陰キャなあの娘がアイドルって、ホンマかいな!? |
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<プロローグ> 二年E組の教室では帰りのホームルームが行われていた。いつもは三分と掛からずに終わるその時間が、今日は少しばかり長引いていた。生徒たちはざわつきながら、それぞれのカバンに「あるモノ」が入っていないか確認している。 「あるモノ」とはずばり、クラスメートの一人である河合悦子(かわいえつこ)のジャージである。 経緯はこうだ。五・六時限目の体育が始まる前、河合は教室の後方にある個人用の棚からジャージの入ったバッグを持ち出そうとした。しかし明らかな軽さに気付きバッグを開けると、案の定ジャージが入っていない。河合はひとまずグラウンドへ行き、クラスメートの女子たちにジャージを間違えて持ち出していないか確認したが、全員が自分の名前の刺繍されたジャージを身に着けていた。やむなく体育教師に事情を話し、授業を休んで生徒玄関のロッカーや放送室(彼女は放送部に所属している)など思い当たる場所を探したが、ジャージは見つからなかった。念のため、自宅にいる母親に電話で連絡し、置忘れがないことも確認している。 「女子ももう一度確認してくれ。何かの間違いで入ってるってこともあるからな」 担任教諭の有原が呼びかける。クラスメートたちが一様にカバンの中を確認しているのを、俺・倉井応(くらいおう)は茫然としながら眺めていた。 どうしてこれがここにあるんだ―― 俺のカバンから出てきたのは、胸元に「河合」の刺繍が入ったジャージだった。幾度となく見返すが、その文字が俺の名前を示していないことは明らかである。全く身に覚えのない出来事に、俺の頭はいくらか混乱していたが、取るべき行動は一つだった。事実を報告して問題を解決し、無駄に長引いたホームルームを終わらせる。なぜなら俺には、早急に帰宅して(ゲームの中の)アイドルをプロデュースするという使命があるからだ。 「先生」 俺は立ち上がると、手に掴んだジャージを目の前に掲げてみせた。 「俺のカバンに入っていました。理由は全く分かりませんが」 すぐに教室がざわつき始める。蔑むような視線が教室中の女子から向けられたが、俺は意に介さなかった。普段からアニメやゲームが好きなキモオタと罵られているため、その手の攻撃に対する耐性はついている。 有原教諭は俺からジャージを受け取ると、胸元の刺繍を確認した。それを河合に手渡すと「間違いないです」という答えが返ってくる。それと同時に、河合からも獣が獲物を睨み付けるような視線。 「とりあえず、これで一件落着したな。しかし倉井、本当に何も知らないのか?」 有原教諭の言葉に、俺はきっぱりと首を振った。 「知りません。しかし誰かが作為的に行ったことは明らかでしょう。もしかすると河合自身が、俺のカバンにジャージを突っ込んだのかもしれません」 「はぁ? なんであたしがそんなことしなきゃならないのよ」 「俺にジャージを運ばせるつもりだったんじゃないのか? 俺が家の近くまで帰ってきたらジャージだけ受け取って『お疲れさん』みたいな」 「そんなひどいことしないわ! ていうか、あんたの臭い汗がついたジャージと同じカバンに入れたくないし!」 「別に臭くはないぞ。むしろ何だかフローラルな香りがする」 「それトイレで消臭スプレー使ったからだろ! 最悪だよもうこのジャージ着たくないじゃん!」 獣のように噛みついてくる河合。ちなみに俺と河合は幼馴染で、お互いの家は十メートルと離れていない。こういった関係からも、俺が河合のジャージを盗むはずがないことは明らかだった。だが―― 「倉井クン、つまらない演技はやめたらどうだい」 ようやくこの一件が終わりを迎えるというところで、教室の最後列にいた男が立ち上がった。 「僕はこの目で見たよ。今日の三時限目が始まる前、キミは移動教室で皆が出払った後、河合さんの棚で何かをしていたよね? 僕が忘れ物に気付いて教室に戻った、ちょうどそのタイミングで」 その男――赤坂類(あかさかるい)は、穏やかな口調ながらも強い語気で言った。学年一と持て囃されるほどのイケメンであり、高身長・サッカー部エース・音楽バンドのギターボーカルと、モテる要素を全て兼ね備えているためか、俺のようなキモオタとは発言力が違うようだった。教室内のざわつきは再び大きくなり、冷たい視線が再び矢のように降り注ぎ始めた。 とはいえ、身に覚えがないことを認めてしまうほど、俺は自分自身を捨ててはいない。 「何を言っているのか分からないが、お前が言っているのは勘違いか妄言だ。俺はそんなことをしていない」 「僕は妄言なんて言わないよ。そんなことしても僕にメリットはないだろ? それに、勘違いのしようもない。この目で見たのは確かにキミだった。そして事実、キミのカバンには河合さんのジャージが入っていた」 「メリットがないとは言い切れない。俺はお前のことを何も知らないからな」 「そうやって言葉巧みに逃げようとするのはいいけど、いいのかい? キミの印象は反論が長引くほどに悪くなっていくよ」 赤坂が両手を広げると、そこには同じように俺を蔑むクラスメートたちの顔があった。やっぱりお前がやったのか――口には出さずとも顔にそう書いてあった。 「赤坂、お前の言っていることは事実なんだな?」 有原教諭の問いかけに、赤坂は「はい」と頷いた。この男は一体何を言っているのか。やってもいないことをでっち上げて、一体どうしようというのだろうか。 それとも――本当に、俺がやったのか? それだけはあり得ない。そう確信しながらも、反論の言葉はこれ以上出てきそうになかった。 「すまんが倉井、後で職員室に来てくれるか。念のためもう一度話をさせてくれ」 画面の向こうでプロデュースを待つアイドルたちの顔が、どこまでも遠ざかっていくようだった。 <1> 翌日から、周囲の俺に対する態度は想像以上に変わっていた。 クラスメートのほぼ全員から変態扱いをされるのは予想できたが、残りの一部であったオタク仲間たちからも距離を置かれ、廊下を歩けば知らない上級生や下級生からも好奇の視線を送られるようになった。 「あの人、女子のジャージ盗んだんだって」 「キモッ。盗んだジャージの匂いとか嗅いでんのかな。マジでキモイ」 「声が大きいって。今度はあんたがジャージ盗まれるかもよ?」 「それヤバくない? ちょっと怖いんだけど」 名も知らない生徒たちの中傷を必要以上に気にすることはなかったが、居心地が悪いのは事実だった。昼休みになると、いつもは定位置だった自分の机を離れ、足早に生徒玄関へと移動する。 校舎の外に出ると、春の日差しが柔らかく降り注いできた。桜の花びらがアスファルトを転がり、心地よい風が頬を撫でるように吹き付けてくる。 「さすがにここまで来ると静かだな……」 その場でグッと背伸びをし、少し気分が晴れたところで「場所選び」を開始した。グラウンドにはベンチがあるが、あそこは土煙が舞うので昼食には向かないだろう。そうなると選択肢は中庭しかない。この県立南高は上空から見るとコの字型をしており、ちょうど凹んだ部分に中庭が存在していた。俺は校舎の壁沿いを歩きながら目的地を向かって歩を進める。 幸い、中庭には誰もいなかった。ベンチは中央に鎮座する噴水の傍に二か所、校舎近くに伸びる大きな樹の下に一か所。噴水の近くにいると校舎の窓から丸見えのため、行先は自然と決まってしまう。 だが、ようやく昼食にありつけると思い、ホッとしたところで気付いた。 ベンチに誰か人が座っている。 それも、男子ではなく女子だ。 俺はベンチまで残り三メートルほどで立ち止まると、少し様子を窺うことにした。 女子と言っても、見た目から女性らしい華やかさは欠片も感じられない。ボサボサの黒髪ショートヘアに、顔の上半分を覆うような厚い前髪。制服のスカートは膝丈よりかなり長く、野暮った印象を抱かせる。何より陰キャ特有の人を寄せ付けないオーラが凄まじい。 この女子も、今の俺と同じように周囲に蔑まれながら生きてきたのだろうか。 少しだけ興味をそそられた俺は、とりあえず近づいてみることにした。ベンチまで残り一メートル程となったところで、ようやく女子の顔が持ち上がる。同時にブラウスの胸元に緑色のリボンが見え、今更ながら同級生であることに気付いた。 こいつ、どこかで見たことがあるような―― いや、「どこか」じゃない。多分教室だ。つまり、こいつは俺のクラスメートだ。確か名前は本田(ほんだ)、だったはず。 「隣、座ってもいいか?」 確認すると、本田は少し間を開けたのちに頷いた。本当は嫌だったのかもしれない。というか、こんなところで一人昼食を摂っているぐらいだから、誰かと関わることが苦手なのだろう。 とはいえ、もう話しかけてしまったのだから仕方ない。俺はベンチの端に腰掛けると、視線を逸らしたままの本田の横顔を見つめた。 意外と、綺麗な顔をしている。前髪に隠れた瞳はクッキリと大きいし、肌はニキビなどもなくつるんとしている。鼻は低目で口は小さく、美人というよりも可愛らしい雰囲気だった。もっとも、ボサボサの髪が全てを台無しにしているのだが。 「お前、俺のクラスメートだよな。本田、だったか?」 「……えと」 本田は怯えた小動物のようにこちらをちらっと見て、 「その、本間(ほんま)です」 「……悪い」 名前を間違えるなんて、いきなり失礼をかましてしまった。しかし本間はそれほど気にしなかったようで、膝に乗せた弁当をちまちまつまんでいる。 俺は気を取り直して本間に向き直り、 「下の名前はなんて言うんだ?」 「……えっ?」 本間は驚いたようにこちらを見つめた後、慌てて目を逸らした。それほど変なことを聞いたわけでもないと思うが。それとも、俺なんかには下の名前を答えたくはないということか。 「その、嫌なら別に――」 「……かいな、です」 「えっ?」 「だから、かいなです。わたしの名前は、本間かいな」 一瞬、本間が何を言っているのか分からなかった。遅れて下の名前を答えてくれたことに気付き、その響きが頭の中にこだまする。本間かいな……ほんまかいな……ホンマかいな……。 「フフッ」 不覚にも吹き出してしまったのは致命的なミスだった。案の定、本間は恥ずかしそうに頬を赤く染めている。 「……笑っちゃいますよね、こんな名前」 「そ、そんなことはないぞ。確かに個性的な名前だとは思うが……おかげで一発で覚えられた」 「……それ、大抵の人に言われます」 「……」 上手くフォローしたつもりだったが、甘かったらしい。 「重ね重ね悪かった。許してくれ」 「……別に、だいじょぶです」 「そうか」 「……」 「ここで昼飯を食ってもいいか?」 「……どうぞ」 「ありがとう。ちなみに俺の名前はナンデヤネンと言うんだが」 「……えっ? 倉井くん、じゃないんですか」 「倉井だ」 「……」 「今のは何でやねんと突っ込むところだぞ」 「……あっ」 本間は口に手を当てると、今日初めて表情を崩した。元がいいからか、先刻までよりも数段可愛く見える。 「倉井くんって、お笑いが好きなんですか?」 「別にそういう訳じゃない……っと、食べながら話してもいいか? 昼休みがあと三十分しかないからな」 「あっ、どどどうぞ」 本間に促され、俺は膝の上に弁当箱を広げた。今日は好物のハンバーグと、苦手な卵焼きが入っている。迷わず卵焼きから口にする。……美味しくない。 「本間はいつもここで弁当食べてるのか?」 「はい」 「友達とかと食べたりしないのか?」 「……その、友達がいませんから。恥ずかしいですけど」 「別に恥ずかしがることはないだろう。一人が好きならそれで何も問題ない」 「……」 本間は肯定も否定もしなかった。会話が思い切り苦手という感じでもないし、てっきり一人狼タイプかと思ったのだが。見当違いだろうか。 「部活は何かやっているのか?」 「いえ、なにも」 「そうか。それなら趣味は? 友達もいないって言うなら、ただ学校から帰っても暇なだけだろう」 「……えと」 何か答えづらい趣味でもあるのだろうか。だが、返ってきたのは意外な答えだった。 「その、アイドルが好きです。ジャ○ーズとかじゃなくて、女の子の」 「女の子の?」 「はい。……変、ですかね?」 