誘う少女と霊感少女 |
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「先輩って、『別の世界』に行きたいとか、考えたことありません?」 真央が本から顔を上げて、脈略もなくそう口にした。 相変わらずの突拍子のなさだ。苦笑してから、私は周囲を見た。図書室には、私たち以外、図書委員しかいなかった。少しくらい私語も許されるだろうと判断して、口を開く。 「いつも思ってるよ。別の世界に行きたいなぁって」 この世知辛い世の中から逃げ出して、何のしがらみもない世界で、悠々自適に暮らしたかった。 「へえ、先輩もそういうこと考えるんですね。それはよかった」 真央はにやりと笑った。 「異世界関連で、とっておきの話があるんです。聞きたくないですかー? 今が旬の話ですよぉ」 「聞きたくない」 即答する。真央は身を乗り出して不満顔を近づけた。 「えー、何でですかー? ほんとは気になるくせにぃ」 「真央の話はいつも同じような感じだからね」 どうせオカルト関連の話に決まってる。それに、異世界系の話は、お腹いっぱいだった。最近多すぎる。 真央は頬を膨らませた。フグの威嚇行為みたいで可愛らしい。膨らみを指で突きたくなった。 ジトっとした目で睨まれる。 「先輩、最近意地悪じゃありません? 好きな子ほど苛めたいってやつですか?」 「男子小学生じゃあるまいし……」 「あーあ、昔の先輩は可愛かったのになぁ。わたしが後ろから抱き着いたら、真っ赤な顔して『や、やめて……』ってモジモジしたり」 「あの時はトイレ我慢してたんだよ」 恥ずかしくて顔を赤らめてた気がするけど、この際、記憶は捏造しておこう。 「本当ですか~。怪しいなぁ~」 真央は上目遣いで、私の目を覗き込んできた。視線を逸らす。そんな至近距離からじろじろ見られたら、動揺してしまう。顔が熱くなるのを感じた。 真央は案の定にやにやした。 「先輩ってほんと、わかりやすいですよね。人慣れしてないっていうか」 「友達がいないからね」 「わたしがいるじゃないですかー」 「……うん?」 「なぜそこで首を傾げる!」 びしりと突っ込んでくる。真央はやれやれと肩を竦めてから、素直じゃないなぁ、と言った。 「そんな性格してるから友達いないんじゃないですかね?」 「うぐ」 胸に突き刺さる。 図星だった。私に友達ができない理由の半分は、捻くれた性格のせいだろう。 改めて真央を見る。 大きくてくりくりとした瞳、整った顔立ち、右側でまとめられた髪。スカートはぎりぎりまで短くしていて、太ももを大胆に露出している。髪は薄く茶色に染められていた。絶妙なバランスで可愛かった。一年生の間で、真央はかなりの有名人らしい。友達がいないので彼女が有名だと知れたのは、つい最近のことになる。何でも、入学してから男子生徒を計二十人は振っているのだとか。そりゃ有名になるはずだ。 「先輩は美人だから、もっと自己アピールすれば友達いっぱいできますよー」 「うるさいなぁ……」話を逸らすことにする。「ほら、さっき言ってた『とっておきの話』しなよ。聞いてあげるから」 「お、いいんですね。あとで後悔しても知りませんよ」 真央の目がきらりと光った。 「別の世界とこちら側を行き来する女の話です。ヨミ子さんって言われているらしいです」 ゆったりとした口調で話し始めた。 時折、ヨミ子さんという若い女が山の中にある廃墟で怪しい儀式を行っているのだという。それは、どこか別の世界につながるゲートを開くための儀式であり、その儀式を目撃した者は、四日後に死んでしまうというものだった。 都市伝説には、由来となるエピソードがあるものだ。ヨミ子さんについても、それらしいものが二つあるという。若くして子供を亡くした女が、黄泉の国に行くゲートを開いては、あちら側の世界に行っているだとか、場所のないイジメられっ子が、オカルトの知識でゲートを開いては異世界に旅立っているだとか。どちらにしろ共通しているのは、その儀式やゲートを開くところを見た者は、四日後に死んでしまうという点だった。その死についての解釈は様々で、秘密を知られたヨミ子さんが呪いをかけているとか、ゲートから出てきた未知のウイルスのようなものに感染するだとか、意見が分かれている。謎な部分がある方がこの手の話は盛り上がるから、わざと曖昧にしているのかもしれない。 如何にも胡散臭い話だった。げんなりする。 「あ、先輩。その顔は信じていませんね」 「そりゃあ、胡散臭いし。あまり出来のいい都市伝説とは思えないよ」 「ところがどっこい、実際に死んだ人がいるんですよ。わたしの友達の友達の従妹の友達の話なんですけどね」 「信憑性薄いなぁ」 いきなりずっこけそうになる。その前ふりでは期待を持てないぞ。 「話は最後まで聞いてください。……××学校の生徒がヨミ子さんを見たらしいんです。その人はクラスの皆にヨミ子さんの話を吹聴していたんですけど、皆はまともに取り合わなかったんですって。まぁそれも仕方ありませんよね。でも、ヨミ子さんを見たって吹聴していた生徒は、目撃した四日後、心不全で亡くなりました。わざわざ学校に行ってその子のクラスメイトから裏を取ったんで、まず間違いない話です。嘘や誇張はないですからね」 何となく引っ掛かりを覚える。 「……心不全? もともと体が弱かったんじゃないの?」 「それならまだわかりますけど、その生徒はバスケ部のエースで、健康体だったそうです。これはどう考えても不自然です。不自然極まりないです。しかも、四日後のルールが適用された形で死んでいます。これだけ揃えば、もう不自然を通り越して、異常ですよ異常!」 私は腕を組んだ。重々しく頷く。 「……いやぁ、偶然って言うのは怖いね」 本当に怖い。デジタル時計を見て時刻がゾロ目になってたりすると、ものすごく怖いもん。 「そんな一言で終わらせていい話ではないですよ!」 身を乗り出して主張してくる。私は上半身だけ距離を取った。ピンクの唇が近づいてきて、どきりとさせられる。相変わらず無防備だなぁと思う。 こちらの動揺を悟ったのか、真央はにやりと笑った。 「なに恥ずかしがってるんですかー?」 「恥ずかしがってない。あと、ここ図書室だから静かにしようよ。皆見てるから、ほら、とりあえず離れて」 「わたしたちのほかには図書委員しかいませんよー。えへへー」 満面の笑顔を見せる。 私は目を逸らして息を吐いた。いや、図書委員がいるんだから自重しようよ。さっきから不機嫌そうな顔をこっちに向けてるし。 「実は、先輩に頼みたいことがあるんです」 真央はしゅんと捨てられた子犬のような目をした。 「嫌な予感しかしないんだけど」 「一緒にヨミ子さんの現れる廃墟に行ってくれませんか?」 「やだ」 即答する。 「そこを何とかぁ~」 椅子から立ち上がり、私の足元にすがりついてくる。上からだと、胸の谷間が見えた。意外と着やせするタイプらしい。 「嫌なものは嫌。他をあたって」 「なんでもやりますから頼みますよぉ」 「なんでも……」 ふと、頭の中でいろいろな妄想が駆け巡った。なんでも……。なんでもかぁ……。 真央がむむっとした目で私を睨む。 「先輩、なんかえっちなこと考えてません? もしや、貞操の危機!?」 「そ、そんなことしないからっ」 「なぜ噛んだ」 本当にそんなことは考えてない。そもそも私は女だし、真央も女だ。女同士なんて、いろいろとまずい。 真央は立ち上がると、唇を尖らせた。 「もういいです。先輩には頼みませんから」 そのまま背中を見せる。 私は溜息をついた。 「真央、一人で行くつもり?」 「先輩には関係ないじゃないですか」 「……行かない方がいいよ」 「また説教ですか? 聞きたくありません」 「どうしても行くっていうなら」ああ、私は本当に馬鹿だ。「私もついていくよ」 真央が振り返る。小悪魔的な笑みを浮かべていた。 どうしていつもこうなるんだろう。 私は自転車のペダルを踏み込むたびに、溜息を洩らしたくなった。目の前の暗闇を、ライトの光が切り裂いている。周囲に建物が少なくなってきた。自販機の前で停まる。飲んでみようと思える商品が一つもなくて、がっくりと肩を落とした。この品ぞろえは酷い。なんだ、おでん缶って。 気を取り直して自転車を進める。 生暖かい風が頬を撫でる感触を味わないながら、わたしは真央のことを考えた。 小生意気な真央に初めて会ったのは、今年の春だった。一人でいつものように下校しようとしたら、廊下で声を掛けられたのだ。 「あなたが黒渕先輩ですか?」 「違います」 私は咄嗟に嘘をついた。いきなり知らない人に声を掛けられたのだから当然だ。 真央はきょとんとして、それからにこりと笑った。 「黒渕先輩ですね、その反応は」 「なぜ見ず知らずの人に私の反応を知られてるんだろう。怖い」 「やっぱり黒渕先輩で間違いないな」 メモ帳を見て、うんうんと頷いている。 「先輩に折り入って頼みがあるんです」 「しかも図々しい」 「わたしに霊能力を授けてください」 私は頭を抱えたくなった。 