伊井空学園公安部・『百合の名前』 |
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学園の新田目校長が、校舎裏の土手で草取りをしているところを何者かに突き飛ばされ、川に転落した。 事件を受け、特別公安部が捜査をはじめた。これは生徒会内に設置されている自治機関である。通称「特公」。学園生活に害をなす不良分子を摘発し、厳正に処分する役目を担っている。過去にはミス学園A子が食べ残したパンをネット競売に出品し暴利を得た者、中庭に自作のアレキサンダー大王の彫像を無許可で設置した美術部のバカ者などが、この機関の手によってグラウンド整備一週間という重い刑に処せられていた。 部長は若田シンジ、二年生。学園内で起こる頭の痛くなるような難しい事件をつねに複数抱えているが、長身のやせ型で動作のきびきびした、目元の明るい男子である。部員は園内ワタル、直方スナオの二人。園内は花粉症でマスクをしている丸刈りの一年生。直方も一年生で、きゅうりのような細い顔にメガネをかけていた。 「新田目校長が突き落とされた時刻は、午前十一時半ごろ、四限目の授業中でした。事件が起こった校舎裏の土手道に出るためには、音楽室の近くにある石段を登らなければなりませんが、合唱の授業を受けていた一年三組の生徒たちは、麦わら帽子をかぶった校長以外、石段を登って行った者はほかにいなかったと証言しています」 腕組みをして天井を見上げながら、直方の報告を聞いていた若田は「通り魔の犯行の線がつよいな」とつぶやいた。 「は、通り魔ですか」 「考えてもみたまえ、外は桜の散り頃といえ、まだ枝々には花が残っている。何事にも世間への反応のおそい帆あたりが、カップ酒片手に時季遅れの花見に出かけ、たまたま出会った校長の背中を『どーん、うひゃひゃ』と、酔っぱらった勢いで突き飛ばしたということも、充分考えられじゃないか」 「なるほど、ありえますね」 直方はうなずいてポンと手を叩いた。 そこへ、聞き込みに出ていた園内ワタルがガラガラと戸を開けて入って来た。学生服の袖に『公安』の腕章をつけている。 「自宅へ運ばれた校長は、職員に『ルルにやられた』と言ったそうです」 被害者の口が犯人を特定したという。ルルという名前ならおそらくは女であろう。とにかく校長が知らない人間による犯行ではない。これによって、若田の通り魔説は消滅した。 「うーむ、有力な仮説だとおもったが、ちがったか」 若田は背筋をのばして椅子に座り直した。 「ルルという名前の生徒が校内に存在しています。これです」 直方が分厚い生徒名鑑のページを開いて、若田の前に置いた。 「『新谷ルル』なるほど、かわいいキラキラネームだな」 新谷ルルは二年生、小麦色に日焼けしたショートカットの女子で、ソフトボール部員だったが、睫毛の長い面長の顔立ちで、叫ぶイノシシの群れといわれている女子ソフトボール部に所属しているわりには、しとやかな雰囲気があった。 「ところで、校長はたしかに『ルルにやられた』と言ったのだな」 若田が不審げに眉根を寄せた。 「ええ、川で溺れかけた校長を自宅まで送り届けた学校職員から直接聞きましたから、間違いないかと」 園内はマスクをしているから声がくぐもっていた。 「妙だな、校長に限らず教員が生徒を呼ぶときは、名字のほうを使うのがふつうだ。おれなら若田、園内は園内と呼ばれるだろ。なのになんで校長は新谷ルルを、そんなに馴れ馴れしくルルと名前で言ったのだ」 「付き合ってる彼女のことは、おれも名前で呼びます」 園内のことばが、公安部のほかの二人を沈黙させた。園内の発言がまったく的を射ていたからである。校長が新谷ルルを気安くルルと呼ぶ理由、それは、二人の間に校長と生徒という以上の、深い関係があるのだと容易に想像させるものではないか。 校長は腹の出た小柄の老人で、見た目は人間よりはるかにタヌキに近い。タヌキとJKが交際。苦笑を禁じえない取り合わせではあろう、が、しかし。どうやらそれは確実なことであると思われる。 しばしの沈黙のあと、若田はいきなり「ドーン!」と叫んで、小太りの園内を力いっぱい突き飛ばした。 尻もちをつき、びっくりして見上げる園内に、若田は興奮して言った。 