太陽はジメテの夏

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 世界は光に溢れていた。
 笑顔がまぶしい双子の女の子が今、僕の目の前にいる。
 ――長い髪のフウと、最近髪を切ったヨキ。
 彼女たちが同時に歌を口ずさむと、いつも不思議なことが起こるんだ。
 
 君と集める ヒルクウキ
 ロクソル山の ナクルに詰めて
 ヤミノクモの 来る前に

 二人は歌いだした。僕を見つめながら、村に伝わる古い歌を。村の子供なら誰でも歌える、穏やかで優しい歌。
 ハイトーンは軽やかに、ロングトーンは力強く。二人の視線と歌声に包まれると、まるで別世界に迷い込んだような錯覚を覚える。
 でも、ゴメンね。僕は同時に二人を見つめることができない。だって僕は一人だから。
 困った僕は、妹のヨキのさらさらの髪を見つめていた。風になびく切ったばかりのブロンズの髪。それがとても綺麗だったから。

 なのに……

「なによ、クガンったら。姉さんのことばかり見つめて」
 歌い終わったヨキが僕のことを睨みつける。
 まただ。また不思議なことが起きた。
 僕はずっと、ヨキのことを見ていたんだよ。
「あら。クガンはお姉さんが好きなのよ。落ち着いてるから」
 フウが僕をちらりと見て顔を赤らめる。まるで僕がずっとフウのことを見つめていたかのように。
「お姉さんって言ったって、たった数時間の違いでしょ!?」
 膨らませた頬を、さらに大きくするヨキ。
「じゃあ、私の長い髪が魅力的だったんじゃない? あんた、慌てて切っちゃうからいけないのよ」
「だって、だって、クガンが言ったんだもん。髪が短い女の子も魅力的だって」
 そう、だから僕はずっとヨキのことを見てたんだ。
 髪を切ったヨキはとっても魅力的だったから。

 不思議なことが起きるのは、決まって二人が同時に歌いだす時。
 そんなことあるかって思うだろ?
 でも、本当に同時に歌いだしちゃうんだ。
 双子だから?
 たぶんそう。双子だから。
 だって容姿も本当にそっくりなんだよ。一卵性双生児だし。
 髪を切る前のヨキは、本当にフウにそっくりだった。後ろ姿だけなら、幼馴染の僕だって見分けがつかないほどに。

「もう、いいわ。クガンなんて知らないんだから。罰よ、姉さんばかり見ていた罰!」
 ぼおっとしていた僕は、ヨキの言葉ではっとする。
 罰? それってなんだよ。
「今日のヒルクウキ集め、いつもの倍やってよね!」
 いつもの倍? いつもの倍って、倍やるのか?
「そりゃないよ」
「そうよ。ヨキは勝手ね」
 僕は、ヨキをずっと見てたんだから。
 ほら、フウだって反対してるじゃないか。
「姉さんは黙ってて。じゃあ、こういうのはどう? 私の担当のラトラ通りとレトレ通りをやってちょうだい? そしたら許したげる」
 むむむむ。ラトラ通りとレトレ通り?
 僕の担当は、リトリ通りとロトロ通りだから……それってやっぱり倍ってことじゃないか!?
 納得がいかないけど、ヨキの怒りは簡単には収まりそうもない。
 腹をくくった僕は、腕組みするヨキを向く。
「仕方がないなぁ……」
「ホント!? だからクガン大好き!」
 とたんに機嫌を直して、ヨキは僕に抱きついてくる。
 悲しいことに、僕はこの笑顔に本当に弱いんだ。短く切った髪が僕の首筋に当たってくすぐったい。
「まったくクガンはヨキに甘いんだから。じゃあね、二人とも。私は自分の当番に行ってくるからね……」
 フウは呆れたような言葉を残して、通りの向こうに消えて行った。
 一方のヨキは、僕の手を握ってなんだか嬉しそう。
「じゃあ、私の分をやってくれるお礼に、最初だけ手伝ってあげる。どっちに行く? ラトラ通り? レトレ通り?」
「どっちも」
「なによ、仕方ないわね」
 なんだよ、どっちも手伝ってくれるのかよ!
 だったら罰なんて言わずに両方やってくれよ~
「ラトラ通りとレトレ通りの極意を教えてあげるから、ちゃんと覚えておくのよ」
 なんだか納得がいかないけど、こうして僕とヨキは、ヒルクウキ集めに出発した。


 僕の名前はクガン。
 オオキ国の辺境の地、チイサ村に住んでいる少年。
 チイサ村の人口は百人くらい。周囲を山々に囲まれた盆地の中にぽつんと佇む、本当に小さな、小さな村なんだ。
 だから子供といえども大切な仕事を任されている。
 ――ヒルクウキ集め。
 こうやって言葉にすると、なんだか難しいことをやってるように聞こえるだろ?
 でも、そんなことはないんだ。だって、これは子供でもできる仕事なんだから。
 手順はこうだ。
 まず、村長さんの家に行って、透明な結晶を掘り抜いて造られた瓶を借りてくる。
 その瓶の中に昼間の空気を入れて、それぞれの通りにある石造りの台に置いて、蓋をするだけなんだ。
 簡単だろ?
 えっ、なんでそんなことしなくちゃいけないのか、わからないって?
 そこなんだよ。最近、僕が新たな考えを持ち始めたのは。
 その考えをヨキに紹介したくて、僕はうずうずしてたんだ。


「ちょっと重いよ。ひどいよ、ヨキ……」
 村長さんの家を出た僕は、大きなトレーを持たされていた。
 トレーが重くて持つ手が痛い。だってそこに乗っているのは、十二個の瓶だから。
 立っているだけでも至難の業だ。トレーの端を腰骨に押し当て、後ろにふんぞり返らないと体のバランスを取ることができない。まるで組体操をやっているような恰好。
 瓶の大きさは、握り拳を二つ重ねたくらい。それが結晶でできていて、しかも十二個も乗っているんだから、トレーの重さは半端ない。
「しょうがないじゃない。私のラトラ通りとレトレ通りの分と、クガンのリトリ通りとロトロ通りの分があるんだから」
 一つの「通り」に置く瓶は、それぞれ三つ。
 瓶を置く「通り」は、四か所。
 だから計算すると、三かける四で十二個。うん、計算合ってる――って、冷静に言ってる場合じゃないっ!
「なんで僕がヨキの分まで持たなきゃいけないんだよ!」
「罰だからよ。クガンだってさっき認めたじゃない。罰を受けるって」
「そりゃそうだけど、手伝ってくれるって言ったじゃないか。ラトラ通りとレトレ通りの分は」
「そうよ。だからラトラ通りとレトレ通りは、私が瓶を台に置いてあげるの。あー楽ちんだなぁ、瓶を持たなくていいのは」
 なんだよ、これがヨキの狙いだったのか。
 つまり重い瓶を持ちたくなかったということだ。
 でも、僕の前を歩きながら心の底から伸びをするヨキを見ていると、怒りはすうっとどこかに消えてしまう。
 両手を上げて伸びをしながら空を見上げるヨキ。最近、成長著しい胸の膨らみが強調される。そのラインがとても美しくて、つい見とれてしまうのだ。
「ほら、さっさとラトラ通りに行きましょ! 瓶を置けば、どんどん軽くなるんだから」
 石畳の村道をスキップするヨキの後を、重いトレーを抱えた僕はヨタヨタとついていくのがやっとだった。

