高宮昇君の理解不能な小説 |
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高宮昇という男を最初に知ったのは、高校一年の最初のテスト結果発表だったように思う。 うちの学校では、科目ごとにそれぞれ、上位者の順位が掲示板に張り出されることになっていた。 私(早鳥明日香)は、元々国語(現代文)だけは得意で、問題を解き終えた時点で結構な手応えがあった。もしかしたら一位もあるのではないかと、期待に胸を膨らませ、テスト結果を見に行ったのだ。 しかし、張り出されていた順位は二位。 上位者として名前が挙がっていたことに喜びはあったものの、唯一の得意科目でトップをとれなかった悔しさもあった。 そして、その時一位だった男が高宮昇だったのである。 私は国語以外の教科はボロボロで、ランキングに張り出されはしないどころか、赤点ギリギリのラインのものまであった。 対して高宮は、他の教科もほぼ上位を独占していた。 頭のいい人がいるものだなと思った。 唯一現代文だけ上位者に名前が載っている自分と、他教科もほとんど上位に位置している男。 劣等感を感じつつも、そんな超人に憧れさえ抱いた。 とはいえ、高宮とはクラスが違い、一体どんな男なのか興味はあったものの、彼と会話をする機会はなかった。 噂ではとても真面目で、誰に対しても優しい。 そして、何故か同級生に対しても敬語で話すちょっと変わった人だと聞いた。 それを聞いて、ますます会話してみたい欲求に駆られた。 精悍な顔立ちに、優しい性格。頭も良く、運動神経も悪くないらしい。 こんな何でもできる男が、本当に存在するのかと疑ったくらいだ。 まさに話に聞くだけならパーフェクトだった。 しかし、私は比較的人見知りしやすい性格で、ましてや異性に自分から話しかけにいくなどできるわけもなかった。 このまま彼とは、なんの関わりもないまま高校生活を迎えていくんだろうなと思っていた。 クラスも違うし、何の接点があるわけでもない。 大半の生徒は自分にとって、それほど深く接するわけでなかった。 彼もその多くの中の一人になるだけなのだろうなと諦めていたのだ。 しかし、不意に話せるタイミングが訪れる。 一年生ももう少しで終わってしまうという頃の、二月のことだった。 私は図書委員会に入っていた。 特にやりたかったわけではなかったけど、生徒全員どこかに所属しておかなければいけなかったし、それ以外はあまりやりたいものがなかったから、仕方なく所属していた。 ある時に、集まりがあり、各クラスの図書委員会の生徒が呼ばれたことがあった。 何でもないような会議だったように思う。 そこで偶然隣に座ったのが、高宮だった。 少し緊張気味で横に座った私だったが、そこでも人見知りを発揮して、声は全くかけられそうになかった。 高宮は、話し合いの中でも積極的に発言をしていき、その堂々とした姿に素直に感心した。 噂通りの人だなと私は思った。 しかし結局、隣通しに座りながら、何事もなく委員会の集まりは終了した。 少し落胆してしまう私。 皆が、配られた紙などを持って、教室から出ていこうとしている時だった。 高宮になんとなく意識がいっていたせいだったのかもしれない。 教室から出ようとしたとろで、私は不意に持っていた紙を全て床に落としてしまったのだ。 「あっ……」 みっともない姿をみせてしまったと思い、慌ててそれらを拾い集める。 その時、横にいた高宮がこちらを見た。 「手伝いますよ」 そう言って、集めるのを一緒に手伝ってくれた。 「ごめん」 即座に謝る私。多分、顔は少し赤くなっていたと思う。 「いえ」 短く高宮は返事をする。 これが、彼との最初のコンタクトだった。 申し訳ないと思いつつ、二人で散らばった紙を集める。 そして、床に落ちた紙を全て拾った高宮が、私に渡そうとしたところで手が止まった。 「……これは」 彼が手にしたもの。 私からこぼれ落ちた中の一枚の紙。 それは、当時私が書いていた小説だった。 授業中とかでもアイデアがでれば、先生の話を聞いている振りをして、小説を書いていることがあった。 基本何処にでもそれを持ち歩き、書けるときに書いていた。 それが、高宮の手に渡ってしまった。 静かにそれを見ている彼。 「あの」 正直、恥ずかしい思いだった。 あまり同級生に執筆していることを知られるのは、いい気持ちがしなかった。 「小説を書いているんですか?」 しかし、予想に反して、彼は質問してきた。 引いている様子はなかった。 「う、うん」 恥ずかしい思いがしながらもそう答える。 文芸部に所属しながらも、人に誇れるほどの小説を書いているとは、胸を張って言えるわけでなかったためだ。 「実は僕も昔から小説を書いているんです」 そして、意外な言葉を彼が口にする。 「そうなの?」 私は反射的にそう質問した。 「ええ。とはいえ、恥ずかしながらまだそんな多くの人に読んでもらったわけでもないのですが」 「そうなんだ」 同じ趣味を持つ仲間を見つけたこと、それが彼であったことを嬉しく思った。 「良かったら、今度、僕の小説を読んでもらえませんか?」 そして高宮は続けてこう言った。 「え……私が読んでいいの?」 「はい、近くで小説を書いている人に初めて会えました。是非、意見を伺いたいのです」 「わかった。いいよ」 「有り難うございます」 まさかの接点に驚きつつも、その言葉遣いに思わず戸惑ってしまう。敬語で話すと聞いていたが、本当に同級生にこういった態度をとられるのは不思議な感じがしたからだ。 「敬語使わなくていいよ、私たち同学年だよ」 私は笑いながら、そう言った。 「すみません、敬語で話すのが癖になっているんです」 しかし、彼は少し困った顔をしながらそう答えた。 どうやら、本人も直せないようだと感じてしまう。 「まあ、いっか。いつでも持ってきて、放課後だったら大丈夫だから」 「わかりました」 そうして、意外な接点を持った私達二人。 ある日の放課後に、高宮に声をかけられた。 「丁度完成した小説があるので読んで欲しいんです」 とのことだった。 私は正直、彼の書く物語に興味津々だった。 成績上位者の書く小説。 万能の彼がどんなものを書くのか、見てみたかったのだ。 しかし。 「ちょっと待って」 「え? すごい良かったですか?」 「言ってない……というか、最初から色々問題ある気がするんだけど。似たような表現が多すぎない? あと指示語も使いすぎだと思うし、何より話が全然動きださないのはどうなんだろ」 「ええ、繰り返し表現することで読者に強く印象を残すつもりで書きました。あと動かないことで、読者に想像させることにしたんです」 「あ、一応、計算だったんだ」 「はい」 「…………」 「…………」 「一端、これ、預かっていい?」 「ええ、どうぞ」 そうして私は、高宮の小説を預かることにした。 正直、私には彼の小説がよくわからなかった。 だが、自分に理解できなくとも、他の人が見れば面白いと思うことはある。何故か彼は自信満々だったし、私がわからないだけかもしれない、と考えたためだった。 文芸部の部室に行き、高宮の書いた小説とは言わず、皆に読ませる。 しかしその結果は「……何、これ」と言うばかりだった。 それでも、念のため、評価してくれる人もいるのではないかと思って、わざわざルーズリーフに書かれた文章をパソコンで打ち換えて、ネットの識者にまで聞いた。 しかし、結果は同じで、誰も理解者はいなかった。 そして皆、一様にしてこう言うのだ。 これはひどい、と。 □ ある日の放課後、私は文芸部の部室に向かっていた。 場所は学校最上階の四階。 普段使われることがない空き部屋で活動が行われている。 活動……といっても、ここ最近はほとんど部活として機能していなかった。 やる気のあった先輩達は昨年いなくなってしまったし、毎日顔を出すのは私ともう一人くらいだった。残った二人ですら、まともな創作活動をしていない状態で、部室にいても本を読んだり、会話をして適当に帰る、という日々が続いている。 顧問の先生もやる気がなく、顔を出すことはまずなかった。一応所属している人は、全部で十人程だったのだが、ほとんどは幽霊部員で出てくることがない。 実質二人だけの活動。 人数が少なくなっていく部というのは、残った人までどんどんとモチベーションが落ちていくものだ。 なにより私自身、やる気を失っているのが、問題だったのかもしれない。 入った当時はやる気に充ちていて、授業中ですらコッソリと創作活動をしていた。 それにも関わらず、今は何も書けない状態に陥っている。 最初のうちは楽しく小説を執筆していた記憶がある。 しかし、酷評を喰らったり、誰も評価してくれなければ、徐々に向き合うことが怖くなる。 ネットにアップしても、ほとんど感想がつかず、たまについても面白いといった類いのコメントはなかった。文芸部の仲間に見せても、どこか気をつかっているのがわかり、苦笑いをされて、無難な感想を言われるだけだった。 自分に一体何が足りないのだろう。 筆に迷いが生じれば生じるほど、自分の理想とは離れた小説になっている気がしていく。 結果、数ヶ月、執筆活動を休止している状態だった。 先輩の中には、高校生で競う企画で賞で取り、卒業後デビューまでした人がいる。 もしかしたら、世の中には絶対的な才能があって、生まれつき成功できる人間と駄目な人間がいるのではないか。 自分はどうやっても成功者に向かうことはないのかもしれない。 そんなことを、思わずにいられなかった。 なんとなくナーバスになりながら、廊下を歩いていると、部室前までいつの間にかきていた。 私はガラガラと教室のドアを開ける。 すると、その瞬間、すごい勢いで女の子が抱きついてきた。 「せ、先輩ぃ~~!」 「ちょ、ちょっと……」 突然の出来事に驚く。 柔らかな感触が、身体に当たる。 「先輩、わたし、ずっと一人で寂しかったんだから、このまま誰も来ないと思ったんだからぁ」 そうして、早速その女の子は不満を述べた。 何か大事でもあったのかと思ったため、ホッとした。ただ一人で部室にいるのが、心細かっただけらしい。 低身長で童顔の彼女は、随分と幼く見え、中学生……下手をしたら小学生に誤解されることもある。 「落ち着きなさいよ、日向。大丈夫だから」 「だいじょばないです~! 誰もいない教室で孤独なのはとっても不安になるんだからぁ~!」 年齢より幼く見えるのは、見た目だけのせいではないのかもしれない。 子供のようにいきなり抱きついてきた女の子。 月城日向という名で、私の後輩だった。 妄想癖の強い子で、時々、本気で言っているのか、冗談で言っているのか、よくわからない発言をすることがある。 寝ていたら、幽霊が百人立っていて起こされたとか。 買ってきたコンビニ弁当に、毒が盛られているかもしれないとか。 謎の宇宙人に、付きまとわれているとか。 おかしなことばかりを言って、周りを困らせる。 ただ、どうやら、本人は常に大真面目のようで、その度に、一人パニックに陥ってしまう。 不思議系女子、というのがぴったりの後輩。 それでも律儀に毎日部室に顔を出す彼女に、親しみをもっていた。 何より日向が、私を慕っているということがわかる、というのが理由にあったのかもしれない。 ちょっと変わってるけど可愛らしい後輩、という感じで接していた。 