? お腹蹴られてたけど、保健室か病院か行く?」 「……大丈夫だ」俺は手を着いて、ふらふらとその場を立ち上がる。「自分で立てる」 「そう」有村は溜息を吐く。「なんで警察に自首なんかするかな? こうなるって分かってた癖にさ」 母親に自分が下着泥棒だと打ち明けた俺は、その後、警察に犯行を打ち明けることになった。 警察署で自分の犯行の詳細を打ち明け、盗んでいた下着類を含めてすべての証拠を提出した。犯人が俺であることは被害者である女子達とその家族に伝わり、俺達の家に怒鳴り込んで来る家庭もあった。 自首をしたのは金曜日だったので、土日の間に俺の犯行は瞬く間に学校中の人間に知れ渡った。 俺が十三歳の子供だったこともあり、こうして学校にも通えているが、道義的な意味での禊はこれからも続いて行く。生涯俺は下着泥棒の汚名を背負い、後ろ指をさされ、時にはさっきのような私的制裁にさらされることとなるのだ。 「……庇い切れるか心配なんだけど。つかさ、こんなことになったらもうあたしあんたのこと脅してもしょうがないし、芽衣子ちゃんの下着だって手に入らなくなるじゃん」 「あんな良い子の下着なんか盗めん。約束破ったのは、悪かった」 「約束じゃなくて脅しなんだし、謝るようなことじゃない。……つかひょっとしてそれが自首した理由? 芽衣子ちゃんの下着盗むの嫌だったから、自首したの?」 「それもある。でも、一番の理由はそれじゃない」 「じゃあ何?」 「俺はおまえが好きなんだ」 言った。言うことが出来た。 何年も何年も、心のどこかには燻り続けていた気持ちだった。決して表に出すことは出来ないだろうと、自分自身に対しても厳重に鍵をかけて隠し続けて来た、そんな想いだった。 有村は狼狽えたように表情を歪ませる。そして俺の顔を見返すと、僅かに震わせた声で、言った。 「だったら何なの? それがどうして自首することに繋がるの?」 「下着泥棒なんかと付き合う女はいない」俺は答える。「そんな俺じゃダメなんだ。自分のしたことをまずはちゃんと清算してからじゃないと、想いを告げることは許されない。意味がない。そう思ったんだ。だから、先に自首をしたんだ」 下着泥棒なんてのはただの慰みだ。己の怠惰が生んだ悲しみと寂しさから、そんな変態的な犯罪に手を染めることで埋め合わせようとし、本当の望みから目を背けていただけだ。 そんなことをしている内は、欲しい物は何も手に入らない。高科が教えてくれた。 俺は有村が好きだった。幼い頃からずっと、距離や関係を変えつつも彼女のことをずっと眺めて来て、からかわれたり凄まれたり脅かされたりしながらも有村のことがずっと好きだった。 時間は有限だ。想いを告げるなら一瞬でも早い方が良い。高科が勇気を出して自分の想いを俺に伝えてくれたように、俺だって同じ勇気を持たなければならなかった。 「好きだ。恋人同士になって欲しい。お願いだ」 「…………なんであたしのこと好きでいられんの? ずっとあんたのこといじめて来たじゃん? そりゃ、憎くていじめてたんじゃないよ? ただ異性ってことで変に意識して昔みたいに接せれなくて、変なちょっかいの出し方になっちゃってたんだけど。……でもあんたにしたらそんなの関係ないもんね。あたし、ただの嫌ないじめっ子じゃん。どうして……」 「おまえがこじらせてたことくらい、俺はずっと理解していたさ。だから、そのことでおまえを嫌ったりはしない」 「あたしのどこが好きなの?」 「意外と優しいし、それと、何より……」 「それと?」 「顔とボディが良い」 俺が堂々と言うと、有村はそこでポカンとした表情を浮かべた。 「は? いやちょっと、なんそれ? 何言ってるのあんた?」 「本気で顔が好きで何が悪いんだ? おまえはトリプルAランクの超美少女だ。おっぱいもでかいし尻の形も良い! 最高だ! 最高なんだよ綾乃!」 「心象考えろちょっとは!」有村は顔を赤らめて言った。「無視か? これから交際を申し込もうっていう異性に対する心象は無視か! 正直すぎるでしょ何考えてんのジョージ」 有村はこちらに指を突きつけて、息を切らしながら笑う。 「おっかしー! おっかしーな本当。昔っからちょーっおもろいんだっ、あんたって奴は!」 