CLOSED、閉じられた部屋

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 たなびく雲から黄金の輝きが失われてゆく。サンフランシスコの街が夜のとばりに覆われる。マイクロフト刑事は、戦災孤児だったシャーロットの経営するバーへと入っていった。
 マイクロフトは、帽子を壁のフックにかけると、どっかりとカウンターのスツールに腰をおろした。古びた扉の向こうから、坂をのぼる路面電車のケーブルの軋む音が聞こえてくる。
 マイクロフトは口を開いた。
「バーボン!」
 若い娘はすばやく氷を丸く削って、大ぶりのグラスに入れる。手際よく琥珀色のウイスキーをグラスに注ぐ。
 娘は黙って男の前にグラスとレトロな雰囲気のボトルをを置いた。
 一口含んだマイクロフトの顔に一瞬、満足そうな笑みが浮かんだ。
「バーボン・デ・ラックスか……」
 そうつぶやいたマイクロフト表情は、深い疲労に彩られていた。
 調理場に入った娘がソーセージを皿にのせて戻ってきた。焼きたての香りが食欲をそそる。
 マイクロフトは、マスタードをたっぷりと付けると、大ぶりのソーセージにかぶりついた。クレソンを噛みつぶし、一気にグラスを空ける。
 娘が氷水の入った背の高いグラスを差しだす。二杯目のグラスを用意してバーボンを注ぐ。
 深いため息をついて、マイクロフトはグラスから唇を離した。それから、娘がきらめく瞳を大きく見開いて自分を見つめていることに気づいた。
「何を見てる、シャーロット」
 娘はカウンターに頬杖をついて言った。
「お疲れ様。事件解決おめでとう、で良いのかしら?」
 マイクロフトは苦虫を噛み潰したような顔で言った。
「めでたい事件なんてあるものか。だが今回はマジで気が滅入ったぜ」
 娘は指を組み、カウンターに両肘をついて言った。
「グチなら聞いてあげるわよ。お代に入ってるから」
 娘は組んだ両手に顎をのせ、上目づかいにマイクロフトを見つめて言った。
「バーテンダーの話しなんて誰も聞きたがらないわ。だから、私は話を聞くだけ……」
 バーボンをもう一口飲むと、マイクロフトは事件の概要を語り始めた。

 被害者は、……
 名前を伏せるが、実業家だ。
 第二次大戦の特需でかなりの財を成した。
 人の不幸につけこんで儲けるヤツらの末路は決まってる。周りの連中に快く思われなかったから、特需が終われば、それまでさ。
 性格が悪かったから、羽振りが良くとも、妻になろうとする女はいなかった。
 落ち目になりだしてから、自分の面倒を見てくれる者がいないことに気づいた。自分が弱れば、禿鷹の群れが襲いかかって全てを持ち去ってしまう。その事にようやく気が付いた。
 そこで養子を取ることにした。家族なら最後まで面倒を見てくれる。たぶん、そんな甘い夢を見たのさ。
 犯人は、この養子だ。
 ヤツは、大金持ちの息子になれたと大喜びしてたが、あてが外れた。
 大金持ちが金を使うのは投資した以上の金が手に入る時だけだ。金をかけた身なりは、金をかき集めることができる立場になるための投資なのさ。大金持ちは自分の贅沢や楽しみには金を使わねえ。使わねえから金が貯まって大金持ちになれる。
 ヤツはそんな事も分かっちゃいなかった。
 こうして、ろくでなしの養子はろくでもない実業家にこき使われた。しかも、ろくに金を与えられない。別に失敗したわけでもないのに、事あるごとに怒られる。失敗でもないのに、激しく、しつこく、これまでの事をいつも最初から繰り返して非難される。
 こうして、ろくでなしは怒りをため込んでいったのさ。
 気に入らないことに腹が立つのは当然だ。だが、犯罪に手を染めるやつはめったにいない。
 世の中を支える良識ある人々に乾杯!
 心から感謝するぜ。
 そうさ、このろくでなしは、考えも足りなきゃ我慢も足りないクズ野郎だったのさ。
 そして、完全に閉じられた部屋で事件は起きた。

