『肌着幻争ミェーザ・ルハダ ~あたしのパンツの向こう側~』

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 鳴っていた。
 ブラジャーが。

 意味がわからない? うん、あたしも意味がわからない。
 場所は自室、時はお昼過ぎ。
 買ってきた新品の下着を試着している最中の出来事だった。
 下着の試着といえば、女の子にとって日常の隠れたイベントの一つだ。可愛い下着を身につけた自分を見て、「よーし、ちょっと可愛くなった!」と密かに自尊心を満たす心のひとときなのだ。
 その乙女の大事な時間を邪魔したのが、不意に鳴り出したブラだった。
 一瞬、スマホの着メロ? と思ったんだけど、今室内に鳴り響いているのはアナログなベルの音。
 そしてその音の出所は、何度確認してもついさっきまでつけていたブラからで。しかも一番のお気にで、去年の誕生日にお姉ちゃんからプレゼントされたやつだった。
 そのブラが今、力一杯鳴っている。
 まるでブラが寝ぼけて、そうだ自分は電話だった! と勘違いしたみたいに。りーん、りりーんとベルの音を、狂ったように打ち鳴らしていた。
「えっ……ど、どうやったら止まんの、コレ?」
 あたしはノーブラのまんま、床の上で異音を鳴らすブラをおっかなびっくりつついてみる。残念なことに、それで音が止まる様子はなかったけど。
「はぁー、何でこんな時に……」
 不意に、そんな声が聞こえた。
 続けてギィとクローゼットが開いて、何故か中からお姉ちゃんが現れた。
 睦月輝夜(むつきかぐや)19才、大学生。あたし、睦月姫花(ひめか)の姉だ。
 長く艶やかな黒髪に、すっと鼻筋の通った顔立ち。我が姉ながら美人だと思う。
 しかもそれでいてスポーツ万能かつ頭脳明晰。その上長身、スマート、かつ胸が富士りんご(Dだ)ってんだから、平凡な妹からするともうたまったもんじゃない。
 赤みがかった髪でショートで、童顔かつ背も低めで、おまけに姫りんごなあたしとは似ても似つかない。
 某甘栗みたいに『なんとあの天が、二物も三物も与えちゃいました!』とかキャッチコピーをつけたくなるような、そんなレベルだ。
 でも流石の天も、まずい盛りすぎた、と最後の最後で我に返ったのか、釣り合いを取るために一個巨大な欠点を与えたみたいで。
 お姉ちゃんは――――ちょっと深刻なシスコンなのだった。
「……あ、あたしの部屋のクローゼットでなにしてたのかな? お姉ちゃん」
 しかも、ハンディカメラ片手に。
 明らかにいかがわしい目的があったとしか思えない状況に、あたしは戦慄と恐怖を隠しきれない。
 しかし驚くべきことにこの状況下において、お姉ちゃんはまるで動揺した様子を見せない。どころか、今なお涼しい表情を浮かべたままで。
「え? 私の可愛い可愛い姫ちゃんの生着替え撮影だけど?」
「うん、ちょっとは欲望を隠そうか?」
 悪びれることなく説明するお姉ちゃんの手から、あたしはカメラをひったくる。そして速やかにメモリー確認。
『姫ちゃんのドキドキ生着替えタイム☆高校一年生編・夏 2019・08・11』
 そのまんまなフォルダ名を見つけて即座に消す。容赦なく消す。一片の希望も与えずに消す。
 その最中、ふと妙に長いフォルダ名が目にとまった。
『姫ちゃんが、このフォルダを見ているということは、お姉ちゃんはすでにそこいないでしょう。――――そう、全てはこの時のための布石☆』
 わけがわからない。
「あのさ、お姉ちゃん。これってどういう……あれ?」
 気がつくと、お姉ちゃんは忽然と姿を消していた。
 しかも、異音を響かせていたブラと共に。
 いやそれどころか、脱いだばかりのパンツまでもがなくなっ、
「ぅお姉ちゃ――――んっ!?」
 あたしは慌てて部屋を飛び出した。
 ノーブラなせいで姫りんごがぷるぷるしてるけども、んなこと気にしてる場合じゃあない! 一刻も早く性倒錯者の魔の手からブラとパンツを奪還しないと、いったい何をされるか!
 廊下に出ると、丁度お姉ちゃんの部屋のドアが閉まるところ。
 あたしはダッシュで駆け寄り、鍵をかけられるより早く、
「確保――――っ!」
 壁でバウンドするぐらい、勢い良くドアを開けた。
 だけど。
「……あ、あれ?」
 部屋の中に、お姉ちゃんの姿は見当たらなかった。その代わり、床の上にあたしのパンツが。
「どうせまたクローゼットに隠れてんでしょお姉ちゃん! それともベッドの下っ?!」
 声を張り上げながら順番に見ていくも、犯人確保ならず。もちろん、ドアの後ろに隠れている、なんてこともない。
 ……おかしいな、確かに部屋に逃げ込んだんだと思ったのに。
 それでもパンツを取り戻せたなら良しとしようか、と何気なくパンツを覗き込んだ時だった。
「はきゃ?!」
 あたしは思わず、変な声を漏らした。
 手にしたパンツの中、そこにうっそうと生い茂った森の映像が映し出されていたからだ。
 さらに覗き込んでみると、木々の間を駆け抜けて行くお姉ちゃんらしき後ろ姿までもが。
「は……はきゅ?」
 あ、また漏れちゃった……。




「すごい……ホントに本物の森だ……」
 感嘆を漏らすあたしの目の前に広がるのは、そびえ立つ木々に、樹冠の隙間から差し込んでくる日差し。そして木々の香りと、それを運んでくる穏やかな風だった。
 そこは間違いなく森の中だった。
 ただ、今のあたしは石畳から顔だけ出している状態で、首から下はまだお姉ちゃんの部屋の中だったりする。
 何でそんなことになっているのかというと、パンツに顔を突っ込んでいるからだ。
 うーん、物は試しだったけど、まさか本当に森に出るなんて……。
 パンツの中にお姉ちゃんらしき後姿が見えたことから、もしかして中に入れるんでは? とは思ったものの、こうして実際に体験してみてもなお信じられない。
 ちなみに最初は手や足で試してから向こう側に出られると確信したんだけど、流石に顔を突っ込むにはかなり時間がかかった。だってコレ、使用済みのパンツだし。
 やっぱね、抵抗あるよ。むしろ抵抗しかないよ。自分のだってヤダよ。
 でもってそのことを考えると、おそらくはコレをごく短時間の間に通り抜けたであろうお姉ちゃんのためらいのなさに、底知れぬ不安を覚えるあたしだ。
「はっ、もしや日常的に、や」
 そこで、思考を停止する。
 夏の会談は学校の七不思議とか幽霊の話で十分だ。身近に潜むリアルな恐怖とか、怖すぎて洒落にならない。
「にしても、ここっていったいどこ?」
 変わらず見えるのは木々や茂みばかりで、他にめぼしいものは何もない。と言うか地面から首だけ出してる状態じゃ、どうにも周りの様子がよくわからなかった。
「んー……よしっ」
 決心まで一秒。あたしは、ここまで来たらもう完全に抜け出してやろうと決める。
 地面に両手をついて、腰から下を引きずり出す。そうしてパンツを完全にくぐり抜けて、二本の足で立ち上がった。
「……うん、地面だ」
 はだしの足裏に感じる感触に、あたしは思わず至極当然なことを口走る。でも同じ状況にあったら、きっと誰もが似たようなことを言うはず。
 とりあえずあたしは自分が出て来た石畳に目を向けると、そこには魔方陣のようなものが描かれていた。ただそれは五方星とかの星型じゃなくて、円の中に横線の引かれた逆三角が書かれているだけ。それはぱっと見、パンツのようにも見えた。
「――――黒騎士(くろきし)殿ー!」
 突然の声に、あたしはとっさにその方向に目を向けた。
 すると、そこには数人の人影が。
 それも現実には今まで見たことがない、西洋風の兜と鎧を着込んだ騎士としか言いようのない人達だ。
 兜のせいで顔は見えないけど、その人達はみんな女の人っぽい。って言うのも、どの鎧にも胸の膨らみがあったから。
 その騎士の人達は腰まである茂みを踏み分けて、こっち向かってくる。
「見つかったか?」
「いや、この辺りにいるはずなのだが……。ん? 誰だお前は!」
 騎士のうちの一人が、あたしを見つけた。
「あ、あたしはその、なんていうか……怪しいやつとかじゃなくて!」
「どこがだ! こんな森の中、パンツ一枚でいる少女など怪しいにもほどがある!」
「え? あっ! そ、そうだったーっ!」
 あたしはいまだノーブラパン一だったことを思い出し、すぐさまマイ姫りんごを手で覆った。
「え、えっと、あのっ! これにはちょっと事情があって……え?」
 あたしはここまでの経緯を説明しようとして、だけど騎士の人達が茂みを抜けたところで絶句した。
 四人は確かに騎士らしかった。
 いや、実際に騎士なんだとは思う。
 けど、一点だけおかしなところがあって。
 全体的にその人達、鎧姿なんだけど、腰まわりだけ鎧を着けてなくて。
 ようするに、パンツ丸出しだった。
「な、ななななな! なんだあんたらは――――っ!」
「なんだ、だとっ?! こいつ……我らパンツ四騎士(きし)を知らぬとは、ますます怪しい!」
 パ、パンツ四騎士っ?!
 耳慣れない名称に、なんじゃそりゃ! と思いつつ、あたしはちらっと自称パンツ騎士達に目をやる。
 まず目に入ったのは、紐パンの騎士。
 この茂みの中で紐パンとかどうよ? と思うんだけど、案の定どこかでひっかけたのか、片方が解けかかっていた。
 二人目、こっちは縞パンだった。
 森林の中の縦じまは迷彩になる、とか聞いたことがあるけど、この人のパンツは赤と白のボーダー柄だから逆に凄く目立って見えた。
 三人目は可愛いネコのキャラクターがプリントされたパンツなんだけど……四人の中でもっとも長身で身体がごついせいか、微妙な気持ちになる。あと、年齢的なものも気になった。
 そして最後の一人は……その人は、どう見てもパンツを履いていなくて。どう見てもまるだしだった。
 え……もしかして、森の中を歩いている途中でどこかで引っ掛けたとか?
 いや、だとしてもそのままでいる理由ってなんだと思いつつ、おそるおそる聞いてみることに。
「あの……」
「なんですの?」
 と、四人目のパンツ騎士。
「ど、どうしてあなたはパンツをはいてないんでしょうか?」
「は? そういうつまらない質問はおやめくださいませんこと? それはアタクシがノーパン騎士だからに決まってますわ!」
「……」
 ノーパンは! パンツじゃないよっ!
 しかもこの人、どうして毛を剃っ……キウィフルーツ! キウィフル――――ツ!
「うわぁああああっ! 変態だぁ――――っ! どっからどう見ても変態だ――――っ!」
「へっ、変態だとっ!? おのれ貴様っ! 隊長を愚弄するかっ!」
「我らのことを侮辱するならまだしも! 変態を隊長呼ばわりするとは!」
「その言動もはや許しがたし! 変態長に代わり成敗してくれる!」
「あ、貴女方! さりげなくアタクシを変態呼ばわりしてませんことっ!?」
 どうやらキウィさんは隊長だったらしい。キウィさんを侮辱されてか、激昂した三人の騎士達が一斉にあたしに詰め寄る。
 と。
 その瞬間、急に視界が薄暗くなった。
 不思議に思い頭上を見上げると同時、何か黒くて巨大な物体が丁度騎士達とあたしの間に落下。
 直後に発生したのは、激しい爆音と、振動と。
 巻きあがる土砂と、揺れる木々と。
 慌てて逃げ出していく鳥の羽音に、びりびり森全体を揺るがす衝撃で。
「ぅわわわっ!」
 あたしはとっさに目を閉じ、しゃがみ込んだ。
 ややあって森が元の静けさを取り戻した頃、あたしはおそるおそる目を開けてみた。
「うわ……」
 地面が、陥没していた。
 それもまるでクレーターみたいに、丸く地面がへこんでいた。どれだけの重量のものが落下すればそんなことになるのかわからないけど、とりあえず落ちてきたものが凄く重いものだったことがうかがえた。
 さらにクレーターの中心に目をやると、地面を陥没させた黒い球体の正体がわかった。
 それは、ブラだった。
 真っ黒い、巨大なブラジャーだった。
 それも左右のカップが合わさって、ハンマー投げの鉄球みたいな形になった。
「な、ななななっ?! なんっ、じゃこりゃ――――っ!?」
 あたしの叫びに触発されてか、どうやら無事だったらしい騎士達が同じくクレーターを覗き込む。
「くっ、まさかこれはっ?!」
「この黒い吊着(つるぎ)、間違いない……」
「伝説の吊着『夜のブラスィエール』!」
「……まったく、ちょっとお戯れが過ぎるんじゃありませんこと? ラ・シュヴァリエール・ド・ノワール!」
 いきなり、キウィさんがあらぬ方向に呼びかけた。
 傍目には、その方向には誰もいなくて、ただ茂みがあるだけで。
 でもその茂みの方向に、巨大化したブラの紐が続いていた。そしてその茂みを揺らして、誰かがゆっくりと姿を現す。
「……大丈夫だった? 姫ちゃん」
 それはお姉ちゃんだった。