「ねえ、ヨキ」
「ん? どうしたのクガン」
 ラトラ通りとレトレ通りに瓶を置いてトレーの重さが半減した僕は、思い切ってヨキに話しかける。
 最近思い浮かんだ、「夜」についての新たな考えを打ち明けるために。
「ヤミノクモがやって来るから夜になるって、小さい頃から僕たち教わってきただろ? それってホントなのかな?」
 するとヨキが目を丸くする。
 そして、いきなり怒りに似た鋭い感情を僕にぶつけてきた。
「なに? 今私たちがやってる仕事を否定したいの? そんなに罰が嫌だった?」
 先ほどまでの笑顔が幻だったかのように。
「いい加減、罰から離れろよ。もう気にしてないから」
「気にしてるじゃない。ヤミノクモについて詮索するのはよくないって、おばあちゃんがいつも言ってた。だから余計なことを考えちゃダメ。ヤミノクモがやって来るから夜になるの。そういうものなの」
 それだ。
 子供の頃から僕がずっと抱いてきた違和感。
 ヤミノクモのことを聞こうとすると、大人は誰もが口を閉ざす。自分の味方だと思っていた幼馴染のヨキでさえこうだ。
 その理由が何なのか?
 そもそもヤミノクモって何なのか?
 僕はずっと考えていた。
「ヤミノクモに逆らうと闇獣に連れて行かれるって、クガンも散々言われてきたでしょ!?」
「…………」
 僕は言葉を失ってしまう。
 子供の頃、植え付けられた恐怖が脳裏に蘇る。
 そう、ヤミノクモの真相に触れるのはタブーなのだ。少なくとも僕の村では。
 しつこく両親に聞くと、必ず言われるのはこんな言葉だった。
 ――そんな子は闇獣に食われちまうぞ!
 そう言われると大抵の子供は黙ってしまう。闇獣なんて得体のしれないものに食われたくない。
 まさかこの歳になってそのフレーズを、しかもヨキに言われるとは思わなかった。それよりも驚いたのは、この歳になっても僕は恐怖に身がすくんだことだ。
 子供の頃からの刷り込みというものは本当に恐ろしい。
 その恐怖に立ち向かうかのごとく、僕はトレーから瓶を一つ手に取る。
「でも、この結晶があれば、ヤミノクモに対抗できるって言うじゃないか」
 とある結晶を堀り抜いて作られた瓶。
 透明なその結晶は、僕の手の中でキラキラと輝いている。
「ナクルって言うんだよ。この結晶」
「そんなことくらい、知ってるわよ」

 ――ナクルの結晶。
 その結晶で作られた瓶に、僕たちは毎日ヒルクウキを詰めている。
 そして夜が訪れる前に、各「通り」の台の上に置いて、蓋をしておくのだ。
 それが僕たちの仕事。
 そうしておけば、ヒルクウキは瓶の中に留まったまま。
 つまり「通り」の灯になり、村人は夜でも「通り」を歩くことができる。

「だって、あの歌にも詠まれているじゃない」
 するとヨキは静かに歌い始めた。
 村に伝わる、そして村のすべての子供が口ずさめるあの歌を。

 君と集める ヒルクウキ
 ロクソル山の ナクルに詰めて
 ヤミノクモの 来る前に

 小さい頃は、歌詞の意味なんて全く分からなかった。
 母親がよく歌う、メロディーが美しい素敵な曲。きっとヨキたち姉妹にとってもそんなイメージだろう。
 大人の真似をして何気なく口ずさんでいるうちに、村のすべての子供が覚えてしまう。
 しかしその歌詞は、生活に必要な「教え」だったのだ。
 なぜなら、子供たちは少年少女になると、「通り」にヒルクウキを詰めた瓶を置く仕事を受け持つのだから。
 そして歌の意味を知るのであった。

「あっ、お姉ちゃんズルい!」
 歌い終わったヨキがいきなり叫ぶ。
「び、びっくりした。どうしたんだよ、ヨキ」
「お姉ちゃん、オカズを多く取り分けてる。私の好きなパニコロームクリッケなのに!」
 おいおい、何でそんなこと分かるんだよ。
 そんなツッコミをする間もなく、ヨキは走り出そうとしていた。
「ゴメン、クガン。リトリ通りとロトロ通りを手伝えなくて。私のパニコロームクリッケがピンチなの!」
 なんだよ、村の仕事よりもパニコロームクリッケかよ。
 僕は呆れながら取引する。
「分かったから早く帰りな。その代わり、週末はロクソル山に一緒に行ってくれるよな?」
「ええ、ロクソル山でもホトスプ川でも行ってあげるから今は許して。じゃあね!」
 そう言ってヨキは走り出してしまった。
「ったく、賑やかな姉妹だこと……」
 僕は再びトレーを抱えてリトリ通りに向かう。
 どさくさに紛れて週末の約束を取りつけてしまった。そのロクソル山ハイキングに胸を膨らませながら。
 それがとんでもない悲劇を招くなんて、僕には知る由もなく――


 ◇ ◇ ◇


「ねえ、やっぱやめようよ。ロクソル山は……」
 週末。
 待ち合わせの場所にやってきたヨキは、表情を不安で曇らせていた。
 というか、本当に今にも泣きそうだ。
 可愛らしいハイキングの恰好をしているというのに。チェックの長袖のシャツにカーキ色のパンツ。背中にデイパックを背負い、靴も歩きやすそうで、帽子を頭に乗せている。
 足りないものはただ一つ。ヨキの笑顔だけだった。
 彼女の表情を曇らせているのは村の禁忌のせいだ。
 ――ヤミノクモについて詮索してはいけない。
 ヤミノクモに唯一対抗できるナクルの結晶は、ロクソル山で採掘される。だからロクソル山に行くという行為は、村の禁忌に触れる可能性がある。
 だから僕は言う。
「大丈夫だよ。ロクソル山には行かないから」
 するとヨキは驚いたように僕を見る。
「ロクソル山に行くって言ったのは、僕たちの行先を秘密にするためのおまじないだよ。だって、それ以外の場所を伝えていたら、どこに行くのか言いふらしちゃうだろ? ヨキの家族に」
 僕は誰にも詮索されずに、二人でハイキングに行きたかったんだ。
 たとえ家族に言わなくても、姉のフウにはバレてしまう可能性がある。
 だって本当に不思議な双子だから。この双子の姉妹には、いつも不可解なことが起こっている。
 僕の言葉に、ヨキの表情にだんだんと輝きが戻ってきた。
「うん、そうだよね。クガンだって、ロクソル山には行かないよね」
「というか、行きたくても行けないんだよ。どこにあるのか知らないんだから」
「へっ?」
 僕の言葉が意外だったのか、ヨキは目を丸くした。
 だって、誰も教えてくれないから。
 もしかしたら両親だって知らないのかもしれない。勝手にナクルの結晶を採ってくる行為は、きっと村のタブーなのだろう。
「だから探しに行かないか?」
「なによ、結局行くんじゃん」
 ヨキは再び表情を曇らせる。
「行けるかどうか分からないよ。でもね、最近見つけてしまったんだ。今は使われていない古いレールを」
「古いレール?」
「ほら、村長さんの畑の裏に空き地があるだろ? あそこで見つけたんだよ、草に隠れるようにして山の方に続いている錆びたレールがあるのを」
 なぜ、そんなところにレールがあるのか?
 いや、問題はそこじゃない。なぜレールが必要だったのか、ということだ。
 ――重いものを運ぶため。
 そうとしか考えられない。そう考えれば、いろいろな事柄が繋がってくる。
 ナクルの結晶は鉱物、つまり石と同じ重さだ。一抱えもあれば人間、いや馬でも運ぶのは無理だろう。
 きっとあのレールはかつてはトロッコが通っていて、ナクルの結晶を運んでいたんだ。ロクソル山から村まで。
 ヒルクウキを集めるナクルの結晶でできた瓶は、村長さんの家に保管されている。それは、村長さんの家でナクルの結晶が加工されていたからに違いない。
 こうして色々な状況を積み重ねていけば、答えは自然に出てくる。ロクソル山がどこにあるのか、という答えが。
「そのレールをたどれば行けると思うんだ、ロクソル山に。だから今から探検してみない?」
 僕はヨキの手を取る。
 そして彼女の瞳を熱く見つめた。
「ええっ、でも……」
「じゃあ誤解がないように、僕がロクソル山に行って何をしたいのか言っておくよ。それ以上の目的がないことがはっきりしたら、きっとヨキだって納得してくれると思う」
「うん。その目的って……?」
「ナクルの結晶を見つけて、一欠片だけ持って帰る。それだけなんだ。そして、その結晶を使って家でちょっと実験をする」
「それって危なくない?」
「危なくないよ。だって僕たちだって、普段からナクル製の瓶を触ったりしてるじゃないか。あれって全然危なくないだろ? 本当はあの瓶が使えればいいんだけどね、実験に。でも家に持って帰ることができないから、他に結晶が必要なんだよ。自由に実験に使えるナクルの結晶が」
 そして再びヨキの瞳を熱く見た。
「うん、わかった……」
 ヨキの瞳の光はまだ戸惑いで揺れている。
「でもその前に誓って。決してこの手を離さないって。私、やっぱり恐い……」
 それは仕方がないだろう。
 僕だってワクワク半分、ドキドキ半分だ。
 今日初めて話を聞いたヨキは、不安の方が大きいに違いない。
 だから僕は彼女の手を強く握る。
「わかった。この手は決して離さないから」
 こうして僕たちは、古いレールをたどる冒険に出発した。