私には昔から不思議な力が備わっていた。人よりも霊感が強かったのだ。 しかしはっきり言って、霊感なんぞ持っていたところで何の役にも立たなかった。それどころか、迷惑なことばかりだ。世の中には、思いのほかオカルトじみたことは多い。そしてそういうことは、霊感の強い人間の周囲で頻発するものだった。日常のふとした瞬間、いきなり怪奇現象に遭遇すれば、誰だって驚く。そしてそれが何度も続けば疲れ果てもする。毎日内装の変わるお化け屋敷に放り込まれるようなものだった。 私が霊感の強いことは、周知のものになっている。私が怪奇現象に遭遇して、おかしな状態になっているのを、何人もの生徒が目撃しているからだ。 「先輩、顔色が悪いですよ」 真央は興味深そうに覗き込んできた。どうせなら心配そうにしてほしい。 私は溜息をついた。 「どうして霊能力がほしいの?」 「決まってるじゃないですか!」 真央は一点の曇りもない笑みを浮かべた。 「面白そうだからですよ。わたし、ホラーとか怪談、結構すきなんですよねー。幽霊とか見れたら楽しいじゃないですかー」 「……それ、あんまり公言しない方がいいよ」 「え、どうしてですか?」 「霊感のある人にそれを言ったら、殴られるかもしれないからね」 霊の危険さを実感のこもった口調で話す。 「……へぇ、結構苦労してるんですねぇ」 同情じみた目を向けられる。 「そうだよ。だから、霊能力がほしいなんて言っちゃだめ」 「諦めます」 真央は肩を落としてしょんぼりした。 素直な子で安心する。 と思っていたら、顔を上げて、にぱっと笑った。 「あ。つまり先輩と一緒にいれば怪奇現象を安全なところから見られるってことですよねー?」 「え」 「ラッキー」 全然素直な子じゃなかった。転んでもただじゃ起きないタイプだった。 一瞬むっとしたけれど、笑顔があまりにも可愛くて、私は文句を言えなかった。 それからというもの、真央が懐いてくるようになった。友達のいない私にとって、新鮮な体験だった。認めざるを得ない。楽しくなかったと言えば嘘になる。 目的地の祠が見えてきた。祠のすぐ横の空間は駐車場になっているが、白線の上が汚れていて一目では駐車場だと判別できなかった。近くの電灯が点滅していて、鬱陶しい。虫も湧いている。 どうやら自分が一番乗りのようだ。自転車を停めて祠を見下ろす。随分と古くなっていて全体的に黒ずんでいた。 ふと、気配を感じる。 顔を上げると、幸薄そうな大学生くらいの男が立っていた。肌が粟立った。ぎょっとして、数歩後ずさる。 胸のところに、黒い穴が開いていた。 ――帰った方がいい。 そうはっきりと口にする。 私はぎこちない笑みを浮かべた。 「あ……、ありがとうございます。でも、私が行かなくても、後輩は勝手に行くと思うから。心配なんです」 男は納得したのかどうなのか、遠い目をしながら、山の中に入っていった。完全に消えたのを確認してから、ほっと息を吐き出す。心臓が脈打っていた。 久しぶりに、存在感のある霊を見たな。直接話しかけられた経験はめったにないから、緊張した。 なんだか嫌な予感がする。 その時、ぱしゃり、とシャッター音が聞こえた。思わず「ひっ……」と悲鳴を上げて体を震わせる。背後に知らない女の子が立っていた。 かなり小柄な女の子で、おかっぱ頭だった。祠にカメラのレンズを向けている。 「……ひょっとして、坂内由紀子(さかうち ゆきこ)さん?」 そう声を掛けると、少女はこちらを向いて、こくりと頷いた。 「そうです。今夜はよろしくお願いします、黒渕先輩」 にこりともせずに言って、祠を別の角度から撮り始める。自転車は少し遠くのところに置かれてあった。 真央から聞いていた通り、変わった印象の子だった。 今夜のことを企画したのは、坂内らしい。彼女は廃墟マニアで、休みの日になると全国津々浦々の廃墟に足を運んでいるのだそうだ。学校の教室で、一緒に廃墟に行く者を募っていたが、誰も参加を表明しなかったので、真央が哀れに思って手を挙げた、というのが事の顛末らしい。 まぁ真央のことだから、普通に行きたくて手を挙げたというのが真相な気がするけど。 「坂内さん、こんな夜遅くに外出してよかったの?」 ずっと黙っておくのも気まずいので声を掛ける。 「心配は無用です」 坂内はカメラを首に下げて、私の前に立った。 「うちは放任主義なので、何も言われませんでした」 「へえ、そうなんだ。ヨミ子さんの噂は知っているよね?」 「ええ、興味ありませんけどね。馬鹿らしい話だから」 あくまでお目当ては廃墟そのものみたいだ。 「あ、そういえば、なんで夜なの? 昼でもよかったんじゃない?」 ふと疑問に思ったことを尋ねると、坂内はふんと鼻で笑った。これだから素人は、というニュアンスが感じられる。 「夜だからこそ廃墟というものは輝くんです。もちろん、日の当たった廃墟も格別ですが、わたしは断然、闇に包まれた廃墟が好みですね。探索しているだけで心が洗われます。あの高揚感を一度味わうと、もう正気ではいられません。たぎってしまいます」 「……そうっすか……」 坂内は頬を緩めている。 よくわからない話だが、マニアだからこその拘りがあるんだろう。 坂内は話を続けた。 「普段なら必ず一人で行くんですが、変な女が出るそうなので、参加者を募りました」 「信じてないんじゃなかったの?」 「呪いや異世界の話は信じてないですよ。ただ、不審者が徘徊しているという可能性はあるから」 なるほど、合理的だ。それなりの人数で行けば不審者に遭遇しても何とかなるだろうと考えているのか。想定人数はもっと多かったはずだ。今夜は三人だが、同行者がいないよりはましと考えたんだろう。 そういえば、と思い出す。以前、真央が拳を突き出して、「わたし、中学までは格闘技やってたんですよねー、結構強かったんですよー」とか言っていたっけ。あくびを漏らして聞き流したけど。 お互い、スマートフォンを弄って過ごした。知らない人と長話なんてできるわけがない。むしろ、今夜は上出来な部類だった。 予定の時刻になっても、真央は姿を現さなかった。 「来ないですね」 「連絡、今入れるよ。もうちょっと待ってあげよう」 「……黒渕先輩って真央と付き合ってるんですか?」 メッセージを打つ指が止まった。 「え」 「いつも一緒にいますよね。付き合ってるんじゃないか、って噂になってますよ」 「そんなわけないって」 私は苦笑した。真央の目的は私じゃなくて、私の霊力にある。悲しいけれど。 「ふうん、そうなんですね」 坂内は興味なさそうに頷いた。それから、淡々とした口調で続ける。 「真央って明るくて友達が多くて、素敵な子ですよね」 「……まぁ、そうかもね」 「わたしとは正反対。オカルト好きっていう暗い趣味があるくせに、皆から好意を持たれている。世の中、不公平だと思いませんか? どうしてわたしは馬鹿にされているのに、この人だと許されるんだろうって……」 坂内を見る。表情から感情を読み取ることはできなかった。忙しなくカメラを弄っている。 私は少しだけ考えてから口を開いた。 「真央は単純に要領がいいだけだよ。欠点だってたくさんあると思う。あざとくて調子いい、とかさ。他人と自分を比較してばかりいちゃ、気疲れするだけだよ」 先輩っぽいことを言った。柄じゃないなぁと、少しだけ照れる。 坂内は驚いた顔をした。目を見開いて私を見る。 「先輩みたいなことを言いますね」 「先輩だからねっ」 ……失敬だな、こいつ。 坂内は、カメラのレンズを覗き込んだ。 「正論ですけど、わたしはやはり不公平なのは許せません。もっと世界は公平であるべきです。皆が平等である方が、健全ですよ」 そうだろうか。それはそれで不健全な気がする。疑問に思ったけど、口に出すのはやめた。他人の考えを否定できるほど、私は立派な考えを持っているわけじゃなかった。 「なーに難しい話してるんですか~」 不意に声を掛けられた。 真央が自転車を押してきた。 「遅い」 「ごめんなさい、反省してます」 許しを請うように上目遣いで見上げてくる。あざといなぁ。 私たちはさっそくペンションを目指して山の中に入った。懐中電灯を片手に、坂道を歩く。 「家を出る前、ママと喧嘩しちゃったんですよね~。ありえないですよっ」 真央は母親との喧嘩の流れを説明した。そのおかげか、暗い森の中を歩いていても、あまり恐怖心を感じずに済んだ。 一分ほど歩いて、目的地が見えてきた。 「へぇ~、これが『幽霊ペンション』かぁ」 真央が子供のようにはしゃいでペンションを見上げる。 二階建てで、思いのほか大きい建物だった。木造建築で老朽化もまだそこまで進んでいない感じだ。窓が幾つか割られているから、一目で廃墟だとはわかる。 建物の周りをぐるりと回った。中に人の気配は感じられない。ただ、霊のいる感覚は、ずっと体中にまとわりついていた。気が重くなる。 「この幽霊ペンション、心霊スポットランキングだと百位くらいで、そこまで高くは評価されてないみたいですね。噂が、突拍子のないものばかりだからだと思うんですよ。