生存戦略ブラッティクリスマス

Rev.04 枚数: 100 枚( 39,669 文字)

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 女子出席番号:名前

 1:青墓学(あおはかまなぶ)
 2:赤嶺夕夏(あかみねゆうか)
 3:黄地姫子(おうじひめこ)
 4:黒羽根美輝(くろばねみき)
 5:白石アキラ(しらいしあきら)
 6:灰谷聖歌(はいたにせいか)
 7:灰谷望(はいたにのぞみ)
 8:緑川しのぶ(みどりかわしのぶ)
 9:桃園野乃花(ももぞのののか)

 ……残り9人

 〇

 注意:グロいよ。

 〇

 ブラッティサンタクロースなんて噂話がある。十二月二十四日、悪魔であるそのサンタに祈りを捧げることで、命と引き換えにどんな願いでもかなえられるのだとか、なんだとか。
 そんなくだらなくてオチのない怪談話を持って来たのは、小学校の一年生から六年間ずっと一緒のクラスメイトの黒羽根美輝っていう女の子で、クロバネゴキブリなんて可哀そうなあだ名を大っぴらに付けられているすっとろい子だった。
 黒羽根はそんな低学年の子がするような噂を信じちゃうくらいに子供っぽい子で、養護学級に通っていてアトピーが酷くて手足が太くて背が低く、いつも垂らしている鼻水を平気で制服の袖で拭いてしまう。服の袖にはカピカピに乾いた鼻水がいつもキラキラ光っていて、当然のように不潔がられているものだから、触ると黒羽根菌に感染してしまい誰かにタッチして誰かに移さなければならないというルールが出来上がっている。
 もちろん小学校の六年生にもなって……というより何歳だろうと、そんな菌遊びを本気にしてやっている子はいない。けれど実際問題として、黒羽根に触ってそのままでいると回りのクラスメイトに避けられるし、からかわれるし、下手をすればこっちまでいじめの標的にされかねない。よってたいていのクラスメイトは黒羽根を避けて除け者にする習慣をつけていた。
 もちろんあたしもできることならそうしていたい。いじめっ子に目を付けられたくないっていうのもあるけれど、あたし自身黒羽根を不快に感じるのも理由の一つだ。いつも鉛筆とか消しゴムとか何かしらそこらにあるものを口に入れて舐めているし、平気で鼻糞をほじってそれを食べるし、お気に入りのペンケースを家に忘れただとか些細なことで喚いて騒ぎ、泣きじゃくっては教師や周囲に迷惑をかける。
 でもそんな黒羽根から距離を置いておけない理由があたしにはあって、それはというのも、あたしの年子の姉でクラスメイトの灰谷聖歌が、妙に黒羽根を気にかけて構うからだ。
 四月産まれの聖歌は三月生まれのあたしと同じ学年で、人も子供も少ない地域に産まれたばかりに学年に一クラスしかなかったので、家でも学校でもいつも一緒だった。
 聖歌は手足が白くて細長くてひょろっとした感じの子で、身長だって百六十センチ近くあって、身内のひいき目抜きにしても綺麗な女の子だった。鼻筋が通っていてすっきりした頬の輪郭をしていて、大きな垂れ目や太めの眉の方はおっとりした印象を人に与えた。
 気性は穏やかでのんびりしているというかぼーっとしていて、黒羽根に巻き込まれていじめっ子にちょっかいを出されても怒らず曖昧に微笑むだけの根性無しで、その癖変な強情さで周りになんと言われようが頼りない黒羽根の面倒を見る。
 家が近かったので黒羽根と聖歌とあたしと三人は幼い頃から良く一緒に遊んでいた。妹のあたしと何かと頼りない黒羽根の二人を従えて、聖歌は優しいお姉さんのようだった。ちょっとしたことでぐずって泣き出しわがままを言う黒羽根を忍耐強く宥め、どんな無茶な願い事でも可能な限り叶えてやり、鼻を垂らせばティッシュを出してやる。そういうことをして大人から褒められるのが好きな性格で、妹のあたしにも何かと世話を焼きたがった。
 あたし自身人見知りをする性格だったので小学校に上がってからも姉にべったりで、聖歌はそんなあたしに優しくしてはくれたけど、格段に頼れる姉という訳でもなかった。聖歌はあたしを黒羽根へのいじめに巻き込まない為に彼女を切り捨てることも、じめっ子から黒羽根を守ことも、どちらもできないままでいた。面倒でお荷物な黒羽根をただただ無思慮に抱え込むばかりで、そこから生じるあらゆるデメリットを一切考えてはくれず、そのことがあたしにとって不満でならなかった。
 子供社会における地位は仲良くしている友達の質で決まる。一緒にいて楽しい人や一緒にいて舐められない人とは誰もが一緒にいたがるし、それは楽しい人や舐められない人本人にとってもそうなので、ランクの高い人間はランクの高い人間同士ちゃっちゃとつるんでしまうのだ。これがAグループを形成する。あぶれた者の中でマシな者はマシな者同士でつるんでこれがBグループ。そして黒羽根を擁するあたし達Cグループは、何かと貧乏くじを引かされる。掃除場所も係活動も面倒なものばかりが回って来るし、何か決めごとをする時に意見が通ることはほとんどなく、舐められてバカにされて肩身の狭い思いをする。
 聖歌は綺麗な子だし多分性格だって良いし、黒羽根のことさえ何とかしてしまえばもっとまともなグループにいられると思うのだ。そうすれば聖歌と一緒にいるあたしの地位だって上がるというものだ。そういうことを聖歌に不平としてぶつけてみると、聖歌は曖昧な微笑みを浮かべて困った妹をなだめるように言う。
 「でもわたし、美輝ちゃんのことイジメてるような人達の仲間になりたくないよ。それにのんちゃんの言うカーストっていうのわたしにはちょっと良く分かんないんだけど、でももしもミキちゃんいなかったとしても、わたし達今みたいな感じだった気がするな」
 「そんなことないって。絶対黒羽根が脚引っ張ってるって」
 「でもねのんちゃん。あなたの言うAグループの人って黄地さんとか赤嶺さんとか緑川さんとかあの人達でしょう? あの人達と仲良くできるか、したいかって言ったら、のんちゃんそんなことないんじゃないかな? のんちゃん優しいからあの人達みたいないじめっ子にはなれないと思うし、そもそものんちゃん自身ああいう派手な人は苦手じゃない?」
 「お姉ちゃんがもっとしっかりしとけばあの辺にだって舐められないんだよ」
 「ごめんねのんちゃん。だけどわたしがどうにかできるのって今年の三月までで、来年から中学生になったらわたし達きっとクラス別れるよ。そしたらさ、のんちゃん、一人じゃない。その、だから……」
 なんて言いにくそうにし出すので、それが気に障ってあたしは「ウッザ」と毒づいて話を終わらせる。聖歌はあたしの機嫌をとるように肩に手をやってごめんごめん言い出すんだけど、あたしは口をとがらせて床を眺めるだけで返事なんて何もしてやんない。
 でも分かっている。
 一番頼りないのはあたしだし、聖歌が伝えたがっているように、悪いことを黒羽根の所為にする前に、あたし自身がもっとしっかりしなくちゃいけないのだ。
 聖歌は性格が良いからきっと中学になっても友達ができる。でも聖歌にべったりで聖歌になんとかしてもらって来たあたしはきっと、一人で中学校の教室に放り出されて何かとつらい思いをする羽目になる。孤立するかもしれないし、黒羽根のようにいじめられるかもしれない。
 学校の教室は社会の縮図で、AグループだとかBグループだとかいうのは、大人にとっての働く企業なんかにあてはめることができると思う。良い人材は良い企業が独占してしまうし、そうでない企業は余った人間で何とかしていくしかない。そこでも余った人間は多分、学校の教室における黒羽根みたいに、誰からも軽んじられて見捨てられて踏みにじられてしまう。結婚相手も大学も何もかもがそうで、勉強も運動もダメで姉以外の友達がいないようなあたしには、このままでは落ちぶれ続ける人生が待っているようなそんな気もする。
 気が付けばそんなネガティブなことを考えていて、それを聖歌や両親に相談してみる。「まだ小学生なのに」と笑われて宥めてもらえはするが、それでは根本的解決になりはしない。
 「大丈夫だよのんちゃん。もしもの時は、お姉ちゃんができる限り助けてあげる」
 なんて言い出す聖歌自身も、正直能力的にはあたしとそんなレベル変わらないしあちこち隙だらけであんま頼りにはならないんだよなあと、そんなことは考えるだけで口には出さない。
 世話好きで人に甘いから、悪い男に騙されて苦労しそうだ、なんて、小六にもなればそんな言い回しを思いつけたりもする。

