二兎野乃花というクイズバカ |
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プロローグ BOY MEETS QUIZ GIRL 一年が、まるで一瞬のように過ぎていったことに恐怖を覚えた。 二年生の教室に変わり、クラスメイトが変わり、同じ校舎に後輩が入ってくるようになる。 自分だけが、何も変わっていなかった。 去年までより一階分高くなった教室から、亀山甲はぼんやりと外を眺めていた。 桜はとっくのとうに散り、ゴールデンウィークも通り過ぎた学校はすでに夏の臭いを感じさせる。そのうちに梅雨が来て、雲が晴れる頃には本格的な夏へと変わるのだろうと思うと、時間の速さにぞっとした。 「カメ、帰らねーの?」 クラスメイトに声をかけられ、首だけ振り返る。 「みんなでカラオケ行こうぜって話があんだけどさ、一緒にどう? 男子の面子足んねーんだわ」 「あー、悪い、パス」 「了解、じゃあ誰誘うかな」 そこまで甲にご執心でもなかったらしく、クラスメイトはすぐに諦めて離れて行った。 少し薄くなった絆を幻視してから、もう一度外を眺める。 帰っていく高校生たち。グラウンドへ走っていく野球部のユニフォーム。数人で笑いながら歩いていくのはサッカー部か。どこからともなく楽器の音も聞こえて来て、吹奏楽部が練習を始めたのだろうと気付かされる。 俺だけが、何もしていない。 このままでいいのか? また何もしないまま一年を過ごして、受験勉強をして大学を目指す。淡々と、ただの通過点のように。 リアルに感じた未来に、暑くもないのに喉が渇く。握った手にじわりと汗が滲んだ。 何かしたい、と心の中で叫ぶ。 何もかも全部放り捨てて、一つのことに打ち込んでみたい。 二年後の今日に振り返ったとき、ぐしゃぐしゃに曲がっていようと、ガレキまみれで足を怪我するような道でも良い。大学受験に失敗して、あのときにあんなことに熱中していなければって後悔したってかまわない。 ただまっさらな道が、ぽつんとあるだけなのは嫌だった。 「……帰るか」 さりとて、じゃあすぐに何をしようというものがあるわけでもない。 一度頭が冷静になると、普通でいいじゃないと心のどこかが訴える。 適度に勉強しておけよ。 友達と遊ぼうぜ。楽しく過ごした高校生活があればいいだろう。 俺の人生、そんなもんだろ。 そんな心の声に傾きながら、カバンを手に取り立ち上がる。 声が聞こえたのは、そんなときだった。 「――――クイズに興味ありませんか!?」 綺麗な声だな、というのが第一印象だった。 明るくハキハキとしていて、すとんと胸の奥に落ちていく女の子の声。俺が知っている声優の中なら誰に近いだろうかと考えてから、窓の外を見る。 チラシを手に、通り過ぎていく同級生たちに話しかける少女がいた。 二つに結んだ長い黒髪に、快活そうな大きな瞳。リボンの色から、一年生だとわかる。 無視されたり、素っ気なく断られたりとチラシを受け取ってくれる人すらほとんどいないのに、それでも彼女は一生懸命声を張り上げていた。 甲はなんとなく気になって、教室を出る足が速くなる。靴を履き代え、昇降口から彼女がいた場所へ向かう。 風が強く吹く。彼女の手から漏れたのか、誰かが捨てたものか。チラシが一枚、足にまとわりついてきた。 手に取り、チラシの文面を読む。勧誘の言葉より目を引く一文があった。 『問題 フランスの画家ポール・ゴーギャンが、タヒチ滞在中に死を決意し、遺書代わりに描いたとされる絵画のタイトルは?』 「クイズ、興味ありますか?」 いつのまにか、二つ結びの少女が目の前に立っていた。腕にはまだいっぱいのチラシの束を持ち、眩しいくらいに目をキラキラさせて甲を見ている。 「よかったら一緒にクイズ、やりませんか? あ、クイズといっても競技クイズという、知のスポーツと呼ぶべきクイズです。仲良く楽しく真剣に、先輩もクイズ王を目指しませんか?」 ぐっと拳を握りしめた女の子にから目を逸らし、もう一度チラシを覗き込む。 あまり綺麗とは言えないポップな字と、やはりあまり上手くないシルクハットをかぶった出題者らしき人物と、回答者の絵。 「本気?」 もうすぐ五月も終わる今日この頃、大半が部活を決めたはずだ。今更新しい部活に、ましてやクイズをやろうという変わり者がいるとは思えない。 ちょっとした思いつきか、遊び半分か。だったら軽蔑の視線の一つもくれてやろうと思ったが。 「本気です」 大きな瞳がまっすぐに俺を射抜く。 余計な言葉を並べる必要はなかった。真一文字に引き結んだ唇よりもよほど悠然と、彼女の真剣さを伝えてくる。 彼女は本気だ。 クイズに取り組むということがどういうことなのか、甲にはよくわからない。クイズにも甲子園のような大会があるのだろうか。そもそも競技クイズとは? わからないことだらけだけど、彼女がきっと本気なのは伝わってくる。 羨ましい、と思った。 「『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』」 「えっ?」 「クイズの答え。違う?」 チラシの問題文を見せると、甲とチラシを二、三度往復した視線がやがて一つ頷いた。 「あっ、はい正解です。良くご存知でしたね」 「アニメで見た」 チラシを四つに畳んで、ポケットにしまう。 「二年二組、亀山甲。クイズ部、入部します」 「……え?」 「勧誘してたんじゃないのか? それとも二年生はダメか」 「い、いえいえ! もちろん大歓迎です!」 ブンブンと大きく首を横に振ると、二つに結んだ髪が大きく揺れた。 「一年七組、二兎野乃花です! こちらこそ、よろしくお願いします!」 さっと差し出された手に、女子慣れしてない性格が災いして露骨に狼狽える。しかし先輩として、格好悪いところを見せたくない。 軽く腰の辺りで手を拭いた後、手を握り返す。 おいおい正気かよ? クイズだ? 出会ったばかりの一年生だ? やめとけやめとけ、普通でいいだろ。適当に勉強して、ほどほどに遊ぼうぜ。 心の中にある何かがそう囁く。うるさい、黙れと一喝した。 後悔するならそれでいい。よく知らない一年生なのも本当だ。 それでも、彼女とやるクイズはきっと本気になれるものだと感じた。予感がした。 もう一度強く風が吹く。温かくなった風は新しい季節を感じさせた。 第一章 鶴宮氷雨は宣戦布告する 鶴宮氷雨は、最近図書室によく来る珍客が妙に気になって仕方なかった。 彼女は図書委員だ。手入れの少ないボサボサの黒髪と図書委員必須アイテムともいうべきメガネをかけた真面目な外見は、あまり友達を多く作れなかった原因の一つかもしれないとは思っている。 ただ、そんなことより本が好きだった。 小中高と一貫して図書委員を務め、本に囲まれて過ごす。デジタルが進化した今、いや将来的に紙媒体がさらに少なくなっていくとしても、この本と紙の臭いに包まれて生きることが鶴宮氷雨の夢だった。例えその夢の中に他者が居なくても、一向に構わないとさえ思っていた。 ところが、だ。 ここ数日、今まで見たこともない二人組が、昼休みや放課後に図書室に来るようになった。二年生の生真面目そうな男子と、一年生の綺麗な女子。デートならマックにでも行け、図書室でイチャイチャするなと怒鳴り散らしてやりたいところだが、生憎とそんな大それたことができる性格ではない。 彼らがいるのは図書室の奥の方なので、入り口に近いところにある受付にいる氷雨の方まで声が聞こえることはほとんどない。だから気にしなくてもいいはずなのだが。 気になる。 そもそも利用者の少ない図書室に来るカップルというのが稀だった。そんな二人が、図書委員から見えない場所で何をしているのか。 気になる。 ひょっとしていかがわしいことでもしているのではないか。 一度頭に浮かんでしまうと、もう離れなかった。今までは文字と想像の世界にしかなかったものが、あの二人を具体例にしてリアルにイメージしてしまう。ボソボソと時々聞こえる声が、余計に妄想を駆り立てた。 少し、少しなら…… きょろきょろと辺りを見回し、氷雨はもはや頭に入って来なくなった本を置いて受付を出る。意味もなく忍び足で近づき、二人が向かった本棚の方へ。 「……あっ、だめ」 突如聞こえた甘い声に、びくぅっと全身が震えた。 「……あん、もっと、出して……」 何かが鼻の奥を突き抜けるような気がした。思わず鼻を抑えて、鼻血は出てないことを確認する。 出して? はっ? なにしてんの? ここ学校だよ? 図書室だよ? 少ないけど人いるんだよ? 驚愕・動揺・困惑と次々に感情が入れ替わり、最後に湧きおこったのが怒りだった。 ここは図書室だ、私の場所だ。静かで、紙の臭いに包まれた、無料でいくらでもいられる聖域なんだ。 汚してくれるな、出て行け! 顔を確かめて、思いきり説教し、最後には先生に突き出してやろうと決意を固め、いよいよいかがわしい声の聞こえた本棚の裏へ身をさらけ出す。 「ちょっとあなたたち……って、あれ?」 腰に両手を添えて言いかけてから、誰もいない空間に声が尻すぼみに消えていく。 「あらあら? 私たちに何か御用ですか?」 背後の、息が吹きかかるような真後ろから声をかけられ、「ひゃあ!」と可愛い悲鳴が思わず漏れた。 氷雨は慌てて振り返り、いつの間にか背後に回り込んでいた二人組を目の当たりにする。 二つ結びにした黒髪の美少女と、いかにも生真面目そうな男子生徒。二人の様子を見ていると、どうやら彼の方が先輩らしい。 「ふふふ、その動揺の仕方、やはり間違いないようですね?」 二つ結びの少女が口元を抑えていやらしく微笑む。 まずい。氷雨はようやく追い込まれているのが自分の方だと気付いた。このままでは、まるで自分がデバガメしたみたいではないか。 「や、違うんです、その」 「いーのよいーのよ、わかってるわ。あなたの気持ちはちゃーんとね」 うんうんと頷きながら、二つ結びの少女がいやらしい目で氷雨を見つめる。 「あなたは本当は――――」 「ち、違っ」 「クイズに興味があるんでしょう?」 たっぷり五秒ほど沈黙してから、ようやく氷雨は『くいず』が『クイズ』であることを理解して。 「――――は?」 とだけ言えた。 二つ結びの少女は、二兎野乃花という名前だった。言われてみれば、学年屈指の美少女としてちらほら噂になっていた子だ。 まあ私と噂を共有するような友達なんかいないけど、と心の中で自虐し、氷雨はわからないようにため息をつく。 