 線路の上は意外と歩きやすかった。
 周囲は雑草が生い茂っていたが、線路は枕木が敷き詰めてあるおかげで藪が薄く、行く手が阻まれることはない。
 小川をいくつか渡ると、村を囲む山々が近づいてくる。山の高さはそれほどでもなく、斜面も険しそうではなかった。道さえあれば、ヨキと一緒でも二時間くらいで登れるだろう。
 そう、僕たちが住む村は、そんな山々に囲まれた盆地の中にある。ちなみに僕もヨキも、この村から外に出たことはない。山々を縫うように続く長い道のりを、徒歩か馬車で数日かけて越えるしか方法がないからだ。
 そんな山々の中に一つだけ、山頂が尖った山があった。レールは確実に、その山に続いている。
「もしかしたら、あれがロクソル山かな?」
 僕は握る手に力を込めてヨキを見る。
 少し表情を強張らせながら、ヨキは尖った山頂を見上げた。僕を引き寄せるように腕に力を込める仕草は、もう帰ろうよと言っているかのようだった。
 だから僕は打ち明ける。
 考えている実験の意味を。
 ヤミノクモについての疑いを。
 それは村の人には誰にも打ち明けられない禁忌だから。

「ヨキ。僕はね、ヤミノクモなんて存在しないんじゃないかと思ってるんだ」

 その時の、ヨキの驚いた顔を僕は忘れられない。
 この世の終わりを覗き込もうとする悪魔の子を見るような、険しい視線を僕に向けてきた。
 ――ヤミノクモのことを詮索してはいけない。
 子供の頃から言い聞かされてきた村の禁忌。それを犯すようなことを、僕は考えている。
「驚かせちゃってゴメン。だからそんな目で見ないでよ。僕は普通だから」
「…………」
 何かを言おうとして、ヨキは口をつむんだ。
 ここで何かを口にすれば、ヨキ自身もヤミノクモについて詮索することになる。村の禁忌を破りたくない一心が、彼女の口を堅くしたに違いない。
「何も言わなくてもいいから、とりあえず僕の考えを聞いてほしい」
 ヨキは返事の代わりに僕の手をギュッと握る。
 そして一緒に線路を歩きながら、黙って僕の話に耳を傾けてくれた。
 彼女の歩みが幾分軽くなったのは、ロクソル山に行くことよりも僕の話の方が重くなったからだろう。

「ヤミノクモがやってくると夜になる――と僕たちは教わってきた」
 村の子供なら、誰もが教わること。
 三年前までの僕は、一度も疑うことはなかった。だって大人も全員、そのことを信じているのだから。
「でも不思議に思わないか? ヤミノクモは毎日、同じ時間に東の国からやって来るんだぜ。そして西の国へ去っていく。一度も遅刻することもなく。少なくとも、僕が記録している間は一度もなかった」
 するとヨキの表情が変わった。
 思い当たる節があるという感じで。
 が、僕が彼女の顔を覗き込んでいることに気づくと、再び険しさを表情に纏う。少し頬を赤らめながら。
「でもそれっておかしくない? ヤミノクモが夜を連れてくるのなら、時には遅刻したり、早く来ちゃったりしてもいいと思うんだ」
 少なくとも、自分がヤミノクモなら、毎日毎日同じ時間に行動できる自信はない。
「それにね、何でいつも東の国からやってくるんだ? たまには西の国から、いや北や南から来たっていい。そもそも何で毎日やって来るんだ? 来ない日があってもいいじゃないか」
 ヤミノクモについて不思議に思い始めたのは三年ほど前のことだ。
 それ以来、僕は本を読んだりして勉強してきた。だって大人には決して聞けないことだから。
「そして最近、あるアイディアが思い浮かんだんだ」
 僕は初めて披露する。
 世界の仕組みがひっくり返るかもしれないようなアイディアを。

「もしかしたら、闇の星があるんじゃないかって思うんだよ。闇の星から届く闇の光。きっとそれが夜の正体なんだ」

「闇の……星?」
 久しぶりにヨキが口を開いた。
 聞いたこともない言葉に、興味を持ってくれたからなのだろうか?
 それとも、これはヤミノクモには関係がないと判断してくれたのだろうか?
 いずれにせよ、新たなアイディアについてヨキと話ができることは、とても嬉しかった。
「そう、闇の星」
「その、星っていうのは……何?」
 やはり、まずはそこからか。
 まあ、僕だって、星というものが存在するかもしれないってことは、最近知ったばかりだもんな。
 僕はゆっくりと説明する。
 本で読んだことの受け売りだけど。
「実は、この空はね、小さな光の点々の集まりなんだって。その小さな光の点を星って言うらしい」
「…………」
 ヨキは空を見上げる。そんなことなんて信じられないという風に。
「ほら、空には明るいところとそんなに明るくないところがあるだろ? とってもわかりにくいけど」
 最初、本で読んでそのことを知った時は衝撃的だった。
 そんなことあるかって思った。
 でも、毎日のように空を眺めているうちに、わずかに明るさが違うところがあることがわかってきたんだ。
「それはね、星の数の違いなんだって。星がたくさんある場所は空が明るくて、数が少なくなってるところはあまり明るくないんだって」
 僕も目を凝らして空を見てみたが、小さな光の点は見えなかった。
 本には、望遠鏡という特殊な道具を使うと判別できると書いてあった。
「それでね、本によると、空の明るいところは東から西へ動いているんだって。毎日、同じ時間に。これって不思議だろ?」
 この部分は最初、本に書いてあることが全く理解できなかった。
 だって、空が動くって書いてあるんだぜ。雲だったら分かるけど。
 でも、毎日空を見上げて、空の明るい場所やそうでもない場所の動きを観察しているうちに、実感することができるようになってきた。空の明るさの模様はちゃんと東から西へ動いていて、いつも同じ時間に同じ模様が現れるということが分かってきたんだ。
「だからね、もしかしたら夜も同じなんじゃないかって思ったんだ。もし闇の星というものがあったら、いつも同じ時間に夜がやってくることが説明できる。一度も遅刻することなく、必ず東の国から来るということもね」
 すると予期せぬことが起こった。
 いきなりヨキが反論してきたのだ。
「だったら、私たちがやってるヒルクウキ集めはどうなるの?」
 僕の瞳を見つめながら、鋭くアイディアの欠陥を突く。
 それはまるで、かくれんぼで僕を見つけた時の鬼のように。
「ナクルの結晶でできた瓶は透明なのよ。その闇の星っていうのが本当なら、瓶の中も夜になっちゃうんじゃない?」
 ヨキは頭がいい。
 すぐに僕の話を理解してしまった。
 三年前に疑問に思い、いろいろな本を読んで最近結論に至った僕のアイディアは、一瞬で危うくなってしまう。
「そうなんだ。だから僕はナクルの結晶を手に入れて、実験してみたいと思ってるんだ。さっきヨキが言ったように、闇の光がナクルの結晶を透過できるかどうかをね」
 これで、ヨキを新たなアイディアについての議論に巻き込むことに成功した。
 彼女の助けがあれば、もしかしたら夜についての謎が解けるかもしれない。