 〇

 まあでも実際問題あたしは今はまだ小学生で、六年生の十二月現在、小学校生活は後三か月少し残っている。黒羽根はキモいけど、あたし自身がいじめられるという訳でもないから我慢はできるし、ものすごく幸福な訳でなくともなんとか我慢してやっては行ける。
 それでも嫌なことがない訳じゃなくて……冬休み前の最後の登校日、学校から帰ろうと聖歌と黒羽根と三人で中庭を抜けていた時に、黄地と赤嶺と緑川の三人組に絡まれる。
 「ゲーセン行くから金貸して」
 だとか言い出すリーダー格の黄地に驚いて、黒羽根が止せば良いのにその場を逃げようとその場を走り出す。太っちょな両足をバタバタと動かして不格好に逃げ出した黒羽根を、黄地は嬉々として追って行く。その動きは逃げる背中を見ると本能的に追い回したくなる獣そのものだ。
 黄地姫子は男子を含むクラスで一番背が高くて百六十センチを超えていて、金色に染めた単発を持っていて精悍な顔立ちをしているから、下手な男子より迫力がある。陸上で県の記録を持っている程運動神経が良くて、でぶの黒羽根になんて一瞬で追いついてすぐに壁際に追い詰めてしまう。
 壁の隅に追い詰めた黒羽根がなんとか抜け出そうとするのを、黄地はちょろちょろ動いて「オーェ!」とか「エーィ!」とかアタマの悪そうな声を発しながら威圧して泣かせて面白がっている。男子みたいな下品ないじめ方を男子よりも手ひどく行うのが黄地の特徴だ。
 その様子を太鼓持ちの赤嶺がけらけら笑いながら後ろで見ていて、他二人と比べたら落ち着いた性格の緑川が長い髪を弄いながらこっちを見詰めて一言。
 「友達なんだから助けてあげたら?」
 いじめっ子の一味であるこいつが言っても詭弁そのものだ。緑川しのぶは長い黒髪を誰よりも良く梳いていて、制服には埃一つ皺一つなく所作の一つ一つが落ち着いている。黄地と聖歌に次いでクラスで三番目に背が高くて、青墓ってがり勉に次いで二番目に頭が良い。大人には優等生ぶっていて級長なんかやってるが実際はものすごい皮肉屋でサドで、黄地のグループでは物言う二番手って感じの位置にいる。
 「見てるだけなのもイジメと一緒なんだよー」
 緑川は頬を捻じ曲げてそんな風に聖歌に絡む。聖歌は「あはは」といつもの曖昧な微笑みを張り付けるばかりだ。どうにか場が収まるのを待っているらしい。正しい判断。聖歌は黒羽根の味方をしているしいじめのことだって嫌っているが、この三人に逆らってもムダだということも知っている。
 黄地は「出せよ財布。おまえん家金持ちなんだから良いだろちょっとくらい」だとか言いながら黒羽根のランドセルを奪い、それを手下の赤嶺に投げてしまう。黒羽根が「待って待ってそれミキちゃんの! ミキちゃんの!」と甘えた声で駆け寄るが、示し合わせたように赤嶺はそれを黄地に投げ渡す。
 「えい」「えい」「えいっ」
 ってな感じで赤嶺と黄地がランドセルでキャッチボールをするのを、黒羽根が何とか取り戻そうとちょろちょろ泣きながら追いかける。どうせ奪い返すことなんてできないのだから、向こうが飽きるまでテキトウに付き合う振りをすれば良いものを、黒羽根はアホだから本気で取り戻そうとあちこち弄ばれて何度も転ぶ。
 「きゃははー。バカじゃん」
 言いながら赤嶺は黒羽根に向けて砂を蹴りつける。赤嶺は黄地の手下って感じの付和雷同な子で、背はクラスで一番低くて百三十センチの前半とかで、身体も痩せていてきゃんきゃんとした声で喋る。黄地とかと一緒にいる時は虎の威を借る狐って感じで特に元気で、今も黄地と一緒にランドセルをキャッチボールしながら嬉しそうな声で黒羽根を罵っている。
 しかし悲惨だ。
 自分がやられているのでないにしても見ていて楽しい光景じゃない。とっとと終わって欲しいところだ。黒羽根はキモいし好きじゃないけど、この光景を見ていれば同情心も沸く。後で姉と一緒に黒羽根を慰めてあげることを自然と考えられるくらいだ。
 だがそんな風に傍観者を気取っていられたのはそこまでだった。
 「ちょっと、ねぇ。ヒメコちゃん、こっち」
 言って、緑川が両手を開いて黄地に合図をする。気付いた黄地が「えい」と笑いながら緑川にランドセルを投げると、緑川は受け取ったそれをあろうことかあたしに向けて投げつけて来た。
 ……は?
 と思いながらもつい受け取ってしまったあたしに、緑川は嗜虐的な笑みを浮かべて言う。
 「どっちに渡す? ねぇ、どっちの味方?」
 見れば「こっちこっちそれミキちゃんの!」と騒いでいる黒羽根と、「裏切んなよ、裏切ったらどうなるか分かってんだろうな」と威圧する黄地とが、それぞれ両手を開いてこちらに合図している。緑川はうっとりした表情であたしの方を見て嬉しそうにしている。
 これは困った。
 緑川はこういうイジメ方をする奴なんだ。しかしいくら黒羽根がキモくてもイジメに加わるのは後味が悪い。っていうか後から『どうしてミキちゃん裏切ったの? ねぇ、どうして!』なんて具合に、顔を真っ赤にした黒羽根に詰め寄られるのがすごく嫌だ。
 かと言ってここで黄地達三人組に背いて自分がイジメの対象にされるのも厄介だ。財布の中には冬休み用の小遣いの三千二百七十円が入っていて、黄地は『裏切った慰謝料』と称してそれをあたしから取り立てるくらいのことはする。
 どうしよう。
 「も、もうやめてよー」そこで聖歌が上ずった声でそう言って、あたしからランドセルをひょいと持ち上げる。「のんちゃん困ってるじゃーん。ねーぇ」
 くねくねした声で言いながら、聖歌はランドセルを返そうと黒羽根の方へと歩いて行く。
 助かった。つか助けてもらった。普段すっとろい聖歌だけれど、時々はこうして役にも立つ。
 あたしはほっとしたがそれは間違いで、ランドセルを手渡す前に聖歌は黄地に脚をかけられて転ばされてしまう。
 「ごめん脚が滑った」
 とか言う黄地が転んだ聖歌からランドセルを奪い取ってあたしに投げる。
 黒羽根は自分を助けようとした聖歌を助け起こそうともせずに、自分のランドセルを目指してあたしの方へ走って来る。ニヤニヤとした緑川の視線。「裏切ったらまた聖歌に向けて脚が滑るかもしれないよ」とかいう黄地の三文の脅し文句。諦めた様子で立ち上がりスカートから砂埃を払う聖歌が吐いた一つの溜息。
 「あーもう」
 結局、あたしは黒羽根を裏切って黄地に向けてランドセルを投げた。
 「うっわひっどーい」なんて緑川はけたけた笑っていて本当に嬉しそうにしている。自分の狙い通りに事が進んで喜んでいるのだ。正直こいつが一番怖い。
 「ほらっ。またこっち寄越せ」黄地ははしゃいだ様子でランドセルを受け取ってこっちに投げ返す。
 「仲間だもんなぁ。望はクロバネゴキブリじゃなくてあたしらの仲間だもんなあ。ゴキブリいじめんの、楽しいなあ」
 なんて言いながら黄地はあたしとキャッチボールを始める。これはもう黄地達が満足するまで付き合うしかなさそうだな……なんて思いながらランドセルを投げていると、鼓膜が裂けるような甲高い音が聞こえて来た。
 「どおしてぇええ!」黒羽根だ。顔を真っ赤にして涙と鼻水でずるずるにした顔で、こちらに詰め寄って来ている。「どおしてミキちゃん裏切るの? 友達じゃないの? ねえ、どうしてっ?」
 あたしはその剣幕に怯えて固まるしかない。緑川は愉快でたまらないと言った表情でこっちを見て腹を抱えて笑っているし、黄地とか赤嶺は手を叩いてあたし達の様子をはやし立てている。
 「返してよ! ミキちゃんのランドセル、返してよ!」
 うっさいな!
 こっちだって好きでやってんじゃないんだよ。あんたがそうやって興奮して反応すればするほど向こうだって面白がるんだよ。テキトウに合わせて向こうが飽きるまで待ってりゃ良いものをさ、なんでわざわざあたしに詰め寄って内輪もめして向こうを楽しませんの? バカじゃない?
 なんて思うと普段こいつにかけられている迷惑を思い出しては、あたしは思わずかっとなった。
 「あんたがバカでキショいからだよ!」
 今までずっと言いたくて黙っていたことをつい口に出してしまった。そして怒りに任せて持っていたランドセルをやみくもに放り投げる。
 ばしゃんという音がして、宙を舞った赤いランドセルが中庭の池の中へと落ちる。『友情の池』と銘打たれた池に着地したランドセルの蓋が開いて、中からいろんな人にボロボロにされた教科書やノートの類が散らばって池に浮いた。
 「ああっ、あ、ああっ!」 
 そう言って黒羽根は池の方へと走っていき、足りていない子特有の躊躇の無さでざぶざぶと冬の池の中へと入って行った。
 「ああぁん! あぁん! ああぁああん!」
 泣きじゃくりながら教科書やノートを拾い集める黒羽根を見ながら、「えぐいなあ」と緑川が肩を竦める。
 「ヤバいよヒメコちゃん、しのぶちゃん」そこで取り巻きの赤嶺が急に騒ぎ出した。「なんか、向こうから先生来てるって」
 「マジ? じゃあ、ずらかろう」黄地がそう言って黒羽根の方を見る。「チクんなよ?」
 「大丈夫だよ。一番ひどいことしたの望ちゃんなんだから」
 緑川が笑いながらそう言って、三人組はその場を離れていく。
 忌々しいが緑川の言う通りだ。一番酷いことをして一番怒られるのは他でもないあたし自身だ。先生が来るのが本当なのだとすれば、他の二人を連れてとっととこの場を離れなくちゃいけない。
 あたしは黒羽根と聖歌の方へと駆け寄った。聖歌は自分も池の中へ入って黒羽根と一緒に教科書やノートを拾い集めてやっている。
 「しょうがなかったんだよ」あたしはつい言い訳の言葉を口にした。「調子合わせとかないとあたしもいじめられるしさ……」
 黒羽根はあたしと目を合わせようとせず、泣きじゃくった顔でただざぶざぶやっていた。
 怒っている。
 「許してあげて美輝ちゃん」聖歌が諭すように黒羽根に言う。「のんちゃんも良くはなかったけどさ、一番悪いのはあの三人でしょう?」
 黒羽根は涙をぬぐうばかりで何も答えなかった。

 〇

 泣きじゃくる黒羽根をなだめる聖歌の後ろを、あたしは地面を見詰めながら歩いた。罪滅ぼしの体裁を取り繕うべくあたしも池の中へと入った為に下半身がずぶ濡れで、真冬の風に煽られてがたがたと全身が震えた。
 黒羽根と別れて家に帰ると、聖歌は「のんちゃんはヒーター付けてあったまってて」と告げて自分は風呂を溜めに行く。
 あたしが言われたとおりにしていると、しばらくしてホットミルクを持った聖歌があたしの前に現れた。
 「はいこれ」
 「うんありがと」
 「せっかく冬休みなのになんかブルーになっちゃったね」
 「……うん」
 「あのねのんちゃん。ミキちゃんにも言ったけど、一番悪いのはのんちゃんじゃなくてあの三人だからね。のんちゃん、なんかわーってなっちゃってたし、ランドセル池に投げたのもわざとじゃないんでしょう?」
 そうだっただろうか? 『こんな奴のランドセルどこへでも行ってしまえ』とかそのくらいの気持ちがあった気がするし、その『どこへでも』の範囲には真冬の池とかそれよりもっと酷い場所も含まれていたと思う。そういう意味では、あの行動と結果はあたしの望み通りでしかなかったんじゃないだろうか?
 「きっと許してもらえるよ」言って聖歌はあたしの頭を撫でた。「のんちゃんずっとミキちゃんの味方だったんだから。温まって着替えたらミキちゃんの家に一緒に謝りに行こうよ」
 そうするべきなんだろうか? 
 黒羽根はどんくさいしその所為でいじめられるし、あいつへのいじめに巻き込まれるのは今日が初めてじゃない。けれどそれは黒羽根が悪い訳じゃなくて黒羽根をいじめるあの三人組が悪いのだ。黒羽根を恨むのは筋違いだし、間違った行動はちゃんと謝罪しないといけない。
 「今日はいい」
 それでもあたしはそう言った。単純に、黒羽根と顔を合わせる気力がなかった。
 「……そっか」
 「うん。ごめん」
 「ううん、ううん。仕方がないよ。緑川さんにランドセル投げられたのがわたしだったとしても、ちゃんと正しい行動を取れたかどうか分かんないしさ。今日はゆっくり休んで、謝るのはまた今度にしよう」
 なんて掛け値なく優しいことを言って、今度は風呂を止めるべくヒーターの傍から離れていく。それで多分あたしに先に風呂に入らせてくれるんだろうし、そう言えばホットミルクだって持って来たのは一人分だ。
 聖歌は優しい。
 いじめっ子と戦えるような頼りがいはないにしても、ああいう献身的な気遣いは本物で、黒羽根が懐いて頼るのも無理はないと思う。それを無限に受け入れ続けたが為に教室では『黒羽根係り』にされて、何かと面倒を押し付けられていてでも嫌な顔一つしたことがない。
 「のんちゃん」
 声をかけられ、あたしは振り返る。
 聖歌の手には、一枚の封筒が握られていた。
 「今年も来てるよ。クリスマス会のお手紙。のんちゃん、行くよね?」
 あたしはぼんやりした顔でそれをじっと覗いた後で、ちょんと頷く。
 「じゃあその日に一緒に謝ろっか」
 どうもそういうことになるらしい。あたしが頷くと、聖歌は満足そうに笑った。