「そんなことはない。俺も女のアイドルが好きだ」 「本当ですか!」 「あぁ。ただし二次元に限るがな」 「にじげん……?」 「ゲームやらアニメやら、画面の中のアイドルってことだ。生身の女には興味が湧かなくてな」 「……な、なるほど」 何を納得したのか分からないが、本間はしきりに頷いていた。俺がキモオタと呼ばれる理由を理解したということだろうか。 「現実のアイドルには、興味……ないですか?」 「無いな。しかし、決めつけるのは良くないだろう。本間のお勧めアイドルを教えてくれるか? それだけでもユー○ューブでチェックしてみたい」 そう言うと、本間は「ぜひ」と喜んだ。自分の好きなものを他人と共有したいという意味では、本間もオタクなのかもしれない。 教えてくれたアイドル名をスマホのメモアプリに入力すると、間もなく昼休みが終わる頃だった。 「……それじゃ」 慌てて弁当箱を片づけた本間が立ち去ろうとする。その背中に、おれは「なぁ」と声を掛けた。 「さっきのアイドル、早速今夜チェックしてみる。だから……その」 最初はほとんど期待していなかった。だが、今では本間のことがもっと知りたくなっている。そう思わせるほどに、彼女には隠された魅力があると感じていた。 「また明日も、ここで会ってくれるか?」 その言葉に、本間は「はいっ」と控えめな返事をした。 *** その夜。 夕食と風呂を終えて自室に戻ると、河合の電話番号をコールした。 「もしもし?」 「俺だ、俺俺」 「ちゃんと名を名乗りなさいよ。どこぞの詐欺みたいじゃない」 河合は大げさにため息を吐いた。 「それで、何の話?」 「決まってるだろ。例のジャージの話だよ」 「あぁ、それね」 河合は事もなげに言った。それだけで、当の本人が全く気にしていないことが分かる。 「お前、今日学校休んだろ? おかげで俺は完全に犯人扱いだ。すっかりクラスに居場所が無くなったよ」 「仕方ないでしょー? 親戚が亡くなっちゃったんだから。今日も明日も葬式」 「……そうだったのか。すまん」 「まぁ、あんたの立場には同情するけどさ」 そう言うと、河合はクスッと笑った。 「ていうか、本当にやってないの? あたしのジャージをクンカクンカしてたんじゃない? キモッ」 「勝手に妄想して罵倒するな。そんな時間があるならその辺の空気でも眺めていた方がマシだ」 「あたしのジャージは空気以下か! いや空気はすごく重要だけれども!」 相変わらずの噛みつかんばかりのツッコミ。やはりこいつは獣だ。ケモノ女だ。 「でも、それなら赤坂は何であんなこと言ったんだろうね? あんたがやってないって言うんなら、やっぱり見間違いってこと?」 「それは本人が否定していた。あそこまで強弁するということは、あいつの中では真実なんだろう」 「……なにそれ、どういうこと?」 「あいつが嘘をついてるってことだ。あいつが主犯なのか、他の誰かをかばっているのかは分からないが、俺を犯人としてでっち上げて罪を逃れようとしている」 あの赤坂が女子のジャージを盗むなど考え難いが、俺が犯人でない以上はそう推理するしかない。 「単刀直入に聞くが、赤坂はお前に気があるのか?」 「えっ? ……うーん、確かに向こうから話しかけてくることは多いけど、それは他の皆にもだからねぇ。いけ好かない奴だからあたしはお断りだけど」 「なるほど。叶わない恋心の捌け口として、ジャージを盗んだという可能性はあるわけだな」 「あいつが? そんなキャラじゃないと思うけどねぇ」 普通に考えればそうだ。しかし人が見かけによらないというのは十七年の短い人生でも多少は学んできている。 それこそ、今日初めて会話した本間かいなには、まだ知らない素顔が多く隠されているように感じた。 「この話はこれで終わりにしよう。次は本間について聞きたい」 「は? 本間さん?」 「クラスメートの本間かいなだ。今日初めて会話したんだが、あいつについて何か知っているか?」 「……まったく、あんたの話っていつも唐突よね。でも、どうして本間さんと話したりしたの?」 「あぁ、それは――」 昼休みの顛末について説明すると、河合は「ふうん」と感想を洩らした。 「あんたが女子に話しかけることなんてあるんだ。意外」 「お前にだってこうして話しているだろ」 「あたし以外って意味よ。現実の女には興味ないのかと思ってた」 確かに、俺自身もそう思っていた。だが現実の女に目覚めたというよりは、単に本間という人間を興味深く感じているという方が正しい気がする。 「本間さんの話ね。うーん……正直、あたしもほとんど話したことはないのよね。自分からバリア張っちゃってて、他人を寄せ付けないオーラを出しているというか」 「そこは同感だ。だが、あいつは根っからのコミュ障という感じでもなかったぞ。こちらから話題を振れば、他のクラスメートと何ら変わりなく会話できていた」 「ふーん、そうなんだ」 それはどういう意味の反応だろうか。ニヤニヤ笑いを必死でこらえているようにも聞こえる。 「まぁ、本間さんのことはあたしに聞くより、本人に聞いた方がいいんじゃない? ちょうどあんたは教室を干されているんだしさ」 「笑い事じゃないぞ。学校に出てきたらきちんと説明してくれ」 「分かってるって。じゃ、もう遅いから切るね」 「あぁ、またな」 そうして電話は切れた。河合の奴、本当に俺を助けてくれるのだろうか。 「……ま、今はそんなこと考えても仕方ない、か」 俺は気持ちを切り替えると、明日に向けてパソコンの電源を立ち上げた。 <2> 翌日以降も、俺に対する周囲の反応は何ら変わらなかった。むしろ、ジャージ窃盗の件が学校の隅々にまで広まったせいか、廊下を歩けばすべての人間から侮蔑の目を向けられている気さえする。 そんな状況は、河合が登校を再開しても変わらなかった。被害者である彼女が、犯人が俺ではないということを説明しても、周囲は聞く耳を持たなかった。 「幼馴染だからって庇う必要はないんだよ」 「本当のことを言って、罪を償わせた方があいつの為になるって」 「犯罪者には社会的な死を!」 葬式で休んでいたことも、精神的ショックで寝込んでしまったのだろうと決めつける者さえいた。 まるで一つの意志に皆が従っているような気持ち悪さに、俺はますます教室に寄り付かなくなっていった。 *** 「えっ? あの動画、観てくれたんですか!」 昼休みの中庭。いつものベンチで、俺はいつものように本間の話を聞いていた。 「あぁ。本間の言った通り、三番目の子が可愛かったな。歌もダンスも上手いし」 「そう、そうなんですよ! 今度SNSも見てみてください、性格もすっごく良い子なんですから!」 本間と初めて話してから一週間。あれから俺は、昼休みになると欠かさずこの場所を訪れている。本間は当初の根暗な印象が薄れ、アイドルについて熱く語る『オタク』へと変貌していた。 「それにしても、本間は本当にアイドルが好きだよな」 「はい」 「アイドルの曲を歌ったり、踊ったりすることはあるのか?」 「……えっと」 本間は口ごもり、それから少し逡巡するような間を開けて言った。 「笑わないで、聞いてくれますか」 その問いかけに、俺が無言で頷くと、彼女はゆっくりと話し始めた。 「……実は昔、アイドルを目指していたことがあったんです」 「アイドル? 本間自身が?」 「はい。馬鹿みたいですよね」 「そんなことはない。しかし、意外だな。本間はどちらかというと大人しいタイプだから」 「わたしも、最初はそんなつもりありませんでした。倉井くんの言う通り、わたしは小さい頃から引っ込み思案で……。自分から何かをするということがない子だったと思います。でも、アイドルのことは小三の頃から大好きで。ステージの上できらきら輝くアイドルの姿に、すごく憧れていました」 「それで、アイドルを目指したのか?」 「いいえ。その頃は、まだ単なるファンのままでした。中学校に上がってからもそんなつもりはなかったんですけど、ある時友達とカラオケに行って、アイドルの曲を歌って踊ったら『すごい可愛い』って言ってもらえて。わたしもすごく嬉しくなって、そのうち他のクラスメートにもリクエストされるまま歌うようになったんです。お母さんに頼んで衣装も作ってもらったりしちゃって……今思えば、すごく勘違いしていたんだと思います」 「そんなことはないと思うが」 「いいえ、勘違いだったんです。アイドルグループのオーディションにも応募したりして……もちろん、書類選考で落ちました。それでも、アイドルを好きだという気持ちは変わらなくて、本気でプロになりたいと思って目指してました」 「……やめたのは、オーディションに落ち続けたからか?」 その問いに、本間はゆっくりと首を振った。 「……嫌がらせを受けたんです」 「えっ?」 「……上靴をどこかに隠されたり、ジャージをゴミ箱に捨てられたり。いきなりそんなことが始まって、最初は何が起こったのかわかりませんでした。そのうち、他のクラスの女の子たちから呼び出されて……。『調子に乗ってんじゃねぇぞ』って。あれやったのこの人たちだって、ようやく理解できました。それからも嫌がらせは続いて、そのうちクラスの友達もあまり話してくれなくなるようになって。……すごく、毎日がすごく、辛くて」 本間の声が震え、俺は大きくかぶりを振った。 「嫌なことを思い出させてすまない。この話はこのくらいで――」 「いいんです。わたし、倉井くんに聞いてほしい、ですから」 「……分かった」 そう言うと、本間は少しだけ口元を緩めた。 「結局、アイドルの真似事はやめることにしました。見た目で目立つのも嫌だから、髪はばっさり短くして、スカートはダサイと思うくらい長くして。家でもアイドルのことは忘れて、全く考えないようにしてました。……目指せないものに憧れ続けるのは、すごく辛かったから」 思いがけない告白に戸惑いながらも、俺はようやく理解していた。 なぜ本間は、綺麗な顔を隠してまで野暮ったい格好をしているのか。 なぜ本間は、決してコミュニケーションが下手ではないのに、友達を作ろうとしないのか。 「……何だか、話して少しすっきりしました。中学の頃のことは、お母さんにもはっきり話してなかったから」 「そうか。ありがとう、俺なんかに話してくれて」 「どうして倉井くんがお礼を言うんですか。変ですよ」 そう言いながら、本間の声は少し涙に濡れていた。 そんな彼女の姿を見て、俺の心にはある思いがふつふつと沸き上がっていた。 「本間。今からでも遅くないんじゃないか」 「……えっ?」 「アイドル。もう一度、目指してみないか」 本間は目を丸くしたが、すぐに苦笑を浮かべ、 「今更無理ですよ。アイドルのためのトレーニングなんか、もう何年もやっていないし」 「ここにはもうお前を苛めた人間はいない。障害は何もないじゃないか」 「でも……」 「あとは、お前のやる気次第だ」 これは、義憤なのだろうか。理不尽な精神的暴力を受けていた本間に自分の現状を重ね合わせ、深く同情しているのだろうか。 いや、それだけじゃない。俺はきっと、本間が輝いている姿が見たいのだ。煌びやかなステージの上で、誰よりも可愛く歌って踊る彼女の姿が。 「わたしが、アイドル……」 本間はかなり悩んでいるようだったが、弁当箱をベンチに置くと、いきなり弾けるように立ち上がった。 「倉井くん、手伝ってくれますよね?」 「もちろんだ。俺が言い出した話だし、どこまでも付き合ってやる」 「ありがとうございます。これからよろしくお願いしますね!」 そうしてお辞儀をした本間の顔は、これまでで一番晴れやかに笑っていた。 <3> 初めて本間の「アイドル姿」を見たのは、それから数日経った日曜日だった。 駅前で待ち合わせをし、向かった先はカラオケボックス。ここならば歌おうが踊ろうが、その姿を他の誰かに見られることはない。うってつけの場所だと思ったが、そこには少し誤算があった。 この、密室である。 「本間、何か歌わないのか?」 「あ、はいっ。歌います……」 そう言いながら、ポータブル端末を持ったままの彼女の指は動かない。 春らしい淡い黄色のニットに、花柄のロングスカート。それが今日の本間の姿だった。髪はいつもと違ってサラサラで、薄くメイクをしているらしく唇が艶やかに光っている。