クイズに興味がある、などという見当違いの解答を否定してしまえば、じゃあ何してたのと聞かれたときに窮してしまう。まさか図書室でどんな濡れ場が起きているのか確認したかったなどと、氷雨に答えられるはずもなかった。 しぶしぶ頷いた後は、二兎野乃花のパワーに押し負けてずるずるとクイ研入部を承諾させられた。今は図書室真ん中の大机に向かい合うようにして座っている。 「図書室でうるさくするのは、図書委員として見過ごせません」 「まあいいじゃんいいじゃん、どうせ誰もいないんだし」 そう言われてしまうと、もう反論できなかった。 ちらりと、もう一人の男子の先輩に目で助けを求める。亀山甲と名乗った先輩は、視線には気づいてくれたようだったが、小さく肩をすくめただけだった。『あきらめろ』というサインらしいことにはすぐに気づいたが、嬉しくはない。 「ではでは、ようやく三人そろったことですし、やりましょうか、本格的な競技クイズというやつを」 「クイズって、つまり、あのクイズですか? 二兎さん」 「野乃花で良いよ、わたしも氷雨って呼ぶし」 ぐいぐい相手の中に入っていくタイプだ。 苦手だな、と思う氷雨にかまわず、野乃花は続けた。 「本当は早押し機があれば最高なんだけど、あんな高級品持ってないし、まだみんなもクイズ慣れしてないだろうし、とりあえずボードクイズにしよっか」 野乃花はどこからともなく、A4サイズくらいのホワイトボードを取り出した。専用のペンとスポンジで自由に書いたり消したりできるアレだ。 「ボードクイズって?」 亀山先輩が聞く。彼はまだクイズに詳しくないようだった。 「要するに、問題を聞いて、解答をボードに書くだけ。一問ずつ、みんなに出すところを除けば、普通のペーパーテストとほぼ一緒だと思ってもらって大丈夫です。場合によってはこれに早押しを重ねてより駆け引きが重要になるクイズもあるけど、まっ、今日のところはシンプルに。わかりやすく、ジャンルも決めようか。図書室だから、文学」 ぴく、と氷雨の中の何かが反応した。 「簡単なのから難しいのまで、ざっくり七問。解答は指定がない限りひらがな可。では行くよ」 くるりとペンを回す。 文学と聞いたら負けるわけにはいかなかった。古今東西を問わず、三日に一冊は小説を読む自称文学少女として、ここまで主導権をとられっぱなしの美少女をぎゃふんと言わせてやりたい。 『第一問 『おい地獄さ行くんだで』という書き出しで始まる、小林多喜二のプロレタリア文学作品のタイトルは何?』 『第二問 『地獄変』、『藪の中』、『羅生門』などの代表作が有名な、日本の小説家は誰?』 『第三問 第一回直木賞の受賞者は川口松太郎ですが、では第一回芥川賞の受賞者は誰?』 『第四問 中国四大奇書といえば、『三国志演義』、『水滸伝』、『西遊記』とあと一つはなんでしょう?』 『第五問 お笑い芸人の書いた小説で、『ドロップ』といえば品川祐ですが、では『陰日向に咲く』といえば誰の作品でしょう?』 『第六問 とある少女が9歳の弟を連れて家出を企て、メトロポリタン美術館で生活しながら、特別展示の天使の像の真贋について調べていくという、カニグズバーグの児童文学作品のタイトルはなに?』 『第七問 宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくるキャラクターで、カムパネルラに助けられた同級生の名前はなんでしょう?』 「はい、けっかはっぴょおー!」 野乃花のかけ声に、ぶはーっと大きく息をつく。氷雨は天井を仰ぐように、亀山先輩はがっくりとうなだれるようにして。 「まずは氷雨ちゃん、七問中五問正解! お見事です!」 「まあ、最後の問題はちょっと悔しかったけどね。ど忘れしてしまったので」 六問目の答えがわからず、それを引きずってしまったのが失敗だった。 「一方、亀山先輩の正解は一問のみでした」 「……俺は小説とか読まないからな。基本的にマンガとかアニメとか、そういうのばっかりだし。小説は読んでもラノベ」 「でも、『ザネリ』はちゃんとできたんですよね、亀山先輩」 ザネリとは七問目の答えだ。ジョヴァンニ、カムパネルラまではぽんぽんと出てきたが、その前の誤答を引きずってなかなか思い出せなかった。 「亀山先輩、『銀河鉄道の夜』は読んだことあったんですか?」 「いや、最近読んだマンガでやってたから、それで覚えてた」 文学問題を漫画からアプローチして正解する。氷雨にはズルのようにも聞こえたが、これもクイズなのだろうとも思う。逆に言えば、歴史や化学の問題を文学から解き明かすことができることもあるかもしれない。 そう思うと、次のクイズがまた楽しみになってくる。 「それに四問目も惜しかったですよ。残念ながら『封神演義』は入ってないんですよね、正解は『金瓶梅』でした」 「あーだめだ、聞いたことない」 本気で悔しがる甲を見て、ちょっと意外な気がした。ちょっとしたミスなどには、あまりこだわらず割り切れるような人だと思っていたからだ。 「さて、では次の問題に行きましょう、今度はカメ先輩に合わせて、ジャンルは『サブカル』で」 「よしっ」 「げっ」 それぞれにハッキリ感情を顔に出してから、再び七問のボードクイズが始まる。 『第一問 『鉄腕アトム』や『りぼんの騎士』、『ブラックジャック』といった代表作がある、『漫画の神様』と呼ばれる漫画家は誰?』 『第二問 漫画『ONE PIECE』において、最初にルフィの仲間になった三刀流の剣士と言えば誰?』 『第三問 日本一有名な幼稚園児が活躍するアニメ『クレヨンしんちゃん』の舞台となっているのは、どこの市でしょう?』 『第四問 2018年に上映された映画『ドラえもん のび太の宝島』で主題歌を担当した、俳優としても活躍する人気音楽家といえば誰?』 『第五問 『ロードス島戦記』や『クリスタニアシリーズ』で知られる作家といえば誰?』 『第六問 みよちゃん・トンガリ・ブタゴリラ。これらの呼び名のキャラクターが登場する藤子・F・不二雄の作品といえばなに?』 『第七問 その年に最も活躍した活躍した声優を表彰する『声優アワード』において、第一回主演男優賞を獲得したのは福山順ですが、では第二回主演男優賞を獲得したのは誰でしょう?』 結果は、氷雨が二問正解。甲が全問正解し、ほぼ真逆の差となった。 「まあアニメはほとんど見ませんので。得意不得意の差が出ましたね」 負け惜しみを呟きメガネを直す。ただ、胸の内では悔しさの炎がメラメラと燃え上がっていた。 四問目の『星野源』を当てられなかったことが、一ファンとしてはらわたが煮えくり返るほどの屈辱となっていた。 その後もしばらくクイズを続けてから、最終下校時刻を待って帰ることにした。 自転車通学の野乃花と校門で別れ、同じ駅へ向かう甲と並んで歩く。 「…………」 「…………」 普段あまり喋らない氷雨にとって、この亀山甲という先輩との帰り道はなかなかにハードだった。 この上級生はあまり自ら話題を振らず、さらにあまり沈黙を不快に感じないタイプのようだった。 つまりこの耐えがたい沈黙をどうにかしたければ、自分から話しかけるしかないらしい。 「と、ところで、亀山先輩はどうしてクイズを?」 「んー……。成り行き、かな」 はあ、と答えたら話が終わりそうだった。興味なさ気な甲の気を引きとめるべく、「と言うと?」と追及する。 「二兎が勧誘してるのをたまたま見かけてさ。なんかそのとき、ビビッときた。あっ、これだなって」 「クイズが、ですか?」 「多分違う」 ポリポリと頭を掻く様子を見ていると、おそらく彼もよくわかっていないのだろう。 よくわかっていないものを、一生懸命言葉にしようとしてくれているのがわかる。 「どっちかって言えば、二兎の方なんだろうな。あのまっすぐな目を見て、これだなって思った、んだと思う。俺にも夢中になれるものがある、きっとこれから、必死になるときが来たんだって」 「それって……」 野乃花ちゃんを好きになったってことですか? まがりなりにも女子の一人として、恋バナには自然と食いついてしまう。 それに、なんといっても二兎野乃花は誰もが認める美少女だ。彼女に見つめられたなら、うっかり恋に落ちても不思議ではない。 わたしと違って。 ボサボサ髪を指でいじりながら、氷雨は自虐的に聞いていた。 「そういうんじゃないよ。と、思う」 相変わらず首の辺りを撫でながら、甲は氷雨の思考を読み取った。 「どっちかって言えば憧れかな。荒れ狂う海に向かって、小さなイカダにオール一本で漕ぎ出せる無鉄砲さとひた向きさ。そういう無邪気なアホさに、俺は俺の灯台を見たんだと思う」 甲は両目を瞑ると、「よくわかんないよな、悪いな。説明下手で」と詫びた。 「いえ……わかる、気がします。なんとなく、ですけど」 二兎野乃花は、旗手だ。大きな旗を持ち、我に続けと先頭に立つ。いつの間にか一緒にいて、ついていくことに違和感を持たせない。 わたしとは違うなあ。 「良いなあ。綺麗で賢くて、行動力があって」 ため息と一緒に漏れた言葉だった。 ふと、ずっと前だけ見ていた甲がじぃっとこちらを見ていることに気づく。 「な、なんですか」 「行動力は知らないが、容姿を比べる必要はないだろう」 「はっ、美少女につられてクイズを始めた先輩が何をかいわんや、ですよ」 「確かに二兎は綺麗だが、文学クイズに挑む鶴宮も活き活きと輝いていたぞ」 さも当然のことように、彼は断言した。 「統計でもとれば二兎の容姿が優れているとする人は多いかもしれないが、そんなものは多数決と好みの差だろう。親しみやすくて賢そうな鶴宮を推す人だって必ずいる。俺もその一人だ」 亀山甲は、まるで『太陽は東から昇るものだ』のような、まるっきり当然のことのようにそう言い切った。 「はあ……そ、そうですか。どうも……ありがとう、ございます」 「正直に言っただけだ。礼には及ばない」 何コイツ? 二兎野乃花も相当な変人だと思ったけど、コイツも相当じゃん。 氷雨は八月の猛暑日よりずっと熱い顔を見られないよう、駅までずっとあらぬ方を見続けなければならなくなった。 次の日の昼休み。氷雨は野乃花を図書室に呼びだした。 「なになに? ひょっとしてクイズ?」 大きな瞳が快活に輝く。普通に廊下を歩けば二、三人は確実に振り返る美貌を誇りも隠しもしない、あるがままの美少女に、同じ女子として嫉妬しないと言えば嘘になる。 「いえ、ちょっと色々あって、やるからには私も本気でクイズに取り組もうと思ったので、それを伝えたかっただけ」 「ホント!? やったあ! ありがとう氷雨ちゃん!」 