恋と友情の回転寿司 |
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お寿司が回っていた、ぐるぐると。 職人さんが握るお寿司がレーンを流れ、お客さんが好きなネタを選び取る。いわゆる回転寿司というやつ。金曜日の夜、ということで店内は盛況だった。 今日は失恋した友人、村崎紫(ゆかり)の慰安会だ。だからちょっとでも静かな席をと私はなるべく隅のテーブル席を選択。 「ほら、紫。ここ座ろ?」 「あ、うん……」 私が促すと、紫は言葉少なに席についた。その表情は暗く、まだ落ち込んでいるのがひと目でわかる。 「ここね、私の行きつけのお店でさ、とっても美味しいんだよね。月末にはいつも仕事を頑張った自分へのご褒美にしてんの。あ、すいませーん! 真鯛一つお願いします! 紫もなにか頼む?」 「……あたしはいいよ。回ってるのから選ぶ」 「そ? 今日は私のおごりだから気にしないで食べなよ、なんでもいいからさ。……あ、でも予算に限度があることはお忘れなく」 「ふふっ、わかった」 心持ち表情を緩ませた紫に、私はちょっとほっとした。 「へい、真鯛お待ち!」 握りたてのお寿司を受け取り、私はさっそく箸をつける。 噛みしめると、かすかに歯ごたえのあるお肉がきゅっと押し返してきた。それと同時に、じゅわぁっと淡い鯛の旨味が口の中に広がっていく。 う〜〜ん、美味しいっ! 思わず微笑んでしまう私である。 「やっぱり寿司ネタは獲れたてに限るよねー。って、どしたの紫?」 真鯛の美味しさに気を取られていたら、いつの間にか紫が泣いていた。それも、はらはらと涙を流して。 「あ、あのね? さっきからイカのお皿がね? ずっと回ってるの……」 「……うん?」 なんのこっちゃ、と首をかしげる私に、紫はレーンを指さして。 「あのイカのお皿がね、ずっと回ってるの。誰にも見向きもされないで、ずっと、ずっと回ってるの。それ見てたらね。なんだかね、だんだんあのイカがあたしみたいだなって思えて……っ」 紫は涙声でそう訴えると、うつむいて肩を震わせはじめた。 今の紫はあらゆるネガティブな物事に自分を投影する、そんな病にかかっている。 線香花火の儚さに胸を締め付けられ、沈む夕日に寂しさを感じ、風に揺れる一輪の花に涙ぐんでしまう、失恋時によく見られるアレ。いわゆる、失恋後症候群である。 ここ数日はすっかりなりを潜めていたので、そろそろ復活の頃合いかと思ったら、これだ。 ……あっちゃー。外に連れ出すの、まだ早かったかなー。 気づけば、目隠し越しにお隣さんがこちらの様子を伺い、いつもなら気さくに声をかけてくれる顔見知りの職人さんも気まずそうに顔を逸している。非常に肩身が狭い。 けれど私としては、どうしてもこのまま店を出てしまうわけにはいかなかった。 というのも、もう二週間ぶっ続けで彼女の愚痴に付き合わされているのだ。それも平日休日関係なく、夜遅くまで、延々と。そのためここしばらくまともに眠れていないし、仕事に影響も出まくっている。今だって結構眠い。だから友人として彼女に早く元気になって欲しいのはもちろんなのだけど、それより何より私自身の睡眠時間のためにもとにかく立ち直ってもらわないと困るのだ。 さてどうしたものかと私が頭を悩ませていると、丁度そのお皿へ一人のお客さんが手を伸ばすのが見えた。それも年若い、ちょっと可愛い大学生ぐらいの男の子だった。 「あ! ほ、ほら紫! 見てみなよ! ね? あのイカが選ばれたよ、カウンターに座ってるあの子!」 「……えっ」 それを目にした途端に、紫は信じられないとでも言いたそうに口元に手を当てた。その目に、かすかに喜びの色が浮かぶ。 「ね? きっとあのイカは、今まではたまたま選ばれなかっただけなんだよ。ううん、むしろあの子に食べられるのを待ってたんだよ」 「そっか……そう、だね。ふふっ、ごめん理沙。あたしちょっと気にしすぎてたみたい」 目元をハンカチで押さえて、紫はふっと表情を緩めた。 よしっ、ひとまずこれで大丈夫! 私がテーブルの下でぐっと拳を握りしめると、職人さんとお隣さん達がほっとため息をつくのが聞こえてきた。 ……ご心配おかけしました。 私は胸中で彼らに頭を下げてから、今後の段取りについて熟考することにした。 一応、当面の予定はこうだ。 まずはこのまま紫の気分を上げていき、頃合いを見計らってビールを投入。そして楽しく適度に愚痴をこぼさせたら酔いつぶれてもらって、翌日には二日酔いで苦しんでもらう。これは一見するとひどい行為に見えるかもしれないけど、失恋した大人の女が気持ちをリセットするために必要な儀式なのだ。