終電車 |
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** 警告:作品中に下ネタあり ** 「先輩、よかったら、……」 電車を待つ俺に声を掛けてきたのは、ハッとするような美少女だった。 「……ご一緒して、いただけませんか?」 一瞬、だれか分からなかった。 でも、小柄なその女の子には、見覚えがあった。 俺の下級生だ。 部活でマネージャーをしてくれている。 見慣れているはずなのに、笑顔を浮かべようと必死に努力しているようすが、ひどく新鮮だった。 夜のプラットホームで見るその姿は、いつもとまったく違って見えた。 どこかの清純派グラビア・アイドルかと思ったぜ。 「ずいぶん遅くまで頑張っていたのだね」 まもなく地区大会があるから、試合の打ち合わせをしてたのだろう。でも、いくらなんでも遅すぎる。 あたりは、すっかり暗くなっていた。 運営はもっと気を使えよ。 女子マネージャーも参加しているのだから。 「いいよ、家まで送るよ」 下級生を守る。 それは先輩の務めだろう。 「いえ、結構です。駅まで送っていただければ、十分です」 俺の、純粋に後輩を心配した、まったく下心のない提案は、あっさりと断られてしまった。 なんだか少し残念だった。 反対側のホームに電車が入ってくる。 川上マネージャーは、その電車に乗りこむと、扉のところで向きなおって、俺にたずねた。 「先輩、本当によろしいのですか?」 「かまわないよ、川上さん」 川上マネージャーは隣にチョコンと腰かけると、俺を見上げて、ニッコリとした。 「美香と呼んでくれるとうれしいです、山崎先輩!」 俺を名前で呼んでくれた。なんだか妙にうれしかった。 「山崎先輩は、試合の前に音楽を聞くのですよね」 (俺の事は、利行と呼んでくれ! と言ったら、ずうずうしいかなあ) 「私も、 ~ を聞くのは、大好きです」 電車が鳴らした出発の警笛で、美香の声がよく聞えなかった。 ゆれる電車の中で、俺たちの目の前を、酔っ払いが通り過ぎる。 ゆっくりと首をまわして、濁った眼で美香を見る。 まるでゾンビのような動きだった。 残業続きで何日も風呂に入ってなかったのだろう。 ひどく嫌な臭いがした。 酔っ払いは、美香を見ながら、ゆっくりと立ち去ってゆく。 メリメリと音を立てて首がありえない方向にむいてゆく。 気のせいだろうな。 酔っ払いは、座席に崩れ落ちる。 まるでバラバラ死体を積み上げたように見えた。 てっぺんにのった頭が、美香を見つめ続けている。 反対側の座席には、ひどく痩せた男が座っていた。 真っ黒な服を着ている。 (葬式帰りなのかな) 蝙蝠傘の柄の上に両手をのせて、ステッキ代わりにしている。 分厚いメガネをしている。 顔色が悪い。 駅の照明のせいか、血の気のない青白い肌をしてた。 その乗客は、血走った目を大きく開いて、じいっと美香を見つめている。 メガネのせいで、目玉がとんでもなく大きく見える。 不気味だった。 口をゆがめて、ひどく邪悪な表情をしていた。 肌がなんだかピリピリした。 俺の感性が、不穏な雰囲気を感じ取っている。 ほとんど殺気に近い。 反対側の座席に座った連中が、俺たちを睨んでいた。 三人いる。 この暑い季節にもかかわらず、特攻服を着ている。 特攻服のヤツラは、チラリ、チラリと美香のスラリとした美脚と、その付け根のあたりを盗み見ていた。 はじの一人は、大きく脚を広げてふんぞり返っている。 (そんな暑苦しい服を着てるせいでインキンが痒いのには同情してやるが、周りの迷惑を考えろよ) 俺はそう思ったけれど、口には出さなかった。 可哀そうなヤツの傷をえぐったら、気の毒だからな。 真ん中のヤツは前かがみになり、肘をついて美香を見つめている。 もう一人は、真ん中のヤツの肩に手をのせて、脚を組んでいる。 乗客が少ないからいいが、はた迷惑なヤツラだった。 そう思いながら俺がながめていたら、そいつらは美香から目を離し、俺をにらんできた。 特攻服が、刃物で切られたようにボロボロになっている。 最新のダメージ・ウエアなのかな。 でも、やりすぎだろう。 暴力のにおいがプンプンしている。 美香が俺に頼ってくるわけだ。 俺がいなかったら、こいつらは美香を無理やりに列車から連れ出していただろう。 男が三人がかりでは、美香に抵抗などできるわけがない。 そうなれば、そのあと何がおきても、泣き寝入りするほかない。 たとえ裁判になっても、合意の上と判断されるだろう。 美香にはそれが分かっていたのだな。 こんな乗客が同じ車両にいたら、そりゃ不安だろうよ。 女の子が一人だけで乗車するには、危険すぎた。 俺は、美香を安心させるために言った。 「大丈夫だよ、俺がずっと一緒にいてやるから」 美香は目を見開いて俺を見つめた。 驚きの表情だった。 それから美香は、ゆっくりと言った。 「先輩は、スポーツが得意だから、心強いです!」 美香の声には、心からの喜びがあふれていた。 (いや、いや、得意なのはeスポーツだけ、だけどな) だから俺は、片手を振って否定した。 美香は、ちょっと不安そうにたずねた。 「たしか、格闘技も全国で上位だった、ですよね」 (ああ、ゲームでならな) 「いや、いや、いや。全国にはとんでもなく強いやつらがたくさんいるから、たまたま上位になれても、自慢なんかできないさ」 前に座る特攻服の連中が、露骨に驚いた顔をした。 ヤツらは互いに顔を見合わせて、俺たちから少し距離をとった。ボソボソとつぶやく。 「俺には、ヤツの実力の底が見えないぜ」 (いや、いや、それって、俺の実力の底を大きく突き抜けて、その先を見てるからだよ) 別の一人も、それに同意した。 「オレには素人にしか見えない。しかし、ヤツは自信まんまんで、オレたちに少しもビビッてない。