門を開けよう、籠の中の鳥のために |
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「――――我こそはと思う者は前へ出よ!」 良く通る声が路上に響く。その場に集まっていた人々が自然と視線を向け、通り過ぎようとしていた人たちも足を止めた。 声の主はミアイル・コーネリウス。町一番の資産家であり、端から端が見えないほどの敷地と大屋敷が、彼を有名たらしめる『二番目の』理由である。 一年ほど前から門を新しくしており、今日はそのお披露目の日でもあった。 「この門はドワーフの技術を用いて作られた、強化鋼鉄の門である! 強度・重量共に既存の門とは比べ物にならず、今後百年に生まれる技術では到底砕くことはできないであろう、世界最高の門である!」 感嘆、よりもやや気の抜けたため息が観衆から漏れる。確かにデカい、そして重そうというのは、見れば何より明らかだった。 高さは三階建ての建物程、横も同程度の長さがあり、ドワーフの技術によってより強固・重量化した強化鋼鉄は闇色で、見ているだけでずっしりとした重みを感じさせる。おそらく厚さも相当なものだろう。ただ、門に掘られた悪趣味な紋様の意味もわからず、この街には分不相応な代物に、金持ちの道楽にしか思えないことが人々の関心の薄さの主たる原因だった。 そんなことは百も承知とばかりに、ミアイルはニヤリと口元を歪ませる。 「さてこの門、いかに我輩が富が莫大といえど、賊を退けるために備えたとしては不釣り合いに過ぎるというもの。我輩がこの門を作らせたのは、我が娘にふさわしい男を探すためである!」 ミアイルがさっと手を挙げると、一人の少女が彼の傍らに立ち、深くかぶっていたフードを下ろした。 途端、言葉に言い表し難いほど深い感嘆が、周囲を包み込んだ。 ひょっとすると、本当に魂を吸い取られた人がいるかもしれない。そう思ってしまうほどに、その少女は美しかった。 長く艶やかな黒髪を背中まで流し、美しい花をそのまま具現化したのでなければ説明がつかないほどに整った目鼻立ち。かつて彼女を見た吟遊詩人が『女神が裸足で逃げ出す美しさ』という評価したというが、それは決して誇張ではないことをまざまざと見せつけていた。 また、彼女は魔術においての優れた才を有しており、それが彼女をより神秘的に魅せているとも言われている。 『イヴァリースに咲く七輪の花の一人』 誰が決めたかは定かではないが、いつしか彼女はそのように呼ばれていた。 ミアイル・コーネリウスを有名たらしめる最大の理由が、彼女の存在である。 「我輩の一人娘、ミント・コーネリウスの婿には、若く屈強な青年を迎えたい! 最も早くこの門を開けた者に、その座を渡そうではないか!」 俄かに観衆が色めきだつ。これほどの美少女と莫大な資産を、たった一度門を開けることで手に入れられる。こんなおいしい話はない。 「さあ我こそはと思う男たちよ、この門に挑むが良い! この門を開けし者には、我が財産と何より大切な娘の婿の座を授けよう!」 * * * 肩、肘、腰、足。関節をぐっと伸ばし、丹田に力を込める。 全身に行き渡らせた力を一度抜き、リラックスさせた体をぷらぷらと揺らす。 大きく深呼吸を一つ。よしと心の中で唱えると、呆れたような声が後頭部を叩いた。 「ハルトさ、ま~だ諦めてないの? 無理だよ無理。その門は人間の力じゃ開きませ~ん」 「やってみなきゃわからないだろ」 「散々やってダメだったじゃん」 「今日はまだ試してない。今日こそできるかもしれない」 いや、できる。薄い根拠を強固な自信に変えて、よしと一歩を踏み出した俺の後ろで、ノエルがはあとまたため息をついた。 尖った耳とエメラルド色の瞳。人里では滅多に見かけないエルフの外見は、エルフ族特有の美しさと相まって人目につく。ただ、口をへの字に曲げ、むすーっとした彼女からは美少女の雰囲気を感じない。 「応援する気がないなら黙って見てろ。今日は何だか行ける気がする」 「はいはい、頑張ってね」 ひらひらと手を振った彼女にふんと鼻息で応じ、門に手を添える。春も過ぎつつあるこの季節でも、漆黒の強化鋼鉄でできた門はヒンヤリと冷たく、そして重い。 「………………フンッ! ぐ……ンンッ!」 全身の筋肉がパンパンになり、顔が真っ赤になるのを感じる。だが、門はピクリとも動かなかった。 それでも、と五分ほど粘ってから、ゆっくりと手を離す。 「やっぱり駄目だったじゃん。やっぱり人間には無理なのよ。無理」 「今日ダメだっただけだ。俺の辞書に無理という言葉はない」 「粗悪品なだけでしょ。新しいのに取り替えたら?」 「そもそも辞書なんか持ってない」 「でしょうね」 軽口を叩きながら、門から壁に沿って歩き出す。門と同じ高さの壁は城壁然としていて、自然と見上げる形になる。 軽く手を挙げると、その高さがよりはっきりと伝わってくるようだった。 「……ハルトさ、そんなにあの子と結婚したいの?」 「ん?」 いっそこの壁を乗り越えてしまえば、いやそれじゃ門を開けたことにならないか、などと自問自答していたときに、ノエルがぽつりと呟いた。 ノエルが後ろ手に組み、そっぽを向いて話すのは、割と重要なことを誤魔化しながら話す時だった。 このクォーターエルフの幼友達は、とてもわかりやすい。 「いや、正直あの子はどうでもいい」 「どうでもって。じゃあ何でそんなムキになってんの?」 「あのチョビ髭が気に食わなかった。『どうせできないだろ』って言いたげな表情がムカついたから、ならやってやんよ、俺がやってやんよ、と」 「はー、子どもじみた意固地」 「うっさい」 ようやく屋敷の端が見えてきた。振り返るとあれだけ大きかった門が指先ほどにしか見えない。流石に昔見た王城程ではないが、それに次ぐ広さである。 「……じゃあさ、もし門を開けてもあの子と結婚しないの?」 「さあね」 「何それ。ムカつく」 唇を尖らせたノエルは、俺を追い越すと早足でどんどん先に行ってしまう。どうやらヘソを曲げてしまったらしい。「……なんなんだ一体」とぼやいて頭をかき、後を追いかけようと思った時だった。 