失恋のつらさと二日酔いのつらさをごちゃまぜにして、最終的に気分が悪いのはみんな二日酔いのせい、ってことにするための。 ただこのときビール投入のタイミングを間違えると、余計に落ち込んでしまうことになるので慎重な判断が必要になってくる。今の紫はとりあえず若い男の子に気を取られて気が逸れているけど、まだマイナス思考から脱したとは言いにくい。よってビールはまだ早い、と判断。とにかくまずはなにか好きなお寿司を食べてもらって、ご機嫌取りに回るのが吉だろう。それと同時に長時間回っているお皿には要注意だ。そんなものを目にしたら、また紫が落ち込みかねない。頭の中でその事案に、重要! のスタンプを押しておく。 と。 「あのー、ちょっとすいません」 何気なくその声の方を見やると、さっきの男の子が手を上げていた。それも、あのイカのお皿を店員にさしだして。 「すいません、これ、ちょっとネタが乾いちゃってるみたいなんですけど……」 あっちゃーっ! 「ねぇ理沙……。あたしもこの先、あのイカみたいに干からびるまで独りなのかな? そして捨てられちゃうのかな?」 すかさず紫から、大陸間弾道ミサイルのように、とんでもなくネガティブな発言が飛んできた。 あんた、寿司一つに感情移入し過ぎだろっ! のど元まで出かかったその言葉を、私は慌てて飲み込む。職人さんとお隣さんらに至っては、おお、神よ! とでも言いたげに天を仰いでいた。 深々とため息をつく私の脳裏に、一瞬もう帰ってやろうか、という考えがよぎる。 いや、けれどここで引いてしまえば明日以降も、そして来週も紫からの愚痴を聞かせられるのは間違いなくて。そしてそれだけは、何があっても絶対に避けなければならないことを知っている自分がいる。 そう例えば、寝ぼけて化粧して、アイラインをミスったことに気づかずそのまま出社。あげくいけ好かない後輩女子社員から、「センパ〜イ、今日ちょっと目元おかしくないですかぁ?」などと、嘲笑気味に指摘されるとか、もう二度とごめんなのだ。もしあんなことがまたあったら、私は屈辱のあまり後輩を道連れに憤死しかねないだろう。そんなことになったら、後輩はともかく私が浮かばれない。 ならば道はただ一つ、ここで後顧の憂いを立ち、進むしかない。 さぁ、周防理沙●●歳! 今こそ女として生きてきた、その全てを出すときだ! 熱いお茶を一気にあおり、その熱で自身を鼓舞する。湯呑をテーブルに置くと同時、私はこう切り出した。 「……紫、あのお寿司は紫じゃないよ」 私は紫の瞳を、まっすぐに見つめる。 「恋愛ってさ、行動したもん勝ちでしょ? 声かけて誘って、きっかけ作って、駆け引きして。紫は今まで、たくさん行動してきたじゃない。少なくとも、あのお寿司みたいにただレーンの上を流されてきただけじゃない。……違う?」 そう問いかけると、紫は小さくうなずいた。 「だったら。紫はこのレーンを流れるお寿司を選ぶ側……つまり、男達を選ぶ方!」 私が指差す先。そこには、トロ、赤貝、エンガワ、ヒラメ、カンパチ、のどぐろ、生ウニ、タラバ。珠玉のネタ達が、レーンを流れている。まるで食べて食べてと私達に訴えかけてくるように、ぐるぐると回っている。 「ほら、良い男達が紫を呼んでるよ?」 「……ふふっ、なにそれ」 私のセリフに、紫がくすりと笑った。 「でも……ううん、そうだね。落ち込んでばかりじゃいられないよね」 少し元気を取り戻した紫を見て、私は密かにテーブルの下でガッツポーズ。職人さんは小さくうなずいて、お隣さんたちは背中越しにぐっと親指を立ててきた。 「ほら、紫まだ何も食べてないでしょ? 今日はおごりなんだから好きなの食べなって」 「えっと、じゃあウナギ頼んで良い? あたし好きなの、ウナギ」 「ふふん、そんぐらい任せなさいって。すいませーん! ウナギ一つ!」 私は威勢よく、職人さんに声をかけた。 けれど彼は何故か、気まずそうに表情を曇らせる。なんでだろ、そう思っていると。 「す、すいません。ウナギは今、丁度切らしてまして……」 「そうなんだよね……。良いネタも男も、手を伸ばしたときにはとっくに誰かのものになってるんだよね……」 うぉぉぉぉぉぉぉぉいっ! なんでさっきから、そう間が悪いっ?! 職人さんは心底気の毒そうに頭を下げて、お隣さんの一人はテーブルを叩き、もう一人が胸の前で十字を切った。 これはまずい、と私はさらなるフォローのため頭脳をフル回転させるも、連日の睡眠不足とここまでの疲労がたたってか、上手い言葉が出てこない。 