ゲートモンスター キミにきめた! |
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『ゲートモンスター キミにきめた!』 ――ゲートモンスター。縮めてゲトモン。 この星に、突如あらわれた異界の生き物、海に森に町に、人を襲いにやってくる。 そしてこの物語の主人公、そんなゲトモンが憎い、マシロタウンのヒロト。 ナカイド博士が創設した対ゲトモン養成機関『学園』に合格し、故郷マシロタウンをあとにして、バトルアンドキル、ゲトモンサマナーとしての、修行の旅に出たのだった。 いくたの試練を乗り越えて、ゲトモンを根絶やしにするために、最強のゲトモンサマナーになるために、修羅場と戦場を渡り歩き、ヒロトと、その仲閒達の旅は今日も続く。続くったら続く――今回の物語はそんな日々の前日譚である。 1 旅立ちの日は生憎の曇り空だった。重苦しい灰雲が見渡す限り広がっている。 真新しい制服に袖を通したヒロトは、そんな天の祝福を一笑に付す。履き慣れた靴の紐を結び直すとドアを大きく開け放った。 「気を付けていくのよ」 母が見送る。その表情には心配がありありと浮かんでいた。 「わかってるって。大丈夫。ちゃんとサマナーになってみせるから」 ヒロトは困った顔で「だから泣くなって」と付け加えた。 「うん。ごめんね」 「じゃあ行ってくる」 「ほんとに……ごめんね」 エプロンの裾で目元をぬぐう母を背にして、ヒロトは一歩を踏み出した。 見送りの友人たちは誰もいない。きっとそれが無駄なことだと思っているから。 すれ違う大人たちも愛想笑いを浮かべるだけだ。とっくに期待してなどいないから。 ヒロトは構わず歩き続ける。ここはそういう街なのだから。 マシロタウン――サマナー輩出率ゼロの烙印。 2 壮年の教授が黒板に白墨で板書していく。カッカッと教室に小気味のいい音が響く。それに追随して生徒達がノートに書き写す。鉛筆と紙がこすれてシャリシャリと鳴く。たまの咳払い、静かな吐息、その他の雑音はない。 ひときわ白墨で強く書き付け、教授はピリオドを打った。 「それでは、まずはおさらいだ。ナカイド博士が提唱したゲート理論について。説明出来る者」 そう言うと教授はぐるりと生徒達を見渡し、銀髪の少年を指名した。 「マーシー君。 頼めるかね?」 「イエス。マイテイーチャー」 マーシーは席に座ったまま、 「ゲート理論とは、我々の住む世界とゲトモンの住む世界を同じものだと仮定することから始まる。しかし現実問題、ゲトモンは我々の世界には存在していなかった。そこでナカイド博士はゲトモンは不可視の存在、つまり霊的かつ磁気や電気などのデータ的な生命体であると考え、そして証明してみせた」 マーシーがそこで区切ると、調子の良い声があがった。 「よっ! さすがマーシーさん!」 シゲオ。マーシーの取り巻きのひとりだ。 「よろしい。続けてシゲオ君、ゲートボールについての説明をお願いしようか」 「ぇ! えーっと、あのー……はははははっ……」 教授の厳しい視線に射すくめられ、シゲオは曖昧な笑みを浮かべるのに必死だった。 そんな無様な茶番にヒロトは苛立たしげに口をはさんだ。 「ゲートボール。霊的データ生命体であるゲトモンを捕獲し従属させる唯一の手段であり、その装置の名称。ガチャと呼ばれる召喚システムを使用し、召喚者の霊力と呼び寄せたゲトモンの霊体を混ぜ合わせることによって現世に固定化、物質化させる」 「ふむ」 教授が満足げに頷く。 「付け加えるなら、」 教室の一番後ろの席から声がした。 「ゲートボールはひとりにつきひとつしか扱えない。何故ならガチャは召喚者の精神を著しく汚染し、正気を保つには人生で一度が限度だと言われているからだ」 「よろしい。復習はここまで本日の講義に入る」 教授が黒板に書き記した内容を解説し始める。 ヒロトは教授の目を盗んで後ろを見た。先ほどの声の主、タカシがつまらなそうに窓の外を眺めていた。 ヒロトは苦虫を噛みつぶす。 アイツになんか負けたくない、と。 昼休み。学食での出来事。ヒロトのひろげたランチに歓迎できないドレッシングがぶちまけられた。黒く粘質的な泥水だった。わざわざこのためにかき集めてきたのかと思うと、あまりの暇さ加減に羨ましくなる。 「やいやい。さっきはよくも恥をかかせてくれたな!」 吠えるのは本日の泥水ランチのシェフであらせられるシゲオだ。その後ろには数人の取り巻きを引き連れたマーシーがニヤニヤと下衆な顔を覗かせている。 「おい! なんとかいえよ!」 「350イェン」 「はぁ?」 「Aランチ350イェンだっ、つってんだよ!」 ヒロトは立ち上がり様に、シゲオに頭突きを食らわせた。シゲオの鼻っ柱にヒットし鼻血を吹きださせる。 「てめぇやりやがったな!」 「能無しのマシロ野郎が調子こいてんじゃねぇぞ!」 「おい。そっちおさえろ!」 その後の展開は乱闘とは名ばかりの一方的な暴力だ。ヒロトは取り巻き達に取り押さえられ、ボコボコのボッコボコだ。拳や蹴りの嵐の中、相変わらずのニヤケ面のマーシーと目が合う。こいつだけは一度も手を出してこない。手下どもを使って遊んでいるのだ。こんなクズがプラチナタウン出身というだけで幅を効かせている。なんという理不尽。いつかあの銀髪を根こそぎ引っこ抜いてやる。 恨みを募らせることで、なんとか痛みに耐えるも、そろそろ限界だ。脇腹とかメッチャ痛い。これ折れてんじゃね? 周りの生徒も遠巻きで見るだけで止めようともしない。まぁよくある風景ですし、マシロ野郎と関わってもロクなことにならない。わかってる、わかっちゃいるけどメッチャ痛い。ああ、そういえば、 「ちょっとあなたたち! やめなさいよ!」 ひとりだけ空気読めないヤツがいたっけな。 床に這いつくばりながら見上げた先は、ぱんつモロ見えの天使、カズミが仁王立ちで対峙していた。 「しゃしゃるんじゃねぇよ、このアマ!」 取り巻きはカズミに対しても威勢がいい。 「なによ。講義もまともに理解できない低能が私になにか文句でもあるの?」 カズミも退かない。 確かにコイツは頭がいい。頭はいいが、バカだと思う。 ああ、少し休憩できた。ヒロトがよろよろと立ち上がる。 「ちょ。あんた大丈夫?」 カズミが支える。 「ヘーキヘーキ。こんなへなちょこパンチちっとも効きやしねぇ」 心だけは負けるわけにはいかない。強がりだって立派な強さだ。 「ミスカズミ、なにも僕たちは好きで彼をなぶっているわけではないのだよ」 マーシーが口を開いた。 「なに言ってるの。ただのイジメじゃない」 そう。イジメラレッコです。カズミはヒロトの心にダメージを与えた。 「選抜筆記試験の後、合格者にはゲトモンの召喚が許されるのは承知のことだと思うが」 「だからなによ」 「そう牙を剥かないでくれレディ。せっかくのかわいい顔が台無しだ。その試験、彼は合格するだろう」 「か、かわいいなんて言ってくれたからってゆ、ゆるさないんだからね!」 頬を赤らめている。やっぱバカだ。 「しかし考えてもみてくれ。霊力が限りなくゼロに近い彼が、ゲトモンを召喚することが出来のかどうか。仮に出来たとしてサマナーとしてやっていけるのかどうか。サマナーの戦いは命懸けだ。僕は彼の未来が心配なんだよ」 「で、でも……そんなの……」 カズミが口ごもる。ホント素直なヤツだよな。 「ふざけんな。勝手に盛り上がんなよ。俺の未来は俺が決める」 ヒロトは断固とした口調で言い放った。そして、 「首席で卒業してやるから、その節穴かっぽじってよーく見てやがれ」 マーシーに指を突きつけて宣言した。 一瞬の沈黙の後、 「わははははははは!」 取り巻き達が大笑いする。とうのマーシーも笑いをこらえている。それだけじゃない、関わらないように見ていた生徒達からもクスクスと笑いがあがっていた。 「あ、えっと、みんな笑うなんてひどいよ」 カズミがおろおろしている。 「そうかそうか。まぁせいぜいがんばりたまえよ。いくぞ」 「へい」 薄ら笑いのマーシーの号令で一団は学食から去っていた。 「ヒロト、気にしちゃダメよ。私は応援しているからね」 カズミが胸の前で両拳を握った。 顔に不安の色を浮かべたまま激励するんじゃない。 「ったりめーだ!」 ヒロトはカズミの額にチョップした。 「あいたっ!」 額を押さえる。 「もうバカヒロト! ホントに心配してるんだからね! しらない!」 カズミはふくれっ面をさらしてから走り去っていった。 見れば学食も人がまばらになっていた。 