 〇

 黒羽根の家は地域で一番の金持ちで、議員の一家で地主の家系で、毎年十二月二十四日になると、娘のクラスメイトの女子を家に招いてパーティを催す。
 豪華な料理と素敵なプレゼントが出て子供同士集まってはしゃぐことができる。特にプレゼントがすごくて帰りに一人に一つずつ渡される綺麗な箱の中には、最新のゲーム機なんかが平気で入っているので、欠席するものはほぼおらず多くの場合クラスメイトの女子九人が全員集まった。
 パーティは九時に始まり五時に終わる。冬休みにしては早起きしたあたしは、姉と並びあって黒羽根の家を目指して歩いていた。
 「おはよう。聖歌ちゃん、望ちゃん」
 なんて声をかけて来るのはクラスメイトの白石アキラで、歌謡教室に通っていてピアノも弾ける女の子だ。色素の薄い目と髪をしていて良く通る声をしていて、自分に音楽の才能があると信じて疑わないようで、それを鼻にかけたような態度を取る。
 「おはよう白石さん」
 挨拶を返す聖歌。白石の後ろには青墓と桃園がいるけれどこの二人はあたし達にいちいち挨拶するような奴じゃない。白石と合わせていわゆるBグループの人間なのだけれど、青墓は誰にでも不愛想だし桃園は挨拶とかそういうことに無神経だ。
 「ねえ聞いて。私、こないだ開かれた歌謡コンクールで入賞したの」白石は何度目か分からない自慢話をする。
 「知ってるよー。歌ってるとこラインで送ってくれたもんね。声綺麗で羨ましぃ」
 これも毎回同じ返事なんだけど聖歌はいつだってこのトーンで相手してやっている。こいつの言う『こないだ』っていうのはもう何か月か前のことだし、本当の意味で『こないだ』行われたもっと大きな大会の方では箸にも棒にもかからなかったようだけれど、そんなことをいちいち指摘するような性格を聖歌はしていない。
 白石はいつもつるんでいる二人の友人ではぞんざいにしか聞いてくれないだろう自慢話(カラオケで何点取ったとか歌謡教室で先生に褒められたとか)をひとしきり聖歌に聞かせた後で、「なんで聖歌ちゃんって黒羽根なんかと仲良くしてるの?」と首を傾げた。
 「普通に性格良いのにねぇ。無視しちゃえば良いんじゃない? そしたらさ、私ら聖歌のことは普通に好きだし仲間に入れてあげるよ」
 聖歌は曖昧に笑って答える。
 「美輝ちゃん結構良い子だよ。妹が二人いるみたいで可愛いし」
 聖歌のこの言葉が本物の妹であるあたしにはどうにも気に入らない。
 「まあほなけどもう三か月くらいやん、ウチらが一緒のクラスなんって」
 桃園がそこで口を出した。両親が地方の人らしくって独特の訛りのある女の子で、それを直そうともしないで自分のキャラ作りに使ってしまっている。大きな瓶底眼鏡が特徴的で、Aグループの三バカに負けないくらいに声がでかくて気も強い方なのだが、黄地や緑川とは気が合わないようで、教室ではBグループの中心という位置にいる。
 「僕に至っては皆さんと同じ学校に通うのも今年で最後ですよ」
 そう言ったのは青墓学で、小柄なショートボブの女の子で二宮金次郎のように本を読みながら歩いている。何が面白いのかいつだって参考書を持ち歩いてちまちま読んでいて、教室でも勉強ばかりしているのでテストでは当然のようにいつも満点。何の自己主張か自分を『僕』と呼び敬語を使うが、そのことをなじられたりからかわれても『バカは相手にしていられない』という態度を取り続けることができる当たり、割と肝が据わっているのかもしれない。
 「中学から名門の私立に通うんがもう内定しとるんやってな。流石がり勉」
 「がり勉なんて陳腐な蔑称で能力のある人間を貶めるのはただの僻みですよね」
 「ホンマに能力のある人間ならそのくらいの悪口でいちいち怒らんで」
 「腹を立ててるのではありません。ただ指摘をしただけです」
 「ああいえばこういうやっちゃな」
 黄地、緑川、赤嶺のいじめっ子三人がAグループ、そしてここにいる白石、桃園、青墓の三人がBグループで、それぞれ教室で徒党を組んでいる。そして残るあたし達姉妹と黒羽根を合わせたのがCグループという感じで、あたし達クラスは六年間やって来た。
 「でも黒羽根も変な子よね。聖歌ちゃんとか望ちゃんや、せめて私たちあたりまではともかくとして、どうして自分をいじめて来る黄地あたりまでパーティに呼ぶのかしら」と白石。
 「親が勝手に呼ぶらしいで。パパが議員さんなんやろ? 子供を接待して得票アップを狙っとるんちゃうん? たっかいプレゼントまで用意して、ご苦労なことや」と桃園。
 「僕は正直、プレゼントの箱に入っているような遊び道具に興味はありませんし、時間の無駄だから行きたくないんですけどね。ただ僕の親が黒羽根さんの親の専属弁護士という縁もあって、行かねばならないのが面倒なところです」と青墓。
 「そんなこと言うて自分、黒羽根の屋敷出たら真っ先に嬉しそうな顔でチョコレートの包み開ける癖に。親が厳しいてお菓子なんて持って帰っても食べさしてくれんからって、家に帰るまでに食うてまうんやろ? ホンマは嬉しい癖してよう言うわ」
 「うるさいですねぇ。貰えるものは貰ってるだけじゃないですか」
 なんて話し声を聞きながらそのまま五人で黒羽根の屋敷の門をくぐる。高級住宅街の中でもひと際大きな白い建物で、姉と部屋を共有しているような狭さのあたし達のアパートの一室と比べ、四倍か五倍の面積はざらにあるという大豪邸だ。
 玄関のチャイムを鳴らす。いつもなら見知ったお手伝いさんが出て来るのだが、その扉を開けたのは小柄なクラスメイトだった。
 「あれぇ? 望が来てる。あんなことがあった後なのに、良く黒羽根のところに顔出せたねー」
 黄地の取り巻きの赤嶺夕夏だ。どうしてこいつが、というあたしの気持ちが顔に出たのか、「誰か出てくれってここの家の人に言われて、アタシが行くことにしたの」と赤嶺は説明した。
 「流石金魚の糞。雑用はお任せくださいってとこかいな?」桃園がせせら笑う。
 「うっさい関西弁。それキモいんだよ」赤嶺が反論する。
 「押し付けられたんは事実やろ? 使いっ走りばっかでようあの二人と付き合っとれるわ。キョロ充かましてホンマご苦労さん」
 「ウッザ……」
 「まあまあ野乃花ちゃん。その辺で」白石が宥めるように言うが、頬が少し笑っている。「まだあと三か月あるんでしょう? 仲悪くなったって良いことないじゃない」
 「こいつ怖ぁないもん。黄地とか緑川かて別にこいつバカにされたって何も思わんやろ。その程度の価値しかないんよ、こいつ」
 「だから、そんなこと言ったら可哀そうでしょう?」
 その後不機嫌になった赤嶺に連れられて屋敷の廊下を歩く。すると白石がいつもしているように無意味に歌を口遊み出し、赤嶺が八つ当たりのように「それウザい。うっさいから黙って」と怒鳴りつける。
 「私の美声に文句ある?」
 「何が美声だ」
 「音楽は5ですー。コンクールで入賞だってしてますー」
 「へー偉い偉い」
 なんたってウチのクラスはこんなに小競り合いが多いんだろ。なまじ六年間一緒にいるもんだから、互いに遠慮がなくなってしまっているのかもしれない。そうした軋轢の緩衝材として存在しているのが、とどのつまり悪意のはけ口であるところの黒羽根で、奴をいじめている時だけクラスが一体となる。そして、いじめる側に回れないあたしと聖歌が割を食う。
 十人いる男子の方はもうちょっとおだやかなもんなんだけどな。たまに一条と四宮が殴り合っていたり、五藤が七峰や八坂にズボンとパンツを脱がされたりしている程度で。
 黒羽根屋敷の一階の面積のほとんどが一体のリビングとダイニングになっていて、開けた空間がそのままパーティ会場として飾り付けられている。壁の端にある大きなツリーも見慣れた光景だ。並んだテーブルには人数分のコップに箸やフォークが並んでいるが、料理やケーキと言った物は後から運ばれるらしい。
 そのど真ん中で、自分達こそがこの空間の主であると言った表情でどっかりソファに腰かけているのが、私達のクラスの二大権力者であるところの黄地と緑川だ。
 「連れて来たよ、ヒメコちゃん」
 赤嶺が言うと黄地が鷹揚に「おう」と返事をしてこちらに視線をやる。「あれ、望来てんの? 良く顔出せんね」と赤嶺と同じ疑問を口にする。
 「仲直りしに来たんだよ」
 聖歌がフォローするように言う。黄地はどうでも良さそうな声で「ふーん」と口にすると、誰に言うともなしに尋ねる。
 「サンタのおっさん見なかった?」
 「サンタ?」白石が首を傾げる。
 「ええどっか行ったの?」赤嶺が言う。
 「サンタってなんやねん」と桃園。
 「さっきまでここにいたのよ」緑川が艶のある髪を弄い、リップクリームを唇に付けながら言った。「誰かお手伝いさんがそう言う扮装をしているんでしょうね。私たち三人を迎えてくれたのもその人だわ。でもね、急にいなくなったの」
 「それはまた子供騙しですね」青墓が肩を竦める。
 「ええ素敵じゃないっ」聖歌が目を輝かせる。「ねっ、ねっ、のんちゃん。仮装でもちょっと嬉しいよねぇ」
 「……分かんなくもないけど」とあたしは合わせておいたんだかなんだか。それで喜ぶと思われているのが子供をバカにしてるみたいで嫌だけど、まったく喜ばないのも相手に悪い気がする。
 「他のお手伝いさんは?」と白石。
 「それがいねーの」と黄地。
 「去年までいたちょっとふくよかな女の人の姿がありませんね。クビになったと言う話は聞きませんが」と青墓。
 「女のサンタじゃ変だから、特別に男の人を雇ったんじゃないかしら?」と緑川。
 「でも姿が見えへんのよな」と桃園。
 「つか肝心の黒羽根とかそのお父さんとかどこ行ったの? もう九時回るし、そいつらいないと始められないんだけど」と赤嶺。
 「美輝ちゃんならもうここにはおらんよ。残念じゃったな」
 老人の声がした。振り向くと、会場の端っこ、大きなツリーのあるあたりで大きなプレゼントの袋を抱えたサンタクロースがじっと立ち尽くしている。
 背は百八十センチくらいで髭がもこもこと生えていて、少し太っていて、赤い服を着ているどうしようもない程コテコテのサンタクロースだ。約一名興奮している聖歌を除いて、『ああそこにいたのね』みたいな気だるい雰囲気があたし達を包み込む。
 「メリークリスマスじゃ」サンタは言った。
 「メリークリスマスっ」聖歌が言った。「ねえ、美輝ちゃんいないってどういうこと?」
 「死んだのじゃ」
 サンタクロースはこともなげな口調で言った。
 一瞬、皆に静寂が走る。サンタの言ったことがあまりに突拍子もなかったので、すぐには受け入れられないでいたのだ。
 「黒羽根美輝は自殺した。おまえ達からのいじめを苦にしてのことじゃよ」とサンタクロース。
 自殺した? イジメの一環として黒羽根を自殺したものとして扱ったことはあったけれど、それは子供の内だけの設定でこのサンタクロースのような老人が口にするなら冗談ではないように思えて来る。
 しかしついこの間まで教室で一緒に過ごしていた黒羽根が自殺しただなんて、いきなり言われてもとうてい信じられるようなことではない。
 「冗談だよね」あたしは言った。
 「嘘じゃないぞい。証拠に、ほれ」
 サンタクロースは大きなツリーを軽々と持ち上げて一メートルほど移動させた。
 あちこちから悲鳴が上がる。
 そこにあったのは天井から垂れたロープで首を吊った黒羽根の姿だった。大きなツリーにロープごと隠されていて分からなかった。大きくて丸っこい肉体がでろんと垂れ下がっている様子は滑稽ですらあり、首を吊ってからそう時間が立っていない証拠に目玉が飛び出していたり糞尿を垂れ流していたりということはなく、しかし生きている気配はまったくしなかった。
 あたし達は騒然としてクラスメイト達の表情を睥睨し、それから黒羽根の死体に視線を這わせる。毎日いじめられるこいつがいつか自殺するという可能性は誰もが一度は口にしていて、でも本気でそのことを恐れていた者は一人もいない。『ジサツ』だなんてテレビの向こう側の言葉であって現実で発生するような概念ではないと思い込んでいて、だからこそ、誰もが黒羽根をいじめ、助けずに見捨て、軽んじ続けていられたのだ。
 それがどうして。
 「黒羽根美輝はおまえ達を憎んで死んだ。おまえたちは報いを受けなければならないのじゃ」サンタクロースは言う。「わしはおまえ達に報いを与えに来た者じゃ」
 あたしは思わず尋ねた。「あなたは一体……?」
 「悪魔じゃ。サンタクロースの姿をしているが、そう言った方が事実に即しておる」サンタクロースは淡々とした声で言った。
 「悪魔……?」
 「黒羽根美輝は死ぬ直前に願ったのじゃ。サンタクロースがもしいるのなら、この命と引き換えにおまえ達八人に復讐して欲しいとな。願いは聞き入れられ、こうしてわしはここにおる」
 「ありえません!」聖歌は叫ぶ。「美輝ちゃんがそんなこと願うはずがないです!」
 「そう思うのなら、それはおまえの傲慢ではないのかの?」サンタクロースは嘲るようだった。「どんなに小さき者でも踏みにじってしまえば報いがあるのじゃ。誰だって人を憎む。誰だって復讐を望む。それを叶えるのがわしら悪魔じゃ。もう逃れられはせん」
 「知るか。おい逃げるぞ」黄地がそう言って緑川と赤嶺に視線をやる。「何だか知らんがヤバい気がする。そこに窓がある。そっから逃げよう」
 「無駄じゃ。玄関含め全ての出入り口は開かなくなっておる。電波も届かん。この屋敷にはもう魔法がかかっておるのじゃ。おまえたちは、閉じ込められた」
 「どうやってわたし達を殺すの?」聖歌が声を震わせる。
 「これから四体の怪物がおまえ達の前に現れる」サンタクロースは言う。「黒羽根美輝が生前にノートに書いた怪物じゃ。それらが具現化して貴様らを襲う」
 「嘘に決まってる」言って、黄地は窓に張り付いてこじ開けようとするが、上手くいかない。散々足掻いてみて、ついには窓を叩き割ろうと殴りつけるが、鈍い音すら立てずヒビ一つ入らない。魔法がかかっていると言うのは本当らしい。
 「こんな非現実的なことがあって良いのかしら?」緑川が頭を抱えて言った。
 「小さき弱き者は何をされても反撃されず、ただただ踏みにじられ続けるのが現実じゃと思っていたのか? 確かにそうじゃろう。たいていの弱者は踏みつぶされるばかりで一生を終える。ただし、黒羽根美輝はそれでは終わらなかったのじゃ。自らの命を贄として、悪魔を呼んだ」
 真っ白い髭の置くで、サンタクロースはせせら笑う。
 「しかし、おまえ達に生き残るチャンスが一切ないというのも、これも公平ではない。黒羽根が命を賭けておまえ達を殺すことを願ったように、おまえ達も命を賭けて戦えば生き残りのチャンスもあるのが本来じゃろう」
 「チャンスって……」
 「これから現れる怪物は、一体に付き二人の子供を殺害するか、現れてから一時間が経過すれば消えていく。逆に言えば、次々と現れる怪物から全て逃げ切ることができれば、おまえ達八人ともが生存できる可能性も残されている」
 なんだかゲームの世界みたいだ。怪物一体につき最大二人の人間を殺害し、一時間逃げ果せれば消えていく。その繰り返しで、四体目の怪物がいなくなった時点で殺されてなければ生きて家に帰ることができる。
 あたし達は確かに六年間、黒羽根のことをいじめ、或いは見捨てて来た。ただの一度も黒羽根に酷い仕打ちをしなかった者など、聖歌を除いて一人もいない。あたしだって成り行きで仲間外れにしたことは何度かあるし、それに加えてこの間のあの仕打ちだ。
 だがそれは果たして死に値するほどのことなのか?
 「説明は終わりじゃ」言って、サンタクロースは真っ白いプレゼントの袋を開ける。「最初の怪物が現れる」
 プレゼントの袋の中から乾いた細腕が飛び出した。それは這うようにして袋の中から飛び出すと、痩せ細った老人のような浅黒い手足を顕現させる。
 天井に着く程の身長がある、骨と皮だけに痩せこけた老人だ。異常なのは三メートル程ある背丈だけではなく、その手に持っている大きな鉈もそうだった。血まみれのそれは、あたし達の首などいとも簡単に跳ね飛ばすだろう。その瞼は何者かに糸で縫い合わされてしまっていて、醜い程巨大な耳が顔の両側から垂れ下がっていた。その高い背丈に合わず顔の大きさはあたし達と同じくらいで胴も細いので、遠目には細長い棒きれが起立しているようでもあった。
 「それではわしは一度消える」サンタクロースは耳まで裂けるような笑みを浮かべた。「健闘を祈るぞい」

