黄金の戦姫カナリアと蒼銀の騎士フレイ

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 空高くそびえ立つ豪奢な宮殿の前に、千を超える数の人々が集まっていた。
 しかし、彼らは単なる市民ではない。頭部は鈍い輝きを放つ金属製の兜で覆われ、胸部には同素材と思われるブレストプレート、そして腰に携えるのは立ち塞がる敵を切り倒す長剣。
 騎士、と呼ばれ市民から羨望の眼差しを向けられるこの国の軍人たちは、幅が十メートル近くもある大階段の向こうに立つ男たちの姿を、息を殺したようにじっと見つめていた。
 やがて、騎士たちの注目を集める男の一人――この国の皇帝、グルヴェイグ・アスガルドは、側に立つ従者から鞘に入った剣を受け取り、それを両手で持ち上げたまま甲冑姿の男に歩み寄った。
 短く切りそろえられた銀髪に、空のように深い青色の瞳。類稀な剣の才能を持ち、若干十九歳にして騎士団長の座を勝ち取った≪蒼銀の騎士≫。
「そなたらに、大天使シグルドリーヴァの加護を。必ずやスヴィンフヴィードの壁を打ち破り、勝利の悲願を我が手に」
「はっ。 ――約束いたします」
 剣を渡された男――騎士団長フレイ・シャルヴィは、鞘から剣を抜き取り、その美しい刀身を露わにした。陽光を受けて煌めく刃は白銀でできているかのように美しく研ぎ澄まされており、黄金色の鍔はまるで天使の翼のような精巧なデザインが施されている。フレイが握り締める柄の端には宝石が埋め込まれており、その紅く眩い輝きはそれが宝剣であることを何より示していた。
 その宝剣――大天使シグルドリーヴァが魔女を討つ時に使ったとされる≪勝利の剣≫を、フレイは集まった騎士たちに向かい、頭上に高々と掲げてみせた。
 騎士団長による開戦の合図に、宮殿前の広場は鬨の声に包まれる。
 身体を包み込む甲冑が震えるような音圧から、フレイは騎士たちの気合が並々ならぬものであることを知った。
 ――今度こそ戦争を終わらせ、この世界に平和を実現してみせる。
 その強い思いを胸に抱き、フレイもまた言葉にならない叫び声を上げた。



 ◇◇◇



 今から千年以上前、ヨーロッパ大陸では一つの大国が分裂し、二つの新たな国が誕生した。
 その一つは、ヨーロッパ大陸の西側を支配するアスガルド帝国。そしてもう一つは、東側を支配するスクルド帝国。
 二つの国はそれぞれに強大な軍事力を築き上げ、長い歴史の中で数えきれないほどの衝突を繰り返してきた。
 ともに目指すのはヨーロッパ大陸の統一――しかしそれは容易ではなく、新たな領地を奪っては自国の領地を奪い返されるという、一進一退の攻防が続く。一方で文明が発展し、多くの民衆の衣食住が豊かになっていったが、両国の姿勢が変わることはなかった。敵国の領土を奪い取れば、更なる幸福を手にすることができる――人々の際限のない欲望は、二つの大国のぶつかり合いとなって多くの悲しみや憎しみといった感情を生み出していった。
 そんな状況が変わったのは、アスガルドの前皇帝・ブラギの時代である。彼は自らも武人であることを活かし、帝都アステリアに≪騎士養成学校≫を設立し、身分を問わずに才能ある若者たちを集めて教育した。皇帝陛下をお守りする名誉ある職業に、汚い血筋の人間を就かせるべきではない――と、一部の貴族たちからは不満の声が聞かれたが、ブラギはその全てを黙殺した。彼にとっては力こそが全てであり、既得権益などというものは全く役に立たないと思っていたからである。
 そうして生まれた皇帝直属の騎士団は帝国最強の軍隊となり、ヨーロッパ大陸東に向かって進軍を開始した。歴史上に類を見ないほど戦闘能力の高いその集団は、瞬く間にスクルド帝国の領土を制圧していき、わずか三年足らずで帝都スヴィンフヴィードの手前まで到達する。
 ついにヨーロッパ統一の野望が叶えられる――前線の騎士たちはもちろん、指揮を執る皇帝ブラギも鉄仮面の下で口元を緩めずにはいられなかった。
 千年にも渡った戦いを、ようやくここで終結させられるのだ。

 だがその希望は、眼前に広がる巨大な≪壁≫によって儚くも打ち砕かれた。

 アスガルドの騎士たちは目を疑った。帝都が目前というところまで来て、見たこともない巨大な壁が行く手を遮っている。高さにしておよそ十メートル近くはあろうかという石造りの構造物は、驚くべきことに内・外と二重構造になっており、その長さは外海に面した両端まで――つまり、帝都内に侵入できるルートはどこにも存在しなかったのである。
 それでも前皇帝ブラギと騎士たちは果敢に戦った。だが、越えられない≪壁≫にもがき苦しんでいるところに、等間隔に設置された塔から矢の雨が降り注ぎ、同志たちは次々と倒れ伏していく。それを見たブラギは現実を悟った。決して冷静ではなかったが、目の前の光景は撤退を指示するのに十分すぎるものだった。
 帝都に帰還後、皇帝は貴族たちから責任を追及された。スクルド侵攻に費やした費用は莫大であり、その出所は国民に掛けられた重い税だったからである。加えて、日頃から貴族を蔑ろにしてきたこともあり、誰一人として皇帝の味方をする者はいなかった。もはや失脚以外の選択肢がない状況に、ブラギは背中に吊るした重い剣を下ろす決断をする。
 そうして退位を発表しようとした日の直前、彼は宮殿で何者かの襲撃に遭い命を落とした。

 それから三年の月日が経ち、アスガルドは再びスクルドとの戦いに臨むことを宣言した。
 新たな皇帝は、ブラギの崩御後すぐに即位したグルヴェイグ。父親とは似ても似つかない痩身矮躯に、女性を思わせるような美しい面立ち。ブラギにとっては妾との間に設けた子であり、皇位継承順で言えばかなり低かったが、他に務まる者は誰もいなかった。なぜならブラギが亡くなった宮殿への襲撃で、アスガルド家の全員が――無論グルヴェイグ以外という意味だが――命を落としたのである。グルヴェイグだけは地方に赴いていたことで凶刃を逃れたが、宮殿の内部は悲惨なものだったという。
 そんな中、グルヴェイグは冷静に――何の迷いも持たずに皇帝となることを決断した。なぜなら妾の子である彼にとって、自らが皇帝となってヨーロッパ統一の夢を成し遂げることは、密かに抱いていた野望だったからである。
 そしてグルヴェイグは、歴史上の皇帝たちが誰も持ちえなかった、≪最強の剣≫を持っていた――



 ◇◇◇



「うっ、うわあぁぁああっ!?」
 戦場に、敵兵の悲鳴がこだまする。次の瞬間、彼の身体を覆っていた金属製のプレートは紙切れのように引き裂かれ、派手な血飛沫と共にその場に崩れ落ちる。
 時間にしてほんの数秒。現実離れしたその戦闘シーンは、戦場となったこの町――スクルド帝国領フレックのあちこちで繰り広げられていた。
 アスガルド帝国の騎士団長フレイは、自らも前線で一番隊と共に戦いながら、気付けば≪彼女≫の戦う姿に目を留めていた。
 夜空のように深い闇色のロングヘアに、全身を包み込む無骨な銀色の甲冑。顔だけを見ればあどけなさが残る娘といった印象だが、その表情に笑顔が浮かぶことはない。凛とした眉をいっそう吊り上げ、血のように赤く染まった瞳をターゲットへと向ける。
 相手はこの町に配備された兵士たちを率いる長のようだった。その証拠に、周囲の兵士たちよりも明らかにグレードの高い装備を身に着け、自らは積極的に戦闘せず周囲の状況に目を配っている。
 兵士長は≪彼女≫に狙われていることに気付くと、すぐに剣を構えて戦闘態勢を取った。全身を覆うプレートアーマーは凹凸加工が施されており、強度を保ちながら軽量化を図ることが出来る最新型だ。
 しかし≪彼女≫にとって、それらの装備は何の意味も為さなかった。
 ≪彼女≫が地面を蹴った瞬間、全身を黄金色のオーラが包み込む。そして背中に吊っていた大剣≪グラム≫を引き抜くと、爆発的な速度で相手の間合いに入り、咄嗟にガードしようとしてきた剣に向かって自らの大剣を振り下ろした。
 剣を折り、鎧を引き裂き、肉体を断ち切って、≪グラム≫は衝撃そのままに地面へと激突した。二つに分かれてしまった兵士長の身体は、先程の兵士と同じようにその場に崩れ落ちる。
 人間の限界を超えて余りある圧倒的な膂力。それを可能にしているのは、≪彼女≫が持つワルキューレ族としての能力だった。
 首などの全身に枷のような刻印――星紋と呼ばれている――を施すことで、地球外に存在する星々の膨大なエネルギーを体に吸収し、それを戦闘力に変えることができるというのだ。
 初めてその話を聞いた時、フレイは冗談としか思えなかった。そんな能力があること自体信じられなかったし、女性が戦場に立つなんて馬鹿げていると思った。
 しかし≪彼女≫――カナリア・ワルキューレの戦いぶりを見てしまっては、もはや全てを受け入れざるを得なくなってくる。
 カナリアは≪グラム≫を引き上げると、まだ周囲に残っていた敵兵たちに赤い瞳を向けた。
 敵兵たちは現実離れした光景に驚き戸惑っていたようだが、視線に気づくとすぐさま敗走を開始する。
 兵士長を倒したのだ、敵兵たちは全員撤退するだろう――そう思い、フレイが≪勝利の剣≫を鞘に収めようとしたとき、
「……まだだ。まだ終わりではないだろう、フレイ」
 主君の聞き慣れた声が背後で響いた。
 すぐに振り返り、皇帝であるグルヴェイグと視線を合わせる。隣には一番隊隊長を務めるソキウスの姿もあった。
「敗走兵も残らず全員殺せ。奴らを生かせば、スヴィンフヴィードを守る兵士が増えるのと同じこと」
「はっ? しかし……」
 彼らは既に撤退を開始している。目的である町の奪取には成功したのだから、お互いにこれ以上の死者を出す必要はないだろう。
 そんなフレイの思いを読み取ったのか、グルヴェイグは小さく嘆息した。
「分からないなら聞かせてやろう、フレイ。力というものは絶対だ。蟻が巨象に勝てないのと同じように、弱国は強国に抗うことなどできない。それを奴らの骨身に刻み付ける必要がある」
「そのために、逃げ出した兵たちも全員殺す……ですか」
「そうだ」
 グルヴェイグの表情に迷いの色はなかった。敵国とはいえ人の命を軽んじるような発言に、フレイの表情は自然と固くなる。
「出来ないのか? お前に出来ないのなら、あの化け物にやってもらうまでだ」
 そう言って、グルヴェイグは右手を高く掲げた。すると、それが合図であるかのようにカナリアの身体が再び黄金色のオーラに包まれ、逃げ出した兵士たちを追い始める。
「やめろ、カナリア!」
 フレイは叫びながら飛び出したが、遅かった。爆発的なスピードで敗走兵たちに追いついたカナリアは、彼らが武器を構える間もなく後ろから切り潰し、鎧ごと肉塊を四散させた。
 辺り一面が血の海となった光景を見て、フレイは思わずその場によろめいてしまう。
 ――くっ。なんだ、これは……。
 一瞬、意識が白く飛びかけたが、すんでのところで何とか踏みとどまる。
「カナリアっ……!」
 フレイの呼び止めようとする声も届かず、カナリアは残りの兵士全てを始末するべく飛び立っていった。