おかげでこちらも少し落ち着かない。 「本間はカラオケ、来たことあるんだったよな」 「はい、中学の頃はよく……。高校に入ってからは一度もないですが」 「そうか」 「……」 「……」 再び無言。そうしている間にも時間は過ぎ、入室してからすでに三十分は経過しようとしていた。これでは貴重な小遣いを溝に捨てているのと同じである。 俺は意を決すると、ポータブル端末に馴染みの曲を入力した。 「倉井くん、歌うんですか……?」 「あぁ。美空ひばりが歌いたくてしょうがなくてな」 「えっ?」 「冗談だ」 液晶モニターの前に立ち、マイクのスイッチを入れる。これまで何度も聞いてきたメロディが爆音で流れ出すと慌ててボリューム調整をし、それから歌詞を読み上げるように歌い始めた。 曲名は「Going my way!」――俺が大好きなアイドルゲームの代表曲である。 無論、本間はこの曲を知らないだろう。液晶モニターにはアニメ映像が流れているのでドン引きしているかもしれない。しかし、途中で反応を見ると挫折してしまいそうだったので、俺はあえて視線を切った。 まだ、ここからだ。 俺は口元にマイクを持ったまま、映像とシンクロするように踊り始めた。ゲームの中では何度も観てきた動きだ。練習し始めたのは一昨日だが、記憶の中の動きに必死で食らいついていく。上手く踊れているだろうか。本間から気持ち悪いと思われていないだろうか。……途中退席、されていないだろうか。不安が胸をよぎったが、とにかく最後まで踊り続けることに集中した。 曲が終わったことに気付いたのは、たった一人の観衆からの大きな拍手だった。 「すごい、すごいですよ倉井くん! こんなに踊れるなんて!」 「そ、そうか……」 物凄く疲れたし恥ずかしかったが、努力した甲斐はあったらしい。 「さて、次は本間の番だ。曲は入れたか?」 「はいっ。今の倉井くんの頑張りを見て、すごく勇気が出ました」 そう言って、本間は俺と入れ替わるように液晶モニターの前に立った。 「本間かいな、歌います」 両手でマイクを持つその姿は、それだけでさながらアイドルのようだった。 *** 夕方の五時を過ぎ、俺たちはようやくカラオケボックスを出た。あれから十数曲は歌っただろうか――一度火のついた本間を止める術を俺は持ち合わせてはいなかった。もっとも、止めるつもりなど微塵もなかったのだが。 「しかし、アイドルを目指していたというだけはあるな。どの曲も振り付けにキレがあったし、歌も上手かった」 「そんな、言い過ぎですよ。……でも、久々に思いっきり歌って踊れて、すごく気持ちよかったです」 言葉の通り、本間の横顔はとても晴れやかだった。夕陽に紅く染まったその姿はとても絵になっていて、俺はつい見惚れてしまう。 「パフォーマンスの方は全く問題なさそうだな。早速、近々撮ってみるか?」 「えっ? 何をですか?」 「アピール動画だよ。オーディションの審査に必要なんだろう?」 本間が中学の頃目指していたという、アイドルグループのオーディション。審査の形態はグループによって違いがあるそうだが、本間が応募したときには自身をアピールする映像の提出を求められたという。そしてそれは、今の彼女が加入を夢見ているグループのオーディションにおいても採用されているらしい。 「機材なら心配いらない、ツテがあるからな。それなりのカメラとマイクで撮影できると思う」 「……そう、なんですね」 本間の表情は複雑そうだった。今日、高校に入って初めて「練習デビュー」したばかりなのだから、不安な気持ちが先行するのも無理はない。むしろ、無謀だと考える方が普通だろう。 しかし、本気でアイドルを目指すということであれば、残された猶予は少ない。 まずは飛び込んでみて、自分の実力を推し量るということも必要なのではないか―― 「倉井くん」 「なんだ?」 「その、わたし………………やります」 「……えっ?」 意外な返答に、俺は少し面食らった。もう少し練習してから――なんて言葉が返ってくると思っていたのだが。 「いいのか?」 「はい。最初はいきなりすぎじゃないかって思ったんですけど……こんなチャンス、そうそう無いなって思って。せっかく倉井くんに出会って、もう一度アイドルやるって決めたんだから、できることは何でもしようって思ったんです」 「そうか……分かった」 俺は、本間のことを過小評価していたのかもしれない。彼女の中には、俺が想像している以上に熱い炎が燃えているのだろう。そのことを理解し、俺もまた胸が熱くなった。 「機材の方は早速手配しておく。これからは毎日、練習だな」 「はいっ! よろしくお願いします、プロデューサーさん」 夕焼けの街並みに咲いた彼女の笑顔は、アイドルらしい愛嬌と可憐さに満ちていた。 <4> 本間とのカラオケボックスでの練習は、ほとんど毎日のように行われていた。 二人とも高校生の身分であり、バイトもしていないため収入は毎月の小遣いのみ。それでも、二人で資金を出し合い、何とかカラオケ費用を捻出していた。おかげで本間のパフォーマンスは日に日に向上していき、素人目には十分にアイドルとして売り出していけそうなほどに仕上がっていた。 こうなると、オーディションの事前審査を通過するには、アピール動画の質が極めて重要になってくるかもしれない。 練習を休みにした日の放課後、俺は放送室を訪れていた。学校に居場所がない今、本当は一秒でも早く帰りたかったが、頑張っている本間のためにも一肌脱がなくてはならない。 「河合、いるか?」 意を決して放送室のドアを開けると、そこには予期せぬ人物がいた。 「おや、これは意外な人がやってきたね」 陽キャの王とでも呼ぶべき学校の中心人物。俺を陥れた張本人・赤坂類がそこに立っていた。その隣には立ち話をしていたらしい河合の姿もある。 「あれ、何か用?」 河合の問いかけに、俺は「ちょっとな」と動揺を隠しながら答える。 「よくこの場所に来られたね。ひょっとして、今度は白昼堂々ジャージを盗みに来たのかい?」 「……そんなわけないだろ」 「キミはもっと行動を自重するべきだよ。ここには傷ついた被害者がいるんだからさ」 赤坂の視線に、河合は「あたし?」と首を傾げた。その反応が気に入らなかったのか、赤坂は小さく首を振る。 「ともかく、帰った方がいいんじゃないかな。こんなところを他の人に見られたら、更に君の立場は危うくなってしまうよ」 「忠告ありがとう。だが、俺はもうこれ以上堕ちようがないんでな。別に気にならない」 「強がらなくてもいいのに」 「本心だ」 「そうかな? だったら昼休みは今まで通り教室で――」 「ちょっと、いい加減にしてくれる? 赤坂は用事がないなら帰って」 河合の言葉が心外だったのか、赤坂は一瞬だけ表情を曇らせた。 「そういうわけにはいかないよ。こんな危ない男と河合さんを二人にはしておけない」 「別に危なくなんかないってば。こいつは単なるキモオタだし」 「おい」 「それに、僕たちは話をしていたじゃないか。まだその途中――」 「日曜日のカフェならお断り。用事があるって言ったでしょ。ほら、帰った帰った」 「カフェだけじゃないさ。他にも新しく出来たボーリング場とか、カラオケとか――」 「あーもう、あんたが帰らないならあたしが出ていくわ。ほら倉井、行くよ」 「お、おう」 赤坂をその場に残し、ずんずん廊下の先を進んでいく河合。その背中を慌てて追いかけると、後ろから声が聞こえてきた。 「危ない目に遭ったりしたら、いつでも僕を呼んでいいからねー!」 「……お前の連絡先なんか知らねーっつうの」 河合の軟派男を寄せ付けない態度に、俺は少しだけ胸のすく思いだった。 *** 「赤坂の奴、やっぱりお前に気があるんじゃないか」 「そう? 他の放送部の子にもああいうことしてるって聞いてたから、特に気にしてなかったけど」 河合はあっけらかんとして言った。本命かどうかはともかく、気があるのは間違いないだろうに……。 「いつもああやって付きまとわれてるのか?」 「たまにね。さっきみたいに、休みの日に遊びに行かないかとか」 「軟派な奴だ」 「キモオタよりはマシじゃない?」 「言葉には気をつけてくれ。俺の心はもう傷だらけなんだ」 「あんたが? 寝言は寝てから言った方がいいよ」 「……お前、本当に容赦ないな」 辛辣にもほどがある。まぁ、心が傷だらけってのは嘘だけれども。 そんな雑談を繰り広げているうち、カフェスペースにたどり着いた。一つのテーブルに向かい合って座ると、河合は頬杖を突きながら、 「それで、どんな話?」 「単刀直入に言おう。放送部のカメラを貸してくれ。出来れば編集用のパソコンも」 「なるほど。用途は何?」 「アイドルの動画撮影と編集だ」 「……はぁ? あんたパソコン持ってるじゃない、オタゲーの動画ならキャプチャーでもして――」 「ゲームじゃない。現実の女だ」 「……なにそれ、盗撮でもする気? 言っとくけど、そういうのは犯罪――」 「違うって分かってて言ってるよな」 俺が言葉を遮ると、河合は「まぁね」と悪戯っぽく笑った。 「何だかよく分からないけど、一つだけ条件があるわ」 「なんだ」 「あたしが同行すること。放送部じゃない人にカメラを使わせるなら、放送部員が傍にいないと。カメラは学校の備品だからね」 「まぁ、別に問題ないが」 「ふーん。本当にやましいことじゃないんだ」 「まだ疑ってたのか。むしろ、お前がいた方が好都合かもしれない」 「どういうこと?」 「それはな……かくかくしかじか」 俺は河合に、本間のアイドル動画を撮影することになったこと、そこに至った経緯について全て話した。 彼女は本間がアイドルを目指しているということにかなり驚いていたが、意外にも話をすんなりと受け入れ、「なるほどねぇ」と呟いた。 「あんたが本間さんと仲良くしてるってのは聞いてたけど、そんな話になってたんだ」 「あぁ。協力してくれるか?」 「そうね……別に断る理由もないし、いいよ」 「ホントか!」 動画の撮影なら俺一人でもできるが、衣装やメイクをチェックするとなれば話は別だ。そういった専門外の要素についてアドバイスしてくれる人間がいるというのは心強い。 「ずいぶん嬉しそうじゃない。そんなに本間さんが気に入ったんだ?」 「……まぁ、興味深い存在ではあるな」 「カッコつけた言い方しちゃって。要するに好きなんでしょ?」 「違うな。少なくとも愛おしいという感情はない」 「本当かなぁ。まぁ、それは近くで見ていれば分かるか」 河合は不敵な笑みを浮かべた。何を考えているのかは何となく分かるが、あえて反応しないことにする。 「早速だが、今週末の日曜日に撮影だ。付き合ってくれるか?」 「もちろん。あたしも本間さんのアイドル姿、見てみたいしね」 そう言って、河合はピッと親指を立てた。 <5> 日曜日は雲一つない晴天だった。 撮影は室内で行うが、天気が良いとそれだけで気分がよくなるのは間違いない。俺は自転車にまたがると、朝の静謐な空気が漂う住宅街を抜け、あっという間に学校へ到着した。駐輪場にいた本間と偶然顔を合わせ、軽く挨拶を交わす。 「いよいよ本番だな。でも、一発勝負って訳じゃない。落ち着いていけよ」 「はい、頑張ります!」 本間の表情はいつになく気合に満ちていて、俺も自然と気を引き締めた。 *** 放送室にはすでに河合の姿があった。 「あれ、一緒に来たんだ? 朝から待ち合わせしてたりして~」 「偶然だ。それより、カメラはどれを使えばいいんだ?」 「スタジオに置いてあるよ。三脚もついてる」 「準備がいいな」 「当然」 「な、何から何まで、ありがとうございますっ」 本間の深々としたお辞儀に、河合は案の定苦笑を浮かべた。 「スタジオの中にカーテン引ける所あるから、そこで衣装に着替えて。メイクとかはあたしも手伝ってあげる」 「ありがとうございます!」 「本間、俺はカメラのセッティングしてるからな」 「あ、はいっ!」 本間は忙しない動きでスタジオへ向かっていった。何だか慌てているように見えるが、大丈夫だろうか。 「まぁ、失敗しても撮り直しは利くしな」 時間は今日一日いっぱいある。曲は四分程度だから、やり直しはいくらでもできるだろう。 そう楽観して、俺は自分の準備に取り掛かった。 *** 結果的に、見通しは甘かったと言わざるを得なかった。 時刻は午後四時過ぎ。