単純に幽霊を見たという目撃談は多いんですけどねぇー。ヨミ子さんについては、ここ半年くらいで新しく出来た話らしいです」 真央がはしゃいだ調子で言う。のりのりだった。 「迷惑な話だよ。廃墟好きとしては、安易に廃墟と心霊を絡めてもらいたくないな」 坂内が苦言を呈する。げんなりといった感じだ。 「いいじゃんいいじゃん。土地に不法侵入してる時点で同じ穴の狢だよ。人類皆友達! ラブアンドピース!」 「話が飛躍したね」 呆れて横から突っ込む。しかしこの後輩、テンション高いな……。 「そういえば、由紀子はここに来るの初めてなの?」 「そうね。だから楽しみ」 坂内が笑顔で言う。いつも笑っていれば可愛いのにと思うが、余計なお世話だろう。 扉の蝶番が壊されていたので、簡単に侵入できた。中は想像以上に酷いありさまだった。ゴミがそこら中に捨てられていて、下駄箱や受け付けのところに大量の埃が積もっている。虫も湧いていた。空気が澱んでいて、何度も咳をしてしまう。 不意に、気配を感じた。何もない空間から大量の視線が降り注いだ。ぞっとした。やはり、ここにはたくさんの霊がいる。波長が合えば、もっと姿かたちを捉えられていただろう。 真下に懐中電灯のライトを向けると真新しい足跡が残っていた。例のヨミ子のものか、噂を聞きつけてやってきた野次馬のものか。どちらにしろ、意外と人の出入りはあるようだ。 「先輩のアンテナ、まだ反応しませんか?」 「……私は鬼太郎か。いや、むしろ反応しすぎてて、何が何だか」 「うお、マジですか。すげー」 真央は怖がる素振りも見せず、興奮している。坂内もシャッター音を連発させていた。どちらも楽しそうだ。 本当に来てよかったんだろうか、と不安になる。私はここに来て、もう何度か霊を見ていた。どれも悪意のない霊だったので心配はいらないが、これからもそうだとは限らない。 一階を見て回る。大きな扉を開くと、ラウンジだった。ソファや本棚、ビリヤードの台が置かれている。 「うわっ」 ゴミ袋が部屋の隅に積まれていた。誰かが定期的に不法投棄しに来ているのかもしれない。鼻にツンとくるような匂いが充満している。ここでは息を吸いたくなかった。 「糞が……」 坂内が背後でそう呟いた。 「どしたの、由紀子。下品ですことよ」 「犬の糞を踏んだ」 「ありゃ、それは本当に糞だね」 「どうしてわたしだけ……」 憎々しそうに言う。 一階には、怪しい魔法陣や儀式の道具など、目につくものはなかった。二階に上がることにする。 「ん?」 階段を上ろうとしたところで何かを踏み、きし、と音がした。靴をどけて踏んだものをライトで照らす。 拾い上げる。イヤリングのような形をしていた。とはいえ、大きすぎるので、イヤリングではないだろう。何かの機械のようだ。短いコードがくっついていて、その先がイヤフォンになっている。最新の音楽プレイヤーかそれに近いものかもしれない。 「どうしたんですかー?」 背後から真央に声を掛けられて振り返る。 「これ、あんたのじゃないでしょ?」 機械を見せると、真央を目を細めた。首を横に振る。 「見たことないですねぇ」 「坂内さんはどう?」 「音楽には興味ない」 「そっか……。あとで交番に届けよう」 「うわ、先輩、真面目ですねぇ。っていうか、拾った場所を言ったら怒られるんじゃないですか?」 「近くで拾ったって言うよ」 ポケットに入れる。 ふと、こういう場所での注意点が頭に過った。二人に顔を向ける。 「言い忘れてたけど、こういう霊の多いところでは落とし物が多くなるから気を付けてね」 「え、そうなんですか?」 「人懐っこい霊だと、人間の身に着けているものを奪おうとしたり、落とそうとしたりするから」 「……へえ、そうなんですか。なんでそんなことするんですかねぇ」 「また来てほしいからだと思う。落とし物をしたら、探しに来なきゃならないでしょ」 「あ、なるほどぉ。霊って頭いいですね」 話を聞いていた坂内が、はっと鼻で笑った。馬鹿馬鹿しいと毒づいている。 三人で二階に上がった。階段を一段踏むたびに、ぎこり、と独特な音が鳴った。 まず手前の部屋を覗く。客室だった。ベッドの上には、ずたずたに引き裂かれた子供服が、広げて置かれていた。どういう意図があって、そうされているのかはわからない。 「これ、何なんですかねぇ。何で子供服が……」 真央が青ざめた顔で、その服に触れようとしたので、慌てて止める。 「やめといた方がいい。変なのに付きまとわれたくないなら」 「あ、そうですよね。これ、なんかやばそうです」 三人で部屋を出る。廊下を歩きだしてすぐ真央が足を止めた。 「あのぉ、先輩」 内股でもじもじし始める。嫌な予感が……。 「ひょっとして、おしっこ?」 「先輩、デリカシーないなぁ。はっきり言う?」 「周りに男いないし……。そこらへんでしてきたら? ほら、客室にトイレあったでしょ」 「やっぱりこの人デリカシーないよーっ。由紀子も何か言ってやって」 「早く小便してくれば?」 「この二人似た者同士だぁ!」 真央は、なぜか頬を膨らませて「お花を摘みにいってきまーす」と部屋の中に入っていった。先に行かないでいてくださいね、と扉越しに言われる。 廊下が静まり返った。横にいる坂内は、ライトを色々なところに向けて、目を輝かせていた。真央から聞いたところによると、普段はいつも仏頂面で過ごしているそうだ。本当に廃墟が好きなんだろうな、と思う。 「坂内さん、気分はどう?」 「控えめに言って最高です」 「最高かー」 それはよかった。 「先輩はどうですか? 廃墟の素晴らしさを実感していますか?」 期待の籠った目を向けられる。 私は苦笑した。 「どうだろう。でも、少し楽しいかも」 「楽しい?」 「……後輩二人と肝試しなんて、初めてだから」 言ってから、やめておけばよかったと後悔する。無性に恥ずかしくなって咳ばらいをした。 坂内が軽く首を傾げ、じーっと見てきた。羞恥心を煽られる。 「先輩の気持ち、少しわかるかもしれません」 え、と声を漏らす。 「……他人と来ても仕方ないと思ってました。いつも独りでしたからね。でも」 「おまたせしましたー」 扉が勢いよく開かれる。健康的な顔色をした真央が出てきた。 「膀胱がすっきりしたんで、本調子になりました。ヨミ子さんだろうが幽霊だろうが、どんとこいです」 「デリカシーに欠けてるのはどっちだよ……」 呆れて息をつく。わははー、と真央が笑う。こんな後輩が学校ではモテモテだというのだから、男の見る目は信用できない。 ほかの部屋には、特に気になるものはなかった。思いのほか、拍子抜けの感が否めない。ただ、視線の量は明らかに増えてきている。 「そういえば、地下を見てませんでしたね」 真央が思い出したように言う。ネットの情報で、ワインセラーがあることを調べていたようだ。二階の通路を歩いていると、「あれ」と声がした。坂内が、カメラを弄って首を傾げている。 「どうしたの?」 「……カメラ、壊れたみたいです」 「え?」 「シャッターが切れなくなりました。こんなこと、初めてです」 三人の間に沈黙が落ちる。 私はしんどくて、その場に座り込みたくなった。妙に肩が重かった。それは私だけじゃないようで、二人共、何度も肩に手を触れている。 そろそろ外に出るべきかもしれない。 ワインセラーはやめておこうと提案しようとした時だ。 「そろそろ帰らない?」 坂内が提案した。えー、と真央が不満そうな顔をする。 「ひょっとして由紀子、怖いんじゃない?」 「カメラがどうなったのか、家で確認したいの。廃墟にはいつでも来れる。それに、もうヨミ子さんは出てこなさそうだしね……」 「そんなことないよー」 真央が唇を尖らせる。 私が坂内に加勢しようとした時だ。 がちゃり、と扉の開く音がした。足音が続く。 「え、なに」 真央が動きを止めた。三人で顔を見合わせる。 「管理人が来たのかも」 坂内が、押し殺したような小声で、冷静に言った。 「違うよ。ヨミ子さんだよ」 「どちらにしろ、まずい状況かもしれない」 「どうする?」 「どうしよう?」 「隠れましょうよぉ」 「どこに隠れるっていうの?」 「足音、聞こえるよ。下で動き回ってる」 「よし、あっちの部屋に行こう」 私たちは近くの客室に逃げ込んだ。ライトを消して声を殺す。幸いなことに、月明かりが射していて、暗闇に身を置くことにはならなかった。 足音と物を引きずるような音が下の階から聞こえてきた。 「何してるんですかね」 真央が、流石に不安そうな顔で言った。 「わからないけど、隠れたのは失敗かも」 「え、今更何言ってるんですか、先輩」 「だって、管理人なら素直に謝ればいいし。浮浪者だったらそのまま帰ればいいだけだし」 「ヨミ子さんだったらまずくないですか?」 「そもそもヨミ子さんなんているとは思えないよ」 「いますよ。今下にいるのがヨミ子さんです。たぶん、儀式をしていて」 ぎこりと、階段を上がってくる音がした。私たちは口をつくんだ。身を竦ませる。 音を立てないよう気を配りながら扉に近づいて鍵穴から廊下を見る。