 その夜。
 新たに占領したフレックの町の一角で、アスガルドの騎士たちは静かな祝杯を上げていた。さすがに葡萄酒などは口にできないが、食料店から接収した干し肉やチーズを肴に、会話に花を咲かせては勝利の余韻に浸っている。
 本来、騎士団長であるフレイも参加するべきなのだろうが、彼はそんな気になれなかった。仲の良いソキウスからの誘いも断り、静まり返ったフレックの町を一人見物しながら歩く。
 今は闇色に染まっているが、美しい町だと思う。規模は小さいながらも石畳がしっかりと整備され、白い壁に橙色の屋根のコントラストが良く似合う家々がずらりと立ち並んでいる。周囲は深い緑に覆われており、市民はこれまで静かで穏やかな生活を送ってきたことだろう。
 だが、それはもう叶わない。無秩序で無遠慮な暴力によって、この町の≪色≫は塗り替えられてしまったのだから。
「……って、少し肩入れし過ぎか」
 切り替えよう、明日からはまた新たな戦いが始まる――そう思い、騎士たちが集まる宴会場へと戻ろうとした時、フレイの視界に何者かの人影が映った。
 敵兵がまだ潜伏していたのかと思い、慌てて腰の剣を引き抜く。だが、恐る恐る近づいたところで、それが甲冑姿の兵士でないことに気付いた。
 暗闇と同化しそうな紺碧のドレス。首元や袖口、裾には金色の刺繍が施され、そこからほっそりとした手足が伸びている。布地には女性らしい身体のラインが露わになっており、フレイはその美しさに思わず息をのんだ。
 そしてその横顔には、一筋の涙が流れていて――
 それがカナリアであると気付いた時、フレイは動転してしまったせいか、手に持った剣先で石畳を叩いてしまっていた。
「誰?」
 即座に飛んでくる鋭い声。フレイが観念して姿を見せると、カナリアは少し驚いた様子を見せた。
「お前は、騎士団長の……」
「フレイだ。名前、まだ覚えてくれてないのか?」
「……」
 それには答えず、カナリアは値踏みするような、訝しむような視線を向けてきた。
「……悪いが、この場は一人にしてくれないか。そういう気分なんだ」
 どうやら、見てはいけないものを見てしまったらしい。フレイは言われた通りに立ち去ろうとしたが、数歩進んだところで足を止めた。
 本当に、このまま立ち去ってしまってもいいのだろうか。
 カナリアが涙を流していた理由――フレイはそれを、単なる興味本位ではなく、ただ純粋に知りたかった。なぜならそれが、彼女という人間を理解することに繋がると思ったからだ。
 フレイが動こうとしないのを訝しんだらしく、カナリアは「どうした?」と言葉を投じてくる。
「君と少し話がしたいんだ。いいかな?」
「……聞いていなかったのか。私は一人になりたいんだ」
「一人だと考えすぎてしまうこともあるだろ。僕で良かったら相談に乗るよ」
 そう言うと、カナリアは露骨に不機嫌そうな表情を見せた。
「しつこい奴だな。お節介をするなら相手を選べ」
 冷たく言い放ち、町から遠ざかる方向へと消えようとするその背中に、フレイは思い切って声を掛けた。
「そうやって邪険に扱うのは――僕たちアスガルド人が、君たちワルキューレ族を迫害してきたからか」
 その言葉に、淀みなく進んでいたカナリアの足が止まった。
 深紅に輝く双眸が、ゆっくりとこちらへ向けられる。そこには憎しみというよりも、どこか戸惑った色が見え隠れしていた。
 フレイは好機を得たとばかりに、カナリアの立つ場所へと歩み寄る。
「僕はワルキューレ族の人たちがどんな人間なのか知らない。分かっているのは、君たちが昔からアスガルド人に迫害され、辛い生活を送り続けてきたということだけだ。だから、僕は知りたい。ワルキューレ族の人たちが、カナリアがどんな人間なのか」
 ワルキューレ族は、ヨーロッパ大陸西側の小さな里に住む先住民族だった。だが、アスガルド帝国がその領地を拡大し始めると、穀物地帯として生産が盛んだったワルキューレの里は奪い取られ、居場所を失った人々は強制労働を強いられた。その働きぶりは真面目であり、奴隷としては極めて優秀だったが、闇色の髪に赤い瞳という容姿を忌み嫌われ、事あるごとに差別的待遇を受けた。
 そんな状況が変わったのは、三年前にグルヴェイグが皇帝に即位してからだった。彼は以前からワルキューレ族が持つ特異な能力に目を付け、それを戦闘に活かすことができないか考えていたという。結果は今日の戦果を見れば明らかだった。ワルキューレ族への待遇は一八〇度変わり、グルヴェイグは彼らのために新たな里を造って、その地での安住を約束したという。
 もっとも、それはカナリアの犠牲があってこそだ。彼女がどんな思いで≪グラム≫を握っているのか――フレイはそれを、ただ単純に知りたかった。
 そんな思いが通じたのか、深紅に輝く双眸が力なく伏せられた。
「……そんなことを言ってきたのは、お前が始めてだ」
 そう言って立ち去ろうとするカナリアの背中を、フレイは慌てて追いかける。
「あ、待って!」
 その一瞬、大剣を背負う彼女の姿がいつもよりも小さく感じられたのだった。



 石畳に覆われた坂道を登っていくと、夜空に輝く月の下に教会が立っていた。
 その手前には広場があり、カナリアがベンチの一つに腰を下ろしたので、フレイもまたそれに倣う。
 彼女は長い時間沈黙を守っていたが、やがて決心したように口を開いた。
「……私がこの世に生まれた時、すでに一族は迫害の憂き目に遭っていた」
 まるで独り言を呟くかのように、彼女は虚空を見つめたまま続ける。
「父も母も、休みなく農作業に従事していた。私も物心ついた頃には仕事を手伝うようになったが、両親は『子供は遊んでいなさい』と、決して進んで手伝わせようとはしなかった。夜遅くに二人が帰ってくると、母親は簡単な食事を作ってくれ、それを食べながら三人で星空を見上げていた。他に娯楽はなかったし、それを手に入れるだけの金もなかったからな」
 カナリアは乾いた笑いを洩らす。しかし、フレイはそれにどう反応すればいいのか分からなかった。
 彼女の話は続く。
「元々、ワルキューレの一族は無欲を貴ぶ一族だったそうだ。狩猟や収穫は必要最低限に抑え、食べ物は決して残さず、娯楽は自然に影響を及ぼさない範囲に限ったという。そういう意味で、お前たちアスガルド人に奴隷として使われるようになってからも、生活はほとんど変わらなかったのかもしれない。……ただ両親は、星を眺める時間が減ったことについては折に触れて嘆いていた」
「星?」
「あぁ。ワルキューレ族の間では、亡くなった人間の魂が天上の星に向かうと信じられているんだ。自分たちの先祖に向かって感謝の念を呟く儀式は、毎晩欠かさず行っていたよ」
「そう、なのか」
 だとすると、カナリアの能力は先祖の魂から何らかの力を受け取っているのかもしれない。星のエネルギー、などと説明されて納得できていなかったが、見えざる力という意味ではこちらの方がまだ信憑性がある。
「もしかして……君はさっき、その儀式を行っていたのか?」
 そう言うと、カナリアは赤い瞳をこちらに向けてきた。
「お前、どこまで見ていた?」
「えっ? ……それは、その」
「どこまでだ?」
「……その、あなたが泣いてるところまで」
 フレイの答えに、カナリアは少しばかり頬を赤らめた。
「恥ずかしいところを見られてしまったな。しかし、お前の言う通りだ。私はあのとき、星空に向かって祈っていた――母さんが、安らかに眠れますようにと」
「……亡くなったのか」
「五年前にな。あの時のことは、今でもはっきり覚えている」
 隣に座る彼女の拳が強く握り締められる。それだけで、今も無念さを噛みしめていることが伝わってきた。
 まさか、という思いがフレイの心中を駆け巡る。だが、彼がそれについて聞くより先に、カナリアは答えを口にした。

「私の母親は……殺されたんだ。お前たちアスガルド人にな」

 今から五年前に行われた、アスガルド領内での≪魔女狩り≫。
 治療不可能、ひとたび冒されれば高い確率で死に至るという伝染病が蔓延し、国内では多くの患者や死者を出していた。
 原因が分からない以上、対処のしようもない。人々が見えない恐怖に怯える中、ある貴族が放った一言が惨事の引き金となった。
 ――ワルキューレ族は魔女の生まれ変わりだ。奴らは我々の知り得ない未知の力を使って伝染病を発生させている。これを絶つには、ワルキューレ族の命を根絶やしにするしかない。
 そうして各地ではワルキューレ族を磔にし、火であぶり殺すという≪魔女狩り≫が横行した。その後伝染病が収束し、≪魔女狩り≫の言葉はいつしか人々の記憶から薄れていったが、ワルキューレ族の死者は数十人にものぼったと言われている。
 フレイが何も言い返せないでいると、カナリアは赤い瞳を夜空へと向けた。
「別に、お前を責めているわけじゃない。悔しさは今でも夢に出てくるぐらい強いが、それをぶつける相手がお前じゃないことぐらい分かっている。私は――」
「……違うんだ」
 言葉を遮られ、カナリアは赤い瞳を声の主に向けた。
「違うって、何がだ?」
 彼女の問いかけに、フレイは少し躊躇うような間を置いてから、言った。
「君は僕を信じてくれているようだけど、それは思い違いかもしれない。僕は――≪魔女狩り≫に関わっているかもしれないんだ」
「……それは、本当か」
 フレイが重く頷くと、カナリアはその事実を噛み締めるようにきつく瞑目した。続きを聞かせろ、ということらしい。
 フレイは一つ大きく息を吐き、ゆっくりと話し始めた。
「……信じられないかもしれないけど、僕には昔の記憶がほとんどないんだ。原因は分からない。覚えているのは三年前に陛下と出会って、使用人だった僕を騎士に育て上げてくれたことだけ。それより前のことはかなり断片的にしか思い出せなくて、ものすごく曖昧なんだ。だから――」
「自分が昔、≪魔女狩り≫に参加していたかもしれない、か」
 カナリアに言葉を重ねられ、フレイは押し黙った。可能性がある以上、無関係であると主張するわけにはいかない――それがフレイの、騎士としてはもちろん自分自身の信念でもあった。
 だが、当のカナリアの反応は思ったものと違った。
「お前は真面目だな。記憶がないことなど隠して、自分はやっていないと主張すればいいものを」
「そんなことできるわけないだろ! 君の家族を、手にかけたかもしれないっていうのに……」
「それが真面目だというんだ。そんな男が、≪魔女狩り≫に参加なんてすると思うか?」
 フレイは再び言葉に詰まる。確かに、今の自分の性格を考えれば可能性は低いかもしれないが――
「そもそも、私は犯人探しなどするつもりはないよ。復讐をする気もない。そんなことをしたところで、残るのは後悔と……埋められない心の孔だけだ」
 そう言って、カナリアは立ち上がると背中に吊った≪グラム≫を引き抜いた。金属塊から削り出して造ったかのような無骨な大剣は、月光を受けて鈍色に輝いている。
「私は自分の役割を全うする。仲間たちの里を守るために、皇帝の前に立ち塞がる敵は何者だろうと排除してやる。たとえ無関係の人間たちをどれだけ殺そうとも」
 深紅の双眸に決意の色が浮かぶ。フレイはカナリアの信念の強さに打たれ、自らの矮小さを恥じずにはいられなかった。
 彼女の傍で、少しでもその力になりたい――
 その思いが、いつしか腰の≪勝利の剣≫を引き抜かせていた。
「僕も、約束するよ。この剣は陛下を守る剣だけど……きっと、ワルキューレ族の皆も守ってみせる。皇帝直属の騎士団長としてではなく、一人の騎士フレイ・シャルヴィとして」
 宮殿前の儀式と同じように、≪勝利の剣≫を天高く掲げる。しかし当然ながら鬨の声は上がらず、どうにも締まりが悪いものになってしまう。
「フレイ。顔、赤いぞ」
「なっ! 君は、そうやってからかって……」
 頬が熱くなるのを感じながら、自分が名前を呼ばれたことに気付いたのは少し経ってからだった。
「……でも、ありがとう。感謝する」
 そう言って笑ったカナリアの表情は、今までで最も魅力的で美しかった。



 ◇◇◇



 フレックの町を奪取した後も、フレイたち騎士団の歩みは止まらなかった。
 新たな領地に入ってはスクルド兵たちと交戦し、勝利を重ねる日々。しかし、相手もただ手を拱いているだけではなかった。最終到達地点である帝都スヴィンフヴィードが近づくにつれ、町や関所を守る兵士たちの数は増え、戦いは苛烈さを増していく。野営中に急襲を受けることもあり、満足な休養も取れないままに進軍を続けることもあった。カナリアという名の≪最強の剣≫は相変わらず猛威を振るっていたし、精鋭ぞろいの騎士たちも奮闘していたが、日々積み重なっていく疲労は彼らの足取りを重くしていった。
 騎士団長として、何か自分にできることはないか――フレイは考え、そして一つの考えを皇帝グルヴェイグに提案することを決断したのだった。