頭の上を、数羽の鳥が飛んで行った。 特におかしな光景というわけではない。鳥が空を飛ぶなんてことは人が歩くのと同じくらい当たり前のことだ。だが、気になった理由は別にある。 飛んで行った鳥や、また別の鳥が、同じところから出てきて、同じところに向かっている。 鳥に餌でもやっている人がいるのだろうか。だが、見る限り飼われているわけではない、完全な野生の鳥に見える。 「……ちょっと! 何で立ち止まってんのよ! 一人でさっさと行っちゃった私がバカみたい……何見てんの?」 すっかり先に行ってからようやく戻ってきたノエルに、「ここ、上れないかな」と壁の情報を指し示す。 「いや無理でしょ。この高さだし、壁も綺麗で手がかけられそうなところもない」 「アレ頼むよ。ほら、昔やった魔術」 ほら、あれ、と促すと、ノエルの整った眉が嫌そうに八の字を描く。 「ひょっとして、浮遊魔術のこと言ってる?」 「そうそれ。あれで俺を上まで飛ばしてくれ」 「無理」 ぴしゃりと言い切られた。 「アレは軽い物を手を使わずに持ち運べるくらいの、とても小規模な魔術なの。人一人持ち上げるとか、壁の上まで飛ばすとか、そんな力はない」 それに、ノエルは言いかけて口ごもる。俺もあえて問い詰めようとはしなかった。 ノエルはハーフエルフと人間の混血、クォーターエルフである。エルフの血を引いているため魔術は使えるが、その才は乏しく、派手な魔術や大がかりなものは使えない。物体浮遊魔術に関しても、俺が知っているのは手を使わずに食事を口に運ぶ程度のものだった。 幼い頃の話だから今は多少変わっているかもしれないが、この感じだと記憶のそれと大差ないだろう。 ふむと一つ頷いてから、「それでいい」と再度話しかけると、ノエルが首を傾げた。 「俺が助走つけて飛ぶから、それをサポートしてくれ。それで多分上手くいく」 「……どーせ嫌って言ってもやるんでしょ」 「ああ」 短く答えて、助走距離をとる。ついでに足元にあった大き目の石の拾うと、壁の上方に投げつけた ゴツ、という鈍い音とともに壁が小さく削れる。 よし、準備完了。 すでに諦め顔のノエルが俺の後ろに来ると、背中を指でそっとなぞった。 綺麗な円を描いてから、中に何かを描く。それは魔術を使える者にしかわからないものだ。 「……言っとくけど、私の魔術ってホント大した威力ないからね。これであそこに手が届いたら、アンタ普通じゃないから」 「そうかな」 「そうよ……行くわよ」 「ああ」 ノエルの手が背中に添えられる。彼女が何事か呟いた瞬間、体が軽くなるのを感じた。調子のいい時の『体が軽い』とは全く違う、浮遊感に包まれたような感覚。地面に立っているのに水の中を泳ぐような不思議な感覚を味わうと、すぐに重心を下げた。 できるだけ地面に近い場所に重心を持っていき、強く地面を蹴って走り出す。ふわふわと浮いた感触は、低い体勢をとらないと走るのもおぼつかなくなりそうだ。 だが、言葉の通り軽くなった体はすいすいと進み、すぐに壁が目前に迫ると、左足で跳躍した。 ジャンプ力に浮遊魔術の力が重なり、自分ひとりの感覚ではありえない高さまで跳ぶ。一度目のジャンプで中ほどまで行くと、右足で歩くようにもう一度上へと跳んだ。 地面と壁で合わせて二歩進むような感覚。そして先ほど投石で削った跡に指をかけると、ぐっと体を上に引き寄せた。 どうにか壁の上へとたどり着く。地面のノエルに、届いたことを手で伝えると、彼女は肩をすくめてため息した。 「……誰?」 ふと、背後の少女の声がした。同時に鳥の羽ばたく音が空へと消えていく。 驚きと、どこか納得したような気持ちを抑え、俺はゆっくりと振り返る。 長い黒髪とエメラルド色の瞳。『イヴァリースに咲く七輪の花』の一人、ミント・コーネリウスが。 未成熟ながらも艶めかしさを感じさせる背中を露わにしてそこにいた。 * * * 肩甲骨に色気を感じたのは初めてだった。 首からうなじ、そして腰への続くラインとはこうも美しいものだったのか。 もはや下心よりも感嘆と称賛の思いが強かったが、とはいえ着替えの最中に見知らぬ男が壁をよじ登ってきてわけだから、彼女からすれば不審者以外の何物でもなかっただろう。 大声を出されなかっただけ奇跡だった。 「……あ、あの、大丈夫ですから。後ろ向いてましたし、その、窓を締めなかった私にも責任はあるわけですし」 「君に落ち度は一つもない。頭の先からつま先まで、余すところなく全て俺の責任だ。君が望むなら今すぐ首から落ちて詫びよう」 「そ、そしたら死んじゃいますよ!?」 「君がそれを望むなら」 「望みません! 望みませんからもう怖いこと言わないでください!」 申し訳なさは本当なのだが、あたふたしている彼女をもう少し見ていたいという別のイタズラ心がムラムラと湧いてきたのも事実だった。もっと見ていたいが、本気で心配してくれている彼女にすべき行為ではないだろう。 改めて「すまない」と詫びると、ようやく自害する気はないことを察してくれたのか、ミント・コーネリウスは表情を緩めた。 「自己紹介がまだだったな。俺はハルト。とある事情により五年前に家を出て、今は……足の向くまま気の向くまま、旅をしているところだ」 「旅、ですか?」 「ああ」 エルフの隠れ里からドワーフの地下国家。王都、砂漠、そして海。いろんなところを回ってきたが、まだまだ行っていないところがいっぱいある。 「この街は居心地が良くてな。つい長居してしまった」 「良い街ですよね……といっても、私もあまり外に出たことはないのですけど」 彼女の表情に影が差す。 相当大切に育てられた箱入り娘なのだろう。旅に出る前から勝手にあちこち出歩き、そのたび家庭教師にこっぴどく叱られた自分とは違うことが伝わってくる。 「あの、もし良かったら、旅の話を聞かせてくれませんか?」 「もちろん。俺で良ければ喜んで」 さて何から話そうか、と考えていると、突然小鳥が一羽窓から部屋に入ってきた。 チチ、と何か鳴くと、ミントが残念そうに眉を顰める。 「ごめんなさい、誰かが近くに来ているみたい。見つかる前に」 「わかった。