「俺も節穴かっぽじっといてやるよ」 トレーを持ったタカシが通り過ぎ様つぶやいた。 ヒロトは身震いする。 ゴルドタウンのタカシ。学園で首席に一番近い男。 予鈴が鳴った。 「あ」 思わず間抜けな声が出る。 「昼飯どうしよ」 Aランチの泥水付けに目を落として溜息を吐く。 「うぅ……」 その瞬間、その場にうずくまった。脇腹に激痛が走る。興奮状態で麻痺していた痛覚が蘇ったのだ。 「いや、ほんと、マジで折れてんじゃね……のやろっ……あててて」 いまはとりあえず保健室だ、と強く心に思った。 3 マシロタウンは平和な街だ。 治安はいいし、住人もみんな優しい。 だから不測の事態にひどく脆い。 「みんなはやく逃げろ! こっちにくるぞ!」 「ママー! わーん。どこなのー!」 「東だ! 東に向かえ!」 「ユウト! ユウトどこ!」 いつもは笑顔のみんなが血相を変えている。 「きたぞー! ゲトモンだー!」 いっそう強くなる悲鳴と喧噪。 「なにしてるのヒロト! 逃げるわよ!」 母が幼いヒロトの手を引く。 しかしヒロトは微動だにできない。空の彼方より迫り来る人よりも大きなコウモリに目を奪われていたからだ。それが初めて見るゲトモンだった。 「た、たしゅけてー……ああ……」 オオコウモリは逃げ遅れたおじさんに上空から襲いかかると、首筋に牙を突き立てた。おじさんの身体はみるみるとしぼんでいき、骨と皮のミイラになってしまった。 「ヒロト!」 ひときわ大きく名を呼ばれ頬をはたかれた。 ヒロトが我に返ると、子供の視線まで腰を下ろした父の姿があった。 「いいかよく聞け。これからはおまえが母さんを守るんだぞ。男同士の約束だ」 父の目があまりにも真剣だったから、 「わかった。俺が守る」 ヒロトは力強く頷いた。 「よし。いいこだ。いけ!」 背中を押される。涙を流す母に手を引かれて走る。 「みんな! この先には一歩も通すんじゃねぇぞー!」 父の号令。続く男達の雄叫び。 走りながらヒロトが見たのは、父を先頭にオオコウモリに立ち向かう大人達の姿と、次々に八つ裂きにされるその成れの果てだった。 首が飛ぶ。朱が飛び散る。 目の前を真っ赤に染める。意識を真っ黒に染める。 ハッと目が覚めた。 ヒロトは消毒液の臭いと、肌に触れるひんやりとした感触に現実にかえる。 見上げれば天井があり、首を横に向ければ白いシーツが目に入った。 学園の保健室だ。いつのまにか眠ってしまっていたらしい。 「父さん……力が欲しいよ……」 右腕で目元を覆い渇望する。それがヒロトを突き動かす全てなのだから。 4 学園に入学してから二ヶ月余りが経った。 ヒロトをはじめ数十名の生徒達は『召喚の間』へと通されていた。 生徒達は一様に興奮や緊張を隠せないでいる。なぜなら、 「選抜筆記試験合格者の諸君。君たちは今日よりサマナーとして最初の一歩を踏みだすことになる。そして人生で最初で最後のパートナーとの邂逅を果たす日だ。皆によき出会いがあらんことを」 学長の挨拶が終わると、教授達がひとりひとりにゲートボールを渡していく。こいつを召喚システム“ガチャ”にセットすることによってゲトモンを喚び寄せるのだ。 ヒロトは手の平の重みをズシリと感じていた。 「いよいよだねっ。緊張するねっ」 そわそわとカズミが話しかけてきた。 「そうだな。ここで運命が決まるからな」 ガチャを引けるのは泣いても笑っても人生で一度きり。やり直しはきかない。 「……頼むぞ」 ヒロトは祈る。強いゲトモンを手にすることを。強く強く祈る。 「それでは筆記試験の上位順にガチャを引いてもらう。一番、タカシ。前に出なさい」 教授の促しにタカシが応える。 「手順は事前説明の通りだ。この魔法円にゲートボールをセットし、霊力をこめながらハンドルを一回転させる。いいね?」 「問題ない」 タカシは涼しげな顔で頷く。 「よろしい。でははじめなさい」 タカシは己が右手に霊力をこめた。通常なら不可視の霊力の奔流が金色の光となって見て取れる。 「……こい!」 そのままハンドルを一回転。と、同時にゲートボールに向けてガチャから一条の雷が降り注ぐ。霊力を引き金に霊体データのガチモンをゲートボールへと転送した瞬間だった。 雷に撃たれたゲートボールからは、ぷすぷすと黒煙が上がっていたが、ボール自体は無傷のようだ。 「召喚を終えた者は講堂で待機。全員の儀式終了後、全生徒の前でゲトモンの披露会を行う。つぎ二番、マーシー」 ボールを回収するタカシと入れ替わるように、マーシーが魔法円へとセットする。 ヒロトの緊張は否応なく高まっていく。 「つぎ、三番、カズミ」 「わ、私の番だー。い、いってくるね!」 「おぅ」 カズミがグーを突き出す、ヒロトはチョコンとグーを当て返した。カズミは硬い表情のままニコッと笑うと、魔法円へと向かっていった。 ヒロトは心ここにあらずの面持ちで、その様子を見守る。 「つぎ。四番、ヒロト」 呼ばれた。 足がすくむ。声が出ない。 「四番ヒロト! どうした? いないのか?」 「ぃ、いまふ!」 噛んだ。 ドッと笑いが起こる。 なんて失態だ。こんな大事な日に顔から火を噴く想いだ。 「はやくしなさい」 「……すみません」 ヒロトは俯いたまま、魔法円へと足を運ぶ。 しかしどうだろう? おかげでガチガチだった身体がほぐれた気がする。 深く息を吸い、深く吐いた。 大丈夫。いつもどおりだ。 ハンドルをにぎり、霊力をこめる。 白色の糸が一本、立ち上った。 落胆の気持ちはあれど、失望はない。どうせこんなもんだ、はじめからわかっていたことだ。マシロタウン出身者の霊力は極めて低い。生まれながらの決まり事だ。だからどうした。それとサマナーになることは全く関係ない! 「いっ……けぇ!」 積年の想いをこめ、ハンドルを回す。白条がゲートボールへと突き立った。 5 講堂では披露会が始まっていた。この式典の目的は二つある。 一つ目は、誰がどんなゲトモンを従えたか全員に周知させること。つまり隷属させたゲトモンであることの喧伝と、悪用した場合に誰がサマナーなのか判明するようにである。 二つ目は、強さの誇示である。サマナーの社会は実力主義だ。弱い者は淘汰されるし、戦いで命を落とす確率も高い。そしてなにより弱者の巻き添えを食らうことを恐れる。つまり邪魔者なのだ。ならば、まだ学生であるうちに諦めてもらった方が効率がよいとの考えからだった。ようは強者と並べることで晒し者にするのである。 講堂は湧いていた。次々とゲトモンが姿を現していく。中でも目を惹くのが二体あった。 マーシーのドラゴンと、タカシのグリフォンだ。 神々しいまでに雄々しかった。 「私たちも喚んでみよ」 よし、と意を決してカズミがゲートボールを放る。 霊体が物質化し、ゲトモンを形作る。 水を纏った精霊が顕れた。 「ウンディーネ……かな?」 精霊はカズミにニコッと笑いかける。 「よろしくね」 カズミも笑い返した。 「ほら、ヒロトも」 「わかってるって」 促され手の中のボールを見つめる。 絶対大丈夫。絶対大丈夫。絶対大丈夫。絶対大丈夫。絶対大丈夫。絶対大丈夫。 「こい! 俺のゲトモン!」 放ったボールから光が照射され、データは肉となる。 顕れたのは体長一メートル程になる大きなネズミだった。 ヒロトはポカンとする。 「ドブ……ネズミ?」 「ちゅー!」 講堂が笑い声に包まれた。 嘘だろ。念願のゲトモンがドブネズミだなんて。 ヒロトの頭の中はぐちゃぐちゃにかき乱されていた。 視線を泳がせると、マーシーは取り巻き達と腹を抱え、タカシは苦笑していた。 「くそ!」 あまりの恥ずかしさに無我夢中で叫ぶ。 「戻れ!」 ゲートボールを拾いあげ、ドブネズミに向かって命ずる。 「ちゃーぁ」 しかし、ドブネズミは意に介さず毛繕いをはじめた。 「おい。なにやってんだよ! 戻れって!」 やはり聞く耳もたない。 講堂のボルテージは最高潮だった。爆笑に次ぐ爆笑が渦巻いている。 「このっ!」 「ぢゃー!」 この場をはやく立ち去りたいヒロトは、ドブネズミを力尽くで抱え上げると、逃げるように講堂から飛び出していった。 笑い声がいつまでも耳から離れない。目が涙で霞む。つまずきそうになるのを必死にこらえ走り続ける。ドブネズミの重さが無性に恨めしい。 6 どれだけ走っただろうか。ヒロトは学園端の芝生にドブネズミを放り下ろした。 「はぁはぁ……おまえ! どういうつもりなんだよ!」 ヒロトが凄い剣幕で怒鳴りつけると、ドブネズミはツーンとそっぽを向いた。 