ヤツの実力がオレたちとは、桁違いということなのか?」 (桁違いなのは、そのとおりさ。俺は、お前たちよりも桁違いに弱いぜ) 特攻服の連中は、なんだか大人しくなった。 どうやら俺の実力を誤解してくれたようだった。 (でも、その方がお互いにとって好都合だ。メンドウな事が起こらなくて済むからな) 美香は、頼もしそうに俺を見ている。 (ヤツらの視線に、いままで不安を感じてたのか。ごめんな、気が付かなくて) 突然に、ゴグヮン! と衝撃があり、対行列車とすれ違った。 それから、ヒューンと電動モーターが回転する音がして、電車は減速をはじめた。 連結器が、ギキッ、ギキキッ、ギキッと、音を立てる。 キュッ、キキュッ~ンと音を立てて、電車が停止した。 プシャーァと圧搾空気の漏れる音がして、ドアが開く。 「先輩、ありがとうございました。でも、ここで降りてください」 美香は、ひどく後悔した表情で言った。 「巻き込んですみません。ここで降りても、もう無事では済まない。だけど四谷なら、まだ戻れます!」 美香の口調からは、何かとんでもないことが起きているような雰囲気が感じられた。 不穏な、ひどく不吉でやっかいな事が起こりそうな予感が、ひしひしと感じられる。 (だからといって、困っている後輩を見捨てて俺だけ降りるわけにはいかないぜ。ここまで付き合ったのだから) そこで、俺はできるだけ自信たっぷりに聞こえるように言った。 「さっき言っただろう、ず~っと一緒にいてやるよ!」 美香の顔に、驚きの表情が浮かんだ。 それから美香は、とても嬉しそうな顔をして、俺の方に身を寄せてきた。俺を見上げて、幸せそうに微笑む。 しばらく俺の顔を見つめたあとで、美香の顔が少し苦しそうに歪んだ。笑顔のまま、俺を見つめるつぶらな瞳から大粒の涙があふれだす。 さらりとした髪が俺の腕をなでる。 華奢な左腕が俺の肩へとまわされる。 右手が俺の腰にまわされ、すべるように背中をなであげてゆく。 「ありがとうございます、利行先輩!」 美香は両腕を俺の首にまきつけて、俺の胸に顔をうずめた。 ずいぶんと心細かったのだろう。 美香の体は、小刻みに震えている。 美香の体は、冷房で冷え切っていた。 俺は、美香の背中を、あやすように軽くたたいてやった。 疲れ切った様子のサラリーマンやOLたちが、次々と列車に乗り込んでくる。暗く、つらそうな顔をしている。つらさを通りこしたのか、完全に無表情になっている乗客も少なくない。 仮面をかぶったような乗客たちは、酔っぱらっているのか、よろめきながらゆっくりと前に進み、次々と列車の中を満たしてゆく。 プロレスラーのように体格のよい男が優先席にどっかりと腰をおろした。 (やけに列車の発車が遅いな) そう思ったとたんに、車内放送があった。 「この列車は、中野に行きたい、です」 アナウンスを聞いたとたんに、美香の両腕に力が入った。 俺は思わず叫んだ。 「なんだよ、それは!」 「始まってしまった……」 美香は、そうつぶやいて、俺に強くしがみついてきた。 「定刻を過ぎましたが、この列車は後発の列車に不都合があるため、引き続き当駅に停車しています。どなた様も悠久の時の流れをじっくりと味わいながら、このままずっとお待ちください」 アナウンスの内容が、どこか変だった。 俺は、緊張しながら、次の放送を待った 「なお、乗車中のお客様は、急いで! 外に出て! 閉まる扉で締め出されないように、車内でお待ちください」 おい、おい、あわてて外に出ようと腰を浮かせてしまったぜ。 まぎらわしい言い方をするなよ。 「なお、優先席をご利用いただく方は、社会常識の不自由な方、根性の捻じ曲がった方、頭のデキの悪い方などが、やむを得ず優先となります」 優先席に腰掛けたプロレス男は、天井の拡声器をにらみ、それから、「チッ」と舌打ちをした。 でも、腰掛けたままだった。 放送内容のどれかに当てはまってるのだろうな。 放送は、そこでいったん終わりになった。 暇なので、車内の広告を見て過ごした。 「結婚式場のご利用が三回以上になる方は、ウエディング・パスポートのご利用がお得です、だって?」 俺は、美香を見つめて言った。 「そんなの、結婚詐欺師以外は使わねえだろう!」 美香は嬉しそうに、何度もうなずいた。 車内には、週刊誌の広告もさがっている。 俺は、声に出して内容を読み上げた。 「政府は、電子高取引などの基盤を提供する悪質なIT大手に対して、デジタル・ブラック・フォーマー取引透明化法案(仮称)を提出」 「経済産業省の高官は、『透明化しても、中が真っ黒だから、何も見えそうにない』と、コメント」 「なんだか、もっともらしいコメントだな」 「ふふふ、本当ね」 美香は、俺の胸に頭をあずけて、嬉しそうに言った。 「つい、カッとなった 人生、ガラッと変わった あなたも、あなたの家族も、人生が大きく変わります」 前に座った特攻服の連中が、しゃべりだした。 「ああ、人生を変えてみてえな。車掌が通らねえかなあ」 「暴力を振るう気か?」 「ああ……」 「なに、分別のない事を言ってるんだよ」 「どうせ暴力を振るっても、これ以上は何も変わらねえぜ?」 「しかたねえだろ? この前の分別収拾でありったけの分別をすっかり捨てちまったから」 俺と美香は、思わず噴いた。 教育ローンのポスターが下がっている。 あなたの”未来” 応援します。 特攻服の連中が続ける。 「あなたの未来に重くのしかかります、だとよ」 「あァ?」 「知ってるか、教育ローンを利用したヤツらの35パーセントは、返済できずに破産してるってよ」 「そりゃ、深刻だな」 「ああ、深刻だ」 それから特攻服の学生たちは、おたがいを見つめながら、声を合わせて言った。 「俺たちには関係ねえけどな!」 (こいつらも、こいつらなりに将来を考えているのかな) 再び車内にアナウンスが流れた。 