箱の中 |
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暗い中で微かな光の明滅を目が捉えた。 無意識に手を伸ばし、それを掴む。伸一のスマホだった。 手に馴染んだ形を握りしめながら、次第に意識がハッキリしてきた。 「ここは……どこだ?」 辺りは真っ暗で、伸一は仰向けに寝ていた。手を伸ばそうとして意外なほど近くに壁があることに気付く。前方は30センチ、左右は20センチ、頭上(この場合縦方向)と足下を合わせて30センチほど、自分の身長は170センチなので、縦2m、横1.2m、高さ70センチほどの空間にいることになる。 この形、暗さ、カビ臭い湿った匂い。 「まさか……」 ――――棺の中? 伸一は一気に体内の温度が下がるような気がしていた。 死んでいない自分が棺に入る状況とはなんだ? そんなものありえない。あっていいはずがない。 出してくれ。冗談だと言ってくれ。ここから、今すぐに。 「う、うわあああああああああ!!」 滅茶苦茶に暴れて体中を周りの壁という壁に打ち付けた。 「出せ! 俺をここから出せええ!! うおおおおおあああああ!!」 どの位そうしていたのか。いつの間にか伸一は身動きをやめ、荒い自分の息を聞きながら、身に迫る焦燥と絶望に満たされていた。なにも考えることはできなかった。実際、そのままでいたなら早晩伸一の心は壊れてしまっていたことだろう。 しかし、そうはならなかった。 ピン、コーン。 聞き慣れた着信音が伸一の耳に届いた。 「あ……携帯?」 そうだ。スマホだ。携帯だ。これがあれば、外部と連絡が取れれば――助かる。 助かる。それは一縷の望みだった。 「どこだ! どこいった!」 暴れ回ったせいでどこかへ言っていたスマホを探して、辺りを手探りする。 と、左脇のすぐ横に手応えを見つけた。すぐにディスプレイをつける。 「う……」 思いがけず明るい光に目が痛んだ。 SNSのメッセージが入っていた。しかしまずは時刻を確認する。 2018年1月2日15時34分。 記憶を辿る。伸一は2日の午前11時頃、近所にある従姉妹の家に年始参りに行くため、自宅を出た。それから4時間ほど。思ったより時間が経っていないことに安堵した。と、同時に自分はどの位の時間をこの棺の中に居たのだろうかと考える。 この空間の中の空気は、あとどの位自分を生かしてくれる? 背筋に氷が流れ落ちたような感覚があり、ぶるっと身震いした。 専門家でもない伸一にはそれは分かりようもないことだった。努めて考えないようにして外部との連絡をつけるとする。 「くそ、なんだよこれ。どうして……俺のスマホなのに」 ナンバーロックが外れない。誰かに、後から、変えられていた。 なんとかロックを外そうといろいろ試したが、ダメだった。 出来るのは時刻を確認すること、あとは辺りを照らすライト代わりくらいにしかならない。例に周りを見てみると、意外なことが分かった。ここは棺ではなかった。と言うのも棺にしては作りが粗末なのだ。板張りの内壁は所どころ歪んでいるし足下の一郭には錆びた釘が飛び出している。全体的に粗末な作り。やはり伸一は、誰かにこのような状況に放り込まれたのだ。 「ほんとに急死して、埋葬されたんじゃなくてよかった」 とは言うものの、状況はよくなったわけではない。 これからどうしたらいい、伸一が思案に暮れていると。 ブブブ……ブブブ…… スマホのバイブレーション機能が振動をはじめた。 咄嗟にスマホを起動し、画面を確認する。 「非通知」 電話だった。他から掛かってきた場合なら、ロック中での操作もできる。 震える指で、通話ボタンを押す。 「もしもし」 伸一は思い出していた。 今朝、家を出るときに母に持たされたおせち料理の詰め合わせ。それを持って従姉妹の理子を尋ねたこと。そこで、同い年の彼女は「あけましておめでとう。今年もヨロシクね」といいつつ顔色が悪かった。 理子には付き合っている年上の彼氏がいた。 伸一は一度だけ会ったことがあるが、粗暴な感じの言動が目立つ嫌なヤツだった。ふんわりした雰囲気の気弱な理子とどうして付き合っているのかと不思議に思ったものだ。 その後、理子の家を出てから少し歩いたところの神社に行ってみると、友人の難波敏也とその妹の都と会った。二人ともやはり伸一の近所に住んでおり、4人で幼い頃から遊んだ仲だった。その縁もあってか、都とは付き合っている。 「やっほー伸ちゃん、あけおめ!」 「よう、伸一。今年も宜しくな!」 二人は屈託のない笑顔で伸一と新年のあいさつを交わした。 そこで家のこととか学校のこと、三学期の部活の話などをして、その場で別れた。ちなみに伸一と敏也は同じサッカー部。都は文芸部である。 愛すべき親類、友人達である。 だが今、伸一はその全てを疑っていた。 「もしもし」 その声は加工した男とも女ともつかない嗄れ声で言った。 