「――――申し訳ありませんわ! アタクシ、まさか黒騎士殿の妹君とは夢にも思わず……」
「あー、いいっていいって。とりあえずなんにもなかったんだから。ねぇ、姫ちゃん?」
 馬車の中、目の前でそんなやりとりがなされる。
 車内にいるのはあたしとお姉ちゃんと、それとキウィさんの三人。他のパンツ騎士の人達は護衛のために各自馬に乗ったり、馬車の操縦にまわってくれていた。
 とりあえず、あたしは思う。
 何でキウィさん、車内でも兜かぶったままなの? そしてなんで、キウィさんのキウィちゃんはそのままなの……普通逆だよね? あと、正面に座ってるからすごい視界に入っ……。
 じゃなくて!
「あのさ……お姉ちゃん、さっきのって何? あと、なんでこの人と知り合いなの? 黒騎士ってなに? でもって、ここどこなの?」
 あたしが矢継ぎ早に質問すると、お姉ちゃんは頭の後ろで腕組みをして。
「んーまあ簡単に言うと、ここは『ミェーザ・ルハダ』。下着が不思議な力を持つ異世界ね」
「し、下着が不思議な力を持つ異世界? ミェーザ……るハダ?」
 まるで耳慣れない単語を、あたしはただオウム返しする。
「そ。私達の下着と素肌が触れ合った瞬間に生まれ、私達の下着と素肌の隙間に存在する、私達の世界から分岐した世界」
「それが……ミェーザ・ルハダ?」
「そゆこと。ちなみに異世界なのに言葉が通じるのは、私達の世界から分岐した世界だからね。……まあ、細かいところは私もわからないんだけどさ」
 お姉ちゃんは苦笑混じりにそう言うものの、あたしは全然それどころじゃない。今聞いた話を理解しようとするだけで手一杯だ。
「あ、あのさ。いきなり異世界とか、全然意味わかんないんだけど……」
「でも姫ちゃんもパンツを通ってこっち側に来たんでしょ? それに、巨大化したブラとか、パンツ騎士とか色々見たでしょ?」
「そ、それはそうなんだけどさ。ほら、これがまだ夢とか幻覚って可能性も「えいっ☆」ぃいった――――っ!?」
 いきなりお姉ちゃんが、いまだノーブラなあたしの姫りんごのヘタをつねった。
 しかも、ダブルで。
「ほらね? 夢でも幻覚でもなかった」
「言いたいことはわかるけどもっ! でもこういう時ふつーほっぺたつねるよねっ!?」
「姫ちゃんのそこがとっても可愛くてムラっと来たからつい……」
「あんたは可愛いものを見てムラっときたら『つい』でつねるんかい!」
 さりげなくひどい性癖だった。
 うう、ちょっとヒリヒリする……くうっ! 姫りんごなのにヘタだけ伸びたらどうしてくれんのさっ!?
「……まあ、これが幻覚とかじゃないってことはわかったけどさ。じゃあ、お姉ちゃんがパンツ騎士と知り合いなのは?」
「ああ、それは私がこっちの世界の英雄だからね」
「英雄……それってこっちの世界で言うところの変質者って意味?」
「姫ちゃんひどくないっ?!」
 いや、ひどくはないと思うよ。普段の行い的に。
「……ぷっ」
 そのやりとりを見ていてか、キウィさんが密かに笑いをこらえていた。
「あのー、こやつこんなこと言ってますがホントなんですか?」
「え? ええ、事実ですわ」
 キウィさんが深々とうなずく。
「貴女の姉君は、今まで誰も神像から脱がせることの出来なかった伝説の吊着(つるぎ)『夜のブラスィエール』を脱がせ。我が国最強の騎士たる『黒騎士=ラ・シュヴァリエール・ド・ノワール』の称号を持ち。これまでにギの国を三度救った大英雄! ギの国でカグヤ・ムツキの名を知らないものはいないほどですわ」
 キウィさんはまるで、自分のことのように誇らしげに説明してくれる。だけどあたしとしてはそれでもなお、イマイチ実感がわかなくて。
「お姉ちゃんが、大英雄……?」
「はーい、大英雄ですよー?」
 隣に目を向けるも、意味不明に手をあげている変な人がいるだけだった。
 大英雄? なにそれ、新しい携帯電話会社?
「ど? 姫ちゃん、理解出来た?」
 お姉ちゃんにそう訊かれたものの、あたしは深々と溜息を一つ吐いて。
「……あのね、お姉ちゃん? あたし騙されないから。お姉ちゃんが英雄? 下着が不思議な力を持った異世界? そんな異世界あるわけないじゃん、馬鹿馬鹿しい。つくならもっとマシな嘘ついてよね」
「え、え――――…………?」
 異世界、ってのはホントだと思う。その点に異論を挟む気はない。そうでないと説明がつかないことが多すぎるから。
 でも下着と素肌云々は、ない。ありえない。そんな異世界、あるはずない。
 そもそもあのお姉ちゃんと、ノーパン変態騎士さんの言うことだ。頭から信じるのは危険すぎる。
 あのお姉ちゃんのことだし、こんなことを企んでいる可能性だってある。
『あのね? 姫ちゃん。このあたりはノーパンが正装で、みんなパンツを脱がなきゃいけないの。だから姫ちゃんもパンツ脱ごう? ね? ほら、お姉ちゃんが脱がせてあげるから――――』
 ありえる。ありえすぎる。あのお姉ちゃんなら、やりかねない!
 ……ふっふっふっ残念だったねお姉ちゃん、あたしはそう簡単に騙されないんだから。
 そうほくそ笑んで、何気なく車窓から空を見上げる。
 そして――――見た。
 空に、昇る太陽を。
 でもそれはなんだか、あたしの知る太陽とちょっと違ってて、ん? と凝視してみる。あるいは、そんなはずはない普通の太陽だ、と思いたかったのかも。
 でも。
 どうみても。
 その太陽は、パンツを履いているように見えて。しかも、縫製のあとすらうっすらと見えて。
 それは何度見直してみても同じで。
 言い訳のしようも誤魔化しようもなく、見事にパンツを履いていて。
「まあ……そういう異世界もないとは限らないよね……」
 色々と諦めたあたしの呟きは、誰にも届くことなく馬車の音に紛れて消えた。

 ○
 △

 三十分ぐらい経った頃、馬車はギの国に到着した。
 ギの国は広大な城壁に囲まれていて、馬車は城門を抜けて中に入る。
 城門を守る兵士の人達は、パンツ騎士同様に下着むき出しだった。しかもみんな一様に白のブリーフを履いた男の人達で、その手に握ってるのも槍とかじゃなくて白ブリーフを括りつけた棒だった。
 ……もしかして、あれがこの世界の槍? どうやって使うの、あんなの。まるで想像出来ないんだけど。
 あたしがげんなりしていると、馬車はさらに大通りに差し掛かる。すると町の人達の姿が目に入るようになった。いかにもな中世ファンタジーっぽい商人とか町人に紛れて、下着のみで歩いている人を時々見かけた。
 それでも誰も気にしていないところを見ると、つくづくこの世界はそういう世界なんだなって思い知らされる。
 そして大通りを抜けると、巨大なお城が見えてきた。それも子供の頃に憧れた、いかにも王子様やお姫様が住んでる感じのお城だ。三角コーンみたいにとんがった赤い屋根が遠目にもよく目立った。
 馬車がお城に近づいていくに連れて徐々にその外観が見えてくる。ロミオとジュリエットが逢引してそうなバルコニーに、バラの花が咲き乱れる庭園。そして入り口前に作られた噴水だとか。
 くぅ~、こんなお城に住んでみたかった!
 ちょっとお姫様になった気分であたしがうっとりしていると、馬車がお城の入り口前で停車する。そして馬車を降りると出迎えてくれたのは、燕尾服を着た初老の執事さんみたいな人だった。
「黒騎士様、王女殿下がお待ちです。ささ、中へ……」
 うやうやしく一礼し、そう促す執事さん。
 じいやだっ! リアルじいやだっ!
 内心テンションMAXのあたしとは裏腹に、お姉ちゃんは落ち着き払った様子で従う。
 くっ! お姉ちゃんめ! 今までこんな良い思いをしていたのか!
 うらやましさと妬ましさに身を焦がされつつ、お姉ちゃんの後ろについていく。
 そして通されたのは、絢爛豪華な緋色の絨毯が敷かれ、煌びやかなシャンデリアが天井で輝く広い部屋だった。
 アンティークな、と言ったらおかしいんだろうけど、元の世界だったらそう呼びそうな家具や調度品で飾られた部屋の中は、いかにも王族らしい煌びやかさに満たされていた。
 あたしには芸術品の類だとかはよくわからないけど、飾られている花瓶も絵も、敷かれている絨毯も、なんとなくお高そうだ。
 そこでしばし待っていると、かつんとヒールが石畳を叩くような音がやたら早いテンポで近づいてきた。それと一緒に、人が叫ぶ声も。
「殿下! お待ちください! 王女殿下!」
 やがて付き人らしき女の人を伴って、一人の少女が現れた。
「はぁはぁ……失礼、ようこそおいでくださいました。黒騎士カグヤ・ムツキとその妹君。わたくしは、あなたがたの来訪を心より感謝いたします」
 その人物を見て、あたしははっと息を呑む。
 王女殿下と呼ばれたその少女が、まるで絵本から抜け出してきたお姫様みたいだったからだ。
 歳は多分、高一のあたしと同じぐらいかあるいは下。キラキラの金髪に、輝くような金色の瞳。その眼差しはどこまでも穏やかで、それでいてしゅっと鼻筋が通っていて。これぞ美少女って感じの女の子だった。
 着ているドレスもフリフリなレースをあしらった、いかにもお姫様な感じのドレスで。見ているだけで、ほぅとため息が出そうなぐらいに可愛い。
 でも、彼女には一つだけ違和感を感じる部分があった。
 その……ね。なんかかぶってんだ。パで始まって、ツで終わる三文字の衣類――――つまり、パンツをおかぶりになられていた。
「で、殿下! せ、僭越ながら、はぁはぁ……い、急ぎ申し上げたいことがございます!」
「もうっ! カグヤ様達が来ているというのに失礼ですよ! ……まあ、いいでしょう。許します」
「は、では……」
 付き人さんが王女様の耳に口を近づける。すると王女様の凛としていた表情が、見る間に紅くなっていく。
 そして慌ててかぶっていたパンツを手に取って確認すると、王女様はまるで駄々っ子みたいに地団太を踏んだ。
「も、もーっ! ど、どーしてもっと早く教えてくれないのっ! もーもーもーっ!」
「も、申し訳ございません! 申し訳ございません!」
 そんなやりとりをやってから王女様は、
「しょ、少々お待ちくださぃ……」
 消え入りそうな声と共にドアの向こうへと消えた。
 それを見て、お姉ちゃんがくすっと笑う。
「ふふっ、あの子ったら相変わらずねー」
「い、いつものことなの、あれ……?」
 思わず苦笑を浮かべてしまったものの、あたしは同時にちょっとほっとする。
 よ、良かったー。別にあれがこの世界の王女様の正装ってわけじゃなかったんだ……。
 うん、そりゃそうだよね。いくら下着の世界だって言っても、流石にパンツをかぶった王女様とかありえないもん。やっぱり、王女様には金ぴかのティアラって相場が決まってるよね。
 あたしがそんなことを考えているうちに、王女様が戻ってきたらしい。
「お、お待たせいたしました」
 うん、お姫様は今度はちゃんと『金色のパンツ』をかぶっ……え? なにそれ? 宝石とかちりばめられたパンツ?! まさかそれがティアラ?! パンツ型のっ?!
「お初にお目にかかります、ヒメカ様。わたくしはギの国の王女、パンツ・パンツェッタ・オ・パンティーヌと申します」
「え……? え~~~~~~~~~~~~っ!?」
 な・ん・じゃ・その名前は――――っ!
 ないよ! お姫様にその名前は絶対ないよ! 誰か返して! あたしの夢と理想!
 理想と現実のギャップに挟まりもだえ苦しむあたしに、王女様はにっこりと微笑んだ。
「どうぞお気軽に『パンティ』とお呼びください、ヒメカ様」
 よ、呼びにくーいっ!