「降臨祭?」
 主君の訝しむような声に、フレイは厳かに頷いた。
「はい。それが来週の金曜日……ちょうど一週間後にあたります。その日を、騎士たちの休養日にあてさせて頂きたいのです」
 降臨祭とは、神の使いである大天使シグルドリーヴァが地上に降り立った日を祝い、七面鳥などのご馳走を家族みんなで頂くという風習である。大天使の伝説は大陸中に知れ渡っており、アスガルドはもちろん、敵国であるスクルドでも降臨祭の日は特別な行事を催すと言われている。
 しかしグルヴェイグは、フレイの提案を一笑に付し、
「貴様は剣の腕こそ一流だが、参謀としては三流以下だな、フレイ。そのような愚民どもが浮かれている日こそ、攻め込むのに絶好の機ではないか」
「しかし、降臨祭はアスガルドでも大切にされている行事で――」
「くどいぞ。……よもや貴様、存在すら不確かな天使ごときを信仰しているのではあるまいな?」
 そう言って、グルヴェイグは切れ長の瞳をこちらに向けてきた。美しくも恐ろしいその顔貌は、鋭利な刃物そのものを思わせる。
 フレイは片膝を地に着けながら、「やはり駄目か」と心中で諦めかけていた、そのとき。
「陛下、私からもお願いいたします」
 隣で同じように跪いたのは、フレイの親友である若き一番隊隊長――ソキウス・ガルデーニャだった。
「降臨祭は騎士たちにとって重要な行事。その大切な日を休養にあてることができれば、大幅な士気の向上が見込めるでしょう。陛下、何卒ご高配を」
「お前まで耄碌したか、ソキウス。そのような精神論は聞くに堪えん」
「承知しております。ですから、陛下にご納得いただくつもりはありません」
「……なんだと?」
 野営のテント内に緊張が走る。フレイは何を言っているんだと血が冷たくなる思いだったが、ソキウスは動揺した様子もなく続けた。
「結果でお示しいたします。進軍は一日遅れてしまいますが、数日でそれを取り戻してみせましょう。それができなければ、いかなる処罰もお受けいたします」
 そう言って、ソキウスは再び頭を垂れた。フレイはどうしていいか分からず、主君と親友の姿を交互に見据える。
 だがグルヴェイグの反応は、想像とは少し違うものだった。
「威勢がいいな、ソキウス。貴様がそこまで言うならいいだろう……休養を許可してやる」
「はっ。ありがとうございます」
「だが、条件がある。貴様にはその日、私の護衛を担当してもらう」
「……は?」
 ソキウスが素っ頓狂な声を上げる。おそらく、責任はお前が取れとでも言われると思っていたのだろう。
 フレイもまた、顔を上げて主君の表情を窺った。
「不服か?」
「いえ、主君を守るのは騎士の役目ですから……喜んで」
「そうか。よろしく頼んだぞ」
 そう言って、グルヴェイグは口の端を持ち上げた。その不気味な所作に怖気が走るも、言っていること自体は何もおかしくはない。
 陛下は一体、何を考えているのだろう。
 フレイは休養を勝ち得たことを喜びながらも、言い知れない不安を感じずにはいられなかった。



 それから一週間後、降臨祭を迎えた日の朝。
 フレイたち騎士団は人里離れた平地に野営を張っていた。今日は進軍を取りやめ、ここで一日を過ごすことになる。騎士たちの表情は一様に明るく、それだけでも提案して良かったとフレイは思ったが、一方でソキウスのことが気がかりでならなかった。
 本当に、単なる護衛の任だけで済むのだろうか。
 グルヴェイグは自分にとって忠誠を誓った存在だ。記憶を失った使用人であった自分をここまで育て上げ、騎士団長にまで押し上げてくれた。その恩人に感謝こそすれ、疑うべきではないと思っている。
 だが、騎士たちから冷酷非道と称されているグルヴェイグが、あの程度の条件でこちらの希望を飲んだことには、やはり違和感を覚えずにはいられなかった。
「おーい、フレイっ」
 そうして物思いに耽っていると、不意に遠くから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。駆け寄ってきたのは他でもないソキウスである。
「こんなとこで何やってんだよ。せっかくの休みだろ?」
「あぁ、分かってるよ」
「どうせならデートにでも誘ったらどうだ? 例のカナリア姫をよ」
 そう言ってソキウスは豪快に笑った。顔立ちは神話に出てくる英雄のように整っているのだが、こういう仕草がどうにも親父臭い。
「そんなことしないって。……それより、早く陛下のところへ行かなくていいのかよ」
「照れてるのか?」
「照れてないって」
 フレイがそう言うと、またガハハという笑い。
「分かってるよ、この後すぐ行くさ。遅いってどやされたらたまんねーからな」
「ソキウス」
「ん? なんだ?」
 気をつけろよ、と言いかけて口を噤む。一体、何に気を付ければいいというのだろう。
「陛下の護衛、頼んだぞ」
「任せとけって。お前はゆっくり羽を伸ばせよ」
 そう言って、ソキウスは右手の親指を持ち上げたのだった。



 フレイたち騎士団は全部で五つの隊で構成されている。
 各隊には約二〇〇名の騎士が所属しており、それを隊長と呼ばれるリーダーが束ねているのだ。
 野営地周辺の見張りは交代で行うことになり、現在は一番隊がその任務を担っていた。隊長であるソキウスが不在のため、自分が代わりに参加すると申し出たのだが、副隊長の男にきっぱりと断られてしまった。
 ソキウス隊長から言付かっていますから――と。どうやら、こちらの思考回路はお見通しということらしい。
 手持無沙汰になったフレイは仮設テントで横になっていたのだが、それももう限界だった。
「……こんなことなら、僕も陛下の護衛に参加すれば良かったかもな」
 一人呟きながら、フレイは身体を起こした。仮設テントを出ると、野営地の中をあてもなく散策する。
 人影はそれほど多くはなかった。多くの人間はテントの中で身体を休めているのだろう。仲の良さそうな者同士が会話している姿をポツリポツリと見かける程度である。
 ご馳走こそないが、みんな思い思いの降臨祭を過ごせているみたいだな――そう思って笑みを浮かべかけたとき、木陰に気になる人物がいるのを見つけた。
「何してるんだ?」
 声を掛けると、その人物――カナリアは陽光を受けて煌めく双眸をこちらに向けた。
「フレイか。何をしている、休まなくていいのか」
「それはこっちのセリフだ。どうしてこんなところにいる?」
「別に。何もすることがないから、呆けていただけだ」
 そう言って、カナリアは闇色の髪をさらりと掻き上げた。フレイは隣に腰を下ろしながら、その美貌の横顔をちらりと盗み見る。
「ちゃんと敷物で休んだ方がいいんじゃないのか? 最近、少し疲れているように見えたし」
「私がか? だとすればそれは見間違いだ。今から一〇〇人とだって戦える」
 カナリアは右手の拳をぎゅっと握ってみせた。無理をするなと言いたかったが、彼女なら一〇〇人ぐらいあっさり切り捨てそうだから何も言えない。
 フレイが口を閉ざすと、カナリアもまた何も言わなかった。静寂が二人の間を支配し、近くで談笑する騎士たちの楽しそうな声が聞こえてくる。
「君は、ああして誰かと談笑したりすることはないのか?」
 フレイの問いに、カナリアは「まさか」と小さく笑った。
「誰も近寄ってなど来ないよ。皆、私のことを怖がっているようだからな」
「……そうか」
「お前も気を遣う必要はないんだぞ。こんな戦うしか能のない人間、話していても面白くないだろう」
「そんなことないよ!」
 フレイが大声で叫ぶと、カナリアは赤い瞳を丸くした。
「僕は、もっと君のことが知りたい。だってここまで一緒に戦ってきた仲間じゃないか。それに、その……君は戦う以外の部分でも、十分にみ、魅力的だと思うし」
「……なんだ、それ」
 気恥ずかしくて顔を背けていると、隣でカナリアが立ち上がる音が聞こえた。
「あっちで素振りしてくる。ついてくるな」
「……え」
 足早に仮設テントの方へと姿を消していく彼女を見て、フレイは再び大声で叫んだ。
「待ってよ! 僕も剣を取ってすぐに行くから!」
 そう言って、フレイもまた自分のテントへ駆け足で向かうのだった。



「ふっ、はあっ、はあっ……じゃあ……す、好きな食べ物はなにっ?」
 ブンッ、ブンッと風切る音を響かせながら、フレイは何とかその言葉を口にする。
 それに対し、カナリアはそれほど息も切らさず、≪勝利の剣≫よりも遥かに重い≪グラム≫を振り続けた。
「ふっ、ふっ……そうだな、母さんが、作ってくれた、オートミールかな……っ」
 野営地のテント群から少し離れた雑木林。その少し開けた場所で、フレイたち二人は自らの愛剣を振るっていた。
 フレイが質問し、カナリアがそれに答える。なぜこんな奇妙な状況に陥ったのかと言うと――
「お前が素振りを続けている間なら、私はできる限りの質問に答えてやろう」
 そんな気まぐれ的提案がもたらされ、フレイがそれに応じたからだった。
 素振りを始めてから約三〇分。腕の疲労は限界に達しつつあるものの、フレイはまだ休むわけにはいかなかった。こんな好機はもう二度と訪れないかもしれない。そう考えると、一つでも多くカナリアのことを知っておきたいと思えてくる。
「はあっ、はあっ……じゃあ、子供の頃の、夢って、何かあった……っ?」
「……ふっ、ふっ……それは」
 剣も言葉も淀みなかった彼女が口ごもる。答えを聞きたくてたまらなかったが、フレイはもう限界だった。
「ふうっ……ぐっ……もう、駄目だ」
 剣を放り出してその場に崩れ落ちる。それを見て、カナリアもまた隣にしゃがみ込んだ。
「ふぅ……これで、満足したか?」
 額の汗を拭うカナリアに対し、フレイはまだ荒い息を整えるので精いっぱいだった。
「はぁ、はぁっ……最後の質問、答えてもらえなかったのは、残念、だけどなぁっ」
 そう言っても、カナリアは答えるそぶりを見せなかった。どうやらよほど答えたくない質問だったらしい。
「さて……そろそろ、もう一セット行くか」
 わずか数分の休憩を経て、カナリアは再び立ち上がった。≪グラム≫を持ち上げ、それを身体の前に真っ直ぐに構える。
 本当に、なんという娘なんだろう。
 フレイとて、帝国内では最強の騎士と謳われた男なのだ。それなのに彼女は、フレイが持つ≪勝利の剣≫よりも遥かに重い≪グラム≫を振り続け、未だに体力を切らさないでいる。
 負けるわけにはいかない――そんな思いが、フレイの限界だった身体を立ち上がらせた。
「おいおい、あまり無理するなよ。それとも……まだ質問が足りなかったのか?」
 からかうような声音に対し、フレイははっきりと首を振った。
「それはもういい。でも最後に、一つだけ教えてほしいことがある」
 そう言って、深紅に輝く双眸をじっと見つめた。
「君が生まれた日を教えてくれ」
「……は?」
「だから、誕生日だよ。重要だろう?」
 カナリアはよほど拍子抜けしたのか、大きな瞳をビー玉のように丸くしている。それから少しして、手を当てた口から笑い声を漏らす。
「笑い事じゃないだろ。人が真剣に聞いてるってのに」
「真剣に? 人の誕生日がいつなのかについてか?」
「そうだよ。悪いかよ?」
 フレイがきまり悪そうに言うと、再びクスクスと笑い声。
「いや、すまない。別にお前のことを笑っているわけじゃないんだ。……いや、それもあるか」
「おい」
 ツッコミを入れると、カナリアはコホンと咳ばらいをした。
「間が悪いと思ってな――私の誕生日は、この世界に大天使サマが降臨した日と同じだよ」
「……は?」
「つまり、今日ってことだ」
「………………………………な、な」
 驚きすぎて声が出ないフレイだったが、いてもたってもいられずにカナリアの元へと駆け寄った。
 恥じらいも忘れ、グラムを握る華奢な手を自らの手で包み込む。
「何で今まで言わなかったんだよ! 知っていれば、ちゃんとパーティの準備をしたってのに……いや、そんなことよりもとにかく、おめでとう!」
 フレイが大声でまくし立てるのを、カナリアは呆気にとられた様子で眺めていた。が、いつの間にか両手を重ねられていることを思い出し。
「手、そろそろ放してくれないか」
「え? ……あっ、ごめん!」
 慌てて距離を取るフレイを見て、カナリアは思わず吹き出してしまった。
 しかし、真面目が取り柄の騎士団長はそれどころではないようで、
「プレゼント、何が欲しい? って言っても、今から調達できるものに限られるけど……。前の町に戻るのは遠すぎるし、この辺で採れるものなんか何も無いし……」
「フレイ」
「なに? 欲しいもの決まったか?」
 飛びつかんばかりの勢いで聞かれるも、カナリアは首を左右に振った。
「何も必要ないよ。お前のその気持ちだけで、十分だ」
 そう言って、カナリアは花のように優しく笑った。その表情があまりにも可愛くて、つい顔を背けてしまう。
 彼女は白磁のように滑らかな頬を緩ませたまま、
「でも……こう言ってはなんだが、ずいぶん誕生日を大切にするんだな。何か理由でもあるのか?」
 その問いに、フレイは青い瞳を空へと向けた。
「戦時中、だからだよ」
「え?」
「みんな戦っているから、こんな時だからこそ……僕は、自分たちが人間であることを大切にするべきだと思ってる。国のために戦う武器なんかじゃなく、一人の人間なんだって」
 ソキウスや、他の隊長たちや、隊を構成する皆――誰かが誕生日を迎えるたび、フレイは盛大な祝いの言葉を掛けた。自分たちが人間であることを忘れないように。また次の誕生日を祝えるよう、決して諦めずに戦い続けるために。
「だから……来年も、祝わせてくれよな。カナリアの誕生日は、もう覚えたから」
 その言葉に、今度は彼女の方が恥ずかしそうに顔を背けた。
「……ふん。そこまで言うからには、とびきりのご馳走を用意しないと済まさないからな」
「あぁ、約束する。今から期待しててくれ」
 フレイが力強く言い放つと、カナリアは俯いたまま、ゆっくりと身体をこちらに向けた。
 そして、上目遣いのように顔を持ち上げて一言、
「……ありがとう」
 風の音のように小さな声が聞こえた、次の瞬間。カナリアは白い肌を桜色に染めたかと思うと、恥ずかしさを誤魔化すようにして≪グラム≫を構えだした。
「か、カナリア?」
「……こ、こんな、ふわふわとした気持ちは初めてだ。剣を振らなければおさまりそうもない」
「えっ?」
「お前もやるんだ、フレイ! 私をこんな気持ちにしたのは、他でもないお前なのだから」
「……はぁ!?」
 何だよそれ、理不尽すぎるだろ――そう思いながらも、半ば無理やりに促され、フレイは再びカナリアの隣に立った。
「さぁ始めるぞ、一、二!」
「……あの、本当にやる気?」
「当たり前だ! 三、四!」
「……」
「声が聞こえないぞ! 五、六!」
「……分かったよ、やればいいんだろ!」
 そう言って、フレイはようやく剣を構えた。こうなったら、とことん体力の限界まで付き合ってやる。
 そうして剣を振り始めた時、カナリアが密かに頬を緩ませていることに、フレイは一度も気が付かなかったのだった――。