 山裾に近づき周囲が岩ばかりになると、線路はそこで途切れていた。
 先端が尖った山頂は、すぐ近くに迫る森の木々が邪魔になって見えなくなっている。
 岩がゴロゴロする山裾には、岩の間を縫うように沢水が流れていて、爽やかな風が吹いていた。とても気持ちの良い場所だ。
「お腹が空いたわ。ちょうどいい、ここでお昼にしましょ?」
 ヨキの視線の先には大きな木があって、日陰に転がる大岩がまるでベンチのように佇んでいる。山からの沢水もとても綺麗で、そのまま飲んでも美味いに違いない。
「うん。この場所は最高だね。線路も途切れたし、お昼を食べたらこの辺りで結晶を探してみよう」
「じゃあ、あの木陰にお弁当を広げましょ」
 そう言いながら、ヨキは背中のデイパックを下した。

「やっぱり外で食べるお弁当は最高だね」
 本当はヨキの料理の腕を褒めてあげたかったんだけど、なんだか照れくさくて僕はお茶を濁す。
 それならば態度で示そうと、僕はお弁当のおかずを次から次へと口に運んでいた。
 うん、これは美味い。かなりの距離を歩いたこともあって、お腹もペコペコだった。
「もっと落ち着いて食べたら? ほら、パンもあるよ」
 笑いながらヨキは僕にパンを差し出した。
 ヨキの家の窯で焼かれた拳くらいの大きさのまん丸パンだ。
「うわぁ、これ懐かしいなぁ」
 子供の頃よく食べていたパン。ヨキの家族と一緒にピクニックに行った時は、毎回このパンが楽しみだった。
 あの頃はヨキのお母さんが焼いていたと思うけど、今はヨキ自身が焼いているのだろうか?
 それにしてもヨキに笑顔が戻ってよかった。最初はロクソル山なんて行かないって言い出すし、道中もずっと暗い表情で心配してたんだ。
「ねえ、クガン。私もちょっと考えてみたんだけど、さっきクガンが言ってた「闇の星」っていうのと、ヤミノクモは、一緒なんじゃないのかな?」
 一緒?
 まさか一緒ってことはないだろ。一緒だったら、この三年間僕が考えてきたことはどうなるんだ?
「だって、考えてみてよ。闇の星というのがあったとして、それはいつも同じ時間にやって来るんだよね? だったらヤミノクモと一緒じゃない」
「…………」
 僕は言葉を失った。
 そんなことを考えたこともなかったからだ。
「ヤミノクモはヤミノクモだよ。遅刻もしないし、早くやって来ることもない。毎日同じ時刻に東の空からやって来る。だってヤミノクモなんだもん。人は詮索しちゃいけない存在なんだよ」
 そうか、ヨキにとってヤミノクモは絶対的な存在なんだ。
 だって、そういう風に教えられてきたもんな。
 存在について詮索しないから、その動きを当たり前のように受け入れられる。
 ヤミノクモのことをすっかり盲信しているヨキに、何を言っても無駄なような気もするが、ささやかな反論を僕は試みる。
「でもね、ヨキ。闇の星だって、その考えが広まれば、ヤミノクモと同じように受け入れられると思うんだけどな……」
 最近本で知った星という概念。
 でも自分は、その概念を絶対的な存在として信じきれているのだろうか?
 星が遅刻したり早く来たりしないなんて、誰が保証してくれるのだろう。
 僕はお弁当の中から丸いパンを一つ手に取る。
 そして、それを「闇の星」に見立てて、宙に掲げてみた。
 ――この「闇の星」から闇の光が発射されているのなら。
 その闇の光は、ヨキが言うように、ナクルの結晶を透過してしまうのだろうか?
 もしそうなら、僕の考えは間違っていることになる。

 しかし、ここでハプニングが起こる。
 考え事をしていたせいか、指がすべって丸いパンが手の中からこぼれ落ちてしまったのだ。

「ちょ、ちょっとクガン。何やってんのよ!」
 パンはヨキの方へ落ちて、地面をコロコロと転がる。
 ヨキはパンを拾おうとして、慌てて駆け出した。そして草むらに消えようとするパンに手を伸ばし――
「きゃっ!」
 ヨキも一緒に草むらに姿を消してしまったのだ。
 驚いた僕は、慌てて草むらに駆け寄る。
 ――きっと草の中に転んで姿が見えなくなってしまったに違いない。
 そんな僕の予想は、見事に裏切られることになった。
「おおっ!?」
 ツルツルと滑る草むらの中の足元にバランスを崩し、僕も地表から姿を消すこととなったのだから。
 そう、草むらの先にぽっかりと空いた穴の中へ、僕たちは転がり落ちてしまった。