また来る」 そう言い残して、壁から外へ飛び降りようとしてから、ふと気になったことを聞いてみる。 「ミントは動物の言葉がわかるのか?」 「わかる、というほどではないんですが」 ちょっと困ったように、でも少し誇らしげに、彼女は答えた。 「でも、簡単な意志のやりとりはできますよ。嬉しい、とか悲しい、とか」 「それも魔術?」 「確かに魔力による共調はあります、でも」 一度言葉を切り、彼女は小さく微笑む。 「言葉なんてなくても、心を通じ合わせることはできるじゃないですか」 「……そか、そだな」 うんうんと噛みしめて、「それじゃ、明日また来る」と背中で言って飛び降りる。さよならの代わりに、小鳥がチチ、と鳴いて応えてくれた。 「アンタさ、よくこの高さから平然と落ちてくるわね」 ミントの聞く者を落ち着かせる声とは打って変わって、不機嫌さに満ちた声が話しかけてきた。 「待っててくれたのか。先に帰っても良かったのに」 「高さがあるから、念のため浮遊魔術があった方が良いかなと思ってたの。まっ、体力バカのアンタが怪我するわけなかったけどね」 「まあな」 「その自信ムカつく」 ムキっと唇を引きつらせ、ノエルが先に歩き出す。 「なあノエル」 「なに?」 「動物と意思疎通することってできる?」 「は? 無理に決まってんじゃん」 「……そっか」 あえて深く突っ込まず、俺もノエルを追って歩き出す。 「明日からまたここに来るから」 「ふーん、あっそ」 「また手伝ってくれな」 「嫌よ」 「頼むよ、お前しかいないんだ」 「……仕方ないわね」 満更でもなさそうな横顔を見つめながら、口は悪いけど良い奴だよな、と思う。 この街に長居してしまっているのも、彼女の存在が大きいんだろうな。 思わず口元が緩んでいるところにノエルが振り返り、また不機嫌そうな声で「なに」と言われ、「別に」と返す。こんなやりとりも、どこかで楽しんでいる自分がいた。 * * * 『何故彼らは死んだんですか?』 僕の疑問に、巻き髪の家庭教師は神妙な顔で答えた。 『仕方なかったのです』 『仕方なかったとはどういうことですか? 彼らはまだ生きていました。一人でも二人でも、どうにかすれば助けられたはずです』 『我々にはどうすることもできませんでした。彼らの死は、どうしようもないことだったのです。仕方なかったのです』 彼は同じ言葉を繰り返した。まるではぐらかされているようで、僕はむっと口を真一文字に結ぶ。 そんな『僕』を、俺は少し上から眺めながら、ああこれは夢なんだと無意識に把握した。まだ五歳くらいの、まだ何もわかっていないころの自分。 物心がついていたかどうかの頃、とある田舎の小さな村が流行り病に襲われた。十日で発疹が全身に広がり、二十日で満足に動けなくなり、三十日で死に至る。発症からおよそ一か月で死亡することから『月日病』と名付けられたそれに治療法はなく、感染力も強かった。一度感染者が出たなら、規模に応じてその家族を、あるいは村ごと封鎖し、炎で焼き尽くすしかない。 その中にいた人が感染していようといまいと、更なる感染を防ぐため、少数を犠牲にするしかない。 世の中には時に非常な判断を下さなければならないこともあるという現実を知らしめるためとして、僕はその炎に燃える村に連れて行かれたのだった。 全て焼き尽くされて灰になった村に足を踏み入れ、木や鉄や人の燃えた臭いに鼻を押さえながら、僕は家庭教師に問うた。 『兵士の一人が、逃げ出した母親から赤ちゃんを受け取るのを見ました。そして、周囲の兵士によって赤ちゃんは再び炎の中に戻されました。これも仕方ないことなのですか?』 『仕方ないのです』 仕方ないとは何ですか? とは追及しなかった。きっと満足するような回答はないであろうことを、僕は感じていたからだ。 だが、腹の底でどす黒い炎がチリチリと燻っていた。ふざけるな、と声ならぬ声を口の中で転がす。表情には感情を出さず、叫びだしたい思いを必死に奥歯で噛み殺した。 仕方ないだとか、できないとか。 そんなもの、そっちの勝手な言い分ではないか。 僕は認めない、認めたくない。 僕もいずれ、『仕方ない』と言って同じことをする立場に立たされるくらいなら。 いっそ、こんなところ―――― * * * 懐かしい夢を見た気がする。 すでにあやふやになってしまったが、おそらく十年以上前の夢だろう。別に懐かしくもない思い出だったよなと思い返し、すぐに忘れることにした。 「起きたか、ネボスケ」 「ノエルか、おはよう」 「おはようじゃないわよ、もうお昼。早く顔洗ってきなさい」 「おう」 むっくりと体を起こすと、改めて狭い部屋に圧迫感を覚えた。両手を伸ばせば着いてしまう程度の横幅と、足を伸ばして横になるのが精一杯の縦幅。当然家具などおけるはずもないが、ただの寝床としか使っていないので、布団さえ敷ければ不満はなかった。 引き戸を開けると、もう少し広い部屋に繋がる。こちらはノエルが普段使っている部屋で、俺の寝床も本来はノエルの部屋だった。俺が泊めてもらうにあたり、一部を借り受けて分断した格好になる。 ノエルの部屋も抜けて階段を下りると、ふわりと良い香りがした。 ハムの乗ったパンにスープ、ガチョウのタマゴを焼いたもの。量も少なければ決して贅沢な食事ではなかったが、空腹に優る調味料はない。 「おっ、ようやく起きたね、食べられるかい?」 声をかけてきたのは恰幅の良い女性は、ノエルが下宿している宿の女主人だった。宿と居酒屋を兼業しており、ノエルもそこで働いているため、彼女の雇い主に当たる。 「ノエル、あんたも一緒に食べちゃいな」 「はい、おかみさんは?」 ノエルがコップに入ったミルクを持ってくると、俺の隣に座る。 「はは、あたしはまだ仕事があるからね。団体客が入って準備に時間がかかりそうなんだ」 「団体客?」 俺が聞き返すと、おかみさんがちょっと困った顔をする。 「お偉い騎士様が兵隊連れてやってくるらしくてね。数が多いから、うちみたいな場末の宿にも分配して寝泊まりするらしいんだよ。ハルトも暇だったら手伝ってちょうだい」 「騎士」 「まあ何とかするから心配しなくて大丈夫だよ。