「あと、今日の活動の相談なんだけど」 「うんうん、なになに?」 「ボードクイズ、今日もジャンル『文学』でやってほしいんだけど」 野乃花が不満げに唇を尖らす。同じジャンルというのが気にくわなかったのだろう。 「ただし、今日は相手を変えて。私と野乃花で対決しない?」 尖らせた唇が、やがてゆっくりと笑みの形に変わっていく。口端を吊り上げる、好戦的な笑い方だった。 「へえ、いいよ。クイズで勝負申し込まれるの初めてだから、ワクワクする」 「こう見えて私、六年連続図書委員だから。簡単に勝てると思わないでね」 「もちろん。得意ジャンルなら上級クイズプレイヤー相手に素人が勝てるのがクイズの醍醐味だもの、油断なんてするわけない。でも、どうして急にやる気になってくれたの?」 「さあ、クイズにハマったのかしら」 思いついたまま言ってみただけだが、あながち嘘でもなかった。答えが思い浮かんだ瞬間の達成感、正解と聞いた瞬間の喜びは、何物にも代えがたい味がした。 ただ、もちろんそれだけではない。 多分口に出せば、単なる嫉妬に過ぎないのだと思った。容姿でも、クイズでも遥かに優る相手への、醜い嫉妬。 だからこそ、今ここで、何か一つ勝っておきたかった。 一つ勝つことで、ようやく私は彼女と同等でいられる。 ふと昨日会ったばかりの先輩の顔が思い出され、氷雨は慌てて首を振ってそれを振り払う。 とにかく、勝つ。あの子に、勝ちたい。 そんな焦燥感にも似た何かに突き動かされて、氷雨は宣戦布告した。 第二章 左縁馬学は気になっている その瞬間、レジの後ろの空気が静かに色めき立ったのを、左縁馬学は見逃さなかった。 「今日から入ってくれることになった二兎野乃花さんだ。左縁馬、まずレジについて教えてやってくれ」 「は、はい」 バクバクと鳴る心臓を落ち着かせようと無意識に深呼吸し、狭いレジ裏で一歩前に出た彼女がぺこりと頭を下げる。店に入ってきたときは二つ結びだった髪は、今は一つにまとめていて、ちょこんと小さく揺れた。 「二兎野乃花です、よろしくお願いします!」 「左縁馬学です。左に縁がある馬に、勉学の学で、左縁馬学」 サエンマ、マナブと繰り返した彼女に、生まれて初めて珍しい名前で良かったと思った。 四月からコンビニでバイトを始めて二か月半。無遅刻無欠勤と低姿勢で真面目な態度が評価されてか、最近は大きなミスもなく上手くやれていると思う。雇い主のオーナーは無愛想だが無理なことは言わないし、ノルマも今のところない。いくつかあった近所のコンビニの中で、ここを選んだのはどうやら間違いではなかったようだった。 週五で入るバイト生活は少々灰色というかお金色というか、とにかく青春っぽくなかったが、今日は見慣れたコンビニ店内もバラ色に輝いて見える。 学はまず言われた通りにレジの前に立ち、トレーニング用画面に切り替える。 「まずはレジに自分の責任ナンバーを登録して、お客さんが来たらスキャナーで商品をスキャン、全部読み終わったらお金をもらって、レジに打ち込んでお釣りを渡し、品物を袋詰めして渡す。コンビニって色々作業があって忙しいイメージがあるけど、基本はあくまでこれだけ。ここまでだと、特に難しいことはないでしょ?」 宅配荷物の預かり、公共料金の受け取り、レジ内商品の調理や販売、その他検品、品出しに掃除や陳列整理と仕事を挙げて行けばきりがないが、新しい子はとりあえずレジさえ覚えてくれれば戦力になる。わからないことは勝手に処理せず、すぐに聞いてくれれば後出しでどうにでもなる。 少々お待ちください。 申し訳ありません。 お待たせいたしました。 この三単語をとてもすまなそうな顔で駆使しておけば、そうそう大きなクレームにはならないとはオーナーの教えだ。 彼女は器用だったらしく、教えたことをポンポンとスムーズに覚えていく。公共料金から宅配荷物の受付まで、おおよそ完璧に理解した。なかなか簡単に覚えられるものではないはずだが、彼女は謙遜するふうでもなく、「マニュアルを読んだので」と言い切った。 あとは実践と、トレーニング画面を解除し、本当のお客さんが来るのを待つ。 間違いがないように隣に立っていると、なんだか彼女からいい匂いが漂ってくるような気がした。 思わずすーっと鼻から大きく息を吸い込んだ時。 「あの、先輩」 同級生なはずなのだが、『センパイ』という響きに心臓が跳ねる。 「なに? わからないこととかある?」 努めて冷静を装うと、野乃花は思いがけないことを聞いてきた。 「コンビニやスーパーで会計の時に使う機械を『レジ』といいますが、この『レジ』とはどんな言葉の略語でしょうか?」 出来の良い美少女から、地雷臭のする危険な少女へと認識を変え始めたのは、考えてみればこの時だった気がする。 「と、いうわけで新しくクイ研メンバーの一員になりました、左縁馬学くんです!」 放課後の図書室で、初対面の男女と引き合わされた学は、野乃花からそう紹介された。 簡単に済まされてしまったが、『と、いうわけで』で省略された成り行きは決して短くはない。 『え、左縁馬くん同じ学校なの!? え、左縁馬くん部活入ってないの!?』 『それはもったいないよ左縁馬くん! どうだろう、一緒にクイズをやりませんか!?』 『バイトがある? 週五日? おーけーおーけー、うちのクイ研は週一から入れますよ!』 『クイズやったことない? いーのいーの、初心者大歓迎! え、得意科目は理系全般? 即戦力ルーキーだよ! 今のメンバー理系いないし!』 『お願いします! あと一人、どうしても欲しいの! この通り!』 断る理由を一つ一つへし折ると、最後はお願い作戦であっけなく陥落した。とはいえ、野乃花と一緒に居られる時間が増えることにワクワクしている自分もいて、我ながらチョロイなと実感する。 パンと野乃花が手を叩き、三人の注目を集める。 ちなみに、メガネ少女の鶴宮氷雨は図書委員だそうだが、今は別の委員が受付にいる。『騒いだら私が怒られるから静かに』とは氷雨の弁だ。 「さて、まずはクイ研に参加してくれましたみなさんに、まずは発起人としてお礼申し上げます。ありがとうございます」 野乃花が大きく頭を下げた。コンビニじゃよっぽど大きいクレームへの謝罪でしかしない角度だろう。 「とりあえず、四人集まり同好会設立条件の一つを無事に達成することができました」 「えっ、まだ部になってなかったの?」 亀山甲が隣に座る氷雨にボソボソと呟くと、「同好会は四人以上じゃないと認められないんです」とこちらも小声で返した。対面にいる学にも聞こえているけど。 「残る問題は、顧問と活動場所。この二つを用意する必要があります」 「活動場所なら、今まで通り図書室でいいのでは?」 「図書室ではお静かに。部活動なんてできるわけないでしょう」 甲がボケているわけではないのだろうが、きっちりとツッコミを入れる氷雨を見ていると、この二人仲が良いなと思う。 「こちらに関しては、今交渉中です。概ね好感触なので、近く正式に同好会としてクイ研を設立することができると思います。つまり、わたしたちが今取り組むべき問題は」 野乃花が黙ると甲も氷雨も同時に口を閉ざした。重い空気にごくりと唾を飲み込む。 たっぷり十秒近く溜めた後、野乃花がカッ! と目を見開いた。 「――――早押し機がないことです!」 クイズ番組とかでよく見る、手元のスイッチを押すとピーンと音が鳴ってランプがつくアレかと思い至る。 確かに巷で見かけるようなものではいが。 「ちなみに、いくらくらいするの? それ」 学が手を挙げて発言すると、野乃花が答えた。 「できれば十万円、妥協しても五万円は予算が欲しいところ」 「げっ」 それなりに理系の頭が瞬時に暗算する。バイトの時給を900円と仮定して、一日に四時間働いて3600円、5万円を稼ごうとすると半月分の給料が吹っ飛ぶわけか。 「これは今それぞれバイトしながら資金を稼いでいる。もう少しの辛抱だ。人数も増えたしな」 「え」 甲の言葉に視線が学へと集まる。野乃花の熱心な勧誘は、ひょっとしてこのため? 「そんなつもりはありませんよ亀山先輩。この話が出たのはそもそも左縁馬くんが参加する前だし、後出しでお金を要求するようなことはしません」 「二兎さん……!」 「でも、出してくれるなら大歓迎ですよ?」 「二兎さん……」 まあ、仲間が出して買ったものにただ乗りするのもどうかとは思う。「払うよ、自分の分」と口にすることに不満はなかった。 その他、細々とした業務連絡を終えると、いよいよ話題がクイズに移った。 「ようやく今日の活動に移れるね、どんなクイズしよっか?」 「どんなと言っても、早押し機がないからボードクイズしかできないのでは」 「先輩待って、ホワイドボードも二つしかないので、ボードクイズも無理です」 「じゃあ自主トレ? にするとか、ここ図書室だし、調べものしたり小説読んだり、いろいろできるだろうし」 「えー? クイズやーりーたーいー」 四者四様に発言する中、一段大きな声を出したのは氷雨だった。 「っていうかさ、前に言った勝負、未だに受けてもらってないんですけど。いつになったら受けてくれるんですか?」 「勝負?」と男性陣が野乃花を伺う。 「あー、それかー、ただ、用意がないと不公平と言うか、勝負にならないというか」 「へえ? 随分自信あるじゃない」 挑発と受け取った氷雨が額に青筋を浮かべた。あわてて野乃花が「そうじゃなくて」と釈明する。 「ほら、出すクイズ自体がわたしが持ってきた本からだし、ボードクイズは完全に知識勝負だから……まあいっか」 野乃花はふむと一人頷いて、デイバックからいつものクイズ本を取り出した。 「人数も増えて来たし、打ち明け時かな。この中から好きなクイズ出して。ただし今回はわたし一人。そのクイズ本の中からわたしに答えられないクイズを出せたらみんなの勝ち、全部正解出来たらわたしの勝ち」 野乃花の提案に、三人が目を見交わす。 まったくクイズでの勝負になっていない気もしたが、野乃花には野乃花の狙いがあるようにも感じられた。 まあとりあえずやってみようか、という結論に落ち着いて、席を移動する。三人で問題を探し、対面の野乃花にぶつける配置だ。 最初に問題を出したのは甲だった。 「問題。 アマゾ/」 「ポロロッカ」 たった三文字口にした段階で、野乃花は解答した。「違う?」と首を傾げる彼女に、甲が慌ててページをめくる。