 〇

 老人の姿をした怪物は高くからあたし達を睥睨すると、「どこじゃどこじゃ。聞こえん聞こえん」と言いながら歩き始めた。鉈を掲げながらふらふらと歩くその姿は獲物を探しているようでもあったが、しかし縫い合わされた目はあたし達の姿を捉えられてはいないらしい。
 あたし達は息を呑んで声も出せずに固まっていた。サンタクロースの言を信じるならば、この怪物は二人の子供を殺害するか一時間が経過すればいなくなることに決まっているが、逆に言えば行動を間違えればあたしを含めて全員に死の危険があるということだ。
 「とにかく逃げるぞ」黄地がそこで声を発した。「こんな奴に殺されちゃたまらん」
 そこで、怪物が反応した。首を捻って黄地の方に身体を向けて、「そこかぁ、そこかぁ」と言いながら黄地を狙って歩き始めた。
 「は? ちょっと待てよ」黄地は背を向けて逃げ出す。「冗談じゃねぇぞ、糞!」
 怪物の動きは緩慢だが一歩一歩が大きい為移動速度は相当なものだ。大人が走るくらいのスピードがあるし、細長い脚は障害物だって器用に避ける。
 しかし陸上で県記録を持っている黄地も相当なものだ。テーブルを乗り越え、リビングルームを飛び出そうと全力で走り出す。
 「あいつが狙われてるわ!」白石が叫んだ。「今の内に反対へ逃げましょう!」
 言われなくてもそのつもりだ。この屋敷には二か所階段があり、それぞれ玄関のすぐ傍とその対角線上に位置している。黄地は玄関の方の西階段へと向かっているから、そこに引き付けてもらっている間にあたし達は東階段の方へと逃げれば良い。
 しかし怪物はそこで踵を返す。声を出した白石の方へと顔を向けると、「そこかぁ」とおぞましい声を発しながらふらふらと大きな歩幅で歩き始める。
 「は? ちょっと、どうしてこっち来るのよ!」 
 白石の傍にいた赤嶺が叫んだ。怪物は「そこかぁ、そこかぁ」と言いながらこちらへ向かって来る。あたし達が散り散りにその場を逃げ出すと、怪物は赤嶺の逃げた方向へと脚を向け始めた。
 「ちょっと! 来ないで!」
 赤嶺の声がする。赤嶺は小柄な身体でちょこまかとその場を離れようとするが、怪物の脚が速い。赤嶺がどれだけ機敏に身体を動かしても、彼女が五歩進む距離を怪物はたったの一歩で詰めてしまう。怪物の動き自体はのそのそとしたものだが、歩幅を考えれば総合的な移動速度は赤嶺を遥かに上回る。
 泣きながら逃げる赤嶺の身体へ、怪物が大人の身長くらいある長い腕を伸ばした。赤嶺はあっけなく捕まる。首根っこを掴まれながらぎゃーぎゃー騒ぐ赤嶺の身体へ、怪物がもう片方の手に持った鉈を掲げる。
 鉈が振り下ろされる。
 赤嶺の首が吹き飛んだ。
 血しぶきをあげながら吹っ飛んだ赤嶺の首が壁にぶつかって机の上に着弾する。見た目以上に重いのだろうそれはあっけなく机を一つなぎ倒し、さらなる血液をまき散らしながら床を転がる。
 赤嶺の首と目が合う。
 パニックになったあたしが悲鳴をあげそうになる。すると、誰のものよりも良く知っている体温が、あたしの首にまとわりついて唇を抑えた。
 聖歌だ。
 「しー……っ」聖歌は唇に指を押し当て、あたしの耳元に囁く。「喋っちゃダメ。多分あいつ、声が聞こえた方に来るみたい。狙われてたのは黄地さん、白石さん、赤嶺さんの順で、声を出したのもその三人でしょう?」
 庇護するように抱きしめられたあたしは聖歌の吐息を耳に浴びながら震えている。聖歌だって口調自体は冷静だが顔は真っ青だし声だって少し震えていた。
 「喋っちゃダメだよ。喋らなかったら大丈夫。きっとお姉ちゃんが守ってあげるからね」
 同じことに皆も気付き始めているらしく、怪物が赤嶺の首なし死体をその手に掲げてぼんやりしているのを見詰めながらも、誰もがその場に蹲って声を発しないようにしていた。泣きだしている者もいるが、口は押えている。
 赤嶺の死体が放り出される。ばたんと思いの外激しい音がして、赤嶺の肉体が床へ落下した。
 怪物の顔がこちらを向いた。
 「今度はこっちかぁ」
 あたしは息を呑みこんだ。
 その閉じた瞼は完全にあたし達の方を……というか聖歌の方をロックオンしていた。どうやら耳元で囁くのもアウトらしい。そういうことを聖歌は危惧出来ていなかったのか、或いは危惧した上であたしに声を出してはならないルールを伝えることを優先したのか。
 どっちにして聖歌の命は風前の灯火だ。聖歌は顔を真っ青にしてあたしから離れ、懸命にその場を逃げていく。
 「そぉこぉかぁああああああ!」
 怪物はその大きな歩幅で容赦なく聖歌へと迫る。「いやぁ、いやぁああ」と泣きながら逃げる聖歌へと手を伸ばし、今にもその指先が華奢な肉体へ触れようとしたその刹那
 「駄目!」
 あたしは叫んでいた。
 「こっち! こっちだよこっち!」あたしは繰り返し叫んだ。「こっちへ来て!」
 聖歌の気付いたルールは確かなものらしく、怪物はそれで聖歌を諦めてあたしの方へと身体を向けた。そしてのそのそとした動きであたしの方へと迫りくる。天井に頭が擦れそうになりながら、その細長い身体を窮屈そうによじりながらおぞましい腕を伸ばす。
 この瞬間、あたしの生殺与奪の権利はあたしになかった。あたし自身にあたしを助ける手段は備わっておらず、このままでは間もなく怪物に捕まって赤嶺のように首を跳ねられて死ぬだけだった。あたしはその場で身じろぎもせず固まった目を閉じて、産まれた時からずっと一緒にいた姉に祈った。
 ……聖歌なら。
 「こっち!」
 声がした。
 あたしから遠く離れた壁際で聖歌が叫んでいた。あたしの目前にいた怪物は動きを停止し、すぐに身体を逆方向へと向ける。そして聖歌の方へと首をもたげると、「そこかぁ、そこかぁ」と声を発しながら動き出す。
 「のんちゃん!」聖歌が叫ぶ。
 「お姉ちゃん!」
 あたしが返すと怪物は今度はあたしの方を向いて歩きだす。数秒して怪物があたしの方へ到達しそうになったその瞬間、聖歌は「こっち!」と叫んでさらに怪物を誘導する。怪物は動きを停止して身体を反転させ、今度は聖歌の方へと向けてのそのそと動き出す……。
 「ありがとねのんちゃん。ありがとうね」
 「う、うん。うん」最初にあたしが聖歌を助けたことを言っているんだろう。あたしは返事をする。「これ、大丈夫だよね!? 助かるよね!?」
 交互に声を発しながら怪物を誘導してあたし達は生き残りを図っていた。この繰り返しで一時間の制限時間を耐え抜くことができればどちらも死なずに済むはずなのだ。
 聖歌の分析した怪物の行動パターンが確かならばこの方法で必ず助かる。怪物の動き自体は然程機敏なものでなく、広いリビングの端から端まで十メートル程の距離を取っていれば十分に動きを支配できる。余程ぼんやりしていなければ、聖歌と二人声をかけあって怪物を誘導し続けて、一時間を耐え抜くことができるはず。
 ……あたし達がお互いに裏切らなければ、というのが前提にはなって来る。
 「怖いよお姉ちゃん!」あたしは泣き叫んだ。「怖い、怖いよ!」
 そうだ怖い。怖くないはずがない。聖歌が少し臆病風に吹かれて声を出さなくなれば、あたしは簡単に首を跳ねられて殺される。あたしが怪物を引き付けている間中、そうされる恐怖に晒されてひたすら相方を信じて祈り続けるよりほかはないのだ。裏切るのは簡単で、ただ黙れば良いのだから。
 「信じて! のんちゃん」聖歌は叫ぶ。「ちょっとだけ、ちょっとだけ我慢して。お姉ちゃんが助けてあげるからね!」
 聖歌はおもむろにポケットからスマートホンを取り出した。そして震える手つきでそれを操作し始める。
 「どうしたの?」あたしは叫ぶ。「なんでそんなん出すの?」
 聖歌に迫っていた怪物が踵を返してあたしの方へとやって来る。あたしは目を閉じて聖歌に祈る。ぎりぎりまで引き付けている間中、聖歌に命を預けていなければならないから、これは相当な緊張と苦痛だ。裏切られるかもしれないという恐怖に怯え、身を固くして祈り続けるより他はない。
 「こんなことしなくても助かるかもしれない」聖歌は言った。その声に反応することで、怪物は動きを止めた。「お姉ちゃんを信じて。大丈夫、のんちゃんは絶対に死なないよ」
 聖歌はスマートホンをその場に掲げ、動画再生のボタンを押した。
 それは白石から送られて来た歌謡コンクールの映像だった。可愛らしくおめかしして綺麗な声で歌う白石の声がスマートホンから流れだしている。
 歌謡教室に通い歌が上手いことが自慢の白石は、多くのクラスメイトにこの映像を送った。そんなことを恥ずかしげもなく行える白石の神経はあたしには分からなかったが、しかし本人は自分の晴れの姿を皆に見せることができて満足そうだった。自分に酔っているのが丸わかりの大袈裟で品のないその歌い方は、しかし小学生らしい表現力として評価の対象となったらしく、優秀賞を受賞していた。
 「ちょっと!」その場で蹲って声を出さないようにしていた白石は金切り声をあげた。「私を殺す気? それを止めなさいよ!」
 はたして怪物が機械から出る音に反応したのかは分からない。スマホに録音されたその音声が白石の声と認識されるのか、それによって白石がターゲットになるのか否かはあたしには分からない。
 しかし、白石はそこで声を発してしまった。それがいけなかった。
 怪物は白石の方を向いて、「そこかぁ」と言いながら歩き出し、手を伸ばす。
 「私も助けてよ!」白石はあたしの方を見て叫ぶ。「ねえ、誰か助けてよ! 声を出して私を助けてよ! ねぇ!」
 誰も助けなかった。助ける訳がなかった。白石といつも仲良くしていた桃園と青墓でさえ、目を丸くして六年間付き合った友人が怪物に捕まるのをじっと見ていた。
 「いやぁああああ!」
 悲鳴。怪物の手にある鉈が振るわれる。そして血しぶき。
 吹き飛んだ白石の首があたしと聖歌の間に転がる。
 怪物は白石の身体を放り投げると、長い腕を伸ばしてぽりぽりと頭をかく。そして役目を果たしたとばかりに、大股で歩いてリビングの外へと消えて行った。

 〇

 女子出席番号:名前

 1:青墓学(あおはかまなぶ)
 ×:赤嶺夕夏(あかみねゆうか)
 3:黄地姫子(おうじひめこ)
 ×:黒羽根美輝(くろばねみき)
 ×:白石アキラ(しらいしあきら)
 6:灰谷聖歌(はいたにせいか)
 7:灰谷望(はいたにのぞみ)
 8:緑川しのぶ(みどりかわしのぶ)
 9:桃園野乃花(ももぞのののか)