 「閉じられた部屋」という言葉を聞いて、シャーロットの瞳が妖しく輝いた。
「ねえねえ、事件は密室でおきたのね?」
 マイクロフト刑事は、すこし考えてから答えた。
「ああ、確かにそのとおりだな」
 娘はマイクロフトを制して言った。
「犯行現場は古びた洋館で、がけ崩れで外部との出入りができなくなってたのね」
「いや、違う」
「それじゃあ、橋が焼け落ちて……」
「いや、違う」
「雪の荒野に被害者が倒れてたけど、まわりに犯人の足跡がなかった……」
「いや、違う。季節も違うし、そもそも閉じられた部屋じゃねえだろうが」
 娘は不満そうな顔をした。
「推理小説では密室物に入ってたけどなあ」
 娘はそうつぶやいて、マイクロフトがしゃべりだす前にさらに続けた。
「それじゃあ、襲われた被害者が部屋に逃げ込んでカギをかけ、力つきた……」
「いや、違う」
「被害者を中に入れて、密室状態の部屋を後から建てた……」
「壮大な仕掛けだな。だが、違う。建物は古いぞ」
「それなら、ゆるくカギを掛けた二枚の窓を窓枠にはめ込んで密室を作った……」
「いや、違うぜ。事件は閉じられた部屋で起きた。そう言ってるだろう。ちゃんと人の話を聞けよ」
 娘は、すねたようにマイクロフトに言った。
「話を聞いてたら事件が解決しちゃうじゃないの。私は自分で密室の謎を解きたいのよ!」
 マイクロフトは娘の顔をじっと見つめて言った。
「孤児のころから変わってねえなあ、シャーロット」
 娘は、口をとがらせた。
「努力してるよ~。これでも昼間には家庭教師に習ってるのだから!」
 マイクロフトは頬をゆるめて言う。
「ほほう、それは感心だ。そういえば、お袋がまた家庭教師を始めたと言ってたな。とても素敵なお嬢様だから、ろくでなしのお前とは釣り合わない。だから声は掛けない、と言ってたぜ」
 マイクロフトはグラスをあおった。
「お前とは、えらい違いだ!」
 それから、グラスを置いて娘を見つめた。
「そういえば、お前は収容所から戻った子供たちの面倒を見てるそうだな。感心、感心。ちょっぴり立派になったぜ、シャーロット」
 マイクロフトは、さらに推理を披露しようとする娘に言った。
「それからな、現実の事件には謎も劇的な展開もありゃしないぜ。諦めて話を聞けよ、シャーロット!」
 マイクロフトは腕を組んだまま、しばらく娘を見つめていた。そして、娘が口を挟まなくなったのを見定めてから説明を始めた。

 事件が起きたのは、古い地方銀行の建物だ。実業家が買い取って住居に改造した。

「あっ!」
 娘は思わず叫んだ。
「ごめんなさい。私、被害者が誰か分かっちゃった。いろんな人が業突く張りのヘンタイ親父だとバーで噂してたから……」
「かまわねえさ。記者が取材に来てた。明日になれば新聞にすべて載るだろうからな」
 マイクロフトは話を続けた。

 ゴーツク張りのヘンタイ親父は、古い地方銀行の建物を買い取った。そして金庫室を自分の居間兼書斎に改造した。
 敵国がサンフランシスコに攻め込んだときに避難するシェルターのつもりだったそうだ。
 元が金庫室だから外から扉を開けるのは難しい。たった一つしかないカギがなければ開かない仕掛けさ。そしてカギはヘンタイ親父が肌身離さず持っていた。

 娘は瞳を輝かせてマイクロフトの話しを聞いている。
 マイクロフトは事件の真相を要約した。

 閉じられた部屋の中で事件は起きた。ろくでなしの養子はゴーツク張りのヘンタイ親父の頭を部屋の中にあった鈍器で殴りつけたのさ。
 部屋は内側からなら割と簡単に開けられる。そして、養子は部屋から出てきたところを逮捕された。
 通風孔を通じて、激しい言い争いがあり、暴力沙汰が起きてると外からでも分かったので、俺が呼ばれていたというわけだ。現場に到着するのが間に合ったから、現行犯逮捕だったぜ。
 それからが、気の滅入る調書の作成だ。
 ゴーツク張りのヘンタイ親父は、事実を一つ言うまでに二十の愚痴をしゃべりたてやがる。養子は完全にイッテやがって言う事が支離滅裂だ。調書だから要約は許されねえ。
 あ~あ、本当に疲れたぜ。