「お待たせしました。この列車は、間もなく出発します。前にいる女子高生のお尻を押したりせずに、順序よくご乗車ください」 俺は、思わず突っ込んだ。 「女子高生の尻に触ったら痴漢だぜ」 しゃべってから、俺の声は車掌には聞こえないことに気がついた。 「お客様に申し上げます。押し合ったり、車内アナウンスに引いたり、しないでください」 「引くよ!」 俺は、思わず言った。 「ご乗車になられましたら、列車の中ほどまでお進みください。列車が混み合っております。もっと中までお進みください。さらに中までお進みください」 「そんなに進んだら、反対側から外に出てしまうがな!」 特攻服の連中が声をそろえて言った。 「それでは出発いたします。どなた様も閉まるドアにご注意ください」 ドゥン、ドゥン、ドゥン、ド?ルッ、ド?ルッ、ド?ルッと、モーターが音を立てる。 ゴゥン、ゴゥン、ゴゥン、シャーッと空気の漏れ出る音がして、プシャーッとドアが閉じた。 「一部の車両に不都合が生じております。閉まらないドアにご注意ください。なお、走行中は、しまりの悪いドアにもご注意ください」 俺は、思わず突っ込んだ。 「走行中にドアが開くのか? そりゃ危険だぜ」 「ほんとね」 美香は、俺に冷たい体を預けながら言った。 車内アナウンスは続いた。 「なお、危険ですので、走行中の列車のドアや窓から乗客を投げ捨てないでください」 「誰もやらねえよ!」 俺と、特攻服の連中の声がハモった。 思わず、お互いに顔を見つめ合ってしまった。 すこし遅れて、プロレス男がうなずきながら言った。 「そうか、その手があったか……」 (こ、こわい事を言うなよな!) 「では、発車いたします。閉めないドアにご注意ください」 気が付くと、本当に開けっ放しのドアがあった。 「本当に閉めずに発車しやがった。満員なのに、あっぶねえなあ」 カタタン、ダン、カタタン、ダン、カタタン、ダン。 列車の速度が上がり始めた。 ゴ~ッ、カタタン、ゴ~ッ、カタタン、ゴ~ッ、カタタン。 列車の速度が一定になった。 車内アナウンスが始まった。 「この列車は、定刻から大幅に遅れて発車しました。そこで、長らくお待ちいただいたお客様におわびとして、昔の電車についてお話しようと思います」 乗客たちは、聞き耳を立てている。 「昔の電車は、鐘を鳴らして合図をしていました。その音色からチンチン電車と呼ばれていました」 (ようやく、まともなアナウンスになったか) 「たとえば、電車が三鷹駅に到着すると、こんな風にして乗客の皆様にお知らせしていました」 俺の予想は、たちまち裏切られた。 「チンチン、三鷹~三鷹~ チンチンみたか~、みたか~」 「なお、この列車は、三鷹駅には止まりません」 「それなら、なんで三鷹駅を選んだのだよ!」 俺は、思わず突っ込んだ。 車内放送は続いた。 「お客様に伝言が入っています」 車内放送は伝言を読み上げた。 「金田、待つ、神田で。金田、待つ、神田で」 (電報だったのかな? そんな面倒なことをせずに、スマホを使えばいいのに) 「こういった伝言を、昔の電車では、こんな風にお伝えしていました。 金田、待(チンチン)つ、神田で。 金田、ま(チンチン)つ、神田で。 金たま、チンチンつかんだで」 俺は、思わず噴いた。 (こんな下品なギャグに笑っていたら、美香に軽蔑されるな) あわてて美香を見ると、彼女はうつむいて、かすかに肩を震わせていた。 「なお、この列車は、すでに神田駅を通過しています。 そのことを先様にお伝えしたところ、新たな伝言がありました」 車内放送は、ふたたび伝言を読み上げた。 「玉田マカオに着いたで! そっちは列車が大幅に遅れてるのか。しゃあねえなァ。 金田、負けるなよ!」 車内放送は一息ついてから、先を続けた。 「こういった伝言を、昔の電車では、このようにお伝えしていました。 玉田、マ(チンチン)カオに着いたで! 玉たま、チンチンかおについたで! 金田、負けるなよ! 金たまけるなよ! 金たま、けるなよ!」 俺は、笑い転げてしまった。 特攻服の連中も、腹を抱えて笑っていた。 「キャハハハ! ああ、おかしい」 美香も甲高い声をあげて笑っていた。 それから、美香は俺の顔を見あげながら言った。 「残念、ばれちゃった。先輩の前では、最後まで清純なふりをしていたかったのにィ」 美香は笑いすぎて、涙目になっていた。 車内放送は、真面目な声のまま続いた。 「このように昔の電車は、まことに人情味にあふれた、のんびりとした風情がありました。しかし、一部の心無いお客様たちから強い非難があって、チンチン電車は廃止となったのです」 俺は、思わず言った。 「そりゃ、廃止になるわな。小学生の教育に悪すぎるぜ」 車内放送は続いた。 「列車の事を、英語ではトレインと言います」 (ようやく、まともな車内放送になったか) 俺の予想は、ふたたび裏切られた。 「列車という英単語には、一人の相手に対し複数が次々にする一連の性交という意味があります。また、列車を牽引する、という英語には、括弧、女が、括弧閉じる、次々に相手を変えてセックスをする、という意味があります」 「うおおおおォォォォォウ!」 前に座った特攻服の三人が歓声をあげた。 「トレインって、”まわし”かよ!」 「列車でいい。列車でかまわねえ。たった一人の恋人なんて贅沢は言わねえよ」 「列車の乗客の一人にしてくれエエエ!」 車内放送は続いた。 「英語では、牽引する列車は単数、つまり一両だけとなっております。ならば、蒸気機関車のように、複数の列車を牽引している場合には、シュッポ、シュッポと、どれほどの回数のセックスがおこなわれることになるのでしょうか。具体的に想像すると、戦慄を禁じ得ません」 俺は、思わず叫んだ。 「具体的な想像なんか、するなよ!」 車内放送は続く。 