「ねぇ、起きて。クガン……」
 ヨキの声で僕は目を覚ます。
「ううっ……」
 体中が痛い。
 どうやら穴に落ちた時に体を打ったようだ。
 目を開けると、部屋一つ分くらいの広い空間に僕たちは居た。壁や天井は透明な石でできていて、キラキラと輝いている。
「私たち、穴の中に落ちたみたいよ」
 そう言って、ヨキは天井に空いた入り口を指さした。
 入り口の位置は高く、ジャンプしても、ヨキを肩の上に乗せても届きそうもない。
 幸い、穴の中はヒルクウキが充満していて、明るさは保たれている。
「ヨキは大丈夫だった!?」
「全然大丈夫じゃないよ」
 顔を歪めながらお尻をさするヨキ。
「めっちゃお尻打って大炎上だよ。その後でクガンも落ちてきて、気を失っちゃったんだからね」
 えっ、もしかしてヨキがクッションになってくれたとか?
 僕はゴメンと小さく恐縮する。
「それよりもほら、見て、壁や天井や床を。全部透明な結晶でできてて、すっごく綺麗なんだから」
 ヨキに言われ、手をついている床を見て僕は驚いた。
 本当に透明な結晶でできている。しかもツルツルのスベスベだ。
 もしかして、この石って――
「きっと、これがナクルの結晶だよね?」
 ヨキも同じことを考えていたようだ。
 僕たちは辿り着いていたんだ、ロクソル山に。
「ああ、きっとこれがナクルの結晶だよ」
 この穴は、ナクルの結晶を掘り出した跡に違いない。ここからレールを使って、トロッコで村までナクルの結晶を運んでいたんだ。
 僕は村長さんの家にある、ナクルの結晶の瓶を思い出していた。
 確かにあの瓶と、この穴の床や壁や天井は同じ結晶のような気がする。
 さしずめ僕たちは、巨大なナクル製の瓶の中に閉じ込められたと言うべきだろうか。だからヒルクウキもここに留まることができるんだ。
 僕ははっとする。
 今は何時なんだろう?
「ヨキ。僕たちはどれくらいこの穴の中にいる?」
「さあ? 私もね、さっき目が覚めたばっかりなの」
 僕は天井に空いた入り口を見上げる。
 ――真っ暗だ。
 ってことは……。
「もしかしたら、もう夜なんじゃないかな。だって、ほら」
「えっ?」
 驚いたようにヨキも天井の入り口を見上げる。
「ホントだ。天井もキラキラしていて分からなかったけど、よく見たら外は真っ暗じゃない」
 そしてヨキは表情を曇らせた。
「大変だよ。私たち、今日のお仕事できなかった!」
 僕たちは各通りに灯の瓶を置かなくてはならない。ナクルの結晶でできた瓶にヒルクウキを詰めて。
「それはきっとフウがやってくれてるよ」
「そうよね、きっとそうよ。だって私のお姉ちゃんだもん」
 そんなことよりも、僕はもっと大事なことに気づく。
 事は僕たちが思っているよりも深刻であるということに。
「でも、後でお姉ちゃんに怒られちゃう……」
 そんなことはどうでもいい。
 もしかしたら、もしかすると、僕たちはもう二度とこの穴から出られないかもしれないんだから。
「パパやママも心配してるかもしれないし……」
 僕の両親も心配しているかもしれない。
 でも、誰もこの場所に助けに来てくれることはないのだ。
 だって、ここに来ていることは誰にも伝えていないのだから。
「ちょっと、クガン。さっきから頭を抱えてどうしたの?」
「ねえ、ヨキ。ヨキは誰かに言った? ここに来るって」
「そんなの言えるわけないじゃない。ロクソル山に来るなんて。クガンだって言ってたよね、みんなに内緒にしたかったって」
「そうなんだよ、そうなんだ。僕たちがここに来ているこは、誰も知らないんだよ。だから僕たちはずっと、ここに閉じ込められたままなのかもしれないんだ……」
 さすがのヨキも、事の重大さに気づいたようだ。
 僕を見つめる表情がだんだんと青ざめていくのがわかる。
 さっきからずっと考えているが、天井の入り口から出る方法は見つかりそうもない。かと言って、誰かに助けてもらった時は、僕たちがロクソル山に来たことがバレる時なのだ。
「そ、そんな……。うっ、うっ…………」
 ついにヨキは泣き出してしまった。
 僕は静かに彼女の肩を抱き寄せる。
「ゴメン、ヨキ。僕がロクソル山に行こうなんて言うから……」
「ううん。ついて来た私も悪いの」
 そしてヨキは僕に体を預けて涙をこぼし始めた。
 本当に僕ってバカだ。
 ロクソル山に行きたければ、一人で来れば良かったんだ。
 それなのに、ヨキを道連れにしてしまうなんて。
 なんてひどい男なんだ。なんて最低な男なんだ。
 後悔に体が震える。自分のバカさに怒りを覚える。
 その振動がヨキに伝わったのだろうか。彼女は僕から体を離し、静かに僕を見つめた。
 そしてすうっと息を吸う。

 君と集める ヒルクウキ
 ロクソル山の ナクルに詰めて
 ヤミノクモの 来る前に

 子供の頃から聞いている美しい歌。
 穴の中で歌声が反射し、なんだか神々しく聞こえてくる。
 不思議なものだ、心が次第に落ち着いてくる。
 歌い終わったヨキは、静かに天井の入り口を見上げた。
「お姉ちゃんも、こうやって窓の外の夜の空を見上げてた」
 きっと双子の心は通じ合っているのだろう。
 もしかしたら、フウが助けに来てくれるかもしれない。
 一縷の希望を感じたその時、グウとヨキのお腹が鳴った。
「えへへへ。お姉ちゃんのことを考えたら、ちょっと安心しちゃった」
 確かに僕も、ちょっとお腹が空いてきた。でもお弁当の残りは穴の外だ。
 するとヨキがポケットに手を伸ばす。
 そして丸パンを一つ取り出した。
「穴に落ちる直前に拾ったパンがあるよ。ちょっと土が付いちゃってるけど」
 この期に及んで、土が付いたから食べられないとは言っていられないだろう。
 このパンが、僕たちの命を繋いでくれるかもしれないのだから。
「クガンが食べようとしたパンなんだから、クガンが食べていいよ」
「いやいや、それはヨキが食べなよ。僕は結構お弁当を食べたから、そんなにはお腹は空いてはいないんだ」
 嘘だった。
 でも明らかに今は、ヨキの方がお腹が空いているように見えた。
「いやいやいや、これはクガンが食べなよ。ほら、私は体小さいし。クガンの方が必要でしょ?」
 なんて優しい子なんだと僕は嬉しくなる。罰を与えようとしていた先日のヨキとは別人だ。
 だから僕は提案する。
「だったら、今日はヨキが半分食べなよ。残りの半分は明日にしよ。助けがいつ来るのか分からないんだし」
「いいの? それで」
「ああ」
 するとヨキはパンに付いた土を払う。
「じゃあ、遠慮なくいただくよ」
 そしてガブリとパンに噛り付いた。
「んっ?」
 途端に目を開くヨキ。
「どうした? ヨキ!?」
 もしかして、パンに付いていたのは土だけじゃなかったのだろうか?
「何か変か? 変だったら吐き出した方がいいよ」
「ううん、大丈夫。なんか塩味が効いて美味くなったように感じたから。多分気のせい」
 そう言って何事もなかったかのようにヨキはパンを半分平らげた。
「明日、助けが来ますように」
 そしてパンの半分をポケットに入れる。
「誰かが僕たちに気づいてくれますように!」
 僕たちは手を繋いで、ナクルの結晶の床に横になった。



「おーい、誰かいるか!?」
「ヨキ! クガン!」
 翌朝。
 騒がしい声で僕たちは目を覚ました。
 どうやら両親たちが助けに来てくれたようだ。
「おーい、ここだ。穴の中にいるよ!」
「助けて。お願いだから!」
 すると縄梯子が穴の中に投げ入れられる。その瞬間、僕とヨキは抱き合って喜んだ。
 助かったのだ。
 まずは最初にヨキが梯子を上る。
 続いて僕が穴から顔を出すと、村長さんとヨキの両親、そして僕の両親の顔が見えた。ヨキはフウと抱き合っている。
 しかし、この一件が、僕と双子の姉妹に重大な決断を強いられることになるとは、この時は思いもしなかった。