「こいつっ!」 ヒロトがドブネズミに殴りかかろうとした時、 「ダメ!」 カズミがヒロトに体当たりした。二人は転がるように芝生に倒れ込む。 「自分のパートナーを傷つけるなんて絶対ダメ!」 いち早く身を起こしたカズミは、ヒロトに馬乗りになり訴える。 ヒロトは黙ったままカズミを見返す。そのうちに堪えきれなくなり、涙が両目から溢れてきた。 「くそ! なんなんだよ! くそっ!」 そんな顔を見られたくなくてヒロトは両手で覆う。 カズミはなにも言わずただただヒロトの頭を撫でた。 しばらくして、 「どう落ち着いた?」 「まぁ……」 気恥ずかしさからヒロトはぞんざいに応える。 ふたり並んで芝生に腰かけ、戯れるドブネズミとウンディーネを眺めていた。あの恐ろしいゲトモンのくせに無邪気なもんだ。 「ねぇヒロト。つよいゲトモン、よわいゲトモン、そんなの人の勝手。ほんとうにつよいサマナーなら、喚んだゲトモンで勝てるようにがんばるべき……受け売りだけどね」 「きれいごとだな」 強者しか生き残れない世界だ。詭弁にしか聞こえない。 「かもしれないね。でも、私はこの考え方すきだな。だから私はあの子とがんばってみる」 カズミが跳ねるウンディーネに視線を向ける。 「おまえはいいよ。俺なんか……」 ヒロトは転げ回るドブネズミに苦笑する。 「さっきの言葉、誰が言ったか知ってる?」 「いや。初耳」 「なんとゲトモンマスターのナカイド博士だよ」 ヒロトは落胆する。一気に信憑性を無くした。 「ナカイド博士のゲトモンはドラゴンじゃないか。嫌味か、それ」 「ふっふー。ヒロト君はホントにお馬鹿さんだねぇ」 「あ?」 チッチッチとカズミが指を振る。 「ナカイド博士が喚んだゲトモンは、ホントは“コイ”なんだよ」 「は?」 「鯉の滝登りって知ってるかなー?」 「いや、それってただのことわざ……」 「でも現実に起こったんだよ。ゲトモンには私たちの想像もおよばない可能性が秘められているんだよ」 カズミの顔は真剣だった。 ゲトモンの可能性……ドブネズミに秘められた可能性…… 「そういえば名前はもう決めた?」 「いや、まだだけど。つーか、考えてるような状況じゃねーし」 「私はスイちゃんにしたんだ」 「へー」 気のない返事をしてしまった。 「あ! 真剣にきいてないな! 名前は大事だぞー。ゲトモンとのシンクロ率が上がるからね。それになにより愛着わくじゃん」 「まぁ確かにシンクロ率は大事だ」 しかしネズミの名前か。 悩む。 まったく心当たりがない。 いや、ひとつだけ。 「リンダリンダ……」 「もしかして童謡の?」 「そう。それ」 むかし子供の頃、父さんと母さんと歌った記憶がある。リンダリンダというフレーズを繰り返すその童謡は、ドブネズミを美しいと賛美する歌だった。 「よし。おまえは今日からリンダリンダだ」 「ちゅー!」 こちらにお構いなしで遊ぶリンダリンダが返事をした、気がする。 何故かその時、そんな気がしたんだ。 7 学園には二種類の試験がある。 一つは選抜筆記試験。この試験に合格できない限り、どんなに霊力が高くてもゲトモンを持つことは許されない。しかし一度クリアしてしまえばいいので楽な部類だ。 もう一つが、いまヒロトが挑もうとしている定例実技試験。通称ゲトモンバトル。サマナー同士がおのれのゲトモンを抜き身で戦わせる苛烈な試験だ。ゲトモンの特性として、戦いに勝利すると急速に成長するというものがある。呪術の一つに蠱毒というものがあるが、発想はそれに近いのかもしれない。 コロセウムの中央で、ヒロトは対戦相手と睨み合う。 「へへ。おい、マシロ野郎。おまえのそのネズ公、殺しちまっても恨むなよ」 シゲオがニタニタと減らず口たたいた。 「おまえこそ実家に帰る荷造りは済んだんだろうな」 ヒロトは鼻で笑ってあしらう。 ゲトモンバトルはデッド・オア・アライブ。相手の生死は問われない。十匹の雑魚よりも、一匹の強者。サマナーに求められるのは唯一無二の力だからだ。 「くそ。生意気な野郎だ。ぶちのめしてやる」 教授がバトル開始の合図を出すのと、シゲオが吠えるのは同時だった。 「出てこい! エイプマン!」 シゲオの掲げるゲートボールから光が奔流する。やがて光は実体を持ち、体長三メートル弱の巨人を形作った。 ――サスカッチ。 熊と猿をないまぜにしたような筋骨隆々の偉丈夫だ。 「ウォォォォォォォォォォォ!」 エイプマンと呼ばれるゲトモンが雄叫びを上げる。 ヒロトはビリビリと伝わる音の衝撃をこらえた。 「クチがくせーんだよ。こい、リンダリンダ!」 ヒロトの背後から黒灰色の獣、ドブネズミが姿を見せる。 「チャー!」 リンダリンダが威嚇する。 「リンダリンダ、体当たり」 それと同時に後方に下がりながらヒロトが命じる。 先手必勝。スピードならコチラが勝るはず。 「エイプマン。はたき落とせ」 シゲオは悠々と闘技台から降り、安全な場所から指示を出す。 リンダリンダの身体めがけてエイプマンの豪腕が振り下ろされる。 「ヂャー」 リンダリンダはバレーボールの如くスパイクされてしまい、地面に叩きつけられた。 「立て! 立つんだリンダリンダ!」 ヒロトは同じ闘技台の上から呼びかける。 リンダリンダはよろよろと相手に対し、あまりにも非力な身を起こした。 そこにエイプマンの丸太のような脚で蹴り飛ばされる。 ドゴォ。 重く低い音が後を追う。 「薄汚い害獣はしっかり駆除してあげないとねぇ。エイプマン、ラッシュだ」 巨躯が駆け、ぐったりとするリンダリンダを掴み上げる。そして左腕で宙に掲げると、右拳を間断なく打ち込みはじめる。 ドガ。バギ。グシャ。ビチャ。 様々な破壊音が奏でられる。指揮者であるシゲオはご満悦の表情だ。 「しっかりしろ! 耐えるんだ!」 ヒロトはエイプマンが腕を振り回せば当たるほどの距離で叫ぶ。 ルール的には問題ない。 ガチモンの特性として、サマナーとの身体距離が近ければ近いほど、力を発揮できるからだ。それは選抜筆記試験を通過した者ならば誰しもが理解している基本事項だ。もちろん危険は伴う。 バガッ。グボッ。ギシャ! 人間の肉体ではひとたまりも無いだろう。 しかしヒロトは覚悟の上だし、シゲオも気にも留めない。 闘技場の上に限り、デット・オア・アライブはサマナーにも適用されるからだ。 「そろそろフィニッシュといこうか。エイプマン、やれ」 「フンヌー!」 エイプマンは荒い鼻息で応えると、リンダリンダをヒロトめがけて投げつけた。 「リンダ……!」 ドッヂボールよろしくヒロトは身体の前面でリンダリンダを受け止める。だが衝撃は殺しきれない。胸が痛む。肺が圧迫される。息が詰まり、リンダリンダを抱えたまま床を転がる。 「事故とは言えクラスメイトがいなくなるのはしのびないよ」 白々しくシゲオが嘆いた。 エイプマンが猛ダッシュで迫り来る。 「ちゅー」 胸の中のリンダリンダが鳴いた。 飛びそうになる意識を歯を食いしばり繋ぎ止め、ヒロトは一言つぶやいた。 「……ペスト《黒死病》」 それは死に至る音。 「ウォォォォォォォォォォォォン!」 エイプマンが苦悶の叫び声と共に膝から崩れ落ちた。 「は? おい! エイプマン、なにやってる! 起きろ!」 「ォォォン。オオオオオ……」 苦しみ藻掻くその顔は黒く変色していた。いや、顔だけではない。半紙に墨汁を垂らしたように、黒い染みが皮膚全体に広がっていく。 「ォォォォ……」 エイプマンの呻きはどんどん弱々しくなり、やがて全ての生命活動を止めた。 巨人の身体は霊気と磁気データの塵となり、霧散し、消滅する。 「……ざけんなよ! なんじゃこりゃー!」 シゲオが狂乱する。 それをヒロトは横目にしながら、 「二度とそのツラ見せんな。タコ」 気を失った。 勝利の余韻にユメの中で浸りながら。 8 西日の眩しさでヒロトは目を覚ました。 見慣れた天井、嗅ぎ慣れた消毒薬の臭い、そして触り慣れたシーツの感触。 学園の保健室だ。 「あ、起きた」 「なんだ。カズミまだいたのか」 「はぁ? なんなんですかね、その言い草は? 命の恩人に向かって、な・ん・な・ん・で・す・か・ね・!」 おでこには赤い痕、口元にはよだれの痕をつけながらカズミが凄む。 「……へいへい。感謝してますよ」 それは本心だ。 シゲオとの対戦から数ヶ月が経っていた。 あれから三度のゲトモンバトルをこなしたが連戦連勝。初戦のインパクトからか相手から舐められることもなくなり、むしろ警戒される側となっていた。そして今日がその三度目の日。 