足音は、少しずつこちらに近づいてきていた。 もしもこの部屋に入って来たら……。 振り返ると、後輩二人は、それぞれ武器になりそうなものを持っていた。ライトスタンドと椅子……正直、心許ないが、何も準備しないよりはましだろう。 再び鍵穴を覗く。ライトの光がビームのように伸びている。少しして、セミロングの女が廊下を通った。白い服を着ていて、大きな懐中電灯を持っていた。左の突き当りの方に消える。 いま部屋を出て、外に逃げるのが最善の行動かもしれない。 でも、と思う。 もしも捕まったら。それを考えると身震いが止まらなかった。 ばたん。扉の閉まる音が聞こえた。開く音はなかった。つまり、一番奥の部屋に女は入っていったということだ。奥の部屋だけ、扉を開けっぱなしにしていたから間違いない。 どれくらい経っただろうか。音が完全に止んだ。静寂が戻る。 「……ヨミ子さんです。異世界に言ったんですよ」 しばらくして、真央が言った。 「馬鹿らしい」 坂内が鼻で笑った。 「とりあえず、廊下に出ようか」 恐る恐る扉を開いて廊下に出る。誰もいなかった。 女は本当に消えてしまったんだろうか。 「確認してみましょう」 真央がとんでもないことを言い出したので、ぎょっとする。冗談じゃない。 「帰るよ。もう寝る時間だからね」 「いいじゃないですかー。どうせなら、本当にヨミ子さんかどうか確かめましょうよ。奥の部屋にいなかったら、つまり異世界に移動したってことです」 「いいね」 坂内が賛同する。裏切られたような気分になった。 「いい加減、異世界とか幽霊とか、うんざり。そんなものいないってことを、証明しよう。きっと浮浪者だよ。ベッドで寝てるんでしょ」 私を置いて、二人が奥の部屋に向かう。私は歯噛みする思いで、二人の後を追った。たまには先輩の意見も聞いてほしい。 奥の扉は閉まっていた。真央が鍵穴を覗いて「誰もいません」と蚊の鳴くような声で言う。 「早く帰ろう。私、観たいドラマあるの」 急かしてみたが、二人は聞く耳を持たなかった。 「入ろう」 坂内がドアノブに手を掛けて、がちゃり、と回す。 扉がゆっくりと開いた。 中には誰もいなかった。 「ほら、いませんよ」 真央が興奮を隠せない様子で中に入っていく。坂内も後に続いたので、私も仕方なく入室する。 物の配置などが、先ほどと微妙に変わっていた。人がいた証だ。 「隠れてるのよ」 坂内がクローゼットの中やベッドの下を探すが、見つからなかった。 いるとすれば、あとは風呂場しかない。 三人で脱衣所の前に立って扉を開ける。 息を呑んだ。 女が立っていた。 小柄で若い女だ。私たちを見て、能面のような浮かべている。鍵穴から覗いていた時には気づかなかったが、右手に包丁を持っていた。床には懐中電灯が置かれている。 私たちは硬直した。何か反応しなきゃならないのに、体が言うことはきかない。思考が止まった。 最初に動き出したのは、坂内だった。扉を閉めて、私たちを見る。 「逃げよう」 そこから先の記憶は曖昧だ。我先にと、私たちは玄関まで走り、外に出た。自転車の置いた場所に着くと、乗ってすぐに全速力でペダルを漕いだ。後にも先にも、あれほど自転車を早く走らせたことはないだろう。民家が多くある場所まで出てから、私たちは自転車を止めて、コンビニの前で顔を見合わせた。 「なんだったの、あれ」 真央が肩で息をしながら言う。こっちだって知りたい。 「少なくとも、あれは人間だった」 私はそう断言した。 「ヨミ子さんですよ。間違いないですよ。やっぱりいたんだ」 そうかもしれない、と思った。 明らかに異常だった。冷静に思い返すと、彼女は早い段階から私たちの存在に気づいていたはずだ。周囲は静かだったので、声や物音は女に伝わっていたと思う。それなのに、女は気にする素振りも見せず、奥の部屋に引きこもり、ずっと何かをしていた。包丁を持って……。普通じゃない。 ふと、坂内を見る。 ニタニタと笑っていた。片手で口を覆っている。 ぎょっとした。異質な笑い方だった。 あまりにも恐ろしい光景を見たからか、逃げおおせて安心したからか、どちらにしろ、危険な精神状態のように思える。 「坂内さん、大丈夫?」 「……ええ。大丈夫です」 坂内は笑顔を引っ込めた。片手を下ろして、また無機質な人形のような顔に戻る。 「二人共、オカルトにかぶれていて、目が曇ってるんですよ」 「どういう意味?」 「あれは単なる頭のおかしい人ですよ。そう解釈すればいいだけじゃないですか」 「まぁ、そうだけど……」 坂内は、どうしてか悲しそうに目を伏せた。 「だから、変に心配する必要はないんじゃないですか?」 「そうかなぁ」 「あ」 坂内が、手を後ろに回して、眉を顰める。 「ど、どうしたの?」 「財布、落としたみたいです」 「え」 「明日、取りに行きます。だから心配なさらず」 その後、私たちはそれぞれの帰路に着いた。皆、家は近くにあるらしい。自宅に戻ると、シャワーを浴びて、そそくさと布団に潜った。 もう、心霊スポットには二度と行かないと心に誓った夜だった。 幽霊ペンションに足を踏み込んでから、二日が経った。 身の回りで変わったことは起きていない。教室の自分の席で頬杖をつきながら、やはりあの女性はただのおかしい人だったんだと、そう自分を納得させていた時だ。クラスメイトの話が耳に入り込んできた。 「ヨミ子さんがさア」 ぎょっとしてそちらを見る。 女子生徒数人で、都市伝説の話をしているようだった。 ちょっと過剰だな……。私はまた前を向いた。 坂内は昨日、無事財布を見つけたそうだ。二階の通路に落ちていたらしい。学校が始まる前に拾いに行ったそうだ。わざわざ報告しに来てくれた。 「幽霊が落とさせたんなら、どうしてわたしだけ……」 そう憎々しそうに呟いていたのが印象的だった。幽霊なんて信じてないんじゃなかったの、と言うと、不貞腐れたような顔をしていたっけ。 回想を断ち切って、机の中から本を取り出す。もうすでに読み終えてるいる本だけど、暇つぶしの道具がないから、仕方なく目を通す。 こうしていれば、周囲から声を掛けられることもない。 ちょっと前までは、ミーハーでオカルト好きな女の子たちに声を掛けられていた。移動教室の時など、誘ってもらっていたが、彼女らとは今距離を置いている。いや、置かれているという方が正しいか。私の霊感体質が原因で、彼女たちを怖がらせてしまったのだ。 残念な気持ちもあるが、正直なところほっとしていた。私はあまり多くの人間を相手にしたくない。それだったら、まだ霊の相手をしている方が安心できた。 死んでいる人間より、生きている人間の方が怖かった。 「ねえ、黒渕さん」 どきっとする。本から顔を上げると、都市伝説の話をしていた女子たちが、私の机をぐるりと囲んでいた。確か、田口という生徒だったか。私を正面から見下ろしている。 「最近、面白い都市伝説の情報とかってないのー。幽霊の話とかさー」 「……どうだろうね」 笑顔を浮かべる。 「知ってるなら教えてよー。ほらー、夏だからさー」 夏だから何だというんだ。 わざわざその場でオカルトの話を始めた。私に聞いていてもらいたいんだろう。理由は謎だけど。 私は媚びた笑顔を浮かべ続けた。本当はそんなことしたくない。無所に腹立たしいのに、笑顔をやめられなかった。クラスメイトの言葉に愛想よく相槌を打ってしまう。 あー……、私ってなんなんだろ。 誰か、ここから連れ出してほしい。 「先輩!」 いきなり声を掛けられて、びくりとした。真央が慌てた様子で駆け寄ってきた。二年のクラスなのに堂々としている。田口たちも驚いていた。 「……どうしたの。ここ二年の教室だよ。あと、走らない」 「そんな悠長なこと言ってる場合じゃないですよー」 真央は机に手をついて、うう、と頭を抱えた。様子がいつにも増して変だ。 「あの、あたしらあっち行ってるね。なんか深刻そうだし」 田口たちが離れていく。真央はそれを振り返ってから、こちらを向いて溜息をついた。頭を抱えたまま言う。 「由紀子が死んだんです」 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。 坂内さんが……。 私は目を見開いた。嘘でしょ、と呟く。 「流石に、こんなシャレにならない嘘は言いませんよ。今朝、担任の先生から聞かされたんです。間違いないです」 「どうして……」 真央は息を吐き出した。顔が青くなっている。 「昨日から様子がおかしかったんですよ。なんだか、びくびくしているみたいで。幽霊ペンションでの一件が堪えてるのかなぁって思ってたんですけど」 私も昨日は会っている。財布を見つけたという報告の時だ。あまり変わった様子はないと思ったが、真央の方が付き合いは長いから、何か感じるものがあったんだろう。 真央は突然、何かを思い出したように、スマートフォンを取り出した。画面をこちらに向ける。 ――ごめんなさい。 メッセージにはそう書かれてあった。 「なに、これ」 「学校に着いた頃、由紀子から送られてきたんです。こちらから返信しても、何の反応もありませんでした。