問題と回答が違うページになっているようだ。 「……正解」 「嘘でしょ」 信じられない、という表情を浮かべた氷雨が、ひったくるようにして問題を探す。 「じゃあ問題。振動していない/」 「ファントムバイブレーションシンドローム」 いくらなんでも早すぎた。答えを全部覚えているというのはわかる。彼女ほど熱心なクイズ好きなら何度も読み返し、答えを覚えていても不思議ではない。 だが、問題文ごと覚えるなんて、よっぽど読み込まないできないはずだ。 学もクイズ本を受け取り、難しそうな問題を探す。 「今度は僕から。シジミ、/」 「蜆縮涼鼓集」 難しい言葉に、「えっ?」と聞き返す。まるで出題者と回答者があべこべだった。 「けんしゅくりょうこしゅう。シ、チ、ジ、ヂの使い方についてまとめた、江戸時代の仮名遣い書のことね」 丁寧に解説までしてくれた。ちなみに『ファントムバイブレーションシンドローム』は鳴ってもいない携帯電話やスマホが、振動しているように錯覚してしまう現象のこと。『ポロロッカ』は、アマゾン川で起きる逆流現象のことらしい。 『ポロロッカ』はサブカルに詳しいという甲も知っていて、「海藤……実在したのか」とよくわからないことを言っていた。 ポロロッカはさておいて、野乃花の解答スピードは異常だ。解答だけでなく、問題そのものを全て覚えているとしか思えない。 驚愕で見つめる三人に、野乃花は少し寂しそうな表情で言った。 「わたしね、一度見たものを絶対に忘れないの」 学は瞬間記憶なんとかというやつか、とどこかで聞いたような言葉を引っ張り出す。 思い返せば、彼女にレジ打ちを教えた際にトントン拍子に理解していったが、その理由を『マニュアルを読んだので』と答えていた。あんな分厚い本を一読しただけで完璧に理解できるはずはなかったが、一度見て覚えられるなら不思議じゃない。 「……確かにこれじゃ、勝負にならないわね」 「でしょ? せめて早押しなら、答えを確定できるポイントや問題予測で駆け引きの要素があるはずなんだけど、無条件で全部聞けるボードクイズだと、まして出題がわたしの本だし」 ごめんね、ズルしてるみたいで、と。 野乃花は何かに耐えるように、痛々しい声で言った。 「なら、問題を作れば良い」 甲が平然と、『朝食とは朝に食べる食事のこと』くらい当たり前のことのように言う。 「新たに問題を作れば公平だ。四人がオリジナルに問題を作り、出し合えば全く問題ない」 甲の提案に反対する者はいなかった。 「そりゃ、まあ、そうだけど」 「クイズ作りなんてしたことないですよ、私」 「俺もなかった。が、今ちょこちょこと作っているところだ。多分何とかなるだろう。そうだ二兎、クイズ作りにコツとかあるのか?」 「へぅ? あ、うん、まあ」 再び三人の視線を浴びた野乃花が、何とも言えない表情でホワイトボードとクイズ本を手に取る。 「大まかに分けると二通りあって、一つはストレートに答えを聞くやつ。ベタ問で『何故山に登るのかという問いに、そこに山があるからと答えたアメリカの登山家は誰?』っていうのがあるんだけど。これはストレートに答えの『ジョージ・マロリー』を聞いてるわけ。他にも、前に出した『『おい地獄さ行くんだで』という書き出しで始まる、小林多喜二のプロレタリア文学作品のタイトルは何?』も同じ形」 少し間を置いて、野乃花は続けた。 「もう一つがパラレルっていう、『~~ですが』って続くタイプの問題。クイズ番組でよくあるでしょ? 『第一回直木賞の受賞者は川口松太郎ですが、では第一回芥川賞の受賞者は誰?』とか、簡単な問題だと『日本で一番高い山は富士山ですが、では一番長い川はなんでしょう?』なんかもできる。パラレルの場合、ある程度前振りと繋がってないと問題文自体が意味不明な物になっちゃうけど、前振りだけでは正解できないから、とても早押しのタイミングが重要になってくるわけ。まあ他にも色々あるけど、基本は――」 「おい、二兎」 「えっ?」 「お前、どうして泣いているんだ?」 甲の指摘でようやく気付いたのか、野乃花はそっと指で目を拭う。 「……あれ、ホントだ」 野乃花はどこか可笑しそうに笑った。 「何でだろ、みんなでクイズするの初めてだから、かな。はは、おっかしいの……」 まるで堰を切ったように大粒の涙がこぼれ出し、慌てて氷雨が、ついで甲が寄り添う。 結局彼女が落ち着くまでに短くない時間を必要とし、泣きやむのを待って解散となった。 すっかり日も暮れたバイト終わり。学は同じシフトに入っていた野乃花と一緒に帰ることになった。夜道を女子高校生一人で帰すわけには、というオーナー指示である。 もう夏が近いとはいえ、流石に午後九時ともなると随分暗い。 何かあれば、俺が守らなければ。 全く持って無意味に終わるであろう覚悟を決め、歩き出す。 二兎野乃花は、あの一件以来どこか元気がなく感じられた。 各自バイトや期末テストが近づいてきたこともあり、四人揃うこともなくなってきている。顧問や活動場所についてどうなっているのか聞きたい気もしたが、今の様子を見ると迂闊には聞けなかった。 「そういえばさ、前に問題出されたでしょ、『レジ』の正式名。あれわかったよ」 野乃花が顔を上げる。やっぱりクイズは好きなんだな、と思う。 「答えはレジスター。どう? あってる?」 「うん、正解。ちなみに日本語だと金銭登録機になるの。そのまんまだよね」 微笑む野乃花を見て、ああやっぱり可愛いなと思う。 「じゃあ次の問題。主に飲料水や調味料などを入れるのに使われるペットボトルですが、この『PET』とはなんのこと?」 「えっ……家で飼う犬とか猫とかのペット……なわけないか」 「ぶぶー」 口で不正解音を表現された。ちょっとムカッとした反面、可愛いなと思ってしまう自分はそこそこ重傷だろう。 「これは次までの宿題ということで」 「マジか……」 がっくりとうなだれる。ひょっとして、正解するたび次の問題出されて一生終わらない奴なのでは? 「まあいいか。ところで気になったんだけどさ」 「なに?」 「今『~ですが』って言ったのに、パラレルじゃなかったような気がするんだけど」 「おっ、良い質問ですねえ。確かに『~ですが』とつく問題にはパラレルが多いんだけど、そうでない場合ももちろんあります。だから、これをどう聞き分けるか、どう展開するかを予測するのが肝になっていくの」 「はへー」 答えを考えるのにいっぱいいっぱいなのに、問題文まで予測しろというのか。 クイズの神様と言うのは、なかなかにスパルタなようだった。あるいはサディスティック。 「あ、そだ。近所ってことはさ、中学どこ?」 「えっ?」 「出身中学。俺は西中だけど、見たことないし。この店に来るとしたら、北中か一中?」 特に意図なく聞いた問いだったが、野乃花は見るからに狼狽した。 「えーっと、秘密」 「なぜ?」 「女性は秘密を着飾って美しくなるのです。つまりわたしはミステリアス・ガール」 要するに答えたくないってことか。 袖にされたような不満はあったものの、追及したところで答えてはくれないだろう。学は早々に諦めた。 「ね、左縁馬くんはどうしてバイトを始めたの?」 「どうしてと言われても、お金が欲しかったから」 「どうしてお金が欲しいの?」 「普通お金は欲しいでしょ」 そうだけど、と野乃花のトーンが落ちていく。まるでごまかしたようで、罪悪感がじわじわと胸に広がっていった。 「……軍資金だよ」 「軍資金?」 「冒険に行きたいんだ。まずは日本を、いずれは世界に」 連れてってもらって案内してもらうのではない、自ら準備していく旅がしたい。 だが、このご時世どこに行くにもお金がかかる。だから稼ぐ、できるだけ早く。早く始めれば、その分だけ早く貯まる。 「だから理系が得意って言っておいてなんだけど、俺は本当は地理の方が好きで」 「良いじゃん!」 野乃花がハイテンションで学を遮った。 「良いじゃん良いじゃん! 格好良い! あっ、じゃあ今度世界地理のクイズ持ってくるね! せっかくだから今一問やろっか! 二つの地域の混成語で名付けられた、六大陸の中で最も大きい大陸はなに!?」 「え? え?」 出題が急すぎてついていけない。 だが、すらっとした野乃花の五本指は、無情にも一秒ごとに一本ずつ折られていく。 何言っているのかわからない。二つの地域の混成語? どういうこと? だが、最も大きい大陸ならおおよそ予想がつく。世界地図を脳裏に思い浮かべて、一番大きそうなのは。 「ユ、ユーラシア大陸」 「正解!」 ちなみに、ユーラシアとは『ヨーロッパ』と『アジア』をくっつけてできた造語らしい。意外なトリビアを教えてもらった気分だった。いつかクイズにして出そう。 「クイズにはさ、名所や珍しい景色の場所や建物なんかも出るから。クイズをやることは、きっと役に立つと思うし、いつか冒険で得た知識でクイズ作ってほしいな!」 ぱあっと明るい表情で、クイズについて語る彼女は、薄暗い街灯の下でもやはり綺麗だった。 それだけに、さきほどの暗い表情が引っかかる。 学は二兎野乃花という少女のことが、気になって仕方なかった。 第三章 亀山甲はクイズを作りたい 「問題 タイトルが長い場合は略されることも多いライトノベル作品において、『はがない』といえば『僕は友達が少ない』ですが、では『俺ガイル』といえばなに?」 「……『俺の友達はガイル使い』」 「残念不正解。正解は『やはり俺の青春ラブコメは間違っている』でした」 「じゃあ次は私から。主人公の五兵衛のモデルは現ヤマサ醤油七代目社長の濱口悟陵と言われている、1854年の安政南海地震による津波に際した出来事をもとにした物語のタイトルはなに?」 「……わかりません」 「今度は僕から。アラビア語で『象の鼻』という意味を持つ、スーダン共和国の首都はどこ?」 「……(ふるふる)」 野乃花が小さく首を横に振る。ギブアップを確認して、甲は氷雨、学とハイタッチを交わした。 「いえーい! これで十連勝!」 「二兎も大したことないな。この程度の問題もわからないとは」 「まあまあ、二兎さんだって健闘している方だと思うよ? ねえ二兎さん」 学のフォローも、俯きふるふる震える野乃花に届いているようには見えなかった。 真一文字に引き結んだ唇が、やがて大きな瞳とともに開かれ、叫ぶ。 「いくらなんでも、ちょっとグロ問が過ぎるんじゃないですか皆さん!」 バン! と机を叩いて、勢いよく立ち上がる。 