「道中お疲れになりましたでしょうから、お茶をご用意いたしました」
 あたしが失望している間に、テーブルの上にはティーカップが並べられていた。
 まだ湯気のたつ紅茶からは、すっごく良い香りがした。やっぱり王女様だから、いい茶葉使ってるんだろうね。
 やけどしないように気をつけてそっと飲んでみると、口の中一杯にさわやかな香りと、濃厚で複雑な味わい広がる。それは今まで飲んだ中で一番美味しい紅茶だった。
 ただまあ、ウチだと紅茶って言ったらその辺のスーパーで売ってるティーバッグのやつか、紅茶○伝ぐらいだし。それと比べたら美味しいに決まってるんだけど。
 ……んー、F&M? ダージリン? オレンジペコー? あ、それともベルガモットってやつかな? こっちの世界にもそんなのあるかわかんないし、そんなの一度も飲んだことないけど、やっぱり紅茶ってザ・優雅! って感じがする。
 ここまでが不満だらけだっただけに、これは満足できそうだった。
「味わい深い良い味ですね、このお茶。なんて言うんですか?」
「気に入っていただけたようでなによりです、わたくしが特別に作らせたものなんですよ、この『パン・ティー』は」
「ぶふぅ!?」
 思いっきり、お茶を吹いた。
「……パ、パパパ・パンティー?」
「はい、『パン・ティー』がこのお茶の名前ですが……何か?」
 お茶になんつー名前つけてんの?! 優雅さの欠片もないっ! あとなんで、さっきからあたしの夢を壊す方に壊す方にばっかり行くっ?!
「ふふっ、味わい深い良い味ですね、か。へぇー? 姫ちゃんパン・ティー美味しかった? 『パンティー』が美味しかったんだ? このこのーっ」
 嫌味ったらしく『パンティー』の部分を強調して、あたしのほっぺたを人差し指でつんつんしてくるお姉ちゃんだ。
 夢を壊され怒りに満ちていたあたしは、その指をぐっと掴み、明後日に向かってストレーッチ。
「あたたたたっ! 姫ちゃん激しいっ! 姫ちゃん激しいっ!」
「や・か・ま・し・い・わ!」
「まあ、仲がよろしいのですねー」
「いえ、王女様? これ仲が良いとかじゃ全然ないんで。むしろ仲悪いんで」
「まあ、ご謙遜」
 うふふふ、と口元に手を当てて王女様が優雅に微笑む。
 おー、口元に手を当てて笑う人、生で初めて見たよ。やっぱり本物の王女様は違うなー。
 あたしがさりげなく感心していると、その王女様がふっと表情を引き締めた。
「……ところでカグヤ、此度の召喚理由。まだお教えしておりませんでしたね?」
 手にしたティーカップをソーサーにそっと置いて、王女様は手を膝にのせた。
「うん、一体何があったのパンティ?」
「実は……先日ラの国が、我が国に宣戦布告をしてきました」
「……あの『ラ』が? 私の記憶だと、こっちとはかなり距離が離れてて、親しくもないけど、敵対もしていなかったはずじゃなかった? それがまたどうして」
「詳しい理由はわたくしにもわかりません。ラの使いはそれ以上のことを伝えてきませんでしたから」
「あのー、王女様。今の話に出てきてる『ラ』ってなんですか?」
 あたしが手をあげて聞いてみると、王女様はちょっと申し訳なさそうにして。
「あ、そうですね。説明していなくてすいません。この世界、ミェーザ・ルハダには二つの国があります。一つは我々、下着を司り、下着を重んじる国『ギ』。そしてもう一つが、素肌を司り、裸でいることを重んじる国『ラ』なのです」
「なるほど……」
 つまり、下着の国の『ギ』に対して、裸の国の『ラ』ってことか。
「……それでパンティ。王と女王はなんて?」
 お姉ちゃんがそう問いかけると、王女様はかすかに表情を曇らせた。
「その……宣戦布告を受けたことで、父は心労で倒れ、母はその看病に付きっ切りとなっております」
「……パンティは大丈夫?」
「ええ、わたくしは大丈夫です。ありがとうございますカグヤ」
 ふっと、王女様は微笑むと、お姉ちゃんは席を立った。
 それから床に膝をついて、うやうやしく頭を下げる。そんなお姉ちゃん、あたしは生まれて初めてだった。
「では王女殿下、どうかこの黒騎士に何なりとご命令を……」
 声の調子まで変えて、お姉ちゃんはそんなことを言う。それに触発されてか、王女様も表情を引き締めた。
「……では、わたくし、ギが王女パンツ・パンツェッタ・オ・パンティーヌは黒騎士カグヤ・ムツキに命じます。どうかこの国をお守り下さい」
「は! この黒騎士、ラ・シュヴァリエール・ド・ノワール、カグヤ・ムツキ。全身全霊をかけて、ギを守護する一枚の下着となりましょう」
 その、いつもと全然違うお姉ちゃんの姿は。
 あたしにはどこかちょっとだけ、かっこよく見えた。




「これが……あたし?」
 お城の衣裳部屋で、あたしは思わずそんな声を漏らした。
 鏡の前で、くるりと一回転してみる。
 鏡に映るのはフリフリのドレスを身に纏い、理想のお姫様に一歩近づいたあたしだった。
 よくお城の舞踏会みたいな場面でドレスのスカートが傘みたいに広がってるのがあるけど、アレは中にクリノリンと呼ばれる骨組みが入っている。そしてそのクリノリンを今、あたしもつけていた。
 スカートを履いてるのに生地が太ももやすねに当たらないってちょっと変な感じだ。ついでだったから着付け係の人に頼んでコルセットも試してみようとしたんだけど、あまりに苦しすぎたのでやめておいた。アレはちょっとした拷問だと思う。
 実のところ、今の今まであたしはずっと下着姿だった。
 お城に向かう途中お姉ちゃんからブラを取り返したから手ブラは解消されていたものの、ギの人は下着姿でもあんまり気にしないから、いつのまにかあたしも下着姿だってことを忘れていたのだ。
 ちなみに下着はOKでも半裸や全裸はあまり好ましく思われないようで。流石にその格好だと注意されることが多いらしい。と、キウィさんは何故か残念そうに教えてくれた。
 ……うん、どうしたいんだろうね、あの人は。
「ねー、お姉ちゃん、そっちはどう? って――――」
 隣で着替えているお姉ちゃんの方へ目を向けると、王子様がそこにいた。
 なんというか、美人が髪をアップにまとめた時のイケメン感はホントヤバいと思う。
 しかもその顔立ちで元の世界だったら吹奏楽部か演劇部ぐらいしか着ないような、金の刺繍の入った黒い軍服姿なんだからたまらない。
 あたしはそれがお姉ちゃんだと理解しながらも、熱中症になった時みたいにぼーっとその姿を見つめていると。
「はー、この格好暑いのよねー」
 とか言ってお姉ちゃんは、胸元のボタンを開けてDサイズの豊満な富士りんごをはだけさ、
「やめんか――――っ!」
 阻止した。
 全力で。
 魂を、かけて。
 あたしの! あたしの理想の王子様像になにをするぅううううううっ!?
「もー! やめてよね! ほんっっっっとお姉ちゃんは、お姉ちゃんなんだから!」
「んー姫ちゃんもたいがいだと、お姉ちゃん思うんだけどなー?」
「は? なに言ってんの。変なのはお姉ちゃん! あたしはすごいふつー! ふつーで平凡だから!」
 まったく、人のことを棚にあげてなんてこと言うんだろうね。失礼な。
 とりあえずそんなこんなで着替え終えたあたしたちは、来客用の部屋へと案内されることになった。案内役の侍女さんに連れられて、一緒にやたらと長い廊下を歩いていく。
「でも……ホントに英雄だったんだね、お姉ちゃん」
「えー? だからここに来るときそう言ったでしょ」
「そうなんだけどさ。なんていうか、王女様に会うまではイマイチ信じ切れてなくて……」
 あたしだって、いつもあんな感じのお姉ちゃんなら信じるんだけどさ。
 でも、現実はコレだもの。
「よよよ、姫ちゃんのお姉ちゃんに対する信頼はその程度だったんだね……?」
「盗撮、下着泥棒、わいせつ行為……逆に聞きたいんだけど、どうして信頼されてると思ったの?」
「やぁん! 姫ちゃん、意地悪言っちゃいやぁ~ん!」
 今度はクネクネと身悶えながら、人差し指であたしの肩をぐりぐりしてくるお姉ちゃんだ。その姿を見ていると、ほんとに王女様に誓いを立てた時のお姉ちゃんと同じ人物か疑わしく思えてくる。
 まったくこの人は、とあたしは深々と溜息を吐かざる得ない。
「あ、そう言えば忘れてた……」
「ん? どうかしたのお姉ちゃん?」
「いやー、こっちに来る前にお母さんに友達のところに泊まるって言ってなかったなーって。……はぁ、仕方ない。あとでパンティに頼んで一旦ウチに戻んないとね」
「あー、なるほど……じゃあお姉ちゃん、あたしもしばらく帰んないって言っといて。あ、あとついでにスマホも持ってきてよ。こっちの写真とか撮りたいし」
 丁度夏休み期間中だ、二、三日ぐらいこっちで過ごすのも悪くない。そう考えて頼むとお姉ちゃんは、さっと王女様にしたみたいにひざまずいて。
「は、ありがたく拝命いたします、我が姫よ」
「や、やめてよ、その格好でそういうの……」
 なんかこう、ほんとくらっと来ちゃいそうになるあたしである。
 お姉ちゃんはずるい。あたしがそういうのに弱いの知っててやってるんだからタチが悪い。
「にしても、変なのよね……」
「ん、何が?」
「ほら、こっちに来るとき通ってきたあのパンツなんだけどさ。本来、あのパンツはパンティが選んだ者しか通れないはずなのね。なのに姫ちゃんまでが通り抜けてきたでしょ? さっきパンティにも聞いたんだけど、どうしてかよくわからないって言ってたし」
「ふーん、そうなんだ?」
 適当に相槌を打ったけど、あたしとしてはあんまり興味なかった。そもそもそんな話、よくわからなかったし。
「なんにでも失敗ってあるもんでしょ? 多分それだよ」
「……んー、そうなのかなぁ」
 お姉ちゃんはいまいち腑に落ちない、って顔をしていたけど、そのうちに考えるのを諦めたみたいだった。
 丁度そこで、あたしたちは客室にたどり着いて、侍女さんが部屋の前で簡単に説明してくれた。それによると、王女様は一人に一室ずつ提供してくれたみたいで、あたしはほっと安堵した。お姉ちゃんと一緒の部屋とかありえないし。
「……あーあ、姫ちゃんと一緒に寝たかったなぁ」
「へぇ、奇遇だね。あたしは丁度お姉ちゃんと一緒に寝たくないって思ってたとこ」
「姫ちゃんが……冷たい……」
「むしろいつあたしがお姉ちゃんに対して温かかったのかを問いたいんだけど?」
 そう言ってあたしは、自分の部屋に入ろうとすると。
「あ、そうそう姫ちゃん。さっき言い忘れてたんだけどさ」
「ん? 何――――」
 いきなりふわりと、身体が勝手に動いていた。それがお姉ちゃんに抱き寄せられたからだと気づいた時には、もう遅い。お姉ちゃんの顔が近づいて、そして耳元でそっと囁いていった。
「そのすごくドレス似合ってて可愛いね。まるで本物のお姫様みたい」
 その時のあたしは、イケメン女子の蜂蜜ボイスで、口説き文句を至近距離から浴びせるとかどこのホストだと突っ込みたかったのが半分。
 でももう半分は、ぽーっとなってしまっていて、何も考えられなくなっているあたしで。頬が熱くて、動悸が止まらないあたしで。
「んじゃ、またあとで!」
 お姉ちゃんはそう言って、自分の部屋に消えた。
 あたしはまだ、床に崩れ落ちたままだ。
 なんというかその、腰が抜けていたから。
 一人、廊下に取り残されてあたしは、ふんっ! と怒りを込めて、床を一回殴って叫ぶ。
「お、お姉ちゃんの馬鹿――――っ!」
 結局そのまま、あたしはしばらくの間立ち上がれなかった。

