完全なる密室 |
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盲ろう探偵・問野 床病(とわの とこやみ)。 目も見えず、言葉も話せない私がなぜ探偵にになったのか。 そのきっかけは学生時代に起きた奇妙な偶然と一冊の日記帳なのだが、ここでは省略。 なぜか私は寝たきりのように思われがちだが、普通に現場に出かける。 現場の空気や匂い、関係者からの聴取の際に指で脈を取ったり、健常者とは少々違った切り口から推理することもあるが、大半は介助者で助手の橘にあれこれと調べてもらったことを単純に推理しているに過ぎない。 今回の密室殺人事件に駆り出されたのも、年末年始のバタバタで手が足りず、七番手あたりにいる私に偶然依頼が回ってきたに過ぎない。 その密室殺人は「二つの部屋で双子が同時に殺され、かつ、それぞれの部屋同士を繋いだ廊下を除いては出入り口のない、どうやって彼らが密室に入ったのか、犯人がどのように侵入し、どうやって出たのか分からない謎の密室」殺人事件……であったが、それは大した問題ではない。 さて、ここで二つ問題が起きた。 一つは犯人が分かったこと。 他の探偵なら気付かないであろうわずかな香りと、その空間が及ぼす特殊な反響の振動が私に真相をもたらした。 建物の構造を利用した全く新しい殺人方法に気付けるのは私しかいなかったかもしれない。犯人にとって、私が探偵として派遣されたことは運が悪いとしか言いようがない。 本来ならそのことについて話をしたいところだけれど、本題は二つ目の問題。 犯人は、私の介助者の橘である。 橘右近は私の介助者を務める男であり、私の内縁の夫でもあった。彼と入籍をしない理由については、私の生まれ育った特殊な家と、かれがこの家に招かれた理由によるのだが、ここで語る暇はない。 自分では見ることもできず、話すことも聴くこともできない盲ろうの私が、外に発信をするためには、介助者の橘を介するしかない。 犯人が橘であることを告げるためには、橘を介するしかないのである。 紙切れにメモを残したり、他の人を呼んでもらい、そのことを説明するという手も考えたが、身近にいる橘にそれらがバレてしまう可能性が高すぎた。 暗闇に閉じ込められた私を助け出してくれたのは、アン・サリヴァンならぬ実父であった。 そして、実父が亡くなった後に私の手を引いてくれたのが橘だった。彼は献身的に尽くしてくれたし、私も彼を愛している。 なぜ彼がこのような犯罪を犯したのか。 それは私のためでもあるし、彼自身の復讐でもある。 そのことは彼の近親者である私だから把握できることであり、他の探偵であればそんなことすら調べようがなかっただろう。 そういう意味でも犯人である橘は不幸であるとしか言いようがない。 しかし、その事実を知った瞬間に、その不幸は私の元へ降りかかって来た。 橘を犯人と告げることで、私は最も身近な人を失うことになる。 また橘も私がこの現場に派遣された時点で、犯人が自分だと気付かれる可能性を理解しているだろう。 二つの問題の結果は、私が決断を下すべきかどうかと言うこと。 私がこの推理を外に出すことで、最終的な決定権は橘に委ねられる。私がこの推理を外に出さない場合は、やはり決定権は橘に委ねられる。 先ほども言った通り、この事件の動機は私にもある。 私はこの最終決定権を橘に押し付けるのではなく、自分自身で行使するべきだという結論に達した。 手元を探り、紙とペンを手元に引き寄せる。 「犯人は……」無味乾燥なペンを走らせ……そのペンを自らの首元に突き刺した。 全ては私の脳という完全なる密室の中に葬られる。 ◾️探偵社 内部資料 語り手はこの街一番の名探偵の助手であるところの私に変わる。 私の主人であるところの名探偵は事情を聞いた時点で犯人を当ててしまうため、我々助手はその謎解きの隙間を埋める任務を与えられる。 今回は非常に特殊な事件だ。 何せ非常に特殊な二つの密室と、ある探偵の死という二重の謎解きが隠されているのだから。 ただし、私が担当するのは探偵の死についてである。 彼女、問野床病は彼女の絶対的な嗅覚を用いたのか、それとも神がかりな空間把握能力を用いたのか、犯人を瞬時に特定したに違いない。 何せ、一億人の探偵を輩出する全世界探偵社の七席にわずか10代で着任した女性である。 彼女の自殺は、当然に新聞の一面を賑わしたが、その犯人の逮捕も同時に世界に配信された。 犯人は、彼の介助者であった老執事、橘右近であった。 話せない彼女が犯人を告げようとして喉を突き刺した行為、そして「何も書かれていなかったメモ」から、一番手探偵である先生の推理は行われた。 「つまり、自分の口から犯人の名を告げることはできない。