「熱心な鉄道ファンの皆様は、蒸気機関車の写真を撮るために、カメラや機材をかかえ、目を血走らせて、見せろ、乗せろ、やらせろと、全国から集まってきます。何を目的に集まってくるかが分かれば、その熱狂ぶりも当然の事と納得がゆく次第です」 俺は、叫んだ。 「違うから、それは絶対に違うから! 全国の鉄道ファンにあやまれよ!」 俺は、美香に言った。 「これは、十五歳禁止の内容だろう。こんなの車内放送で流してはいけないよな」 美香が答えた。 「大丈夫です、利行先輩。車内で放送されたのは、英語の辞書に載っている内容だから、全年齢対象ですよ」 「ほんとうかよ!」 美香は、ほほ笑んで言った。 「ええ! もっとも『チャタレイ夫人の恋人』の原書も裁判では猥褻文書に当たらないという判決がでていますけどね」 「さすがは文学少女だ。良く知ってるなあ」 美香の笑みが強まった。 「猥褻とは、いたずらに性欲をかき立てること、ですよね。英語だと萎える人が多いから、猥褻への規制は甘くなるようです」 車内放送は続いた。 「鉄オタやカメラ小僧の小学生や中学生は、マセガキと言わざるをえない次第です」 「そんなわけ、あるかよ!」 美香が応える。 「大丈夫ですよ、利行先輩。子供たちは、わけも分からずに、よろこんでるだけだから」 美香は、勉強好きの文学少女だ。あらためて、そのことを実感した。 「本当に、美香はたいしたものだな。ずいぶんと文学や英語に詳しいじゃないか」 「英語は生きた言葉だから、人間の営みがそのまま言葉に反映しています。いけない意味のある単語がたくさんあるから、辞書を読んでいるだけで、とっても興奮しますよ」 言い終えて、美香はハッとしたように口をつぐんだ。 (意外と下ネタが好きなのかな?) 美香は、うつむき、唇をかみしめていた。 特攻服の連中が、俺たちを見て言った。 「いいなあ、いつでも、どこでもヤリ放題の恋人がいるなんて」 「うらやましいぜ!」 「ああ! うらやましい」 (そんなわけが、あるかよ。列車で、たまたま後輩と隣の席に座ってるだけだぜ) でも、美香の隣に座っているだけで、俺の心は安らいでいる。美香のいなかったこれまでの人生が、どれほど空虚で寂しいものだったかが、実感されてゆく。 それから俺は、気が付いてしまった。 (そうだ、こいつらがいるから、美香は俺の隣に座ることを選んだのだった) 美香は、恥ずかしそうにうつむいたままだった。照明のせいか、顔が蒼ざめてみえる。 列車の騒音のせいで、連中の言葉は聞えてないようだ。 (美香と一緒になれたのは、こいつらのおかげか! それじゃあ、礼のひとつもした方がいいな) そこで、俺は特攻服の連中に軽く頭をさげた。 特攻服の連中が、大声でしゃべりちらす。 「笑顔なんか浮かべて、なんか、すごい余裕だな」 「分かったぜ。恋人は一人じゃない。とっかえ、ひっかえ、ヤリ放題だ、と言いたいのだ!」 美香は俺に寄り添い、いやいやをするように頭を振っている。 特攻服の連中が、それを見て言った。 「ああ、それでなのか。なるほど。それでも構わないわ。いまは私だけがあなたの隣にいるのだから、それで満足よ。そう思っているのだな」 「あんなに可愛い恋人が何人もいるなんて、凄いなあ」 「しかも全員を、心から満足させているのだぜ」 「あやかりたい!」 「兄貴、いや師匠と呼ばせてください!」 「お近づきいただけたら、地獄の底までついて行きやすぜ!」 なんだか、誤解が凄いことになってきた。 美香は、うつむいて、もじもじしている。 可愛い。 (だけど、告げてはならない内面を、うっかりしゃべってしまったから、恥ずかしがってるのだよなあ) 俺は、思った。 (このまま美香にだけ恥をかかせていては、男としてまずいな) そこで、俺は自分の恥ずかしい体験を美香に話すことにした。 「俺のばあさんは、貝殻で模様が描かれた、真っ黒な樹の箱を、それはそれは大切にしていたのさ」 俺は、そう切り出した。 「すごいわねエ、螺鈿(らでん)細工のほどこされた黒檀の樹でできた箱なのね」 (へえ、さすがは美香だな。俺の話しで、すぐにそこまで分かるのか) 「俺が幼いころには、決して触らせてもらえなかったよ」 「当然よね。最高級の宝箱だもの」 「中身を見せてもらえたのは、高校生になってからだった」 美香は、興味深そうに俺を見つめながら、続きの言葉をまった。 (すこし落ち着いてきたようだな。よかった) 俺は、続けた。 「中には、写真が一枚だけ入っていた」 美香は、無言で先を促した。 「広げられたおむつの上で、上機嫌の赤ん坊が、今まさに放尿している写真だった」 「まさか、……」 美香が、おもわず言葉を漏らす。それから美香は、あわてたようにハンカチを取り出して、優雅に口元にあてた。 俺はうなずいて、ゆっくりと言った。 「ああ、俺だった」 俺は、噛みしめるように、先を続けた。 「俺に恋人ができたら、見せるのだそうだ。黒歴史どころじゃない、記憶にすらない有史以前の記録写真なんだぜ」 「ぜひ、拝見したいですわ」 美香は、さらに俺にすり寄って言った。 「見せられるわけ、無いだろう!」 美香は、目を輝かせながら、話しの続きを待った。 「あわてて写真を取り上げようとしたら、まるで女忍者のように身をかわして箱を隠しやがった。ババアのくせに」 俺は、話題を変えた。 「そういえば、ばあさんは確かに美香の言うとおりの事を言ってたぜ。良く分かったな。ほんとうに美香は大したものだ」 それにしても、と俺は思った。 「裸臀(らでん)最高の、ほとばしった極端な気の発動なんて、よく分かったな? 俺は辞書を何度も調べて、ようやく見当をつけたのに」 「螺鈿(らでん)細工のほどこされた黒檀の樹の箱でしょ? 列車の騒音で聞き取りにくいけど、なんだか激しく間違ってるように聞こえるのは、私の気のせいよね」 それから、美香は言った。 