「だいたいねぇ。なんであんたは試験のたんびにボロボロになってるわけ? バカなの? マゾなの?」 カズミがジト目を向けてくる。 「しょうがないだろ。俺には霊力がないんだから」 開き直るしかない。 リンダリンダに致死スキルが備わっているとは言え、肝心の使い手の霊力が低いのだ。接触できる距離でなければ発動すら叶わない。 「そのたびにスイちゃんがグッタリするのは納得いかないんですけどぉ」 「イチゴパフェで許してください。お願いします」 「毎日だからね」 「は? あ、はい。わかりました」 「ふふ。よろしい」 勝利を重ねる毎に、ヒロトはカズミに頭が上がらなくなっていた。 というのも、彼女のゲトモンであるウンディーネの癒やしの力にお世話になりっぱなしだったからだ。シゲオ戦の後は本当にひどかったらしい。話を聞いただけだが、いま思い出してもゾッとする。ちなみにカズミも順調に勝ち星を挙げている。ウンディーネの回復能力にものを言わせた力押しの戦法は、ある意味無敵なんじゃないかとさえ言われている。 「ちゃー」 足下でモゾモゾと毛玉が動いた。 「リンダちゃんも食べたいって」 「いや、なんでおまえまで……」 「リンダちゃんも食べたいって」 「……もう好きにしろ」 返事も投げやりだ。 「じゃさっそくいこーっ」 カズミに手を引かれ、ヒロトは身を起こす。 学園に来てずいぶんと通い慣れた保健室。最初は無能だと痛めつけられてばかりだったが、いまは違う。勝利の末の副産物だ。主席だって夢じゃない。 「よし。ぱーっといくか!」 「おー!」 「ちゃー!」 ヒロトは改めて今日の勝利を、そして力を手にした喜びを噛み締めた。 9 学内掲示板に人だかりが出来ていた。 次の定例実技試験の日取りと組み合わせが告知されていたからだ。 ヒロトとカズミも張り出された紙面を見入る。 「私はナッちゃんとかぁ……うわ。つぎタカシ君となの!?」 「……みてーだな」 ぶっきらぼうにヒロトは応えるも内心穏やかではない。 現在、全勝を飾ってるサマナーは三人。ヒロト、マーシー、そしてタカシである。 その強さもさることながら、タカシのゲトモンとリンダリンダは決定的に相性が悪いとヒロトは感じている。しかしだからといって勝負を降りるわけにもいかない。 「あ」 カズミが間の抜けた声をあげる。 思案を巡らせていたヒロトは現実に戻され、カズミの視線の先を見た。 噂をすればなんとやら。タカシがこちらを睨んでいる。そしてヒロトが気づいたのを確認すると、顎で「こい」と指し示し、通りの外れへと足を踏み入れていった。 ヒロトは渋い表情で後を追う。 茂みの奥、木々に囲まれた場所。人の行き来はなくとても静かだった。 そこでタカシは背を向けたまま立っている。 ヒロトは真横に引き結んだ唇を開いた。 「なんか用か?」 ヒロトの語調は粗雑だ。我ながらダサいと思う。強者に対する劣等感と虚栄心から自然と粋がってしまう。 タカシは振り返り、 「おまえはなぜサマナーになろうとする。おまえにとってゲトモンとはなんだ?」 淡々と告げる。 「なにを唐突に……」 ヒロトが質問の意図に困惑していると、それに構わずタカシは続ける。 「俺は強さを求めている。サマナーとしての責務を全うしたいからな」 「それは俺だって一緒だ」 ヒロトは言って、二の句を継げなくなった。タカシが汚物を見るような目で睨んでいたからだ。 「どうだかな。正直おまえとおまえのゲトモンは醜くて見るに耐えん」 「なんだと!」 ヒロトはカッとなって視線をはねのけた。 タカシは冷笑すると、 「次のバトルで、おまえの全てを否定してやる」 そう言い残して歩み去っていった。 「くそっ! なんだってんだ!」 「あ、いた!」 ヒロトの声で場所を特定したカズミがやってくる。 「ねぇタカシ君なんだって?」 「しらねーよ!」 心の底からの本音だった。 「あ、そうだ。頼まれてたのもうじき出来そうだよ」 カズミがブイサインを突き出す。 「おお! ありがとよ。助かるわ」 カズミの報告によって、一瞬タカシへの怒りが吹き飛ぶ。 これで懸念材料が解消できる。 「スイちゃん、とってもがんばってるんだから」 「はいはい。こんどイチゴパフェごちそうしますよ」 「ぶっぶー! すでにイチゴパフェは毎日おごってもらう契約になってるのです。他のものでお願いするのです」 「ちゃー!」 リンダリンダが追随する。 「いや、おまえ関係ないだろ! つーか、いままで何処いってやがった!?」 「ほんとリンダちゃんゲートボール嫌いだよね」 「というか召喚以来、一度も入ってないな」 「変わってるよね~……おー、よしよし」 カズミはリンダリンダにわしゃわしゃしながら抱きついている。 まぁ一応ドブネズミなんだけどな。まぁいいか。 その時、学園全体に予鈴が響き渡る。 「あ、やべ」 「たいへん! おくれちゃう!」 「ちゅちゅー」 二人と一匹は慌てて駆け出す。 すっかり毒気を抜かれてしまったが、タカシの問いはヒロトの心の奥で、棘のようにいつまでも残り続けた。 10 コロセウム闘技場の中央にて、ヒロトはタカシと対峙する。 「結局おまえの言いたいことはよくわかんなかったけどよ……俺はぜってぇサマナーになるぞ。こい! リンダリンダ!」 「ちゅー!」 ヒロトの呼びかけに、場外からリンダリンダが駆け寄ってくる。 「それは無理だな。おまえのゲトモンは始末させてもらう。降り立て、グリフィス!」 宙に放ったタカシのゲートボールから、鷲と獅子の身体を併せ持つ魔獣――グリフォンが翼をはためかせ顕現する。 その姿は雄々しく気品が漂っていた。王獣と呼ぶに相応しい風格がある。 「大丈夫だ。おまえなら勝てる」 リンダリンダに頭を撫でる。激戦を勝ち抜いてきた経験は自信へと繋がる。 「ちゃっ!」 リンダリンダは短く鳴いた。 そして頃合いを見ていた教授が、開始の合図を出した。 闘技場に突風が巻く。 ヒロトとリンダリンダは吹き飛ばされないように地に足を踏ん張る。 見れば、タカシを背に乗せたグリフォンが上空へと飛び立ったところだった。 ヒロトは舌打ちする。 これが相性の悪さ。高く空を飛ぶ相手への攻撃手段がないのだ。 「俺はおまえを認めてはいない。が、見くびってもいない。万全を期して排除する。グリフィス、魔風だ」 タカシの命により、グリフォンは滞空したままの状態で翼を大きくはためかせた。 ヒロトとリンダリンダにとてつもない風圧が叩きつけられる。彼らの体躯はぺしゃんと潰され、もがこうとも地に磔にされる。まるで不可視の腕に押さえつけられているようだ。 「くそっ……」 身動きがとれない。 せめてリンダリンダに接触することが出来れば活路となりうるのだが、いまは叶わぬ状況だった。 「動けまい。おまえたちの武器は致死の疫病だ。いままでの戦いを見るに射程は長くはあるまい。つまりこの時点で俺たちの負けはない」 射程は短いどころか、接触しないと無理なんだがな。ヒロトは内心で毒づく。 「そして距離を保ちながら勝つ手札がこちらにはある。やれ、魔風弐式」 グリフォンの翼の動かし方が変化した。 「ぢゃ!」 リンダリンダが悲鳴をあげる。 ところどころから血が噴き出していた。不可視の刃がリンダリンダを切り刻んでいるのだ。 「……のやろっ」 うごけない。 ヒロトは石床の冷たさを頬で受け止めながら、歯を食いしばり全力で風圧に抗おうとする。 「無駄だ。ゲトモンすら封じる風だぞ。人間の力でどうにかできるものではない」 「ぐぎぎぎぎぎ!」 その間にもリンダリンダの裂傷は増えていく。いくつか深く抉ったのか、血の池を作り始めていた。 「リンダリンダ! 尻尾だ! 尻尾を伸ばせ!」 身体の位置的に一番近い器官だった。 ヒロトは床を掻き毟るようにして少しずつ這っていく。翼の羽ばたきである以上、わずかな間断がある。その隙を縫って爪を立てる。気分は嵐の中でのボルダリングだ。 「やれやれ。その執念だけは感嘆に値するな。そこまでしてサマナーになりたいか。反吐が出るぜ」 タカシは唾を吐き捨てた。偶然か否か、ヒロトの頬に降りかかる。 「ったりめーだ! 俺は……ぜったいに……サマナーに……なるっ!」 けっして諦めたりしない。最後の瞬間まで、いや、最期になってからも想い続けてやる。 「サマナーとは人類の希望だ。その強さも力もすべて守るためのものだ。おまえのように自分の欲望のためには平気で他者の夢を喰らう下劣な人間がなれるものではないわ!」 タカシが激昂する。 「俺だって……守りたい気持ちで……戦ってるんだ!」 