そう言って腹を抱えて一しきり笑い、目の横に僅かに涙の粒を浮かべながら……少しだけ赤くした目で有村は静かに告げる。 「あたしに告る為に自首なんかさせてごめん。気持ちは嬉しいよありがとう。でもね……」 有村はそう言って、俺の肩と掴んで、優しい声音で言った。 「あたしは芽衣子ちゃんが好き。ごめんね。それに、あんたは恋人っていうより、弟なんだ」 「……そうか」 覚悟していた答えだ。そうなる可能性も高いと思っていた。それでもしかし、頭を殴られたようなショックと落胆がある。立っていられなくなり、その場で膝を着き、一人打ちひしがれながら……しかし俺は思った。 想いを告げられて、良かった。 下着泥棒であることを学校中に告白した俺が、いつまでこの街にいられるかは分からない。家族にだって迷惑をかけるだろう。転校しようと両親が言いだしたっておかしくはない。 チャンスは本当に限られていた。気持ちを伝えられて、本当に良かった。 「……泣かないでね。ジョージ」 「ああ。大丈夫。泣くもんか」そう言って俺は立ち上がり、笑う。「気持ちを聞いてくれてありがとう綾乃。だから……今度は、おまえががんばれ」 「がんばるって……何を?」 「高科のことだよ」 そう言うと、有村は途端に胸を撃ち抜かれたような表情になった。 「高科のこと、好きなんだろう? だったら、もうちょっかいをかけるのは止せ。知ってるか? 高科は如月大学附属の音楽高校を志望しているんだ。おまえの進路はそこじゃないだろ? だからさ、もう時間は限られてるんだよ? ずっといじめっ子といじめられっ子の関係で終わるのか? それは、あんまりなんじゃないのか?」 「な、何さ? あんた、説教? ジョージの分際で……っていうのは、もう言えないね」有村は俯いて、両手を握りしめる。 そうだ。言えない。言わせない。俺は勇気を出した。清算すべきことを清算し、想いを伝えたのだ。ならば、今の俺にならこいつに言葉をぶつける資格がある。 「俺だって、おまえを好きだって認めてから分かったよ。人を好きだって言う気持ちって、本当にもどかしくてじれったいんだ。その気持ちが叶わないことって、本当につらくて、怖いことなんだ。そんな気持ちをおまえはずっと抱え込んでいるべきじゃないし、高科だってずっとおまえを誤解したままでいるべきじゃない」 「誤解なんかじゃない。どんな理由があったって、あたしはただの卑劣ないじめっ子」 「謝れば良い。すぐには許されないかもしれない。でも、高科が好きで、高科の良さを理解しているおまえなら、きちんと誠実に接し続けていればいつか気持ちが伝わるって……分かるはずだ」 こいつは自分が惚れた高科に対する信頼よりも、自分自身に対する不信感の方が上回っているんだ。ただでさえ同性愛という茨の道で、いじめなんかをやってしまっている負い目で、自分に自信がなくなってしまっている。 一歩を踏み出す勇気がなく、代償行為はほとんど最悪と言って良い形のもので、そんなことで時間をすり減らし続ける。 そんな日々は悲しくて空虚で怖いはずだ。本当は、今すぐにでも終わらせたかったはずなのだ。 「……良いのかな?」 有村は赤くなっていた目からぽろぽろと涙を流し始める。 「あれだけいじめたのに……なのに、急に好きだなんて言いだして、そんな自分勝手、良いのかな?」 「良いさ。それがおまえの気持ちなんだったら。大丈夫、ちゃんとぶつかれ。おまえは俺が知っている中で、一番強い気持ちを持った人間だ。きっと、願いを叶えられる。……がんばれ」 俺が言うと、有村は真下を向いて震え、しばらく俯いていた後で、振り絞った勇気を宿す様に胸に手を当ててから、強く頷いた。 〇 有村のことが好きだった。輝くような容姿を持ち、見ているだけでも胸をときめかせる有村が好きだった。誰よりも勇気があり、気高く、ああ見えて優しさや正義感も持ち合わせていてる有村が好きだった。それでいて自分の気持ちに素直になり切れず、こじらせて愚かな真似をしてしまう純粋さを持った、そんな有村が好きだった。 片思いの相手と恋敵の関係を激励し、有村が中庭から出て行って、俺はようやく、一人で涙を流すことが出来た。 「……ちくしょう。なんでだよ。