えーと、えーと……私達、そろそろ脂っこいウナギは卒業で、今はさっぱりした穴子の白焼きの方が良いよね、とか? いやいや駄目に決まってるだろ! そんな、年齢を感じさせる話題なんてもっとブルーになるわ! だいたい考える私がすでに落ち込んでるっつーの! もはやろくな考えが浮かばず、時間だけが無為に過ぎていく。もはや万策尽きた。もういっそ、来週からすっぴんで出社してやるか? などと自暴自棄になりかけた、その時だった。 っぱーんっ! と、紫がいきなり自らの頬を引っ叩いた。 「えっと……紫?」 「はぁ、まーた落ち込んでちゃ駄目だよね。せっかく理沙がさっきから頑張ってくれてるんだし」 「……紫」 「ごめん、理沙。心配かけた、ありがと」 紫はさっきまでの様子が嘘だったみたいに、俊敏な動きでレーンからお皿を取った。その動きには一切のためらいがなく、美しさすら感じられる円運動を描く。 手にしたネタは、極上生ウニの軍艦巻き。口の中でトロリとろける食感と、ほんのり甘くてどこまで深い味わいが最高の一品だ。 「あたしがやらなきゃいけないのは、落ち込んでる暇があったらすぐ次の行動に移すこと。恋愛も回転寿司も、先に行動した人にまず権利があるんだもんね」 紫は生ウニに醤油をちょんとつけて、口に運ぶ。軍艦は一瞬で、紫の口の中へと消えた。 「おいひい……」 ようやくお寿司を口に出来た紫が、目元に涙を浮かべて微笑む。 「これ、泣けるぐらい美味しいね」 その紫の言葉に職人さんはひっそりと微笑み、お隣さんが無言でうなずく。 「ありがとうね、理沙。あたし、これからは行動する。落ち込まないで、どんどん次に行くよ。このウニみたいに素敵な人を見つけるために、積極的に手を伸ばしてくよ」 そう言った紫の表情は晴れやかで、今度こそもう大丈夫だと感じさせてくれて。私はこっそりと目元の涙を拭いた。 積極的に手を伸ばす、か……。 紫のその言葉で、私は自分のことを振り返る。 私にだって想い人、というか、気になる人がいる。その人とは何度か話をしたことがあるのだけれど、まだ名前も知らない。時々顔を合わせて、言葉をかわす、それだけの関係だ。そろそろ一歩前に進んでみようかな、と思ってはいたのだけど、ちょっと勇気が出なくてもうずっと先延ばしになっていた。 ふっと、私はその人に目を向ける。 レーンの内側でお寿司を握っている、彼。私と同い年ぐらいであろう職人さんと目が合った。職人さんがニッコリと笑い、その背後で水槽の魚が何かを急かすようにばしゃんと飛び跳ねた。 その瞬間に、私は決心を固めた。 さぁ、行け周防理沙●●歳! 今こそ女として生きてきた、その全てをもう丸ごと最後の一滴まで惜しみなくしぼり出すときだ! 「あの――――」 「あの! お名前、なんていうんですか?」 ……あれ? 私の一大決心は、だけれど力強い声にかき消された。割り込んできたのは紫。呆然としている私をよそに、紫は続ける。 「あー、実はお店に入って来たときからちょっと良いな、って思ってて。今、付き合ってる人とかいます? あたしこの前失恋したばっかりなんですよー」 ん? あれあれ? ちょっと待って。いや、ほんと待てってば。 まるで私のことなど、眼中に無いわ! と言わんばかりに、紫は職人さんとの会話に花を咲かせる。良い笑顔を見せる紫の横顔を、思わず張り倒したくなる衝動に駆られるも我慢。ここは公共の場で、彼の目の前だ。心の中で実行するにとどめて、紫……もとい、泥棒猫を射殺さんとにらみやる。 「くっ、もたもたしてたばっかりに、トンビに油揚げさらわれて……」 「え? 油揚げの皿? ああ理沙、いなり寿司取られちゃったの? もう、理沙ったら肝心なときにためらっちゃうんだから。あ、すいません、浜名さん。いなり寿司一つ、お願いしま〜す♪」 こいつ、私の言葉をちゃっかりきっかけにしやがった! しかも気が利く女アピールまで!? いや、それよりもう名前呼びかよふざけんなっ! 私だってまだ呼んだことないのにっ! 今にも悔しさから涙が溢れ出しそうな私の心を知ってか知らずか、ふ、とかつて紫だったものが微笑んだ。 「……理沙、あたし忘れないよ」 「な、なにを?」 「理沙との友情を。それと、回転寿司も恋愛も、早いもの勝ちだってこと。だから理沙も頑張ろうねっ♪」 うっさいよっ! 終幕 |
ハイ 2018年04月29日 23時55分03秒 公開 ■この作品の著作権は ハイ さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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