予定通りなら、もうとっくに編集作業に取り掛かっている時間だ。それでも撮影は終わらず、俺たちは今日何度目か分からない休憩に入っていた。 「お二人とも、本当にすみません……」 本間の、これまた今日何度目か分からない謝罪の言葉。河合は「そんなに落ち込まないで」と慰めたが、彼女の顔にも疲労の色が見えた。このまま漫然と続けていても、いい結果は得られそうにない。 いっそ、改めて撮影の機会を設けるべきか―― 振り付けや歌詞を間違えているわけではない。河合が手伝ったヘアセットやメイクは似合っているし、白のTシャツにデニムのオーバーオールという格好は今日のアップテンポな曲にマッチしていた。だが、どこかぎこちない。表情もそうだし、動きも今一つキレがない。カラオケボックスで見ていた彼女のパフォーマンスからはほど遠い出来だった。 「……あの、倉井くん」 「なんだ?」 「その、もうすぐ五時になっちゃうし、これ以上迷惑はかけられません。後はわたし一人でやります」 「なに言ってるんだよ、ここまで来て」 「そうだよ本間さん。一人でなんて無茶だよ」 「でも……」 「俺たちのことは気にするな。いざとなったら河合に飯を買いに行かせるから」 「それは男の仕事だろ! まったく、あんたが買いに行きなさいよ」 「それは断る。いま財布に五十三円しかないからな」 「こいつ最低だよ! あたしに奢らせようとしやがって」 「人聞きが悪いな。空腹を装ってお前の良心に訴えかけようとしただけだ」 「同じだよ! 言い方違うだけじゃん!」 「……フフッ」 本間が笑ったのは何時間ぶりだろう。いや、パフォーマンス中も笑顔は見せていたのだが、『この顔』じゃなかった。俺はビデオカメラのモニター越しに、ずっとこの表情を求めていたのだ。 ――どうすれば、本間の自然な笑顔を引き出すことが出来るんだろう。 カラオケボックスでの練習の時、本間はとにかく楽しそうだった。今みたいに緊張している雰囲気はなく、ひらすら歌やダンスに没頭しているという感じだった。だが、それは狙ってできることではないだろう。指摘したところでアドバイスにはなりそうもない。 俺は悩んだ。そしてその末に、一つのアイディアが浮かんだ。 「本間」 「はい?」 「撮影はいったんやめにして、少し気晴らししないか? 好きな曲を歌ってもいい」 「えっ? でも、そんな時間は」 「それは気にしなくていいから。河合、ジュースを買ってきてくれるか?」 「あんたねぇ。本当にあたしをパシリに使う気?」 「いいから。耳を貸してくれ」 俺がごにょごにょと耳打ちすると、河合は「しょーがないなぁ」とスタジオを後にした。 「ああっ、ジュースならわたしが買いに行くのに」 「いいんだよ。あいつには貸しがあるから」 「そうなんですか?」 「ああ」 真っ赤な嘘だったが、本間は言葉通り信じたらしい。俺はスマートフォンを取り出すと、ユー○ューブのアプリを開いた。 「あっ、この曲」 「本間がカラオケで初めて歌った曲だ。覚えてるか?」 「もちろんですよ。『ラストワゴン』はわたしの大好きな曲ですし」 そう言って、本間はサビの振り付けを踊ってみせた。撮影の時とは違い、軽やかな身のこなしに改めて見惚れてしまう。 「せっかくだし、ラストワゴンを歌ってみないか? ここがカラオケだと思って」 ここはちょうど密室だ。河合にも退席してもらったし、環境はできるだけ近づけてある。 「そうですね……じゃあ、お言葉に甘えて」 本間は少し照れくさそうに笑うと、両手を祈りのように組むポーズを取った。スマホのスピーカー音量を最大にし、動画が流れ出すと同時にビデオカメラの録画ボタンを押した。 ミドルテンポのメロディと共に動き出す本間。途中から振り付けが激しくなり、それがピタリと落ち着いたところで歌が始まる。 本間の歌声は、一言で言って清らかだった。カラオケのような場所では必要以上に声が大きく出てしまうが、彼女の場合はそれを感じさせない。決して聴きづらいという意味ではなく、歌詞の一つ一つが自然と耳に入ってくるのだ。おかげで、気付けば聴き入ってしまっている。手拍子も忘れ、俺は本間の輝く姿に見入っていた。 曲がサビに入ると、再び激しいダンスが始まり、力強い歌声が宙を舞った。まるでスタジオ内の重力が弱まったかのように、軽やかに手足を動かしては立ち位置を変えていく。本来は他のメンバーがいてこその振り付けだが、本間は一人でも十分に「ラストワゴン」を表現していた。だが、もし彼女がアイドルグループの一員になれたら。どれだけのモノが生まれるのか、俺は想像せずにはいられなかった。 ――未来が続く限り、僕はあの夢を追いかけ続ける。 その、最も好きだというフレーズを歌い終えると、本間は追い求めた「何か」を掴むようなポーズを見せ、曲は終わった。 夢中になっていたことに気付いたのか、慌てて「ご、ごめんなさいっ!」とお辞儀。 「気晴らしにって話だったのに、最後まで歌ってしまって。すぐに撮影の準備をしますから」 「いいよ。もう撮れたから」 「へっ?」 本間はまだ俺の狙いを理解していないようだった。自分がどんな時に最もパフォーマンスを発揮できるか、気付いていないのだろう。 練習通りの力が出せないのなら、いっそ練習を撮影してしまえばいい――それが、俺の思いついた逆転のアイディアだった。 「じゃ、早速編集作業に移るから。本間はもう着替えていいぞ」 「えっ? あの、何がなんだか……」 「七時までには絶対出ないとな。守衛のおじさんに怒られてしまう」 「そ、それは駄目ですね! すぐ着替えます!」 慌ててカーテンの向こうへ消えていく本間を見送ると、俺は編集用のパソコンを立ち上げた。 <6> 「……よし、行くぞ」 背後をちらりと振り向くと、本間が無言で頷くのが見え、俺は角2サイズの封筒をポストへ投函した。 中身はアイドルオーディションへの申込用紙と、先日撮ったばかりのアピール動画が入ったDVD。 挑戦するにはまだ早いかもしれない。だが、早い段階で自分の実力を知ることができれば、これから何を目標に練習していけばいいのかが明確になる。そんな俺の考えを本間は受け入れ、応募しようと背中を押した次の日には申込用紙をしっかり埋めてきたのだった。 「……ついに、応募しちゃいましたね」 ポストの投函口を見ながら、本間がぼそりと呟いた。 「もう後戻りはできないぞ?」 「うっ。そんな、脅さないでくださいよ」 「脅してなんかいない。本間はアイドルとしてデビューすることになるかもしれないんだ。今の内から心構えしておかないと」 「まさか、いきなり合格するわけないじゃないですか……」 本間は大きくかぶりを振った。自分が合格するなど心底思っていないのだろう。 だが、可能性はゼロじゃない。オーディション審査に参加したお偉いさんに気に入ってもらえれば、他者の評価など関係なく抜擢される。それが芸能の世界というものなのではないだろうか。もちろん、全くの素人考えかもしれないが。 ともあれ、当面はやることに変化はない。俺は一つ息を吐くと、薄緑色の花柄ワンピースを纏った本間の肩を叩いた。 「とにかく、ここがスタートだ。これからもっと頑張ろうぜ」 「……はい! よろしくお願いします、プロデューサー」 そう言って、本間は両手の拳をがっちりと握りしめた。 そうして、本間が決意を新たにした日から一週間後。 ――事件が、起こった。 *** 「ねぇねぇねぇ、これが本間さんってホント?」 教室に入るや否や、目に飛び込んできたのは異様な光景だった。 何者かの席の周りを、十数人はいるであろうクラスメートが取り囲んでいる。その中心に本間が座っていることに気付いたのは、連中の隙間からいつものボサボサ頭が見えてからだった。 「おい、何してんだ」 さすがに無視できずに声を掛けると、ギャラリーの数人がこちらを向いた。 「うわっ、ヘンタイじゃん。うっかり振り向いちゃったよ」 「話しかけないでよキモオタが伝染る」 「本当そうよね。空気が汚れるから息しないで欲しいわ」 「おい河合。お前が一番酷いぞ」 そう言うと、河合は悪戯がバレた子供のように笑った。 「おっす」 「挨拶はいい。これは何の騒ぎだ」 「知らないの? もうすっかり話題になってるよ」 河合は自分のスマートフォンをこちらに差し出してきた。画面にはある動画が再生されている。 「おい、これって……」 「そう。あんたと本間さんが必死で頑張って撮影した、あの映像」 どういうことか分からない。なぜこの映像が、ユー○ューブにアップされているのか。 「これって、本当に本間さんなの?」 「見えないよね。あまりに違い過ぎるし」 「でも、それが逆に本当っぽいっていうか」 「ねぇ本間さん、どうなの?」 「…………えと」 本間はすっかり委縮してしまっているようだった。急にこんな大勢に話しかけられたら誰でもそうなるだろう。 「河合、助けてあげられないか?」 「なに言ってるの。それはあんたの仕事でしょ?」 「は?」 「本間さんのプロデューサー、なんでしょ? だったらちゃんと守ってあげないと」 河合はにやつきながら言った。お前絶対楽しんでるだけだろう。 とはいえ、言っていることは間違っていなかった。 俺は一つ大きく深呼吸をすると、目の前に出来上がった壁を強引にぶち破った。「何コイツ」「キモイ」「ヘンタイ死ね」などと暴言が飛んでくるが気にしない。ようやく本間の近くまでたどり着くと、即座に全方位からブーイングが飛んだ。 「キモオタはすっこんでろ!」 「犯罪者は大人しく自分の席に座ってろって」 「ヘンタイマジキモイ。死ねばいいのに」 「……」 そこまで言うか普通? 俺が弁護士になったらお前ら全員名誉棄損で訴えてやる。 「あ、あの、倉井くん……?」 本間はまだ、自分の身に何が起こっているか分かっていないようだった。俺にもよく分からない。とにかくこの場は逃げるしかない。 「お前ら、五秒以内にこの場を離れろ。さもないと無差別にセクハラするぞ」 「はぁ?」 「キモッ」 「やばい、逃げよ!」 俺がわざとらしく両手をわさわささせると、ギャラリーはあっという間に散り散りになった。 「今のうちだ。行くぞ、本間」 「へっ? あ、はいっ」 そうして俺たちは、群がるクラスメートたちを振り切るようにして教室を飛び出したのだった。 *** 「学年一根暗な女子高生が、ラストワゴンを歌ってみた」 それが、生徒たちの間でSNSを通して急速に拡散されている動画のタイトルだった。 説明文には「放送室のスタジオで撮りました。アイドルを目指して頑張ってくるわたしを応援してください。K.H」と、ご丁寧にイニシャルまで掲載されている。だが、これを投稿したのは本間ではなかった。本人が否定したし、そもそも彼女にはこんなことをするメリットが全くない。 では、誰がこの動画を、どうやってアップロードしたのか―― 「……放送部の方、でしょうか」 サンドイッチを齧りながら、本間がぼそりと呟いた。 昼休みになり、俺たちはいつものように中庭のベンチで過ごしていた。本間は少し疲れた様子で、時折小さなため息を吐いている。無理もない。普段は俺以外の誰とも話さない本間が、会話もしたことがない連中に囲まれ続けたのだ。 昼休みはなんとか撒いたものの、午後も同じ状況が続くかと思うとうんざりする。 「本当、ろくでもない連中だよな」 「……はい?」 「何でもない。動画を投稿した奴の話だったっけ?」 本間はコクリと頷き、 「倉井くんは放送部のパソコンを使って動画を編集しましたよね? 部員の誰かが動画を見つけて、悪戯のつもりで投稿したのかも」 「だが、俺は編集データを消したぞ?」 「ゴミ箱は空にしましたか?」 「……」 「してないんですね」 本間が苦笑するのを見て、俺は「すまん」と頭を垂れた。 「確かにそれは忘れていた。でも、わざわざそんなことをする奴がいるか? ゴミ箱のデータを復元して、中身を見たら本間だったから面白半分で投稿するなんて」 「……そう言われると、その」 「あぁ、悪い。別に本間を責めてるわけじゃないんだ」 悪いのは「そんなことをする奴」だ。俺と本間がアップロードしたんじゃないとしたら、他の誰かがやったという答えしか有り得ない。 データはあのパソコンにしか残していない。だとすれば、関わっているのが放送部員だという本間の推理は至極真っ当だ。