わたしが何か行動を取っていれば……」 「真央のせいじゃないよ」 「先輩……」 私のせいだ。私が、幽霊ペンションに行くことを止めていれば、こうはならなかったかもしれない。 「もうそろそろ授業が始まるよ。とりあえず、後のことは放課後に話そう」 「はい……」 真央は意気消沈して帰っていった。 私は周囲に目を配った。案の定、奇異の視線を向けられている。 放っといてよ。私は心の中でそう呟いた。気にしていないふりをしながら窓の外に目を向ける。憎々しいほどの快晴だった。 「どうするか、決めないとね」 廊下の隅で、自分たちの身の振り方を話し合った。 真央は先ほどよりは元気を取り戻しているようで、いつもの顔色に戻っていた。 「由紀子が死んだのは、ヨミ子さんの儀式を見たからじゃないですかね」 「それはどうだろう。儀式をしていたかどうか、よくわからなかったし。それに噂だと、死んでしまうのは見てから四日後ということになってるでしょ。まだ私たちがあれを見てから二日しか経ってないよ」 「噂は曲解して伝わるのがデフォですよ。都市伝説にしろ、恋愛の話にしろ、むかつく女の悪評にしろ。きもい男の噂にしろ」 一理ある。本当は死ぬ時期に個人差があるのかもしれない。 「たぶん、自殺ですよね」 真央は目を伏せた。 「こんなメッセージを残すくらいですし。呪いの力で、そうさせられたのかも」 「そうとは限らないんじゃないかな」 「え?」 「まったく違う要件でのメッセージかもしれないよ。死因は事故かもしれない。自殺の兆候は、いままでなかったわけでしょ?」 「ええ。毎週の廃墟巡りが楽しくて仕方なかったみたいですからね。悩みとかはなさそうでした」 「どうやって亡くなったかは調べといた方がいいだろうね。それから、ヨミ子さんの噂の方も、もっと詳しく調べた方がいい」 スマートフォンを取り出して検索をかける。 ネット掲示板にスレッドが立っていた。さっそく上から書き込みを見ていく。 「あまり有益な情報はないね」 すべて見終えて肩を落とした。使えない情報ばかりだ。初出が何なのかくらいはわかると思ったのに……。 真央が焦燥感を顔に浮かべた。 「わたしたちも死んじゃうんですかね。わたし、まだやりたいこといっぱいあるのに……。美味しいもの食べたり、いっぱいオシャレしたり、先輩と遊んだり……」 私は真央の肩に手を置いた。 「……大丈夫。私が何とかするから」 「先輩」 笑顔を見せる。やはりこの後輩は笑っている方が素敵だ。 「タイムリミットがいつかわからないから、さっそく動かないとね」 「どうするんですか?」 「真央がヨミ子さんのことを知るきっかけになったのって、友達の友達から聞いたからだっけ?」 「友達の友達の従妹です。その従妹のクラスメイトの子がヨミ子さんを見て、四日後に死んだんです」 「……微妙にややこしいなぁ。まぁ知り合いから聞いたのね。その人とアポイント、取れないかな」 「どうでしょう。今連絡してみますね」 真央がスマートフォンを操作し始めた。ちょっとだけ距離を置いて、壁に背中をつける。下校する生徒達を見つめた。 皆、平和そうだった。羨ましく思う。 ふと、視界の隅にありえないものを捉えてぎょっとした。坂内だ。彼女は口をゆっくりと動かしている。 周囲の音が消失した。 「え……」 一瞬の出来事だった。見間違いだったのか、呆然と見ていると、坂内は人混みの中に消えていた。満ち潮のように、音が戻ってくる。 「……どうして、私だけ?」 彼女の口はそう動いているように見えた。 ぞくりとする。 「先輩、どうしたんですか?」 肩を叩かれて我に返る。 「あ、何でもない……。で、どうだった?」 「忙しいらしくて、オカルトマニアに構っている暇はないって断られちゃいました。その子、受験生ですからね」 「……そう」 「でも、亡くなった生徒と深く関わりのあった人と会わせてくれるよう取り計らってもらえました。イケメン紹介するよって言ったら、あっさりオッケー。ちょろいです」 「ナイス、真央」 こういうことは、私じゃできない。さっそく二人で学校を出た。 「恵のことについて知りたいんだよね」 戸田という男は眼鏡の位置を直しながら言った。 喫茶店の中だった。私と真央の前には、紅茶が並べられている。 戸田は、例の亡くなった女子生徒の彼氏だった。始終、感情の動きのわかりづらい無表情のまま、コーヒーをすすっている。顔は格好いい部類に入るが、人間味の薄そうな人に思えた。神経質そうな細い目を、さらに細めている。この近くの大学に通っているらしい。 真央の人脈のおかげで、その日のうちにアポイントを取ることができた。 「ヨミ子さんの儀式を見て、亡くなったんですよね」 真央が訊くと、戸田は首を傾げた。 「どういうこと?」 「ほら、都市伝説ですよー。恵さんが遭遇したっていう」 「ああ、そういえば、そんなことがあったと言っていたな」 どうやらオカルトの類は信じていないようだ。 戸田はコーヒーに口をつけてから言った。 「恵とは、歳の離れた幼馴染だった。家が近所でね、よく遊んだもんだ。中学にあがってからは疎遠になってたけど、高校で一緒のバスケ部に入って、付き合うことになったんだ」 淡々とした口調で言う。あまり悲しそうではなかった。ふと、彼の身に着けている装飾品に目が行く。なんとなく、彼の趣味ではないような気がした。ひょっとしたら、新しい彼女が選んでくれた物なのかもしれない。 「ヨミ子さんのこと、恵さんは何て言ってましたか? 教えてください」 私が単刀直入に聞くと、戸田は少しだけ考え込むような素振りをした。 「どうだったろう。廃墟で女に会ったとは言っていたね。ショートヘアで、大柄な女性だったと話してたように思う」 「大柄ですか!」 真央が身を乗り出して聞く。 「ああ、間違いないよ」 私が見た女性は、小柄だった。あれを大柄と表現するのは無理がある。矛盾していた。 ほかの情報も聞き出そうとしたが、彼は首を捻るばかりだった。 「僕はオカルトに興味がなかったから、恵の話をあまり聞いてあげられなかったんだ。ただ、オカルトに興味がなかったのは、恵も同じだったはずだな」 「え、そうだったんですか?」 「ああ。だから肝試しに行こうと誘われたときは驚いた。結局、都合が合わなくて、恵は一人で行ったらしいが。後から思えば、恵は逃避したかったのかもしれないな」 「逃避、ですか?」 「よく言ってたよ。誰もいないような自然あふれるところで暮らしたいって。メルヘンチックなことを言うものだから笑ってしまったが」 私は心の中で苦笑した。この人が笑うところを上手く想像できなかったからだ。 彼は真顔で続けた。 「……恵はバスケ部でいじめられていたらしい。これは後で知ったことだ。先輩の彼氏にちょっかいを掛けられて、それでその先輩に逆恨みされていたらしいんだ。都市伝説の女のように、現実から逃避したかったんだろうな」 「……」 「心不全になったのも、心労を抱えていたからかもしれない」 感情のこもってない口調で言って、コーヒーを飲み干した。 「まぁ、もう全部終わったことだよ。僕が気づいてあげていれば、って一時期は考えたが、過去のことをいつまでも引きずっても仕方ない。新しい彼女もできたし、忘れることにしたんだ。すまないが、君らの調べている都市伝説については、ほとんどわからないし、興味はない」 「……そう、ですか」 彼はカップを置くと、窓の外を見た。 心の中に靄が広がる。恋愛なんてしたことがないからわからないけど、死んだ恋人に対して、ここまで割り切れるものなんだろうか。人によるのかもしれない。少なくとも、私がどうこう言える問題ではなかった。 冷めきった紅茶に口をつけようとしたところで、はっとする。 不意に、彼の目から涙があふれた。私たちは呆然とした。二人の女子高生を前にして、彼は声を押し殺して泣いていた。コーヒーカップの取っ手を握りながら、すまない、と言う。カタカタと震えていた。 「どうして、どうして悩んでいることに気づいてやれなかったんだろうな」 喫茶店を出て、わたしたちは夕焼けを眺めながら、公園のベンチに座った。 「ヨミ子さんは二人いるんですかねえ。そういえば、二パターン話がありましたし」 真央が考え込んで言う。 「どうだろう」 「由紀子の死因についても調べなきゃいけないし……。ほんと、大変ですね」 子供が亡くなったばかりの家に出向いて、「どうやって死んだんですか?」とは聞けない。もう少し時間を置くべきだろう。 「とりあえず、今日は帰ろう」 「え、いいんですか?」 「やれることは今のところないからね」 「そうですね、わかりました」 私たちは公園前で別れた。自転車のペダルを漕いで、幽霊ペンションを目指す。二日前よりも早い時間なので、空はまだ明るいままだった。 私にはある考えがあった。それが合っているどうか、確かめようと思ったのだ。もう二度と心霊スポットには行かないと誓ったが、さっそく誓いを破ってしまった。 祠の前で自転車を停めて、少しだけその場で休憩した。 不意に、真央との会話を思い出した。