「ほざけ! ルールにかこつけた同胞殺しが!」 ヒロトは歯噛みする。ホントはわかってる。気づいてしまっている。自分のエゴを。認めたくないのだ。認めてしまえば罪の重圧に心が折れてしまいそうだから。 学園に来てから、何体ものゲトモンを殺した。同じ数だけ仲間の夢を砕いた。 したくてしたわけじゃない。そうしなければ勝ち残れなかった。自分には力が無いのだから。 タカシの言葉は綺麗事だ。生まれながらの勝者の傲りだ。違う。そうじゃない。本当は自分だってそういう生き方がしたいのだ。胸を張って夢を追いかけたいのだ。だがもう遅い。少なくとも数人の夢は食らってしまった。だったら、なおさら、 「こんな中途半端なところで諦めるわけにはいかないだろうが!」 渾身の力で右腕を伸ばす。 「……愚か者め。腕が千切れ飛ぶぞ」 ヒロトの右手が魔風弐式の射程内に入った。走る痛み。飛び散る鮮血。皮膚をズタズタに裂きながらも、必死で指を伸ばす。 リンダリンダはぐったりとしていた。体毛を真っ赤に塗らし、どんどんと床も同じ色に染めあげていっている。 「ぐぁぁぁぁぁぁあ!」 咆哮。同時に切り飛ぶヒロトの指。そして、そのゆびの長さ分届かぬ距離。 ヒロトの右手は、リンダリンダまであと少しというところで、血溜まりに落ちた。 「足掻きおって。無駄に苦しむだけなのにな。いま楽にしてやる。グリフィス、魔風さんし……」 「2×7^12=27682574402《ねずみ算》」 ヒロトは早口で数列を唱える。 リンダリンダが発光し、十二匹に増えた。そう認識したと思ったら、八十四匹、五百八十八匹、四千百十六匹……どんどんどんどん際限なくリンダリンダそのものが増殖していく。 「バカな! まさか血液を媒介にして霊力を……く、迂闊だった」 タカシが歯ぎしりする。 数え切れない数のリンダリンダが肉の防波堤となり、ヒロトと内部のリンダリンダ達を魔風から守っている。当然、壁役のリンダリンダ達は容赦なく刻まれているが、次から次へと増えるリンダリンダによって代替されていく。 「っつぅ……起きれるか?」 ヒロトはオリジナルのリンダリンダに呼びかけた。数匹のリンタリンダも心配そうに取り囲んでいる。 「……ちゃ~……」 弱々しいが返事があった。 お互いに満身創痍だったが、戦意は衰えていない。 「いいか。一撃で決めるぞ」 「「「「「「「「「「ちゃ」」」」」」」」」」 意志を確かめ合い、行動に移す。 壁の外では、リンダリンダ達の骸が積み重ねられていた。 「く。キリがないな」 グリフィスは魔風参式という攻撃特化の魔風で次々と屠っているが、いかんせん数が多い。リンダリンダの大群は衰えることなく増え続けている。そして途切れることなく壁となっていく。 「こうなればしかたない……サマナーを殺るぞ」 タカシはリンダリンダの群れから、ヒロトへとターゲットをうつす。 「……どこだ?」 しかし視認できない。 グリフィスを旋回させ、まんべんなく見渡す。 そこでタカシは異変に気づいた。 壁の他に肉の塔が出来ている。それは死角に建てられており、いまにも天に届かんとしていた。 「まずい! グリフィス、上昇!」 「一手おせーよ」 ヒロトとオリジナルリンダリンダが、グリフィスの翼に飛び乗る。一匹一匹を足場にして上空まで登ってきたのだ。 「いかん。振り落とせ!」 しかしグリフィスは命令に反し、さほど素早くは動かなかった。 タカシが呻く。 「……俺のせいか」 グリフィスはタカシの身を案じ、無茶な飛び方が出来ないでいたのだ。 「どうする? チェックメイトだぜ?」 無傷のタカシたちに対しあまりにも不格好だが、優勢なのは明らかだった。 ヒロトたちはグリフィスに接触した時点で、ペストの仕込みは終えている。 タカシはしばし瞑目し、 「……俺たちの負けだ」 降参の意を示した。 「……やったぜ」 ヒロトは小さくつぶやくと、リンダリンダに目配せした。 その傷だらけの小さな獣は、どんぐりのような瞳を向けて一鳴きした。 11 タカシとの戦いから一週間。 ヒロトは久しぶりに学園へと足を踏み入れた。 さすがに今回は保健室では手に負えず、病院送りとなった次第だ。ヒロトもリンダリンダも全快とは言えないが、日常に支障をきたすことはなかった。 生徒たちの好奇の眼差しを集めながらも、努めて気にせぬように教室へ向かう。 「あ、退院できたんだ。よかったねっ。あはは、ちゃんと指くっついてる」 遠巻きの生徒とは一線を画す気安さでカズミが隣に並んだ。 「気楽なもんだな。他人事だと思って」 ヒロトが悪態を吐く。実はちゃんとくっつくか不安だったのだ。我が国の医療技術万歳。 「だって私の指じゃないもーん。リンダちゃんも元気そうでなによりなにより」 本当に他人事だった。 そうこうするうちに教室に着く。 自分の席に辿りつくなり、マーシーが話しかけてきた。珍しい。まぁ別に話したくなどないのだけれども。 「ユー、怪我の具合はもういいのかい?」 「ああ、おかげさまで」 「それはよかった。ひとまずコングラッチレーションと伝えたくてね」 「はぁ……それはありがとさん」 「ハハ。礼には及ばないよボーイ。活きがよくないと殺し甲斐がないからネ」 マーシーは無邪気に笑っている。 コイツさらりと凄いこと言ったぞ。 ヒロトが引きつり笑いを浮かべていると、 「ネクストバトルは、ミーとユーで進めておくから楽しみにしていてくれたまえよ」 「ああ、そういうことね」 ヒロトは得心の表情で応える。 マーシーからの宣戦布告というところか。いずれはやりあわねばならない相手だ。なんの問題もない。 「では、それまで学園生活を満喫してくれたまえ。アディオス」 気取った仕草でマーシーが席から離れる。 「アディオスもなにも同じクラスじゃねーか」 思わずツッコまずにはいられない。 「それだけ軽口がたたけるなら身体は大丈夫そうだな」 「うぉ!?」 いきなり声をかけられビクッとする。 タカシだった。いつのまに。 「なんだよ、藪から棒に……」 妙にドキドキしながら返す。 というのも、ヒロトは対戦した相手とバトル後に話したことがない。全員が学園を去ったからだ。理由はもちろんゲトモンを失ったためだ。だからこんな時、どんな顔をしたらいいのかわからないの。 「話がある。ちょっと付き合えよ」 タカシが教室から出て行こうとした。 「ちょ、おい。授業はじまんぞ」 意外なようだがヒロトはそういうところは真面目だった。 「さんざんサボってたヤツがなに言ってやがる。いまさら一時間くらいでさわぐな」 「サボってねぇ! 入院だっつの!」 抗議しか出てこない。 「いいから来い」 有無を言わさずにタカシはさっさと出て行ってしまった。 「ちっ……どっちのが自分勝手だってんだよ」 嫌味しか出てこない。 「いってらっしゃーい。教授にはちゃんと言っとくからね~」 「うるせっ!」 冗談ともつかないカズミのいらない報告を背に受けながら、ヒロトは仕方なく追うことにした。 そこは木々に囲まれた静かな空間。タカシと戦う前にも訪れた場所だった。 タカシはヒロトが来たのを確認すると口を開いた。 「俺は謝らなければならない」 「……思いっきりフルボッコにしてくれたことをか?」 「ちがう」 即答。そこは謝らないのかよ! 「おまえのことを誤解していた。すまない」 神妙な面持ちのタカシが頭を深く下げる。 「ぅぇ!? さっぱり意味がわかんねーんだけどっ」 慣れない状況にヒロトはあたふたと返す。 「カズミから聞いた。治療薬をつくっていたそうだな」 「……ああ」 カズミに依頼していた件だ。ウンディーネが調薬のスキルを覚えたとのことで、ダメ元で頼んだのだ。 「しかしなぜ黙っていた。弁明すれば謂われもない責めも受けぬものを」 「仮に話したとしておまえは耳を傾けたのか? 俺にはそう思えないんでね」 「ふむ…………かもしれんな」 納得したようだ。それはそれで理不尽な話だ。 「それに、まだ実地では試してないんでな。本当に効くかどうかもまだわかんねー」 「結果は大事だ。だが、そのための過程はもっと大事だ。他者を守ろうとするその姿勢は、誰がなんと言おうと立派なサマナーの姿だ。いままでの非礼を許してくれ」 「しょうがねーなぁ……」 真剣なタカシの態度に照れくささを感じ、ヒロトはそっぽを向きながら右手を差し出した。 「恩に着る」 タカシがその手を掴む。 「よよよよよし。じゃ、戻るとするか!」 伝わる手の温もりにヒロトはうろたえる。