河合から事前に撮影のことを聞かされていた部員がいれば、そいつがかなり怪しいということになるだろう。 「とりあえず、河合に聞いてみるか。何か知ってるかもしれないし」 「そうですね」 本間はやはり、少し元気がないようだった。野次馬連中の質問攻めもそうだが、単純に自分のアイドル姿が曝されてしまったことがショックなのかもしれない。中学時代、本間は注目されているところに目を付けられてイジメを受けた。今の状況が過去の記憶を思い出させていてもおかしくはないだろう。 「本間、あまり気にするなよ。お前は何も悪いことをしていないんだから」 「……はい。ありがとうございます」 「卵焼き、いるか?」 「遠慮します。それは倉井くんが食べないと」 「……そんな、殺生な」 そう言うと、本間は可笑しそうに口元を覆いながら笑った。 <7> 翌日以降も、本間への「注目」は続いた。 押し寄せる人波の数は初日ほどではないものの、本間が我慢しきれずに動画の人物が自分であると認めてしまったこともあり、あれやこれやと質問攻めが続いた。 意外だったのは、反応が好意的なことだ。てっきり心無い言葉を浴びせられるのかと思いきや、むしろ褒めちぎりの連続。おかげで昼休みには本間を取られてしまい、俺は一人寂しくぼっち飯と相成った。 「……それで、泣きながらあたしの元に来たって訳ね」 河合が口の端を持ち上げると、俺は即座に「違うわ!」と否定した。 「お前には質問があって来たんだよ。例の動画のことだ」 「あぁ、それね」 明くる日の昼休み、俺は放送室を訪れていた。今日は昼の放送がないため他の部員は誰もいない。河合は爆音でヒップホップを聴いていたが、俺が来ると曲をストップしてくれた。いつもそうやって昼休みを過ごしているらしい。 俺は先日の本間との会話を思い出しながら、 「動画を上げた奴に心当たりはないのか?」 「うーん……そんなことしそうな人はいないけどねぇ。誰にも聞いていないから本当のところは分からないけど」 「だろうな。じゃあ、あの日俺たちが撮影をすると知っていた人間は?」 「それは……詳しいことは話してないけど、皆には伝えてあったよ。日曜日はスタジオでカメラ使ってるからって。念のためね」 放送部員は全員がスタジオで「何か」をしていることを知っていた。加えて、俺たちの会話をどこかで聞いていれば、日曜日に行われていたのが本間かいなの撮影会であったと結びついたかもしれない。 だが、仮にそうだとしてどうなる? 削除された動画をゴミ箱から拾い上げ、それを動画サイトに投稿するほどの動機を持った人間が放送部員にいるのだろうか? 「……ねぇ、どうかした?」 河合の心配そうな声に、俺は「いや」と首を振る。 「もし放送部で怪しい奴がいれば教えてくれ。俺が話を聞いてみる」 「だから、そんな人いないって」 「もしいたらの話だ」 「分かったわよ。全く、本間さんにすっかりご執心ね」 からかわれていると分かったので、俺はその言葉を軽くスルーした。 「でもまぁ、却って良かったんじゃない? 本間さん、いい意味で注目されているみたいだし」 「……まぁ、そうかもな」 今頃、本間はクラスメートの連中と仲良くやっているのかもしれない。本来は友達に困らないぐらいのコミュニケーション能力はあるし、本人もそれを望んでいるはずだ。ならば今の状況は、むしろ歓迎すべきと言える。 だが、俺は何か引っかかっていた。中学時代苛められていたときも、本間は皆に注目されていたのではなかったか。今回もまた、彼女の人気を疎み、潰しにかかってくる人間が現れやしないか。 周りはみんな高校生だ。もうそんな子供じみた手段に出る人間はいない――そう思いながらも、俺は嫌な予感を拭い去ることができなかった。 <8> 不安が現実のものとなったのは、それから一週間後の放課後だった。 「……なんだ、これ」 下駄箱から外靴を取り出そうとしたところ、一枚の手紙が入っていた。一瞬、ラブレターかと思ったものの、封筒にすら入っていない時点で違うだろうと察する。 中身を見て、俺は思わず周囲を見回した。 ――少し話したいことがあるんだ。帰る前に、中庭の大きな樹の近くに来てくれないかな? 差出人はあの赤坂だった。丁寧な字でフルネームが記載されている。 一体、俺に何の話があるというのだろう。ジャージの件は今もなお否定しているが、俺の言葉を信じる人間などおらず、校内では赤坂の言葉が真実として皆に受け入れられている。そのような状況でもなお、自白を強要したいのだろうか。 赤坂が何を考えているのか全く分からなかったが、無視するわけにもいかない。 俺は本間に練習へ遅れることを連絡してから、足早に中庭へと向かっていった。 *** 「わざわざ呼び出してごめん。来てくれて感謝するよ」 中庭の大きな樹の下。いつも俺たちが昼食を摂っているベンチの近くに赤坂はいた。 「礼なんかどうでもいい。それより、話っていうのは何だ」 「そう邪険にしないで欲しいなぁ。わざわざサッカー部の練習を休んでキミに会いに来てるんだからさ」 「知るか」 「冷たいねぇ。まぁ、キミの立場を考えればそうなるか」 赤坂はいつもの軽妙な口調で言った。正直言って虫唾が走るが、言い争いになれば無駄に時間を費やしてしまう。こうしている間にも、本間との練習時間は減っているのだ。 向こうも長引かせるつもりはないらしく、お得意の薄ら笑いを張りつかせたまま、 「早速だが本題に入ろう。倉井クン、最近本間さんと仲良くしてるよね?」 意外だった。てっきり、ジャージの件を再び持ち出してくると思っていたのだが。 「あぁ。それがどうした?」 「ここのベンチで、一緒にお昼ご飯を食べてるんだってね。他のクラスの子から聞いたよ」 「俺は校内に居場所がないからな」 「同じような立場の本間さんと仲良くなったってわけだね。でも、本間さんは最近、すっかり人気者になっている」 赤坂は手に持ったスマートフォンで映像を再生してみせた。そこには「ラストワゴン」を歌う本間の姿が鮮明に映し出されている。 「驚いたよね。いつもは暗い本間さんにこんな素顔があったなんて。でも、この動画は一体誰が投稿したんだろう? 秘密の趣味のはずだから、本人は絶対に公開しないだろうし」 「さぁな。俺には見当もつかない」 「そうかなぁ。本当に、分からないの?」 その言葉に、俺は赤坂の顔を凝視した。 この男は一体何を言おうとしているのだろう。ジャージの件と同様、俺の理解の及ばないようなことを言い出すつもりか。 その予感は、結果的には当たっていた。 「この動画を投稿したのはねぇ……僕なんだよ」 赤坂は自らを指さしてみせた。俺の反応が思い通りだったのか、にやりと口の端を持ち上げる。 「キミはおそらく、放送部の誰かが動画を投稿したんじゃないかと考えていただろう。それは、半分正解で半分外れだ。僕が放送部の女の子にお願いし、手に入れた動画を自分でアップロードした。つまり主犯は、僕なんだよ」 まただ――またしても、この男は意味の分からないことを言っている。 こいつは陽キャの王とも言える存在だ。そんな人間が、わざわざ放送部の知り合いにお願いしてデータを入手し、それを動画サイトに投稿した? 一体、何のために? 俺が何も言い返せないでいると、赤坂は「やれやれ」と肩をすくめた。 「順を追って話そう。まず、僕が撮影のことを知ったのは、キミと河合さんの会話を聞いたからだ。覚えているかい? 僕と河合さんが放送室で話をしていた時、キミが入ってきたことがあっただろう。あの後、僕は2人が何を話すのか気になり、少し後を尾けていた。そしてカフェスペースで、本間さんのアイドル動画を撮影するという話を聞いたんだ」 「……盗み聞きしてたって訳か。悪趣味な奴だな」 「興味本位だよ。別に何か詮索しようって訳じゃなかった」 赤坂は再び薄ら笑いを張りつかせ、 「それから、僕は放送部の女の子に掛け合って、放送室のスタジオにカメラを仕掛けてもらった。キミたちが撮影に使ったビデオテープは持って行かれてしまうだろうと思ってね。当初はそのカメラの映像を使おうと思っていたんだけど、パソコンに削除した編集データが残っているのに女の子が気付いてくれたんだ。おかげでオリジナル映像を入手できた僕は、それを動画サイトに投稿することにした」 つまり、あの映像を投稿することになったのはたまたまで、赤坂は別ルートで本間のアイドル動画を入手するつもりだったということか。 突っ込みどころは数多くあるが、俺が確認したいのはただ一点だった。 「赤坂。お前は何の目的で本間の動画を投稿したりしたんだ?」 赤坂と本間には接点がないはずだ。かたやスクールカーストの最上位、かたやその最下位。関りがなさ過ぎて、お互いに恨みを買うようなこともないような気がする。 だが、赤坂の口から出てきたのは意外な言葉だった。 「それはね……キミの弱みを握って、ジャージ窃盗の件を認めさせるためだよ」 「……は? 何を、言ってる?」 またしても意味が分からなかった。本間のアイドル動画をネットに投稿することが、どうして俺の弱みになるというのか。 「倉井クン。キミは、本間さんが中学時代にイジメを受けていたことを知っているかい?」 「……あぁ。だが、どうしてお前がそのことを知っている?」 「それは、僕と彼女が同じ中学校だったからさ。本間さんはあぁ見えて有名人だったんだよ。知っていると思うけど、中学の頃にもアイドルのようなことをやっていてね」 「それは知っている。だが、中学が同じというのは初耳だ」 「そうなのかい? まぁ、本間さんにとっては忘れたい過去なのかもしれないね」 そう言って、赤坂はその整った顔に冷笑を張りつかせた。 「でもね……僕はよく覚えているよ。何しろ僕も、彼女のイジメに加わっていたんだから」 「……なん、だって?」 口から出た声は自分のものではないようだった。 言葉の意味を全く飲み込めずにいると、赤坂は「ただし」と付け加える。 「言っておくけど、僕は主犯格じゃないよ。何せ相手が女の子だしね。最初は、僕の周りにいた女の子たちが「本間って奴が気に入らない」っていう話をしているのを聞いた。当時、本間さんはすっかり皆のアイドルで、ものすごく注目度が上がっていたからね。目立ちたがり屋の女の子からすれば、かなり目障りに思ったのかもしれない」 「そんなの勝手な都合だろ。それで苛めていいことにはならない」 「正論だね。でも、女の子たちは我慢することができなかった。そして、本間さんに色んな嫌がらせをするようになったんだ。靴や体操服を隠したり、机の上に落書きしてみたり。古典的ではあったけど、そういうのが一番効くのかもしれない。本間さんは見る見るうちに元気が無くなっていったよ」 「……そこに、お前も参加したのか?」 俄かにこみ上げてきた怒りをぶつけるように睨み付けると、赤坂は厭らしい笑みを深めた。 「女の子たちの頼みを断れずにね。でも、僕自身も動機がないわけじゃなかった。僕は自分以外の誰かが目立っているのが嫌いなんだ。勉強であれ、スポーツであれ、他の人間に負けないように努力する。それでも駄目な時は……ね」 赤坂は伸ばした親指を下に向け、振り下ろす仕草を見せた。 「僕はキミも嫌いだよ、倉井クン。高校に入ってから、僕は定期テストで一度も一番を取れたことがない。それはキミという存在がいるからだ。寝る間も惜しんで勉強した時期もあったけど、それでも敵わなかった。だから、もう手段は選ばないことにする」 「……それで、俺をジャージ窃盗の犯人に仕立て上げたのか」 「察しがいいね。おかげでキミの信用は地に落ち、学校内に居場所はなくなった。でも、まだ足りない。キミはまだジャージ窃盗の件を認めていない。本人の自白がなければ、僕は自分の目的を成し遂げたことにはならない」 そう言って、赤坂は再びスマートフォンの画面を見せてきた。 「だから、本間さんを利用することにする。僕の周りには中学の時と同じく、目立ちたがり屋の女の子がたくさんいてね。みんな僕に気があるみたいなんだ。僕が本間さんのことを気に掛けているフリをして、彼女たちの嫉妬心を逆撫ですれば……後は、簡単だ」 「……っ! お前は……!」 こいつはクズだ。自分の目的を達成するために、どんな犠牲を払おうが構わない。元から気に入らない奴だと思っていたが、中身まで真っ黒に腐っていやがるとは。 