なんでダメなんだよ……」 覚悟していたことのはずなのに、嘆きと悲しみが収まらなかった。ただ心のどこかでは、なるべくしてなったという納得も感じていた。 有村の高科への想いは歪んだものだが、しかし真っ直ぐで綺麗な気持ちだけが本物な訳でもない。既に付け入る余地はどこにもなかったのだ。そしてそれは、今日まで俺がウジウジと手をこまねき続けていて、時期を逃したのが原因だった。 もっと早く、自分の気持ちに向き合って、有村に釣り合う男になれるよう努力すべきだった。暗い日陰者でも、大した取り得がなくても、ただ自分に胸を張ってしゃんと背筋を伸ばして生きようとすべきだったのだ。 そうしていれば下着泥棒になど手を出していなかった。俺は愚かだった。その愚かしさに気が付いた時には、もう既に、想いを伝えてもどうにもならなくなってしまっていた。 残ったのはただ、惨めな変態の汚名だけ。 「いためることを、恐れるあまりにー。冷たく突き放す、愛もー、あるさ」 歌声が耳朶に響く。合唱部がいつも部室で練習している曲だった。 「男にはー、自分の世界がーある。例えるなら、風をはらい、荒れ狂う稲光ーっ」 信じられないくらいに綺麗な声だった。しなやかな力強さが備わっていて胸に響くのに、凄みや苛烈さよりも柔らかみや清涼さ、優しさの方が聞く者の全身に滲むのだ。歌う者の目の前にある物をありのままに理解し認め、その全てを包み込もうとするかのような、そんな歌声だった。 「……高科?」 気が付けば、高科が俺の隣に立って、目を閉じて歌を歌っていた。 「都会のー、闇にー。体をー溶かして。口笛吹いてる、男の美学」 高科は眼鏡をしていなかった。髪の毛も良く整えられていて、これなら誰にもダサさや野暮ったさを指摘されない、文句なしの美少女と言えそうだった。 「……この歌、合唱部では定番で、良く歌うんだけど」高科は目を開けて、その黒い真珠のような瞳を俺に向けて、言った。「『ルパン三世のテーマ』。なんだか不破くんみたいだね」 俺は苦笑を浮かべる。 「……俺は怪盗じゃない。単なる下着泥棒だ」 「でも自分から捕まったりはしなかったしょ。聞いたよ、自首だって」 「そうだけどさぁ……」 そう言って俺は涙を拭って、高科の方を向く。 「眼鏡どうしたの?」 「やめた。コンタクトにする」 「目に入れるの怖くないの?」 「克服した。眼鏡がないほうが良いってあなたが言ってくれたから、そうしようと思うの」 「俺の言うことなんて聞くことないよ。幻滅しといてくれよ。俺なんか……」 「確かに、人の物を盗むのは良くないよね」高科はそう言って、俺と同じ目線に膝を折り曲げる。「でもね、償えないことなんて世の中に存在しない。気付くことが出来て、正しい行動が取れた時点で、その過ちはあなたにとって価値のあるものになる。自首をしたあなたはそういうことをしていると思う。だから、大丈夫だよ」 この子は本当に掛け値なく優しい。そこに有村は惚れた。俺では敵わなかった、あまりに強力な恋敵だ。 「どうして泣いてるの? クラスの子に何か嫌なことでもされた?」 真っ直ぐに、高科は俺に訊いて来た。泣いている人を見かけたら、気を回してそっとするなどとはせずに、まずは駆け寄って理由を聞いてやる。高科の持つ優しさは、そういう類のものだ。 打ちのめされていた俺は、そこに寄りかかる気になった。 「女の子に振られたんだ」 「誰に?」 「有村」 高科は目を丸くした。 「ずっと好きだったんだ。でもやっぱり……俺じゃ相応しくなかった。こんな卑怯な俺じゃあ、ダメだったんだ」 「……あなたは女の子に振られて、気持ちが落ち込んでいるだけだよ」高科は諭すように言った。「正直に気持ちを打ち明けられたのはすごいことだよ。卑屈にならなくて良い。あなたは頑張った。今は目一杯落ち込んで、泣いちゃおう。そしたら、ちょっと元気になる」 なれるのだろうか? この最悪の気分から、少しでも俺は立ち直ることが出来るのだろうか? 「お父さん言ってたよ。若い時人は自分の気持ちを整理しきれなくて、色んな失敗をして、たくさんの後悔を残すことになるけれど。でもちゃんとそれを噛み締めて大人になれば、一つ一つが熱を帯びた思い出になって、手放しがたくなるって」 俺の下着泥棒もいつかそういう記憶になるのだろうか? 