「ごめんごめん、ちょっと教室で人と話してたから」 私はなだめるようにそう言った。 「そうなんですか、また、高宮さんですか?」 「うん……。ちょっと彼の小説を読まされててね」 私は言い淀んでしまう。 そう。 部室に来る前に私は高宮と会っていた。 あの日以来、定期的に執筆した小説を持ってくる。酷評をしたり、突っ込みを入れたりしているのだが、全然堪えていないようだった。また、恐ろしいほどの速筆で、頻繁に私は放課後や昼休みに呼び出されていた。最も最近は全部読まずに、途中でこんなの読めるか、と投げ出しているのだが。それを伝えても全くめげず、何故か自信満々な彼のメンタルは逆に羨ましかった。 「仲いいんですね」 そんな事情を全く知らない日向はそう言った。 「よくないわ」 私はすぐに否定した。 会話する前は彼に対して、強い憧れがあった。なんでもできて、優しい男。しかし、小説を読んでしまってから、少しだけ幻滅してしまったのは確かだった。 まあ、私の小説も大概なんだけど……。 会話をしながらも、未だ日向は、私を強く抱きしめたままだった。 腰に手を回し、ウルウルとした目でこちらを見上げている。 廊下で女子が二人、長々と抱きしめ合っている状態。 こんなところを誰かに見られたら、誤解を受けてしまうかもしれない。 私にはそんな気はないのだ。 幸い四階には活動をしている部も少なく、廊下は誰も歩いていないため助かった。 「と、とりあえず、手を離して」 このままでは危険だと思い、日向を引っぺがす。 そうして、彼女の背中を押して、そのまま教室に入った。 「で、何が不安だったの?」 入ってすぐ、子供をあやすかのように私は言った。 今現在、文芸部としてしか使われていないこの場所は、中央に長机が二つ並べられており、壁際に大きな本棚が三つ並べてあるだけだった。少し殺風景に見えるものの、外はまだ明るく、窓の外からは運動部達の活気のある声が聞こえてきていた。 普段通りの教室。 一体何が彼女を怖がらせていたのだろう。 「見て下さい!」 急ぎ足で窓際に歩いて行き、日向が勢いよく指差した先。 そこには澄み切った青い空が見えた。 夏らしい巨大な綿飴のような入道雲が浮かんでいる。 「何? 雲がどうかしたの?」 同じく窓際まで歩いていき、日向に訊いた。 「ほら、あそこに白いのが二つ出っ張っていて、その上に巨大な顔が……なんとなく人型に見えませんか?」 「え? どこどこ?」 私は指差した先を見てみる。が、瞬時にわからなかった。 柔らかそうな雲が、空の上に広がっている。 もし、あの上で寝転がることができるのなら、気持ちいいだろうなと私は思った。 「あそこです。左に山のように大きなのがあって、その横に出ている雲です!」 「え~と、ああ、あれね。確かに言われれば、そう見える気がするけど」 正直、雲なんて見ようによってはどんな形にでも見える。 野菜だったり、動物だったり、アニメのキャラクターだったり、そんなことを想像していると枚挙に遑がない。 日向が指差した先の雲は、確かに巨大な人型に見えなくもなかったが、それが一体どうしたというのだろう。 「あれが、どんどんこっちに近づいて来ているんですよぉ」 この子マジかと、私は思ってしまった。 当然のことを、怯えながら彼女は伝えてくる。 「そりゃ、雲は、風で動くからね」 とりあえず、適当に言葉を返しておく。 日向がおかしなことを言い出すのはいつものことだ。 真面目に相手をしていたら疲れてしまう。 「でもでも、普通の雲だったら私はなんとも思いません! あの形は絶対まずいやつなんです」 私はカバンを机の上に置いて、本を取り出し始めた。 図書室で借りた小説。男女のすれ違いを描いた物語で、今日ここ部室で読もうと思っていたものだった。 「どんな風にまずいの? また宇宙人に攫われるとでも言うの?」 一応会話を進めながら、本を机の上に置き、私は座った。 ちなみに日向は、以前にも宇宙人のUFOが狙ってくるとか言って、騒ぎまわっていたことがある。よくよく見ると、遠くにいた、ただの鳥だった。 「あの形は昔、何かの本で見た悪魔にソックリなんです。特に首の辺りに特徴があるんですけど、奴は色んなものに擬態して、一人でいる人間を捕まえようとします。きっとあれは雲に変態した何かで、独りでいる私を襲いにきているんです!」 どこから持ってきた情報なのか、如何にあれがやばいのかを私に解説した。 「じゃあ、大変じゃない。この学校の人間、全員食べられちゃうわね」 適当に流しつつ、私は借りてきた本を開いた。 恋愛系小説だけあって、ほのぼのとした雰囲気の冒頭から始まっていた。調和の取れたリズムにスッと文章が頭に入ってくる。風景までも頭に浮かんでくるような思いがした。 「違います! 教室で独りでいるのがまずいんです。あれは集団でいる人達の前には姿は現しません。海外でも多くの例が確認されていて、あの形を見た人間は生きて帰られないと聞いたことがあります」 一体どこから持ってきた知識なのか、日向も私の前に座り、熱弁した。 私には聞いたこともない話だけど、多分、彼女自身いろいろな情報がごっちゃになっているのだろう。怪奇現象、心霊現象という類いのものは巷に溢れている。大抵の……というか全ての不可解な現象はほとんど思いこみで、夢や見間違いで片付けられるのではないかと、私は思っている。大体、生きて帰ってこれられなかった人間の情報が、どうやって人に伝わっていくというのだろう。 しかし、日向は冗談を言っているつもりはないらしく、真剣そのものだ。本当に悪魔に襲われると思っているようだった。 「じゃあ、とりあえず大丈夫ね。今、二人になったわけだし」 一応、彼女を落ち着かせるためにそう言った。 すると、日向はハッとして、すぐに穏やかな表情に変わった。 「そうですね。先輩来たのでもう大丈夫です!」 そう言って、彼女はスケッチブックと鉛筆を取り出した。 そうして、絵を描き始める。 ほんとに子供のようだった。 彼女は、ここでは絵を描かくか、漫画を持ってきて、読んでいることが多い。 技術的にはそれほど高くはないのかもしれないが、絵心はあると思う。 しかし本当は漫画を描きたいらしいらしいのだが、いつまで経ってもそちらの方を進めるつもりはなさそだった。 私個人としては、妄想ばかりしている彼女が、どんな物語を作りだすのか興味があったのだけど。 日向はすっかりと雲のことを忘れてしまったのか、鼻歌を歌いながらスケッチブックに向かっている。 天気みたいに変わりやすい情緒だった。 この日の部活動は、私は本を読み、日向は絵を描く。 いつも通りの文芸部の活動で終わった。 □ 学校を出る頃には、もう日は落ちかけており、外は薄暗くなっていた。 他の運動部もチラホラと帰るのが見えて、随分と長い間学校へいたんだと実感させられる。 文芸部は特に帰る時間は決まっておらず、終わる時間もまちまちだった。大抵は私の気分で終了し、日向もそのまま一緒に下校することが多い。 そもそも部活として機能していないわけだし、行く必要もなかったのだけれど、惰性で部室に向かう日々が続いていた。 このままでいいのかとも不安に思っている。しかし、私にリーダーシップなんかなかったし、日向には全く期待できなかった。 入った当時はあんなに活気があったのにな。 部活動に積極的だった先輩達が抜け、残された人達はやる気が低下していた。申し訳ない気持ちもあったが、せめて部に顔を出すことで、自分は頑張って出てますよというアピールがしたかっただけなのかもしれない。 家路に向かって歩く私。 学校から家までそれほど距離がなく、電車に乗らずとも徒歩で通える範囲だった。 自転車で登下校した方が良い距離にあるのだが、歩くのが苦にならないため使っていない。何より、歩きながらボンヤリと景色を眺めるのが、好きだからといった理由もあった。 そんな感じで、見慣れた帰宅までの道を歩いて帰る。 もう暗くなってきているため、風景を楽しむことはできなかった。 ……と。 ととおとおとととと・ t;l、が、。 あっごrphpせw@あ:g:あgっkがpごっwq。 「……え?」 音がしたわけではない。 しかし、突然ノイズが走ったかのように、文字の羅列が私の頭に入ってきた。 不規則でなんの意味もない語句が、脳内に駆け巡ってくる。 Jpjれわせあえわ たgd7s¥すgs「けgj「@dkて 一瞬目眩かと思った。 しかし、以前風呂上がりの立ちくらみなど何度か経験していた私は、それとは全く異質なものだと感じてしまった。意識はハッキリとしているし、このまま気絶してしまいそうな兆候もない。 「何、今の……?」 私は、謎の現象に恐怖した。 得体の知れない何かが自分に襲ってきている感覚を、肌で感じてしまったからだ。 生き物としての本能が、これは危険だと明示しているかのようだった。 意識をしっかりと持ち、私は最大限の警戒をする。 だが、既に文字羅列は頭の中から消えさえっており、普段通りの景色が映るだけだった。 「つ、疲れてるのかな? 本の読み過ぎ?」 自分に言いきかせるかのように、そう呟いた。 周囲には幸い人はいなかった。 今の自分を見られていたら、さぞ挙動不審だったように思う。 立ち尽くしたままその場から動けずにいたが、やがて思い直す。 「気のせいよね、うん」 そう思いたかったのかもしれない。 結局……そう結論づけた。 結論づけるしかなかった。 そして、何事もなかったかように歩いて家路へ向かおうとする。 そこで。 何気なく、周囲を見渡した時だった。 公園。 公園があった。 うちの家と学校までの道にある場所で、比較的広く緑も多い。 明るい時間帯は子供が遊んでいたり、老人がベンチに座ったりしているのをよく見る。しかし、夜になると外灯はついているもの、あまり人がいた覚えがなかった。 そこの屋根付きベンチに、一人の男子生徒が座っていた。 よくよく見ると、それは私の知っている人物だった。 高宮昇がそこにいたのだ。 □ 私はベンチへ近づいていって、声をかける。 「高宮? 何しているの、こんなところで」 私は机に向かって、何かを書いていた彼に問いかける。高宮は、声に反応して顔を上げ、私を見た。 「……明日香さん。随分遅い下校ですね」 いつも通りの彼。 何気ない様子で、私にそう言った。 「うん、部室で本を読んでたら、ついついこんな時間になった」 「そうですか」 淡泊にそう返される。 「高宮こそ制服姿でどうしたの? あの後帰ったんじゃないの?」 私に小説を見せた後、彼は学校を出たはずだった。 「……バイトに行っていました。それで今はその帰りですね」 「そうなんだ。バイトって何しているの?」 「家庭教師をやっています。だから時間は結構バラバラだったりします。お金はいいのですが、月によって収入が変わるところが難点です」 「へ~、すごいわね。高宮、頭いいもんね」 素直に感心して、私は誉めた。 「そうでもないですよ」 謙遜して彼は答える。 何気ない会話。 高宮は、学校にいると何も変わらず、私と接してくれていた。 会話しながらも、彼は机に向かって何かを書いていた。 「何しているの? 勉強?」 「小説です」 即座にそう返される。 「そう、それは、それは……」 私は言い淀む。 さっき教室で読ませてもらった時に厳しく酷評した。しかし、全く堪えてないようだった。 このメンタルが逆に羨ましい。 「雰囲気作りって大事だと思うんです。その場にあった場所で執筆をすると、より臨場感のある描写ができると僕は考えます。