「そりゃまあわたしも調子のってましたよ! ええ認めます認めますとも、家にあるクイズ本全部読み切って、これならどんな問題も楽勝だとタカくくってましたそれは認めます。でもね、いくらなんでもちょっと問題がマニアックすぎます。どう考えたって、あんなのそのジャンルのファンやマニア向けの問題じゃない!」 野乃花のクレームに、まずは甲が反論した。 「いや、『俺ガイル』は名作だ。人気もあるしアニメ化もされてるし、ライトノベルは文学でもある。クイズの題材として不足はないはずだ」 「『稲むらの火』だって、教科書に載るほど有名よ。まして主人公のモデルが有名企業の社長となれば、クイズプレイヤーなら当然知っているべきではなくて?」 「僕の場合は普通に国の首都だからねえ。こんないじわる問題と並べなくても、クイズとして出るんじゃないかな」 「あー、もう!」 まるで駄々っ子のように野乃花が喚き散らす。一通りからかいきったことに満足し、三人も悪い笑みだけ残して黙った。 顔を真っ赤にして怒る野乃花に、小学生じみた嫌がらせのようなクイズを出して遊ぶ三人。普段は中々見せない表情を出しているのも、全員のテンションが上がっていることが原因だった。 これだけ騒いでも図書委員に怒られる心配はない。 なぜならここは、図書室ではなく社会科室、つまりはクイ研の新しい部室だからだ。 元は他の同好会の部室だったそうだが、人数不足で自然消滅し、顧問と部室をそのまま下取りしたというのが野乃花の説明だった。顧問は『俺に絶対に迷惑をかけるな。あと俺に時間をとらせるな。そして俺に絶対に迷惑をかけるな』と言い残して顧問を引き受けたということで、あまりに頼りないという思いもあったものの、いなくてもきちんと回っているので今のところ気にする理由がない。 そしてこの上がりきったハイテンションの一つは、待ちわびていた『アレ』がいよいよお披露目と聞いていたからなのだが 「……ところで、そろそろ」 甲が口火を切る。学が目を見開き、氷雨がそっと眼鏡を直す。 野乃花が何度か深呼吸して調子を取り戻し、紙袋を机の上に置いた。 「ふっふっふ、みなさんのご協力のおかげで、ついに手に入れることができました」 しみじみと、それでいて深い感情を込めて、野乃花が語る。 「クイ研を作るために活動を始めたのが、思えば二か月くらい前。カメ先輩や氷雨、左縁馬くんが入ってくれて、クイズができるようになって、顧問と部室を揃えてようやく同好会として出発できるようになった。そして今、ついに」 野乃花が紙袋に手を入れる。ごくりと唾を飲み込んだ。 「これが、みなさんお待ちかねの、早押し機です!」 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!! 声にならない歓声の中、ついに早押し機が目の前に現れた。 大き目の黒い筐体に、拳大の小さな筐体が合わせて四つ。大き目の筐体はいくつかのランプがついているが、小さい方はボタンとランプが一個ずつ。 「なあ、押していいか?」 「待ってくださいカメ先輩。みんなで一緒に、ですよ」 「同時じゃ点かないのでは?」 氷雨が冷静にツッコみ、野乃花が変な顔をする。 こういうときに大人の対応ができるのが学だった。「じゃあまずは僕が本体の方行くから、みんなが順番に押して行って」と場所を移動し、学一人と対面する形で甲、氷雨、野乃花が並んだ。 「……いいよ」 「よし、二兎、押せ」 「えっわたし?」 「クイ研の言いだしっぺが一番に押さなくてどうするの」 「僕も最初は二兎さんが押すべきだと思うな」 「みんな……っ!」 野乃花が腰を落とし、まるですぐに壊れてしまう繊細なガラス細工に触れるように、そっとボタンを押しこむ。 ピーン。 小気味良い音と共に、赤いランプが点滅した。 「おお……」 点いた。当たり前と言えば当たり前の事実が、しかし言葉にならない感動として胸を打つ。 「つ、次は私ね」 野乃花のランプが消えるのを待ち、氷雨が押す。音と共にランプが点く。やはり当たり前のことに、驚きと喜びが広がった。 そして甲が押し、学と入れ替わって最後の一人が押し終わったところで、誰からともなく拍手が沸き起こる。 「すげー! 押したら点いた!」 「当たり前でしょ、そういう機械なんだから」 興奮する学を氷雨が諫めるが、彼女も上がるテンションを隠しきれていない。 「は、早押し! はやく早押しやろう!」 野乃花が急かし、全員が同意する。 が、ここで一つ問題が発生した。 「……誰が出題者やる?」 誰かしら出題しないとクイズはできない。だが、クイ研初の早押しクイズ、できれば解答者で参加したいはずだ。 「野乃花、さっきまで解答者だったでしょ。今度は出題やって」 「ええ!? あんなグロ問解答にならないわよ!」 「あ、じゃあ僕が」 「俺がやる」 学を遮り、甲が手を挙げた。「いいの?」と申し訳なさそうな野乃花に、「構わない」と即答する。 「最近クイズ作りにハマっててな。問い読みも経験してみたいんだ」 本体の方に回り、操作の確認。あまり複雑ではないことを確かめて、説明に入る。 「クイズ本だと二兎が有利なのは変わらないから、今回はネットで拾った問題と対二兎用に考えたグロ問合わせて十問」 「やっぱりグロ問だったんじゃない」 「誤答はその問題の解答権なし。正解するまで問題は続行し、問題文は初めから読み直し。何か質問は」 ふるふると首を横に振る面々。早く問題に入れ、と目が訴えていた。 「よし、行くぞ」 出題者にも、それなりに緊張感があるんだなと感じた。 ワクワクドキドキが見ただけでわかる三人に向かい、問題を告げる。 「第一問 野球の試合が始まる直前、プレイヤーとは違う/」 ピーン、という音に問読みを止める。ランプをつけたのは野乃花だった。 「始球式!」 澄んだ声が快活に答えを放つ。甲は筐体のボタンの位置を確かめてから。 ピコピコーン。 正解を告げる音を発した。 「やった、初正解!」 「ふん、次の問題は私がとる」 女同士の火花が散り、学が若干腰を引かせる。 構わず次の問題を読み上げる。 「第二問 俳句において、一つの句に季語が二つ/」 氷雨が宣言通り、ランプを灯す。 「季重なり」 正解のランプを点けると、氷雨はどうだとばかりに野乃花に視線を向けた。なんの、と野乃花も受けて立つ。 どうも氷雨は野乃花をライバル視しているらしい。氷雨は勉強の成績も良いし、同じ女子同士ということもあって負けたくないのだろうか。 「第三問 漢字で『西の瓜』と/」 今度は学が点けた。指で何か書いている。 答えるまでに少し間ができ、甲は渋面を堪えるのに苦労した。 「えーっと、そうだスイカ!」 学の解答に思わず目を瞑り、ブブーっと不正解の音を鳴らす。 「えっ」 驚く学を尻目に女性陣が連打。解答権を奪い取ったのは氷雨だった。 「カボチャ!」 ピコピコーンと正解の音が鳴る。悔しそうなのは解答権をとれなかった野乃花で、学は眉をひそめている。 説明するため、次の問題に行く前にもう一度問題文を読み上げる。 「今の問題は、『漢字で『西の瓜』と書くのはスイカですが、では『南の瓜』と書く野菜はなんでしょう?』という問題でした。左縁馬は勇み足だったな」 「ああ、そういえば言ってた。パラレルってやつか……」 うーんと項垂れた学が顔を上げるのを待ち、次の問題へ。 ネットで調べると、読み上げるのにもコツがいるのだという。噛まないことはもちろんだが、イントネーションのつけ方も大切なのだ。 「第四問 3つのドアに当たりが一つあり、プレイヤーが一つを選択した後に司会者が開けていないハズレのドアを一つ開けたあと、もう一度選び直すことができるとき、変更したときの正解率が変更しなかった時の二倍になるという、とあるアメリカのテレビ番組司会者の名前が由来になっている問題のことをなんという?」 今回は全部読み上げてしまった。誰も押さず、野乃花がぽつりと「出たなグロ問」と呟く。 結局誰もわからず、回答期限間近に学が「チャップリン」、野乃花が「トランプ」と誤答して終了。『アメリカの司会者』から想像したようだが、不正解。 「答えは『モンティ・ホール問題』でした」 「知らない」 「聞いたことない」 次々に女性陣が文句を言い、甲は唇を引き結ぶ。 ふと誤答に用意している問題と重なるものがあったのに気付き、甲は問題の順番を入れ替えた。 「第五問 芸名がチャップリンに由来している、名探偵コナンの目暮警部やサザエさんの波平を演じる声優/」 長めに読み上げたところで、押したのは学だった。 「目暮警部は聞いたことある。確か、チャ……そうだ茶風林!」 サブカル問題に正解してくれたことで、甲も嬉しくなった。ピコピコーンと正解音を鳴らし、学がガッツポーズをとる。 「これで全員一問は正解したのか」 「そうだね。カメ先輩も早く押したい?」 「ああ……まあ、今はとりあえずこっちでやるよ」 野乃花に応えて、甲は改めて問題文を読み上げる。 クイズは解答することばかり考えていたが、出す側も結構面白いな、と感じ始めていた。 全十問を出し終えて、野乃花が四問正解でトップ。氷雨が三問正解で続き、二問がスルーされ、学の正解は『茶風林』の一問のみで終わった。 その後、野乃花が出題者に回り、クイズ本からの問題をやって、この日はお開きとなった。初めての早押しということもあって、問題数以上に脳が疲労している気がする。 帰り支度をしていると、学が甲に声をかけた。 「先輩、たまには僕と一緒に帰りませんか?」 学と野乃花は自転車通学だから、電車通学の甲と氷雨とは大体校門を出たところで別れることになる。二人がどのくらい一緒に帰るのかは不明だが、学から声をかけてくるのは甲にとって意外なことだった。 「別に俺はいいけど……」 どうしたものかと氷雨を伺う。駅から電車に乗って途中までは一緒に帰ることが多いし、女子が一人で帰ることへの不安も多少あった。 「じゃあさ、氷雨ちゃんはわたしと一緒に帰ろう? 後ろ乗せてってあげるから」 「い、いいわよ別に。だいたい、野乃花は方向逆でしょ」 「たまには氷雨ちゃんと友好を温めたいな~って思って。それとも、わたしと左縁馬くんはお邪魔かなあ?」 ぷくくく、と面白い笑い方をすると、氷雨の青白い顔がほんのり赤く染まった。 「……ッ! そ、そうね、たまには女同士も悪くないわね、行きましょう野乃花ちゃん」 「はーい、それじゃ先輩、左縁馬くん、お先でーす!」 「ああ、また明日」 一足早く部室を出た二人を見送り、甲もカバンを手に取る。 「俺たちも行くか。お前も駅とは逆だろ。