性欲に突き動かされ、しかし正面から女の子と向き合うことは出来ず、ベランダに忍び込むことばかりを考えていたその時間は、俺にとって尊いものだったのだろうか? 「たくさん勉強をしたり、部活動に打ち込んだり、恋が実ることも、もちろん大切な時間だよ。そうなるように頑張った方がきっと良い。でもね、色んな事が上手く行かずに、暗いところでもがき続けたような日々だって、その人にとってかけがえのない、その人だけの輝きには違いないんだって。……あなたに振られた日の晩に、お父さんがそんな風に言って慰めてくれたんだ」 高科は吹っ切れた表情で俺を見詰め、悪戯っぽくこう続ける。 「この恋はわたしだけのもので、かけがえのないものだ。叶わなかったけれど、でもきっと一生の素敵な宝物になる。ありがとう。だからあなたも、きっと元気を出して」 許されて、励まされて、元気づけられて。 前を向かねばならない。俺はそう思った。 失恋の痛みはすぐに癒えない。己の愚かしさはすぐには直らない。けれど、ここにこうしてちゃんと立ち直ろうとしている女の子がいるのだから、俺だっていつまでも伏して泣いている訳にはいかないのだ。 立ち上がろうとした俺に、高科が手を差し伸べてくれる。 俺はその手を掴んだ。 〇 「本当に、転校しなくて良かったのね?」 ある日の登校前、仕事が休みの母親にそう念を押されて、俺は「うん。母さん」と答えた。 あれから様々なことが俺の身に起きた。学校では机に落書きがなされたり、持ち物が紛失するなどと良くあるいじめが行われた。被害者の家に家族ぐるみで謝りに行ったり、カウンセラーと話をしたりなど、日々は慌ただしく過ぎて行った。 単身赴任している父親のところへ転校するという話も出たが、俺はそれを固辞した。自分のしたことが招いた結果から逃げて、全部なかったことにしてしまうというのは、なんだか申し訳が立たないような気がしたのだ。 「そう。でも無理はしないこと。あんたのしたことは許されないけれど、だからって降り注ぐ火の粉を無限に浴び続ける理由はないんだから。何でも母さんに相談して」 そんな言葉に見送られ、俺はその日も学校に向かった。 登校中、二人並んで歩いている、有村と高科の姿を見付けた。 「あー。ジョージじゃん!」そう言って有村がこちらに気付いて手を振った。「おっはよー変態しょーねん」 「それはもうやめてくれよな」俺は苦笑する。 「そうだよ有村さん。学校で不破くんのあだ名もうそれになっちゃってるじゃない」高科がとりなすように言う。 「あたしが呼ばなくたって誰かがもっと酷いあだ名考えるよー? テキトウにガス抜きさせておいた方が良いんだって阿呆共は。本当にヤバいことしそうになったらあたしが締めるし」そう言って有村はパンパンと俺の肩を叩く。 そう言うものかもしれない。俺は思った。 「芽衣子ちゃんもなんか見かけたらすぐあたしに言うんだよ? こいつバカだから、何やられても自分じゃ何も言って来れないから」 「おまえに告げ口するような情けない真似するかよ」 「いやぁ。ちゃんと頼って、相談してくれた方が、有村さんは嬉しいんじゃないかなぁ」高科は控えめな口調で言う。「有村さん、頼りになるよ。最近、あたしが他の人にちょっかい出されてたりしたら、すぐに飛んできて助けてくれるんだ。助かってるよ」 最近では、高科も有村のことを信頼し始めていた。こうして二人並んで登校し、談笑する姿は、もう親しい友達と言っても何ら問題ないものだった。 全ては、有村が勇気を出して、高科に想いを伝えたからだ。 『め、芽衣子ちゃん。今まで嫌なことして来て本当にごめん。あたし、反省したんだ。もう何もしない。これからずっと芽衣子ちゃんの味方だから、友達になって』 そんなことを有村は、顔を真っ赤にして高科に告げた。高科は最初目を丸くしていたけれど、しかし瞼を震わせながら必死の口調で呼びかける有村の姿は、見る者が見れば嘘ではないと分かる類のものだった。 『すぐには信用してくれないと思う。だけれど、あたし償えるように頑張るから。友達になってもらえるように頑張るから。だから……』 『うん。いいよ』高科は、これまで自分をいじめ続けていた有村に、そう言って見せたのだ。