「やあ伸一くん。気分はどうだい? そろそろ人生に別れを告げることはできたかな」 声は言った。 伸一に襲いかかるこの不条理な状況は全て、彼の招いたことなのだという。彼は自業自得で、今から地面の中で死のうとしているのだという。 「今から君に少しだけ考える時間をあげるよ。君の過去の過ちを全て思い返してたまえ。そうして心の底から反省したなら、私は君にその箱から出る方法を教えてあげよう」 一方的に告げて、声は途切れた。 誰だ。誰が伸一を埋めた? 従姉妹の理子か。彼女は以前、伸一に告白したことがある。しかし従姉妹として幼い頃から兄弟同然に育ってきた伸一には、理子を大切に思いこそすれ、恋愛の対象として見ることはできなかった。 理子の彼氏は、初対面で伸一を理子をナンパしようとしていると勘違いして、殴りかかってきた男だった。粗暴で、短気で、理子が惚れるくらいだからどこか良いところもあるのだろうが、伸一には見えてこない。 敏也は親友だ。幼い頃から二人とも気があって、ゲームや遊びやスポーツなど、なにかと張り合ってきた。勝ったり負けたりが二人の常だったが、近頃サッカー部で伸一だけがレギュラーに選ばれてから、すこし関係がギクシャクしていた。 都はかわいい妹のような子である。伸一にとって彼女は理子ほど近くなく、また他人と言うほど遠くもない。ちょうどよい居心地のよい距離感が二人の間にはあって、それが恋かと、伸一は思っている。 伸一は彼らのことをもう一度考えた。 考えてそして、考えるのをやめた。 「なにが自業自得だ。なにが反省をしろだ。俺がなにをした、俺が憎いなら直接俺に言えばいい。理子も敏也も都も、俺の大事な人たちだ……」 人を疑わせることが目的のような電話の主の思い通りになど、動いてやるものか。 伸一は必死で自分を落ち着け、努めて冷静に、箱から抜ける方法だけを考えた。 と、伸一の耳に音が聞こえた。 伸一の耳に音が聞こえた。 足音、下生えの雑草を掻き分ける音。小枝を踏み砕く音。 やがてそれは伸一のすぐ近くまで来て止まり、少しして地面を掘る音に変わった。 「なんでだ。どうしてだ伸一。どうして電話にでない。もう死んだのか。まさか、酸素は十分に持つはず」 ざくざくと音が続き、やがてゴツリと音が変わった。 箱の蓋は釘で打ち付けられていた。 それを隙間にやっとこをさし込んでこじ開ける。 「伸一!」 箱はもぬけの殻だった。 「お前だったのか」 伸一は一部始終を近くの草陰から見ていた。 伸一の耳に届いたのは、鳥の鳴き声だった。山鳩かなにかの。 それまで抱いてきた漠然とした疑問が確信に変わった瞬間であった。 伸一を埋めた犯人は、どれほど深く彼を埋めたのか。時間的、場所的制限を考えるとそこまで深くはないのではないか。そして聞こえた鳥の声。地面の下と言っても、それほどの深さはないと考えた。 だが、上蓋は固くふさがっており、また破ったとしても土が被さり窒息する可能性が高い。そこで伸一は足下のサビ釘を抜いて横の板を破り、そこから斜め方向へ地面を掘ったのである。 案の定、地上はすぐそこだった。 そして彼は待った。犯人が現れるまで。電話での要求や埋め方から、彼を本気で殺すつもりはないことがわかったからだった。 「お前だったのか、敏也……」 「伸一」 敏也はうな垂れ、力無くシャベルを取り落とした。 「どうしてお前が、まさか、サッカー部でのことか? レギュラーになれなかったから?」 「……そんなつまんねーことなわけ、あるかよ」 「じゃあ、どうして」 「やっぱりお前は、気が付いてなかったんだな」 敏也は伸一の従姉妹である理子のことが、好きだったのだ。 しかし、理子が伸一を好いていることにも気付いていた。親友である伸一ならばと身を引こうとした矢先、伸一は理子を振ってしまった。 「あの時、俺は理子を可哀想だと思った。同時に、これで俺の順番だと思ったんだよ。思って、サイテーだと自分を嫌になった」 理子はフラれたショックから自暴自棄になり、今の彼氏と付き合い出した。 敏也は何とか理子の目を覚まさせようと色々話したり向こうの彼氏と喧嘩までしたらしい。でもその内に、敏也は思った。 「俺や理子がこんなに苦しんでるのはなぜかって。ただの八つ当たりなのは重々承知してたんだ。でもな伸一、俺はどうしてもお前のことが……許せなかったんだ」 地面に膝をついて悔し泣きをする敏也を伸一はただ見ているしかなかった。 彼の傷ついた手の中には、錆びた釘しかなかった。 了 |
とおせんぼ係 2018年01月02日 15時33分55秒 公開 ■この作品の著作権は とおせんぼ係 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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