どうする?」 「ええまあ。だから、近場のファミレスとかで話せたらって思うんですけど」 ファミレスか。どうやらどっしり腰を据えて話したことがあるらしい。 「わかった。行こう」 学校を出て、5分も歩いたところにそのファミレスはあった。駅への道から少し逸れるものの、対して遠くはない。 幸いすぐに席に通され、食事とドリンクバーを頼む。 甲はメロンソーダを、学はカルピスを持ってきたところで、甲の方から切り出した。 「たまにはこういうのも良いな、部活っぽくて。次は二兎や鶴宮も連れてこようか」 「部活終わりの寄り道ですか。確かに、悪くないですね」 甲は部活というものに入ったことがなかったから、こういうのは他人の話か創作物でしか見聞きしてこなかった。今、そういう中に自分がいるということに、ほのかな高揚感を覚えている。 「で? 今日は何を聞きたいんだ? 進路相談か?」 「二兎さんについてです」 どこか俯き加減に、学が進める。 「亀山先輩は、二兎さんのことをどのくらい知っているんですか?」 「……いや、考えてみれば、あまり知らないな」 初めて会った時にクラスと名前を聞いて、あとは一緒に活動していく中で彼女のクイズバカっぷりを感じたくらいか。 「僕、少し前から二兎さんのことが気になっていて」 「好きなのか」 学が口に含んでいたカルピスを盛大に吹き出した。気管に入ったのか何度もむせ、鼻から白い液体がちろりと覗く。 「す、すみません……じゃなくてっ、気になるっていうのはそういう意味ではありません!」 「そうか、悪かったな。左縁馬はよく二兎のことを見ているから、てっきりそうなのかなと」 「……み、見てますかね」 「俺はそう思ったぞ」 学があちゃー、っという顔でそっぽを向いた。 「いや、まあそれはともかくとして。二兎さんはあまり自分のこと話してくれないので、思い切ってクラスメイトとかに彼女のこと聞いてみたんです。近くに住んでいるみたいでしたし、そしたら中学もある程度絞れるから。そしたら」 「そしたら?」 「普通でした。同じクラスに一中のアカリっていうのが居て、聞いてみたらクイズ好きは中学の頃はなかったらしいけど、あとは特におかしな点もない普通の子だったって」 「じゃあ良いじゃないか」 「でも、二兎さんにそのこと聞いたら、『アカリちゃんとは仲良くて、よく一緒に遊んだりもしたよ』って言うんですよ」 「それの何がおかしいんだ?」 「アカリ、男なんですよ」 一瞬音が消える。その隙を縫うように、店員が頼んだ料理を持ってきてくれた。 「明里大五郎、野球部で一年生ながらレギュラーに選ばれた、ゴリラみたいな強肩強打のキャッチャーです。一応他にも『アカリ』がいた可能性考えて聞いてみたんですけど、いませんでした」 話し終わると、冷める前にとドリアを口に運ぶ。チーズがとろりと溶けていて実に美味しい。 「つまり、左縁馬は何が言いたいんだ?」 「言いたいとかでありません。でも、二兎さんは何か隠しているような気がして」 なるほどな、とメロンソーダを喉に流し込む。 確かに二兎野乃花はあまり自分のことを語りたがらない。先日の完全記憶のこともそうだし、彼女が抱えている秘密はまだまだあるのかもしれない。 甲はあまり細かいところに拘らないし、氷雨もサバサバしたところがある。こういうところに気が付けるのが、左縁馬学と言う男の良いところなのだろう。 「まあ、この件はとりあえず俺が預かる。頃合いを見て俺の方から聞いてみるし、お前もあまり考え過ぎず普通に接してやってくれ。それに、隠し事なんて多かれ少なかれ誰でもあるだろ」 はむ、とドリアをかっ込み、続ける。 「お前が普段ブリーフ履いていることとかな」 「なっ、何で知ってるんですか!?」 「えっ」 「えっ?」 思わずドリアから顔を上げる。身を乗り出す様な学の様子に、冗談が冗談でなくなってしまったことを自覚した。 「……すまん。カマをかけたつもりはなかったんだが」 「いえ、その……こちらこそ、声を荒げてしまいすみませんでした」 「まああれだ。俺は右曲りだ」 「急に何の話を始めるんですか!?」 「いや一つ知ってしまったわけだし、一つ教えないと不公平かなって」 「どうでもいいですよ!」 学は冷めつつあったカレーライスをやけ食いする。その様子を眺めながら、可愛い後輩を少しいじりたくなった。 「風水的には、右曲りは金運、左曲りは健康運が良いらしいぞ」 「えっ!?」 生真面目な顔で大嘘を吹き、ちらりと学の様子を確かめる。学は明らかに落ち込んでいた。 野乃花から、左縁馬学は高校入学からすぐにバイトを始めたという話を思い出す。 左曲りだな、と確信した。 「カメ先輩、付き合ってもらえますか?」 各々持ち寄ったクイズ合計百問連続早押しを終え、解散となってすぐ、野乃花が放った第一声がこれだった。 あまりにも思いがけない質問に、疲弊した頭が理解に苦しむ。 「はあ!?」 「ええ!?」 甲より早く氷雨と学が悲鳴をあげ、野乃花に詰めよる。 「ちょ、野乃花? それどういうこと? まさか、あなた」 「え? え? ……あ、ち、違うよ! 見てほしいところがあるから一緒に来てほしいっていうだけで、そういうんじゃないから! 全然!」 そこまで『全然』を強調しなくなっていいじゃないか。甲は悲しくなった。 氷雨と学がほおっと安堵の息を吐き、帰り支度に戻る。 「で、来てほしいってどこに?」 「わたしの家」 さっきの数倍は大きな悲鳴が部室に響き、図書室でもないのに隣から「うるさいぞ!」と怒られることになった。 野乃花の家には、結局四人で行くことになった。 自転車通学の野乃花と学は自転車を押して歩き、甲と氷雨は徒歩で向かう。幸い、バスで行くほど遠くはないらしい。 「なんか、部活っぽいな」 自転車を押して隣を歩く野乃花に話しかけると、「部活ですよ、同好会ですけど」と返ってくる。 「そうだったな」 「あまりこういう経験がないんですか?」 「ずっと部活なんてやってなかったしな。ほどほどに勉強して、時々友達と遊んで。楽しくて楽だったけど、充実しているとは思わなかった」 必死になる、一生懸命に頑張る。『死』とか『命』なんて怖い言葉を使えるくらいに、何かについて努力したことはなかった。その努力を共有し、分かち合える相手と一緒に変えるなんてことも、当然なくて。 「クイズ作りってさ、楽しいよな」 「作問ですか?」 「二兎がクイズ本に載っているクイズは全部知っているって聞いて、じゃあ新しく作れば良いんだって思ってから、色々見ながらやってるんだけど、意外と面白くてさ」 身近にある意外な名前や由来、時事的なネタ、とにかくクイズは探せばいくらでも出てくる。極端なことを言えば、一日ごとにクイズは生まれていく。見つけられるかは別にして。 「二兎、コレは、アレか?」 代名詞ばかりの質問を向ける。仮に聞こえてもなんのことかわからないだろうが、すでに野乃花には学の疑問について伝えてある。 家を見せるというのは、おそらくあの件に絡んだ何かなのだろうということは甲にも予想がついた。 「はい」 「いいのか」 「はい」 努めて平静に、彼女は答えた。 少ししか、声は震えていなかった。 「……今のままじゃ、ダメだと思うんです。わたしはわたしのために、みんなにわたしのことを知ってほしいと思います。例え、どう思われたとしても」 「どうも思わない。少なくとも、俺は」 二兎野乃花はクイズバカだ。彼女の背景に何があろうとも、これだけはハッキリしている。 「では、一問出してください」 「今?」 「今。ただ話しているだけじゃつまんないじゃないですか」 部活で散々クイズして、またクイズしようという思考回路に呆れつつ、嫌だとは言えなかった。きょろきょろと辺りを見回し、自動販売機でコーラを買う。 「問題 炭酸飲料のペットボトルの底にある、デコボコのことをなんという?」 「え……」 「正解したらこれプレゼント」 野乃花の口がポカンと開く。彼女は一度見聞きしたことは忘れないから、ぽんと出てこないということはわからないということだ。 きっかり五秒数え終わったところで、氷雨に後ろから声をかけられる。 「亀山先輩、何をしているんですか? クイズですか?」 「ああ、この部分の名前」 ペットボトルの底を指さして聞く。 「ペトロイト」 氷雨の回答は早かった。 「ふふふ、以前ネットで見ましたよ。身近な物の問題ですから、きちんとマークしています」 どうだと鼻を鳴らす氷雨に、甲は眉を顰めた。 「どうかしたんですか?」 学の問いに、「言いにくいんだけどさ」と前置きし、告げた。 「正解はペタロイト。英語で花びらを意味するPETALが語源だから、これは間違いない。多分ペットボトルのペットとごっちゃになってるんじゃないか」 甲が指摘すると、氷雨が真っ赤になっていた。 「あら~? 自信満々だった割に間違ってて恥ずかし~」 「う、うっさい!」 野乃花がからかい氷雨が怒る。元気な女性陣二人を眺め、甲が呆れる。 「あっ、ちなみにペットボトルの『ペット』とは『ポリエチレンテレフタレート』の頭文字をとった言葉なんですよ」 学が雑学を披露すると、何故か野乃花が「よく勉強したね~、よしよし」と上から目線で褒めたたえていた。 笑ったり赤くなったりする仲間たちを見て、甲も思わず笑みがこぼれる。 楽しい、と心の底から思った。 「二兎さんはマンションに住んでたんだね」 オートロックを通り抜け、エレベーターで10階へ。途中、学が『ここで問題。地上階を示すときに使われるFはfloorの略ですが、ではBは何の略?』とクイズを出し、甲が『basement』と即答した。 「よく知ってますね」 「その問題作ったし」 ちなみに屋上を示すRはroofを意味する。 そんなやりとりをしながら、いよいよ野乃花の部屋の前につく。 人生初めての女の子の部屋に入る。甲は胸に手を当て、大きく深呼吸した。 隣を見れば、学が全く同じ動作をしていた。 野乃花が鍵を開け、少しだけドアを開ける。 「……できれば、あまり驚かないで頂けると嬉しいです」 少し照れくさそうに野乃花が言った。 「努力する」 壁いっぱいにクイズ王の写真が貼ってあったり、クイズ本で足の踏み場がなかったり、何か開けるたびにクイズに回答しないといけないような仕掛けがあったら絶対驚く。そして絶対ないとは言えないのが二兎野乃花というクイズバカのイメージだった。 責任のもてない一言だけ応えて、野乃花に続いて中へと踏み込む。 驚くようなものは、何もなかった。 