「ぜひ、おばあ様にお目にかかって、ご挨拶をさせていただきたいわ」 何かが、ガチャリと不吉な音を立てて、切り替わった。 それから、ふたたび車内アナウンスがあった。 電車の車内には、いろいろな音があふれている。 風を切る音、車輪の立てる音、車体のきしむ音、駆動モーターの音、空気を圧搾する補助モーターの音、乗客の話す声…… 車内から、すべての音が消えていた。 車内アナウンスが静かに俺たちの運命を告げる。 「次は、死ぶや~、死ぶや~。 死ぶや駅では、車両とホームの間が大きく開いており、マグマで満たされております。お急ぎの方は、ここで降りると便利です」 車体がきしみ、キャゥ、キッ、ギッ、キャゥ~ッと、不快な音が響いた。 そして、列車が止まった。 ドアが音もなく、一斉に開く。 列車が大きく傾く。 乗客たちがドアから、次々と滑り落ちてゆく。 煮えたぎるマグマの中で、たちまち肉は燃え尽きてゆく。真っ白な骨だけになった体が、助けを求めるように、激しく腕を振り回している。 「まるで海水浴場みたいね」 場違いな美香の言葉に、俺は思わずふり向いた。 美香は虚ろな瞳で俺を見つめた。それから、セリフを棒読みするように言った。 「ありがとうございました、利行先輩。おかげで最後まで、怖くも、寂しくもありませんでした」 美香の声は、とても遠くから聞こえてくるように感じられた。 美香の体は氷のように冷たく、冷や汗を流しながら震えている。 マグマに落ちた白骨たちは、うねりに呑まれてたちまち沈み、姿を消していった。 そして、音もなく電車の扉が閉まった。 「次は、死んじ逝く~、死んじ逝く~」 車内アナウンスが無情に告げる。 「列車のご案内をいたします。 本列車は、事故大破経由、炎上、地獄行きです。 運転手は不在、車掌は、行方不明です。 では乗客の皆様は、最後まで列車の旅にお付き合いください」 俺たちは、なにかとんでもない異変に呑みこまれている。 俺は叫んだ。 「付き合ってられるかァ~。 出せ~。 降ろせ~!」 しかし俺の手足は、もはやピクリとも動くことはなかった。 美香は俺の首に両腕をまわしたまま、虚ろな瞳で幸せそうに、ゆっくりと、首を左右に振り続けていた。 窓の外には、一筋の光も見えない。 列車は、漆黒の闇の中を、疾走してゆく。 列車は、無明の闇の中を、疾走してゆく。 列車は、さらに速度をあげて、破滅に向かって疾走している。 こんなことは、あり得ない。 いまさらのように、そんな思いが浮かんだ。 (そうだ、こんなことが現実のはずは、無いじゃないか!) 俺は、辺りを見回した。 黒い服を着た、やせこけた男が舌打ちをした。 (ひょっとして、この黒い服の男が、異変を起こしているのか? 異変の元が人の形をしているのか。 ならば、何かできるはずだ) 黒い服の男は、骨ばった手を、蝙蝠傘の柄の上で動かした。 離れた席に積みあがっていたバラバラ死体が動き出した。 俺は、自分の手足を動かしてみた。 動く。体を動かせる。 自分の意志で肉体の動きを操作する、そんな感覚だった。 (ここは、バーチャル空間のようなものなのかな) ここでは、心の在りかたの方が、肉体的な能力よりも優先されているようだ。体から重さが無くなったような感じだった。 (よし、これなら俺のゲーマー能力が発揮できる。これで俺の勝ちが決まったな。根拠のない自信なら、俺は誰にも負けないぜ) バラバラ死体の胴体を中心に、頭と手足が空中に浮かび上がり、人間の形を作った。 (こいつの攻撃パターンは、たぶん、ゾンビアタックだ!) 俺は、学生カバンを構えて、待ち受けた。 予想したとおりだった。 頭が、腕が、脚が、俺めがけて凄まじい速さで襲いかかって来た。 爪や歯が、毒々しい紫色にぬれている。 傷つけられたら、麻痺がおこるに違いない。 俺は、飛んでくる頭と手足を、黒い服の男の方に叩き落とした。 (あれ? 左手がないぞ) 俺は、体をずらしながら、ふり向いた。 予想通り! 背後から左腕が、指を穿通拳の形にして、飛んできていた。 (余裕だぜ!) 俺はカバンで、左腕が飛んでくるコースを、すこし変えた。 左腕は、見事にバラバラ死体の胴体に突き刺さった! 黒い服の男が、馬鹿にしたような口調でいった。 「ほほう、この短時間で、ここまで動くことができるようになっていましたか」 黒い服の男は、蝙蝠傘の柄の上で、手をひるがえした。 前方では、バラバラ死体が、右手で左腕を体から引き抜こうとしている。 後ろで、何かが動く気配がする。 俺は後ろに向き直った。 プロレス男が立ち上がり、俺を羽交い絞めにしようと、両手をあげて、俺に迫っていた。 俺は、プロレス男に指を突きつけて言った。 「優先席に座った時点で、お前はすでに、社会的に死んでいる!」 「ぐわあああああァァァ!」 プロレス男は、両手で頭を抱えて絶叫した。 (おお? 意外と社会的良識が残っていたのだな) プロレス男の口から、サーベルタイガーの牙のような巨大な歯が生えてきた。五本、六本、つぎつぎに生えてくる。口が引き裂かれて広がってゆく。 (社会的に死んだから、人間をやめたのかな。でも、この変身は、冗談ではすまないぞ) ガキン! と牙が打ち鳴らされた。上半身が大きく膨らみ、頭のあったところが巨大な口になった。凶悪な牙がむき出しになっている。 「ゆけ!」 黒い服の男が、命令する。 二人は、俺を挟み撃ちにするように、じりじりと近づいてきた。 プロレス男の動きが鈍い。 いや、元プロレス男、かな? バラバラ死体が、一斉に俺に向かって飛んできた。 俺は、吊り革をつかむと、一気に体を引き上げた。天井に足をつけてバランスを保つ。 (昔から逆上がりは、得意だったのだぜ!) 目標を見失った手足が、俺の下方を通り過ぎて、プロレス男に向かって飛んでゆく。 手足、頭、胴体がすべて通過したのを見定めてから、俺は、シュタッ! と床に降りた。