別の世界があったらそこに行きたいか、という問いに対して、私は行きたいと答えた。 私は昔から友達がいなかった。霊感のせいで、変人として扱われていたからだ。不気味な存在として後ろ指をさされ続けた。それは、現状もあまり変わっていない。 そういう経験を多くしてきたからか、性格も捻くれてしまったように感じる。真央と知り合って、自分の捻くれ具合を再認識できた。 逃避したかった。異世界があるのであれば、そこで人生を再スタートさせたかった。異世界に憧れているのは、そういう心理があってのことかもしれない。 恵という子も現実から逃避したがっていたらしい。部活に自分の居場所がなかったようだ。坂内も、不平等な現状に不満があるみたいだった。 皆同じだな。私だけじゃない。 幽霊ペンションに続く道を進む。若干の心細さを感じた。木々のざわめきを感じる。近づくにつれ、肩が重くなってきた。 幽霊ペンションの前に出て、建物を見上げる。真っ暗なときに見るのとは、また違った印象を覚えた。儚げな雰囲気がある。坂内が廃墟について語っていた時のことを思い出す。私としては、夕焼けに染まった廃墟が一番に思えた。坂内が生きていたら、にわか認定されて鼻で笑われていただろうか。 正面の扉から中に入る。いきなり、知らない子供が横を通り抜けて、どきりとした。こんなところに子供がいるわけがない。呼吸を整えて、二階の部屋に向かった。女と遭遇した部屋だ。 扉を開けて、中を覗き込んでみる。 ベッドに女が座り込んでいて息を呑んだ。二日前に出会った女で間違いない。こちらを向いて、あら、と言う。私は小声で、「失礼します」と中に入った。緊張を表に出さないように、顔をこわばらせた。 間近から見下ろすと、普通の女性に見えた。ただ、目の下に隈ができていて、全体的にやつれて見える。 「声、聞こえますか?」 私が大きな声で訊くと、女性はこくりと頷いた。 「ええ、何とか聞こえるわ。ごめんなさい、かなり耳が遠いの。いつもは補聴器をつけてるんだけどね」 女性は申し訳なさそうな顔をした。私は肩から力を抜いた。無害そうな女性で安心する。 「ひょっとして、その補聴器ってこれですか?」 「えっ」 イヤリングの形をした機械を取り出す。女性はそれを見て相好を崩した。 「それ、どこで見つけたの?」 「階段近くに落ちてました。偶然拾ったんです」 「ありがとう」 手のひらで受け取る。目を細めて補聴器の具合を確認すると、がっくりと肩を落とした。 「壊れてるみたい」 「……すみません」 「あなたが謝ることじゃないわ」 「この間のことは、謝らせてください」 私は軽く頭を下げた。 「驚かせてしまいました」 「こちらこそ、ごめんなさい。てっきり、不良のような方たちが、部屋に入って来たと思ったの」 慌てて隠れて、護身用の包丁を構えて待っていたわけだ。 「やっぱり、あなたはヨミ子さんじゃなかったわけですね」 「え?」 女性は首を捻った。 一連の流れを説明する。一応、学校名や名前といった固有名詞はすべて排除して。女性は黙って聞いてくれた。 「……そうだったの」 「後輩が亡くなって、それでもう一人の後輩が不安がっています」 「本当のことが知れてよかったわね。後輩さんも安心するんじゃないかしら」 人のよさそうな顔を浮かべる。 真実とは、実に呆気ないものだ。結局のところ、私たちは思い込んでいただけだ。ヨミ子さんという都市伝説を事前に聞いていたものだから、坂内の死を、無理矢理その話に絡めようとしていた。怪異に死の責任を押し付けていた。唐突な死にわかりやすい理由を与えて安心しようとしたんだ。 戸田の泣いている姿を思い出す。彼は、都市伝説というあやふやなものに責任を押し付けなかった。強い人だと思う。彼のあの姿を見て、私は都市伝説と坂内の死を絡めて考えることをやめた。そうすれば、おのずと答えは限られた。そのうちの一つが当たっていたわけだ。 「あなたも、ヨミ子さん目当てでここに通ってるんですか?」 女性は少し考え込むようにしてから頷いた。 「ええ」 「……死ぬつもりなんですか?」 踏み込んで聞く。普段の自分なら、絶対にこんなことは聞かなかっただろう。廃墟内にある独特の空気が、私をおかしくさせている気がする。 女性は目を見開いてから、ふふっ、と噴き出して顔を伏せた。 「どうだろう。自分でもよくわからないわ」 「ヨミ子さんを見たら、四日後に死ぬそうです。一回くらいなら興味本位で覗きに来るのもわかりますけど、何度も来ているというのなら……」 死を求めているというふうに解釈されても文句は言えないだろう。 彼女は、長い溜息をついた。 「彼氏が自殺したのよ」 「え……」 「いい人だったんだけどね。結婚を前提に付き合ってたわ。学生さんだったんだけどね、昔から厭世的で、いつも塞ぎこんでいるような人だったから、自殺したと耳にした時は、やっぱりこうなったか、って思った。覚悟はしていたの。でもいざ死んだら、私もそうするべきなんじゃないかって。私がいないと、何もできない人だったから、あっちでも苦労してそうだなぁって考えると、いてもたってもいられなくてね」 女性は私を見て、恥ずかしそうにはにかんだ。若い人なのかと思っていたけど、こうして落ち着いて話すと、結構年配な人に見えた。少なくとも三十は超えていそうだ。 「ヨミ子さんには会えていないんですね」 「そうね。会えていたら、毎日こんなところに来ないよ」 そりゃそうか。 「もう死ぬのは諦めるわ。結局、死ぬ勇気がないから、オカルトに縋りついていたわけだし。それに、補聴器も戻ってきた。これ、高かったのよね」 「そうしてくれると私も安心です」 「私たち、他人じゃない」 また笑われた。 「……いや、あなたは友人を自殺で亡くされたばかりなのよね。知り合ったばかりの人間がそうしようとしてたら止めたくもなるわね」 「そうかもしれません」 「ええっと、その後輩さん、坂内という人だったかしら? 仲がよかったの?」 「いえ。知り合ったばかりでした」 「ふーん、そうだったんだ」 「あの……」 気になったことを問いかけようとした時、スマートフォンの着信に気がついた。真央からだ。急ぎの要件かもしれない。断りを入れて、通話に出る。 「どうしたの?」 「大変です!」 大声に驚いてスマートフォンを落としそうになる。 「由紀子、自殺じゃありませんでした。殺されたんです!」 「え?」 言葉の意味を理解するのに、少しだけ時間を要した。 「いまテレビで由紀子のことが放送されています。由紀子、通学途中で刺されたみたいです! 目撃者の証言によると、犯人は三十代くらいの小柄な女性だとか。もう驚きですよ」 手に汗が滲んだ。落ち着いて声を絞り出す。 「……真央、ちょっと声のトーンを落として……」 「この件はネットニュースで見て知ってたんですけど、被害者は匿名だったし、学校名も伏せられていたから、由紀子のことだとは……。あと、メッセージの件もありましたし」 「……どういうこと?」 「時系列がおかしいんですよ。由紀子が亡くなったのは、七時十分なのに、由紀子からメッセージが送られてきたのは、八時でした。死んでいる由紀子からメッセージが送られてくるわけありませんよね。不自然ですよね」 「……」 「先輩、聞いてます?」 「ごめん、いま人と会ってるから切るよ」 「先輩!?」 私は通話を切った。震える手を抑えつけて、スマートフォンをポケットの中に戻す。 「どうしたの?」 女性が訊いてきた。 「面倒な友達から遊びに誘われました。断っちゃいましたけどね」 「ふーん」 「そろそろ、私、帰りますね」 「さっき、何か言いかけたようだけど」 「いえ、大したことではないんで」 私は歩調が速くならないように意識しながら、扉を目指した。 なぜ、坂内由紀子の苗字を知っていたのか。そう女性に訊こうとしていたのだ。私は固有名詞を省いて説明をした。彼女が坂内という苗字を知っているのはおかしい。 いったいどこで知ったんだ? 「待って、忘れ物してるよ」 背後からそう声を掛けられて振り返る。 頭に激痛が走った。一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐに理解する。殴られたんだ。確認しようと顔を上げたところで、また頭に痛みが走って、意識が途絶えた。暗転する。 ざくっざくっ、と土を掘るような音が聞こえる。 意識が覚醒して目をうっすらと開ける。どうやら地面に横たわっているらしい。体の節々に痛みが走って声を上げそうになった。 一帯が月明かりに照らされている。もう夜のようだ。 じっとりと体中が汗ばんでいる。気持ち悪かった。 「糞、なんでこんなことに……」 女がシャベルで穴を掘りながら、独り言をぶつぶつと呟いている。いま、何時だろうか。腕時計を見たかった。 現状を改めて確認する。 私は目の前の女に殴られて意識を失った。そして女は、私を埋めるための穴を掘っている。 悪い冗談にしか思えなかった。 ここまで引きずられてきたのだろう、体中が傷ついていた。覚えのない擦り傷や打撲がある。