クイズ本はあったが部屋の隅に四、五冊積んであるだけで、むしろ拍子抜けしたほど。壁一面のクイズ王も、他にクイズに関するようなものは何もなかった。 そもそも、この部屋には何もなかった。 「……え? どういう、こと?」 氷雨のつぶやきは理解できた。 窓には薄灰色のカーテンが閉まっていて、台所とトイレがある。それに、畳まれた布団が1セット。小さなテーブルが一つ、部屋の中央にぽんと佇んでいる。台所には少し肩の古い電子レンジも見えた。 それだけだった。 クローゼットがなければテレビもない。鍋や皿もなければ炊飯器もなく、そもそも冷蔵庫すらない。 家……? これが? 少し視線を上げれば、エアコンはついているのがわかった。野乃花が何も言わずリモコンを手に取り、スイッチを入れる。駆動音とともに冷たい風が吹き出し、汗を冷やしていく。 「……わたしさ、記憶がないんだ」 野乃花はこちらを振り返ることなく、いつも通りの声音で言った。 「今年の三月くらいに事故に遭ったらしくって、その衝撃で色んなものを忘れてしまったんだって。家族っていう人たちにも会ったんだけど、全然実感が湧かないの。自分のことなのに、他人事みたい。とにかくわたしは、気が付いたときには何もなかった」 バイクが走っていく音が、遠くから聞こえた。部屋の中には雑音がないから、野乃花が喋らないと耳が痛いほど静かになる。 「家族っていう人たちといるのは苦痛でさ、無理言って一人暮らしさせてもらって、とりあえず入学予定だった学校に通って。でも、わたしっていう存在はほとんど一か月くらいしかなくてさ。すごい不安だった。知らないってことがすごい不安で、だから」 「クイズに、傾倒した?」 甲が引き継ぐと、こくんと頷いた。 「クイズはさ、調べれば答えがわかるでしょ? だから、すごく安心するの。それに、知らないことを知るのも、この世界にわたしっていう存在の体積を増やしてくれるようで、ほっとする。だから色んな知識を身に着けて、たくさんのクイズに挑戦して、調べて。でも、一人じゃ限界があった」 二兎野乃花は忘れることがない。一度見たクイズは問題ごと記憶してしまうから、永遠に違う問題を求め続けなければならない。 ひたすら新しい問題を探しだし、消化して、次の問題を求める。もはやそれは『作業』でしかないのではないか。だとしたら、とてつもない『苦行』だと思う。 甲は、優しく野乃花の頭を撫でる。ぐずっと鼻をすする音がした。 「……うそ、つくのは、いやだから」 「うそ?」 「黙ってたら、隠し事をしてるみたいだから。だから、ちゃんと言わなくちゃって。たとえ、嫌われたとしても」 「嫌わないよ」 ぐりぐりと、少し強めに頭を撫でる。 「少し驚いたけど、まあクイズしか頭にない野乃花が本当にクイズのことばかり考えてたってことでしょ。もはや想定の範囲内よ」 氷雨が憎まれ口を叩き。 「謝るのは僕の方だよ。僕が勝手に気にして、辛いこと話させて、ごめん」 学が頭を下げる。 「でも、嫌うことなんて絶対にない。過去はどうあれ、僕らは今の二兎さんをきちんと知っているから。それに」 少し恥ずかしそうに、学は付け足した。 「僕も、クイズ好きだし」 「あっ、私が言おうとしてたこと、とられた。左縁馬のくせに」 「まったくだ、左縁馬のくせに」 「僕の扱いひどくない!?」 抗議する学に、甲と氷雨が悪い笑みを浮かべていると、「うん」と小さな声が聞こえた。 泣き笑いのような表情で振り返った、野乃花の声だった。 「……うん、ありがとう」 涙と鼻水でぐしゃぐしゃの野乃花の顔は、しかし今までに見たどの表情よりも嬉しそうだった。 「でもさ、記憶喪失と家具がないのには、どういう関係があるの?」 「えっ」と野乃花が驚いた顔をする。 「家具ってクイズに必要なくない?」 「結局そこかよ!」 学がツッコミ、氷雨がガックリと項垂れた。その様子を見ながら、甲はつい浮かんでしまう笑みを抑えきれなかった。 第四章 二兎野乃花は楽しんでいる 灼熱の太陽が容赦なく照らす、八月の全国高校クイズ大会の関東予選、東京大会。関東中から合わせて300チーム以上が来ていた。一チーム四人構成なので、ざっくり1200人は集まっている計算になる。 一回戦の○×ゲームで32チームまで減らされた中になんとか滑り込み、二回戦へとコマを進めた。 二回戦のクイズは一対一の『ブラックジャック』。あるランキングに対し、四人のプレイヤーが一つずつ回答した順位の合計を100により近づけた方の勝ち。先に三勝すれば勝ち抜けが決まる。 セオリーから言えば、小さい順位からコツコツ積み上げながら、相手の状況を見て強気に行くか慎重に行くかを考えて行くゲームのはずだった。だが、ここで野乃花が本領を発揮する。 「『フェルミウム』」 「『フェルミウム』は……原子番号100番! ブラックジャック!」 まず原子番号100番を、これは相手チームと同時に取り合ってブラックジャック。 「『杉本』」 「『杉本』は……100位! ブラックジャック!」 そして、『全国の名字』を『杉本』で100位を当て。 「『ベナン』」 「『ベナン』は……うそだろ、100位! ブラックジャックっ!」 世界の国の面積で三度目のブラックジャックを達成し、会場を沸かせてみせた。 三回戦は残った16チームを4グループに分け、グループごとにクイズを行う。4チーム中上位2チームが準決勝進出だ。 同時には2グループしかできないため、くじ引きの結果後半に回った甲たちは水分補給しながら三回戦の攻略法を探る。 「ちょっとやりすぎたかな」 三回戦の様子を眺めながら、甲はぽつりと呟いた。 「まあ半端にやったらかえって危ない可能性もありましたし。野乃花も言ってたじゃないですか、100位ピッタリの方が確実に覚えているって」 氷雨がフォローしてくれる。確かに、名字や面積なんて条件や調査日によって前後しかねない不確定さを秘めたものだ。だからこそ、失敗しても取り返しのつく前半で勝負を仕掛け、ものにすることができた。 とはいえ、結果として三連続ブラックジャックを達成してしまった以上、ぽっと出の弱小チームとは見てくれない。 「望むところですよ、カメ先輩」 野乃花がニィっと不敵に笑う。 「僕らみたいなぽっと出に、失うものなんかないでしょ。やるだけですよ」 学が追随し、緊張しているようには見えない二人を見て甲も「そうだな」と切り替える。 三回戦は、二人ずつ前衛と後衛に別れ、早押しとボードクイズを同時に行うような変則ルールだった。 まず前衛二人が早押しに挑み、解答権を獲得したチームの前衛が解答する。ただし、同時に他チームの後衛もボードでクイズに参加できる。後衛が正解すれば1ポイントで、不正解でもペナルティなし。一方、前衛が正解すれば3ポイントだが不正解だとマイナス3ポイントになる。 先に15ポイントを獲得した2チームが勝ちぬけだ。 「前衛で勝負して高得点を狙うか、後衛で確実に拾うか」 「減点は結構リスク大きいしなあ。1ポイントずつ刻んだ方が良くない?」 「1ポイントとっている間にライバルは3ポイント前に進む。勝負しなきゃ勝ち目なんてないわ」 学は慎重論を、氷雨が強気な作戦を主張する。前半グループの情勢は、氷雨が言うように早押しを制したチームが順調に正解を重ね、間もなく1チームが勝ち抜けそうな雰囲気だった。 「二兎はどう思う?」 「早くクイズがやりたいです!」 目の前で大好きなクイズが繰り広げられ、興奮を止められないようだった。甲は、野乃花はこういうやつだったなと諦め、前衛後衛をどう分けるかを考える。 クイズ歴の浅いメンバーで、唯一アドバンテージがあるとすれば野乃花の存在だった。彼女の知識量は、夏休みに入ってからも貪欲に増やし、トップクイズプレイヤーとも遜色ないはず。彼女をどう使うかが重要だ。 知識量で言えば野乃花に次ぐのが氷雨で、特に文学系は野乃花に匹敵する。 甲と学の間にはほとんど差がないものの、学は得意ジャンルがあまり強くなく、ペーパーテストでビリをとるのが一番多いのが学だった。 反面、早押しでの指の早さは学が断然早かった。ただ知識が追いついていないため、暴発になることもしばしばあったが。 問題作成にハマったこともあり、甲は問題文から答えを想像するのに長け、それが指の速さに繋がっている。 クイズとなると慎重になりがちな氷雨が後に続き、なまじっか知識が広いために問題を聞きすぎてしまう野乃花は早押しでは遅れる弱さもあった。 つまりこのチームは、早押しの速さと知識量が反比例しているのだ。 「だから、亀山先輩と野乃花が前衛に入って押しまくる。それしかないでしょ」 「リスク高くない? 二兎さんは後衛に置いて確実に一点は取りつつ、わかる問題だけきっちり前衛で狙った方が」 「わかる問題だけなんて言ってたらボタンなんか押せないでしょ」 氷雨と学が言い争う。クイズでは誤答しても積極的に押す学が慎重論を唱え、一歩指が遅れる氷雨が積極論を推す。面白いもんだなあと他人事のように考えていた。 「あっ、終わった」 一人無邪気にクイズを眺めていた野乃花の声に、三人が目を向けた。 2チームの勝ち抜けが決まり、選手の入れ替えが始まっている。 「ちょ、もう行くの!? まだどう分けるかも決まってないのにっ」 「落ち着け学」 スタッフから招集がかかってる。ゆっくり話している時間はない。 「こういう時は基本にかえって、戦力を均等に分ける。俺と鶴宮で前衛、二兎と左縁馬が後衛に入ってボードで拾ってくれ」 「えっ、僕も後衛? 早押しなら僕のが早いのに」 「お前は大体暴発するだろ」 野乃花と氷雨が吹き出す。緊張感も薄れたところで、解答席についた。 「問題 『急降下する鷲』とい/」 ピーンという音と共に、回答権を示すランプが別チームについた。 「マジか、あれだけで」 流石に驚きを隠せない。いや語源問題だからわかればわかるタイプではあるのでが、それにしても早かった。隣に立つ氷雨も難しい顔をしている。 甲たちが入ったCグループは、クイズ名門校が並ぶ『死の組』という評判だった。そこにひょっこり紛れ込んだ新興チームは『お気の毒』という空気がちらついている。 問題の難易度を考えると、確かに迷い込んでしまったという不安感に囚われてしまう。 まずは後衛がボードをオープン。そして、後ろを振り返らないように解答権を得たチームが答える。 「『クアウテモック』」 「正解!」 本当にあてやがった。驚愕するとともに自分の後衛の回答を振り返り。 