例えば小説ではないですが、あの松尾芭蕉は、旅をしながら俳句を詠ったと言われています。名所などを巡る課程で、様々な名句が生まれた。想像するよりも、実際目で見て執筆したほうが絶対いい。その場で見たものを、そのまま表現したほうがより良いというのは、何も俳句だけに限った話でないと思うんです」 長々と高宮は持説を展開した。 「なるほどー」 感情なしで、私は納得したように言った。 彼の気分は松尾芭蕉らしい。 見ると、公園の机の上にはルーズリーフが積まれていた。結構な枚数だった。 「これさっき読んだやつの続き?」 「いえ、これは別のですね。昨日から書き始めていたやつです」 「早いわね。何枚くらいあるの?」 「今、四十六枚ほどですね」 「すごいわね」 このスピードだけは、素直に感心してしまう。 「でも、手書きなんで中々大変ですね」 「パソコンでやればいいのに」 「パソコンは持ってないんです」 私の言葉に、即座にそう返された。 高宮は特に気にしている様子はないが、なんとなく申し訳ない気持ちになる。 バイトをしているくらいだから、単純にお金がないのかもしれない。 誤魔化すように、彼の書き終わっていたルーズリーフに手を伸した。 右上にページ番号が振ってある。 私が取ったのは、たまたま一ページ目だった。 「ちょっと読んで見てもいい?」 真面目に執筆する姿が、少しだけ格好良く見えたからかもしれない。 何気なしにそんな言葉がでた。 「どうぞ、でも推敲していないので、誤字が多いかもしれません」 「まあ、それくらいは大丈夫よ」 そう言われ、私は外灯だよりに彼の書いた小説を読んでいく。 そうして、読み始めて、すぐに後悔することになった。 ほくは座た。 いやいや待て待て、ぼくは立ちたかったのかもしれない。 ここで立っちゃっていいのか? いろいろ考えていると頭がごっちゃになそうだった。そうしてまた立とうと考える。だが、中途半端のところで停まってしまう。じゃっかん腰を浮かせた格好になる。こうして椅子からわずかに腰を浮かせているととても苦しい。 やばい、とっても痛い。そうしてぼくは木を失いそうな意識の中で、新幹線の中で腰上げ訓練をしている某バスケ部を思い出してしてしまった。一体なぜぼくはこんなことを、してるんだ。 やがて限界がきて再び着席をした。 その瞬間、ぼくは太ももにひんやりした感触があたるのを期待した。 ……だが違った。 当たり前だ。さっきまでそこにぼくが座ていたのだから。 生ぬるい感じの椅子に座った僕。再び立とうとする。 でもやっぱり座る。そうしてまた立つ。 そして、ぼくは座ってあたたたたたたたたああ 「誤字多過ぎでしょ!」 私はそこまで読んで、早速突っ込んだ。 「だからそう言ったじゃないですか」 しかし冷静に返される。 「それで、あなた漢字間違えすぎよ。わざとやってるの?」 「最近、漢字を思い出せないんですよ」 なんでこんな男に得意科目を負けてしまったのか、私は情けなくなってきた。 「いや、この際そんなこと、どうでもいいわ。この主人公はなんで立ったり座ったりしてるのよ。殺し屋にでも狙われてるの?」 「いえ、トイレに行こうとしているんです」 「誰が共感するのよ!」 「ちなみに四十六枚目の時点で、まだ行ってません」 「はよ行けや!」 相変わらず、理解不能の展開だった。 「全く、踏み台昇降じゃあるまいし」 なんとなくそんなイメージが湧いてしまったため、突っ込みを入れた。 「踏み台昇降に、座るという動作はありませんよ」 しかし、淡泊に返される。 そして、高宮に哀れみの目を向けられた。 「うるさいわね!」 揚げ足とられ、再びキレてしまう。 呆れ返ってしまって、ベンチから立ち上がる私。 当然、また座るということはしない。 「帰りますか?」 「ええ、もう帰るわ。すっかり暗くなっちゃったし」 日は完全に落ちてしまっている。 明かりは、公園の外灯だけだった。 「そうですか。じゃあ、僕も帰るとします」 高宮は、机に散らばったルーズリーフを鞄にしまい込んでいく。 なんとなく、その横顔が悲しく映ったのは、多分気のせいではない気がした。 どこか動作がゆったりとしていて、いつものキビキビしている彼ではなかった。 「高宮?」 そう私が言うと、彼は普段の表情に戻った。 そして、「すみません」と一言。 鞄に全てをしまい込んだ彼は、ようやく立ち上がった。 「それじゃね。暗いから気をつけなさいよ」 「ええ、明日香さんもお気をつけて帰って下さい。今日は色々と有り難うございました。また明日、学校で」 高宮は普段通りの様子で、私にそう言った。 そのまま彼は、私の家路とは反対方向へ歩いて行く。 私も公園から出て、家に向かう。 ここから、自宅までは目と鼻の先だった。 しかし、相変わらずの彼の意味不明小説を読まされた私は、すっかり忘れてしまっていたのだ。 高宮に公園で会う前に起こった、おかしな異変のことを。 □ 次の日の放課後。 私は今日も文芸部の部室にいた。 机の前に座って、図書室で借りてきた本のページを繰っていく。 「先輩、聞いて下さい! 昨日、私が帰りに見たのは、絶対幽霊なんです!」 「はいはい、聞いてるわよ。自動販売機の後ろに、変な影があったんでしょ?」 読書をしながら、日向と会話をする。 最初は気が散って、読むのに集中力が削がれたが、最近では慣れてきた。 「影というか、あれは顔でした。きっと、自動販売機の前で力尽きた人が、成仏できずに動けなくなっているんだと思います」 「そうなの、この辺の道端で死んだ人の話、聞いたことないけどね」 「じゃあ、もしかしたら、大昔の人かもしれません!」 「大昔に自販機はないでしょ……」 相変わらずのとんでも話を日向は繰り出していた。 どうやら、昨日部活が終わった後、彼女は何かを見たと言い張っている。 学校を出た時点で、大分暗かったため、何かを見間違ってもおかしくはない。 幽霊。 そういえば。 私も、昨日……。 なんとなく、頭に引っかかりを感じた時だった。 教室のドアが、勢いよくガラガラと開いた。 「ひゃぁっ!」 そう声を出したのは日向だ。 恐怖体験を語っていた時に、物音がするとビックリするものだ。 私も、驚いて、ドアの方を見た。 「すみません、文芸部の部室というのはここであっていますか?」 そこには男子生徒が立っていた。 高宮だった。 部室に彼が来るのは初めてだった。 「なんだ高宮か。ここが文芸部の部室だけど、どうしたの?」 現在、文芸部には二人以外、教室に入ってくることはほぼなかった。 そのため、まだ日向は驚いた顔で固まっている。 「バイトまで少し時間があるので来てみました。以前明日香さんが、文芸部に入っているって言っていたので、どんなものなのかと」 「ああ、そうなの。いいわよ。適当に座って。特に真面目に活動しているわけじゃないから」 「有り難うございます」 礼儀正しく彼はそう言って、扉を閉める。 「あ、高宮さんですね! お噂は、かねがね聞いています!」 立ち上がって、日向は挨拶した。 成績上位者だけあって、一年生の間にも名前が轟いているらしく、殆どの生徒は高宮のことを知っている。まあ、日向は私繋がりで知っているんだけど、直接二人が会ったのは初めてだった。 「どうも、月城日向さんですね。明日香さんから聞いています」 高宮は彼女にそう言葉を返した。 文芸部の話をした時に、今は二人しかいないことをなんとなく話した記憶がある。しかし、彼女の名前は一度しか口にしていないのだが、さすがの記憶力だった。 高宮は部室に入るなり、早速本棚の方へと歩いて行った。 そこは過去に作成した部誌や、先輩方が過去に書いた小説などが置いてある場所だった。 「明日香さんのを読んで見たいのですが、ここにありますか?」 早々と彼はそんなことを聞いてきた。 「ええ、置いてあるわ」 正直なところ、彼にもあまり読んでもらいたくなかった。 部員には読んでもらったが、皆に微妙な顔をされてしまっていたためだ。 「……あった、これですね」 しかし、無情にもあっさり見つけ出されてしまう。 私のは新しい部誌に載っていたため、比較的に目立つ場所に置いてあった。だからすぐに見つかったのだろう。 そうして、机のほうへ彼はやってくる。 「昨日、続きを少しだけ進めましたので、よかったら僕のも読んでください」 高宮は机の上に、鞄から取り出したルーズリーフを数十枚置いた。 思わず「げっ」という言葉が漏れそうだった。 「私、昨日読んだから、日向読んだら?」 そして即座にそう伝える。 彼女を生け贄をすることにした。 「はぁ、高宮さんの小説ですか」 何も知らない彼女は、そう言って、ルーズリーフに手を伸ばした。 元々は、漫画家になりたいらしい彼女。 漫研部のようなものがなく、また本を読むことは好きなため、うちの部に入ったらしい。 そんな日向に、最大の試練が訪れようとしていた。 アーメン……日向。 私は心の中で、お祈りをせずにはいられなかった。 高宮も座り、私の小説を読み始める。 考えてみれば、彼の小説を幾度か読んだことはあれど、自分のものは一度も読んでもらったことはなかった。 一体どれほどの文句が言われるだろうか。 彼はページを時々めくり、真剣な様子で部誌に目を落としていた。 どうも、自分の小説を他人に読まれている時間というのは、落ち着かない。 私は意識を逸らすように、再び読書に集中することにした。 三人だけの教室。 静かに紙をめくっていく音。 外から野球部の練習している声。 少し離れた場所からブラスバンド部の楽器の音が聞こえていた。 四十分くらい経っただろうか。 高宮が突如、声を上げた。 「いや、面白い。いいじゃないですか、明日香さん」 驚いて、私は彼を見た。 「え?」 予想外の言葉に固まってしまう。 「明日香さんの小説面白いです。いや、やっぱりさすがだなぁ。僕ではこんな発想はできないです」 「そう、あ……りがと」 ここまで絶賛されたのは初めてだった。 誰に見せても、微妙な反応をされてしまった物語。 特に高宮に対しては、読ませてもらってボロクソに言っているから、報復で酷いことを言われることを覚悟していたのだ。 「特に、このテルントムットというキャラがいいですね。この世界観、雰囲気に非常にあってると思います」 彼は意気揚々と感想を述べてくれた。 正直、面白いと言われた時、別の人の小説でも読んでいるのではないかと思った。 だけど、あのキャラ名がでてくるといことは、間違いなく私の小説だった。 誰も誉めてくれなかったため、世界中の人全てに否定された気分になっていた。しかし、たった一人でも良かったと言われると救われた気分になる。 それが少し感覚のずれた高宮であったとしても。 「もう全部読んだの?」 「いえ、まだ途中です。でも今日はそろそろバイトに行かなければいけないので、読めなかった分はまた時間のある時に読みにきます」 「そっか」 誉められなれていないためか、口数が減ってしまう。 そうして、高宮はまた続きを読み始めた。 どうやらお世辞ではないらしい。 不思議なもので誉められると、少しだけ浮かれてしまう。 「高宮も文芸部入ったら? 部活やってなかったわよね」 だからつい進めてしまった。 横では難しい顔をしながら、彼の書いた小説とにらめっこをしている日向がいた。 「ありがとうございます。でもちょっと無理そうですのでお断りします。