酸素の方程式 |
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宇宙貨物船の操舵室に置かれた簡易医療ベッドの上で褐色の肌の少女が眠っていた。 無精髭を生やした中年男のジョゼが少女の左目に彫られた奴隷印の刺青に触った。 「この印、親に売られたってわけだ……」 「恐らくな……」 ジョゼの傍らに立っていたギルはズボンのなかから煙草を取り出すと吸い始めた。二人の出航したコロニー1は成金が集まる場所として有名だった。少女がおぞましい陵辱を受け、そこから逃げ出したことは容易に想像できた。嫌な沈黙の後、ジョゼが口を開いた。 「やっぱり船の外に捨てるのか?」 「密航がなぜ禁止か知ってるだろ。宇宙空間でもっとも大切なものは酸素だからだ」 そう言うとギルは胸ポケットから赤いパッケージに包まれた一錠の薬を取り出した。 「お前はこれでも飲んで眠ってな」 ジョゼは薬を受け取ると言葉を詰まらせた。この薬は宇宙船が酸素不足に陥った時、船員が苦しまないために使う永眠剤だった。 「びびることはない。一錠全部飲めばあの世行きだが三分の一なら極上の睡眠薬になる」 それはジョゼの眠っている間にギルが厄介な仕事を全て引き受けるという事だった。 「……お前、子供は?」 「……お互い昔話はよそうや」 ジョゼに対するギルの答えだった。 「ギル、この子を助けてくれないか?」 「無理だな。目的地のカジノシティまではゆうに五日は掛かる。このオンボロ船にはジャスト二人、五日分の酸素しか積まれていない」 「だったら積荷を降ろせばいい。その分、船の負担が減るからスピードは上がるはずだ」 「ヤクを全部、捨てろっていうのか。この船はマフィア王ハワードの物なんだぜ。そんなことしたら俺たちが消されちまう」 ジョゼもギルもギャンブルで作った借金で首が回らくなり、ケチな運び屋に落ちぶれた者同士だった。 「せめてコロニー1に一度、戻れないか?」 「あそこにこの子の幸せはない」 ギルは少女の腕に残った焼きゴテの痕に触れた。コロニー1に戻っても少女の引き取り人は元の金満野郎だということは想像できた。 どうしようもなかった。だがジョゼは閃く。 「そうだ。コンテナ室の酸素を操舵室に回せばいい。この子も生きていたんだ。宇宙船は密閉性が高いから荷物の積み下ろしの時に入った酸素が残っているはずだ」 「で、コンテナ室の酸素はどれだけもつんだ」 ギルに睨まれジョゼは操舵室のメインコンピューターのマニュアルを起動させた。 「約二十時間……」 「この子の発見までにいくらかかった」 「コロニー1を出てから約十時間だ……」 「この子を助けるためには百二十時間分の酸素が必要だ。お前のやり方じゃ全然足りない」 密閉された宇宙船のなかで余分な酸素を見つけ出すことは不可能だった。言葉を失うジョゼにギルが笑えない冗談を飛ばした。 「なんだったらお前が代わりに死んでみるか」 「それはできない。俺には娘がいるんだ……」 ジョゼの尻すぼみの会話がギルの琴線にふれた。ギルもまた泣かせた女のなかに娘が含まれていた。ギルは少女を見下ろした。歳は十二、三歳程だろうか。そして吐き捨てる。 「ガキを引き取りゃ半年はタダ働きになるぜ」 「助かりゃ俺が面倒見るよ」 「……ち、エンジンを切りな」 「皆で死ぬってことか?」 「ここは真空の宇宙だ。エンジンを止めても物体は前に進み続ける」 「それでどうする?」 「酸素放出装置を低酸素モードに切り替えろ」 「そうか低酸素モードなら通常より格段に酸素が長くもつ。でも……」 「まだ圧倒的に酸素の量が足りねぇよな」 ギルはジョゼの手から永眠剤を奪うと、指に挟んで砕いて見せた。 「飲みな酸素が薄くなると偏頭痛が起こるぜ」 「俺たちは助かるのか?」 「この船はエンジンを切って低酸素モードにすると救難信号を出す作りになっているんだ」 「でもここからじゃコロニー1の救難艇が先に動くんじゃないのか?」 「救難信号の識別番号がハワードの船だ。積荷の処理を考えりゃ奴らは動けない」 「ということは確実にカジノシティの救難艇が俺たちを助けに来てくれるわけだ」 「あぁ。その分だけ飛ぶ距離も短くなる。だが難点が一つだけある」 「なにさ」 「俺たちは止まらない船の中で眠ったまま四日以上を過ごすことになる。その間に隕石にでもぶつかったら全員この世とおさらばだ」 ジョゼはギルに永眠剤の欠片を渡され不安気な顔を見せた。 「この薬の名前、なんだったっけ?」 「ヘブン、いい夢を見ようぜ」 |
彩太 2017年12月31日 01時10分41秒 公開 ■この作品の著作権は 彩太 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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