ノエルは食べてから手伝いに来てくれたらいいから。ゆっくりでいいよ、邪魔者はすぐいなくなるからね」 にやにやしながらおかみさんが言うと、ノエルはムスっと鼻を尖らせる。 「だから、そういうんじゃないですよ」 「はいはい、そうだったね。しっかりやんなよ」 「だからっ」 わかっているのかいないのか、何ともつかみどころのないおかみさんは手をひらひらさせて出て行った。おかげで、この空間には俺とノエルの二人きりになる。 「まったく、おかみさんはもう」 「いつものことだろ、慣れろよ」 パンにスープをつけて口に運びながら、どうでもいい感じに話しかける。「まーね」と吐き捨て、ノエルもパンにかぶりついた。パンは焼き立てで温かく、美味しい。 「……あんたがここに寝泊まりするようになってから、そろそろ一月だっけ?」 「もうそんなになるか。結構居ついちまったな」 足の向くまま気の向くまま、旅の途中でふらっと寄ったこの街で、俺は偶然ノエルと再会した。ついでにどこか泊まれるところはないかと尋ねたところ、紹介されたのがこの下宿先だ。 家賃をノエルと折半すれば半分で良い、手伝いをすれば給料も出すと誘われ、たまに力仕事を請け負って暮らしている。路銀はそれなりにあるものの、やはり元手が増えるのは嬉しい。 周囲の人も良い人ばかりで、気づけば随分と長居してしまっていた。 「……また、どっか行くの?」 「まあな。どことは決めてないけど」 「……ふーん」 大口を開けてパンを食べる。膨れているのは食べているからか、怒っているからか。 「別にいいけど。行くときはちゃんと言ってよね。今度こそ」 「わかってるよ」 この話題になると、いつもノエルは膨れ面になる。 ノエルとは小さい頃に一度会っていた。ちょっとしたことで親しくなり、よく遊んでいたのだが、別れるときに挨拶することができなかったのが気になっていたのだ。 そのことを、ノエルは再会した今も根に持っているらしい。 「……ねえ」 「ん?」 「旅ってさ、楽しい?」 「まあな。知らない物に触れて、知らない人に会って、知らない景色を見つめる。嫌なこともたまにあるが、まあ楽しいよ」 「……ふーん」 彼女はそう言って、スープを飲み干した。その横顔からは、何を言わんとしているのか、イマイチつかむことができなかった。 * * * 「魔術というのは、『人を超えた人ならざる人の力』と教わりました」 神妙な顔でそう語ったミントの言葉は、正直一つも理解できなかった。 いつも通り門に挑戦し、諦めて彼女に会いに来て話をしていると、いつの間にか魔術の話に移っていた。ミント自身魔術の才があり、またエルフの知り合いがいるため俺自身もそれなりに魔術に興味があったのが主な理由だ。 とはいえ詳しく知っているわけではない。あけすけに「魔術って何?」と聞いたところ、帰ってきたのが先ほどの答えだ。 「つまり、人にはできないことだけど、あくまで人の力の延長線でしかないよ、という意味です。例えば私の動物と意志疎通する力も、普通の人でも怒ってるとか、喜んでるとか、わかるときありますよね?」 「あー。まあ。猫とかわかりやすいしな」 「仕草や表情から気分を見抜いたり、可愛がるために撫でてあげたり。そうやって思いをやり取りすることは、普通の人でもできる。それを一歩進めたのが、私の魔術なんです。ええと、お知り合いのエルフの方が使うのが、確か」 「浮遊魔術だ。物を持ち上げる」 「それも同じですね。手を使えば者は持ち上げられる。魔術は一歩進んで、手を使わなくても持ち上げることが出来たり、より重い物を持ち上げられたりできる」 「魔術を使うときに書く模様みたいなのは?」 「魔力や魔術の道具とか、手続きとか……説明してもいいですけど、魔術の原理を一から話すことになっちゃいますよ? 正直私でも眠くなるようなお話ですけど」 「いや、それは遠慮しておこう」 はっきり断ると、二人でくすくすと笑い合った。ここ数日で、随分と親しくなれた気がする。 「しかし動物と話せるっていいな。飼ったりはしないのか?」 「動物を、ですか?」 「犬でも猫でも、大きいのが難しいならそれこそ鳥とかさ。野生のじゃなくて」 一人で屋敷にいることが多いなら良いんじゃないかと考えての提案だったが、案に相違してミントの表情は曇ってしまった。 「……だって、可愛そうじゃないですか」 「可愛そう?」 「閉じ込められて、翼があるのに自由に飛べず、鎖に繋がれる。私なら、もっと自由でいたいと思います。せっかく、翼があるのだから」 すっと彼女が指を上げると、一羽の小鳥が止まった。彼女の頬に、微かな笑みが戻る。 「この子たちには、自由でいてほしいって思うんです。『籠の中の鳥』は、私だけで十分かなって」 俺にはわからないが、小鳥と何か話しているのかもしれない。彼女が笑みを刻みながら小鳥を見つめていたが、どこか寂しげに見えてならなかった。 * * * 「おんどりゃああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」 かけ声とともに大槌を振り下ろす。鉄と鉄の衝突する音が周囲に辺りに響くと振動が手から全身に伝わり、そして痺れた。 傷一つつかない門を見て、ノエルが、盛大にため息をつく。 「ダメね。どうにかなりそうな気配すらない」 「ううむ、まあ壊しても良いことないしな。やっぱ正攻法で開けるしかないか」 強化鋼鉄の門に挑み始めてから一か月が過ぎていた。ミント・コーネリウスの婿の座を狙って多くの男たちが挑んでいた門も、今ではそのほとんどが諦めている。今なお挑んでいるのは、観光気分でちょっと押してみた人を除けば俺くらいなものだろう。 「よし、行くか」 「ちょっと待って」 ノエルは門にそっと手を触れると、何かに集中するように目を閉じた。 「……もういいよ」 「なんだったんだ?」 「なんでもない」 そっけない態度はいつもと大差ないが、どこか怒っているようにも見える。 ミントの部屋近くの壁で助走距離をとる。ノエルがいつもより浮遊魔術と魔法陣を書くのに手間取っていると、小声で話しかけてきた。 