 ……残り6人

 〇

 赤嶺夕夏は一年生で初めてあった時から身体が小さくて体重も軽そうで、当時は自分より背の高いクラスメイトに囲われて不安そうにしている子だった。身体の一番大きな黄地と友達になってからは彼女に守られることを覚え、彼女の威を借って虚勢を張ることを覚えて立派ないじめっ子になったけど、親分のことは本当に慕っているらしく何かと忠実だった。
 白石アキラは指揮者の父親の家に産まれ色んな楽器をやらされていていた。低学年の頃はその厳しい習い事が嫌で嫌で仕方がなかったようだけれど、何年もかけてコツと楽しさを覚えてからは自分からレッスンに励むようになった。仕切りに歌を口遊んだり、ピアノの伴奏を買って出たり、自分らしさとして見事に体得しているようだった。
 しかしその両者は今非現実的な怪物によって首を跳ねられて、頭と胴体が泣き別れになった状態で、信じられない程の量の血液を垂れ流しながら床に転がっていた。
 「これじゃ床を歩けないわね」ソファに座り込んで血まみれの床を見詰めながら緑川が言った。「靴下が汚れちゃう」
 「言うとる場合ちゃうやろ!」桃園が声を荒げた。「アキラは死んだんや。えぇ奴で、ウチの友達やった。あんたらも六年間ずっと一緒にやって来たんやろうが! 何が靴下や!」
 「例え誰の血だろうと脚や靴下は汚したくないわね」緑川は安っぽい冗談を口にするかのようだった。「それに、友人の死を悼むかどうかというのと、服を汚したいかというのはそれぞれ別の問題よ」
 「あんた! おいあんた聖歌! 望!」桃園はあたし達の方へと怒りの矛先を向ける。「良くもアキラを殺したな。ああ?」
 凄まれて、床に座り込んでいた聖歌は萎縮した様子で身体を震わせる。あたしは聖歌の身体を抱いて桃園の方を向き直り、なけなしの勇気で言った。
 「しょうがないじゃん! だってああしないとあたし達が……」
 「あのまま二人で交互に声を出しあっとったら全員助かったんとちゃうんか? そうしてくれる思うて黙っとったのに、この裏切り者!」
 「ご、ごめんなさいぃ……」聖歌は泣きじゃくった声で言った。「許して、許してよ」
 「許せるかいこの人殺し! どう落とし前つけんねん!」
 「白石さんを殺したのは桃園さん、あなたも一緒ですよ」青墓がそこで諭すような声で言った。「あそこで声を出せば白石さんの代わりに怪物を引き寄せることもできた。そうすれば彼女は助かっていました。そうしなかった罪は僕達にもあるんじゃないですか?」
 「そんなことしたらウチが死ぬやん」桃園は反論する。
 「白石さんを信じなかったのでしょう? そこの姉妹がしていたように、白石さんがあなたと交互に声を出して怪物を誘導し合ってくれたのでも、問題はありませんでした」
 「アキラが声を出すとは限らんやんけ。あんたもそう思ったけん黙っとった癖に」
 「その通りですよ。僕は友達を信じられなかった。その勇気がなかった」青墓は淡々とした声で言う。「そのことが白石さんを殺し得たんです。助け合うことができれば救えていた命を、咄嗟の勇気がなかったが為に失ってしまった。それは誰しもが同じなんですよ。特定の誰かを責めることは間違っていますし、不毛です」
 クラスで一番頭の良い青墓の言うことだけあって、なんというか論理的で理性的な感じがする。こいつの言い回しは普通の小学六年生であるあたしには小難しいけれど、正しいことを言っているのは良く分かる。
 「そんでも実際にアキラの声をスマホから出したのも聖歌やし、そないして白石に声を出させたのも聖歌やんけ」桃園はあくまでも声を張り上げる。「あんたらが二人で怪物を回しとけば皆助かったんや! 例えアキラを助けたとしても、その後の自分の命が保証されんのやけん、声だせへんのもしゃーないやん! 正当防衛や。でも聖歌はやり方はズルいし、なんちゅうかノードーテキや! どう考えても聖歌が悪いんちゃうんか?」
 「だから、あのままだとあたし達が……」あたしはそう言って聖歌を庇う。
 「あなた達が、どうなっていたというの?」そこで緑川が嘲るように口を出した。「あのままあなた達二人で怪物を回していれば十分生き残れたのに? どうしてそれができなかったの? え? 言ってみてごらんなさい? 聖歌は妹のあなたを信頼できなかったんでしょう?」
 「……白石さんを殺した責任はわたしが背負うよ」言って、聖歌は真っ赤な顔で立ち上がった。「怖がってるのんちゃんが可哀そうだった。それに、このまま続けていたら何かのアクシデントが起きるかもしれないとも思ったの。どっちかが怖くて声が出せなくなることも起こり得て、それは仕方がないことだから。わたし、自分のこともそんなに信頼できなかったし……」
 「せやからアキラを殺したっちゅんか? それはしょうがなかった言うんか? ああ?」
 「もういいだろうが」黄地がそこで口を出した。「誰の所為で死んだとかどうでも良い。ユウカもアキラも良い奴だったけど生き返らないもんはしょうがない。それよりもここにいる六人がどうやって生き残るかが大切だろうが。今できることを考えようや。そっちの方が、なんというかゴーリテキだよ」
 「今この状況で何ができる言うんや? ああ?」
 桃園が金切り声を出す。こいつはとにかく感情的で、思いついたことを喚き散らして一時楽になることしか考えていない。色んなことに付いて声がでかいだけで具体的な案は何もなかったから、とにかく前に進むことを考えられる黄地や建設的な提案のできる緑川からは侮られ、赤嶺のようにその二人に媚びることもできなかったので、クラスの中心グループにはいられなかった。
 「それを今から考えるんだろうが! 死にたいなら勝手に死んでろうすのろがぁ! 余計なことしか言えないんだったらすっこんでろ!」
 黄地は桃園に凄む。桃園の二倍の声量と三倍の威圧を込めたその口調に、聞いているあたしまで怯えるくらいなのだから、桃園はあっけなく鼻白んでぶつくさ言いながら引き下がった。
 「これから現れる怪物というのは、黒羽根が考えたものなのよね?」緑川が言った。
 「サンタはそう言ってたな」と黄地。
 「考えた内容をノートなんかに書き留めていた可能性はない? そうすれば敵の情報が分かるかも」
 「それがこの家のどこかにあるって? なるほど、じゃあそれを探そうや」やることが見付かったとばかりに、黄地はソファを立ち上がり、血だまりをぴょんと飛び越して階段の方へ我先に歩いて行く。
 「聖歌は何か知らない?」せっかちに行動し始めた黄地を見送りつつ、緑川が冷静な様子でこっちの方を向く。「望でも良いけれど、あなた達一応黒羽根とは仲良かったわよね? あいつの部屋がどこで落書きの類はどこにしまっていて、みたいなことが分かるんじゃないかしら?」
 心当たりはもちろんある。黒羽根の部屋は二階の奥で、勉強机の一番下の段に落書きの類はくしゃくしゃに押し込められていたはずだ。
 そのことを伝えると、じゃあそこに行こうと言うことになる。先を歩いていた黄地に緑川が追いつき、場所を伝える。こうしてみると積極的なリーダーと冷静な副将として、この二人はクラスにおいて六年間ずっと機能して来た存在なのだ。いがみ合うことの絶えないクラスを、有無を言わさぬ迫力を持つ黄地が強引にまとめ上げ、そこで緑川が具体的な案を出すと言う形でけん引した。そうすることでこのクラスはイベント事などでもそれなりの結果を出し続けて来たのだ。
 軋轢はいつだって絶えなかったが、そこで生じるストレスは黒羽根にぶつけることでなんとかなっていた。いじめなんてどこのクラスにもあることを考えれば、客観的には優秀なクラスにすら写っていたのではないだろうか?
 そうやって五年と九か月はやって来られた。けれど六年生の十二月二十四日、その黒羽根が死ぬと言う形で崩壊し、その黒羽根を含めて三名の犠牲者が出てしまっている。
 「あの、その、のんちゃん」
 黒羽根の部屋へ向かっていると、聖歌がおずおずと言った調子であたしに言った。
 「なぁにお姉ちゃん」
 「その……さっきは助けてくれてありがとう」
 自分が殺されそうになった時、あたしが声を出して怪物を誘導したことを言っているのだろう。
 「別に」
 「ううん。すごいことだと思うよ。わたしのことを信頼していないとできないことだし、命だって賭けてくれてたと思うし……」
 「お姉ちゃんだしね」
 「そ、そうだよね。それでねのんちゃん。わたしもその、のんちゃんのことは、本当はちゃんと信頼してたんだよ? だって最初に助けてくれたののんちゃんだったし。けどさ、その、あの怖い怪物に何度も何度も襲われかけてるのんちゃん見てたら本当に可哀想でさ、だから、その……」
 白石のことであたしに言い訳しているらしかった。だが白石を助けなかったのはあたしも同じだし、本音を言うと、あのままあの恐ろしい状態を続けることを考えれば、白石が死んでほっとしてしまった気持ちもあるのだ。何せあたしはこの姉と比べ、かなり利己的で軽薄な人間だ。
 だから別にあの行動を咎める訳じゃないのだ。聖歌は優しくてあたしの味方だけれど、あたしの味方でいようとするあまり行き過ぎてしまうところもあった。大縄跳びの大会で一回も飛べるかどうか怪しいあたしの前で自分がわざとつまずいて代わりに非難を浴びてくれたり、給食であたしの嫌いな鰆の西京焼きが出た時にそれをわざと廊下にぶちまけてくれたり。あたしが家のお皿を割った時、一人で怒られるのが可哀そうだからと言いながら、自分は食器棚をまるごと倒してしまったこともあった。
 普段ぼんやりしている割に時としてそんな突拍子もない行動もとる危なっかしさもあって、そういうところを含めて頼りなかった。今回怪物を白石に向かわせた行動も、そうした性質の発露なのかもしれない。もちろんあの状態をいつまでも続けていられるとは限らないという現実的な判断もあったかもしれないが、割合としてはあくまでも怯えるあたしに対する思いやりの方が大きいのではないだろうか?
 「分かるよ、お姉ちゃん」言いたいことは色々あったが、それをこの場でぶつける気にはならなかった。「あたしだって怖くてしょうがなかったし、お姉ちゃんだってあたしを何度も助けてくれたんだもんね。あれをずっと続けていられる保証はなかった訳だし、あたしだって同じこと想い付いてたらやってたと思う」
 あたしの言葉を聞いて、聖歌はちょっと安心したみたいな表情で溜息を吐いた。
 あの状態を続けているのが怖くなったにしても、白石を生贄にする以前にあたしを切り捨てることだって聖歌にはできた。でも聖歌はそれをしなかった。つまり聖歌はあたしを守ったのだ。それは分かっているし、だから聖歌を責めることはなく、信頼関係は変わらない。
 黒羽根の部屋に着く。十畳ほどの広い空間で、お手伝いさんがしょっちゅう掃除をしているので、表面上は綺麗なもんだ。
 「この引き出しだったよな」そう言って黄地が勉強机を漁る。「このノートじゃないか?」
 使いかけの落書き寵を取り出して、黄地はそれを広げて見せる。パラパラとめくっていると、先ほどの怪物の絵が描かれているページが出て来た。

 一体目のかいぶつ
 パーティ、かいしとともに、とうじょう。三メートルの高さをもつ、やせた、ろう人。
 なたをもっていて、くび切りこうげきをしかけてくる。
 さいごに、こえをきいたひとを、ころしにいく。

 絵の隣にはそんな説明文が描かれている。ミミズが這う様な汚い字は、確かに黒羽根のものだ。
 「これがさっきの奴だな」と黄地。
 「ガ●ジな上に暗いわね、黒羽根って。こんな妄想ばっかりしてたのかしら」緑川が皮肉るように言う。「しかも悪魔に魂売ってまでそれを実現させるなんてね。狂ってるわ」
 「次のページ、行くぞ」
 黄地がページをめくると、今度は玉乗りをしているピエロの姿をした怪物が描かれていた。四つの大きな輪っかを使って豪快にジャグリングをしている。顔のメイクはホラー映画に登場する殺人ピエロそのもので、両目から血を流していて唇は醜悪に耳まで裂けていた。

 二体目のかいぶつ
 ごぜん、十一じに、とうじょう。人ごろしがすきな、ピエロ。
 4というすう字が大すき。
 4人で手をつないでいないと、ころされてしまう。おおくても、すくなくても、ダメ。