「倉井クン、分かるよね? 本間さんを助けたかったら、キミがジャージ窃盗の件を自首するんだ。全校生徒の前に立って、僕が犯人でしたと土下座する。機会は……そうだな、ちょうど来月末に学校祭があるから、そこで発表するのも面白いかもしれない。ハハ、我ながら名案だ! キミもそう思うだろ?」 赤坂は終始笑みを浮かべたままだった。この場で殴り倒してやりたいが、そうすれば本当に犯罪者だ。もはや言い逃れはできなくなる。 「一週間、考える時間をあげよう。あぁ、ちなみに他言は禁物だよ。僕の評判が下がってしまうからねぇ。まぁ、本間さんがどうなっても良いと言うなら、どうぞお好きに」 そう言い残し、赤坂は去っていった。 俺はしばらくの間立ち尽くしていたが、我慢ならずに校舎の壁を思い切り蹴った。 「……クソがっ!」 これから一体、どうすればいいのだろう。 絶望という言葉はこういう時のためにあるのだろうと、実感せずにはいられなかった。 <9> 赤坂が示したタイムリミットまで、あと二日と迫っていた。 本間のことを思えば、嘘でも自白するしかない。だが、そうすれば俺は完全な犯罪者と認定されてしまうし、何よりあのクズ野郎の思い通りに事が進んでいってしまう。 一体、どうすればいいのだろうか―― 「倉井くん、聞いてます?」 その声にハッとして顔を上げると、そこには少しムスッとした様子の本間がいた。背後にはカラオケボックスの風景が見え、今日も練習していたのだということを思い出す。 「悪い。何の話をしていたんだ?」 「振り付けのことですよ。サビのところ、本物は皆で一点を指さしながら動きますけど、一人でやるならどうアレンジしたらいいかなって」 「えっと、そうだな……」 説明してもらっても、中々内容が頭に入ってこない。それを見抜かれたのか、本間は心配そうに顔を覗き込んできた。 「なんだか上の空って感じですね。何か、ありましたか?」 「……いや」 本当のことを話せば、本間は自分を犠牲にしようとするだろう。俺が何も言わずにいると、彼女もまた沈黙した。 追加の曲を入れていないらしく、液晶モニターには最新のヒット曲のミュージックビデオが延々と流れている。 しばらくして顔を上げると、本間はこちらをじっと見つめていた。何も言わず、ただにっこりと笑いかけてくるだけ。 やめろよ。 そんな表情を見たら、何もかも話してしまいたくなるじゃないか。 だが、それだけは駄目だということは分かっていた。彼女の笑顔を守るためには、決断しなければならない。 「お前に聞いて貰いたいことがある」 本間は小さく首肯した。俺は迷いながらも、再び口を開く。 「四月の初め頃、俺は河合のジャージを盗んだ罪で告発された。だが、俺はクラス全員に対して『やっていない』と否定した。その後、二人で話した時にも何度か言っていたはずだ、本当に無実だって」 「……はい。聞いていました」 「けどな、聞いてくれ。本当は、ほんとうは……俺が、やったんだ」 本間の反応が怖い。だが、恐る恐る顔を上げても、彼女は何も言わなかった。それどころか、まるで何事もなかったかのように、落ち着いた表情をしている。 目が合うと、ただの一言だけ、 「分かりました」 と、ぽつりと呟くように言った。 想像とは違う反応に、却って俺の方が饒舌になる。 「俺の話、聞いていたのか? 犯罪者なんだぞ? 女子のジャージを盗んで、それを自分のものにしてしまおうなんて。……最低だと、思わないのか」 その問いに、本間はゆるゆると首を振り、 「良いことだとは思いません。でも、最低ではないと思います」 「……どうして?」 「だって倉井くん、反省しているじゃないですか。最低だって自分のことを罵っているじゃないですか。そんな人は最低じゃないと思います。最低なのは、自分のやった悪いことを反省しない人です」 本間はきっぱりとした口調で言い放った。俺のことを庇ってくれているのだろう。やはりこの子は優しい人間だ。 「ありがとう、本間。それに……すまない」 そう言って、俺は静かに頭を下げた。 「短い間だったけど、本間と一緒に過ごせてよかった。お前ならきっとプロのアイドルになれる。これからも頑張ってくれ」 この一か月半は俺にとって忘れられない日々になるだろう。そのぐらい毎日が充実していたし、別れるのは言葉にできないほど名残惜しい。 だが、再びアイドルを目指すよう背中を押した俺が、本間の夢を邪魔するわけにはいかない―― そんな葛藤を含んだ決意の言葉に、本間は思い切り目を丸くした。 「それ、どういう意味ですか」 「……どうって、俺はもう本間の傍にいられないという意味だ。犯罪者なんだから」 「それは駄目です!」 本間は机を叩くような勢いで立ち上がった。 「高校に入った時、わたしはアイドルを諦めていました。でも、倉井くんがアイドルへの思いを蘇らせてくれた。倉井くんがいたからこそ、わたしは頑張れたんです! そのプロデューサーがいなくなったら、わたし……」 思いがけない告白に、俺の心中は揺れた。しかし、だからといって決断を覆すわけにはいかない。 「俺は本間にアイドルになってもらいたい。そのためには、俺のような人間が傍に居ちゃ駄目なんだ」 「駄目じゃありません! むしろ、居てくれないと困るんです。じゃないとわたし、安心して頑張れない。一人じゃすぐ諦めるに決まってる」 「そんなことはない。それとも、本間のアイドルに対する想いはその程度か?」 「違います! 違いますけど……」 本間は潤んだ瞳をこちらに向けながら、 「アイドルの夢は、わたしだけじゃなくて二人の夢……じゃないんですか?」 その言葉に込められた想いに、俺は強く胸を打たれた。 アイドルの夢は、二人の夢。最初は本間が志し、諦めかけたその夢を俺が蘇らせた。 にも拘わらず、道半ばで立ち去ろうとする俺に対して、彼女は愕然とした思いを抱いているのだろう。 本当に、これでいいのだろうか? この決断が全て、本間のためになるのだろうか? 今の彼女の表情を見て、とてもそうは思えなかった。このまま決断を強行すれば、彼女は再びアイドルの夢を見失ってしまうかもしれない。 だったらせめて、何もかも話すべきだ。決断はそれからでも遅くないだろう。 「本間」 「はい?」 「さっきまでの話は忘れてくれ。これから、本当に話したかったことを伝える」 そう言って、俺は先日の赤坂とのやり取りを話し始めたのだった。 *** 話し終えると、俺は一つ大きく息を吐いた。 本間は、俺とのやり取りで興奮していたのか、話の折々で「なにそれ」「ひどい」といった反応を示した。普段はどちらかというと落ち着いているので、何だか似つかわしくない印象を受ける。 本間はオレンジジュースをちゅーっと啜った後、 「赤坂くん、そんなにひどい人だったんですね……。驚きました」 「おいおい、本間は中学の時苛められていたんじゃないのか?」 「知りませんでした。たぶん、やったのは全部女子だと思い込んでいたからだと思います。実際、悪口とか言ってくるのは女子だけだったし」 「そういうことか。あいつは本当にクズだな」 女子の陰に隠れてイジメを働くとは、この世にこれ以上のクズ中学生がいるのだろうか。 「まぁとにかく、これで話が分かっただろう? 俺が嘘の自白をしなければ、本間がイジメを受けるかもしれない。選択の余地はないんだ」 「……駄目です」 「は?」 「嘘の自白なんてしちゃ駄目です。罪は犯した人がちゃんと償うべきです」 「それは……正論だが」 本間の言いたいことは分かる。だが、相手はそういう常識が通用する相手ではないのだ。 「いいんだよ、俺はもう覚悟を決めたんだから。嘘の自白をしたって構わない」 「わたしのプロデュースはどうするんですか」 「それはその、他の誰かに任せて」 「それが嫌だって言ってるんです! どうして分かってくれないんですか!」 本間は机をバンと叩いた。ストローの袋がふわっと床に落ち、彼女は慌ててそれを拾う。 「わたしには、倉井くんでないと駄目なんです。他の人だと頑張れないんです」 「おいおい、なんだか告白みたいだな」 「……駄目ですか?」 その言葉に、俺の心中はにわかに動揺した。 「ど、どういう意味だ」 「だから、倉井くんに告白しちゃ駄目なんですか。わたしには、あなたが必要だって」 何だか曖昧な表現だったが、要するに俺のことが好きということなのだろうか。それとも、ビジネスパートナー的な意味でのライク的なあれだろうか。 「とにかく、倉井くんは自白なんてしないでください。もしわたしを苛めるというのなら、勝手にすればいいんです」 「ずいぶん強気だな。どんな風に仕掛けてくるか分からないんだぞ?」 「最初からそうされると分かっていれば心積もりができます。それに……」 「それに?」 「今度は倉井くんが、守ってくれますよね?」 期待するようなまなざしを向けられ、俺は頬が熱くなるのを感じた。 「そ……そうだな。もしそうなれば、俺が必ず助けてやる」 「ありがとうございます! なら決まりですね。赤坂くんにはそう回答してください」 そう言って、本間は花のようにふわりと微笑んだ。いつからこんなにたくましくなったのだろう。元々そうなのか、この一か月半で変わっていったのか。 分からなかったが、もう俺の中にも迷いは残っていなかった。 「分かった。前言撤回、これからもよろしくな、本間」 「はい! 今後もよろしくお願いしますね、プロデューサー!」 そうして、俺たちはがっちりと握手を交わしたのだった。 <10> 六月になり、学園祭まで残り数週間と迫っていた。 校内ではその準備がにわかに進み始め、生徒たちの雰囲気もどこか浮足立っているように感じられる。 学園祭ではクラスでの模擬店、体育館での有志によるステージ発表などが行われるが、そのうちのステージ発表に本間が参加することになっていた。内容はもちろんアイドル曲のパフォーマンス。応募時期が例の動画が出回った直後だったこともあり、参加応募はすんなりと受け入れられた。 だが――観衆を沸かせるはずだったそのステージも、今では参加自体が危ぶまれてしまっていた。 *** その日は、登校してすぐ異変に気付いた。 いつもは賑やかな会話がうるさいほどの朝の教室が、水を打ったように静まり返っている。 元凶は、クラスにとっての「異物」だった。窓際の最後列、本間が座っている席の周りに、見慣れない女子生徒たちの姿があった。 「おい、何だお前ら」 背後から乱暴に声を掛けると、その連中は一斉にこちらを振り向いた。 「オメェこそ誰だよ、失礼な奴だな」 「あっ、こいつ例のキモオタじゃん?」 「キモッ。本物近くで見るとマジキモイ」 巷でギャルと呼ばれている生き物だろう。高校生にも拘わらずすっぴんが分からないほどのメイクをし、汚い言葉を使って俺のような人間を罵る。 こいつらが、赤坂が言っていた「目立ちたがりの女の子たち」だろうか。趣味が悪いにも程がある。 「なにシカト決めてんだよ。オメェに言ってんだぞコラ」 その中のリーダーらしき女が威勢よく声を上げる。キャンキャン鳴く姿は躾のなっていない犬を連想させ、俺は若干哀れな気持ちになった。まともな教育を施してくれなかった両親を呪ってくれ。 「あの、倉井くん……?」 「おう本間か。こいつら邪魔なんだろ? 今排除するから」 「テメェ、何イキがってんだよ。ウチらのこと舐めてんのか?」 「別に舐めてはいないぞ。お前らなんかしょっぱそうだし」 「その『なめてる』じゃねぇんだよ! 分かんだろボケが」 「分からんな。ちゃんと日本語で説明してくれ」 「はぁ? オメェ、なめてるって言えばその……『舐めてる』だろ。普通に考えてよぉ」 「違いが分からん。もっと詳しく」 「ウチをおちょくってんのか! 言っとくがよぉ、こちとら真面目に勉強なんかしたことねぇんだよ。オメェみたいなガリ勉と違ってなぁ」 「そうなのか。自慢するほどのことでもないと思うが?」 「コイツむかつくぜぇぇええええええ!!!」 俺に掴みかかろうとする女を、左右の金魚のフンが何とか取り押さえた。 「アネキ、暴力はまずいよ」 「そうそう。類くんに迷惑かけちゃうかもだし」 その言葉が聞いたのか、アネキ(笑)は振りほどこうとしていた腕をピタリと止めた。 「フン。