 ○
 △

「ほぉお……」
 夜、あたしは寝室で、ベッドを前にして思わず唸る。
 ベッドは巨大かつ、天蓋がついている、いわゆるお姫様ベッドというやつだった。
 そして部屋の照明はランプの柔らかな間接照明で、これがまたなんとも言えないロマンチックな雰囲気を演出していた。
 お城と言うことで多少期待はしていたものの、実際に目の当たりにするとあたしはドキドキが止まらない。
「ほぉお……」
 もっかい唸って、一旦部屋の端に。
 壁際まで寄って、それからベッドに向けて一歩踏み出し、駆け出す。走る。そして、夢に向かってダイブ!
「とーっ!」
 勢い良くベッドに飛び込むと、ぼすっ、って音と共に、ふかふかクッションに優しく受け止められた。
 ふっふっふっ、一度やってみたかったんだよねー、これ。
「ふ、ふへへへへ……」
 埋もれてしまいそうなほどの柔らかさに、思わず笑みが漏れる。
 うん、ヤバイ。すごくヤバイ。今のあたし、きっとものすごくだらしない顔してる。
「はぁ……ミェーザ・ルハダ、最高!」
 ぐっ、とベッドに寝そべったまま、あたしが万歳をした時だった。
「少しよろしいですか、ヒメカ様?」
 そんな声がドアの外から聞こえた。王女様の声だった。
 その声に現実に引き戻されて、慌ててベッドの上に正座する。
「は、はい、どうぞーっ!」
 そう声をかけると、きぃと小さな音を立ててドアが開き、王女様が姿を見せた。
 ランプの明りに照らし出された王女様は、ネグリジェ姿だった。お人形さんみたいな造形も相まって、なんとも言えない愛らしさに、思わず溜息をついてしまう。
 さらによく見てみると、頭に被っているのはティアラのようなパンツじゃなく、その前に被っていたパンツだった。
 ……なるほど、こっちはナイトキャップ用のパンツだったんだね。
「えっと。どうかしました、王女様?」
「パンティで結構ですよ、ヒメカ様」
「ぱ、パンティ?」
「はい」
「じゃあ……パンティ?」
「はいっ」
 にっこり、と微笑むパンティに、あたしは同性ながらもどきりとさせられてしまう。
「あ、それじゃあたしもヒメカって呼んで! あたし、様つけられるのどうも苦手でさ」
「ふふっ、わかりましたよ、ヒメカさ……いえ、ヒメカ?」
「はいっ!」
 ばっ、と手を上げると、ぷっとパンティが吹き出した。
 お。やった、ちょっとウケた。
 なんか、謎の達成感に満たされるあたしだった。
「ところでヒメカ、用意させました夜着の付け心地はいかがですか?」
「あ! それはもう最高最高!」
 今のあたしは、お城で借りた寝間着を身につけていた。
 昼間に借りたドレスもそうだったけど、滅多に着れないものがあるんだからと、こっちもちょっと冒険してみた。ゆえに今のあたしは、スケスケひらひらなベビードール姿だ。姿見で見てみたけど、なんとも大人っぽくて、エロ可愛かった。
「そうですか、満足いただけたなら光栄です。あら? ヒメカ、お腹のあたりに何かついて……あ、ごめんなさい!」
 それがなんなのか気づいて、パンティは慌てて頭を下げた。
 あたしのお腹、そこには古い傷痕がある。小さな太陽みたいにふちがギザギザになった丸い傷跡だ。
 体育の着替えの時とかこういうことがよくあるから、普段はファンデやコンシーラで隠してるんだけど、そういうものがこっちの世界にはなかったから今日はそのままだった。
「あー、良いよ良いよ気にしなくて。たいした傷じゃないし、小さい時にあたしが自分でやらかしたやつだから」
「いえ、すいません……わたくしなんてことを」
 しょんぼりと、肩を落とすパンティだ。
 その様子を見ていると、良い子なんだな、と思う。あたしは話を切り替えようと、別の話題を振ることにした。
「にしても、流石下着の国だね。すごい下着ばっかりで」
「まあ、下着作りが我が国の主要産業ですから」
「ねぇパンティ。もしかして、半年ぐらい前にお姉ちゃんにこっちの下着を渡したりした?」
「ええ、ありましたね。妹さんにプレゼントしたいとかで」
「やっぱり! どうりであのブラとパンツ、妙に使い心地が良いと思ったら」
 あと、いくら調べてもメーカーがわからなかった理由も。お姉ちゃんが教えてくれなかった理由もこれでようやくわかった。
「ふふっ、姉妹って良いですね。わたくし、ちょっとうらやましいです」
「は? え? い、いや、別にそんなに良いもんでもないよ……?」
 屈託のない表情でそう言うパンティにあたしはどう返せば良いのかわからなくて、思わず口ごもる。すると何故かパンティはさらに笑って、あたしはなんだか居たたまれなくなって顔を逸らした。
 と。
 ふと、壁にかけられている一枚の絵があたしの目にとまった。
 太陽の絵だった。
 ミェーザ・ルハダに来た直後に見た、あの太陽だ。青い空に浮かび、白いパンツを履いているなんともシュールな太陽だ。そしてその絵の隅では何故か、生まれたままの姿の赤ちゃんが立ち歩きをして太陽に手を伸ばしている。そんな構図だった。
「ねぇ、パンティ。この絵って?」
「ああ、これは古い伝承を元に描かれた絵ですね。描かれているのは、ミェーザ・ルハダを創世した神々で。太陽がラの国の神を、そして下着がギの国の神を表しています」
「へー、下着が神様なんだ。ギの国らしい神様だね。……あ、そう言えばさ。ミェーザ・ルハダって、あたし達の世界で下着と素肌が触れた時に生まれた世界なんだっけ?」
「ええ、そう言い伝えられていますね。そしてその結果、下着の影響を強く受けたのが『ギ』で、素肌の影響を強く受けたのが『ラ』だとされています」
 ラ、今ギに戦争を仕掛けて来てる国。
 確か、下着の国のギに対して、裸のラだっけ。どういう国なんだろ?
 いや、まあ、行きたくはないけどね。
 みんな裸の国とか嫌過ぎるし、あたしが脱ぎたいわけでもないし。そんなことになったら、『あのこと』がみんなに知られちゃうし。それだけは絶対に避けたい。
 あたしは心の中で密かに、生涯ラに行かないことを誓った。
「あ。そう言えばパンティ。太陽と下着はわかったけどさ。じゃあこの隅っこにいる赤ちゃんはなに? どういう意味があるの?」
「ああ、それはこの国を救うと言われている救世主です」
「救世主?」
「はい、ギに古くから伝わる伝承にはこうあります」
 パンティは記憶の糸を辿るように、少し宙に視線を泳がせて。かすかに声色を変えて、少し低いトーンで言葉をつむいだ。

「――――『この国に危機訪れし時、異界より訪れし一人の赤子が神の名を呼び、国を救う』、と」

「へぇ、赤ちゃんが神様の名前を呼んで国を救っちゃうの? なんか変なの」
「まあ、なにぶん古い伝承ですから」
 と、苦笑を浮かべるパンティだ。
「まあ、そんなもんかもね……。それでパンティ、このパンツの神様、なんて名前なの?」
「それは……わかりません」
「……えっ? な、名前わかんないの? 自分の国の神様なのにっ!?」
「と言うより、誰も知らないんです。どんな書物にも伝承にもおとぎ話にも、この神様の名前は出てこないんです。確かに伝承にはこうあるので、ちゃんと名前はあるのかもしれませんけど……」
 と、パンティはさっきとまったく同じ苦笑いを浮かべる。
「でもさ、それじゃあ危機が訪れたときに神様の名前を呼べば救われる、って言うけど呼べないし、救われない……よね?」
「それはまあ、そうなんですが……でも、大丈夫ですっ。カグヤがいればこの国に危機なんて訪れませんから!」
 胸の前で両手で拳を作り、自信満々に微笑むパンティだ。
 その様子を見ていて、思う。
 あたしって、こっちの世界でお姉ちゃんのしてきたことを全然知らないんだな、と。
 そのことを、どこか寂しく思うあたしだった。




 翌朝、あたしは奇妙な歌に起こされた。

『全裸♪ 全裸♪ 全裸♪
 全裸♪ 全裸♪ 全裸?!
 全裸ーの国からやって来たー、裸一貫やって来たー♪
 仰ぎ見よ、その雄ぅ~~姿っ♪ その肉体美ぃ~♪
 全裸♪ 全裸♪ 全裸♪
 全裸♪ 全裸♪ 全裸?!』