スパイダーマンの真似をして、低い姿勢で、相手に向かって身構えた。 (カッコよく見えたらいいな) 黒い服の男が命じる。 「やれ!」 元プロレス男は、飛んでくるバラバラ死体を捕えて、凶悪な牙のはえた口に、つぎつぎと放りこんでいった。 バキン! ゴキン! ボグン! グシャリ、ジャリ、ジャリ、ジャリ…… 不快な音をたてながら、元プロレス男はバラバラ死体を咀嚼してゆく。 元プロレス男の口の周りに、何本も腕が生えてきた。 やけに長いと思ったら、途中に関節がいくつもある。 (え~と、口の周りに何本も腕の生えたこの姿は……) 「そうだ! ウーパー・ルーパーだ」 (たしか、そんな名前だったな) 黒い服の男が大声をだした。 「ち~が~う~!」 黒い服の男は、俺に傘を突きつけ、にらんで言った。 「こいつはローパー、陸性の肉食イソギンチャクだ!」 「草食系のイソギンチャクもいるのか、知らなかったぜ」 俺のツッコミに、黒い服の男は、言葉につまった。 (ふっ、言葉は深く考えてから口にするものだぜ) そんなことを考えているあいだに、巨大な寸胴のウーパー・ルーパーは、俺に向かって進み始めた。何本もの脚を器用に操り、意外に素早い。 ガチン、ガチン、と牙をぶつけ合っている。 振り回す何本もの腕の先には、毒々しい紫色の手がついている。 (つかまったら、体が麻痺するのだろうな) ウーパー・ルーパーが腕を広げたら、左右の壁、床から天井まで届きそうだ。逃げるのは無理そうだった。 (あんな口に放り込まれるのは、イヤだな) 俺は、優先座席に登った。 (土足であがって、すみません!) 心の中で、手を合わせる。 さらに、荷物棚に手をかけて、ドアを斜めにまたぐように体を引き上げる。 寸胴のウーパー・ルーパーは俺を追いかけてくる。 ドアの上に、「非常用」と書かれたカバーがある。 「この中のハンドルを手前に引けば、すべてのドアが手で開けられます」、そう書かれている。 俺は、「非常用」と書かれたカバーを開けて、レバーを手前に引いた。 ウーパールーパーの腕が俺のすぐそばまで迫っている。 間に合わない。 ドアを手で開けている暇はない。 「開け!」 俺が念じると、突然に優先席の隣のドアが、ガバッ! と開いた。 ウーパー・ルーパーは、ドアから吸い出されてゆく。腕を伸ばして辺りの物をつかもうとするが、うまくつかめないでいる。 (ひょっとして、バラバラ死体の毒で、手がしびれているのかな?) 馬鹿げた考えだったが、案外あたっていそうな気がする。 ウーパー・ルーパーは、とうとう、外に放り出された。 黒い服の男が、アゴが外れそうなほど大きく口をあけ、絶望の表情を浮かべているのが見えた。 「閉じろ!」 レバーを元に戻して俺が念じると、バクン! と、ドアが閉じた。 (ふっ、みだらに車外にでたら危険だぜ) 俺の思いをさえぎるように、黒い服の男が言った。 「ほほう、ここまで周囲を自在に操りますか。お見それしましたよ」 黒い服の男は、分厚いメガネを、やせこけた指の先についた長い爪で直しながら、小馬鹿にしたように言った。 とびっきりの邪悪な笑みを浮かべている。 それから、特攻服の三人に声をかけた。 「お前たちは、なぜ戦わないのだね」 三人は声をそろえて言った。 「し、師匠に刃向うことなど、とてもできません!」 噛むところまで、きれいにそろっていた。 (こいつらは、本当に仲が良いのだなあ) 黒い服の男は、俺に向かって言った。 「私の支配下にあるはずの者たちに、ここまでの干渉をしてのけるとは、あなどれませんね。あなたを対等の相手と認めて差し上げましょう」 一呼吸おいて続ける。 「ところで、あなたがここで活動する力を、どこから得ているのか、気が付いていらっしゃいますか? クックックッ」 美香! 美香は、俺のために命をすり減らし続けている。 それが実感できた。 (でも、なぜ美香が……) 俺は、カマをかけてみた。 「お前が、美香をそそのかしたのだな」 黒い服の男は、あっさりと引っかかった。 「想い人と恋人関係になることが、約束でしたからね。そして、これで約束を守ることができました。ただ今から、この方は、私のものとなります」 (同じクラブの先輩がどんな人か知りたくなった。たぶん、その程度の想いだったのだろう。そこに、文字通り、魔の影が差したのだな) 俺は、黒い服の男に指を突き付けて言った。 「お前は、約束を守っていない。俺はまだ美香の恋人ではないからな」 黒い服の男は、けげんそうに言った。 「……とおっしゃると?」 「俺の恋人になるためには、果たさなければならない条件があるのだよ! 美香は、まだ果たしていない。だから、この約束は不履行なので、クーリング・オフだな」 俺は、自分でもよく分からないことを、自信満々に言ってのけた。 (これが愛の力ってやつだよ) 「驚くべきことに、言葉の上では、まさにその通りですな」 (本当かよ!) 「それでは、約束は無かったことにしてもらうぜ」 「約束は、言葉がすべて、ですからな。よろしいでしょう」 (本当に?) 「ただし、条件があります」 (当然、そうだよな) 「この約束は、ある歌を介して結ばれました。その歌が分かれば、あなたにも約束を無かったことに出来るかもしれませんね」 (歌? たぶん美香の好きな音楽だな。なんだろう) 「無理なことは申しませんよ。歌詞とメロディーを、すこしの間違いもなく再現しろ、などとは申しません。題名でも、曲のサビの部分だけでも、その曲と分かれば結構でございます。ふっふっふっ」 (こいつめ、俺にはできっこないと考えてやがるな!) 考えろ。 美香は、さっき何て言っていた。 「私も、 ~ を聞くのは、大好きです」 美香は、何を聞くのが大好きなんだ? 俺が試合前に聞いているのは、イニシャルDの挿入歌、ハート・ビートだ。