 ◇ ◇ ◇


 翌日。
 僕と双子の姉妹フウとヨキ、そしてそれぞれの両親は、村長さんの家に呼び出されていた。
 険しい表情の村長さんが僕たちを迎える。
 家の奥の会議室に招かれると、入り口のドアは内側からしっかりと閉められてしまった。中にいるのは村長さんと僕たちだけだ。
「大変なことになった……」
 村長さんがため息を漏らす。
 そして僕たちを見回した。
「今回の一件を知っているのは、ワシを入れてこの八人だけじゃな」
 村長さんが確認する。
 僕とフウとヨキ、そしてそれぞれの両親の顔をじっくりと見ながら。
「昨日、見聞きしたことは一切口外しないように。これは古くから伝わる村の掟じゃ」
 村長さんからの依頼に、一同頷く。
 僕は全く納得がいかなかったが、横から睨みつける父親が恐くて渋々首を縦に振った。
「そのことを証明するために、この中から一人、闇の国へ人質を出すことになった」
 人質!?
 なんだよ、それ……。
 すると僕の父親が声を上げた。
「人質ってどういうことですか? 詳しく説明をお願いします」
「うむ……。まあ、いきなり人質と言われても納得いかんじゃろ。少し長くなるけど、いいか?」
 今回は僕も納得して首を縦に振る。
「この村はな、太古の昔からヤミノクモと契約をしとるんじゃ」
 契約? それはどんな……?
「ナクルの結晶で囲まれた領域は不可侵にするという契約じゃ。そのおかげで夜でも灯りを得られておる」
 だからナクルの結晶でできた瓶の中のヒルクウキは、夜が来ても明るいままなのか……。
「それはつまり、ナクルの結晶の産地、ロクソル山への立ち入りを禁じるということでもある。ヤミノクモがナクルの結晶に近づかないことを誓う代わりに、我々もナクルの結晶の産地にはむやみに近づかないということじゃ」
 すると父親がさらに質問をする。
「私たちがその禁忌を破った、ということは分かりました。それと人質とは、どういう関係があるのでしょうか?」
「ロクソル山で見聞きしたことを誰にも話さないことを保証するためじゃ。あんな大きな結晶があることを村人たちが知ったら、悪用する輩が出てもおかしくないじゃろ?」
 結晶をこっそり持ち出そうと考えていた僕は、聞く耳が痛い。
 人質になった人は闇の国に連れて行かれる。
 そして、この中の誰かがロクソル山のことを言いふらしたら、最悪の場合、人質は殺されてしまうのだろう。
 僕の軽はずみな考えで、とんでもないことをしてしまった。後悔と恐怖で、僕の体は小刻みに震えてくる。
 その様子を察したのだろうか。父親が僕の肩に手を置いて、村長さんに提案する。
「私が人質になります。聞くところによると、この愚息がヨキさんを誘ったとのこと。だから彼女や彼女の家族には非はありません」
 ええっ、父さんが?
 それはおかしい。僕が悪いんだから僕が行くべきだ。
「僕が人質になります。僕がヨキを誘ったんだから、父さんが人質になるのは変だ」
「お前は黙ってろ。責任を取るのは大人って決まってる」
「いや、僕が……」
「ちょっと待ってくれ!」
 親子で言い争いになるところを村長さんが遮った。
「立候補してくれて大変助かるんじゃが、人質は関係者の中で一番若い者と決まっとる。年寄りは先に死んでしまうから人質にならん」
 ということは……。
 皆の視線が一気にヨキに集まった。
 この中で一番年が若いのは双子の妹のヨキということになる。
「村長さん、僕もヨキと同い年です。たった数か月違うだけじゃないですか!」
「ダメじゃ。これは昔から決まっとることなんじゃ」
 村長はさんは無慈悲に首を横に振った。
 そんな、そんなことって……。
「ゴメン、ヨキ。僕の浅はかな行動でこんなことになって」
 どうしようもない感情があふれて涙がこぼれてくる。
 闇の星なんてバカなことを考えなければよかった。最初からヨキの言うことを聞いていればよかったんだ。ヤミノクモについて詮索なんかしちゃいけなかったんだ……。
 ヨキの両親にも本当に申し訳ない。僕は涙を流しながら、土下座をするように床にひざまづいた。
「わかりました、村長さん。私が人質になります」
 気丈に答えるヨキ。
 しかしその声は、わずかに震えていた。
 思わずフウが抱き付く。
「それではヨキさん。明日の夕方、またここに来て欲しい」
 明日の夜、ヨキは闇の国へ連れて行かれる。
 そしたらもう二度と、ヨキには会えないんだ……。
 だってここに居る全員が死んでしまうまで、この村には帰れないんだから。
 後悔と悲しみで、僕の心はぐちゃぐちゃになっていた。


 ◇ ◇ ◇


 その夜。
 僕は一睡もできなかった。
 ――明日になればヨキはいなくなってしまう。
 そう思うと居てもたってもいられなかったのだ。
 どうしたらヨキを助けることができる?
 どうしたらヨキと一緒に居られることができる?
「ん? 待てよ。もしかして、あそこなら!?」
 一つのアイディアが浮かぶ。
 ヨキを闇の国に連れて行かれない方法があるかもしれない。
 僕はどうしたらその方法が成功するか、作戦を練り始めていた。

 ヨキが人質となる日の昼、僕はヨキの家を訪れていた。
 徹夜で考案した作戦を伝えるためだ。ところが――
「ゴメンね、クガン。今日は家族だけでヨキとの最後の日を迎えることにしたの」
 僕はフウに門前払いされてしまった。
 とぼとぼと家に戻る間、僕は自分の甘さを悔いる。
 ヨキの家族にとって、僕は禍をもたらした厄介者じゃないか。
 彼女の両親にとって、僕は憎むべき存在なのだ。
 そんな者を、娘との最後の日に家に招き入れるわけがない。
 フウが玄関に出てくれたことだけでも、最大限に配慮してもらった結果なのかもしれない。だって、玄関で父親にいきなり殴り倒されてもおかしくはないのだから。
 かといって、この作戦は自分の両親の助けを借りるわけにもいかない。
 だから僕は一人、夜が来るのを待っていた。


 ヤミノクモが村を覆い始めると、僕は食料とナイフをザックに詰めて家を抜け出した。
 村の中央にある噴水広場。
 そこのステージに、一人の女の子が寝かされていた。
 ――ヨキだ。
 僕はそっと近づくと、小声で話しかけた。
「ヨキ。助けに来たよ」
「えっ? クガン? クガンなの?」
 薄暗くてよく見えないが、ヨキはいつもとは違うおしゃれな格好をしていた。
 ――短い髪に似合う白い髪飾り。体の線を強調するような胸元の空いた白いワンピース。
 まるで闇獣に嫁入りするかのような美しさだった。ヨキってこんなにもスタイルが良かったのかと、思わず見とれてしまう。
「何ぼおっとしてんの? そんなに私って綺麗?」
「ああ、すごく綺麗だよ。だから一緒に行こう!」
「行こうってどこに? 闇獣からは逃げられないよ」
「大丈夫。僕についてきて」
 そう言いながら僕は、ヨキの手足を縛っているロープをナイフで切る。
 そして彼女の手を握りしめて、一緒に走り出した。

 うす暗闇の中、僕はレールの上を走る。
 ヨキの手をしっかりと握りしめながら。
 彼女も僕の走りにしっかりとついて来てくれた。
 そしてロクソル山の麓にたどり着くと、ヨキがその走りを止めた。
「ねえ、クガン。もしかして、あの穴の中に隠れるの?」
 そう、それが僕の作戦だった。
「ヨキも見ただろ? あの穴はナクルの結晶でできていて、ヤミノクモは侵入できないんだ。だから闇獣だって入れないはずだ」
 あの穴に居れば大丈夫。
 きっとこのピンチを乗り越えられるに違いない。
「そうすれば私とクガンは助かるかもしれない。でも私たちは双子なんだよ。もう一人はどうなるの?」
 その言葉にガツンと頭を殴られたような気がした。
 そう、僕は、自分とヨキのことしか考えていなかったのだ。
 ヨキが広場に居ないことを知った闇獣はどうするだろう?
 答えは簡単だ。ヨキの代わりにフウを人質として連れ去るに違いない。だって二人は誕生日が同じ双子なのだから。
 たとえ今、ヨキのことを助けることができたとしても、それはフウの犠牲の上に成り立つ話なのだ。
「あんた、バカじゃないの? 目先のことしか考えないから、いつもこうなるのよ」
 本当に僕はバカだ。
 ロクソル山にヨキを誘った時だってそうだ。行きたいという目先の気持ちに負けて、ヨキを人質に差し出すことになってしまった。
 今だってヨキを助けたいという一心で、フウを犠牲にしようとしている。
「あーあ、なんであの娘はこんなやつが好きになっちゃったんだろうね」
 えっ?
 今何て言った、と言おうとした時――

 ギャーっと闇の空から異様な声が響く。
 そしてその声の主は、僕たちの上空をバサバサと旋回し始めた。
「来たわ。ミジューアよ」
 闇獣ミジューア。
 誰もその姿を見たことがない闇の国の使い魔。
「ミジューアがここに来たってことは、ヨキは無事に逃げれたってことね」
「そ、それって……」
「ほらほら、ぼおっとしない。さっさと穴に行くわよ!」
 彼女は僕の手を取って走り出す。
 この力強さ。とてもヨキのものとは思えない。
「き、君は……」
「あんた、やっと気づいたの。今までずっと手を握っていたのに姉妹を見分けられなかったって、ヨキが聞いたら泣いちゃうわよ」
 フウだった。
 空からはバサバサと羽音をたてながらミジューアが襲い来る。
 僕たちは間一髪のところで、穴の中に逃げ込んだ。