 歌声は野太い男の声で、外から聞こえてくるみたいだった。
 ベッドを抜けて、窓の外に目を向ける。でも、声の主は見当たらない。どうやら歌ははるか遠く、城壁の方から聞こえてくるみたいだった。
 その歌声は当然お城の人達にも聞こえているようで、お城中が騒然としていた。歌が聞こえだした頃から、廊下をたくさんの人が行き来している足音がずっと鳴り止まない。
 恐る恐る廊下に顔を覗かせてみると、すでに身支度を整えたパンティとお姉ちゃんが足早に通り過ぎるところだった。
「ねぇ! なにがあったの?」
「ラの王です! ラの王が来ました!」
「今からちょっと話に行って来るけど、姫ちゃんはここで待っててね?」
 お姉ちゃんにそう言われて、あたしはちょっとむっとした。
 待ってて? あたしだけ? あたしだけのけもの扱い?
 そんなのお断りだ。
「ううん、あたしも行く!」
 そう伝えると、お姉ちゃんはちょっと困った顔をした。
「姫ちゃん……あのね? 話し合いに行くって行ったけど最悪そのまま闘うことになるかもしれない。だからお姉ちゃんは来て欲しくないの。わかるでしょ?」
「ごめん、わかんない。あたしもう高一だよ? お姉ちゃんこそあたしのこと子供扱いするのやめて!」
 お姉ちゃんがこっちの世界で何をしてきたのかを見届けたいの! 今度は見逃したくないの!
 とは、言えなかった。
 それは流石に恥かしすぎた。
「あたし、絶対行くから。おいてかれたって、なんとかして行くからね!」
 まるで子供のわがままだ。自分でもそう思う。それでもあたしはなんとしてでもお姉ちゃんの活躍を見たくて、まっすぐにお姉ちゃんの目を見据える。
 すると。
「……ふっ、ははっ、あはははっ! ふふっ、ごほっ、こほっ…………くっ、ふふっ」
 何がおかしかったのか、お姉ちゃんが突然笑い出した。それも、お腹を抱えての大笑いだ。
「カ、カグヤ様?」
「お姉ちゃん? お姉ちゃんってば!」
「ふふっ、はーはー……あー、こんなに笑ったの久しぶりだわ」
「何がそんなに面白かったの……」
 人が一大決心して声を張りあげたってのに。失礼な!
「ごめん、姫ちゃんは昔から変わんないなって思ったらつい」
「は? 意味わかんない。あと子供扱いやめてってば」
「あー、ごめんごめん。……でもわかったよ。じゃあ、姫ちゃんも行こっか」
「良いの?! じゃあすぐ着替えて……って、そんな暇ないか」
 一瞬迷ったものの、あたしはベビードール姿で行くことにした。そのまま、お姉ちゃん達と一緒に走り出しす。
 パンティと一緒に廊下を走り抜けて、お城の外へ。そこにはもうすでにキウィさんが操る馬車が用意されていた。
「殿下! カグヤ様! ヒメカ様! どうぞお乗りになって!」
 飛び乗るようにあたし達は馬車に乗り込んむと、いきなりパンティが叫んだ。
「思い切り飛ばしちゃってください!」
「御意! ですわ!」
 二つ返事でキウィさんは応えて、馬車が凄まじい勢いで走り出す。初日の乗り心地とは比べ物にならないぐらいの揺れだった。
 そのせいか、あっという間に大通りを抜けて、城壁の外には三分とかからず到着する。
 その場には、すでに多くの騎士や兵士の人達が集まっていた。それでもなおあたりは不思議なぐらいに、しぃん、と静まりかえっている。
 それはまるで、これからはじまる戦いの激しさを物語っているようだった。
 そしてあたしは、その人を見つけた。
 最初は、見間違いだと思った。
 と言うか、信じたくなかった。
 大勢のブリーフ兵士に取り囲まれて、それでもなおたった一人、威風堂々と仁王立ちしている真っ裸のオジサンが、そこにいるなんて。
「ぅわ――――……」
 あたしは思わず、二度見した。
 当たり前だけど、二度とも裸だった。
 ……ず、ズッキーニくんと双子のサトイモくんがモロヘイヤ――――ッ!
 うっかり直視してしまい、さらなる異界へと旅立ちそうになるあたしである。
「姫ちゃん、あんなの見ちゃ駄目! あなたの目の処女は私のものだから!」
「いや、お父さんのとか見たことあるから。つーか目の処女て」
 うん、いったい何見せる気だった? 想像もつかなくて怖いわ。
 ともあれそのオジサンは、裸であるという点を除けばいかにもな王様だった。
 顔立ちは彫りが深くて、エメラルドグリーンの瞳が印象的だ。
 髪は少し緑がかった茶髪で、同じ色のヒゲを口元に蓄えている。その髪やヒゲには幾分白髪が混じっていることから、歳は多分、四十代前半ぐらい。
 けどその反面、体つきは若々しかった。
 筋骨隆々と言う言葉がしっくり来るほどにその肉体は鍛え上げられていて、人ひとりぐらいは簡単に片手で持ち上げられそうだ。それでいて身長は二メートルに届くんじゃないかってぐらいだから、見ているだけ圧迫感が凄い。
 これでそれなりの衣裳を身につけていれば立派な王様だったんだと思うけど。せいぜい身につけているのはちょっと濃い目の体毛と、体格のせいでやたら小さく見える王冠ぐらいだった。
 その人がおそらく――――いや、間違いなく、ラの国の王様、だった。
 ラの国の王様は野太く、そして大きな声で叫ぶ。
「ぬぁっはっはぁ! ギの国の民達よ! 出迎えご苦労! そして、裸の国からこんにちは! 朕(ちん)がラの国の国王! あるいは太陽王! または全裸王と称されし王の中の王の中の王! メロ・ス・ポンポンであーる!」
「メ、メロ……すっぽんぽん?」
 また、とんでもなくひどい名前だった。
「……ところでキウィさん、もしかしてあの人親戚だったりする?」
「はい? キウィってアタクシのことですの? ……まあ、アタクシの父がラの人間ですから、遠い親戚という可能性はなくもないですわね」
「じゃあ、ノーパンは血筋なんだ……」
 ヤな血筋だった。
 そしてその最中、パンティはメロ・スの股間を凝視していた。しかも心なしか……興味深げな目をしてるような気も?
「あ、あのー、ぱ、パンティ? パンティさん?」
「あ、申し訳ありません。実はわたくし……男の人の裸を見るのは初めてなもので……」
「な、なるほど……」
「ところで、ヒメカ。あの足の間にあるものはなんなのでしょうか?」
「え」
 最高に答えたくない質問だった。
「あの、殿下? そのようなことを言っている場合では……」
「はっ、そうでした」
 キウィさんに注意され我に返ったパンティは、しずしずとメロ・スに近づいていく。
 小柄なパンティが二メートル近いメロ・スと向きあうと、その様はまるで巨人と小人のようだった。
 それでも王女様らしくパンティは、メロ・スに毅然とした態度で立ち向かう。
「長旅ご苦労様でした、メロ・ス国王陛下。わたくしはギの国が王女、パンツ・パンツェッタ・オ・パンティーヌでございます。この度はどのようなご用件で参られたのでありましょうか?」
「ふん、白々しい。すでに伝令から聞いておろう。ギの国の侵略に決まっておるわ」
「はい、存じております。ですがなぜ突然そのようなことをなさるのか、わたくしはその真意をお聞きしたく存じます」
「それを知る必要などない。貴国は我がラの国に黙って併呑されればそれで良いのである。……どれ、まず王女から我が軍門に下すとしよう。そうすれば民も降伏せざるえまい?」
「な、なんて無礼な! 殿下! ここはひとまずお逃げ下さいませ! 騎士団、全員前へ! 王女殿下をお守りするのですわ!」
 キウィさんの声に、ざっ、とその場に集まっていた騎士の人達が各々パンツやブラを手に、一斉にメロ・スに飛び掛った。
「小癪な……ラララ、裸ぁーいっ!」
 奇妙な掛け声が聞こえたかと思うと、突撃していった騎士達が宙を舞っていた。そして、鈍い音と共に地面に激突する。しかもその全員の衣類や鎧が引き裂かれ、全裸姿になっていた。
 全ては、一瞬の出来事だった。
「ふ、やがては朕の国の民となるもの達である。命まではとらぬわ。……さぁ、王族たるもの覚悟は出来ておろう? パンツ・パンツェッタ・オ・パンティーヌ、次は貴公の番である!」
 メロ・スがパンティに手を伸ばした、その時だった。
 メロ・スとパンティの間を黒いブーメランのようなものが通り抜けていった。
「ぬぅ、何者かっ!?」
「どうもはじめまして、ムッシュー裸の王様? 私は睦月輝夜。一応こっちでは、黒騎士、ラ・シュヴァリエール・ド・ノワールなんて呼ばれてます」
「貴公がギの国最強といわれる騎士であるか……。よかろう。相手にとって不足はない」
 メロ・スは中腰に構え、本格的な戦闘態勢に入る。
 対するお姉ちゃんは、す、っと手を上げる。するとさっきどこかへ飛んで行ってしまった黒いブーメランが、どこからともなくやってきてその手に収まる。
 それは、紛れもない漆黒のブラ、『夜のブラスィエール』だった。
「ラララ、裸ーいっ!」
 最初に仕掛けたのはメロ・スだ。
 大振りななぎ払いで一気に勝負を決めに来る。けれどお姉ちゃんは両手で引き絞ったブラを棒のように使い、その軌道を逸らした。
 そしてその場を離脱するのと同時、振り回したブラを今度は鉄球のように操り、メロ・スの顔面を打ち据えた。
 けれど命中する、と思われたそれをすんでのところでメロ・スは頭突きで防御。鈍い音と共に、鉄球ブラが弾きかえされた。
 それを見たお姉ちゃんは、今度はブラ紐を伸ばしムチ状に変化させる。
「はぁっ!」
「ぬぅ! これは……なかなかである!」
 目で捉えるのが難しいぐらいの速さでムチが飛び交う。流石のメロ・スも、これには反応しきれない。
 足を止め、防御を固めたメロ・スに対し、お姉ちゃんは攻勢を緩めない。むしろ一層激しい連続攻撃の雨を降らせていく。
「くっ!」
 豪雨のような攻撃に、がくり、とメロ・スが片膝をついたその瞬間を、お姉ちゃんは見逃さなかった。
「これで終わりね! ……死神の福音(エヴァンジル ド ラ モール)!」
 ブラ紐のムチ攻撃はそのままに、その反対側、ブラのカップ部分が外れて、組み合わさる。そして球体上になり、メロ・スの頭上に浮かび上がった。
「これは……全員退避ですわ――――っ!」
 キウィさんが危険を察知して、叫ぶ。
 それに従ってあたしも、お姉ちゃん達から距離をとった。
 最初Dカップ程度の大きさだったブラは、上空で徐々に膨れ上がっていく。E、F、Gカップを越えて、Zカップすら越えて、どんどん膨れ上がっていく。その大きさは、学校の校舎ぐらいはあった。
 叩きつけられたら間違いなく死は逃れられないそのカップの大きさは、例えるならDeathサイズ。
 それが、急降下。
「ラ――――っ?!」
 ムチ攻撃で足止めされているメロ・スは逃げられない。そのままなすすべなく、死神の鎌の下敷きになるしかなかった。
 一瞬、最後のあがきとばかりに、メロ・スが拳を突き上げたように見えたものの。結局、ブラはメロ・スを押しつぶし、強烈な地響きと共に落下。
「……きゃっ!」
 落下音に耳がキンとなって、あたしの口から小さな悲鳴が漏れる。さらに土煙が発生したせいで、地面に伏せて目をぎゅっと閉じるしかなかった。
 しばらくそうしてから、どれぐらい経ったのか。地鳴りと土煙がようやく収まったのを見計らってゆっくり目を開けると、そこに立っていたのはお姉ちゃんだけだった。
 メロ・スの姿は、どこにも見えない。
 ただ、常識外れに巨大なブラが小さな地割れすら発生させて、地面には初めて見たときよりはるかに大きなクレーターを作り出していた。
「……メ、メロ・スはどうなりましたか?」
 少し土ぼこりで汚れたパンティが、確認するようにキウィさんに尋ねた。
「お、おそらくブラの下で押しつぶされたものと思われますわ。ほんの一瞬ですけど、ブラを受け止めようとしているメロ・スをアタクシこの目で見ましたから」
「ってことは……」
「やった! 黒騎士様の勝利だ!」
 わっと兵士の人達が、歓声をあげる。
 えっ、も、もう終わり? お姉ちゃんの勝ちっ?!
 拍子抜けしてしまったあたしは、ちょっと脱力する。
 見ると、お姉ちゃんがあたしのほうを向いて余裕綽々に、にこってピース。その表情には、どこにも疲労の色は見られない。
 あー……パンティが安心しきってるわけだ。
 昨日のやりとりを思い出して、あたしはちょっと苦笑いしてしまった。
 けどそんな中、それは聞こえてきた。
『メ』
「ん? 今何か聞こえなかった?」
「……いや、何も聞こえないけど?」
 兵士や騎士の人達の間で、そんなやり取りが交わされる。
 けどその声は、確かにあたしにも聞こえていた。みんなの声に紛れたせいで、多分聞こえた人と聞こえなかった人は半々ぐらい。
 でも次の声は、その場にいた全員に聞こえたはずだ。
『ロ』
 かすかに。
 ほんのかすかだけど、地面を揺らし、お腹のそこから突き上げてくるような声だ。
 その声はさらに地響きを伴って、地の底から鳴り響くように続く。
『ス、は……』
 しんと、一瞬あたりが静まり返った。
 まるで何かを察したかのように、鳥の声も、虫の声も、風の音すらも消えた。
 直後、

『――――激怒したぁぁぁぁぁぁ!』

 火山の噴火と間違えるほどの轟音が、そして強烈な熱気が、巨大なブラを空高く打ち上げた。
 その真下から姿を現したのは紛れもない、メロ・スだった。
 拳を天に向かって突き上げた状態で、直立していた。そのポーズから察するに、あの巨大なブラを殴り飛ばしたみたいだ。
 それだけでも驚くべきことだけど、あれだけの攻撃を受けたにも関わらず、メロ・スの体には傷一つない。
「ふーむふむ、最強の騎士と言えど所詮この程度か」
「そんな……嘘でしょ?」
 お姉ちゃんはかすかに頬を引きつらせ、キウィさんは驚愕の声をあげる。
「ありえませんわ! 騎士や兵士の攻撃ならまだしも、あの一撃で無傷なんて!」
 それに対して、メロ・スはどこか呆れた様子でため息をついた。
「ふむ、なぜ朕に貴公らの攻撃が効かぬかわからぬか? まったく、これだから下着に頼って生きているもの達は……。よかろう、ならば教えてやるわい。貴公らの攻撃が朕に効かぬ理由。それは朕が、裸だからであるっ!」
「……は?」
 ん? どういうこと?
 ちょっと意味がわからなくて、あたしはお姉ちゃんと一緒になって首をかしげた。
 それはその場にいた全員がそうだったみたいで、誰もが困惑している様子だった。
「ふん、まだわからぬか? では聞くが、下着とは、肌を守るために存在するもの……違うか?」
 あ、とキウィさんが驚きの声を漏らす。
「た、確かにそうですわ! それならば下着による攻撃が肌を傷つけぬは必然!」
「なるほど! それは盲点だった!」
「くっ、なんてことだ!」
「くそっ! 今まで全裸で戦いを挑んでくる相手などいなかったから、気づかなかった!」
 などと、悔しさを露にする騎士の人たちだけど。
 いや……そりゃそうでしょ、全裸で闘う人なんて普通いないもん。
 イマイチ周りの空気に乗り切れないあたしだった。
「ぬっはっはっ、よって朕には下着による攻撃は一切無効! すなわち! どうしても朕を倒したければ、己の肉体で挑んでくる他ないのである!」
 メロ・スの言葉通りなら、お姉ちゃんは極端な体格差がある相手を素手で倒さないといけないってことだ。そんなこと、とてもじゃないけど不可能に近い。
 だけど、あたしがどうすればいいのかと考えるより早く、お姉ちゃんはすでに動いていた。
「それなら……っ!」
 ばっ! と、お姉ちゃんはブラをメロ・スに放り投げた。
 宙を舞ったそれは、メロ・スに到達する前に巨大化。ただし鉄球状でもなく、桁外れの大きさでもない。せいぜいが、目くらましになりそうなぐらいのサイズで。
「ぬぅ?! 小癪な!」
 視界を遮られたメロ・スは投げつけられたブラを手で払いのけたものの。その時すでに、お姉ちゃんはメロ・スに肉薄。
「……なっ」
「はぁっ!」
 一瞬の隙をついて、メロ・スのサトイモツインズを、お姉ちゃんの容赦ない蹴りが打ち抜いた。
「どう、これは流石に効いたでしょ?」
 けど、
「ふむ、多少は効いたのである」
 メロ・スは、涼しい顔をしていた。
 え? あれが効かないの? 女のあたしにはよくわからないけど、ちょっとぶつけただけでもお腹殴られたのと同じぐらいキツイって聞くのにっ?!
「だが忘れてはおらんか? この朕は、全裸の王だということを。朕の宝玉は例え急所といえど、金剛石の如くカッチカチである」
「くっ、だったら……」
「ふん、無駄である。結局、肉弾戦で朕に土をつけることなど不可能なのだ。朕自身、もはやどうすれば怪我を負えるのかわからぬぐらいであるからして……ぬぉっ!?」
 まだ喋っている途中のメロ・スが慌てて顔を手で覆った。
 お姉ちゃんが、土をかけたからだ。
「どういうつもりである。貴公、人が喋っている時に……」
 ちょいちょい、とお姉ちゃんは自分の肩の辺りを指差す。それを目にしたメロ・スが自分の体に目を落とすと、丁度同じ場所が土で汚れていた。
「土、ついたみたいだけど?」
 にやっと、お姉ちゃんが意地悪な顔で笑った。
「や……やりすぎぬよう加減しておれば頭に乗りおって。貴様には……貴様には、全裸すら生ぬるいっ! 朕の肉体を汚したその罪! 心底後悔しつつ! むごたらしく死ぬがいいわぁっ!!」
 さっきまでとはまるで違う圧迫感が、あたりに漂う。
 たったそれだけで、『加減をしていた』、という言葉が嘘じゃなかったことを物語っていた。
「ラララ……裸ぁ――――いっ!」
 気迫のこもったメロ・スの拳が、ぼっ、という奇妙な音と風を伴って放たれた。それをお姉ちゃんは、再度両手で引き絞ったブラを使って受け止めた。
 けど。
「ラララ、剛っ!」
 メロ・スはかまわずブラごと殴り飛ばし、お姉ちゃんの体が宙を舞った。
「お、お姉ちゃん!」
 落下するお姉ちゃんは地面に激突するかと思われた寸前、膨らませたブラをクッション代わりにして着地する。
 あたしはほっと安堵の溜息をついたものの、お姉ちゃんの息は完全に上がっていた。そして着地の衝撃を殺しきれなかったのか、すぐに立ち上がることが出来ない。
 下着による攻撃は効かず、肉弾戦はおろか急所攻撃も効かない? そんなやつどうやって倒せば良いのさ!
「無理だよお姉ちゃん! こんなやつに勝てっこないよ!」
 あたしは声を張り上げるも、お姉ちゃんは振り返らない。それどころか、ぐっと足を踏ん張って、なんとか立ち上がろうとしている。
 なんで!
 なんでそこまでするのさ!
 なんで!
「負けるな、黒騎士様ーっ!」
 声援が、響き渡った。
 気づくといつの間にか、騎士団の人達以外に町の人たちまで出てきたみたいだった。その中には、子供達の姿までもが見えた。
 子供の一人が、声を張り上げる。
「黒騎士様! 頑張って! 負けないでーっ!」
 その声に答えるように、ぐっとお姉ちゃんが手を上げ、親指を立てた。
 そのポーズに、わっとみんなが沸く。
 お姉ちゃんがみんなから、こんなにもたくさんの人達から応援されてるってことを実感する。
 でも。
 その手にはどこか力が感じられなくて、頼りなくて。だからあたしは、気づいてしまった。
 ……勝てないんだ、お姉ちゃんでも。
 それでもお姉ちゃんは、肩にこの国の人達の期待がのしかかっているから逃げることが出来ない。
 ……もしかして、負けちゃう? お姉ちゃんが?
 あたしの脳裏を、次々嫌な予感がよぎっていく。最悪の結果を想像して、背筋が震えた。
 その間にも、メロ・スは攻撃の手を緩めない。
 それでも。
 完全に防戦一方になってしまったにもかかわらず、お姉ちゃんは一歩も引こうとしない。
「せめてもの情けである! 今楽にしてやるわ、黒騎士!」
 ぐっと、メロ・スが前傾姿勢をとった。
 その様はさながら、今から短距離走に挑むスプリンターみたいで。
「さぁ、今こそ……走れ! メロォォォォス!」
 発声とほぼ、同時。
 全裸王の巨体が瞬きより早く、お姉ちゃんの眼前に迫っていた。
「なっ……」
「遅いわぁっ!」
 凶悪な速度でメロ・スの拳が、お姉ちゃんに襲い掛かる。
 その最中、だった。
 お姉ちゃんが振り返る。その目はあたしに真っ直ぐに向けられていて、どこか申し訳なさそうに微笑んでいて。
 その口元が、何かを言おうとしているように動きかけた。
 けど次の瞬間、お姉ちゃんは。