「あのさ、あの門のことなんだけど」 「ああ」 「実は、あれ――――」 魔法陣を描いていたノエルの右手に力が入るのを感じながら、俺は小さな驚きをもって彼女の言葉を受け止めた。 よお、と声をかけるより早く、ミントは俺の来訪に気づいていた。 「お待ちしてました、ハルトさん」 「どうも。よくわかったね」 「鳥さんたちが教えてくれました。本当なら紅茶とお菓子でおもてなししたいのですが」 「いいさ、おかまいなく」 壁から窓までは、二メートルから三メートルほどの距離がある。幅跳びで届くかどうかは微妙なところだが、壁の方が高いため戻って来られなくなってしまう。 何より、妙齢の少女の部屋に男が入っていくのは気が引けた。 「ところで、今日はどんなお話を聞かせてくださるんですか?」 「そうだな」 ミントは旅の話を聞きたがった。街はもちろん、屋敷からもあまり出ないらしく、外の話についてとても面白がって聞いてくれる。時に笑ったり、時に怒ったり。感情豊かに話を受け止めてくるので、話しているほうも楽しくなった。 ただ、今日はその前に一つ聞いておきたいことがある。 「ミント、あの門さ」 「……はい」 返事にわずかな間があった。 「絶対に開かないようになっているって聞いたけど、本当か?」 いつもきらきらさせながら話を聞いてくれた目が、悲しげに逸らされる。「連れのクォーターエルフがさ」と重ねて問いかけた。 「あの門から魔力、結界があるのを感じるんだってさ。だからあの門を開けるには、まず結界をどうにかしなければいけない。結界を解かない限り、例え古の巨人族や怪力のオーク族であっても、力だけでは絶対にあの門は開かない。そうなのか?」 「……はい」 こくんと彼女は頷いた。なるほど、道理でビクともしないわけだと妙な納得感が胸の中に落ちてくる。 とはいえ、開かない門に挑ませて何がしたいのか、という疑問は残る。巣の上に石を置いて必死にどかそうともがく蟻を眺めるような悪趣味にしては、力が入り過ぎている。 「全て、お父様の描いたシナリオ通りなんです」 俯いたまま、彼女は言った。 「もうすぐ、とある騎士様がこの街にいらっしゃいます。お父様はその方をお気に入りで、私と結婚させたいと思っているんです」 「騎士……ああ」 おかみさんが宿でそんなことを言っていたと思い出す。成程、と全てが繋がってきた。 ミント・コーネリウスの器量とミアイル・コーネリウスの財産に目がくらんだ男衆が寄ってたかってビクともしなかった門を、偶然訪れた若き騎士が開け放つ。そして若い二人が一目で恋に落ちて、という三流恋愛小説の筋書きだ。 「……ごめんなさい、騙す様なことになってしまって」 「あの門を開けてやろうと思ったのは俺の勝手だ。謝ってもらう必要はない。すでに開く人も決まってるって話だけど」 「……お父様から、ハンサムで優しく、武勇もある方だ、と」 「なるほどね」 大事にしている一人娘を、どこの誰とも知らない力バカな馬の骨とくっつけるような真似に違和感はあったが、裏でしっかり手ぐすね引いていたというわけか。俺含め、挑発に見事引っかかった大量の力バカな引き立て役は、騎士様が映えるための舞台装置。一番深く引っかかっているのが自分だけに、何とも言えない『してやられた』感が強かった。 ――――まあ、俺のことは良い。 「それでいいのか?」 「えっ?」 「その騎士様ってのは、ミントは面識ないんだろ? 見知らぬ男に、人のシナリオに従って結婚することに、不満とかないのか」 「……仕方ないですよ。お父様が決めたことですから」 悲しそうな笑みを浮かべて、ミントは言った。 何もかも諦めて、受け入れる。仕方なく。 そんな彼女を見て、無性に腹が立った。 「仕方ないって言うな」 思わず語気が強くなっていた。ビクンと肩を震わせたミントに、声が大きくなるのを感じる。 「仕方ないってことは本当はやりたくないんだろ。だったらするな。逆らえ、反抗しろ、頭を使って、できる限りのことをやり尽くせ」 「で、でも」 「世の中どうにもできないことがあるのは知ってる。でも、どうにかしようとしない奴は好きじゃない」 昔、友達でいじめられている奴がいた。 急に話を変えると、ミントが驚いた顔を上げた。 「そいつは、エルフの血が流れてるせいで。外見が他の子と違っていた。そのせいでからかわれたり、仲間外れにされたりしていた」 まだ十歳かそこらの頃だ。小さな公園の隅で、一人で泣いている女の子に声をかけた。 「やられっぱなしで良いわけない、やり返してやろうって言うと、その子はこう言った。『無理だよ』、『仕方ないよ』って。したら、今度はその子に腹が立った」 じゃあ俺が勝手にやる。そう宣言すると、その子は驚いたように目を見開いた。 「子供だったからな。利口な手段なんて思いつかないから、いじめていた子たちが集まってるところに殴り込んだ。大勢相手に一人だったから危なかったけど、その子が助けに来て、二人がかりで全員泣いて謝るまで殴った」 「す、すごいですね……」 ミントが若干引きつった笑みを浮かべた。まあ子ども同士の喧嘩とはいえ、少々やり過ぎた自覚はある。 「それで、仲良くなったんですか?」 「いや。その子にビビッて近寄らなくなったからいじめはなくなったが、結局仲良くなることはできなかったって」 でも、その子は笑ってたよ。 そう言うと、ミントはぐっと口をつぐんだ。 「俺がやったこと、その子がやったことが良かったとは言わない。でも、無理や仕方ないって諦めてたことを、諦めずにやったからこそ、その子は最後に笑えたんだと思う」 二人の間を、風が通り過ぎていく。小鳥のさえずり、木々のざわめきだけが、静かな空間に流れていた。 俺の言葉が、心に届いたかどうかはわからない。 だが、強く握りしめられた小さな手に、俺は決意を固くした。 「今日の深夜、俺は最後の挑戦をする」 真っ直ぐにミントを見つめると、彼女も顔を上げた。 「今度こそ必ず、門を開けて見せる」 「でも、あの門には結界が施されているんです、開けることは」 「できない。だが結界さえなければ、俺は絶対に開けられる」 「はい。でも……ッ!?」 ミントが言葉を飲む気配を背中に感じながら、俺はくるりと背を向ける。 