 ◇◇◇



 降臨祭の後、フレイたち騎士団は怒涛の勢いでスクルド領を突き進んでいった。
 丸一日休んでしまった遅れなどあっという間に取り戻し、精鋭ぞろいの騎士たちは立ち塞がる敵をバッタバッタと切り倒していく。
 隊員たちが元気な一方で、隊長の一人――ソキウス・ガルデーニャはどこか様子がおかしかった。話しかければいつも通りの返答をしてくれるし、戦闘中の鮮やかな剣技は見事というほかなかったが、心ここにあらずというような姿を見かけることが多くなった。何か悩み事があるのかもしれないが、単刀直入に聞いたところで答えてくれる性格でもない。フレイは親友の様子に注視しながらも、日々戦いが続く中でどう接していいのか分からずにいた。
 一方で、それ以上に深刻なのはカナリアだった。目に見えて疲弊してきた彼女は、それでも隊列の後ろに下がろうとはせず、常に最前線で≪グラム≫を振り続けた。
 彼女が背負っているものを考えれば、退くことができないのは分かっている。だが、戦いを重ねるごとにボロボロになっていく姿を見るのは辛かったし、何よりそんな彼女を本当の意味で救うことができない自分の無力さを呪った。
 フレイにできるのは、そんなカナリアと同じ最前線に立ち、少しでも多くの敵を討ち倒すことだけだった。



 そして――帝都アステリアを出発してから約半年。
 フレイたちはついに、この戦いの最終地点であるスクルド帝国首都・スヴィンフヴィードの膝元まで到着したのだった。



 ◇◇◇



 日がとっぷりと暮れ、辺りが闇に覆われ始めた頃。
 会議用と銘打たれた大型のテント内で、フレイたちは最後の作戦に向けたブリーフィングに臨んでいた。
 そこには皇帝グルヴェイグ、ソキウスを始めとした各隊隊長はもちろん、≪最強の剣≫であるカナリア、そして今回の作戦のキーマンである流れの開発者ウルガンもいる。
 その中で一番先に口を開いたのは、一番隊隊長であるソキウスだった。
「それでは、明日決行の作戦≪ランドグリーズ・オブ・ウルガン≫の説明を始める」
 その仰々しい作戦名を聞くのは初めてだったが、中身については幾度となく重ねてきた会議の中で知っていた。フレイは親友である一番隊隊長の声に耳を傾けながら、改めて内容を頭の中で整理していく。
 概要はこうだ。スヴィンフヴィードの城壁は、高さ十メートルほどもある石造りの壁の二重構造となっており、その長さは左右にどこまでも伸びている。帝都内に侵入するためにはこの壁を突破しなければならないが、垂直に立ち塞がるそれを登っていくことは相当に難しいし、仮に上手くいったところで待ち構えている弓兵に身を貫かれてしまう。正攻法で立ち向かうのはほとんど無謀と言っていい。
 そこで考えられたのは、大砲による城壁への攻撃だった。だが、内壁は約五メートル、外壁に至っては約十メートルもの厚さを誇っている。通常の砲弾を飛ばしたところで、簡単に跳ね返されてしまうのがオチだろう。
 しかし――流れの大砲技師・ウルガンが設計した巨砲は違った。その全長は八メートルを超え、五百キログラムの砲弾を一キロメートル先まで飛ばすことが出来る。命中精度こそ低いらしいが、当たれば大木だろうが民家だろうが吹き飛ばしてしまうという。
 他国の長は与太話だと取り合ってくれなかったそうだが、ダメ元で訪れたアスガルドの皇帝は違った。その斬新なアイディアをあっさりと採用し、すぐに開発の資金援助までしてくれたのだ。おかげで夢のような≪オモチャ≫が出来たと、ウルガンは興奮気味に語っていた。
 戦争をゲームと勘違いしているかのような発言に、フレイは歯噛みする思いだった。このような男の力を借りなくてはならないなんて――
 そう思いながらウルガンの汚いひげ面を睨み付けていると、ソキウスの一際張り上げた声が聞こえてきた。
「では、明日の具体的な配置について説明する」
 隊長たちは一様に真剣な面持ちだった。フレイもまた、姿勢を正して気持ちを改める。
「各隊はそれぞれ分散し、五か所に設置された巨砲の背後で待機。砲弾が発射され、着弾音を確認したら斥候に城壁の状態を確認に行かせてくれ。攻撃が成功し、歩兵の侵入経路が確保されていれば青色、失敗なら赤色の狼煙を上げるよう指示。一か所でも成功していれば全軍突入、全箇所失敗していれば次の砲撃準備を進める。……さて、ここまでで何か質問はあるか?」
 ソキウスは集まった面々を順に見遣ったが、発言する者は誰もいなかった。これまで会議の中で何度も説明されてきた内容だったし、今さら確認することもないのだろう。
 フレイもまた口を閉ざしていると、隣に座る四番隊隊長が不意に声を上げた。
「それで、砲撃は結局誰が担当するの? 今日までずっと伏せられてきたけど」
 女性と見紛うような中性的容姿を持つ男の発言に、場の注目は司会を務めているソキウスへと集まる。だがそれに対して答えたのは、他でもない我らが主君だった。
「それについては私から説明しよう。折角の≪ゲスト≫も呼んでいることだしな。 ――おい、中に入れてやれ」
 主君の命を受け、従者がテントの外に消える。そして、暗闇の中から姿を現したのは――
「え……?」
 夜の闇に紛れてしまいそうな紺碧の衣装。胸元や袖口には金色の刺繍が施され、下半身には白色のズボンを身に着けている。
 それは紛れもなく、ワルキューレ族が伝統的に身に着けている民族衣装――
「どうして……どうして父さんがここにいる!?」
 気付けば、カナリアは立ち上がって叫び声を上げていた。彼女が口にしたその言葉を、フレイは何とか冷静に理解しようとする。
 ――あれが、カナリアの父親? でもどうして、こんなところに……。
 その疑問に答えてくれたのは、またしてもグルヴェイグだった。
「見ての通り、この男はワルキューレ族だ。名前はガルシアという。族長を務めているということで、今日は代表として来てもらった」
 紹介を受けたその男――ガルシア・ワルキューレは、娘であるカナリアの姿をじっと見つめていた。その表情は再会を喜んでいるというより、どこか悲しげに歪んでいる。
「ワルキューレ族は勤勉で手先が器用だ。巨砲の製作にはうってつけだと思い、私の独断で起用させてもらった。他にも多くの者が、レギンレイヴの町で製作に携わり、明日の作戦にも参加してもらうことになっている」
 レギンレイヴと言えば、最初に占領したフレックの町の一歩手前だ。直線ルートに入らなかったため、あえて寄ることもしなかったのだが――
「……約束が違う。これはどういうことだ、グルヴェイグ!」
 カナリアが腕を振り払って叫ぶ。戦闘以外では初めて見る怒りの形相に、しかし皇帝は眉ひとつ動かさず、
「私は単に適性を判断して選抜したまでのことだ。それに……彼らは強要されてここに立っているのではない」
 そう言って、傍に立つガルシアの背中を叩いた。娘とは違いゴツゴツとした顔立ちのその男は、しばらくその口を真一文字に引き結んでいたが――
「約束を破って済まない、カナリア。だが……私たちはもう、限界なんだ。お前一人を戦わせたまま、安全な里の中でのうのうと生き延びていることが」
 父親の握った拳は小刻みに震えていた。彼がどんな思いでこの場所に来たのか、フレイは想像せずにいられなかった。来れば娘を困らせることになると分かっていながらも、彼女への想いがそれを上回ったに違いない。
「みんな、カナリアの為に集まってくれたんだ。明日はこれまでの分まで一緒に戦う。だからもう、お前は一人じゃない――」
「帰ってよ!!!」
 身体を震わせるような叫びが、テントの中に響き渡った。カナリアは目の前のテーブルに手を付き、その上に零れた感情の欠片を降らせる。
「こんなの……嫌だ……。これまで、たくさん、頑張ってきたのに……」
 もはや、自分で自分をコントロールできる状態ではなかった。
 そんな彼女に対し、グルヴェイグは更に容赦のない一言を浴びせる。
「何を泣いている。父親を……仲間を守りたかったら、お前が戦えばいいだろう」
「陛下っ!」
 もう我慢できなかった。椅子を蹴り飛ばさん勢いで立ち上がると、背後にいたソキウスに右腕を掴まれる。
「くっ……。離せよ!」
 親友は何も答えず、ただ右腕を掴む力を強くした。メキメキと骨がきしむような感覚に、フレイは思わず呻き声を上げる。
 なんだ、この馬鹿力は――
 左手を使い、ありったけの力を込めてソキウスの手を引き剥がす。慌てて距離を取ると、彼は何事もなかったかのように直立不動の姿勢に戻った。
「……ソキウス……?」
 腕を押えながら呟くと、背後で耳をつんざくような轟音が響いた。見ると、砕け散った長テーブルの向こう側にカナリアが立っていた。
「……殺してやる」
 華奢な手に掴んだ≪グラム≫を構えながら、彼女は鬼のような形相で言い放った。
「明日は誰にも容赦しない。敵は残らず全員……この剣で切り殺す。ワルキューレの皆には絶対、指一本触れさせない」
 刃圏に入れば、お前も容赦なく切り伏せる――皇帝を睨み付ける深紅の双眸は、そんな強い意志を示しているように見えた。
「あぁ……それがいい。≪最強の剣≫として、仲間の皆を守ってやれ」
 その一瞬、グルヴェイグがにやりと口の端を持ち上げたのを、フレイは見逃さなかった。



 ◇◇◇



 そうして、ついに決戦の日はやってきた。

 開戦を告げる爆音が、雲一つない青空の元で大地を激しく揺らす。生い茂る木々の向こう側に大きな土煙を生じたのを見て、フレイは一人呟いた。
「いよいよか……」
 巨砲ウルガンの砲撃は想像以上だった。ドスンという発射音が腹の底を震わせ、着弾を知らせる雷鳴にも似た音が耳をつんざく。
 フレイは今日の為に用意された黒馬に跨りながら、ここから一キロ先に存在するスヴィンフヴィード城壁の上空を睨むように見据えた。眼下には巨砲近くに陣取るワルキューレ族の面々。彼らを守り抜くためには、この戦いをできるだけ早く終わらせるしかない――そう考え、フレイは自身の士気を高めていく。
 隣には、同じく黒馬に乗るカナリアがいた。しかしその表情はどこか虚ろで、その瞳には難攻不落の城壁はもちろん、目の前の仲間たちの姿すら映っていないように見える。
 やはり、今からでもカナリアを退却させるべきか――そんな考えが胸の内を過ったが、もう決めたことだと首を振る。事ここに来て退かせるなど、彼女の強情さを考えればできるとは思えないし、≪最強の剣≫無くしてこの作戦は成り立たない。
「……勝とう、カナリア。必ず」
 小さく、しかし力強く放ったフレイの一言に、カナリアはわずかに顎を傾けた。