胸の奥までじんわり熱くなってきたからだ。 「ヒロト。次はマーシーとやるそうだな」 そそくさと行こうとするヒロトに反し、タカシは立ち止まったまま口を開く。 「なんかそうらしいな」 タカシは逡巡したのち、 「ヤツには要心しろ。自尊心が肥大化して暴走しかけている。下手に刺激すれば、なにをしでかすかわからんぞ」 「忠告ありがとな。ま、なるようになるさ」 そう、なるようにしかならない。なにがあろうと前進するしかないのだから。 12 その後の学園での生活は平和そのものだった。 思えばいろいろあったが、友と呼べる仲間も出来た。 霊力ほぼゼロの自分が主席争いに絡んでいる。目指していたとはいえ、入学当初では想像もつかない成果だ。 いよいよ明日、マーシーと戦う。 夜更け過ぎの学内広場。ヒロトは芝生の上に大の字になって思いに耽っていた。寮の消灯時刻はとうに過ぎていたが、目が冴えて寝付けなかったのだ。 少し冷たい夜風が芝と頬を撫でる。 「わっ!」 「うわぃっ!?」 突然の声のせいで間抜けな叫びが漏れる。 「あははははは。夜遊びはいけないんだぞー? 不良少年くん」 カズミだった。してやったりな顔をして、楽しそうに笑っている。 「ぉ、おまえこそ、なんでこんなところに」 ヒロトは身を起こして、もっともな疑問を投げかけた。 「ん、リンダちゃんに誘われちゃって」 「ちゃ」 「はぁ? それじゃなにか。このネズ公は俺が気づかないうちに、女子寮のおまえの部屋まで行って、ここまで連れてきた、と?」 「そだよ」 意味がわかりません。 「ねぇヒロト」 「あん?」 「あしたがんばってね」 「あ、あらたまって急になんだよ」 面食らう。 「ヒロトとリンダちゃんなら絶対だいじょうぶだよ」 かまわずカズミが続ける。 「だからいったい……」 ヒロトは言葉を最後まで言うことが出来なかった。 不意をついてカズミがヒロトのおでこに口づけをしたからだ。 「ずっと見てきた私が言うんだから間違いない! 自分を信じるな、キミを信じる私を信じろ! なんてねっ」 おどけた仕草でカズミがウインクした。 ヒロトは動けない。 「ふふ。それじゃ私はオフトンにくるまりにいきまーす。明日寝坊するなよー?」 カズミはリンダリンダの頭を一撫ですると、足取り軽く寮に向かっていった。 「ちゃー」 しばらくのあいだ固まっていたヒロトの呪縛を解いたのは、リンダリンダの啼き声だった。 「おまっ! ………っ!」 言葉にならない感情をリンダリンダの頬をこね回すことでぶつける。 「ぢゃ~……」 リンダリンダはなすがままこねくり回されている。 「明日のバトル、不甲斐ない真似したら容赦しねーからなっ!」 「ちゃっ!」 リンダリンダがハッキリと応える。 わかってる。さっきの言葉は自分に向けた言葉だから。 心に言いようのない灯がともった。 あと数時間もすれば朝がやってくる。 13 闘技場の舞台下でマーシーは不敵に笑った。 舞台上では、黒焦げになったネズミの死骸が無数に散らばっている。ねずみ算によって増殖したリンダリンダ達だった。 「チートにも程があるだろ」 オリジナルのリンダリンダを抱きながら、ヒロトは冷めやらぬ熱波に顔をしかめる。 相対するのは一匹のブラックドラゴン。その口元からはぷすぷすと白煙が漏れ出ていた。 リンダリンダは開幕一番、ねずみ算を使ったのだが全てドラゴンのブレス《炎の息吹》で焼き殺されてしまったのだ。 「フッ。どうだい。ミーのドラグーンの炎は!」 「くっ。もう一度だ! 2×7^12=27682574402《ねずみ算》!」 リンダリンダが発光し、次々と分身を生み出す。 「みんな散れ! 一匹でいい、アイツに取り付くんだ!」 分身ネズミたちは素早い動きで、四方八方からドラゴンに迫る。 「ハハ。無駄なのにね。ドラグーン、薙ぎ払え」 ドラゴンの口から再び炎が吐き出される。全方位をくまなく炎の帯で満たしていく。 「「「「ちゅーっ」」」」 分身ネズミたちの悲鳴が積み重なっていく。肉の焦げた臭いがあたりに充満する。 「汚らしいドブネズミには相応しいダロウ? 汚物は消毒だー。ヒャハハハ!」 マーシーが歓喜の笑いをあげる。 「なにか手は……」 ヒロトは焦りながらも、頭をフル回転させる。 限られた手札を、この状況を、敵の特性を分析する。 「ちゅちゅ!」 抱きついていたリンダリンダが声をあげた。 漆黒のどんぐりまなこが、焼け焦げた分身に目配せする。 「ああ。そうか……オーケー。それでいこうぜ相棒」 ヒロトが意を汲む。 ねずみ算、ねずみ算、ねずみ算……。 ひたすらにリンダリンダを増殖させていく。 「ユーも懲りないネ。そろそろ飽きてきちゃったヨ」 そしてひたすらに死骸を積み上げていく。 気づけば闘技場はネズミの焼死体の山で埋め尽くされていた。特にドラゴンの周りは、その胸ほどまでうずたかく積もっていた。 「そろそろか」 「そろそろ終わりにしようカ」 ヒロトとマーシーが同時に口を開く。 ドラゴンはヒロトへと狙いを定め、大きく顎を開いた。 ヒロトが固唾を飲む。 「ユーたち、そんなにしっかりくっつきあってるなら仕方ないよネ。仲良く燃えちゃいナ!」 サマナーごと焼き殺せる瞬間を想像して、マーシーが喜色の声をあげる。 「いまだ!」 ヒロトが叫んだ。 おそらく最初で最後のチャンス。 ドラゴンが大口を開けている、この瞬間。 マーシーが調子に乗ってドラゴンに指示を出すのが遅れた、この瞬間。 マーシーにもドラゴンにも死角になるほど死骸が積み上がった、この瞬間。 黒々とした骸の山から一匹の黒灰色の獣がドラゴンの顎めがけて飛びかかった、この瞬間。 まるで時の流れがスロー再生になったかのような感覚を味わいながら、ヒロトが命ずる。 「ペスト《黒死病》!」 ドラゴンの舌に取り付いた分身ネズミが、燃え尽きる間際、確かにそれは発動した。 ドラゴンは致死の病に冒される。しかし一度吐き出された炎のブレスは呑み込まれることはない。ヒロトとリンダリンダめがけて、炎の渦が迫り来る。 ヒロトはスローモーションの世界で、一部始終のコマを体感する。 勝利を確信した一コマ。膨大な熱を感じた一コマ。死を覚悟した一コマ。胸に鈍痛を感じた一コマ。そして最後に目の前でオリジナルのリンダリンダが焼き尽くされる一コマ。 次のコマは、床を擦るところから始まる。スローの世界は幕を閉じていた。 「リンダリンダ!」 オリジナルに突き飛ばされたヒロトは、すんでのところで難を逃れたのだった。その代償としてリンダリンダは黒山を成す一粒となってしまった。 「ド、ドラグーン? ア、アアアアアアアアアアアアアア!」 マーシーが狂ったように叫ぶ。 ネズミたちの山の中、ひときわ大きい山がそびえていた。 それはブラックドラゴンの骸。 「アァァァァァァアアアアァァァァァァァァァァァァァ!」 マーシーは狂乱しながら、どこかへと走り去っていく。 ヒロトも同じ気持ちだ。 ただ罪の意識が働いて、理性を失えないという違いがあるだけだ。 ゲトモンを喪うというのはこんな気持ちなんだな。 浜辺で子供が積み上げた砂山を波が攫ってしまうような。そんな空虚な気持ち。 そう。ちょうどいま目の前の黒山が崩れたように…… 「……ちゃ~」 それは表現するなら「ぷは~」くらいに軽い啼き声。 「おま……生きて……」 「ちゃ!」 リンダリンダが片手を挙げる。 ヒロトは目の前の相棒をつよく抱き締めた。 ガランとした部屋を一瞬で埋め尽くしたこの感情を抑えることなんて出来っこない。 涙が、嗚咽が、とどまることを知らない。 アイツ、分身ネズミをもう一体もぐりこませてたのかよっ! ヒロトの指示を超えた行動だった。 そのおかげて救われたのだから文句などあるはずもない。 ただただ、この世界に感謝した。 14 「ユルサナイユルサナイユルサナイュルサユルサユルサユルサ……アァァァァァァア!」 返り血も気に留めず、マーシーは警備員を踏み越える。無惨にも死んでしまった警備員が守っていた重々しい扉の先には、ガチャシステムが鎮座していた。 マーシーは猛狂う情動のまま魔法円にゲートボールをセットする。 二度目の召喚は禁忌だ。 いままでに良い結果を得た者は、誰ひとりとしていない。 だが、いまのマーシーにそれを理解する術はなかった。 本能の赴くまま、力を欲し、ガチャのハンドルに手をかける。 銀色の霊力が光の奔流となって、ハンドルに集まる。 「ヒャハハハハはハハハはハハ!」 顔全体に狂気を張り付かせ、ハンドルを回転させた。 