「お姉ちゃ――――――――んっ!」

 そこであたしの世界は、暗闇に包まれた。




 どこか暗くて寒い場所に、あたしはいた。
 上も下もわからない。自分の手を見ることはおろか、足の裏から地面の感触を感じることすらない場所だった。
 静かだった。
 静謐に包まれていると言う形容がこれほど似合う静けさを、あたしは他に知らない。
「なに、ここ?」
 呟くと、静寂をびりびりと破くように、あたし自身の声が鼓膜を震わせた。
「あたしどうしてこんなところに……って、そんなことよりお姉ちゃんはっ?!」
 はっと、あたしはついさっきまでのことを思い出す。メロ・スの拳の暴力に飲み込まれたかに見えた、お姉ちゃんの姿を。
 巨大なブラを片手で殴り飛ばせる力で人間を殴ったらどうなるか? それはきっと、人間がトマトを殴るのと同じ結果が待っているはずだ。そんな嫌な考えが頭に浮んで、背筋を冷たい物が走り抜けていった。
 だ、大丈夫! だって、あのお姉ちゃんだもん。普通の人間ならそうかもしれないけど、お姉ちゃんならそんなことはありえないって!
 痴漢を捕まえて、駅員さんに突き出したことがあるお姉ちゃんだ。
 進路のことでお父さんお母さんと喧嘩になっても、言い負かしたお姉ちゃんだ。
 知らないうちに異世界で、英雄になっていたお姉ちゃんだ。
 だからきっと……大丈夫だよね?
 少し心細くなって、あたしはあるのかもわからない地面に膝を抱えて小さく座る。
 そんな時、だった。
 ふっと暗闇に光が灯った。
 まるで映写機みたいに暗闇をスクリーンにして、どこか懐かしさを感じる風景が映し出された。小さな女の子が、姉と思しき少女の後をついて行く光景だった。
「おねえちゃー、まってー」
「ダメだってば! ヒメちゃんついてこないで!」
 これって……。
 それは、昔のあたしとお姉ちゃんだった。あたしが、まだ小学校に上がる前ぐらいの時のものだ。
 この頃のあたしは……お姉ちゃんが好きだった。
 お姉ちゃんの行くところにはどこでもついて行きたかったし、お姉ちゃんのやることは何でも真似したかった。お姉ちゃんの好きなものはあたしも好きで、お姉ちゃんが嫌いなものはあたしも嫌いだった。
 それは単純に、お姉ちゃんがあたしのお姉ちゃんだからで。理由なんていらなくて。あのころは邪険に扱われても、余計に付きまとっていた。
 でも当時のお姉ちゃんは、あたしのことがあんまり好きじゃないみたいで。
「おねえちゃー、どこいくのー? あたしもいくー」
「ついてこないでって! ともだちのとこにいくの! ヒメちゃんはるすばんしてて!」
 映し出される映像が、少し変わった。
 ああ、あの日のことか、とあたしは苦笑いする。
 いつものように置いていかれるのが面白くなくて、あたしは意地になってお姉ちゃんを追いかけた。お姉ちゃんはお姉ちゃんで、意地になって逃げた。
 そして子供ながらに、と言うか。子供らしい考えにいたり、お姉ちゃんは一計を案じた。
 普段なら通らないような用水路を飛び越えて、あたしを振り切ろうと考えたのだ。
 幅はせいぜい一メートルと少し。お姉ちゃんには飛び越えられても、まだ小さかったあたしには、ぎりぎり飛び越えられるかられないかの幅だ。
 怖かった。無理だと思った。
 でもどうしても置いていかれたくなかったあたしは、なけなしの勇気を振り絞って飛んだ。
 そしてあたしは、怪我をした。
「どうしてちゃんと見てなかったの!」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
 また、場面が変わった。
 今度は病院の中だった。
 お母さんに怒られているお姉ちゃんの姿と、それをベッドから見つめるあたし。
 お母さんに怒られたのが堪えたのか、それとも罪悪感からか、お姉ちゃんは涙ながらにあたしのところにやってきて。
「ごめんねヒメちゃん……」
 ぎゅ、っとあたしを抱きしめた。
「ごめんねヒメちゃん……ごめんね……」
「おねえちゃ……」
 あたしはお姉ちゃんを泣かせてしまったことが悲しくて、一緒に泣いた。
 二人で泣いた。
 結局、この時の傷跡は残った。
 太陽の模様となって。
 きっとこの時から。
 きっとあの日から、お姉ちゃんはあたしにこだわるようになって。そしてあたしは逆に、お姉ちゃんと距離をとるようになった。

 ――――姫ちゃんは昔から変わんないなって。

 お姉ちゃんの言う通りだ。
 あたしは変わっていなかった。
 今もお姉ちゃんのあとを追いかけて、困らせる子供で。
 きっとお姉ちゃんは、未だにこの時のことを気にかけてるんだと、そう思った。
 馬鹿だ。お姉ちゃんは馬鹿だ。あたしはもうそんなこと、気にしてなんかいないのに。
 胸の奥から熱いものがこみ上げてきた。あたしの瞳から涙が零れ落ちた。
 あたしは願うように、祈るように、お姉ちゃんを思う。
 お姉ちゃん、死んじゃやだ……。
 と。
『――――娘よ』
「……だっ、誰?」
『異世界の娘よ。今こそ運命の時、来たれり』
 いつの間にか、暗闇の中に一枚のパンツが浮んでいた。温かな光りを放っていてはっきりとは見えないけど、それは確かにパンツだった。
「えっ、なにこれパンツが喋っ……?」
『我はミェーザ・ルハダ創世神が一柱、下着を司るギの国の神なり』
「ギの国の神様……? って、パンティが言ってたあの?」
『然り』
 その自称神様は、うなずくように上下する。
 一瞬その言葉を信じて良いものか戸惑う。けれど、今はそんな場合じゃなかった。
 あたしはわらにもすがる思いで、そのパンツの言うことを信じることにした。
「じゃあ神様、教えて! お姉ちゃんはどうなったのっ!?」
『汝の姉は、ラの神の力を借りた男の拳により、その命が潰える寸前である』
「そんな……」
 神様の伝えてきた容赦の無い通告に、あたしは絶望する。
「あなた神様なんだよね、だったらお願い! お姉ちゃんを助けて!」
『それは出来ぬ。人を救うのはあくまで人の意思と自らの手で行われねばならない』
「そんな……」
『……ただ、我が手を貸すことは出来る』
「え? それって結局、助けてくれるってこと?」
『然り。ただし、汝が我の名を呼ぶことが出来た場合に限る』
「へ? 名前? 名前って……」
『さぁ、救世主の娘、ヒメカ・ムツキよ。今こそ我が名を呼べ』
「ちょ、ちょっと待って! 救世主の娘って……あたしのこと? 確か、伝承に出てくる救世主って、赤ちゃんなんでしょっ?! あたしじゃないじゃん!」
『否、その伝承は誤りである。汝こそがこの危機を救う者なり。それが証拠に、汝の体に証あり』
「証? それって……もしかして」
 言われて、あたしは思い出した。
 太陽みたいな、あの傷跡のことを。
 そして、目の前の神様は本来、太陽を包んでいるパンツであるということを。
「じゃあ、あたしがその救世主なの?」
『然り』
「えっと……つまり、こういうこと? あたしがあなたの名前を当てられたら、あなたはあたしに力を貸してくれる」
『然り』
「じゃあもし、あなたの名前を答えられたら、あたしはお姉ちゃんを助けられる?」
 その問いかけに対しても、神様は三度『然り』とうなずいた。
 ……なるほどね。
 あたしは理解した。
 つまりこれは、神様の名前当てゲームみたいなものだ。
 ただ、名前を当てられたら欲しいものが手に入る反面、当てられなかった場合は欲しいものが手に入らない。それどころか、大切な人が永遠に失われてしまうっていうシビアなゲームだ。
 でも、だとしてもやらない選択肢はない。やらなきゃ結局、お姉ちゃんは失われてしまうのだから。
 だったらもう覚悟を決めるしかないし、やるしかない。あたしは即座に心を決めて、きっ! と神様をにらみ付けた。
「それって、一回で正解しないとダメなの? それとも、三回まで?」
『否。特に制限はない。諦めるまで挑戦してかまわない』
「そう、だったらいくらでもチャンスはあるってわけね。でも異世界の神様の名前なんて、あたしには永遠に答えられないと思うんだけど……?」
『問題ない。汝は、汝の眼に写る、見たまま思い浮かぶ名前を答えれば良い』
「見たままって……パンツとかインナー? それともショーツ?」
『然り。ただし、それでは範囲が広すぎるため不正解、と言っておく』
「範囲が広すぎる? ってことは……もしかしてパンツの種類ってこと?」
『……これ以上の回答は試練にならぬゆえ、返答は控えさせてもらう。では、健闘を祈る』
 そう言って、神様は黙り込んでしまった。
 あたしとしてはまだまだ聞きたいことはあった。けどこれ以上質問すると失格になる可能性を考えて、何も言わないことにする。
 それでも、ちょっとわかったことがある。
 ここで質問を打ち切るってことは、これ以上聞かれたら簡単に答えられちゃうってことだ。打ち切りになったのは、『パンツの種類ってこと?』の質問をした時。
 つまりそこから考えるに、神様の名前はパンツの種類。これで間違いないはずだ。
 もっともこれだけじゃまだ範囲が広すぎるけど、神様は見たままを答えれば良いとも言っていた。
 それはつまり今の神様の形状に近いパンツの名前、腰周りを広くカバーするタイプのいわゆるハイウエストタイプ。あるいは、それに近い形状のパンツに限定されるってことだ。
 だったら、そんなに不可能なことじゃない。
 むしろ、この神様の名前を言い当てることだけでお姉ちゃんが助かるんなら、こんなに簡単なことはない。
 そうだよね? 睦月姫花……?
 あたしは自らにそう言い聞かせて、自分自身を奮い立たせる。
 さぁ、考えるんだ!
 思いつく限りの下着の名前を思い出してお姉ちゃんを助けるんだ!
「えーと……ズロース! ドロワーズ! ガードル! ヒップアップショーツ! サニタリーショーツ! あとそれから……フルバック!」
 名前が違うだけでほぼ同じものも含まれてるけど、そんなこと気にしちゃいられない。とりあえずあたしは、ぱっと頭に浮ぶ下着の名前を並べ立てていく。
 だけど神様の反応は。
『否、である』
 仕方なくあたしは、次の名前を思い出すため、頭を捻る。
「えっと……ボクサーショーツ!」
『否』
「じゃあスポーツショーツ!」
『否』
「ぼ、ボーイレッグ?」
『否』
「あ、ボックスショーツ! これでしょ!」
『否だ』
「あーもう! じゃあ、ボクサーブリーフ! トランクス! ブリーフ! T‐バック! ローライズ! た、タンガ? とかいうやつ、あとソング! それから……えーとえーとGなんとか!」
 一向に正解が出ないせいでやけになったあたしは、明らかに違う下着の名前までもを適当に叫ぶ。
 当然、そんなものが当たるわけなくて。
『否、その中に我が名はあらず』
 神様の返事は、変わらなかった。
 あー、もう! わかんないよ! もう、どの種類を言ったかもわかんなくなってきたよ!
 出来ることならもう降参したいぐらいだったけど、お姉ちゃんの命がかかっているとあってはそんなわけにもいかない。
「ヒント! お願い! 何かヒントちょうだい!」
『否。それは出来ない』
「そんな……そんなの、あたしが知らない名前だったら、答えようがないじゃん! つけたこともない下着だったらまず無理じゃん!」
 力一杯抗議すると、パンツの神様はため息でもつくようにちょっとたわんでから。
『汝は、その名を知っている。そして、汝もそれを身につけたことがある。汝はただ、忘れているだけなのだ』
「忘れてる……だけ?」
 あたしが知っていて、身につけたことがある下着?
「なにそれわかんないよ! 思いつく下着は全部言ったし!」
『……ならば諦めるか?』
「それはやだ! あたしは絶対に諦めない!」
 神様に悪態をついて、あたしは背を向けた。
 ……焦っちゃダメだ、あたし。ちょっと、落ち着こう。
 そう自分に言い聞かせ、ふかぶかと深呼吸した。リラックスするのに良いって聞く、青い空も思い浮かべてみた。それでちょっと頭が冷えた。
 とりあえずあたしは、今のヒントも加えて最初から考え直してみることにする。
 神様が言うには、あたしは身につけたことがある下着らしい。でも、何故か忘れてるとのこと。
 つけたことがある、でも忘れてる下着か……。あれ? つけたことがあるなら、どうして忘れてるんだろう?
 そこがちょっとひっかかって、あたしはその方向に思考を巡らせてみる。
 例えばそれを一度しかつけたことがない、とか? それなら、忘れていることもうなずける。だったら、何かのイベントやお祝いの時だけ着てたってことなのかもしれない。もしかしたら着物、七五三の時とか? うーん、ダメだ。それに関係するような下着なんてそもそも知らない。その他だと、文化祭でやった演劇のあたり? ううん、あれは下着まで変えてなかった。
 ……それとも、ずっと昔のことだから忘れてるって意味?
 例えばそう、あたしが子供の頃に履いてた下着とか。あるいは小学校の時のアニメのキャラがプリントされたパンツとか。もしくは幼稚園の時の、アニマル柄のパンツとか。
 ……ううん、違う。
 そもそもあれって、結局普通のパンツなんだよね。あくまでそういうプリントがほどこされてるだけで。まあ、分類的にはキッズパンツとか子供向けとかそんな言い方はあるだろうけども。でももしこれが正解だとしたら、目の前の神様にだってなんらかの模様が見えてないとおかしい。
 じゃあ他には、と思い出そうとして、流石にそこから先は覚えていないことに気づかされた。
 ……そりゃそっか。いくらなんでも、そこまで小さい時のことなんて、覚えている人はいないもんね。こういう時、お姉ちゃんなら赤ちゃんの時のことも思い出せそうだけど……。
 …………。
 あ。
 その時、ひらめきが舞い降りた。
 あたしは、もう一度神様の言葉を整理してみる。