「≪赤≫だ! 北西の方角!」
 スヴィンフヴィード城壁の上空に立ち上る五本の煙。
 その内の北西に位置する一本が、城壁への攻撃が成功したことを知らせる赤色を示していた。
「行くぞ! 全軍、城壁の北西に向かって突撃せよ!」
 フレイの発した言葉に、居並ぶ騎士たちが続々と鬨の声を上げる。
 そして次の瞬間、手綱によって弾かれた馬たちが続々と飛び出していき、黒と銀の塊となって砲弾の着弾点へと突き進んでいった。
 先頭を走るのは、最も大きい馬に乗るカナリアである。彼女は握り締めた手綱を馬の身体に叩き付け、フレイたち先頭集団との距離を離していく。
「カナリア、前に出過ぎだ! このままだと集中攻撃食らうぞ!」
 大声で叫ぶも、吹き付ける風に遮られて届かない。やがて木々が群がる林の中へ突入するも、カナリアはスピードを緩めることなく、更に先へと進んでいく。
「くそ、仕方ない……!」
 フレイはカナリアと同じように手綱を叩き、馬の走る速度を上げる。痛みに嘶く声に少し罪悪感が芽生えたが、それも束の間、周囲に群がる木々の本数が少なくなっていき――
 林を抜けると、そこには左右にどこまでも広がる巨大な壁が立ち塞がっていた。
「これが……スヴィンフヴィードの、城壁……!」
 話には何度も聞いていたが、実物を見るとその威容に圧倒されてしまう。とても人間が作ったとは思えない、天然の岩壁がどこまでも連なっているかのような光景。高さは先程抜けてきた林に群がる木々よりも遥かに高く、よじ登るなどという行為を考えることがいかに無謀か分かる。
 だが、その一角――幅五メートルほどの壁の一部が、無残にも形を崩していた。城壁を構成していた石のブロックはあちこちに吹き飛び、今もまだ土煙を上げている。砲弾は外壁を破ったばかりか内壁まで貫いたようで、崩れ落ちた先に建物らしき青色の屋根が見えた。命中精度が低い中でここまで見事に的中させることができたことは、神に感謝する以外にないだろう。
 大天使シグルドリーヴァの加護か――そんなことを考えながら、迷いなく突き進むカナリアの後に続く。しかし、城壁まであと百メートルほどと迫ったとき、フレイは土煙の向こうに多数の人影が隠れていることに気付いた。
「あれは……弓兵か! まずい、攻撃が来るぞ!」
 前方に向かって叫びながら、フレイは馬の進路を変える。だがカナリアは動かない。城壁に向かって最短距離で手綱を握り続けている。
「おい、カナリア! 聞こえて――」
 そこまで口にしたところで、敵兵たちから土煙を切り裂く矢の雨が撃ち放たれた。
 当然、それを知らせる時間はない。フレイは咄嗟に身を固めながら、矢の行く先を目で追い――
 着弾点がカナリアと、彼女の跨る馬であることが分かり、知らずその名前を叫んでいた。
「カナリア!」
 脇目も振らずに駆けつけたい気持ちを、寸でのところで抑え込む。今あそこに行けば、自分もまた餌食になる。そうなれば騎士団は命令系統を失い、再びこのスヴィンフヴィードの地に敗北という名の歴史を刻むことになるだろう。
 カナリアが倒れたとすれば、自分が代わりに突撃するしかない――そう考え、フレイは≪勝利の剣≫を抜くと、眼光鋭く敵兵たちを見据えた。
「いくぞおぉぉおおおお!!」
 自ら鬨の声を上げ、矢に射られることを覚悟で土煙の中に飛び込もうとした、その時――
 視界の端を、雷光のような姿が一瞬にして駆け抜けた。
「なっ……うわああぁぁああっ!?」
 気付いたときには、土煙の中に血飛沫が見えた。全身を黄金色のオーラに包んだカナリアが、大剣≪グラム≫を暴れるように振り回し、崩れた城壁の上に赤い雨を降らせていく。
 恐怖すら覚える戦いぶりに目を奪われながら、フレイは自身の役割を思い出す。
「街の兵士たちは二番隊から五番隊が相手してくれる! 僕たちは予定通り、敵の皇帝がいる宮殿を目指すぞ!」
 背後に立つ一番隊の面々に大声を飛ばすと、そのままカナリアが突き進む東の方角へと馬を走らせた。
 カナリア、なんとか持ちこたえてくれ――
 彼女の限界を超えて舞う姿に唇を噛みながら、フレイは≪勝利の剣≫を握る手に力を込めた。



 そして、騎士団が城壁内に侵入してから数時間後。
 フレイは全身にいくつもの傷を負いながらも、スクルド皇帝の籠城していると見られる王宮に到達していた。
 爆発的な速度で進んでいくカナリアに引き離されまいと、敵兵との交戦は最小限にしていたのだが、途中で馬を失ったのが痛かった。彼女を見失ってから、既にかなりの時間が経過している。
 王宮の中にいるのは手練れの兵士ばかりに違いない。カナリアとて無事でいるとは限らない――その思いが、フレイの冷静を装っていた心の内をかき乱していく。
 頼む、どうか無事でいてくれ――
 フレイは敵兵の潜伏に注意を払いながらも、一直線に玉座の間へと突き進んでいった。



「なんだ、これ……」
 豪奢な装飾が施された広大な空間の中に、フレイの呟きが静かに響き渡る。
 玉座の間で彼を出迎えたのは、おびただしい数の死体の山だった。そのどれもが、鎧ごと身体を切り刻まれ、何が起きたのか分からないとでもいうような表情のまま息絶えている。
 思わず目を背けたくなるような光景に、フレイは堪らず膝をついた。急激に襲い来る眩暈のような感覚に、顔を上げることすらできない。
 ――ぐ……うっ……。また、これ、か……。
 フレイは戦場で、度々同じような経験をしていた。血を見るのが苦手という訳ではない。ただ、こういった凄惨な光景を目の当たりにすると、頭を殴られでもしたかのような強い衝撃に襲われることがあるのだ。一体何が原因なのか分からないだけに、こうした場にいること自体が不安になってくる。
 だが、今はそんなことも言ってはいられない。フレイは手のひらに爪が食い込まん勢いで両の拳を握りしめると、意志の力でもって身体を起き上がらせた。そして≪勝利の剣≫を構え直し、玉座の間をぐるりと見渡す。
 名も知らぬ兵士たちの亡骸が床を埋め尽くす中、玉座が置かれた最奥に屹立する二人の姿があった。
 一人は、大剣≪グラム≫によって胸を貫かれた、豪奢な衣服に身を包んだ男。そしてもう一人は、血飛沫を全身に受けながらも、決して剣から手を離そうとしないアスガルド最強の戦姫――
「カナリアっ!」
 その名を叫びながら、フレイは全速力で駆け寄った。胸を貫かれている男はおそらく、この国の皇帝と見て間違いないだろう。つまり、長きに渡った戦いはついに終わりを告げたのだ。
 結局、全てを一人でこなしてしまったということか。フレイはカナリアという少女の凄まじさに感嘆すると同時に、感謝の念を抱かずにはいられなかった。帝都に帰ったら、英雄をたたえる盛大なパーティーを開かねばなるまい――
 だが、喜びを爆発させようとしていたフレイの前で、彼女はゆっくりと、その場に崩れ落ちた。両手で握りしめていた≪グラム≫が離れ、皇帝の亡骸とともに床へと倒れ込む。
 フレイは息をするのも忘れ、その赤黒く汚れてしまった顔を覗き込んだ。
「……カナリア? おい、どうしたんだ!?」
 呼び掛けるが反応はない。疲労が限界に達してしまったのだろうかと思ったが、それにしては妙に呼吸が荒かった。皮膚の至る所に脂汗が吹き出し、首元に見える刻印は赤黒く明滅している。
 しばらく様子を見て、フレイはその場に立ち上がった。このままここにいても対処のしようがない。まずは戦いの終結を皆に知らせ、すぐに後方待機している救護兵を呼んで診させよう――そう考えたフレイは、ひとまずカナリアを置いて玉座の間を飛び出そうとした。
 しかし――
「どこへ行く、フレイ」
 現れたグルヴェイグの眼光に射すくめられ、フレイは床を蹴り出そうとしていた足の動きを止めた。
 いつの間にこの場所へ――と思ったが、隣には一番隊隊長であるソキウスの姿もあった。それはつまり、一番隊の面々もこの宮殿に到達したということだろう。
 フレイは主君を無視して走り出したい衝動を堪え、その場に跪いた。
「陛下。敵の皇帝ですが、すでにカナリアが討ち取りました。我々の勝利にございます」
「分かっている。しかしこれで終わりではないだろう、フレイ」
「……は……?」
 言っている意味が分からない。フレイが戸惑った表情を浮かべていると、皇帝は事もなげに続けた。
「丸腰の市民も残らず全員殺せ。二度とつまらぬ壁など作らせないよう、奴らの身体に徹底的に恐怖を刻み込むのだ」
「……な……っ」
 そんな行為に何の意味があるというのだろう。例え暴力でスクルド人たちの反抗心を抑え込んだとしても、皆殺しにしてしまっては意味がない。それではただの殺戮行為ではないか。
 だが、そんな反論を口にする間もなく、グルヴェイグはその華奢な左手を上げた。
「行け、カナリア。その力を限界まで振り絞り、愚民どもに裁きの鉄槌を下せ」
 皇帝の言葉に、先程まで倒れ伏していたはずのカナリアの身体が起き上がる。首元に見えていた刻印は燃え盛るように赤く染まり、全身を黄金色のオーラが激しく包み込む。しかしその目は焦点が合っておらず、≪グラム≫を持つ剣はぶらりと垂れ下がっていた。
 明らかに、カナリアの身体は限界を迎えている。これ以上無理を続けさせたら、命に関わってもおかしくはない。
「やめろ、カナリア!」
 例え主君の意に背こうとも、これだけは譲れなかった。彼女をこんなところで死なせるわけにはいかない。フレイは何とか彼女を止めるべく、両手を広げて目の前に立ち塞がった。
 だが――そんな彼をあざ笑うかのように、カナリアは閃光のようなスピードでその横をすり抜けていき、いつの間にか姿を消していた。フレイは慌てて周囲を見渡したが、玉座の間にいるのはグルヴェイグとソキウス、それにおびただしい数の死体だけ。
「くそぉ……っ」
 知らず、フレイは宮殿の外に向かって駆け出していた。途中で一番隊の面々と顔を合わせたが、言葉も交わさずにその横を突っ切る。戦いの勝利に沸いた感情など、すでにどこかへ消え失せてしまっていた。今はただ、虐殺を指示したグルヴェイグへの怒りと、カナリアの無事を切に祈る気持ちがあるだけ――
「カナリアっ!」
 その名を叫びながら宮殿を飛び出したところで、フレイはその場に立ち尽くした。
「な……」
 広場の至る所に、切り刻まれた人間の部位がいくつも転がっていた。石畳は赤黒い血液で醜く染まり、路地のあちこちから泣き叫ぶ女性や子供の声が聞こえてくる。
 それはつまり、カナリアが兵士ではない一般市民をも手に掛けたということ。
「どう……して……」
 膝を折ってその場に崩れ落ちると、目の前に転がっていた少女の死体を吸い込まれるように見つめる。
 少女の身体はひどく損壊していた。右手と左足は半ばから先が欠損しており、頭部は巨大なハンマーで叩かれたかのように押し潰されている。フレイは目を背けたくなるような光景を目の当たりにしながら、再びあの感覚に陥り始めていた。
 ――ぐっ……くそ、こんな時に……っ……!
 今まで経験してきたどれよりも強烈な眩暈。まるで頭を何度も殴られているかのような感覚に、フレイは膝立ちすることもままならずに石畳に手をつく。
 そして――磁気嵐が吹き荒れているかのようだったフレイの脳裏に、一つの鮮明な映像が浮かび上がった。
 それは目の前の少女と同じ、惨殺された≪妹≫の姿。
「あ……あぁっ……」
 記憶の奔流が、堰を切ったようにフレイの頭の中へ流れ込んでくる。妹と同じく床に横たわっていたのは、≪母親≫に≪弟≫、それに沢山の≪親族≫たち――
 場所は、アステリアにある皇族の住まう宮殿だった。磨き抜かれた床や、豪奢な装飾が施された柱には赤黒い血飛沫が飛び散り、冷たくなった亡骸たちの瞳がどれも例外なく見開かれている。
 あまりの光景に視界が大きく揺れ、悲鳴を上げながら扉に向かって走り出す。だがそこには、立ち塞がるようにして屹立する人物の姿があった。
「グルヴェイグ……叔父さん……?」
 幼少の頃の自分の声が耳に響く。それに対して、グルヴェイグは腰の剣を抜きながら言った。
「運が良かったな。お前はたった一人……私に選ばれたのだから」
 刀身から血液が滴り落ちるのに気付くと、視界は再び大きく揺らぎ、グルヴェイグの姿は徐々に遠ざかった。
 恐怖のあまり視線を外すことができないまま、その場に大きく尻餅をつき――
「あ……あぁ…………うわぁぁぁぁああああぁぁぁ!!!!!!!!」
 絶叫が鼓膜を震わせる中、フレイは全てを理解した。
 自分はアスガルド家の使用人などではなかったこと。
 家族などいないと思っていたのが、父や母、それに妹までもが無残に殺されていたということ。
 そして、そんな絶望を彼にもたらしたのは――
「グルヴェイグ……!!」
 にわかには信じがたい真実ではあったが、それ以上に憎しみの感情がフレイの心を支配した。
 なぜ、自分を殺さずに生かしておいたのか。なぜ、自分を使用人として側に置き、騎士としての才能を磨き上げ、皇帝直属の騎士団長にまで押し上げたのか。気になる点はたくさんある。
 だが、そんなことはどうだっていい。
 なぜなら――あの男が自分や大切な家族に不幸をもたらしたのは、紛れもない事実なのだから。
 そのことを自覚すると、フレイは無意識に≪勝利の剣≫を抜いていた。その場を振り返り、ゆっくりと宮殿の入口へと向かう。
 そこに、偶然にも二つの影が現れるのが見えた。
 一人は一番隊隊長のソキウス、そして、もう一人は――
「グルヴェイグっ……!!」
 柄が折れるのではないかというほどの力が右手に籠もる。そして次の瞬間、フレイは思い切り石畳を蹴ると、力任せにグルヴェイグに向かって斬りかかった。
 だが、両者の間に身体を入れたソキウスが、フレイの剣をいとも簡単に受け止める。
「どけぇ、ソキウスっ!!」
 平時なら刃を向けるべき相手ではないが、憎しみの心が親友への思いを上回った。
 目にも止まらぬスピードで≪勝利の剣≫を繰り出し、ソキウスの身体を後ろへじりじりと後退させる。
 だが、ソキウスは全く怯まなかった。それどころか、フレイの攻撃をいとも簡単に受けきると、その体躯を生かして大剣≪オートクレール≫を振り下ろした。
「ぐ……うあっ!?」
 辛くも攻撃を受け止めるも、衝撃を吸収しきれずに後方へと弾き飛ばされる。いくら剣のサイズ、身体の大きさが違うと言っても、ここまで生み出される力の差があるなんて――
「……くそっ!!」
 無言を貫くソキウスに対し、フレイは猛然と斬りかかった。だが、どんなに剣を振り回しても、刃はその鎧にすら届かない。反面、迫りくる攻撃は何とか受け流すのがやっとだった。
 ――何なんだ、この圧倒的なまでの膂力は……!
 不意に、つい数時間前まで見ていたカナリアの戦いぶりを思い出す。だが、あれはワルキューレ族としての能力があってこその力だ。フレイと同じ純粋なアスガルド人であるはずのソキウスが、そのような能力を持っているはずがない。
 とにかく、このまま戦っていても道は開けない。リーチの長い相手を倒すには、懐に潜り込むしかない――
「うぉおあああぁっ!!!」
 決意を胸に、フレイは勢いよく石畳を蹴った。余裕すら窺える態度で立ち塞がるソキウスを見据えながら、腰に差していたもう一本の剣を勢いよく引き抜く。
 フレイが国中の騎士たちの中で最強となった理由――それは、攻撃と防御の両面で無敵を誇る≪二刀使い≫だったからだった。
「……や、め……」
 ソキウスの口が小さく動く。だが、何を言っているのか聞き取るより先に、フレイの攻撃がその足元を襲った。
 動きやすさを重視するため、騎士団のほとんどは下半身を鎖帷子で固めている。それは一番隊隊長であるソキウスも例外ではなかった。おかげで振りぬいた剣が金属製の輪を砕き、見事に脹脛の辺りに攻撃を成功させた。赤黒い血液が滴り落ち、ソキウスの大きな身体がぐらりとよろめく。
 ――よし、今が好機だ!!
 振りぬいた左腕はそのままに、今度は≪勝利の剣≫を持った右腕を大きく振り上げる。狙うのは胸部を覆うブレストプレートの下に吊られた、腹部を守るフォールドの隙間。
 相手が志を同じくした親友であることも忘れ、フレイは柄を握りしめた右手に強く力を込めた。
「うおぉ、おぉあああぁっ!!」
 そして、白銀の刃がソキウスの身体に到達しようとした時――
 大男は目にも止まらぬ勢いで後方に飛び退ると、即座に大剣≪オートクレール≫でフレイの身体を横薙ぎにした。
 あまりの衝撃に声を発することもできず、少なくとも五メートルは後方に吹き飛ばされる。
「ぐうっ……」
 攻撃はフォールドで守られた腹部を掠めた程度だったが、金属製の板は破れ、その下から大量の血が流れだしていた。加えて石畳に頭部を打ち付けてしまい、意識が朦朧としてくる。
 ――こんなところで、僕は死ぬのか。
 忠誠を尽くしてきた主君の本性。信じてきた親友の裏切り。
 フレイは愕然とした思いを抱きながら、その意識は深い闇に覆われていった。