昨日と今日の放課後空いていたのは、ほんとたまたまで、明日からまたすぐ帰らないといけません。当分そんな日が続くと思いますので、部活に出られる時間がほとんどないんです」 彼は丁寧に断りの言葉を述べた。 「そう、残念ね」 「ええ、今日ももう少し読ませて頂いたら、行かなければいけません」 「うん、わかった」 「僕もここで小説を書くことができればいいんですが」 そう言って、再び私の小説に目を移した高宮が、暗く沈んでいくのを私は見落とさなかった。 いつもとは違う表情。 成績優秀な彼には彼なりの悩みがあるんだろうなと、なんとなく感じてしまった。 彼の背景。 まだそれほど親密な関係でもないため、彼のことを全よく知らなかった。 そういえば友達も全くいないようなイメージがある。学校で私以外の同級生と会話をしているのを余り見かけたことがなかった。 敬語での会話は変わってはいるけれど、コミュニケーション能力が低いとも思えない。一体何故人と関わろうとしないのだろう。リーダーシップもありそうなのに、不思議だった。 とはいえ、あまり質問攻めをするつもりにもなれなかった。 なんとなく、嗅ぎ回るつもりにもなれなかったし、高宮自身が壁を張っているように思えたからだ。あんまり深く入っていくと、彼に気分を害してしまうかもしれなかった。 とりあえず私も、再び小説の続きを、読み始める。 その時だった。 またしても、昨日の異変が起こったのだ。 ――――え? わgrkgrじょsphとjそhjそえw::skrじrじぇ dさfdっぎfjlj;じいp:wp ――――何これ? さなgfだgfl;d;:gだl:plp@wp@おq 目の前に意味不明の文字が流れ始め、止まることがない。 そして私が声を出しているつもりなのに、まるで外界へ届けることができなかった。 これはヤバい。 何か絶対に良くないことが起こる予兆を、感じずにはいられなかった。 前日よりも強く、ハッキリとした文字が一体何を意味しているのかわからなかった。 空間が歪んでる……? 教室がグニャッと曲がったように見えて、平衡感覚を失ってしまったかのようだった。 kgkろぺsこよとs^-5k;gds;。、fkl;:sこp:kぇwp@p:@たkg:pgfkぇおpりをtぺwぽてwkp;m。sま@pwこtぺをあpgrl;:gこp:じょpじwmか;んk;lがん;っknえじゃjみ;お……………… 謎の文字羅列が今までよりも長く。 より早く、流れた直後だった。 突然何事もなかったかのように、普段通りの教室に戻った。 「……あれ?」 声も普通にでる。 隣にはビックリした表情の日向が、こっちを向いていた。 「せ、先輩ぃ~」弱々しい声で、私を呼んだかと思うと、「私、とうとう本物の怪奇現象に巻き込まれてしまったみたいです~」 そう言った。 普段なら取り合わないのだが、同じようにおかしな現象を体験してしまったため、真面目なトーンで質問した。 「どんなことがあったの?」 「なんか文字が頭の前で流れて、教室がグルグルした感じになって、絶対ヤバいやつです……」 「うそ……」 彼女も全く同じ症状を体験してしまっていたようだった。 いつもの日向の妄想で済ませられれば、どれほど良かったのだろう。 何かの変異が起こってしまった。 それは、間違いなかった。 「そうだ、高宮! あんたは何もなかった?」 私は目の前の彼に、声をかけた。 かけたはずだった。 しかし……。 さっきまで、目の前にここで座っていた高宮。 いつの間にか彼は……教室内からいなくなっていた。 □ 「高宮……?」 私は声をかけるが、当然返答はない。 「帰っちゃったんでしょうか?」 日向は私にそう訊いた。 彼女自身、そう思いたがっているような口振りだった。 「でも、目の前にいたのよ。二人とも気がつかないなんて……」 謎の現象が起こっている間に帰ったのだろうか。 正直、そうであって欲しかった。 もう帰るとは言っていたし、たまたま二人が目眩のようなものを起こしているうちに下校した。無理矢理な解釈だが、部活中いつの間にか誰かが帰っているなんて経験は、今までに何度かあった。 だが、私は嫌な違和感を感じずにはいられなかった。 「先輩。やっぱり、なにか変じゃないですか?」 早くも涙目になっている日向が、私の腕にしがみつく。 「こ、怖がらないでよ。大丈夫よ。ここ、いつもの部室じゃない」 彼女に声をかける私の声は、震えていた。 そして『いつもの』とは言ったものの、何かが『いつもの』場所とは違うのだ。 一体何に……。 何に引っかかっているのだろうか。 机の配置、本棚の配置、黒板の場所、全て記憶通りでおかしな所はない。 外は先ほどと変わらず、日が入ってきており、違った点はなかった。 高宮は……確かに急にいなくなったが、帰ったとして考えれば、それほど妙なことではない。 しかし、放課後……というか学校にあるべきはずのものが欠けてしまっているのだ。 「あっ」 私は小さく声を上げた。 一つ、先ほどまでとの相違点を、発見してしまったからだ。 「先輩?」 小首を傾げて、こちらを見上げる日向。 「……音だ」 「音ですか?」 「外からの運動部の声、ブランスバンド部の音楽、全然聞こえなくなったわ。さっきまで、結構聞こえてきてたのに」 「そういえば……」 そう。 静かすぎるのだ。 放課後のこの時間は、野球部のかけ声や、同じ階のブラスバンド部の音が、この部屋に入ってくる。四六時中鳴っているわけではないが、先ほどの異変から、それらが完全に途絶えてしまっていた。 私は急いで、窓の方へ行き、グラウンドの方を覗き見た。 「う、そ……」 それを見て、絶句しかけた。 普段野球部や、陸上部が使って、大勢の人が見えるはずのそこには、誰一人いなかったのだ。 四階の窓から見える景色。 だだっ広い校庭が見えるだけだった。 日向も窓際に寄って来て、目を丸くしていた。 「誰も……いませんね」 「みんな何処に行ったんだろう。まだ部活終わるのは早すぎるわよね」 教室内にある時計に目をやる。 十六時半を指していた。 通常、野球部などは、暗くなるまで練習をしている。こんな時間で終わっているというのは記憶になかった。そもそも窓から見える範囲に誰一人いないというのが奇妙なのだ。 「急な避難訓練か何かがあったんでしょうか?」 それでも日向はこの状況を、そう解釈した。 というよりも、思いたかったのかもしれない。 私自身、異常事態が起こったと思いたくなかったため、彼女の案を信じたくなってきた。 「とりあえず、教室の外へ出てみましょう」 そう促し、教室のドアの方へ歩いて行く。 日向も「は、はぃ」と小さく言って、私の手を取りながら付いて来た。 普段からヤバいヤバいと、事あるごとに言ってきた彼女。 本当の異変が起こってしまうと、萎れてしまったように静かになっていた。だが、無理もない。私だって、手汗がすごく、パニックになりそうな自分を必死に抑えているのだ。 教室から出た廊下は不気味なほど静まりかえっており、誰一人歩いていなかった。 二人だけの足音が、四階の廊下に響く。 まるで廃墟の探検に来ているかのような心境だった。 歩いて行き、とある教室の前で私は止まる。 そこは視聴覚室だった。 普段ここでブラスバンド部は練習をしている。 だが、教室の目の前まで来て、何も聞こえてこないのが不気味だった。 開ければ大勢の人がこちらを見て、「明日香じゃない~、どうしたの~?」と気楽な感じで同級生が声をかけてくれることを想像した。 そうして、「ごめんごめん、静かだったからどうしたのかなーと思って」と言って、日常に還れればどれほど良かっただろう。 しかし、ドアを開けた私は、見事にその希望を打ち砕かれることになる。 誰一人いない。 深閑とした視聴覚室がそこにはあった。 楽器はなく、人も誰もいなくなっていた。 「な……んで……?」 心の底からでた疑問だった。 文芸部の部室にいた時は、ここから楽器の音が聞こえてきていたのだ。 「やっぱり、皆、避難訓練で外にでちゃったんでしょうか……?」 日向はそれでも自説を曲げようとしなかった。 だが、そもそも避難訓練は放課後にやるようなものでもない。しかも、ここに楽器がまるでないというのは、異様としかいいようがなかった。 彼女は自分も避難しないといけないと思ったのか、屈み込んで、取り出したハンカチを口に当てた。そうして、姿勢の低い状態でゆっくりと歩く。煙が舞っていることを想定した、訓練のつもりらしい。 いや、日向。もう全員外に出ているのなら、私らは手遅れだから。 そんな突っ込みを頭の中で浮かべてしまうが、それどころではなかった。 私は、視聴覚室に入っていく。 消えてしまった生徒。 なくなってしまった楽器。 そもそも、ここに最初から人などいたのだろうか。 そう感じさせるほど、閑散とした雰囲気を醸し出していた。 日向は、まだハンカチで口を覆い、低い姿勢で私に付いてくる。 「みんふぁ、何処でふか~?」 口を塞いでいるため、くぐもった声で、誰かいないかと問いかける。 が、反応は返ってこなかった。 隠れてドッキリでした、という訳でもないみたいだ。 そうして、私が教室内の何処か、おかしなところがないか調べている時だった。 突如。 ――――ピッ と小さな音がした。 「ひっ」 二人同時に驚いて声を上げる。 音の方向を辿ると、中央のテレビがついていた。 ボタンを押した覚えもないが、自動的にスイッチが入ってしまったようだ。 映像にはニュースのような番組が映しだされており、女性リポーターがマイクを持って中継をしていた。 「昨夜未明、父親を殺害した疑いで、その息子が逮捕されました。市営団地の自宅で同居する父親に対し、刃物で顔を何度も刺した疑いが持たれています。父親の○○さんはその後死亡しました。遺体の損壊が激しく、警察の調べでは、息子は父親に強い恨みがあったと供述をしております」 一通り、事件の内容を説明したあと、テレビは消える。 「何よこれ……」 一体何が起こっているのだろうか。 さっぱり訳がわからなかった。 「先輩、私、怖くなってきました……」 日向はそう言いながら、私の腕を強く掴んだ。 「とりあえず、学校の外へ出てみましょう」 教室を出て、玄関へと向かう。 その過程で、私は今映ったニュースのことを思いだしていた。 あの事件。 私はなんとなく覚えている。 五年くらい前に、この街で起こった事件と酷似していたからだ。 □ グランドに向かった私達。 結局、校内では誰とも出会うことがなかった。普段ならばまだ部活をやっている時間帯。廊下に出れば生徒や教師とすれ違うことが多いはずだった。しかし、不気味なほど静まりかえっている学校は、私たちを残して丸ごと人間が消えてしまったかのようだった。 明らかな異変が起こっていることは、確かだった。しかし、未だ信じ切れない……というよりも信じたくなかったのかもしれない。私は、外へ出れば誰かと出会うことを期待したのだ。 しかし……。 「やっぱり、いないですね……」 日向が虚しく呟く。 校庭へと出た私たちが見た光景は、先ほど部室の窓からみた景色と同じだった。 休日の学校へ来てしまったかのような、気分にさせられた。 中央に向かって、歩いて行く。 グラウンドの真ん中に二人だけで立ってみると、部活をやっている生徒がいないためか、随分と広く感じてしまった。 また人はおろか、動物や虫すらも目にすることができない。 すると日向が、か細い声で私に言った。 