 縄梯子を伝って穴の中に降りた僕たちは、穴の奥で身を寄せ合って入り口を見守る。
 ミジューアはその嘴や足を入り口に入れようとするが、その度にギャーと悲鳴にも近い鳴き声を発して引っ込める。しばらくの間、バタバタと悪戦苦闘していたミジューアだったが、ついに諦めたのか、バサバサと羽音を響かせて飛び立って行った。
「助かった……」
 僕はへなへなと脱力して、床に両手をつく。
 フウもぐったりとお嬢様座りをしていた。
「ヤバいわね、あれは。私たちを殺す気満々だったわ」
 確かにヤバかった。
 村長さんは人質と言っていたが、本当に人質だったのだろうか?
 あんなやつに捕まったら、命なんてすぐに取られてしまうだろう。
「ミジューアは血の一滴も残さず人間を食い尽くすんだって。パパがそう言ってた。だからね、人質として闇の国に連れ去られたように見えるんだって。でもね、本当は生贄なの」
 マジか。
 僕たちは村長さんに騙されていたのか。
「だからね、私たちは徹夜でヨキを逃す算段をしていたの。家族揃って」
 それで僕は会わせてもらえなかったんだ……。
「家中のお金をかき集めてドラヒルゴンを雇ったのよ。だからヨキは今、ドラヒルゴンの背の上のはず」
 ――ドラヒルゴン。
 ヒルクウキのあるところなら、無限に飛ぶことができるという幻の魔獣。
 まさかそんなものがお金で雇えるとは思わなかった。
「ママの遠い親戚は魔獣使いの家系なの。でも、相当な額を支払わざるを得なかった。私だってこんなになっちゃったんだからね」
 改めてフウを見た僕は驚愕する。
 彼女の自慢の長髪はバッサリと切られてショートになっていたのだ。まるでヨキのように。
 フウの髪は、ヨキを逃がすための金策に使われたんだ。あれほど大切に手入れしていたというのに……。
「まあ、おかげであんたも村長さんも見分けがつかなかったんだけどね」
 フフフと意地悪そうに笑うフウ。
 自虐が織り交ぜられたその笑いには、哀愁が漂っている。それだけフウにとって、悲しい別れだったんだ。
「私はずっと家の中に隠れている予定だったんだけど、一人で家を抜け出して来たの」
「なんでそんなことしたんだよ」
「あんた、昼間、家に来たでしょ。思いつめた目をして。あまりにも真剣だったから、その瞳に賭けてみたくなったの」
 僕はヨキの家を訪れた。徹夜で考えた作戦を提案するために。
 そんなに思いつめた顔をしていたとは思わなかった。でも真剣さはちゃんと伝わっていたのだ。
「そして私は一人で村長さんの家に行った。人質として差し出されても、きっとあんたが助けに来ると思ったから。まあ来なければそれでもいいかなって考えもあったけど。私が犠牲になれば、ヨキとあんたはこの村で幸せに暮らせるでしょ?」
 フウの言葉に涙が溢れてきた。
 僕はヨキのことしか考えていなかった。
 フウが犠牲になる可能性なんて、全く考えてもいなかった。
 でもフウは違った。
 ちゃんとヨキのことを考えて行動していたのだ。ヨキの幸せを願っていたのだ。
 なんて僕は浅はかなんだろう。
 なんで短絡的なんだろう。
 フウが犠牲になったこの村で、ヨキと一緒に幸せになんて暮らせるわけがないじゃないか……。
 次から次へと涙が溢れてきた。

 その時。
 美しい歌声が穴の中にしっとりと響く。

 君と集める ヒルクウキ
 ロクソル山の ナクルに詰めて
 ヤミノクモの 来る前に

 さすがは双子、歌声もヨキとそっくりだ。
 子供の頃から聞いてきた調べは、僕の心をゆっくりと癒してくれた。
 歌い終わるとフウが僕を見つめる。
「ヨキなら大丈夫よ。ドラヒルゴンの背の上で、西に向かってヒルクウキの中を飛んでいる」
 その言葉を聞いてほっとする。
 しかし今は夜だというのに、ヒルクウキの中を飛んでいるなんて、ドラヒルゴンはどれだけ遠くに飛んで行ってしまったのだろう。
「不思議なことに、私たちはお互いが歌いたくなるタイミングがわかるの」
 それはなんとなくわかる。
 だって二人が歌い出すのはいつも同時だったから。
「それでね、さらに不思議なんだけど、歌っている間はあの娘の視線になれるの」
 ええっ? それって……。
「今までずっと気づかなかったんだけどね。ほら、この歌を口ずさむ時って、いつも二人一緒だったじゃない。でもこの間、初めてそのことがわかったの」
「この間って?」
「ヨキとあんたがこの穴に落ちちゃった時。歌っている間、私はこの穴の様子がはっきりと見えた」
 そういうことだったのか。
 二人が一緒に歌い出すと不思議なことが起こる理由は。
「それでね、村長さんにこの景色のことを相談したら、ここに案内してくれたの」
 僕とヨキがこの穴から助け出されたのは、フウのおかげだったんだ。
「この歌がある限り、私はあの娘の様子が分かる。生きているかどうかが分かる。だから安心して。でも本当のことを言うと、女としての魅力は私の方が上だと思うんだけどね」
 ちょ、ちょ、ちょっと。
 お願いだからこんな時に誘惑しないで欲しい。
 僕はヨキのこと一筋なんだから。
「あら、照れちゃって。髪を切ったから、あの娘にそっくりでしょ?」
 そう言いながらフウは、ショートのブロンズの髪をさらりと手ですいた。
 髪を切ったフウは、本当にヨキとそっくりだ。
 ヨキに怒られそうだが、ショートになったフウのサラサラのブロンズの髪もとっても魅力的だった。
「まさか本当に見分けがつかないんじゃないでしょうね。私の方が胸が大きいんだから、失礼しちゃうわ」
 そんなこと言われたって、じっくり見たことがないからわからないよ。でも、もしかしたら、フウの方がくっきりしてるかも、胸の谷間は……。
「触ってみる? そしたら違いがはっきりとわかるわよ。って、まさか、あんたあの娘と一夜を共にして、まだってことは……」
「あわわわわわわ、そ、そ、そ、そそんなこと……」
 僕の反応を見ながら、意地悪そうに笑うフウ。
 お姉さんだからって僕をからかうのはやめて欲しい。
 こんな反応しちゃったら、どんな状況だったかなんて一目瞭然じゃないか。
「やっぱダメよ、触っちゃ。私の将来の大切な人のためにとっておくわ」
「はいはい、それがいいっす」
「そうそう、あの娘に聞いたわよ。あんた、闇の星なんてことを考えてるんだって?」
 急に真面目な話になって、照れ隠しに僕は一つ咳払いをした。
 それにしてもヨキのやつ、そんなことまで喋ったのか?
 あれだけヤミノクモについては詮索しないって言ってたのに。
 ヨキだけに打ち明けた秘密のアイディアというのに、他人が知っているというのはなんだか小っ恥ずかしい。
「私もちょっと考えてみたんだけど、もし闇の星というものがあったとしたら、この穴の入り口の下は夜になるんじゃない?」
 ん? 入り口の下は夜に……って?
 確かにフウの言う通りだ。闇の星があったら、あの入り口の下は夜になっているはずだ。だってあの部分だけポッカリ空いているのだから。
 やっぱり闇の星というアイディアは間違っていたのだ。
「でも不思議なのよね。ほら、いつも私たちってナクルの結晶の瓶にヒルクウキを入れて、通りの台に置いていたじゃない? それって、ナクルの結晶で蓋をしてるからヤミノクモが入って来ないんだと思っていたの」
 僕もそう思っていた。
 それが不思議というはどういうことだろう?
「でもこの穴は、蓋がないじゃない」
 僕ははっとする。
 フウに言われるまで気づかなかった。
 確かにこの穴には蓋がない。それなのにヤミノクモは中に入って来なかった。今でもヒルクウキが充満して明るいままだ。ミジューアだって入ろうとして入れなかったじゃないか。
「だからね、このナクルの結晶には何か秘密があるんじゃないかと思うの。村長さんは契約って言ってたけど、それとは違う何かが。だって、さっきのミジューアみたいなやつが律儀に契約を守ってるとは思えないもの」
「そうだね……」
 先ほどのミジューアの行動は、本能で動く闇獣そのものだった。穴の中に欲しい獲物があるけど、何かが生理的な障壁になって仕方なく捕獲をあきらめたという感じだった。もしミジューアに知性があって「これは契約による禁則事項だったな」とつぶやいてくれれば、今でも村長さんの言葉を信じていただろう。
 その秘密が解ければ、なにかこの事態を解決する策が見つかるかもしれない。
 僕はその決意を込めて、キラキラと輝く結晶の壁を見つめる。
「ふわわわわ……」
 そのとたん、横で大きなあくびをするフウ。
「なんだか眠くなっちゃったわ。昨日は徹夜だったからね。もう寝ましょ、クガン」
 実は僕もかなり眠い。僕だって昨日の徹夜がかなり効いている。
「ねえ、手は握っててもいい? やっぱり恐いから」
「うん、わかった……」
 フウの言葉でヨキのことを思い出す。
 やっぱり双子なんだ。誰かに手を握っていて欲しいと願うところは。
 手を握ったまま一緒に床に横になったフウは、消え入りそうな小さな声でつぶやく。
「あんたはバカだけど、その短絡的なところ、嫌いじゃないよ」
 声にちょっとだけ照れを乗せて。
「だって信じられるから。あの娘も言ってたけど、こうして手を握ってもらうとすごく安心する……」
 そう言ってもらえるととても嬉しい。
「助けに来てくれてありがとう。本当のことを言うとね、あの時、すごく恐かった。すごく、すごくね……」
 小さく鼻をすするような音がしたかと思うと、フウはすうすうと寝息をたてる。
 広場のステージに寝かされたあの時、フウは妹の幸せと自分の命とを天秤にかけたことを心から後悔したに違いない。僕がロクソル山に来たことを後悔したように。
 とにかくフウが生きていて良かった。本当に、本当に良かった……。
 フウの手は、ヨキと同じでとても柔らかかった。