 ◇◇◇



 目が覚めると、鈍い痛みが腹部を襲った。
 いつものように起き上がることができず、腕の力を使ってなんとか上半身を持ち上げる。
 そうして辺りを見回してみると、どうやらここは牢屋で、自分はその中に閉じ込められていることが分かった。周囲をゴツゴツとした岩肌で覆われ、その口を頑強そうな鉄柵が閉ざしている。
 なぜ、自分がこんな所に捕らえられているのか――その理由を、フレイは腹部の痛みとともに思い出した。それと同時に、これまで主君と信じて疑わなかったグルヴェイグへの怒りが再燃する。
 だが、一度戦闘から離脱したことで、フレイは常の冷静さを取り戻していた。あの時自分は、カナリアを助けるために宮殿を飛び出したはず。
 今からでも、彼女を助けに行かなければ――
 そう思って立ち上がった時、ちょうど鉄柵の向こうに人影が現れるのが見えた。
「どうやら、もうお目覚めのようだな。寝心地はどうだった、フレイ?」
 口の端を吊り上げるようにして笑みを浮かべた男――グルヴェイグの登場に、フレイの青い眼光は自然と鋭くなる。背後には三人の騎士が侍っているのが見え、そのうちの一人――ソキウスは大剣≪オートクレール≫の他に二本の剣を腰に差していた。それはどちらもフレイの愛剣であり、何とか取り戻す術はないかと考えを巡らせる。
「そう睨み付けることはないだろう。これからお前は、私の優秀な≪器≫となるのだから」
「……何を、言ってる」
 フレイはかつての主君の濁った瞳を睨み付けながら、その言葉の真意を窺う。
「慌てる必要はない、お前はこれから全てを知ることになるのだから。……だがその前に、少しばかり余興を見せてやろう」
 そう言って右手を掲げると、背後にいた騎士の一人が後方から何かを引きずり出してきた。
 壁面に掛けられていた松明の光が当たると、フレイは腹部の痛みも忘れて鉄柵に飛びつき――
「カナリアっ!!」
 牢屋内を震わせるような大声で叫ぶも、彼女は全く反応を見せなかった。身体を床面に横たえたまま、宮殿にいた時よりも激しく呼吸を繰り返している。
「何を……一体、彼女に何をしたんだ!!」
 フレイの噛みつくような言葉に、グルヴェイグは再び小さく笑った。
「何をした……か。本来お前に教えてやる義理などないが、まぁいいだろう。お前はこの化け物にご執心だったようだからな」
 化け物、という表現にフレイは拳を震わせる。その光景を満足そうに眺めながら、かつての主君はワルキューレ族にまつわる≪真実≫を語り始めた。
「……私がワルキューレ族に目をつけたのは、父親であるブラギが皇帝となる前のことだった。だがそれは、連中が持つ特異な能力に興味を示してのことではない。私は単に、ワルキューレ族の並はずれた生命力の高さに注目したのだ」
「生命力の、高さ……?」
「そうだ。ワルキューレ族の寿命が他の人種に比べて極端に長いことは、以前から多くの人々に知られていた。だからこそ人々は、ワルキューレ族を奴隷として使い叩いてきたのだ。だが私は、別の観点から奴らを最大限利用することを考えた。それが――」
 そこで言葉を切ると、グルヴェイグはにやりと口の端を持ち上げた。
「その者の命を燃料として燃やすことで、爆発的な戦闘力を発揮することができるという……≪呪術≫の行使対象とすることだ」
「…………なん、だって?」
 にわかには信じられない話の内容に、フレイは口を開いたまま沈黙してしまう。
 そんな彼の反応に構うことなく、グルヴェイグは更に言葉を続けた。
「呪術は、かつてヨーロッパ大陸に存在していた魔女ゲンドゥールが行使していたとされる術だ。それは人々にことごとく≪呪い≫として恐れられ、天災や伝染病の流行を発生させて多くの命を奪ったという。大天使シグルドリーヴァの降臨によってゲンドゥールが滅ぼされ、呪術は葬り去られたと文献には記されていたが……私はアステリア宮殿の地下に隠されていた禁書を読み漁り、ついに呪術の一つを再現することができた。それが――人間の命を燃料にして戦わせるという、ワルキューレ族の娘カナリアに施した術だ」
 そこまで口にして、グルヴェイグは左手を頭上に掲げた。小指に嵌められた指輪には黒い宝石が埋め込まれており、松明の光を受けてか鈍く輝き始める。
 やがて、横たわったままのカナリアが呻き声を漏らし始めたかと思うと、その全身が黄金色のオーラに包み込まれた。まるで、残された命の炎が美しく燃え上がるかのように。
「まさか……そんな……」
 声を震わせるフレイに、グルヴェイグは容赦なく畳み掛ける。
「そのまさかだ。この娘に……ワルキューレ族に、星から力を授かるなどという能力はない。私が強制的に呪術を行使し、その命を燃やすことによって圧倒的な戦闘能力を与えていたに過ぎないのだ。無論、命を燃やしているのだから、その寿命は加速度的に縮まる。この娘には散々術を行使してきたから……今生きているのが不思議なくらいだろう」
 話を終えると、グルヴェイグは徐に手を下ろした。カナリアを包み込む黄金色のオーラが消失し、フレイは大きく息を吐く。
 しかしそれも束の間、グルヴェイグはカナリアの横たわる姿を見下ろすと、その腹を思い切り蹴り上げた。
「や、やめろっ!!」
 必死の制止も敵わず、グルヴェイグは二度、三度と爪先をがら空きの腹部に食い込ませた。
 カナリアは口から血を吐きながら、苦しそうに呼吸をして身もだえている。
「なんてことを……お前は、お前はッ!!」
 爪が割れそうなぐらいに鉄柵を握りしめながら、フレイは激しく憎しみの炎を燃やす。
 しかしそんな反応も、グルヴェイグにとっては火にくべる薪だった。
「この私が憎いか、フレイ……ならばそろそろ、仕上げだ」
 そう言って、腰に下げていた剣を引き抜く。人間の血を吸うことでより強固になると言われる妖刀≪フルンティング≫。妖しく湾曲する刀身を見て、フレイはにわかに戦慄した。
「やめろ……やめろやめろ、やめろぉ!!!」
 だが、その決死の願いも虚しく――
 グルヴェイグの振りかぶった剣は、その刀身をカナリアの華奢な胸板に深々と沈み込ませた。
「う…………うわぁぁぁぁああああああああああ!!!!!!!!!!!!」
 頭が真っ白になるような激しい絶叫の後、フレイは再び意識を失ったのだった――