歌詞は英語だから、分からない。しかし、あの湧き上がるようなリズムと旋律が、試合前の俺の心を鼓舞してくれる。 うおォォォう、思い出すだけで、燃えてきたぜ! あの時、美香は、何と言っていた。 たしか、美香の唇は、~ ビート、と動いていた。 でも、ハート・ビートが答えでは、俺は答えを前もって聞いていたことになる。 それでは、いくらなんでも簡単すぎる。 こいつの根性は、ネジくれているに違いない。 たぶん、正解ではないだろう。 たぶん、たぶんだが、美香は、「私も、ユーロ・ビートを聞くのは、大好きです」、と言ったのだ。 正解は、きっとユーロ・ビートの曲だ。 でも、ユーロ・ビートの曲と言ったら、一万くらいあるのじゃないだろうか? 考えろ。 美香の選んだ曲は、なんだ。 考えろ。 万に一つの可能性を選び出せ! ふいに、一つの曲のメロディーが思い浮かんだ。 きっと、この曲に違いない! 黒い服の男が言った。 「残念ながら、時間切れのようですね」 美香は、息をしていなかった。 (そんな……) 俺は、美香の頭を持ち上げて、耳元で叫んだ。 「うわあァァ! これじゃあ、俺のチンチンとキンタマが丸見えになってしまうぞ!」 美香の手が、ピクリと動いた。 大きく息が吸いこまれる。 (しめた。まだ、間に合う!) 俺は、英語の歌詞を、できるだけ正確に思い浮かべながら、競技場なら隅々にまで届きそうな大声で歌った。 Welcome to the music and アイ、コントロール ザ ミュージック、 kingdom of rock キンタマ 振ろう (I’ll) take you away babe テイク ユウ オール ベイビー Welcome to the pleasure and アイ、コントロール ザ プレジャー、 kingdome of rock キンタマ 振ろうッて! Do you wanna be mine? ドゥ ユゥ ウォント ビィ バッ~ク? ……だったかな? 俺は、音楽を支配している…… お前の全てをいただくぜ 俺は、快楽を支配している…… バックからが欲しいかい? サビの部分には音程の変化が、あまりない。 さいわい、俺にはリズム感があった。 だから、歌を再現するのは難しくなかった。 しかも、中学で習う単語ばかりだ。 ちょっとは違うかもしれない。 だが、間違いなくこの曲だと分かるように歌えた。 確信がある。 しかも、翻訳だけなら完璧だった! 光の帯が現われた。 神々しい金色の光が美香を包んでゆく。 美香は、吐息をもらした。 (やった!) 美香が、ゆっくりと立ち上がる。 その体を金色の帯が、取り巻いている。 しかし、美香の体を黒い霧が、クサリのように縛っていた。 (まだ、呪縛は完全には解けていないのだな。 でも、なんとかしてみせる!) 俺は格好をつけて、決意を言葉にしてみた。 「かならず何とかしてみせる。なぜなら、二人の心が奏でるのは、同じ情熱の鼓動、だからだ!」 「な、なぜだ~! なぜ貴様ごときが、この歌詞に気がつくと言うのだ!」 俺は、黒い服の男を指さして言い放った。 「現役高校生のエロ・パワーを甘く見るなよ」 (間違えた! 愛の力を、だった) 「そうだったのか。上品な私の支配の元にありながら、下品な下ネタが満載だったのは、干渉されていたためだったのか」 「そんなことはない。下ネタ満載は、ゲスなお前にふさわしいぜ」 美香を縛っていた黒いクサリが砕けて消えてゆく。 美香をつつむ光が輝きを増した。 そして、美香は、うるんだ瞳を開いた。 駆け寄って俺に抱きつく。 おい、おい、そんなに強く抱きついたら痛いぜ。 「利行さん、よくキャッツ・アイの英語歌詞を知っていたわね」 (キャッツ・アイの英語歌詞? なんじゃ? それは) 「え? 知らねえよ。なんかカッコよさそうな言葉を言ってみただけ」 黒い服の男が、憤然として言った。 「偶然だと? 偶然なら、正解したことにはならぬぞ!」 俺は、黒い服の男に指を突き付けて言った。 「これは偶然ではないぞ。有りえないような偶然がかさなれば、人はこれを奇跡と言うのだ」 「奇跡だと! そんなことは認めぬ」 美香が歌うように言った。 「有りえないような偶然が連鎖したら、たぶん運命というのではないかしら」 黒い服の男は、絶叫した。 「有り得ぬ、有り得ぬ、有り得ぬ! そんなことは、認めぬぞ!」 俺は、できるだけ勝ち誇っているように聞こえるように言った。 「認める以外に選択肢は無いぜ。俺は、正しい言葉を口にしたのだから」 俺は、ふたたび黒い服の男を指さして、断言する。 「約束は、言葉がすべてだ! 約束を無かったことにするのも、言葉がすべてなのさ」 「なぜだ。なぜなのだ。この娘をアイドルとしてデビューさせ、東京ドームの公演で大事故をおこして、数万人の若者をわが手にする。そのはずだったのだ。我が遠大な計画が、こんな所で終わることなど、断じて認めぬぞ~!」 黒い服の男は、絶叫を残して、黒い霧となって空中に溶けていった。 勝った! でも、これは美香のおかげだ。 先輩にたいして抱いた淡い恋心と、文学少女の並外れた妄想力は、とてつもないパワーで、俺を後押ししてくれた。 俺がヒーローだったのではない。 ヒーローと恋をしたい。 そう願った美香の想いが、俺をヒーローにしてくれたのだ。 だいたい俺に、一万曲の中から迷わずに正しい一曲を選びだしたり、知らない英語歌詞を言えるわけが無いだろう。 あれは、美香が俺に言わせたのだ。 俺は、美香の肩を叩きながら言った。 「本当に良かった。でも、神々しい金色の帯が美香を包んで、美香が吐息をもらしたときに、俺は美香を救えた! と確信できていたよ」 美香は、汚らわしいモノを見るような目つきになって俺を見た。 「ええ? 交合し、キンタマ色を帯びた、ですって? いやらしい!」 