 ・見たままを答えれば良い、ということ。
 ・ハイウエストないし、それに近い下着ということ。
 ・あたしが身につけたことのある下着だということ。
 ・だけどもう、覚えていないということ。
 ・そして、国の危機を救う、救世主の赤子の伝承のこと。

 並べていて、
「あはははっ! なーんだ、そっかそっか。そういうことだったんだ!」
 あたしは思わず、笑ってしまった。
 その時にはもう、あたしの中に答えはあった。口に出してはいない。聞いてもいない。でも、答えはきっとこれで。これしかなかった。
「……そっか。そう言えば、ミェーザ・ルハダは、素肌と下着が触れた時に生まれた世界だったね」
『然り』
 瞬間、かっと、神様の輝きが強くなった。
「うん。神様、ちゃんと思い出したよ、あなたの名前」
 そう告げると神様は微笑むように、その輝きを一層強めた。
『……人と下着の絆は、その誕生を祝福されし瞬間より始まれり。我が役割は、人生の始まりと終わりに、太陽の如きぬくもりを与えることなり』
「うん、そうだね。ありがとう、そして久しぶり。ちょっと早いけど、また会えたね」
 あたしはそっと神様を抱きしめて、神様の名前を呼ぶ。

「あなたは――――」

 そうしてもう一度、世界に光とぬくもりが満ちた。



「さぁ、今こそ……走れ! メロォォォォス!」
 目の前に広がっていたのは、一度見た景色だった。
 けれどあたしはその事実に戸惑うことなく、手を伸ばした。
「ちょーっと待ったぁ――――っ!」
 メロ・スの拳がぎりぎりお姉ちゃんに及ぶか及ばないかのところで、二人の間に真っ白なものが生じる。拳はその白いものに受け止められて失速、停止した。
「ぬっ、これはっ?!」
 驚愕の表情を浮かべるメロ・スをよそに、あたしはお姉ちゃんに駆け寄った。
「お姉ちゃん、大丈夫っ?!」
「姫、ちゃん……?」
 そこにはずたぼろで地面に膝をついて、今までみたことのないぐらいに疲弊した表情のお姉ちゃんが、いた。
 ……お姉ちゃん、そんな顔するぐらいに頑張ってたんだね。あの背中の向こうで、そんな顔してたんだね。
 そのことを知った瞬間、あたしの中で何かが切れた。メロ・スを睨み付けて、叫ぶ。
「あたしのお姉ちゃんに……手を、出すな――――っ!」
「くぅっ?! これはなんとっ!」
 あたしの発した声が、びりびりと大気を震わせてメロ・スを威圧する。
 きっと、ここまで大きな声を出したのは、人生で初めて。それぐらいにあたしは、怒っていた。
「ヒメカ、あなたその格好は……」
 そんなあたしを見て、パンティが驚きの声をあげる。
 そう、今のあたしは、ベビードールの下に神様を履いていた。
 その下着は真っ白で、ちょっとだぶついてて、布地が腰周りまで広くカバーしてくれている。それは多少動き回ってもズレないように、そして漏れないようにと機能性を重視した、赤ちゃんのためのデザインだ。

 その下着の名は――――オムツ!

 それこそが全ての下着の始まりで、終わりでもある存在。素肌と触れ合った瞬間にミェーザ・ルハダを作り出して、今なお世界を優しく包み込んでいる存在。それが下着の神様、オムツ、だった。
「もう大丈夫だよ、お姉ちゃん。こいつはあたしが倒すから。だからお姉ちゃんは今のうちに」
 あたしがメロ・スと対峙して背中越しにそう告げると、お姉ちゃんは弱々しい声で呟いた。
「そんな、姫ちゃんがどうして……」
 ……どうして? なにそれ意味わかんない。
「あのさ、それ……いる?」
「えっ?」
「お姉ちゃんを守るのに理由とか、いる? はぁ、まったく……あたしの方こそ『どうして』だよっ! たまにはあたしに守らせてくれてもいいじゃん! あたしいつも言ってるよね! 子供扱いはやめて、って!」
 ぼろぼろになってるお姉ちゃんだけど、あたしはちょっと頭にきていた。
「え? あー、うん、そうなんだけど、でもね? 姫ちゃん……」
「でもも、だってもなし! いいからお姉ちゃんは安全な場所まで離れてて! これは、妹としての命令! ……大丈夫だって、あいつはあたしが倒してみせるから!」
 そう言い切ってみせると、お姉ちゃんはちょっと寂しそうに笑ってから、
「そっか。じゃあ、後はまかせるよ、姫ちゃん? ……ううん、違うか。……まかせたよ、姫花!」
 そう言ってくれた瞬間、あたしの背筋に、電撃が走った。
 そんな気が、してちょっと泣きそうになった。
「まかされた!」
 背中越しに返事をして、あたしはお姉ちゃんがその場を離れたことを確認する。
 『オムツ』を身につけたあたしは、自分の体から不思議な力があふれ出てくるのを感じていた。ギュッと拳を作れば、それだけでメロ・スをやっつけられそうなぐらいに。
 そしてそれは当のメロ・スにも十分に伝わっているみたいで。
「ふむ、この力……どうやら相手にとって不足なし。良かろう、名も知らぬ騎士よ。いざ尋常に勝負!」
「上――――等だっ!」
 雄叫びで応えると、メロ・スはすでに動いていた。まるで地面に倒れこむように前屈し、瞬時にクラウチングスタートの体勢を整え、
「いきなりで悪いが、走れ! メロォォォォス!」
 凄まじい速度で、メロ・スの巨体が迫ってきた。
 けど、不思議とあたしに焦りはない。
 きっとそれは、オムツのおかげだった。
 腰周りを中心に暖かさがどこまでも広がり、胸の中に懐かしい気持ちが満たされていく。太陽の祝服。世界を作り出すほどの力を秘めた、神の下着で、下着の神で。
 わかる。
 オムツを通じて全身が、このミェーザ・ルハダと一体化していく。
 目の前から迫り来るメロ・スの拳が、まるで時間が止まっているかのようにゆっくりに見える。
 あたしはそれをただ心のままに、そっと手を差し出し、受け止めた。
 岩のように硬い拳だったけど、あたしは手のひらにオムツを作り出してその衝撃を漏らすことなく吸収させる。結局メロ・スの拳は、あたしをその場から揺らすことすら出来なかった。
「ばっ、馬鹿なぁ! ち、朕の! 朕の拳を片手で! 片手で完全に止めただとっ?! ありえぬ! ありえぬぅっ!」
 おそらくは最大の必殺技だった『走れメロ・ス』を防いだことで、メロ・スの顔に明らかな焦りの色が見えた。
 ばっ、とメロ・スは慌ててその場から離脱、距離をとる。
「ふ、ふん! 確かに下着の神を身につけた貴公は黒騎士より手強いようである……だがしかし! しかしだ! 朕が全裸であり、全裸の王である限り! 下着の力で朕を破ることは絶対不可能であーるっ!」
 勝ち誇ったように、メロ・スはそんなことを言い出す。
 うん、確かにその通りだね。
 でもね、神オムツを履いている今だからわかるんだ。ミェーザ・ルハダ全部を包み込む神様の力を借りることで、メロ・スのその強さの秘密が。
「もうわかってるよ、メロ・ス。あなたのその力は、全裸であることで発揮されてるってこと。ただ単に、下着の攻撃が効かない、ってだけじゃないってこと」
「……ぬっ」
 メロ・スの表情が、歪む。
「だったら、答えは簡単。あなたに下着を履かせてあげればいい」
「ぬぬぅっ!?」
 再度、メロ・スの表情が歪む。
 だけど。
「ふぅはははっ! 確かに! 確かにな! だが……無駄である! っはぁっ!」
 メロ・スは高々と片足を上げ、四股を踏むように思い切り地面を踏みつけた。あまりに凄まじい勢いで振り下ろされた足は、地面をえぐり深々と大地に突き刺さる。
「見よ! これで朕に下着を履かせることなど絶対不可能! さぁ、いかにする娘よ? この朕に下着を履かせるなど十年早……む? あの娘はどこであるか?」
 そんなことを呟きながら、きょろきょろとあたりを見回すメロ・ス。
 でも残念。もうとっくに、あたしの行動は終わってるんだ。
 あたしはメロ・スの『背後』から、声をかける。
「十年早い? 冗談言わないで、気づくのが二秒遅いから」
「なっ、馬鹿な……そんな馬鹿なぁ! いつの間に?! いつの間に朕はし、しし下着を!?」
 すでにオムツを履かされたことに気づいたメロ・スは、驚きの色を隠せない。
 ラの、裸の神の力を借りたメロ・スが俊足で動けたなら、神オムツの力を得たあたしに同じことが出来ないわけがない。
「裸の国からやって来た、裸の王様。貴方に良いことを一つ教えてあげる」
 あたしはすっとメロ・スに指先を突きつけて、言ってやる。