火であぶられたように、痛みを発していた。 彼女は、私が死んだと思っているんだろうか。それとも、自分の手で完全に息の根を止めるのは怖いから、生きたまま埋めてしまおうと考えているのか。どちらにしろ、悠長に構えている暇はなかった。 気づかれないようにポケットを探る。スマートフォンが無くなっていた。クソ。なんでだ。心の中で毒ずく。廃墟で出会った少年の顔が、不意に浮かんだ。あの子に取られたんだろうか。 一か八か、立ち上がって戦うしかないか。今の傷だらけの体じゃ、逃げてもすぐ追いつかれるだろう。捨て身で戦った方が、助かる見込みは高いと思う。 いや、そもそも命乞いをするべきじゃないか? 話し合えば、わかってもらえるかもしれない。相手も私と同じ人間だ。会話が成り立つんだから、大丈夫なはずだ。うん、きっと大丈夫……。 考えが甘い方向に流れていっていると自覚しながらも、そうならざるを得なかった。無理矢理に自分を納得させる。 「すみません」 声を発する。 女は気づかない。 「すみません!」 女が振り返った。ぎょっとした顔をしている。どうやら私が死んでいると思っていたらしい。 女が穴から出てきて、私を見下ろした。 「助けて……助けてください……」 「あなた、自分の状況わかってる? 私があなたを助けると思う?」 「どうして、こんなことを……」 「仕方ないでしょ。余計なことを知られたみたいだったし」 女はシャベルの先を地面に突き刺した。冷めきった目をしている。 「どうして……坂内さんを殺したの……?」 「ワインセラーに隠した死体を、見られた可能性があったからよ」 女はにやりと笑った。 「五日前に、この廃墟のワインセラーで彼氏を殺したの。大した理由はなかったわ。喧嘩して、ついかっとなってね。死体は物陰に隠した。まずかったのは、廃墟探索の途中で補聴器をどこかに落としてしまったことね。探し回ったけど、見つからなかった。まア、こんな廃墟に人は来ないと思ったから、後でゆっくり探そうと、その日は帰ったわ。それなのに、家に帰ってネットでこの廃墟のことを調べたら、有名な心霊スポットで、異世界に行き来する女が出るなんて言う、ふざけた都市伝説が流行っているというじゃない」 女はぺらぺらと話し始めた。よく舌がまわる。秘密を共有する人間を、欲していたのかもしれない。 「次の日、仕事が終わってから駆け付けたら、カメラを持った小さな女の子が廃墟から走って出てきた。怯えた顔をしてたわ。化け物でも見たみたいにね。それが坂内って子だった。私は死体を見られたと思って、諦めて踵を返した。でも、翌日になっても、警察はあの廃墟に来た様子はなかった。新聞やテレビをチェックしても、まったく触れられていない。だから、死体が警察に発見される前に、その日のうちに死体を別の場所に移動させることにした」 「……そしてまたその次の日に、私たちと遭遇したわけですね」 「そうよ。あの日は補聴器を探してたの。まさか、またあのカメラ少女と会えるとは思わなかったわ。あなたたちが逃げた後、坂内由紀子の財布を見つけた。中に生徒手帳が入っていて、住所が書かれてあった。それを写真に撮って元の場所に戻しておいたの」 この女は五日前から毎日、この廃墟に通っていたらしい。ご苦労なことだ。 「……あなたの犯行の瞬間は、目撃されてますよ。もう終わりです」 「大丈夫よ。ウィックをつけて変装していたし。それに、坂内が殺された時、私は複数の友達と一緒にいたことになってるから」 私は苦笑した。むっとした目を向けられる。 「何がおかしいわけ?」 「勘違いで人を殺すなんて、馬鹿な人だなぁっと思っただけです」 「は? どういうことよ」 女は眉根を寄せた。 「坂内さんは死体を見つけたわけじゃない。死体を見つけたなら、すぐに通報しているはずですからね。少し考えれば、子供でもわかる理屈です」 「友達に死体を見せて驚かせようとしていたんじゃないの? スタンドバイミーごっこね」 「さすがにそれは考えづらいですよ。だったら、肝試しの次の日にでも通報しているはずですし、彼女は、死体が隠してあったというワインセラーに行かずに帰ろうとしていました」 「……だったら、私が初めてあの子を見た時の、あの怯えようは何だったのよ。凄く怯えてたわ」 「異世界に行く女――ヨミ子を見たんじゃないでしょうか」 「……」 女が顔を歪めた。理解しがたいものを見てしまったかのように、目を細めている。 「そうすればつじつまが合うんです。坂内さんが死んだのは、ヨミ子を見てからちょうど四日後の今日。都市伝説が本当だったのなら、ぴったり当てはまるんです」 まさか、とは思う。でもそう考えれば、坂内の不自然な言動の意味にも説明がつくのだ。坂内は、私たちと廃墟に行く前日に、すでに廃墟でヨミ子を見ていた……。 「馬鹿馬鹿しい。だったら何? 彼女は呪いで死んだって言うの? でも、殺したのは私よ。私がこの手で殺した。殺したのよ。私は誰かに命令されたってわけじゃない。そうよ。私が私の意思で殺した。そのはず。そのはずよ……。くそ、待て。なんで、どうして、どうしてだ。殺す必要あったのか……? なんで私、一日間を置いてから殺したんだっけ? あれ、あれあれ? 違う、私の意思だ。殺す必要があったから、殺したんだ、私は間違ってない」 女が混乱している。瞳孔がおかしい。やがて目の焦点が合うと、シャベルを頭上に掲げた。女の顔から、余裕の笑みが消えている。振り下ろされたら、今度こそ助からないだろう。 もう時間切れか。話を長引かせて、どうにか隙をついて襲い掛かろうと思ったけど、タイミングが掴めなかった。そもそも、立ち上がる気力さえわいてこなかった。無駄な抵抗でしかなったんだ。 真央のことを想う。この後、彼女は真央を狙うだろうか。女は疑心暗鬼にかられている。私たち三人が秘密を共有していると思い込んでいるかもしれない。その可能性は高かった。 真央だけは守りたかったなぁ。 ごめん、真央。 目を瞑る。 「先輩!」 ……ああ、ついに幻聴が聞こえてきたか。もう終わりだな。 「せんぱぁい!」 「え」 目を開ける。真央が懐中電灯片手に全速力で走っていた。女が振り返る。 「な、何?」 「先輩に何すんだよてめえ!」 懐中電灯を投げ捨てて回し蹴りをする。女はスコップでの追撃を試みようとしたが、バランスを崩して後方によろけた。真央の足がからぶる。真央は距離を取って、もう一度回し蹴りを放った。女が無理に躱そうとして背中から倒れる。ぐえ、とカエルの断末魔ような声が聞こえる。 「この、こいつ!」 馬乗りになると、ぼこぼこと拳で殴り始めた。 「やめ」 「うるさいこの糞アマ! 由紀子をよくもやったな! それに、先輩まで!」 「ぎゃ、ぐぎゃ」 一方的だった。数十秒経ったら、女は完全に抵抗をやめた。サンドバックのように殴られ続けている。 体を起こす。 「真央、そのへんにしてあげなよ」 「うるさい!」 えぇ……。 真央は涙目で私を睨んだ。 「どうして一人でこんなところに来たんですか!」 「ええっと……」 「どうせ、超絶かわいい後輩を危険な目に遭わせるわけにはいかないとか、余計なこと考えてたんでしょ」 図星で何も言い返せない。口を噤む。 「わたしがどれだけ心配したと思ってんですかぁ! この馬鹿ぁ!」 女を殴る。……いや、その人は関係ないから。 私はよろめきながら体を起した。真央が女から離れて、私を支えてくれる。 「大丈夫ですか?」 「駄目かもね。死にそう」 「死んじゃ嫌ですからね」 私は笑った。 「死なないよ。っていうか強いね」 「言ったじゃないですか。わたし、格闘技を習ってたって」 冗談だと思ってた。でもあの立ち回りは素人っぽくなかった。 「いったい、どうしてここだとわかったの?」 「何となくですよ。幽霊ペンションに行っているのかもしれないなって。正確な場所は、祠の前で会った人に教えてもらったんです。その人、胸に穴が空いてました……」 「え」 「あっちに君の大切な人がいるからって言われてきたんですよ」 「……」 あとでテレビを観て知ることになるが、その男は、女に殺された男とまったく同じ顔をしていた。私が埋められようとしていた穴のすぐ近くに埋められていたらしい。 「幽霊に助けられるとはなぁ」 今まで邪険にしていたことを少しだけ申し訳なく思う。 真央が通報して、十分ほどで警察と救急車が駆け付けた。私は救急車に載せられて、近くの病院に搬送された。真央が付いて来て、涙目で励まされ続けたのは、ちょっとだけこそばゆい体験だった。 全治一ヶ月 そう医者から言われたときは溜息が出た。どうせなら半年くらい入院生活を送りたかった。数多くの打撲はすでに治っているが、問題は手の甲のひびだった。意識をなくして引きずらていた時にできたものらしい。二週間経った今でも、完治には至ってない。手が固定されているから漫画一冊まともに読めやしなくて退屈だった。 学校の人間でお見舞いに来てくれたのは、案の定、真央だけだった。当然の結果だが、親から「友達いないの?」と言われるのは思春期女子としては複雑なものがある。