オメェら、いつかタダじゃおかねぇからな」 雑な捨て台詞を言い残し、アネキ(笑)とフン子二人は去っていった。 「ふう。ようやく行ってくれたか」 「倉井くん、助けてくれてありがとうございます」 「気にしなくていい。それより、あいつらずっとここに居たのか?」 「……はい。というか、家を出てすぐに待ち伏せされていたみたいで」 「ずっと粘着してきたのか」 本間はコクリと頷いた。身の危険は感じないが、しつこさはかなりあるようだ。これからロッカーを悪戯されたり、所持品を隠されたりということになれば、いよいよ実害が出てくる。 そのうえ、学園祭のステージだって妨害される可能性があるのだ。 「やっぱり、元凶を叩かなくちゃな」 「えっ? それはつまり……」 「本間は気にしなくていい。お前のことは俺が守るから」 さらっと言ってしまってから、かなり恥ずかしいことを口走ったことに気付く。 本間がほんのり頬を赤く染めているのを見て、俺もまた顔が熱くなった。 「ともかく、本間はトレーニングに集中してくれ。学園祭のステージを成功させることが、俺たちにとって当面の最大目標だからな」 「はい! 分かりました、プロデューサー」 そう言って、本間はおどけたように敬礼のポーズを見せたのだった。 <11> 午後八時。 夕食を終え、風呂を済ませた俺は、自宅の次に見知った家の前に立っていた。 インターフォンを押すと、ほどなくして聞きなれた声が聞こえてくる。 「はーい、河合ですけど」 「俺だ」 「誰よ! って、あんたね。全く、ちゃんと挨拶しなさいよ。あたしだったから良かったものの」 「お前以外にはちゃんと挨拶するが」 「あたしにもちゃんとしろや! まぁとにかく、今開けるから待ってて」 言葉通り、河合はすぐに俺を招き入れてくれた。居間にいる御父母に挨拶してから、二階にある河合の部屋へと通される。 「あんたが来るなんていつ以来かな」 「分からん。少なくとも、高校に入ってからは来ていないな」 「中学の時も来てないんじゃないの? あんた、もうオタクゲームに夢中だったし」 「そうだったかもな」 改めて、河合の部屋を見回してみる。もっと広かった記憶があるが、その頃は体が小さかったということだろう。つまり、小学校の頃以来だろうか。 「……で、あんたは何の用事があってここに来たわけ?」 じろじろ見られるのが嫌だったのか、河合は少し急かすように言った。もっとも、それは俺にとって好都合なのだが。 「単刀直入に言う。ジャージの件で、俺に力を貸してほしい」 「……は? なにそれ。もっと詳しく話しなさいよ」 河合に促され、俺は両手を組んで思慮深そうな感じで話し始めた。 「俺は、ジャージを盗んだ真犯人が赤坂だと思っている。そこで、奴が真犯人であるという証拠を挙げたい」 「はぁ、今更? てっきり濡れ衣を受け入れたのかと思ってたけど」 「それは違うが、諦めていたのは事実だ。しかし事情が変わった」 「どんな事情よ」 「それは話せない」 「……」 本間はすでに赤坂の標的になっているが、もし奴とのやり取りを河合に話したことがバレれば、嫌がらせはより一層激化するかもしれない。そう考えると、河合に赤坂の真実を話すことはできなかった。 だが、河合は気を遣ってくれたのか、それ以上「事情」について追及することはなかった。 「とにかく、濡れ衣を晴らしたいのね。あたしは何を手伝えばいいの?」 「そう急かすな。順を追って説明する」 俺は立ち上がると、近くにあったクローゼットの扉を開いた。 「ちょっ、何すんのよ!」 「ジャージはどこだ」 「ジャージならちゃんと仕舞ってあるから! あんたは何も触らないで!」 案の定怒られてしまい、俺は大人しくカーペットに腰を下ろした。赤坂の奴もきっと、こんな反応を見せるに違いない。 「はい、ジャージ。これがどうかしたの?」 「俺が盗んだと思われてるやつだな。これはたぶん、お前のものじゃない」 「……どういうこと?」 当然の疑問だろう。俺はジャージの上衣を広げると、名前の刺繍が施された前側を河合に見せた。 「これはおそらく、赤坂が何らかの手段で入手した『変わり身』だろう。本物は赤坂が持っているに違いない」 「どういう意味よ。もっと分かりやすく説明して」 「いいか、赤坂はおそらくお前に気がある。それもお前が着ていたジャージをクンカクンカしたいぐらいだ。そこで、奴は本物と『変わり身』をすり替えることを考えた。加えて、気に入らない俺を陥れるために、カバンに『変わり身』を忍ばせてジャージ窃盗犯に仕立て上げた」 「……あいつ、そんなに変態なの?」 「変態だ」 「絶対に?」 「あぁ」 赤坂は手段を選ばない男だ。河合のジャージを手に入れるためにこのぐらいのことはしても不自然ではない。 「あんたの話が本当だとして、赤坂が本物のジャージを持ってるってわけ?」 「そうだ」 「なら、それを持っていることが証拠になるわけか」 「察しがいいな。奴の所持品から刺繍入りのジャージが出てくれば、犯行は確定だ」 おそらく、赤坂は自宅の部屋にそれを隠しているだろう。家族にも見つからないよう、押入れの奥底などに厳重に仕舞っているはずだ。 河合もそれに思い至ったらしく、「でも」と首を捻りながら、 「どうやってそれを証明するの? あいつは誰にも分からないところにジャージを隠しているんじゃない?」 「おそらくその通りだ。だが、それを発見する方法が一つある」 「どうやって?」 「それは……かくかくしかじか」 俺が考えていた案を説明すると、河合は「なるほどね」と頷いた。 「だから、あたしに力を貸してほしいって言ったのか」 「あぁ。頼む」 正直、断られるかもしれないと思っていた。河合にとっては気が向かないだろうし、万が一の危険もある。 だが、その心配は杞憂だった。 「あたしに任せなさい。上手くやってみせるわ」 「本当か! 済まないが、よろしく頼む」 「成功したらマ○ク三回奢りね」 「そんなんでいいのか? 分かった」 「あ、やっぱり高級ヘッドフォンがいいなぁ」 「マ○ク三回だ」 「ちっ。それで手を打つわ」 そう言って、河合はフフンと笑ってみせた。 たった一人の幼なじみがこいつで良かったと、俺は感謝せずにいられなかった。 <12> そして、ついに学園祭の日はやってきた。 学校内は友達や恋人同士で練り歩く生徒たち、父母や兄妹などの来客、クラスの模擬店に呼び込みをかける者たちなど、多くの人々で賑わっていた。 そしてもちろん、体育館のステージ発表にも沢山の観客が集まっている。 「……ふう」 控室となっているステージ横の更衣室で、本間はそわそわと落ち着かない様子を見せていた。今日の衣装は中学時代に着ていたという、制服を思わせる水色の上下。そのスカートをしきりに触ってみたり、同色のベレー帽の位置を何度も確認したり。 出番はもう目前に迫っている。流石に緊張しているのだと思い、俺は背後から本間の両肩に手を載せた。 「ひゃっ! ……なんだ、倉井くんですか」 「驚きすぎだろ。もっと肩の力を抜けよ」 両肩を優しく揉んでやると、本間はようやく少し落ち着いたようだった。 「ありがとうございます。もう、大丈夫です」 「行けそうか?」 「はい。たくさん練習してきましたから」 俺は内心で頷いた。本間はこの数週間、みっちりとトレーニングを積んできた。いつものカラオケでの練習はもちろん、大勢の前でも緊張してしまわないよう、親子連れなどが遊ぶ公園でミニライブも行った。初めは周囲の反応が怖かったが、意外にも温かい目で見守ってもらっていたのを覚えている。 今日の観客もまた、いいパフォーマンスをすれば受け入れてくれるはずだ。 「お前が普段通りにやれば大丈夫だ。きっと上手くいく」 「はい! 頑張ります!」 そう言って、本間はいつもの両拳を握りしめるポーズを見せた。 *** 「次は17番、本間かいなさんの発表です。お願いします」 司会進行である河合に紹介され、本間はついにステージへと立った。カラオケで歌う姿は何度も観たことがあるが、こうした大きな会場でのパフォーマンスは初めてだった。彼女がどんな姿を見せてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。 体育館はいつの間にかほとんど満員となっていた。おそらく、本間の発表を見に来たというよりは、次の赤坂たちによるバンド演奏が目的なのだろう。その証拠に多くの人間がステージの方ではなく、手元のプログラム表やスマートフォンに視線を落としている。 ――本間。そいつらを全員、お前のステージに熱中させてやれ。 そう心中でエールを送ると、彼女はそれに応えるような笑顔を見せ、曲が始まった。 両手を組む祈りのようなポーズから、一歩、二歩、前へ。そこから両手を大きく広げて踊り始め、曲のリズムに合わせるようにして振り付けのスピードを速めていく。 マイクを持ち、彼女が歌い始めると、会場の雰囲気が変わった気がした。 この曲は、本間が大好きなアイドルグループのデビュー曲だ。今ではすっかり人気を集めているが、始まった当初は全くファンが付かず、何度も解散の危機に追い込まれたという。しかし、有名な作詞家から提供されたというこの曲を大切に歌い続け、彼女たちは見事にトップアイドルと呼ばれるにまで成長した。 本間はきっと、そんなエピソードにも惹かれているのだろう。この曲を歌う彼女の姿は、どんな時よりも輝いて見える。 サビに入ると、力強く、それでいて澄んだ声が体育館に響き渡った。 そして、ずっと取り組んでいた振り付けのアレンジ。オリジナルのように一点を指さして位置を変えていくのではなく、自らが中心となり、頭上に向かって腕を精一杯に伸ばしていく。 その姿は、アイドルを目指し続けている本間自身と重なって見えた。 ――実は昔、アイドルを目指していたことがあったんです。 初めは、とてもそんな風に見えなかった。憧れを頂きつつも、一度も挑戦をせずに終わってしまうタイプの女の子に見えた。 だが、本間は違った。誰よりもアイドルを愛し、決して夢を諦めなかった。だからこそ、彼女は今日このステージにいる。そして他の誰よりも輝きを放っている。 曲が終わると、俺は無意識に立ち上がって拍手をしていた。手のひらが痛くなるぐらいに思い切り、何度も何度も。周りの席に座っていた生徒たちがこちらを見たが、気にしなかった。 ――本間、精一杯のパフォーマンスを見せてくれてありがとう。 拍手を続けると、周りの訝しんでいた連中もパラパラと手を叩き始めた。それはどんどん広がっていき、やがて体育館中が拍手で包み込まれた。本間は予想外の反応に戸惑ってしまったらしく、おろおろとお辞儀をしながら彷徨っている。 「本間かいなさん、素晴らしい発表でした。本当にありがとうございました!」 河合の空気を読んだアナウンスで、会場は更に大きな拍手に包み込まれる。 それで正気に戻ったのか、本間はピタリと立ち止まると、深く深くお辞儀をした。 「……さて、次は俺の番だな」 一人呟きながら、俺は決意を胸に席を立った。 *** 「赤坂類バンドの皆さん、ありがとうございました」 司会の河合がそうアナウンスしても、会場の熱気はまだ収まりそうになかった。 赤坂がギターボーカルを務めるバンド――その名も赤坂類バンドは、その人脈を駆使して演奏力の高いメンバーを揃えており、学内では断トツの人気を誇っていた。赤坂自身も歌・演奏共に高いレベルにあり、女子たちが熱狂するのも無理はない。もっとも、奴の本性が明らかになれば、こんな歓声などあっという間に消えてしまうだろうが。 やってやる。俺があの男の所業を全て暴き出してやる。 河合に目配せすると、彼女は分かっているとばかりに頷いた。 「……以上をもちまして、本日のステージ発表を終了いたします。この後、追加のサプライズステージがありますので、ぜひお座りのままお待ちください」 このアナウンスで、どのくらいの人が残ってくれるだろうか。できれば赤坂を見誤っている連中にこそ聞いてほしい。そう願いながら、俺はステージの舞台袖に移動した。 「……それでは、サプライズステージの始まりです。二年E組倉井くん、お願いします」 客席からどよめきの声が上がる。それを一身に受けながら、俺はステージの上に置かれたマイクの前まで移動した。 ステージの上はまばゆいほどに明るく、客席に座る生徒たちの顔はほとんど見えなかった。