「――――テープタイプの紙オムツは、立ったままでも履かせられるんだっ!」

 ま、みんな裸の国じゃ役に立たない知識だけどね。
「ばっ、馬鹿な! 朕の! 朕の力が! 裸の神より授かりし力が、う、失われてゆくっ?!」
 うめき声をあげるメロ・スの肉体から、しゅうしゅうと音を立てて湯気のようなものが立ち上る。それに伴って、メロ・スの体から発せられている圧迫感がどんどん弱まっていく。
「だが……な、なんだこの温かさは……懐かしいぬくもりは! これはまさか、まさかまさか! 朕がとうに忘れ去ったはずの、母上のぬ・く・も・りぃいいいいいいいいいいいっ!?」
 絶叫しながらメロ・スはのけぞり、そのまま大の字に倒れた。ずんとその巨体が、地面を軽く揺らす。
 全てが終わった、瞬間だった。
「……か、勝った、のか?」
 誰かが、そんな言葉を口にした。
「ん。勝ったよ。あたしの勝ち」
 にっと、あたしはみんな方を振り返って、親指を立てた。
 最初はみんな戸惑っていて、お互いに顔を見合わせていたけど、やがて歓声が沸きあがる。
「すげぇ! 勝った! 勝ったんだ! あんなお譲ちゃんが! あの全裸王に!」
「ヒ・メ・カ! ヒ・メ・カ!」
「神オムツの騎士ヒメカ――――っ!」
 それはまるで波のように広がっていき、寄せては返し打ち付ける。
 え。なにこれ超気持ちイイっ!
 喝采の中、ゾクゾクとあたしの背筋を何かが通り抜けていく。それは確かに、愉悦だった。
 むむむ、お姉ちゃんめ。こんな良い思いをしていたのか! 許せん!
 と。
「ふっ、くくくく……」
 地面に倒れたままのメロ・スが、笑った。
「おい、まさかこいつ……まだ?」
 そんな声が聞こえてきたけど、それはありえない。メロ・スからはもう完全に裸の神の力は抜けきっていて、今やただの裸の王様……いや、オムツを履いた王様だ。
 そのメロ・スは、地面からむくりと起き上がると、
「ふぁっはっはっはあっ! 負けじゃ負けじゃ! 朕の完敗じゃあ!」
 豪快に笑った。
「貴殿、神の騎士ヒメカ・ムツキ……と言ったな? メロ・スは――――感動したっ!」
 暑っ苦しいヒゲ面で、メロ・スはどこから出したのかと言いたくなるぐらいに滂沱と涙を流した。
「朕と同格の力を手にしながら、力ではなくよもやぬくもりをもって朕を屈服させるとは……いやはやおそれいったわい。貴殿に免じて、ギの国侵略は諦めるとしよう」
 メロ・スのその言葉には、微塵も嘘は感じられなかった。そのあたりはメロ・スにもメロ・スなりの信念があったんだろう、とあたしは思う。
「……だってさ、パンティ」
「どうもありがとうございました、ヒメカ。そしてカグヤ」
「なによ、私はついで? あーあ、姫花に良いところ全部持ってかれちゃったなー」
 はぁー、とわざとらしく深いため息をつくお姉ちゃんだ。そんな珍しいお姉ちゃんに、あたしはここぞとばかりにピースしてみせた。
「あのー、ところで太陽王メロ・ス。ひとつ聞かせていただいてよろしいですか」
 と、声をあげたのはパンティだった。
「何故、我が国の侵略など? まだその理由を聞かせていただいていないのですけど」
「う、うーむ……負けた以上は素直に話さねばなるまい」
 少し困惑気味にメロ・スは表情を歪めたものの、何かを決意したかのようにその瞳がずっと遠くを見つめる。おそらくは、ラの国があるんだろう方角に。
 そしてメロ・スは、ゆっくりと語りだした。
「朕は良き王となるため日々切磋琢磨していた。おのれの肉体を磨き上げ、いかなる敵が現れようと打ち倒せる強さを身につけ。民を守れる王となりたかった……。贅は控え、善政とは何かを学び、悪しき法は廃し、民のために尽くし、研鑽に研鑽と研鑽を重ねていた」
 メロ・スの語り口は、熱かった。
 みんな、聞き入るようにして真剣に耳を傾けた。
 その言葉には熱意と、そして信念があった。
 本当にこの人が、国民のために考えて動いているのだと。そう信じたくなるような、そんな実直さを直に感じた。
「そしていつしか朕は民から太陽王と呼ばれるようになっていた。決意の時からすでに数十年経ってのことだ。だがその時になって、朕はあることに気づいたのだ」
「……あること、とは?」
 パンティが尋ねると、メロ・スは深々とうなずいた。
 うなずいて、それから答えた。

「――――冬の全裸は寒い! と」

 その言葉にその場にいた一同全員が、
『……は?』
 ってなる。
 あたしもなった。
「えっと……そこ、気づかなかったの? 今まで?」
「ふっ、笑うが良いわ。そのことに気づけなんだのは、朕の愚かさよ。不甲斐無い。朕の肉体が民よりも少し優れていたばかりに、民の苦しみに気づけなんだ……朕の肉体が民よりも優れていたばかりに!」
 うん、なんでいま二回言った?
「ならばと朕は、ギの国を奪おうと考えた! 渡り鳥の如く、寒い時期はギに移り住み、温かい時期はラで過ごせば民達が凍えることはないだろう、と!」
「ん? ……どういうこと?」
「ああ、ギの国とラの国は季節が真逆なのですわ。今の時期、ギは夏ですがラは冬ですの」
 と、キウィさん。
 あー、なるほど。日本で言うと、日本とオーストラリアみたいなもんか。
「って、ちょっと待って。えっと……それ普通に服着たら良いんじゃ?」
「ば、馬鹿を申すなっ! 裸の国の民が、寒いからと服を着ていたら裸の国ではなくなるではないか!」
「うん。いやまあ、そうなんだけどね……?」
 ダメだこりゃ、とあたしはあっさりとさじを投げる。だって、めんどくさそうだったし。
「ま、まあともかくとして、メロ・ス王はギの侵略を諦めてもらえたんですわね?」
 パンティが話をまとめるように、胸の前でパンと手を叩いた。
 心なしかその顔がちょっと引き釣り気味なのは、世にも馬鹿馬鹿しい理由で攻め込まれたからだと思う。
「うむ、すっぱり諦めたのである。諦めたのであるが……時にギの王女よ。侵略を諦めた証として一つ提案がある」
「提案、ですか?」
「うむ、お互いの民が得をする朕ながら見事で素晴らしく美しい妙案である」
 とか言いながら、メロ・スは腕組みをし大げさにうなずいてみせる。
「見たところ、ギの民は夏暑いと服を脱ぐのであろう?」
「え? ええ、まあ、確かにそうですが……」
「ならば話は早い! 暑くて服を脱ぐぐらいであれば、寒い場所の方が過ごしやすいであろう!」
「あの、それはつまり……………………何が言いたいんですか?」
 あの、温厚なパンティが、冷ややかな目でメロ・スを見つめた。それもぞっとするぐらいに、冷たい視線だ。
 でも当のメロ・スは全く気づかずに「うむ」と大仰にうなずいて。
「つまり友好の証として、ラが冬の間はお互いに国を引っ越す……というのはどうかの?」

 その瞬間、あたしを含むその場の全員が、怒りと共に拳を握り締めた――――。




 こうして、なんやかんやでギとラの国の争いは終結した。

「はっはっはっ、ではまた来るのである!」
 そう言って元気一杯大手を振って見せたのは、メロ・スだった。
 メロ・スはその場にいた全員から袋叩きにあったはずなのに、ほとんど怪我らしい怪我もしてない。しいて言えば、その体に靴跡がついたぐらい?
 もうオムツをつけてるからラの神の加護はないはずなんだけど、もしかしてこの人単に素で頑丈なだけなんじゃ……。
「ふふふ、メロ・ス王。気を使われなくてもよろしいので次に来るのは百年後ぐらいでいいんですよ?」
 と、メロ・スを見送るパンティ。よく見ると、頬を軽く引きつらせてたりする。
 でもそれに対するメロ・スはこう。
「はっはっはっ、それでは朕が死んでしまうではないか。なに、また良い案が思い浮かんだら明日にでも来るのである!」
 どう見ても、話が通じていなかった。
 そうしてようやくメロ・スが見えなくなってから、あたしはぽつりと呟く。
「これで終わったのかな?」
「そう……ですね……そうだと……良いんですけど」
 心底疲れたという様子でそう漏らすパンティに、あたしは「あはは」と乾いた笑いで応える他なかった。
 うん、あたしらは元の世界に帰ればあのオジサンと顔合わせずに済むけど、パンティはそうも行かないもんね。その心中、お察しするよ。
 心の中で密かに合掌するあたしだった。
「……ところでわたくし、ちょっと気になっているのですけど」
 と、パンティがすっと手を上げた。続けて、「あ、実はアタクシもですわ」とキウィさん。
「アタクシの記憶では確か、伝承の救世主は赤子である、と聞いていたのですけど……何故ヒメカ様が神の下着をつけれたんですの?」
 あー、なるほどそこか。
「えっとね。あたしもよくわかんないけど、神様はその預言が間違いで、この傷跡があるからあたしが救世主なんだって言われたんだけど」
 と、あたしはお腹の傷痕を指差して見せたけど。
『否』
 いきなり神様が口を挟んできた。
『我はそのようなこと、言っておらぬ。その傷跡は証ではない』
 あっさりと否定されてしまった。
「あ、あれ?」
 でも確かに、言われてみればそうだ。神様ははっきりとそれが証だ、なんて一言も言ってなかった。
『加えて言うなら、汝らに伝わる預言も間違っておる。正しくは、赤子の如き者なり』
「赤子の、如き者?」
 つまり、赤ちゃんみたいな人、ってことだよね。あたしが。
 ちょっと意味がわからなくて首をかしげていると。
『汝の体には証があるはず。赤子のごとき、証が』
「え? いやいや、あたし他にそんな証とか持ってな……ん? 赤子の如きって……」
 ま。
 さ。
 か……?
 もしかして、『あのこと』?!
 気づいた。
 あたしは神様が言う証に、心当たりがあった。けれどそれは誰にも言いたくない、とっても恥かしい国家機密ならぬ乙女機密で。それはとてもじゃないけど、この場では言えないことで。
 その事実にわなないていると、まるで空気を読まずに、むしろ感慨深そうにお姉ちゃんが。
「あー、なるほど……。そういえば姫花、まだ生えてな」
「死ねぇええええええええええええっ!」
 とっさにお姉ちゃんを丸ごと神オムツで包み込む。厳重に、二度とこの世に戻ってこないように、十重二十重に何重にも。何ならこのまま川に流してやろうかとすら思う。
「はぁはぁ、はぁ……」
「ふふっ、良いですねぇ姉妹って」
 と、パンティがまた微笑みながらそんなことを言いだした。
「……良くないですよ、姉妹って。いっつもウザったいし、過保護だし、変態だし、好きじゃないです」
 あたしはそう言い放つも、パンティは意味ありげに微笑むと。
「ええと、確か……『あたしのお姉ちゃんに手を出すな――――っ!』でしたか?」
 げ。
「いえいえ殿下、ここはやはり『お姉ちゃんを守るのに理由なんている?』ですわ」
 と、さらにキウィさんが追い討ち。
「あー! 死ね! あたしが死ね――――っ!」
 あたしは頭を抱えて地面に倒れこみ、ごろごろともだえ苦しむ。ちょっと、割と本気で死にたかった。
「あ、あれは一瞬の気の迷いで! 意識が朦朧としてて! ……神様が……そう、神様が勝手に言ったの!」
『いや、娘よ。我はそんなこと一言も言ってな……』
「破くよ」
『……あるいは言ったかも知れぬな、うむ』
 物分りのいい神様で助かった。
 とりあえずこれであたしの面目は保て……。
「うふふふ、姫花大好きー、ぎゅーっ!」
「ぎゃー! お姉ちゃんっ!? ちょっ、どうやってあのオムツから出て来たっ!?」
 でもって、ぎゅっー! って、それ胸! あたしの姫りんごだから! にぎるな! しぼるな!
「ふっふふーん! オムツ? あんなの私の姉妹愛で貫いてあげたし!」
 お姉ちゃんの言う通り、オムツには確かに大きな穴が開いていた。
 ……あんたの姉妹愛は、ドリルか何かか!
「さぁさぁ、姫花。次は姫花の番だよ……?」
「あたしの番てなんだ! 番て! やめんか人前でっ!」
「え! 姫花、それって人前じゃなかったら良いってこと?! 貫いていいってこと?!」
「そういう意味じゃなくて!」
「ふぅん? じゃあ、どういう意味かなー?」
 などと言いながら、お姉ちゃんの顔がじりじりと近づいてくる。
 あたしはじりじりと、後ずさりせざるえなくて。
「も、もう……お姉ちゃんのバカ――――っ!」

 あたしの声が、ミェーザ・ルハダの空にこだまする。
 パンツを履いた太陽がのんきに浮かぶ、空の下。
 お姉ちゃんはやっぱり、お姉ちゃんなのだった。

終下着(しゅうげき)
ハイ

2019年08月11日 21時43分09秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆テーマ:
・太陽:○
・恐怖:×
・音楽:×
・はじめての夏:×
◆キャッチコピー:下着が不思議な力を持つ世界、それがミェーザ・ルハダ
◆作者コメント:
 企画運営の皆様、並びに参加者の皆様ご苦労様です。夏企画開催おめでとうございます。

 まあ、たまにはこんなのも良いかな、と思って書きましたがちょっとひどい目にあいました。異世界召喚ものって難しいですね。
 何とか間に合わせましたが、お楽しみいただければ幸いです。

2019年09月02日 20時01分31秒
作者レス
2019年08月26日 22時14分57秒
作者レス
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Re: 2019年08月27日 22時57分13秒
2019年08月19日 21時19分27秒
+30点
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2019年08月14日 17時30分09秒
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Re: 2019年08月27日 21時52分46秒
合計 10人 260点

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