『分かった。あなたを信じて見ることにするね』 「わたし、本当は有村さんのこと、憧れてたんだ」高科は言った。「本当に綺麗で、堂々としていて恰好良くて、いつもみんなの輪の中心にいて。わたしが欲しくて持ってないもの、全部持ってる。すごい人なんだなって、敵わないなって、ずっと思ってた」 「そんな」有村は本気で動揺し、開いた両手を前に差し出した。「芽衣子ちゃんの方がずっとすごいっ! だからそんなこと言わないでマジで胸痛いから! それに芽衣子ちゃんだって綺麗じゃん! ねぇ、ジョージ」 「そうだな」俺は心から同意した。「高科は綺麗だ」 「あは。言葉でも嬉しいけどさ。でもわたし、不破くんに下着盗んでもらってないし……」 「何言いだすのこの子!」高科の言葉に、有村は表情を引き攣らせた。「こいつにパンツ盗まれるかどうかを基準にしちゃダメだって! どうかしてるよ芽衣子ちゃん!」 かしましく会話を続ける二人の女子には、共に本気の笑顔が浮かんでいる。高科はいじめを受けることがなくなり、有村は以前よりは余程健全な関係性を高科との間に築きあげている。 『芽衣子ちゃんは本当に優しい。こんなあたしにチャンスをくれた』 最初に謝罪をした後で、有村は俺にそんな風に報告した。 『好きだってことは話してないんだけどね。流石にそれはまだドン退きされると思うから。でも絶対に諦めない。たくさん酷いことしちゃったけど、でも一生懸命頑張って、償って、いつかこの気持ちを伝えるんだ』 そんな風に語る有村のことを、俺は素直に、応援してやる気になった。片思いの相手と恋敵との関係だったが、しかし失恋の痛みを知った俺だから、有村には同じ思いをして欲しくないとそう思ったのだ。 やがて学校に辿り着き、俺達は教室の中に入る。 クラス中の視線が俺を射抜くが、構わない。 仲間達の嫌悪感に満ちた視線を受けていると、針の筵にいるような気持ちになる。だが、それも仕方がない。全てを受け止める覚悟を持って、俺はここにいるのだ。 自分の席に向かうと、机が倒され、中身があたりに散らばっていた。高科が顔をしかめ、有村が視線を鋭くする。俺は淡々と、何者かによって無残に転がされた自分の学習机を持ち上げた。 「これ」 そこで、束ねられた教科書が差し出される。 三村だった。俺が下着を盗んだ女生徒の一人で、俺をリンチしようとした男の交際相手。 「あんたには嫌なことされたけど、でも別に私はこういうの望まないから」三村は仏頂面でそう言った。「あの時あんたがボコられそうになったのも、彼氏が勝手にやったことだよ。それはごめんね」 そう言って三村は黙々と、教科書を披露のを手伝ってくれた。 「ありがとう」 「うん」 三村はその場を立ち去って行く。そのことが、俺は肩が震えんばかりに嬉しかった。 「良かったじゃんジョージ」有村が言う。 「ああ。……そうだな」 ここからやり直すのだ。俺は思った。忌まわしい変態と呼ばれ続けても、真っ向からそれと向き合い正しい行いを続けていけば、それを見ていてくれる人は必ずいる。 それは苦難の道のりに違いはない。それでもそこを進もうと思った。罵声や迫害に押しつぶされて腐った気持ちで俯くのは苦しくとも簡単だけれど、それでは自分を変えられない。自分の本当の望みから目を反らし続け、恋人は愚か友達すら一人もいないまま、青春の時をすり減らし続けたあの頃のままだ。 「きっと大丈夫だよジョージ。あんたはしょっちゅうバカをやるけど、でもそこから立ち直ることもできる奴だから。大丈夫、必ずチャンスがある」 そう言って、勇気付けようと俺の肩を叩く有村の表情は、いつか一緒に河原を駆け回った時と何も変わらない。 これが俺の前に戻って来てくれたことを思うと、俺は本当に嬉しくて頼もしい。彼女の言う通り、俺は本当に大丈夫なのだと、そんな風に思わせてくれるのだ。 |
粘膜王女三世 2019年08月11日 23時51分44秒 公開 ■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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