 「十一時か」と黄地。
 「もうそんなに時間ないわよ」緑川がスマートホンを取り出して時間を確認する。
 今は十時十二分。それまでにこの怪物の対策を立てておかなければならない。
 王子はさらに次のページを捲った。三つ目と四つ目の怪物は、同じページに描かれていた。
 三つ目の怪物は手足の生えた黒色のダルマだった。顔のデザインは良くある引き締まった男性のものではなく、鼻が大きく目が細く気弱そうな不細工な男のものだ。顔にたがわず頼りなさそうな生白い手足をしていたが、その両手の爪はまがまがしく尖って伸びていた。
 四つ目の怪物は全身に無数の目玉のついた芋虫だ。全身は灰色で、至る所描ききれるだけの眼球がそこには刻まれている。芋虫ということで体の関節までしっかりと書き込まれていて、ずらりと並んだ眼球の様子は見ているとサブイボが出そうにおぞましかった。

 三体目のかいぶつ
 ごご、一じにとうじょう。手足のはえた、だるま。
 人に、見られていると、うごかない。
 だれにも、見られていないとき、長いつめでちかくの人をころす。

 四体目のかいぶつ
 ごご、一じはんにとうじょう。ぜんしんめだまの、きょ大な、いも虫。
 ぜんしんから、へんなにおいがして、人に見られるのをきらう。
 人と、目が合うと、その人をころしにいく。目をとじているとあんぜん。

 「こいつらは一緒になって登場するらしいな」と黄地。「三体目が一時に、四体目が一時半に出て来る。三十分はこいつらは同時に屋敷の中にいることになる」
 「『人に見られていると動かない』と『人と目が合うとその人を殺しに行く』が同時に登場するだなんて、なんだか詰んでない?」と緑川。
 「同時に会わないように上手く逃げろってことだろ?」
 「この屋敷の中を? 無理なんじゃない?」
 「それで、どないすんねん実際」桃園がそこで苛立った様子で言った。「もう十一時には次の怪物が来るんやろ? どないするつもりなんや」
 「どうするって、そりゃ、こうするに決まってんだろ」
 そう言って、黄地は桃園とその近くにいた青墓の手を引いて、自分の近くに引き寄せた。そして緑川に目配せする。緑川は当然という顔でそこに近づいた。
 「なんやねん」桃園が首を傾げる。
 「分からねぇのか?」黄地は呆れた表情をする。
 「次に現れる怪物の特徴はこうよ」緑川が流ちょうな口調で説明し始める・「『4という数字が大好き。4人で手を繋いでいないと殺されてしまう』。この四人で組みましょう。そしたら私たちは生き残れるわ」
 「ちょっと待ってよ!」あたしは思わず叫んだ。「そんなことしたらあたし達はどうなるの?」
 「知るか。そんなもん」黄地は言いながら緑川と桃園とそれぞれ手を繋ぎ合った。「なんとか逃げ回れば? 知ったこっちゃないし」
 「二人とも異論はないわよね」そう言って緑川は桃園と青墓の二人を睥睨する。「自業自得よね。だって、白石のことはこの二人が殺したんだもの。そんなことするような人は見捨てられたって何も文句は言えないわ。そうよね?」
 そう言うと、黄地がニヤニヤとした表情で頷いて、嗜虐を滲ませた表情でこちらを高い身長から見下した。桃園は少し気まずそうな視線をこちらに向けるが、自分の安全を優先したのだろう、「その通りやな」と呟いて黄地の手をしっかり握りしめた。
 あたしは泣きそうになった。
 普段と同じだ。何かというとあたし達が割を食う。損な役回りは弱い方へ弱い方へと流れ込むようになっているのだ。力の強い者同士結託して利益を守り合い、他を蹴落としてより安全になろうとする。それは子供も大人も変わらない。
 もちろんあたし達だって文句は言えない。何せ自分達の生存の為に白石に怪物を押し付けて殺したことは事実なのだ。向こうの四人をどう説得してもあたし達と替わってくれる人間など現れるらくもないのだ。先手を打たれた時点で負けている。
 「ま、待って!」聖歌が顔を青くして言う。「もっと公平な決め方があるんじゃないの?」
 「なんで公平になんてする必要があるんだ。この四人でいれば生き残れるのに、それを変える必要がこっちにあるなら言ってみろ」
 黄地がそう言ってニヤニヤと嗜虐者の笑みを浮かべる。どうやってもダメだ。黄地の言う通り、自分が生き残れることが決まっているのにあたし達の声に耳を傾けるメリットは向こうにはまったくない。あたしは絶望的な心地で気が遠くなるような感覚を覚えていた。
 「まあまあ。そうやって追い詰めても良くないわ」緑川が言う。「あなた達はどこかに隠れていれば良いじゃない。この屋敷、隠れるところはたくさんあるでしょう? そうしましょうよ」
 「……それで助かりますかね」青墓が言う。「一時間も隠れん坊を続けていられるとは思えません。他の方法を皆で考えるべきでは? なんとか六人全員が生き残る方法を……」
 「それを考えるのは私たちじゃない」緑川は肩を竦める。「こっちはもう助かる方法を見付けているのだから、後はそっちで頑張ってちょうだい。申し訳ないけれど、私たちも自分の命が惜しいのよ」
 あたしは聖歌の方を見た。聖歌は唇を結んで深刻な表情で何やら考え込んでいて、それから一つ息を吐きだすと、あたしの手を握りしめてこう言った。
 「隠れるとこ、探そう?」
 「ちょっと、そんな……」どこに隠れるっていうんだ?
 「おうおう。そうすりゃ良い」黄地は威圧的な声で言う。「せいぜいがんばれや」
 「行こうのんちゃん」
 そう言って聖歌はあたしを連れて部屋から出て行ってしまう。
 扉を出る時に、嘲るような笑い声が背後から聞こえて来た。

 〇

 「どうするの!」あたしは喚くように言った。「隠れてたってどうせ見付かって殺されるよ!」
 二体目の怪物の特徴は四人で手を繋いでいないと殺されてしまうということ。隠れん坊でなんとかなるという記述はなかったし、四人組にあぶれた時点で生き残る術はなくなるはずだ。あの部屋を出たところで絶望的な状況が変わる訳ではない。
 「落ち着いてのんちゃん」言って聖歌は真剣な表情であたしの肩を掴む。「お姉ちゃんに任せて。きっと何とかして見せる。方法はあるから」
 そう言って落ち着かせるように背中を撫でられるので、これに宥められてきた身としては大人しくならざるを得ない。決して手放しに頼れるような姉ではなかったが、それでもずっとこの人の傍が自分の居場所と思ってやって来たのだ。そう断言されると信じるしかなくなる。
 「分かったよ」あたしは溜息を吐く。「それで、どうするの?」
 もとよりあたし自身に案がある訳でもない。このままいけばこの人と心中だけれど、どちらにしろ腹をくくる以外にどうしようもなかった。
 「ええとね……」
 聖歌はあたしを連れてまずはリビングルームに行って棚を漁った。そこから燃料用アルコールを見付けて握りしめ、それから「美輝ちゃんのお父さんの部屋ってどこだっけ?」とあたしに尋ねた。
 「二階の階段の隣」
 そこが書斎だったはずだ。聖歌は頷いて再び階段を上りだす。下りたり上ったり、要領が悪いのはもう目を瞑るしかないが、一体何をしていてそこに勝算はあるのだろうか?
 聖歌は黒羽根の父親の書斎に入り込むと、机を漁ってライターを一つ取り出した。それから本棚の隣のゴルフ道具入れに目を付けて、中から五番アイアンを取り出すと一言。
 「良いもんみっけ」
 「何考えてんの」
 「ええとねのんちゃん」聖歌は普段おっとりとたゆんでいる表情をどうにか引き締めるようにして言った。「向こうの人数が四人の内は、わたし達が割って入る余地ってないと思うの。だって、向こうは今その状態で生き残ることができるのに、それ以上何かを変える必要はどこにもない」
 「うん。それは分かるよ。でもじゃあどうするの?」
 「一人殺すの」
 あっけなくそう言ってのけた聖歌に、あたしは「は?」と目を見開いた。
 聖歌は薄く笑った。
 「のんちゃんを守る為なんだもの。お姉ちゃん、なんだってやっちゃうよ?」

 〇

 あれは確か四年生の時の出来事だ。
 生き物係だったあたしは男子が自分達で拾って来た亀の水槽の掃除を押し付けられていた。男子が拾って来た日に簡単な話し合いで『皆で飼うことを決めた』という体裁になっている亀とは言え、拾ってきた人を差し置いてあたし一人があの臭い水槽を掃除しなければならないのは理不尽極まりない話に思えてならなかった。だが押し付けて来る男子は集団であたし一人では太刀打ちできず、向こうの屁理屈に言い負かされる形であたしはその仕事をやらされていた。
 あたしは爬虫類全般が苦手で特に臭いがダメで、あの濁った水の中に手を入れるだなんて全身が総毛立つ程の苦痛を感じさせられる。その日の昼休み、あたしが泣きながら水替えを行っていると、聖歌が心配そうにやって来た。 
 『大丈夫?』
 聖歌は熱心に同情してあたしを慰めてくれた。こうなるとあたしはつい姉に甘えたくなって、『何とかしてよお姉ちゃん』と言って縋りつく。亀の匂いが染み付いた手でしがみ付いても聖歌は少しも嫌な顔をすることもなく、『分かったよ』と言った。
 『のんちゃんを守る為なんだもの。お姉ちゃん。何でもやっちゃうよ』
 そう言って、聖歌はなんと、バケツに入っていた亀を手に取って、硬いコンクリートの上へ高く掲げて見せた。
 『え、ちょっとお姉ちゃん何するの』
 『これからわたしはこの亀を間違って地面に落としちゃうんだ。そういうことにして』
 聖歌は薄く笑ってそれを本当に実行した。
 甲羅の腹が砕けた亀はどろどろとした内臓を晒して間もなくくたばった。激しい非難の中を聖歌は一人身を固くしてどうにかやり過ごした。事情を知っているあたしは『不注意から来る事故だ』と嘘を吐くしかなかった。まさか妹のあたしがこれから水槽を洗わなくて済むようにしたなどと、そんなことを言えるはずはなかったのだから。
 聖歌にはそういうどこか『行き過ぎる』ところもあって、それは本人が生来持っている臆病さが妹に対する庇護欲の暴走を招き、過剰な防衛行動をさせてしまっているということなのかもしれない。とにかくそういうところもあたしの知っている聖歌の一部分だった。
 聖歌は黄地達の立てこもっている黒羽根の部屋の前に燃料用アルコールを撒くと、少し距離を取って火の付いたライターを投げつける。
 おそらくその扉には鍵がかかっているしバリケートも築かれているだろうという聖歌の推測だった。下手にそれを破ろうとすると警戒させてしまうし、強引に破れたところで人数を考えると負け戦は見えている。不意打ちになるようにするにはリスクを承知でこうするしかなかった。
 しばらくして火が大きくなってくると、火炙りにされてはたまらないと扉を開けて黄地達四人組が飛び出してくる。五番アイアンを握りしめる聖歌と消火器を握りしめるあたしを見て、何ごとか悟った黄地はすぐに身を翻してすぐにその場を離れていく。
 こいつは分が悪い。逃げてくれるなら都合が良い。
 緑川も同様に逃げて行った。身体の一番小さな青墓が出て来るのを待ち受けて聖歌は五番アイアンを握って待ち伏せ続ける。
 三番目に出て来た桃園が、火をまたぎ超える時に脚を縺れさせて転んだ。
 動きがいちいち大雑把で雑だから結構おっちょこちょいなんだこいつ。聖歌は起き上がろうとする桃園にすぐに追いすがると、頭にゴルフクラブを叩きつける。
 「ぎゃ、ぎゃっ!」
 一発目がもろに脳天をカチ割り血しぶきを拭きあがらせる。頭皮の弱い血管を裂いて中の頭蓋にダメージを与えた。それでも何とか起き上がろうとする桃園の顔面に、聖歌は二発目を浴びせかける。分厚い瓶底眼鏡が割れ、鼻が捩じれ曲がった。
 三発目をぶち込んだ頃には桃園は完全に動かなくなっていた。青墓が怯えた様子で出て来て悲鳴をあげる。大きくなりすぎている火を見てあたしは「お姉ちゃん!」と大声で叫んだ。
 「もういいよ! 消して!」
 あたしは段取り通りに消火器の栓を抜くと、数日前にたまたま行われていた消火訓練で習ったとおりに火を消し止める。下から上にかけてじっくりと消火器の煙を吹きかけていく……。
 「死んでんじゃねぇのか、そいつ」
 床に仰向けになって転がっている桃園を見詰めながら、黄地が震えた声で言った。
 「もう死んでるよ。こんなにして動けないのに生きてるはずがない」言って、聖歌は桃園の首根っこを掴んで重そうに起こし、黄地に掲げて見せた。「ほら、目玉触っても何も反応しない」
 「何のつもり?」緑川がこれには顔を青くしてこちらを見やる。「そんなことして何になるの?」
 「一人切り捨てる人間をそっちの三人から決めて!」言って、聖歌はなんとか火を消し止め終えたあたしに縋りつく。「二人までなら仲間に入れてあげられる。だからそっちで切り捨てる人間を決めて!」
 「そちらから一人こちらに来るっていうのはないの?」緑川は言った。「こちらの方が人数が多くて、いざぶつかり合った時に有利なんだから、そちらが譲るのが筋なんじゃないの?」
 「あたし達は絶対にお互いを裏切らない」聖歌はあたしの身体に抱き着き、庇護するようにしながら緑川に吠える。「あたし達は血を分けた姉妹だから。この決意が揺らぐことはない。分かるでしょう? だから、そっちが譲って」
 「なあしのぶ。あたし達って親友だよな」そう言って黄地が緑川の肩を抱いた。「良いんじゃないか? 向こうの言う通りにしてやったら」
 「……そうね。やむを得ないんじゃないかしら」そう言って緑川は黄地に頷く。「分かったわ。あたしとヒメコちゃんを仲間にいれてちょうだい」
 「ちょっと! どういうことですか!」青墓がそこで喚くように言う。「こんなこと許されて良いはずがありません! これじゃただの殺し合いじゃないですか?」
 「悪いな青墓」黄地はそう言って緑川と手を繋ぎ合ってあたし達の方へと歩いてくる。「どっちでも良いんだ、あたし達は」
 「できる限り全員で生き残る方法を考えるべきだと思うんです」青墓は焦燥した中にも言い聞かせるような響きを滲ませて言う。「サンタクロースは言っていたじゃないですか? 八人全員で生き残る方法だってあるんだと。さっき出会った一体目の怪物だって、ちゃんと上手くやっていれば全員が生き残る道もあった。今回だって、ちゃんと考えれば犠牲者が出ずに済む方法があるはずなんです。それなのに仲間割れをして殺し合って、いったい何になるというんですか?」
 「二体目の怪物から全員で生き残る方法は、一体目の怪物を犠牲ゼロで乗り切ることよ」緑川が淡々とした口調で言う。「スタート地点の八人を維持していれば四人組を二つ作ることもできた。一人でも犠牲者が出た時点で、二体目の怪物から生き残れる人数は四人になってしまう。あなたがあぶれる五人目なのよ」
 「僕を追い出したって同じことです」青墓は落ち着いた声を出そうとしているが、顔は真っ青で涙が滲んでいる。「そこの二人が桃園さんを殺したように、僕だって自分の命を守る為に何をするか分かりません。ちゃんと今いる五人で考えて、全員が生き残る方法を取ることが、あなた達にとっても最善の……」
 「そんな難しいこと言われても分からないな。おまえと違って、あたしはバカな子供なんだから」黄地は言って、廊下の壁に付けられた時計を見やる。「もうそろそろ、時間だな」
 「時間って……」 
 青墓が息を呑みこむと、背後からコロコロと球が転がる音が聞こえて来た。
 やって来たのは凶悪な化粧を施した殺人ピエロだった。目からは血の涙、頬は耳まで裂けていて、むき出しの歯は全て鋭利な角度で尖っていた。玉乗りの玉は真っ赤な血の色に濡れていて、激しくジャグリングしている四つの輪っかは鋭利な刃物でできている。
 「きゃぁあああ!」
 青墓が思わずその場を逃げ出すと、ピエロの怪物はその鋭い輪っかを投げつけた。身体の真ん中からスパンと青墓を両断した輪っかは、糸が付いているかのような挙動でピエロの手元へと戻って行く。
 綺麗にすっぱりと両断された青墓の肉体から、血と内臓がぶちまけられてあたし達の足元へと飛び散った。なんとなく、聖歌があたしの為にコンクリートに叩きつけて殺した例の亀のことを想いだしていた。
 青墓を殺し終えたピエロの怪物は、あたし達の方をじっと見つめると、手を繋ぎ合うあたし達を一人ずつ指さして、その甲高い声で数える。
 「いち、に、さん、し! よし!」
 そして満足したように頷くと、玉乗りしながらジャグリングをしたその体勢のまま、廊下の奥へと消えて行った。