色々と察してほしいところだ。デリカシーがなさすぎる。 事情聴取に来た刑事二人組には、オカルト部分を除いて事の流れを説明をした。さすがプロだけあって私が何かを隠していると見抜いたのだろう、妙に根掘り葉掘り聞かれて矛盾を徹底的に突かれてしまったが、被害者ということもあって、割とあっさり解放された。また事件の解明が進んだ頃にやってくるかもしれない。 「先輩、おいっすー」 真央が制服姿でやってきた。学校帰りだろう。 隣のベッドを覗き込んで笑う。 「リンちゃんもお久しぶり。元気してた?」 「毎日合ってるじゃん」 リンちゃんが呆れて言った。 真央は、私と同じ病室のリンちゃん(十歳)と仲良くなっており、この頃は、私を無視して二人だけで話していることが多かった。 私はまだリンちゃんと、殆ど会話を交わしていないというのに……。 私はむっつりと言った。 「毎日来る必要ないんじゃない?」 「……先輩、なんですかその微妙な顔は。リンちゃんも何か言ってやりなよ」 「真央は健気でかわいい、こんな後輩ほしかった」 「さすがリンちゃん! わかってるぅ!」 二人で、「いえーい」とハイタッチをする。なんなんだ、こいつら……。こういうノリほんと苦手なんだよなぁ。っていうか、ちょっと下に見られてないか真央。いいのかそれで。 リンちゃんは違う病室のお友達のところに行ってしまった。他の患者も席を外している。二人きりになった。 「先輩、早く学校に戻ってきてくださいよー。今学校では、先輩の話でもちきりなんですから」 「え、なんで……」 「かわいい後輩を守るため、霊能力を駆使して戦う美少女探偵。そういう噂が流れてるんです」 「……最悪だ」 頭を抱える。 「もちろん、わたしが面白おかしく触れ回っておきましたから安心してくださいね。先輩の活躍は余すところなく表現できたと思います」 「やっぱりお前の仕業かっ」 えへへーとはにかむ。 くそ、と吐き捨てた。いつもこの笑顔を見ると、怒る気が失せてくるんだ。顔だけは可愛いからな。 窓の隙間から、生ぬるい風が吹き抜ける。真央は髪を押えて「あーあ」と遠い目をした。 「由紀子が死んだって言うのに、うちのクラスの連中、もういつも通りの空気なんですよ」 「……仕方ないんじゃない。いつまでもお通夜モードをしてろってのも無理だし」 「先輩は冷めてますねー」 真央はベッド脇の椅子に腰かけた。 「そういえばヨミ子さん、また再ブーム化してるみたいです。ゴシップ誌が都市伝説と絡めてこの件を扱ったりしてますからねぇ。オカ板は大盛り上がりですよ」 「そうなんだ……」 「本当にいるんですかねえ」 「本当にいるのなら、もうあの廃墟を使って異世界に行こうとするのはやめるんじゃないかな。注目を浴びちゃったし」 そうであってくれたら安心だ。私のスマホはまだあの廃墟のどこかにある。完治したら探しに行こうと思っている。 真央がリンゴの皮をむき始めた。案外、慣れた手つきだ。 坂内由紀子のことを考える。 坂内は、廃墟に行くのは初めてだと言っていた。でも、殺人犯の話でそれは嘘だとわかった。そもそも、全国の廃墟巡りをしているようなレベルの彼女が、地元にある廃墟に、今まで足を運ばなかったこと自体が不自然だったんだ。もっと早くに嘘だと気づいてもよかった。 なぜ嘘をついたのか。 いろいろと考えられる。すでに坂内は死んでいるので、あとは想像力を駆使して、彼女の考えを探る他ない。 坂内は、私たちを連れ出すために嘘をついたんじゃないだろうか。 何度も通っている場所だと正直に告白すれば、「じゃあ、今回も一人でいけばいいじゃん」と返される恐れがあった。だが、初めて行く場所ということにしておけば、そうはならない。 嘘をついてまで私たちを廃墟に連れ出そうとした理由。問題はそこだ。 廃墟の素晴らしさを他の人にも感じてほしかったから? 正直、そうとは思えない。彼女は、趣味は自分一人で楽しめばいいと割り切れるタイプの人間だった。その証拠に、いつも独りで廃墟探索をしていたと言っていた。心情を変えたのかもしれないが、もっと合理的な解答がある。 彼女は前日に、廃墟に出向いて、『何か』を見てしまい、怯えながら逃げ帰った。 彼女はその『何か』を私たちに見せようとしたんじゃないだろうか。 そしてその『何か』とは、ヨミ子さん、もしくは坂内がヨミ子さんだと認識した人間だったんじゃないだろうか。 坂内もヨミ子さんの噂くらいは聞いていただろう。真央と一緒のクラスなのだから、嫌でも耳に入っていたはずだ。 坂内は、ヨミ子さんを見て焦っただろう。本当に四日後に死ぬんだろうか、と。でも彼女は、リアリストの側面があった。素直には認められなかったはずだ。でも、不安は拭えない。 「……どうして、わたしだけ」 不安だけじゃなかった……。坂内はそう思っただろう。それは彼女がよく口にしていた言葉だった。人は平等に扱われるべきだ、と主張していたことも思い出す。 世界は平等じゃない。理不尽に対する苛立ちを覚えたはずだ。 「ほかの人間も、ヨミ子さんを見るべきだ。わたしだけ、あんなものを見て死ぬなんて、理不尽すぎる」 それは、八つ当たりに近い考えだったのかもしれない。 クラスメイトの誰でもよかったんだろう。道連れにしよう、と考えていたわけではなかったはずだ。彼女は、ヨミ子さんを心の底から信じていたわけじゃなかった。自分が死んでしまうと、心の底から信じていたわけじゃなかった。 ただ、不安の種を、平等に、多くの人間に撒こうとしていただけ。 でも結局、彼女の毒は、私たちを蝕むことはなかった。ヨミ子は現れなかったのだ。 坂内の、不満そうな仏頂面を思い出す。 私は寒気を感じた。自分の体を抱きしめる。 この世は人間の悪意に満ち溢れている。私は人が怖かった。幽霊よりも何倍も怖かった。何を考えているかわからない人間を見ると、観察してしまう。知れば怖くないからだ。どうしてもわからなかったら、遠ざけて、関わりを待たないようにすればいい。 それが私の処世術だ。 「先輩、大丈夫ですか?」 いきなりだんまりを決め込んだ私を見て、心配そうに首を傾げる。 私は平気なふりをして笑った。ふと頭の中に浮かんだ言葉を口にする。 「えっと、……そういえば真央、『別の世界に行きたいか』って訊いてきたことあったでしょ」 「そんなこともありましたね」 「真央はどうなの? こことは違う世界に行きたい?」 「そうですねえ」 真央は窓の外を眺めた。 「先輩がそっちに行くならついていくのもやぶさかではないんですが、わたしは結構この世界を気に入ってるんで考えちゃいますね。そもそも、わたしたちはまだ女子高生、この世界のことぜんぜんわかってないも同然じゃないですかー。よその世界に行くのなら、せめて、この世界を遊び尽くしてからがいいですよねー」 「……真央らしいなぁ」 確かに。私たちはまだ子供だ。人や世界に絶望するのは早すぎるのかもしれない。 真央はわかりやすい。だから安心して傍にいることができるんだろう。そして、私に持っていないものを、たくさん持っている。憧れているのかもしれない。口が裂けても、そんなことは言えないけど。 きっと私は、もう他者を受け入れられない。坂内の顔を思い出して、胃が重くなる。毒は至っているのかもしれない。気分が沈んだ。 真央がスマートフォンを取り出して、むむっと眉を寄せた。唖然といった様子でこちらを向く。 「どうしたの?」 「実は、今また由紀子からメッセージが来たんですよ」 「えっ」 そういえば、lineのメッセージの件を忘れていた。坂内が死んだ後に送られてきたメッセージ。あれは、殺人犯の仕業ではなかった。スマートフォンは、ずっと制服のポケットに入れられていたらしい。刑事から聞いた。 ごめんなさい、とは坂内本人の言葉だったんだ。 「今回は先輩にも宛てられているみたいですよ」 「……え、私も?」 真央は、スマートフォンの画面をこちらに向けた。文面を読む。 ――廃墟に着いてきてくれて、ありがとうございます。黒渕先輩や真央と廃墟を回ってみて、凄く楽しかったです。ああいう楽しみ方もあるんだって、初めて知りました。もっと早くに、ああいう楽しみ方を知っておけば良かったです。 ――それから、ごめんなさい。 真央が難しい顔で、首を捻った。 「ごめんなさいって……。どうして由紀子、謝ってるんですかね。前のメッセージの時もそうでしたけど。由紀子も被害者なのに」 私は胸に手を置いて、ゆっくりと息を吐き出した。心が、ふっと軽くなったような気がする。 他者は恐ろしい存在だ。でも、それでも、もう一度くらいは人を信じてもいいかもしれない。そう思えた。 窓から、抜けるような青空を見上げた。 「許すよ、坂内さん」 |
花火 2017年08月13日 21時52分10秒 公開 ■この作品の著作権は 花火 さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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