「ごめんなさい、先輩」 突然の謝罪だった。 「何を謝っているのよ? 日向」 意味がわからない私は、理由を訊く。 「だって、私のせいかもしれません」 目に涙を浮かべ語りだす彼女。 一体どういうことだろうか。 「どうしてそう思うの?」 「元々私は変な体験をすることが多かったんです。小さい頃から、人が見えないものが見えたり、摩訶不思議な経験をすることがよくありました。だから今回もきっと、私のせいで、おかしなことがなったんだと思います」 日向は自分が悪いと思っているようだ。 確かに彼女は普段からおかしなことを言うことが多い。しかし、それは全て彼女の勘違いだと思っていた。 「こんな感じの誰もいない世界に来たこともあるの?」 「それは、ありませんけど……」 「だったら違うわよ。あなたのせいじゃない」 私は否定してあげるが、日向は言葉を続ける。 「でも、お婆ちゃんが!」 「お婆ちゃん?」 「私のお婆ちゃんもよくおかしな体験をするって言ってました。小学生の頃、よく遊びに行ってたんですが、色んな話を聞かされました。特に聞いた中で怖かったのが、不思議な世界に飛ばされた話でした」 「あなたのお婆ちゃんも、こんな人のいない場所に来たってこと?」 「ちょっと違うんですけど……でも、普段生活しているところとは全く違うって言ってました。そこは普通に人もいたんだけど、怪物のような生物が普通に徘徊していて、何度も襲われてしまったらしいんです。何かの拍子に元の場所に戻れたらしいんですけど、命の危険に何度も晒されたって言ってました」 「う〜ん……それこそ夢だったり、勘違いなんじゃない? 私も似たような夢を見ることは、稀にあるわ」 「違います! 実際、おばあちゃんの腕のところに消えない傷があるんですけど、その時、怪物に襲われた時のだって言ってました!」 日向はそう力説した。 しかし、すぐに信じる気にはなれなかった。 同様の話は巷に溢れているが、実際、そういった話の大概が証拠がないものばかりだ。 基本的に科学的に立証していなければ、存在しないと思っている私。 今、不可思議な現象に巻き込まれている最中にあっても、日向のお婆ちゃんの話を信用できずにいた。 「そう……でも、まだそういった世界に飛ばされたって訳じゃない。人がいないってだけで、もしかしたら、本当に学校から皆、何処かへ行ったってだけかもしれないし」 泣いている日向を宥めるため、また私自身そう思いたかった。 だから、続けて私は言った。 「街には誰かいると思うから、とりあえずグラウンドから出てみましょう」 「は、はぃ」 小さく、頷く日向。 その様子は、普段、様々なものに怯えている姿と変わらなかった。 きっと彼女は昔聞いたお婆ちゃんの話が、耳に残っていたのだろう。だから、ちょっとしたことで、恐れ戦いていたのだ。そう考えると、今までの日向の奇想天外の行動になんとなく納得がいった気がした。 もしかしたら彼女自身にも、そんな怖い目にいつか遭遇するのではないかと、常時身構えてしまっていたのかもしれない。 実際おかしな状況に巻き込まれた日向は、不安で一杯といった感じの表情をしていた。 学校を出ようと、校門へと向かった私たち。 しかしそこで、予想もしないことが起こった。 校門のほうで、素早く動く生物を発見したのだ。 小さく俊敏な動き。 最初それをウサギかと私は思った。 だが長い耳は黒く、手足の先と顔も黒い。目つきは鋭く、口からは尖った歯を覗かせている。可愛げのないそれは、ウサギとはまるで別物だった。 「嘘でしょ……まさか……」 そいつは、私たちが向かおうとしていた校門の前に止まる。 まるで、私たちを待ち構えているかのようだった。 その姿をハッキリと視認できた私に戦慄が走る。 絶対にいるはずのない生物がいたからだ。 いや、いてはいけないというべきか。 なんで、こいつが、ここに……。 そいつは目を光らせこちらを見据えていた。 ここにきて私は、思ったよりも事態が悪いことを悟る。 何も知らない日向は、ようやく見つけた動く生き物に、嬉々として近づいていった。 そうして、目の前で、しゃがみ込んだ。 そいつは人間が近づいても恐れもせず、何倍もある彼女を悠然と見上げている。 そのまま日向は、和かな表情で、話しかけた。 「あなたは、ウサギさんで……むぐぅ」 私は慌てて日向の口を塞いだ。「ウサギさんですか?」と『質問』しようとしたのだろうが、そうなると非常にまずい。 「待って。私が『質問』するわ」 だから変わって、私が目の前の生物と対峙した。 内容をハッキリとまとめ、端的に『質問』する。 「テルントムット、何故あなたがここにいるの?」 思わずきつめの口調になってしまう。 するとそいつは、ニヤッと嗤って、同じく端的に答えた。 「それは、高宮昇が、直前までおまえの小説を読んでいたからだろうな。えらく気に入ってようだし、印象に残ったのだろう」 …………? その回答を聞いても、私はイマイチ理解できなかった。 「喋った!」 こいつを知らない日向は、私以上に状況が掴めていないのだろう。会話をしたことに驚愕している様子だった。 テルントムットは一つ目の『質問』が終わっても、そこから動こうとしなかった。 とりあえず私はホッとする。 最悪な事態は防げたが、問題はここからだ。 私は言葉を選びながら、二つ目の『質問』をした。 「ここは、私たちが知っている世界じゃないの?」 そう訊くと、テルントムットは簡単に答える。 「そうだ」 短すぎる返答。 あまりの言葉の端折り具合に、私は戸惑ってしまう。 横にいる日向は、何が起こっているのかわからないといった様子で、頭にクエスチョンマークを浮かべているかのようだった。最も、私もこいつの正体以外、全く事態を把握できていないのだが。 ここで会話が終わるのかと思っていたが、テルントムットは続きを話し始めた。 「お前らの言葉を使うなら、ここはパラレルワールドといったところだ。お互いの世界の事象を干渉し得ない空間。お前達二人は、運悪く彼の深い意識化に迷い込んでしまった。言うならば、他人の家に迷い込んでしまった猫のようなものだ」 「パラレルワールド……」 予想以上に喋ってくれたが、全く状況は好転していない。 私たちは何故こんなところに来てしまったのか、また元に戻る方法を知りたいのだ。 だから、私は三つ目の『質問』をしようとした。 しかし、 「それではな」 テルントムットはそう言って、そのまま私たちから離れていく。 「待って! テルントムット!」 そんなことを言って、聞き入れてくれる奴ではない。 そのまますごい勢いで学校外の方へ走り出し、あっという間に見えなくなった。 二つか……。 私は下唇を強く噛む。 そして、自分の運の悪さを呪った。 まだまだ訊きたいことは、山ほどあったのに。 結局謎を残したまま、会話は強制終了した。 ただ確かなのは、私たちがいるのは、もう普通の世界ではないということだ。 「先輩……今のは何だったんですか?」 キョトンとした表情で、何も理解できていないであろう日向は、私に尋ねた。 彼女にもテルントムットの正体を、話しておかなければ不味い。 次にあれと会話しなければならないのは、多分日向になるからだ。 「説明するわ」 私は真面目な口調でそう言った。 □ 学校と自宅の途中にある公園。 ここは昨日、高宮に小説を見せてもらった場所でもある。 周囲は明るく、普段なら誰かしらが利用しているであろう公園は、私たち二人以外誰一人いなかった。 また、虫や動物の鳴き声も聞こえず、不気味なほど静かだった。 私たちは、屋根付きのベンチに向かい合って座る。 今、私が知っている情報を伝え、これからどうするか、日向には詳説しておかなければならない。 「てるんとむっと……。それがさっきのウサギさんの名前なんですか?」 「ウサギ……でもないんだけどね。正確にいうと、あれは一応、神様。そういう設定」 「神様!」 ビックリした様子で日向は言った。 自分でも特異なことを言っていると思う。 「テルントムットは私が書いた小説のキャラクターなの。何でそれがこの世界にいるか、それは一旦置いておくわ。私もよく分かってないし。とりあえず、テルントムットがどんなキャラクターなのかを解説していくから、よく覚えておいて」 「明日香先輩の創ったキャラだったんですね」 フムフムと納得したように、日向は相槌を打つ。 その様子をじと目で見る私。 「……というか、日向。あなたには確か読んでもらったわよね。覚えてない?」 そして、きつい表情で、詰問した。 「え、え、えっと」 すると、日向は明らかに動揺し始めた。 彼女が入部した当初、私の小説を読んでもらった記憶がある。しかし、彼女の様子を見ると、明らかに忘れているようだった。 「ごめんなさい!」 そして全力で謝られた。 頭が机につきそうなくらいの勢いだった。 私はショックを受けた。 「まあ、いいわ……。それだけ私の小説が、記憶に残らない程度の出来だったってだけだから……」 「違うんです! 私、物覚えが悪くて、すぐ忘れちゃって!」 よくわからない世界に迷い込んだ私たち。 そんな場所で、自虐合戦が始まってしまっていた。 だが、こんなことをしている場合ではない。 気を取り直して、テルントムットのキャラについて解説していくことにする。 「あのね……私の創ったテルントムットは、真実を教えてくれる神様なの。あいつに『質問』すればどんなことでも、答えが返ってくる」 「どんなことでもですか」 「ええ、そうよ」 私は頷いた。 そう。 テルントムットは何でも知っている。 だから『質問』すればどんなことでも、教えてくれる。 意中の異性の振り向かせ方。 絶対に捕まらない完全犯罪の方法。 徳川埋蔵金の在処。 まだ解明されていない宇宙の理まで。 知らないことはなく、完全なる答えを教えてくれるのだ。 「ただ、あいつには色々と面倒なルールがあってね」 「ルールですか?」 「うん。まず質問ができる数なんだけど、一個から十個まで。これはランダムで決まるの」 「ランダム……」 「だから一個で打ち切りの時まであれば、十個まで答えてくれる時もあるってこと。ちなみにさっき私が会った時は二つしか答えてくれなかった」 「なるほど。気まぐれなんですね」 そう。 テルントムットはまさに気まぐれの神様なのだ。 「二つめのルールは、質問を終えて去った後なんだけど、その後はしばらく放浪モードに変わる。放浪中には一切の質問は受け付けないの。この期間が一時間から三百六十五日までの間。だから、一時間後に質問できる場合もあれば、三百六十五日後にならないと質問できないこともある」 私は説明しながら、本当に面倒な設定を作ってしまったなと思ってしまった。 既に、日向は指を数えながら、一生懸命考えているようだった。 「えっと……その放浪中と、質問を受け付けている間っていうのは、どうやったら見分けられるんですか?」 「はっきりとした違いはないんだけど、基本的に動いているか、止まっているかの違いね。人の前でじっとしていたら、あなたの話を聞きますよってことで間違いないわ」 「そうなんですね」 「それから、これが重要なんだけど、テルントムットは同一人物の質問は二度続けては受け付けない」 「二度ですか?」 「つまり、私がさっき質問したわけだけど、今放浪モードなわけね。それがいつ終わるのかわからないけれど、その次会ったら、私はもう質問できない」 「質問したらどうなるんですか?」 