 ◇◇◇



 周囲を、深い闇が包み込んでいた。
 人影はどこにもない。それどころか、出口を示すような光源すら見つからない。
 掴み取れそうな闇の中で、フレイはただ茫然としていた。
 カナリアはもうどこにもいない。自分の目の前で、怒ったり、笑ったり、泣いたり……そんな姿を、もう二度と見ることはできない。
「どうして……」
 彼女が、一体何をしたというのだろう。アスガルドの人々に迫害され、グルヴェイグに人間兵器として利用され。それでも彼女は、必死に戦っていた。決して復讐心を燃やすのではなく、大切な人たちを守るためだけに。
「ふざけるな…………」
 憎しみの炎が胸の内で激しく燃え盛った時、突如として闇色の触手がフレイの全身を這いずり回った。手や足、胴体を締め付けるようにして拘束し、利き手である右手に刀身のない剣を握らせる。
 やがて、柄の中央に禍々しい一つ目が現れたのを見て、フレイは思わず息をのんだ。
「驚いているようだナ……フレイ」
「お前は、誰だ……? どうして俺の名前を知ってる?」
「いきなり質問攻めカ。まぁ、無理もなイ」
 一つ目は不気味なほどにこちらを真っ直ぐ見つめてきて、
「フレイ。今のお前なら、私という存在が何者か感じられるはずダ」
 その言葉が頭の中に響いた途端、右手に持った剣から闇色のオーラが漂ってくる。それが右腕、右肩、やがて全身を支配すると、大量のイメージが頭の中に流れ込んできて――
「うっ……うわぁぁぁああああああああぁぁァァァ!!!」
 カナリアが胸を貫かれた時に感じたような絶望が、無数の刃となって胸の内を襲いかかってくる。
 まるで世界中の不幸を一瞬にして味わったような感覚に、フレイはほとんど意識を失ってしまっていた。
「おっと……お前にはまだ少し早すぎたカ。まぁ、仕方なイ」
 闇色のオーラが緩やかに引いていく。全身の力が抜け、俺は荒く呼吸を繰り返した。
「はぁ……はぁ…………お前、一体俺に何をした……?」
「ハハ……怒っているな、フレイ。それとも、恐れてしまっているカ。私はただ、世界の真実を見せただけなのだがナ」
「世界の、真実……?」
「そうダ。この世界には、お前たち人間が振りまいた不幸がそこかしこに転がっていル。そこで生まれた怒りや悲しみ、憎しみといった負の感情は、更なる不幸を生み出す呼び水となっタ。そうして……私がうまれタ」
 そう言って、一つ目はその表面に幾筋もの赤を血走らせた。
「分かりやすくいえば……私は≪魔女≫の原型ダ」
「魔女……? お前がヨーロッパ大陸を滅ぼしかけた、あのゲンドゥールだっていうのか……?」
「それは違うナ。私はただ、奴に力を授けたに過ぎなイ」
 一つ目はぎょろりとこちらを見据えてきて、
「だが、案ずる必要はなイ。お前にはもっと特別な力を与える用意があル」
「……特別な、力?」
「あぁ。ヨーロッパ大陸などという小さいスケールではなく、世界を滅ぼす力ダ」
 そう言って、一つ目は何もない刀身に禍々しいオーラを漂わせた。
「……フレイ。お前は今、グルヴェイグという男を憎んでいル。お前が大切に想っていたカナリアという女を殺したという、その事実を目の当たりにしテ」
「…………そうだ。俺はグルヴェイグが憎い……カナリアのことも、一緒に暮らしていた家族のことも……!」
「あぁ、そうだナ。だが……本当に、グルヴェイグだけが≪悪≫だと思うカ?」
「……どういう、意味だ……?」
「なに、難しい話じゃあ無イ。歴史上、人間どもは私利私欲を巡って争ってきタ。幸福の裏には不幸があると分かっていながら、更なる幸福を追い求め、更なる不幸を生み出してきたのダ。例えグルヴェイグを葬り去ったとしても、また新たな怪物が生まれて理不尽な暴力を振るい続けるだろウ」
「……なら、一体どうすればいい? どうすれば世界に平和が訪れるって言うんだよ!?」
「……簡単な話ダ。お前の手で、世界を滅ぼしてしまえばいイ」
 そう言って、一つ目は大きく瞳を見開いた。
「今の人間どもは腐っていル。欲深い連中に何が悪いのか分からせるためには、痛みを伴う正義の鉄槌が必要ダ」
「……そんなこと、できる訳ないだろ。世界を良くするために、世界そのものを滅ぼしてしまうなんて――」
「果たして、本当にそうだと言えるカ? お前の大切にしていたカナリアは、歪んだ世界の犠牲になってしまったんじゃないのカ?」
「…………それは」
「必要なことなんだよ、フレイ。世界を創り直すためには、人間どもに身をもって過ちを理解させるということガ」
 一つ目がそう言い放った瞬間、フレイの右手に掴まされた剣の鍔から闇色の触手が飛び出し、宙でうねりながら禍々しい刀身を創り出した。
「さぁ……剣を取れ、フレイ」
 闇色の剣から、その尋常ならざる力が全身に伝わってくる。この剣をひと振りすれば、大地は跡形もなく吹き飛び、その力に人々は例外なく畏怖するだろう。
「カナリア……俺は……」
 フレイの心は揺れていた。彼女がそんなことを望まないのは分かっていても、一つ目の言葉を否定できない自分がいることを自覚する。
 そうして、剣を取る方に気持ちが傾きかけた時――
 一筋の光が、フレイの頭上から降り注いだ。
「ぐっ……何ダ……?」
 全身を拘束していた触手の力が緩む。頭上を見上げると、それはさながら金色のロープのようにゆっくりと降りてきていた。
 ――フレイ、聞こえるか。
「…………カナリア!?」
 慌てて周囲を見回すが、どこにもその姿はない。代わりに、聞きなれた声が頭の中に直接響き渡る。
 ――どうやら間に合ったようだな。≪闇≫を完全に受け入れていたら、もう手の施しようがなかった」
「…………何を、言ってる……?」
 フレイが戸惑っていると、カナリアは「こっちの話だ」と小さく笑った。
 ――フレイ。前にも言ったが、私は復讐など求めてはいない。例えその剣で世界を滅ぼしたとしても、私は決して喜んだりしない。
「でも……君は殺されてしまった! グルヴェイグという憎むべき存在を生み出した、世界そのものによって! だから、僕は…………」
 ――世界を滅ぼす、か? そうして新しい世界が生み出され、人間たちが再び争いを始めたらどうする。また同じことを繰り返すのか?
「…………それは……」
 ――間違っていいんだよ、フレイ。人間は失敗からすべての物事を学んできた。なのにそれを諦めて全てを放り出すなんて、あまりに勿体無いだろう?
「……でも、人の心は弱い! 一度幸せの味を覚えてしまったら、他人を蹴落としてでもそれを求めようとする! もしそうなったら――」
 ――だったらお前が皆を導けばいい。そうだろう、騎士団長?
 その言葉に、フレイは強く胸を揺さぶられた。
 思えば、僕はずっと助けられてばかりだった。スヴィンフヴィードを目指す戦いの中で、カナリアの存在がなければ、僕は決してこの場所に到達することなどできなかった。
 ならば――今度は僕が、代わりに皆を導く存在になるべきじゃないか。
 そう思い至った時、フレイは迷わず目の前のロープを掴んでいた。全身を眩い光が包み込み、闇色の触手がことごとく消滅していく。手に持たされていた剣を放り投げると、一つ目がこちらをぎろりと睨み付けてきた。
「おのれ……天使風情が、またしてもこの私の邪魔を……ッ!」
 何を言っているのかは分からなかったが、もはや気に掛ける必要もない。
 やがて目の前に強い光が差し込むと、フレイは静かに目を閉じた。



 ◇◇◇



「おや、思ったよりお早いお目覚めだな」
 聞こえてきたのは、憎むべきかつての主君の声だった。
 フレイは目を開けると、すぐさま周囲の状況を理解しようと視線を走らせる。
 どうやら、すでに牢屋の外に出されたらしい。だが両腕は背後にいる二人の騎士に掴まれ、身動きを取ることができなかった。遠くに松明の光に照らされた階段が見えるが、その前には一番隊隊長であるソキウスが仁王立ちしている。
 そしてグルヴェイグは、目の前で指輪を嵌めた左手を掲げていた。
 まさか、自分にもあの呪術を――
 そう考えたフレイに対し、グルヴェイグは醜悪な笑みをその美しい顔貌に張り付かせた。
「いいことを教えてやろう、フレイ。貴様はこれから呪術によって、生きながら魂を抜き取られる。そして空っぽになったお前の肉体に入り込むのは……他でもない、この私だ」
「…………なん、だって?」
「クク、怖がる必要はない。何しろ貴様は私の≪器≫として、これからも我が覇道の行く末を目にし続けることができるのだから。これ以上に光栄なことはないだろう?」
 グルヴェイグは聞くに堪えない弁舌を繰り広げる。
 フレイはそれを聞くフリをしながら、左右に首を振って騎士たちの様子を窺った。いずれも一番隊の隊員であったが、本来の意志を奪われてしまっているのか、虚ろな瞳で虚空をじっと見つめている。
 チャンスはそう多くはないだろう。フレイは息を殺すようにしてグルヴェイグの挙動に注意を払いながら、すぐに動けるように肉体の動きを何度もシミュレートする。
「さて……お喋りはこれで終わりだ。おい貴様ら、フレイの身体をこちらに近づけろ」
「「はッ」」
 グルヴェイグの指示に、二人の騎士たちの腕を掴む力が一瞬緩む。なぜなら身体を前に押し出そうとした時、一度力を抜いて腕を引くのが一連の動作として行われるからだ。
 その隙を、帝国最強の騎士であるフレイは見逃さなかった。騎士たちが自らの腕を引いた瞬間、地面を強く蹴り飛ばして後方に推進力をつける。石壁はすぐ近くにあり、それに気付いていなかった騎士の一人がそのまま激突した。
「ぐっ……」
 衝撃とともに拘束されていた左腕が自由になる。もう一人の騎士には依然として右腕を掴まれていたが、そこから先は簡単だった。身体の一部を固定されていることを利用し、そこを支点にして足払いを掛ける。倒れた相手の右腕を踏みつけて動きを抑え込むと、腰に差していた鋼色の長剣を抜き取った。
「くっ……貴様ら、何をしている! 早くフレイを拘束しろ!」
 グルヴェイグが左手を掲げると、騎士たちの身体が金色のオーラに包まれ始めた。やはりこの男は、ワルキューレ族ではないこの者たちにも呪術を――
 だが、騎士たちが圧倒的な戦闘力を発揮するよりも早く、フレイは彼らの横腹に剣を突き立てていた。瞬く間に二人の身体がその場に崩れ落ち、地面に赤黒い染みを広げていく。
 グルヴェイグは唖然とした表情を浮かべたまま、ゆっくりとその身体を後退させた。
 それから、悔しさを噛みしめるようにして拳を握り締め、
「ソキウス! 貴様の出番だ!」
 頭上に向かって叫ぶと、闇に包まれた向こう側から大男の姿が現れた。
 背中には大剣≪オートクレール≫を吊り、全身には厚手の金属によって成形されたプレートアーマー。使い慣れない剣一本で戦うフレイにとっては、あまりにも荷が重い相手である。
 グルヴェイグが左手を掲げると、ソキウスの身体もまた黄金色のオーラに包まれ始めた。ここ最近様子がおかしかったのは、親友もまた知らないところで呪術を行使されていたからなのだろう。強敵との戦いの前に、フレイは奪い取った剣を構え直す。
 だが――その巨体が襲い掛かってくるより先に、二本の剣が装甲の隙間から露わになっていた両足を突き刺していた。
「……ソキウスっ!!」
 剣を突き立てたのは、他でもないソキウス自身だった。滴り落ちた血液が地面の上に染みを作り、やがて巨体がその上に倒れ込む。
「済まないな……フレイ。団長に剣を向けるなんて……隊長、失格だ……」
「もういい、喋るな! 早く傷の手当てをしないと――」
「俺のことはいい。グルヴェイグの……つまらない甘言に乗り、お前の助けになるならと信じた俺が馬鹿だった。早く、奴を討ち倒し、て……アスガルドを、この世界を、救って……くれ……」
「…………あぁ。約束する」
 そう言って、フレイはゆっくりと立ち上がった。背後を振り返るが、すでにグルヴェイグの姿はない。
 ソキウスの元から二本の剣を受け取ると、フレイは松明の光を頼りに階段を駆け上がっていった。