盲ろう者である彼女にとって、こんなに皮肉な表現はないだろうが、そのメッセージを掴むことさえできれば、犯人は簡単に推理できるだろ?」 橘右近は反論することなく逮捕され、その事件の一部始終を語った。 その内容については別の助手の管轄なので私が語ることはないが……先生が「鶏はどこに行ったのか?」という言葉を言ったことだけ追記しておく。 話を戻すと、彼女は備え付けられたペンにインクが入っていないことには気づいていた。 彼女ほど嗅覚が長けた人が、インクの残量に気付かないはずはなかったのである。 ペンを走らせた瞬間、文字からほとばしるはずのインクの香りが出なかった時点で、彼女はメモを残すことを諦めた。 もちろん、彼女の目的はインクがなくても察することはできた。 彼女はその筆圧で橘右近の名を刻むことができたはずである。 しかしそれもしなかった。 そうやって残されたメモを最初に見つけた橘右近が、そのメモを始末しないわけがなかった。 結果的に、いや元々橘右近の名前を書くことはなかった。 そうすることで、彼女の唯一の通訳である橘右近が犯人であることを指し示すことができるのだから。 さらに彼女はメモを持ち去られる可能性も考えて、喉にペンを突き刺した。 狂気に満ちた凶器のペンを持ち去ったところで、ペンで突き刺した跡を消すことはできない。喉を突き刺すことで言うことができない状況に追い込まれていることを強調する。 そうやって彼女は、犯人である橘右京にその最終決定権を委ねることなく、自らその答えを出したのである。 「おい、助手」 「はい、先生」 「ここ、間違ってる……自殺未遂だ。彼女はまだ生きている」 数週間後。 頸動脈と気道を避けたとはいえ、重症なことには変わりない。 私はまだベッドの上にいた。 なぜか私はベットの上がよく似合うと言われがちだが、意味がよく分からない。 むしろ私は現場でこそ生かされる探偵だというのに。 橘を失うことになっても私が守るべき一つのもの、それは真実である。 私は色んなものを失った状態でこの世に生を受けた。 そんな私が最も大切にしているのが真実である。 もちろん真実と事実とか異なる。真実は観測者である私が見たところでの真実に過ぎず、事実とは異なる。 多くの人の観測を経て、それでも揺るがないものこそ事実だが、そんなものに価値はない。 橘は私に尽くしてくれたが、愛していない。 それがおそらく事実だ。 彼は私が探偵として派遣された時点で、事件の犯人であると自白することもできたであろう。 しかし、彼はその選択をしなかった。 おそらく……彼は私が気付いたところで、彼自身の手で揉み消せる自身があったのだろう。 実際に彼は私のペンからインクを抜き取り、メモを持ち去り、さらに私の自殺理由まで捏造し、犯人であることを認めようとしなかったのだから。 喉の傷は高い勉強代にはなったが、恐ろしいことに探偵社のコネで跡形もなく傷跡を消せるらしい。 傷と共に彼への恨みや未練は消えていく。 彼に課せられた罪を考えれば、その鬱憤も晴れるというものだ。 なにより。 「先生、紅茶が入りましたよ」 私の手のひらにそっと指でなぞる。 新しい介助者で、元愛人の桜左近ちゃんである。 橘右近……父が残した最後の枷。 父は私のことを愛していたが、その偏執的な愛は橘右近に引き継がれ、外界との接点を大きく制限されていた。 そんな中でどうやって橘よりも愛を注ぎ込んでいる桜左近という愛人を作ることができたのか? 父をどのようにして殺害したのか? そして橘に今回の事件をどうやって起こさせたのか……それはここで語られることではない。 全ては私の脳という完全なる密室の中に葬られる。 |
魚住 2018年01月02日 18時33分07秒 公開 ■この作品の著作権は 魚住 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2018年01月23日 19時14分04秒 | |||
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Re: | 2018年01月23日 19時07分36秒 | |||
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Re: | 2018年01月23日 19時05分33秒 | |||
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Re: | 2018年01月23日 19時03分18秒 | |||
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