 〇

 女子出席番号:名前

 ×:青墓学(あおはかまなぶ)
 ×:赤嶺夕夏(あかみねゆうか)
 3:黄地姫子(おうじひめこ)
 ×:黒羽根美輝(くろばねみき)
 ×:白石アキラ(しらいしあきら)
 6:灰谷聖歌(はいたにせいか)
 7:灰谷望(はいたにのぞみ)
 8:緑川しのぶ(みどりかわしのぶ)
 ×:桃園野乃花(ももぞのののか)

 ……残り4人

 〇

 「なんで私がこんな目に遭うのよ」
 そう言って、床に座った緑川が頭を抱えた。
 最早残りは四人となっていた。黒羽根の味方であった聖歌とその妹のあたし、そして黒羽根を最もいじめていた黄地と緑川。
 「黒羽根の恨みが悪魔に届いたって話らしいな」黄地が口を出す。「ほらなんか流行ってるじゃん変な噂。ブラッティサンタクロースっていうんだっけ? 命と引き換えにどんな願いでも叶えてくれる血まみれのサンタクロース……」
 「そんなのが現実にいるんだとしても、どうしてあんなつまんない奴の命が為に、私たちがこんな目に遭わないといけないのよ!」
 ピエロの怪物をやり過ごし、一時間を手を繋ぎ合ったまま経過させ、あたし達は手ごろな部屋へと非難していた。次の怪物が現れるまで少し時間があったのだ。
 「どんなにつまんない人間でもないがしろにしてたら報いがある……ってサンタは言ってたけど」あたしはそこで口を出した。「あんた達やあたしはともかく、黒羽根に優しくしてたお姉ちゃんまで殺されるのはちょっと意味が分かんないよね」
 「同じなんだよ。多分」聖歌は溜息を吐く。「美輝ちゃんからしたら、クラスメイトっていうだけで全部同じ。だって、自分をいじめた人と、助けられなかった人なんだから」
 だとしてもそれは本当に死に値することなのだろうか? こんな同じ壺の中で共食いを繰り返す毒虫みたいに、限られた生き残りの椅子を取り合って殺し合されなければならないような、そんな目に合う程のことなんだろうか?
 黒羽根にとってはそうなのだろう。命を投げ打ってでもあたし達にそれを思い知らせなければならない程、彼女の恨みは濃くて彼女の悲しみは深かった。ひょっとしたら、最後の引き金を引いたのはあたしかもしれない。一緒にいて遊んで、積極的にはイジメに参加せず、友達だと思っていただろうあたしから裏切りにあったから。
 「…………ちょっと別行動しないか?」
 あたしがぼんやり考え混んでいると、ふと黄地がそう切り出して立ち上がった。
 「別に良いけど」聖歌が言う。「どういう別行動? あなた一人でどこか行くの?」
 「しのぶ連れてって良いか?」黄地がそう言って緑川の方に視線をやる。「二人だけで秘密で話がしたい」
 黄地らしい取り繕う気のない言い方だった。黄地はあたし達の了承を得るまでもなく、緑川の手を引いてその部屋を出て行ってしまう。
 止めようにも止める方法がなかった。取り残されたあたし聖歌は顔を見合わせる。
 「お腹痛い。死にそう」あたしは言った。「穴が空きそう。ストレスがすごい……」
 「落ち着いてのんちゃん。三体目と四体目は一緒に来るから、それを乗り切ったら終わりじゃない? 何をやったってあなたのことは守ってあげるから」
 そう言って聖歌はあたしの肩を抱く。
 でもどうすれば良いというのだろうか? 三体目の怪物は手足の生えたダルマで誰かに見られていると動かない代わり、誰の視界にも入っていないと近くにいる人を尖った爪で殺す。四体目の怪物は大量の目玉をあちこちにくっ付けた芋虫で、目が合った瞬間に狙われることが確定する。これらが三十分の時間差を付けて屋敷内に同時に出現するという、どうやっても解けないようなパズルになっている。
 「向こうが考えていることはきっとこうだね」聖歌は言う。「目を開けていると動かない怪物と、目を閉じていると狙われない怪物がいるのなら、どちらかでも排除できれば生き残れるようになる。片方だけならずっと目を開けているか閉じているかすれば良いだけなんだからね。そして一体の怪物が殺せるのは二人まで。つまり、向こうの二人で協力してわたし達の目を潰して三体目のダルマの怪物に差し出してしまえば、後は自分達は目を閉じていれば生きて帰ることができる……」
 「それまずいじゃん!」あたしは言った。「その相談と準備をしに行ってるってことなんでしょう?」
 「そうだよ。きっとそうだ。だから、同じことをこっちがやるんだよ。返り討ちだ。さっき渡したゴルフのドライバー、持ってるよね?」
 あたしは頷いた。これを使ってあの二人と戦い、両目を潰して怪物に差し出す。生き残るためにはこれしかない。
 完全にただの殺し合いだ。顔を青くしながらとは言えそんなことを実際にやっている聖歌たちのことが理解できない。黄地や緑川は気の強い奴で小学生と言えどそのくらいの適応力はあるのだろうし、聖歌は状況によっては結構残酷になれるタイプだ。
 「本当、なんでこんなことになったんだろうね」あたしは言う。「あたし達が黒羽根にしたのって、それほどのことなのかな? 六年間、ずーっといじめてたもんね。誰も、助けてあげられなかったもんね。それを考えたら……しょうがないのかな?」
 「それは違うよ」聖歌は言って、あたしの頭を撫でる。
 「ここまでされる程のことじゃないって?」
 「違うよ。あの人達や、わたし達が美輝ちゃんにしたことは、絶対に許されることのない大きな罪だ。けれどもね、例えどんなに罪深い人間だとしても、こんなふうに虫けらみたいに殺し合されなくちゃいけない理由はないんだ。だから美輝ちゃんは間違っているし、サンタクロースの悪魔はこの世にいちゃいけないんだ」
 「でも、あの悪魔がいなかったら黒羽根はいじめられっぱなしで何もできずに死ぬだけだった」
 「だとしてもこんなことはあっちゃいけないんだ」聖歌は言う。「わたし達の誰かが助けてあげられなきゃいけなかった。悪魔に祈らなきゃいけない程、美輝ちゃんを追いこんじゃいけなかった。そして美輝ちゃんも……どんな目にあったって、こんなことを望んじゃいけなかったんだ」
 聖歌はこういう奴だ。どんな失敗をした人だってバカにしたり責めたり絶対にしないし、死刑制度にだって反対しているし、罪を憎んで人を憎まない。それでいて、あたしを守る為だったらゴルフクラブを振りかざしてクラスメイトを殺してしまえるような、そんな苛烈さも内に秘めている。
 「でもそんなこと言ってられるような状況じゃないよね」聖歌は言ってその場を立ち上がる。「わたしは死にたくないし、のんちゃんのことも失いたくない。だから、ちゃんと準備をしよう」
 「黄地と緑川を怪物に差し出すの? いくらあいつらが反吐が出る程の悪人でも、そこまでされるいわれはないのに?」
 「あの人達が死ななきゃいけない理由はない。けれど、わたし達が死ななくちゃいけない理由もない。わたしはあなたのお姉ちゃんだけれど、神様じゃない。わたしはあなたを守る為ならなんでもするけど、あの人達の命をどうにかしてあげることはできない。だからわたしはあなただけを守る」
 その通りだ。そしてそれはこの屋敷の外に出たって同じなのだ。誰もが互いに尊重し合い、争わずに済むユートピアを夢見ている。けれど実際、生き残れる人数はどんな環境でも限られているから、結局は自分のことだけを考えて、脚を引っ張り合い殺し合わなければならないようにできているのだ。
 だけれど本当にどうにもならないのだろうか?
 サンタクロースは言った。あたし達八人ともが生き残る方法も存在していると。最初の長身の老人の怪物で言えば、誰かが殺される前に怪物の特徴に気付いて、二人以上が老人を誘導し合い一時間を耐えきることが生きる方法だ。殺人ピエロは四人組を二つ作れればなんとかなる。
 でもそのようにしてここまで八人が生き残っていたとして、じゃあそこからどうやってダルマの怪物と芋虫の怪物をやり過ごすのだろうか? そう言う方法はあるはずだし、それは四人でできないようなものなんだろうか?
 自分達が生きる方法ばかりを考えて、もっと確実に皆で生き残る方法を見落としているんじゃないか?
 「……あっ」
 その時、あたしは一つの閃きを得た。
 三体目の怪物は見ている間は動かず、視界から外せば誰かを殺す。四体目の怪物は視界に入れなければ何もせず、目が合った時誰かを殺す。
 矛盾していて同時に現れたらどうしようもないように見えるこの二つだけれど、でもこれって簡単な方法でどうにかできるんじゃないか?
 「あの、お姉ちゃん」あたしは言う。「ちょっと、思いついたんだけど」
 その時だった。
 あたし達のいる部屋の扉が蹴り破られ、外から黄地が入って来た。黄地はあたし達が持って来たのと同じところから調達したのだろうゴルフクラブを持っていて、扉の近くにいたあたしの姿に気付くと情け容赦なくあたしの脇腹に一撃した。
 何か傷付いてはいけないものにヒビがいったような感触があって、あたしはその場で蹲って動けなくなってしまう。間に飛び込んだ聖歌が自身のクラブを掲げて威圧するように言う。
 「来ないで」
 「おまえがすっこんでろ聖歌」
 黄地はどういう訳か血まみれだった。頭から血のしぶきを浴びたかのように顔と衣服とにべったりと血液が付着している。そして横になったあたしがどれだけ視界を探っても黄地一人の姿しかない。
 「緑川さんはどうしたの?」聖歌は尋ねた。
 「あいつ、あたしに襲い掛かって来やがった」黄地は溜息を吐く。「不意を打ってあたしをやっつけて目を潰して怪物に差し出そうとしたみたいだ。おまえらも気付いてるんだろ? 次に出て来る怪物からの生き残り方。あたしと協力しておまえらをやっつければ良いのにあいつもバカなことをするよ。ひょっとしたら、緊張に耐えかねておかしな判断をしたのかもしれない」
 「あなたがそこにいるっていうことは、返り討ちにしたの?」
 「そうさ。で、勢い余って殺しちまった」黄地は肩を竦める。「死体を差し出しても意味がない。つまり生き残れるのは三人の内の一人って訳だ。だからおまえはいったんすっこんでろ。まずあたしが望と戦って、残った方とおまえが戦えば良い。戦って疲れてる方と戦えるんだから、おまえには得しかないだろ? でもこっちからすりゃ二対一よりはマシな訳で、つまりお互いが得をするって訳なんだよ。乗ってくれ」
 「お断りだよ」
 「そうかい? まあどっちにしろおまえの妹もう動けなさそうだしな。同じことか」
 言って黄地はゴルフクラブを掲げて聖歌に襲い掛かる。
 間一髪でゴルフクラブの一撃を避けた聖歌だったが、それによって脚をもつれさせて転びそうになる。そこを黄地がさらにクラブで一撃。なんとかかわす。
 聖歌は身長だけは百五十七センチとクラスでも黄地に次いで高いが、如何せん痩身で力も弱い。喧嘩なんてしたことがないだろうから黄地と戦っても負けそうだ。
 あたしが何とかしないといけない。
 気を失いそうになるほどわき腹が痛かったし、多分肋骨かどっか傷付いてるけど、あたしはどうにか立ち上がった。火事場の馬鹿力だ。そして聖歌を追い回すのに必死の黄地に向けてゴルフクラブを振り回す。
 「ぎゃ、ぎゃぁ!」
 黄地の手にあたしのゴルフクラブが命中し、彼女自身のクラブを取り落とす。そこへ聖歌がすかさず踏み込んで自身のクラブを振るった。
 しかし黄地は流石の運動神経でそれを回避する。そして取り落としたゴルフクラブの代わりに懐から釣り具用らしきナイフを取り出す。これも家のどこかで見付けて来たんだろう。
 「結局二対一かよ!」黄地は忌々し気に吠える。「糞共が!」
 黄地は獣のような動きで今度はあたしへ切りかかる。リーチの差を活かすつもりでクラブを前に突き出してみるが、黄地はそれを躱しながら前進するという離れ技をやってのけた。そして逆手に持ったナイフをあたしの懐へ向けて突き出して来る。
 「やめてっ!」
 そこで聖歌が黄地に向けて飛び込んだ。絡みついた二人はあたしの前で横転し、重なったまま地面に倒れる。
 「ちくしょう!」
 黄地が聖歌を跳ねのけながら立ち上がったところで、あたしはゴルフクラブを黄地の頭頂部へと一撃した。
 頭蓋を割ったような鈍い感触。
 黄地はその場で膝を付き、地面へと倒れ伏した。念の為二度三度とその頭をクラブで殴打し、あたしは息も絶え絶えにその場で蹲った。
 ……やっつけた。
 クラスで一番の権力者だった。誰よりも大きな身体と陸上で県の記録を立てる程の運動神経を持つ強者だった。それでもあたしは、あたし達は勝利したのだ。この屋敷にはもうあたし達しかいない。あたし達は自らの生存を掴んだのだ。
 「お姉ちゃん!」
 あたしは姉の方を見詰る。
 そこには、胸に包丁が刺さって血まみれの聖歌が床を転がっていた。