 唖然としながら聞いていた娘が口を開いた。
「ちょっと待って! 密室から忽然と消え失せた謎の犯人はどうなったの。密室殺人事件のロマンはどこに消えちゃったのよ」
 マイクロフト刑事は財布を取り出しながら言った。
「勝手に人を殺すなよ。被害者は気絶したけど死んじゃいないぜ。現実の事件には、謎も劇的な展開もありゃしない。そう言っただろう。密室で起こる本物の事件なんてこんなものさ」
 娘は、去ってゆくマイクロフト刑事の背中を呆然と見送った。
 やがて娘は気を取り直し、建物の外にでると、扉に掛かっているプレートを「CLOSED(閉店)」に変えた。
「あ~あ、なにか刺激的な事件が現実に起こらないかな」
 シャーロットは、そうつぶやいた。

 あたりが冷え込んだような気がした。それまでは穏やかだった夜の闇が、急に周囲から迫ってくるように感じられる。
 娘は背後に人の気配を感じてふり返った。そして、そこにたたずむ人影と目があった。
 娘は、しまった、と思った。
 背後に迫っていた若い男は、完全に「イッテ」しまっていた。
 いかにも軽薄そうな声で男が言った。
「お前があのデカのスケか……」
 男は、しばらくの間、血走った眼でシャーロットを見つめていた。そして言った。
「驚いたな。胴と膝から下の長さが同じかよ。こんなプロポーションの女が本当にいるとはな」
 シャーロットは思った。
「ほっといてよ。背の高い靴を履かないとあの人の身長と釣り合わないから、しかたないのよ!」
 男は言った。
「あどけない顔してるくせに、出るとこはしっかり出てやがる。こんなスケがあのデカの好みか。ゲッヘッヘッヘッ」
 男は笑いながら、フラリ、フラリと近づくと、娘の肩に腕を回して言った。
「さあて、オレとあのデカと、どちらが良いかたっぷりと味わってもらおうか。そんなに細い胴じゃあ、オレのナニで裂けちゃうかもしれねえけどな。ウケケケケッ」
 娘は、男のギラつく瞳に浮かんだ狂気の色に気づいていた。不快な電流を流されたように凄まじく鳥肌がたっている。
「こいつは私を殺す気だわ。それは嫌。絶対に嫌!」
 娘は思った。
「この店はあの人との思い出の詰まった大切な場所。ここで殺されるのは嫌よ!」
 シャーロットは無理に笑顔を作って、若い男に語りかけた。
「どこに連れて行ってくださるおつもり?」
 男は目を丸くして言った。
「こりゃ驚いた。てめえはビッチかよ。そうか、それなら、オレの家までついてきな!」
 娘は扉にカギをかけ、「CLOSED(閉店)」と書かれたプレートを傾けた。そして、自分が殺される場所へと向かって歩き始めた。

 夜の短いこの季節だから、すでに東の空には赤い光の筋が横たわっている。しかし、まだ街を歩く人はいない。
 若い男は、サイモンと名乗った。自分は養子で、大金持ちの実業家の息子だと自慢した。歩きながら、自分なら上流社会に君をデビューさせられる、モデルや女優にすることもできる、贅沢なこともやり放題だと、空疎な夢を垂れ流した。
 ゴールデン・ゲート・ブリッジに背を向けてしばらく歩くと、灰色の建物が闇の中から浮かび上がってきた。
 シャーロットは思った。
「ここはノブ・ヒルのあたり、……少し手前かしら」

 明かりを点けても建物の中は薄暗かった。地下に降り、鉄格子でしきられたガランとした部屋を抜けた。その奥に、巨大な鋼鉄の扉があった。
 扉の中に娘は飲みこまれていった。
 そして、外から開けられることを拒絶するかのように、重々しく鋼鉄の扉が閉じられた。