「二人がどういう関係で、また、どこまでの仲でだったのか、それはまだわからない。が、よほどのことがあったのにちがいないのだ。こうして、校長を突飛ばして川に落としてしまうほど、新谷ルルは何かの事情によって追い込まれていたのにちがいない」 「新谷ルルを取り調べますか」 直方が眼鏡をずり上げながら、青白い顔を近づけてきた。 「一組だったな、新谷ルルは教室にいるのか」 「いえ、それが。一組に問い合わせたところ、どうやら保険室にいるのだそうです」 「とにかく行ってみよう」 公安の部室は三階にあった。廊下に出て見下ろす町は、春の陽気に明るく輝いていた。が、どこか思いつめたような気配もまた感じられた。灰色の都会はさまざまな人の人生を飲み込んでしずかに息づいていた。 「新谷ルル、きみと校長の間に、いったい何があったのだ?」 保健の先生は池端すみれという若い先生である。公安がやってきたことに少なからず驚いたようすだった。 「新谷さんならいるわよ」 すみれ先生は、公安の腕章に目をやりながら答えた。 「カーテンの向こうのベッドで休んでいるわ。彼女に何か用なの?」 「病気なのですか」 「体育の時間に足をくじいてしまって歩けないから、しばらく休んでもらっているのよ」 思いがけない証言だった。 新谷ルルは被害者が名指しした事件の犯人である。しかし、足を傷めた体育の授業は二限目だったという。校長が突き落とされたのは四限目である。もし、女医の言うことが本当なら、足をくじいている新谷ルルが事件現場まで歩いて行くのは無理なことに思われた。公安部員は面食らって顔を見合わせた。 「確認させてもらっていいですか」 止めようとする女医を制して、三人は保険室の奥へ向かった。若田が部屋を仕切っているカーテンを引き開けると、そこに新谷ルルはいた。 体育着姿の新谷ルルは仰向けにベッドに寝そべり、物理の教科書を開いていた。その右足には大きなギブスが嵌まっている。 公安の三人があらためて動揺したことはいうまでもない。 校長は『ルルに川に落とされた』と言っている。すなわち加害者たる新谷ルルは事件が起こった現場に居合わせたはずである。ところが、こうして足に大きなギブスをはめ、歩けない状態で保健室のベッドに横たわっていたのだ。 『右足関節側副靱帯挫傷全治十日』すみれ先生が出してよこした診断書を前に、若田はじっと椅子に座りつづけていた。 「どう考えても、新谷ルルを犯人とするのには無理がありますね」 若田があまり長い時間黙って考え込んでいるので、直方はうんざりして趣味の毛糸編みをはじめていた。 「いや、やはり新谷ルルが犯人であることには間違いないことだよ。彼女が保健室のベッドで読んでいた物理の教科書、ちょうど真ん中くらいのページを開いていた」 若田は棚から新谷ルルが持っていたのと同じ、二学年用の物理の教科書を取り出した。公安部には全学年が使用しているすべての教科書が備えられてあった。 「ここだ」 若田の長い指が『力学』の項目を指し示した。 「物体の衝突と、そのエネルギーが及ぼす作用が詳しく解説されている。新谷ルルはきっとここを読んで犯行を思い付いたのだ」 「しかし、部長」 言いかけた直方のことばを遮って、若田がが立ち上がった。 「ついてきたまえ」 ふたりは再び部室を出た。しかし今度は保険室ではなく、技術科目の実習棟へ向かっていた。 「ぼくの推理が当たっているとすれば、今から見ることが事件のすべての真相を語ってくれるはずだ」 実習棟二階の用具室に着くと、若田は双眼鏡を出して直方に渡した。 窓の外へ向けて双眼鏡を覗いた直方は、おもわず息をのんだ。 そこからは、中庭の池とヘチマの棚越しに、保健室の中がよく見えた。 白衣のすみれ先生がベッドの脇にいて、ギブスをした新谷ルルの世話をしている。 「何か二人の様子に変わったところはないかね」 「いえ、べつに」 直方は双眼鏡を下ろして、少し照れたような顔の若田部長をふりむいた。 「注意して観察するのだ、二人には、その、ふつう以上の何かを感じないか」 直方はふたたび双眼鏡を目に当てた。そう言われてみれば、すみれ先生に介抱されている新谷ルルはことのほかうれしそうである。