結界さえなければ、開けてみせる。 そしてその魔術を使い手は間違いなく彼女自身だ。 「……判断は任せる。どうしようと、俺は君を恨んだりはしないから」 そう言い残し、俺は壁から飛び降りた。 肩で壁に寄りかかりながら、クォーターエルフの幼友達が腕組みしながらむすーっと俺を睨みつけている。 「……余計なことまで話しちゃって」 「まずかったか?」 「……別に」 そっぽを向いてしまったノエルだったが、怒ってはいないようだった。 「ノエル」 「何よ」 振り返った少女に昔の面影を重ね、すぐにかき消す。「呼んでみただけ」と答えると、「はあ?」と頬を引きつらせた後。 「何それ、意味わかんない。バーカ」 そう言って浮かべた笑顔を見ながら、あの時自分がやったことは、多分間違いではなかったんだろうな、と思った。 * * * 「無理。ぜーったい無理」 「無理って言うな。無理って言う方が無理なんだぞ」 「何それ。意味わかんない」 ぶつぶつと言い争いながら、何度目かわからない門の前に立つ。いつもと違うのは、真っ暗な空にぽかんと月が浮かんでいることくらいか。 「そもそも、ドワーフの強化鋼鉄と魔術結界は全く別物なのよ。結界があるから開かなかったわけじゃない。仮にあの子が魔術結界を解いてくれたとしても、このサイズの鋼鉄の門を動かさなきゃいけないことに変わりはないの。こんなでっかい鉄の塊、アンタ一人で動かせると思う?」 「できる」 「アンタの頭はカボチャか!」 スパンと俺の頭で小気味良い音を立てたノエルが、「大体さ」と吐き捨てる。 「あの子、本当に結界解除してくれるの? ハッキリそう言ったわけじゃないんでしょ?」 「そうだな」 なら、とさらに追及しようとしくるノエルを遮り、 「けど、本当に解除してくれたのなら、それは諦めたくない、っていうミントの意志表示なんだと思う。その思いを、無駄にはしたくない。応えたいんだ」 無理だろうが、道理でなかろうが。 無理も道理も、力づくで押し通る。それが俺のやり方だ。 「……アンタならそう言うと思ったわよ。まったく」 小さくため息し、ノエルが門に手で触れる。 「……やっぱりまだ結界が張られてる。今のままじゃ、いくら押しても動かない」 「なら動くようになったときに備えておくだけだ」 両手を門につけ、重心を落とし、そのときを待つ。 静かな夜だった。二人の気配の他には、風の音しか聞こえない。もう少し夏が近づけば、色んな虫の声が聞こえてくるだろうが、今は微かな気配がするだけだ。 「ハルトはさ、あの子のことどう思ってるの?」 「ん?」 不意に話しかけられて、反応が遅れた。 「ハルトとあの子じゃさ、身分差があるわけじゃん。それでも結婚したいって思うの?」 「前にも言ったけど、俺はミントと結婚するために門を開けたいと思ってるわけじゃないぞ。門を開けてあのチョビ髭紳士の鼻をあかしたいだけだ。まあ」 「まあ?」 「……話してみて良い子だなとは思った。一緒になれるなら、正直それはそれで」 「ハア!? アンタ前までと言ってること――――」 「待て、何か聞こえる」 急に取り乱したノエルを遮り、耳を澄ませる。俄かに騒がしくなった気配は、門の向こうからだった。 「誰か近づいてくる。何かあったのか?」 分厚い門に阻まれ、気配が上手く伝わってこない。まさか賊にでも侵入されたのか? 中の様子が心配だ。通用口か、あるいはノエルの浮遊魔術を受けて上から入り込むべきか。 じわりと掌に汗が滲んだ、そのとき。 「――――ミント! 自分が一体何をしているのかわかっているのか!」 「お嬢様、お待ちください、お嬢様!」 男と女の声。一つはミアイル・コーネリウス、もう一つはおそらくメイドあたりか。 走ってくる気配と、それを追いかける多数の足音。 ミントが、来た。 「ハルト様! ハルト様、いらっしゃいますか!?」 「いるぞ! ここにいる!」 「良かった……! 今、結界を解きます!」 「待てミント! 落ち着け、どうか我輩の話を聞いてほしい!」 ミアイルの血を吐くような叫びが聞こえた。その声に驚いてか、ミントが動揺するのが強化鋼鉄の門越しに伝わってくる。 「確かに我輩は、お前の気持ちを汲んでいなかったかもしれない。縁談を勝手に進めたことは反省している、済まなかった。だが、彼はとても素敵な青年だ、家柄だけじゃない、性格も誰もが認める優しい好人物だ。一目合えば、きっとお前も気に入る」 ミントは門まで来ていた。だが、ノエルは視線を交わすと小さく首を横に振る。まだ結界は解かれていない。 焦れたように、ノエルが叫ぶ。 「ちょっとアンタ! 何のためにここに来たのよ! いいからさっさと結界を解きなさい!」 「よすんだミント! 話せばわかる、だから」 「私は!」 二人に対抗するように、ミントが声を張った。 「……私のことは、私が決めます! 私は、籠の中の鳥じゃない!」 叫ぶと同時に、門に押し付けていた両手から冷ややかな感覚が溶ける。「結界が消えた!」とノエルが頷くと、思いの丈を吐き出すように、ミントの声が夜陰に響いた。 「――――ハルト様、お願い!」 古来、女の頼みごと程、男が力を発揮できる状況はない。 指先から頭の先まで、全身余すことなく力を振り絞る、吸い込んだ酸素を欠片も残らず全身に行き渡らせ、肺が裂けんばかりの咆哮と共に押し込んだ。 「おおおおおおおおおおおおおあああああああああああああ!!!!!!!!」 ズズ、と地面がこすれる音がする。やはり結界が無くなったことで、確実に力が伝わるようになっていた。 だが。 「……ぐぐ、くそ……」 重い。しかも何かが引っかかっているような感覚があった。重すぎる門に耐えきれず、石畳が僅かに歪み、そこで詰まっているのかもしれない。 これだけの重量物では、小さな段差が何より高い壁に思えた。 「何よ! あれだけ大言壮語しといて、ちょっぴり隙間ができた程度で成功とか言う気じゃないでしょうね!」 「バ……ッカ……言え!」 「……ああもう、なんでこうライバルに全力で塩送るような真似しなきゃいけないかなあ!」 ノエルが門に何かの紋様を描く。