「無視されるでしょうね」 「なる……ほど」 納得したのかしていないのか、よくわからない感じで日向は答える。 「恐らく、今この世界に多くの人はいない。だから、もし次あいつに会ったら、日向、あなたがあいつと話すようになると思う」 「……私が!」 「そう。だから、いつになるか分からないけれど、テルントムットと会った時、何が訊きたいかよく考えておいて」 「わかりました!」 すぐに日向は元気よく頷いた。 任せてくれといった様子だった。 私はその姿を見て安心する。 ここがどういう世界なのかよくわかっていない。 しかし今、状況を好転させる鍵を握っているのは、テルントムットであるのは間違いない。 あいつに訊けば、まず答えが返ってくるのだから。 でも、私は最後のルールを日向に伝えなかった。 それは質問者は、必ず自分の意思で質問しなければいけないということだった。 例えば私が日向に「この世界から脱出する方法を教えて」と言うように命令したとする。そして日向が、テルントムットにそのように質問する。すると、それを受け付けないばかりか、暴走モードに変わり巨大化する。そして、質問を幇助した相手を捕食する。つまり、私がテルントムットに食べられてしまうのだ。 驚異的なスピードと、獰猛な動物など比較にならないほどの殺傷能力を持つ暴走モード。こうなると人が助かる術はない。 つくづく厄介なルールを作ってしまったと、私はここにきて後悔した。 日向に言わなかった理由は、あまり怖がらせたくなかったためだ。萎縮してしまっては、普通に質問できなくなるかもしれない。また、自分で気をつけていれば問題のないルールでもあった。 とりあえず、あとは日向がここから脱出してくれる方法を訊いてくれるはずだから、待てばいい。 ただ、最大で三百六十五日……。 なんで、二十四時間にしておかなかったのか。 この設定を作った作者に腹が立ってしまった。 まあ、私なんだけど。 「ところで、ここは、結局どこなんでしょうか? さっき先輩、色々訊いてましたけど」 日向は私に疑問を投げかけた。 「正直、私にもよくわからなかったの。テルントムットは大事なところは教えてくれなかったから。ただ、間違いないのは高宮が関係しているってことね」 「高宮さんが!? 人を別世界に飛ばす能力者ってことですか!」 「違う違う。テルントムットは私たちを『迷い込んだ猫』みたいな表現の仕方をしていた。だから、何らかの偶然が起こって、高宮の意識の中に入ってしまったのだと私は思ってる。他人の夢に入ったり、意識化に迷い込んでしまったってのを、何かの本で読んだことがあるの。にわかには信じられないし、推測でしかないけどね」 私は自分の予想を語った。 「高宮さんは、私たちをここに閉じ込めて、あんなことやこんなことをするつもりかもしれません! きっと、私たちを気に入って、この世界に閉じ込めておくつもりなんです!」 しかし、全く聞いてなかった。 普段の妄想が炸裂してしまっていた。 あわわ、あわわ、と焦った様子の日向。 部活で二人きりの時とまるで変わらなかった。 というか、あんなことやそんなことって何よ。 高宮と何度か接していた私は、彼が悪い人間でないことはわかっていた。誠実で頭も良くて欠点らしい欠点が見つからない男。ただ、小説だけはちょっとあれだけど。 「え?」 そんなことを思っていると、私たちが座っている所とは違う屋根付きベンチ。 そこに人影が見えた。 屋根の影になっているため顔はよく見えないが、若い男のように見えた。 「あれは……」 私はすっかり忘れていたのだ。 ここが、高宮の意識の中なら……。 その男は、ベンチに座っていた。 そうして立とうとしていた。 でもまた座った。 そんなことを繰り返してた。 見ていて、とても腹が立つ動作だった。 私がその方向に視線を固定していたためだろう。日向も気がついて、そっちの方向を見た。 「あれは、誰ですか?」 「多分、高宮の小説のキャラクターね」 私は突っ込みたくなるのを必死に抑えていた。 しかし、頭の中に高宮の小説の文章が入り込んでくる。 ——僕は座た。いやいや待て待て、ぼくは立ちたかったのかもしれない。ここで立っちゃっていいのか? いろいろ考えていると…… どうやらトイレに行きたいらしいのだが、何故か立ち上がろうとしない。 これを達成したときに、カタルシスを得ることができるのだろうか。 いや、絶対ない、と私は思った。 ——こうして椅子からわずかに腰を浮かせているととても苦しい。やばい、とっても痛い。そうしてぼくは木を失いそうな意識の中で…… 「なんで、意識の中でまで誤字ってんのよ!」 やっぱり突っ込んでしまった。 どうも高宮の小説を見ると色々言いたくなってしまう。 「それで、トイレ目の前じゃない! とっとと行きなさいよ!」 屋根付きベンチの真横に、綺麗な石造りのトイレがあった。 一体何が、彼をそうさせているのかわからなかった。 「頑張ってー!」 日向は何故か応援している。 そういえば彼女も直前まで読まされていたのを思いだした。 いいのよ頑張んなくても。 ——でもやっぱり座る。そうしてまた立つ。そして、ぼくは座ってあたたたたたたたたああって、世紀末に生きた北斗の男みたいにパンチの真似をした。 「最後のあれ、誤字じゃなかったんかい!」 もうどうでもよくなってきた。 そうしてベンチから立ち上がる。 「行きましょう、日向」 「え? いいんですか、彼をほっといても」 「いいのよ。彼を待ってても、トイレに行くだけよ」 私はそう言って、その場を離れることにした。 とんだ無駄な時間を過ごしてしまった。 ひとまず、ここが彼の意識の中であるというのは、確定みたいだった。あとはどうやって元の世界に戻るか。 何処かに高宮はいるのではないか。 テルントムットに訊けば確実だけど、いつになるかわからない。 それ以外に脱出できる方法がないか、探ってみることにした。 □ 私たちは商店街を歩いていた。 まだ明るいこの時間帯は、普段なら車や人がそれなりに通っているはずだった。 だが、今は二人しか歩いていなかった。 まるで街中を貸し切っているかのような気分にさせられた。 「先輩、こうして歩いていると思い出しますね」 この世界に慣れたのか、随分とご機嫌になった日向は歩きながら喋りかけてくる。 「前に一緒にショッピングに行った時のこと?」 「そうです! あの時は、沢山お店を回りました!」 数ヶ月前に日向が欲しいものがあると言って、少し遠出して一緒に買い物に行ったことがあった。 「日向が迷いに迷うから大変だったわ。散々連れ回されたし」 私は笑いながら言った。 「でも、でも、見てたら、あれもこれも欲しくなっちゃうんです」 日向は色々と目移りしやすい性格で、店の外から興味があるものを見つけると、すぐに入っていき物色しだすのだ。お陰で何店舗も入ってしまうことになった。 ちなみに私は、事前に決めて、目的のものしか買わないため、一人で行くときはすぐに終わってしまう。この辺りの女らしくなさが、彼氏の一人もできない原因なのかもしれない。 「帰ったら、また行きましょう」 「はい!」 そう元気よく答える彼女。 きっと、また散財してしまうんだろうなと感じてしまった。 そんなことを話しながら歩いていたからだろう。 空から落ちてくる物質を、私は最初、錯覚かと思った。 ヒラヒラと落ちてくる紙切れ。 左右に揺れて、地面に落ちていく。 地面に落ちたそれを見て、私は驚く。 千円札。 お金だった。 何でこんなところにお金が? そう思っていたら、日向が声を上げる。 「先輩! 見て下さい!」 上空を指差す彼女。 私も上の方へ視線を向ける。 そこには、無数の——お金が、降ってきていた。 雪のように舞う、無数のお札。 よく見ると、五千円札、一万円札、他国の通貨まで降ってきていた。 「何なのこれ……」 この世界へ来て、奇怪な現象は多々あれど、見た中で一番現実離れした光景だった。 お札の降る街。 舞っていく札が、雪のように止めどなく空から落ちてくる。 呆然と立ち尽くして、私はその異様な光景を眺めていた。 逆に、日向はすぐに動き出し、上空から落ちてくるお札を掴み始めた。 「お金ーっ!」 そう叫びつつ、両手で一万円札を中心に、どんどんそれらを手にしていく。 意外と強欲ね、日向……。 そう思っていたが、彼女の手にしたお金は、雪のように溶けて消えていく。また地面に落ちたお札も、やがて消えてしまい、積み重なっていくことはなかった。 降っては落ちて消え、降っては落ちて消えていく。 日向も拾うのを諦めてしまったようだった。 「あらら、なくなっちゃいました」 少し寂しげに、そう言った日向。 確かにこれを持って帰れるのならば、どれほど有り難いかわからない。洋服やバッグ、文庫本だったら山ほど。欲しいものがなんでも買えてしまう。しかし、現実は甘くないということか。最もここが現実といっていいのかはわからないけれど。 「高宮がお金に対して、何かしら強いイメージを持っているってことかしらね」 「強いイメージですか?」 「ええ、バイトしてるみたいだし、お金を貯めて、何か欲しいものが買いたいとか」 私は適当に推察してみたが、彼のことがまだよくわかっていないため、自信はなかった。いずれにせよ、消えていくお札は私たちには無害だった。 硬化じゃなくて良かったと思ってしまう。 「先輩……あれ……」 そんな中、また、日向が声を上げる。 路地裏の方を指差していた。 「何? 変わったお札でも見つけた?」 お札が止めどなく降ってくる上に、路地裏は暗く、見えづらかった。 ドル札やユーロ札、何処の国のものなのかわからない見たこともない紙幣までもが、降ってきていた。 「違います、あのウサギさん……テルントムットじゃないですか?」 「嘘!?」 私はビックリして、日向が指差す方向を、目を凝らして見た。 いくらなんでも早すぎる。 まだ二,三時間しか経っていないため、日向の見間違いかと思った。 だが……。 そこには確かに黒い影の中に、二つの光る目をした生物が存在した。 あの姿は間違いない。 テルントムットが、不気味にじっとこちらを見据えていた。 □ 発見した日向は、即座に路地裏に向かって、走って行く。 「日向!」 私がそう言うと、後ろを振り返り、彼女はこちらを見て微笑んだ。 任せてくれといった感じに受け取れた。 私は安心する。 しかし、彼女はテルントムットの前にいくなり、予想外のことを言い出した。 「うさぎさん、来月の姉の誕生日に、何をプレゼントすれば喜ばれるか教えて下さい!」 早速、全く関係ない『質問』をしていた。 私は、追いつこうと走っている過程で、ずっこけそうになった。 「日向っ! 何、変なこと訊いているのよ!」 「だって、だって、私、ずっと悩んでて……。十個もあるなら一つくらいはと思って!」 「十個じゃないわ。一個から十個って言ったでしょ。一個で終わる場合もあるの!」 そう言うと、日向は、しまったというような顔をする。 ガチで勘違いしていたといった感じだった。 この子は、本物の天然だな、と私は思った。 答えなくてもいいのにテルントムットは、日向の質問に答え始めた。 「それは、可愛らしい目覚まし時計がいいだろうな。丁度、最近、毎朝起こしてくれていた愛用の時計が壊れてしまったのだ。今はスマホのアラーム音『マリンバ』を設定して起きているが、どうも目覚めがよくないみたいだ」 「え!? 目覚ましでいいんですか?」 