 階段を登り切ると、そこに広がっていたのはスクルドの宮殿内部だった。やはり、自分は宮殿地下の牢屋に閉じ込められていたらしい。
 フレイは数時間前に突入した内部の構造を思い描きながら、どこを捜索するべきか考えた。やがて一つの推理に到達すると、一直線にその場所へと走り出す。
 たどり着いたのは、カナリアが敵皇帝を討ち取った玉座の間だった。その最奥、豪奢な装飾が施された玉座の上に、一つの黒い影が腰を下ろしている。
「よく来たな……と言いたいところだが、やはりお前の頭脳は三流以下だな、フレイ。こうして待ち受けている時点で、罠があると思わないのか?」
「……そんなものは関係ない。お前はここで僕が討ち取る。ただそれだけだ」
 フレイが剣を構えると、グルヴェイグもまた立ち上がって妖剣≪フルンティング≫を抜き取った。
「クク……勇敢だな。それでこそ、私が見出した≪器≫に相応しい」
 グルヴェイグの左手、その小指に嵌められた指輪が鈍く輝き始める。どうやらあの宝石が呪術の発動と関係があるらしい。だが、この場にワルキューレ族はもちろん、皇帝を護衛する騎士の姿も見当たらない。
 やがて、グルヴェイグは頭上に高々と掲げた左手を、自らの左胸に強く押し当てた。
「ぐうっ……が、があああぁぁぁあああああああ!!!!!!!!」
 絶叫を上げながら、黒衣の男はその場に膝をついた。右手も使って胸元を抑え込み、頭を垂れて全身を大きく震わせる。あまりの尋常ならざる光景に、フレイの両足は地面に縫い付けられているかのように動かない。
 だが――のたうち回っていた男の動きが止まり、その身体を黄金色のオーラが包み込み始めた時、フレイは知らず剣を構え直していた。
「馬鹿な、呪術を自分に行使したのか……!?」
 あのグルヴェイグが、よもや自らの命を燃やすという決断をするとは――にわかには信じ難かったが、しかし冷静に考えてみると得心がいった。
 あの男は、自分を≪器≫にして他者の肉体に乗り移ろうとしている。つまりこの戦いにさえ勝てば、例え自らの肉体的寿命を縮めようとも問題ないのだ。
「…………クク、クククッ」
 奇妙な笑い声を漏らしながら、グルヴェイグはゆっくりと立ち上がった。
 そして次の瞬間、全速で走る野生動物のようなスピードで接近してきた後、目にも止まらぬ速さで妖剣≪フルンティング≫を振り下ろしてきた。
「ぐっ…………やはり、この力…………!」
 腕一本では到底支えることのできない圧倒的膂力。フレイは何とか≪勝利の剣≫をあてながら攻撃を回避すると、左手でもう一本の剣を抜き取った。
 ――戦闘時間が長引くほどに相手が有利になる。ここは最初から全力で、まずは動きを封じるために足を狙う!
 フレイは攻撃の狙いを定めると、全速で左右の剣を振り下ろした。どちらも≪フルンティング≫にあっさりと弾かれるが、武人ではない皇帝の脇はガード後の隙でがら空きになっていた。
「せあぁああッ!!」
 視界の端をすり抜けるようにして背後に回り、即座に≪勝利の剣≫を横薙ぎにする。
 だが、グルヴェイグは垂直に跳ぶことで攻撃を回避すると、重力を乗せた≪フルンティング≫をフレイに向かって振り下ろした。
「ぐ……ああああああッ!!」
 咄嗟にガードした左手の剣もろとも、身体の中央を斬りつけられる。剣は折れ、ブレストプレートはあっさりと砕け散り、その下の皮膚を深く引き裂いた。
「がはっ、はぁ、はぁ……ッ」
 身体を転げるようにして敵から距離を取ると、フレイは≪勝利の剣≫を杖にして何とか立ち上がる。胸元からは血液が滴り落ち、磨き抜かれた床に小さな血だまりを作った。
「クク……ククククッ……素晴らしい。これほどまでに見事な力だとは、想像していなかったよ。この力さえあれば……世界を牛耳ることができる。ブラギや、皇位を継ぐはずだった貴様の父親ではなく、この私が全てを成し遂げることができる……!」
「…………はぁ……はぁ、父さん……だと……?」
 激しく呼吸を繰り返しながら、フレイは何とか顔を上げる。それに対し、グルヴェイグは醜悪な笑みを浮かべてみせた。
「…………あぁ、そうとも。貴様の父親を始め、アスガルド家の正統な人間たちは、私にない絶対的な力を持っていた。そんな連中を差し置いて、この私が世界を統べる王となろうとしているのだ! ククッ、こんなに痛快なことはない」
 フレイは胸の痛みに朦朧としながら、自らの叔父にあたる男の変わり果てた姿を見据える。
 グルヴェイグは本人が言う通り、アスガルド家の正統な人間ではない。前皇帝であるブラギが公妾との間に設けた子供なのだ。ゆえに宮殿内での地位は低く、新たな皇帝となる可能性はゼロに等しかったという。
「…………祖父を……父さんを、憎んでいたのか?」
 甥であるフレイの問いに対し、グルヴェイグは鼻で笑うような仕草を見せた。
「それは違うな、フレイ。私は連中から学んだのだ。力こそがこの世の全てであり、弱者は皆切り捨てられるということを」
「…………どういう、ことだ?」
 フレイが訊き返すと、黒衣の男は滔々と自らの過去を語り始めた。
「……私は、幼い時分から力ある者に抗ってきた。剣の稽古は誰よりも努力を重ねたし、残りの時間は勉学に費やした。だがそれは、決して越えられない壁があることを知る以外に何も役立たなかった! そして、何より思い知らされたのは母親のことだった。元から身体の弱かった母親は、私を産んで最後、次の子供を産むことができなくなってしまった。それを知ったブラギはこう言ったのだ。力のない者に興味はない……と」
「まさか…………祖父が、そんな…………」
「ブラギは徹底した実力主義だった。その後母親は病に伏して死んだが、奴は一度として顔を見には来なかった。そうして……私はようやく理解したのだ。力こそがこの世界の全てだと。自らの存在価値を示す為には、強者との戦いに勝ち続けるしかないと!!」
「それは違う! 祖父は力を信じていたかもしれない…………でも、僕は力がこの世の全てだとは思わない!」
 フレイが痛みをこらえながら叫ぶと、グルヴェイグはそれを嘲るような笑みを浮かべた。
「今更ここで、貴様と議論を交わすつもりはない。力ある者が全てを手にすることができる。ただそれだけだ」
 妖剣≪フルンティング≫の切っ先がこちらに向けられる。
 フレイは≪勝利の剣≫を構えながら、闇の中でカナリアが発した言葉を思い出していた。
 ――だったら、お前が皆を導けばいい。
 そうだ。僕はここでグルヴェイグを止め、皆が幸せになれるような世界へと導いていく義務がある。間違っても、こんなところで倒れるわけにはいかない。
 それが、犠牲になったカナリアや騎士団の仲間、倒れていった敵兵たちに報いる唯一の道なのだから――
「うぉぉおおおおおおおおおッ!!!」
 無意識に上げた鬨の声に、グルヴェイグの動きが一瞬怯む。それを見逃さず、フレイは全速力で敵の元に駆け寄ると、渾身の一撃を振り下ろした。
 剣と剣が激しくぶつかり合い、弾かれた衝撃で身体が後方に飛ばされようとする。
 だが、それを鍛え上げた足腰でどうにか踏みとどまり、休む間もなく二撃目をお見舞いする。
「せぁああああああッ!」
 一撃目に比べてガードが遅れるも、グルヴェイグは圧倒的な膂力で素早く剣を間に入れてくる。だが、相手はまだこの動きについてこれていないようだった。三撃目は更に刀身が鎧へと近づき、もう少しで攻撃を成功させられそうな手ごたえを得る。
 一刀流での実戦は久しぶりだったが、身体はその感覚を覚えていた。カナリアを相手に≪勝利の剣≫を打ち込み、隙を見せるたびに≪グラム≫を身体に当てられていた時のことを思い出す。
 ≪フルンティング≫による攻撃は強力だったが、フレイはガードの動きを最小限にして反撃の一刀を打ち込んだ。
 ――こんなの、カナリアの打ち込みに比べれば……ッ!!
 白銀の刃が、ついにグルヴェイグの側腹部を捉える。戦いの最中、鎧の隙間を正確に突く技術は騎士としての大きな武器だった。剣は深々と肉を割き、そこから大量の血液が溢れ出す。
「ぐう…………ッ」
 苦悶の表情を浮かべ、グルヴェイグはその場に膝をついた。立ち上がる隙を与えず、フレイはその頭部に≪勝利の剣≫の切っ先を向ける。
「…………終わりだ、グルヴェイグ」
 黒衣の男は顔を伏せたまま何も言わない。だが、男の奇妙な笑い声が耳に届いた時、フレイは剣を握る手に力を込めた。
「この私が、ここで終わる…………? 有り得ぬ、そんなことは絶対に……ッ!」
 瞬間、目にも止まらぬ攻撃がフレイを襲った。予想していなかった下段からの一撃に、フレイは身体のバランスを大きく崩してしまう。
「ぬぅぉおおおおおおッ!!」
 即座に繰り出される二撃目。お株を奪われたかのような攻撃に、フレイが必死で剣を構え直そうとした、その時――
「…………ぐ……がはッ」
 突如、≪フルンティング≫の動きがピタリと止まった。脇腹の傷のせいか、それとも≪呪術≫の反動か――グルヴェイグは再び苦悶の表情を浮かべる。
 迷っている時間はなかった。がら空きになっていた胸元にはブレストプレートが着用されているが、その下の腹部には剣を差し込む隙間がある。
 フレイは静かに、そして素早く剣を前へ送り出し――
 グルヴェイグの身体を、その白銀の刃で貫いた。
 男の口からは大量の血液が吹き出し、右手に握られていた≪フルンティング≫が音を立てて床に落ちる。
 そして、全身がその場に崩れ落ちたのを見て、フレイは静かに目を閉じた。
「…………すまない、叔父さん」
 一人呟いたその言葉が、広い玉座の間に寂しく響き渡った。



 ◇◇◇


 それから、約一年の月日が経過した。
 戦勝国であるアスガルド、敗戦国であるスクルドは共に皇帝を失い、それぞれ臨時に選ばれた代表が和平交渉の席に着いた。
 アスガルドの代表は、騎士団長であるフレイ・シャルヴィ改め、アスガルド家唯一の生き残りであるアルギュロス・アスガルド。
 彼が先頭に立って交渉に臨むことに多くの貴族たちは不満を漏らしたが、一方で国民たちからは一様に支持を集めた。なぜならグルヴェイグの崩御にまつわる真実が国中に知れ渡り、騎士団長としての人気の高さも相まって、次代の皇帝最有力候補としてその名を推されるようになったからである。
 そして、戦火が終結してから一か月。戦勝国として賠償金や領地の類は一切要求せず、両国の交流を盛んにするような条約を多数締結することに成功したアルギュロスは、正式に次代の皇帝となることが決定したのであった――



「ソキウス、そこで待っていてくれるか」
 かつての一番隊隊長、現在の騎士団長である男にそう言い残し、アルギュロスは手入れの行き届いた草地を進んでいった。
 その先にあったのは――スクルドとの戦争でその命を落とした、騎士たちの名前を刻んだ合同慰霊碑。
 そこには、≪最強の剣≫として騎士団の先頭に立ち続けた、カナリア・ワルキューレの名前も記されていた。
 アルギュロスは胸元に手を当てながら、顎を引いて静かに瞑目する。
 ――カナリア、今日は伝えたいことがあって来たんだ。君が望んだご馳走も、驚くようなプレゼントも用意できていなくて済まない。でも、君のことを祝おうとするこの気持ちだけは本物だ。だから、一言だけ言わせてほしい……
 誕生日、おめでとう。
 胸の内で、心からその言葉を呟いた時、アルギュロスの青い瞳には涙が浮かんでいた。
 降臨祭のあの日、来年も祝わせてくれと言ったはずなのに。どうして君は、僕の前からいなくなってしまったんだ。
 どうして――こんなにも、僕の心を強く締め付けるんだ。
 アルギュロスはしばらくの間立ち尽くしていたが、やがて浮かんでいた涙を拭うと、見つめ続けていた慰霊碑の名に背を向けた。
 そして――彼は、思わず目を疑った。

「とびきりのご馳走はどうしたんだ、フレイ」

 艶やかな長い黒髪。白磁のように滑らかな肌。凛とした気の強そうな眉に、柔らかく微笑む深紅の瞳。
「…………カナ、リア……?」
 瞬きを忘れて驚くアルギュロスに、彼女は口に手を当てて笑った。
「なんだ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして。私が生きているのがそんなに驚きか?」
「…………本当に、カナリアなのか?」
「フフ、まだ信じられていないようだな。ならば仕方ない」
 そう言って、カナリアは背中に吊っていた大剣を抜き取った。
「剣を取れ、フレイ。お前が私に聞きたいことがあるというのなら、いくらでも質問するがいい。ただし……その剣を振り続けていられることが条件だがな」
「…………! それって……!」
「皇帝であるからといって手加減はしないぞ。私のペースについてこい!」
 カナリアが大剣を振りかざすと、アルギュロスもまた≪勝利の剣≫を引き抜いた。
 彼女を相手にしているという懐かしい感覚に、再び涙が溢れそうになる。
 だがそれは、先程まで抱いていた感情とは大きく違うものだった。ただ剣を振っているだけだというのに、自然と頬が緩み、世界が輝いているようにすら感じられる。
「…………おかえり、カナリア」
 アルギュロスが静かに呟くと、カナリアは太陽のように輝く笑顔を見せたのだった。
クロウ rDwmlYJSIE

2018年08月10日 00時00分12秒 公開
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■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:帝国最強の騎士が目にしたのは、戦場を駆ける黄金の戦姫だった。

◆作者コメント:初めてハイファンタジー、というか架空の世界で描かれるバトルものに挑戦してみました。そのため、舞台設定に粗があったり、戦闘シーンがチープだったりするかもしれません。ですが頑張って書きましたので、どうか一読頂けますと幸いです。感想書きも頑張ります! どうぞよろしくお願いします。

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2018年08月13日 23時31分37秒
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2018年08月13日 22時32分44秒
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合計 11人 130点

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