指の動きは見たことがないもの。 だが、背中に書かれたものと同じものであることはわかった。 「……浮遊魔術か!」 「こ、のおっ!」 ノエルが描いた魔法陣が光り輝き、同時に彼女の額から大量の汗が湧き出る。 「言っとくけど気休めだからね! こんなクソ重い物私の魔力で持ち上がるわけないんだから!」 ――――でも、少しだけ軽くなった気がした。 ミントが勇気と決意を振り絞り、結界を解いた。 ノエルが全力で、門を開けるために力を尽くしてくれている。 ――――無理でもなんでも、これで応えられなきゃ男じゃねえ! 「うううううううううううおおおおおおおおあああああああああ!!!!!!!!!!」 もう二度と動けなくなってもいい、脳の限界装置よ一瞬だけ壊れてろと念じて、爪が割れるほどの力を門へと込める。 ズズ、と門が石畳をこすれる音が、徐々に大きくなっていった。 一度動けば、勢いで押し開ける。漆黒に染まっていた光景は徐々に広がっていき、端が見えない大屋敷を背景に集まってきた使用人やメイドたち、青ざめた表情のミアイル・コーネリウスが立ち尽くしていて。 胸の前で両手を組み、涙を流すミント・コーネリウスが俺の胸に飛び込んできた。 * * * ヘトヘトで座り込んだ俺を、ノエルが腕を掴んで強引に立たせた。 「まだ終わってないでしょ。ほら立って」 「へいへい、わかってますよ、と」 いまだふらつく足に力を込め、どうにか立ち上がる。 視線の先には、わなわなと口元を震わせる屋敷の主、ミアイル・コーネリウスがいた。 「み、認めんぞ。我輩は、こ、こんなこと」 「何よ、自分で決めといて、思ったのと違う人が来たら『やっぱやめ』って? そんなの通じると思ってんの?」 「う、うるさい! ミントは私の一人娘だ、家を継ぐただ一人の愛娘だ! 誰とも知らない馬の骨など、婿にできるものか!」 「へえ? どこの馬の骨、ねえ。ホントに知らないかしらね」 うすら寒くなるような笑みを浮かべるノエル。「おい、よせ」と彼女を引き留めるが、それより早くミントが父親の前に立った。 「……お父様」 「ミント」 「私は、この人とは結婚しません」 真っ直ぐ父親に向かって、彼女は言った。 「はあ?」とノエルが眉を顰め、対照的にミアイルは一瞬表情を明るくする。 だが、彼女の継いだ言葉に再び絶句した。 「そして、お父様の言う騎士様とも結婚しません。私は私の生涯を共にする方を、自分で選びたいと思います」 「なっ……」 「お父様が私を思ってくれていることは、よくわかっています」 でも、と彼女は次の言葉を紡ぐ。 「私は私が誇れる私でありたい。私は私が選んだ私でいたい。我儘なことはわかっています。でも、私は」 一度言葉を切り、彼女はちらりと俺の方を見た。 「それでも私は、『仕方ない』と言って諦める人間にはなりたくないのです」 彼女の口元に、小さく笑みが刻まれる。そんなことが何だか無性に嬉しくて、俺まで思わず笑ってしまった。 娘の反抗に何度か口を開きかけ、そのたび閉じたミアイルは、やがて大きく肩を落とした。 「……わかったよ。私が少し焦り過ぎていたのかもしれない。すまなかった」 「お父様……!」 ミントが父の前まで歩み寄ると、親子は優しく抱擁し合った。 「万事解決、だな」 「骨折り損のくたびれ儲けって言うんじゃないの? ハルトは一つも得してないじゃん」 「美少女の笑顔が最大の報酬さ」 「アホくさ」 つれなく言うと、ノエルが門の外へと歩き出す。これ以上は俺も用がない、と立ち去ろうと背を向けると。 「ハルト様」 ミントに呼び止められ、振り返る。 少し頬を赤らめた彼女が、両手をもじもじさせていた。 「あ、あの、わたしは、さっきは、ああ言いましたけど」 「いいよいいよ、気にするなって」 結婚しない宣言でフラれた形になったわけだから、多少は心にクるものがあったが、彼女の本意は別のところにあることはわかってる。 だから心配しなくていい、という意味を込めて答えたのだが。 「そうではなくて、その……えい」 ミントは小走りに俺に近づくと。 頬にそっと口づけした。 そそくさとミントが離れると、彼女は真っ赤に染まった顔を隠すようにして屋敷に走り去り、メイドたちが嬌声を挙げ、ミアイルが白目を剥いて倒れると、最後にノエルが人ともエルフともつかぬ奇声を夜の街中に響き渡らせた。 * * * すっかり夜の明けた空を見上げて、大きく口を開けて欠伸する。睡眠時間の少なさもあって前日の疲労が抜けておらず、気を抜くと欠伸が漏れる。 だらしなく口を開けた俺に、ノエルが呆れ顔でため息した。 「眠そうね。今日一日くらい休んだら?」 「いや、そうも言ってられない事情があってな」 王都在中の小隊が来るとなると、万が一にもすれ違うようなことがないよう早めに出て行くのが得策だ。そのために、わざわざ眠い目こすって出立の準備を終わらせたのだから。 「ところでさ、どうしてわざわざあんな面倒なことしたの?」 「何のこと?」 「わざわざ彼女を煽って、力づくで門を押し開けて。あの結婚話を破棄したいだけなら、ハルトならもっと楽にできたでしょうに」 さてね、と素知らぬ顔で無視すると、ノエルはわざと声を大きくした。 「ハルトなら。大陸の盟主イヴァリース王国第三王子、ナイトハルト・フォン・イヴァリース殿下なら、それこそ名前一つでミアイル・コーネリウス程度ならいくらでもやりようがあったでしょうに」 「声を落とせ。誰かに聞かれたらどうすんだ」 ギロリと睨みつけて注意する。肩をすくめてわかったのかわかってないのかわからない反応をしたノエルに、「性に合わない」と鼻息を荒くする。 「俺は望んで王子になったわけじゃない。たまたま流れてるだけの血筋であれこれ指図するってのは好きじゃない。無理も道理も力づくで押し通るのが俺の生き方だ。そんな借り物みたいな搦め手使うくらいなら死んだ方がマシだね」 「はいはいわかりましたよ。ま、そんなとこだろうと思ったけど」 「あと、もうその名前で呼ぶな。俺はハルトだ。ただのハルト」 「わかったってば。言ってみたかっただけよ」 イヴァリースの血筋も名前も捨てたわけじゃない。