 〇

 聖歌は全身を真っ赤にして薄く目を開いた状態であたしの方を眺めていた。虚ろな瞳からは全身の血液と共に少しずつ生気が失われていていくようで、あたしは身震いして聖歌に駆け寄った。
 「お姉ちゃん!?」
 黄地ともみ合った時にナイフで胸を刺されたのだ。そしてそれは致命的なところに刺さっているらしく、刺さったナイフの隙間からあふれ出る血液の量はおよそ尋常なものではなかった。みるみる内に聖歌の顔色は失われていて、もう幾許も時間は残されていないようにも見えた。
 あたしが聖歌の手を掴むと、聖歌は震える声であたしに言った。
 「どう……しよう。のんちゃん。緑川さんも、黄地さんも死んじゃった。怪物に差し出せない。これじゃ……のんちゃんを生きて帰してあげることが……できな……」
 「そんなことどうとでもなるんだよ!」あたしは吠えた。「両手で筒作ってダルマの怪物に張り付いて、ダルマの怪物だけ視界に入れるようにすれば良いんだよ! そしたら芋虫の怪物は視界にいれないままダルマの怪物だけ見ていられて、どっちからも襲われずに済むんだ。簡単なんだよ!」
 あたしは言った。すると聖歌は僅かに目を見開いて、それから安心したようにふっと表情から力を抜いた。
 「そっかぁ……。だったら、のんちゃんは一人でもちゃんと生き残れるんだねぇ。良かったぁあ……」
 「だから、あたしのことは良くって……」
 「わたし達、そんな簡単なことにも気付かないようになってたんだね。人を蹴落として、自分の代わりに犠牲にして、そうやって生き残ることばっかり考えて来たから……。だから、だから、そんな簡単なことにも……」
 聖歌はそこで、あたしにほほ笑んですら見せた。
 「でものんちゃんは偉いねぇ……。気付いたんだから。皆が皆、自分のことだけ考えて諍い合っている時に、あなたは一人だけ正しいことを考えて答えに辿り着けたんだから。だから……だからのんちゃんはその方法で生き延びて良い。わたし達の分まで……外で……」
 「駄目だよ!」あたしは泣きじゃくりながら聖歌に縋りつく。「駄目だよ……あたし、一緒じゃなきゃ。お姉ちゃんが、いなくちゃ……」
 今目の前で起きていることがあたしにはとうてい信じられなかった。夢だと思いたくて、でも目の前でかき消えていく聖歌の体温も存在も、確かな現実としてあたしの精神を蝕んでいた。
 あたしの居場所は聖歌の隣でそれが当たり前だと思っていた。家でも学校でもずっと一緒で、あたしの居場所はいつも聖歌が用意してくれた。この人の隣にいればそれだけであたしは安心していられたし、そのほかの場所は考えられず、そのことに本当はとても満足して幸福だったのだ。
 だがそんな聖歌は今目の前で死に絶えようとしている。あたしの目の前からいなくなり、手の届かないところに行ってしまおうとしてしまっている。
 「……大丈夫。のんちゃんはきっと頑張れる」聖歌は震える手を伸ばしてあたしの頬に触れさせた。「わたしは知ってる。のんちゃんはすごく良い子だ。だから生きて。一人で……大丈夫だから」
 「……お姉ちゃん、お姉ちゃぁん」
 「泣かないで」聖歌は微笑んだ。「お姉ちゃんは、ずっとあなたの傍にいるから」
 その言葉を最後に、あたしの頬に触れていた聖歌の手が落ちた。
 半身が吹き飛んだような衝撃をあたしは感じていた。聖歌はもうあたしの傍にいないしあたしを守ってくれないしあたしに微笑まない。足元から押し寄せる現実に打ちひしがれて、あたしは泣きじゃくりながらいつまでも聖歌の身体を抱きしめていた。

 ○

 女子出席番号:名前

 ×:青墓学(あおはかまなぶ)
 ×:赤嶺夕夏(あかみねゆうか)
 ×:黄地姫子(おうじひめこ)
 ×:黒羽根美輝(くろばねみき)
 ×:白石アキラ(しらいしあきら)
 ×:灰谷聖歌(はいたにせいか)
 7:灰谷望(はいたにのぞみ)
 ×:緑川しのぶ(みどりかわしのぶ)
 ×:桃園野乃花(ももぞのののか)

 ……最終生存者:1人

 ○

 あたしは一人、あの地獄を生き延びていた。
 両手で筒を作ってダルマの怪物に張り付く作戦は功を奏して、あたしはダルマの怪物にも芋虫の怪物にも襲われずに済んだ。瞬きするたびに少しだけダルマの体勢が変わるのが怖かったけど、死に際の聖歌に言われたとおりに、あたしは一人でどうにか生き抜いた。
 黒羽根を入れて八人いたあたしのクラスメイト達は皆一様に行方不明になっていて、死体すら残さずこの世界から消えた。世間はあの屋敷の中で起きたことを誰も信じず、警察は今でも聖歌たちのことを探し続けている。
 精神的に深刻な外傷を負ったあたしは何か月か入院し、退院する頃にはもう小学生時代はほとんど終わりかけていた。一人で卒業証書を受け取ったあたしは、春休みも過ごし終え、そして今日から中学生になる。
 中学からはセーラー服で、真新しい匂いのするそれは今のあたしには大きなサイズだ。
 成長期に入ったからとワンサイズ大きなものを買い与えられた。今はぶかぶかでもすぐに合うようになるというのだ。
 春休みの開けた今では生きていた頃の姉の身長にも迫っていて、顔立ちもなんだかしゅっとして鏡の前に立てば聖歌がセーラー服を着ているようだ。姉妹なんだから当たり前だけれど、あたし達はやっぱり良く似ている。このまま聖歌に追い付いて、追い抜いて、置き去りにしたまま大人になっていくのだろう。
 母親に急かされて、あたしは鞄を持って外に出て、自転車に乗り込む。校舎は家のすぐ傍にあり、十分も自転車を漕げば晴天の空に照らされたそこに辿り着くことができる。
 今日からあたしはこの教室で、たった一人でやっていくのだ。
 産まれた時から一緒の姉を失い、六年間を過ごしたクラスメイト達も皆居なくなった。世界が一つ終わりを告げたくらいの衝撃をあたしは感じていて、途方もなく深い孤独にいつだって押しつぶされそうになる。
 それでもあたしは生きねばならないのだ。あの事件で失った仲間たちの為にも、あたしはこの先、本質的にはあの地獄と変わらない未知のこの社会を、聖歌の庇護なしに生きていくのだ。
 これから先あたしは何人もの黄地や緑川と出会い何人もの黒羽根と出会うだろう。その中であたしはどう振舞いどんな風に扱われ、どんな風に生きていくのだろう?
 それは分からない。
 でもできれば聖歌のようになりたい。
 弱い人間を決して見捨てず寄り添って思いやり、自分にとって守るべき者はどんな地獄でも変わらず守ろうとシ、命を賭して守り抜いてそのことに満足して微笑んだまま死ぬことさえできてしまう。そんな人間に、はたしてあたしはなれるだろうか?
  ……大丈夫だよ。お姉ちゃんはずっとあなたの傍にいるから。
 聖歌の言葉が思い出される。
 あたしは自転車を停めた。目の前にはこれから通うことになる真っ白い校舎がある。あたしは大きく息を吸い込むと、まだ見ぬ新しい世界へと一人で歩き始めた。
粘膜王女三世

2018年12月30日 23時53分13秒 公開
■この作品の著作権は 粘膜王女三世 さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆テーマ:冬のデスゲーム
◆キャッチコピー:多分これが一番胸糞悪いと思います。
◆作者コメント:ジェパンニが(ラスト二万六千文字の執筆を)一晩でやってくれました。
 本当それくらいハードなスケジュールだったんですが死ぬ気で間に合わせられてよかったです。どういう結果になるにしろ、参加しないと後からだいぶ後悔すると思うので。
 自分にとっては本当いつものパターンの組み合わせなんですが、まあ匿名企画だし、この作品単体にそれは無関係だしってことで、万一その辺分かってしまう人がいたとしてもどうかご容赦お願いします。
 感想よろしくお願いします。

2019年02月17日 01時50分57秒
作者レス
2019年01月13日 23時37分51秒
+20点
2019年01月13日 23時25分45秒
+30点
2019年01月13日 20時40分40秒
+20点
2019年01月13日 06時44分58秒
2019年01月12日 15時28分02秒
+10点
2019年01月10日 22時08分49秒
+20点
2019年01月09日 14時01分56秒
+20点
2019年01月06日 22時33分37秒
+30点
2019年01月05日 22時00分14秒
+20点
2019年01月02日 23時46分37秒
+30点
2019年01月02日 14時24分54秒
+10点
合計 11人 210点

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