反射的に日向は『質問』を仕返した。 「日向!」 私がまた注意すると、またやってしまったという表情を彼女はする。 テルントムットはこちらを無機質な目で見ていた。 私も口を紡ぐ。 正直、何処までが質問の幇助の対象となってしまうか、作者である私にもわからない。下手に暴走モードにでもなったらそれこそお終いだった。 もどかしいが、このまま見守るしかない。 「ああ、ちなみに買うならば、駅裏のアンティークショップがお勧めだ。お前の家から場所からそう遠くないし、お洒落な良品が多く揃っている」 どうでもいい理をベラベラと真実の神は語ってくれた。 原作では、こんなどうでもいい質問をした人はいない。 「駅裏にそんなお店あったっけ?」 独り言を呟くように日向は言ったが、テルントムットはそれを『質問』と受け取ったようだった。 「アンティークショップ『EDEN』のことだ。意外と見つけづらい位置にあるからわかりづらいため、学校でも知っている人は少ない。ちなみに場所は、駅裏から出て、左の商店街を突っ切り、カラオケ店のすぐ横の細い道を歩いて行けば着く。まあ、Googleマップにも出ているから、見ながら行った方が確実だな」 「なるほど!」 あれよあれよという間に、三つ目を終えてしまっていた。 最悪だ。 そして、テルントムットは捕捉する。 「それから、お前は駅近くのデパードの四階、雑貨売り場で買うつもりだったのだろうが、あそこはお勧めしない。粗悪な品が多く値段も高い。例えば同じような時計一万四千八百円で売っているところが、さっき言った『EDEN』では似たような品が七千八百円くらいで売っている。他にも小物やアクセサリー等々、見比べて見ると、値段の違いと品質の差に驚くはずだ。まあ、あそこのデパート自体、全体的に高いし、特に食品は他のスーパーに比べても……」 「ちょっと、テルントムット、いらないこと喋りすぎよ! 原作でもこんなに喋らせたことなかったじゃない!」 私はつい耐えきれなくなって突っ込んだ。 ほとんど近所のおばさんの話すような情報と大差なかった。 幸いというべきか、会話が終わってもテルントムットはそこから動こうとしなかった。 ということは、まだ質問の受付は終わっていないということだ。 今度こそ、日向にお願いと思ってしまうが、正直不安しかなかった。 そして、少し彼女は悩んだかと思うと、 「このお金は何ですか?」 上空から降ってくるお札を指差して、そう『質問』した。 目につくものが気になってしまう。日向らしい質問と言えば、日向らしい質問だった。 「これは、高宮昇のイメージだな。彼はお金について、使っては簡単に消えていく、そんなイメージを強く持っているのだろう。膨大な人がいて、膨大なお金が消費されていく。手にしても、簡単にこぼれ落ちる。彼の人生は、お金に苦しめられてきたため、こうしたイメージが作られてしまった」 テルントムットはそう説明してくれる。 だが、私にはよくわからなかった。 彼の背景。 一体何があったというのだろうか。 「お金に苦しめられた?」 日向も同じ疑問を持ったのか、そう口にした。 「彼は貧乏な家に生まれた。五人家族で、高宮昇は三男に当たる。親の収入は少なく、その日の食事に有りつくのもやっとなくらいだった。特に父親は、働きもせず遊びほうける不労者で、家族にも暴力を振るう、典型的な駄目親父だった。母親の少ない給料だけではどうにもならず、子供達も新聞配達などのバイトをしなければならない状態だったみたいだな」 既に、五つ質問を重ねている。 いつテルントムットがいなくなってもおかしくない状況だった。 知らなかった過去を聞けたが、状況は全く良くなっていない。 私の小説では、テルントムットは短い間隔ででた次は、放浪期間が長く続いていた。もし、同じような状況になったら、私たちはしばらくの間、この世界に閉じ込められたままになってしまうかもしれない。 私は最低数日は、テルントムットは来ないものだと思っていた。 そうすれば、日向にしても深刻度はまして、現れた瞬間ここから出る方法を訊いていただろう。まだこちらへ来て、一日も経っていない。彼女はあまり状況を重いものだと思っていないのかもしれなかった。 何よりも、このテルントムットが厄介な奴だった。訊けばどんなことでも答えてくれるのだが、その過程で、わざと興味のある話を散りばめ、質問数を増やそうとしてくる。また答えは教えてくれるものの、わかりづらい表現をすることもあり、聞き返さなければいけないことも多いのだ。結果、本人も当初訊こうとしていたことと、別の答えを知って終わりということも作中でザラにあった。全てを知る神だけあって、人心掌握術も心得ているようだった。 よくよく考えてみれば、私が最初質問したとき、別世界に飛ばされたのか、元の世界なのに出現したのか知るために「あなたが何故ここにいるのか」と訊いたのだが、上手くはぐらかされた。結果、二つ目の質問しなければいけない羽目になった。そして、すぐに逃走。 本当に嫌な奴……。 自分で創っておきながら、嫌悪すら覚えてきた。 このまま絶望的な状況が続くかと思ったが、日向は全く話を変えて、私も訊きたいことを『質問』してくれた。 「ここは一体どんな世界なんですか? 何で私達はここに来たんですか?」 「あっ……」 しかし、私はつい声がでてしまう。 「え?」 「二つ同時に質問したら、二つとカウントされるわ」 「えー! そうだったんですか!」 今のは説明していなかった私が悪いかも。 七つか……もうこれで質問打ち切りかもしれないなと思ってしまう。 「既にお前達が知っての通り、ここは高宮昇の意識の中だ。そもそもお前達が住んでいる空間なんていうものも無数にある世界のうちの一つに過ぎない。それぞれの人間がいて、その頭の中にはそれぞれの世界が存在する。まあ、ここで言う亜空間というのは、人の意識だけに限った話ではないがな。一つの空間から動けないお前達には、にわかに信じがたい話かもしれないが、とてつもなく低い確率で偶然他人の空間や、他世界へと飛ばされることがある。ちなみに何でお前達がここに来てしまったのかだが、高宮昇の小説を読んだからだろうな」 「小説?」 思わず質問を仕返してしまったのは私だ。 慌てて両手で口を塞ぐも、今の質問者は日向であったため答えなかった。 そして、日向には食指が動かなかったようで、そのことには触れないみたいだった。 ……危なかった。 もし彼女が同様の質問をぶつけてしまったら、暴走モードに切り替わって、万事休すだったかもしれない。 「どうすれば、元の世界に戻れますか?」 一番の訊いて欲しい『質問』をしてくれる日向。 もう八つ目だし、いなくなるかと思いきや、まだ去らないようだ。原作でも八つが最高記録だった。 ニヤリと嗤うテルントムット。 「根本にあるのは彼の強いストレスが原因だ。彼は勉強に、家庭環境の不和、様々な要因に疲れ果てていた。特に幼いころからの父親の強い影響で、他者と強く関わることはしなくなった。だから、そのストレスが改善されれば、元の世界に戻れるだろう」 そんな簡単なことだったのかと、私は思う。 「どうして、深く関わろうとしなくなっちゃったんですか?」 九つめの『質問』で日向は少し横道に逸れてしまった。 あまり意味のないようなことを訊く。 多分、彼女自身、今が何問目かわかってないのだろう。下手をすれば十個までという設定すら忘れてる可能性すらあった。 「彼は父親から『お前なんぞ生まれてこなければよかった。不幸を呼ぶ虫だ』と言われ続けて、生きてきた。そのため、本当に自分のせいで家族が不幸になっているんだと、思い込んでいた。長男が殺人を犯し、父親が死んでしまったときも、自分のせいだと攻め続けた。だから、友人も恋人も作らず、孤独で生きることを選択した。自分が関わったせいで、不幸になってしまうことを恐れてな」 長々とテルントムットは説明する。 「何よ。私とは関わっているじゃない」 それに対し、ついぼやいてしまった。矛盾が生じているためだ。それだったら何故私なんかと関わっているのだろうと思ってしまう。 通常、質問者以外とは会話しないテルントムット。 「鈍い女だ」 しかし、私の方を見て、嫌な笑みを浮かべそう言った。 ごく稀に、外野の質問やら言葉に反応することがある。気まぐれの神と言われる所以だった。 「何がいいたいのよ?」 睨み返すが、今度はテルントムットは私を無視した。 再び、日向にむき直す。 ほんと、嫌な奴。 何が言いたいのか、意味がわからなかった。 しかし、どうやらまだ逃げるつもりがないらしい。 とうとう、質問数十個目まできてしまった。 もしかして、こいつ、日向のこと気に入ってるんじゃない? あっさり原作超えをされ、そんなことを思わずにいられなかった。 肝心の日向は涙を流して、話を聞き入っていたようだった。 高宮の悲惨な過去を可哀想に思ったのだろう。 そして、最後の『質問』を日向はした。 「どうすれば、彼のストレスを和らげてあげられますか?」 すると、テルントムットは答えた。 「簡単なことだ…………」 □ 寂れた街の一角。 辺りにはポイ捨てされたゴミなどが散らばり、全体的に暗い印象を醸し出している。 随分と経年劣化が進んだアパートなどが立ち並んでいるこの場所。 どうやら、ここに彼がいるらしい。 「高宮さーん!」 日向が叫ぶも返事がない。 静かな住宅地に、虚しく声が反響するだけだった。 最後にテルントムットはご丁寧に彼の居場所まで教えてくれた。十個まできたから、サービスのつもりなのかもしれない。一つの質問に対して長々と関係ないことまで話すこともあれば、一言だけで終わることもある。自分で考えておきながら、ほんと適当な神だなと私は思ってしまう。 歩きながら、彼を探していく。 未だにお札は降り続いていた。 「先輩、あそこにいるの高宮さんじゃないですか?」 すると日向が何かを見つけ声をかけてくる。 大抵、先になにかを見つけるのは彼女だ。私は本の読み過ぎなのか、視力が〇・六を切ってしまっていた。対して、日向は両目とも二・〇くらいあるらしく、遠くのものがよく見える。 私が目を凝らして彼女の言った方向を見ると、先の方のアパートに人影らしきものを発見する。 急いでその方向へ向かった。 「父さん……。兄さん……。止めて下さい。喧嘩しないで下さい……」 そこには、焦点の合ってない目で、ドアの方向を見つめる高宮の姿があった。ドアを開けようとしているようだが、鍵が掛かっているよう開かないみたいだ。 その様子はいつも自信満々で、強気な彼とは違っていた。 この場所は……。 私は覚えている。 五年ほどまで、車でこの辺りを通った時に、父親に言われたことが強烈に頭に残っていたためだ。 ————ここで殺人事件があったらしいよ そうか。 さっきの視聴覚室であったニュースは、高宮のお兄さんのことだったのか……。 私は暗澹たる気持ちにさせられた。 お金によって苦しめられたとテルントムットは言っていた。 父親とお兄さんとの間にお金のトラブルがあったのかもしれない。高宮という名前ではなかったし、私はすぐに繋げることができなかった。恐らく事件後に母親の姓に戻したのだろう。 「高宮!」 私はアパート近くまでやってきて、叫ぶ。 高宮はこっちをゆっくりと見た。 「明日香さん……」 消沈したような顔をしていた。 彼は色々と悩みを抱えて、それが限界を迎えてしまった。