「マイクロフトのヤツ、私を子ども扱いしてたのね」
 シャーロットは、つぶやいた。
 金庫室の側面の壁には、クサリにつながった鉄の手枷と足枷がついていた。クサリはジャッキにつながっており、手枷を天井につりあげ、足枷を左右に引き離せるようになっていた。
 床には頭と手首を固定して動けなくする穴の開いた分厚い板が置かれていた。ギロチンの処刑台から外したようだった。
 部屋のテーブルには、痛そうなトゲのついた棍棒や、鋭い針の生えた鞭、黒い革でできた猿轡と目隠し、ネジをまわして指をつぶす道具、爪を剥がすのに使う禍々しい形のペンチなどが並んでいた。
 入り口の近くにある棚には、頭と顔をおおう兜や、胸当て、胴当て、金属の腰巻などがならんでいた。どれも内側には無数の鋭い突起が生えている。
 壁にも床にも、古い血糊のような黒っぽいシミがこびりついていた。

 シャーロットは思った。
 たしか、通風孔から外に声が聞こえてたのよね。ここでしゃべることは、外に聞こえる。なら、無駄かもしれないけど、やってみよう。
 すぐには殺されたりしないわよ!

 シャーロットは若い男に語りかけた。
「この道具は、あなたのご趣味なの?」
 演技をしなくとも、心細そうに声が震えていた。
 サイモンは、残虐な笑みを浮かべて言った。
「いや、違う。義父の趣味だ。趣味に走りすぎて病院に入っちまったがな」
「そうなの、良かった、と言っていいのかしら」
 サイモンは甲高い声で笑った。
「自業自得さ。」
 サイモンは身を震わせ、体を折って笑った。
「オレって、”自業自得”なんて難しい言葉を知ってるのだぜ、すげーだろう。教養があるだろう。感心するだろ」
 サイモンは露骨に自慢げな態度で語った。
 シャーロットは、生き残るための戦いを開始した。
 笑い転げるサイモンではなく、通風孔に語りかける。

「たいしたコレクションね。
 すごくお金が掛かったのでしょ?
 けっこう、
 手間も掛かったのじゃないの?」

 サイモンは、真顔になった。吐き捨てるように言う。
「ああ、義父の野郎はこのろくでもない趣味に、とんでもない金をつぎ込んでやがった」
 シャーロットは、思った。まずい、ご機嫌をとらないと。
 シャーロットは、サイモンの腕に傷跡があることに気が付いた。
 サイモンに語りかける。
「体が傷だらけじゃないの! ああ、分かっちゃったわ」
 シャーロットは、サイモンを上目がちに見つめて言った。

「大戦で大活躍したのね。
 すごいわ。
 決定的な
 てがらをあげたのでしょう?」

 男は、苦笑を浮かべた。
「おめえは何も分かっちゃいない。オレが義父に何をされてきたか、分かっちゃいないな」
 それから、冷酷な笑顔を見せる。
「そうだ。オレが毎日受けていた”教育”を教えてやるぜ。愚かな女にふさわしい”教養”が身に着くぞ」
 拷問する気が見え見えだった。