いずれは帰ることも考えてはいるが、少なくとも王城に戻るまではただのハルトとして、旅を続けたい。 「……ところで、なんでノエルまで旅支度を」 「え、何でって」 「旅行にでも行くのか」 「アンタについていくのよ!」 ノエルはムッとした様子で言い返してから、「……あ」と思い出したように口を手でふさいだ。 「俺に? なんで」 ノエルにはこの街に家も仕事もある。だが、俺はこの街に戻ってくる予定はない。 「仮にも王家の人間を、一人でぷらっと行かせるわけにはいかないの。アンタを知っている身としてはね。おかみさんにももう言ってある」 「いや大丈夫だから」 「大丈夫じゃないの。いいから黙って連れて行きなさい」 ぐいと頬を引っ張られ、「わはっはわはっは」と返事をする。実際は「わかったわかった」と言いたかったのだが、頬を引っ張られていたのでまるで笑っているみたいになった。 「何笑ってんのよ気持ち悪い」 「お前のせいだよ」 じんじんと痛む頬を押さえ、憎々しげに言い返す。 ふっと彼女から目を逸らしたとき、ノエルは聞こえるか聞こえないか、という声でぼそりと呟いた。 (……もう置いてかれるのは御免なのよ) 「ん? なんか言った?」 「いーえ、なんでも。ナイトハルト殿下」 「それを言うなと」 言葉は、ガタンという物音によって途切れた。 話に夢中になっていて気づかなったが、タイヤつきの旅行鞄を引いた少女が、いつの間にか背後に立っていた。 背中まで伸びた黒い髪、女神もかくやという整った目鼻立ち。そこにいたのは、『イヴァリースに咲く七輪の花の一人』と評される少女、ミント・コーネリウスだった。 「ミント、なんでこんなところに……というか、今、聞いたか?」 「えっ、何をですか?」 可愛く小首を傾げるミント。この反応を見る限り、聞いてない、か? 「ハルト様、また旅に出られるんですよね? でしたら、是非とも私を同行させてほしいのです」 「え、いや、それは」 ミアイル・コーネリウスと一悶着起こして、彼女が結婚を断るという決断をしたことで概ね無難に終わったのだ。ここで彼女を一緒に連れて行くようなことをすれば、あるいは誘拐などと騒がれかねない。 「いや流石にそれは」 「私はずっと屋敷の中で、誰かの話と、本で得た知識しか知りませんでした。でも本当は、自分の足で歩き、目と耳で感じたいと思っていました。私が自分で、こうしたいと思ったからするんです。もう籠の中の鳥でいたくないのです。無理も道理も、関係ありません」 そう言われてしまうと、返す言葉が見当たらない。元を辿れば、俺が門を開けたことがそもそもの原因なのだから。 「それに」と声を落としたミントは口元に怪しい笑みを浮かべ、俺の耳元でそっと囁いた。 (連れてってくれないと、ばらしちゃいますよ? ナイトハルト様がこの街にいるって) 「なっ……やっぱり聞こえて」 「良いですよね? ハルト様」 「……んぐ」 今日中に小隊が到着し、そこで情報が洩れようものなら、即座に捜索隊が出されかねない。強行軍で逃げ切る可能性と旅の道連れを増やす危険性を天秤にかけ、こればっかりはまあ、仕方ないと割り切ることにした。この『仕方ない』は、本当に仕方ないのだから仕方ない。 それに、一人旅に寂しさを感じてきたことだ。悪いことばかりでもない。 「というわけで、よろしくお願いしますね、クォーターエルフの方」 「ノエルです。よろしくね、ええと、メントさん? でしたっけ」 「ミントです。あなたの耳は長いだけで悪いんですね、耳掃除でもしてあげましょうか?」 「結構よ、アンタにやられたら耳にもう一つ穴ができそう」 「あら残念、まさに開けて差し上げようと思ってましたのに」 笑顔を浮かべているのにものすごくどす黒い空気が辺りを包んでいた。背筋を冷たい汗が流れていくのを感じつつ、二人の間に割って入る。 「待て待て、二人ともほとんど初対面だろうに。なんでそんな険悪なんだ」 「「…………………(ジロリ)」」 え、俺? 二人の視線を受け止めて困惑すると、やがて二人揃ってため息し、どちらからともなく歩き出す。 一人旅も寂しさを感じてきたころだし、二人が飽きるまでは連れが居たってまあかまわないだろう。 困ったことがあれば、無理も道理も力づくで押し通るだけのこと。今は二人の少女と旅を共にできることを素直に喜ぼう。 そう心に決めて、俺も二人の背中を追いかける。差し込む太陽の光がまぶしく、同時に暑くなってきたことを感じる。 ――――よし、海に行こう。夏といえば海、可愛い女の子がいるから海。 ほんのちょっと邪な動機を胸に潜め、新たに決めた目的地を目指した。 |
燕小太郎 2017年08月13日 22時49分37秒 公開 ■この作品の著作権は 燕小太郎 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2017年09月07日 19時05分44秒 | |||
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Re: | 2017年09月07日 18時55分15秒 | |||
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Re: | 2017年09月07日 18時53分59秒 | |||
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Re: | 2017年09月07日 18時53分05秒 | |||
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Re: | 2017年09月07日 18時50分42秒 | |||
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Re: | 2017年09月07日 18時47分46秒 | |||
合計 | 14人 | 250点 |
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