強いストレスというのは強力なパワーになる。その脳波をキャッチして共鳴が起こり我々がこの世界に飛ばされ云々……テルントムットが最後に言っていたことだ。理解しきれなかったが、彼のストレスを緩和させてあげられることで、元の世界に戻れるらしい。 「一人でずっと悩むことはないわ。高宮は、ずっと頑張ってきたじゃない。特待奨学金を取るために必死に勉強したことだってすごいことだと思う。バイトだって頑張ってるし、今現在お金がないのも、それはあなたのせいじゃない」 テルントムットに最後与えてもらった情報を元に私は彼に語りかける。 ただ、これは全て、私の思いだった。 「お父さんが亡くなったのだって、あなたが悪いわけじゃない。だから、自分をこれ以上責めるのは止めて」 自然と涙が出てしまう。 これほど、彼の裏に辛い過去があるとは思わなかったから。 「そうですか、全部……知ってしまったんですね」 私の言葉を聞き終えた、高宮は普段の表情に戻っていた。 悲しげにそう言った。 今まで誰にも言えなかったのだろう。話すことで巻き込んでしまうのではないかと、考えているのかもしれなかった。だが、人に話せないことで——自分の中に溜め込んでいくことで、膨大な負の感情が膨れ上がる。そして、やがて爆発する。 ————理解者を作る それが、テルントムットが教えてくれた『答え』だった。 「ありがとう」 高宮は父親に生意気に思われないため、敬語で喋る癖がついたらしい。 初めて聞く、彼の敬語以外の言葉だった。 彼の言葉と同時に世界にヒビが入り始める。 アパートはそれによって崩壊しだし、周りにある植物などもヒビが入っていく。 「せ、先輩! なんですかこれは!」 「大丈夫、多分、私達元の世界に戻れるのよ」 様々なものが崩れゆく世界。 異様な光景だったが、私は漠然とそんな予感がしていた。 冷静な私の言葉に、日向も落ち着いたようで笑顔になった。 「そうですか……。戻れるんですね」すると彼女は何かに気づいたような顔をして「あっ……」と言った。 何をするかと思いきや、未だ降っているお金を拾い集めだした。 もしかしたら持って帰れるかと思っているのかもしれない。 日向、あなた案外お金好きなのね……。 そう思ってしまうが、誰もが好きなものだし、私も嫌いではない。 高宮は呆然とアパートが崩壊していく様子を眺めていた。 そんな最中、私に向かって勢いよく走ってやってくる生き物がいた。 そいつは私の目の前に止まって、こちらを見上げてくる。 テルントムットだった。 「嘘……。早すぎるわ」 あれから一時間ちょっとくらいしか経っていないはずだ。 ほんとに気まぐれ。 二度続けて、最短に近い確率を引いてしまうとは。 これじゃ、ご都合主義だな、と私は思ってしまった。 「テルントムット、聞きたいことがあるんだけど……」 それでも、折角なので私は『質問』することにした。 感情のない目で私を見つめている。 「私は小説を続けてもいいと思う?」 ずっと不安で、執筆できない状態が続いていた私。 テルントムットにもし引導を渡されれば、書くことを諦めるつもりだった。 しかし、 「さあな、お前次第だ」 曖昧な質問だったせいかもしれない。 そんな誰でもいいそうなことを言って、テルントムットはぴょんぴょん跳ねていき、そのまま闇に消えていった。 一つか。 つくづく運がないな私。 でも。 本人次第……。 頑張り次第ってことなのかな。 そう解釈した私は、もう少し頑張ってみようと思ってしまった。 世界は崩壊していく。 最後、来るときと同じように空間が歪んだかと思ったら、強い光を放つ。 気がつくと、私達三人は文芸部の部室に戻ってきていた。 □ 「すみません、あの時は、お見苦しいところをお見せしました」 不思議な体験をしてから数日後のことだった。 私と高宮は文芸部の部室にいた。 ちなみに日向は今日は来ていない。なんでも、「先輩! 今日は部活にいけないかもしれません。先生から直々にお呼びがかかりました! 他ではないお呼びだそうです。行ってきます!」と言っていた。要するに、あまりにも宿題を忘れるので、罰として居残りさせられることになったらしい。 「いいのよ。気にしないで」 あれ以来、少しだけ高宮との距離が縮まった気がした。 テルントムットの回答が断片的だったし、彼の過去の全てを把握したわけではなかったけれど、心の内が知れると、壁が取り除かれたような気になる。 また、彼自身、他の同級生とも会話する機会が増えたようだった。まだ、根本的な問題が解決されたわけじゃないようだけれど、以前より少しだけ晴れやかな顔になったように思う。 「一つだけわからなかったことがあるの」 私は、あの日以来ずっと気になっていた疑問を口にした。 「何でしょうか?」 「テルントムットはあの世界に入った原因を、あなたの小説を読んだからだって言ってた。それによって共鳴が起きたとも。これについてはよく意味がわからなかったのよね」 高宮の理解不能の小説に、おかしな力でも宿っているのかとずっと考えていたのだ。意味不明な内容だし、それが呪文のようになったとでもいうのだろうか。 「僕はテルントムットじゃないですし、間違っているかもしれませんが、少しだけ心当たりがあります」 高宮は意外にもそんなことを言いだした。 「そうなの?」 「面白いテストがあるんです。明日香さん紙と書くものありますか?」 「書くもの?」 そう言われたため、私はシャープペンシルと、ノートを一冊取り出して一番最後のページを開けた。 「それで思いつくままに形容詞を十六個、縦に並べて書いて下さい」 「形容詞?」 「ええ、『重い』とか『嬉しい』とか『黒い』とかそういった言葉です」 「それくらいはわかるわ……」 私は高宮に言われたとおり、横に形容詞を並べていく。 重い 可愛い 細い 幼い 脆い 赤い 侘しい 優しい…… 私は思いつくままに十六個の形容詞を書いていった。 「次はその言葉を全て足していって下さい。今度は形容詞じゃなくても大丈夫です」 「足す?」 「ええ、例えば最初の語句が『重い』と『可愛い』ですが、それから連想できる単語をその下に書いていって下さい。重いと可愛いから何が思いつきますか?」 そう質問されて、私は「先輩、重いです〜」と可愛らしく話しかけてくる日向を思い浮かべた。 「名前でもいいの?」 「ええ」 そう言って、次は『細い』と『幼い』から子供を連想したので、下に書く。更にその横の形容詞から連想したものを足していく。すると最終的に八個の単語が残った。しかし、これが一体何だというのだろう。 「更にその八個の単語を足していって下さい。それが、終わったら四個の単語をまた足していきます。それで、最後の一個になったら完成です」 「結構大変ね……」 私は言われたとおり、書いていく。 単語を足して、連想していく。作業自体は結構面白かった。 しかし。 最後の一個になって、私はこのテストの真意がわかる。 「そうです。最後に残った語句、そして、その前の二つの単語。それがあなたが深層心理で求めているものになります」 私は唖然としてしまった。 最後に残った語句。 恐怖、執筆、 そして、小説だった。 自分自身の内面を晒してしまったみたいで、少し恥ずかしくなる。 「で、これに、どういう意味があるの?」 当たっているとは言わず、強めの口調で聞き返した。 「小説というものは、こうした言葉の積み重ねで作られていきます。本人が意図しているしていないに関わらず、自分の内をさらけ出してしまっていると思うんです。つまり、僕の小説を読んだことで、あなた達二人は、僕の心に図らずとも触れてしまった」 高宮はそう解説した。 確かに小説は、単語を繋いでいく作業だ。作者が全く予期していなくても、内面を外界に発信していいるということなのだろうか。 続けて彼は言う。 「それによって、僕の……強いストレスとが相まって、あるいは他の偶然も重なって、共鳴が起こったためあんなことが起きてしまった。最も全て推測でしかないわけですが」 「なるほどね」 完全に理解していたわけではないが、確かに彼が言った内容には納得できるものがあった。 そうして、私は机の上に置かれている大量の枚数のルーズリーフを見た。高宮が最近書いた小説らしい。 あんなことがあったから、てっきり高宮はお金のために小説を書いているものだと思っていた。しかし、「小説ってプロになってもお金にならないらしいよ」と伝えても、書いているのが楽しいから続けている、とのことだった。私もこの辺りは見習わなければならないのかもしれない。 「良かったら読んでみてください。今作は割と自信作だったりします。そして、僕の心に触れてください」 高宮昇はそんな気持ちの悪いことを言った。 しかし、関係ない文章とは思えど、もしかしたら本当に彼の心を表現しているのかもしれない。 私は彼の書いた小説を手に取った。 タイトルは「鳥居と僕」だった。 僕。 鳥居。 僕。 鳥居。 さっきからものすごく人がいる鳥居の所で僕は一歩も進めないでいる。 鳥居を通って、三歩下がる。また、鳥居を通る。そして、また三歩下がる。 駄目だ……。僕は一体何をやっているんだ……。 こうして鳥居を行ったり来たりしていると、もういっそのこと、ここで反復横跳びでもやってやろうかという気分になる。足に重心を置き、準備する。 でも、駄目だ……。こんなところで反復横跳びでもやろうものなら本物の変人だ……。僕は必死に自分の中に存在する衝動を抑えていた。内から沸き起こる強い衝動。ものすごい衝動。僕はついに打ち勝つことができた。やった。勝ったよ僕。 そうこうしているうちに鳥居の中心で一歩も動けなくなった僕。 力尽きたのだ。 しかし、通る人はものすごく多いけれど、誰一人僕と目を合わせてくれない。早足で通り過ぎる奴までいた。何故なんだ……。 現代社会は人と人の繋がりがとても薄くなったということか。そうして、僕は最後の力を振り絞り、また三歩歩いて三歩下がった。でも、僕は 「絶対、小説と心は関係ない!」 そこまで読んだ私は、強く否定してしまった。 結局、彼の意識の中にまで入っても、理解不能の小説は理解不能のままだった。 |
銀河 2018年08月12日 23時24分18秒 公開 ■この作品の著作権は 銀河 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2018年10月19日 18時48分17秒 | |||
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Re: | 2018年09月18日 20時34分49秒 | |||
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Re: | 2018年09月18日 20時23分48秒 | |||
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Re: | 2018年09月18日 20時13分40秒 | |||
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Re: | 2018年09月18日 19時59分42秒 | |||
合計 | 9人 | 170点 |
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