 シャーロットは、サイモンに言った。
「あなたって意外と筋肉質、着やせするタイプね」
 サイモンの顔がだらしなく緩んだ。
 シャーロットは、通風孔に語りかける。

「たまには
 スーツを抜いで
 けしきを楽しむのもいいわよ。
 てんきが良ければだけどね」

 シャーロットは、語り続ける。

「タコスを食べて
 スポーツで汗を流すのも
 健康的だし、女の子に
 てきめんにモテるわよ」

「タフガイで
 スマート。きっと女の子は
 けっしてあなたを
 てばなさないわ」

 子供が走り去る足音が通風孔から聞えた。

 サイモンが言った。
「嬉しい事を言ってくれるねえ。さあて、そろそろお楽しみの時間だぜ」
 サイモンは壁に付いたハンドルを回した。
 かすかに聞こえていた汽笛の音が突然に途絶えた。外部の音が消えて、静寂が部屋を支配した。
「オレの時には声が漏れないのに、変だと思ったんだよ。こんな仕掛けがあったとはな。あのクソ親父は、用心だけはしっかりしてやがるからな」
 サイモンは向き直って、シャーロットの顔を覗き込んだ。サイモンの顔に、ひどく意地の悪い表情が浮かぶ。
「まだ、笑顔でいてくれるのかい、マイ・スゥイート!」
 サイモンは、猛獣のような笑みを浮かべた。目が血走って、鼻息が荒い。
「本当に天使のように無垢で疑うことを知らねえのだな。うれしいぜ、メチャクチャうれしいぜ。メチャクチャにしてやるぜ。メチャクチャになァ。ウキャキャキャキャ!」
 邪悪な表情が、蝶の羽をちぎり取って遊ぶ子供のような笑みにかわる。
「それじゃ、蜜のようにあま~い時を過ごそうか。本当のお楽しみは、その後だぜ、ベィビィー!」
 たぶん、苦しみと痛みを、永く永く与え続ける。それがこのヘンタイの望みだろう。
 ならば、このクソ野郎がお楽しみへの期待で震える時間を、永く永く引き伸ばしてやろうじゃないの。
 それだけ私が生き延びれる可能性が増えるから。

 シャーロットは、サイモンのシャツに手を掛けた。ボタンを外す。傷だらけの胸が姿を現わした。
 シャーロットは、サイモンの胸を拳で叩いた。
「この、タフガイ! きっとナニも立派なんでしょう。拝ませていただけないかしら?」
 サイモンは、ぐしゃぐしゃに崩れた笑みを浮かべた。
 ベルトを外す。ジッパーを下す。ズボンを脱ぐ。パンツも脱いだ。
 サイモンはだらしない笑みを浮かべてシャーロットに近づいてくる。肩に腕をまわし、顎を挙げさせる。
「こんどは、おまえの番だぜ」
 サイモンの呼吸は荒かった。
「さっさとしやがれ、このビッチ!」
 サイモンはシャーロットのシャツを音を立てて引き裂いた。
 シャーロットはつぶやいた。
「助けて、マイクロフト……」

 突然、轟音が部屋にあふれた。反響してどこから聞こえてくるか分からない。
 壁の漆喰が剥れ落ち、赤いレンガの壁がむき出しになった。金属のドリルが何本も壁から突きだしてくる。壁に開いた穴はさらに増えた。凄まじい衝撃音がして、壁が崩れ落ちた。
「警察の者だ。誘拐、監禁および強姦の現行犯で逮捕する」
 壁にあいた穴から進み出て警察手帳を突き付けているのは、マイクロフト刑事だった。
 東洋系の顔立ちをした子供が穴から顔をだして手を振り、すぐにひっこんだ。
 シャーロットは叫んだ。
「強姦は未遂よ!」
 サイモンは叫んだ。
「強姦なんかしてねえ、拷問しようとしてただけだ!」
 マイクロフトはサイモンにむかって命じた。
「まず、その粗末なモノを、さっさとパンツの中にしまいたまえ」
 それから、マイクロフトは仲間の刑事に向かって言った。
「今の言葉を聞いたな? 俺は被害者と面識がある。だから捜査に加われない。頼むぞ、ダニエル!」
 サイモンは蒼白になった。
「ゲ、ゲシュタポのダニエル・キルシュナーだと?」
 ごつい顔の刑事はブルドッグを思わせる壮絶な笑みを浮かべて、若い男に向き直った。低い声で告げる。
「ほほう、俺を前にしてその名を口にするか。根性のあるやつは大好きだ。じっくりと付き合ってもらうぜ」
 マイクロフト警部はサイモンを連行しながら、シャーロットのそばを通った。軽く肩をたたく。
「無事でよかったよ、シャーロット。また遊びにゆくぜ」
 シャーロットは、かろうじて言葉をしぼりだした。
「あ、ありがとう……」
 
 事件が解決して一週間ほどがたった。

 シャーロットは、マイクロフトを迎えるために、フォア・ローゼズというバーボンを用意していた。黒いラベルに真紅のバラが浮かび上がっている。果実の香りと、しっかりした深みのあるバーボンだった。
 髪を結いあげたシャーロットは、濃紺のイブニングドレスをまとっていた。その胸には、小さなバラの花飾り、真紅のコサージュがあしらわれている。
 すべてがシャーロットの白い肌を際立たせていた。