俺は、あわてて否定した。 「言ってない、言ってない! 神々しい金色の帯、こうごうしい、こんじきの、と言ったのだぜ!」 「なんだ、期待させないでよ」 「何を期待してるのだよ!」 突然に、電車の中に騒音が戻ってきた。 凄まじいブレーキ音が金切り声をあげる。 俺は、美香をかかえて、座席に倒れ込んだ。 直後に、電車が垂直近くまで跳ね上がった。 それから、大きく斜めになって止まった。 凄まじい衝撃は、座席のクッションが受け止めてくれた。 「事故のつぎは、炎上して地獄ゆきのはずだ。急いで外に出ようぜ!」 ドアをこじあけて、外に飛び出した。 (うわ!) 電車のドアから地面までは、予想外に高かった。 なんとか捻挫をせずに着地できた。 (うん?) 後から飛び降りてくる人数は、一人ではなかった。 「お前らも無事だったのか」 特攻服の三人組だった。 「師匠、地獄の底までついてゆきますぜ」 「かまわないけど、インキンをちゃんと治してからついてこいよ」 「な、なぜ、分かったのですか。さすが師匠だ!」 (やれ、やれ、三人ともインキン持ちかよ。まあ、こんな暑苦しい服をきてたら、そうなるよな) 「師匠は、服を透して俺たちの股間が視えるのか!」 (そんなわけは、ないだろう) 三人は、股間を守るように内股になって歩きながら、俺たちの後から付いてきた。 ぼそぼそとしたつぶやきが、切れ切れに聞える。 「……あの美乳は、バストづくりをしてるのかな」 「美しすぎる形だよなァ」 「師匠なら、視えるのにな」 (凄いな、お前ら。服の上からバストの形が分かるのかよ) 「バストづくりをしてるか、師匠に聞いてみるか?」 「馬鹿野郎ゥ! 師匠の恋人だぞ。そんなことを聞けるわけが無いだろうが」 (だから、俺には視えてないって!) ならんで歩く美香が、誇らしそうに胸を張ったような気がした。 俺たちの背後では、折れ重なった車体が、激しい炎につつまれていった。 夜空に舞いあがってゆく無数の火の粉は、炎で浄化された魂が、天をめざして昇っていくように見えた。 しばらく歩くと、駅のホームに着いた。 暗くて、上がる場所が分からないでいたら、駅員さんが気が付いて、俺たちを引き上げてくれた。 ホームって、ずいぶん高いのだなァ。 助かったよ。 俺だけなら自力で登れたが、美香は助けがないと、悲惨なことになりそうだったから。 興味津々に見てる三人組が後ろにいたからな。 俺たちは駅員さんにお礼を言って、ホームを後にした。 特攻服の三人は、階段の上で最敬礼をしながら、俺たちに別れを告げた。 それから、階段を降りて、北通路にでた。 立ち止まって、聞いてみる。 「美香の家は、どっちの方なんだ?」 美香は、ハッとしたように、視線をあげた。 すこし恥ずかしそうに、俺を見つめる。 可憐だった。 「東口、です……」 美香は、そよ風が吹くようにささやいた。 俺たちは、東口の改札を出た。 (あれ? 精算が必要なはずだったけれど、そのまま通り抜けちゃったよ。ああ、事故だからフリーパスなのだな) 遠くでサイレンの鳴る音が、いくつも聞こえる。 遠くのビルの壁に、回転する赤い光が反射している。 美香は、横断歩道の手前でふいに立ち止まった。 かすかに頬を染めて、うつむいている。 純真無垢という言葉がそのまま当てはまりそうに思えた。 それから美香は、真剣な表情になって、俺に言った。 「あなたの恋人になるためには、果たさなければならない条件があるのですよね。私は、まだ果たしていない。だから、……」 美香は、清純な乙女の瞳で、……俺の股間をガン見していやがった! (そうだ、こいつは俺のチンチンとキンタマを見たいという願望だけで、死からよみがえったのだった) 美香は俺を見つめて、爽やかにほほ笑んだ。 「だめだ、だめだ、だめだ!」 俺は、あわてて言った。 「人前でチンチンとキンタマを見せても犯罪にならないのは、赤ん坊だけだぞ!」 美香の瞳が、赤信号の光を反射して、真紅の光を放った。 「赤ちゃんなら、良いのね」 美香は、うれしそうに言った。 気がついた時には、もう遅かった。 俺は、盛大に自らの墓穴を掘ってしまっていた。 (本当に、言葉は深く考えてから口にしないといけないなあ) この墓穴は、まっすぐに俺の人生の墓場にむかっている、そんな気がした。 <エンドロール> 都会(まち)はきらめく パッション・フルーツ We’er in the city of passion fruit (私たちのいる都市は、情熱の果実) ウインクしている エヴリィ ナイト As red and sour is our everynight (その紅さと酸味は、私たちの毎夜と同じ) グラスの中の パッション ビート Two hearts in one on a passion beat (二人の心が奏でるのは、同じ情熱の鼓動) 一口だけで フォーリン ラヴ An wink or two, then you fall in love (ウインク 一つか、二つで、あなたは 恋に落ちる) ………… ………… ………… ウィー ゲッチユウ… we get you . . . あなたを虜(とりこ)にするわ…… ミステリアス ガール Mysterious girl 神秘的な少女 ウィー ゲッチユウ… we get you . . . あなたを、虜にするわ…… ミステリアス ガール Mysterious girl 謎めいた、少女 (アニメ主題歌「キャッツ・アイ」) |
朱鷺(とき) 2019年08月09日 19時24分08秒 公開 ■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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