すみれ先生の表情も、いつものぶすっとした感じではなく、怪しげに明るくかがやいているような気がする。直方の胸に得体の知れない動悸が起こってきた。 「百合だよ」 いつのまにか近くに来ていた若田が、耳元でささやいた。 「歩けないはずの新谷ルルがどうやって校長を川に突き落とすことができたのか。それは簡単に説明のつくことだった」 若田はポケットから取り出した新谷ルルの診断書を、ビリビリと破いてみせた。 「この事件はあのふたりによって仕組まれたものだったのだ」 青白い顔で立ちつくした直方の前を、若田はもの思わし気に行ったり来たりした。 「おそらく校長は、あの二人の異常な関係に気が付いていた。そして新谷ルルを脅迫したのだ。かわいそうに新谷ルルは、校長の言いなりに、そう二、三回は無理やりお茶に誘われたのにちがいない。校長はミスドのストロベリーカスタードドーナツが大好物だ。あの半分ピンク色になっているやつだな。しかし近頃のミスドの客は中高生ばかりで年寄り一人では入りにくい。そこで、いかにも孫娘の付き合いで食べに来たという体裁をとりつくろうために、新谷ルルを利用したのだ。しかし新谷ルルにとってはたまったものではない。ドーナツだけならがまんもできたろう、だが、校長は話が長い。とくに政治の話になると口が止まらない。もともとクアラルンプール事件のとき、犯人助命の嘆願のために国会へ押しかけた学生の一人だったというくらい生粋の左翼だ。知っているかね、1975年、わが国の左翼活動家のメンバーが、マレーシアの首都クアラルンプールで、アメリカとスウェーデンの大使館を乗っ取って収監中の仲間を解放させた事件だ。そんな男が、資本家に傾いた近頃の政治体制に我慢ができるはずがない。ドーナツ一つで延々と、年寄りの愚痴を聞かされる者の身になってみたまえ、さぞつらかっただろうことは容易に想像がつく。新谷ルルは苦悩した果てに、ついに校長抹殺を決意し、年上の愛人であるすみれ先生に相談を持ち掛けたのだ。それがこの事件の真相だよ」 見事な推理だった。 「新谷ルルを引っ張りますか」 「どうして?」 そう言った若田の、妙に苦し気な表情に、直方は戸惑った。 「部長、これは犯罪です。罪を犯した者は逮捕しなければなりません」 「きみは大事なことを忘れている」 揺れて倒れるように、若田はそのやせた長身を用具室の壁にもたせかけた。 「この事件の発端は、新谷ルルとすみれ先生、彼女たちの関係にある、そしてその関係とは何か? 百合だよ。それは神聖なもの、不可侵なものではないか」 稲妻の衝撃が直方を貫いた。たしかにそうだ。どんな権力であろうと人の心は裁けない。百合を裁くことなんて、いったいだれにそんな畏れ多いことができるだろう。 「ルルちゃん、走っちゃだめよ。またおいたしちゃうでしょ」 外から聞こえた声におどろいて、若田と直方は用具室の窓から身を乗り出して下を見た。 どこぞのご婦人が、校門から入って学校の玄関に近づいてきていた。ちょうど、おやつを買いに出した園内も戻ってきていて、ご婦人が連れていたらしい子犬に飛びつかれてあわてていた。 「ごめんなさいね、学生さん。この子ったらさっきも土手道で校長先生に飛びついて川に落としちゃったのよ。それで謝りにうかがったのだけど、職員室はどちらかしら」 園内がマスクの口でもごもごと職員室の場所を教えてやると、ご婦人はていねいにお礼を言って、ルルという名前の子犬を抱えて玄関へ入って行った。 二階の用具室から顔を出していた若田たちを見つけて、園内がニコニコと手を振ってきた。 上からみると園内の坊主頭は青々として、春の陽光に清々しくかがやいていた。 「ところで直方くん、園内はカノジョのことをなんていって呼んでいるのだろうな」 「ミクって呼んでましたよ。うらやましいな、ぼくも彼女ほしいなあ」 三人のなかで彼女がいるのは、純朴な園内くんだけだった。 |
帆 2018年04月29日 09時27分06秒 公開 ■この作品の著作権は 帆 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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