 シャーロットは、サラ・マクガバン先生の教えと、忠告の言葉を思い返していた。

 亭主が殉職したからマクガバン家にはお金がなかった。
 だから材料はフィッシャーマンズ・ワーフで手に入る安い魚介類をたっぷり。香辛料を、ブイヤベースと呼べる最低限にするの。
 美味しくしようと余計な何かを加えたら、マクガバン家のブイヤベースでなくなるわよ。
 それから、アイツが言い寄ってきたら、ほんの少しだけ距離をとるのよ。去ろうとする素振りを見せたら、たぶん食いつくから。
 でも、知ってるだけじゃだめ。ちゃんと正しく態度に示せなければ意味がない。さあ、特訓よ。まず、座った姿勢から。
 もう少しうつむき加減にして、顔の向きはもう少しこちらよ。そうそう。ずいぶん大人びて見えるわ。
 相手から離れた側の腕で胸を締めるの。そうすると胸の形が引き立つから。そう、そのくらいの強さで。

 シャーロットは思った。今ならモデルの仕事や、女優だって、できそうな自信がある。
 今なら、まだ……

 騒々しい足音が聞こえ、乱暴にドアが引き開けられる。
 シャーロットは心の中でつぶやいた。
「しっかりしなさい、シャーロット。さあ、恋の駆け引きの始まりよ!」
 シャーロットは、「立って相手を迎える姿勢」をとった。

 マイクロフトはバーに入るなり、大声で言った。
「学生さんの身分でも、ちゃんとお礼をしたいのか。感心だなあ、シャーロット」
 シャーロットは、静かなよく透る声で言った。
「若く見られるのは嬉しいけど、若すぎては嬉しくないわね」
 マイクロフトは、シャーロットを見て、しばらく言葉を失った。かろうじて言葉をしぼりだす。
「驚いたな。ずいぶんと化けたな」
 シャーロットは、言った。
「女の子の成長は早いわ。昨日までの子供が、もう恋する用意のできた娘になってる。みんな、そんなものよ」
 
 カウンターのテーブルには、カリフォルニア・ワイン。
 用意されたチーズの盛り合わせは、ハートの形のヌーシャテル、深いコクのクロミエ、ミモレットとアッペンツェラー、そしてシャーロット・オリジナルの黒胡椒をたっぷりまぶした「チーズ・カルボナーラ」だった。

 シャーロットは、優雅にマイクロフトをカウンター・テーブルに案内した。
 マイクロフトは、よれよれのコートを壁のフックにかけ、カウンターのスツールにどっかりと腰をおろした。
 心からの安堵の口調で言う。
「本当に無事でよかったぜ、シャーロット」
 シャーロットは右手の甲を頬にあて、さりげなく左腕で胸のふくらみを強調した。微笑んで告げる。
「本当に、あの子たちのおかげだわ」
 マイクロフトが言った。
「まず、新聞配達のガキがシャーロットがいなくなってると警察署に言いに来た。取り合わなかったら、すぐ別のガキが来て、女の人が、たすけて、たすけて、と言ってると言いやがる。聞けば、事件のあった建物じゃねえか」
「困った事があったり、助けがいるときは、プレートを斜めにしておく。あの子たちとの約束だったの」
 シャーロットの言葉を、マイクロフトはさえぎって言った。
「あのガキどもは、よく暗号に気付いたな」
「前にあの暗号で遊んだことがあったの。でも本当に助かったわ」
 マイクロフトは頭を掻きながら言った。
「たすけて、たすけてと叫んでると聞いたから、てっきりもう姦られてると思ったぜ」
 シャーロットは口をとがらせて言った。
「勝手に人をレイプ被害者にしないでよ!」
 それからシャーロットはうれしそうに告げた。
「でも、本当に素早く助けに来てくれたわね」
 マイクロフトはニンマリと笑った。
「あの部屋に突入する準備は、前にしたことがあったからな」
 シャーロットは心からの感謝の笑みを浮かべた。
 それから、すこし不安そうに語りかける。
「あの犯人はすっかりイッテしまってたようだけど、またやって来ないかしら」
 マイクロフトは太鼓判を押した。
「まず大丈夫だ。ダニエルが担当した事件の犯人が再び犯罪に手を染めたなんて、聞いたことがないからな」
 シャーロットは感謝の笑みを浮かべて言った。
「とりあえずワインで口を湿らせておいてね。すぐに用意するから」
 途中で振り返り、胸の形と腰のラインがいちばん美しく見える角度をとって告げる。
「プレートをCLOSEDにしておいたから、この部屋には誰も入ってこない。中の様子は誰にも分からないわよ」
 マイクロフトは、ほほ笑んで言った。
「つまり、密室ってことか。怖くないのか、シャーロット」
 シャーロットも、微笑んだ。
「怖くないわよ、頼りになる人がいてくれるから」