ガチャは無機質に忠実に呼応し、ゲートボールではなく、マーシーへと銀雷を降り注がせた。 「ヒーハー!!!!!」 身体を貫く痛みと、異質な霊力に脳の中枢が過剰なまでの脳内ホルモンを放出する。 痛みは快楽。絶望は悦び。死は祝福。 世界はこんなにも残酷で優しい。 光と煙の後に残されたのは、人間大のハエの姿だった。 15 けたたましい警報が長く長く学園中に響き渡る。 深夜。飛び起きた生徒たちはおのおのの方法で自体を把握しようと努めている。 「いったいぜんたいどうしたってんだ?」 ヒロトもそのうちのひとりだ。近場の生徒たちにたずねてみるも要領を得ない。無理もない。みんなわからないのだ。学園はちょっとしたパニック状態に陥っていた。 その時、学内放送のスピーカーにノイズが走る。 「ウキャキャキャキャキャ! 聞こえているカ? 下等な豚ども諸君」 喜悦に満ちた声音だったが、なぜかおぞましさしか感じられない。 「おいヒロト」 「タカシか。これってもしかして」 「ああ、学園ジャックだな」 ふたりの緊張が高まる。 スピーカーからひとしきり笑い声が流れた後、 「ミーはいまからこの世界を滅ぼうと思ってイル。その前にこの学園を皆殺しにスル」 そう告げたしゃがれ声はまた笑う。 「いや! 誰かたすけて!」 次にスピーカから流れたのは女生徒の懇願だった。 「いまこの部屋には、五匹の家畜がイル。五分ごとに一匹ずつ殺ス。早く来ないとイッチャウヨ」 スピーカの向こうで悲鳴が響く。 「いくぞ」 「ああ! こいリンダリンダ!」 タカシとヒロトは駆けだしていた。行き先は中央棟放送室。 どれだけ時間がかかっている。時計を見る間も惜しい。 二人は中央棟に入り、階段を駆け上がる。放送室は三階つきあたり。 全力疾走に息が切れる。しかしスピードを緩めることは出来ない。 三階。長い廊下を突き進む。 つきあたり。放送室。ドアを力任せに開け放った。 部屋の光景を即座に判断する。 敵は……いない。 人質の生徒たちは……二人組の女生徒が涙を流して肩を寄せ合い震えていた。残りの三人は床に横たわっている。 「おそかったか」 ヒロトが奥歯をギリリとならす。 それを倒れている生徒の脈を確認したタカシが否定した。 「いや、まだ微かだが息がある」 「ホントか? じゃあはやく治療を! カズミのウンディーネなら治せるはずだ!」 「まて。これは……血を抜かれているな」 外傷や状態を確認しタカシが告げる。 「ははははい。ハエみたいなゲトモンがみんなの首に……ふわーん」 その惨状を思い返した女生徒がいっそう泣きだす。 「ハエのゲトモンだと?」 披露会ではそんなゲトモンはいなかった。 「それでそいつはどこにっ?」 もうひとりの女生徒が震えながら口を開く。 「ひ、ヒロトさんん。あ、あなた、ひとりで、コロシアムにここここいって……」 「俺ひとりで?」 ヒロトが訝しむ。 「はははははいっ!」 ぶんぶんと女生徒が首を縦に振る。 「わかった。なんの目的かしらねーが、叩き潰してやる」 「罠だ。乗るは愚策だぞ」 タカシが制する。 「んなもんはわかってる。それでも行くしかないだろ!」 「落ち着け。居場所はわかったんだ。戦力を整えて……」 「そんなちんたらやってたら本当に死者が出ちまうかもしんねーんだぞ!」 ヒロトがタカシの胸ぐらを掴む。 そうだ。いまこの場の三人だって危ういのだ。 「タカシ。おまえにとってサマナーとはなんだ? ゲトモンはなんだ?」 かつて彼から差し向けられた問いを投げ返す。 「……弱き者を守る存在。そしてその力……」 「だったらおまえのやることはただひとつ。こいつらを安全な場所に避難させて“全員”助けてみせろ」 タカシのグリフォンなら病院まですぐだろう。 「しかしそれでは」 「もし、俺のことを信頼できるというのなら……任せてみろよ」 タカシは無言ののち、 「わかった。すぐに戻る……死ぬなよ」 「とーぜん!」 「ちゃー!」 二人と一匹は拳でタッチを交わすと、それぞれの使命のために動きだす。 目指すはコロシアム。 ◆ 舞台は時を少し遡る。 警報、そしてスピーカーからの脅迫。 カズミは女子寮から外に出て騒ぎの渦中にいた。 「コッチです。カズミさん」 走るカズミを先導するのは、学園を去ったはずのシゲオだった。 「うん」 カズミは駆けながら真剣な面持ちで頷く。 『ゲトモンに襲われて怪我人が大勢でている。ウンディーネの力で助けて欲しい』 突如としてカズミの前に現れたシゲオはそう訴えたのだった。 不審な点は多々ある。 学園を去った人間であること。女子寮に入ってきたこと。そもそもシゲオという人間をあまり信用していないこと。 それでも、 『その中に友達がいるんです』 という一言で、信じると腹を決めた。 カズミもまた、本気でサマナーを目指すひとりだったのだから。 自分のやるべき使命を全うしたい。 その想いがカズミを突き動かす。 目指すはコロシアム。 16 ヒロトは息を整えるのもそこそこに、コロセウムへと入っていった。 月光の差し込むその場所にマーシーと戦った形跡は残っていなかった。数時間前には山積みとなっていたドラゴンやネズミの死骸はキレイに片付けられており、炎の焦げ痕も磨かれ本当にあの戦いが行われたのか疑問に思うほどだった。 闘技場の中央。蒼い月明かりのもと、ふたつのシルエットが浮かび上がった。 ヒロトが叫ぶ。 「カズミ! てめぇシゲオ!」 シゲオはナイフを、猿轡を噛ませたカズミの首筋にあてがっていた。 「お、俺は悪くねぇ! みんなおまえが悪いんだ、このマシロ野郎が!」 シゲオは唾を飛ばしながらいきり立った。 「そうかい。ぜんぶてめぇの仕業か」 ヒロトの目付きがすわる。 「リンダリンダ。噛みつけ」 「ちゃー!」 牙を剥きだし、獣が疾駆する。 「ひぃ!」 シゲオは情けない悲鳴をあげた。 「ちゃーっ」 しかしシゲオにリンダリンダの牙が届くことはなかった。上空から現れた、新たな影に阻止されたのだ。 リンダリンダが影と間合いを取る。 「ファファファ。再会を祝しまショウ! 下劣なネズミ野郎ヨ!」 しゃがれた声で、人型の銀蝿が嗤う。 「なんだ? ゲトモン……なのか?」 ヒロトは我が目を疑う。 ゲトモンが人語を解するなど聞いたことがないからだ。 「もうお忘れですカ? ミーですヨ」 「そのしゃべり方。もしかしてマーシーなのか?」 見る影もない。 「イエス! ウヘウヘウヘウヘウヘヘヘヘヘ!」 気味の悪い動きをしながら、高らかに嗤う。 「ミーは、ガチャの力によリ、魔王へと転生したのデス! 今宵よりベルゼバブとしテ、世界を混沌に陥れて御覧にいれまショウ! イッッッッツショータイーーーイム!!」 「バカが……っ」 ヒロトは吐き捨てるように嘆いた。 力を求めた末路。そのあまりにも虚しい結末。もしかしたら自分が辿ったかもしれないIFの世界。 「シゲオサン。レディは丁重に扱っていてくださいネ」 「は、はい。マーシーさん」 シゲオは震える手で必死に言いつけを守ろうとしている。 「恨みがあるのは俺だろ? カズミは放せよ」 「ちゃーちゃー!」 手を高速で擦り合わせながら、マーシーは首を横に振った。 「ノン! ダメなのデース! なぜならミーは戦いたいのではありませんノデ」 「なんだ? お話でもしたいってか?」 ヒロトがフンと鼻を鳴らす。 「キシャシャシャシャ! そうですネ。ユーをバラしたアト、クソを塗りたくっテ、ブタにでも喰わせながラ、ユックリお話ししましょうカ!」 「ずいぶんと趣味がいいことで」 さて、どうしたものか。 リンダリンダは空を飛ぶ敵とは相性が悪い。 なによりカズミが人質に取られている以上、下手な真似は出来ない。 「ちゃぉ」 リンダリンダが気遣わしげに鳴いた。 なにか取っ掛かりが。動きさえあれば。 「いい心がけデス。まずはその邪魔なネズミ野郎をゲートボールに戻しなサイ」 ヒロトが思案を巡らせているのを、抵抗を諦めたと勘違いしたのか、マーシーは要求を突きつけてくる。 「ぢゅー!」 リンダリンダは威嚇して、激しく抵抗の意思を示した。 あ! ヒロトは閃いてしまった。一か八かの分の悪い賭けを。 「……わかった。その前にひとつ頼みたいことがある」 努めて神妙に告げる。 「なんでショウ?」 「リンダリンダと別れの挨拶をさせてくれ」 「ぢゅあ!?」 「フュフュフュフュ! いいでしょウ。なにか仕掛けようとしたラ、わかってますネ?」 「おらぁ! わかってんだろうなぁ!」 シゲオが凄む。 「わかってるよ……リンダリンダ、きてくれ」 納得いかないのか、リンダリンダは寄ってこない。 