 ◇ ◇ ◇



 翌朝。
 僕はフウの美しい歌声で目を覚ます。

 君と集める ヒルクウキ
 ロクソル山の ナクルに詰めて
 ヤミノクモの 来る前に

「どうだった? ヨキの様子」
「なんかすごい所にいたわよ、あの娘」
 フウが説明してくれる。ヨキの目を通して見た風景を。
 ――湖をさらに大きくしたような水の平原。
 ――その岸辺に連なる街並み。
 ――この村よりもずっとずっと都会の風景。
「なんだか風景だけじゃ分からないな」
「そうね。今度から、文字で情報を送ってもらいましょ」
 こうして僕たちは、穴の中に篭もりながらヨキからの情報を集めることにした。当面の食料は十分に持ってきている。
 双子が同時に歌い出すのは、どうやら一日に一回か二回らしい。
 ということで、情報が十分に集まるまで一週間くらいはかかりそうだ。
 翌日には僕たちの両親がここを見つけてくれて、食料や衣服を差し入れしてくれるようになった。村長さんはプンプンだったけど。でも僕たちを生贄にしようとした悪者なんだから、家族ぐるみで無視してやった。ざまあみろだ。
 幸いなことに、若者三人が雲隠れした現在、代わりに両親の誰かが人質として連れて行かれることはなかった。僕の父親は「私が代わりに人質になる」と言い張っていたようだけど、ミジューアがやって来る気配は全くなかったそうだ。きっと大人は不味いと思っているんだろう。
 夜は穴の中で寝て、昼は穴の外に出る。穴の外では沢で水浴びもできて快適だった。
 こうしている間にヨキから得られた情報は、こんな感じだ。

 巨大な水の平原は「海」と呼ばれるものらしい。
 海の岸辺に連なる街並みは、ジメテという名の国。
 ヤミノクモは海に近づくことはなく、ジメテと海は絶えずヒルクウキに包まれている。
 ドラヒルゴンとの契約が切れた現在、ヨキは安全なジメテに住んでいる。
 絶えず昼間が続くジメテはとても暑く、地元の人はこの気候を「夏」と呼んでいる。
 海の水は湖とは異なり、かなり濃い塩水でできている。

 その情報を聞いて僕ははっとする。
 以前、ヨキが言っていたことを思い出したからだ。

『なんか塩味が効いて美味くなったように思ったから』

 穴の中に落ちたパンを食べた時のことだ。
 ということは、もしかしたら、もしかしたら、このナクルという結晶は――
「ねえ、フウ。ナクルの結晶ってもしかしたら塩なんじゃないのかな?」
「ええっ、そんなことって……」
 疑いながらもフウはナクルの結晶の壁に指をこすりつけて、ペロリと舐める。
「うわっ、しょっぺぇ」
 女の子ならもっと可愛く言ってくれよと苦笑しながら、僕はすべての謎が解けるのを感じていた。
 ――塩。
 そう、キーワードは塩だった。
 つまり、ヤミノクモは塩が苦手なのだ。
 だから塩であるナクルの結晶には近づかないし、海と呼ばれる塩の水平原にも近づかないのだ。
「やっと謎が解けたよ! フウ!」
「えっ、なになに? どうしたの?」
 まだ訳が分かっていないフウの手を取って僕は踊り出す。
 これでヨキに会いに行ける。夏のジメテで僕たちを待っているヨキのもとへ。


 僕たちは昼の間働いて、夜は穴の中で寝る生活を続けた。
 そして貯めたお金で馬車を買い、ナクルの結晶を薄く切って荷台の内側にペタペタと貼り付けた。こうすれば、移動中にヤミノクモがやって来てもミジューアに襲われることはない。さすがにドラヒルゴンを雇うのは高額すぎて無理だった。
 そして僕とフウの家族は出発する。
 ヨキが住むジメテに移住するために。
 はじめての夏が僕たちを待っていた。




 おわり


つとむュー

2019年08月11日 21時22分29秒 公開
■この作品の著作権は つとむュー さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:
・太陽:×
・恐怖:○
・音楽:○
・はじめての夏:○
◆キャッチコピー:ヤミノクモについて詮索してはいけない。それが村の掟
◆作者コメント:
夏企画の開催、おめでとうございます。
運営の皆様、大変お疲れ様です。
宇宙が膨張していない異世界の様子を想像してみました。って、何を言っているのか自分でもよくわかりません……

2019年08月25日 23時52分55秒
+10点
Re: 2019年12月25日 23時05分20秒
2019年08月25日 23時45分19秒
+20点
Re: 2019年12月24日 23時00分57秒
2019年08月25日 17時07分28秒
+10点
Re: 2019年12月23日 21時40分22秒
2019年08月25日 12時46分34秒
0点
Re: 2019年10月26日 23時56分43秒
2019年08月23日 23時09分24秒
+10点
Re: 2019年10月26日 00時07分44秒
2019年08月23日 02時32分14秒
+20点
Re: 2019年10月23日 07時47分44秒
2019年08月20日 21時26分17秒
+30点
Re: 2019年10月21日 23時11分11秒
2019年08月20日 01時27分14秒
+10点
Re: 2019年10月10日 22時35分29秒
2019年08月12日 11時33分53秒
+20点
Re: 2019年10月07日 21時09分43秒
合計 9人 130点

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