 シャーロットが並べる料理をながめて、マイクロフトが言った。
「ブイヤベースか。俺の好みはうるさいぜ。まず満足することがない。たぶん別の料理にした方がいいだろう」
 シャーロットは指を組んで顎をささえ、微笑んで告げた。
 顔の輪郭が、とても大人びて見える。
「あなたの気に入るブイヤベースを必ず作ってみせる。好みでなかったら、そう言ってね」
 マイクロフトは、シャーロットの顔を見ながら、スプーンを口に運んだ。
 マイクロフトの顔から揶揄するような表情が消えた。続けざまにスプーンを口に運ぶ。ブイヤベースの器はたちまち空になった。
 マイクロフトは、しばらくシャーロットを見つめていた。
 シャーロットは、右腕をカウンターにのせて首をかしげた。
 マイクロフトの唇が引き締まる。マイクロフトは、シャーロットに告げた。
「俺と、け、けっこ……、」
 マイクロフトは、言葉を飲みこんだ。
 ふたたび口を開く。
「姓を、マクガバンに、変える気は、ないか?」
 声がかすれていた。
 シャーロットは背をのばし、少しだけマイクロフトとの距離をあけた。それから首をかしげて、上目がちにマイクロフトを見つめた。
 そして、シャーロットはやわらかな声で告げた。
「そうね、キスしてくれたら、答えを教えてあげてもいいわよ?」
 マイクロフトは慎重にシャーロットに近づくと、ぎこちなく唇を重ねた。
 シャーロットはマイクロフトに激しく抱きつくと、強く、強く、口づけを返した。

          CLOSED:ハニームーンのため
                 しばらく閉店します
朱鷺(とき)

2018年01月02日 16時09分11秒 公開
■この作品の著作権は 朱鷺(とき) さんにあります。無断転載は禁止です。

■作者からのメッセージ
◆キャッチコピー:「閉じられた部屋」という言葉を聞いて、シャーロットの瞳が妖しく輝いた。
◆作者コメント:密室とは、① しめきってあって、出はいりのできない部屋。また、中の様子のわからない部屋。② 秘密の部屋。
 の事だと辞書に書いてあった。
 今回の企画では、密室の定義を厳格に守ることが求められてる。参加する以上、ルールには従う。でも、俺には難しかった。
 この作品は、逃げてる。そう言われても仕方ないな。
 どうしたら良かったか、思いついた事があれば教えてくれると有難い。
 よろしく頼む。
 この口調かい? もちろん作者が誰かバレないためのカムフラージュさ。だから詮索は無しだぜ。
 あと、面の皮が厚くて察しが悪いから、感想は単刀直入にしてくれ。「歯に衣を着せない」ほうが助かる。無理して悪口雑言罵詈讒謗にする必要はないけどな。
 感想まってるぜ。

2018年01月27日 23時22分43秒
Re: 2018年02月12日 17時38分23秒
2018年01月20日 23時53分27秒
+20点
Re: 2018年01月25日 23時20分15秒
2018年01月18日 23時14分16秒
+10点
Re: 2018年01月25日 23時19分45秒
2018年01月16日 19時28分23秒
+20点
Re: 2018年01月25日 23時19分05秒
2018年01月11日 23時45分02秒
+10点
Re: 2018年01月25日 23時18分31秒
2018年01月11日 23時04分53秒
+10点
Re: 2018年01月25日 23時17分43秒
2018年01月10日 20時43分00秒
0点
Re: 2018年01月25日 23時17分09秒
2018年01月07日 20時09分15秒
0点
Re: 2018年01月25日 23時16分27秒
2018年01月06日 16時03分25秒
+20点
Re: 2018年01月25日 23時15分30秒
2018年01月05日 11時22分56秒
-10点
Re: 2018年01月25日 23時15分02秒
2018年01月04日 20時52分11秒
+10点
Re: 2018年01月25日 23時14分31秒
合計 11人 90点

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