ヒロトは口元を覆うと今度は言葉ではなく、目で訴える。 自分の霊力を全てこめて、念を送る。 渋々といったていでリンダリンダが近寄ってきた。 イイコだ。 ヒロトが抱きかかえる。 そして視線の高さを合わせ、どんぐりまなこと見つめ合った。 次に流れるようなスムーズさで、リンダリンダの唇を奪う。 「リンダリンダ、ありが……ト」 囁くように耳元で告げる。 それからのリンダリンダは大人しかった。 「もどれ。リンダリンダ」 ヒロトが命じる。ゲートボールに納まるのは、ついぞ召喚以来はじめてのことだった。 「ウヒウヒウヒウヒヒヒヒ。いいですヨいいですヨー。こちらに投げなさイ」 「……ほらよ」 ヒロトはおぼつかない手つきでボールを放る。 「アヒャー!」 感極まったマーシーが、高速で手を擦り合わせる。 そして瞬時に間合いを詰め、その手でヒロトの腹を殴りつける。全部で六発。 「ウゲェェェェェェエエエ」 たまらずヒロトは膝を折り、胃の中身をぶちまけた。 「いけまセン。いけまセン。脆弱なブタは丁重に扱わないト」 マーシーは自分を戒めている。どこまで本気かわからないが。 「……ほら。はやく殺れよ。いまのおまえなら一瞬だろ?」 ヒロトが胃液まみれの口で苦しげに呻く。 「そのトオリ。殺スのは簡単でス。でもそれではつまラナイ。ユーには、とことん苦しんでいただきタイのデス」 「ほんと……いい趣味してるよ……」 顔が青ざめてきた。 「まずは、そこのレディを犯しテ犯しテ犯し尽くスさまを、ユーの目に焼き付けてもらいマス」 「はっ……見下げ果てたクズだ……な。魔王だ、なんだと言いながら、やってることは……ただのゲスなチンピラだ……」 「おだまりなサイ」 「……放送室のあいつら、全員生きてた、ぜ。殺しも、なにも、かも、中途半端なんだよ……銀蝿野郎っ」 「おだまりなサイー!」 マーシーが吠えた。 「その減らずグチ。二度とたたけないようにしてサシあげマス」 「……てめぇごとき三下にできるかよ」 青どころか黒ずんできた顔色でヒロトは煽る。 「死ぬより苦しいオモイをするがイイ……」 ヒロトの首筋目がけ、マーシーがクチバシを伸ばす。 ズブリ。 指ほどの太さの管が、ヒロトの首に埋没していった。 「……う……ぐ……」 力が抜ける。意識が遠のく。 マーシーはヒロトの血液を極限まで吸い上げた。 ドサリと、ヒロトは床に打ち捨てられる。 かろうじて、まだ、意識は、ある。 「アガ! アガガガガガガガガ!」 突如として、マーシーが喉を掻き毟り、苦しみだした。 効き目がはやくて助かる。 ヒロトはもうほとんど動かない唇を釣り上げた。 「美味かっ……たろ。俺の血は。なん……せ、特性ペスト味……だからな。へへ……」 「アガァァァァァァオオオオオォォォ……」 苦しみから逃れたくて、自らの爪で喉を抉り破き、マーシーは絶命した。 「マ、マーシーさん! くそ! いまなら俺にだって!」 シゲオは駆け、地に伏すヒロトめがけてナイフを振り下ろした。 ヒロトは身動きとれない。 でも、なにも心配していない。 あ、ほらな。 「うがっ……ひぃ……」 シゲオが体勢を崩して転げ、恐怖した。 そこには勝手にゲートボールから出てきたゲトモン――ドブネズミが毛を逆立てていたからだ。 17 「あんたバカでしょ! いやバカよ! このキングオブバカ! ダメ、足りない! スーパーグレートゴッドバカっ!」 「そこに異論はないな」 病室のベッドの上、ヒロトはカズミとタカシの両名から、こっぴどく叱られていた。 「まぁいいじゃねーか。さいわいみんな無事だったんだしよ」 「はぁ? あんたどのクチが! そんなこと! 言ってるわけ!?」 「いてててててててて。マジいてぇ」 いちおう内臓とか骨とかヤバいんで。 お願いだから優しくしてください。 「……もう。本気で心配したんだから」 カズミが誰に言うでもなく呟く。 「……お、ぉぅ」 とはいえ不意に優しくされても困るな。 助けを求めて視線を流すと、タカシは肩を竦める。この薄情者。 さて、あれからの顛末はこうだ。 ゲートボールから顕れたリンダリンダによって、カズミの戒めを解き、あらかじめリンダリンダの口の中に隠しておいたペストの治療薬を使ってもらったというわけだ。 あの口付けの際に仕込んだんだが、カプセルが溶けなくてよかったぜ。 というのをうっかりカズミに話したら、ウンディーネで治してくれなかったというヒドい仕打ちを受けての病院生活なわけです。ええ。 ホントヒドいよねー。タカシは賛同してくれなかったが。薄情者め。 「あー……にしてもやっぱ病院は退屈だわ。はやく学園に戻りてーよ」 話を逸らすかのように、唐突に話題を変える。 学園はしばし休校なのは知っている。 それでも戻りたいのは本心だった。 ヒロトにとってやはり、サマナーは天職であり、夢だから。 「退屈けっこう! これに懲りてもう無茶しないでね」 「へいへい」 「……おまえ早死にするだろうな」 「なに言ってんだ。俺は太く長く生きるぜ?」 ヒロトははにかみ笑い、胸を張って宣言した。 冗談なんかじゃない。本気も本気、マジでガチで真剣だ。 そうすれば、ずっと一緒に居られるじゃねーか。 な、リンダリンダ。おまえもそう思うだろ? 窓から吹くそよ風に鼻先をくすぐられ、 「くしゅ……ちゃ~……」 ベッドの足下で丸くなっていた相棒が短く鳴いた。 ――ゲートモンスター。縮めてゲトモン。 この星に、突如あらわれた異界の生き物、海に森に町に、脅威から人々を守るため戦い続ける。 そしてこの物語の主人公、そんなゲトモンと心を通わせる、マシロタウンのヒロト。 ナカイド博士が創設した対ゲトモン養成機関『学園』に合格し、故郷マシロタウンをあとにして、バトルアンドキル、ゲトモンサマナーとしての、使命の旅に出たのだった。 いくたの試練を乗り越えて、ゲトモンとより深い絆を結び、最強のゲトモンサマナーになるために、修羅場と戦場を渡り歩き、ヒロトと、その仲閒達の旅は今日も続く。続くったら続く――のはもう少し先のお話。 |
kuro 2017年08月13日 09時38分31秒 公開 ■この作品の著作権は kuro さんにあります。無断転載は禁止です。 |
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Re: | 2017年10月03日 01時27分43秒 | |||
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Re: | 2017年09月09日 22時04分39秒 | |||
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Re: | 2017年09月03日 22時10分32秒 | |||
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Re: | 2017年09月03日 21時35分52秒 | |||
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Re: | 2017年09月03日 21時22分48秒 | |||
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Re: | 2017年09月03日 21時13分48秒 | |||
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Re: | 2017年09月02日 04時57分19秒 | |||
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Re: | 2017年08月29日 02時36分08秒 | |||
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Re: | 2017年08月29日 01時51分49秒 | |||
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Re: | 2017年08月29日 01時41分31秒 | |||
合計 | 13人 | 260点 |
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