見事に同じ解答を書いていることに驚く。 「負けてられないな」 「そうですね」 気持ちを切り替えて次の問題へ進む。 だが、気持ちでどうにかできるレベル差ではなかった。そもそも満足に問題を聞くこともできず、それでも野乃花が後衛で拾っていくものの、点差はみるみる広がっていく。 気づけば14ポイントで1チーム、ついで前衛の正答で勝ち抜けが決まる12ポイントに1チーム、もう1チームも10ポイントまで積み上げた。未だ前衛で一問も取れず、3ポイントしかない自分たちは大きく引き離されている。 押す。何が何でも。 気持ちが前がかりになる。下手すればこの一問で終わる。せめて一つ、爪痕を残したい。 絶対に、とる―――― 「カメ先輩!」 不意に後ろから声をかけられ、ビクリと肩が震えた。まだ問題は読み上げられていない。慌てて何事かと振り返る。 底抜けに楽しそうな笑顔が、そこにあった。 「クイズは楽しむものですよ! カメ先輩!」 「そうですよ! ちなみにさっき答えた『ハンガリー』は僕もわかりました!」 野乃花と学が楽しそうに励ましてくる。考えてみれば、今まで一度も解答権をとれていないから、ずっと二人がクイズをしていたわけだ。 「ずるいな」 ぽつりとそんな言葉が漏れた。 羨ましい。俺もクイズがしたい。 「そうですね」 氷雨が同意する。眼鏡の奥で、悪っぽい笑みを湛えていた。 「押すぞ」 「はい」 ぺろりと唇を舐める。憑き物がとれたように、視界が広く感じる。 心なしか、問読みの声も聞き取りやすくなったような気がした。 「問題 54年8か月む/」 ピーンと音が鳴る。何人かがボタンを押した音がした。ランプが点いているのは……。 甲と氷雨がいる解答席だった 「よおっし!」 後ろで学の喜ぶ声が聞こえた。まだ正解したわけでもないのに、先走り過ぎだ。 とはいえ、これだけではほとんどわからない。問題文の続きを考える必要がある。 54年8か月まで聞こえた。これは何を意味しているか? 西暦や年号の読み方ではなかったから、何かしらの年月を示したもの。戦争、工事、あるいは在任期間。 制限時間が迫る。どれもありそうだしそれっぽい答えも出てこない。 つうと暑さと異なる冷たい汗が背中を伝う。無回答なら減点。せっかく野乃花と学が積んだポイントが0になる。やばい、やばい、やばい……。 (スポーツ) 聞こえるかどうかという声で、氷雨が呟いた。解答じゃない、ヒントだ。ペア内では相談が許されている。 スポーツ? 何のことだと聞き返そうとして、気づく。 ここまでまだ一問もスポーツに関するクイズが出ていない。他のジャンルは万遍なく出ているはずなのに。 だからといってこの問題のジャンルがスポーツだとは断定できない。 だが、考える価値はある。氷雨の直感に賭けることにした。 スポーツで54年。発祥からの年月? 違う。『む』まで聞こえたからおそらく六日と続くのだろう。だとしたら具体的過ぎる。おそらくこれは記録。ひょっとしたら時間・分・秒まで続くのでは。 なら、正解は―――― 「――――金栗四三っ!」 ボードが出終わり、解答を声に出す。 記憶が確かなら、フルマラソン最遅記録を金栗四三が持っていたはず。ストックホルム大会だったか。東京オリンピックを来年に控え、今年の大河ドラマで主役に抜擢される、答えに持ってくるには最高のタイミング。 薄くても確かな根拠を持った解答に、ぐっと手に力がこもる。 永遠にも似た長い一瞬の後。 正解が発表されるよりも早く。 野乃花の思わず漏れた小さな歓喜の声が鼓膜を震わせた。 「正解!」 初正解。強豪のクイズプレイヤーを相手に回して、本気で取りに行って勝ち取った一問。 敗戦寸前のチームが一矢報いたことに、観衆もわあっと盛り上がる。氷雨が肩を掴んで揺さぶってきた。 嬉しい。 腹の底からこみ上げてきて抑えきれないものを、獣の咆哮みたいに空に向かって叫ぶ。 最高にクイズが楽しいと感じる一瞬だった。 この後、二位につけていたチームが解答権をとり正解。一位チームもボード正解で規定ポイントに到達し、同時に勝ち抜けが決定。 初めての大会は、三回戦で敗退という結果に終わった。 帰りの電車は、車窓から夕陽が差し込んできて真っ赤に染まっていた。 三回戦敗退という結果に終わったものの、来年のために最後まで見届けようと全員が残った。決勝戦に残った4チームは流石に強く、今のままでは決して越えられない壁のようなものを感じた。 「楽しかったです」 野乃花が、隣に座る甲に話しかける。 「カメ先輩は、どうでしたか?」 「俺は……」 言いかけて、言葉にしきれない感情の渦を目の当たりにする。 「楽しかった。それに、悔しかった。努力してきたものを少しでも出せた達成感があって、自分たちより強いチームへの憧れもあって、でも負けたことへの悔しさも大きくて」 ガタンガタン、と規則正しく電車は揺れる。疲れた者を優しく夢の世界へ連れて行くリズムに、氷雨と学は眠っているようだった。 「多分みんな、同じように感じたんじゃないかな」 「そうだと思います。わたしも、きっと氷雨ちゃんも左縁馬くんも」 「そっか。それは良かった」 自分でも意外な言葉が勝手に口から漏れた。何が『良かった』のか、甲自身も良くわかっていなかったからだ。 そして気づく。楽しさや、悔しさを共有できる仲間がいることが『良かった』のだと。それは、ともに同じ努力をしてきた誰かがいる者の特権なのだ。 三か月前に感じた焦燥、不安、退屈はもうない。 仲間と一緒に、全力で一生懸命に最高の青春な、はじめての夏を迎えることができたのだから。 エピローグ 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか わたしはこの世に意識を持って、まだたった半年足らずしか生きていない。 だから、わたしはわたしが『どこから来た』のかわからないままだった。だから、わたしが『何者』なのか、わからなかった。だから、わたしは『どこへ行けばいいのか』わからなかった。 わからないことが、怖かった。 だけど。 わたしの前には、一枚のドアがある。開けば、みんながいる部室。 わたしはわたしとしてのはじめての夏を、今迎えている。 記憶喪失と、それを補うような絶対記憶能力は、きっとこのためにあったんだと、今なら思うことができる。 ――――わたしはどこから来たのか。 わたしは記憶喪失という道を通ってきたから、この場所に来ることができた。 ――――わたしはどこへ行くのか。 わたしはみんなと、もう一度クイズで全国を目指す。 ドアを開ける。すでに集まっていたカメ先輩や、氷雨ちゃんや、左縁馬くんが、わたしを見て「遅いぞ」って笑う。 「ごめんごめん、ちょっと道に迷ってて」 そう答えて、わたしは部室へと足を踏み入れる。 もう迷わない。 ――――わたしは何者か。 わたしは二兎野乃花。クイ研の一人で、自他ともに認めるクイズバカだ。 |
燕小太郎 2019年08月11日 21時17分12秒 公開 ■この作品の著作権は 燕小太郎 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2019年08月30日 22時12分05秒 | |||
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+30点 | |||
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Re: | 2019年08月30日 22時10分43秒 | |||
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+20点 | |||
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Re: | 2019年08月30日 22時06分33秒 | |||
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+30点 | |||
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Re: | 2019年08月30日 22時01分57秒 | |||
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+30点 | |||
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Re: | 2019年08月30日 21時59分57秒 | |||
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+40点 | |||
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Re: | 2019年08月30日 21時57分44秒 | |||
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+10点 | |||
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Re: | 2019年08月29日 10時32分16秒 | |||
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0点 | |||
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Re: | 2019年08月29日 10時28分47秒 | |||
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+10点 | |||
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Re: | 2019年08月29日 10時23分49秒 | |||
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Re: | 2019年08月29日 10時21分02秒 | |||
合計 | 11人 | 230点 |
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