だが、快く思われていないのは間違いない。早くも罵声があちこちから聞こえてくる。 俺は一つ深呼吸すると、マイクを自分の元に引き寄せた。 「……ご紹介に与りました、2年E組の倉井です。初めまして、という挨拶はいらないでしょう。皆さん知っていますよね? 俺がそこにいる、河合悦子さんのジャージを盗んだ犯人だということを」 俺が河合のいる方を指し示すと、客席はどよめきに包まれた。あまりに堂々とした自白に戸惑っているのだろうか。ともかく、ヤジが飛んでこないのは好都合なので、今のうちに話を進めることにする。 「その時の経緯については、皆さん知っていると思うので割愛します。ただ一つ、俺は決してジャージを盗んだりはしていません。当時も今も、自分の無実を心から信じています」 その主張に、早くもあちこちから反論の石が飛んできた。 「今さら何言ってんだよ!」 「お前みたいな変態以外に盗む奴なんかいないだろが」 「だいたい、目撃証言があったって聞いたぞ!」 「……ほう」 いいタイミングだ。どこの誰か知らないが、早速拾わせてもらおう。 「今、目撃証言について言った人がいましたね。折角ですから、ここに俺の犯行を目撃したという人物を呼んでみましょう。赤坂くーん!」 その呼びかけに、再び体育館の中は騒めき出す。程なくして、控室から赤坂の姿が現れた。おそらくまだ楽器の手入れをしていたのだろう。先刻までこのステージを沸かせていたフロントマンの登場に、観客からは黄色い歓声が飛び出す。 「悪いな。呼び出したりして」 「別に構わないよ。でも、これって謝罪会見じゃないのかい? 僕を呼び出すことにどんな意味があるのかな」 「分からないのか? そんなの一つに決まってるだろう」 そう言って、俺は再びマイクに声を乗せた。 「単刀直入に言います。俺はここにいる赤坂が、ジャージ窃盗の真犯人だと思っている」 一瞬、会場が静まり返った。俺が何を言っているのか、かみ砕いて理解する時間が必要だったのだろう。 それからすぐ、暴力的なまでの罵声がステージに押し寄せた。 「寝言は寝てから言えや!」 「赤坂くんが犯人なわけないじゃない。サイテー!」 「他人に罪を擦り付けるなんて最低のクズだな」 「……」 本当にこいつらは遠慮がない。仮に犯罪者だとしても人権ぐらいあるよね? 「ふふっ、キミは面白いことを言うね。僕が本当の犯人だって?」 「あぁ」 「なら証拠は?」 「これから説明する」 そう言って、俺は舞台袖に置いてあった紙袋からジャージを取り出した。 「これが何だか分かるか?」 「河合さんのジャージだ。彼女に借りたのかい?」 「そうだ」 「盗んだキミにまた貸してあげるなんて、河合さんは優しいね」 赤坂はいつもの営業スマイルを浮かべた。余裕の態度を見せるあたり、証拠なんてあるはずがないと思っているのだろう。 だが―― 「なら、これは何だ?」 俺が紙袋から取り出したものを見て、ようやく赤坂の顔色が変わった。 「それは……」 「あぁ、見ての通りジャージだ。河合のな」 「に、二着も借りたのかい? 一体何に使おうと――」 「違う。これはお前が、河合から盗んだ『本物』のジャージだ」 俺が手に持ったジャージを突き付けると、赤坂は目に見えて狼狽した。 「は……はは、本物? 言っている意味が分からないな。どちらも本物のジャージじゃないか」 「誤魔化すのはよせ。俺が最初に見せたのは、お前がどこかで用意した『代わりの』ジャージだ。お前はそのジャージを俺のカバンに入れて濡れ衣を着せ、『本物』は自分で持ち帰った」 「……っ」 客席はいま、どんな空気になっているのだろう。俺への罵声が飛んでこない辺り、赤坂の動揺する姿に戸惑っているのかもしれない。 「しょ、証拠は!? 証拠はなにもないじゃないか。この二着のジャージがキミの言った通りであるという証拠は!」 「えらく動揺してるな。さっさと自白したらどうだ」 「誤魔化すなよ! ほら、やっぱり証拠はないんだろ?」 「あるさ。ここにな」 そう言って、俺は手を大きく振り上げて合図をした。 まもなくステージ後方の壁にプロジェクターの映像が映し出されると、赤坂はすぐに気づいたようだった。 「なんだ……これ」 映像は、とある住宅の全景を捉えていた。すべてが闇色に染まる中、開かれた玄関扉から大きく光が漏れだす。 現れたのは、フードを目深に被った赤坂だった。白い袋に入った何かを大事そうに抱えながら、まるで泥棒のような足取りで自宅を後にする。 シーンは変わり、今度は夜の学校だった。フレームインしてきた影――つまり赤坂は、あろうことか校門をよじ登って飛び越え、そのまま真っ直ぐに校舎の方へ走っていく。 目的地は中庭だった。暗闇の中、赤坂は大きな樹の下へたどり着くと、用意していた小さなスコップで根の付近を掘り始める。やがて開いた大きな穴には白い袋が放り込まれ、今度は休む間もなく埋め戻していく。 全てが終わると、赤坂は足早にその場を立ち去っていった。 それから視点は、大きな樹の下へと移動した。撮影者らしき男の手が、赤坂と同じ場所を、同じように掘り進めていく。隠されていた白い袋はすぐに見つかり、男は迷わずその中身を引っ張り出した。 中から出てきたのは――果たして、河合と刺繍の入ったジャージだった。 「木を隠すなら森の中。ジャージを隠すなら学校、か。そういうことだろう、赤坂? ここなら万が一誰かに見つかっても、いくらでも言い逃れができるからな」 俺の問いかけに、赤坂は顔を伏せたまま口を開いた。 「……どうして、僕がジャージを隠しに行くと分かった。そうでなければ、こんな映像撮れるはずがない」 「確かにそうだな。だが、俺たちはお前の行動を知っていたわけじゃない。そうするよう仕向けたんだ」 「……どういう、意味だ?」 どうやら赤坂には心当たりがないらしい。人には巧妙な罠を仕掛けておいて、自分にはその耐性がないということか。 「別に難しい話じゃない。河合に協力してもらっただけだ」 「……河合さん、だって?」 「あぁ。お前、少し前の日曜日に河合を家に呼んだだろ。それが俺の仕掛けた罠だったわけだ。河合にはわざと家探しするフリをしてもらい、お前に不安を抱かせてジャージを家の外に持ち出すように仕向けた。成功するかは賭けだったが……まぁ、一発で上手くいって良かったよ」 この作戦は、河合の協力なくしてあり得なかった。赤坂のような危険な男の部屋に行かせるのは気後れしたが、他にジャージを動かさせる妙案も浮かばず、最終的には本人が二つ返事で了承してくれたことで作戦決行となった。河合は家に帰ったフリをして待機していた俺に合流し、そこから赤坂の自宅前で待ち伏せした。その後の展開は映像にあった通りだ。 赤坂のすっかり観念した様子を見て、俺は観客たちに向き直った。 「お分かりいただけましたでしょうか。河合のジャージを盗んだのは俺ではなく、この赤坂なのです」 もはや、誰も反応する者はいなかった。赤坂が犯人だったということにショックを受けている人間が多いのかもしれない。何だか後味が悪いが、俺は正しいことをしたまでだ。そう自分に言い聞かせていると、河合が司会を中断してステージに上がってきた。 「応、お疲れさま。大変だったわね」 被害者であるはずの彼女に労われ、俺は即座に首を振る。 「俺は何もしていない。お前のおかげだ」 「そんなことないでしょ。あんたはすごく頑張ったよ」 河合は苦笑すると、ステージ上に崩れ落ちていた赤坂を一瞥し、そのまま近寄っていった。 「ねぇ。ずっとそのままでいる気?」 その問いかけに、赤坂は顔を上げた。さすがに河合の言葉は無視できないらしい。「立って」と促され、ぎこちない動きで彼女の正面に立つ。 「何か言うことはある?」 弁解の余地はなかった。赤坂もそれは分かっているようで、何も言ってこようとしない。 河合は納得したように頷き、 「分かった。それじゃ、歯を食いしばって」 「……え」 次の瞬間、河合のビンタが赤坂の右頬を襲った。 「へぶっ!」とザコキャラのような悲鳴を上げ、横倒しにした樽のようにステージの上を転がっていく。 「サイッテー。このクズ、二度とあたしに話しかけんな!」 ビンタに負けないぐらいの勢いで言い放つと、河合はずんずんとステージを降りていった。定位置に戻ると、持っていたマイクをスタンドに戻す。 「倉井くん、ありがとうございました。以上でサプライズステージを終了します」 最後を締めるのも忘れなかった。相変わらずソツのない奴だ。 「……ようやく、終わったんだな」 濡れ衣は晴れた。それに、本間への嫌がらせもこれで終わるだろう。 緊張の糸が途切れた俺は、そのままステージの上に寝転んだのだった。 <エピローグ> 「じゃ……開けるぞ」 俺の宣言に、本間は隣で小さく頷いた。 封筒の上部にハサミを入れ、中に入っていた物を全て取り出す。 現れたのはたった一枚の紙だった。そこに書かれていたのは―― 「……合格」 読み上げたのは本間だった。俺も急いで文章に目を通し、その中に彼女が口にした二文字を見つける。 「これって……これって、そういうことだよな?」 「そういうことですよね?」 「や……や……」 「や?」 「やったーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」 こんなに嬉しいことが今まであっただろうか。少なくとも、俺はマ○クの店内でこんな大声を出したことはない。一瞬で大多数の客たちの視線を集めたが、それすらも気にならなかった。いや、迷惑行為だから本当は気にしなくてはならないのだが。 「すごい……すごいよカイナちゃん。やったね!」 対面に座っていた河合も喜びを爆発させる。今日はそもそも、約束のマ○ク三回奢りの一回目なのだ。本当は二人きりの予定だったのだが、本間から封筒が届いたという連絡があり、こうして三人での「結果発表」となったのだった。 その結果は――見事、合格。 「本当に良かったな。これで……アイドルへの道が、開けたな」 通ったのはあくまでオーディションの書類審査だ。この結果ですぐ事務所と契約できるという訳ではないし、ましてやアイドルグループに入れる訳でもない。 だが、間違いなく一歩目は踏み出したはずだ。本間が小学生の時から夢見る、トップアイドルへの第一歩を。 本間は赤くなった目元を拭いながら、 「お二人とも、本当にありがとうございます。一人じゃ絶対にここまで来られなかった。それどころか、アイドル自体諦めていたと思います。本当に、感謝してもしきれません」 「別にいいよ。お前に感謝されるために手伝ってる訳じゃないしな」 「そうそう。これはもうあたしたちの趣味だよ」 「倉井くん……悦子ちゃん……。本当に、ありがとう」 本間は深々とお辞儀をした。髪の毛がポテトについてしまわないか心配だったが、すぐにガバっと顔を上げ、 「これからもよろしくお願いします。まだ挑戦は始まったばかりですから」 そう言って、本間はいつもの両拳を握るポーズを取った。 俺と河合は顔を見合わせ、どちらからともなく吹き出す。 「あっ、ちょっと。どうして笑うんですか」 「だって……ぶふっ」 「カイナちゃんのそれ……ださいからっ」 「今さら言うんですか!? もっと早く言ってくださいよっ!」 顔を赤くする本間を見て、俺たちは更に笑い転げたのだった。 |
クロウ rDwmlYJSIE 2018年04月27日 14時13分57秒 公開 ■この作品の著作権は クロウ rDwmlYJSIE さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2018年06月22日 22時21分33秒 | |||
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Re: | 2018年06月22日 19時11分27秒 | |||
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Re: | 2018年06月22日 18時58分30秒 | |||
合計 | 13人 | 290点 |
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